第一話 あたし、レンジャーになります!(3)
「ぜったいにスプーン買った方が良いっす」
さっき会ったばかりの糸川三曹が、強い口調で力説する。
男子学生らの部屋は、女子の部屋と同じ大きさのはずだけれど、そこに詰め込まれた人数の差か(なんたって、二段ベッドが十四台も運び込まれている)、二台置かれた扇風機がフル稼働していても焼け石に水という感じで、蒸した空気をただ掻き回しているだけという有り様だった。すでに、部屋中が汗臭い。
男性らは早々と荷ほどきを始めていたみたいで、ロッカーにしまう途中のものがいくらか散らかっている。たぶん、どこにどうしまうか話し合いながらやっている途中だったんだろう。
「なんでスプーンなんだよ。箸があんじゃん」
学生の一人が言うと、糸川三曹は首を思いきり振った。
「そのうち、箸じゃさっさと食えなくなります。酷使し過ぎて、手がつるようになるんで。飯の時間も分刻みですし、スプーンのが安パイっすよ」
糸川三曹は、前にもレンジャー訓練に参加したことがあるらしい。しかも、訓練のかなり後半までいけていたそうで。そういう人の言うことなら、と。みんな、なるほどと同意した。
他にも、みんなでおそろいで買った方が良い細々とした物とか、持ってきた物の置き場を話し合う。更に、物につける名前の位置や、買ってきた物の収納場所とか、装備品の装備位置とか──とにかく決めてそろえなきゃいけないことが多すぎて、ぜんぶは決めきれないまま、その場はお開きになった。
部屋に戻ると、あたしと志鷹三曹はさっそく、持ってきた荷物を、さっき決めた位置にしまい始めた。書いたメモを見ながらしまっていくけれど、途中、決めきれなかった細かい物も出てきて。ぐぉぉと回る、古びた扇風機の音を聞きながら、あたしは「よしっ」と心の中で気合いを入れた。
「あ、あの」
「なに」
反対側でもくもくと片付けをしている志鷹三曹が、手を止めずにこちらも見ないで訊いてくる。とりあえず、返事が返ってきたことに安心して、「えっと」と続けた。
「さっき、置き場所決められなかったやつ、どうします? いったん、あたしたちだけでも場所そろえた方が、良いかな」
志鷹三曹はふと手を止めると、じっと自分の荷物を、難しい顔で見つめた。
「いえ……それより、決まってない物だけ別の場所に、ぱっと見て分かるようにまとめて置いときましょ」
「あ……は、はい」
志鷹三曹はそこでようやく顔を上げて、こっちを見た。長いまつ毛に飾られた二重の目が、気難しげに細められている。
「部屋のなかだけでそろえていても、あとで男らともそろえるの忘れちゃまずいもの。男女でそんな簡単な話し合いもできないのか、なんて助教たちに言われたら、腹が立つし」
「はぁ……なるほど」
確かに、一旦きれいにしまっちゃうと、あとから分かんなくなっちゃいそうだな、と納得する。
「あ。あたし、さっき言ってたスプーンとか買ってきちゃおうと思うんですけど。一緒に行きます?」
志鷹三曹はさっさと自分の荷物整理に戻りなから、やっぱりこっちを見ないで「いい」と首を振った。
「入校式終わったら、嫌でも二十四時間一緒に行動しなきゃいけないんだし。今からいちいち二人で連れだって行く必要もないでしょ」
「あー……じゃ、あたし志鷹三曹の分も買ってきますよ!」
「そういう余計なことも、しなくて良いから。親密でもない相手とお金のかかわるやり取りするの、嫌なの」
そこまできっぱり言われると、「はい」と返事するより他なく。
「じゃあ、いってきまーす……」
部屋を出ながら、なんとなく小さな声で言った言葉には、軋んだドアの閉じる音しか、こたえてくれなかった。
※
「うあー。すずしぃい……」
基地内の売店に入ると、外との寒暖差に身震いした。
「えーっと、買うものはー……っと」
メモを片手に店内を歩き回ると、勤務時間外の見知らぬ自衛官たちに交ざって、見覚えのある顔を見つけた。
「糸川三曹ー!」
「あぁ、えっと……小牧、三曹」
