監禁5日目

 今日も少女をデッサンする。

 なんだか、彼女を描くのが日課になってきている。

 この部屋には液タブしかないし、少女のご機嫌を取るためには仕方ない。

 それは分かってる。

 でも……。

(こんなことをしてていいのだろうか)

 漠然とした焦燥感がある。

 担当編集からネームの締め切りはいつでもいいと言われてしまったけど、他にも何かやらなきゃいけないことがあった気が……。

 調度品の新調――は、今はいいか。

 ゴミ出しとか、ご近所への挨拶とかは、今考えてもどうしようもない。

 ああ、免許証の住所変更をしなくちゃ、水道、電気料金は引き落としにしたっけ。

 後は――

「あっ! そうだ! 今日、家賃を振り込む日だ!」

 思わず膝を叩く。

「大丈夫。それなら私たちの口座から振り込んでおいたから」

 少女は一瞬驚いたように目を見開いた後、こともなげにそう言った。

「私たちの口座?」

「これ」

 少女はシャツの裾をペロっとめくる。

 おへその下に、黒いウエストポーチが巻かれている。

 海外旅行する時とかに貴重品を入れとくようなやつだ。

 そこからひょいっと取り出された三冊の銀行通帳。

 いずれも見覚えがある。

 これで洗濯機の代金の出所が分かった。

「そ、そうなんだ。よかった。まあ、私たちのっていうか、俺のだけど……」

「違う。『私たちの』。私の分は、ちゃんと自分で出してる。家賃も生活費も折半」

 少女は強めの口調でそう訂正し、通帳をめくってこちらへ見せつけてくる。

 確かに、通帳には覚えのない入金があった。

 出版社からの印税の振り込みならば会社名が印字されるはずだが、その入金記録にはない。

 つまり、彼女が俺の通帳を使って、自分で入金したのだろう。

 結構な額だ。

 少なくとも、女子高生のお小遣いで済まされる金額ではない。

 一体彼女は何者なんだ。

 一つの謎が解けたと思ったら、別の謎が深まってしまった。

「そうなんだ……。……。……。えっ、っていうか、たとえそうだとしても、なんで家賃を振り込めたんだ? 入金はともかく、家賃の振り込みには暗証番号がいるだろ!?」

 一瞬そのまま流しかけて、俺は当然の疑問にぶち当たる。

「はぁ。今時、誕生日を暗証番号にしている人が存在するなんて」

 少女は呆れたような溜息をつき、手持無沙汰に通帳をパラパラとめくる。

「うっ」

 胸を押さえる。

「しかも、SNSに堂々と生年月日を公開しているとか……」

 ジト目で容赦なく追い打ちをかけてきた。

「ああっ! そういうことか!」

 床に倒れ伏した。

 自分の不用心さに嫌気がさす。

 こんなガバガバセキュリティでは、彼女に家賃を振り込まれてしまっても当然だ。

 だが、今の俺に、暗証番号を再設定する手段はない。

 こうなったら、開き直ろう。

(なんだか、彼女に養ってもらっているみたいで気が引けてたけど、俺の通帳からお金を出すなら、彼女に遠慮する理由もないよな。彼女は折半とか言ってたけど、お金に色はないし、後で彼女からの入金分を返金するだけだ)

「あの、欲しいものがあるんだけど」

 意を決して口を開く。

「なに?」

「その、タバコとか」

「ダメ」

 彼女はにべもなく即却下した。

「じゃあ、お酒も?」

「ダメ」

 また即答。

「なら、せめて、ガムとか、グミとか、チョコとか。なんでもいいんだけど、俺、口寂しいと作業に集中できないタイプだから」

「……分かった」

 彼女は渋々といった様子で頷く。

 そして、ポケットから取り出したスマホに、指を滑らせた。

 ネット通販のサイトでも見ているのだろうか。

「あ、もちろん、個人的な嗜好品だから、費用は全部俺持ちで」

「それはダメ」

 スマホから目をそらすことなく言う。

 また拒否された。

(まあ、でも、彼女がお金目的で俺を監禁している訳ではないと分かったのは、間違いなく収穫だよな)

