生前クールだった高嶺のお嬢様が死後やけに俺に甘えてきます
3ヶ月がたっても、
転入初日、俺はそのことを思い知ることとなる。
「
1時間目が終わった後の休み時間。
そう言って前の席の
神楽宮学院は国内有数の名門校。
初等部から大学までの一貫教育。偏差値が高く、明治時代までは財閥や華族の子供たちを教育する機関として名を馳せていたそうだ。
「うちにはお嬢様が多いけど、その中でも瑠利花様は特別だったんだ」
「あの柏木グループ会長の孫娘で、成績トップの優等生で」
「生徒会役員で全校生徒から慕われてたの!」
「男女問わずたくさん交際を申しこまれてた!」
「誇り高く高潔な方だったわ! 写真がそちらにあるからお顔を見てあげて!」
隣の席を見ると、そこは献花台となっていた。
色とりどりの花々が祭壇に飾られ、真ん中には遺影写真。
異国の血が入っているのかきらびやかな銀色のロングヘア。
瑠璃色に輝く大きな碧眼。
美術館の絵画から抜け出してきた西洋の女神のように完璧なプロポーション。
思わず見とれてしまう淑女らしい静かな微笑み。
3ヶ月たってもクラスメイトが彼女の死を受け入れられないのがわかるほどに、柏木瑠利花(享年・16)は美しかった。
「実はオレ、霊感があって」
背の高い男子が涙ながらに告げる。
「瑠利花様はまだこの世界のどこかにいる。オレたちと話したいって泣いてる気がする」
「えっ、ホントに!?」
「成仏できないのも無理ないよ……あんな火事で亡くなったんだもん」
「ああ、瑠利花様! 私たちももう一度会いたい、お話がしたいです……っ!」
死んだ少女への想いを吐き出す生徒たち。
まるで映画のワンシーンのような感動的な場面だったけれど、
「みなさん、感傷的すぎます」
とある事情から、俺はなんともフクザツな気分になってしまった。
「涙を流しくださるのはうれしいですが、転入生である
《お気づかいありがとう》
「あら。当然ですわ。未来さんは唯一わたくしが見えるお方なのですから」
俺がスマホに打ちこんだ文章を見て、彼女はクールに微笑んだ。
その声は誰にも届いていない。
というかやっぱり姿さえも俺以外には見えていないようだった。
幽霊。
世間一般的に言えばそんなオカルト的存在である。
そう、柏木瑠利花は死してなおこの世界に留まっている。
もちろん最初は信じられなかった。
幻覚か何かだと思った。
「未来さん。スマホのdアニメストアを起動してくださいませんか?」
ただ、彼女の言動は幻覚にしてはやけに生々しかった。
「か〇や様が観たいんですの」
《教室でアニメを見るのは校則違反なんじゃ》
「バレなければ問題ありませんわ。わたくしもこっそりやっていましたもの」
《さっきは誇り高く高潔とか言われてたのに……》
そこで「ぐー」と腹の虫が鳴った。
昨日は深夜0時すぎまで瑠利花セレクトのアニメを彼女と観ていた。
結果寝坊して、朝食を取るヒマがなかったわけである。
《アニメを観るのはこれを食べてからでいい?》
カロリーメイトのチョコ味を鞄から取り出す。
空腹を堪えつつ、箱を開封して中身をかじると、
「わたくしも一口よろしいかしら」
かぷっと。
口にくわえたカロリーメイトの反対側を瑠利花が小さなお口に含んだ。
思わずむせかけたけど、必死に耐えた。
瑠利花は幽霊なのでカロリーメイトには触れられず、すり抜けてしまう。
ただ、こちらは平静じゃいられない。
数センチ先にある瑠利花の顔。長いまつげ。どこか艶めかしい薄桃色の
(――ああ)
他の人に瑠利花の姿が見えてなくて本当によかった。
高嶺のお嬢様と教室でポッキーゲームしてるとバレたら羨望と嫉妬の的である。
「失礼しました」
あくまでクールに瑠利花はカロリーメイトから口を離してから。
「うっかり自分が死んでいることを忘れていましたわ」
《おかげで俺の方も心臓が止まりかけたよ》
「まあ。どうして?」
《いや、あと少しでキスしそうになってたし》
俺ができるのは瑠利花と話すことだけじゃない。
彼女に触れられるのだ。
視覚と聴覚だけじゃなく触覚でも幽霊を感じられる。瑠利花は『BL〇ACHの主人公と同じ体質、うらやましい!』とか言ってたっけ。
《それにポッキーゲームなんてしたことないしさ》
「……そんなことはありませんわ」
えっ? と聞き返すと瑠利花はさっきあんな大胆なことをしたとは思えない恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
ただ意味深な顔をしてからかってるだけかもしれなかった。
けど、俺たちがポッキーゲームをした可能性は捨てきれない。
それどころかもっと過激なことをしていたのかも。
「そう言えば、あのウワサってホントなのかな?」
ここに瑠利花様がいるとは夢にも思わないクラスメイトたちの会話が聞こえる。
「瑠利花様に恋人がいたって話」
「まさか! 根も葉もないゴシップだろ」
「もし本当ならうらやましすぎる! あの瑠利花様の恋人になれたなんて!」
「いつもクールだったけど、恋人にだけは違う顔を見せてたのかも!」
