第二章 しかしながら最終兵器と呼ぶにはあまりにポンコツで(3)

         ◇


 それはあたかも徹夜明けにトーストと偽って雑巾を口にねじ込まれたかのように、機嫌の悪そうな女性だった。

 ミコトよりもさらに背が低いが、これで成人はしているという。緋色の髪はしゃがめば地に着くだろうほど長く、琥珀色の眼を不機嫌そうに細めている。

「ミリアムさん……って、今日はまた一段と先進的な格好をしていますね」

 女性――ミリアムは真っ白な外套コート状の上着を羽織っているのだが、べったりと赤や茶色のシミで汚れていた。髪の毛もいま目が覚めたと言わんばかりにボサボサで、目の下にはひどい隈が広がっている。

 ミリアムは自分の服装を見下ろすと、なんでもなさそうに首を横に振る。

「ああ、これか……。突然なんの前触れもなくテーブルの脚が折れてね。紅茶とトーストをまともに引っかぶっただけだ。それで恐らくキミが近くにきたのだろうと察したのだが、まあ気にしないでくれたまえ。私は気にしていない」

「すみませんでした! いますぐお掃除しますね?」

 ミコトの不運は周囲も巻き込む。

 なまじ付き合いが長いせいか、ミリアムはミコトが近づくだけで不運に巻き込まれるのだ。機嫌の悪さの正体はこれらしい。

 慌てて中に上がろうとすると、ミリアムはその首根っこを摑んで止める。

「まあ、待ちたまえ。それよりこの子は何者かね? ずいぶんと先進的な服装だが」

 先ほどのひと言を根に持っていたのか、ミリアムはじろりとサイファーを見下ろす。

 サイファーはぼんやりした表情のまま首を傾げるが、そこにボキンッとなにかが折れる音が響いた。

 ハッとしてふり返ると、強風にでも煽られたのか――それくらいでもげるものではないとは思うが――向かいの屋敷から窓枠ごと外れた窓が飛んでくるところだった。

「危ないっミリアムさん!」

「マスター、下がってください」

 ミリアムを庇おうとするミコトの前に、さらにサイファーが立ちはだかる。

 下から掬い上げるような緩やかな蹴りを放つと、窓枠は上方へ勢いを逸らされ、その場で独楽のように回転する。

 サイファーはそれが落下する前に両手で受け止める。結構な速度があったはずだが、窓枠にはガラスにヒビが入る程度で大きな損傷もなかった。

 それからサイファーは何事もなかったようにふり返る。

「マスター。これはどこに置けばいいですか?」

「あ、えっと、表に立てかけておいてくれるかい? あとでお向かいの人にも教えてあげないといけないし」

「了解しました」

 サイファーは表の通りに窓枠を立てかけると、小走りに戻ってくる。それから、ミコトに……というよりその腕に抱きしめたミリアムに目を向ける。

「……いい加減、放してもらいたいのだが?」

「ほあっ? ご、ごめんなさいミリアムさん」

 慌てて飛び退くと、ミリアムは慣れた様子で乱れた着衣を正す。これで頬でも赤く染まっていれば可愛げのひとつもあるのだが、まったく冷めた表情である。

 ミリアムはしげしげとサイファーの顔を見つめると、呆れたように口を開く。

「……まあ、上がりたまえ。キミの行く先でトラブルがないとは考えていないが、私の想定よりだいぶややこしいことになっていそうだね」

「……はい」

 なにも言い返せないミコトは、借りてきた猫のように従順に従った。


 ミコトたちが通されたのは居間だった。

 居間と言ってもソファと背の低いテーブルこそ置かれているが、床の大半は雑多な書類や実験器具などですっかり埋もれている。壁には隙間なく本棚が整列し、そこに古めかしくも分厚い書物がギュウギュウに押し込められていた。

 ――一昨日掃除したばかりなんだけどなあ……。

 ミコトが依頼を受けたとき、この部屋もきちんと床になにも置いてないところまで片付けたはずなのだが、その面影はない。

 ちなみにこれでもまだマシな方で、書庫に至っては棚に入りきらない本が部屋の真ん中でいくつもの山を作っている。何度か片付けようと挑んだことはあるのだが、個人の力で敵う相手ではなかった。

