一章 邂逅。そして問題発生。 その4
2.
ほとんど同時に七つの殺気が到着し、《殺人王》のいる屋上を大きく取り囲んだ。《罠師》が送りこんできた有象無象たちとは比べ物にならない、一人で山にも谷にもなる連中だった。
しかも、それが七人。
その中の一人が彼の目の前に降り立った。コンクリートの地面を砕いて着地したのは、ぼさぼさの灰髪をした見知った顔だった。
「久しぶりじゃねぇか」
「そうだ、久しぶりになる」
皺だらけの黒一色のスーツに無精髭の人相は、不衛生というより激務であることを想起させた。革手袋に底の厚い革靴。長方形の銀箱が左太腿に沿うように浮かび上がっている光景は、二百年前では手品と思われただろう。同じように右肩上では数本の銀筒が漂っていた。だが、最も目を惹くものは半分が銀色金属の首だった。それに比べれば右脇のホルダーに格納された三丁の拳銃など背景と変わらない。
無精髭の男は半開きの目のまま、空中にカードのようなものを投げた。それは空中でくるくると回りながらある座標に留まった。
途端、盾と拳銃を模した紋章が映し出される。
「
「やめろ。俺に口説きは無意味だ」
「……そうだな、無意味だった」
展開されていた紋章が消える。
「今回はまた派手にやったな」
《砂漠》は十近い物を言わぬ死体、そして四か所の焼却痕を見渡した。
「
「そうだ、それだけこちらは本気だということだ」
会話を邪魔するものは何もなかった。自然と二人の声がよく響く。
「改めて言おう。投降しろ、殺人王」
犯罪者の王は鼻で笑いすらしなかった。
「そいつはセンスってものがねぇな」
「このまま戦闘を始める気か」
「戦う気がないならさっさと失せろ」
「お前はこの通り戦闘後だ。それに四日後のこともある」
「それがどうした?」
《砂漠》の瞳が僅かに揺れる。
「お前、死ぬぞ」
「俺はとうの昔に死んでる」
その言葉に無精ひげの男が答えることはなかった。
数秒の沈黙をそよ風が埋める。
「なぜ突然戻ってきた?」
「俺の勝手だ」
「葬王の死体と関係あるのか」
刹那、《殺人王》の視線が鋭利な狂気に変わる。
「何を知っている」
「誤解するな、何も知らない」
激昂の視線に億尾も狼狽えることなく《砂漠》は淡々と続けた。
「通報した人物が言っていただけだ。お前は何か知っているのか?」
「俺がそれに答えるとでも」
「そうだな、ならば仕方ない」
無精髭の男はそう言うと右手を銀箱に、左手を右脇へと伸ばした。
駆動音。
空気を振り払うように構えた左手には拳銃、そして右手には銃剣が握られていた。
「殺人王フォルック、貴様をこの場で処刑する」
応えるように《殺人王》はひび割れていないフルタングナイフを抜き取った。
右手にて刃が躍る。
「そいつはいいセンスだ」
武器を構えた両者は空気を殺していく。合わせて残りの六者の殺気も強まっていった。
「日本の治安を守る俺たちの本気、侮るなよ」
「身の程を知れ」
《殺人王》の瞳が地獄の業火のように紅く染まる。
合図はなかった。
消音性に優れた亜音速弾の雨が降る。
犯罪者の王はそれをでたらめな加減速で避けると、眼前の《砂漠》の足元へと飛び込んだ。
同士討ちを避けるため、予想通り死の雨が止む。
斜め斬撃、当然いなされる。そこから一回転、遠心力の乗った本命の刃が上から下を走った。
「ッ!」
火花が散る。
遮ったのは銃剣だった。刃は受け止められながらも衝撃は消えず、《砂漠》は体勢を僅かに崩す。それを見逃すはずもなく、彼は踏み込んでさらに刃を銃剣に押し付けた。金属が擦れ、叫び声をあげる。
