史上最強の大魔王、村人Aに転生する 9

第一〇五話 元・《魔王》様と、最後の戦い

 不意を打つような言葉に、こちらが未だ当惑を覚える中。

 けれどもメフィストは、勝手気ままに状況を進行させていく。

 黄金色の瞳に、これまでの遊戯とは違う何かを宿しながら。

「さて、今回のルールだけど。

 特別、難しいものじゃない。

 学園の敷地内に隠された僕の霊体を探し出し、それを破壊したなら君の勝ち。

 その時点で僕は死に至り、復活することもない。

 ただし――

 君の行く手を阻む障害が舞台には数多くが配置されている。

 それが何かは、言わずともわかるだろう?

 君の発言が真実であるのなら、きっと今回の勝負ゲームは君が勝つ。

 けれど、もしも僕が正しかったのなら」

 沈黙し、ニヤリと笑うメフィストを睨みながら、俺は口を開いた。

「何度でも言ってやる。皆と育んできた絆は本物だ」

「……結末が楽しみだよ。本当に」

 悪魔の声に宿りし感情は、いかなるものか。

 その答えを見出すよりも前に。

「じゃ、僕は観覧席に移動するから」

 応援してるよ、ハニー。

 奴はふざけた調子で笑い、そして、姿を消した。

「…………」

 静寂。

 学内には今、不気味な静けさが満ちていた。

「……何か、違和感がある」

 先刻、奴が発した最終決戦ラスト・ゲームという言葉。それをまだ、俺は噛み砕けずにいる。

 そこにどういった意味が含まれているのか、まるで読めない。

 最後の遊戯という言葉が、本気であるわけがないのだ。

 もしそうだったとしても、このタイミングでそれはないだろう。今、ラスト・ゲームを宣言するのは、あまりにも脈絡がなさ過ぎる。

 ゆえに何かしらの意図があるとは思うのだが……考えても、答えは出そうになかった。

 であれば、現状の解決に集中すべきか。

 まずは現在地の確認。

 ここは第二校舎の付近だ。南にしばらく進めば校門があり、東には第一校舎、西には運動場と剣王樹、北には学園寮が存在する。

 平常であれば、既に一限目が始まっているはずの時間。

 陽光を浴びながら、俺は独り呟いた。

「……妨害術式は、展開されていないようだが」

 身を隠し、特定の何かを探す。勝負の趣旨を端的に言えば、そういうことになる。

 であれば、探知の魔法と隠匿の魔法は、反則として捉えるべきだろう。何せそれらを用いれば、誰にも発見されることなく目標を発見出来るのだから。

 しかし、それらを発動出来ぬようにする妨害の術式が、展開されていない。

 これは、罠であると考えるべきか。

「……縮こまっていても仕方がない。ここは大胆に動こう」

 探知の魔法を用いた結果、メフィストの霊体は剣王樹の傍に配置されていることがわかった。

 このまま転移の魔法を用いれば、一瞬で移動出来るのだが……どうやらそれに対しては、妨害措置を取っているらしい。

 俺は隠匿の魔法で自らの姿を透明化し、誰にも認識出来ぬようにして、歩き始めた。

 周囲に人の気配はない。

 だが、しばらく歩いていると……静寂の中に、声が混ざり始めた。

 剣王樹への道すがら、運動場の傍まで足を運ぶ。

 そこには隣のクラスに在籍する生徒達が居て。

 新任の講師となったアルヴァートが、彼等の指導を行っていた。

「……進級するまでに、全員が初級魔法を無詠唱で発動出来るようにする。これは僕の課題であると同時に、僕から君達への命令だ」

「い、いや、それはさすがに……」

「は? 僕の考えに何か文句でも?」

「ひっ!? ご、ごごご、ごめんなさいっ!」

 気怠げな顔をしながら、アルヴァートは萎縮する生徒達の顔を見回し、一言。