「糸川三曹も、さっきの買い物ですかー?」
たたたと駆け寄ると、「あぁ」と笑顔でかごを見せてくれる。念のため確認させてもらい、あたしも同じものをかごに入れていくことにした。
「糸川三曹って、一昨年の同じ時期に訓練受けてたんですよね。もしかして、田端三曹ってご存じですか?」
「ん? あぁ、知ってますよ。自分、田端とバディでしたから」
律儀に付き合ってくれる糸川三曹に訊ねると、まさかの答えが返ってきて、あたしは思わず「おおっ」と声を上げてしまった。
「ほんとですかー! あたし、田端三曹と一緒に働いてて。あの人、優しいですよねー。たまに注意もされるんですけど! 前にこうしてお店で話してたときとかも、ボリューム調整つまみ壊れてんのかー! って……」
言っているそばから店内に響いている自分の声にハッとして、慌てて口をおさえた。糸川三曹が「くふっ」と笑いを堪える音がして、一緒に「ふへへ」と笑ってごまかす。
「実は、志鷹三曹にもさっそく注意受けちゃって。あ、志鷹三曹とは同じ部隊なんですよね?」
「そうっすね。お互い普通科ですし、よく見知ってます」
「優秀なやつなんっすけど」と、糸川三曹がほろ苦く笑った。
「ただ、気が強いっていうか。ちょっと面倒なとこもあるんですけど、バディとして良くしてやってください」
「いや、そんな! こっちこそ、きっと志鷹三曹にいっぱい迷惑かけると思いますしっ」
両手をバタバタと振っていると、品出しをしている店員さんがちらっと視線を向けたのに気がついて、あたしはまた口をおさえた。かごをしっかり持ち直し、どうしても心にちらつく疑問を、今日が初対面の糸川三曹に向けていいものか迷う。
「……あの。適性検査って、そんなに落ちるものなんですか?」
「え?」
結局もごもごと口にした質問に、糸川三曹は分かりやすく首を傾げてみせた。
「えぇっと」と頭を掻きながら、あたしはうつむく。ここに来るまでの日々の訓練や自主練で、すっかりくったりとした半長靴が視界に入って。それに励まされる気持ちで、おそるおそる──早口になりながらも、心に澱んでいる不安を形にする。
「もちろん、適性検査が厳しいのは分かってますし。落ちる人がいるっていうことも聞いてるんですけど……あの、志鷹三曹と話していて。女子は元々二人しかいないから、どっちかが落ちたら、バディ組めなくなって大変だって……」
「うーん……まぁ、確かに男と女性とじゃ体格も全然違うからなぁ。バディ組むとなると、大変っすよね」
そんな言葉に、ちらっと自分の腕と糸川三曹の腕とを比べようとしたけれど、戦闘服の上からじゃそんなによく分からない。
「一応、みんな部隊内の基準をクリアして、ここに来られたわけじゃないですか。だから、適性検査でそんなに変わるものなのかなぁって」
「まぁ……求められる基準は上がるかもしんないっすね」
なんてことないように、糸川三曹が頷きながら言う。その優しげな目が、ほんの少し細められて──一瞬、志鷹三曹と同じ色をして見えた。
「自分が二年前に受けたときは、適性検査で、参加予定だった三十人のうち十人がふるい落とされましたし」
三十人のうちの、十人。
部隊で選りすぐられたはずの、学生たち。そのうちの三分の一が、ここまで来て入校前に帰還させられている。
「で──も、やるしかないですもんね! ここまで、来たんですから」
かごを持っているのとは反対の手で拳を作るあたしに、糸川三曹は「ははっ」と笑った。
「そうですね。ようやく、ここに戻って来られたんだから……死のうがなんだろうが、進むしかないんです」
あくまで笑顔で。でも、その言葉に込められたものは、たぶん、あたしなんかが不用意に受けるには、重いもので。
そんな重たさなんてなかったかのように、糸川三曹は軽く微笑んでみせると、「買うのは、とりあえずこんなもんですかね」と歩き出した。
──かごの中に入った、ちっぽけなスプーン。それが、急に重みを増したような気がして、あたしはかごを引きずるような心地で歩き出した。