いのち短し恋せよ魔王、勇者が自爆する前に

覚醒|なるかみゆう/勇者


 宗教だの神秘だのを信じたことは一度もない。

 科学で証明できることしか信じない。

 前世なんてあり得ない。転生だってあり得ない。

 人生は一度きり。死ねばそれまで。


 ……そんなふうに思っていた時期が、俺にもありました。


 彼女と出会い、俺は前世の記憶を取り戻した。

 だが……彼女は、俺の宿敵だった。

 何度も、何度も殺し合ったほどの――。


     1


「うわぁ、ご覧ください! 多摩川たまがわ沿いでは、遅咲きの桜が満開ですよっ!」


 キッチンに立っていた俺は、その声に引かれて振り返った。古ぼけたテレビに、見慣れた河川敷が映っている。若いリポーターが笑顔で背後の桜を示している。

 地元の風景がテレビに映っているというのは、なんだかふしぎな気分だった。

 と、鍋がしゅわしゅわと小さな音をたてはじめたので、俺は視線を戻す。鍋のなかでは、昆布の表面に細かい気泡が芽生えていた。


 ……いまだ! すかさず菜箸で昆布を取り出し、はながつおを投入する。

 平日の朝はせわしない。二人分の朝食を準備して、小学生の妹を送り出し、俺自身も登校せねばならない。とはいえ、出汁はなるべく自分で取るようにしている。

 次はしるの具だ。乾燥わかめは、すでに水にけてある。ならば次は伝説の聖剣……じゃなくて、母さんの形見となった万能包丁「助六」の出番となる。冷蔵庫に残っていた豆腐と油揚げを切っていく――。


「……卵焼きでも奮発できればいいんだがなあ」


 つい愚痴が漏れた。ここ最近、鳥インフルの影響とやらで、卵の流通量が極端に減っているのだ。必然的に、その影響は売値に反映されることになる。親父おやじにもっとしようがあればなぁ……。

 仕事で全国を飛び回っている親父とは、長らく顔を合わせていない。一応、月々の生活費は振り込んでくれるし、たまにはスマホで連絡も取るが、親子仲は悪い。

 生活費の額も減る一方で、最近では、足りない分を俺がアルバイトでてんしているほどだ。いい加減、地に足のついた職業に就いてほしいものだが――。


 そのとき、ちゅんちゅん……と、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 俺はハッとして、手を止めた。


「スズメか……美味うまそうだな」


 スズメのような小鳥なら、シンプルに調理するのがベストだろう。羽毛と皮をむしり取り、内臓を取りのぞき、塩を振って、丸焼きにするだけ。骨ごと食える。

 ……じゅるり。野原でこんがりと焼いた野鳥の味を思い出すと、よだれが垂れそうになった。


「いっそのこと、狩猟を日常生活に取り入れれば食費を抑えられるな。とはいえ、武器をどうするか? 前世では弓矢があったけど……そうだ、スリングショット的な武器なら自作できるんじゃないか?」


 なんだかワクワクしてきた。


「くっくっく……待ってろよ、可愛かわい小鳥ちゃん。いますぐ身ぐるみいですっぽんぽんにして、その新鮮なカラダを骨の髄までしゃぶり尽くして――」


「お巡りさーん、ここにめっちゃ危ない人がいるんですけど!」


 突然、背後で声がしたので、俺はびっくりした。


「……!?」


 慌てて振り返ると、学院の制服を着た少女が、むすっとした顔で仁王立ちしている。その視線のすさまじさときたら、人を殺せそうなほどだ。


「お、お前……いつの間に!?」


「やばい人だってことは知ってたけど……まさか、ここまでの変態だったとはね」


「誤解だーっ! 狩猟の話だからな!」 


「いずれにせよドン引きだわ。いくら前世の記憶が戻ったとはいえ、『勇者』基準で行動するのは自重すべきね。大体、狩猟って……法律とか厳しいんじゃないの? 下手なことして、本当にお巡りさんを呼ばれても知らないわよ」


 少女はうんざりした表情を隠しもせずに、忠告してきた。

 俺はスマホを手に取った。


「問題ない。狩猟法など、検索すればすぐに解る」


「はぁ……信じらんない」


 少女はおおためいきをついてみせた。

 というか、こいつの不法侵入を許した上に、背後まで取られるとは! これが前世だったら、確実に首をられていたぞ……!

 俺は素早く身構えると、目の前の少女をにらみつけた。


「現れたな『魔王』! 世界をしゆうえんに導く者よ!」


「はいはい。女子に包丁を突きつけてる構図は脇に置くとして――世界が終わる前に、お鍋が吹きこぼれそうになってるんですけど?」


「へっ?」


 俺はガスコンロを振り返った。しまった! 出汁を取ってる最中だったんだ……!


     2


 俺の背後に現れた女子中学生の名は、えんどうかぐという。

 いまから二週間前――四月一日のこと。

 輝夜は、お隣の二〇三号室に越してきた。

 そこで事件が発生した。アパートの敷地内で、入居したばかりの輝夜に鉢合わせたあと、俺は前世の記憶を思い出したのだ。

 とうのごとくあふれ出した記憶の奔流に戸惑っていた俺のそばでは、輝夜もまた、同じ現象に襲われていた。

 そして――前世とはまったく異なる容姿だったにもかかわらず、俺たちは互いの因縁を悟った。


 前世で勇者だった俺は、前世で魔王だったこいつと、何度も、何度も、殺し合った間柄だったのだ。

 例えば、魔王が前線に姿を現すたび、俺は奇襲を試みた。思いも寄らぬ地点で遭遇し、刃を交えたこともあった。いつしか、俺たちの戦いは十一回にも及んでいた。

 最終的に、魔王は自国の最深部にきつりつする超大型要塞――通称・魔王城に引っ込んだ。

 その時点で、上級冒険者の大半が魔王討伐を断念したのは、無理もない話。だが、俺は甘くない。狙った獲物は決して逃さぬ主義なのだ。それこそ野鳥から魔王まで、きっちり仕留めねば気が済まない。

 苦難の末に、俺は魔王城に潜入した。

 全百層にも及ぶ迷宮は洒落しやれになってなかったが、実力でゴリ押しすることもあれば、知恵を絞って切り抜けたこともあった。

 そして、ついに俺は最上階に到達し、魔王との最終決戦に挑むことになる。


 が、さすがは魔王。そうやすやすと倒される相手ではなかった。頼みの綱の聖剣も、魔王に致命傷を与えるには至らなかった。

 聖剣は折れ、防具も壊れ、魔力も尽きた。回復薬も無い!

 もはや俺に残された選択肢は、ひとつだけ。

 勇者にのみ許された究極奥義――それは、自らの生命力を魔力に変換し、自爆するという大魔法だった。

 ふしぎと迷いはなかった。恐怖もなかった。むしろすがすがしい気持ちでさえあった。

 俺は意を決すると、最後の突撃を試みた。たけびをあげながら、魔王の背中に張り付くと、最後の呪文を詠唱した。


 そして――……。

 後悔はしていない。確実に仕留めるには、あの方法しかなかったと断言できる。


 ……さて、死んでしまった俺自身はというと、この日本とかいう不思議な国で、鳴神勇真として生まれ変わった。

 もっとも、二週間前に前世の記憶を取り戻すまでは、一市民として平凡な日常を送っていたのだ。が、いざ前世の記憶を取り戻してみると、この日本とかいう国は――いや、この二十一世紀の文明社会そのものが、明らかに変だと思った。

 聖剣も、魔法も、魔導具も、妖精も、ドラゴンも、モンスターも、魔族の類いも――そして、当然ながら「勇者と魔王」も存在しない世界。

 俺に言わせれば、ここはまんのかけらもない世界だ。

 その代わり、科学技術だの経済理論だのは、異様なまでに発達している。発達しすぎて怖いくらいだ。

 そもそも、この世界を支配しているのは物理法則。そのため、聖剣や魔法、魔導具などの「神秘」は、存在自体が許されない。およそ「神秘」なるものは、人間の空想のなかにしか存在しないらしい。

 かつては野良ドラゴンをワンパンで討伐できたほどの俺だが、いまではもう、そこらへんの村人と同程度の戦闘力しかないのである。


     3


「で、なんの用だ?」


 俺はぶっきらぼうに尋ねた。

 閻魔堂輝夜は、手にしていたアイテム――ガラス製の容器を示した。どう見ても、ただのしよう差しだ。


「お醤油、ちょっぴり分けてほしいんだけど」


「は?」


「せっかく卵かけご飯にしようと思ったのに、お醤油を切らしちゃって……というか、あたしがお醤油の瓶を引っ繰り返しちゃったのが悪いんだけどね。一生の不覚だわ」


 魔王の表情は、真剣そのものだった。


「それはまた、随分と安い一生だな」


 まあ、醤油なしの卵かけご飯なんて食えたもんじゃないだろうから、そこは同情を禁じ得ない。さすがの魔王も、本気で困っている様子だが……いや、ちょっと待て。


「くっ! こちとら卵の一パックすら買えなくて、落ち込んでたところなのに!」


「ま、うちには腕のいいメイドがいるから。あんたが学校に行ってる間に、市内で卵を売ってる店を全部チェックして、業界最安値で購入したのよ」

 くっ、この絵に描いたような「どや顔」が忌々しい!


