序章 高校生活は○○の場である

見覚えのある彼女

 俺の幼馴染にとって、高校は学業でも部活でも、青春を謳歌する場でもないらしい。


「私ね、高校に入ったら復讐に生きるって決めてたの」

 今日の晴天にも似た明るめのトーンで、目の前に立ついわさとおりは軽快に言ってのける。

 大多数の人が良い顔をしないであろうこの発言を本気で口にしている彼女に、俺は何と返せばいいのだろうか。

 そんなことを考えながら、俺は今日一日を頭から振り返った。


あめはら君、首席で入学ってすごいね! 俺、いいはしっていうんだけど……」

「いや、ホントに入試のはたまたまじゃないかな……」

「なんで都内の私立受けなかったの? 有名校だって楽勝だったじゃん!」

「ううん、まあその、あの、そんなに興味なかったっていうか……」

 雨原りょうすけよ。お前は勉強はできるかもしれない。でも、問題はコミュ力なんだぞ? たまたま首席になったって聞かされた方の身にもなってみろ? 何より、頭脳だけじゃ友達はできないんだぞ?

 クラスメイトからたくさんの褒め言葉をもらうたびに、自分自身にツッコミを添えていく。なんかフランス料理っぽいね。「誉め言葉の盛り合わせ 〜自虐ソースを添えて〜」みたいな。自虐ソースって何だよ。


 花が本当に僅かばかり残った状態の桜たちが出迎えてくれた、ふくしゅう高校の入学式の日。快晴に恵まれた中、なんとか新入生代表挨拶もこなし、式は無事に終了した。ホームルームのために教室に戻ってきた俺のもとに、クラスメイトが集まってくる。

「ねえねえ、代表挨拶してほしいって連絡どうやって来るの? 郵便とかで?」

「あ、うん……郵便で来たかな」

「そうなんだ、すごいなあ。首席だもんなあ!」

「いやいや、そんな……」

 スマホに何もメッセージが来ていないかを確認するついでに、ケースのフタについている小さな鏡を見る。おでこが少し見えるくらいのほどほどに伸びた黒髪と、優しそうを通り越して自信の無さそうな目が映った。

 そして俺は、大きく溜息をつく。

 これさ、自分の脳内解釈のせいでもあるんだけどさ、お前の学力にみんな惹かれてるんであって、お前そのものに魅力があるわけじゃないだぞ。栄養は全くないけど、シャキシャキの歯ごたえが美味しいから好まれてるキュウリと一緒だぞ? どうも、学年首席のキュウリです。

 ダメだ、入学初日からくよくよしてしまう。いや、分かってる、分かってますよ、勉強だって立派な才能の一つですよ。でも、中学の時どうだったよ? 学力が伸びていっても友人の数は伸びなかっただろ? そういうことなんですよ。「バンドやってる人」はオススメアーティストを、「サッカーやってる人」は代表戦を切り口にしてクラスメイトと繋がればいい。じゃあ「勉強できる人」はどうするよ。数学でも話題にしようものなら声かけてくれる人が瞬時に九人から三人に減るぞ。減り方がルートじゃん。

「ねえねえ、雨原君、困ったときに勉強教えてね!」

「ああ、うん……」

 ほらね。ってことは、俺の学力が落ちたらみんな離れていくだろ。じゃあ俺自身の存在意義ってあるのか……ヤバい、哲学モードに入ってしまった。精神が湿気る。誰か心のシリカゲルをください。心のシリカゲルとは一体。


 気落ちしているうちに、ホームルームが始まった。

「じゃあ早速、自己紹介していきましょうね。まずは……あかもとさんから」

 式典のためにしっかりメイクしていた担任の鹿しま先生が、しょっぱなから悪魔の四字熟語「自己紹介」を召喚してきた。昨日話す内容を頑張って考えたのに、今になって「一つくらいツッコミどころ入れた方がいいだろうか」「でもウケなかったらどうするんだ」の二つの間を無限に往復する。

 シンキングタイムが足りないことを、自分の名前が「あ」から始まるせいにして軽く恨んでいると、「雨原君」と名前が呼ばれた。よし、決めたぞ、ツッコミどころを入れてやるか……!

「えっと……雨原亮介です。休日は……図鑑を見たりして過ごしてます。よろしくお願いします」

 笑いが起きない。ざわざわもない。思ったようなリアクションは一つもなく、まばらな拍手に包まれて自席に戻り、はたと気付く。これ多分、逆効果になってるじゃん!


【想定】図鑑を見る → えー、何の図鑑見てるのー? 雨原君って面白いねー!

