生存、無理です☆ 闇川さんは地雷系のふりをしている。
これは、生きることが苦手な僕たちが、生きる場所を見つけるための物語だ。
* * *
「ひろぴっぴ、だーれだっ☆」
待ち合わせ場所の駅前でスマホを見ながら人を待っていると、突然目の前が暗闇に覆われた。
「わっ!?」
暗闇の中で感じるのは、目蓋に押し当てられた掌の温かさ……だけではない。
後ろから密着されたことにより、背中に胸部の柔らかな感触が押しつけられているのもじんわりと感じる。心なしか、いい匂いまでする気がする。
「ちょ、ちょっと待って、いきなり――」
「はんたーちゃーんす☆ これに答えられたらぁ……今日はひろぴっぴに……らぶらぶモード二倍、あ・げ・る☆」
「は!? なに、そのらぶらぶモード二倍って……!? なに基準!?」
「そのかわりぃ……当てられなかったら……しにたみモードで一日一緒に過ごすことになっちゃう……かも……。それじゃあいくね、じゅーう、きゅーう、はーち……」
突然の不穏なカウントダウンに焦りながら、僕は答えを返す。
「や、
僕がそう叫ぶと、ぱっ、と手が離されて世界が明るくなる。
振り返ると、待ち合わせていた人の姿。
どうやら彼女は、片手に飲み物を持ったまま、もう片手で僕の視界を遮っていたようだった。
彼女は、にぱー、と笑いながら横ピースを作って言った。
「せいかーい☆ 正解は~可愛い可愛いやみちゃんでしたー。当てられちゃってぴえん! ひろぴっぴしか勝たん☆」
理性をそっと甘噛みするような声だ。
それを聞いた周りの人たちが振り向いて、僕たちを見る。
そして、さらに驚いたことだろう。
僕の目の前にいる少女が黒ずくめの衣服に全身を包んでいるから。
『やみちゃん』を自称する彼女の本名は闇川
黒髪の後ろを黒いリボンで留めてツーサイドアップにし、直線的に整えた前髪。
濃いめのアイライナー。黒のチョーカー。首の側面からうなじにかけて、ヴィジュアル系バンドのロゴがタトゥーとして大きく刻印されている。
真っ黒なネイル、ボトムにガーターベルトと黒いプリーツスカート。トップのフリルとリボンのついた黒い服の内側には、それなりに大きな胸の膨らみがあるのが外部からでもわかる。
いわゆる『地雷系』ファッションだ。
おまけに、彼女は手に持った缶――強アルコール飲料『ストロンガーゼロ』――に挿したストローから、中身をズズズズズと一気に流し込む。
「くふぅ~! 今日も生存、無理です☆」
この状況を第三者から見れば、僕は地雷系女子に翻弄されている男子高校生とでもいったところか。
だけど、真実は違う。
そのストロンガーゼロ缶、中身はりんごジュース。
ここに来るまでに、わざわざ空き缶に詰め替えてきているのだ。
なにしろ、彼女はまだ未成年――僕と同い年の女子高生なのだから。
「闇川さん、闇川さん」
僕は小声で囁きかけ、闇川さんの耳に口を寄せて話す。
「ん、なあに、
それをきっかけに僕の呼び名もひろぴっぴから広野に変わる。
「……僕もよく知らないんだけど。さっきの『はんたーちゃーんす』って、もしかしてすごく古い番組の言葉じゃない? たぶん……若い子はまだ生まれてないような時代の」
「えっ?」
闇川さんは一瞬きょとんとしてから。
「えええ、今テレビでやってないの!? 『約100万円クイズハンター』!」
「そうだね」
「そんな……おばあちゃんが今でも毎日ビデオで観てるの私も一緒に観てるのに……。もう令和にはない番組だなんて……」
闇川さんががっくりと肩を落とす。
「ていうかビデオに録ってまで昔のクイズ番組を繰り返し見てるんだ……」
「おばあちゃん、最近のテレビ番組は面白くないからって。でもそんなの、そんなの……あっと驚くタメぴえんだよ~!」
絶対それも古い言葉が元ネタでしょ。
そう。このあたりで詳しい人は……というか、誰でもわかるかもしれないが。
彼女の使っている『ギャル語』あるいは『地雷系女子語』は……ほとんど薄っぺらな、でたらめに近いものだ。
「闇川さん、もうちょっとギャルっぽい言葉を使わないと、どうやってもボロが出ちゃう……」
すると闇川さんは、僕の肩に額を当て、小さな声で囁いてくる。
「うう……そんなこと言われても、広野くん……もう引き出しがないんだよ~! もっとなんか、会話の中で自然に良い感じに語彙増やさせてよ! 広野くん、『ピ』でしょ! やみちゃんの!」
「そんな無茶振られたって!」
要するに、彼女――闇川舞音は本当は地雷系でもなんでもない。
地雷系のふりをしているだけの、フェイク地雷系女子なのだ。
なのに、何故僕が今彼女の『ピ』として話を聞いているのか?
良い子のおばあちゃんっ子が無理に地雷系をやるという、どうして、こんな状況が生まれているのか?
