1.ゴーストハウス(28回目)(1)

 これは、とあるいかれた世界の話。


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 知らないベッドの上で幽鬼ユウキは目を覚ました。


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 最低でも五人は一緒に寝られるだろうというような。

 天蓋のついた、周りをカーテンで囲える機能のついた、深窓の令嬢がお休みになっているような、およそ一般人が一生関係することのなさそうな、豪華なベッドだった。

 知らないベッドだった。

 なので、これは、幽鬼ユウキが上流階級の人間だということを意味しない。寝起きばっちり、幽鬼ユウキは体を起こした。毛布はかけられていなかった。下に敷く形で寝かされていた。また、ベッドに対し幽鬼ユウキの体は斜めになっていたので、その頭は枕を外していた。こうなると〈寝かされていた〉という言葉は適切とは思えず、横になっていたとか、あるいはもっとひどく、転がされていたとでもいうべきかもしれなかった。

 その服装も、当然のように寝間着ではなかった。

 平たく言えば、それは、メイド服というやつだった。

「……おお……」

 自分で自分の姿を見て、そういう声が彼女から出た。

 メイド服だった。白と黒のコントラストが魅力的な、あれである。もうだいぶ前にブームも過ぎ去った、しかし熱烈な愛好家を全国に残すあれである。それで描写が足りないという声があったとするなら、応えよう、ワンピースの上にフリルの多いエプロンを付けた衣装だ。スカート丈は極端に長いか短いかの二択なのだが、幽鬼ユウキの着ているそれは、長いやつだった。クラシカルスタイルと呼称されるものだった。

 クラシカルな幽鬼ユウキはベッドを降りた。

 豪華なベッドにお似合いの、豪華な部屋だった。

 幽鬼ユウキは家柄が悪いので、どこがどう豪華なのか、教養ある言葉で表すことは悔しいが叶わない。それでもだましだまし語るとするなら、品格のある部屋だった。どうやって掃除するのかなというぐらい天井は高く、横にも縦にもばかに広い。それと反比例するかのように家具は少ないのだが、ひとつひとつがチェスのクイーンめいた強力な存在感を放っている。どうして幽鬼ユウキがわざわざそんな比喩を用いたのかといえば、まさしく、部屋の床が白と黒のチェック柄をしていたからだった。チェス盤を彷彿とさせる、白と黒。

 白黒をしているのは床だけではなかった。高い天井に四面の壁、ベッドをはじめとする調度の数々、幽鬼ユウキの着ているクラシカルなメイド服に至るまで、その部屋のありとあらゆるものが白黒だった。モノクロの部屋だった。幽鬼ユウキの肌色が唯一の例外であるが、でも、その幽鬼ユウキさえもわりと色白なほうだった。

 そういう部屋だった。

 そういう部屋の、なにひとつ、幽鬼ユウキには心当たりがなかった。

 あのベッドで〈寝ていた〉のだから、幽鬼ユウキには、あれに背中を預けた過去があるはずだ。だが、思い出せない。あのベッドで寝た記憶はおろか、部屋に入った記憶も、メイド服に着替えた記憶もない。気づけば知らない部屋にいて、知らない服を着せられていて、知らないベッドの上で寝ていた。

 そういう状況を、世間ではなんと呼ぶのか。

 部屋に、窓はなかった。地下に位置しているということか、単に外壁に面していないだけか。窓はないけれどドアはあった。幽鬼ユウキはしばらく──部屋の端まで移動するだけだというのに〈しばらく〉だ──歩いて、扉を検分し、ドアノブをつかんだ。

 抵抗なく回った。

 開いて、廊下に出た。

 ゆっくりと、幽鬼ユウキは外をのぞいた。

 部屋と同じ、豪華で白黒な廊下だった。

 見たところ、豪華で白黒なまま、遠くまで続いている。

 ゆっくりと、部屋を出た。ドアは開けたままにしておいた。

 足音を立てないよう気をつけつつ歩いた。廊下に、窓はなかった。左右等間隔に、扉が並んでいた。そのうちのいくつかは、幽鬼ユウキがしたのと同様に開けっ放しであり、それがなにを意味するのか、彼女にはおおよそ予想がついていた。

 窓がないゆえ、幽鬼ユウキがこれ以上自分の置かれている状況を知ろうと思えば、立ち並ぶ扉のどれかを開けてみるしかないのだが、いちばんでかいやつをどうせなら開けてやろうと幽鬼ユウキは心に決めていた。大抵の場合それが正解だからだ。いちばん大きいやつは廊下の突き当たりにあって、幽鬼ユウキは、地雷原を歩く兵士のような慎重さでそこまで歩いた。