「なんということだ……魔王家の食卓に完敗してしまった! 一生の不覚だーっ!」


「はいはい。随分と安い一生だこと。ま、お隣のよしみってやつで、卵のひとつかふたつなら、分けてあげなくもないけど?」


「否! 断じて否! 魔王からの施しは受けん!」


「あ、そう。無理にとは言わないわ。うちで美味おいしく頂くから」


「べっ、別に、うらやましくなんてないんだからな……!」


 そもそも、だ。前世の記憶を思い出してすぐ、「生卵を食べる」という文化に衝撃を受けた俺である。前世では、生卵を食うようなバカはまず見かけなかった。よほどの猛者でなければ、食中毒で苦しむことになるからだ。


「あっ、輝夜ちゃんだ! おはよー!」


 そのとき、パジャマ姿の妹――はつが、ひょっこりキッチンに顔を出した。俺たちが大声で話していたものだから、起こしてしまったのだろう。

 初穂は輝夜の正体なんて知らないので、気楽なものだ。ちなみに、俺の前世についても、初穂には秘密にしている。


「おはよ、初穂」


 輝夜は、初穂の頭を「よしよし」とでながら、いかにも「お隣のお姉さん」ぶった態度をとっている。意外に子ども好きらしい。


「うん。今朝はお兄ちゃんが食事当番だから、寝坊しちゃって。あっ……あたし、おしっこしなくちゃ! 漏れちゃうよ~!」


 初穂はブルルッと身震いすると、キッチンを飛び出した。妹よ、さすがにいまのは恥ずかしいぞ……もう小学六年生だというのに。

 俺があきれている間にも、輝夜はキッチンに置いてあった醤油のペットボトルを手に取っている。

 まあ、この日本という国には「敵に塩を送る」ということわざがある。俺もうえすぎけんしんを見習って、少しくらいなら分けてやらんこともないが――。


「うわっ。この醤油、安いやつじゃん」


「そこっ! 聞こえてるぞ!」


 輝夜は俺の言葉を黙殺すると、淡々と作業を始めた。

 俺自身は、鍋のほうに意識を向けようとしたのだが――。

 とぽとぽ……とぽとぽとぽ……とぽぽぽぽぽぽぽぽ……!


「おいこら! ちょっと待たんかー!」


 俺は慌てて輝夜の腕をガシッとつかんだ。

 空っぽだった醤油差しは、いまや八割くらい補充されている。


「そこまで許した覚えはない!」


「ちょっと手が滑っただけだから! そんなに目くじら立てなくてもいいでしょ!」


 輝夜も負けずに、俺の手首をギュッとつかむ。

 ぐぐぐぐぐ……ぎりぎりぎり……互いに力を込める。

 至近距離で、真っ向から睨みあう俺と魔王。

 ……ああ、なんて不毛な争いなんだ。

 どうして俺たちは、春のしのうららかな朝に、こんな醜い小競り合いをしているんだろう?

 そのときだった。かたん、と物音がしたかと思うと、


「……まさか、二人の仲がそこまで進んでたなんて。全然知らなかったよ……言ってくれれば良かったのに……」


 トイレを済ませた初穂が、戸口に立っている。ほおを赤く染めていた。


「……!?」


 俺も輝夜も戦意喪失。とんでもない誤解もあったものだ。

 とはいえ、客観的に見れば、俺と輝夜は体をほとんど密着させた状態で、しかも互いの鼻先が触れ合わんばかりの距離で睨みあっていたのだ。

 そう、あくまでも「睨みあっていた」のだが、「見つめあっていた」と誤解されても仕方のない構図だった。


「ちがうぞ、初穂! これはけんだ。正義と悪の戦争だ!」


「そうよ、初穂! こんな石頭の朴念仁なんか、わたしの好みじゃないんだから!」


「だれが石頭の朴念仁だ! この悪役令嬢にして没落令嬢が!」


「んなぁっ!? 悪役令嬢に、没落令嬢って……ふっ、ふふっ……くくくっ……鳴神勇真……あなた、いちばん言ってはならないことを言ったわね……!」


 きゅぴーん! と、輝夜の双眼がひらめいた。だが、その鋭すぎる目つきとは裏腹に、唇はにんまりと笑っている。

 ああ……なんだか、懐かしい気がした。

 そうだ。あの最終決戦のときも、こいつはこんな顔をしていたっけ。怒れば怒るほど、その唇は笑いを深めていく。

 しかも形態変化をするたびに、こいつの笑みはますます不気味になるのだ。


「おんどりゃあ、死にさらせーっ!」


 輝夜が叫んだ。いまどきの女子からは懸け離れた、なんとも恥ずかしい罵声。魔王時代の言葉を日本語に翻訳すると、こうなってしまうのだろう。 

 柔道の達人よろしく、襟首につかみかかってくる輝夜。俺はとっさに後退すると、右腕を目一杯伸ばした。手のひらで、輝夜の頭部をガシッと押さえつける。

 リーチ差があるので、こうして固定してやると、輝夜としては腕をぶんぶんと振り回すしかない。その小さな拳は、俺の胸元をかすめるだけだ。


「くっ、きようよ!」


 ますます躍起になって、両手をぶんぶん振り回す輝夜。しかも頬をぷっくりと膨らませ、顔を真っ赤にしている。

 悔しいが、ちょっと可愛い……って、そうじゃない! こうしている間にも、時間は刻々と過ぎているのだ。魔王という名の珍獣を相手にしている場合ではない。

 俺は努めて冷静な口調で、諭すように言った。


「このままだと、お互い遅刻するだけなんだが?」



いのち短し|閻魔堂輝夜/魔王


 恋がしたい。

 白馬の王子様と、燃えるような恋がしたい。

 そんな恋ができるなら、いっそ燃え尽きたって構わない。


 ――「いのち短し恋せよ乙女!」


 ……ま、しょせんは幻想だってわかってる。

 恋愛小説や少女漫画の読みすぎだってことも、ちゃんとわかってる。

 わたしは過去に何度も何度も勇者に襲われて、最終決戦で命を落とした。

 対戦した回数は、ちょっとした遭遇戦から最終決戦まで含めると――全部で十二回。

 だけど、「白馬の王子様」なんて、一度も現れやしなかった。

 え、魔王なんだから当然だって!? いやいや、それは差別でしょ。

 魔王である前に、十代の乙女だったんだから――。


     1


 つい最近まで、わたしはなんの心配もなく、お気楽に暮らしていた。

 わたしのパパは、泣く子も黙るIT企業「閻魔堂グループ」の創業者で、良くも悪くも大金持ちだった。

 ……が、つい先日、パパはあっさり会社を追放された。いや、それだけなら、我が家がここまで没落することはなかっただろう。生粋のギャンブラーでもあったパパは、個人でもばくだいな負債を抱えていたのだ。毎年のラスベガス豪遊がたたって、会社の金にまで手をつけていたとか……。

 そんなわけで、我が家の財産は差し押さえられた。自宅も別荘も、すべて失った。しかも、これほどの災厄をもたらした張本人は、愛人を連れて、さっさと外国へ逃げた。


 ……このあたりの経緯については、ネットで検索すれば山ほどヒットする。まあ、ガセネタも多いんだけどね。

 で、パパの娘たち――姉のなでしこと、その妹であるわたしは、東京都内にぽつんと取り残された。まったく、とんでもない毒親もあったものだ。

 ママはわたしを産んですぐに亡くなったし、頼れるような親戚もおらず……わたしたち姉妹は、二人きりで生きていかねばならなくなった。

 そんな折、撫子が入居できそうな賃貸物件を見つけてきた。調布ちょうふ市内の物件だという。調布といえば、わたしが通うてんしゃくかん学院があるので、通学しやすいという利点があった。


