第四話 男女の溝は根深いのです!(3)

 部屋は真っ暗だった。スイッチを押すと、パチッと音を立てて、部屋の中が真っ白に照らし出される。二台並んだ二段ベッドと、ロッカー、それから扇風機しかない部屋で。志鷹三曹は、隅っこの床に体育座りになって、顔を隠すようにうつむいていた。

 あたしは黙って中に入ると、少し迷って隣に腰をおろした。ポスン、というお尻と衣擦れの音が、やけによく聞こえた。黙っていると、隣の部屋からはまた騒がしい音がし始めて、はぁと溜め息をついてしまう。

「……ごめん」

 くぐもった声が聞こえて、あたしは「別に」と笑った。

「綺麗だったねー。さっきの蹴り。レンジャー志鷹、かなり武闘派?」

「……父さんが、格闘指導官だったから。小さい頃から、よく遊び半分で教わってたんだ。母さんも自衛官で……だから、一緒になってやったりもして」

「官品、ってやつ?」

「そう、それ」

 ようやく顔を上げた志鷹三曹は、想像と違って泣いてなんてなくて。苦い笑いを浮かべて、顎を自分の膝の上にだらしなくのせた。

 官品、というのは、隊内では両親共に自衛官の子どもを指すもので。自衛官のなかには、意外にそういう人も多かったりする。

「わたし、ひとりっ子でさ。父さん……父親には、かなり可愛がられてて。隊のお祭りだとか、父親の同僚との家族飲みだとかにも小さい頃からよく連れてかれてて、自衛官って職業はかなり身近だったのよね。休みには、山へロープやりに連れてかれたり、一緒に筋トレしたり……頑張ると父親が喜ぶから、わたしもけっこうノリノリでさ」

 だから、と。志鷹三曹は一回、鼻をすすった。

「自衛官になったときも、喜んでくれて。なのに……わたしが二十歳になった頃に一度、女性レンジャーを開放するかって話題になったことがあって。そのとき、絶対挑戦したいって話したら……『女なんだから、そんな無理しなくて良いんじゃないか』だなんて、父さん、言ってさ……ほんと、頭きちゃう」

 そう、吐き捨てるというには弱々しく、志鷹三曹がうめく。

「父さん昔、レンジャー訓練で、一緒に組んでたバディを事故で亡くして……訓練も中止になったんだって。それくらい、危険な訓練だから……って言ってたけど。もしわたしが男だったら、そんなこと絶対、言わなかったクセに──そう思うと、悔しくて」

