◇◇ 第一話 四月十三日、あと23日・朝(4)
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放課後──凛さんに紹介された店に、僕たち2−Bの生徒たちが集まる。
「はい、適当にテーブル席についてください。料理は並んでるものをビュッフェ形式で。料理と飲み物が揃ったら乾杯します」
委員長である僕は、今日も級友たちを取り仕切る。
「18、19、にじゅ……あれ? もう一回! 12345……」
「千亜希、全員いるから大丈夫だぞ」
「あ、ありがと……えっと、次は会費の回収と……ああその前に開会の挨拶を」
「落ち着け、まだ先だ」
隣でおろおろしている千亜希を宥めると、近くから声がかかった。
「あれ? ちぃちゃんが幹事してるの?」
悠乃だ。結局、今朝に少しだけ話したきりだった。
「ああ、千亜希もこういう場数を踏んでおかないとな」
「ん? どういうこと?」
悠乃は首を傾げている。転入生の悠乃には、いまのじゃ説明不足だったか。
「ちぃは生徒会長になるんだよ」
料理をとってきた翔が、端的に説明した。
「えっ、ちぃちゃんが!?」
「違うよっ、立候補するかもってだけで、決まったわけじゃないよ!?」
目を丸くする悠乃に、その必要もないのに弁明めいたことを言う千亜希。
「現会長や先生から指名されたんだ」
僕が補足説明すると、千亜希が抗議するような目で見上げてくる。
「普通に考えれば、中学で会長やってた誠治くんが適任だよね?」
「当校の規則上、クラス委員長は立候補できない」
時小海高校の生徒会選挙は盛り上がらない。
立候補者もおらず、前会長や先生が生贄を見繕うのが恒例となっている。
詳しい経緯は僕も知らないが、凛さんは千亜希を推して、千亜希も応じたらしい。
「でもすごい! あんなに気弱だったのに、成長したんだねぇ」
「む、昔とは違うもん」
両手を合わせて感心する悠乃に、千亜希は拗ねたような顔でそっぽを向いた。
「私も一票入れるよ! あれ? でも、それがなんで親睦会の幹事?」
「こういうプレッシャーに耐える訓練だな」
首を傾げた悠乃は、僕の説明ですぐに察した。
「ああ分かった。ハートを鍛えてるんだね」
「ちぃは強がるくせしてビビるからなー。本番で過呼吸とかしないよう鍛えねぇと」
納得する悠乃に、翔が言葉を続けると、言いたい放題された千亜希が頬を膨らます。
「もう、みんなしてぇ。もし会長になったら役員に指名しちゃうんだから」
千亜希の道連れ宣言に、悠乃と翔が少し怯む。
「わ、私はまあ、庶務くらいなら?」
「オレ、会計はぜってー無理。それこそセージの出番だろ?」
「悪いが会長と同じく、クラス委員長は生徒会役員を兼任できないんだ」
平然とルールの盾を張る僕だったが、千亜希は鼻を鳴らした。
「いいんだもん。会長だって誠治くんを手伝わせてるんだから、同じことするもん。黒いものだって白にしちゃうんだから」
「このマニフェストにルール違反を掲げる候補者に清き一票を」
僕の知らないところで、千亜希は凛さんから悪い影響を受けていたようだ。
「委員長、料理と飲み物、行き渡ったみたいです」
「ああ、ありがとう」
副委員長の望月に声をかけられて、僕は店内を見回す。
僕・千亜希・悠乃・翔という幼馴染組がテーブルを囲み、望月も加わる。
「千亜希、挨拶」
「は、はいっ」
僕の隣に座っていた千亜希が、緊張した様子で何かを探す。
「あ、あれ? カンペ……」
千亜希が小さな声で慌て出す。挨拶をメモした紙を無くしたようだ。
級友たちが「ん?」「どうした?」「もう食っていい?」と反応し始める。
目を回した千亜希の肩に手を置いて、僕が代わりに立ち上がった。
「はい、今日はお集まりいただきありがとうございます。クラス委員長の相影誠治です。今年も無事に新学期を迎えられ、本日には新しい級友も加わりましたので、その歓迎会も兼ねて、このような親睦会を開かせていただきました。皆さんにはこれを機に一層交流を深めていただければと思います。では、飲み物をお持ち下さい──乾杯!」