「けど心配。私が恋人だったら瑠利花様の後を追って絶対天国に逝っちゃう……」
ご安心ください。
柏木瑠利花の恋人は今のところ天国に逝っていない。
なぜなら俺がその恋人だからだ。
(いや、正確に言うなら)
恋人だったらしい。
ひどく残念なことに俺はそのことを憶えていなかった。
そう、柏木瑠利花が肉体的に死んで幽霊になったのとは対照的に。
滝村未来は精神的に一度死んだのだ。
/再会
「いわゆる記憶喪失です」
さかのぼること2週間前。
大学病院の病室で目が覚めた俺に白衣を着た壮年の医者が言った。
「お子さんは記憶のほとんどを失っています」
「そ、そんな……!」
病室にいた女性が泣き崩れ、隣にいた男性が抱き支える。
この二人は俺の両親らしい。
だが彼らと過ごした記憶は何も思い出せなかった。
こうなった原因は3ヶ月前に起きたショッピングモールの火災事故。
一〇〇名以上が負傷し、一名が亡くなった大惨事。
医者の話によると、俺はその火災に巻きこまれ一度死にかけた。
なんとか命は取り留めたが3ヶ月間も昏睡状態だったらしい。
そしてやっと目が覚めたと思ったら、記憶を失くしていた。
つまりは精神がリセットされてしまったのである。
ただ、生まれたままの赤ん坊になったわけじゃない。
目の前にいるのが『医者』で『窓』の外に広がるのが『空』でここが『病院』だという最低限の知識は残っている。
しかし、自分の名前も経歴も思い出せなかった。
まるで思い出だけが死んでしまったようだった。
「大丈夫、未来はきっと治るっ」
母を支えながら、父は気丈に告げた。
「記憶喪失以外は大丈夫なんですよね?」
「はい。検査の結果すこぶる健康でした。今すぐにでも退院できます」
「よかったですわね、未来さん」
「うん。ところでキミどなた?」
病室にいた五人目の人物に話しかける。
制服姿のまぶしいくらいに美麗な少女。
両親の隣にいるってことは、俺の妹か姉だろうか?
「えっ!?」
彼女はまるでオバケでも見たみたいに驚愕した。
「……あなた、わたくしが見えるんですの?」
「もちろん」
「では、今はわたくしに話しかけるのはおやめになった方がよろしいですわ」
「どうして?」
「きっと入院が延長になってしまいますもの」
彼女は聡明だった。
その証拠に医者と両親からしたら何もない空間に話しかけていた俺は「幻覚を見てる!」と診断されて様々な検査やカウンセリングを受けることになり、1週間ほど退院が延びてしまった。
/約束
「やった、お迎えできましたわ!」
転入初日が終わって自宅である一軒家の自室に帰ってから。
俺のスマホに映った「GET!」の文字とヌイグルミを見て瑠利花が大はしゃぎ。
オンラインクレーンゲームアプリ。
ゲームセンターに行かなくても景品をゲットできる優れものである。
「あっ、失礼しました。わたくしとしたことが少々取り乱しました」
「少々?」
「仕方ないでしょう? しのぶさんはわたくしの推しの一人ですもの」
「相変わらずジャ〇プ作品が好きすぎる」
俺が瑠利花の姿が見えるとわかったときもすごかった。
医者と両親が病室から去った後で『鬼〇っ! 今すぐ鬼〇の刃の最終巻を買ってきてくださいませんか!? わたくしまだ読んでいませんの!』と大騒ぎだったっけ。
「ところで、どうかしら?」
生前隠れオタクだったお嬢様は、ふわりと幽霊らしく宙を舞いベッドに腰を下ろした。
「何か思い出せましたか?」
「いや、ダメだった」
彼女いわくこのアプリは俺がよく遊んでいたものだったらしい。
だからプレイすれば何か思い出すかと希望を持ったけど、
「現実はそううまく行かないか」
「『けど、だからこそ面白いんだよ』」
「? それ、アニメか漫画のセリフ?」
「いいえ。未来さんの言葉です。マ〇オカートで1位を取れずぐぬぬっとするわたくしに笑顔でそうおっしゃってくださったんですの」
「色々とツッコミどころありすぎだよね?」
大企業の令嬢がマ〇カーやってたのもそうだけど、そんなクサいセリフを言うなんて。
「一体俺はどんな人間だったんだ……」
「完璧な殿方でしたわ。成績優秀でスポーツ万能な優等生。お友だちが多く人望にあふれ、前の学校では生徒会長。あだ名はタッキー」
「ヤバいくらい陽キャじゃん!」
とんでもないハイスペック野郎だ。
きっと幼いころに劇的なきっかけがあって陽キャになる努力を積んだんだろう。
「でなければ神楽宮の転入試験に合格できませんもの」
「憶えてないんだけど、俺が転入を決めた理由って……」
「もちろん恋人であるわたくしと一緒に学院生活を送るためですわ」
自分が陽キャだったこと以上に信じられない事実だった。
俺にこんな綺麗な恋人がいたなんて。
「ところで、リビングに行かなくてよろしいのですか」
「? 父さんや母さんと話をした方がいいってこと?」
「一家団欒に加わった方がいいのでは?」
「まだ二人と話すのに慣れなくてさ。二人はすごくよくしてくれるけど、なんだか他人と暮らしてるみたいで……あっ。すまない」