 着いた。

 ドアノブをひねり、中に入った。

 食堂に出た。五人のメイドさんがいた。


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 例により、白と黒の食堂である。

 部屋の中央に、テーブルが置かれていた。そんじょそこらのテーブルではない。一人ではとても持ち運び不可能な大きいものであり、両側に三脚ずつ計六脚の椅子があり、机上には真っ白なテーブルクロスがかかっていて、しかも、見たところ、お菓子らしきものを載せた大皿すらあった。ここまで条件が揃っているとなると、食堂で決まりだった。

 六脚の椅子が、五つ、すでに埋まっていた。

 五人とも、メイドさんだった。

 全員が女の子だった。──と断言するのはまだ早いかもしれぬが、幽鬼ユウキの目にはそう見えた。見たままの推測でさらに語らせてもらうと、年齢は上が大学生、下が中学生といったところ。〈女の子〉〈少女〉といった言葉で総じて表すことのできる、はかない時期の娘さんたちだった。

 ところで、メイドさんというのは、服装よりも中身が大事だというのが一部マニアの見解らしい。どんなときでも慌てず騒がず堂々と、どんな問題も涼しい顔でさぱっと解決してみせる、それが使用人、仕える者の美であるらしい。そういう目でもってこの五人を評価したなら、全員、不合格だろう。洒脱なメイドさんは一人としてなかった。そわそわしている者、左に右に警戒を向けている者、背もたれに体重を預け椅子をきいきい言わせている者、顔を下に向けてどうやら泣いているらしい者もあった。それの背中をさすって落ち着かせているらしい者も一人あったが、その彼女にしても、余裕ある面持ちとはいえなかった。

 全員が本物ではなかった。

 メイド服をただ着せられているだけの人間たちだ。

 新しく現れた六人目のメイドさんに、五人の視線が集中するのは自然なことだった。幽鬼ユウキは、見られるがままになり、テーブルのそばまで歩き、六脚目の椅子を引き、その格調高さにはとても釣り合わない尻を乗せた。そして言った。「どうも」

幽鬼ユウキっていいます。よろしく」

 沈黙があった。

 溜めに溜めて、誰かが答えた。「……よろしく」

「この感じだと、私が最後かな」

「だと、思います」

 同じ娘が答えてくれた。その娘に幽鬼ユウキは狙いを定めた。「全員、最初からここにいたの?」

「いいえ。みんな寝室で起きて、なんとなくここに集まった次第で……」

「けっこう待ったのかな」

「そんなには。十分か、二十分ぐらいだと思います」

「ごめんなさい。どうも、眠りが深い体質みたいで。いつも遅くなるんだ」

「……落ち着いてますね。やけに」

 警戒を含んだ視線だった。

「こんなところにいるというのに」

「ああ、うん、その……」

 幽鬼ユウキは、言葉を選んだ。

「私は、初めてじゃないから」

 続けて言った。

「みんなは、初めてなのかな、たぶん」


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 なにから話したものだろう。

 考えてみれば、こういう機会は初めてだった。五人の女の子たちとはまた別の理由で、幽鬼ユウキの心はあわあわとした。「ええと……まず」

「事情のわからない人って、何人いる? なんで自分がここにいるかわからない人は……その、手をあげて」

 率先して幽鬼ユウキは手をあげた。どのように手をあげるのかわからないなんてやつはいないだろうから、これは、手本ではなく、手をあげさせやすくする精神的配慮だった。

 幽鬼ユウキのほかに、二人の手があがった。

「ゲームのことは知ってたけど、参加するのは初めてな人は?」

 残る三人のうち、二人の手があがった。

 最後の一人が言った。「私は二回目です」

「おそらく、あなたのほうが経験豊富ですよね」

「うん。多い。……だいぶ」

「じゃあ、幽鬼ユウキさんに任せます」

 そう言われても困るのだった。幽鬼ユウキは言葉を探す。「……とりあえず」

「もう誰かから聞いたかもしれないけど……この建物は、危険です。どこに罠が仕掛けられているかわかりません」

 泣いていたメイドさんの肩が、ふるえた。

「罠というのは、ガムを取ろうとしたら指が痛いとか、椅子に座ったら屁をこいた音がするとか、そういうのではないです。命が危ないものだと思ってください。もうすでに怪我をしたという人は?」

