Ⅱ/甘え下手な頑張り屋さん
この男の境遇を、ある種のエンタメタイトルになぞらえて表現するとこうであろうか。
『役立たずと実家を追放された俺、平民の高校生に紛れながら陰の実力者として学園を支配する』
いやいや待ってくれ、と和泉は思った。
全体的にニアミスだ。情報の正誤性で言ったのなら、半分も当たっていない。つまり50点以下だ。よほど平均値を引き絞ったテストでないと、追試の可能性だって見えてくるではないか。
そもそも自分は陰の実力者ではないし、この学園を支配していない。平民という言い方もよくない。
ここは普通の高校だ。特別に入試のハードルが高いわけではないし、ヤンキー漫画ばりに荒れることもない。
朝には生徒たちの他愛ないおしゃべりに花が咲き、授業中は半分程度が舟をこぎ、放課後は部活動生の活気のある声が響く。男女グループを作ってわいわいと賑やかにリーダーシップを取る連中もいれば、ときどきギターケースを背負って歩く一匹狼もいる。東京にある普通の高校だ。
そんな学校に陰の実力者はいないし、自分も知らない。いや、知っていたら陰の実力者ではないのか? どうでもいいか。
まあ、実家から役立たずと追放されたのは事実であるが。
ぼんやりとした思考は、そこで騒がしい声にかき消された。
「和泉! おまえ、放課後ヒマ!?」
「え。なに?」
耳元で叫ばれて、耳がキーンとなった。
和泉は幼い頃、中耳炎を患っていたことがある。その名残か知らないが、けっこう音に敏感だったりする。どうでもいいことである。
すると三人の男子が、和泉の席に押し掛けてわっとまくし立てた。
「今日、
「ヘルプ頼む!」
「おまえ、顔と家柄だけが取り柄だろ!」
「その無駄なイケメンを世界のために有効活用しようぜ!」
「てか、撒き餌くらいしかおまえの生きる価値ないじゃん!」
散々な言われようであった。
とてもではないが、助っ人を勧誘するタイミングで浴びせる言葉ではないだろう。実は嫌われてるのかな……と微かな疑いを覚えたのは、和泉だけではなかった。
これが和泉のクラスでの評価である。
顔と家柄だけ……和泉は非常に顔面偏差値が高い。しかしそれだけである。学園を裏から支配するどころか、ほとんどマスコット扱いであった。
そんな三人に対して、和泉はフッと意味深に微笑んだ。
「バカだな。おまえら、自分の首を絞めるようなもんだぜ?」
「「「……っ!?」」」
やけに自信満々な様子に、三人が息を飲んだ。
自他ともに認めるイケメンが、合コンに参加しない。それが他の男たちのためになるという。その言葉の真意は如何に。
そして和泉は、これ以上ないほどの決め顔で告げた。
「俺が合コンなんて行ったら、おまえらに一人も女子が残らねえからな。そんな可哀そうなこと俺にはできねえよ」
和泉の周囲に謎の薔薇が咲き誇った……ような気がした!
