第一章 清水さんと美術の授業(1)

「よし、今日も恋バナ始めるか」

 次の美術の授業が美術室であるため教室を出ようとしていると、俊也から待ってくれと声をかけられた。俊也は僕と違って芸術科目で音楽を選択している。そのため僕が俊也をなぜ待つ必要があるのか疑問に思っていると、先ほどの発言が飛び出してきたのだった。

「何がよしだよ。次の授業、芸術科目だから早く移動しないと」

 他のクラスメイトたちはとっくに移動の準備を始めていて、動く気配がないのは僕と俊也と隣の席で寝ている清水さんだけだ。

「大丈夫。さっきの授業いつもより早く終わったからまだ時間に余裕あるって。それに最悪走ればなんとかなるだろ」

 走る必要があるくらいに時間がギリギリの場合、どうにかなるのは足の速い俊也だけで僕は間に合わない気がするけれど。

 とにかくここで反論するより、俊也が満足する恋バナをした方が早く移動できるはずだ。

「分かったよ。それで今日は何について聞きたいの?」

「そうだなぁ。今日の恋バナのテーマは何にしようか……」

 ノープランで呼び止めたのか。まあ俊也らしいと言えばらしいけど。

「美術室少し遠いから、考えてないなら僕もう行くからね」

「ちょっと待って。俺さ、なんか今すごい恋バナしたい気分なんだよ。すぐテーマ考えるからどうか席を立たないでくれ」

 教室の壁にかけてある時計を見る。確かに俊也が言ったように、まだ授業が始まるまでには移動にかかる時間を考えても少し時間がある。

「……すぐに思いつかなかったら行くからね」

「ありがとう我が友よ!」

「それじゃあ最初は普通に雑談して、そこから恋バナに繋げていこうか」

「そうしよう。それなら前から聞きたかったんだけど、芸術科目どうして美術にしたんだ?」

「単純に芸術科目の美術、音楽、書道の三つのうちで一番好きなのが美術だから。そういう俊也はどうして音楽にしたの? 俊也、そんなに音楽好きだった?」

 一年くらい休み時間に話をしているけれど、俊也の口からあまり音楽関連の話題を聞いた記憶がない。

「俺が音楽を選んだ理由は簡単だ。瀬戸さんが音楽を選んだからだよ」

 そう言った俊也の顔はなぜか得意げだった。

「へえ、そういう理由だったんだ」

「好きな子と少しでも一緒にいたいと思うのは当然だろ? 図書委員会だって、瀬戸さんが今年もやるって言うから俺もすることにしたんだ」

「ということは去年の四月から瀬戸さんのこと好きだったの? もしかして一目惚れ?」

 俊也は去年も瀬戸さんと一緒に図書委員をしていた。先ほどの発言が本当なら、瀬戸さんと交流する目的で俊也は図書委員会に入ったのだろうか。僕が気になってそう聞くと、なぜか寝ているはずの清水さんが一目惚れと言ったあたりでピクリと動いた気がした。

「それは違う。少なくとも去年の四月の時点では、瀬戸さんはただのクラスメイトだったよ。図書委員になったのは他のもっと面倒そうな委員会に入りたくなかったからだ」

「なるほどね。僕てっきり惚れた勢いで同じ委員会に入ったのかと思っちゃったよ」

「そこまで俺はちょろくないわ。見た目でこの子可愛いなと思うことはあるけど、それだけで付き合いたいとまでは考えないぞ」

 思っていたより俊也は硬派だったようだ。ふと気になって清水さんを見ると特に動きはない。さっき少し動いたように見えたのは気のせいだったのか。どちらにせよ次の授業では教室から移動することになるから、教室を出る時に起こしてあげないと。