「えっ、なぜ謝るんですの?」
「こんな話キミにするべきじゃなかった」
瑠利花は俺が記憶を失った火災に巻きこまれて死んでしまった。
両親と話せないどころか死に別れてしまったはずで……。
「たしかに大事な人たちと会えないのはさびしいですわね」
「瑠利花……」
「わたくしも未来さんが目覚めるまで3ヶ月も推したちに会えず」
「待って。キミの大事な人って二次元の住人なの?」
「毎日がとても辛く生きた心地がしませんでしたわ」
「それを言ったらキミはもう死んでる!」
ついツッコミを入れた後で、心の中で瑠利花にお礼を言っておく。
今のは空気が重くなりかけたから冗談を言ってくれたんだろう。
クラスメイトの評判だと瑠利花はクールで大人びたお嬢様だったらしいけど、こういう気づかいをされると実感する。
「瑠利花は優しいね。不思議とキミとは気軽に話せるんだ。恋人だったせいかもしれないけど、まるでずっと昔から知り合いだったみたい」
「光栄ですわ。ただ、わたくしよりもあなたの方がずっと優しいです」
「? 俺が?」
「わたくしは幽霊。あなたなしでは何もできません。漫画を読むことも、アニメを再生することも、推し活もできません。そんなわたくしを未来さんはこの2週間助けてくださいましたもの」
「俺はただキミにお礼がしたかっただけだよ」
はっきり言って記憶がないのはとんでもなく不安だったのだ。
けれど、
『あなたとわたくしは恋人同士でしたのよ?』
『よく一緒にアニメや漫画を観ていましたわ。だからまた二人で観ませんか? きっと記憶を失くした不安も少しはまぎれます』
『未来さんが好きだった作品、わたくしがすべて教えますわ。お礼はいりません。一緒にオタ活してくださることが、わたくしにとって何よりの幸福ですから』
病室で再会した日。
彼女が口にした言葉は春の日の陽だまりみたいに温かった。
瑠利花の言う通り、彼女と一緒に自分が好きだったという作品を観てるときだけは不安を忘れることができた。
それに色々な作品を観て理解できたことがある。
「魅力的なキャラクターってみんな過去があるよね」
「? 突然何をおっしゃるんですの?」
「いや、色んな作品を観て思ったんだ。作中でキャラを深掘りするとき、そのキャラの過去の回想シーンを挟むことが多いって」
過去を知ることで視聴者はキャラクターに感情移入できるんだと思う。
過去……つまり記憶こそが人間の人格を形作っていると無意識に理解しているから。
「この世界に生まれて、色々な経験を記憶して、人格を形成して、成長する。人間はそうして生きていく。けど俺にはその記憶がない。忘れてしまっている」
「………」
「だから正直な話、俺は今の自分自身に感情移入できないんだよ」
滝村未来が何を考えて、どんな風に生活していたかがまったくわからない。
生きている実感がとぼしい。
まるでロボットが必死に人間を演じているみたいだ。
「言うなれば今の俺は瑠利花よりもよっぽど幽霊みたいな存在で……あっ、暗い話がしたいわけじゃないんだ。むしろこれはすごく明るい話」
「えっ」
「だって記憶を取り戻せば、生きている実感を取り戻せるかもしれないじゃないか。だから――」
瑠利花にはその手伝いをして欲しいんだ、と言ってから。
俺はポケットから一枚の写真を取り出す。
「これ、たぶん瑠利花とデートにでも行ったときの写真だろ?」
きらびやかな夜景をバックにした自撮り写真。
写っているのは幸せそうに笑う二人の少年少女。
「前のスマホは火災のときに焼けちゃったらしくてデータが何も残ってなかった。それで色々探したら部屋から一枚だけ写真が見つかったんだ」
「懐かしい。これは初デートのときに撮りましたの。この日はとても楽しかったです。だからこそ――」
「こんな風に笑ってる。俺はまた、こんな風に笑えるようになりたい」
それには記憶を取り戻すことが必要だと思う。
経験という名の過去が人間を形作っているのなら。
記憶を取り戻せば、昔の自分に戻れる可能性はある。
この写真みたいに生き生きと笑える日がくるかもしれない。
「……驚きました。未来さんはポジティブですわね。記憶喪失になったら絶望して無気力になっても不思議ではないのに」
「かもね。でも俺には希望がある。瑠利花と恋人として生活すれば――」
「わたくしと過ごした思い出が蘇るかもしれない?」
「そういうこと。お礼と言ってはなんだけど、キミが幽霊になってからできなくなったことが実現するようにがんばるよ」
「未来さん……」
瑠利花は蒼い瞳で俺を真っすぐ見つめてから。
「本当にわたくしの口から思い出を語らなくていいんですの?」
「もちろん。教えてもらうだけじゃ意味がない。それじゃただの情報だ。きっと重要なのは自分で思い出すことで――」
「あなたとわたくしが交際を始めたきっかけも?」
「!」
「どちらから告白したのかとか、キスはもうしたのかとか、男女としてどこまで進んだのかも教えなくてよろしいのかしら?」
「も、もちろん」
いや正直すごく気になるけど!
特に男女としてどれくらい進んだのかとか!
