第二楽章 雑音の獣(1)
不思議な感覚だった。
明かりが落とされた劇場の真ん中で、自分はひとり座席に腰かけている。
舞台の上に見えるのは歌劇の類ではなく、ぼんやりと浮かんでいる映像。映写機なんかどこにもないはずなのに、幻のようなそれはただ一人の観客に向けて淡々と流れ続けている。
『あら、もうその曲が演奏できるようになったの?』
『将来はすごい神奏術士になるね!』
見知らぬ大人と子どもたち。
しばらく眺めていて、それがようやくどこかの孤児院の日常風景であることが理解できた。
そして不意に思い出す。以前も同じこの劇場で、似たような映像を見たことがあると。
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映像が切り替わる。今度は初めて見るものだ。
今度は先ほどよりもずっと曖昧な、紙芝居のような景色。……人形劇だろうか?
剣を手にした青年が、たった独りで次々と現れる悪党を切り捨てていくという、どこか童話じみた映像だった。
少しずつ意識がはっきりしてきて、それは〈自分自身〉であることに気づく。
やがてこの場に映し出されているものは、すべて〈彼女の〉中にあったものだと————
『————私が本当に、なりたいのは』
「…………………………」
真っ暗闇の中で目を覚ますと、白い天井が視線の先に見えた。
二段ベッドの上段。頭を打たないよう慎重に上体を起こし、モニカ=グランテッドは寝間着姿の自分を見下ろす。
小さくて細い、少女の手のひらがそこにあった。
「……君の望みを、僕は叶えられているかな?」
覚めてしまった瞼を軽く擦り、モニカは梯子を伝って床へ降り立つ。
「ん……ダレンさまぁ……。わたくしはいつか……貴方の隣に…………」
下段のベッドでルームメイトであるヘリオローズが熟睡していることを確認した後、モニカはおもむろに窓際へ歩み寄る。
「君に助けられてから、もう一年過ぎたんだってさ。早いものだよね」
深い吐息と一緒に、モニカは窓の向こう側へそんな言葉を放り投げた。
〈あの時〉も、こんな月の見えない夜だった。
「…………!」
世界の終焉を招く災厄、“ディザストロ”を葬ったあの日からどれだけの時間が流れたのか。騎士ダレンが次に目覚めた場所は、比較的『セーニョ』区域に近い『ポダッカ』南部の寂れた治療院だった。
柔らかなベッドから体を起こし、軽く肩を回してみる。
どこかぎこちなさのある妙な感覚だが、技の反動でもはや治療の施しようがないほど壊れてしまっていた右半身は綺麗に完治しているようで、痛みはもう感じなかった。意識もはっきりしている。
「一体なにが————」
しかしふと声が漏れた瞬間、猛烈な違和感に襲われる。
……高い。後遺症で声帯に変化が起こったのか、明らかに声が高い。自分のものではないみたいだ。
おそるおそる喉元へ手を伸ばそうとするも、途中で何か柔らかいものに阻まれる。
「……え?」
胸元から伝わる奇妙な弾力。
男であるダレンにはありえない感触の正体を理解したそのとき、自分が夢の最中にいる可能性を一考した。
「なんっ、な……なに、これ……」
眼下にあったのは、手のひらから少しだけ溢れるくらいの膨らみ。
男性であるはずのダレンには似つかわしくない————というかあり得ない。
何かの間違いだと思いたかったが、どれだけ確かめてもその柔らかな塊は自分の肉体の一部であるという事実は揺るがなかった。
「まさか……!?」
ベッドの上から降り、勢いよく個室を飛び出したダレンはどこか鏡のある場所を探す。
途中で治療院の職員らしき人間たちと幾度かすれ違いつつダレンがたどり着いたのは通路に並んで設置されていた洗面所。
その壁に取り付けられた鏡を覗いて現れたのは当然ダレン自身の顔————ではなかった。
「この子は…………!」
鏡の中に顔を出したのは、見覚えのある少女だった。
透き通るような金髪が小さな体に存在感を持たせ、ひときわ印象に残る吸い込まれそうなほどの大きな瞳が顔に整列している。
忘れるはずがない。
ディザストロとの戦いを終え、瀕死の重体に陥っていたダレンの目の前に現れた女の子。信じ難いことであるが、どうやらダレンの意識は今彼女の肉体の中にあるのだと強引に飲み込んだ。
