かの『お友達大作戦』からあっという間に月日は流れ、気が付けば半年も経っていた。初めは王子の頭の良さや甘い美貌に翻弄されていたが、半年も経てば慣れが出るようで、今では緊張することなく会話ができるまで成長した。
ここまで仲良くなれたのは、あの日思いきって『お友達大作戦』を決行したからだし、想像するよりずっと王子が甘えん坊だったためである。前世の弟の幼い頃を思い出して心がほっこりしたのはここだけの秘密だ。
王子と仲良くなれた今、次の段階に進む時が来た。ずっと気になっていた、王子の側近についてである。
ダークブルーの髪に赤黒い瞳を持つ眼鏡の美少年。名はシュヴァルツ・リーツィオ。王子とはまた違った美貌の人物で、無表情で寡黙な彼は王子の唯一の側近である。いつも影のように王子に寄り添い、必要以上に私たちに接触してくることはなく、その存在は謎に包まれている。
忍者かと思うくらい気配を消すことが上手くて、時々彼の存在を忘れてしまうほどだ。主である王子と話しているところすら見たことがないので、私は密かに彼を警戒していた。もしかしたら、王太子の命令で王子を見張っているのかもしれない、というのが私の予想。
王宮では王子と仲良くなると王太子の妨害が入ると聞くから、王子とシュヴァルツの不仲は可能性として一番ありそうだった。
「ベル? ぼーっとしてどうしたの?」
考えごとに夢中になっていたせいか、王子が顔を覗き込んだのに反応が遅れた。驚いて身を引くと、王子は不満そうに頰を膨らませる。
「俺と一緒にいるんだから、ちゃんと俺を見てよ」
「すみません、実は昨日よく眠れていなくて……」
咄嗟に出た言い訳に、王子はきょとんとしてから心配そうに眉尻を下げた。
「大丈夫? 具合悪いの?」
「大丈夫です。寝つきが悪かっただけですから」
「ならいいけど……」
それ以上聞くことをやめた王子は手元のカードに視線を戻す。
王子がより楽しく遊べるように試行錯誤した結果、トランプを職人さんに作ってもらうことになった。硬いプラスチックのような素材に華やかな絵が踊るように描かれている。
トランプなんて一通り遊べば飽きてしまうと思っていたが、王子は我が家を訪れたら一回は必ずトランプをしたがった。「俺とベルだけのゲームだもんね」と嬉しそうに言った王子を無下にすることなんてできず、私はいつも負けて終わる。
今日も今日とて王道のババ抜きをしているが、私はここ最近、王子の側近をどう探ろうか悩んでいるため気持ちが入らない。もっと情報が欲しいと思ったところで、王子と目が合う。王子は不思議そうに首を傾げたが、私はひらめくものを感じた。
「あの、殿下。伺いたいことがあるのですが」
「え? なに、どうしたの?」
「殿下の、側近の方のことです」
「シュヴァルツのことかな。シュヴァルツがどうかした?」
どう切り出そうか思案したのは一瞬で、誤魔化しはやめようとすぐに王子をまっすぐ見つめた。
「その、あまり殿下とお話しにならないので、どんな方なのだろうと思って」
「まさか、シュヴァルツが気になってるの?」
「違います!」
険のある声色に驚いて慌てて否定した。
「ただ、主である殿下との関わりがあまりにも希薄な気がして……」
歯切れの悪い私を、王子はじっと見る。真顔でこちらを見るものだから、怒らせたかと冷や汗が滲んだ。
「……申し訳ありません、差し出がましいですよね」
言葉を間違えたかと謝ると、王子はふるふると首を横に振った。そして、私を安心させるかのように自然な仕草で私の頰に触れた。以前だったら委縮していたこの距離感も、半年経った今では違和感なく受け入れられる。
「なんで? シュヴァルツと上手くいっていないと思って、俺のこと心配してくれたんでしょ?」
ベルが俺のことを考えてくれたのが嬉しい、とはにかんだ王子に年相応の幼さを感じて、胸が切なくなった。シュヴァルツがどんな人物であろうと、私は王子の味方だ。
本格的にシュヴァルツの対策を始めようとひっそり心に決めた。
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天気の良い昼下がり、ニコニコと微笑みながらも目は全く笑っていない王子に、私はとんでもないミスを犯したのではないかと内心気が気じゃない。
ゆったりと頰杖をついた王子が目の前の少年を睨みつけた。
「どうしてここにシュヴァルツがいるのかなぁ?」
いつもであればこの空間にはいないはずの人物が、居心地悪そうに身じろぎする。私は慌てて身を乗り出し名乗り出た。