「変わりませんわね」
何がうれしかったのか、瑠利花は頬をほころばせた。
「わたくしから聞くという近道を選ばずにあえて遠回りな道を選ぶなんて。尊敬するほどに努力家なところは記憶を失くしても変わっていません」
「そうかな?」
「ええ。わたくしは未来さんのそういうところを、愛しています」
「………!」
「だからこそ協力しましょう。生きている実感がない。わたくしよりもよっぽど幽霊みたいだとおっしゃるのなら……」
ゆっくりと、瑠利花は俺の顔に自分の顔を近づけた。
それこそ恋人にキスをするみたいに。
あるいは人工呼吸でもするみたいに近い距離で――。
「わたくしがあなたを生き返らせてみせますわ」
死者となったお嬢様は、恋人の蘇生を約束してみせた。
/テスト
それから俺と瑠利花の恋人生活が再開された。
と言っても、早速問題が起きた。
実力テストが行われることになったのだ。
試験問題はかなり難易度が高いらしく、記憶喪失なので赤点も覚悟した。
幸い瑠利花が「こっそりサポートしますわ」とテスト前に言ってくれたけど、
「なぜすらすら解けるのですか……?」
英語、数学、物理のテストを難なく突破した後で、隣にいた瑠利花が驚愕していた。
《俺も不思議だよ》
国語の問題用紙の隅にシャーペンで返答を書きこむ。
思い出は死んだけど知識の一部が生きていることが原因かもしれない。
(だから教わった憶えのない単語や数式を知っていて、解答を導き出せる)
ただ、こんな知識よりも家族や瑠利花との思い出を憶えておきたかったので……人生うまく行かないものだ。
「せっかく答えを教えて差しあげようと思ったのに。――こんな風に」
「!?」
突然、瑠利花が後ろから俺の体を抱きしめてきた。
テスト中にもかかわらず、お嬢様は細いあごを俺の肩に乗せて、
「――問6の答えは、Aです」
うっとりするような甘いソプラノで記号問題の答えをささやく。
俺をからかってるんだろうけど、抗議はできなかった。
下手に騒げばまた幻覚を見てると思われて病院送りである。
「――恥ずかしがらないで? 二人きりのときはよくこうしていましたの」
背中にふくよかな双つのふくらみを押しつけながら微笑む瑠利花。
『よくこうしていた』って……本当ならうらやましすぎるぞ、俺。
「――問7の答えはG……失礼、Bです。Gはわたくしのおバストのおサイズでした」
みんなが真剣にテストを解く中で暴露される驚愕情報。
「――誰にも見えていないのですから、好きなだけ甘えてもいいですわよね?」
この子に羞恥心はないのか!
周囲には認識されてないと頭ではわかっていても、真昼間の教室で恋人と密着してるって状況にたとえようのない背徳感が湧き上がって……。
《あれ? 問6の答えはCじゃない?》
「………っ!?」
《問7の答えもDだよね?》
「くっ……さすが未来さん。聡明ですわね」
《もしかして、あえて間違った解答を教えた?》
問いただすと、瑠利花はすねたように薄桃色の唇をツンととがらせた。
「このままでは全問正解しそうなんですもの」
《結構なことじゃないか》
「驚愕されますよ? 『全教科満点!? まるで瑠利花様が取り憑いたみたい!』と」
《その返答は勘がよすぎる》
「『勉強を教えて~!』と女の子たちにせがまれてしまうかも。以前の未来さんは全国模試上位の成績で大変モテましたし」
《信じられない陽キャエピソードだね》
「本当のことです。もしまたそんなことになったら……」
瑠利花はかすかに頬を染めながら、おずおずと、
「……二人きりで過ごす時間が減ってしまいますわ」
急に恥ずかしがるお嬢様が可愛すぎて俺は返答できなかった。
瑠利花の解答は間違ってたけど、その仕草は恋人として一〇〇点満点だった。
/心霊現象
「ホラー映画を観ましょう」
ある日の放課後。俺の部屋で恋人は高らかに宣言した。
「いいけど、ホラー好きなの?」
「ええ、とても。未来さんともよく一緒に観ましたわ」
「じゃあ俺も好きだったってことか」
「いいえ。あきらかに苦手でした。それでもわたくしの前で格好つけて『ぜぜぜ全然怖くないよ』と震えている姿が大変お可愛かったです」
「悪魔みたいなことを言うな」
「あら。むしろ悪霊では? わたくし、死んでますし」
さぁ早く早く、と瑠利花はアマプラで映画を選ぶようにせがんだ。
上映会が始まっても「怖かったら今夜添い寝してあげますわね」と余裕たっぷり。
いつも彼女は自分の屋敷に帰って眠っていたけど、幽霊なら恋人(高校生)の両親が在宅中でも問題なくお泊まりできる。
ただ、こんなに綺麗なクラスメイトと一夜を共にしたら間違いなく眠れない。
「――ああ。よかった。この映画、全然怖くない」
「えっ」
「? もしかして瑠利花、怖い?」
「いいえ。それより、おかしいですわね。未来さんは子供向けのホラーですら怖がっていたのに」
「そんなに?」
「『子供のころに山で肝試しをして遭難しかけたんだ。ホラーを観るとそのときのトラウマを思い出す』とおっしゃって――」
「ならおかしくないでしょ。俺、記憶喪失だし」
「あっ」
「トラウマなんか思い出せない。だから怖くないんだよ」
「そ、そんなバカな……!」
お可愛い未来さんが見られると思ったのに……! と銀髪を揺らして悔しがる瑠利花。
「ん?」
そこでポケットに入れていたスマホが振動。
なんだろうと確認した瞬間――背筋が凍った。
まるで血でもぶちまけたみたいにスマホの画面が赤く染まっていたのだ。
「………っ」
全身に鳥肌が立つ。
タップしても何も反応せず、ただ真っ赤な画面のまま固まるスマートフォン。
(まさか、心霊現象?)
