第一幕 その3
グランマギア魔法魔術学院は全寮制である。
寮の建物は一つではなく、国ごとに分かれている。これは、無駄な争いが起きないように、との配慮からだ。
夕食が終わると、消灯時間まではそれぞれが自由な時間を過ごす。
ブレイズ共和国の寮では、広間に全員が集まっていた。全員と言っても、三十名しかいない。今年の生徒は一期生のため、上級生も下級生もいない。
「いやーでも、今日のオーガは驚いたよな」
「ホントよね。でも、ハルトが倒してくれて助かったわ」
ハルトはみんなの輪から離れ、壁際の三人掛けソファに横になっている。
「しかし、いつまでもハルト頼みというわけにゆきません。全員がレベルアップをして、ブレイズが最強であることを示す必要があります」
こういうとき、話を仕切るのは副長であるクロードだ。
クロードはメガネの奥にある優しそうなまなざしで、抜け目なく全員を観察していた。
「この学院は、ブレイズ共和国、アブソリュート帝国、ルミナス教国、ホライズン王国による四カ国連合への試金石。ここでの力関係が、連合軍の力関係になると言っても過言ではありません」
「なによソレ……あたしら、結構責任重大じゃん」
「その通りです。だから他国――特にアブソリュートを叩き潰す必要があります。そして、僕たちにはその力がある。そうですよね? ハルト」
話を振られたハルトは、面倒臭そうに起き上がると、みんなのところへやって来た。
「ったりめーだ。最初は他の国と同じ学院なんぞ、冗談じゃねえと思っていたが、いい機会だ」
不敵に笑って、ブレイズの生徒たちを見回す。
「いいかお前ら! ブレイズは最強だ! アブソリュートに、ルミナスに、ホライズンに、俺たちが大陸の覇者ってことを見せつけてやんぞ!」
ハルトの一言で、全員のテンションが跳ね上がる。
「うおおおおおおおおお!! やったるぜぇええ!」
「あたしもやるわ! 筆頭!!」
「俺たちの先祖が奴らにされてきたことを、倍にして返してやろうぜ!」
生徒が盛り上がる様を見て、クロードは改めて確信した。
やはり、ハルトは人の上に立つべき人間だ。
チームとして、四カ国の中で一番になるのも重要だが、それ以上に大切なことがある。
それは、筆頭魔術師であるハルトが、学院最強であることだ。
筆頭魔術師は国の代表であり看板だ。
その最強が、他の国の筆頭に負けるわけにはいかない。まして、アブソリュートに後れを取るなど、あってはならないことだ。
――僕が、
絶対にハルトを勝たせてみせる。
クロードがそんなことを考えている間に、ハルトはみんなに背を向け、広間から出て行こうとしていた。
「どこへ行くのですか? ハルト」
「――なんか、眠くてな。フロ入って寝るわ。ジャマすんじゃねーぞ、お前ら」
「おう、はえーなハルト」
「大活躍だったから、疲れたんでしょ。おやすみ、ハルト」
他の生徒たちの挨拶に送られ、ハルトは広間を出た。
暗い階段を自分の部屋に向かう。
闇の中を歩きながら、ハルトの瞳は決意に光っていた。
「……悪いな。クロード」
そう、ぽつりと漏らした。
◯ ◯ ◯
夜空に大きな月が輝いていた。
月の光が湖面をきらめかせ、水の町――グランディアを浮かび上がらせている。
その中心にあるのが、グランマギア魔法魔術学院。
元は広い湖に浮かぶ小さな島だった。数百年前に大きな教会が建てられ、それを取り囲むように町が発展した。
ここはちょうど四カ国が隣接する唯一の場所。
交通、交易の要衝であり、多くの人が集まり、あっという間に手狭になった。人々は湖に杭を打ち、その上に人工の大地を作って町を拡張することにした。
元は小さな島だったが、今では湖の半分を占めるまでになった。