すべてを語るために、話をいったん一週間前に遡ろうと思う。
* * *
「うううーーーーん」
僕は、玄関から出て大きく伸びをする。
約十年ぶりに吸う街の空気だ。
この度、幼少期に住んでいた街に、僕は約十年ぶりに戻ってきた。しかも、一人暮らしで。
この街には、色々な想い出がある。いいものも、悪いものも。
中でも一番強く思い出すのは、子供の頃、近所に住んでいた同い年の少女のことだ。
名前は確か――闇川さん。彼女はいつも引っ込み思案で、あんまり目立たなくて、清楚で利発な、おばあちゃん大好きっ子だった。そして何より……めちゃめちゃ良い子。
彼女はいつも僕の後ろにひょこひょこついてきて、何かと僕の世話を焼いてくれた。
だから、とあるよんどころない事情で僕がこの街を去ることになった時、彼女はこう言ったのだ。
「う、うううええん、ひろのくん、行っちゃうの……? や、やだよおお!」
「しょうがないよ。ひっこしがきまっちゃったんだから」
「いつか……いつか、もどってきてね。やみ、それまでずっといいこにしてるから……」
その熱望を受けて、僕は照れ隠しで言う。
「じゃあ、やみがずっといいこにしてたらぼく、またやみのところにもどってくるよ。なにか困ったことがあったら、たすけてあげるから」
「やくそくだよ! ぜったいだよ!」
……そんなことを言った記憶が、おぼろげにある。クソ恥ずかしい。
「まあ、もう向こうも覚えてないかもしれないけど」
もっと言うなら、もうこの街に住んでない可能性まであるだろう。僕は十年前と同じ家に帰ってきたのだが。
「……せっかくだし、散歩にでも出てみるか」
どれぐらい街並みが変わったのかも気になるところだし。
と、僕が道路の方に出た瞬間――
目の前を、サッと一陣の黒い風が通り抜けていった。
すぐに気付く。今のは、真っ黒な服の少女だ。それも、普段僕が見る機会の少ない、ゴテゴテのゴス系――いや、いわゆる『地雷系』の格好をした少女だ。
だけど――
「……あれ?」
今通り過ぎていったその顔。どことなく、見覚え……いや、面影がある。
記憶が確かなら、あの地雷系女子。
たぶん……いや、間違いない。
僕の幼馴染みだった、闇川舞音さんだ。
「あー……」
僕は頭を押さえてうずくまる。そのままもう一度顔を上げて、その子の姿を遠目に見る。
「……変わっちゃうもんだな、人って」
まあ、地雷系だから悪い子だ、というわけでもないのだろうが、子供だった頃の清楚な良い子イメージとはあまりに程遠くて。
僕がイメージする『地雷系女子』は、やたら愛が重くて、ちょっと怖くて、昼間から飲酒してそうで、やばい薬とかも飲んでそうで、いつも人生に対する不平やつらさを口にしているイメージ。はっきり言うと、あんまり積極的に近づこうとは思わないような子――なにしろ、触れたらヤバそうだから地雷系と言うのだ。
「話しかけ……ようかな……どうしようかな……」
久しぶりの再会でも、話しかける勇気が湧かない。だって、あそこまで自己主張の強い格好をされてたら……なんだか気後れするし……。
なんて考えていたその時。僕の顔に、冷たい雨がボトボトと降り落ちてきた。
「あれ、天気予報で雨が降るって言ってたっけ――」
そんなことをつぶやくやいなや、雨はあっという間に本降りに変わる。
「うひゃー」
どうにも、この街での新しいスタートなのに幸先が悪い。
僕は逃げ帰るように家の中に戻ろうとした――
ところで、もう一度道路の先に目が止まった。
さっきの地雷系女子、おそらく闇川さんが、傘も差さずに木に向かって背伸びするように手を伸ばしている。
「何してるんだろ……闇川さん」
そして、僕は闇川さんが手を伸ばしている先を見る。そこには――
「にゃーん」
木の上で子猫が寂しそうに鳴いていた。
恐らく、高い所に登りすぎてしまったのだろう。
彼女は降りられなくなってしまったその子猫を助けようと懸命に手を伸ばしているようだった。
「んしょっ……今助けてあげるからねー。んんっ……」
だが、手を伸ばしても届かないし、握力が弱いのか、木に登ろうとしてもずるずるとずり落ちていく。
結構な値段がするであろう彼女の地雷服は、あっという間に雨と泥でどしょどしょになっていた。
心配になった僕は、後ろからそっと彼女に近づいていく。すると彼女は、思い切ってジャンプしながら木の枝につかまろうとして――
「うう……と、とど……とどか……にゃっ!?」
ついに手を滑らせて勢いよく落下した。
「わっ」
僕は、とっさに落ちてきた彼女を受け止める。
少女のあまりに軽い身体が、僕の中にすっぽりと抱き留められる。
「あいてて……あ、ありがとうござ……」
そこで、彼女の瞳が僕を捉えた。
「……広野くん?」
彼女の口から、ぽつりとそんな言葉が出た。
「あ、闇川さん、僕のこと覚えて――」
「え、広野くん!? 広野
闇川さんは瞬時に高揚しながら話す。
なんだかんだ、僕のことを覚えていてくれたことに安堵しながら、僕はすっ、と彼女を立たせる。
「え、ええと……闇川さん。僕があの猫、代わりに助けようか?」
「……え?」
闇川さんは、きょとんとした目で僕を見る。
「あ、う、うん! お願い……できる?」
「……やってみるよ」
僕は背伸びして木の幹を掴み、懸垂の要領で身体を引き上げる。闇川さんとの違いは、握力だ。
「よっと。くっ!」
それだけでもう、僕の目の前に子猫が居た。
「わ! す、すごい……さすが広野くん……」
そんな闇川さんの賞賛を受けながら僕は、子猫を片手で抱えると、そのまま腕を戻して木から降りる。
「捕まえたよ。はい」
僕は闇川さんにその猫を手渡す。
「あ、ありがとう……」
「この猫、闇川さんの飼い猫?」
「ううん。野良猫。降りられなくなっちゃってたのがかわいそうで……。とりあえず自然に帰してあげるね」
そう言いながら、闇川さんは路上に猫を放つ。
野良猫は、にゃーんと鳴きながら素早く去っていった。
「……ばいばい」
闇川さんは、優しい笑みで猫に手を振る。
それから、再び僕に向き直っておずおずと話しかけてきた。