恐る恐る見つめていると、赤一色だった画面に不吉な黒い文字が浮かび上がった。
【ぜぜぜ全然怖くありませんわ】
「………」
この口調。
ひょっとして……。
「瑠利花、やっぱり怖い?」
「なっ!?」
瑠利花は「バカなことおっしゃらないで」とクールに否定したが、スマホには【なぜお気づきに!?】の文字。
もしや、念写というヤツだろうか?
心の中で念じたものを物体に映し出す超常現象である。
(よかった。ホラー映画につられて悪霊がきたわけじゃなかったのか)
いや、この現象は隣にいる幽霊が無意識にやってるんだろうけどさ。
【……なぜ? ここまで怖く感じる理由がわからない……】
「瑠利花がホラーを苦手になったのは幽霊になったからかもね」
「えっ」
「生きてたころは幽霊なんて存在しないって思ってた。けど幽霊になってその根底が覆された。だからオバケを身近に感じて怖くなったんだよ」
「いいえ。わたくし、ホラーが大好きですわ」
冷静ぶるお嬢様だが、スマホには【さすが未来さん的確すぎる推理けど今は感心できないオバケ怖い~!】と涙ながらのメッセージ。
瑠利花には悪いけど、意外な弱点に微笑ましい気持ちになってしまった。
ただ、上映会が終わった後で。
「わたくしはそろそろ帰りますわね」【今夜はお泊まりしたい……】
「えっ!?」
「あら。どうかなさいました、スマホを見つめて」【手をつないで一緒に眠って……】
「いや、瑠利花」
「用がないのでしたら帰りますよ? 早く実家のベッドで眠りたいのです」【お願い引き留めて~! まだ怖いの~! とても一人で眠れそうにありませんの~!】
「………。えっと、今夜は泊まってくれない?」
「えっ」【えっ!?】
「ホラーを観たせいか一人で眠るのが怖くてさ」
「――あら。未来さんったらやっぱり怖がりさん」【さすが未来さん! まるでわたくしの胸の内を悟ったようなお気づかい!】
恋人と一夜を過ごすのは初体験。
しかも二人が眠るのは同じベッド。
彼女いわく「恋人同士なら問題ありませんわ」とのことだったが、
「問題大ありだ……」
隣には「なんだか安心します」と早々に夢の世界に旅立った瑠利花の寝顔。
お可愛すぎる恋人と添い寝という現実に俺はしばらく寝つけそうになかった。
/親友
恋人生活は学院でも続いた。
昼休み。誰もいない屋上。
空は快晴。気持ちのいい初夏の風。隣には幽霊。
瑠利花のお気に入りの小説(意外にも宮沢賢治。漫画だけじゃなく文学作品も好きらしい)のページをめくりながら昼食を取ってると、
「あれ、滝村くん、瑠利花みたいなことしてるね」
クラスのギャルっぽい女の子、
「鳴とは仲良くしてあげてください。彼女はわたくしの幼なじみ。子供のころから親友同士で、彼女の勤め先でよく一緒に遊びましたわ」
懐かしむような瑠利花の口調。
『勤め先で遊んだ』という表現が気になって、スマホで質問しようとしたが、
「そういやうちのクラス、異常だって思わなかった? 死んで3ヶ月もたつのに宗教みたいに瑠利花を崇めててさ」
「えっ――」
「私は絶対あんなことしない。瑠利花を崇めるなんて、気持ち悪すぎる」
「――待って。その言い方はいくらなんでもひどいんじゃないか?」
「はあ? 転入生なんかに瑠利花の何がわかるの?」
「たしかに俺は転入生だけど、柏木さんは絶対にいい人だと思う」
「!? な、なんでそこまで迷いなく断言して……!」
「間違ってなんかいないはずだ」
「………っ!」
瑞原さんは俺の制服のネクタイを乱暴につかんできた。
「落ちついて」
ダメだ、瑠利花。瑞原さんにキミの忠告は聞こえてなくて――。
「落ちついて未来さん。話していませんでしたが、あなたは中学時代に空手の全国大会で優勝経験がありますの」
えっ。
「前にわたくしが路地裏でヤンキー五人にからまれたときも返り討ちにしていましたわ。あのときはとても頼りになったのですが、今はどうか拳を振るわないで。ヤンキーたちのように鳴がオラオララッシュを喰らうのは……」
どれだけハイスペックだったんだ俺!