「……出来ないと思うから駄目なんだよ。どいつもこいつも」

 かつて被り続けてきた狂気の仮面を脱ぎ捨て、本来の自分を曝け出しながら、生徒達に向き合う。それは奴にとっての誠意であると同時に、決意の証でもあるのだろう。

 先の一件を経て、アルヴァートは己を縛り続けてきた過去に決着を付けた。

 ゆえにこれからは前を向いて、未来へと進むのだと、奴は行動で示している。

 奴の過去と今に、俺は――


『改変出来てしまう情報に、意義なんかないんだよ』


 思いを馳せようとした、直前。

 脳内に悪魔の声が響き、そして。

 一人の女子がこちらを見る。

 ヴェロニカ。

 公爵家の令嬢であり、学園生活を送る中で、友誼の間柄となった者の一人。

 彼女は次の瞬間、目を見開いて……小さな悲鳴を、漏らした。

「ひぃ……!」

 喉が引きつったようなそれは、恐怖に満ちたもので。

 その声を耳にすると同時に、俺は自らの愚を悟った。

 隠匿の魔法を発動しているから、誰にもこちらの姿は認識出来ない。そんな考えが、そもそもの間違いだった。

 この勝負はメフィストにとって、俺の心を折るためのもの。

 であれば。

 霊体探しという過程と、それを達成するための工夫など、無為の極み。

 どのような行動も。どのような心理も。

 全てを否定し、お前の心を壊してやる、と。

 あえて隠匿の魔法を発動出来る環境にしたのは、そんなメッセージを伝えるためだったのだろう。

 それを証するかのように。

「バケモノ……!」

 ヴェロニカの口から、声が放たれた。

 俺を、俺として認識していない。

 それは彼女に限ったことではなく、ヴェロニカに倣うように、こちらを見た生徒達とアルヴァート、全員が同じ目をしていた。

 侮蔑。嫌悪。畏怖。殺意。

 悪感情の全てを凝縮したような視線を浴びると同時に。

 俺は、悪夢の世界へと誘われた。

「――――死ね」

 小さな呟きがヴェロニカの口から放たれ、そして。

 生徒全員が、魔法を発動する。

 業火。雷撃。風刃。岩塊。

 猛然と迫る属性攻撃の群れ。それらは皆の実力を遙かに超えたもので。

『無詠唱が出来ませ~ん、とか言ってたけどね。それ嘘だから』

『そこに居る子達全員、古代世界の戦士と同格レベルまで強化してあるんでね』

『気張って対応しないと、死んじゃうぜ?』

 殺到する攻撃を防壁の魔法によって防ぎながら、俺は唸り声を漏らした。

 相手が敵対者であれば、問題はない。

 転生後の我が身は村人じやくしやなれど、古代の一流どころを相手取っても負けることはないと。そのように自負している。

 だが……

 目前にて、こちらへ殺意を叩き付ける彼等は、決して敵ではない。

 ある者は友であり、ある者はこれから友になるやもしれぬ、そんな大切な生徒達だ。

 ゆえに反撃など、出来なかった。

 傷付けるという選択など、採れるはずがなかった。

『君、言ったよね?』

『俺達の絆は本物だって』

『育んできた関係性は、どんなことがあっても消えないって』

『ほら、証明するチャンスだよ、ハニー』

『僕に見せておくれよ、友情が成せる奇跡ってやつを』

 言われずともやってやる。

 脳内に響く悪魔の声へ舌打ちを返してから、俺は口を開いた。

「皆さん! おやめください! 私は――」

 叫ぶ最中、彼等が属性攻撃と共に、声を投げ付けてきた。

「死ね」

「死ね、バケモノ」

「ここから居なくなれ」

 憎悪に満ちた言葉。嫌悪に満ちた視線。

 それはもはや、人間に対して向けられるべきものではなかった。

 彼等の瞳には今、俺の姿が、おぞましい怪物として映っているのだろう。

 あの悪魔に、操られて。

『いいや、違うよハニー』