 だがしかし……そのアパート「りようざんぱく」は、あまりにもボロかった。ご近所からは「お化け屋敷」などと呼ばれている始末。お嬢様育ちのわたしは、もちろんちゆうちよしたけれど、「無職の姉と中学生の妹」という、微妙な世帯をすぐに受け入れてくれるような物件は、そこくらいしか見つからなかった。

 その、びっくりするくらい古めかしいアパートの前で、わたしは彼に出会った。

 白馬の王子様……ではなく。

 前世において、わたしを爆殺したきゆうてきに――。


     2


 あの日……忘れもしない、今月の一日。

 午前中に引っ越し作業を終えたわたしは、これから自分の住む町がどんなところなのか、視察しておこうと思い立った。

 玄関を出た。各部屋のドアが並ぶ、薄汚い通路を進み、サビの目立つ階段をカンカンと音をたてて下りた直後、高校生らしき少年と鉢合わせした。


 階段の幅は狭いので、すれ違うわけにはいかず、互いに一時停止。

 問題なのは、彼が抱えている段ボール箱に、すっかり見慣れた引っ越し業者のマークが入っていること。

 どう見ても、我が家の荷物だった。きっと引っ越し業者が運び入れるのを忘れていたのだろう。


「あの……その箱ですけど、うちの荷物ですよね?」


 わたしは思い切って、声をかけた。相手はにこりともせずに答えた。


「そうだと思う。階段の脇に置いてあったから、届けようかと思って」


 なんだか堅物そうな人……というのが、第一印象だった。でもまあ、ヘラヘラした軽薄なやからよりは、真面目なほうが良いとも思った。


「このアパートに住んでおられる方ですか?」


「ああ。あんたのお隣だ」


 彼はぼそぼそと応じた。無愛想なのか、単に女子と話し慣れていないだけなのか、ちょっと判断がつきかねた。


「引っ越し業者が運び忘れちゃったんだと思います。わたしが運びますから……」


「これ、かなり重たいから。俺が運ぶよ」


 は? 今どき珍しいというか、お節介な男子がいたもんだ。そもそも、初対面の相手に借りを作りたくない。


「いえ、結構です。ちゃんと持てますから」


 わたしはサッと手を伸ばし、彼の胸元から箱を奪い取ろうとする。が、彼も意外に強情な性格らしく、なかなか手放そうとしない。

 しばしの間、「わたしが」「俺が」で押し問答になってしまった。


「どうせ俺も階段を上るんだ。ついでだから運ぶよ」


「いや、でも……悪いです」


 すると、彼が遠慮がちに提案した。


「そ、それじゃあ、一緒に運ぶか。この階段、滑りやすいから……気をつけてな」


 うえっ、マジか……面倒臭いというか……でも、これからはお隣同士なんだし、あんまり邪険にするわけにもいかないだろう。


 結局、わたしが上、彼が下となって、ミカン箱と同じくらいのボックスを抱えながら、ゆっくりと階段を上っていく。当然、わたしは後ろ向きのまま上ることになる。

 あれ? これって、わたしが下のほうが良かったんじゃ……まだ慣れていない階段を、こんなふうに後ろ向きに上るとか、意外に難しいんですけど。それに、たしかさっき、「滑りやすい」って――。

 と思ったそばから、わたしはつるりと足を滑らせていた。


「ひゃっ……!?」


「うわあっ!?」


 二人そろって、階段を転げ落ちた。だけど、衝撃の大半は、とっさにわたしを抱き留めた彼が吸収してくれた。

 ヤバい……この人、意外にイケメン――などと、ときめいたのも一瞬のこと。

 わたしの後頭部が彼の顔面に、がつん! と直撃した。


「……!」


 その瞬間、わたしの内側で、未知の感覚が渦巻いた。

 そう、膨大な情報が、次から次へとあふれ出したのだ。

 過去に体験したことのない、ふしぎな現象だった。

 まるで、わたしのなかに、もう一人のわたしが入りこんできたかのような……。

 それは、この現代日本とはまったく異なる世界を生きた、一人の少女の記憶だった。

 しかも、ただの女の子じゃない。

 その子は、多種多様な魔族社会を統べる王として、大帝国に超然と君臨していた――。


「ちょっ!? えっ、なにこれ……! これって、わたしの記憶なの……もしかして、これがわたしの前世……!?」


 ふと目をると、わたしをかばって下敷きになっていた彼もまた、なにやら挙動不審に陥っていた。


「な、なんだ、このイメージは……まさか、これは……いや、そんなはずがない! だけど、この感覚をどう説明すれば……」


 次の瞬間、わたしは理解した。

 彼もまた、前世の記憶を思い出してしまったのだ、と。


「まさか、あのときの勇者!?」


「じゃあ、お前は……魔王か!」


 こんなふうにして、わたしとあいつは十三回目の遭遇を果たした。

 ……これが、いまから二週間前の話。


     3


 質素な夕食をとったあと、わたしはお風呂に入った。

 四月も中旬とはいえ、妙に薄ら寒い日々がつづいている。とりあえず、洗面器でザッとお湯を浴びると、すぐさま湯船に浸かった。


「ふう……」


 びっくりするほど狭い湯船だけど、それでもお風呂はいいものだ。心と体が解きほぐされていく。

 ……それにしても、今朝はヒドい目に遭った。

 ただ醤油をもらいに行っただけなのに、どうしてあんなにいがみ合ってしまうのか。まあ、ちょっと勢いがつきすぎて、醤油をたくさんもらいすぎたのは事実で、そこは反省すべきだとは思うけど、あんなに怒らなくたって――。


「魔王さま、失礼いたします。お着替え、ここに置いておきますね」


 と、りガラスの張られた扉の向こうから、撫子が声をかけてきた。


「はーい……って、いい加減、その『魔王さま』って呼び方、やめてくれる? いまのわたしは閻魔堂輝夜であって、あなたはわたしの姉なんだから」


「お言葉ですが、魔王さま」


 ガラス戸のむこうで、撫子が恭しく膝をついた。


「前世において、わたくしは魔王さまに忠誠を誓いし四天王――その一翼を担っておりました。とはいえ、四天王のなかでは最弱……非戦闘員であり、職務は宮廷メイド長でしたわ。せんえつながら、魔王さまの相談役でもありましたね」


「もちろん、よくおぼえているわ。それで?」


「たとえ、どのような形で生まれ変わろうとも、わたくしにとって魔王さまは魔王さまです。そう簡単に割り切れるはずがございません。もちろん、人前では閻魔堂撫子――あなたさまの姉として振る舞いますので、どうぞご心配なく」


「ねぇ、撫子。別に、前世の記憶に縛られる必要なんてないのよ? もし、あなたが望むなら……わたしなんかに構わず、自分の好きな生き方を見つけるって選択肢もあるわ。あなたが自分を犠牲にしてまで、わたしのために尽くしている姿を見ていると……正直、心苦しいの。あなたが望むなら、自由に生きていくことだって――」


「お言葉ですが」


 突然、撫子の口調が真剣味を帯びた。


「魔王さまにお仕えすることこそが、わたくしのですわ。魔王さまとちがって、わたくしは五歳の時点で前世の記憶を取り戻しておりました。そして、自分の妹として生まれて来た赤ちゃんが、魔王さまの転生体だということも、一目見てわかりました。魔王さまがすべてを思い出される日を待ち焦がれて、幾星霜……こうして前世の記憶を共有できて、本当にうれしゅうございます」


「その話、もう耳タコよ。わたしの記憶がよみがえってから二週間……何度も繰り返し聞かされたんだから」


「よろしいですか? 魔王さまを見捨てるくらいなら、この首を差し出したほうがましでございます。どうしても、不出来な宮廷メイド長が不要だと仰せなら、この魔剣デフ=ロザランティスで、ひと思いに斬首してくださいませ……!」


 突然、撫子はがらりとガラス戸を開いた。

 その手には、いつの間にか物騒な刃物が――。


「あー、もう! いい加減、その時代錯誤な価値観でぐいぐい押してくるの、やめてくれる!? たしかに前世なら打ち首獄門なんて日常茶飯事だったけどね! この世界じゃ、わたしたちの常識なんて通用しないのよ! ついでに言えば、その刃物は魔剣じゃなくて、助六ブランドの包丁だから!」