「あ、あの……広野くん……改めて久しぶり、だね」
「うん。忘れられてなくてよかった」
「……ほんとに帰ってきてくれたんだ……」
「まあね」
闇川さんは喜びを隠しきれないようにはにかむ。
「えへへ、嬉しいなあ」
そして、そんな闇川さんの様子に、僕は違和感を覚える。
なんだか、最初に受けた印象と随分違う。
格好ほど、地雷系女子らしい様子も、口ぶりもない。
なんとなく想起されるのは、収録の時はハイテンションだが楽屋では無口になるお笑い芸人みたいな――
「へくちっ」
その瞬間、闇川さんは大きなくしゃみをした。
ぴっちりと張り付いた服が、彼女の身体を冷たくさせているようだった。
「うう……さぶ。風邪引きそう……」
そう言いながら闇川さんは身を震わせる。
僕は、首の後ろを掻きながら切り出す。
「あのさ、闇川さん、うち、すぐそこなんだけど。よかったら、服乾かしてく?」
「……え?」
「うち、親居ないしさ。乾燥機も使えば、30分ぐらいで乾くと思うし、傘も貸せるし」
闇川さんは、僕の顔をじっと見つめる。それから。
「……うん……広野くんが言うなら……」
静かに、頷いたのだった。
* * *
「じゃあ、闇川さん、タオルここに置いておくから。乾燥機も止まったら勝手に開けていいよ」
僕はできるだけ、浴室のシルエットを見ないように顔を背けながらタオルを置く。
「ありがとー」
浴室の磨りガラスの向こうから朗らかな声が聞こえてくる。
その中では、闇川さんが温かいシャワーを浴びている。
水音を聞かないように、僕は一人、居間へ戻ってソファに座る。
なんだか、女の子が僕の家のシャワーを使っているなんて、初めての経験でどぎまぎしてしまう。
……雨に濡れていたとはいえ、闇川さんからはいい匂いがしていたことにも驚いたな……。
って、ダメだ、こんなこと考えちゃ。
僕はパンパン、と自分の顔を叩く。
それにしても、闇川さんの変わりようには驚いたものだ。
この十年の間に、あんなゴリゴリの地雷系女子になるなんて。……でも、なんだろうな。
話してみるとそんな印象は受けないんだけど……。
なんて思っていたその時。
「……ねえ、広野くん」
「はい!」
突然声をかけられて、僕は跳ね上がるように直立する。
そして、声をかけられた方を見ると――シャワー上がりで、バスタオルを身体に巻いた闇川さんが僕の前に立っていた。
「や、闇川さん!?」
闇川さんは真剣な表情をしていて、その地雷メイクは、ほぼすっぴんに変わっている。
メイクなんかしなくても、彼女の顔はあまりにも整っていることがわかる。それは十年前の印象と変わらない――保険会社のCMに出てくる女優のような、清楚としか言い様のない顔立ちだった。
「や、闇川さん、服……か、乾かなかった? 乾燥機になにか問題あった?」
僕は彼女から目を逸らしながら尋ねる。
すると、ぼそり、と闇川さんはつぶやいた。
「……私、服を着る前に……どうしても広野くんに、見てほしいものがあって……」
「え?」
「あのね。これから見せるもの、広野くんの心の内に留めてくれる?」
「い、いいけど……な、なにを……!?」
心臓がバクバクしている僕をよそに、闇川さんの姿勢が少しだけ前屈みになる。すると、バスタオルで押さえた大きな胸の谷間が強調され、隠されている部分が見えそうになる。
い、いきなりなんだ!? 助けてあげたお礼のつもり……とか!?
そして――
「ほら、ここ」
前屈みになった彼女が振り向いて自分の首の後ろを見せる。
きれいな、白いうなじがよく見える。
「……え、うなじ?」
「うん、うなじ」
「それがなに……」
と言いかけて、僕は止まる。
「……闇川さん、さっきまでその首筋に大きなタトゥーしてなかった?」
「気付いてくれた……。そう。あれね、シールなんだ」
「なるほど……えっ、てことは?」
「……私ね、実は」
闇川さんは一呼吸置くと、目を瞑りながら、決意を込めて叫んだ。
「もうかれこれ三ヶ月、地雷系女子のふりをしながら生活してるの!!」
王様の耳はロバの耳だとでも大声で叫ぶような、気持ちのこもった激白だった。
* * *
それから、改めて乾いた地雷服に着替えた闇川さんが僕の前に座っている。
「ありがとうね、広野くん。私の話聞いてくれて」
床にぺたん、と地雷服を広げて座るさまが、妙に愛らしい。まるでお人形さんだ。
「いや、それはいいけど……さて」
僕は、一息吐く。
「闇川さん、どうしてそんな無理して地雷系女子のふりなんかしてるの……?」
すると闇川さんは、神妙な顔をして言う。
「ねえ広野くん。広野くんはコンカフェって知ってる?」
「……えっと、コンセプトカフェだっけ? ものにもよるけど、色んなテーマで、メイド喫茶の延長みたいな……」
「そう。私ね、今ここでバイトしてるんだ」
彼女は、カフェらしき店舗の写真をスマホで見せてくれる。
その店の看板にはこう書いてある。
『闇カフェ☆人生つらぽよ』
「な、何このお店……。闇カフェって店名も……」
「病みカフェのダブルミーニングでもある、って店長は言ってた。病みとか地雷系がテーマのカフェなんだよ」
「なんか物騒な……ああでも、ここで働いてたら確かに……」
納得しかけて僕は首を振る。
「いやいや、だから問題は、闇川さんがどうしてこんなところでバイトをってこと! あんなに清楚だったのに!」
「その……最初はね、間違いだったの。私、猫が好きだから、猫カフェだと思ってバイトに応募したら……一文字違ってて闇カフェで」
一文字違いで大違いすぎるだろ。
「それで、面接の日までに慌てて地雷系ファッションを揃えて行ったら、バイト受かっちゃって……今さら他のところ探すのも面倒だから、がんばって地雷系のふりを続けることにしたんだけど……。あ、この地雷系ファッションもね、一生懸命勉強したんだよ。雑誌とか買ったりして……。広野くんは、量産型ファッションと地雷系ファッションの違いってわかる?」
「い、いや……」