「けどどうして……」
意識が戻ってから数日。治療院の職員や保護者らしき人物とも会話を交わし、その中でいくつかわかったこともあった。
ダレンの意思を宿したこの体の持ち主の名はモニカ=グランテッド。幼い頃に両親を亡くしたことで長らく『ポダッカ』辺境の孤児院に身を寄せていたらしい。
……技の反動で死を迎えるはずだったダレンが、どうしてその少女の体を得て生き延びているのか。彼女自身のことを知れば何かがわかると考え、ダレンは「モニカ」が記していたとされる日誌を孤児院の人間に持ってきてもらい、一通り目を通してみた。
『私でも扱える剣を考えた。実現するにはそれなりに強度のある笛が必要になる。かなり値は張るけど、ソナーレ社の物が好ましい。』
『以前から行っていた基礎訓練が功を成したのか、二連撃まではなんとか身につけられそう。試験に間に合うかは未知数だけど、やるしかない。並行して採譜の方も進めないといけない。』
『私はとても忙しいんだ。他の神奏術のことなんて考えている暇はない。』
『もうすぐ譜面は完成する。術士の知識を学んでいてよかったと、初めて思った。』
『剣は出来た。術を併用しながら戦える。
『私は必ず最強の騎士になってみせる。』
日誌に書かれているのは本来のモニカ=グランテッドが直筆した文章。しかし彼女の内面を想像するには少々情報が不足していた。
読み取れるのは彼女が少女の身でありながら騎士を志していたことと、神奏術で用いる何らかの《譜面》を作曲していたということのみ。
しかし日誌に挟まれていた楽譜を分析することで、おそらくは彼女が作曲したというその《譜面》によって今の状況が出来上がったのだと予想はできた。
その《譜面》に記されていた音の連なりは、ディザストロを倒した直後のダレンが意識を失う前に聴いた音色と全く同じものだったのだ。
言うなれば対象の魂だけを別の肉体に移し替える神奏術、ということだろうか。ともかくダレンはこの「モニカ」という少女に〈魂だけ救われたらしい〉。
肉体の記憶とでも言うべきか。それ以来、時折夢の中に彼女の体験したことがよぎるようになった。
しかしそうなると浮かんでくる疑問がある。……本来の「モニカ」の魂は一体どうなった?
まさかダレンの命と引き換えに消滅してしまった?
彼女との意思疎通はできる気配がない。となればこの先、ダレンが「モニカ」として生きていくことに——————
『私は必ず最強の騎士になってみせる。』
思い悩んでいる最中、ふと日誌の一文がダレンの頭に浮かんだ。
「本来のモニカ」が誰に知られることもなく、自らの心に刻み込むようにして書かれた決意。
ダレンにはその言葉が、他の文章よりも際立って輝いているように思えた。
(……僕はあのとき、あの場所で……命を落とすはずだった)
それなのに自分は今こうして生きている。ひとりの少女が生み出した神奏術のおかげで。
ダレンが息絶える寸前に「モニカ」が居合わせた理由はわからない。けれど彼女がいたからこそ、騎士ダレンの意思は途絶えることなく再び剣を振るうことができる。
自分はこれからどのように生きるべきなのか。結論を出すのにそう時間はかからなかった。
(モニカから貰ったこの命は、彼女のために使う。彼女が目指した“最強の騎士”の名に……モニカ=グランテッドを刻み込むんだ)
本来の「モニカ」が再び目覚めるときがくるのかはまだわからない。
だがもしも、体を返すそのときが来るのだとしたら————その瞬間まで、自分のやれることをする。
力を持った人間として、今できる精一杯を尽くすのだ。
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試し読みは以上です。
続きは2023年1月20日(金)発売
『僕は、騎士学院のモニカ。』
でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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