『操ってるんじゃなくて、改変したんだよ』

『同じようでいて、それらは別物だ』

『彼等の言葉は僕の手によって出されたものじゃない』

『彼等は今、本気で君を嫌悪している。本気で君を憎んでいる』

『……さて、今の彼等は、果たして君の友人達と同一人物であると言えるのかな?』 

 脳内に響く問いかけに、俺は歯がみすることしか出来なかった。

 同一人物でないというのなら、「全ての生命は改変出来るがゆえに、自分以外の存在全ては無機物も同然である」という、奴の思想を肯定することになる。

 よってここは、同一人物であるという返答以外、ありえないのだが。

「皆さん、私の話を――――」

 言葉が届かない。

 思いが届かない。

 激化する攻勢を、防壁で以て対処することしか、俺には出来なかった。

『解除の魔法でも試したら? 《固有魔法オリジナル》に頼るってのもいいかもねぇ』

 癪に障る言葉だった。

 いかなる術理を用いようとも、皆に仕掛けられたそれは解除出来ない。

 今の魔王メフィスト邪神には、埋め難いほど大きな差があった。

 ……しかし、もしも俺に全盛期の力があったとして、皆を魔法によって元通りに出来たとしても。

『いいね、そういうクレバーなところも大好きだよ、ハニー』

『君が考えている通りさ。この勝負は、力と力のぶつけ合いじゃあない』

『思想の試し合いだ』

『僕と君、両者以外の存在全てが、虚偽に過ぎないのか。それとも』

『共に過ごした時間、育んできた関係性、それらを本物とし、絆という概念が実在することを証明するのか』

『その決着は、奇跡で以て付けられるべきだ』

『解除の魔法が通じない状況で、皆の改変を無効化する』

『そんな奇跡を、君が知る全ての人達に起こすことで、やっと君の勝利が確定するのさ』

『だからこそ、断言しておくよ』

『これまでずっと、僕はハンデを与えてきた。君達を有利にする条件を常に作ってあげた』

『でも、今回は違う』

『今回だけは――僕が圧倒的に有利だよ、ハニー』

 攻勢が激化する。

 皆の殺意が、展開された防壁を削る。

 その有様はまるで、我が心を表しているかのようだった。

「くッ……!」

 呻くことしか出来ぬ自分と現状に、苛立ちが募る。

 そこに加えて――次の瞬間。

「消え去れ」

 冷然とした声と共に、漆黒の炎が襲来。

 これは、アルヴァートが放ったものだ。

 奴の異能によって生み出されたこの黒き炎は、接触した存在と概念を問答無用で滅ぼしてしまう。例外はない。我が身さえも、触れた時点で消滅が確定する。

 よって防御ではなく、回避を選択。

 俺は地面を蹴って、横へ跳んだ。

 刹那、我が身を守り続けてきた防壁が闇色の炎に呑まれ、瞬く間に滅却。

「早く殺してください、アルヴァート様! あのバケモノを!」

「あんなおぞましい姿、もう見たくない……!」

 侮蔑と嫌悪。生徒達が皆、そうした目でこちらを睨む一方で。

 アルヴァートは、普段と変わらぬ視線のまま。

「まだまだ序の口だ。

 追撃が、放たれる。

 四方八方から殺到せし必殺の力。

 それらを紙一重のタイミングで躱しながら、俺は叫んだ。

「アルヴァート様ッ! どうか正気を――」

「敵と会話するつもりは、ない」

 奴の瞳に宿る情念は、どこまでも冷たかった。

 肝が凍るような殺意。それは奴が漆黒の意思を抱いていることの証左であるが……

 しかし、それにしては。

 奴の動作、全てがぬるい。

 先程から、アルヴァートは黒炎を出すだけの単調な攻撃に終始している。そこがあまりにも不自然だ。本気でこちらを排除しようと考えているのなら、初手で切り札を出さないという選択はありえない。