「大まかに言うと、ピンク寄りで、甘ロリっぽい印象を与えるのが量産型ファッション。その中間が量産型地雷系。私がしてるのは完全に地雷系ファッションで、黒やゴシックが基調でガーターベルトを着けたり、ブランドで言うと『クージャ』とか『ディスモアール』かな。一言で言うと、『触れたらやばそー』って印象を自分から植え付けていく感じ? だから……これは名実共に地雷系なんだよ!」
闇川さんは大きな胸を張って、どことなく誇らしげに言った。僕は今ひとつピンときていないが。
「最近はねー、普段からバレないように、学校でもこの格好してるんだ」
「じゃあ、タトゥーも毎日貼って学校に行ってるの?」
「うん。1日1時間かけて貼るの」
「努力がすごい」
「タトゥーシール、安い時に箱で買うから今うちに2000枚ぐらいストックがあって……」
「もはや業者だ!」
僕は、聞きにくかったことにも踏み込んでいく。
「でも地雷系のふりしてるってことは……あれでしょ? ストロンガーゼロにストロー挿して一気飲みしたりするんでしょ?」
「お、お酒なんて未成年が飲んじゃダメだよ! 法律違反だよ! だから私ね、いつもストロンガーゼロの空き缶にりんごジュース詰めて飲んでるんだー」
そこまでして。
「タトゥーの元になってるそのヴィジュアル系バンドは? あんまり聴いてないの?」
「うん。いつも聞いてるのは、
「全然違う! そりゃ歌はうまいけど!」
「おばあちゃんの影響だよ……私おばあちゃんっ子だったから」
でも、ここまでの会話でわかったことがある。闇川さんは何も変わってない、十年前と同じだ。
なんだか少し、ほっとしたような気持ちになる。
「それで……広野くん! 私、広野くんに一つお願いがあるの! どうか……手伝ってくれないかな!」
闇川さんは、両手を合わせて、拝むように僕に頼む。
「手伝うって、なにを……?」
「私が地雷系女子のふりを続けるの! いつも私……バイト先でニセモノの地雷系ってバレないか心配なの! バレたらクビになっちゃうかもしれなくて!」
お願いされてしまった。そう言われたら……昔約束したしな。困ったことがあったら助けるって。
「……まあ、なにか僕にできることがあるなら」
「ほんと! ありがとう~!」
闇川さんは闇に満ちた格好できらきらと目を輝かせる。光属性みたいに。
「でも、『ふり』する手伝いって、僕は具体的に何をすればいいの?」
「えっとね……私のバイト先で『ピ』のふりをしてほしいんだ!」
「『ピ』?」
それ『彼ピ』ってことか? あれ、でも『好きピ』(しゅきピ)とか『推しピ』って言葉も聞いたことがある。あ、もしかしたらこの手の女の子って、その辺を曖昧にするためにあえて『ピ』って言っているのかもしれない。
「とりあえず闇カフェの先輩たちには、私、『ピ』にお金を貢ぐためにバイトしてるって言ってあるんだ! だから……偽装『ピ』として闇カフェの先輩たちに広野くんを紹介できれば、私が怪しまれる確率も減ると思う!」
「偽装『ピ』か……よくわからないけど……なんとなく紹介されるぐらいでいいなら……」
「ありがとう! あ、ちなみにその設定だと、私の『ピ』は週三回、私の財布からお金を抜いてパチンコに行くってことになってるよ!」
「僕、どういう顔して闇川さんのバイト先に行けばいいの?」
* * *
……というわけで、駅前で待ち合わせて僕らは、闇川さんがバイトしているコンカフェに行くことになっていた。
それが、今に至るまでの流れ……である。
電車を乗り継ぎ、僕たちは実際に闇川さんが働いているというコンカフェの前に来ていた。
僕は、お店の看板を見る。
真っ黒な看板ボードには、怪しげな字体でこう書いてある。
『闇カフェ☆人生つらぽよ』(キャストの女の子は全員病み系! ※お触りなどの過剰なサービスはありませんが、スタッフ一同、病んだ感じで応対します)
OPENなう☆
闇川さんはどことなく誇らしげにその看板を強調する。
「じゃーん! けっこー人気店なんだよ!」
「でもこのコンセプト……ヤバいお客とか来ないの……?」
「えー、お客さんいい人ばっかりだよ? 人の目を見て話せなかったり、物静かにご飯食べたりする人がメイン客層かなー。ほら、ひっくり返した岩の裏側みたいなお店だから」
そういうものなのか。それでいいのか。
あと、気になるのは、よくあるメイドカフェだったら、「いらっしゃいませ」の代わりに「お帰りなさいませ、ご主人様」の唱和(ウェルカムコール)で客を迎えるものだが……。だったら、闇カフェのウェルカムコールはなんなんだろう?
ということで……僕は扉を開ける。
同時に、出迎えのウェルカムコールを受ける。
「はーい、今日も、生存無理で~す!」
「「生存、無理で~す!」」
それなんだ。
あと、闇川さんが言ってた通り、店の中は確かに結構お客さんがいて、わりと繁盛してた。店内の照明は、昼だというのにどこか薄暗い。
「あら、お客さんかと思ったらやみちゃんじゃない」
真っ先に僕らに声をかけてくれたのは、厨房近くに立っていたネグリジェ姿のセクシーなお姉さんだった。
年齢は、恐らく二十代後半くらいだろうか。胸がばかみたいにでかい。
「あ、店長!」
この人が店長なのか。店長さんは、つかつかと僕たちに近寄ってくる。
「そっちの男の子は……えっと、やみちゃんのお友達?」
「店長~☆ ひろぴっぴは~、やみちゃんの『ピ』だよ☆」
そう言いながら、闇川さんは僕の腕を取る。闇川さんはすでにやみちゃんモードに入っていた。
すると、店長さんは――
「あら! やみちゃんの『ピ』なの! あなたが!」
店長さんは、僕の手をがっちり握ると名刺を手渡しながら自己紹介してくれる。
「はじめまして、闇カフェでは店長兼、ウルトラスーパード腐れビッチやってまぁす、
「ああどうも、ご丁寧に……」
比地さんの名刺にはこう書いてあった。
『闇カフェ☆人生つらぽよ 店長兼ウルトラスーパード腐れビッチ 比地清美 ※指は四本まで入ります!』
どこに入るアピールか考えたくなかったので考えないことにした。
「てーんちょっ☆ 今シフトに誰が入ってるけー?」
闇川さんが尋ねると、比地店長は答える。
「今はねえ、
すると、店の奥からぬーっ、ともう一人暗い顔の女子が出てきた。
