第四話 男女の溝は根深いのです!(4)

   ※


 次の日。

 駐屯地を出たあたしたちは、近くの山に連れてこられた。

 もちろんそこは、のどかなハイキングコースなんかではなく。荒々しい岩肌が露出し、深い谷が横たわる、あまり人類向けじゃない山だ。

 その谷に、ロープが架けられている。

「今日はロープ橋の検定を行う」

 まるでたった今、今日の訓練過程が始まったかのような口ぶりで教官は言うけれど、実際は、もはや日課である数時間かけて行う体力調整やハイポートをこなしてからの、今だから。体全体が、すでにだるくて仕方ない。

 ……ちなみに今朝は、更にその前にニワトリたちの世話に行くと、さっそくニワトリの鵬が卵を産んでいて。その温かさに感動したりもしたのだけれど、「ニワトリの産卵って、排泄と同じ場所からするのよね」というミズキの一言と共に、少しだけげんなりした気分に変わってしまった。なぜ生命と排泄物を同じ場所から産むの。

 閑話休題。

 しかも、朝から漂うこの空気感。ニワトリの世話後、係りの仕事である健康観察のために男子部屋へ行ったときから、気づかずにはいられないくらい感じてはいたけれど。男性陣のちょっとした目線の位置とか、会話の声音とか、距離感とか身振りとか。ノンバーバルなコミュニケーションが、ひたすらに「気まじぃぃぃぃいっ」て叫んでいる。

 まぁ、こっちだって、もちろん気まずいのだけれど。逆にミズキは、不思議なくらいにいつもと変わらない様子で、とっても清々しい。いつも淡々としているから、今更変わりようもないだけなのかもしれないけど。

「レンジャー糸川、準備良しっ」

「レンジャー糸川、はじめ!」

 教官の合図で、糸川三曹が「レンジャー!」と叫んでロープにぶら下がる。両手でロープをつかみ、交互に両足の膝裏をロープにかけて、反動をつけながら進んでいく。その様子がまるで猿みたいなので、「モンキー」と呼ばれる渡り方だ。

 これが、見た目以上に実は辛い。糸川三曹はそれでも速く進んでいる方だけれど、中には途中で落ちてしまう人もいたりする。

 あたしの順番は最後の方なので、次々と渡るメンバーをじっと見つめて待つ。「休むなーっ!」「足使え足ぃッ」と助教たちの激励だかアドバイスだか怒りだか分からない声が谷間に響くなか、必死な様子で渡っていくレンジャー瀬川の動きを見て、あたしは「あれ?」と首を傾げた。

 その数人後、ようやく「レンジャー小牧っ」と呼ばれ、「レンジャー!」と準備をする。

「レンジャー小牧、準備よし!」

「レンジャー小牧、はじめっ」

「レンジャー!」

 ロープにぶら下がった状態で、ロープを上下に揺らすようにして、足を引っかけ進む。前にも練習で痛めた膝裏が、またずるっと擦れて痛む。

 大丈夫、ミズキに注意されてから、しっかり手当てもした。今痛いのは、みんな一緒だ。

「レーンジャっ! レーンジャッ」

 足をかけ替えるごとに叫んで、リズムをとりつつ気合いを入れる。

「レンジャー小牧っ、もっと反動つけていけぇっ!」

 そう言われても、腕はぷるぷるだし足は痛いし、どうしたら良いか分からない。それでもなんとかあっぷあっぷしながらゴールすると、そのまま、まろぶようにレンジャー瀬川のところへ向かった。

「レンジャー瀬川」

「……なんすか」

 目を合わせないようにするレンジャー瀬川に、あたしは躊躇なく言った。

「ちょっと、足見せて」

「は? あ、ちょっ!」

 慌てるレンジャー瀬川の足をぐいっと手にとり、さっさと戦闘服をまくり上げた。右膝の後ろに触ると、パンパンに膨らんでいる。

「やっぱり。腫れてる」

「は、腫れ……?」

「膝の裏。なんか、動きがおかしいと思ったんですけど。捻ったかなんかしました?」

 質問に、レンジャー瀬川はようやく目を見返してきながら「そんなの。わかんねぇよ」とうなった。

「どうせ身体中、全部痛ぇし」

「でも、やっぱり腫れてはいますから、動かさないでくださいね。──原助教」

 危なげなく渡るミズキに激励を飛ばしていた原助教のとこへ行き、事情を説明した。原助教はあたしと、離れたところにいるレンジャー瀬川を見比べると、「ふぅん」と小さく笑う。

