経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。 その5

第一章(2)

    ◇


 その週が終わった日曜日、俺と月愛はA駅のファストフード店で勉強会をしていた。明日あしたからの学年末試験のためだ。

「…………」

 向かいで教科書をにらんでいる月愛をチラ見しつつ、俺はノートに目を落とす。

 関家さんに「ノロケ」と断罪された通り、俺は月愛の「マジムリ」を、それほど深刻に受け止めたわけではなかった。彼女なりに俺とのエッチのことを真剣に想像してくれた結果、恥ずかしさが爆発したのだと思えたし、実際そうなのだろう。

 しかし……。

「……何かわからない問題があるの?」

 目の前の彼女に尋ねてみると、月愛は一瞬こちらを見る。

「えっ!?」

 だが、すぐに視線をらす。その頰には赤みが差している。

「べ、別に……だいじょぶ、じゃ、ないけど」

「ないの?」

「でっ、でも、そんなこと言ったら、わかんないとこだらけだし……」

「俺にわかるところなら、ひとつずつ教えるよ。どこ?」

「えっ、いっ、いいってば……ほら、リュートも勉強してるのに悪いし!」

 月愛は赤くなってうろたえて、視線をキョロキョロさせている。

「でも、せっかく一緒に勉強してるんだから。どの問題?」

 俺は席を立って、向かいのベンチシートの、月愛の隣へ腰を下ろす。その拍子に、月愛の肘と俺の肘が、制服越しに軽く触れ合った。

「ひゃんっ!?」

 すると、月愛は電気でも流されたかのように身体からだごと腕を引き、赤い顔を俺に向ける。その顔つきは子鹿のように頼りなげで、瞳はほのかに潤んでいるように見える。

「びっくりしたぁ……いきなり来るんだもん」

「ご、ごめん……」

 思わず謝り、ちょっと離れて隣に座り直す。

 あの日……月愛が「マジムリ」と逃げ帰った日以来、ずっとこうだ。手をつなごうとすると「ひゃぁっ!」と照れて退いてしまうし、近くに寄っただけで真っ赤になってモジモジする。目もろくに合わせてもらえない。

 今までより、俺を「男」として意識してくれているのだと思えば悪くない気もするけど、どうしたらいいかわからなくて、正直ちょっと弱っている。

 こんな状態では、いつものように俺の部屋で、二人きりで勉強しようなどとは誘えなくて、久しぶりにこの店にやってきた。

 気まずさを取り繕うかのように、月愛がテーブルに手を伸ばした。さっき「ハンバーガーでおなかいっぱいになっちゃった」と残していたアップルパイを箱から出して食べ始める。

「……アップルパイも美味おいしいけど」

 少ししゃくしてから、彼女はつぶやいた。

「リュートのお母さんがいつも出してくれるケーキ、美味しかったな」

「ああ、『シャンドフルール』の」

 月愛がテスト勉強をしに来ると、うちの母は、よく近所のパティスリーのケーキを買って出してくれた。

「うちの近所の人、たぶんお客さんが来ると、みんなあの店のケーキ出すよ。フランスで修業したパティシエの店で、全国放送のテレビでも紹介されたんだよって自慢つきで」

「すごいよね、ほんと。リュートんち行くときに通るケーキ屋さんだよね。めっちゃオシャレなお店」

「そうそう。今回も月愛が来るなら奮発する、って張り切ってたけど……」

「…………」

 まずい。これでは「俺の家にテスト勉強しに来ないか?」と催促しているようなものだ。

 案の定、月愛は赤い顔をしてうつむいてしまった。せっかくいい感じに会話できてたのに、台無しだ。

 心の中でため息をつきながら、俺は教科書に目を落とす。

 しかし、こんな状態……一体いつまで続くんだろう?

 ──彼女の『マジムリ』は『恥ずかしい』なんだろ。だったら、彼女が恥ずかしくなくなるまで待つか、恥ずかしくなくなるようにしてやるしかないだろ、お前が。

 関家さんのアドバイスが、頭の中を駆け巡っている。

 月愛が恥ずかしくなくなるようにしてあげる……。

 俺だってそうしたい。そうしたいけど……それには一体、どうすれば?

 目の前の教科書に書いてある英文法の問題と違って、どこにも模範解答が載っていない分、俺にとってはそちらの方が難問だ。

 息苦しくなって、ふと顔を上げる。

 二月末の日曜午後のファストフード店は、見渡す限り満席に近い。テーブル席には必ず複数人が座っているし、カウンター席も、試験勉強中の生徒や、ノートパソコンを開いた人で、ほとんど埋まっている。ほどよくざわついた店内で耳を澄ませば、海外のポップスのようなBGMが低い音量で流れていた。

 少し視線を落とすと、隣の月愛の、スカートから伸びた白い太ももが目に入る。

「…………」

 思えば、付き合ってすぐの期末試験。初めてこの店に来て、二人でテスト勉強をしたとき、俺は勉強どころでなくドギマギしていた。憧れの「しらかわさん」と、彼氏彼女として肩を寄せ合って座って……ただそれだけで胸が高鳴り、彼女の匂いに心乱されて、れいな横顔をずっと見ていたくて……どうしようもなくときめいていた。

 考えてみたら、あの頃の俺は、今の月愛に似ていた気がする。相手の接近に動揺して、赤くなって、みっともなくキョドって……。

 近づきたいのに、緊張してしまって。

「…………」

 それなら、今の俺が取るべき行動は、あの頃の俺に対して月愛がしてくれたように振る舞うことなのではないだろうか?