ピンクが基調の服。さっき闇川さんが『量産型』と言っていた服装だろうか。闇川さんとはタイプの違う地雷系女子だ。こちらの少女は、全体的に華奢な身体付きに、片目がほとんど黒髪で隠れている。出している方の目は、クマがすごい。そして、その腕は包帯でグルグル巻きにされている。
「……あ、ど、どうも……キャストの……内賀こもりです……ふへっ……」
消え入りそうなほど声が小さいし、笑い方もぎこちない。なんというか、一言で言うと……湿度が高い少女だった。
「こもたん、シフトおつかれっぴ、たんたーん☆」
「やみちゃ……おつ……く、ぐふっ」
無理にハイタッチしに行った闇川さんの手が、そのまま内賀さんの額に当たって内賀さんがよろめいていた。
カオスだ。
店長さんが再び僕らに声をかける。
「まあ、とにかくひろぴっぴくん? やみちゃんをよろしくね~。あんまりお財布からお金抜かないであげてね」
「あ、はい……」
そんなことしてないのに。そういう設定になっているらしいから仕方がないが。
「あ、それとやみちゃん、悪いんだけど、やっぱり今ちょっと人手が足りなくて、もし空いてたら急遽シフト入ってくれない? ランチタイムだけの一時間でいいから」
「バチボコおけまるだよ~☆」
僕は、事前にそういう風になるかも、ということを聞いていたから動じない。
「じゃあ、僕もここで軽食だけしていっていいですか」
僕の言葉に、店長さんはぱん、と柏手をうつ。
「そうだひろぴっぴくん、せっかくだから、やみちゃんに接客してもらったらどぉ?」
「え!?」
「やみちゃーん、準備してきて」
「かしこまり大統領~☆」
そう言いながら闇川さんはバックヤードに引っ込んでいく。それからエプロンだけ着けて再度現れた。
「今日は来てくれてありあり~☆ 生存きびしめ、やみちゃんでっす☆ さっそくですが、ご注文は何にするぴえん?」
「ええと、急にそんなこと言われても……メニューを見せてもらえますか」
「は~い!」
僕は闇カフェのメニュー表を手渡される。珍妙なメニュー名が並んでいる。
「……この『ド腐れビッチ丼』ってのは?」
「店長考案! パエリアのコンドーム詰めになりまっす☆」
「食べ物で遊ばないで」
しかもそれ丼じゃないし。僕は他のメニューも指差す。
「こっちの『メンタルもうだめ丼』は?」
「お米に魔法のハーブを載せて、その上からびちゃびちゃストロンガーゼロをかけたやつになります☆ 一気に流し込むとぉ……飛べます☆」
「絶対ダメでしょ。あ、オムライスがある、これなら……って、この『生きるのつらぽよオプション』ってなに?」
「このメニュー、やみちゃんが考えたんだよ☆ オムライスにハバネロとマヨネーズと練乳をかけるの☆ あまからじょっぱいよ!」
「破天荒すぎる!」
「ふふ……結構ウケてるのよ、やみちゃんの破天荒メニュー」
店長さんは腕組みで後方彼氏面しながら嬉しそうだ。
仕方なく、僕は『オムライス 生きるのつらぽよオプション抜き』を注文する。
「ええ~ひろぴっぴ、それじゃただのオムライスになっちゃうよ?」
「いいです、それで」
しぶしぶといった様子で、闇川さんは店長に伝票を持っていく。
「店長~。オムライス、生きるのつらぽよオプション抜き入りました~」
「はぁい」
そして店長さんは厨房に入り、フライパンで卵とチキンライスを綴じ始める。
それから――僕はしばらく闇川さんを観察していた。
他のお客に接客する闇川さん。
「やみちゃん、今日も生きるのつらそうだね~。僕も生きるのつらいよ~。無職のまま四十歳になっちゃったよ~」
「わかる~? でも今日はそこまででもないよ☆ やみちゃんには『ピ』がいるから! きゅるるん☆」
「いいな~、僕も婚活しようかな~。四十歳無職だけど大丈夫かな~」
「なんでもやってからぴえんすればいいよ! でもつらくなったらまた闇カフェ来てねっ☆ やみちゃんと一緒にしにたみゲバゲバ吐き出そっ☆」
「しにたみ吐き出す~!」
それなりに接客がサマになっている。でも……なんていうか。僕はその姿を見ながら、どことなく危うさのようなものも感じていた。
しばらくしてテーブルに届いたオムライスは、めちゃくちゃ美味かった。
* * *
あっという間に一時間が経った。
「それじゃあ、やみちゃん、急遽お手伝いありがとうねー。もう上がってもらって大丈夫よ。残りのお客さんが捌けたら、ディナータイムまでいったんお店、クローズにするから」
「はぁーい☆」
そして闇川さんは、バックヤードに向かっていき、エプロンを外して戻ってくる。
「ねえひろぴっぴ~☆」
「……なんですか」
すると、闇川さんはくるり、と身を翻して。
「今日は朝までいっぱいイチャイチャしようねっ☆」
店中に聞こえるような大声でそうアピールした。
「なっ……!」
「今日稼いだバイト代も、全部ひろぴっぴにあげるからね! パチンコいっぱいしてね☆」
そこを強調されるとほんとヒモにしか見えないからやめて。
「じゃあ……行こっ☆」
「わわわ!」
僕は闇川さんに手を引かれてお店を出る。
そして、そのお店の角を曲がった瞬間――
「まったく、闇川さん……。闇川……さん?」
「はぁあああ……」
へろへろ、と闇川さんが僕の身体にしなだれかかってくる。
「闇川さん? 闇川さーん! どうしたの闇川さん!」
「つかれる……ずっとテンション上げてたから……」
だろうなあ。自分の中にないものをずっと演じてればそうなる。
「でも広野くん、これだけアピールすれば私、さすがにもうニセモノの地雷系って疑われないよね……!?」
それはどうだろうか……。
けど……僕は彼女の姿を一日見ていて、思ったことをはっきり言おうと思った。
「……闇川さん」
「なに? 広野くん」
「やっぱり、このお店のバイト、辞めた方がいいんじゃないかな」
「――え?」
その瞬間、闇川さんの顔が引き攣る。
「だって、そこまで自分を偽りながらバイトするなんておかしいよ。それにもし……病んだふりをしてるうちに闇川さんが本当に病んじゃったら目も当てられないし」
