第1章 転生主人公

第1話 「転生主人公と魔女」


 よし、風呂場に水を張ったぞ。


 覗き込むと湯船には異世界の街並みが広がっていた。俺は息を止めて、先ほどコンビニで買ったものの入ったビニール袋を片手に、水面へと飛び込む。


 目を閉じて数秒。意識をシェイクされるような気持ち悪い感覚が俺を襲う。これにはまだ慣れない。耐えていると、すぐに光がまぶたを刺した。


 ――俺は目を開く。辺りの景色は一変していた。


 見たこともない花が咲き誇っており、漂うのは現代日本とはまるで違う清涼な空気だ。呼吸をするだけで肺が満たされてゆくような雰囲気を感じる。解放感の味がした。


 しかし、やけに綺麗な場所に出ちまったな。今回はどこかの庭園のようだ。もしかしたらどこかの家に不法侵入をしてしまったのだろうか……。


 出口を俺自身が決めることができないっていうのが、けっこうな難点だよなあ。


 だって、下手したら見られちまうんだぜ、これ。出入りをさー。


「――ホントだ」


 意外なほどに近くから声がした。俺は体を硬直させる。油の切れた人形のように振り返った。そこには『彼女』がいた。


「半信半疑だったけど……、あんた、本当にできるのね……」


 ちょっと現実ではありえないくらいの美少女である。プラチナブロンドの髪をツインテールにしており、勝ち気な瞳はエメラルドのような輝きを放っていた。ふんわりとしたスカートや華美な刺繍の縫いつけられたブラウスなどは、現代日本ではなかなか見ることのできない上等な仕立てだ。それらに身を包んだ小柄な体躯は、そのお人形さん感を特に強めていた。


 彼女は腰に手を当てたまま、地面にうずくまる俺を見下ろしている。


「こ、これはリルネお嬢様、いったいなんのことでしょうか」


 とりあえずごまかしてみようとはするが、しかしリルネはその言葉を相手にしなかった。


 ちらりと俺の近くに落ちているビニール袋を見やると、自らの綺麗な髪を手で払った。陽光に反射して銀糸のようにキラキラと輝く。


「ま、いいわ。あんたもあたしもこの世界ではだもの。お互いの秘密は決して他言しないでおきましょう。いいわね?」

「は、はい」


 俺は年端もいかない少女に見つめられて、慌ててうなずく。我ながらの下僕体質だが、それだけが理由ではない。


 彼女はイルバナ領を治める領主のご令嬢、リルネ=ヴァルゴニス。魔法学校創設以来の天才と謳われ、入学からずっとぶっちぎりで主席を維持し続けている魔法少女であり――。


 ――そしてその正体は、日本人ぜんせの記憶を持ったままこの世界に生まれた、なのであった。


 十五歳で死んで、この異世界で十四年生きているらしいから、合算すると俺より普通に年上なんだよなあ……。



 俺が出た庭園は幸いにもヴァルゴニス家のものだったらしい。知り合いの家でよかった。


 ヴァルゴニス家に出入りするのは今が初めてじゃない。老婆のメイドや禿げ頭の使用人たちは俺を見るなり「おおっ、お嬢様がまたしても友達を家に!」やら「これはおもてなしをしないといけませんな!」と口走り、リルネにしっしっと追い返されていた。かわいそうに。