その最初のきっかけとなった教会が、グランマギア魔法魔術学院として使われている。広い敷地に、いかにも古い教会らしい、凝った装飾で飾られた校舎が幾つも並ぶ。
その中で一際目を引くのが、シンボルとも言える時計塔だ。
グランディアで一番高い建物であり、四方に大きな時計の文字盤が付いていて、島のどこからでも見ることが出来る。
時計の針が指すのは、二十一時。
その時計塔の上に――部屋で寝ているはずのハルトがいた。
腕を組み、壁にもたれて窓から外を覗いている。
ハルトがいるのはちょうど時計の内部に当たる部屋。四方の壁には、巨大な文字盤が光っている。特殊な鉱石で作られているので、文字盤自体が発光しているのだ。だから、明かりがなくても部屋の中はうっすら明るい。
ぼんやりした明かりの中で、巨大な歯車が規則正しく動いている。部屋の中は、時計を動かす為の機構でぎっしりだ。
そして頭上には大きな鐘。この鐘が鳴る回数でも、時刻を確認することが出来る。
但し、夜の二十時以降に鳴ることはない。
寮の門限である二十時は、とうに過ぎている。
故に、他の生徒は誰もいないし、誰かが来ることもない。
そのはずである。
にもかかわらず、
「そこにいるのは、ハルト・シンドー?」
――一人の少女が現れた。
「ああ」
「誰もいないと思って考え事をしに来てみれば……まったく最悪だわ」
「そうだな誰もいない」
ハルトは壁から離れ、ゆらりと一歩、イリスに近付いた。その目に、手に、全身に緊張がみなぎっている。
「……本当に……二人っきり?」
「姿を隠していたり、潜んでいる奴がいないかも調べた。こちらの姿や声を盗み見るような、魔法や魔術具がないかも確認した」
「……そう」
イリスが足を踏み出し、
徐々に小走りになり、
そして加速、
一気に襲いかかるように――、
「ハルトくん♡」
愛しい人の胸に飛び込んだ。
「お、おい、イリス」
ハルトは飛び込んで来たイリスの頭頂部を見おろした。そして、背中に手を回していいものかどうか戸惑い、中途半端な姿勢で固まった。
イリスの大胆な行動に、ハルトの方が押され気味である。
「ちゃんと合図に気付いてくれたんですね……嬉しい」
昼間別れ際にイリスがした仕草。
――頭に付けた髪飾りを指先でいじり、指先に髪の毛を巻き付けてから払う。
それが合図。
そしてその後に、落ち合う場所と時間を指定する。
『ハルト・シンドー、貴様など二十一回、時計塔の上から落としても飽き足らないわ。その顔、一生見ずに済めばどれだけ幸せか』
この場合、二十一という数字が時間の指定。その後の時計塔が場所の指定である。
それに対するハルトの返事は、
『……面白え。お前が嫌がることなら、やってやるよ。このツラまた拝ませてやるから、覚悟しておけ』
すなわち、OK。会いに行く――という意味だ。
そして愛しい彼女が来るのを、ハルトはここでそわそわしながら待っていた。
もうすぐ会えるという期待、トラブルがあって来られないのではという不安、見つかるのではないかという恐怖、そして二人っきりという緊張。
それらを乗り越え、やっと二人っきりで会えたのだ。得も言われぬ喜びがある。
ハルトはそっと、イリスの腰に手を回した。
腕の中に収まった恋人の体は、頼りないほどに細く、しなやかで、背中に手を回して抱きとめているだけでも、至極の快楽をハルトにもたらした。
しかし――、
片手でイリスの体を抱きながら、ハルトはもう片手でポケットから剣を抜く。
二人は宿敵同士。
大陸の覇者、アブソリュート帝国の姫君、イリス・シルヴェーヌ。
もう一方の雄、ブレイズ共和国の筆頭魔術師、ハルト・シンドー。
絶対に相容れないこの二人が、実は恋人同士だと誰が信じるだろうか?