「「「…………」」」
無言であった。
三人がしらーっとした顔で和泉を見つめる。
和泉の周囲で咲いていた謎の薔薇が、みるみる萎んでいく。同時に和泉の顔が真っ赤に染まり、やがてプルプルと震えながら三人に怒鳴った。
「なんか言えよ! 俺がスベったみてえだろ!?」
紛れもなくスベってるのだが、主観ではギリギリセーフであった。
そんな和泉を眺めながら、三人は顔を見合わせてため息をついている。
「これだよ」
「恥ずかしいなら言わなきゃいいのにな」
「やっぱこいつダメだわ。絶対に空気、白けさせる」
ボロクソであった。
あまりに温情のない対応に、さすがの和泉も物申す所存である。
「うるせえよ! おまえらがヘルプに来いって言いだしたんだろ!?」
「イマドキはトークのほうが大事なの」
「顔だけの俳優より、不細工な芸人がモテる時代なんだよ」
「おまえマジで顔と家柄しか取り柄ねえじゃん」
ド正論でグサグサやられていると……。
「えー。何々? 和泉っち、どうしたの~?」
そんな快活な言葉と共に、髪を明るめに染めた女子生徒が教室へと入ってきた。
【
現役のモデルという肩書を持ち、イマドキの十代女子のファッションリーダー的な扱いを受ける美少女である。
間違いなく、この学園が誇る
その登場にクラス中が色めき立った。
「雨音、久しぶりっ!」
「先週から来てなかったじゃん。どうしたの?」
「仕事? こんなに空けることなかったよね?」
すると雨音が、少し気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「や~。ちょっとパパに連れられて、ロス行ってて……」
けっこう大きめの報告に、クラス中が沸いた。
「マジかよ!」
「すげえじゃん!」
「雨音のお父さんって、デザイナーしてるんだよね?」
矢継ぎ早に浴びせられる言葉に、雨音は慌てて返事をしている。
「デザイナーっていっても、全然有名とかじゃないし! 今回もお師匠さんって人の付き添いで連れてってもらった感じだしね」
「でも雨音も一緒に行ったんだろ? すごくね?」
「すごくないよ~。仕事風景とか楽しかったけど、突然だから参っちゃった」
そう言いながら、腕に提げたトートバッグを開けた。雨音がその中から、いくつかの種類のキーホルダーを大量に教壇に盛る。
「はい、みんなにお土産。向こうで流行ってたから買ってきたんだ~」
一つずつ手渡しで配っていくが、それがしっかりとクラスメイトの好みを把握しているようだから驚きだ。女子たちは「わ、これ好きかも」とか嬉しそうに話しているし、男子たちにも漏れなく好評のようである。
そんな中、クラスメイトの女子が言った。
「あ、雨音。てか、その前に今日の小テスト聞いてる?」
「うん。一限の数学でしょ?」
「休んでたのに大丈夫?」
「予習は向こうでやってたからバッチリだよ♪」
「ヤバ! 雨音、さすが学年トップ!」
尊敬のまなざしを向けられると、むず痒そうにした雨音が「もぉ~っ!」と叫んだ。
「しょうがないな~。わからない人、まとめて来い! 雨音が教えちゃる!」
わいわいと雨音の席に集まって、あれやこれやと小テストの要点を話している。内容は非常にわかりやすく、不安のあったクラスメイトたちも十分な自信に繋がったようだ。これがクラスでの雨音の立ち位置である。
💣💣💣
──その日の放課後。
部活動生たちが散り、その他の生徒たちも帰りつつある教室。そんな中で、帰宅部の女子たちが雨音に声をかける。
「ね、雨音。一緒に帰ろ~」
「この前、雨音が絶対に好きそうなクレープの店、見つけたんだ~」
しかし雨音の席で広がる光景に、首をかしげた。
和泉が眉間に皺を寄せ、教科書の前で険しい表情をしている。どうやら問題を解こうとしているようだが……その雰囲気から、どうも順調ではないとわかる。
「……………………」
それを雨音が、困ったような表情で見ていた。
「和泉っち、どう?」
「……わからん」