「なら、そのままおまえが処置しとけ」

「あたしが、ですか?」

 あたしが衛生とは言え、普通、学生以外の救護の人が手当てをするのに。そう思い、うっかり訊き返すと「ぁあっ?」とがらの悪い声が返ってきた。慌てて「レンジャー!」と言い直し、さっさとレンジャー瀬川の許へと駆け戻った。


 ──無事、山地でのロープ検定を終え。入浴と食事をし、部屋に戻ろうとしたときだった。「おい」と呼び止める声に、部屋に入る寸前だったあたしは足を止めた。

 振り返った先にいたのは、レンジャー瀬川だった。少し右足を引きずるように、こちらへ数歩、歩いてくる。バディの相方は、こちらと同じように部屋へ先に入ったらしく、一人だ。

 レンジャー瀬川は、睨むような目でこっちを見ていたけれど、あたしが首を傾げると、ふぅとその目から剣呑さが抜けた。

「その。昼間は、ありがとな。助教から、レンジャー小牧が気づいて早めに処置したおかげで、原隊に戻らずに済むんだぞって、聞いて。礼を言っとけって」

「へぇ……」

 確かに、あのまま放置して無理矢理動いていたら、もっとひどく痛めることになっていたかもしれない。

 思ったより──早く、好機がやってきた。あたしはニヤリとして、「分かりました」と頷いた。

「それなら、恩に着てください」

「ん? あ、まぁ。だから感謝、してるって」

「そうではなく」

 一歩近づいて、そっとレンジャー瀬川に耳打ちをする。

「一時間後。レンジャー志鷹を連れていくので、全員で話ができるようにみんなに伝えて、セッティングしておいてください」

「全員で話……って、なんだよそれ。もしかして、昨日のことまだ引きずって」

「──それは、お互い様ですよね」

 そう言うと、逃げるように「お願いしますねー!」と手を振って、部屋の中へと逃げ込むように入った。

 これで、良し。

 扉をばたんと閉め、不審げな目を向けてくるミズキに、あたしはにっと笑ってみせた。


「と、言うわけで」

 約束通りの一時間後。なけなしの時間を割いて集まった面子を見回して、あたしは両手をパンッと叩いた。

「この際、お互い本音で語りましょう!」

「お互い本音……って」

 困ったように、糸川三曹が首を傾げる。

「なんて言うか。昨日のことなら、レンジャー瀬川もレンジャー小野田も、反省してるし。そんな、蒸し返すようなことしなくても」

「陰口を当人に聞かれたから反省って、それは陰口自体を反省してるだけで、結局お腹に一物抱えたまんまっていうのは変わんないじゃないですか。それに、あたしたちだって言いたいことくらいありますしっ」

 だいたい、あのとき二人以上にミズキを怒らせたのは、たぶん糸川三曹なのだけれど。糸川三曹的には、八つ当たりされたぐらいの感覚なのだろうか。ミズキはそんな糸川三曹を、見ようともしない。

 あたしが思わず手を上げて発言したせいか、レンジャー瀬川も倣うように小さく手を上げた。

「俺は……今日レンジャー小牧に助けられたし。レンジャー志鷹が俺より綺麗にモンキーやってるのも見たから、割りと考え改めねぇとなーとは思ってんだけど。それじゃダメなん?」

「はい、ダメです却下」

 間髪を容れず、あたしはきっぱりと言い切った。

「そんなの、弱ってるときにありがちな、一時の気の迷いみたいなもんじゃないですか。あんだけ言ってた人が、そんなことで手のひらくるっと返すなんて信じられないですし」

「だから反省してるってーのに」

 そうじゃなくて、と。あたしはぶんぶん両手を振った。

「そもそも反省だとか誰が悪い、とかでなく。今日はお互い本音をぶちまけることで、スッキリしちゃおうって言うか。これ以上こじれないようにして、あわよくば仲良くなっちゃおうっていう感じで。昨日あの騒ぎの中、黙ってた人も多いですし」