 つか俺、今年で二十五だぞ。友達に見えんのか……。まあ童顔って言われているしな……。軽く凹みつつ、客間に招かれる。


 謎のはく製があったり、足が埋まりそうな絨毯が敷いてあったり、相変わらず超絶金持ちみたいな家だ。緊張してしまう。


 そんな俺の前で、リルネはキラキラと目を輝かせていた。


「やだ、なにこれ、本当に……ポテトチップス!」


 両手をぎゅっと握ったまま、彼女はテーブルの上に並んだ三つの菓子袋をまるで恋人を見るような目で眺めていた。目の中にハートが飛び交っています。


「うすしおと青のりとコンソメパンチを選んできたんだけど、よかったかな」

「もうなんでもいいわ! 最高よ! ああっ、この人生でまたお菓子に巡り会える日が来るとは思わなかったわ……!」


 大好物を前にした犬のように、舌なめずりをするリルネお嬢様。いや、はしたないですよキミ。


「すごい、もう、あたし初めて遠くの山に第三位魔法をぶち込んで山肌を抉り取ったときより感動しているわ」

「なんかすごいこわいこと言っている」


 俺は茶をすする。苦い。


 リルネは待ちきれないとばかりに、うすしおの袋を開いた。極上のワインを味わうようにまず匂いを楽しむと、一枚を掴む。その手はぷるぷる震えていた。


「この世界に転生して十四年……、どれほどこの瞬間を待ちわびたか……っ!」


 そこまでありがたがられると、なんか背中がかゆくなってくるなー。


 リルネはパリッとポテトチップスをかじった。次の瞬間、頬に手を当てて「~~~~~~~~~~~~~っ!」と悶える。表情がなんか微妙にエロいので、あんまり見つめないようにした。


「ああっ、この塩気! 粗悪な油! チープな食感! どこを取っても記憶の中にある味と一緒だわ!」


 何度もぎゅっぎゅっと拳を握って、リルネは力説する。それから先はもうとまらなかった。


「うう、何度挑戦しても、同じものを再現することができなかったのよね……、そうそう、こういう感じ、こういう感じだわ……」


 銀髪美少女はリスもかくやという速さでパリパリむさぼると、あっという間に一袋を平らげた。


 我こそが世界で一番幸せものであるという顔をして、おなかをさする。


「はあ……、ありがとう、本当にありがとうね、ジン」

「お、おう」

「あたしこの世界にすっかり慣れたと思ったけど、でもやっぱり昔のことを思い出すと胸がきゅんとしちゃうわね……」


 そう言って、リルネは笑った。目の端にうっすらと涙が浮かんでいる。なんて感情表現の豊かなやつだ。


 ポテトチップスひとつでこんなに感動してもらえるなんて、俺がお菓子会社の社員だったらむせび泣くところだぞ。


 ま、彼女の助けになれたのならよかったか。俺は「それじゃあ」と言い、立ち上がろうとした。


 だが、リルネは俺を離してはくれなかった。満面の笑みで彼女は膝を打つ。


「ええ、それじゃあお礼をしないとね!」

「えっ」




 夕刻に差しかかろうという時間。辺りが茜色に染まる中、俺とリルネは街の大通りを歩いていた。


 昼間あんなに元気だった露店の商人は店じまいを始めようとしている。異世界は夜が早いんだな。


 リルネは先ほどから俺に街の案内をしてくれている。あれが衛兵の詰所、あれが聖堂、あれが武器屋、あれが防具屋、という具合だ。


「あ、ほらほら、あれがあたしの通う魔法学校よ。どう、大きいでしょう? イルバナ領、テトリニの街の魔法学校は、西方四領の中でもっとも発達した魔法学校なんだからね!」

「ふーん、学園都市みたいなもんか」


 石畳は綺麗に整えられているし、町のあちこちには魔力で光る魔法灯が備えられている。学校があるぐらいだし、ここは豊かな街なんだな。


 と、そこにリルネぐらいの年の女の子たちが通りすがった。育ちの良さそうな少女たちだ。その四人はこちらを見て、小さく頭を下げる。


「リルネさま、ご機嫌麗しゅう」

「え、ええ、ごきげんよう」


 リルネは身を引きながら微笑んだ。その笑顔がひきつっている。なんだ?


