トンネルを抜けると窓から見える景色は──とにかくもう白かった。何もかもが真っ白。
ハワード公爵家の本拠地は、今も昔も変わらず王国北方である。
冬季は全てが雪に埋もれている、と聞いてはいたけれど……それにしたって、王都と余りにも変わり過ぎませんかね? ここまでとは思わなかった。
寒いぞ、という教授の脅し、もとい忠告に従って冬用のコートは着てきたし、去年の誕生日プレゼントに腐れ縁から貰ったマフラーもしてきたけれど、全然足りない予感。
二重構造の耐寒用窓硝子と、温度調整魔法が発動しているにもかかわらず、それを貫いて冷気を感じる。
教授が手配してくれた一等車だからこそ、この程度で済んでいるのだろう。僕が何時も乗っている三等車だったら……考えたくない。旅自体は快適だったけれど、先が思いやられるなぁ。
餞別のお弁当は美味しかった。流石は教授。王都中の美味しいお店を食べ歩きしているだけの事はある。……釈然としないのは何故だろう?
汽車は、北部の中心都市に到着。懐中時計を確認すると定刻通りだ。荷物を持ってホームへ降車。
……ほんと良かった、遅れて夕方になったら、どうしようかと。
案の定、外はとてつもなく寒く、思わず身震い。雪が降ってないのと、除雪がしてあることだけは救いだ。何しろ屋根なんかないし。赤煉瓦が味わい深い駅舎を目指して歩を進める。
教授から渡されたメモを見ると、どうやら迎えが来てくれているらしい。
駅舎内に入り、きょろきょろと周囲を見渡していると声をかけられた。
「失礼。アレン様でしょうか?」
振り向くと、執事服姿の初老の紳士と──その足元に隠れるように薄蒼色のガウンを羽織っているメイド服姿の少女が立っていた。頭には純白のリボンを付けている。
こんな小さな子がメイド? 疑問を感じながらも、口を開く。
「はい。僕の名前はアレンですが」
「やはり。私、ハワード公爵に仕えます執事長のグラハムと申します。この子は──メイド見習いのエリー」
「エ、エリーです……」
そう言うと少女はすぐにまた隠れてしまう。男の人が苦手なのかな。可愛らしい女の子だ。薄く蒼みがかった白金の肩までの髪が、キラキラと輝いている。
グラハムさんが僕の疑問を他所に、さっさと鞄を手に取る。
「あ、大丈夫ですよ。僕が自分で持っていきますから」
「いえいえ。アレン様はティナ御嬢様の先生になられる御方。これも執事の仕事ですので。さ、参りましょう。車を用意してございます」
「そ、そうですか。ではお言葉に甘えます」
わざわざ車を回してくれたらしい。王都でも乗る機会は多くないのに。
魔法技術の一般化に伴い、今や多くの分野で機械化が進みつつある。とはいえ上流階級を中心に、まだまだ忌避する人もいる中、車を導入しているなんて。どうやら、ハワード家は新しい物を取り入れる事について積極的みたいだ。
歩きながらちょっとした会話。天候や、食べ物の話。雪はこれでもまだ降ってない方らしい。もう少ししたら、春先までは本格的な冬籠りなんだそうだ。
……これでか。
ちょっと気分が重くなる。寒いのは得意じゃない。何せここ数年、隣には常に『炎』で遊ぶ我が儘娘が……ああ、いけない。いけない。会話に集中しないと。
「それにしても、よく僕が分かりましたね。自分で言うのも何ですが、外見に特徴があるとは思えないのですが」
「当然でございます。見間違える方が難しいかと」
「どういう事ですか?」
「我が主、ワルター・ハワード様とアレン様の師である教授は長きに亘り親友の間柄なのです。あの御方は年に数度、此方に滞在なさるのですよ。そして、ここ数年お酒を飲まれますと決まって話されるのが」
「……なるほど。僕の恥ずかしい笑い話の数々、というわけですか」
「はい。当然、笑い話ではなく、自慢話でございますが。先程、お見掛けした時も一目で分かりました」
あの教授は何処まで話しているのか。四方八方である事ない事話のネタに使っているんじゃないだろうな。
ありえる。あの人ならば、十分にありえる。何しろ、人生を楽しむ事に関しては一切の妥協をしない人だし。
──今度、腐れ縁に手紙で報せておこう。
*
停車場に置かれていた車は、思った通りの高級車だった。ただし……グラハムさんが、僕の鞄をトランクへ入れ、ドアを開けてくれる。