ただ、どうして瑞原さんは突然ひどい言葉を……。
「いい人だったことは私が一番知ってる! でも友だちは崇めるものじゃないでしょっ」
「――未来さん」
「瑠利花のバカっ。突然死んじゃうからこんなことになるのよ。おかげでお別れも言えなかったじゃんっ」
「――鳴を怒らないであげてください。急に乱暴なことをしたのはきっと動揺していただけ。鳴はとても優しい子で……」
「きゅ、急に取り乱してごめんっ。ただ、滝村くんがここで宮沢賢治を読みながらゴハン食べてるのを見たら瑠利花のこと思い出して……あの子もよくこんな風にゴハン食べてて……わ、私も本が好きだから、ときどき二人で読書しながら昼休みをすごして、互いにオススメの小説とか教え合ったりして……っ」
「――わたくしにとって一番の親友でしたの」
瑠利花は涙をこらえる瑞原さんの肩に手を伸ばした。
反射的になぐさめようとしたんだろう。
けどその右手が瑞原さんに触れることはできない。
柏木瑠利花はもう死んでいる。
「えっ、滝村くん?」
だから俺は、瑠利花の代わりに瑞原さんの肩に右手を置いていた。
瑠利花が幽霊になってからできなくなったことが実現するようにがんばる。
自分が言った言葉を裏切りたくなった。
恋人の親友の涙を止めたかった。
そして何より、親友をなぐさめられなくて悲しむ瑠利花を見たくなかったんだ。
「――ありがとう。滝村くんって優しいね」
「わたくしからもお礼を言いますわ。ありがとうございます、未来さん」
二人にお礼を言われてうれしかった。
でもそれ以上に俺は瑠利花が親友からとても慕われていたと知ることができたのが、ただただうれしかった。
/方法
「「5、4、3、2、1、0!」」
瑠利花と出会ってから数週間がたった日。
自室のベッドに並んで座りながら、俺たちは仲良くカウントダウンをしていた。
楽しみにしていた漫画の新シリーズが始まる日がきたのだ。
その漫画は第1部が完結ずみで、とんでもない傑作だった。
待ちに待った第2部がWEB公開される前夜。
朝まで待てず日付が変わる深夜0時にスマホ片手に待機していたのである。
「すさまじい一話だった、文句なしに面白かった……!」
「ええ! 冒頭からやりたい放題! 格好よすぎる新キャラ! またまた新しい推しが見つかってしまいましたわ!」
「キミって相変わらず幽霊なのに生き生きしてるよね」
「未来さんも以前よりもお顔に活力が戻った気がしますわ」
「瑠利花のおかげだよ。ありがとう、面白い作品を教えてくれてさ」
「未来さんにそう言ってもらえるほど光栄なことはありません」
「そう?」
「わたくしは一人で作品を楽しむのが好きです。けれど気心知れた方と作品の楽しさを共有するのも大好き。とある人のおかげで、そう思えるようになりましたの」
「とある人?」
「――はい。わたくしにとってかけがえのない方です」
幸せそうにする瑠利花だが、何かに気づいたように「あっ」と顔を曇らせた。
「……ごめんなさい。わたくし、ついうれしくなってはしゃいで」
「いいんだよ」
申し訳なさそうにする彼女をなぐさめる。
そう、瑠利花のおかげで俺は誰かと一緒にオタ活する楽しさを知ることができた。
だけど――過去の記憶はまったく戻らなかった。
瑠利花はそのことを気に病んでいるのだ。
「大丈夫。いつか思い出せるよ。これからはもっと色々な方法を試すのもありかもしれないしさ。たとえば俺たちが昔行った場所を巡ってみるとか」
彼女をなぐさめるために強がったが、正直いつまでも記憶を思い出せないのはひどく不安だった。
それは瑠利花といるときも一緒。
彼女は俺を好きだと言ってくれる。
愛してくれている。
でも俺にはその気持ちに応える自信がなかった。
誰かを好きになること。かつての滝村未来だったら当然のように抱いていた感情を抱くことが、どうしてもできなかったのだ。
(もちろん瑠利花と一緒にいるのは楽しい)
心が落ちつく。
雪の降る寒い日に火のついた暖炉の前にいるような、幸福な温かさが胸を満たす。
けれど、それが瑠利花を好きだということなのかはわからなかった。
「未来さんのおっしゃる通りかもしれませんわね」
「えっ……」
「『色々な方法を試す』ということです」
「もしかして、何かいいアイディアを思いついた?」
「はい。今夜はもう遅いので明日お話ししますわ。――では、おやすみなさい」
そう告げて、瑠利花は部屋の窓をすり抜けて去っていった。
しかし――翌日、俺が彼女のアイディアを聞くことはできなかった。
死んだ恋人は、まるで幻みたいに俺の前に姿を現さなくなった。
/屋敷
瑠利花が俺の前から消えてから1週間がたった。
彼女がいない不安を押し殺しつつ様々な場所を探したが見つけることはできなかった。
そして最後にたどり着いたのが――街外れにある巨大な洋館。
これまた大きな門の表札には「柏木」という文字。
そう、柏木家の屋敷だ。
困り果てた俺は瑠利花が生まれ育った場所を訪れていた。
(もう、ここしか思いつかない)
仮説を立てるなら、何らかの事情で屋敷の敷地内から出られなくなってしまったとか。
そうであってくれ。
胸が不安で潰れそうになりながら願う。
俺は――彼女に見捨てられたかもしれないのが怖かった。
瑠利花はいつまでも記憶を取り戻せない恋人に見切りをつけたんじゃないだろうか?
(俺がいなければ瑠利花のオタ活は成立しない)
けど、たとえば俺以外に幽霊が見える人間を見つけたとしたら?
