第2話 【案件】和泉ゆうな、新しい仕事をもらう
「あ、遊くん。ちょっと待っててね!」
結花はそう言って、着信音の鳴ってるスマホを手に取り、ソファから立ち上がった。
俺はリモコンを操作して、二人でのんびり観てた録画アニメを一時停止させる。
文化祭の翌日――那由は海外に、勇海は地元に、それぞれ戻っていった。
いるだけでトラブルを巻き起こす二人が帰ったら、部屋ががらんとしちゃったなぁ、なんて思っていた矢先の電話。
となると、当然……疑うべきは那由だ。
あいつはこういうタイミングで、間髪入れずいたずらを仕掛けてくる。
伊達に兄妹やってないからな。あいつの行動パターンなんて、お見通しだ。
ってことで――俺は結花の電話に、じっと聞き耳を立てる。
那由の発言を放っておいたら、十中八九、ろくなことにならないもんな。
「昨日はすみませんでした!! ……あ、はい! 文化祭は無事に終わりました、ありがとうございます!」
……違った。
ごめん、那由。
普段の素行が悪すぎて、完全に犯人だと思ってたわ。普段の素行が悪い方が悪いけど。
そんなわけで、那由の件は完全に冤罪だったけれど。
「えっと、らんむ先輩からも電話でちらっと聞きましたけど……新しい仕事……はい」
気になるフレーズが聞こえてきて、俺はピクッと反応してしまう。
『らんむ先輩』とか、『新しい仕事』とか。
これって、ひょっとして――ゆうなちゃん関係の電話?
大手企業が社運を賭けて展開しているソーシャルゲーム『ラブアイドルドリーム! アリスステージ☆』――通称『アリステ』。
俺が愛してやまない最高のゲームの、宇宙最強の推し・ゆうなちゃんに関する速報なんて……胸が高まってしまう。
だって俺は、ゆうなちゃんの一番のファン。
ファンレターを送った数では誰にも負けない――ペンネーム『恋する死神』だから。
「……え? わ、私が!? らんむ先輩と、ユニット……ですか!?」
「ユニット!?」
反射的に大きな声を出してしまい、俺は慌てて自分の口を手で塞いだ。
結花もおたおたしながら、自分の唇に手を当てて「しー」ってジェスチャーで注意してくる。
『――ん? ゆうな。ひょっとして、誰かいる?』
「い、いないです! ここに誰もいませんよ?」
『でも今、誰かの声が聞こえたような……』
「きゃーお化けーこわいー」
『……あ。ひょっとして、ゆうな。例の「弟」さんなんじゃ……』
――――プツッ。
結花が目にも留まらぬ早さで電話を切って、スマホをソファ目掛けて放り投げた。
「あ、危なかった……もう少しで、怪しまれるところだったよ……っ!」
「ご、ごめんね結花……でも、唐突に電話を切っちゃうのは、限りなく怪しい気が……」
「うー……そっか。自分で言うのもなぁって思うんだけどね? ほら、『アリラジ』で『弟』トークをしまくってるでしょ、私? だから久留実さん――マネージャーさんってば、すっごく私の家庭事情を気にしてるの!」
そりゃあ、あれだけしっちゃかめっちゃかなトークしてれば、そうもなるよ。
なんならマネージャーさんだけじゃなく、掘田でるとかも相当心配してると思う。
「そういうわけだからね? 申し訳ないんだけど……」
「分かってる。ちゃんと反省して……電話は気にしないし、もう声を出したりしないよ」
そもそも、この電話を聞くこと自体――ファンとして越権行為だしな。
俺は結花と、婚約関係にあるけれど。
あくまでも『恋する死神』は、
だから、気になるけど。
めっちゃくちゃ、どんな話が来てるのか、気になるけど!