「申し訳ございません、魔王さま。ただ、これだけは言わせてください。わたくしの気持ちでしたら、とっくの昔に決まっているのです。魔王さまのおそばこそが、わたくしの居場所ですわ」


「撫子……」


 わたしは素直に感動した。この宮廷メイド長がそばに居てくれて、本当に心強いと思う。実際、撫子がわたしを捨てて逃げたりしたら、どうなっていたことか……。


「ところで、魔王さま。これからぐしや御体を洗うおつもりなのでしょう? わたくし、お手伝いいたしますわ」


「もう魔王じゃないの。自分の体くらい、自分で洗えるから!」


「いえいえ、遠慮なさらず。ついでに御髪が痛んでいないか、チェックいたします。枝毛になっていたら大変ですから」


 こうなるとテコでも動かないのが、四天王の一人にして宮廷メイド長だ。わたしは抵抗を諦めると、大人しく湯船から上がり、風呂椅子に腰かけた。

 撫子は意気揚々と腕まくりをして、わたしの背後に回る。ただでさえ狭い浴室が、ますます狭く感じられた。


 ちなみに、撫子の普段着はメイド服だ。本人によれば、それがいちばんしっくり来るんだとか。まあ、宮廷メイド長だった当時の制服に、近いといえば近いけれど。


「まずは、お湯を出しますわね」


 撫子はニコニコしながら、水道の蛇口をひねろうとした。

 その直後、ぽきん……という乾いた音が響いた。


「ちょっ!?」


「あらまあ……」


 目の前で、あり得ないことが起きた。

 無惨に折れた蛇口は、撫子の手の中に残っている。

 わたしと撫子が同時に間の抜けた声をあげたときにはもう、水道の壊れた箇所から、水がドバドバと噴き上がっていた!


「ぴゃーっ!?」


 わたしは叫びながら、撫子に抱きついた。


「撫子!? どうするのよ、これ? うわっ、冷たっ! やんっ、マジ冷たい!」


「あらあら、困りましたわねぇ」


 撫子は、あくまでもおっとりしている。


「あなた宮廷メイド長でしょ! このくらい、なんとかしてちょうだい!」


「申し訳ございません、魔王さま。勝手知ったる魔王城ならともかく、日本国の水道設備に関しましては、わたくしもお手上げですわ」


「じゃあ、どうすればいいのよ!?」


「仕方がありませんね。奥の手を使いましょうか」


「えっ、奥の手なんてあるの?」


「はい。通用するかどうかはわかりませんが、試してみる価値はあるかと」


 撫子は、わたしの体をバスタオルでくるむと、足早に立ち去った。



修羅場|鳴神勇真/勇者


     1


「というわけで、鳴神さんちの勇真さんを呼んでまいりましたわ!」


「おーまーえー! 四天王失格! 宮廷メイド長も失格! 打ち首獄門の刑じゃー!」


「ああっ! それでこそ魔王さま! 下手にいまどきの現役JCぶってスマホをいじくっておられるときよりも、よほどしいですわ!」


「しまったー! 興奮すると、つい地が出ちゃう……!」


「いえ、魔王さま! そちらのほうが断然、素敵ですわ! もっと罵って下さいな!」


「ええい、この変態メイド長が! おのれはさっさと首を差し出さんかーい!」


 ……えーと。なんなんだ、この茶番は?

 ついさっき、俺が皿洗いをしていたら、お隣のメイド長が呼び鈴を鳴らした。

 撫子の説明は簡潔明瞭で、俺はすぐに事情を理解した。このアパート、水道関係の故障は日常茶飯事なのだ。

 正直な話、魔王を救ってやるのはしやくだけど、いまはお隣同士でもある。ここで無視したりしたら、あとあと禍根を残しかねない。お隣同士ってのは、そのくらい微妙な間柄なのだ。どちらかが退去するまで、この関係はつづく……。

 やむを得ず、俺は愛用の工具箱を手に、わざわざ様子を見に来てやったわけだが……浴室の入口には、輝夜が仁王立ちしていた。そして、姉の撫子に食ってかかったのだ。


「どうして勇者を連れてきたりしたのよ! バカなの!?」


 なんとも恥ずかしいやつだが、輝夜は限りなく全裸に近い格好をしていた。なにせバスタオル一枚を胴に巻き付けただけなのだ。体のラインがくっきりと浮かび上がっている。

 どうやら着痩せするタイプらしい。ついつい視線が胸元に吸い寄せられるのは、男のサガである。決して大きくはないものの、その淡いふくらみは、むしろリアリティと生々しさを感じさせた。


 のみならず、その黒髪はぐっしょりと濡れそぼり、たまのような肌に張り付いていて、無駄に色気が……って、いかんいかん! 相手は魔王だ! 

 俺は無理やり視線をらすと、輝夜の脇を素早く通過した。そして、風呂場をのぞき込んだ。なるほど、大洪水だ。


「まずは元栓を閉めるべきだな。すべてはそれからだ。元栓の位置は、どの部屋も共通だと思うが――」


「ちょっと! どうして勇者が仕切ってるのよ? わが魔王城を勇者が土足でうろついてるってだけでも非常事態なのに!」


 と、撫子を責めるのにも飽きたのか、輝夜の矛先が俺に変わった。まったく、こちとら親切心で来てやってるというのに。


「落ち着け。だれが土足だ。靴はちゃんと脱いでる」


「そういう意味で言ったんじゃ――」


「あ、すまん。いま気づいたんだが……靴、履いたままだったわ」


「リアルに土足かーい!」


「いや、お前ならわかるだろ? 前世の記憶を思い出して以来、時々、やらかすんだよな。ほら、あっちはヨーロッパ風で、室内でも土足だったから」


「それはそうだけど、まずは靴を脱がんかーっ!」


 輝夜が顔を真っ赤にして叫んだ直後、そのきやしやな肢体を包んでいたバスタオルが、はらり……と落ちた。


「ぴぎゃーっ!」


 輝夜は血相を変えて、新種の怪獣みたいな叫びをあげた。両手で胸を隠しつつ、その場でうずくまってしまう。


「いまのは不可抗力! 俺はなにも悪くないぞ! な、なにも見てないし!」


 俺は全力で回れ右をした。実際、すぐに目を逸らしたので、一瞬しか見えなかったのは事実だ。しかし、自分でも情けないくらいに、心臓がバクバクと鳴っている。


 くっ! たかが小娘の裸ごときで、こんなにもうろたえる自分が情けない。落ち着け我が心臓! あのれつな最終決戦――魔王の最終形態を思い出せ! ……あ、瞬時に冷えたわ。マジで怖かったからなあ。


「最終形態! 変身! 変身するわよ! ふんぬー!」


 と、輝夜が泣きながら恐ろしいことを言った。


「やめろーっ! ここで最終形態になったりしたら! こんなアパート、瞬時に吹き飛ぶぞ!」


 そこまで叫んでから、俺は羞恥心に襲われた。つい反射的に応じてしまったが、もちろん、変身できるはずがない。ここは現代日本だし、いまの輝夜は魔族ですらないのだ。

 と、突然、宮廷メイド長が意味深な微笑を浮かべつつ、俺の耳もとでささやいた。


「あらあら。百戦錬磨の勇者殿なら、てっきり、あちらのほうも百戦錬磨なのかと思いきや――意外にウブですのね。いくらなんでもテンパりすぎですわよ? あっ……(察し)」


 撫子の微笑が、俺の胸に突き刺さる。しまった! この腹黒メイド長め、俺の弱点を見抜きやがったな……!

 なにを隠そう、俺は女子と交際した経験が一度もない。前世においてすら、修業と任務に明け暮れていたし、稼ぎはすべて生活費と装備のメンテ代に消えてしまった。

 そもそも、あの「究極奥義」を習得するためには、「清らかな体」であることが絶対条件だったのだ……


「と、とにかく! まずは元栓を閉めるのが先決だ!」


 俺は逃げるようにして、姉妹の前から去った。ええと、水道の元栓はどこだったかな……くそっ、泣きたい気分だ!