「あっ」

「どうしたの俊也?」

 清水さんをどう起こすか考えていると、俊也が何か閃いたのか声を出した。

「思いついた、恋バナのテーマ。今日のテーマは好きな子と一緒に受ける授業にしよう」

「好きな子と一緒の授業?」

「そうだ。退屈な授業の時間でも好きな子と一緒なら楽しさも百倍だろ? 今日はそんな好きな子と受ける授業のシチュエーションについて考えていこう!」

「楽しむ前にもう少しまじめに授業受けなよ」

 こんなに授業に対してやる気がなさそうなのに、いざ試験となると僕より点数がいいばかりか学年でも結構上の方の順位なのだから始末に負えない。

「そんなこと言うなって大輝。何事も人生楽しんでこそだろ? それでシチュエーションだけど大輝は何か思いつくか?」

「うーん。そう言われてもなぁ。授業中って話す機会もないし特に何もできなくない?」

「それはそうなんだけどさ。なんかないかなぁ」

「俊也は瀬戸さんと授業中こうなったら嬉しいと思う展開とかないの?」

「そうだな……」

 俊也が腕を組んでうなっている。こんな一生懸命に考えられるやる気を何か他のことに生かせば、すごいことを達成できそうな気がするのに。俊也の性格的に無理な話だけど。

「いいシチュエーション思いついた! 聞いてくれ大輝」

「うん。教えて」

「授業中、退屈になった俺はふと瀬戸さんの方を見るんだ。そうしたら瀬戸さんもちょうど俺を見ていて目が合う。それでお互いにドキッとしてすぐに目を逸らすんだ。二人ともふと相手のことを気になって見てしまう。なんかいいシチュエーションじゃないか?」

「即興で考えたにしてはクオリティ高いね」

 恋愛漫画とかにありそうなシチュエーションで、いつも暇な時にこういうことを考えているのではないかと疑ってしまう。

「だろ? 大輝的にはどうだ? 憧れるか?」

「いいと思う。相手も自分のことを気にしてるのかもって思うとドキドキするかも」

「分かってくれるか! このシチュエーションやっぱいいよな!」

 相手も自分を同じタイミングで気にしていないとそもそも成立しないという欠点はあるけど、授業中にドキドキする展開としてはありえそうではある。

「よし一つ目を思いついたら後はどんどん出てくるだろ」

「まだ続けるつもりなの?」

 授業中という行動が制限される状態の中で、一つシチュエーションを出しただけでもよく思いついたなと感心していたのだけど。

「当たり前だろ。まだ時間に余裕あるしやろうぜ。今度は大輝が考えるドキドキする展開も聞きたいし」

「僕は思いつかなかったんだけど」

「大丈夫、大輝ならできる。お前はなんだかんだ言ってやれる男だ。俺が保証する」

 その心強い言葉はできればもっと違う形で聞きたかった。想像力が豊かな俊也と違って僕は考えてもなかなかアイデアが出てこない。これも恋をしている人間としていない人間の違いなのだろうか。再度考えているとなんともパッとしない案が浮かんだ。

「少し大雑把でもいいかな?」

「もちろんいいに決まってる。それでどんなシチュエーションなんだ?」

「シチュエーションと言えるかどうかは微妙なんだけどさ。授業によってはクラスメイトと協力する場合があるよね。そういう時に、その好きな子と一緒にできたらいいなって思ったんだけど……」

 自分でもなんというか具体性に欠ける案だと思う。けれどそれ以外に思いつかなかったのだから仕方ない。俊也は少し僕の話を聞いて考えるそぶりをしてから口を開いた。

「つまり俺に当てはめてみると、音楽の授業でリコーダーの練習をする時に瀬戸さんに教えてもらうってことだな。それいいな! 瀬戸さんに手とり足とり教えてもらいたい!」

 あいまいなシチュエーションだったけど、なんとか理解はしてもらえたらしい。ただその自分に当てはめる早さに若干引いたけど。

「それを聞いたら俺も次の音楽の授業めっちゃやる気出てきた! こうしちゃいられない、俺行くわ。待っててくれ瀬戸さん!」

「待って。実際に授業で瀬戸さんに教えてもらえるとは限らない……」

 僕の声が届くことはなく、俊也は勢いよく教室を飛び出していった。

「なにかに熱中すると人の話聞かないんだから……」

 俊也がいなくなったので美術室に向かおうと考えていると、その前にやっておかなければならないことを思い出した。

(そうだ。清水さん起こさないと)

 隣の席に視線を移す。そこに先ほどまでいたはずの清水さんは既におらず、教室に残っている生徒は僕だけだった。いつの間に清水さんは教室を出たのだろうか。僕は不思議に思いながらも時計を見て授業の時間が迫っていることを確認し、慌てて教室を後にした。


