剣と魔法の火星事件簿 Case.036――カバン争奪事件

 QGインヴェスティゲーションズのオフィスは、火星最大の都市であるオルラックの第三区──高層ビルが立ち並ぶ大通りから一本外れた裏通りにある。古びた大型ガレージを改装して使っているため、無骨ながらも天井が高く広々としているのがフィルネも気に入っているポイントだ。

 おかげでこうして今日もオフィスの片隅で気ままに剣を振り、鍛錬に勤しむことができる──はずだったのだが。


「あ」


 がちゃん、という嫌な音とともに、応接テーブルの脇に置いてあった卓上灯が床に落ちた。おそるおそる視線をやれば、アンティーク調のガラス製卓上灯は見るも無残な姿に変わり果てている。


「またやりましたね」


 冷たい声と視線が奥のデスクから同時に飛んできて、フィルネはびくりと身を竦ませた。


「まったく……室内で剣を振り回すのはやめてくださいとあれほど言ったでしょう」


 机上に積み上げた魔術書の山の間から、これみよがしに溜め息を吐き出したのはリアーテ・モルボン。フィルネの相棒だ。腰まで届く長い銀色の髪に怜悧な顔立ち、すらりとした体躯と大人びた雰囲気は、フィルネと同じ十六歳の女の子とはとても思えない。本来ならやぼったいと思えてしまうであろう魔術師協会アカデミーから支給される黒い雨合羽のような制服も、見事に着こなしている。

 一方のフィルネといえば収まりの悪い金色の髪を後頭部で無理矢理くくり、背も低く余計な肉も多い。まあ、そのあたりはフィルネが金星出身者であるため仕方ない部分もあるのだが。


「そんなにその物騒なものを振り回したいなら外でやってください」

「えー、やだよ。外、暑いじゃん」


 オルラックの夏は厳しい。フィルネの格好はタンクトップにショートパンツというこれ以上なく涼しさと動きやすさを重視したものだが、それでも日が高いうちは極力屋外に出ようとは思わなかった。


「それに別に物騒じゃないし。ちゃんと刃を落とした練習用の模造刀だもん、これ」

「……鉄の塊をぶん回している時点で危険だということに気が付いてください。ましてやフィルネのような三流剣士が」

「なんだとー!? 誰が三流だー!」

「得物のリーチも把握できてない時点で三流以下です。いい加減理解してください」

「こ、これはまだ使い慣れてないからであって愛用の剣ならそんなことないし……だったらリアーテだってそんだけ勉強してるのにまた昇格試験に落ちたヘボ魔術師じゃんか!」

「はぁー!? い、今は私のことは関係ないでしょう!」


 真っ白な肌を怒りで上気させ、リアーテが立ち上がる。普段はすました顔をしているが、案外激情家なのだ。


「──うるせえぞ、ガキども! キャンキャン吠えてねえでちったあ大人しくしやがれ!」


 と、一番奥のデスクで新聞を広げていたQGが、不機嫌そうな声を張り上げた。花瓶を逆さまにしたようなフォルムのマシンボディの中央には大型のセンサースコープ、三本のマニピュレーターアームのうち二本を使って新聞を広げ、残った一本で葉巻を燻らせている。

 そう。AIでありながら、このQGは徹底した物質至上主義者だ。もっともこの惑星では《火星の神アレシア》によって電脳空間を含む広域情報通信網への接続が著しく制限されているため、他の星と比べると古めかしい文化風俗がそのまま残っていることは間違いない。

 この二人と一体が、QGインヴェスティゲーションズの全メンバーだ。


「フィルネ、備品代はおまえの給料から差っ引いておく」


 排気口から紫煙を吐き出しながら、QGが吐き捨てる。


「ええー、今月金欠なのにー」


 フィルネは口をとがらせて恨めしそうな顔を雇用主へと向けたが、すでにQGはそしらぬ顔で新聞を広げ直していた。AIとはいえ、連合認定の第二種人権を取得している立派な火星王国民であり、この会社の代表だ。雇用されている側のフィルネには抗うすべもない。仕方なく隅のロッカーからモップを取り出して卓上灯の残骸を片付け始める。


「ねえ、ボス。なんか面白い事件でも載ってる?」

「水星域で《竜》の大量発生を確認。連合は即応艦隊を編成とのこと」


 QGが新聞越しに短くそう答えた。

 《竜》とは高濃度のマナが結合して発生する星間災害現象体であり、一定周期で災厄を振り撒く厄介な存在だ。生命体ではないが小さい個体でも数十メートル、大きな個体では数千メートルにもなるという。


「あー、もうそんな時期かー。他には?」

「同盟圏で大規模テロ。ガリレオ衛星域は厳戒態勢。航宙制限か」


 神星連合と独立同盟との大戦が終結してから十年以上が経つが、同盟側は未だに政情不安が続いている。


「んー、そういうのじゃなくてさー。もうちょっとこう、あたしらにも関係あるような事件はないの?」

「コスモタイムズにうちが関わるような事件が載ってるわけないでしょう。表通りのスタンドでゴシップ誌でも買ってきたほうが早いですよ」


 モップの柄に顎を乗せながらフィルネがぼやくと、リアーテが冷めた口調で言った。


「そんなのわかんないじゃん。だよね、ボス」

「……まあ、そうだな。条件さえ折り合えばなんだってやるさ。どんな仕事だろうとも」


 このQGインヴェスティゲーションズは、いわゆる事件屋トラブルシューターだ。面倒事をゴミ箱へ押し込む仕事──同業他社はたとえば探偵であったり、興信所であったり、あるいは便利屋や何でも屋などを名乗っているが、フィルネはQGがそう自称している事件屋という肩書が一番気に入っている。

 何しろここオルラックは人の数よりトラブルのほうが多いとまで言われる都市で、飯のタネには事欠かない。金星、地球、火星からなる神星連合と、木星、土星、天王星、海王星からなる独立同盟──両陣営の境界線に接する火星は、あらゆる点で狭間の星だ。ここより太陽系の内側にあたる連合圏はマナの濃度が濃く魔術が盛んで、ここより外側にあたる同盟圏はマナが極端に少ないために機械文明が発達している。そしてどちらの陣営の宇宙船も、火星を経由せずには先に進めない。戦争終結後は人の行き来や交易も増え、火星最大の宇宙港を郊外に備えたオルラックは王都を凌ぐ火星最大の都市となった。火星の衛星であるフォボスとダイモスにも大型の宇宙港はあるが、不正と腐敗が横行しているオルラックのそれと違って厳格に管理されている。必然、真っ当ではない連中はオルラックの宇宙港ばかりを利用することとなり、それがこの都市の雑然さに拍車をかけていた。

 高級ホテルで豪遊する地球の大富豪、うらぶれた酒場でくだを巻く軍人、暗がりで陰謀を巡らせる金星人の秘密魔術結社、両陣営から逃亡してきた犯罪者、飽きもせず毎日のように抗争を繰り返すマフィア、そんな連中相手に抜け目なく取引する商人、慎ましくもたくましく日々を暮らす多くの一般市民……ありとあらゆる種類の人間が、この都市では溶け込むことなく入り交じって生活しているのだ。



 そして──今日もまた、新たなトラブルがQGインヴェスティゲーションズを訪れる。


          *


「失礼するよ」


 フィルネが卓上灯の残骸をゴミ箱へ放り込んだところで、オフィスの扉が開いて一人の老紳士が姿を現した。呼び鈴を鳴らすという一手間が迷える依頼人に踵を返させることもあるというQGの信条から、営業時間中ドアにロックはかかっていない。


「少々困ったことになってね。助力を頼みたいのだが」


 年齢は六十代か、それ以上。白髪をオールバックに撫で付け、仕立ての良いスーツに片眼鏡と艶やかな天然木のステッキ。どこからどう見ても、これ以上ない上客だ。


「どうぞ中へ」


 接客用の落ち着いた声に切り替えたQGが促すと、老紳士は革靴の踵を鳴らしながら悠然とソファに腰を下ろした。


「ボルランデだ。地球で交易商をやっている」


 そう名乗った老紳士と握手を交わし、リアーテがインスタントのコーヒーを出すのを待ってからQGが切り出す。フィルネとリアーテは、基本的に接客中は自分のデスクで待機だ。


「それで、私どもがお手伝いできることとは?」

「恥ずかしながら駅でカバンを盗まれてしまってね。どうにかして探し出して欲しい」


 なるほど、盗難か。盗まれた品を探して欲しいというのは、よくある依頼の一つだ。


「それは災難でしたな。警察には届けましたか?」

「わしがこのオルラックを訪れたのは今回で三度目だが、それでもここの警察機構が信用に値するかどうかはよく知っているつもりだよ」


 実際、警察に限らずオルラックの官吏には不正と癒着と専横が蔓延っている。もちろん正義感に燃える真っ当な警官がいないとは言わないが、難事に見舞われた際に川底から砂金を洗い出すような余裕があるかと問えば大概の人間はノーと答えるだろう。

