第29話 「ルート変更」
俺たちは馬車を停め、その荷台で地図とにらめっこしていた。
第二回
「聞いた限り、検問の箇所はこことここ」
車座になった俺たちの前、リルネがラパムの地図の二箇所の地点を指さす。ラパムとポライノフを結ぶ一番大きな街道と、二番目に大きな街道だ。
「ただ、その他に検問が張ってあるかどうかは正直わからない。この検問を回避して他の街道をいったとして、そこが無事な保証はないわ」
もっともな話だ。
目立つところに注意を引きつけておいて、それ以外の場所におびき寄せるのは定石だろうからな。
「しかし、リルネひとりのためにずいぶんと大掛かりだな……」
「イルバナ領の街ひとつがなくなったんだもの。その重要参考人をここで捕まえておきたいという気持ちはわかるわ。ポライノフ共和国に入ったらそうそう手出しができなくなっちゃうからね」
「なるほどな」
向こうも焦っているわけか。メンツの問題もあるのだろう。
「改めて、あたしの立場を表明するわ。あたしは絶対に捕まるわけにはいかない。ヴァルハランドの塔にたどり着いて真相を解き明かすまではね。いつか領主の娘として責任を取らなければならない日が来るとしても、それは決して今ではないわ」
リルネの言葉に、俺とスターシアはうなずく。当然だ。この旅はリルネが始めたことなのだ。彼女の心が折れない限り、俺はそれを支え続けるつもりだ。
「なんとか検問をやり過ごす方法はないだろうか。例えばリルネが毛布の中に隠れたり、賄賂で見逃してもらったりだとかさ」
「……どうかしらね。相手の迂闊さを想定して進むのは、危険じゃないかしら」
確かにな。
いくらリルネが一騎当千の魔法使いと言っても、どんな相手がいるかわからないんだ。見つかればグロリアス級の相手が襲ってくると考えよう。クライがいない以上、死んだら死にっぱなしだしな。
だとしたら、なるべくかかわらずに通過したい。
「街道を通らないルートだと、海路か?」
「ひとつの案ではあるでしょうね。けれど、荷積みのチェックは行われていると思うわ。最悪、街ではち合わせすることになるかもしれない」
「馬車まで運べないだろうから、売る際に足がつく可能性もあるもんな」
その場合は、馬車を手前で売り払って、俺たちは正体を隠して船に乗り込まなければならないだろう。しかし逃げ場のない船上で見つかったら、どうしようもない。
「こっちの道はどうなんだ?」
「……そう、ね」
俺がトンと地図を指差すと、リルネは暗い顔で黙り込んだ。
大陸の中央部に位置する大森林地帯。イルバナ領内よりも一回り大きなそこは『
「ラパムの東にあって、ポライノフ共和国の北にあるんだから、こっちの森を突っ切れば検問を回避できるんじゃないか?」
「……あたしも、同じことを考えていたわ。でも」
リルネは口元に手を当てたまま、神妙な顔をする。
「どこにいこうが厄介なことに巻き込まれるんだったら……、ううん、それしか方法はなさそうね。マナレジカを縦断してポライノフへと抜けましょう」
「しかし、マナレジカへと続く道にも検問が張られていたりはしないのか?」
「それは大丈夫」
銀髪の少女は断言した。
「人族がそんなことをしていたら彼らは勝手を許さないし、人族の争いに彼らが手を貸すこともないわ。森王樹マナレジカは、決して人族を寄りつかせない、排他的な
その瞳には、不安の色が揺れていた。
エルフの住む森だなんて、イメージ的にはすごく穏やかで神聖な雰囲気だけど……、リルネの様子から察するに、この世界ではそうじゃないんだろう。
マナレジカの中心部に近寄れば、命はない。そう語るリルネと相談し、俺たちはマナレジカの浅い外周をぐるりと回るルートを構築した。
問題はマナレジカの詳細な地図が出回っていないことだが、それに関しては俺が日本から持ち込んだコンパスと、ホームセンターで購入した自転車用のサイクルメーターを導入して解決することにした。
