第一章 はじめての魔王学園 2
さすがに、翌日に即転校というわけにはいかなかった。
新しい制服をあつらえたり、手続きをしたりとあれこれしている内に、一週間が過ぎた。
その間に今まで通っていた学校にも転校届を出し、一通りの挨拶をした。
教室でみんなに挨拶をして、授業中に一人で学校を後にするのは、何となく切ない思いがするものだった。
だが感傷に浸るのも
「銀星学園か……」
事前にもらった学園説明書によれば、初等部、中等部、高等部からなるマンモス校で、魔族のための学園としては最大規模を誇る。
広大な敷地に充実した設備。郊外にあるとはいえ、よくこんな学園が一般に知られずに存在していたものだ──と思ったら、学園に施した呪術的な結界による効果らしい。
周囲の住民は違和感を抱かないようになっているし、マスコミなどには魔族の手下である権力者から、圧力がかかっているとか何とか。
そんな謎に満ちた魔王学園の校門が、俺の目の前にある。
門構えも立派なら、中の校舎もとても豪勢。カッコいいデザインで、いかにも金がかかっていそうな建築だった。
若干の気後れを感じながらも、心が浮き立ってしまう。ここでどんなことが待ち受けているのだろうか?
新たな人生に期待を抱き、校門をくぐって校舎へ向かう──途中で、周りの生徒がやたら俺に注目しているのが気になった。
やっぱ人間だって分かるのかな? 何でも、俺は魔王学園初の人間の生徒だそうだからな……それとも、庶民っぽさが
「まったく……いるだけで気疲れしそうだな」
そのとき、黒いリムジンが俺の横を駆け抜けて行った。校舎の昇降口の前には車止めがあり、そこに止まった。
すると待っていた生徒がドアを開ける。そこから降りて来たのは、灰色の髪をしたイケメン。だが、どこか常人とは違う。他人を威圧するような空気をまとった男だった。
何というか、オーラが違うというか、存在感が段違いだ。あれが悪魔の貴族と言われれば、納得する。
寝不足のように黒く沈んだまなざしは、世界の全てを見下しているようだ。そして、内に秘めた不気味な気配。
それら全てが、この男は人間ではなく、何か別の生き物であると伝えている。
あれは危険だ──と本能が理解した。
あの男がその気になれば、俺なんか一瞬で殺されてしまうであろうことも。
「……ん?」
まずい、目が合った。
しかし、かすかに眉をひそめただけで、その男は校舎の中へ入って行った。
何ごともなくて良かったと、俺はほっと胸をなで下ろした。が──、
「おい、てめぇ!」
リムジンのドアを開けた男が、俺を
髪を金髪に染めた、チャラい生徒だ。金持ちの坊ちゃんのイメージとは随分違うので、こんな生徒もいるのかと驚いた。
俺が黙っていると、無視されたと思ったのか、目をつり上げて俺の方へやって来る。
「なにアスピーテ様を見ていやがったんだよ? あ?」
アスピーテ?
「それって、さっきのリムジンに乗ってた?」
「ったりまえだろうが! 何トボけて……そういや、てめー見ねえ顔だな」
「ああ。今日から転校してきたんだ」
チャラい生徒の顔色が変わった。
「まさか……!? てめぇが、『
──え、何で知ってるんだ?
俺の顔をじっと見ているうちに、チャラい生徒は落ち着きを取り戻した。そしてうろたえた顔から一転、逆に凶悪な笑みを浮かべた。
「こいつはツイてるぜ……新しい魔王候補が来るとは聞いていたが、こんな弱そうな
「平民っていうか……人間だよ」
チャラい生徒は顔を
「わはははははははははははははっは!! コイツはいいぜ! 平民どころか悪魔ですらねーのかよ!? そんなんゴミじゃねーか!」
「ゴミって……どういうことだよ?」
「ああ、ゴミってのは言い過ぎたかな? ま、ブタかな」
「ブタ!?」
「俺たちにとっちゃ、人間なんざブタと同じ家畜だ。おめーもいつまでも魔王学園の制服なんて着てんじゃねえよ! 身の程知らずが! このゲルト様に口を利いた無礼を
何だこのゲルトって野郎は。
なんかムカつくのを通り越して、
「聞いてんのか!? コラァ!!」
俺はふつふつと沸き上がる怒りをこらえた。
「聞いてるよ。気に食わないのは分かるが、入学の許可はあるんだ。許してくれないか?」
あのアスピーテって奴ほどじゃないが、このゲルトもそれなりに強い。不思議なことに、それが分かる。
ゲルトの体から、妙に渦巻くような気配を感じるのだ。これが魔力なのだろうか? よく分からないが、少なくとも、俺の
それに、転校初日から問題を起こすわけにはいかない。この学園に通うことが出来て、あんなに喜んでくれた両親のことを思えば、この程度の
「何だその口の利き方は!! しつけがなってねえな……くせえオヤジとババアから生まれたブタじゃしょーがねーけどよ」
……何だと?