 とはいえ、そのおかげで事件屋などという胡乱な職業が成立しているわけだから、フィルネとしてもあまり口を出すつもりはない。


「実に賢明です。盗まれたのはいつ頃ですか?」

「今朝方だ。十時くらいだったと思う。セントラル駅、南口のあたりだ」


 現在時刻は十三時。つまり三時間前ということになる。


「ふむ……そうなると、仮にカバンを探し出せたとしても、中身の方はすでに売り飛ばされている可能性が高いかもしれません。そちらも見つけるとなるとかなりの手間と時間がかかりますが……」


 盗品は手元におかず、できるだけ早く手放すのが盗人の鉄則だ。そして盗品の売買は複数のブローカーを経由してから市場に流れるため、追いかけるのがとても難しい。


「いや、それには及ばない。中にそう大したものが入っていたわけではないのでね。着替えなどの衣類と少々の現金、細々とした日用品くらいか。ただあのカバンは若かりし頃に妻からプレゼントされたものだ。できることなら取り戻したい」


 ボルランデはどこか懐かしむような口調でそう言いながら片眼鏡を外し、ハンカチでレンズをゆっくりと拭いた。


「もっとも、その妻も先の戦争でわしを残して逝ってしまったがね」

「亡くなった奥様との思い出の品……!」


 リアーテが目を潤ませ、その口元を両手で押さえる。相変わらずこういう話に弱いらしい。


「そういうことならお力になれるでしょう。そのカバンは何か特徴がありますか?」

「いいや、ごく普通の旅行カバンだ。色はブラウン。かなり使い込んでいるので、カバンそのものは売ろうとしたところでまず値段がつかないだろう」

「それなら見つけるのもそう難しくない。そうですな、一週間もあれば……」

「生憎とあまり時間がないのだよ。二日でお願いしたい」

「それは──」


 難色を示そうとしたQGを制するように、ボルランデは懐から札束を取り出して応接テーブルに置いた。


「前金で五万クレジット。成功報酬でもう五万出そう」


 QGのセンサーが甲高い音を立て──人間で言えば目を見開いたといったところか──札束に釘付けになる。それはフィルネやリアーテも同様だった。期限はかなり厳しいが、それでも破格の報酬と言っていい。卓上灯くらい、いくらだって買える。


「必要経費は別途請求してくれて構わん。もちろん、カバンを買い戻すのに資金が必要であればそれも用意しよう」

「あー……一つうかがっても?」


 QGがどこか上擦った声でそう言うと、ボルランデは片眼鏡を付け直しながら素っ気なく答える。


「なんだね?」

「それだけの金額を支払うのであれば、オルラックには他に大手の探偵社や興信所がいくらでもあります。なぜ私どものところへ?」


 確かにそれはフィルネも気になった。何十人というエージェントを抱える大手に比べれば、このQGインヴェスティゲーションズは弱小もいいところだ。盗まれてから三時間、依頼先を多少なりとも吟味する余裕はあったはず。


「それも考えたが、この期限では受けてくれるかどうか怪しいと思ったのでね。その点、失礼ながらある程度小さなところのほうが融通がきくだろうと考えただけのことだ。……それとも、キミたちには荷が重い依頼だったかな?」

「いやいやいや! お引き受けしましょう!」


 慌てて答えるQGにボルランデは満足そうにうなずいてから、机の上に名刺を一枚差し出した。


「見つかったならいつでもこの番号に連絡をくれたまえ」


          *


「うーわ、やっぱあっついなあ……」


 炎天下、オフィスを出ると少し先の大通りはいつものように車両で渋滞しており、けたたましく鳴らされるクラクションと罵声を横目に、多くの人々が行き交っていた。天を衝く摩天楼の向こうには、夏らしい巨大な雲と宇宙港から離着陸する幾つもの宇宙船の姿が見える。

 さすがのフィルネもタンクトップのまま出かけるわけにはいかないので、ショートスリーブのジャケットを羽織っている。火星航空宇宙軍の横流し品で、機能的な一品だ。


「《火星の神アレシア》様もさー、いくら夏だからってここまで暑くすることないと思うんだよねえ。これさ、女王様が頼んだらいい感じにしてくれたりするのかなー?」

「《地球の神キュベーリア》様じゃあるまいし無理に決まってるでしょう」


 奥から浮遊バイクを回してきたリアーテが、呆れたように言う。

 ──一つの星には一柱の神性が宿る。神性は自身の惑星圏においてほぼ全知全能であり、こうして我々人類が生きていけるのも、その星の神性が大気成分を調整し、気温や重力を整えてくれているからこそだ。神性が失われれば、人類がその星で暮らすことは難しくなる。それこそ、今の木星のように。

 中でも機械と魔法を融合させた魔導技術の最先端を走り、名実ともに連合の盟主たる地球の神性は、人類に対してとても好意的だ。だだ甘と言ってもいい。一方で金星の神性は放任主義であり、この火星の神性である《火星の神アレシア》は気まぐれで知られている。といっても、巫女の血を受け継ぐ火星王家の人間でもなければ、神性の局地顕現体である分霊にさえ接触する機会はまずないだろう。


「さって、と……! そんじゃ、どこからあたる?」


 気合を入れるために自分で頬を軽く叩き、意識を仕事モードに切り替える。QGは基本的にオフィスから出ることはないため、現場で事件を処理するのはフィルネとリアーテの役割だ。


「そうですね……被害にあった場所がセントラル駅ということは十中八九あのあたりを縄張りにしているストリートチルドレンの仕業でしょう。私にはどこのグループかはわかりませんが、心当たりはありますか?」

「えーと、セントラルの南口だと……たぶんインディゴかなあ」


 フィルネは記憶を思い起こすように額を叩いた。仕事柄、そういった方面の知識はQGから叩き込まれている。これでもフィルネのほうがリアーテより少しだけ先輩なのだ。


「ああ、確か水星移民の子たちでしたか」


 オルラックでは孤児や行き場を失った子供たちは珍しくない。そうしたストリートチルドレンは互助のためのグループを形成しているのが普通だが、マフィアと繋がっているような暴力的で凶悪な性質の悪いものから、あくまで生き延びるために最低限の節度を守っているような比較的マシなものまで様々で、インディゴは後者寄りのグループだ。だからといって社会的に許されるかどうかは別の話ではあるものの、そちらのほうが話をつけやすいのは間違いない。


「とにかく話を聞くだけ聞いてみよう。連中の根城は第六区の廃ビルだったはず」


 フィルネが浮遊バイクにまたがると、後ろに乗ったリアーテが腕を回してくる。リアーテも操縦はできるが、とにかく運転が荒いので普段はもっぱらフィルネがそちらを担当していた。


「……暑いんだけど」

「……お互い様です」


 双方、ぷいっと顔を逸らし、しばしの無言。

 やがてフィルネがぶすっとした顔のままキーを回すと、浮遊バイクの魔導エンジンがうなりを上げ、車体がふわりを浮き上がった。

 その時だ。


「っ!」


 一転してリアーテが顔を寄せ、耳元で囁いてくる。


「ウォルターストリートを通らず、イーストパークアベニューから裏道で行ってください」

「ちょ、ちょっと! 息がかかってぞわぞわするからもう少し離れ……って、それじゃかなりの遠回りになるけど?」

「いいから! 早く出してください」

「なんなのさー、もう!」


 せかされながらもフィルネは仕方なくリアーテの指示通りのルートで第六区を目指す。

 このルートなら確かに渋滞に巻き込まれることはないが、道も狭くあまりスピードは出せない。

 昔ながらのレンガ造りの建物が並ぶ第五区の街並みを抜けると、次第に周囲の景色が変わってくる。人通りが少なくなり、店はその多くがシャッターを閉めていて、建物や道路も崩れたり穴が空いたりしているのに補修もされていない。この第六区はオルラックでも二番目に治安が悪いとされる地域だ。