 月愛は、いつも元気で明るかった。俺がどんなにキモくテンパっていても、気にせず積極的にコミュニケーションを取り続けてくれた。

 ──スキありっ!

 公園のボートの上では、そう言って初めてのキスをしてくれた。

 スキンシップのことで頭がいっぱいで、たぶんガチガチになっていたであろう俺の緊張を解いてくれた。

「…………」

 いや、さすがにこんなところでキスは無理だ。そんな開放的なノリは生まれ持っていない。

 でも、きっとそういうことなんだろう。

 俺が戸惑っていてはダメだ。自分から、コミュニケーションを取り続ける。……あくまでも、俺らしく。

 だって、あの頃の俺だって、本当は月愛と近づきたかったんだ。でも、女の子への耐性のなさや自信のなさのせいで、彼氏として自然に振る舞うことができなかった。

 今の月愛がどうしてこうなっているのかは、いまいちわからないけど、理由が「恥ずかしい」であるならば、俺のことをイヤになったわけではないはずだ。

 だったら、これで間違っていないはずだ。

「やっぱり、教えるよ」

 もう一度座り直して距離を詰めると、そんな俺に、月愛はまた一瞬身構える。

「え、いっ、いいって……!」

「俺がそうしたいんだ。この問題かな?」

 月愛が見ていた辺りの問いを指差すと、月愛は頰を赤らめながらうなずいた。

「えっと、穴埋めか……」


( )he( )( ) failed the test, she ( )( )( )happier.