かんぱーい! と唱和するクラスメイトたち。
飲み物を口にする一瞬の静寂が過ぎれば、歓談の声と食器の音が競うように響く。
「ありがとう誠治くん。ごめんね」
「ああ、締めの挨拶は頼むぞ」
腰を下ろすと、千亜希が手を合わせて詫びていた。
大人の真似をして定型句を並べただけだが、親睦会の挨拶はそんなもので十分だろう。
「ふぇー」
なにやら悠乃が、グラスを手にしたまま目を丸くして、僕を眺めている。
「どうかした?」
「あ、うん。いまのすごいなーって。先生みたい」
「まあ、こういうのは散々押しつけられてきたからな……」
悠乃に真っ正面から褒められて、少し言葉に詰まる。
周りはもう慣れたもので、改めて褒めたりしないものだから、反応に困った。
「というか、悠乃は……」
一瞬、名前で呼ぶことをためらってしまったが、そこは押し通す。
「野菜ばっかりだな? 内臓の手術って聞いたけど、それ関係で?」
「ああこれ? 関係なくはないけど、単に食生活を見直しただけだから」
悠乃の手元にある料理は、ベジタリアン寸前というくらい野菜中心だった。
手術の話を思い出す。救急車を呼んだ縁もあるし、捨て置けない。
「今更だけど、なにか食べられないものとかないよな?」
「ないないっ、アレルギーもないから」
「そうか。エアコン調節できるから、寒かったら言ってくれ」
「あ、ありがと……」
悠乃は少し気まずそうだ。気遣いすぎで下心を疑われてしまったのだろうか?
「「…………」」
一拍の沈黙。
困った。話題はいくらでもあるはずなのに、なぜか出ない。
他の女子なら『委員長』として円滑に話せるけど、悠乃の場合は委員長ではなく幼馴染でなければならない。しかしその『幼馴染』には五年半分の錆が付いている。
「そういや、セージが救急車で運んだんだっけ? 新学期早々に災難だったなぁ」
気を遣ったわけでもないだろうが、翔が陽気に聞いてくる。
「僕は居合わせただけで、災難だったのは悠乃だろ」
「うん。その件、改めてありがとうね。お医者さんも、悪化したら酷いことになってたから、救急車を呼んだのは正解だって。あとごめん、あの日は始業式だったのに、誠治くん相当遅刻しちゃったよね? それで委員長も押し付けられたって……」
謝礼を口にする悠乃だが、彼女が悪いわけではない。
「気にしなくていい。授業も無かったし、不在の僕を勝手に推薦したのはショウだ」
翔を親指で示すが、当人は気にせず料理をがっついている。
「オレだけじゃねぇぞ? ちぃも推してたし」
「だって誠治くんだもん。ほぼ満場一致だったよ?」
こいつらは僕が委員長を家業にしてるとでも思ってるんだろうか?
「つうかセージも、わざわざ救急車に乗らずに見送りゃよかっただろ?」
翔が言うことも一理あるが、悠乃が気に病むかと思って口にしなかったことだ。
「いや、あのときは……」
「ごめん、それも私のせいなの。あのときはもうお腹が破裂するんじゃないかってくらい痛くて。いよいよ救急車に乗せられる段になったら、『あれ? 私もしかして死ぬんじゃない?』って怖くなっちゃって……それで、誠治くんの手を握り込んじゃって」
悠乃が恥ずかしそうに説明する。
そう、苦しむ悠乃が手を握って離さないものだから、振り払えなかったのだ。
「「「…………」」」
僕たちの沈黙に、悠乃が怪訝な顔をする。
たぶん悠乃は、男女の間で手を握ったことを茶化される──とでも思ったのだろうが、クラスメイトたちの反応は違った。
「やっぱり深刻なのかな?」
「医者も悪化したら酷かったって」
「救急車とか手術の話、九死に一生だったんじゃ……」
「最寄りの病院とか応急処置とか、調べておいた方がいいかな」
話を耳にしていた級友たちは、普通に心配していた。いいクラスだ。
「ゆーちゃん、頭痛?」
「ううん、大丈夫……大丈夫なの……」
悠乃は何やら頭を抱えていた。頭痛を伴う内臓疾患なのだろうか。
「千亜希ぃー、ボードゲームやろー?」