「サイファー。この人はミリアム・レオンハルトさん。あの遺跡調査の依頼主で、とても頼りになる錬金術師だよ」

 なんとかサイファーをソファに座らせると、ミコトはそう紹介する。対面にはミリアムが腰掛けている。

 あいにくとここの主人は来客に飲み物を出すという習慣を持っていないため、ミコトが勝手に紅茶を淹れてふたりに出していた。

 台所に向かう途中、ミリアムの研究室にひっくり返ったテーブルが見えた。あれもあとで修理する必要があるだろう。床に落ちたトーストだけは通りがけに生ゴミ入れへと片付けておいたが。

 サイファーに紅茶を出すと、ミリアムには新しい上着を突き付ける。

「ほら、ミリアムさんこっちに着替えてください。その白衣、洗濯しちゃいますから」

「白衣は汚れるものだ。気にしなくていい」

「僕が気にするんです。ちゃんと綺麗な服着てください」

「……やれやれ」

 叱りつけると、ミリアムはいかにもしぶしぶといった様子で上着を差し出した。上着の下は飾り気のないシャツとズボンという格好で、ここにも身なりへの無頓着さが現れている。

 この〝白衣〟とかいう上着は、厄災戦争以前の旧世界の衣服と言われている。いまでは一部の錬金術師が愛用しているくらいで、一般に流通しているものではない。

 なのに、ミコトが洗ってあげなければ、この人はいつまでも汚れたままでいるのだ。

 そんなミリアムだが、十二歳のころには飛び級で皇立神官魔術学院を、しかも首席で卒業しているという。

 もっとも、そのころからまったく身長が伸びないのが唯一の悩みらしい。せっかくの白衣も丈が合わないようで、手首から先も袖の中に埋もれている。

 本来なら学院で教鞭を執るなり神官騎士になるなり人生が約束された人物のはずが、どういうわけかこんなところで錬金術師に身をやつしている。

「厄災戦争はデウス教からダブー視されているからね」

 その研究に手を出したせいで学院を追われたらしい。

 ミコトとの付き合いも長く、ときおり今回のような依頼を回してくれるのだった。

 サイファーはまたちょこんと首を傾げる。

「マスターはここに住んでいるのですか?」

「住んでいるわけじゃないけど、お世話にはなってるかな?」

 そう答えると、サイファーはなにやら難しそうな顔をしてうつむく。

「どうしたの、サイファー」

「なにがでしょうか?」

「いや、困ったみたいな顔をしてたよ?」

「そう、ですか? わかりません」

 サイファーは自分の頬に触れたりつまんだりして、不思議そうに首を傾げる。どうやら自覚はなかったようだ。

 そんな様子を見て、ミリアムがようやくおかしそうに吐息をもらす。

「ふふふ、私は少年のご両親に多大な恩があってね。いまは少年の保護者のような立場にいる。キミのマスターは、キミだけのものだ。心配しなくていい」

 その言葉に、サイファーは驚いたように自分の胸を押さえる。

「……? メンタルパフォーマンスの急速な向上を確認。いかなるメンテナンスを施したのですか?」

「なんとも可愛らしいことを言うものだね。……まあ、私はキミの敵ではないということだよ」

「なるほど。説明に感謝します」

 どういうやりとりなのかはわからないが、ふたりの間ではなにか通じ合ったらしい。サイファーはほのかに頬を紅潮させて満足そうな顔をした。

 ――これなら傍にいなくても平気かな?

 ミコトは白衣を抱えてうなづく。

「それじゃあ、僕はお洗濯してきますね。壊れたテーブルも直さないといけな――」

 席を離れようとすると、不意にミリアムに服の裾を摑まれた。

「……キミには人情というものが欠落しているのかな? 右も左もわからぬような者を初対面の人間の前に置き去りにするつもりかね」

「え、あ……。ごめん、サイファー」

「いいえ、大丈夫です」

 確かにミリアムは整った顔貌とは裏腹に、人相はよくない。ひとり置いていかれてはサイファーも不安だろう。

 それから、つい意外そうな目をミリアムに向けてしまう。

「ミリアムさんもそういうこと気にするんですね」

「自分の愛想のなさは自覚しているつもりだからね?」

 ただ、軽口を返したミコトは気付かなかった。

 裾を摑んだミリアムの手が、ことに。


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試し読みは以上です。


続きは2022年12月28日(水)発売

『ポンコツ最終兵器は恋を知りたい』でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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