 もし彼がテストに落ちていなかったら、彼女はもっと幸せだったのに。


「『もし』って単語があるから、最初のカッコに入るのはわかるよね?」

「ん〜〜『if』?」

「そうそう。だから、仮定法の範囲で習ったことを思い出して……」

 説明していると、月愛はふと眉を曇らせて、深く俯く。

「……月愛?」

 声をかけると、彼女はこちらを見た。

「あ……聞いてるから続けて」

「う、うん……。で、この文の『彼』は、実際には『テストに落ちた』んだよね?」

「……うん……」

「だから、これは過去の事実と反する仮定の文で、仮定法過去完了になるから……」

 やっぱり月愛の様子が変なので、俺は説明を止めた。

 そこで、月愛は顔を上げて俺を見る。

「リュート」

「うん?」

「関家さんって、もうどっか受かってるのかな? 知ってる?」

「えっ」

 そんなことをかれると思ってなかったので、一瞬めんらう。

「いや……俺はまだ聞いてないけど」

 月愛が眉根を寄せた気がして、急いで言葉を継ぐ。

「で、でも、あんなに毎日勉強してるんだから、きっとどこかは受かると思うよ」

 すると、月愛の顔が明るくなった。

「そうだよね!」

「う、うん」

「……なんか、この問題見てたら、ニコルのこと思い出して不安になっちゃって」

 ちょっと沈んだ顔でつぶやく月愛を見て、胸が熱くなった。

「月愛は友達おもいだね」

 俺の言葉に、月愛はちょっとこちらを見て、またすぐ目をらす。

 そんな彼女を、俺はじっと見つめて……口を開こうとする。

 さっき決めたことだから。月愛が恥ずかしがっていても、俺は積極的にコミュニケーションを取るって。

「……そういうところ……も、俺は……すごく、好き、だよ」

 よどみなくとはいかなかったが、なんとか言えた。

 ほっとして再び月愛を見ると、彼女は赤い顔をして俺を見つめていた。

「……!」

 だが、目が合うと逸らされ、もじもじした仕草で俯く。

 やはりこんなことではダメか……と思ったのだが、月愛は頰を赤らめたまま、チラチラ俺を見ていた。

 その表情は先ほどより緊張感が解けた様子で、喜色にいろどられている。

「……あのさ、リュート?」

 恥ずかしげだが、うれしそうに、月愛は口を開いた。

「ん?」

「テスト終わったら、ショッピング行かない?」

 久々に、ちゃんと視線を合わせて月愛が話してくれる。それが嬉しくて、食い気味に頷きかけ……頭の中にカレンダーを展開した。

「うん……修学旅行の前に、ってこと?」

 金曜日に学年末試験が終わると、テスト休みで、次の週の木曜日まで学校がない。金曜日に一日だけ、終業式兼テスト返却日があって、晴れて春休みとなる。

 俺たち二年生は、翌週の月曜日から修学旅行だ。上の代からこのスケジュールなので覚悟はしていたが、せっかくの春休みが潰れるのはもったいないと思ってしまう。

「そそ。テスト終わったらすぐ。日曜日はどーかな?」

「ああ」

 それなら……と頷こうとしたタイミングで、月愛が先を急ぐように口を開く。

「それでね、アカリも一緒なんだけど、いい?」

「えっ? い、いいけど……なんで?」

 予想外の名前に、俺は戸惑って言葉に詰まる。

「もともとアカリから買い物に誘われてたの。アカリって、スタイリスト目指してて服飾の専門に行こうとしてるんだけど、自分がPサイズだから買い物が難しくて、最近ちょっと進路迷ってるんだって」

「Pサイズ?」

「小さいサイズのこと。Sサイズは細身な体型のサイズだけど、丈は普通身長で作ってるでしょ? 背が低い子には、Sでも大きいの」

「そ、そうなんだ……」

「だから、平均身長のあたしに試着してもらいたいんだって。服をコーディネートする楽しさを感じて、夢を再確認したいからって」

「それはわかったけど、じゃあ、月愛とたにきたさんで行けばいいんじゃ? 荷物持ちくらいはできるかもしれないけど、俺が行ったって……」

 女子トークのお邪魔になるだけでは……というか、谷北さんと三人だなんて、正直気まずいし……と思っていると、月愛は周りをキョロキョロ見回す。何を確認したのかわからないけど、とりあえず安心した顔になって、そっと声をひそめて言った。

「あのね、それで実は、リュートには……くんを誘って欲しくて」

「イッチー?」

 またも予期せぬ名前が出てきて、俺は目を丸くする。

「それって、ダブルデート……ってこと? 谷北さんに言われたの?」

「なわけないじゃん! アカリにはサプライズ。でもあの子、あんなに伊地知くんのこと気になってるのに、一度フッちゃったせいで、本人に気持ち伝えられてないじゃん? ここで距離が縮まれば、修学旅行でいい感じになれたりしないかなぁって」

「ふぅむ……」

 俺はうなってしまった。谷北さんのあの感じで、果たしてKENのことしか頭にない今のイッチーとうまくいくのだろうか。

 不安しかないけど、さっき本人にも伝えた通り、月愛の友達想いなところは好ましく思っているので、協力できるものならしてあげたい。

「……わかった。誘ってみるよ」

 俺が頷くと、月愛の表情がさらに明るくなった。

「やったー!」

 軽く両手を上げて、俺から離れるように後ろにぴょんと腰を浮かせて跳ぶ。

「ありがと、リュート……って、わわっ!」

 どさっ、と床に物が落ちる音がして、月愛があせってそれを拾う。

 落ちたのは、俺のかばんだった。二人用の席なので、俺の荷物をベンチシートの方に置かせてもらっていたのが、今の拍子に月愛にぶつかって落下したみたいだ。

「ごめぇん……この穴って、今開いちゃった感じ?」

 月愛が、拾った俺の鞄を見て、底部をこちらに見せてくる。

 俺の鞄は布製のリュックサックで、キャンパス地というのか、わりと丈夫な素材でできていた。けれども、テキストの角がよく当たる底面の角はこすれやすく、一箇所とうとう完全に破れてしまっていた。

「あ、いや。年明けくらいからあった、その穴」

 頭をきつつ、俺は答える。

「まともな鞄、これしか持ってないから。冬休み、予備校のテキスト何冊も入れて毎日持ち歩いてたら、重すぎてボロくなってきちゃったんだよね。もっとちゃんとしたやつ買わなきゃと思ってるんだけど……」

 非オシャレ民にとって「服飾品を買う」というのはひたすら憂鬱でめんどくさいイベントなので、まだ持てるからいいやと後回しにしていた結果がこれだ。彼女に穴の開いた鞄を見られたのが恥ずかしいのと、引かれたか? という焦りとで、上手うまく説明できずに口籠もる。

「ふぅん……」

 月愛は、何か考え込んでいるような顔つきでつぶやく。

「ごめん、ダサいよね」

 俺の自虐に、月愛は軽く首を振った。

「ううん、全然。それだけ勉強道具いっぱい持って頑張ってるってことでしょ?」

「う、うんまあ……」

 身についているかはわからないけど、とりあえず重いテキストを持って家と予備校を往復していることは確かだ。

「……あたしも、少しはリュートを見習わないとな」

 そう言って微笑ほほえんだ月愛は、先ほどまでよりだいぶリラックスした表情になっている。俺の働きかけが功を奏したのかはさだかではないが、こうして少しずつでも前進していこうと思った。


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試し読みは以上です。


続きは2022年9月16日(金)発売

『経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。 その5』

でお楽しみください!

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