 

     2


「ご苦労様でしたわ、勇者殿。お掛けになってくださいな」


 何度も「お構いなく!」と抵抗したにもかかわらず、俺は撫子に勧められるがまま、閻魔堂家の食卓に着いてしまった。

 ふんわりしているようで、妙に押しの強い女だ。かなりの長身で、目線の位置が俺とほぼ同じ。なので、余計に迫力がある。

 姉妹とはいえ、輝夜とは全然似ていない。柔和なタイプの美人さんだ。やや垂れ目がちなので、輝夜の鋭すぎる目つきと足して割ったら、ちょうどいいかもしれない。

 ちなみに、明日の午前中には、大家さんが懇意にしている業者が来て、水道を修理してくれるらしい。今夜は断水せざるを得ないが、一晩くらいならどうにかなるだろう。


 それにしても、こんな形でお隣の閻魔堂さんち(※魔王城)の敷居をまたぐことになろうとは……。

 俺はさりげなく、室内に視線をめぐらせた。

 間取りは我が家と共通で、いかにも昭和時代の香りがする2DK。リフォーム歴はないらしく、内装も我が家とほぼ同じだった。

 ただし、あちこちに花瓶が置かれ、春の花々が飾られている。甘い匂いを感じた。この宮廷メイド長の、輝夜への気遣いなのだろう。


「どうぞ、勇者殿。遠慮なく召し上がってくださいな」


「はあ、どうも」


 食卓に置かれたのは、お茶と和菓子だった。

 色と香りから察するに、ほうじ茶のようだ。菓子はシンプルなようかんだった。ちょうど食べやすい厚さに切られている。ちゃんとようも添えてあった。

 湯飲みと小皿は、素人目にも高級な瀬戸物だとわかった。没落したとはいえ、国内有数の富裕層だった時代の名残を感じさせた。


「ご安心ください。毒などは入っておりませんから」


 撫子が苦笑しつつ、言葉を継いだ。


「あ、いや、そんなつもりは……ないこともないがな」


「正直ですわね。ですが、我々の因縁を思えば、警戒なさるのも当然ですわ」


「わかってるじゃないか。まあ、ここで俺が毒殺死体になって一番困るのは、お前たちだ。この国で殺人をやらかそうものなら、死体を始末するのに一苦労だぞ」


 俺は一応、「いただきます」と手を合わせると、楊枝を手に取った。思い切って、羊羹を一口かじってみる。衝撃が走った。


「うまっ!? なんだこれ、めちゃめちゃ高級なやつでは!?」


 一見、ありふれたほんねり羊羹なのだが……こんなの食ったことがない。妹にも食べさせてやりてぇ!


「差し押さえを免れたギフトですわ。父が現役だった頃は、あちこちから贈り物が届いたものです。まあ、賞味期限は……一年前に切れてますけど」


「ぶはっ!?」


「問題ございません。元々、本煉羊羹は保存食としても優秀です。そもそも、この国の賞味期限に関する基準がまちがっているのです。わたくしたちなんて、冷蔵庫の存在しない世界で暮らしていたのですよ?」


「まあ、それもそうだな」


 魔王の配下にしては、まともなことを言う人だと思った。


     3


 俺はあっという間に羊羹をたいらげると、お茶をすすった。なんだか落ち着く……。

 思わずリラックスしていた俺は、撫子のにこやかな視線に気づき、頬に熱をおぼえた。しまった、油断した!


「と、ところで、あいつはどうした? 中学生が寝るには、まだ早い気もするんだが」


「魔王さまは……あんなことがあった直後ですから、気まずいのでしょう。お部屋に引きこもっておられます。じゆんじようれんな乙女ですから」


「純情可憐? どこが?」


「なんと言っても、恋に恋するお年頃ですわ。それに、らんばんじようだった前世を思い返すと、とてもとても……びんでございました。あんなお立場ゆえに、物語作品のなかでしか恋をご存じないのです。その上、ことあるごとに勇者殿が奇襲をかけてきて……」


「おいおい、俺が悪役みたいな言い草だな」


「あらあら。ちょっと視点を変えれば、勇者殿なんて――『物騒な刃物を手にせいで可憐な美少女をしつように付け狙う悪魔のような変態粘着ストーカー、あるいは自爆テロリスト』以外の何者でもありませんわ」


「無駄に長い! しかも人聞きが悪すぎる!」


「実際、勇者殿のしつこさときたら……女性視点ですと恐怖を覚えるレベルでしたわ」


「ふん。俺は勇者。狙った獲物は逃さない主義だ。きっちり仕留めてみせるまで、どこまででも追いかける。たとえ、地獄の果てだろうとな――」


「ですが、この世界で勇者殿の主義を貫こうとしたら……どうなります?」


「ぐっ、それは……」


「前世においては、世界の命運を賭けた最終決戦――魔王さまを道連れにして自爆なさった勇者殿は、間違いなく歴史に名を刻んだことでしょう。ですが、この世界で下手なことをしようものなら、社会的に死にますわよ? ストーカー規制法もありますしね」


「ぐぬっ……ならば、どうすればいいんだ?」


「そうですねえ。どうせ仕留めるなら、魔王さまのお命ではなく、ハートのほうを仕留めるというのはいかがでしょう?」


「……は?」


「高校生の男子と中学生の女子――年齢的には、お付き合いしても問題ないお年頃だと思いますけど?」


 ようやく俺は、撫子の意図を悟った。


「いやいやいやいや! 勇者と魔王が付き合うとか、絶対にありえんから!」


「そうですか? いい考えだと思ったのですが……」


 撫子の微笑は、おしとやかなようで、その実、悪魔じみているように見えた。



恋の予感|閻魔堂輝夜/魔王


     1

 

 きーんこーんかーんこーん……と、終業を意味するチャイムが鳴っている。


「はあ……」 


 溜息をつきながら、わたしはばこの前に立った。

 あのクソ親父が夜逃げして以来、それまでは友人だと思っていた生徒たちは、あっさりわたしの許を離れていった。

 要するに、彼女たちは「閻魔堂さん」と付き合うことにメリットを感じていただけで、「輝夜」という一人の人間を見てはいなかったのだろう。


 ま、余計な人付き合いが減ったおかげで、随分と楽になったけどね。

 ただ、教室で「ぼっち」というのは……ちょっとツラい。ぞろぞろと「友達」を引き連れて、廊下のど真ん中をかつしていた頃が懐かしい。トイレに行くときなんて、みんな必ず一緒だったしね。


「……うん、さっさと帰ろ」


 自分に言い聞かせるように、つぶやいた。過去を思い出してもむなしいだけだ。家で大人しく読書でもするのがいい。

 そういえば、引っ越して間もなく、初穂が貸してくれた少女漫画があるんだった。未読のまま忘れかけていたんだけど、あれでも読むか。

 もっとも、自宅の周辺で勇者に出くわす可能性があるので、正直、あまり帰りたくないのも事実だった。

 あの日の夜、勇者に裸を見られてから、ちょうど一週間になる。あの屈辱的な事故以来、わたしはずっと勇者を避けている。

 憂鬱な気分を抱えつつ、下駄箱の扉を開いた。


「ん?」


 わたしの革靴の上に、封筒らしきものが置かれている。

 目にも鮮やかな、真っ白な封書。どうやら、だれかがこっそりわたしの下駄箱を開けて、置いていったものらしい。


「これって……!?」


 わたしの心臓が、早鐘のように打ちはじめた。

 もしや、これは……噂に聞く、あれではないか!?


     2


「大変よ撫子! これが前世だったら四天王を全員招集してるところだわ!」


 自宅のダイニングに飛び込むなり、わたしは叫んだ。大声を張りあげてから、「四天王」だなんて口走ったことを気恥ずかしく思った。自重しなければ……。


「お帰りなさいませ、魔王さま。四天王の全員招集とは、穏やかじゃありませんわね」


 キッチンで夕食の下ごしらえをしていた撫子は、ふんわりとした微笑を浮かべつつ、こちらを振り返った。例の万能包丁を手に、キャベツをざくざくとみじん切りにしているところだった。

 一方、ガスコンロでは、大きなずんどう鍋がコトコトと音を立てている。その香りから察するに、わたしの好物――クリームシチューを煮込んでいる最中のようだ。

 撫子は嫌な顔ひとつせず、エプロンで手を拭きながら食卓にやって来た。


「それで、魔王さま……いかがなさいました?」


「まずは、これを読んでちょうだい」


 わたしは、下駄箱に入っていた封書をバッグから取り出した。ついつい笑みがこぼれてしまう。

 撫子は、おずおずと和紙の折り目を開いて、読みはじめた。

 もっとも、文面はきわめてシンプルなものだ。十秒もあれば読める。明日の放課後、校庭の一角にある「けやきの木」の下に来て欲しい……という内容だった。

 これは、天爵館学院における都市伝説の一つなんだけど、その場所は《伝説の告白スポット》として有名らしい。もっとも、うちの学院は設立されてまだ十年足らずの新設校だ。伝説もなにもあったもんじゃないんだけど……それはともかく!