 すると背後のリアーテが静かに言った。


「やはり尾行けられてますね……」

「えっ!?」


 思わず振り向きそうになったフィルネの首を、リアーテが慌てて押さえる。


「こちらが気が付いてることを悟られるでしょう! 馬鹿ですか!」


 まさかリアーテに馬鹿呼ばわりされるとは思わなかったが、確かに言っていることは正しいので反論はしない。


「黒塗りの車両が一台、ずっと一定の距離を保っています。と言いますか、そもそもオフィスを出たところから監視されていました。気が付かなかったんですか?」

「……」


 正直、まるで気が付かなかった。


「はぁー……」


 これみよがしな溜め息を吐くリアーテ。


「そ、そんなことより! 一体なんであたしたちが尾行されなきゃ……って、まあ理由は一つしかないかー」


 今現在、QGインヴェスティゲーションズが抱えている案件は一つしかない。今まさに行っているカバンの探索だ。


「やっぱり訳ありだったか……そうだよねー、カバン探すだけで十万クレジットはおかしいと思ったんだよなあ」

「以前に私たちが請け負った案件の関連という可能性は?」

「ゼロじゃないけど相当低いんじゃないかなあ。いくらなんでもタイミング良すぎでしょ……っと!」


 言いながら、フィルネは急にハンドルを切って狭い路地へと入っていく。


「ま、なんにせよ今はとにかく撒かないとね!」


 人気のない裏通りで右折と左折を繰り返し、さすがにこれでもう大丈夫だろうと気を緩めたその時──


「わわっ!」


 目の前を遮るように突如として黒い車両が現れた。フィルネは急ブレーキをかけ、つんのめりながらもなんとか車体のバランスを維持しつつ、即座に方向転換。来た道を戻ろうとしたところで、今度はそちらにも別の車両が現れ、完全に逃げ道を塞がれてしまう。


「……撒くんじゃなかったんですか?」


 氷のように冷ややかな声が背中から聞こえてくるが、それに答えるよりも早く車両から黒いスーツ姿の男たちが降りてきた。前に一人、後ろに二人、全部で三人。


「黒い車に自分たちまで黒ずくめで、しかもご丁寧にサングラスまで……一体どういうセンスしてるのさ」


 そんなフィルネの悪態を無視して、前に立つ黒服が──全員が似たような背丈で似たような格好なので見分けがつかない──無表情に言う。


「時間がない。端的に済まそう。今日おまえたちのオフィスを訊ねてきた老人から、何を頼まれた?」

「悪いけどこの仕事には守秘義務ってもんがあるの」


 当然、教えられるはずもない。


「そうか。それで、その守秘義務とやらは命よりも大事なものなのか?」


 黒服がそう言うのと同時に、その腕から長さ一メートルほどの光の剣が現れた。第八粒子を圧縮し循環・加速させることで超高温のエネルギーを刃状に形成する、同盟圏で広く使われている武器だ。しかもその光刃は男の掌から直接生えている。つまり──


「……機械化合人サイボーグ、ね」


 同盟圏では神の恩寵が薄く、生存環境が過酷だ。そのため事件や事故で損傷した人体の一部を──場合によっては脳以外の全身を機械に置き換えるサイバネ技術が普及している。中には健康な肉体を捨ててまで、戦闘用の機械化合体を選ぶ者もいるほどだ。これは高度な医療魔術が発達している連合圏ではほぼ見られないもので、機械化合人サイボーグはまず同盟圏出身者であると思っていい。


「同盟の軍人さんってあたりかな?」

「答える必要はないな!」


 言うが早いか、黒服がフィルネに斬りかかってくる。

 フィルネは腰に佩いた実剣を抜くと、その一撃を正面から受け止めた。本来なら鋼鉄であろうと容易く焼き切る光刃だが、フィルネの使うルナダイト製の長剣は第八粒子に対して反発する力場を発生させているため、こうして実体のない刃を受け止めることができるのだ。


「手足の一本も斬り落とせば、その口も少しは滑りがよくなろうよ!」


 鋭く直線的な黒服の斬撃がフィルネを襲う。その一撃一撃が、とにかく重い。光刃に質量はほぼないので、これは純粋に使い手の膂力だ。機械化合人サイボーグのパワーは並ではない。


「一方的に秘密を喋れって要求してきて、自分たちはだんまりってズルいでしょ!」

「言っただろう! こちらには時間がないのだ! カバンはどこにある!」


(やっぱりこいつらもカバンが目当てか……!)


 相手の流派は、思った通りスヴァンローグ流だ。俗に三派六流と呼ばれる、この太陽系で大きな勢力を誇る九つの剣術体系の一つで、光刃を扱うのに特化した流派。

 対するフィルネが修行を積んでいるのは曜彗ようすい流。同じく三派六流の一つで、どのような相手どのような状況でも対応できるような汎用性を突き詰めた流派であり、特徴がないのが特徴と言える。

 本来ならば決して相性は悪くないはずなのだが……。


「くうっ!」


 数合も斬り合わない内に、フィルネは防戦一方に追い込まれていた。相手の打ち込みは苛烈で隙がなく、凌ぐだけで精一杯だ。


「リアーテ! こいつら強い!」

「ただ単にフィルネが三流剣士なだけでしょう」


 弾き飛ばされ、ギリギリで体勢を崩さず持ち堪えながら横に視線をやれば、リアーテは残った二人の黒服の攻撃を涼しい顔でかわしながらそんな嫌味を言ってくる。


「だから! 三流って! 言うなー!」


 三倍にして言い返してやりたいところだが、追撃してきた黒服の攻撃を防ぎながらではそう叫ぶのがやっとだった。


大気は鳴動しエーディス霹靂は我がともがらオル・ハノック牢固たる天蓋なかりせばデイテ・ヒルバ!」


 と、そんなリアーテの口から流れるような詠唱が紡がれる。

 この呪文は──


「ばっ……! やめ──」

「〝雷公ことごとく打ち払うべしエルディナーハ〟!」


 刹那、まばゆい閃光と轟音が周囲を支配し、巨大な蛇がのたうち回っているかのような紫電が周囲に荒れ狂った。

 フィルネは頭を押さえながら地に伏して、なんとかそれをやりすごす。

 〝雷公ことごとく打ち払うべしエルディナーハ〟は第六位階カペラ級の雷撃系攻性呪文だ。それほど威力が高い呪文ではないのだが、効果範囲が広いのが特徴で、本来ならばこのような狭い路地で使うものではない。当然ながら、仲間も巻き込んでしまうからだ。

 さらに言うならもう一つ別の問題もあるのだが、一先ずそれはおいておくとして。


「あ、あ、あ、あっぶないでしょー! なんてことするのさ!」


 フィルネが抗議の声を上げても、リアーテはむしろ得意満面の顔で胸を張っている。


「私のパートナーなのですから、あれくらいは対処してもらわないと。それよりも、どうです? 今の呪文はまさに完ぺ……」


 これ以上ないドヤ顔のリアーテがそこまで言いかけたところで、ピタリと止まる。

 雷撃が去ったそこには、無傷の黒服たちがスーツの埃を払いながら立っていた。


「あ、あれ……? おかしいですね、機械化合人サイボーグには雷撃系の呪文が有効だと……」

「はぁー……ヘボ魔術師はこれだから……」


 今度はフィルネが溜め息を吐く番だ。


「なんですとー!? だってだって、ちゃんと魔術師協会アカデミーの教科書にも載ってたんですよ!」


 確かにそれは正しい。サイバネ技術に使用されるような機械はどれも精密機器であり、外部から高電圧がかかれば当然ショートしてしまう。だが、それはあくまで一般的な機械化合人サイボーグの話だ。目の前の黒服たちのように明らかに荒事や戦闘を生業としているような連中が、魔術師協会アカデミーの教科書に載るような弱点をそのままにしておくわけがない。第九粒子を用いた耐電フィールドなど、いくらでも対策はあるのだから。


「茶番はそこまでにしてもらおう。再三繰り返してすまないが、時間がない」


 背中合わせになったフィルネとリアーテを取り囲むようにした黒服の一人が、その声にどこか呆れた色を滲ませつつ言った。


「ぐぬ……」


 どうやら言い争いをしている場合ではないようだ。

 フィルネは右手で剣を構えて牽制しつつ、左手を後ろに回してリアーテの背中に合図を送る。こういう時のために、言葉に出すことなく連絡し合えるよう符号を取り決めてあるのだ。

 リアーテは一瞬びくんと身を竦ませたが、すぐに要求通り小声で呪文を唱え始めた。


閉ざすは明響パ・デリクト近傍四辺濛々とすグシュク・グラ何人も歩むこと能わずカンザル・ヌス──〝暗澹たる雲よ降り下れデーミットフロー〟」


 呪文の発動と同時に、周囲を黒々とした煙幕が包んだ。

 音と光を遮断する無位階ノービス級の補性呪文。この煙幕は機械的なセンサーでも見通せないため、仮に黒服たちが視覚までサイバネ化していたとしても状況を把握することは不可能なはず。