 狂戦士の仮面を被っていた頃ならばまだしも、素の顔を見せている今、無駄に戦いを長引かせるようなことはしないはず……。

 ということは、まさか。

「アルヴァート様、貴方は――」

 疑惑を口にする最中。

 びゆうと、風が薙いだ。

 瞬間、肉体が勝手に反応し、真横へと跳躍。

 前後して、一振りの刃が、今し方まで立っていた場所を通過する。

 ……相手方の姿を見ずとも、その正体が何者であるか、俺には容易に理解出来た。

 風斬り音が太刀筋を伝え、それが乱入者の正体を知らしめてくる。

「オリヴィア、様」

 我が姉貴分が剣を構え、立つ。

 こちらへ鋭い敵意を放ちながら。

 その目が。その、顔が。

 俺の心を軋らせ、そして。

「私の……いや…………俺のことが、わからないのか」

 アード・メテオールの仮面など、被ってはいられなかった。

 それを脱ぎ捨て、弟分として言葉を紡ぐ。

 そうしたならきっと、わかってくれるはずだ。思い出してくれるはずだ。

 義姉弟俺達の絆は、何よりも――

『強いというのなら』

『そもそも、彼女は前世の君を孤独にはしなかったんじゃあないかな?』

 否定の言葉が、頭に響いた、そのとき。

 剣が閃いていた。

 目にも止まらぬ疾さ。回避出来たのは天佑でしかない。

 しかしその刃はこちらの頬を掠め……灼けるような痛みと共に、鮮血が流れ落ちた。

「オリ、ヴィア……」

 こちらの呆然に、彼女は何も返してはこなかった。

 その態度は紛れもなく、敵対者に向けてのそれであり――

『虚仮でしかないんだよ。義姉弟君達の絆なんて』

 悪魔の嘲弄を、否定すべきだと、理解している。

 だが、体は真逆の行動を取っていた。

 逃避である。

 なぜこんなことをしているのか、わからない。

 いや……わかりたくない。

 ほんの一瞬でも、諦観を抱いたという現実を、認めたくなかった。

「抜け道が……! 何か、抜け道がある、はずだ……!」

 揺れ動く心を落ち着かせるように、呟く。

 疾走しながら、俺は思考に没頭した。

 メフィスト=ユー=フェゴールの中に闘争という概念はない。

 奴にとって他の存在全ては玩具に過ぎず、ゆえに争うという考えを抱くこともなければ、勝ち負けにこだわることも皆無。

 そんな心理を持つがために、奴は常々、己の蒔け筋を必ず用意している。

 一見すると絶望的な状況であったとしても、確実に、抜け道が――

『いいや』

『そんなもの、今回は用意してないよ』

 頭の中に響いた声は、ひどく真剣なもので。

 だからこそ、俺は、瞠目せざるを得なかった。

『事前に告知したよね? 今回が最後だって』

最終決戦ラスト・ゲームと銘打ったのは、伊達や酔狂じゃないし、普段の気まぐれってわけでもない』

『過程を楽しむつもりはあるけれど、でも――』

『今回の遊戯ゲームだけは、絶対に僕が勝つよ、ハニー』

 言葉に宿る凄味は、本物だった。

 奴は本気で、俺を潰そうとしている。

 それを証するかのように。

「ッ!」

 横合いから、雷撃が飛来する。

 完璧な不意打ち。

 精神状態が平常であれば、脊髄反射で対応していただろう。

 だが、今の俺には望むべくもない。

 ダメージが肉体に刻まれる。

 臓腑が焼け爛れ、手足が麻痺し、立つこともままならない。

 けれども、体に負った損傷ならば、治癒の魔法でどうとでもなる。

 ――しかし。

 心に受けたダメージは、どうにもならなかった。

「エラルド、さん……!」

 校庭の只中に一人立つ少年。

 エラルド・スペンサー。

 俺にとっては数少ない同性の友人もまた、今やこちらに敵意を向けていた。

 その立ち姿と鋭い瞳に、心痛を覚える。

 だが、彼も奴も、我が胸中など慮ることなく。

『神の子、だったかな』

『彼はそのように呼ばれ、もてはやされていた』

『実際のところ、この時代水準で考えれば、規格外の天才と言えるだろうね』

『けれど、君にとっては凡俗の子に過ぎなかった』

『だから君との決闘は、一方的な展開となったわけだけど』

『今の彼は正真正銘、神の子と呼ぶに相応しい力量を持っている』

『さぁ――リベンジマッチといこうか』

 悪魔の言葉に促されるかの如く。

 対面に立つエラルドが、動いた。

「……《ギガ・フレア》」

 右手を前へと突き出した瞬間、紅き魔法陣が展開され――

 ゾクリと、背筋に悪寒が走る。

 気付いた頃には既に、俺は後方へと跳んでいて。

 だからこそ、直撃を防ぐことが出来た。

 上級火属性魔法ギガ・フレア

 かつての決闘において、エラルドが最大最高の奥義として用いたそれ。

 当時の《ギガ・フレア》は俺からすると、現代準拠の劣化版に過ぎず……

“これは、魔法の創造者わたしに対する侮辱ですね”

“お見せしましょう、本物の《ギガ・フレア》を”