 もし金銭目的なら、通帳の暗証番号が分かっている以上、俺を監禁する理由はない。

 いつかニュースで、人をマインドコントロールして奴隷的な労働に従事させて搾取する犯人の事例を見たことがあるけど、彼女がこんなに折半したがる所を見ると、どうやらその可能性も薄そうだ。

 しかし、それはそれで、『なぜ俺を監禁するのか』という疑問は深まるのだが。

「注文完了」

 少女はそう呟くと、スマホから顔を上げた。

「そうか。楽しみだ」

 頷いて微笑む。

「……私はあなたの頼みを聞いた」

 少女はスマホを脇に置き、厳かにそう切り出してきた。

「うん」

「だから、あなたも私の頼みを聞く義務がある」

「頼みって?」

 ごくりと唾を飲み込む。

 一体どんな要求をされてしまうのか。

「……」

 少女は無言のまま、おもむろにハイソックスを脱ぎ捨てた。

 露わになった素足に、一瞬ドキっとしてしまう。

 別に卑猥なものでもなんでもないのに。

「ま、まさか、指を舐めろとか言わないよな」

 冗談めかして言う。

 Mモノの漫画にはありがちな展開だが、俺にはそのケはない。

「――アホ?」

 少女がちょっと身体を引く。

「いや。でも、アホな発言だった。それで?」

「フットネイル」

 少女が自身の足の爪を指さす。

「えっと、ネイルアートを描けってことか? 俺が?」

「そう。あなたのキャラを」

 頷く。

「お菓子の代償がネイルアートなのか?」

「テンションが上がるという意味では同じ」

「なるほど……。でも、俺、ネイルアートなんて描いたことないんだけど」

「……」

 少女が包丁に手を伸ばす。

「ちょっと待て! 嫌とかじゃなくて、ネイルアートなんか描いたことないから躊躇しただけだ。挑戦してもいいが、失敗しても怒るなよ?」

 そう釘を刺しておく。

 初挑戦の技術でミスってブチキレられても困るし。

「問題ない。ネイルチップだから」

「ネイルチップ?」

「つけ爪」

 少女はそう言い残し、一回部屋の外に出ると、半透明のアクリルの箱を持って戻ってきた。俺が昔、ミニ四駆のパーツとかを入れてた箱に似ている。

 彼女から軽くレクチャーを受けたあと、胡坐を掻き、上半身をかがめて、彼女の足とにらめっこする。

 よく手入れされた爪が、水晶のように輝いていた。

 その上から、つけ爪を装着する。

 水彩画に使うような絵筆を手に取り、ポリッシュを使って彩色を始めた。

 少女は俺の頭上で包丁を振り上げ、じっとその様子を見守っている。

 まるで、薄氷を踏んだアルゼンチノサウルスのように落ち着かない。

(緻密なものより、デフォルメした頭身が低いやつの方が描きやすそうだな)

 屈辱的ではあるが、作業自体は意外と楽しい。

 ネイルサロンを開きたい女子が多い理由がちょっと分かった気がする。

「……」

「……」

 一言も発さず、ひたすら指先に神経を集中する。

 傷一つない綺麗な足だ。

 足首も指も折れそうなほど細い。

(よく考えたら、女子高生の素足って、かなりレアじゃね?)

 巷でも、夏になれば透けブラ程度なら拝めることもあるし、街にはスカートの短い女子高生が氾濫していて、太ももが見えるのも珍しいことではない。

 でも、剥き出しの素足はそれこそ海にでも行かない限り拝めないんじゃないか。

 そう考えると、なんかちょっと変な気分になってくる。

 ……。

 ……。

「やっぱり臭うな」

 無言で悶々とすることに耐えられなくなった俺は、ぽつりと呟いた。

「!?」

 少女が足を引く。

「いや、マニキュア臭いなってことだぞ」

 閉め切った空間でネイルアートをするのは身体によくないのではなかろうか。

「……っ!」

 少女がいきなり前蹴りを繰り出してきた。

 つけ爪が俺の額に刺さる。

「っ痛えな! さっきミスっても大丈夫って言っただろうが」

「別件」

 少女はふいっと顔を背けて呟いた。

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