僕の言葉に、闇川さんは――俯きながらぽつり、と言った。
「……やだ……」
それから少し間を置いて。
「やだ! 辞めたくないの、私……ここのバイトだけは……」
「……どうして」
「ここで働いて……私、はじめて自分の居場所が見つかった気がしたの。私ね、ずっと自分には何もないって思ってた。だけど、ここではそんな私でも温かく受け入れてくれた。店長さんも……店員さんもみんないい人たちだし。闇カフェのバイトを辞めたいなんて、私思ったことないよ!」
その言葉には、てこでも動かないという強い意志を感じた。
「…………そっか」
僕は一息吐く。
そして……少しだけためらってから、昔の苦い想い出のことを、闇川さんに切り出す。
「ねえ闇川さん。覚えてる? 僕たちが子供の頃のこと」
「忘れたことないよ、私は」
「……僕がこの街を出ることになった事件のことも?」
「もちろん……! えっと……広野くんは……後悔、してるの?」
「……毎日、してる」
「そう……」
なんだか、闇川さんは悲しそうな顔をする。
「僕はあの時、思ったんだ。この世界は……まともな人に合わせて作られてて、そのレールから一度外れるともう戻れない。戻ろうとしてもハードモードだよ。だから……闇川さんは僕の分まで……」
「私ね!」
闇川さんは僕の言葉を遮るように大きな声で話し出す。
「私ね。闇カフェを作った理由を、店長さんに聞いたことがあるんだ。店長さんはこう言ったの。『わたしは、世の中にちゃんとリチウムイオン電池を捨てられる場所を作ろうと思ってやってる』って」
「……え? どういう意味?」
「店長さんがまだOLをやってた時期のある日ね、部屋の中で古くなって膨張したリチウムイオン電池を見つけて、捨てようとしたんだって。それで、何ゴミで出せばいいですかって自治体に聞いたら、メーカーに問い合わせてくださいって言われたの。それでメーカーに電話したら、今度は自治体に聞いてくださいって」
「……たらい回しされてる」
闇川さんは、きゅっ、と自分の身体を抱えるように肩を窄める。
「この世界はきっとね、どこでもそういうことばっかり起きてるの。みんなで責任を押しつけあってる。私たち、病み系女子も一緒。みんながみんな、めんどくさいものの処分を押しつけあって、どこにもいけない子たち。店長さんはそういうのをなくしたいって思って、闇カフェを始めたんだって」
「……そっか。すごいな、店長さん」
「私、それに感動したの。だから、広野くんが……広野くんの言う通り本当に壊れてたとしても居場所はどこかにあるし、救われることもある、と思うよ! 少なくとも私は――」
その瞬間だった。
さっき出たばかりの闇カフェの中から、怒号が聞こえてきた。
* * *
僕と闇川さんは顔を見合わせて、もう一度カフェに戻ってみた。
カフェの中はがらんとしている。今はちょうど、ランチタイムが終わってディナータイムまで休憩中のはずだが――
その時、店の奥から再び大きな物音がした。
「バックヤードだ!」
僕と闇川さんは、急いでバックヤードの方に向かう。
そこで僕らは――その光景を見て愕然とした。
「いいからヤラせろっつってんだよ!」
「……や、ややや、やめてください……!」
内賀さんの腕を、明らかに不良らしき男が掴んでいる。
その横には、へらへら笑う、もう二人のガラの悪い連中。どうやら、クローズの後も残っていた不良三人組が、内賀さんに因縁をつけているらしい。いや、因縁だけで済めばいいが、最初から目をつけていたとしたら――
「ここで今すぐヤラせろよメンヘラビッチが! メンヘラってそれしか存在価値ねえだろが! すぐ股開くんだろド腐れビッチがよお!」
内賀さんは、何も言えず口をぱくぱくさせている。それを見て――
「こもたんっ……!」
闇川さんが一も二もなくバックヤードに飛び込んでいく。
「あっ……やみちゃん…………! た、たすけ……!」
「こもたん、店長さんは!?」
「十五分くらい買い出しに行ってくるって……今ちょうどいなくて……」
それを聞いた闇川さんは、毅然とした態度で、不良たちの前に立ちはだかる。
「うちの店員に、ぴえんな行為やめてください!」
「ああ? 邪魔すんじゃねえ!」
不良が、容赦なく腕で闇川さんを払いのけた。
「きゃっ!」
闇川さんが、地雷系のプリーツスカートを大きく開かせて床に倒れる。
「闇川さんっ!」
ああ、子供の頃と同じだ。
目の前で、幼馴染みの女の子が、無慈悲な暴力に震えている。
この世界には厳然とした悪意が存在して、その脅威によって大切なものが壊されそうになっている。
――瞬間、僕の中でスイッチが入った。
入ってしまった。
「……あの」
僕は、努めて低い声を出しながら、そいつらと闇川さんたちの間に入り込む。
「あぁ?」
不気味に突然目の前に立ちはだかった僕に対して、不良三人組は不快感を隠せないようだった。
「んだお前……やる気か?」
「……傍から見たら滑稽に見えるのかもしれないですけど、この子ら、ただ必死に生きてるだけなんで。この世界が地獄みたいに思えて、それでもなんとか生きようってがんばってる子らを――食い物にしないでください」
不良たちは顔を見合わせる。
「イキってんじゃねえぞっ……!」
そう言いながら不良の一人が殴りかかってきた。
「…………」
僕は、その拳を――あえて躱すことなく頬で受ける。身体が少しよろめく。
「広野くんっ!」
闇川さんが咄嗟に僕の本名を叫んでしまう。
だけど――
僕はそっと、流れ出た口元の血を拭う。
「……やっぱり、何も感じないや」
「な、なんだてめえ……」
不良も、僕の雰囲気に異様なものを感じたようだった。
「……そっちが先に殴ってきたんで。すいません。あと一応、そこそこ身体鍛えてるんで」
そう言いながら僕は軽く前後にステップすると――
「ふっ!」
右ストレートを放つ。
僕のパンチは、不良の顔面を掠めて壁を強く打った。
「へ、へへっ、ざまあ……パンチ外しやがって――はあっ……!?」
不良は腕を引いた僕の姿を見て、あからさまな動揺を見せる。
もう二人の不良も、じわりと一歩後ずさる。