肉薄している限り銃弾は襲ってこない。ゆえに選択肢は必然と肉弾戦に絞られる。そして自身を取り囲む空間には限りがあるため、全員同時に殴りかかってくることもない。一対多の戦闘を繰り広げる上での常識だった。
他のAVCATが飛び掛かってくるまで残り僅か。犯罪者の王は戦略を組み立てていく。
しかし、
「やめだ」
言葉とともに《砂漠》は銃剣を離した。支えるものを失った刃は男の胸を縦に斬りつけ、一飛沫の血液が吹きあがる。
予想外の行動に《殺人王》は無理やり身体を捻じると、跳ねるように距離を開けた。
地面に落ちた銃剣が精一杯鳴く。
眉をひそめた《殺人王》をよそに、《砂漠》はその場に座り込み、煙草を懐から取り出した。ぼさぼさの髪が心なしか楽し気に揺れる。
「交渉がしたい。一時休戦だ。ああ、やっと煙草が吸える」
改めて辺りに注意を割く。
六つの殺気のうち、四つは弱くなっていた。逆を言えば、未だにふたつは強いまま。
そしていくら弱くなろうと殺気は消えていない。端的に言って理解できなかった。
「先程までの攻撃はこの一太刀で相殺ということにしてくれ」
「どういうつもりだ」
「葬王の死体が関係しているのだろう。俺たちも四日後が大事だ」
意図を理解した彼は薄く笑った。
「そういうことか、おっさん」
刃物をホルダーにしまうと、彼も同様に座り込んだ。瞳からはすっかり紅色が引いていた。
突如、
「砂漠捜査官っ!?」
甲高い声とともにパンツスーツの女が降ってくる。背中に二メートル四方の銀箱を浮かせた姿は異質だが、首に金属部品は見えなかった。とはいえそれが本物の皮膚なのか、それとも模造品なのかは見分けがつかなかった。
青髪を揺らして《砂漠》へ駆け寄る。彼女は殺気を放ち続けている二人のうちの一人らしかった。
「目の前にあの、あの殺人王がいるんですよ!? それも疲弊した状態で! なのになんで休戦なんですかッ!!」
金切り声にも近い声が座ったままの彼へ発せられる。
《砂漠》は煙を吐くと無表情のまま、
「捜査官補、落ちつけ」
「落ち着けませんっ!」
「ここでこいつを殺したとして、その後のことを考えろ」
「このあとのこと、ですか?」
当事者の《殺人王》から嘲笑が零れる。スーツの女は反射的に舌打ちを響かせた。
「こいつを殺すことができたとしても俺ら七人のうち何人か、場合によっては全員が命を落とす可能性がある。そして俺たちの存在は治安の維持に直結する。もし、多くを失えばそれはこの国にとっての損失だ。違うか?」
「そうですけど!」
「四日後の国際会議はともかくとして、同時に開かれる『祭り』に日本は参加できなくなる」
「それは……」
「そうだ。どれだけ致命的か、聡明な捜査官補なら理解しているはずだ」
吐かれた白煙が昇りざまに彼女とぶつかる。
「で、でしたらなぜ今回のような作戦を」
「交渉するためだ。この作戦は元々交渉を目的として実行されたものだ。ある程度の戦力を示さなければ交渉の余地はない。事実を知っていたのは俺と、本部で待機中の譲歩のみだ」
おそらく殺気を弱めた他の四人の捜査官は瞬時にこの作戦の意図を理解し、戸惑いながらも様子見に回ったのだろう。これほどまでに作戦に関する情報を機密事項としていた理由は、本物の殺気を用意するためだと考えれば合点がいく。
ゆえにこのちぐはぐさ。
「把握したのであれば黙っていろ。全体へ通達。以後の交渉は俺が受け持つ。待機せよ」
スーツの女が下がる、こうしてようやく、犯罪者の王と捜査官は改めて相対した。
「待たせた」