3-2 大学生の冬休み事情

「なあ、ほんとに家に来るのか」

 玄関先まで着くと、俺は志乃原へ念を押した。

 勢いで出た言葉とはいえ、女子を部屋に招くという事実には変わりない。

 冗談で済まそうと思ったのだが、志乃原はひとしきり笑った後に承諾したのだ。

「家事が終わったら、先輩の家を散策します!」という物騒な言葉を残して。

 見られて気まずくなる類のものは全てスマホの中なので心配ごとも少ないが、それでも知り合って数日とたない人が自宅をまさぐると思うと落ち着かない気持ちになる。

「なんで頼んだ先輩がちょっと嫌そうなんですか。行くって言ってるじゃないですか」

「いや、やっぱり取り消してもいいか。そこのカフェで一杯おごってくれるとかでいいよ。よく考えたら俺家事得意だったし」

「今更よく考えないでくださいよ、ここまで来ちゃったんですから。寒いし、早く中に入れてください」

 志乃原はよこしまなことを考えているとしか思えないような笑顔で催促してくる。

 こうした表情でも可愛かわいく見えてしまうのが、罪なところだ。

 結局俺は断り切れずに鍵を開けた。

 自宅に人を招くのは随分と久し振りだった。

「あれ、先輩の部屋、結構れいじゃないですか」

 部屋に入るなり、志乃原がつまらなさそうな声を上げる。

「これで綺麗って、どんな部屋想像してたんだよ」

 部屋には昨日着ていたコートが落ちているし、午前中に食べたお菓子の袋もそのまま床に置いてある。おまけにプリント類がそこら中に落ちていて、お世辞にも綺麗な部屋とは言えない状態だ。