「あの、私が呼びました!」
小さく挙手すると王子は私を鋭く睨む。いつもは優しく微笑んでくれるその瞳に睨まれるなど心臓に悪すぎる。
威嚇するような刺々しい声色で、王子は私を問い詰めた。
「ここは俺とベルの秘密基地じゃなかったの?」
「そ、それはそうなのですが……」
「ベルティーア様、せっかくのお誘いですが私は遠慮しておきます」
いつもなら、いるはずのない人物──王子の側近であるシュヴァルツは感情の分からない無表情のまま、立ち上がった。ここに来て、初めて彼の声を聞いたかもしれない。
シュヴァルツを探るためにはどうしても彼の人となりを理解するしかないのだが、どう見ても聞いたところで素直に応じてくれそうな感じではない。
絆を深めるなら一緒に過ごすのが一番だという安直な考えのもと、こうしてシュヴァルツを招いたが、やはり強引すぎたかもしれない。
王子が席を外した一瞬の隙をついて外に控えていたシュヴァルツをダメ元で誘ってみたら、意外にもゲームに参加してくれることになったのだ。誘った手前、今さら追い出すことなどできないのだが……悪手だったと後悔するしかない。王子はシュヴァルツを見て不満を抑えきれないようで、口を尖らせて拗ねたようにそっぽを向く。
「別に、いなくなれって意味じゃないし」
「じゃあ、睨むのはやめてくれませんかね」
王子がぶっきらぼうにそう告げると、シュヴァルツは困ったように笑って肩を竦めた。側近であるにもかかわらずシュヴァルツは王子とかなり砕けた話し方をしている。思ったよりも仲が悪いわけではなさそうだ。
口も利きたくないレベルの仲の悪さを想像していただけに拍子抜けする。
もしかして、私が一人で勘違いして無駄な気を利かせているだけ……? なにそれ、めちゃくちゃ恥ずかしい。
視線を泳がせながらも、せっかくだしと気持ちを切り替えるように咳払いをする。
「ええっと、ここは王道のババ抜きで……」
「だいたい、ベルが悪いんだよ」
立ち去ろうとしたシュヴァルツを無理やり座らせた王子が、不機嫌そうに私を睨んだ。王子の怒りの矛先がいきなりこちらに向くので驚いて肩を揺らす。
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余計な世話を焼いた自覚があるだけに何も言い返すことができずしどろもどろだ。そんな私を見た王子は不機嫌オーラを隠しもせずにっこり笑った。笑顔で威圧するの、本当にやめてくれませんかね。怖いから。
「俺がこの場所を気に入ってるの、ベルは知ってるはずだよね? 俺とベルだけの秘密の場所だって言ったのはベルだよ。俺を裏切るの?」
「え、ここってお二人の愛の巣的なあれですか」
「そういう意味じゃありません」
シュヴァルツが大変な誤解をしているようなので、間髪入れずに私は口を挟んだ。
それに対して王子がますます機嫌を損ねる。
「あまり歓迎されていないようですし、私はいつもの場所で待機していますね」
そう言ったシュヴァルツは再び立ち上がって私たちに背を向けた。
私が誘ったため、はいそうですかと言うわけにもいかず、あわあわと戸惑った声を上げることしかできない。
助けを求めるように王子を見ると、微動だにしなかった金髪がふわりと揺れた。自分で蒔いた種のくせに最後は王子に頼るなど情けなさすぎる。
「シュヴァルツ」
シュヴァルツにとってやっぱり王子は主なわけで。王子が名前を呼べばピタリと歩くのを止めた。主の話に耳を傾けるようにくるりと体を反転させ王子と向き合う。
「俺たちの秘密基地を知ってしまったのは仕方のないことだ。お前の意思じゃないしな」
ちらりと王子に横目で見られて思わず縮こまった。
「それに俺はお前には怒っていない。俺は、ベルに、怒っているんだ」
私の軽率な態度が王子の癪に障ったようで、小さくなって項垂れる。そんなに怒る必要ある? と首を傾げたいところではあるけれど。言ったが最後、王子の機嫌が最底辺を行くのは目に見えている。
「私が、軽率でした。ごめんなさい」
「何が悪かったか分かってる?」
「ええっと……シュヴァルツ様に秘密基地を教えたことですかね?」
首を傾げながらそう答えるも、王子の機嫌は良くならない。
「……シュヴァルツ様って名前呼びなのもむかつく」
機嫌の直らない王子を困った顔で見つめていたら、王子がふと目をそらして下を向く。綺麗な髪を軽く搔きながら机に伏した。
「ごめん……シュヴァルツもベルも悪くない。俺が勝手に嫉妬してるだけ」
小さな声で、本当にか細い声で王子が言った。
嫉妬? え、嫉妬してるの?
