公女殿下の家庭教師

公女殿下の家庭教師　謙虚チートな魔法授業をはじめます

プロローグ

「アレン……信じられないが、君は王宮魔（ま）法（ほう）士（し）の試験に落ちたようだ」

「はぁ、そうですか」

　朝から突（とつ）然（ぜん）、研究室に呼びつけられて何事かと思いましたが、その話ですか。

　……正直、反応に困る。

　筆記は自分でも感（かん）触（しよく）が良かったし、面接の受け答えも可もなく不可もなく。魔法の実技でも……うん、まぁ失敗はなかったと思う。

　だけど、結果は不合格。世の中厳しい。

　それよりも、何よりも。

「教授、何か仕事はありませんか？　お恥（は）ずかしい話、実家へ帰ろうにも先立つ物が。御（ご）存（ぞん）じの通り、来春の卒業までする事もありませんし。汽車も南方行きを押さえていたので」

「……またかね。しかも、故郷へ戻（もど）ろうと言うのかい？　君がその気になれば王都で仕事は幾（いく）らでも見つかると思うが」

「僕も少しだけそう思っていましたけど、世の中にはもっと凄（すご）い人達がいるようですので」

　試験後に腐（くさ）れ縁（えん）とした答え合わせは良かったんだけどな……十分、合格水準は超（こ）えていた筈（はず）。

　やっぱり、苦手な実技があの内容じゃ駄（だ）目（め）だったんだろう。上には上がいるものだなー。

「本当に残念だ。君とリディヤ嬢（じよう）はとても優（ゆう）秀（しゆう）な生徒だった。僕の長い教育者人生の中でも、間（ま）違（ちが）いなく五指に入る程の」

「ありがとうございます。あいつは当然受かったと思うので、今後とも助けてあげてください」

「勿（もち）論（ろん）だとも。さて、仕事の件だが──僕の旧友が偶（たま）々（たま）娘（むすめ）さんの家庭教師を探していてね。春までだが給金は良い。どうかね？　やってみないか」

「家庭教師ですか」

　王立学校、大学校と延々と教え続けてきた苦い記（き）憶（おく）が蘇（よみがえ）る。あいつ程の我（わ）が儘（まま）を言う存在はそうそういまい。

　……あ、大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）だな、これは。

「是（ぜ）非（ひ）、お願いします」

「おお、そうかね。なら、善は急げと言う。早速、連（れん）絡（らく）をしよう」

　教授は机の上に備え付けられている電話機へ手を伸（の）ばした。

　うん？　相手はまだまだ一（いつ）般（ぱん）家庭に普（ふ）及（きゆう）していない電話を持っている家なのか。

　……なんか嫌（いや）な予感が。

「教授。やっぱり」

「もしもし──僕だ。そうだ、例の件なんだがね。今なら、一人紹（しよう）介（かい）出来る。優秀かって？　前から話していたろう？　僕の三十年に及（およ）ぶ教師人生の中でも指折りの逸（いつ）材（ざい）だ！　──うん、そうか。分かった。では、細かい事は後で使（つか）い魔（ま）に託（たく）すよ」

　電話機を置き、僕へ満面の笑みを見せる教授。

　……この人がこういう顔をする時は、基本的に厄（やつ）介（かい）事だ。

「大（だい）歓（かん）迎（げい）とのことだよ。君の生徒はハワード公（こう）爵（しやく）家の御息女で、来春、王立学校への進学を目指されているティナ嬢。僕も何度か会っているけれど、それはそれは可愛（かわい）らしい子だ。良かったじゃないか。リディヤ嬢には当面、内（ない）緒（しよ）にしておくよ。君もその方がいいだろう？」

「……はめましたね？」

「はは、何の事かな？　とびきり優秀な教え子が田舎に引き籠（こも）って楽をしようとしている。そんな自分だけ楽をしよう──勿（もつ）体（たい）ない事を、担当教授として見過ごす訳にはいかないじゃないか。僕から君への愛の鞭（むち）さ」

「御（ご）冗（じよう）談（だん）を。謹（つつし）んでご遠（えん）慮（りよ）いたします。……栄達を望んではいないのですが。ここまでこられたのも奇（き）跡（せき）的だったんですから。僕はあいつに引っ張られただけなんですよ」

「そう素直に言えてしまうのが君の良い所であり、悪い所でもある。なに、君ならばすぐに王都へ舞（ま）い戻って来る事になるだろう。僕には分かる」

　そんな自信満々に言い切られても……。

　公女殿（でん）下（か）の家庭教師とは随（ずい）分（ぶん）と難易度が──高くもないのか。リディヤと同じなんだから、何時（いつ）も通りにしていれば良いのだろう、きっと。

　僕の祖国である王国には四人の公爵がいる。所謂（いわゆる）、四大公爵家だ。

　建国に当たり多大な功績を挙げ、東西南北それぞれに広大な領地を持つこれら公爵家は、各初代へ王族が嫁（とつ）いでいる関係と歴史的背景から、尊（そん）称（しよう）が他国と異なっている。

　例を挙げると、王国北方を守護しているハワード家当主のハワード公爵に付く尊称は『殿下』。普（ふ）通（つう）の国なら『閣下』だろう。で、その子息、子女に使われる尊称もまた特別に『公子殿下』『公女殿下』となるわけだ。

　何でも、本当は『公王』として封（ほう）ぜられる予定だったのを、各公爵が『畏（おそ）れ多い』と断り、王家も引き下がれず、妥（だ）協（きよう）案として残ったものらしい。未だに王位継（けい）承（しよう）権も裏では持っているという話だ。何（ど）処（こ）までが本当か怪（あや）しいけれど。紛（まぎ）らわしいなぁ。

　とにかく王都にいても何も起こらない。相手が誰（だれ）であろうと、どうにかしよう。

「分かりました。お請（う）けします」

「そうか。では、向かってくれ。場所はハワード公爵家。知っていると思うが、今の時季は王都よりも大分寒いぞ。気を付けたまえ」

「了（りよう）解（かい）です。教授、汽車代をお借り出来ると」

「これが今日午後発のチケットだ。一等車を取っておいた。……君、十二分以上に稼（かせ）いでいるだろうに。リディヤ嬢にも散々言われているだろう？　下宿代、それに妹さんの学費とお小（こ）遣（づか）い以外のほとんどを、御実家へ仕送りするのはいい加減止（や）めたまえ。少しは自分自身を労わるように。これは餞（せん）別（べつ）の昼食だ。とっておきのお店だ、美味（うま）いぞ」