「どう、撫子? これはラブレターよ。恋の予感がするわ!」


「魔王さま、どうか落ち着いてください。まず、この封書ですが……本当に恋文でしょうか?」


「どう見てもラブレターでしょうが?」


「魔王さまは、お喜びのあまり、偉大なる王の心眼を曇らせておいでです。僭越ながら、この封書……とても恋文には見えませんわ」


「じゃあ、なんだっていうのよ?」


「……強いていうなら、果たし状かと」


「は? どうしてそうなるのよ!」


「どうしてとおっしゃいましても……まるで時代劇にでも出てきそうな封書ではございませんか。特に、この外側の包み方……わざわざ奉書紙で包んで、上下を折りたたんでいますわ。とても普通のセンスではございません」


「ふっ。もとより、このわたしに告白しようってんだから、普通のセンスの持ち主のはずがないわ。もちろん実際に会うまでは、どんな人かはわからないけど」


「魔王さま……まさかとは思いますが、明日の放課後、指定の場所に行かれるおつもりで?」


「もちろんよ」


「…………」


 撫子は微妙な表情を浮かべた。いつもニコニコして、雲のようにつかみ所のない女が、こんな顔をするのは珍しい。


「悪いことは申しません。無視したほうが――」


「やだ。もしかしたらイケメンかもしれないし! あ、言っとくけど、わたしが定義するイケメンってのは、決して見てくれがいいだけの人を意味しないんだからね。わたしの騎士たる者にふさわしい人……そう、せめて大型ドラゴンをワンパンで倒せるくらいの実力は見せてほしいところだわ!」


「あのう、魔王さま? 本気で恋をされるおつもりで?」


「ん、なんか言った?」


「……いえ、お気になさらず。とにかく、魔王さまが思っておいでのようなイケメンでしたら、こんな奇妙な書状を送りつけてきたりはしないと思いますが。なにかこう、異常者じみた気質を感じると言いますか……無駄に達筆なのも、この場合は逆に怖いです。そもそも、どうして毛筆なのか……」


「スマホ全盛の時代とはいえ、達筆なのは長所でしょ。平安時代なんて、会ったこともない相手に恋の歌を送ったりしていたのよ。歌のクオリティだけじゃなくて、筆跡も重要だったんだとか」


「お言葉ですが、いまは平安時代ではございません。本当に、行かれるおつもりで?」


「くどい。こんなドキドキワクワク、過去に一度もなかったんだから!」


「仕方ありませんわね」


「やった!」


「ただし、ひとつだけ条件があります。これだけは、必ずご了承くださいまし。でなければ、この魔剣デフ=ロザランティスで、わたくしの首を斬り落としてから――」


 いつの間にか、撫子の手には例の万能包丁があった。いつもながら、「切れ味抜群だぜ!」と言わんばかりに、ぎらりと輝いている。


「わかったわよ。で、条件ってのはなんなの?」


     3


「……いよいよ告白タイムね」


 翌日の放課後、下駄箱の前で靴を履き替えたわたしは、期待と不安、そして緊張で、正直なところ、ちょっと膝が震えていた。


「わたくしとしましては、魔王さまが昼休みに『ぼっち飯』をされていることのほうが、よほど問題だと思いますが……」


 と、わたしの背後で、撫子がささやくように言った。


「余計なことは言わんでいい! ていうか、心配させたくなかったから隠してたのに、なんで知ってるの!?」


「魔王さまのことなら、なんでも存じております。学院関係のSNSや掲示板にしても、表のものから裏のものまで、すべてチェックしておりますわ」


「過保護というか、暇人というか……! そもそも、本当についてくるつもりなの? 告白タイムに保護者同伴って、あり得ないでしょ!?」


 そう……昨夜、わたしが《伝説の告白スポット》に行きたいと主張したのに対し、撫子が出した条件というのが――保護者同伴だった。

 わたしは頭を抱えつつ、撫子のちをじろじろと眺めた。

 さすがにメイド服は自重したと見える。めつに見ることのないスーツ姿。背はすらりとして高く、出るべきところはボンッと出ているし、引っ込むべきところはキュッと引っ込んでいる。


 あと数年したら、わたしも撫子みたいになれるのだろうか? この世界では姉妹なんだし、遺伝子的には可能性が……あー、駄目だ。とても現実味が感じられない。

 撫子のカラダと比べたら、わたしはすべてが小粒でしかない……背は低いし、胸もお尻も足りない。ついでに目つきが悪い。

 うーん、こんなわたしに告白してくるような男子なんて、本当にいるのだろうか? やっぱり、あの手紙は悪戯いたずらなのかも……。


「魔王さま、どうかなさいましたか? そろそろ、目的地に向かいましょう。手紙の差出人が真剣ならば、すでに《伝説の告白スポット》で待機しているはずですわ」


「それもそうね」


 わたしたちは昇降口を出て、欅の木を目指した。

 今日という日にふさわしく、空は晴れ渡っている。見慣れた校庭は、新緑が目にも鮮やか。花壇には春の花々が咲き乱れ、蝶が楽しげに舞っている。

 時刻はちょうど三時半。ランニングをはじめた運動部のかけ声や、ブラスバンド部のソロ練習が、青空に響きはじめていた。

 ちなみに、わたし自身は帰宅部だ。運動は苦手だし、文化部にも特に興味はない。掃除当番でもない限り、さっさと帰宅し、恋愛小説や少女漫画を読む。それが至福。

 そんなわたしが、今日に限っては、わざわざ校内に居残り、あの《伝説の告白スポット》を目指している。


 ……ヤバい。先ほどまでとは比べものにならないくらい、心臓が高鳴ってきた。いまからこれでは、いざというとき心臓が破裂しかねない……。

 目的地点――大きな欅の木は、校庭の端に植えられていた。

 撫子が立ち止まり、保護者ぶった口調で告げた。


「魔王さま。少しでも身の危険をお感じになられましたら、声をあげてください」


「いや。そういうことになる可能性は、まずないから」


「それと、あの木の向こう側に……すでに一人、潜伏しているようですね。おそらくは、手紙の送り主かと」


「そう。先に到着してるあたり、礼儀はわきまえているようね。そ、それより、わたし……汗臭くないかしら? よりにもよって、さっきまで体育の授業だったのよね。それに、髪型だって……どうせなら美容院に行っとくべきだったわ」


「問題ございませんわ。それでは――武運長久をお祈りいたします、魔王さま……いえ、高貴にして偉大なる、我らが大魔王陛下! 全軍敬礼!」


「ちょっ、恥ずかしいからやめて!? 聞こえたらどうするのよ!」


 わたしは気持ちを切り替えると、歩を進めた。

 あの大樹のむこうに、ラブレターの送り主が待っている。


 一体、だれなんだろう……?

 クラスメイトだろうか。それとも、たまたま学院内でわたしを見かけただけの人かしら? まさか教師じゃ……いや、さすがにそれは犯罪でしょ。やっぱり生徒? 生徒なら中等部? それとも高等部? 

 そもそも、まだ男子だと決まったわけではない。そう、こんな時代だもの、女子という可能性だって捨てきれない……。

 ついに、わたしは大樹の根元にたどり着く。視界が少しだけ暗くなった。見上げると、豊かに生い茂る枝葉が、天然の屋根を構築している。金色のが幾条か、かすかにんでいた。


 わたしは意を決し、前方を見据えた。

 太い幹の陰から、ほんの少しだけ、だれかの肩先がのぞいている。まだ顔はわからない。その人の足元には、学院指定のバッグが置かれていた。


「あ、あの……えっと……あなたが、手紙をくれた人?」


 思い切って、わたしは声をかけた。

 その直後、弾かれたように姿を現したのは――。


「やっと来たか――魔王! 世界を終焉に導く者よ!」


「んなぁっ! 勇者!?」


     4


 わたしはがくぜんとした。

 いくらなんでも、これは超展開だ。どうしよう……。

 勇者。いや、この世界では鳴神勇真か。

 高等部の二年生。隣家の住人。

 容姿は……まあ普通? でも、学費免除の特待生というのはポイントが高い。その上、家事スキルも異様に高く、妹からはものすごく慕われている。


 ……あれ?

 この男、実は……めちゃくちゃ有望株だったりしない? いやいやいや! こいつは勇者! 前世では、何度もわたしに奇襲を仕掛けてきた上に、魔王城に乗り込んできた極悪人だ(※もちろん不法侵入!)。

 挙げ句の果てに自爆テロを決行し、わたしを爆殺しやがった張本人でもある。

 とてもじゃないけど、こいつと付き合える気がしない!