【現実】図鑑を見る → 休日に図鑑読んでるんだ……へえ……さすが首席様……


 きっとみんなこういう状態になってるんだろ。違うんだ、映画観たり音楽聞いたりも普通にするんだよ……祖父母からもらった図鑑とか百科事典、読むの普通に楽しいからさ、ネタとして挟んでみたんだよ……こんな事故になるなんて……。

 後ろの席から「ねえねえ」と元気な飯橋君に声をかけられる。

「図鑑ってどんなの読んでるの? 二次関数?」

「いや、植物とか海の生き物とかね、へへ……」

 二次関数の図鑑なんてないんだよ。分厚いオールカラーで何を紹介すんだよ。

「はあ……」

 悲しみをたっぷり含んだ溜息をブレザーの袖に吹きかけ、自分の過去を振り返る。

 何かがどこかでズレていたら、自分の人生は今と違っていたかもしれない。


 中学一年で科学部に入部した時までは良かった。入部してすぐ、果物電池の実験をして夜中までレポートをまとめ、理科コンクールに出したときは本当に楽しかった。

 転機はそのすぐ後の七月、夏休み直前。親の仕事の都合で都内に転校が決まった。夏休み明けから転校したけど、すでにクラスにはグループが出来上がってたし、科学部もなくて他に入りたい部活はなかったし、居場所が作れない。クラスでは「車で二時間の県から来た田舎者」として軽いノリでイジられた。

 結局、友達はできなかった。俺は「転校した自分の環境が悪い、仕方ない」「イジりに上手く返せなかった自分が悪い」と脳内で反省会を繰り返した結果、心の一部が雨漏りしてるんじゃないかと思うほどくよくよするようになっていった。

 友達がいないと勉強しかやることがない。それでも暇なので、祖父母からもらった本を無尽蔵に読み耽った。その結果、成績はどんどん上がっていったけど、「自分は勉強しかできない」と余計に自己肯定感が下がった。なんて不便なメンタル。

 そして高校に上がるタイミングで再度転校して地元に戻ることになったので、県内で一番偏差値の高いこの私立を受けて入学することができた、というわけだ。担任からは十回くらい「もっとレベルの高い都内の私立も狙える」と言われたけど、受かる自信もなかったし、田舎者キャラが継続したらと思うと志望する気にはなれなかった。

 転校がなければ、転校先に科学部があれば、イジりに返せていれば、違っただろうか。いや、大して違わないかもしれない。俺のことだ、きっとどこかで別のきっかけで躓いて、こうなっていただろう。


「じゃあ次は、と……」

 名簿とにらめっこする鹿島先生。そういえば、午前中は代表挨拶の準備をしたり、緊張しすぎて「失敗しても命までは取られない」と自分に言い聞かせたり、二ヶ所噛んだ自分に「原稿を読むこともできないのか」としょんぼりしたりして過ごしたので、この一年五組のクラスメイトを全然把握していない。このタイミングでちゃんと覚えよう。

 そう思っていた、矢先の出来事だった。

「岩里さんね、岩里織羽さん」

 その名前に、体がビクッと反応し、バッと顔を上げる。そして俺の視界は、後ろから俺の横を通り、教卓に向かって歩いていく彼女を捉えていた。平均よりも高めの身長で、チェックのグレーのスカートも学年カラーであるワインレッドのリボンもよく似合う。

 前に歩いていく彼女を、他のクラスメイトも凝視している。肘や背中に届く黒色に近い茶髪のロングヘア、前髪の隙間からちらっと見えるおでこ、色白の顔、ぱっちりして猫っぽい二重、小さめの鼻、ぽってりした唇。あの頃の面影がそのまま、大人びた綺麗さを纏ったような。クラス、いや、学年でも指折りの美人ではないだろうか。

 間違いない、織羽だ。信じられない偶然に、唖然としてしまう。

「んっと……岩里織羽です。基本インドアです。よろしくお願いします」

 早口で紹介を終え、後ろの席へ戻っていく。前はもっと明るかったけど、随分控えめなタイプになったなあと思いつつ、俺は振り返って彼女が椅子に座る様子を食い入るように見つめていた。