「くそっ! どこだ!」

「落ち着け! 同士打ちになる!」


 その間に、フィルネとリアーテは手を繋いだまま黒煙の中を駆け抜ける。もちろん二人にもこの煙幕は見通せない。それでも記憶を頼りになんとか浮遊バイクに辿り着き、エンジンをかけようとしたところで。


「変わってください!」


 確かにこの状況ではリアーテのほうが適任か。

 仕方なく前を譲り、今度はフィルネがリアーテにしがみつく。

 その途端、浮遊バイクは急発進し、文字通り飛ぶような勢いで煙幕から抜け出した。

 が、目の前には路地の出口を塞ぐ黒塗りの車両。浮遊バイクはあくまで地面に接地しない程度に浮くだけで、それ以上の高度を飛行できるわけではない。

 このままでは激突する──と思いきや、リアーテはハンドルを切って廃ビルの壁面を走り抜けた。


「ひいいいい!」


 魔導エンジンの浮力は重力に対して発生するものであって、壁面には生じない。車体の底がガリガリと削れる音を聞きながらも、なんとか車両を避けて着地することに成功し、地面すれすれを滑りながらようやく停止した。


「ふぅ……なんとかなりましたね」

「め、滅茶苦茶してくれるなあ……」


 フィルネの心臓はまだバクバクしている。

 だが、とにかくこれで窮地は脱した。あの煙幕はもうしばらく晴れないはずだし、今のうちにさっさと──

 しかしそんな風に考えていたフィルネの目の前で、路地を覆っていた黒煙が溶けるように掻き消える。


「……あ」


 おそらく呪文が不完全だったため、効果時間が短くなっていたのだろう。

 魔術とは神性言語によって神の力を疑似的に再現し、使い手が思い描いた通りに事象を書き換える技術だ。必要なのは適切な詠唱と適切なイメージ。リアーテは前者に関しては及第点なのだが、後者が致命的に苦手だった。


「このヘボ魔術師ー!」


 魔術師協会アカデミーは呪文と魔術師を七段階に分類している。最上位である第一位階シリウスから第二位階カノープス第三位階アークトゥルス第四位階リギル第五位階ヴェガ第六位階カペラ無位階ノービスだ。リアーテが第六位階カペラのままずっと昇格できないでいる理由はそこにあった。


「う、うるさいですね! 黙ってないと舌を噛みますよ!」


 リアーテはごまかすようにそう叫ぶと、振り落さんばかりの勢いで再度浮遊バイクを急発進させた。


          *


「逃がすな!」


 黒服の男たちは慌ててフィルネたちを追いかけるべく車両に乗り込もうとするが──


「──そう急ぐこともあるまいよ」


 ふいに降ってきたその声に、黒服たちの足がぴたりと止まる。

 黒服たちが反射的に頭上を見上げると、廃ビルの屋上に彼らが本来追うべきターゲットの姿があった。


「貴様……ボルランデ!」


 黒服たちが色めき立つ中、ボルランデはふわりと飛び降り着地する。


「ふむ、実に結構。思った以上に役に立つお嬢さん方だ」


 ボルランデはそんな黒服たちを気にすることなく、フィルネたちが去っていった先に目を向け、満足そうにうなずいた。


「わざわざそちらから姿を現してくれるとはな……! どんな思惑があるかは知らんが、こちらとしては好都合だ!」

「カバンはどこだ! アレをどこにやった!」


 黒服たちは光刃を構え、ボルランデを取り囲む。


「さて、今頃はどこにあるやら……わしが知りたいくらいだ」


 ボルランデは落ち着いた様子で肩を竦め、さも困ったようにそう言った。


「なんだと……?」

「まあ、それはどうとでもなるのだよ。わし以外の者がそうそう容易くあれを扱えるとは思えんのでな。そんなことより……」


 ようやく黒服たちに視線を向けたボルランデは、ほんの少しだけ口元を緩める。


?」

「──っ!」



 数刻後、狭い路地にはバラバラになった機械化合人サイボーグの四肢が散乱していた。


「待、テ……! カバン、ヲ……!」


 サイバネパーツを露出し、頭部だけになった黒服の一人がそれでもボルランデを睨み付ける。

 ボルランデは外した片眼鏡をハンカチで拭きながら、侮蔑の眼差しで見返した。


「ふん、これだから神々の恩寵を理解できない同盟の屑鉄共は困る。生き汚さだけは一人前だ」


 吐き捨てるようにそう言うと、ボルランデは片眼鏡を付け直してその頭部を手にしたステッキで撥ね飛ばした。


「これで残りは四人か。よしよし、順調であることよ」


 それからボルランデが小声でつぶやくと、その姿は溶けるように路地の陰に消えていった。


          *


「──というわけで、まさしく危機一髪だったの!」

『なるほどな、状況は理解した』


 フィルネは浮遊バイクでリアーテにしがみつきながら、ハンズフリーの携帯端末でオフィスに残っているQGと連絡を取っていた。風の音でやや聴き取りにくいものの、まだ速度を緩めるわけにはいかない。幸い例の黒服たちは無事撒けたようで、今のところ追ってきている気配はないのだが、念には念を入れるべきだろう。


「で、どうする? 一度戻ったほうがいい?」

『いや、その必要はない。訳有りの依頼なんざ慣れたもんだろ? 続行だ。多少のトラブルはあっても十万クレジットの案件をみすみす逃す手はねえ』


 多機能で知られるこの携帯端末も、火星内では音声通話しか使えない。それが不便ではあるものの、逆にその不便さを求めて火星にやってくる者もまた多いのだ。


『その黒服たちが探していたのもカバンだっていうなら、とにかく先にそれを押さえちまえばいい。そうすりゃ最悪でもあの依頼人と黒服たち、両天秤にかけられる。無論、こっちも仁義は通すが、依頼人に落ち度がある場合なら話は別だ。なんかあった時には切り札になるだろうよ』

「りょーかい! ……ってことだから、このまま継続だってさ」


 通信を切り、運転に集中しているリアーテにそう声をかけた。


「わかりました。では、このままインディゴの拠点に向かうということでいいんですね」

「まあ、そうなるかな。あ、そこ左に入って」


 リアーテは場所がわからないので逐一フィルネが指示を出す。


「それにしても……あの黒服の方々、どうしてあんな必死に旅行カバンなんかを探しているんでしょう? 中身は着替えとかそれくらいだとおっしゃっていましたが」

「……は? いやいや、そんなの依頼人が嘘ついてたに決まってるじゃん。あんな物騒な連中が問答無用で襲ってきたんだよ?」

「ええっ!? じゃ、じゃあ、カバンが亡き奥様からのプレゼントだというのも……?」

「十中八九、適当な作り話でしょ」

「そ、そんな……」


 明らかに落胆した様子のリアーテ。

 この期に及んでまだあんな戯言を信じていたのかと、むしろフィルネのほうが驚いた。

 リアーテもそれなりにこの仕事をやってきているはずなのに、とにかく騙されやすい。良く言えば純粋で誠実、悪く言うならお人好しで馬鹿なのだ。


「ですが……だとしたらそのカバンの中身はなんなのでしょう? もし貴重なものであったら、それこそもうとっくに売られてしまっているのでは?」

「そこなんだよなー。考えられるのはカバンに二重底とか隠しポケットみたいな仕掛けがあって、そこに機密データみたいなものが仕込まれているとかだけど……」

「なるほど、それなら確かにカバンさえ取り戻せればいいという依頼条件に当てはまりますね」


 だが、それでも絶対安全というわけではない。盗人もピンキリだが、それを生業としている以上目敏いプロもいる。隠しポケットくらいなら、見つかってしまう可能性だってあるはずだ。

 だというのに、あの依頼人は随分と落ち着いていた。やはりどうにもきな臭い。もっと別の理由がある気がする。

 他に可能性が高いのは、なんらかのセーフティをかけてあるケースだ。

 たとえばそのカバンに施錠の呪文などをかけてあれば、解呪のキースペルを知る者以外開けることはできなくなる。

 もっともそれならそれでまた別の疑問が──


「っと、ストップストップ!」


 考え事をしているうちに、いつの間にか目的地へと辿り着いていた。

 浮遊バイクが止まったのは、第六区の中でも特に荒廃したスラム街の一画、ボロボロに崩れ落ちた古い廃ビルの前だ。かつての内戦末期に使われた魔導兵器による汚染を恐れてか、このあたりに住民はほとんどいない。

 フィルネは浮遊バイクを降りると、臆することなく中へと入って行く。壁や天井は半分以上が崩れ落ち、三階までほぼ吹き抜けのようになっていて、強い夏の日差しがくっきりとした影を作り出していた。あちこちに大小の瓦礫が散乱し、支柱もむき出しになっているが、注意深く観察すればそれが死角を作り出すために計算されて配置されたものだとわかるだろう。