「四日後はお誕生日ですわね。本日、リルネさまの誕生日プレゼントをみんなで買いにきていたんですの」

「あ、あら、そうなの? べ、別にそんなに気を遣ってもらわなくても……」

「なにをおっしゃるんですかリルネさま! リルネさまは魔法学校の未来そのものですわ! わたくしたち、本気でリルネさまをお慕い申し上げているんですからね!」

「そ、そう? あ、ありがと……」


 リルネはどんどんと小さくなっていった。なんか俺の前とずいぶん態度が違うじゃないか。


 彼女は四日後に十五歳にか。今が二月二十四日だから、が誕生日だな。まあそんときにはまたポテトチップスでも買ってくるとするか。どうせ喜ぶだろう。


 少女たちは魔法学校の学友なのだろう。そのうちのひとりが俺を見て首を傾げた。


「あら、そちらの方はどなたですの?」


 言外に『変わった格好をしていますね』という雰囲気を感じる。黒髪黒目がこの世界で珍しいのもあるだろう。


 リルネは少し慌てながら、余裕のない態度でご学友のお嬢様方に言う。


「こ、この方は、わ、わたくしの護衛を務めてくださるジンさまですわ。……ひ、東の国からやってきたのです」


 お嬢様たちの目が輝き始めた。ていうかリルネ、『わたくし』て……。


「まあ、東の国から」

「それでご立派な顔立ちをされていらっしゃるのね」

「わたくし、東の国のお話を聞きたいですわ」


 甘い声でさえずるお嬢様方に、リルネはあわあわと首を振る。


「だ、だめです。今は、少し忙しくて……、そ、それでは皆さま、また学校で。ごきげんようっ!」


 リルネはまるで逃げるようにしてその場を離れてゆく。俺も一応頭を下げて、彼女のあとに続く。お嬢様方は名残を惜しむように俺たちを見送っていた。


 俺は小声でつぶやく。


「なんだお前、イジメられているのか?」

「まさか、その反対よ。慕われて慕われて困っちゃうわ」

「本当に困っていたみたいだな」


 リルネは「うぐっ」とうめいた。


「だ、だってしょうがないじゃない! あたし来年に合算で三十よ。あんな若い子と話が合うわけないじゃない!? あたしにあんなキラキラ☆キャピキャピしてろっていうの!? 自分でやってて痛々しくなるわよ!?」

「わ、悪い。俺が悪かった」


 まあ、魔法ひとつで山肌を削り取るような魔法使いだ。イジメられるわけないか。


 リルネの勇名はイルバナ領にとどまらず、他国にも響き渡っているらしい。仕官の口が山ほど舞い込んできているのだとか。


 彼女の異名は『煌炎師フレアマスター』。放つ炎魔法が、太陽のごとく煌めいているからだそうで。こんな小さな女の子がとんでもない異名を持っているものだ。


 こんなにも美少女で、才気煥発で、家柄もよくて、すごいな。まさしく転生チートだな。


「……なに? あたしをじっと見て。見惚れた?」

「いや、異世界転生は大成功だったな、ってさ。俺もそっちがよかったな」

「なに言ってんのよ。あんたはいつだってポテトチップス食べれるじゃない」

「俺にとってはあんまり大事じゃないんだけどなあ!」


 ふふっ、とリルネは笑った。


「いいじゃない、あんたの能力。んでしょ? やり方によってはいくらでも儲けられそうじゃない」

「んーまあ」


 俺は現代から好きなものを持ってくることができる。ただし人を連れて行ったりはとかは無理だ。


 そうだな、現代の日本では安価で流通していて、それが異世界では高値で売れるものなんて、いくらでもあるだろう。香辛料なんかはその最たるものだが、百円ショップで売っているメガネとか、あとはポリタンクなんかもあれば便利そうだ。


 逆にこの世界でお金を稼いだら、それを金に変えて現代に持って帰ればいい。換金には多少時間がかかるかもしれないが、それでもたちまち億万長者になれる。


「ね、手を組みましょうよ。あんたは現代の道具を仕入れてくる。あたしは有名になって商会を作ってそれを売り払う。お金なんて腐るほど貯まるわよ」

「まあ、考えておくよ」


 俺は頭をかきながらそう答えた。あまりにもうますぎる話だ。今はまだこの異世界のこともほとんど知らない俺にとっては、軽くうなずける話じゃない。


 リルネは肩を竦めた。


「ま、いいわ。その代わりあんたにもいい思いをさせてあげるわよ。あたしに任せなさい」


 はあ、と俺はうなずいた。


 異世界ならではの絶景スポットとかに連れて行ってくれるんだろうか、とそのときまでは思っていた。




 違った。


「おい」


 ここは怪しげな路地を行った先の怪しげな建物の怪しげな地下室だった。


 リルネが顔パスで通された先は薄暗く、扇状に広がっていて、まるでなにかの発表会を催すステージのようだった。だが辺りに蔓延するいかがわしさが意味するものは、ここがまっとうな場所ではないということだ。甘ったるい香りがするのは、特殊な香料を焚いているからだろう。