 僕が美術室に着いた時には授業が始まるまであと一分くらいしかなかった。俊也は意図していないだろうが、授業に間に合うか間に合わないかのギリギリなタイミングで恋バナを終わらせてくれたらしい。席に着くと、生徒たちは授業が始まる直前だというのにまだざわついていた。聞くつもりがなくても周りの人の話し声が耳に入ってくる。

「本当に清水さんって髪黒くしたんだな」

「なんで染めたのかお前知ってる?」

「知らない。友達にも聞いてみたけどみんな知らないって言ってたよ」

 どうやら話題の中心は清水さんのようだ。芸術科目は二クラス合同で行われていて、別クラスの生徒も一緒に授業を受けている。うちのクラスでは数日経ち落ち着いてきた清水さんのイメチェン騒動も、他のクラスの人からすれば新鮮なニュースであるらしい。

(清水さんは大丈夫かな?)

 こっそり清水さんの方を見る。美術の時の席順では清水さんの席は僕の席の斜め後ろに位置している。清水さんは周りが自分の話をしていることが分かっているようで、そこまで機嫌はよくなさそうだ。席が少し離れているから今はフォローのしようもない。どうしようか悩んでいるとドアが開き美術の先生が入ってきた。

「なんか今日はみんないつもより活気にあふれてるな。授業始めるから今からは少し静かにしてくれよ」

 先生はなぜ生徒が騒がしかったのか分かっていないみたいだ。ただそのことを気にすることもなく授業を開始しようとしていた。

「今日は最初に教科書を読んで、その後に絵を描いてもらう。何を描くかについてはその時に言うから。まずは教科書を読んでいくぞ。教科書の二十三ページ開いてくれ」

 先生はそう言うとそのページに載っているいくつかの絵画の解説を始めた。この美術の授業では生徒が当てられて教科書を読むことはほとんどなく、僕たちはただ先生の話を聞くだけだ。淡々と続く先生の解説に集中力が少し切れてきた時、後方から殺気のような何かを感じた。気配の出所を探るべく、先生に気づかれないようゆっくりと後ろを向く。そこには他の生徒が教科書を見ている中で、まっすぐこちらを睨んでいる清水さんがいた。

 慌てて首を前に戻し教科書に目を移す。さっきから感じていた気配はどうやら清水さんからのものだったようだ。僕は清水さんになぜ睨まれているのだろうか。

(睨まれてると思ったけど、清水さんたまたま僕の方を見ていただけなのかな?)

 先生の話を聞いているだけのこの時間は少し退屈で、教科書から目を離してしまう気持ちも理解できる。周りをボーッと見ていた時に僕が振り向いてしまったのかもしれない。

 僕は真相を確かめるため再び後ろを見た。清水さんは先ほどと変わらず鋭い眼光で僕を見つめていた。清水さんと目が合う。すると清水さんは目を大きく見開いたかと思えばすぐに視線を逸らした。

(勘違いではなかったけど、なんで清水さんは僕の方を見てたんだろう?)

 思い当たることがないか考えてみる。清水さんとした会話はいつもと変わらない日常に関してのものだけだ。話をしている時も清水さんに特に変わった様子はなかった。それよりも後となると、さっきしていた恋バナくらいだけど……。

 もしかして清水さんは僕と俊也がしていた恋バナがうるさかったから目が覚めてしまい、イライラしているのではないか。それなら僕を先ほどから睨みつけていたことにも納得がいく。

(まだ清水さん怒ってるかな?)

 もう一度後ろに目をやると清水さんはなぜか頬に両手をつけていた。視線は下を向いていて、心なしか顔が先ほどより赤いように見える。目が合った時から今までの間で清水さんに何があったのだろう。僕が疑問に思っていると頭に軽く衝撃が走った。前を向くと先生が僕の目の前に立っていた。