――ここはおとなしくしてるのが、正しいんだと思う。
「……うー。そんな、しょんぼりした顔しないでよぉ」
「あ、ごめん……気にしないで。俺はちゃんと、我慢できるから。我慢するのが……俺の務めだって理解してるから」
「…………うーん」
しばらくアゴに手を当てて思案したかと思うと。
結花はソファに放り投げたスマホを、そっと拾い上げた。
そして結花は、再びRINE電話に出ると。
「あ、もしもし、久留実さん? すみません……ちょっとスピーカー設定にしてもいいですか? ちょっと昨日の文化祭で、手が疲れちゃって」
さっきまで普通に電話をしていたはずなのに。
そんなことを口走ったかと思うと、結花はスマホスタンドに自分のスマホを置いて、小さく舌を出して呟いた。
「ちょっと疲れたから、スピーカーにしたけど……たまたま、だからね? 別に遊くんがしょんぼりしてたから、聞こえるようにしたわけじゃないんだからね?」
ツンデレみたいなことを言って、はにかむように笑う結花。
――ありがとうね。
『建前』を使ってまで、俺に気を遣ってくれたことに……俺は本当に感激する。
絶対に静かにしてるから。
結花――打ち合わせ、頑張ってね。
◆
――そして、結花とマネージャーさんの打ち合わせがはじまった。
「もしもし? すみません、スピーカーに設定変えました! さっきは電話が切れちゃって、ごめんなさいでした!」
『いや。切れたっていうか、ゆうな……切らなかった?』
「いえ、そんな! 急にスマホが、すべて嫌になったみたいに再起動しました!!」
それ、故障だよ。
さすがは結花。言い訳があからさますぎて、怪しさしかない。
こんな分かりやすい言い訳、信じる大人なんているわけが――。
『そっか……ゆうな。早めに携帯ショップに行きなよ? 連絡が取れなくなったら、色々と大変だから』
「は、はい!」
信じちゃった。
さすがは、和泉ゆうなのマネージャー。
声色は大人の女性なのに、こんな明らかなフェイクに引っ掛かるとは。
こうでもなきゃ、天然な結花のマネージャーは務まらない……のかもしれない。
……ともかく、どうにか誤魔化したところで。
口を噤んでいる俺の前で、結花とマネージャーさんが会話を続ける。
「えっと……それで。さっき言ってた、らんむ先輩とのユニットの件なんですけど……」
『うん! 改めて――おめでとう、ゆうな! らんむとゆうなのユニットで、新曲を発表することが決まったよ!!』
パチパチパチと、スピーカーの向こうから拍手音が聞こえてくる。その熱量は、スピーカー越しにも伝わってくるほど。
結花はそんなマネージャーさんの対応に、照れたように頬を掻いて、「えへへっ……ありがとうございます」なんて小さく呟く。
『
「し、CD!? イ、インストアライブ!? しかも五地域……凄すぎて、どう反応したらいいのか分かんないです……」
結花が言葉を失ってるけど、その気持ちは痛いほど分かる。
だって一ファンでしかない俺ですら、一瞬――意識が飛んだもの。
嬉しすぎて、三途の川が見えたよ。
――ゆうなちゃんにはこれまで、専用の曲なんて存在しなかった。
急きょ出られなくなったキャストの代わりに、一度だけライブに参加して、みんなで『アリステ』のテーマソングを歌う機会はあったけど。それっきり。
ファンとしては残念だけど……同時に「仕方ない」とも思ってた。
百人近いアリスアイドルがいる『アリステ』内の人気投票で、ゆうなちゃんの最新順位は三十九位。
俺内ランキングではダントツの一位だけど――商業的に三十九位である以上、優遇されないのはやむをえないことだ。
そんなゆうなちゃんが、最新の人気投票六位――通称『六番目のアリス』らんむちゃんの声優・紫ノ宮らんむとユニットを組んでインストアライブとか……寝耳に水すぎる。
しかも五地域!