和泉の成績を知っているクラスメイトの女子たちが、はあっとため息をついた。
「和泉さ。無駄な努力やめときなって」
「いつも雨音に勉強教えてもらってるのに、全然テストできないじゃん」
和泉がむっとして言い返した。
「うるせえなあ。俺は大学の推薦取らなきゃいけないんだよ」
「だから無駄だって。雨音、うちらと遊んでるほうが有意義だぞ~」
雨音が慈愛の笑みで応えた。
「やあ~。やっぱ可哀そうじゃん? 和泉っちだって、やればできると思うからさ~」
「女神かよ。あ~もう、雨音がそう言うならしょうがないか」
女子たちが「雨音やさし~」とか言いながら、教室を出て行った。
そして和泉と雨音が二人きりになった。
しばらく廊下からは、他のクラスの生徒の足音が聞こえている。やがて人の気配が消え、遠くグラウンドから運動部の練習の声が聞こえ始めた頃……。
──和泉が両腕を組み、雨音がそっと机に平伏した。
「可哀そうで悪かったな?」
「すみませんでした! 今日も雨音に勉強、教えてください!」
立場が逆転した。
その変貌ぶりをクラスメイトたちが目撃したなら、一様に目を剥いたことであろう。先ほどまで和泉が見やすいように配置されていた教科書を、くるりと反転させた。
そして和泉が、呆れたように言った。
「その完璧な優等生って見栄張るのやめたら?」
「でも! 今更やめられないじゃん!」
「まあなあ。なんでみんな、あんな綺麗に騙されてるんだろうなあ」
「それは雨音が聞きたいよ~っ!」
事の起こりは、一年の夏休みのことであった。
定期テストの赤点で留年寸前となっていた雨音に、和泉が勉強を教え出したのが始まりである。その頃から、このように定期的な『勉強会』が開かれていた。
「てか最初に、おまえが調子に乗ってクラスの連中に『教えてあげる~』とか言わなければよかったのでは?」
「だって和泉っちのおかげでテストがいい点になったら、みんなが『教えて~』って言ってきたんだもん!」
「その頼られると断れない癖、高校卒業するまでに治しといたほうがいいぞ」
「ううっ! わかってるけど、あんなキラキラした目で見つめられると~っ!」
嘆いている雨音に、和泉がニヤニヤしながら告げた。
「自分のキャパ、ちゃんと把握しとけ~」
「流行りの勉強するだけでも手一杯なのに、学校の勉強なんてしてる暇あるか~っ!」
「それはごもっともなんだけど、本末転倒じゃねえか……」
和泉は一冊のノートを取り出した。
表紙には『A専用⑮』と書かれている。Aとは雨音のことである。
「はい、今回の授業内容な」
「和泉っち先生、ありがと~っ!」
「語呂悪ぅー」
雨音が目をキラキラさせながら、そのノートを開いた。
雨音が休んでいる間の授業内容をまとめたものである。それも雨音の勉強の傾向を鑑みて、弱点を中心にわかりやすく解説したもの。
雨音のためだけに和泉が編集した、オリジナルの教材である。
和泉はそれを指さしながら言った。
「この公式、絶対に覚えとけよ。この時期の中間テストには間違いなく出るからな」
「う、うん。メモ取っとく」
「中間テストだけじゃねえからな。これから習う公式の基礎にもなる。もし迷ったら、この公式を当てはめてりゃだいたい解ける」
「和泉っちならそうだけど、雨音には難しいんだって……」
「反復練習しろー。脳じゃなくて身体に覚えさせるんだよ。勉強っていうのはスポーツと一緒だ。やった分だけ、身体に染みつく。勉強は要点だけやりゃいいんだから、スポーツより楽勝だろ」
謎の持論を展開しつつも、雨音にはけっこうしっくりきている様子である。
そんな勉強を二時間ほど続けていると、やがて最終下校時刻を告げるチャイムが鳴った。和泉は参考書を閉じて、スマホで時間を確認する。
「じゃ、他の教科はまた今度な」
雨音が机にぐでーっと突っ伏した。
「いつもありがと~先生~」
「先生やめい」
「今度の中間、ほんとヤバそうでさ~。パパがけっこう仕事受けちゃって、いつ勉強すんだよ~って感じ……」
「ふうん。マネージャーが実の親ってもの大変だな」
