第一楽章 笛と剣(2)
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「そういえば今日でしたわね、編入生さんがいらっしゃるのって」
付近の騎士団へ窃盗犯の通報を済ませた後、登校中の道のりでヘリオローズが不意にこぼした。
「え?」
「ああ、そういえば……そんな話あったね」
おもむろに空を見ながらフィーネも呟く。
「やけに上機嫌だな」
「ふふん」
ふと視界に入ったヘリオローズの表情がにやけていることに気がつき、アルギュロスは眉をひそめながら彼女へ視線とともに疑問を飛ばした。
「なんとそのお方、わたくしと同室になるみたいなんですの〜」
「そうだったの? よかったねリオちゃん」
バレエさながらにステップを踏みながら自慢げに話すヘリオローズに、アルギュロスはますます首を傾ける。
「え、どういうことだ? 寮ではもともと二人一組が基本だろ?」
「以前リオちゃんのルームメイトだった子、お家の事情でヘリュッセル学院に転校して行っちゃったんだ。それからずっとリオちゃんだけひとりだったの」
「ああ、なるほど」
「別に寂しかったわけじゃありませんが? いざとなればフィーネを招いてお茶会を開けばよいことでしたし? ぜんっぜん寂しくなんかありませんでしたわよ? あ〜今宵は長い夜になりそうですわぁ〜!」
「フィーネの他に友達いないのか?」
「それ以上言ったら薔薇の肥料にしますわよ」
「まあまあ…………」
ヘリオローズとアルギュロスの間に挟まれて歩いていたフィーネが苦笑しつつ両腕を開いては両者を抑える。
お互いに我が強い性格だからか、この二人は何気ない日常会話から一転して火花を散らすことも珍しくない。こう見えても騎士学科、神奏学科でそれぞれ優秀な成績を積み上げている候補生たちなのだが、そのようなところはまだまだ幼いと言える。
「けどそうか……ヘリオローズと同室ってことは、編入生は女子……神奏学科の生徒だよな」
「なに当たり前のことを言ってやがりますの?」
毒気が混じったヘリオローズの言葉を流しつつ、アルギュロスは口元に手を添えて何かを考え込むような素振りを見せる。
「いやさ、実は俺も編入生が来るってことは噂で知ってたんだが……そいつは騎士学科に入るって話だった気がするんだよ」
「まさか。聞き間違えたんでしょう、おバカ」
「いやぁでもな……クラスの奴らが大声で言ってたし。アホに言われたくないが」
「実際わたくしの部屋にその方が来るのは事実ですわよ。こちらこそおバカさんに言われたくないですわぁ〜。せめてダレン様くらいの騎士になってから大口叩いてくださいまし」
「ケンカか話すかどっちかにしなよ……」
困ったような、呆れたような顔で肩をすくめたフィーネが前へと向き直る。
「まあ、どのみち行ってみればわかるよ」
街の最奥へと進み、三人が見上げた先にそびえているのは『トーンハウス学院』の校舎。というよりは城塞。
東部にあるヘリュッセル学院と双璧を成す、新たな時代の騎士及び神奏術士の育成を担っている教育機関である。
「じゃあまた合同講義でね、アルギュロスくん」
「首を洗って待ってろですわ」
「ああ、またな」
何やら不穏な捨て台詞を投げられた気がするが、いつものことなので三秒で忘れつつアルギュロスは二人と門のそばで別れて自分の教室を目指す。
東のヘリュッセルと同様、トーンハウスには騎士学科と神奏学科の二つの専攻が存在し、この世界では説明するまでもなく前者は男子、後者は女子が所属する学科だということが理解できる。
(……お、なかなか上手いな)
教室までの道中。どこかで演奏されている笛の音色が耳に届き、アルギュロスは歩きながら自然と鼻歌でセッションを奏でた。
神奏学科の生徒がどこかの空き教室で朝練でもしているのだろう。
ついつい弾んだ気持ちで歩みを進めていたせいか、ガラリと教室の扉を開けてから同級生たちが何やら騒がしい空気を漂わせていることに気がつくのに少々時間がかかった。
「む……おはよう、アルギュロス候補生」
「おはようローグ。……なんかザワついてるな?」
教室へ入ってすぐ横に佇んでいたのは背が高く逞しい体つきの生徒。ローグと呼んだ寡黙な雰囲気の彼へと挨拶を交わした後、アルギュロスは目の前の光景に目を瞬かせた。