 昔、先輩に無理矢理引っ張られていったキャバクラにも似ているが、それよりもなんかもっとアンダーグラウンドな気配が強い……。


「リルネ、ここは」

「あ、ほらほら、見て見て、出てくるわよ」


 すると男に連れられて、五人の少女たちが現れた。薄絹をまとった彼女たちは髪も爪も肌も綺麗に整えられていたが、しかしその首には紛うことなく金属製の首輪がはめられている。


「おい、おい」


 俺は二度ほどうめいた。リルネは、むふーと笑いながら、壇上に手を伸ばす。


「さ、を選んでいいわ、ジン! あたしのオゴりよ!」

「待てえ!」


 俺はがしっとリルネの首根っこを掴んだ。すると辺りからどよめきが起きる。陰に潜んでいる男たちが「あのリルネに手を挙げようとしているだと……!?」と口々につぶやいた。ホントなんなんだこのご令嬢。


 顔を近づけて小声で怒鳴る。


「あのさ、俺は別にずっとこの世界にいようとか思っているわけじゃないんだけど!」

「あら、大丈夫よ。あんたがいないときはうちで預かっておいてあげるから」

「旅行中のペットじゃねえんだぞ!」


 俺は頭をかきむしった。やっぱりこの女はちょっと、いやかなりおかしいんじゃないだろうか。


 元日本人ということで、似たような倫理観を期待していた俺がバカだった!


「なによ、あんた男のくせに美少女奴隷ほしくないの? 頭おかしいんじゃない?」

「それは完全に俺の台詞なんだが!」

「あたしが成人したら買い漁ろうとしているけど、まだ年齢が足りないからあんたに買ってあげようとしているんじゃないの! いいじゃない奴隷ぐらい! 学校に友達がいないんだから、せめて話し相手ぐらい!」

「お前がほしいだけじゃねえか! つか、いきなり家に奴隷が増えていたら両親ビビんだろうが!」


 そう言うと、リルネは急に冷たい目をした。


「母様は死んだわ。父様はあたしに興味ないもの」

「……お前」


 俺がなにも言えなくなったところで、リルネが逆ギレした。


「新しくメイドがひとり増えたとでも言うわ。それぐらいの自由は与えてもらっているもん。いいから! 誰かひとり選びなさいよ! 選ばないんだったらあたしが勝手に買って帰るからね!」


 いや、正直に言おう。俺だって男だ。なんだってできる女の子をもらえるというのなら、妄想の翼が羽ばたいてしまうだろう。


 壇上に並んだ女の子たちはみな、頭が小さくて足が長くてスタイルがよくてスラッとしていて、見目麗しい子たちばかりだ。


 現代日本でなら手を繋ぐどころか、言葉を交わすことすら敵わないだろう。それが俺の所有物になるだなんて夢のようである。


「だいたい、ここであたしが買わなくても、いつかは買われちゃうんだからね、この子たちは。ド変態な貴族に買われたりするかもしれないのよ。いいの? あんたはそれでも。助けられる子をひとり見捨てていいの?」