「それって、逆に仲が悪化せんかなぁ」

 小塚さんがぼやく。そんな中、再び口を開いたのは糸川三曹だった。

「ここきてから、レンジャー志鷹がなにも言わないんだけど。それで大丈夫なんすか?」

 話を振られたミズキは、「別に」と素っ気ない。

「わたしは全然、あんたたちなんて眼中にないから構わないんだけど、ただ女ってだけで舐められてるのは腹立つとは常に思ってる」

「え、もしかしてもうコレ始まってる感じ?」

 ミズキの言葉と、小塚さんのツッコミに、他の学生たちは顔を見合わせた。

「……だったら、言うけど」

 手を挙げたのは、昨日、女子のレンジャー入りについて陰謀論を語っていた小野田さんだ。あれだけ息巻いていたこともあって、この中でミズキと一位二位を争うくらい喧嘩腰だ。

「やっぱり、女子の方が筋力も体力も男より少ないじゃないっスか。そのせいで、ペナルティが増えたりして。正直、足引っ張るなって印象は強いっスよ」

「待てよ、そんなのお互い様だろ?」

 慌てたように、糸川三曹が割って入る。

「男だって、ペナルティ課せられることは普通に多いし」

「でも、女がいることでそれが増えるじゃないっスか。そのせいで、耐えきれなくて原隊に戻ったやつも多いし」

「異議ありっ!」

 はいっ、とあたしは手をぶんぶん振った。

「あたしたちだって同じだけペナルティ受けてるんだから、そこは同じ条件じゃん。あたしたちだけのせいにされても、困る」

「だから、ゲタはかされてんだろ……」

 ボソッと言ったのは、レンジャー小野田でもレンジャー瀬川でもない別のヤツで。つまり、やっぱり同じようなことをお腹に抱えていたメンバーは、他にもいたんだ。

「わたしたちの、どこがゲタはかされてんだか、こっちが訊きたいんだけど。普通の隊だったら設定されてるハンデすら取っ払われて。普段だってあんたらと部屋が違う分、こっちまで必要な情報が回ってこないことも多いし」

 ミズキが、怯まずに言い返す。あたしも隣で、ウンウンと頷いた。「でも、武装障害走のときとか、なぁ……」と、別のところからも声が飛んでくる。

「囲壁のことならあれは、別におかしくないやろ。任務中に助け合うのは必要だしなぁ。だから、助教たちだってなんも言わんかっただけやん」

 小塚さんの言葉に、なにかを言いかけていた別の学生が口を閉じる。ただ、別の学生は「そうだよなぁ」と頷いてたりもして、別にみんながみんな、女子と対立したいわけじゃなかったんだなって、あたしもようやく気づいた。

「……レンジャー志鷹の髪型は、やっぱどうかと思うけどな」

 呟くように発言したのは、レンジャー瀬川で。やっぱりお腹の中では、そのことが引っ掛かっていたみたいだ。

「それは……結局、身だしなみチェックのときには、みんななにかしら注意されてるんだし。レンジャー志鷹は、逆に髪型以外はほとんど注意されてないじゃん」

「でも、注意されるって分かってるなら、事前になんとかした方が良いは良いっすよね」

 こちらに向けて、糸川三曹がちょっと困ったように言う。むぅ、そう言われると、なんて返したら良いのか分からない。

「……規定違反じゃないのに、なんで切らなきゃなんないわけ」

 言われることは予想していたのか、ミズキは冷静だった。それに答えたのは、レンジャー小野田で。

「やっぱり、やる気の問題っスよ。見た目的に……」

「なんであんたらの髪型に合わせるのが大正解なわけ? わたしだって、もっと長かった髪を短く整えてここに臨んでるの。女性性を完全に棄てないと、なんで逐一許せないの?」