どこか他人事のように言いながら、和泉は鞄に参考書を詰める。
「俺は要点を教えてるだけで、あとはおまえの努力の結果だろ」
しかし雨音は不満げである。
「自分は赤点ギリギリだけ取って満足してるのもったいないって~」
「バカのふりするのも慣れたら楽だぞ。期待されないってのは人生を生き抜く最強の武器だからな」
「それ、雨音に言うの~?」
「すまん、すまん。俺の場合は、だな」
苦笑して告げる和泉に、雨音は微妙な顔で言う。
「で、でも、なんか雨音がズルしてるみたいじゃん……」
「そんなことない。さっきも言ったけど、おまえの努力があってこそだろ」
和泉の言葉に、わずかな嘘もなかった。
今朝の小テストの勉強会。あの様子を、和泉も見ていた。
自分が点を取れるのと、他人に教えられるのは意味が違う。他人に教えられるということは、それをしっかり自分のものにできている証拠だ。
雨音は、地頭はいいのだ。問題は勉強する時間が満足に取れないこと。それをこの放課後の限られた時間で、要点を叩きこむのが和泉の教え方であった。
「おまえが頑張ってるの見てるだけで、俺は楽しいよ」
「……っ」
雨音の頬が赤く染まったことに、和泉は気づかずに……。
和泉は鞄を肩にかけると、雨音に言った。
「雨音は飲み込みも早いし要領もいい。今のところ、勉強に充てられる時間が少ないだけだ。高校卒業するまでには、いい感じになるからさ」
「卒業……」
「どうした?」
「あっ! いやいや! なんでもない……」
やや挙動不審であった。
しかし和泉は気にしない。
「それじゃあ、俺はそろそろバイトあるから。戸締まりよろしくな」
「う、うん……」
そして鞄を持ったとき──そのアバンギャルドな犬のキーホルダーが夕陽に煌めいた。雨音のお土産である。
それを見た瞬間、雨音は思わずその袖を引いていた。
「雨音?」
「あ、あのね……」
やや躊躇いを見せるが、すぐに意を決した。そして夕陽にも負けないほどに頬を真っ赤に染め、消え入りそうな声で訴える。
「こうやって勉強教わってるの、誰にも言わないでよ? 雨音がこんな弱いとこ見せるの、和泉っちだけなんだからね……?」
「…………」
その少し潤んだまなざしを受けて、和泉は微笑んだ。
「わかってるよ」
その笑顔に、雨音の顔がさらに真っ赤に染まった。
「う、うん。……それだけ」
「それじゃあ、また明日」
そう言って、和泉は教室を出た。
💣💣💣
和泉が教室を出た後。
雨音は彼が編集したオリジナルのノートを抱えて、キャーッと足をバタバタする。
(和泉っち! ぜったい、雨音のこと好きじゃ~ん!)
このノートも、もう十五冊目。ただでさえ面倒くさいだろうに、それをこんなにも献身的に続けてくれるのだ。絶対に『ただの友だち』の感覚ではないだろう。さっきの和泉とのやり取りを思い返すだけで、顔がふにゃふにゃになるのが止められなかった。
そして和泉にあるであろう下心……雨音にとっては好意的なものであった。
いわゆる両片思い。どちらかが踏み出せば、簡単にハッピーエンドになるシチュエーションだ。
しかし、ここ一番で踏み出せない。
関係が進んでしまって、ぎこちなくなってしまうのが怖い。そもそも男子と付き合ったことがない。付き合った後、どうやって振舞えばいいかわからない。
何より告白して、万が一にもフラれてしまったら……なんて弱気なことを考えてしまうのは、やはりみんなの知っている人気モデルの雨音ではなかった。
でも、それでもいいのだ。
本当の雨音を知っているのは、和泉だけでいい。そして本当の和泉の価値を知っているのも自分だけでいい。
(あ~も~っ! いくら競争相手がいなくても、じれったすぎるよ~っ!)
雨音はまたバタバタと足をばたつかせる。
【天崎雨音】
片思い歴『半年以上』。
そんな雨音の置かれたシチュエーションを、ある種のエンタメタイトルになぞらえて表現するとこんな感じだろうか。
『学園の憧れアイドル様は、二人きりのときだけ甘え下手な頑張り屋さん』