「うっ……」


 こいつ……。今度はそんな言い方で来やがったか。


 しかし『人を助ける』という俺にとってのキラーワードを盛り込んでくる辺りが、賢しいというか、性格が悪いというか……。


「わかったよ、リルネ」

「ふふん、最初からそう言えばいいんだわ!」


 壇上の五人はどれも極上の美少女たちだ。なんでこんなところで奴隷にさせられているのかわからないが、よっぽどの事情があるのだろう。


「ええっとねー、あたしの好みはねー、あの右から二番目のー」

「ただし、買う奴隷は俺に選ばせてもらう。他の奴隷を見せてくれ」


 俺はそう言って、裏に案内してもらった。


 ついてくるリルネは不満そうだ。


「ねえ、なんであの五人じゃだめなの? みんなすごい美少女だったじゃない」

「だからだよ。あの五人は放っておいても、誰かいい人に買ってもらえるだろう。だったら買い手のいないような子がいい」

「はー、偽善的ねー」


 リルネは呆れたようにため息をついた。いいんだよ。


 裏にいた女性は三十人ほどか。他にも男の奴隷も何人かいた。この街では男奴隷のほうがよく売れるそうだ。男手はどこでも足りないんだろうな。


 鍛え上げられた筋肉を持つ半裸の男奴隷を見て、リルネはうっとりしていた。お前どっちでもいいのかよ……。


 奥まったところに、ひとつの牢があった。


 そこにはひとりの亜麻色の髪を持つ女性が繋がれている。


 うなだれていて、顔は見えない。


「あの子は?」


 リルネにくっついてきた奴隷商に問う。


「へい、あの女は『魔女』でございやす」

「……?」


 俺のつぶやきに反応して、彼女は顔をあげた。他の美少女たちに比べてわずかに年上なのだろう。とても綺麗な顔立ちをしている。


 ――だが、右目と左目の色が異なっていた。


 右は蒼だが、左はなんというのだろう、光がない白色という感じだ。俺は『宝石みたいに綺麗だな』と思った。


「不気味な力を持っているっていうんで、農村から売られてきたんですが、あの目でしょ? こわがって誰も買い手がつかなくて、処分に困っているんですよね」

「……処分」


 長い髪の隙間から見える彼女の顔は、もはやなにもかも諦めているようだった。


 ――俺はその顔を見た直後、反射的に答えていた。


「リルネ、

「えっ?」


 リルネは目をぱちくりとさせる。


 俺はもう一度言った。


「この『魔女』をくれ」


 奴隷商は慌てて首を振った。


「さ、さすがにそいつは。リルネお嬢様の家に、魔女を送るわけにはいきませんぜ。悪いことは言わないでくれ旦那」

「そうよ、ジン。もっと他にかわいい子がいっぱいいるじゃない。どうしてわざわざこの人を選ぶのよ」


 俺は眉根を寄せた。どうしてって聞かれると少し困る。買い手がつかないだろうから買おうとしたのは間違いないんだが。


 ――でも。


「あの目が、綺麗だったから、かな」


 俺は本気で気に入ったのだ。まるで異世界を象徴するかのような、彼女のその不思議な目が。


 奴隷商は何度もやめたほうがいいと連呼していたが、リルネはすぐに「そうね、確かにね!」といってうなずいてくれた。


「どうなっても知りませんぜ」


 俺よりも一回り以上も大柄な奴隷商は牢の鍵を開け、俯いた魔女の髪をわしづかみにする。


「おら、新しいご主人様のお目見えだ! 這いつくばって頭ぐらい下げねえか!」


 男が彼女を押し倒そうとしたその瞬間――俺は奴隷商の太い手首を掴んでいた。


「――乱暴はよしてくれ。そんなものは見たくない」

「あ? ああ……?」


 奴隷商は顔を赤くして必死に振りほどこうと力を込めるが、しかし無駄だ。俺の手はびくりともしなかった。彼女の頭から手を放すまで、力を緩める気もない。


「な、なんだあんたは……、そんな細っこいのに……」


 リルネが肩をすくめる。


「そいつはあたしの護衛よ。怒るとこわいから言う通りにした方がいいわ」

「りっ、リルネお嬢様の、護衛……!?」


 奴隷商は目を剥いた。慌てて手を放すと、俺から距離を取って「す、すいませんでした!」と必死に頭を下げてくる。


 俺はそちらを見ず、魔女に手を差し伸べた。


「大丈夫か?」


 魔女と呼ばれた女性はゆっくりと顔をあげる。


 髪の隙間から覗く白色の目が俺の顔を映し出す。綺麗だ。


 彼女は薄い唇をそっと開く。


「……あなたは、とても強い光を、持っていますね……」

「え?」


 なんだなんだ。


 光……?


「わたしが、ずっと待っていた光……、それはきっと、だったんですね……」


 彼女が俺を見つめるその瞳に熱が籠ってゆく。


「……その力、魔女なんかじゃないよな」


 俺は彼女に手のひらをかざした。そうして小さく口の中で「ジャッジ」と唱える。すると俺の眼前に、半透明のウィンドウ(としか呼べないようなもの)が浮かんできた。



  名 前:スターシア

  種 族:人族

  性 別:女

  年 齢:19

  職 業:占い師

  レベル:3

  称 号:ジンの奴隷、憂慮の魔女

  スキル:人族語、呪族語

  固 有:未来眼(Lv1)



