1章 新たな試み(2)
* * *
「わかってはいるんですよ、アニスは新造都市の責任者として現地に赴かなければならなくなります。それに私は付いていくことは出来ないですし!」
「うんうん、わかるよ……」
「受け入れなきゃいけないってわかってるんですよ! なのにあの人は私の心情を知ってか知らずか、ねちねちと嫌なところばかりを……!」
「おー、よしよし。ユフィは偉い、頑張ってていい子だね」
「もっと撫でてください……」
何とも緊張感のあった会議が終わったその日の夜、ユフィは私のお腹に顔を埋めるようにして抱きついていた。
ぐりぐりと頭を押しつけながら全力で脱力している姿は、女王として振る舞っている時のユフィと比べるとかなりギャップがある。
これは重症だな、と苦笑してしまう。必要なことではあると思うんだけど、痛いところを突いてくるんだよね、グランツ公は。
「王都を離れる、か……」
自分で口にしてみても、まだ実感が沸いてこない。冒険者をしていた頃は離宮を飛び出すことも多かったけれど、それでもここが私にとって帰るべき場所だった。
離れる時が来たとしても、それはこの国に居場所がなくなった時だと思っていた。それがまさか都市を造るためなんて、夢にも思わない。
私の呟きが届いたのか、ユフィが私を抱きしめる力が強くなった。少しだけ呼吸が苦しくなってしまう。
「……行って欲しくありません」
「うん、わかってるよ」
「ずっと私の側にいて欲しいです。少しの間だって、アニスと離れたくないんです」
全力で甘えてくるユフィだけど、それが微笑ましい理由ばかりじゃないのは私も理解している。
ライラナとの戦いの際、もしかしたら私を失ってしまうかもしれなかった衝撃はユフィの心に深く傷を残した。
精霊契約者になってから超然としていた部分があったけれど、私の前ではそんな一面が引っ込んで、幼子のような顔が出てくるようになってしまった。
私も療養が必要だったけれど、ユフィにとっても精神を落ち着かせるために必要な時間だった。今では大分落ち着いてくれてホッとしてる。
それでも、いざ離れるとなったら不安になってしまうのも当然だ。これからは一緒にいられる時間も短くなってしまうだろうから。
「……ユフィ。王様、辞めたい?」
ユフィの頭を撫でながら私は問いかける。ユフィはぴくりと肩を揺らしたけれど、何も言わなかった。
女王としてこんな姿を臣下たちに見せる訳にはいかない。だから外に出てしまえば完璧なユフィに戻るだろう。
でも、それは外殻のようなものだ。硬い殻の中には脆くて儚い一面が隠れている。
私は知っていた筈だった。ユフィだって完璧じゃないって。どれだけ偉業を成し遂げても一人の女の子であることを。
それでもユフィは私のために重い宿命を背負ってくれた。その覚悟に報いたいと心から思っている。でも、時々どうしようもなく全てを投げ出して欲しくなってしまう。
「アニス、私は王様を辞めませんよ」
ユフィが私のお腹に埋めていた顔を上げて、私と真っ正面から向き合う。
とても穏やかな表情だった。さっきまで駄々をこねる幼子のような態度だったのに、その名残を感じさせない。
「私のワガママでアニスの夢を諦めさせるなんて、それこそ死を宣告されたのにも等しいです。貴方の役に立つと選んだ道なのに、逆に足を引っ張るだなんて自分で自分を殺したくなってしまいそうです」
「私はユフィに無理をして欲しくないんだよ」
「今だけですよ。……そうでしょう?」
ユフィは笑みを浮かべた。心から喜んでいるようにも見えるし、同時に何故か泣いているようにも見える。複雑で、曖昧で、美しくも繊細で歪なガラス細工のようだ。
「私たちは、後どれだけ表舞台に立てるでしょうかね……」
ユフィが零した小さな呟き。それに私は重い息をゆっくりと吐き出してしまった。
言葉にすれば考えてしまう。意識を向ければ現実が見えてきてしまう。私たちに残された時間という問題。
「いずれ、私たちは主導する立場を次の世代に譲らなければなりません。私たちの時間は人と隔てられてしまいました」
「人でいられる時間、か」
ユフィは精霊契約者として。
私はドラゴンになった者として。
私たちの得た時間は途方もなく長いものだ。だから、私たちは今の立場を退かなければならない。
退かなければ、かつて起きてしまった精霊契約者の悲劇を繰り返してしまう。
永遠にして強大なる絶対者による統治。そこに人が頼り切りになってしまうことを許してはいけない。
やがて、私たちの時間は普通の人と決定的にズレていく。それは決まってしまった未来だ。その前に成し遂げたいんだ。二人で始めたこの革命を。
「王でいられるのは今だけです。だから、私は王様であることを頑張りたいんです。アニスの夢の先を一緒に見たいですから。私が胸を張っていられるように応援してください」
「……うん」
祈るようにユフィは私にそう告げた。込み上げてくる愛おしさをそのまま伝えるように抱き寄せる。
こんなにも真っ直ぐに私を認めてくれる。これまで何度、彼女がいてくれることのありがたさを感じただろうか。
だからこそ大事にしたい。大事にしたいから、辛かったら諦めてもいいよと言ってしまいたくなる。
でも、それを言われるのが嫌なのだとユフィは笑う。だから、私はこの子に報いたいんだ。それなら私だって前に進むしかない。
一緒に見たいと言う夢を形にするために、喜びも苦しみも共に背負っていくんだ。
誓いを嘘には出来ない。何度も止めた方がいいんじゃないかと思っても、気の迷いだと言い切れるから。
「頑張ろうね、ユフィ」
「はい。だから、頑張るためにもっと甘やかしてください」
そう言いながら、また私のお腹に顔を埋めるように抱きついてきた。触れる息がくすぐったくて、少しだけもどかしい。
「もう、すっかりワガママになっちゃったんだから。……それは元々かな?」
「どこぞの誰かさんの影響じゃないでしょうか?」
「なにおう?」
クスクス笑って、互いの体温を感じられるように触れ合う。
好意を確かめる時、どこが好きってよく聞くと思う。それに全部って答えてしまうのがわかっちゃう。
だって、ユフィの全てを愛さずにはいられないんだ。だから、全部好きなんだ。
「大好きだよ、ユフィ。愛してる」
「私もです、アニス」