「さ、お乗りください。少々狭いですので、テ──エリーはアレン様の膝上でも大丈夫でしょうか?」
「へっ? あ、いや、でも嫌がるでしょう? 今日会ったばかりの男の膝上に座るのはどうかと。詰めれば三人座れると思うのですが」
「い、嫌じゃありません……わ、私の事はお気遣いなく……」
ずっとここまで無言だったエリーさんが顔を上げ、僕を見た。
見つめ返すと、すぐにまた俯いてしまう。
……えーっと、凄く嫌そうなんだけど。てっきり四人乗りかと思ったのに、まさかの二人乗りですか。
「エリーもこう言っておりますので」
「はぁ」
「し、しつりぇい……失礼しますっ」
渋々、車の助手席に乗りこんだ僕の膝上にメイド少女が座ってくる。
軽っ。ちゃんと食事をしているのだろうか、と心配になる。年齢は十代前半だろう。近くで見るとまだまだ幼い。
間近で見たリボンには恐ろしく精緻な刺繡が施されていた。しかもこれ使われている糸が普通のそれじゃない。多分、白金糸かな。羽織っているガウンも上質。
だけど、肝心のメイド服自体が着慣れてないような。ちょっと大きいし。まるで、誰かから借りてきたような。
……この子、もしかして。
車のドアをグラハムさんが閉め、いざ発進。
寒い! ヒーターは動いているけど、寒気に負けている。
つけっぱなしで離れると故障の原因になるから仕方ないのだろう。車は新しい機械。改良余地がたくさんある。
膝上の少女も震えている。ガウンが薄すぎるよ。 もう少し暖かい恰好をしてほしい。慌てて外出した部屋着みたいだ。
首からマフラーを外し、少女の首にかけてやる。驚いた様子でこっちを見るけど、大丈夫、ちゃんと洗濯はしているし、暖かいからね。
運転しているグラハムさんへ確認。
「すいません。少し魔法を使ってもよろしいですか?」
「魔法でございますか? 危険な物でなければ構いませんが。炎魔法はご遠慮願います」
「ああ、大丈夫です。温度操作ですから」
「温度操作、でございますか?」
「驚くような魔法ではないと思いますが……ちょっとしたものですよ」
何をそんなに驚いているのだろう? 教授の研究室なら誰でも出来る魔法なのに。時折、やり過ぎて暴発させる子もいるけれど……加減を覚えてほしい。いきなり、研究室を灼熱地獄にしかけるとか、一種の拷問だし。
コツは、炎・水・風の三属性を少しずつ調整する事。注意しないといけないのは、一気に温度を上げようとすると、暴発しやすくなる点だ。
世間巷の魔法式だと、どうしても炎属性のみになりがちだけど、それでうまく出来るのは余程の熟達者だけだと思う。少なくとも、このやり方ならば魔力さえあればどうにか出来るしね。
乗って来た汽車内でも使われていたけど、あれもやっぱり一属性に固執し過ぎ。複合属性にすればもっと快適なのに。
車中がゆっくり、でも確実に暖まってゆく。うん。これなら耐えられるかな。
「聞きしに勝る、とはこの事でございますね」
「す、凄いです。こんな簡単に……」
グラハムさんとメイドさんが褒めてくれたけど、決して難しいことはしていない。みんな、やろうとしないだけ。
人心地ついたことで、窓から外の風景を見る余裕も生まれてくる。
今年はまだそこまで降っていない、という話だったけれど……故郷では雪そのものが降らず、ここ数年は王都・故郷・南方、とやっぱり雪に縁遠い場所を行き来していた身からすると、道路脇で小山状態の雪自体が驚きだ。きちんと除雪されているのも地味に凄い。ハワード家の治世の賜物なのだろう。
そう言えば──王都出発以来の疑問をグラハムさんへ尋ねる。
「一つお聞きしてもよろしいですか?」
「私に答えられる事でしたら何なりと」
「僕にとっては幸いでしたが、どうしてこの時期に家庭教師を雇われたのでしょうか? 王立学校の試験は来春。今まで教えられていた方がいたのでは?」
「おや? 教授からは何もお聞きにはなられていないのですか?」
「聞いていません。汽車のチケットと公爵家の所在地が書かれたメモ紙。そこに駅に迎えが来る、とあっただけです。使い魔はこちらへ先発させてはいるようですが」
「……一度、じっくりとお話ししないといけませんね」
「その時は是非、僕も──いえ、僕達、教え子一同も混ぜてください」
グラハムさんも被害者だったらしい。同志だ!