「おーい、ちょっといいかなー?」


 そう声をかけると、四方の瓦礫の陰から一斉に子どもたちが飛び出してきてフィルネを取り囲んだ。一番大きい子でも十二、三歳くらい、小さい子は十歳にも満たないかもしれない。全員が水星人の特徴である獣耳を頭の上でぴこぴこと動かし、古びた自動小銃で武装している。


「えっと……ヴィヨンだっけ? あんたたちのリーダーはいる?」


 フィルネは両手を上げ、子どもたちの顔を見回しながらそう訊ねた。手を上げたのはこちらに戦う意思がないことを示すためで、あくまでポーズにすぎない。

 銃火器が猛威を振るったのは遥か大昔のことで、弾避けの護符チャームが普及して以来、その脅威は大きく低下している。軍人や警察から裏稼業にいたるまで、少しでも暴力に接する機会がある者ならば誰であろうとこの護符を携帯しているのが普通だ。もちろんフィルネとリアーテも、肌身離さず持ち歩いている。

 もっとも、だからといって銃火器が完全に価値を失ったわけではない。剣と魔法の時代と言われて久しいものの、どちらも習熟には相応の時間と才能が必要だ。対して銃火器は比較的扱いやすく手軽で、複数人で狙い撃ちすれば弾避けの護符を焼き切ることもできないわけではなかった。


「なんだ、誰かと思えばQGのとこの探偵かよ」


 すると奥から出てきた青い髪の少年が、気怠そうな声でそう言った。

 歳の頃はフィルネたちと同じくらいだろう。洗いざらしたシャツに短パンという格好で、少年らしい生意気さと年齢にそぐわぬ落ち着きが同居している。

 彼がこのストリートチルドレンの集団インディゴをまとめているヴィヨンだ。フィルネは二、三回ではあるが面識があった。


「だから探偵じゃなくて事件屋だってば」

「どっちだっていいだろ、そんなの」


 ヴィヨンが小さく手を振ると、銃を向けていた子どもたちがすっと引き下がる。

 そのタイミングでリアーテも浮遊バイクを置いて中へと入ってきた。


「んで、QGの凸凹コンビが俺たちになんの用だい?」

「誰が凸凹コンビだ! ……じゃなくて、ちょっと探し物をしててさ。今朝方、セントラル駅で旅行カバンを盗まれたって依頼人がうちに来てね」

「ふぅん、それは災難だ」


 ヴィヨンは素知らぬ顔で瓦礫に腰を下ろし、足を組んで頬杖を突く。

 この時点で概ねこちらの要件は察しているだろうが、それをおくびにも出さないのはさすがだ。

 しかし、こちらも時間に余裕があるわけではない。単刀直入に切り出す。


「一万クレジット。それでカバンを買い取りたいんだけど?」

「っ!」


 その金額に、ヴィヨンは目を丸くした。それはそうだろう。一万クレジットといえば、当面この子たち全員が飢える心配をせずにすむ金額だ。

 当然、マフィアや性質の悪い連中相手であればフィルネもこんな交渉手段は取らない。それほどの価値があるものなのかと思われてしまえば、つけ込まれるだけだ。

 ただ、同時にそれはリスクと引き換えでもある。欲をかいて相手の足元を見ているうちに自らの足元をすくわれ、すべてが台無しにならないとも限らない。


「……いいぜ。その値段で売ってやる」


 その点で、ヴィヨンは賢明だった。


「ちょっと待ってな」


 そう言うと、目を閉じて獣耳にそっと手をあてる。


「セントラル駅、旅行カバン……ああ、確かに一つそれっぽいのがあるみたいだな。中身も手つかずだってよ」

「あれ? まだ売られていないのですか?」

「俺たちの本拠地は地下だ。慌ててさばかなくても問題ないのさ。一度集積してから、ちゃんと吟味してるんだよ。そのほうが取り分のごまかしがきかないし、配分も均等にできるからな」


 リアーテの疑問に、ヴィヨンがつまらなそうに答える。


「へー、それは知らなかった」


 オルラックの地下には太古の時代に《火星の神アレシア》が作ったとされる大迷宮が、遺跡として丸々残されている。神の力で作られているため破壊することもできず、構造そのものがランダムに変化するフレキシブルダンジョンのため地図を作ることもできない。故に、オルラックは地下を開発することなく横と縦に拡張されていったのだ。

 そんな光も電波も届かない地下迷宮を逃げ道や住処として使っているのがヴィヨンたち水星移民だった。水星人はその全員が暗闇を見通せる瞳と、多少離れた場所でもお互いに意思疎通を行うことができる共有感覚を持っている。その二つの能力があればこそ、地下迷宮を最大限に利用することができているのだろう。

 盗品を手元に置かずできるだけ早くさばかなくてはならないというのは、見つかったり捕まったりした時に言い逃れができないからだ。盗んですぐに地下迷宮に逃げ込んでしまえばそれ以上追われることもない。厄介なマフィアたちからも一定の距離を置くことができているのもそのおかげだろう。


「つっても、中身に手を付けてないのは別の理由があるみたいだぜ。魔法かなんかでロックされてて、開けられないらしい」

「魔術による施錠ですか……そうなると私の出番ですね!」


 ふふんと胸を張るリアーテ。

 一方でフィルネはその言葉に嫌な予感を覚えていた。悪い方向に勘が当たっている。もしそうだとしたら、思っているより厄介な事態に巻き込まれているのかもしれない。


「魔法でロックしてあると、専門の鍵開け屋に頼まなきゃならないから高くつくんだよな。正直、あんたらが買ってくれるなら助かった。……っと、来たみたいだぜ」


 ヴィヨンが視線を向けた先は、廃ビルの端にある地下へと続く階段だ。こうした地下迷宮の入り口はオルラックのあちこちにあり、昔は行政も一個一個入り口を封じていたらしいが、気が付くといつの間にか新しい入口ができているといった具合なので、今ではもうすっかり諦めている。


「ヴィヨン、持って来たよぉ」


 そこからひょこんと顔を出したのは、ヴィヨンと同じ年齢くらいの眠そうな顔をした少年だった。

 口調もどこかのんびりしているその少年が、手に持ったブラウンのカバンを掲げて見せる。

 その刹那──少年の背後に突如として天井から黒い影が舞い降りた。

 フィルネがリアーテよりも先に動けたのは、どこかでそれを予想していたからだ。

 少年に身体をぶつけるようにして突き飛ばすが、それでもなお一歩及ばず黒い影が放った斬撃は少年の背中をざっくりと切り裂いていた。


「──っ!」


 少年は声を上げることさえできず倒れ込み、それを一歩遅れて飛び込んできたリアーテが抱きかかえる。


「ちっ!」


 その黒い影──黒服の男は舌打ちをして追撃しようとするが、そこへ割って入ったフィルネが剣を抜いて立ち塞がった。


「リアーテ、治療をお願い!」


 鞘を放り投げ、少しでも身を軽くしながらそう言う。


「わかっています!」


 治療系呪文はリアーテが唯一まともに扱える魔術系統だ。任せておいて問題ないだろう。


「まったく……待ちに待ってようやく目当ての物が出てきたというのに、余計な邪魔をしてくれるものだ。貴様らが報告にあった事件屋とやらか」


 そんなフィルネに向かって、黒服が不愉快そうにそう吐き捨てる。

 姿格好は先ほどフィルネたちを襲ってきた黒服たちとほぼ一緒だが、その身が放つ威圧感は別格だ。おそらくこの男が機械化合人サイボーグたちのリーダーなのだろう。


「そのカバンを渡してもらおうか」


 黒服は値踏みするようにフィルネを眺めた後、倒れ込んだ少年の手にあるカバンに視線を向けてそう言った。その傍らではリアーテが必死に治療を続けている。


「嫌だね」

「なぜだ?」

「あんたが気に入らないから」


 フィルネの啖呵に、黒服の眉が意外そうにぴくりと動いた。


「なんであの子を斬ったのさ。あんたくらいの使い手なら、カバンだけ奪うことだってできたでしょ」

「……下らんな。そんな理由で自らの命を捨てるか」


 黒服は右手から伸ばした光刃を構える。


「我々にとっては命令の遂行こそが最優先だ。わざわざ連合の連中を慮ってやる必要などない。ましてや、水星のネズミどもなど」


 突然の展開に呆然としていたヴィヨンたちが、その言葉を聞いて一斉に表情を変えた。

 彼らは差別に敏感だ。長年、それにさらされ続けてきた故に。

 が、食ってかかろうとした子どもたちを、リアーテの無言の視線が押し留める。

 それが正しい。もしこの黒服が本気になれば、一瞬で皆殺しにされてしまうだろう。


「これでも相当に我慢したのだぞ。あの忌々しい地下迷宮とやらには我々でもうかつに立ち入ることはできない。このネズミどもの根城一つ一つを見張らせて、カバンを持ち出してくるまでずっと監視し続けていたのだからな」


 その言葉を聞いてフィルネは確信した。

 おそらく、すべてがあの依頼人の掌の上なのだろう。フィルネたちも、この黒服たちも。

 もっとも、それを今この黒服に伝えたところで何にもならない。


「もう一度だけ言う。カバンを渡せ」

「嫌」

「そうか。ならば死ね」


 次の瞬間、フィルネの喉元に光刃が迫っていた。


(速い……!)