 かつての一幕が脳裏をよぎる。

 そう、あのときの《ギガ・フレア》は偽物だった。

 しかし今、エラルドが発動して見せたのは。

 大地から天へと伸びる、その巨大な火柱は。

 紛れもなく、完璧な《ギガ・フレア》であった。

「……まだまだ」

 両腕を広げ、呟くエラルド。

 その周囲に無数の魔法陣が顕現する。

 多重詠唱マルチ・キヤスト。現代においては不可能とされる技術だが、しかし、改変されたエラルドにとってそれは児戯にも等しい容易なわざに過ぎないのだろう。

「……行け」

 放たれしは、膨大なる《メガ・フレア》。

 巨大な球体状となった業火が、無数に飛び来たる。

「くッ……! エラルドさん……!」

 回避と防御に集中しながらも、俺は叫んだ。

 叫ばずにはいられなかった。

「思い出してくださいッ! 本当の貴方をッ!」

 エラルドとの関係は単純なものではない。

 初印象は最悪に近いものだった。

 ジニーに対する苛めをやめさせるために、俺は彼と決闘し……圧勝。

 そのとき、エラルドがこちらに見せた畏怖の情を受けて、俺は心の底から確信した。

 こいつとは決して友人になれぬ、と。

 我が力に対し恐れを抱いた以上、もはやその時点で関係は終わっているのだと。

 だが……それは愚かな勘違いだった。

「いかに改変されたとしても……心のどこかに、残っているはずだ! メガトリウムでの出来事を! 皆と共に私を助けに来てくれた、あのときのことを!」

 かの宗教都市にて、俺は元・配下であるライザーの奸計に嵌まり、危機へと陥ったことがある。

 心身共に、危うい状況だった。

 そんな俺を助けてくれた、多くの学友達。

 その中に、エラルドの姿も混ざっていたのだ。

「来るはずはないと、そう思っていた……! 貴方と私の関係はもう、終わっていて……! もはや交わることなど、ないのだと……! しかし、貴方は言ってくれた! 友誼の関係を結びたいと! それが私にとって、どれほどの救いだったか!」

 エラルドの行動と言葉が、俺に気付きをもたらしてくれた。

 前世にて孤立したのは、圧倒的な暴力を有していたからではない。

 心を通わせていなかったからだ。他者と本気で、向き合っていなかったからだ。

 自分を曝け出し、理解してもらう努力を怠らず、交流と対話を積み重ねたなら。

 どんな相手だろうと、友になれる。

 現代に転生したことで、俺はさまざまなモノを得た。

 その中でも、エラルドが与えてくれた気付きは別格であった。

 それゆえに――

「戻ってくれ! エラルド・スペンサー! お前は悪魔の支配に負けるような男では――」

 滾る思いを微塵も隠すことなく、言い放つ。

 その途中で。

 すぐ真横から、何者かの気配。

 急接近するそれに対し、俺は無意識のうちに動いていた。

 そう、意図したものではない。

 わかっていたなら。認識が出来ていたなら。こんなことを、するわけがない。

 俺が、まさか。


 ――不意を打たんと迫ってきた親友を、傷付けるだなんて。


 それは本当に唐突で。脈絡もなく。

 だから、信じられなかった。

 目前にある光景を、理解出来なかった。理解することを拒否していた。

 しかし。

 あぁ。

 いや。

 こんなことが。

 こんなことが、あって――

『たまるかと、言いたいのだろうけどね』

『現実だよ、ハニー』

『君は傷付けたんだ』

『風の魔法で。奇襲を仕掛けたあの子を迎撃した』

『酷い有様だねぇ。ほら、手足が千切れかけてるじゃないか』

『あ~あ、可哀想だなぁ』

『――――ほんっと、可哀想だなぁ。

 悪魔の声が。悪魔の意思が。

 逃避しようとする俺を、羽交い締めにする。

 目が離せない。

 地面に倒れ伏した彼女の姿から、目を背けられない。

「イリーナ、さん……?」

 呼びかけても、微動だにしなかった。

 風の刃によって切り刻まれた全身。大量の血液を噴き零す傷口。

 血だまりの中に横たわる彼女の姿に、俺は。

 俺は。

『そっくりだねぇ、と』

『君が僕の娘リディアを手に掛けたときと、本当によく似ているよ』

 フラッシュバックする。

 彼女を、親友を殺したときの、出来事が。


 ――俺はまた、殺したのか?