「……マジかよ」
僕の拳からは、血がポタポタ垂れている。だが――
「……まだまだいきますよ」
僕がそれを、意にも介していないからだ。
* * *
僕は、自分が昔この街を出て行くことになった、そのきっかけの事件を思い出していた。
まだ僕らが小学校低学年の頃、下校途中、一緒に帰っていた闇川さんが不良上級生グループに絡まれたことがあった。確か、本当にどうでもいいような理由だったと思う。
だが、その時僕は、彼女を守るため、絡んできたそいつらを容赦なくボコボコにしたのだ。
その事件は、ただの子供同士の喧嘩として終わらせてはもらえなかった。向こうのやられ方とか、もろもろの事情で。
それで僕は、その機に様々な検査を受けることになる。心理テスト。カウンセリング。MRIスキャン……。
そして、正式に判明したこと。
どうやら僕は、普通の人間よりも「痛覚」が極端に鈍いらしい。
しかし、痛みを感じないというのは、何もいいことではない。
普通の人なら止まれるはずのところで、止まれない。
加減ができない。普通の人間なら脳でブレーキをかけて躊躇してしまう一打――相手を破壊するための一打も、躊躇することがない。
あまり覚えていないのだが、喧嘩の時、僕は自分の拳の骨が折れても、相手を殴り続けていたそうだ。
それから、相手の親が学校に乗り込んできて、僕は過剰防衛だの異常だの、大げさに騒ぎ立てられた。
学校では、『暴走サイボーグ』なんて不名誉なあだ名までつけられて後ろ指をさされた。
その時僕は、悟ったのだ。
自分が生きることに向いていない方の人間だと。
だから転校するはめになって、ほとぼりのさめた十年後にやっとこの街に戻ってこられたわけだが――
本当はこの街でもう二度と誰かと喧嘩をするつもりはなかった。平穏に暮らしたかった。人間らしく生きたかった。
だけど、そうはならなかった。耐えられなかった。
闇カフェの子たちと同じだ。
僕だって、きっと人間として大事なものが壊れてしまっている。
不良品と変わらない。
世界のどこにも引き取ってもらえない、膨張したリチウムイオン電池だ。
だけど、どうせどこにも行けない、うまく生きられないのなら――
今は――せめて、彼女たちのために。
平穏な生活を捨ててでも、降りかかる火の粉を払おうと思った。
* * *
「く、くそ……オラッ!」
不良の一人が、僕に掴みかかってくる。
「ふんっ」
僕はそれを受け流して――
「やあっ!」
背中から地面に叩き付ける。
「がはっ!」
「……はあ……はあ……もう終わりすか?」
そして今、僕の目の前には、不良三人組のうち二人までが床に伏している。
「やめます? あはははは! まだやりましょうよ、僕たち『全員』がぶっ壊れるまで!」
僕はあえて露悪的に、楽しそうに言ってみせる。自分の血を拭いもせず。
一人の不良が、膝を突きながら倒れているもう一人を支え起こす。
「お、おい、やべえってこいつ。完全にネジ飛んじまってるよ……」
「あ、ああ……関わらねえ方がいいな……」
「か、帰るぞ……!」
不良たち二人は足を引きずりながら去って行く。
「……あんたは?」
僕は、最後の一人に目を向ける。
まっすぐ見据えられたそいつは一瞬ギクッ、としたような表情を見せると。
「く、くそっ……! 二度と来ねえよ、こんな店!」
捨て台詞を吐いて逃げて行った。僕は遠ざかっていく三人の足音を聞く。
「……………………ふう」
気が付くと、あたりのフローリングや食器は、すっかりボロボロになっていた。
それから――僕の拳も。
その光景を見て、僕は激しい後悔を覚える。
痛覚が鈍くとも、戦いはアドレナリンを出す。
だから、気をつけないといけなかったのに。こうなってしまう前に。
「ひ、ひろぴっぴ! 大丈夫!?」
闇川さんが、涙目になりながら僕に抱き付いてきた。
「闇川さん……」
「ひろぴっぴ……! 助けてくれてありがとね! どうしよう、その手、包帯巻かなきゃ……えっと……」
とりあえず、闇川さんと内賀さんの無事を確認して、僕は安堵する。
「闇川さん……僕、またダメだった」
「……え?」
「あれだけ喧嘩のこと後悔してたのに……。お店もこんな滅茶苦茶にしちゃって」
「で、でも、あれは向こうが悪いしっ……!」
「……関係ないよ。引っ越してくる時、僕は今度こそ大人しく生きるって誓ってたんだ。だけど、守れなかった。自分の手で、台無しにしたんだ。やっぱり――十年経っても僕は、人間にはなりきれなかったんだ」
「あっ、ま、待って、ひろぴっぴ……! ひろ……広野くーーーーーん!」
言い訳をする気はなかった。これ以上迷惑をかけないよう、闇川さんの叫びを背に、僕はその店を離れ歩き出す。
そして、天を仰ぐ。涙が零れないように。
「終わったんだ……ぜんぶ」
望んでいた平穏な暮らしが、すべて終わったことを感じながら。
* * *
結論から言う。
そうはならなかった。
その一週間後、僕はまた闇カフェの前に来ていた。
あんな騒動を起こして出禁になるかと思ったら、闇川さんいわく、むしろ他の店員さんや店長さんが僕にまた来てほしいと熱望しているらしい。警察の聴取もうまいこと処理したから、何も問題にはなっていないと。
本当かな……と半信半疑で僕は扉を開く。
「はーい、今日も、生存無理で~す!」
「「生存、無理で~す!」」
今日も闇カフェは元気に病んでいた。
元気に病むってすさまじい自己矛盾だけど。
「あっ、ひろぴっぴ!」
とたたた、と闇川さんが走り寄ってくる。
「ひろぴっぴ、お手々だいじょうぶ?」
闇川さんが僕の手を心配そうにさする。
「あ、うん、まあ……慣れてるから。回復は早い方だし」
「よかったよかったー。改めて、ありがとね、ひろぴっぴ。えっと、とりあえず、そこの椅子に座って! それから、ひろぴっぴと話したいって子が居るから、ちょっとまっぴ☆」
そう言いながら闇川さんは横ピースを決める。
「え? あ、うん……」
話したい子? 僕は空いている席に着席する。するとしばらくして――
「あ、あっ、あああ、あああああ、あの………………!」