馬車の前輪部にしゃがみ込んで作業をする俺のもとにリルネがやってきた。
「なにやってんの?」
「車輪の外周長を測っているんだよ。もともとは自転車用だけどさ、馬車にも使えそうだなって思って。これがあれば走行距離がわかる」
最新のサイクルメーターはほとんどがGPS完備だが、この世界ではGPSは当然機能しないからな。昔ながらのサイクルメーターが役に立つってわけだ。
「走行距離がわかれば、今俺たちがどこらへんを走っているのかを知れるから、どこで森を出ればいいかもわかるってもんだ」
「へえー、なるほどね。考えたじゃない」
俺はメーターを荷台の中に取り付けた。きょうから毎日の走行距離を計測し、地図上の尺度に合わせないとな。
「食料を調達しづらい問題もあんたがいれば解決するし、うまくいくかもしれないわね、マナレジカ縦断」
かたわらに立つリルネの様子を見上げて、俺は思わず尋ねた。
「そんなに危険なのか? マナレジカ」
「え?」
「ずっと浮かない顔をしているから」
「……まあ、森の中だからね。魔物は多いと聞くわ」
あのリルネが魔物に怯えるはずがない。他にも理由があるのだろう。
しばらく待っていると、リルネは髪をいじりながらうつむいた。
「……追われているのはあたしなのに、あんたたちまでマナレジカに付き合わせるのがね。なんだったらあたしひとりが森を抜けて、あんたたちは平然と検問を突破してもいいわけだし……」
「そういうわけにはいかないだろ」
俺は立ち上がり、リルネの頭にぽんと手を置く。
「お前ひとりだったら食べるものにも困るだろ。携帯食だけの毎日に今さら耐えられるのか?」
「もう、冗談で言っているんじゃないのよ」
リルネはぷぅと頬を膨らませた。しかし俺の手をはねのけず、受け入れているようにも見える。
「……わかっているわよ、旅の途中あんたにはたくさん助けてもらったってことぐらい。でも、だからこそ、余計な迷惑はかけたくないの。マナレジカではなにが起きるかわからないわ。授業で習ったの。まともな人間なら立ち入ろうとは思わないわ」
「なんだよ、そんなことか」
「そんなこと、って!」
俺が笑うと、リルネは目を吊り上げた。しかし俺は脱力した態度で肩を竦める。
「なにが起きるかわからないっていうのは、旅に出たときからそうだったさ。リルネは知識があるから落ち着いていたのかもしれないが、俺にとってはすべてが初体験でドキドキしっぱなしだ。今さらなんだってんだ」
そうとも。リルネの助けになりたくて始めた旅だが、俺はこの旅を俺なりに楽しんでいるんだ。
「だから俺にとっては、ラパムを南下しようがマナレジカを縦断しようが、変わらねえよ。俺はお前と一緒に行くさ。お前の見る景色を俺も見るんだ。そうじゃないと、テトリニの街を救ったあとに『あんなこともあったな』って話ができねえだろ?」
リルネはしばらく面食らったように俺を見つめていた。それから気がついたように俺の手を払いのけ、そっぽを向く。小さく唇を尖らせながら「……ばか」とつぶやいた。誰が馬鹿だ。
でもまあ、一応説得は成功した、のかな? リルネは俺の背中をぺしっと叩いてどこかに行ってしまった。夕食までには帰ってくるだろう。
ビクッとした。
馬車の影からスターシアがにへへという顔でこちらを眺めていたのだ。い、一部始終見ていたのか、お前……。
「いつから……」
「はっ、す、すみません」
スターシアは慌てて口元を抑えた。あのいつもおしとやかでかわいいスターシアの口からよだれが垂れていたように見えたのは、俺の気のせいだろうか。あのスターシアに限ってそんなこと、あるはずがないよな……。
「えへへ……、ジンさまとリルネさま、本当に仲がよろしくて、おふたりにお仕えできるわたしは心の底から幸せです……」
「なんでだ!」
そりゃ仲が悪いよりは仲がいいほうがいいだろうけどさ! スターシアの忠誠心が度を過ぎていないか最近!