 未来眼。


 彼女のその目は、未来眼と言うのか。


 なんだかよくわからないけど、でもたぶん悪いものじゃないだろうさ。


 俺は手を伸ばした。


「じゃあいこう、スターシア。よろしく、俺はジンだ」

「……はい。シアはご主人様のために、忠誠を誓います」




 俺は現実世界ですごく嫌な目に遭って、そうして逃げるようにしてこの世界にやってきた。飛び込んだ川が異世界に繋がっていたのだ。


 そこでなんやかんやあって、このリルネという少女と出会い、また彼女が異世界転生人であることを知ったのだ。ま、こいつに俺の秘密もバレちまったんだけどな。


「ねえねえ、これあの子に似合うと思わない?」


 そんなリルネは、片づけ途中の露店に立ち寄って、蝶々のブローチを見せてきた。


「うん、いいんじゃないかな」

「そうよね! ま、あたしの見立てだから当然よ! すみませんこれひとついただけますかー」


 嬉しそうにリルネはブローチを購入してきた。なんだかんだ、優しいところあるんだな、こいつ。


 ブローチを抱えながら、リルネはにまにまと笑う。


「あたしと友達になってくれるかな、あの子」

「ああ、普段通りのお前なら、大丈夫だよ」


 俺とリルネは帰路につく。スターシアは明日、奴隷商が責任を持って綺麗にしてから屋敷に届けてくれるらしい。


「そういえばさ、あんた」

「ん」

「あの子の前で、なにか変なことをしたでしょう。名乗ってもいないのに、名前を知っていたじゃない」

「ああ」


 そのことか。リルネはどうせ俺が異世界から来たことも知っているからな。俺は包み隠さずに喋ることにした。


「異世界を行き来する以外に、もうひとつ能力があってさ。あるキーワードを言うと、んだ」

「へー、鑑定能力ね」

「ま、なんに使うかよくわかんないけどな。相手の名前や年齢、特殊能力を知れるぐらいで」

「あら、それでスターシアの力が禍々しいものではないって気づけたんでしょう? だったら十分役に立っているじゃない!」


 いや、彼女に鑑定能力を使ったのは、買うと決めたあとだったんだけどな……。まあいいか、また『偽善者』って言われるだろうし、そういうことにしておこう。


「ねえねえ、あたしのも見たの?」

「え? いやそんな、だれかれ構わず見ないよ。プライバシーの侵害じゃん」

「あんたって本当に善人の鑑みたいなやつね……。なんか話していると自分がすごいゲスなのかもしれないって思ってくるわ」

「いや、それは事実そうだと思うぞ」


 奴隷商のところでのやり取りを見ていたらな……。


 リルネは俺の袖を引っ張ってきた。


「ねえねえ、じゃあ試しにあたしのも見てみてよ」

「えー?」

「なんか秘められた力とかあるかもしれないじゃない。ちょっとわくわくするわよね。本当チート主人公って感じ! ね、早く早く!」

「あ、はい」


 俺は言われるがままリルネに「ジャッジ」とつぶやく。



  名 前:リルネ

  種 族:人族

  性 別:女

  年 齢:14(+15)

  職 業:魔法使い

  レベル:274

  称 号:煌炎師、サラマンダーと契約を結びし者、孤高の主席、領主令嬢


  スキル:炎魔法第三位、水魔法第六位、風魔法第四位、土魔法第四位。

      回復魔法第七位、強化魔法第五位、神聖魔法第五位

      高速詠唱、威力倍撃、混合魔法、魔力高揚

      人族語、森族語、騎馬自在、魔典書写


  固 有:転生者、魔力十倍



 さすが煌炎師、たくさんスキル持っているなー。


 と、俺はその最後に不思議な表記を見た。



《エンディングトリガー:1》



 なんだこれ。今まで鑑定を使った相手には、こんなのなかったぞ。


 そこには物騒な文字列が並んでいた。



《二月二十七日、リルネの死の運命を覆せ》



 心音が高鳴る。胸が苦しい。いったいなんなんだこれは。


 俺は反射的に思い出していた。


 二月二十七日は、三日後だ。


 リルネの誕生日の前日、


 なんだよこれ。なんでんだ。


「どうかした? なにが書いてあったの?」


 純粋な好奇心から俺に尋ねるリルネに、俺は。


 俺は――。


「……実は」


 ――静かに口を開いたのだった。


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