あの人はまったく……基本的には、教え子思いのいい人だと思うし、こと魔法に関していえば王国内でも間違いなく十指に入る凄い人なのだけれど、基本、言葉足らず。しかも半ば意図的に。これ以上、被害を拡大させない為に僕等は為すべき事を為すのみ!
少女がさっきからそわそわしている。
「ごめん。ちょっと暑くし過ぎたかな?」
「い、いえ、そんな事はない、です……」
ああ、また俯いてしまった。
初対面の男、しかも膝上に乗っているんだもんなぁ。そりゃ、緊張するよ……。
取りあえず、この事は誰にも話すまい。これ以上、笑い話を増やしても何の得にもならないし。
そうこうしている内に、公爵家の御屋敷が見えてきた。何度かリディヤの実家へ行ったけれども、同じ位大きい。
ただし、あちらの御屋敷が見事としか形容出来ない程に煌びやかだったのに対し、今、目の前に見えてきているのは外観に無駄な装飾はなく、無骨な感じだ。
ハワード家は、代々、北方を守護してきた武門の家系と聞いているけれど、何となく納得する。
守衛さんが正門を開けてくれて、そのまま中へ。屋敷の表玄関前に止められた。運転席から、グラハムさんが自然な動作で降り、此方側へ回り込んでドアを開けてくれた。カッコいい!
まず、少女に降りてもらい僕も続く。さて。
「長旅、お疲れ様でございました」
「いえ、ありがとうございました──公女殿下も申し訳ありませんでした」
「い、いえ、此方こそありがとう……へっ?」
笑顔で謝罪を口にすると、少女が目の前で固まっている。いやいや、気付かない程、鈍くないからね。
バレバレです。
「えっ? あのその、何時から気付いて……」
自称『エリー』があたふたしている。
この百面相は面白いな。映像宝珠、持ってきたっけ。
「駅舎でお会いした時からですね」
「ほぉ……」
「ど、どうして分かったんですか!?」
「羽織られている物が上質過ぎました。何より、メイドさんには見えませんでしたから。服のサイズも合っていませんでしたし、頭にホワイトブリムも付けていませんでした。慌てて誰かに借りたのかな? と。変装してまで僕の事を確認したい方は限定されます。何より──付けられている純白のリボンです。そんな見事な代物、僕は王都でも数える程しか知りません」
「流石でございます」
「うぅ……」
恥ずかしそうに目を伏せる公女殿下。
羞恥心に耐え切れなくなったのか、僕とグラハムさんを置いて屋敷内へ駆け込んで行った。あ、マフラー……。
「申し訳ありませんでした。御嬢様がどうしても付いて行くと言われましたので」
「いえ、自分がこれから教わる人を気にするのは自然ですよ。メイド服はどうかと思いますが。可愛かったですけどね」
「そうでございましょう。是非、その台詞を後で直接お伝え願います。お喜びになられますので。旦那様がお待ちかねです。どうぞ」
巨大で重厚な木製玄関をグラハムさんが指さす。さ、御仕事、頑張ろう。