「おーい本堂。さっきから後ろ見すぎだぞ。一応試験に出るかもしれないんだからさ、先生の話は聞くふりだけでもしててくれ」

「す、すいません」

 美術室にドッと笑いが起こる。先ほど走った衝撃は先生が僕の頭に教科書を乗せたせいだったようだ。先生も笑っていて本気で怒っているわけではないみたいだけど。

「分かればよし。次から気をつけるように。さて教科書の今日の分は読み終わったから、授業の最初に話した、今日描くモデルについて説明していくぞ」

 清水さんを気にしているうちにいつの間にか絵画の解説は終わっていたらしい。先生は教室の前にあるスペースに戻ってから説明を始めた。

「今日は二人一組になって、残り時間を使ってお互いのことを描いてもらう」

 先生がそう言うと他のクラスの生徒が手を挙げた。

「先生、質問いいですか?」

「どうした? いいぞ。言ってみてくれ」

「さっき二人一組で描くと言いましたが、ペアになるのは隣の席の人とですか?」

 確かにそこについて先生はまだ説明していなかった。確かに隣の席の人と組むのが一番簡単なペアの作り方だろう。先生は頭をポリポリ掻いている。何か考えているらしい。

「先生?」

 質問した生徒が待ちかねたのか先生に声をかける。

「よし決めた。今日は自由にペアを作っていいぞ。友達とでもいいし他のクラスの奴とでも問題ない。ペアを決めたら隣同士になるように席に着いてくれ。それでは全員起立!」

 先生のその発言が終わったと同時に、美術室内にいる生徒全員が立ち上がる。

「制限時間は五分。その間にペアを決めてくれ。決められなかった奴らは五分経ったら俺が強制的にペアを作っていくからそのつもりで。それでは荷物を持ってペア作り開始!」

 その言葉と共に生徒たちが一斉に動き始める。友達がここにいてすぐにペアになれた人、知り合いがおらず周りをキョロキョロしている人など、人によって様々な動きを見せている。僕は後者で、ペアになってくれる人の当てがなく困っていた。

(このままだと知らない人とペアになって描くことになるなぁ)

 それでもいいかなと思い始めたその時、後方から足音が聞こえた。振り返って見るとそこには清水さんが立っていた。

「なあ、なんか清水さん、本堂のことさっきからずっと睨んでたけど、本堂何かしたの?」

「違うクラスの俺が清水さんのことを知るわけがないだろ。関わり合いにならないようにとっとと離れようぜ」

「そうだな。本堂、ご愁傷様」

 周りにいる他の生徒たちは、何かコソコソ言いながら僕と清水さんから露骨に距離を取り始めた。清水さんは口を開きそうな様子がない。僕は自分から聞いてみることにした。

「もしかしてまだ怒ってる、清水さん?」

「怒る? なんのことだ?」

 どうやら先ほど僕を睨んでいたのは、寝ていたところを起こされてイライラしていたからではないようだ。ではなぜ僕は睨まれていたのだろう。まあ怒っていないならいいか。

「僕の勘違いだったみたい。それでどうしたの清水さん?」

「……本堂、お前ペア決まったか」

「まだ決まってないよ。清水さんは?」

「いや、まだだ」

 会話が止まる。清水さんは何を僕に伝えたいのだろう。清水さんを見てみる。先ほどまで僕を見ていたはずなのに、今は全然違う方向を見ていて目が全然合わない。

「あと二分切ったぞ。まだペア組んでない奴は急げよ~」

 先生が僕らにそう呼びかける。思ったより時間はないようだ。どうしようかと思っていると清水さんの姿が目に映り、あることが閃いた。

「まだペアいないなら僕とペアになってくれない?」

 ペアになるのは誰でもいいと思っていたけど、知っている清水さんがペアになってくれる方が僕としては嬉しい。

「な、なんでお前とペアを……」

「やっぱりダメかな?」

 それなら仕方ない。時間はないけど他のクラスメイトを当たってみるしかないか。

「待て。ダメとは言ってない。ちょっとなんというか心の準備が必要だったというか……。と、とにかく私も知らん奴とペア組まされるくらいなら知ってるお前と描く方がいい」

「それならペア組んでくれるの?」

「ああ、まあお前がそこまで言うなら」

 そこまで必死にペアを組んでほしいと言った記憶はないけれど、組んでくれるならそれに越したことはない。

「ありがとう。よろしく清水さん」

「おう」

 清水さんと隣同士になるように席に座る。教室と同じ位置なのでなんとなく落ち着く。

「時間になったぞ」

 先生が美術室を見回す。それにつられ僕も周りを見るが余っている人は見当たらない。

「どうやらみんなうまくペアになったみたいだな。それじゃあ始めていくか。最初にどちらが先に描くか決めてくれ。時間かけずにパパッとな。制限時間は三十秒だ。スタート!」

 先生はそう言うと、手をパンと叩いて時計を見始めた。

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