第二章 ヒロインと皇子⑤

 次の日も一緒にお昼を作り、エカテリーナとフローラはバスケットをかかえて雑談しながら、アレクセイのしつ室へ向かっていた。

 ろうのあちこちから、不思議なものを見るような視線が飛んでくる。思えば二人は、このほう学園の女子の中で最も身分が高い三大公爵令嬢と、最も身分の低いしよみん出身の男爵令嬢という、な取り合わせなのだから。

 のみならず、二人とも美少女だから、その点でも注目される。まあ一人ははくりよくありすぎてすでに美女って感じなのだが、それだけに男子の注目は熱かったりするのだね。

「……ノヴァ公爵令嬢とは名ばかりのはじらずか」

 そんな声がふと耳に入り込んできて、エカテリーナは思わず顔をしかめた。

 誰じゃ今の。

 が、すぐそれどころではなくなった。

「やあ」

 ひょこっ、と横の教室の、廊下側の窓から、夏空色の頭が現れたんである。

(ぎゃーっ! 皇子が出たー!)

 思わずエカテリーナはドン引きする。あやうく後ずさりしかけたほどだ。いつの間にか皇子イコールめつフラグ、くらいのにんしきになっていたらしい。

「で、殿でん……ごげんよろしゅう」

「エカテリーナ・ユールノヴァじようとつぜんすまない。楽にして」

 本来、スカートをちょっと上げてごしかがめる正式なおをすべきところなのだが、大きなバスケットがじやで難しかった。それが解っていたらしく、ミハイルは気さくに言う。髪色だけでなく、がおも夏空のように明るくて、まぶしいほどだ。

 その言葉に甘えて、エカテリーナはただ頭を下げ、フローラもそれをた。

 しかし皇子、今フルネームで呼んだよね?

おどろかせてすまない。僕もウラジーミルも、アレクセイからエカテリーナという妹がいると聞いていたんだ。入学式でアレクセイに手を振ったのをたいそでから見て、君がその妹だと解った」

 ……お兄様、皇子とこんなんですか。

 でも考えてみれば当然か、身分が近くてねんれいも近いんだから、そりゃ小さい頃から皇子の遊び相手というか話し相手としてし出されてるよね。

 そして皇子、けっこう目ざといな!

 しかしウラジーミルって誰。

 と思ったら、ミハイルがちらりと廊下の先に目をやった。

 その視線をたどると、うすあおむらさき色の髪をした男子生徒がたたずんでいる。くちびるはしを皮肉っぽい笑みにゆがめた、ちょっとぞくっとするような、すごいイケメン。

 ……になりそうな、高校生。

 えりもとの級章からして二年の上級生だろうけど、すべすべのほっぺがかわいいね。ビジュアル系バンドみたいなふんがノーメイクであるんだから、凄いことは凄い美形だけど、痛い人にならないといいねー。

 長めの前髪からのぞくひとみは、灰色がかった緑。

〝Green-eyed Monster〟

 というフレーズがなぜかかんだ。シェイクスピア先生すいません。

 とりあえず直感でわかる。さっき恥知らずとか言ったの、コイツだ。

「ウラジーミル、エカテリーナ嬢に用があるのか?」

 ミハイルが声をかけると、ウラジーミルは「いえ」とだけ言って、きびすを返して去った。いいのか皇子にその態度。


 少しだけその背を見送り、ミハイルはあらためてエカテリーナに笑いかけた。

「昨日もバスケットを持って通って行ったから、気になっていたんだ。どこへ行くの?」

 ん?

「はい……その……」

 言葉にまったのは、さっきの変なやつが気になったせいでも、思いがけず皇子と会話することになったせいでもない。ミハイルの言葉が、前世のおくげきしたためだ。

(これ! ゲームのイベントだ!)

 乙女おとめゲームで何度も通ったルート。ヒロインが自作のお昼を持って歩く姿に皇子が興味を持ち、話しかけてくる。

(なんだから、こっちじゃなくてヒロインに話しかけなきゃ! くそうさっきの変な奴、あんたのせいでゲームの流れがおかしなことに!)

 と思ったしゆんかん、エカテリーナはウラジーミルのせいばかりでもないことに気付いた。

 身分の異なる二人の人間がいる場合、皇子であるミハイルは、身分が高いほうに話しかけるのがマナーなのだ。その二人との親しさやさまざまな条件でちがってくることはあるが、両方と初対面であるこの場合、彼はフローラに話しかけることは出来ない。

 ああああ、自分の鹿

 いじめから守るためとはいえ、悪役令嬢がくっついてたらこのイベント、上手うまくいかなくなっちゃうだろ! すっかり忘れてた!