と、店内の一角から、千亜希と仲のいい女子たちがゲームに誘ってきた。
「あ、えっと……」
「行ってもいいぞ? しばらくは幹事らしい仕事もないから」
「じゃあ、行ってくるね」
「あ、ちぃちゃん。私にも見せて!」
千亜希が移動すると、便乗するように悠乃も席を立ち、僕のそばを離れていった。
「やべ、この肉めっちゃ美味いな。いまのうちに確保しとこ」
翔は競争率の高い料理を予測して、更に追加すべく席を立った。
「相変わらず、委員長たちは仲がいいですね」
唯一、僕の傍に残っていてくれた望月が、なにやら面白そうに笑っている。
「ショウのことか?」
「それもありますし、雨夜さんや朝陽さんのことも。幼馴染でしたっけ?」
悠乃については、むしろぎこちないのだが、彼女には違って見えるのか。
「私も遊んだ子はいましたけど、みんな別の学校になっちゃいましたから」
「それが普通だよ。僕たちも同じ学校だから関係が維持されてるんだと思う」
「ですけど、委員長たちを見てるとそれもなんだか寂しい気分で。私ってばそのうち道ですれ違っても気付かなくなっちゃうのかなぁ、なんて」
「ああ……実際、どっかですれ違ってるんだろうな。そういう元同級生」
別々の中学や高校へと進学するに連れて、着ている制服や通学路が同じではなくなり、接点を失っているうちに見た目も変わって、やがて遠目では気付けなくなる。
そういう風に途切れた縁は、誰しもあるものだろう。
アイリじゃないが、現実の幼馴染はフィクションほど多くないのかもしれない。
「でも、進学にせよなんにせよ、新しい環境に行ったら、新しい人間関係に忙しくなるからな。それ以前の関係を後回しにするのは、むしろ『正しい』まである」
正しい? と、望月は少し驚いたように繰り返した。
「そうだな……例えば、僕たちにとっての悠乃がそうだ」
悠乃を視線で示す。体育会系の女子たちと、何かの話題で盛り上がっていた。
「悠乃が引っ越した後、いっぱい連絡するって約束したけど。まあ、そのうち途切れた」
当時はスマホを持っていなかったから、というだけではない。
「なにせその後は中学生だ。色々と恥を掻いたけど、大事な時期だっただろ?」
烏龍茶を手に聞くと、望月も「それはまあ」と気恥ずかしそうに頷く。
「そんな時期に、遠く離れた誰かとの関係にばかり執着し続けたら、目の前の生活でヘマをする。早めに忘れてしまうのは、薄情に見えても間違いじゃないよ」
それはきっと、許し合うべき薄情さなのだろう。
「青春ドラマの影響なのかな。お友達との別れをあっさり割り切るのは『冷たい奴』で、ずっと互いを思い続けなきゃ友情じゃないって風潮があるけど、あまり好きじゃない」
まくし立てている自覚はあったけど、僕の口は止まらなかった。
「誰かと死に別れた後に立ち直るのは立派なことなのに、お友達と会えなくなったことを引き摺らなかったら酷い奴だなんて、それこそ酷い話だよ」
望月の目に僕はどう映っていたのか、虚を衝かれたような顔をしていた。
「ああごめん、変に語っちゃって。飲み過ぎたかな?」
「一滴残らずノンアルコールですよ? 問題になりそうなこと言っちゃ駄目ですよ?」
たしかに問題発言だった。
「少し外すよ」
僕は断って席を立つ。
トイレに入って扉を閉じ、喧噪が遠くなると、溜息が出る。
(恥ずかしい、同級生になんの講釈をたれてるんだ僕は……)
特に催していたわけでもないので、個室でただ便座に腰掛けながら頭を抱えた。
ただ望月に、自分を薄情者だと思うことはないと伝えたかっただけだったのだが……
ひとしきり悔いた後、個室を出て会場に戻る。
(お別れを悲しみ続ける必要はない、か……)
ざっと見回すと、悠乃が女子たちと連絡先の交換に追われていた。
千亜希のところからは、ボードゲームで逆転があったらしく歓声が上がっている。
翔はといえば、なにやら即席の早食い大会を開催していた。
(そういうのは、お別れをちゃんと伝えてから言えよな……)
僕がその言葉を伝えるべき相手には、まだ何も言えていない。