 あ、前言撤回。

 冷静なのは顔だけだったみたいで、だんだんと声の調子が上ずってきている。

「女が女であろうとすることを舐められるのが、わたしは心底嫌なの。結局、あんたらは女って存在を下に見てんのよ。だいたい、髪は能力に関係ないでしょっ?」

 さすがにムッときたのか、レンジャー瀬川がすぐさま口を開いた。

「有事のときは、どうすんだよッ! もしもんとき、敵に髪つかまれやすいだろそれじゃっ」

「じゃああんたらは有事のときに金玉取るわけ? 髪つかまれる以上に、そんなの蹴られたら一発でアウトじゃないッ」

「それは……ちょっと極端な気も……」

 ヒッ、という顔をする男子学生らを見て、あたしはさすがにそう言ったけれど、すぐさまミズキにキッと睨まれて、大人しく口を閉じた。

「髪が長いと、有事のときにしらみがわいたりとか──」

「必要なときはもっと短くすれば良いだけの話でしょっ!? なによ有事、有事、ゆーじって! あんたらユージのなんなのよっ」

「いや、でも有事のことを常に想定して訓練するのがレンジャーだし。まぁ、女性のレンジャー志鷹が髪型を気にするのは当然だと思うけど」

「だからあんたはいっつも論点がずれてんのよ! 昨日、なんで蹴られたかもどーせ分かってないんでしょっ? そういうタイプが一番タチ悪いのよッ」

「待て待て待て! みんな冷静になれよっ! ほんとにレンジャー志鷹の坊主が見たいのかッ!? よく考えろっ!」

「美人の坊主とか最高に決まってるだろアホぅ! 常識的にッ」

「てめぇらの性癖なんて聞いてねぇぇんだよッ!」

 そんな、みんなのやり取りを見ながら。

「な、悪化したやろ」

 ちょっと離れた場所で、小塚さんがぽつりと呟くのに、「うーん」とあたしは首を捻った。

「上手くいくと思ったんですけどねー」

「人心を操るには、アッキーはまだまだやなぁ。こういうときは、仮想敵を作って、人心を一つにまとめるんや」

「仮想敵?」

「まぁ、見ててみ」と、小塚さんが手のひらを自分の口に添えた。

「レンジャー志鷹は、どっちにせよおまえらのもんならんでー。レンジャー糸川と付き合っとるからなー」

 小塚さんの爆弾投擲に。喧騒が、ピタリと止み。

「はぁあぁぁあッ!?」

 騒ぐ声の色が、ガラッと変わった。

「嘘だぁッ男嫌いみたいだから絶対フリーだと思ってたのにッ」

「唯一のオアシスを枯らしたのはてめぇかこの眼鏡ッ!?」

 一部の男子学生らが急激に騒ぎだしたかと思うと、ミズキも顔を真っ赤にして糸川三曹に詰め寄る。

「あんた、なにぺらっぺら喋ってんのッ!?」

「い、言ってない言ってないッ」

 ブンブン首を横に振る糸川三曹。そんな様子を見てた小塚さんが、「アホやなぁ」と悪びれずに笑う。

「そんなん、様子見てたら分かるやん」

「小塚さん、怖い……」

 驚きよりも、その気持ちの方が強く。怖々と小塚さんの笑顔を見た。

 ますますヒートアップしていく室内の扉が、不意に、バァンッと大きな音を立てて開かれた。

 一斉にみんなでそちらを見ると、沖野助教と原助教が、無表情で入り口に立っている。その顔が、角度のせいか少し青筋立ってるように見えた。

「おまえらうるっっせぇんだよっ! ずいぶん余裕だなぁっぁあ!? 昼間の運動じゃあぜんっぜん足りなかったようだなぁ?──全員廊下に出ろッ」

「……レンジャー」

 応える全員の心が、果たして一つになっていたか、結局分からなかったけれど。

 疲れた身体にムチ打って、何十分と腕立てを課せられながら──結局は、こうして一緒に一つのことへ取り組んでいくのが、みんなの気持ちを合わせる最短ルートなのかなと、思ったりしたのだった。


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試し読みは以上です。


続きは2022年4月15日(金)発売

『レンジャー・ガール! 女性自衛官・小牧陽は地獄を這い進む』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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