 ギリギリのところでその一撃を弾いたものの、あまりにも重く鋭いため、それだけで体勢を崩されてしまう。続く上段からの斬り下ろしを長剣を横にしてなんとか受け止め、歯を食いしばって耐える。


「貴様とおれとではレベルが違う。防守の技量だけはそれなりのようだが、それだけだ。他は話にならん」

「ぐっ……!」


 そんなことはわかっている。言われるまでもなく、嫌というほど知っている。

 フィルネに剣才はない。リアーテが揶揄するように、所詮は三流剣士だ。

 一方で黒服は相当な腕前だった。もしかしたら二つ名持ちかもしれない。剣士には魔術師のように明確なランク分けはないが、腕の立つ者には自然と異名が付けられる慣習がある。いずれにせよ、このまま斬り合ったとしてフィルネには万に一つも勝ち目はないだろう。

 だが、それでもフィルネは剣士に憧れたのだ。それの何が悪いというのか。


「ちっ……くしょおー!」


 フィルネは力を振り絞って光刃を押し返すと、そのまま相手の懐に飛び込んで身体を捻るようにして斬り抜ける。

 曜彗流──ふね

 しかし、その渾身の一撃さえも片手であしらわれてしまう。身体が流され、がら空きになった脇腹に、黒服の蹴りが叩き込まれた。


「かは……っ!」


 機械化合人サイボーグのパワーの蹴りをまともに食らったフィルネの身体は吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられる。


「終わりだ」


 黒服がとどめを刺すべく、最後の一撃をフィルネに見舞うが──


「っ!」


 その光刃がフィルネを切り裂く寸前で、黒服の腕をリアーテが押さえていた。

 驚愕に目を見開いた黒服は、それでもとっさにリアーテの腕を振り払って距離を取る。


「貴様、いつの間に……!」


 リアーテはそんな黒服に答えることなく、呆れたような目をフィルネに向けて本日何度目かの溜め息を吐いた。


「まったく……本当に意地っ張りですね、あなたは。死んでしまうところでしたよ」

「……望むところだい」


 拗ねたように口を尖らせ、そっぽを向く。


「あの子の治療は終わったの?」

「ええ。あなたのおかげで致命傷は免れていましたから」


 言って、リアーテはフィルネに向かって右手を差し出した。


「貸してください」


 その言葉に、フィルネは驚いてリアーテを見上げる。額から流れてきた血で赤く染まった視界に、眉根を寄せた不愉快そうな顔がぼやけて映る。


「でも……」

「仕方ないでしょう。私だって嫌ですよ。嫌ですけど……あなたや子どもたちを死なせるわけにはいきませんから」


 おずおずとルナダイト製の長剣を渡すと、リアーテはこれ以上ないくらいの嫌悪感を顔に出しながら黒服に向き直った。


「魔術師風情が、なんのつもりだ?」


 訝し気な黒服は、それでも警戒を解いていない。先ほどのとどめの一撃を止められたせいだろう。

 本来、同格の剣士と魔術師が戦った場合は前者が圧倒的に有利とされている。呪文の詠唱を必要とする魔術師がどうしても一手遅れるからだ。ましてやヘボ魔術師のリアーテでは、勝負にすらならないはずだった。


「……そうですね。本当に一体何をやっているのでしょう、私は。こんな人を傷付けるだけの道具は、もう二度と持ちたくなかったはずなのに」

「ならば大人しくしておくことだ!」


 言うが早いか、黒服がリアーテに斬りかかる。

 が、その光刃が振り下ろされることはなかった。その前に、黒服の右腕が根元から切断されていたからだ。


「なっ……!?」


 無造作に垂らしていたリアーテの長剣が振り上げられたのだと、その場の誰もがすぐにはわからなかっただろう。おそらくは、斬られた黒服本人でさえ。

 当然だ。その剣撃はあまりに疾すぎたのだから。

 リアーテの瞳がすっと細まり、周囲の空気が冷えていくのが感じられた。信じがたいほどの鋭利で静かな殺気。


「──舐めるなよ、小娘!」


 斬られた腕から火花を散らしながらも、黒服は左手から新たな光刃を生成する。


「はあああああああああああ!」


 黒服の踏み込みは、すさまじく速かった。フィルネであれば、手も足も出ず斬り伏せられていたのは間違いない。

 ただ──

 黒服が剣を振り下ろした時には、リアーテはすでに拾い上げた鞘へ剣を収めていた。


「馬鹿、な……」


 胴を両断された黒服の上半身が、ズレるようにしてどしゃりと地に落ちる。

 リアーテの使うアトモス流風塵派は三派六流の一つにして、速度に特化した剣術だ。達人ともなれば、今のように剣閃の煌めきすら残さず対象を斬り裂くことができる。

 黒服は同盟圏出身であろうから、もしかしたら知っていたかもしれない。

 《銀翼の》リアーテ。今から数年前、ほんの短い期間だけ天王星一帯で名を馳せた天才剣士の名前を。

 それにしても、その剣技のなんと美しいことか。

 フィルネが狂おしいほどに憧れ、恋焦がれた姿がそこにあった。


          *


「ふぅ……」


 リアーテが小さく息を吐くと同時に張り詰めていた殺気は霧散し、周囲の子どもたちが目をキラキラ輝かせて駆け寄っていく。


「お姉ちゃん、すごーい!」

「かっけー!」


 フィルネもあちこち痛む身体に顔をしかめつつ、なんとか身体を引き起こした。


「ありがとな、こいつを助けてくれて」


 ヴィヨンが斬られた少年の傍に屈み込みながら神妙な顔で礼を言ってきたので、苦笑を浮かべて首を振る。


「助けたのはリアーテだよ。……そのカバン、見せてもらえる?」

「ああ、うん」


 ヴィヨンからカバンを受け取り、ざっと調べると──案の定だ。


「フィルネ? それって……」


 さすがのリアーテも気が付いたらしい。

 カバンには予想通り、魔術がかけられていた。


「リアーテ、これ解呪できる?」

「む、無理です……こんな、こんな高位の呪文……」


 そう。これは単純な施錠魔術ではない。おそらくは第三位階アークトゥルス級か、下手をすればそれよりも上位の空間系呪文による封印魔術だ。


「──〝亡者は己が怨嗟もて呪縛すべしギルハ・ドゥーム〟」


 その時、ふいに朗々たる神性言語が響き渡った。


第三位階アークトゥルス級の、死霊系補性呪文──!)


 リアーテもとっさに反応はしたが、呪文が発動した後ではすでに遅い。剣士は確かに魔術師に対してアドバンテージを有するが、あくまでそれはよーいどんでやりあった場合の話だ。あらかじめ呪文を詠唱する余裕が魔術師に与えられた場合、その優位さは逆転する。

 地面から突如として湧き上がった見るだに禍々しい無数の腕に、フィルネやリアーテ、ヴィヨンらその場の全員が成す術なく雁字搦めに捕縛されてしまった。


「素晴らしい。キミたちに依頼して本当に良かった」


 薄ら寒い笑みを浮かべて現れたのは、依頼人の老紳士ボルランデ。


「それはどーも。だったらこれを解除してもらいたいんだけど?」


 足や腕に力を入れてみるがびくともしない。動かせるのはせいぜい指くらいだ。

 ボルランデはフィルネの軽口に付き合うことなくカバンを拾い上げ、その埃を払う。


「ちょっとー、無視は酷いんじゃない? あたしたちは立派に役目を果たしたでしょ。囮としての、ね」

「ほう」


 すると初めてボルランデの視線がフィルネを捉えた。


「気が付いていたのかね。いや、これは思った以上に優秀だ」

「囮……? どういうことです?」

「最初からぜーんぶ、この爺さんの計画だったってわけ。カバンをこの子たちに盗まれた……いや、盗ませたのも、あたしたちに依頼にきたのも、全部ね」


 なんことだかわからないといった顔のリアーテにそう説明してあげるが、相変わらずその頭の上には?マークが幾つも浮かんだままだ。


「え? え? ですが、なんのためにそんな……」

「あの黒服たちをどうにかしたかったから、でしょ?」


 フィルネがそう水を向けると、ボルランデはぱちぱちとわざとらしい拍手を送ってくれた。


「うむうむ、正解だとも。あの連中はガリレオ衛星連邦の対テロ特殊部隊なんだが、どうにもしつこく追われていてね。いい加減、鬱陶しくなってきたので始末したかったのだよ」