 志鷹三曹が、こちらを向いた。燃えるような、崩れ落ちてしまいそうな、強さと危うさをはらんだ目をして。

「結局わたしは──女だって理由だけで、尊敬してた父さんに、認めてもらえてなかったんだ」

 ──そっか、と。

 あたしはようやく、志鷹三曹の地雷について、理解した。

 志鷹三曹が本当に認めてほしかったのは。単に男の人たちみんなとかなんかじゃなくて、お父さんだったんだ。

「でも、今回の訓練が終わったらきっと、お父さん、喜んでくれるよ」

「……どうかな。分かんない」

 志鷹三曹が、ふっと微笑んだ。それは今にも泣き出しそうなくらい、切ない笑顔で、なにもない天井を仰ぐ。

「父さん、病気しちゃってね。もう死んじゃったから……」

「……そっかぁ……」

 それ以上、なにも言えなくて。一緒になって、天井を見上げた。いつの間にか隣の部屋も静かになってて、窓の外から秋っぽい虫の音が聞こえてくる。

「……ごめん、こんな話。まったく……この歳で父親のこと引きずってるなんて、情けないったらねぇ」

 そう言った志鷹三曹の笑顔は、大袈裟なくらい明るくて。

「そんなこと、ないよ」

 あたしはその頭を、そっと撫でた。ふんわりと柔らかな髪が、指の間を滑る。

「レンジャー志鷹は、頑張り屋さんなんだねぇ」

 途端。怒られるかも、とちょっと覚悟していたあたしをよそに、志鷹三曹の顔がふにゃっと泣き出しそうに歪んだ。

「……止めてよ、もう。年下のくせに」

「一コしか違わないじゃん」

「恥ずかしいでしょ、こういうの」

「全然。誰が見てるわけでもないし」

「わたしが恥ずかしいの。ほんとに、あんたは──」

「アキラだよ」

 あたしの言葉を、志鷹三曹は鼻をすすりながらきょとんと聞いた。あたしは口を尖らせて、「最初に会ったとき、言ったじゃん」と付け加える。

「アキラ、って呼んでって。教官たちの前では、そうもいかないけどさ。それなのに、二人でいるときも『あなた』とか『あんた』ばっかりで、全然名前で呼んでくんないし」

「……分かったわよ」

 志鷹三曹が、頭にのせられた手を退けながら、ふっと力の抜けた笑顔で頷いた。なんだか嬉しくて、ついついにやりとしてしまう。

「ねぇねぇ、呼んで呼んで」

「必要なときにね」

「あ、じゃあそれ今だよ。今、必要」

「あんたって、変にポジティブな頑固よね」

「あー、またあんたって言ったー!」

「うるさいうるさい! わたしも初めて会ったとき言ったわよね? 声大き過ぎだから気をつけろって。あんた、全然じゃないっ!」

 なにもそんなことまで引っ張り出さなくても。あたしだって、最初は気をつけていたのに、とか。そんなことを言い返しかけ──ふと、また良いことを思いついた。

「あのさ」

「今度はなに」

 げんなりとした表情を見せつつも、志鷹三曹が訊き返してくる。

「あたしも、ミズキって呼んで良い?」

「い──」

「や」と口が動きかけ。それをじっと見つめるあたしを見返して、志鷹三曹は口の端をひきつらせた。はぁ、と大きな息を吐く。

「……好きにすれば」

「やったぁ!」

 両手をバンザイさせると、志鷹三曹──もとい、ミズキは「なにがそんなに嬉しいんだか」とぼやいた。

「嬉しいよ。だって、ミズキとの距離が、縮まった感じがして。あたしたち、バディなんだもん。初日に、鵬教官が言ってたじゃない。──一番守らなきゃいけない存在だ、って」

 あたしにとって、ミズキは。この訓練中一番守らなくちゃいけない存在で、加えて誰よりも頼りになる存在でもあって。

 そして、ミズキにとってのあたしも、そういう存在でないといけない。

 ただ──たぶん、本当は。

 そういう存在は、バディだけじゃなくて、仲間たちみんなが、お互いにそうであるべきなんだろうけど。

 でもきっと、今のままじゃ──残念だけど難しいんだと、あたしだって分かる。

「……やっぱり、レンジャー糸川の言う通りなのかなぁ」

 あたしの呟きに、ミズキが「はぁっ!?」と声を上げた。

「あんた、なに言って」

「あ、いや、ほら。これからまだ二ヶ月以上あるんだから、助け合っていかなきゃいけないってのは、確かになーって」

「別に、どうでも良いわよあんなやつら。どうせ、あと二ヶ月以上一緒になんて、いないもの」

「ほらー。そういうとこー」

「うっさい。あっちだってどうせそう思ってるんだから、おあいこなの」

 聞いたでしょアレ、と。ミズキはぶつぶつと呟く。

 もしかしたら、みんな大人だから。明日になったら表面上は、いつも通りに振る舞えるのかもしれない。必要な場面では、協力し合うことだって、できると思う。

 でも──レンジャーってたぶん、それだけじゃ足りないんだと思う。命懸けの場面で、いざというときに動くには、今みたいな疑心暗鬼の関係じゃ、きっと無理だ。

「んー……」

「もう、良いから。時間くっちゃったし、やることやらないと」

 そう言うミズキはちょっとそっぽを向いて、やけに素っ気なくて。でも耳がほんのり赤いから、きっとだんだん気恥ずかしくなってきたんだろうなって、あたしも分かるようになってきた。

 やっぱり、このままじゃダメだ。

 だってあたしは、ミズキにレンジャーになってほしい。お父さんへの引っ掛かった思いをのりこえて、もっと笑顔でいてほしい。

 もちろんあたし自身だって、レンジャーになるためにここまで来たんだから、絶対に胸をはって帰りたい。

 そのためには──やっぱり、最善を尽くさないと。

 今日の訓練でボロボロになった半長靴を、ベッドに腰かけて磨きながら、一人頭の中で作戦を練ることにした。

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