腕に包帯をぐるぐる巻いた、片目隠れのキャストの子が現れる。確か、内賀さんだっけ。
「せ、先日は、たしゅけていただき、ああああ、ありがとうございまし……たっ! ぜひ、お、お礼したく……!」
内賀さんは、包みに入った四角い箱を僕に手渡してくる。
「ちょ、ちょこれーとです! う、受け取ってください……ふ、ふへ……」
「……ありがとう」
「あ、変なものは、その…………少ししか、入れてませんので……」
食べる側からしたら、少しでもやめてほしい。
「で、でも……その……それがわ、わたしの……愛情かもなので……ふへへ……」
そして、その隣で闇川さんが何やら穏やかでない顔をしている。
「あれ~、こもたん、やみちゃんの『ピ』に何か変なこと言ってないかな~? お礼だけって話だったよねぇ~? 本気になってたら、バリカタぴえんだよ~?」
な、なんか闇川さんから圧を感じる……。
その時だった。
「……ああ、来てくれたのね。ひろぴっぴくん、ちょっといい?」
店長さんが手招きで僕を呼ぶ。
僕は席を立ち、店長さんのところに向かう。
「来てくれてありがとね、ひろぴっぴくん」
「あの、僕、出禁じゃないんですか?」
「出禁になんかしないわよ。あの状況なら普通に正当防衛だし、こっちは助けてもらった立場だもの。それで……」
万が一にも聞かれないようにか、店長さんが僕に耳打ちする。
「あのさ、ひろぴっぴくんは知ってるんでしょ? やみちゃんが『本物』の地雷系じゃないって」
「え!?」
僕は驚愕する。
「し、知ってたんですか、店長さん……!?」
「当たり前じゃない。あんまり経営者を舐めないでね? 人間の本質を見るのなんて、基本なんだから」
店長さんは、ふうと息を吐くとこう言う。
「それで……思ったんだけど、ひろぴっぴくんのことだから、もしかしたら、やみちゃんが闇カフェで働くことで本当に病んじゃわないか心配してたりしてない?」
「そ、それは…………はい……少しは……」
お見通しだった。ならば、と僕は尋ねる。
「あの、どうして、闇川さんに無理をさせてまで地雷系のふりを……?」
「それはね、やみちゃんにとって、ここが必要だと思ったから」
「……え?」
予想していた言葉と少し違った。経営者目線で従業員を引き留めるなら、普通出てくるのは『ここにやみちゃんは必要な人材だ』とかの言葉のはずだが。
「このカフェはね、世の中でうまく生きられなかった子たちの居場所として作ってあるの」
「はい。それは聞きました。店長さんも信念を持ってやってるって。膨張したリチウムイオン電池の捨て場所を作りたいと思ってやってるって」
僕がそう言うと、店長さんはカラカラと笑った。
「……そうそう。まあ、始めたきっかけは色々だけどね。それで、やみちゃんにはやみちゃんのコンプレックスがあるのよ。あの子はね、『普通』に生きてること自体にコンプレックスを持ってたの。ここに来るまではたぶん……自分には何もない。そう思ってたんじゃないかしら。だから多分……ここで働くことも楽しんでくれてると思うけど」
僕はフロアを遠目に見る。確かに、闇川さんは、それなりに楽しそうに接客をしている。
「確かに、そうみたいです」
「わたし、ここで働くことがあの子にとって人生のプラスになると信じてるの。きっと、大事なものを見つけてくれるって」
「人生のプラスに……か」
「完全に何も問題なく生きてる人なんて、案外いないものよ」
そして店長さんは僕をちらりと見ると。
「ま、君もなかなか、しんどいものを抱えてそうだし。子供の頃のあだ名が『暴走サイボーグ』だっけ?」
「ぐ……」
なんでそこまで知ってるんだ、この人。
「だからよかったら、君もしばらくここに通ってよ。ここのカフェ、生きるのが苦手な子はみんな大歓迎よ?」
「…………それは……」
僕は少し考えてから、答える。
「ありがとうございます。お邪魔でなければ、また来ます。幼馴染みも働いてるし……」
「うんうん!」
その時。
「ねーえ、てんちょー、ひろぴっぴそろそろ返してくれませんかー☆」
遠くから闇川さんが僕を呼んでいる。
「おっと、独り占めしすぎちゃったわね。それじゃあ、これからもよろしくね」
「……はい」
そして、僕はふたたび自席に送り返される。
闇川さんが隣に座って、異様に近い距離感でメニュー表を開いてくれる。
「はーい、じゃあひろぴっぴ、なに食べますか~! 『メンタルもうだめ丼 ややダウナーオプション』? それとも『生存限界! 銀河ギリギリ☆はびたぶるバーガー』?」
「……オムライス。オプション抜きで」
「かしこまり~☆ 店長~! オムライスしか勝たん!」
すると――注文を取り終わった闇川さんは僕の腕を取ってぎゅっと抱きしめる。
柔らかな胸が僕の腕に押しつけられる。
「あ、あの、何を」
「ちゃーじサービスです☆ 今日は大事な私の『ピ』が、お店に来てくれたんだもんねっ☆ いっぱいサービスしなきゃ!」
「……闇川さん、ちょっと思ったんだけど、僕の偽装『ピ』っていう設定はいつまで続けるの……? もうみんなにお披露目もしたしいいんじゃ……」
闇川さんは僕の耳元に唇を近付け、甘い声で囁く。
「んー、まだだーめ☆ そのうち、『本物』になっちゃったりして……? えへへ。ひろぴっぴ、やみちゃんの愛は重いから……覚悟してねっ☆ 実はぁ、子供の時から、今までも、これからも、ずっとずっとずーっとだよ☆」
その言葉を聞いて、少しぞくっとした。いい意味で。闇川さんの言葉が、すごく蠱惑的で――
「なぁんて☆」
「……なにそれ」
僕は笑う。危なかった。なんだか地雷系女子の魅力って、一度ハマると抜け出せなくなりそう……。
というか闇川さんの地雷系キャラ、どこまで演技なんだろう。なんか、普通に馴染んできてるような……?
……まあ、いいか。
カフェの扉がまた開く。
キャストが一斉に反応して、ウェルカムコールを返す。
「はーい☆ 今日も、生存無理で~す!」
「「「生存、無理で~す!」」」
生きづらい時代、だけどどうやって生きるかは僕たちの自由だ。
僕たちはみんな、生きていくためにここにいる。