「私、ゴミ屋敷を想像してましたから、こんなの何でもないですよ」

「そんな覚悟固めて来てたのかよ……」

 自分からそんなゴミ屋敷を連想される事自体がショックだ。服装に特別気を遣っているわけではないが、清潔感は保つようにしていたのでますますショックだ。

 そんな俺の思いを他所よそに、志乃原はうーんと身体を伸ばす。

「まあ、私も暇でしたし。じゃ、ちゃちゃっと掃除終わらせちゃいまーす」

 そう言うと志乃原は羽織っていたコートをベッドに置いて、キッチン前に立った。

 うでまくりをしたところから、白い肌が見える。

「なんですか?」

「いや、なんでも」

 視線を外して、俺はジャンパーをベッドに放った。

 自宅のキッチン前に、知り合ったばかりの女子がいる。

 一月前の俺では考えられなかったことだ。

「服とか放っておいたら、シワになりますよ」

「いいって、自分でやる」

 服を拾おうとした志乃原を阻止して、コートやジャンパーをハンガーに掛けていく。

 一人でいる時の自宅は、確かに安寧の地だ。しかし他人が部屋に入ってくると、そうも言っていられない。

 志乃原は思ったより綺麗だと言ってくれたが、いつもの部屋はもっと綺麗なのだ。

 急に散らかった部屋が恥ずかしくなり、俺は手当たり次第目につく物を片付け始めた。

「先輩って、なんで一人暮らししてるんですか?」

「なんでって、そりゃまあ色々だよ」

「はあ、色々ですか」

 志乃原はゴム手袋をはめながら、気の抜けた返事をする。

 幸いキッチンカウンターには掃除用品を置いたままだったので、志乃原はそのまま手際よく掃除を始めた。

「なんだって急にそんなこといてくんだよ」

 蛇口から流れる水の音が大きいため、少し声を張る。

 そのあって、志乃原はいつもと変わらないタイミングで返事をしてくれた。

「うーん。だって実家の方が楽じゃないですか? 帰ったら料理が出てくると思いますし。先輩料理はしなそうなんで、そこらへん重要だと思うんですけど」

 実家の方が楽。

 それは俺も前々から思っていたことだった。

 一人暮らしは確かに自由気ままだ。だが、当たり前のことではあるのだが、自分の世話は自分がしなければならない。

 これが意外と手間のかかることで、自分どころか家族の世話までしてくれていた母親は偉大だった。

「よし、終わりっ」

「え、もう終わったのか?」

 シンクをのぞむと、先程とは比べ物にならないくらい綺麗だ。細かい汚れも落ちているし、光沢さえ出ている。

「すげえな、こんな短時間で。あれだけ面倒って思ってたのがうそみたいだ」

「慣れてますからね、こういうの。私も一人暮らしですし」

 志乃原は満足げにうなずくと、ゴム手袋をゴミ箱に捨てた。

「じゃ、次はお昼ご飯作りましょうか。先輩はくつろいでてくださいね」

「え、ほんとに料理までしてくれんのか。どうした、何か買ってほしいのか。金ないぞ俺」

「私の恩返しって言ったじゃないですか、変なこと言ってないでテレビでもててください」

 背中を押されてベッドに座り込む。

 志乃原は俺に手伝わせる気もないようで「ほんとに寛いでていですよ」と念を押した。

 俺が手伝おうとして、料理が台無しになる未来でも見えたのだろうか。さすがにそこまで料理下手ではないのだが、志乃原が望んでいないのなら仕方ない。

 俺はリモコンを手繰り寄せると、スイッチを入れる。

 映った番組は芸能人の不倫問題について議論するという、芸能界への興味が薄い俺には全く不向きな内容だった。

「年末だってのに、くだらねえなあ」

 芸能人のゴシップを取り上げる番組を観る度にへきえきしてしまう。だが芸能人に興味がある人から見たら、きっと面白く感じるのだろう。

 携帯が震えて、俺は吸い込まれるように画面を見た。

 画面には彩華からのメッセージが通知されていた。

『遊ぼー!』

 小学生か。

 思わず声に出しそうになった。

 普段なら少し時間を置いてから返信するところだが、今は時間を持て余している。

 トーク画面に移ると、俺は指を走らせた。

『時間と場所、あと何するかくらい教えろよ。遊ぶのはいいけど』

『二十九日の夕方、デパート、買い物!』

『明日じゃねえか!』

 直前に誘ってくるあたり、俺が何も予定を入れていないと思っているのだろう。当たっているのがますます悔しい。

 そこから、しばらく彩華とのやり取りが続く。どれもくだらない内容だったが、興味のないゴシップ番組を観るよりは良い時間の使い方だった。

 先日の合コンの話題に切り替わろうとした時、志乃原から声が掛かった。

「先輩、お待たせしました」

 声がした方を向くと、志乃原が大皿を運んできているところだった。

 携帯をポケットに入れて、ベッドから腰を上げる。

 大皿には沢山のサンドイッチが載っていた。

「おおっ」

 思わずテンションが上がる。成り行き上作ってもらっただけなのでさして意識はしていなかったが、考えてみれば女子の手料理なんて状況は、独り身の俺にとってそうそうあるものではない。