具体的な場所は分かんないけど、きっと地方遠征もあるんだろうな。
突然のVIP待遇。
こんな急展開……当の結花にしてみれば、びっくりしすぎて何も言えなくなるなんて、無理もない。
「えっと……らんむ先輩は『八人のアリス』に選ばれてますし、人気的に分かります。でも……どうして私が? ゆうなのランキングは、全然高くないのに……」
『あー……まぁ、そう思うよね』
結花が当然の疑問を口にすると、マネージャーさんが少し言い淀んだ。
それから、ちょっと間を置いて――言いにくそうに答えはじめる。
『ゆうな、何回かラジオに呼ばれてるでしょ? でるや、らんむがゲストの回に』
「あ、はい! 三回も呼んでもらえて、すっごく嬉しかったです!!」
『そのとき、どんな話をしたか……覚えてる?』
「え? 『アリステ』の話とか……あ、事務所トークしましたね! 掘田さんもらんむ先輩も、同じ事務所の所属ですから!!」
『……うん。確かにそうね。「60Pプロダクション」の所属同士だもんね。でも……思い出して? もーっと、頻繁に、ゆうながしてる話題が……あるよね?』
――ひょっとして、それって。
俺は物凄く嫌な予感を覚える。
「……まさかと思いますけど。『弟』のこと、言ってます?」
『……まさかと思うかもしれないけど、そうよ』
おそるおそる口にした結花の言葉に、マネージャーさんが即答する。
若干、ため息交じりな気がしたけど……多分、気のせいじゃないんだろうな。
『ゆうなは好き勝手喋るし、らんむは変な方向で切り込むし、放送事故ぎりぎりだーって、わたしは本当にお腹が痛くて仕方なかったんだけど! ……あのトーク、実はコアな人気を博してるの。「声優たちのやばいトーク」なんて、色んなところで取り上げられて』
「え、そうなんですか!?」
あー……確かに。
『アリステ』ファンの一部層に、ゆうなちゃん&らんむちゃんペアのラジオ放送って、めちゃくちゃ刺さってるんだよな。
まとめサイトにも取り上げられてたし、コメント欄は「ゆうなちゃん天然すぎて可愛い」とか、「らんむ様が喋ると空気が地獄すぎて草」とか、「掘田でるかわいそす」とか――めちゃくちゃ盛り上がって、なんなら軽くバズってたっけ。
当の『弟』本人としては、さすがに笑えなかったけど。
『そんな「アリラジ」の注目株である二人で、ユニットを組んでみよう――って、企画が打ち出されて。うちの事務所的には、若手二人を同時に売り出すこんなチャンス、断る理由がないし。だから――』
「はい! 私……精一杯、頑張りますっ! 頑張りたいです!!」
マネージャーさんの言葉を遮って、結花がはつらつとした声色で言った。
ソファの隣に座ってる結花の瞳には――めらめらと、やる気の炎が燃え上がってる。
そうだよな。結花にとって、これは千載一遇のチャンス。
気合いの入り方も……凄まじいものだろうね。
『うん。ゆうならしい反応で、安心したよ。らんむもね、あなたとのユニットを、本当に楽しみにしてたよ。らんむは前から、ゆうなのこと……すごく買ってるからね』
「え、らんむ先輩が――私を?」
マネージャーさんの発言で、結花の表情が花開くみたいに、ぱぁっと明るくなった。
憧れの先輩に褒められてるなんて知ったら、そうなるよな。
ユニットデビューも決まって、先輩にも褒められて、本気で嬉しそうにしてる結花を見てると……なんだか俺まで、ほっこりした気持ちになってきた。
一ファンなのに、電話を聞かせてもらった申し訳なさはあるけれど。
それ以上に――結花と嬉しさを共有できて良かったって思う、自分がいる。
よーし、それじゃあ今夜は、お祝いに高い肉でも買ってこようかな。
…………なんて、呑気なことを考えてると。
『ってわけで、「弟」トークがバズっての今回ではあるんだけどね。ごめん――マネージャー的には、その「弟」さんのこと、めちゃくちゃ心配してるの。だから、お願いゆうな。このプロジェクトがはじまる前に、一度……「弟」さんと、会わせてくれない?』
「……え?」
マネージャーさんの一言に、結花が固まる。
そして『弟』こと俺も――同じように、固まってしまう。
え、俺……マネージャーさんと会うことになるの?
なんていうか…………波乱の予感しか、しないんだけど。