 ――悪魔に操られた、親友を。


 頭が真っ白になった。

 もう、何も考えられない。

 だから、俺は。

 避けられなかった。体が動かなかった。

 動かす気にも、なれなかった。

 すぐ横から、エラルドが発動した、炎の魔法が飛んでくる。

 巨大な火球を、俺はまともに貰った。

 着弾の衝撃と、灼熱の痛み。

 気付けば地面を転がっていた。

 制服が焼け焦げ、肌が爛れ、凄まじい痛みをもたらしてくる。

 けれども、気にならなかった。

 気にすることが、出来なかった。

「俺、は……イリーナ、さん……俺は……」

 奇妙な感覚。

 何をしているのかと思う自分が居る。

 早く立って、状況に対応せねばという焦燥がある。

 なのに、実際に取っている行動は、別物。

「こんな……嘘だ……ありえない……」

 ぶつぶつと呟くだけで、何もしない。何も出来ない。

 まるで壊れた人形のようだった。

『あ~あ。相も変わらず脆いねぇ、君は』

『ホント、まったく成長してない』

『始める前の元気はどこへ行ったのやら』

 悪魔の言葉にさえ、何も感じなかった。

『ほら、立ちなよ』

『まさかここで終わりにするつもりじゃないだろう?』

『立って抗え』

『ほら』

『おい』

『…………』

『……もしかして、本当に諦めちゃったの?』

『ねぇ』

『冗談でしょ?』

『友情を証明するんだろ? 僕の思想を否定するんだろ?』

『ねぇ』

『なんとか言ってよ』

『なんとか言えよ』

『…………………………』

『………………』

『……わかった。もういい』

 あまりにも、冷たい声だった。

 失望と……絶望に満ちた声だった。

 しかし、どうでもいい。

 心が折れた。

 奴の言う通りだ。

 あれほど、威勢が良かったのに。

 勝たねばと、そう意気込んでいたのに。

 今はもう、気力がなかった。

 悪魔には勝てない。

 抗ったところで無意味。

 傷付きたくない。

 傷付けたくない。

『今、とてもがっかりしているよ、ハニー』

『こんな幕切れは望んでいなかった』

『僕は、君が――』

『いや』

『もう喋る意味も、価値も、ない』

 消えてしまえ、と。悪魔は言外に、そう言った。

 エラルドがやって来る。

 俺にトドメ刺すために、やって来る。

 だがそれでも、体は動かない。

 俺が死んだ後はきっと、奴は全てを消すのだろう。

 ……全員、仲良く消えてなくなるのなら。むしろそれは。

「さようなら。最初で最後の――」

 エラルドの口から、悪魔の声が放たれる、その最中。

“…ゃ……よ……”

 諦観に支配されし心。

 消滅を受け入れた魂。

 俺を構成する情報の内側から。

“……じ……ねぇ……よ……”

 声が、響いた。


“折れてんじゃねぇよッ!”


 灼熱の音色。激烈な情動。

 それは。その声は。

「……リディア」

 無意識のうちに、口からポツリと漏れた、そのとき。

 我が身の内側に、何か凄まじいエネルギーが生じ、そして――

 発露する。

「っ……!」

 瞬間、悪魔が息を呑んだ。

 エラルドの肉体を通して、奴の動揺を感じる。

 その目前には。

 ――俺を庇うように立つ、リディアの姿があった。 

 けれど。

 それも一瞬の出来事。

 瞬くと共に、あいつの姿は蜃気楼のように消え失せて。

 しかし、入れ替わるように。


「ざまぁないねぇ、アード・メテオール」


 第三者の声と同時に、一陣の風が吹き荒び――

 浮遊感。

 何が起きたのか、理解するまでに時間を要した。

 きっとメフィストもそうだろう。

 ゆえに奴は、手出しをしなかったのだろう。

 突如として現れた闖入者。

 俺は、彼女の脇に抱えられる形で、飛翔に伴う気流を感じながら。

 蒼穹の只中にて、その名を呼んだ。


「――エルザード、さん?」

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