 俺の反応に、志乃原は肩をすくめた。

「あり合わせなので、こんなものしか作れなかったですけど。先輩、次は冷蔵庫の中身もう少し充実させておいてください」

「え、いやいや……めっちゃ美味うまそうじゃん」

 ツナに卵にハムキャベツ、サンドイッチの定番がせいぞろい。あのびれた冷蔵庫からこんなにしっかりしたものが出てきたと思うと驚きだ。

「それなら良かったですけど。サンドイッチでそんなに喜んでもらえるなら、もっと手の込んだ料理作ってみたかったです」

 机に置かれたサンドイッチに今すぐ手を伸ばしたいが、まずは挨拶だ。

「いただきます。作ってくれてありがとう」

「どうぞどうぞ、なんか作ったがありました」

 志乃原は照れ臭そうに笑った。

 初めて見る表情に、思わずサンドイッチを取ろうとした手が止まる。

「ん、どうしたんですか」

「あ……いや。そんな表情もするんだと思ってな」

 そうかと思った末、心中をそのまま吐露した。

 きもいんですけど、なんて言われるだろうなと思ったが、志乃原の反応は違っていた。

「え、どんな表情してました? 私」

「なんつうか、照れた感じだった。いや、俺がそう伝えるのも恥ずかしい話だけど」

「……そうですか」

 すると志乃原は何か考えるように、人差し指を顎に当てた。

「……変なやつだな」

 つぶやいてから、サンドイッチをほおる。

 薄く塗られたマヨネーズがハムとレタスにとてもよく合っていた。

 最近はコンビニ弁当が主食だったので、誰かに作ってもらえたという事実だけで美味おいしく感じる。

 志乃原も考えるのをめてサンドイッチを食べることにしたようで、「いただきまーす」と軽い口調で挨拶した。

 自宅で誰かと食事をするのは違和感がありそうなものだが、コートを脱いだ志乃原は不思議と家にんでいる。

「そういえば先輩って、何かのサークルに入ったりしてるんでしたっけ」

「ん? 一応バスケサークルだけど」

 一応と付けたのは、サークル活動が週に二回あるのに対し、俺が活動に参加するのが月に一回あるかどうかだからだ。

「なんで?」

「んー。私、大学に入学してから暫くは部活に入ってましたから。先輩みたいな普通の大学生に、興味あるんですよね」

「周りにいるだろ、お前なら」

 志乃原ほどの容姿なら、何もせずとも人が寄ってくるはずだ。

 だが志乃原は「全然!」と激しく首を振った。

「私の周りって、いわゆるパリピが多いんですよね。私ってご覧の通り可愛かわいいんで、そういう人がまず寄ってくるんですけど」

 志乃原の周りといえばもとさかしか知らないが、確かにああいった人は志乃原に声を掛けたがるだろう。

 自分のことを可愛いと、さらりと言ってのけたことに関しては今更なので特につっこまないでおく。

「ああいう人たちを普通って思うほど、私してないです。最近はそういう付き合いに嫌気がさしてきてたところですし」

「元坂と付き合ったのも、そういう理由があってのことか」

「まあ、そうですね。前にも言った通り、大学生がしそうな恋愛イベントに興味があったからです。ていうか、蒸し返さないでくださいよ、これでも反省してるんですから」

 志乃原はむくれて、サンドイッチを大きく頰張った。

 食べっぷりの良いことだ。だが頰に詰め込んだサンドイッチはどうやらキャパオーバーだったようで、志乃原は慌てたように水をあおった。

「大丈夫かよ、おい」

 背中をさすってやると、志乃原も徐々に落ち着いてきたようだった。

 志乃原はそれから少しの間黙っていたが、やがて口を開いた。

「先輩って、彼女います?」

「なんだよ、またやぶからぼうに。いねえよ、いたら女子を部屋に入れない」

「ほっほう、まじめですね。今時珍しいですよ、ぜったい!」

 からかうような笑みに、お前だって浮気するような男が嫌だから元坂とめたんだろうと思う。

「何考えてるんですかー?」

「お前が嫌がること」

「げぇ、それ本人に言いますか」

 志乃原は顔をしかめて、再びサンドイッチを取ろうと腕を伸ばす。

 すると何かに気付いたように、跳ねるように立ち上がった。

「やばっっ、バイトだ!!」

「は、お前バイト前だったのかよ!」

 サンタに続いて、今のバイトまで俺のせいで辞めたとなると、また借りを返さなきゃならなくなる。そうは言っても遅刻くらいで辞めさせられるようなバイトは少ないだろうが、それでも時間を守ることに越したことはない。

 志乃原も時間遵守の意識はきちんと持っているようで、時間に気付くなり高速で準備をし始めた。最後にコートを羽織るとドタドタと玄関前に移動して、無理やりブーツに足を入れた。相当急いでいるようだ。

「悪いな、バイト前に」

「そういう時はありがとうでいいんですよ、先輩。ついでにごそうさまでしたもあればうれしいです!」

 そう言って志乃原は、俺に向き直った。

「はい、どうぞ!」

 急いでいるというのに、その言葉はどうしても聞きたいらしい。志乃原はその場でトントンと足踏みしながら、俺の言葉を待っている。

 半開きになった扉からは冷気が流れてきているが、志乃原に寒がる様子は全くない。

 元気なやつだ。

「ご馳走さまでした。ありがとう」

「ふっふふ。どういたしまして」

 志乃原は満足そうにコクコクとうなずくと、身を翻す。

「じゃ、また来ます!」

 扉を開けて、志乃原は駆けて行った。

 階段の音が徐々に遠くなり、やがて消える。

 俺は玄関先に立ったまま、先程の言葉をはんすうしていた。

 また来ます、か。

 俺は、他人を自宅に招き入れるのはあまり好きじゃない。

 それでも、また来ますと言われて、嫌な気持ちにならないのはきっとそういうことなんだろう。

「これで美人局つつもたせだったら、いい笑いもんだな」

 美人局でも、こんなに可愛い子から手料理を食べさせてもらえるなら幸せじゃないですか!

 志乃原の言いそうな文句が、あの小悪魔のような笑みと一緒に目に浮かぶようだった。


    ◇◆


 先輩の家は、予想していたよりれいだった。

 頼みごとに家事なんて単語が漏れるくらいだから、もっと散らかった部屋を想像していた。

 蓋を開けてみれば、少し服やプリントが床に落ちているくらい。先輩が慌てたように散らばった服、プリント類をベッドの上に置いていくと、それだけで先輩の部屋は、私がここに来た意味を薄れさせるほどマシになった。

 掃除機もかけているようで、あらわになった床には目立った汚れも見つからない。

 普段しっかりしていそうな先輩が、家では何もできない人だったら面白いなと思っていたのだが、そうはならなかったみたいだ。

 正直拍子抜けだったこともあり、軽い気持ちで昼食を作ってあげることにした。

 冷蔵庫には少しの食材しか入っておらず、思わず口を開けてしまった。こんな中身で、先輩は料理ができると思っているのか。

 仕方ないから、私はサンドイッチを作ることにした。というか、あの食材から作れるものがそれくらいしか思い浮かばなかった。

 そんな思いの中から生まれたサンドイッチだったが、先輩は実に美味しそうに食べてくれた。いつもは(いつもと言えるほど、時間を多く過ごした訳ではないが)冷静そうな表情の多い先輩が表情を崩してしやくしている姿を見ると、私は何だか楽しくなってきて、つい言ってしまったのだ。

「じゃ、また来ます!」

 今度は簡単なサンドイッチじゃなく、しっかり作り込んだ料理を振る舞ってみたい。

 あんな簡単なサンドイッチを、私の料理だと位置づけられるのは、いささか不本意だ。

 バイト先へと向かいながら私は口元を緩ませていた。

 先輩との出会い方は、多分最悪。

 サンタのバイト中にチラシをらされるなんて、数ある出会い方の中でもとっても悪い方に違いない。

 それでも、先輩と話す時間は結構好きだ。

 人間関係に、出会い方はあまり関係ないらしい。

 チカチカと点滅する信号を見て、私は駆け出した。

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