だが、知られれば大陸最大のスキャンダル。
二人の未来はない。
故に、この関係を誰にも知られるわけにはいかない。
ハルトは剣を振り上げ、その切っ先を冷徹に振り下ろす。
イリスの背後に迫っていた、巨大なコウモリが真っ二つになる。
レベル2のムルシエラゴ――大きさは普通の三倍から五倍はあり、人や動物を襲う肉食の北方魔族だ。
イリスとの接触が夜だと、よく現れる。そのムルシエラゴは、短い断末魔の声を上げて灰となった。
ハルトがムルシエラゴを倒したのに気付くと、イリスは急に我に返ったように、
「あ……っ!? 私ったら、つい……っ!」
頬を染めて、恥ずかしそうにハルトから離れる。
「はしたなくて……ごめんなさい」
消え入りそうな声で、そうつぶやいた。指先をからめてもじもじする姿が、また可愛らしい。
「い、いや。気にすんなよ、そんなの」
ハルトも少し恥ずかしくなり、ついぶっきらぼうな口調で返してしまう。
ハルトの剣からわずかに散る、ムルシエラゴの残骸を見て、イリスは不安そうに顔を曇らせた。
「……やっぱり、私たちがお付き合いをするのは、難しいのですね」
悲しそうに目を伏せる。
「ちょ……待てよ」
ハルトがイリスに向かって手を伸ばすと、その手から逃れるように、イリスは優雅な身のこなしで後ろへ下がる。
「私はアブソリュート。ハルトくんはブレイズ……それだけでも、一緒にはなれないわ」
「ああ。しかもイリスはお姫様ときてる。それに引き換え、俺はただの学生だ」
貴族が支配者層として君臨するアブソリュート帝国と違い、ブレイズ共和国には身分制度がない。
元々ブレイズはアブソリュートに帰属していたという過去もある。アブソリュートにしてみれば、ブレイズは平民の住む一地方に過ぎないのだ。
今は事実上の独立国となっているが、アブソリュートとしては面白くない。そのため、両国の間では争いが絶えない。
「ハルトくんはただの学生じゃないわ。ブレイズの筆頭魔術師じゃない」
「剣と魔法の腕が立つってだけだ。それでイリスとの仲を認めさせることなんて、出来やしねえ」
「そうですね……それに、もっと厄介な問題もありますし」
「……」
敵国同士。
お互いが、それぞれの国の筆頭魔術師。
さらに、国を継ぐべき姫君と一市民。
もうこれだけで障害としては十分すぎる。
だが、まだある。
極めつけの問題が、二人の前に――いや、全世界の前に立ちふさがっている。
ハルトはイリスの手を掴んだ。
「だめっ……ハルトくん。そんなことしたら――」
二人の周りに、ぽうっと光の玉が現れる。
光の魔物、ウィル・オー・ウィスプ。
危険レベル1で脅威はそれほどではない。しかし光の魔物なので、至る所に出現する。
ハルトはほぼ無意識に、剣を振るった。
叫び声も上げず、ぼんやり光る橙色の球体が、真っ二つになって消滅した。
「……やっぱり、私たちは呪われている」
イリスはそっと手を添え、ハルトの手を自分の腕から離させる。
「……イリス」
「魔王が復活する予兆を感じて……北方魔族が喜んでいるんだわ」
降ってくる火の粉と灰を見つめ、イリスは深刻な表情を浮かべた。
「この身に宿った、『
「……」
否定しようのない事実に、ハルトは言葉もない。
それは真実である。
ハルトとイリス、二人の体には魔王の半身が潜んでいる。
それは古の魔導書に『ジュリエット』と記載されている魔王の半分。
魔王はその存在を分割し、人間の中に隠れている。
そして、復活の時を待っているのだ。
復活の方法とは何か?
それは半分に分かれた体が、一つに合体することである。
つまり――、
「いつになっても、俺はイリスとは――」
「ええ……えっちは最後までは出来ないですね……」
残念そうに、ほうっ……と溜め息を吐くイリス。
「……」
予想外に積極的な発言に、ハルトは思わず黙ってしまった。こんな超絶美少女の口から、そんな言葉が出てくるだけで、頭がくらくらするほど興奮する。
一方イリスは、その沈黙の意味にハッと気付くと、
「えっ!? そ、そういう意味じゃなかったんですか?」
真っ赤になってうろたえた。
「やだ、もう……はしたなくて……ごめんなさい」
頬を押さえてうつむくイリスに、ハルトは慌ててフォローを入れる。
「い、いや、俺の方こそすまん」
「それに、ハルトくんの気持ちもありますものね。私の体なんか、そんなに魅力的じゃないかも知れませんし……」
「魅力的に決まってるだろ」
えっ、とイリスは顔を上げると、うるんだ瞳でハルトを見つめ、
「……うれしい」
と、蚊の鳴くような声でつぶやいた。
あまりの可憐さに、ハルトは頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
抱きしめたい。
今すぐに。
そんな衝動を、ハルトはぐっと抑えた。
迂闊な行動は控えなければならない。
なぜなら、
――世界の破滅は、二人がHするかどうかにかかっている。