王子は言いにくそうにこちらを窺いながらそっと呟いた。
「だってベルは……俺の、親友、なんだろ……?」
そう言って赤くなった顔を隠すように自分の腕に埋めた。王子の言葉は少し遠くにいたシュヴァルツにもばっちり聞こえていたようで、眼鏡の奥の瞳が驚愕の色を浮かべている。
「ディラン様、一体なにがあったんです? 貴方らしくもない」
「っ、うるさいなあ」
王子は顔を赤くしたまま悪態をつく。私はもうなんかいろいろとたまらなくなって、思い切り机から身を乗り出し大声で宣言した。自分の勘違いなんか頭の中からはすっとんでいて、王子が可愛いとしか思わなかった。
「そうですよね! 私たち、親友、ですからね!」
私が思い切り微笑むと、王子は照れくさそうにそっぽを向きながらも小さく頷いた。
そんな私たちのやり取りを傍観していたシュヴァルツは、無言で椅子に座った。
「……では、ディラン様の寛大なお心に甘えて、今日だけご一緒させてもらいます」
無表情のまま、シュヴァルツは王子を見る。
「ディラン様、ご安心ください、明日にはお二人の愛の巣に戻っていますから大丈夫です」
「愛の巣じゃありません!」
即答した私を無視して今度は王子が口を開く。
「へぇ、愛の巣か。いいこと言うね。ねぇベルはどんな家が欲しい? 俺はゆったりしたところでベルと住みたいなぁ」
いつもの調子を取り戻した王子にほっとしながらも、頰杖をつきながらうっとりと笑う様子にただならないものを感じて内心身震いした。目が、なんか目が怖い。
「私たちは親友なのでは?」
「うん。親友であり婚約者でしょ? 好きな人と一緒に暮らせる俺は本当に幸運だよね」
王子の言う「好き」に、友愛の意味しか含まれていないことはわかっている。
ヒロインが現れるまでの代役としては大変満足な解答だけれど、婚約やら結婚やらの話は恋愛的な意味で好きな人とするものだと思っていたので、まるで当然のことのように語る王子に少々違和感があった。
「あ、クリルヴェル領はどうですか? 王都の外れですが、自然が豊かでいいところですよ」
「うーん、確かにあそこはいいところだけど王都から遠いしね。仕事できないよ」
「あの、そろそろトランプしませんか?」
未来という私にとっては不確定すぎる話題を振り切るように会話を遮ると、二人の視線が私に向けられた。
「ベルはどこがいい?」
「まだ先の話ですから、よく分かりませんよ」
そっか残念、と微笑んだ王子は、だが食い下がるように言葉を重ねた。
「でもいつか一緒に住むことになるんだから、考えておくんだよ?」
「はい。分かりました」
「ベルは俺と結婚するんだから」
「本当に好きになった方と結婚された方がよろしいのでは?」
思わずそう訊いてみれば、王子は驚いたように目を見開いた。
「俺はベルのことが好きだよ?」
「いや、そうではなく……」
「無駄ですよ。ディラン様は愛だとか恋だとかそういう感情を理解できないですし、そもそも貴族の婚姻に純愛など求められていません。考えるだけ無駄というものです」
シュヴァルツは興味なさげに机の上に放置されたトランプをいじりながら口を開いた。その表情が若干暗く見えるのは気のせいだろうか。
シュヴァルツとは対照的に王子は不自然なほど笑みを崩さず、シュヴァルツの言葉を否定も肯定もしなかった。
これ以上この話を掘り下げる必要もないので、私はようやくといった面持ちでトランプを手に取った。