1章 箱庭④
翌日。いつもより早い時間に起きてザッと勢いよくカーテンを開ける。本当は侍女の仕事だけど今日は自分でしたかった。
大きな窓の外にはキラキラ輝く朝日と
「天も私に味方しているのね」
雨が降っていたら今日の作戦は実行できないことになる。私は決めたら
気合いを入れるためにもドレスを入念に選んだ。クローゼットに所狭しと並べられている色とりどりのドレスを順番に見る。
これからの作戦も考えて、簡素なドレスを選んだら侍女たちに
渋々着せ替えてくれた時は勝ちを確信したが、いつも以上に
そんな
三回深呼吸をして、
しばらくは大人しく待っていたけれど、
もしも、ここで王子に嫌われたら、二度目のチャンスはない。ここに来る回数も少なくなる。そりゃ、嫌いな相手と好き好んで一緒にいたいとは思わないだろうし。
そこまで考えて、ん? と首を傾げた。
待てよ、もし王子が家へ来なくなった場合、彼は王宮にいることになる。でも王宮には兄がいるし、婚約者も嫌いで……となったら
頑張れベルティーア、当たって
砕けたくはないけれど、と心の
自分を必死に
ドアの開く音が聞こえて、黒い
「どうしたの、ベル。お出迎えなんて珍しいね」
顔を上げると
「はい。今日は我が家の庭を案内させていただこうかと思いまして」
「庭を?」
「ええ」
にっこりと、王子を見習って意図を悟られないように笑う。多分できてる。一瞬王子が不可解そうに
しかしそれは本当に一瞬で、またすぐに笑顔に戻る。
「そっか、だから待っていてくれたんだね。ありがとう。じゃあ
「……こちらです」
私ができる
王子は思いのほか
脳内でゴングの音が
庭案内は今のところ順調で、王子はなにも言わずについてきてくれる。花の種類を一つ一つ説明すると、この花は春になると赤い花を
花を見て、立ち止まることはあってもほんの数秒だけ。これでは思ったよりも早く案内が終わってしまう。
「殿下、あの……楽しくありませんか?」
「そんなことないよ? ほら、この薔薇だってこんなに綺麗。よく手入れされているね」
そう言ってまた薔薇に視線を戻した。
ああ、どうする。このままでは現状が変わりそうにない。彼も警戒したままだ。ここはやはり一発
思案していると、王子がある場所に足を向けた。
「ま、待ってください! そこは……!」
「あっちはだめなの?」
「だ、だめです!」
「へぇ……そう言われると
いつものように優しく微笑んでいるはずなのになんか変な
微笑みを
「殿下、お願いがあるのですが」
「え? お願い?」
「私と、友達になってくれませんか?」
私は怯むことなく続ける。
「私、
「どうして僕と仲良くなろうなんて思ったの?」
今度は笑顔を一転させて真顔で問う。いつもの
まさか真顔になるなんて予想もしていなくて
「俺の過去を聞いて
怖いけど大丈夫。
大丈夫、大丈夫と心中で呟きながら私は王子の一挙一動を
「同情なら、いらない。馬鹿にするな」
「馬鹿になんかしていません!」
思わず言い返してしまったが、王子が反論しないのをいいことに構わず続けた。
「ましてや同情でもありません。私が殿下に同情できるような立場でないことはちゃんと分かっています」
今度は私が睨みつけるように彼を見つめる。
「すべて、自分のためなんです」
用意していた言葉を頭から引っ張り出した。
同情なんかじゃない、と分かってもらうために、自分を引き合いに出す。しかし、王子は
「ああ、知ってるよ。君みたいな、
微笑んで皮肉を
弟でもこの時期はまだ素直だったのに。思っていたよりも根が深かった。これを攻略するヒロイン、
私が委縮して黙っていると、彼はハッとして唇を嚙む仕草を見せた。
どうやら、言いすぎたことは自覚しているようだ。
このまま仮面笑顔でスルーされてたら私の心が折れる。
そこで私は、もう一度背筋を伸ばして
「私も正直に言います。私は、殿下と仲良くなることに下心がないわけではありません」
そう言うと、王子の
「私には、友達というものがおりません。パーティーにも出席したことがないので当たり前かもしれませんが。兄弟もいないのでいつも一人なのです」
一人、と言うと王子が少し顔を上げた。
「一人でできることと言えば、本を読むとかお勉強をするとかですけれど、さすがに一日中ずっとでは面白くありません。それにあと二、三年もすれば
「……そうだね」
完全に顔を上げた王子がそこで申し訳なさそうに顔をしかめる。
私が一つ違いの王子と同じ十歳になった頃には、きっとたくさんの家庭教師と教材の山に囲まれていることだろう。仮にも王族に嫁ぐのだから仕方のないことではあるが、
前世の大学受験の勉強
「そこで私は考えました。どうしたら今のうちに楽しめるだろうと。どうせなら二、三年後にできないようなことがしたいのです」
「例えば?」
「えぇっと、
「かくれんぼ?」
鬼ごっこと言いそうになって慌てて言い直した。庭で走り回って王子が
「庭とか、家の中とかで、一人が隠れてもう一人が探すゲームです」
「あぁ、なるほど。二人じゃないとできないんだね」
王子は納得したように笑う。
「そうならそうと言ってくれれば良かったのに。ベルが王子妃の教育を受けなければならないのは僕のせいなんだから、言ってくれればいくらでも付き合うよ」
いつもの調子に戻ったらしい王子はにっこり微笑んだ。
違う。私が言いたいのはそういうことじゃない。王子とある程度親しくならないと意味がないのだ。ただ相手に合わせるだけの遊びなんて楽しいわけがない。王子が時間を忘れるほど楽しくならないと、寂しさから気を紛らわすことなんて無理だ。
「私たちが仲良くならないと意味がないんです!」
「え? どうして?」
「だ、だって殿下にはやっぱり気を使いますし、殿下だって私にお心を開いてくれているわけではないでしょう? 私たちはもっとお互いを知った方がいいと思ったんです」
ちらりと王子を見ると、彼は大きな目をさらに大きく見開いて固まっていた。何か
「あの、生意気言って申し訳な……」
「ふ、ははは!」
突然笑い出した王子を驚いて見る。
目に涙を浮かべて、見たことがないほど
「いやぁ、ごめんごめん。ベルがあまりにも必死だからおかしくておかしくて」
「なっ!」
馬鹿にされたような気がして思わず顔を赤くして声を上げた。そりゃあ、必死に決まってるでしょう! 王子がこんなに
恥ずかしさから顔を赤くした私を王子がさらに笑った。
「いいよ。友達……だっけ? でも、結局ベルは俺と仲良くなりたいんだよね? なら別に〝友達〟にこだわらなくてもいいじゃない。もう婚約してるんだし、なんでそんなに
鋭すぎませんか。
黙り込んだ私を見て王子は
「でも、まさかベルがこんなに俺のことを考えてくれてるとは思わなかったなぁ」
初めて王子が嬉しそうに笑った。
「ベルとなら上手くやっていけそうだよ」
……大成功とは言えないけれど、前よりは仲良くなれたかもしれない。これを期に、もっと仲良くなれたらいいな。