閑話 真なる神と、《邪神》の諦観
――時は、僅かに遡る。
アルヴァート・エグゼクス、並びにライザー・ベルフェニックス。
結託した元・四天王、二人の手によって引き起こされた世界改変。
その渦中にて、アード・メテオール達が足掻く中。
《邪神》・メフィスト=ユー=フェゴールは独り、彼等の動向を観察し続けていた。
かつて地上世界を気ままに闊歩し、世に混沌をもたらしてきた怪物は今、古代における最終決戦での敗北を経て、ある山脈へと閉じ込められていた。
そこは《魔王》の手による永劫の牢獄であり、メフィストは果てなき苦痛を味わい続け、いずれその精神を崩壊させる……はずだったのだが。
「ライザー君も詰めが甘いなぁ~。魔力を封じたから終わりだなんて、ちょっとハニーのことを侮ってるよねぇ~」
石室に封じられたメフィストの顔に、苦悶など微塵もない。
おぞましき牢獄であるはずの空間はしかし、彼の手によってリフォームされ、住みよい空間へと変わり果てていた。
彼に苦痛を与え続けるため、ヴァルヴァトスが施した魔法の数々もまた、「なんか鬱陶しい」という軽い気持ちでことごとくが解除され……
「アハハハハハハ! シルフィーちゃんの大立ち回りは最高だなぁ! 下手なコメディーよりもずっと笑える! アハハハハハハハハハ!」
ソファの上に寝転がり、菓子など咀嚼しながら、遠望の魔法によって召喚された大鏡を見て笑う。その様はまるで、演劇鑑賞などの娯楽に興ずる中年女性のようだった。
「今回の一件も見応えあるねぇ。……ただ、満点をあげるにはまだ足りてないかな」
メフィストは思う。自分だったらもっと面白く出来るのに、と。
「はぁ。外に出て遊びたいなぁ」
叶わぬ夢を抱き、嘆息するメフィスト。
自身の拘束と嫌がらせを目的とした拷問魔法に関しては、容易に対処出来た。しかし最後の砦である封印の魔法だけは未だ、解除するための糸口すら掴めてない。
「いやぁ、本当、失敗したなぁ。こんなことなら保険を掛けておくべきだった」
言葉に反して、メフィストの声音は明るかった。
なぜなら彼は、自分のことを信じているからだ。
確かに、ここから出ることは不可能。それは叶わぬ夢。
しかし。自分を信じ、努力を積み重ねたなら、いつか必ず。
と、そのような楽観的思考に対し、次の瞬間――
「君の、望みは……間接的に、叶う……」
なんの前触れもなく、室内に第三者の声が響いた。
それを耳にすると同時に、メフィストは片目を眇めて一言。
「想定外、極まりないな」
彼の声音には動揺の色があった。
メフィストは大鏡から視線を外し、闖入者の姿を目にする。
白い衣服に身を包んだ、青い髪の少年。
彼はメフィストの発言を無視して、淡々と言葉を紡いでいく。
「近い、将来……ライザー・ベルフェニックスが、ここへ来る……君を、切り札として、利用するために……」
「ふぅん。君がそう言うのなら、きっとその通りになるのだろうね」
このメフィストという男を知る者からすれば、今、彼が見せている姿は意外な様相として映るだろう。
「それで……僕に、なんの用かな?」
緊張している。この《邪神》が、明らかに、緊張している。
当人からしてみれば、無理からぬことだった。
何せ相対しているのは本物の神であり……かつて自分を、孤独に陥れた存在なのだから。
「まさかまさか、僕に先々の情報を伝えに来たってだけじゃあないんだろ?」
相手方を睨むように目を細め、問い尋ねる。
これに対し白服の少年はひどく無機質な調子で受け応えた。
「ぼく達にとって……君は、特別な、人物……定められた結末を、唯一、変えた存在……そう、だからこそ……君に、選択権を、与えることに、した……」
「選択権?」
小さく頷いてから、少年は次の言葉を出した。
「先程述べた通り……近いうちに、ライザー・ベルフェニックスが……ここへ、やって来る……君は間接的に、自由の身となり……その後、紆余曲折あって……今回の一件は、終わりを、迎える…………物語は、そこまでだ」
少年の言葉がいかなる意味を持つのか。
それを把握したメフィストは、唖然とした顔で、絶句する。
一言も発しない彼に反し、白服の少年はさらなる言葉を紡いでいった。
「この一件、以降……ぼく達は、この世界を、観測しない……因果を、紡がない……新たな人物を、登場させることは、ない……」
メフィストはしばし無言のまま、相手方を睨むのみだったが。
「……皮肉なもんだね。他人に二者択一を迫ってきた僕が、最後の最後、より上位の存在に同じことをされて、苦しむだなんて。これぞまさに因果応報ってやつか」
微笑が口元に戻ってくる。
だがそれは、普段の超然としたものではない。
諦観に満ちたその表情は、どうしようもない現実に打ちのめされた、弱者のそれだった。
「ぼく達に、結末を一任するか……あるいは、君自身が、決着を付けるのか……行動で以て、答えてほしい……」
どうやら彼は、目的を果たし終えたらしい。口を閉じた途端、その姿を消失させた。
再び独りとなったメフィストは拳を握り締め、天井を見上げながら、
「元居た世界の、彼だったなら。あるいはハニー、君だったなら。諦めるだなんて選択は、決してしないのだろうね。……でも、僕は」
瞼を閉じて、思い返す。
とある世界の結末を。
己が生まれ育った、故郷の末期を。
「永遠に続くような遊びはない。玩具はいずれ、親に取り上げられて。嫌なことに向き合う瞬間が、必ずやって来る。それがまさに、今だ」
そしてメフィストは、結論へと至った。
「――――ハニー。せめて僕は、君を」