「何の価値もねえ無能なオヤジとクソとガキを生むしかできねーババアだろ? てめえの親なんかよ」
「……」
俺は唇を
「どこへ行く気だ!? クソブタぁあ!!」
呼び止められた瞬間、俺の中で何かがキレた。
「……何だ、言葉を
「……な」
まさか口答えされると思っていなかったのか、ゲルトは口を開けたまま固まっている。
俺はさらに畳みかけた。
「お前がどれだけ強いのか知らないけどな、力が強いからって偉いわけでもなければ、他人から尊敬されるわけでもないんだ。よく覚えておけ」
「て、てめ……」
「人間が大事にするのは、心だ。心正しく生きる、そういう人を尊敬する。今のお前は尊敬には値しない。むしろ軽蔑する」
遠巻きにして見ていた生徒たちが、ざわざわと騒ぎ出した。
「おい、あの人間……子爵家のゲルトに
「なんて命知らずな。ゲルトって、この前も同じクラスの奴を血祭りに上げてたよな?」
「それにアスピーテ様のカードに選ばれてるんだろ? あの転校生、どう見てもただの人間じゃないか……殺されるぞ」
……ちょっとヤバかったか?
でも、俺のことはともかく、父さんや母さんを侮辱したのはどうしても許せなかった──が、ここは早いところ退散した方が良さそうだ。
昇降口へ向かおうと足を踏み出したとき、
「……いいだろう……ここで殺してやるぜ!!」
ゲルトのこめかみに血管が浮いた。
ヤバい。奴も完全にブチ切れてるみたいだ。
「てめーを殺せば、アスピーテ様も俺を
コートカード? いや、それより「殺す」とか物騒なことを言ってるし!?
これ以上騒ぎを大きくするのはヤバい。ここは一つ、相手をなだめておくとしよう。
「まあ、ちょっと落ち着けって。校内でケンカは良くないぞ?」
そんな俺の言葉は、まったく耳に入っていないようだ。
いきなりナイフで刺されたらどうしよう?
そんな俺の心配をよそに、ゲルトは何も持たない両手を、俺に向かって開いた。
「『
ってことは、さっきの男も魔王候補──なんてことは、今はどうでもいい!!
ゲルトの広げた両手に炎が
「いくぜ! 『
ゲルトが両腕を突き出すと、炎の塊が飛んでくる。
「!?」
気付くと、もう目の前に炎の球が迫っていた。
速い。
避けられるスピードじゃない。
あまりにも突然で、叫び声すら上げられない。
何だよこれ。
魔王学園に登校一日目どころか、校舎に入る前に終わりだなんて。
喜んでくれた父さん、母さんに申し訳ない。
まさか、こんなことで俺の人生が終わってしまうなんて──、
覚悟を決めた瞬間、
目の前で炎が
「なっ!?」
俺の前方で、炎が見えない壁によって防がれていた。いや、壁というよりは、光り輝く魔法陣。
そしてその魔法陣を展開している女性の後ろ姿が、俺の目の前に立ちふさがっていた。
腰まである、長く美しい黒い髪。制服のスカートの裾からは、黒いストッキングに包まれた、すらりとした足が伸びている。
後ろ姿を見ただけで、間違いなく美人だと確信した。
そして肩越しに振り向いた横顔は、その確信が間違っていなかったことを証明する。
絵に描いたような美少女だった。