「俺の果たし状、ちゃんと読んでくれたようだな」


 と、勇者がふてぶてしい口調で言った。

 わたしは混乱した。


「えっ!? ちょっと待って。果たし状? あれってラブレターじゃなかったの!?」


「気色の悪いことを言うな! 俺がお前にラブレターを書くはずがないだろうが!」


「いやでも、本当に、あなたが書いたの? ものすごい達筆だったけど」


「ふっ。母さんが書道をやってた影響でな。毛筆は得意なのだ!」


 くっ。まさか本当に果たし状だったとは。

 ラブレターだと信じていた。ドキドキワクワクしていた。

 なのに、なのに……なんて屈辱! もう許さない!


でよ、魔天覇王剣デフ・ダリア・ベルダンディス! この魔王自ら、勇者の首をねてくれようぞ! 魔剣召喚!」


 しーん……もちろん、何も起こらない。

 しまったー! つい前世のノリで、やらかした……。


「いや、閻魔堂さん。そういうのはいいから。ぷっ、くくっ……」


 勇者は笑いを必死で噛み殺している。ええい、なにが「閻魔堂さん」だ! 余計にムカつくわー!


「あぁもう! 笑いたくば笑え! いっそ爆笑してくれたほうがマシだわ!」


     5


 わたしは大袈裟に「うおっほん!」とせきばらいをすると、気持ちを切り替えた。


「そんなことより、果たし状とは穏やかじゃないわね。いまさら前世みたく対決する必要があるのかしら? わたしとしては、今度こそ恋愛小説で描かれているような恋がしたいんですけど!」


「恋だと?」


「そう、恋よ! 幸いにも、この世界は自由恋愛がOKなんだから! まあ、魔法すら使えない、魔族すら存在しないっていう点ではクソだけど……それでも、すばらしい新世界にはちがいないわ!」


「ふん……魔王が恋愛などと、笑わせるな!」


「なっ、いいでしょ! 魔王である前に一人の――」


 女の子なんだから……とつづけようとして、わたしは違和感を覚えた。

 いまさらのように、わたしは気づいたのだ。


「ねぇ、あなた。少しやつれたんじゃない?」


 わたしは勇者の顔をまじまじと見つめた。

 そう、今日の勇者ときたら……なんだか顔色が悪い。目の下にはクマもできている。ちゃんと眠れているんだろうか、と心配したくなるほどに。


「よくぞ聞いてくれた……この一週間、お前にかけられた《呪い》のせいで、勉強は手につかんわ、夜は眠れんわ、料理の味付けはまちがうわ……散々なのだ」


 わたしは首をかしげた。


「いやいや、呪いって何よ? 人聞きが悪いわよ。そもそも、物理法則がすべてを支配するこの世界で、呪いなんて存在するわけないでしょ?」


「いいや! この世界にだって呪いはある! 実際、この地球の歴史をひもとけば、洋の東西に関係なく、呪いに関する記録はたくさん認められるのだからな! そもそもりん転生があると判明した以上、呪いがあってもおかしくない!」


「それはそうかもしれないけど、わたしがあなたを呪ったことはないわ! 濡れ衣もいいところよ! そりゃあ、呪えるものなら呪ってやりたいけどね!」


「ふん、白々しい。この一週間……お前の姿がのうにちらついて離れんのだ! おかげで、こちとら集中力をがれる一方だ! もう我慢できん!」


「はあ? なにを言って――」


「あのう。ちょっと、よろしいでしょうか」


 そのとき、すっ……とわたしの横に現れたのは、撫子だった。口出しせずにはいられなくなったらしい。


「魔王さま、思い出してくださいな。一週間前といえば、お風呂場の水道が故障して、大洪水になった日ですわ。あのとき、勇者殿は魔王さまの……その、生まれたままのお姿をばっちりと見て――」


「言うなーっ! せっかく忘れかけてたのに!」


 羞恥心のあまり、全身がカッと火照ってしまう。


「つまり勇者殿は、魔王さまの裸体を思い出しては、もんもんとした日々を過ごしておいでなのですね。ふふっ……呪いでもなんでもなく、ただの煩悩ですわ」


 わたしはすべてを了解すると、勇者を睨みつけた。


「おまっ……それ、ただのむっつりスケベだろうが! さっさと忘れろーっ!」


「いいや、呪いだ!(キリッ)」


「往生際が悪すぎる! これだからガリ勉野郎は!」


 大声でしつしてやると、勇者はザッと前に進み出た。

 わたしは思わず警戒する。撫子もさりげなく、わたしを守れる位置に移動した。

 と、勇者が悲痛な声で叫び放った。


「魔王よ……どうして……どうして、そんな姿で俺の前に現れたのだ!?」


「ん?」


「閻魔堂輝夜! どうしてお前は、閻魔堂輝夜なんだ!」


「はい?」


「黙ってさえいれば……可愛い後輩なのに!」


「えっ!? いま、可愛いって言った?」


 くっ、こいつは勇者! 嬉しくなんかないんだからね! 


「あっ、あなたねぇ! なにをやぶからぼうに……」


「普通に可愛いだろうが!」


「ぴゃんっ!?」


 ちょっ、どうしてそういうこと言うの!? 勇者のくせに!


「お前は、この世界で生まれ変わった結果、最強の防具を手に入れた! そう……『女子』という防具を! これでは迂闊に攻撃できんではないか!」


 あー、そういう意味か。いやー、あっさり現実に引き戻されたわ。


「あのねえ、前世でも普通に女子だったんですけど!」


「魔王が女子のうちに入るものか!」


「なっ、なにげに問題発言!」


「いっそのこと、いのししにでも転生してくれれば良かったのだ! それならサクッと仕留めて、鍋料理の具にしてやったのに!」


「ど、どこまで無礼千万な男なの!? そういうあんたこそ、ゴキブリにでも転生してりゃ良かったのよ! 四天王としては最弱でも、スリッパを手にした撫子は怖いわよ! 容赦なくたたきつぶすんだから!」


 わたしたちが醜い罵り合いをしていると、再び撫子が口を挟んできた。


「ところで、勇者殿? 力説されているところ、大変恐縮なのですが……」


「いま取り込み中だ! たかが宮廷メイド長ごときが、口を挟まないでもらおうか!」


「いえ、その……あなたさまのバッグから、こんなモノが出てまいりましたので。わたくし、是非とも説明を求めますわ」


「なっ、いつの間に!? かっ、返せ!」


 意外にも、勇者はうろたえている。

 わたしは撫子の働きぶりに舌を巻いた。勇者が足元に置いていたバッグをこっそり盗みだし、中身を勝手にチェックしていたのだ。忍者か?


 撫子が勇者のバッグから取り出した物とは――A4用紙の束だった。

 小さな文字がびっしりと印刷されている。しかも英語だ。所々に、難しそうな図もある。なにかの配線図のようだけど、わたしにはさっぱり解らない。

 ただ、勇者のうろたえぶりから察するに、他人に見られたら困るものなのは間違いない。だからこそ、わざわざ所持していたのだろう。

 紙をパラパラとめくりつつ、英文を流し読みしていた撫子が、やがて告げた。


「勇者殿。これは、爆弾の製造方法に関する資料ですわね。どうやら、海外のWebサイトで得た情報をプリントアウトされたようですが」


「爆弾!?」


 わたしは戦慄した。

 爆弾といえば自爆テロ。

 自爆テロといえば、勇者の専売特許じゃないか!

 しかも、こいつは学園きっての秀才で……。


「まっ、まさか、手作り爆弾でわたしを吹き飛ばすつもりだったんじゃ!?」


 わたしは戦慄しつつ、じわじわと後退した。


「たしかに、この世界で勇者殿が魔王さまを巻き込んで自爆しようと思ったら、それしか手段はありませんわね。この世界に魔法は存在しませんから。自爆したければ、科学技術に頼るしかありませんわ」


 こんな状況でも、笑顔を絶やさず解説する撫子。


「ふっ。見られてしまったからには、仕方がない。ならば告白しよう!」


 勇者は開き直ったように、朗々と声をあげた。


「実はだな……魔王の呪いに対抗すべく、有効な手段を模索しているうちに……ふと気づいたら、海外のヤバいWebサイトにアクセスしていて……しかも爆弾の資料を集めていたのだ! 無意識に爆弾製造を目指すとか、自分でもわけがわからん……!」


「物騒すぎる! そもそも、それは呪いじゃなくて、わたしの裸を思い出してただけだろうが! この変態がーっ! もう許さない!」


 わたしは勇者につかみかかった。さすがの勇者も、この不意打ちには面食らったのか、判断が遅れたようだ。

 ――いまだ!