こうして俺たちはさらに二日南下した後、東に進路を変更し、森王樹マナレジカへと足を踏み入れた。
森の中は昼間だというのに薄暗く、光も樹冠に遮られて地上までは十分に届かないようだった。時折、葉の隙間から差し込む太陽光は弱々しくも綺麗で、俺たちを導いてくれるようだ。
数日前に雨が降ったのか、ぬかるんだ道を馬車は緩やかに進んでゆく。
マナレジカに入って特別なにかが変わったということはなかった。切り拓かれた道は凹凸が目立ち、見たことのない虫や獣がいて、湿り気を帯びた空気が漂っているぐらいだ。
これもすべて、まだ森の浅い道を進んでいるからに過ぎないのだろうか。
まあ入って一時間やそこらで異変が起きても困るけどな……。
俺は荷台の座席に座っていて、御者席にはリルネとスターシアが並んでいる。リルネは念入りに周囲を警戒しているようだ。俺は御者席に顔を出す。
「リルネ、ずっとそんな調子でいくのか? 少しぐらいアシードに任せたらどうだ?」
「……そうね、でもマナレジカ一帯は水と土の属性力が強いから、アシードを出したら目立つんじゃないかしら。精霊はよくも悪くも辺りに強く影響を及ぼしてしまうから」
あいつそんなすごいやつなんだな……。いや、力はいつも近くで見ていたから、すごいとは知っていたが。
「属性を変化させたら、きっと森族に気づかれちゃうから」
「バレるとなんか悪いことがあるのか?」
「……知らないわよ、そんなの。でも人の領内に立ち入っているんだから、せめてコソコソするべきじゃないかしら」
そういうもんだろうか。立ち入った時点で同じなんじゃないだろうか……。
そのときだ。マリーゴールドがいななきながら急停止した。スターシアが「きゃっ」と悲鳴をあげる。
「な、なんだ?」
「シア、どうしたの!?」
「わ、わかりません。急にマリーさんが……」
視線をあげる。
そこには道を塞ぐようにして立つ、一頭の馬がいた。
黒い毛並みをもつ美しい馬だが、その目には決して普通の動物ではありえない輝きがあった。魔物か、そうではなくても超常の系譜に連なる馬だろう。
マリーゴールドはあの馬に怯えているのか。
「なんなんだ、あれ」
「わからないけれど……、膨大な魔力を感じるわ。水の精霊かしら……。だとしたら、アシードには分が悪いわね」
リルネは背負っていたロッドを両手で握った。スターシアは馬車を降りて、マリーゴールドを一生懸命なだめている。まさかここで戦闘に入るのか。コソコソするべきだとか言った矢先に。
俺は馬に向かって手を突き出した。その目を見据えながら声を張る。
「待て! 俺たちはお前に危害を加えるつもりはない。ただこの森を通り抜けたいだけなんだ!」
「バカ、そんな言葉が通じるような相手じゃ」
リルネは途中で言葉を切った。黒い毛並みの馬は、ふいに興味を失ったかのように藪の中へと入っていった。リルネが驚く。
「まさか……、通じたの?」
「……なんでも言ってみるもんだな」
俺も信じられなかったが……、偶然にしてはタイミングが良すぎだ。
「悪いやつじゃなかったんだろうか」
「さあ……、ただの気まぐれなんじゃない?」
「ま、そうかもな」
しばらく馬の去っていった方を眺めていた俺たちは、マリーゴールドが落ち着くのを待って再び走り出した。
そして次に現れたのは、正真正銘、魔物の集団であった。