「いませんね」

「よかった。これからは、できるだけ動き回らないようにしてください。こうして食堂に集まるのも、初めてなら危険なことです。一人も欠けてなくてよかった」

「要するにこれは──」

 要領の悪い説明に業を煮やしたのか、誰かが聞いてきた。

「〈脱出ゲーム〉と考えて、いいんでしょうか」

「はい。そうです」

 いつの間にか敬語になっていることに幽鬼ユウキは気づいた。なぜだろう。大勢に語りかけるとき、人は自然に敬語になるものなのかもしれない。そのままで幽鬼ユウキは続けた。

「死のトラップに引っかからないよう気をつけながら、建物の出口を目指す。そういうタイプのゲームですね」

「脱出……は、しなきゃいけないんですよね」

 また誰かが聞いた。「はい」と幽鬼ユウキは答える。

「脱出しないことには、元の生活にはもちろん戻れませんし、賞金も出ません。時間制限は、これまでに示されていないのなら〈ない〉と考えていいでしょう。でも、食べ物にも飲み物にも限りがあるので、それが事実上のリミットということになります」

「……あの……あの!」

 泣いていたメイドさんが言った。

「本当なんですか、これ?」

「言いにくいですけど、本当です」

「本当なわけないじゃないですか!」

 大きな声だった。

「だって、こんな、こんなの」

「その辺り、私も疑問があるのですが」

 背中をさすっていたメイドさんが続いた。

「一攫千金かつ命懸けのゲームだというのは聞いてます。しかし、これは一体なんなんです? どこかの大富豪の人に言えない趣味? それとも、もっと商売っ気のあるもの?」

「はっきりとは知りません」

 幽鬼ユウキは首を振った。

「ただ、常に撮影はされてます。監視カメラを通して、私たちを見ている〈観客〉がいます。たぶんなんですけど、私たちのうち誰が生き残るか、賭けてるんじゃないかと思います。人によって、その……賞金が変動したりするので」

「どういう人なら多くもらえるんです?」

「いちばんには、顔がかわいい人です」

「……世知辛いですね」

 さっきまでとはまた違った趣の沈黙。

「みなさん、生き残ったら多くもらえると思いますよ」

 そう言ってみた。少しでも空気が明るくなればと思ったのだが、だめだった。

「こちらから外部の反応は見えないんですよね」

「はい」

「双方向性がないのか……じゃあ投げ銭とかはないのかな……」

 そのメイドさんは思案を始めた。また別の娘が「こんなことってあるんですね」と言った。

「ある意味よく聞く話ですけど、本当にあるとは思いませんでした」

 幽鬼ユウキも同感だった。

 とはいえ、まったく非現実的な話ではないと思う。人類の歴史上、ギロチン処刑が娯楽として扱われていた時代はあるわけだ。奴隷を猛獣と戦わせて遊んでいた時代もあるわけだ。昨今は倫理なんて言葉は犬にでも食わせておけ、えげつない商売をすればするほど〈必死の努力〉と捉えてもらえる価値観が支配的なのだから、そこに、揃うべき条件が揃えば、〈こういうもの〉が生まれたとしてもおかしくはない。今はまだ〈裏〉だけれど、もう三十年もすれば、こういうのが堂々表を闊歩するのではないかと幽鬼ユウキは思っているのだが、さすがにないだろうか。この業界に長くいるから、バイアスがかかっているだけだろうか。

 未来のことはさておき、あるものはあるのだった。

 正真正銘、人が死んじゃうゲームだ。

「聞かないほうがいいのかもしれませんけど」さっきと同じ娘が言った。「生還率って、どのぐらいになるんですか」

「あ、それは大丈夫です。参加者がほぼ全滅するゲームもないではないですけど……だいたいは、七割前後ですね」

「全プレイヤーの平均でしょう、それは」

〈二回目〉であるらしいメイドさんが突っ込んできた。

「初心者の場合は? 幽鬼ユウキさんの目から見て、私たちが生きて帰れる公算はどのぐらいです?」

「……」痛いところを突かれた。幽鬼ユウキは言う。「初めてということでしたら、それよりは、低いですね。ですが──」

 そろそろ敬語はやめようと思った。幽鬼ユウキはわざとらしく咳払いをした。「でも」

「大丈夫。私のゲームのスタンスは利他だから。なるべくたくさんが生きて帰れるように、サポートするよ」


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