 わたしは勇者の右腕を抱え込んだ。柔道の一本背負いとほぼ同じ技だけど、ルーツは魔族の国で開発された武術の技だ。


「うおりゃーっ! ……ん?」


「お前な……この体格差だぞ。そう簡単に投げられるはずがないだろうが」


 やれやれ、とでも言わんばかりに、耳元で勇者の声が聞こえてくる。腹が立つくらいに冷静な口調だった。


「くっ……余裕ぶっていられるのも、いまのうちなんだから!」


 わたしはなおも力を込めて、勇者を投げようとしたけれど、いったん腰を据えた勇者は、もう岩石みたいに動かない。


「ふんぬーっ! 人の裸をガン見して、しっかり記憶に焼きつけてハアハアしてる変態のくせに! おとなしく投げられろっ!」


「お前……黙って聞いてりゃ、さっきから人を変態変態と……こちらの我慢も限界だ! ここですべてを終わらせてやる!」


 突然、勇者がひようへんした。すっかり逆上している。

 えっ、この感じって……間違いない、わたしが何度も戦った勇者の圧力だ。強烈な殺気が吹き付けてくる……!

 わたしは悪寒を覚えた。

 と、勇者の左腕が、わたしの左脇をくぐり抜けた。ガシッと関節を固めてくる。しまった、油断した! これじゃあ動けない……!

 次の瞬間、勇者の口から古代神聖帝国語の呪文が朗々と流れ出した。


「神聖なる光よ……すべての魂を肉体というろうごくから解き放ち、救済せよ……魂こそは平等なり……いまこそ大天使の翼に導かれ、次元の壁を越えて、至高なる天上界へと至り……大いなる世界樹に抱かれて、新たなる世界への扉が開く――」


「ひいいいいいっ! ちょっ、それって、たしか自爆の呪文! やめてやめてやめて! 謝る! 謝るからぁあああっ!」


「もう遅い! 道連れだ、魔王!」


「もう爆死は嫌ぁあああああああああああああああああーっ!!!」


 ……その状態のまま、わたしたちは硬直した。

 しーん。沈黙。なにも起こらない。

 と思ったら、かこーん! と、金属バットが硬球を打つ、あの小気味よい音が聞こえてきた。

 と、今度は音の外れたトロンボーンが、ぶおーっ! と鳴り響いた。

 やがて、春らしいそよ風が吹いて、耳に心地よい、葉ずれの音が鳴りだした。

 本当に、それだけだった。


「ええと、お二人とも……ここは現代日本ですので、魔法は発動しませんけど?」


 と、笑顔のまま傍観していた撫子が、ようやく口を開いた。


「し、しまったー! こいつが急にマジな雰囲気で迫ってきたもんだから……」


 わたしは勇者の腕を振りほどきつつ、カッと赤面した。めちゃくちゃ恥ずかしい。

 先ほどの瞬間、わたしは本当に、勇者が再び自爆するのではないかと恐怖したのだ。そのくらい、あのときの勇者は真に迫っていた……!


「くっ……ついカッとなって、前世での最終決戦と同じ気分になっていた! この世界で魔法は使えない……わかっていたはずなのに!」


 一方、勇者は勇者で、言い訳じみた言葉を漏らしつつ、顔を真っ赤にしている。よっぽど逆上していたらしい。

 ああ……なんだか、もうグダグダだ。穴があったら入りたい。

 きっと、それは勇者も同じで――。


「あの……勇者殿にひとつ、質問があるのですが」


 と、気まずい空気に配慮したのか、撫子が口を開いた。


「なんだ?」


「いま、勇者殿の呪文をじっくりと聞かせてもらったのですが……『大いなる世界樹に抱かれて、新たなる世界への扉が開く』というフレーズが、とても気になりました。もしかして、これは異世界で転生するという意味ではないでしょうか?」


「むっ……いや、まさか……そんなはずが……」


 見る見るうちに、勇者の顔が青ざめていく。


「ちょっ、なにそれ! それじゃあ、勇者の究極奥義こそが、諸悪の根源だったというわけ!? そのクソ魔法のせいで、わたしたちは転生したってこと!?」


 わたしはここぞとばかりに勇者を責めた。だけど、勇者は動じなかった。


「いや、俺は勇者の義務として、あの究極魔法の呪文を丸暗記しただけだ! 呪文の意味なんて、いちいち考察するはずがないだろう! この転生が俺の仕業だというのなら、証拠を見せてもらおうか!」


「逆ギレ!? っていうか、証拠を見せろって、それ犯人にありがちな台詞せりふ! なんていうか……あんたのほうが、よっぽど魔王的に思えてきたわ!」


「失礼な! いいか、魔王! 世界を終焉に導く者よ! こう見えて、俺は狙った獲物は逃さない主義なのだ! この奇妙な世界で生まれ変わった俺たちだが――いつか必ず、お前を仕留めてみせる!」


 勇者は捨て台詞を残すと、慌ただしく立ち去った。

 わたしは、その場でがっくりとうなだれた。


「はあ……疲れた。結局、あいつに翻弄されっぱなしだったわ……」


「まあまあ。なかなか楽しいひとときでしたわ」


 撫子は口元に手を添えて、くすくすと笑っている。

 わたしは絶望的な気持ちで、空を仰いだ。

 大きな欅の木が、そよ風に枝を揺らしながら、わたしを静かに見下ろしていた。



エピローグ|鳴神勇真/勇者


 しつこいようだが、かつて勇者だった俺は、狙った獲物は絶対に逃さない主義なのだ。野鳥から魔王まで、標的はきっちり仕留めねば気が済まない。

 今春、隣の部屋に越してきたばかりの少女――閻魔堂輝夜。

 冷静に考えれば、前世の因縁などきれいさっぱり忘れ去り、この新世界での暮らしを楽しめばよいのかもしれない。

 だが、そう簡単に割り切れるなら苦労しない。いまとなっては無力な少女にすぎないのかもしれないが、中身は魔王なのだ。

 こうして俺の前に現れた以上、きっちり仕留めてやらねばならん!


 とはいえ……前世と同じように、暴力で決着をつけるわけにはいかない。あの異世界とちがって、この世界で下手なことをすれば警官が飛んでくる。社会的に死ぬ。

 そう、いまの俺には「鳴神勇真」としての生活も大切なのだ。妹だっている。前世の因縁を理由に、この生活を壊すわけにはいかない。

 ……一体、俺はどうすればいいんだ? 思い起こせば、バトルで問題の大半を解決できた前世というのは、なんと単純明快だったことか! いまとなっては、あの単純さが恋しくもある。

 そのとき、あの腹黒そうな宮廷メイド長の言葉が、俺の脳裡をよぎった。


 ――どうせ仕留めるなら、魔王さまのお命ではなく、ハートのほうを仕留めるというのはいかがでしょう?


 いやいや、たとえ見た目は少女でも、中身は魔王! 奴の最終形態を思い出せ!

 あいつと付き合うくらいなら――。



「自爆したほうがましだーっ!」




エピローグ|閻魔堂輝夜/魔王


 パパが夜逃げして、自宅を失って、学院でも孤立して……調布市内の安アパート「梁山泊」に入居する前までのわたしは、毎日、泣いてばかりいた。

 ところが、あの日。引っ越し作業が終わったあと、わたしは鳴神勇真に出会った。

 そして、前世の記憶を思い出した――。

 よく考えてみたら、あれ以来、わたしは一度も泣いていない。


 もうね、家の没落とか、昼休みに「ぼっち飯」を余儀なくされてることとか……要するに、以前のわたしにとっては大問題だったことが、さいなことに思えてしまうくらいに、あいつはわたしの人生を引っかき回した。

 正直な話、これから先、なにが待ち受けているのか……予想もつかない。あの勇者が隣に住んでるってだけでも、不発弾のそばに住んでるみたいで、心臓に悪い。

 ただ、この風変わりな世界であれば、わたしは普通の女の子と同じように、恋ができるかもしれない。

 そうだ、これはチャンスじゃないだろうか。

 この新しい世界で、わたしは思いっきり叫びたい。



「いのち短し恋せよ乙女!」

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