 ええいしゃーない、とエカテリーナは腹をくくった。ここでヒロインの好感度を上げることは重要なのだ。

「兄が、学園の一室をお借りして執務をおこなっておりますの。そこへ、お昼を届けに参ります。……殿下、ごしようかいいたしますわ」

 エカテリーナはばやくフローラのうでを取った。

「こちらはフローラ・チェルニー男爵令嬢。おやさしいおひとがらで、お料理にたんのうでいらっしゃいますの。兄のお昼に温かくて食べやすいものをとなやんでおりましたら、作り方をお教えくださいましたのよ」

 つつましやかにひかえていたフローラは、思いがけず引っ張り出されて目を見張っている。大きなむらさきの瞳がきわって、これもまた可愛かわいい。

 どや、皇子! この子、かわええやろ!

 思わずドヤ顔になるエカテリーナであった。

「君がチェルニー嬢か、うわさは聞いているよ。ゆうしゆうだそうだね」

 そつなくミハイルは微笑ほほえむ。

 思えば皇子、いい人だなあ。声をかけてきたのはさっきの変な奴をけんせいしてくれるためみたいだし。この先なんて、しようしんしようめいのロイヤルプリンス、高貴そのものの身分なのに、平民出身のヒロインとハッピーエンドがあり得るんだから。同じ世界に生まれ変わってみると、それがどれだけすごいことかわかるよ。

「殿下、よろしければおひとつ召し上がりませんこと?」

「それはうれしいな」

「フローラ様、殿下に差し上げてくださいまし。フローラ様がお作りになったもののほうがお上手ですもの」

「そんな、ユールノヴァ様もとてもお上手です……」

 と言いつつ、フローラはおずおずとバスケットを開けて差し出す。

 今日は焼きパン。パンにいろいろな具をはさんで焼いたものだ。かまどで焼くふっくらしたパンより、もちもちした食感になる。

 バスケットからふわっと美味おいしそうなにおいがただよって、ミハイルは笑顔になった。

「ありがとう。いただくよ」

 ひとつ取って、ぱくりと食べる。

「これは美味しい。チーズが入ってるね、いい焼き加減だ」

「お口に合って何よりです」

 フローラがにっこり笑う。ミハイルは少し眩しそうな顔をした。

 よし!

「そっちはまた別の味?」

「え?」

 ミハイルがエカテリーナのバスケットに視線を移してきたので、少し驚く。この後、つうに食事もするんだろうに……でも食べ盛りの男子高校生のとしごろなら、これくらいの食い気は普通なのかも。高校時代の同級生には、放課後お好み焼き屋に寄って家へ帰ったらばんはんもおかわりまでするとか、毎日のようにやってる子もいた記憶が。

 そういえば皇子もお兄様と同じく、乗馬やらけんじゆつやら、かつちゆう着て戦えるレベルの脳筋なきたえ方をしているはずか。なら、おなかいて当然だね。

「ベリーのジャムを入れて、甘くしたものがございましてよ」

「食べてみたい」

 甘い笑顔で言われてしようする。同年代ならイチコロかもしれないが、おねーさん目線じゃ子犬にしか見えないのよ。ま、ちようぜつきれいな子犬だけど。

「どうぞ、これですわ」

「ありがとう」

 バスケットを開けると、さっそくひとつ取って食べ、嬉しそうな顔をした。甘党だろうか。

「これも美味しい。僕は好きだ」

「お気に召したなら光栄ですわ」

 甘い物が嬉しいなんてお子様だねえ、とお姉さん気分で微笑むエカテリーナであった。

「呼び止めて済まなかった」

「おくちよごしでございましたわ。殿でん、ごきげんよろしゅう」

 フローラと共に一礼し、エカテリーナは歩き出す。

 なんとか、イベントクリア! ……だよね?



 フローラが、ほうっ……とふるえる息をいた。

「ああ……びっくりしました。まさか私なんかが、皇子様とお話しできるなんて」

 胸を押さえて、ほおを上気させている姿はとても可愛らしい。

 いらないじやもの(自分)がくっついていたとはいえ、ちゃんと皇子に好感をいだかせることができたはず。たぶん。

 そしてこの後、イベントでヒロインに危険がせまると、皇子がけ付けてくれたりする。はず。

「気さくなお方でございましたわね」

 ああいうところも、お兄様よりモテるというか女子にウケるんだろうな。フローラちゃんも感激してるし、正直自分だって、前世の記憶がなかったらコロッといっちゃったかも、と思うくらいだ。そしてこじらせて悪役れいじように……ぶるぶる。

 まあ、好みにどストライクなのはやっぱりお兄様なんだけどね!

 元祖型ツンデレ最高!