 つまり、このボルランデの正体はテロリストというわけか。


「とはいえ、一人一人はそれほど脅威ではなくともチーム全員が揃っているとさすがにちと厄介だ。特にそこの隊長はな」


 ボルランデは嘲るような視線を黒服に向ける。


「そこで黒服たちが分散せざるを得ないように仕向けたってわけね」


 カバンの中身がなんなのかは知らないが、対テロ特殊部隊があれほど必死に探していたのだから相当に物騒なものに違いない。

 まずはインディゴにわざとその物騒なカバンを盗ませる。おそらく周到に下調べをしていたのだろう。インディゴが地下迷宮を利用していること、すぐには売りさばかないこと、その拠点などはあらかじめすべて把握していたはずだ。

 黒服たちはボルランデ本人を追うチームとカバンを追うチームとで、二手に分かれるしかない。ボルランデはその後QGインヴェスティゲーションズのオフィスに向かい、そこでカバンの捜索を依頼する。するとボルランデ本人を追っていたチームは、さらにフィルネたちを追うために人員を割かなければならなくなるというわけだ。


「そうなれば後はわしのほうから出向いて潰して回るだけだ。楽な仕事だったよ。まさか一番の懸念であった隊長をキミたちが片付けてくれるとは思わなかったがね」


 先ほどの呪文から察するに、ボルランデは最低でも第三位階アークトゥルス級の魔術師だ。黒服たちもそれなりの手練れではあったが、相手にはならないだろう。


「わざわざあたしたちみたいな弱小事件屋を選んだのも、後々始末しやすいからってところでしょ?」

「ご明察だね。どうやらキミはほぼ完璧に事態を読み切っていたようだ」

「生憎とそれは買いかぶりってやつかな。まだわからないことが一つ残ってるもん」

「ほう、なんだね?」

「──そのカバンの中身、一体なんなのさ?」


 その問いかけに、ボルランデがにんまりと笑う。昔、散々見てきた悪意の塊のような笑顔だ。


「そいつの代わりに答えてやろうか?」


 機械化合人サイボーグだし死んではいないだろうと思っていたが、上半身だけになった黒服が割り込んでくる。


「そのカバンに封印されているのはな──≪

「《竜》!?」


 想像以上の厄ネタに、フィルネの全身を戦慄が走り抜けた。

 高濃度のマナが結合して発生する星間災害現象体。本来ならば艦隊が出撃して対処するような動く災厄だ。


「ああ、ボルランデはそいつを衛星都市で解放しようとしているというわけだ」

「まあ、小型の個体だがね。それでも神を軽んじる愚かな者どもへの鉄槌としては十分だろう?」


 独立同盟はその名が示すように、神性からの自主独立を掲げている。そのためボルランデのような神性を過剰に崇めるテロリストによる凶行が後を絶たない。


「ああ、いかんいかん。少し喋りすぎてしまったな」


 ボルランデはそう言うと、懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。


「残念ながらそろそろお別れの時間だ。今夜にはガリレオへ発たなくてはならんのでね」


 言って、ボルランデは手にしたステッキをこつんと鳴らした。

 さっさとこの場の全員を始末してトンズラというわけだ。


「……ぐぬぬー」


 しばらく前からフィルネはリアーテの視線を感じていた。

 わかっている。わかってはいるのだ。

 それは死ぬほど嫌な選択だった。というよりも、それを選ぶなら死んだほうがマシだ。実際、この場にいるのがフィルネ一人ならそうしただろう。

 だが、ここにはリアーテがいて、小さな子どもたちの命もかかっている。

 そして、先ほどリアーテは同じような選択をしたのだ。ならば、フィルネもそれを選ばないわけにはいかないではないか。


「ああ、もう! わかったよ!」


 フィルネは意を決して、

 途端に風が渦を巻き、刃となってフィルネを搦めとっていた亡者の腕を切り裂く。


「なんだと!?」


 ボルランデはその光景に吃驚し、思わず固まる。


「ありえん! いつの間に詠唱を……むっ!」


 ボルランデの鋭い視線がフィルネの周囲に輝く文字の断片を捉えたのがわかった。


「まさか……まさか、表記詠唱か!」


 魔術は神性言語を使って事象を書き換えるという原理原則がある以上、絶対に詠唱を必要とする。これはどれだけ優れた魔術師でも逃れられない宿命だ。しかし、必ずしもそれが発声である必要はない。表記詠唱とは、指などを使って空中に神性言語を文字として描き出すことで詠唱の代替とするものだ。


「なぜ貴様がそんな高等技術を……」


 ボルランデは信じられないといった顔で後退るが、すぐに首を振って新たな呪文の詠唱を始めた。


熾火は目覚めボー・ホルト吹き荒ぶは咆哮リ・クラウム焦土はここに顕現すボーサンテ──〝三界焔に呑まれ灰燼に帰すヴィリズウォーガ〟!」


 ボルランデが唱えたのは焔が竜巻となり対象を焼き尽くす第三位階アークトゥルス級の火炎系攻性呪文。

 しかしそれはフィルネが表記詠唱によって顕現させた巨大な氷の壁と相殺された。


「なっ……!? 第三位階アークトゥルス級の凍結系防性呪文だと……!?」


 驚きと焦り、そして怒りに顔を歪めたボルランデが叫ぶ。


「おのれ! 多少小細工に長けているからといって、そんなものは魔術の本質とは程遠いわ! 腐乱の濫觴ダ・エルロッド──」


 ボルランデは新たに呪文を唱えようとするも、遅い。


「〝励起せよ夥多の光箭、穿つは無窮アルドリーゼナルレイフ〟」


 その時にはすでに、フィルネは第二位階カノープス級の光灼系攻性呪文の詠唱を終えていた。

 無数の光の矢がボルランデの周囲に顕現し、四方からその身体を貫く。


「がはっ……!」


 血を吐き、力なく倒れ伏すボルランデに、フィルネは憐れみの目を向けた。


「魔術の本質? そんなもの、知りたくもない」


 ぼそりと、それだけをつぶやく。


「くっ……はは、は……! 口頭詠唱と表記詠唱を組み合わせた二重詠唱だと……? ふざけた真似をしてくれる……」


 ボルランデは自嘲めいた笑みを浮かべ、フィルネを睨み付けた。


「なぜだ……? なぜそれだけの才覚がありながら、剣士の真似事などをしている……?」

「真似事なんかじゃない! あたしは──」


 そこまで言いかけて、止まる。それ以上は意味のないことだ。


「くくっ……! まあいいだろう。だが、せっかくだ……冥途の土産に、もう少し貴様の力を見せてもらおうではないか」

「っ!」


 ボルランデの瞳に自棄をはらんだ凶気がよぎる。


「待っ──」


 フィルネが止めるよりも早く、ボルランデはその言葉を口にしていた。


「〝封印解除エン・トランダ〟」


 次の瞬間、カバンの内側から光が溢れ、周囲の空間が歪んでいく。折り畳まれ、圧縮されていた空間が解放されようとしているのだ。

 見渡せば、すでにリアーテや子どもたちを搦め捕っていた亡者の腕は四散している。


「みんな逃げて! 早く地下へ!」


 リアーテが声を張り上げるのと同時に、ヴィヨンに先導されて子どもたちが一斉に階段へと駆けていく。その間にも、カバンから溢れ出る光は強さを増し、周囲の瓦礫を押し退け、膨らんでいった。この光には質量があるのだ。より厳密に言えば光ではなく高濃度に圧縮されたマナが半実体化したものなのだが。