そうしたらいくら恋人だろうと記憶を失くした俺に必要価値はないのかも……いいや。違う。
きっと彼女は――。
「――こっちですわ」
不意に後ろから声をかけられて、驚きながら振り向いた。
夕日に照らされた道路にたたずんでいたのは白いワンピースを着た銀髪の幼い少女。
どことなく雰囲気が瑠利花に似ていた。
「……瑠利花の妹さん?」
訊ねた途端、彼女は駆けだした。
反射的にその小さな背中を追いかける。
少女は屋敷の裏側にたどり着いたところで、塀の横に立った電柱を指さした。
「………っ!?」
直後、頭を金属バットでフルスイングされたような痛みが襲ってきた。
思わず地面に片膝をつくほどの頭痛。
激しい痛みにさいなまれながらも、俺は奇妙な違和感を味わっていた。
(この電柱……)
前にも見たことがある。
痛みをこらえながら再び前を向くと、少女は幻覚みたいにいなくなっていた。
まさか、この電柱を登って屋敷に入ったのだろうか?
(普通に訪ねても入れてもらえるかはわからない。それなら……)
覚悟を決め、周囲に人気がないことを確認してから、電柱を登る。
高い塀を乗り越えると、足元に感じたのは芝生の感触。
裏庭には色とりどりの花が咲き誇っていた。
手入れの行き届いた素晴らしい庭園。
でも、見とれている余裕はなかった。
再びの
――俺はここに来たことがある。
「ぐうっ!?」
一歩踏み出すだけで頭痛が激しさを増す。
頭蓋骨の中身を丸ごとミキサーにかけられている気分。
それでも歩く。
彼女に会いたい。
この先に進めば会えるはず。
目指すは裏庭の隅にある大きな樫の樹。
「……暑い」
頭が割れそうな痛みと容赦なく照りつける日差しのせいで汗が止まらない。
思わず手で拭おうとして、ハッとした。
今は夕方だったはずだ。
なのに天に広がるのは澄み切った青空。真っ白な入道雲。灼熱を謳歌する蝉たちの歌声。風に乗る夏草の香り。まぎれもない真夏の空気。
その中で――。
「お待ちしていましたわ」
樫の樹の下。
さきほどの少女が幻影みたいに現れた瞬間、俺は意識が薄れるのを感じた。
/過去
それはまだ僕が幼かったころの思い出。
小学校の夏休みに行われた、クラスの男子たちとの度胸試し。
街で一番大きな屋敷に忍びこもうということになったのだ。そして勇敢な冒険者を決めるジャンケンに負けた僕は一人電柱を登り屋敷の裏庭に忍びこんで、
「あなた、どなた?」
彼女と出会った。
同い年ぐらいの銀髪の少女。
彼女は裏庭にある大きな樫の樹の陰で静かに涙をこぼしていた。
侵入がバレたことに焦りつつも、僕はつい彼女に訊ねてしまった。
「どうして泣いてるの?」
素直な性格だったんだろう。
彼女は涙をぬぐいながら答えてくれた。
自分の祖父はとても躾けが厳しくていくつもの習い事を強要されていること。そのせいで友だちを作るヒマもないこと。生きてても何も楽しくなんかないこと。まるで毎日が死んでるみたいだって思っていること……。
「いっそ、幽霊になりたい」
そうすればおじいさまに叱られずにすむのに……と幼い少女は再び涙をこぼした。
「そんなこと言わないで!」
僕が彼女をはげました理由は一つ。
涙を流す彼女に共感したからだ。
当時の僕は気弱な泣き虫だった。学校でいじめられることも多かった。ここに入る人間を決めるジャンケンも僕が負けるまで行われた。
僕は彼女の涙を止めてあげたかった。
だから自分の生きがいを教えることにしたのだ。
「よかったら、読む?」
鞄の中にあったこの国で一番有名な少年漫画雑誌を彼女に手渡す。
きっとこれを読めば世界が変わる。泣きたいようなことがあっても笑えるようになる。だって僕がそうだったから。
幼い僕はそう信じて疑わなかった。
「わたくし、漫画というものを読んだことがなくて」
「ならぜひ読んでみて!? もし面白かったら今度コミックスも持ってくるから」
「ホントですの?」
「もちろん! キミが生きてても何も楽しくない、毎日が死んでるみたいだって言うんなら――僕がキミを生き返らせてみせる!」
そうして二人だけの夏休みが始まった。
僕は何度もこの屋敷に忍びこんだ。彼女は僕が貸した漫画を気に入ってくれて、もっと色々な作品を教えて欲しいと頼んできた。
いじめられていた僕に漫画の魅力を語る相手なんていない。
だから彼女はすぐにかけがえのない友だちになった。
誰かと一緒に好きなものについて語り合う楽しさを――初めて知ったんだ。
「お待ちしていましたわ!」
「待たせたね、××ちゃん」
樫の樹の下で出迎えてくれた彼女に、すっかり日常となったあいさつを交わす。
僕らはときには互いの悩みも打ち明けた。
「漫画はとても面白いですけど、おじいさまの前では読めませんの」
「だったら読んでも叱られない小説を教えるよ! たとえば宮沢賢治! 銀河鉄道の夜がすごくオススメで……あっ、小説ばっかり読むのはよくないか」
「えっ、なぜ?」