 それにしても、教室の窓から「あこがれの王子様」がひょっこり顔を出して手作りの食べ物をねだるって、すんごいベタな学園ラブコメ少女まんシチュエーションだよなー。ま、そこがあの乙女ゲームのだいっちゃ醍醐味だったけど。

 エカテリーナのい立ちがえらくハードモードだったから、乙女ゲームの世界と言いつつ、ゲームに出てこない人生とか歴史とかにちょっとあつとうされていた。ここもれっきとしたひとつの世界で、みんな生命を持っていて、はるか昔から続く歴史があって、たぶん地球は丸くて、太陽の周りを回ってて……なんて考えると軽く眩暈めまいがしたりしてた。

 なのに、やっぱりゲームの法則みたいなものは強力に存在してるんだなあ。

 だから、めつフラグも皇国めつぼうフラグも、すぐそこにあるんだよ!

 この世界で悪役令嬢の運命を背負って生きるからには、あらためて全力でフラグを折らねば!

 思わず心でこぶしをにぎるエカテリーナであった。

 だってお兄様にめいわくをかけるわけにいかないからね。お兄様の部下のみなさんだって、お兄様がとつぜん平民に降格なんかされたらどんなに困るだろう。

 ゲームの断罪の後って、ユールノヴァこうしやく領はどんなことになっちゃったのか、想像するとおそろしいわ。できる上司が突然いなくなるつらさ、しやちくはわかりみ激しすぎて泣きそうです。

「ユールノヴァ様はさすがですね、堂々とお話しされていて」

「あら、わたくしもおどろきましたことよ」

 なんせうっかり後ずさりしそうになったくらいだからね……。

 皇子は全然悪くないんだけど、自分を破滅させる(かもしれない)人と対面て心臓に悪いわ。早くこの子とラブモードになってくれたら、安心できると思うけど。……安心していいんだよね?

 な、なんにせよ、フローラちゃんとミハイル皇子、お似合いだよ。フラグのことがなくたって、幸せになってくれたらこっちも嬉しいよ。

 ベタな学園ラブコメ少女漫画とか言っちゃったけど、こーんな美少女と美少年なら目の保養。今のポジションて、映画みたいなういういしいラブロマンスを特等席でながめられる、ていうか手助けできる、お得感すらある立場だわ。二人ともいい子だもん、お姉さん張り切っておうえんしちゃうよ。

 ……あれ、でも、つい昨日、ヒロインと仲良くなる代わりに皇子には近づかない会話しない、とか心に決めたような。

 応援するならそうもいかないぞ……。

 なんか破滅フラグ対策が、グダグダになりつつあるような……。

 だ、だってしょうがないし!

 皇子のほうから来ちゃったんだから、シカトしてたら不敬罪とかで逆にヤバいやん!

 対策さいへんこう。悪役令嬢はヒロインと皇子を応援します!



「フローラ様は、きっとこれからも殿下とお話しする機会がありますわ。だって、学園で一番愛らしいご令嬢でいらっしゃるのですもの。殿下もさぞ関心を持たれたにちがいありませんわよ」

「え、いえ、そんなことは。皇子様はきっと」

 フローラは目を丸くして言いかける。が、エカテリーナにさえぎられた。

「ごめんなさいまし、ひとつだけ申し上げますわ。皇子様、とおっしゃるとけいしようが正しくないなどと言われてしまいますから、殿下と申し上げたほうがよろしゅうございましてよ。細かいことを言って、お気を悪くなさらないでくださいましね」

「そうなんですね、気をつけます。ありがとうございます」

 くちびるを押さえてフローラは赤くなり、エカテリーナにはげますように微笑ほほえまれた。

 それでフローラはもう何も言えなかったのだが、ひそかに思わずにはいられなかった。

(でも殿下が関心をお持ちなのは、だれがどう考えても、ユールノヴァ様のほうです。おきれいで、おやさしくて、殿下とり合うほど高貴な身分の方で、以前からお兄様に話を聞いていて……こんなに理由があるのに、本気でわかっていらっしゃらないみたいなのが不思議で仕方ありません)



 この世界は乙女おとめゲームのたいで、自分は悪役令嬢キャラで、前世はアラサー社畜だったと、エカテリーナだけが知っている。

 逆に言えば、ほかの誰一人として、そんなことは夢にも思うはずがない。

 本人以外のすべての人間にとって、エカテリーナ・ユールノヴァは目をうばわれるほどのぼうを持つ、皇国の貴族という貴族の中で最も高貴にしてゆうな三大公爵家のご令嬢であり、病弱で世間知らずな十五歳の少女である。

 フラグ折りと、不慣れな学園生活と、お兄様の健康管理、その他もろもろでいっぱいいっぱいのエカテリーナが、そのギャップに気付く日は来るのだろうか。

 その日は当分、来そうにない。

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