「じゃあさようなら! 明日からよろしくお願いします!」

 教科書の配付や明日からの授業の説明が終わり、先生が気合いの入った挨拶をしてお昼前に解散となった。

 俺はすかさず後ろに駆けていき、帰り支度をしている織羽に話しかける。他の人に話すのは難しくても、見知った顔なら大丈夫だ。

「よ、よお。久しぶりだな」

 すると彼女は、硬い表情のまま俺の方を見た。

「うん、久しぶりだね」

 一言呟いて、やりとりが終わる。

「あ、や……まさか高校でまた会えるなんてな」

「だね、びっくりした」

 こっちがびっくりだ、と思うほど会話が続かない。織羽の表情も、驚きや喜びに満ち溢れたものではなく、「知り合い」と話しているという感じでどこか淡々としている。

「じゃあ、私帰るね」

 話を切り上げるかのように彼女は立ち上がった。一七三センチ、平均より少し高い俺と、俺より十センチ以上低い彼女。小学校の頃はほとんど変わらない背丈だったのに、随分月日が経ってしまったと理解する。

「またね」

「あ、ああ……またな」

 こちらを振り返ることなく、教室から出ていく。

 その昔、一番の仲良しだった彼女との関係はほぼリセットされていることに、俺はようやく気が付いたのだった。


 帰り道、細い道の白線から落ちないように歩きながら、織羽と小一で出会ったときのことを思い出す。

 夏の席替えで隣の席になって、家が近かったこともあってすぐに打ち解けた。同じアニメやゲームが好きで、一週間しないうちに完全に意気投合した。何の偶然なのか、中一の夏に俺が転校するまで六年半クラスが一緒だった。今にして思うと、完全に幼馴染だ。

 小四のときの事件も未だに覚えている。些細な原因で俺が友達とケンカした時に、近くに座っていた織羽が間に入ってくれて仲直りできた。その一週間後、ちょっとした仲違いで、今度は織羽が女子グループ内でハブにされたので、俺が仲裁した。二人で、「お互いまた困ったときは助け合おう」と約束したっけ。夕焼けの中で、彼女が「ありがとう」と言って泣きながら指切りしたのを、今でも真っ赤な夕日を見ると思い出すことがある。

 中一で俺が転校して離れてから二年半。その間に彼女は他の友達も見つけて、昔の友人である俺とは距離を置いたんだろう。

 そう思っていたけど、実は違ったらしいと、この後すぐに知ることになる。


「おり……は……」

 週明け、四月十日の休み時間。彼女に話しかけようと、窓際、後ろから二番目の席に行くと、彼女は机に突っ伏していた。イヤホンを耳に嵌め、指でトントンとリズムを刻みながら寝ている。他のクラスメイトが早速ファッションや音楽の話で盛り上がる中、馴染もうとする気配がないし、当然こんな状態の彼女に誰も話しかけない。

 あれ……これアレだよね? 漫画でよくある「友達がいない人」のパターンだよね? 俺が中学のときもここまで露骨にはやらなかったぞ。頑張って友達の輪の中に入って、気付いたら輪から外れてた。天才がやる知恵の輪かよ。

 いや待て、体調が悪いだけかもしれない。ちょっと今は声かけるのやめておこう。


 帰りのホームルームが終わり、すぐに織羽のところへ行く。

「え、早くない?」

 彼女はもうイヤホンをして机に寝ていた。何このスピード。「さようなら」ってお辞儀しながらイヤホンつけるくらいの流れ作業じゃないと無理なのでは。

「織羽、まだ寝てないだろ……?」

 そう小さな声で聞いてみると、彼女は両腕を机につけたまま顔だけ起こし、イヤホンを外した。

「どしたの、あめすけ」

 雨原亮介、略してあめすけ。この呼び方が懐かしい。

「何聞いてたんだ?」

「何も聞いてないよ。イヤホンしてれば話しかけられないでしょ?」

「そんな高等テク使ってたの」

 予防線が強すぎる。

「え、でも指でリズム取ってただろ?」

「いや、なんか『音楽やってる』って勘違いしてもらえれば、舐められることもないかなって」

 これは……あの……完全に俺と同類なのでは……?

 俺は、まだ部活もなく早々にクラスメイトが帰っていったのを見計らい、思い切って彼女に聞いてみた。

「織羽、ひょっとして、中学でぼっちだったのか?」

「あめすけ、直球すぎない?」

 彼女はクックックと歯を見せる。若干苦そうだけど、それは久しぶりに見た彼女の笑顔だった。

「でもそうよ、ぼっちだったの。高校でもこのままでいくつもりよ」

 やっぱり同じだ。俺も自信がなくて、上手な絡み方が分からない。距離の取り方が分からない。二日目にして、「溶け込めてない男子」感がたっぷり出てしまっている。でも、織羽の態度を見ていると、そもそも絡む気がないらしい。

 そして彼女は、すっくと姿勢を正し、少しだけ口角を上げて爽やかに言い放った。

「私ね、高校に入ったら復讐に生きるって決めてたの」

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