座席の段差が重なった広々とした空間で、騎士学科の男子生徒たちが各々のポジションで雑談に勤しんでいる。
「何かあったのか?」
「知らないのか? 編入生が来るって、前から騒がれていただろう」
「ええ? あぁー……知ってたけど、そりゃ神奏学科の話だろ?」
「いいや。このクラスに来ると、さっきアルベル教官が」
「…………なんだって?」
ヘリオローズとフィーネから聞いた話と食い違いが起こり、アルギュロスは怪訝な顔で眼を細めた。
「俺は神奏学科に来るって聞いたけど……。さっきヘリオローズたちから」
「ラプター候補生から? それは妙だな。奴が勘違いしているのではないか? 阿呆だろう、奴」
「まったく同感だが、確かにあいつは自分の部屋に来るって。あの浮かれようは確信を得ているとしか————いやでもあいつアホだしな…………」
「……まあいい。そろそろ教官が編入生を連れて戻って来る頃だろう。早いとこ席に着こう」
そう言って自らの座席へと移動したローグの背後へ付き、アルギュロスもまた定位置へと向かう。
腰を下ろし、改めて違和感と向き合ったアルギュロスは疑問の正解が欲しくてもやもやしっ放しであった。
編入生が神奏学科に来るという情報も騎士学科に来るという情報も、周囲の反応からしてどこか信憑性が帯びており、どちらが真実なのか判断がつかない。
編入生が男女ひとりずつ、計二人いる——ということなら腑に落ちるが、それならそれで最初からそのように噂が広まっていたはずだ。
(なんだ、この感じ)
知らない感情の汗が滲んでくる。
いつもと変わらない朝の教室に、いつもと違う何かがもうすぐ迫ってくる。
それが良いことなのか、はたまた災難なのかはわからない。
だがどのみち今までのような日常はもう訪れないのだと、アルギュロスはそんな胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
「みんな静かに。ほら席に着いて」
五分ほど経った後、ようやく担任であるアルベル教官が帰ってきた。
よほど慌てることがあったのか。いつもは後ろの方で綺麗に束ねている髪の毛が少しだけ乱れているように思える。
「教官、編入生来るんでしょ? どこ出身の奴ですか?」
「何連撃持ちー?」
「そのことについて早速話があります。ひとまず静かになさい」
後方の席から見るアルベルの顔色は少しだけ青く見え、アルギュロスは妙な予感が的中してしまったように感じ、自分の胸のざわめきが強まるのがわかった。
浮ついた空気を諌めながら教卓の前に立った教官は軽く咳払いをし、どこか困却した表情で生徒たちを見渡しながら口を開く。
「もう殆どの方が把握していると思いますが、本日からこのクラスに新たな騎士候補生が加わります。二年生へ進級するまでもう半年もない時期ではありますが、残りの期間も皆で切磋琢磨し、共に国へ尽くすための知識や技術を磨いていってください」
アルベルがはじめに口にした内容が耳へ滑り込んできた瞬間、アルギュロスはその先の言葉が途端に理解できなくなった。
男子しか存在しないはずの騎士学科に編入生がやって来る。
そうなると真っ先に脳裏をよぎるのはもちろん、編入生は男子生徒であるという予想。
しかし同時に、数分前に交わしたヘリオローズやフィーネとのやり取りもアルギュロスの頭から離れずにいた。
「——ではグランテッドさん、入りなさい」
アルベルがそう言うと生徒たちのひそひそ声に満ちていた教室がしん、と重たい静寂に包まれる。
直後、
「…………は?」
そんな声が漏れたのはアルギュロスだけではなかったと思う。
開かれた扉をくぐり抜け、ゆっくりと入室してきたその人物を視界に入れた瞬間、この場にいた誰もがその異様さに目を見開いたはずだった。
「——初めまして、モニカ=グランテッドです。……言いたいことはたくさんあると思うけど、これから先の学園生活、どうぞよろしくお願いします」
透明感のある薄い金髪。そして何より印象に焼きついたのは、吸い込まれてしまうような大きな桃色の瞳だった。
騎士学科の証である深紅の制服を身につけているが、アルギュロスたちのものと違って下はショートパンツにアレンジされており、裾から下は健康的な太ももが輝いている。