「これは……さすがにヤバくないですか?」


 フィルネの隣にやってきたリアーテが、次第にトカゲのような姿を形成しつつある光の塊を見上げながらどこか投げやりに言った。


「激ヤバ」


 その大きさは二十メートルを越えているだろうか。

 いまや廃ビルは完全に崩落し、《竜》が顕現しつつあった。


「……いっそ逃げちゃおっか?」

「思ってもいないことを言わないでください」


 そう言って、長剣を構えるリアーテ。


「指示をもらえますか? 生憎、《竜》と戦うのは初めてなもので」

「そんなのあたしだって初めてだよ……でもまあ、やるっきゃないかあ」


 本来 《竜》は宇宙空間に発生する存在であって、惑星上に降りてくることはない。過去に例が皆無というわけではないものの、生身の人間がどうこうできるものではないのだ。


〈ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ〉


 その時、《竜》が吼えた。発声器官などあるはずもないので、マナを直接音に変換しているのだろう。

 完全顕現を終えた《竜》の瞳──のように見える部分がギロリとフィルネたちを見下ろす。こちらの敵意を感じ取ったかもしれない。《竜》は人の意思に敏感だ。


「三分……いや、二分でいいから稼いで!」

「これを相手に二分!? 無茶を言わないでください!」


 そう言いながらもリアーテは《竜》を引き付けるようにして廃墟が並ぶ街を駆けていく。


〈グルウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!〉


 《竜》が威嚇するように喉を鳴らすと、その周囲に光の球が無数に出現した。それがリアーテ目掛けて次々と発射されていく。その一発一発が第三位階アークトゥルス級攻性呪文にも匹敵するだろう威力を持つ光弾は、着弾と同時に爆発し、リアーテは高速で走り抜けながらなんとかそれを潜り抜けていた。《竜》はマナの集合体であるため、ほぼ無尽蔵に魔術を行使することができる。当然詠唱も不要であり、ボルランデの言う魔術の本質とやらに一番近いのはこの非生命体だろう。


彼方との不通ナクト・レフ此方との別離ソル・ソーラ流転を禁じ静謐を成すバン・ドーレス


 フィルネはリアーテの姿を目で追いながらも、右手と左手、そして口頭で同時に同じ呪文を三つ詠唱する。


「〝永遠の断絶を見よ、其は聳え立つ四壁なればエンディックノウム〟!」


 第二位階カノープス級の空間系防性呪文──あらゆる攻撃を遮断する結界を作り出すものだが、それを時間差で発動するように調整しておく。そうでなければ結界の中にリアーテごと閉じ込めてしまうことになるからだ。

 それも、おそらく三重では足りない。確実を望むならばその倍、六重に結界を張らねばこの一帯丸ごと吹き飛んでしまいかねない。つまりもう一度三重詠唱を行う必要があるのだ。

 金星と違ってマナの濃度が薄い火星で第二位階カノープス級以上の大魔術を行使しようとすれば、どうしても時間がかかる。

 問題はそこまでリアーテが耐え切ってくれるかだが──

 フィルネが内心で焦りつつそう考えていると、《竜》の様子がどこかおかしいことに気が付いた。執拗にリアーテを狙っているのは変わらないのだが、その身体が放つ光がどこか薄くなっている。


(まさか──ブレスの準備!?)


 《竜》が自身の身体を構成する高濃度のマナの数パーセントを消費して放つブレスは、地球製の航宙戦艦さえ一撃で破壊する威力を持つ。リアーテならばかわすこともできるかもしれないが、そうだとしても外れたブレスは第六区を貫通して他の地域まで吹き飛ばしてしまうだろう。そうなれば大惨事だ。

 それをリアーテに伝えようにも、フィルネには余裕も手段もない。

 そうこうしているうちにも、《竜》の口にまばゆい光が集約していく。

 だが。


「てやあああああああああああああああああああああああ!」


 ブレスが放たれる寸前、リアーテはそれまで盾にしていた廃ビルを一気に駆け上ると、その屋上からさらに大きく跳躍し、長剣で《竜》の顎を下から思い切り殴り上げた。

 直後、ブレスが天空を切り裂くように上空へと放たれる。上空に流れてきていた分厚い雲が霧散し、一瞬遅れて駆け抜けていった衝撃波がフィルネの髪をいたぶるように揺らしていく。

 その最中、フィルネは確かに見た。

 衝撃波に吹き飛ばされたリアーテが、こちらに向かって冷然とした視線を送るのを。

 銀の髪が煌めくその姿に見惚れたのも束の間、フィルネも六重の結界を一度に展開させる。

 《竜》を三百六十度取り囲んだ次元断層は、光弾などではびくともしない。

 そして。


虚空の仇花ラ・イゼルト星の寿命尽き果てユーマ・ホルス輝きは瞬きファラン・ドラ──」


 口頭詠唱と表記詠唱を併用し、ただ一つの呪文を練り上げる。


「〝恒星が迎える散華こそ、唯一の導とならんノーヴァルファウンド〟!」


 刹那、結界内部に小さな灯が瞬いたかと思うと、次の瞬間すべてを消し飛ばす大爆発が巻き起こった。


「ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」


 《竜》の断末魔と共に結界が一つ、また一つと砕けて消えていく。

 第一位階シリウス級の攻性禁呪──須臾の間だけミクロの超新星爆発を再現する大魔術だ。

 やがて五つ目の結界が砕けたところで、まるで何事もなかったかのように爆発はかき消えた。後にはただ、虚空が残るのみ。


「ふぃー……」


 へなへなと地面に座り込んだフィルネは、廃墟の屋上からこちらを見ているリアーテの姿に気が付いた。

 フィルネをじっと見つめるその瞳には、羨望と憧れ、嫉妬、誇らしさがないまぜになった感情が渦巻いている。フィルネにはまさしく手に取るようにそれがわかった。

 なぜなら先ほどのリアーテに見惚れた時のフィルネも、まったく同じ瞳をしていたはずだからだ。


          *


 翌日、QGインヴェスティゲーションズオフィス。


「──突如として火星最大の都市オルラックに出現した《竜》を火星王国陸軍が撃退。迅速な対応が功を制し、被害は軽微。《竜》を持ち込んだと思われる秘密結社バドモスのメンバーを逮捕……だとさ」


 コスモタイムズの一面を読み上げたQGが、けらけらと笑う。


「それから……あー、今回の一件に関連してガリレオ衛星連邦の工作員を拘束。火星王国政府は連邦に対して厳重に抗議。ははっ! 連中も最初から王国政府に正規のルートで協力を求めりゃよかったんだろうが……まあ、無理な話か。面子に拘る連中だからな。なんにせよ、おまえたちの名前はどこにも出てねえ。うまく処理してくれたみたいで助かったじゃねえか」


 どういう伝手があるのか詳しくは知らないが、QGは王国政府の上層部に顔が利くらしく、何かあった時はこうして情報操作をお願いしている。今回は王国としてもプラスになることなので、二つ返事で引き受けてくれたようだ。

 フィルネもリアーテも極力目立ちたくないので、それはありがたい。

 ありがたいのだが──


「あああああ、まーたやっちゃった……」

「はぁ……もう二度と剣なんて握らないと誓ったはずなのに……」


 フィルネもリアーテも、自分のデスクで思い切り頭を抱えていた。


「別にいいじゃねえか。ボルランデの爺さんも、ガリレオの特殊部隊の連中も、とりあえずは全員生きてたんだろ?」

「それはまあそうなんだけどさー……」

「それはあくまで結果論と言いますか……」


 溢れんばかりの才能を持ちながら、フィルネは魔術を、リアーテは剣を、それぞれ強く嫌悪している。何よりも、それで人を殺めてしまうことを。

 どうしてそうなったのか、フィルネはリアーテの事情を詳しくは知らないし、リアーテもフィルネの事情をほとんど知らない。知っているのは、過去の事件を切っ掛けにしてそうなったということだけだ。それ以上のことを聞くつもりはお互いに、ない。

 だからこそリアーテはどれだけ才能がなかろうとも三流剣士と罵るだけで、決してフィルネに魔術師に戻れとは言わないし、その逆も然りだ。

 ただ──お互いが嫌悪して遠ざけているものに、お互いが強く憧れている。

 それだけなのだ。


「しかし機械化合人サイボーグってのはすげえな。あれだけバラバラになっても大丈夫なんだからよ」


 AIであるQGがそれを言うのかとフィルネは一瞬思ったが、口には出さないでおいた。

 その代わりに、顔を上げてちらりと視線をリアーテに向ける。

 と、リアーテも同じタイミングで同じ行動をしていたようで、ばっちり目が合ってしまった。


「……っ!」

「──っ!」


 なぜか猛烈に気恥ずかしくなり、お互いに顔を赤くして目を逸らす。


「……なにやってんだ、おまえら」


 QGが呆れたようにそう言った直後。


「あのぉ……すみません。ちょっとよろしいでしょうか……?」


 オフィスの入口が開き、おずおずとした声が室内に響いた。



 そして──今日もまた、新たなトラブルがQGインヴェスティゲーションズを訪れる。

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