「えっと、僕みたいに学校でからかわれるかも」
「それはあなたが優しすぎるせいですわ! からかう相手が悪いのです。もっと自分に自信を持って……あっ、よろしければ護身術を教えましょうか!? いじめっ子なんて5秒でオラオラですわ!」
「あはは。その言葉づかい、この前貸した漫画の影響を受けたでしょ?」
でも、僕も彼女から影響を受けていた。
彼女は名家の令嬢で成績優秀な優等生。
僕は少しでも彼女にふさわしい人間になりたかった。いじめられっ子じゃなくて彼女を守れるような人間になろうと決めた。
友だちを増やそうとした。
勉強や運動をがんばって成績を上げようとした。
内気でいじめられっ子な性格を変えようとした。
もちろん最初は絶望的な結果ばかり。でもひたすら努力を続けるうちに少しずつ変わっていったんだ。
秋、冬、春、再び夏と季節が一周するころ。
友だちが増えていた。
成績は学年で上位に入った。
いじめられないよう自信ありげに振る舞うことを憶えた。
そう、すべては彼女のため。
「決めたんですの」
そして変わったのは僕だけじゃない。
ある日、彼女は僕に約束してくれた。
「あなたの前ではもう泣いたりしません。あなたのおかげでわたくしは変われました。だからもしいつか――あなたが困ることがあれば、わたくしが助けてみせますわ」
二度目の夏休み。
出会った日よりほんの少し大人びた彼女が樫の樹の下で泣くことはもうない。
涙の代わりに彼女の顔を彩るのはとっておきの笑顔。
その微笑みを見た瞬間、僕はやっと理解した。
ああ。
僕は彼女のことが――。
/蘇生
「おはようございます、未来さん」
目を開けた瞬間、視界に映ったのは見知らぬ天井。
お高いホテルの客室みたいに立派な部屋。
大きなベッドに寝かされた俺の顔を、瑠利花がのぞきこんでいた。
「憶えていますか? 裏庭で倒れたんですよ? 軽い貧血だったようですが」
「………」
「本当にごめんなさい。倒れてしまうのは想定外でした。鳴があなたを見つけてくれてよかったですわ」
「………」
「実は、瑞原家は代々わたくしの家の使用人をしていまして。学院では隠していましたが鳴の職場はこの屋敷。そしてわたくし直属のメイドでもありましたの」
「………」
「鳴はあなたを見つけてすぐにこの客室にかくまってくれたのですわ。忍びこんだことへの弁解は考えてあります。鳴がこの部屋に戻ってきたら話してあげてください」
「………」
「……あの、未来さん? なぜ何もおっしゃってくださらないんです? やっぱり、わたくしのことを怒ってらっしゃるのですか……?」
「そんなことないよ。瑠利花のこと、信じてたから」
俺を見捨てたんじゃない。
姿を消したこと自体が彼女が言った『方法』なんじゃないかって。
「瑠利花はあえて俺の前から消えたんでしょ? そして俺をこの屋敷に忍びこませようとした。そうすれば記憶が戻るんじゃないかって考えたんだ。だって、俺とキミはそうやって出会ったから」
「!? 未来さん、では――」
「うん。ほんの少しだけど思い出せた。キミはあの夏の日の約束を果たしてくれたんだね。困った俺を助けてくれた。昔俺がキミを助けたときと同じように、俺に自分の生きがいや誰かとすごす楽しさを教えてくれたんだ」
ベッドから体を起こして、彼女の瞳を真っすぐ見つめながら、
「待たせたね、ルリちゃん」
あの夏の日の日常だったあいさつを口にした。
「――ええ」
瑠璃色の瞳が潤む。
瑠利花は泣き笑いの表情を浮かべながら、涙にぬれた声を振り絞った。
「お待ちしていましたわっ」
ポロポロとこぼれる涙。
彼女はそれをぬぐおうともせずに、俺の体に抱きついてくる。
「未来さんはずるいですっ」
「いきなり何を言うんだ」
「約束したのに……あなたの前では泣かないって……それなのに……!」
「すまない」
「あなたが昏睡状態から目覚めたときも、うれし涙をごまかすために鬼〇の最終巻をせがんだのにぃ……!」
「そのごまかし方は瑠利花らしすぎる」
泣かせるつもりはなかったんだと涙が伝う彼女の頬に触れる。
俺だけが瑠利花に触れられる。
その事実を今までで一番うれしく感じた。
恋人の涙をぬぐうことができたから。
「責任は取るよ」
「……責任?」
「泣かせちゃった分、これから先キミのことをたくさん笑顔にする。記憶を取り戻したっていってもほんのちょっとだけど、それでも思い出せたから。滝村未来は――」
柏木瑠利花に恋をしてるって。
なんて、格好よく告れればよかったんだけど。
「未来さん?」
きょとんと不思議そうに首をかしげる瑠利花。
可愛い。
瑠利花が好きだ。大好きだ。好きだからこそ心臓が壊れそうなくらいに騒いで口にすべき言葉がなかなか出てこない。
だけど俺はそのことがどうしようもなくうれしかった。
抱き合い触れ合ってるせいか余計に胸が高鳴る。
きっとこの高鳴りこそが……。
ずっと探していた、生きている実感なのだから。