それだけならまだ少年であると捉えられないわけではなかったが、上着を持ち上げている胸元の膨らみは間違いなく当人が女性であることを主張していた。
「……よろしい。では空いてる席へ」
「はい」
皆無言だった。誰もがこの状況を飲み込めないでいたのだ。
アルベルが指し示した席へと向かい、静かに腰を下ろした少女——モニカは隣席のローグに向けて「よろしくね」とだけ伝えると、おかしいことなど何もないと言わんばかりに微笑んだ表情のまま教卓の方へ姿勢を正す。
————『はあああああああああああああああああああああッ!?』
そう生徒たちが揃って絶叫するのも当たり前の光景が広がっていた。
「お、女の子……!?」
「なんで騎士学科に女が!?」
「制服かわいくなってるし……!」
「アルベル教官! 一体どういうことですか!?」
他の生徒たちに取り乱されるのを予想していたのか、モニカは作っていた表情を崩して苦笑いを浮かべるも教官へ視線を送って代弁を求めた。
「皆さんは……この学園に入学する際の条件を覚えていますか? ——ローグ=カーバイン候補生」
アルベルから名指しを受けたローグは一瞬戸惑いつつもその場で立ち上がり、重たい声で求められている返答を口にする。
「……試験の合格、のみです」
「その試験とは?」
「シンフォニーアイランド政府発行の教本に基づいた座学……及び剣による実技試験」
「その通り。そして彼女はこれらを問題なく突破しています。……私から話すべきことは、これで十分でしょう」
欲しかった言葉が返されず、少年たちは未だ釈然としない様相で口を開けたままにしている。
アルベルが口にした前提条件など、この場にいる騎士候補生は百も承知である。今やって来た少女がそれを満たしていることも、説明された通りの意味を受け取れば何ら異議を唱える点はない。
〈だが、彼女は女性〉。女の子なんだ。騎士でそれはおかしい。どう考えても。
「何分ですか?」
アルベルが言い終わると同時に、間を空けることなくそう尋ねた生徒がいた。
「実技試験…………彼女は何分で合格したのですか?」
トーンハウス学院騎士学科の入学試験は座学よりも実技の配点が圧倒的に高い。
その内容は〈時間制限なし〉の教官との模擬戦。神奏術によって作り出された、外界とは時間の流れが異なる特殊な空間で一対一の剣での戦闘を行い、受験者が諦めるまでに指定された教師の体の部位へ攻撃を当てられた者は例外なく合格できる。
時間による制限がないのだから、諦めさえしなければ合格することは容易い————そう考える者も多いだろう。しかし現実はそう甘くなく、毎年半数以上の受験者が志半ばで折れてしまう。
しかし逆に言えばどれだけ時間がかかっても最後まで諦めることなく結果を出した生徒も存在する。中には丸五日分の時間を粘って合格を勝ち取った者もいた。
「確か今年の首席合格は……アルギュロスだったよな?」
教室のどこかでひっそりと聞こえた声に反応し、アルギュロスはぴくりと肩を揺らす。
「あいつの成績は……何分だったっけ?」
「おいおい忘れたのかよ。一年生の間じゃ有名だろ」
「確か……四分三十六秒だろ? 唯一の五分切り。これ聞いたとき笑うしかなかったもん」
「お前ら…………」
小さなやり取りを交わす生徒たちへ「余計なことは言わなくていい」という意思を込め尖った眼差しを注ぐアルギュロス。
しかし実際のところ、アルギュロスが騎士学科一年生の中で現時点のトップであることは間違いなかった。
少々棘はあるものの学園内での品行方正は模範的であり、入学時から一学年を束ねる監督生として周囲からの期待に恥じない活躍を続けている。
今この教室において、アルギュロスは自他共に認める最も優れた騎士候補生であると言えるだろう。
「……グランテッド候補生の成績に関しては学園側からお伝えすることはできません。そんなことより、周囲の環境が変わっても今後とも怠ることなく修練に励んで——————」
「五十二秒」
瞬間、空気が凍りつく。
「実技試験、僕は五十二秒で合格したよ」
クラスメイトの視線が先ほどまで注目の的であったアルギュロスからモニカへと移る。
彼女が言い放ったことの意味を飲み込んだ男子生徒たちは、またしても呆然とすることしかできずにいた。