第3章 人外転生主人公

第25話 「恋人ごっこ」


 最近、少しスターシアの様子がおかしい。


「なあスターシア、こっちにきてテントを張るのを手伝ってくれないか?」

「はい、ただいま」


 ニコッといつもの可愛らしい笑顔でうなずいてくれたと思いきや、急にハッとした表情になって。


「あ、あの、わたし今リルネさまにご許可を取ってきますね! すみません、少々お待ちくださいませ!」

「は? はあ?」


 そんな簡単な手伝いさえ、俺の言うことを聞く前にリルネにお伺いを立てにいく始末だ。いったいなにがあったんだ。


 しかもだ。こないだはスターシアとリルネがなにやら口論をしている場に出くわしてしまった。


『だから、あれは誤解なんだってば! あたしがあんなことをしたのは、気の迷いで!』

『いえ、しかし唇は大切なものです。リルネさまが懸想していらっしゃるのも知らず、わたしは……』

『だからぁ! 別に気にしないでって! シアはこれからも普段通りにしていてくれればいいからっ!』

『わたしはジンさまが大切ですが、リルネさまももちろん大切です。おふたりが仲良くしていただけるのが、わたしの一番の幸せなんです」

『そういうんじゃないからぁ!』


 滅多にない場面だ。俺はとっさに木の陰に隠れる。リルネが目を赤くしながら詰め寄って、それにスターシアが断固として首を振っていたのだ。俺やリルネの言うことならなんでも聞くあのいい子がだ。


 リルネ、いったいスターシアになにをしたんだ……。




 俺はしばらく機を窺っていた。リルネが水浴びをしに行っている隙に、朝食の準備をしていたスターシアへと話しかけた。


「なあスターシア、ちょっといいか?」


 メイド服姿のスターシアは地面にしゃがみ込んだまま上半身だけで振り返ってくる。腰のくびれや尻のラインが強調されるようなポーズで、妙にアレな感じである。


「ジンさま、なにかご用ですか?」


 俺はその肉感的な姿から目を逸らしながら。


「いやあ、こないだちょっと通りがかったときに、聞いちゃってさ」


 声を潜めつつ、スターシアの近くにしゃがみ込んで尋ねる。


「リルネがお前になにかしたの?」

「え……? リルネさまが、わたしに?」

「ああ、なんか口論していたじゃないか。珍しいな、って思ってさ」


 こういう感じで自然に気を遣ってしまうのが、元社会人たる俺のコミュ力ってやつだな。なんといっても、パーティーが空中分解したらこれからの旅、気まずいし。


 だからなんでも早め早めに手を打っておくべきなんだよ、うん。


 するとスターシアはなんだか困ったように眉を寄せた。


「いえ、そういうわけではないのですが……」

「ほほう、でもなにもなかったわけじゃないんだろ? なにもないのに、リルネと言い争ったりしないよな?」

「言い争いというか……、なにもなかったわけでは、ありませんが」


 スターシアは露骨にうろたえ始めた。俺は努めて優しい声を出す。


「な、悪いようにはしない。だからホラ、言ってみてくれ。ずっと一緒に旅をするんだ、心の荷物は捨てていこう。重荷になるだけだから、な?」


 そんな俺のキラキラとした視線を浴びて、スターシアは口元に手を当てたまま、じわっと瞳に涙を浮かべた。


 えっ、なんで!?


 まさか、そこまでリルネにひどいことをされて……!?


 いやそんな、リルネはそこまで悪いやつじゃない。ただ不器用なだけなんだ!


 俺は身振りを交えながらリルネを擁護する。


「待ってくれ、スターシア! リルネは確かにお前に度を越えたことをしてしまったかもしれない! でもあいつは今までずっと友達がいなかったから、そういうのがよくわからないんだ! たった一匹で育った猫は噛むときの加減をできず、やりすぎちまうっていう話みたいなものなんだよ! でも、根は優しいやつなんだよ! だから、ここは俺に任せてくれ――」

「いえ、違うんです」


 えっ、違うの? だったら俺めちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃん。ひとりで熱くなって……。


 俺は後悔の念に襲われながら、スターシアの言葉を待った。彼女はふるふると力なく首を振る。


「違うんです、わたしはリルネさまにも、ジンさまにも誠意をもってお仕えしたいと思っています。でも、今はリルネさまからは口止めをされて、ジンさまからは話せと言われております。だからわたし、どうしていいのかわからなくて……」

「え、そ、そうだったのか」


 スターシアはもうちょっとしたたかな子だと思っていたのだが。こんな板挟みになっただけで泣き出しちゃうんだな……。


 俺は自分がいかに大切に思ってもらっているのかを感じつつ、スターシアの肩に手を置いた。


「なんか、悪かったな、スターシア。無理矢理聞き出すようなことはしないよ。俺はなにがあったのかな、ってちょっと気になっただけなんだ。だから別にさ――」

「あー!!」


 そこで叫び声がした。俺はぎくりと背中を丸める。振り向くと、いつものローブを羽織った濡れ髪のリルネが、思いきり俺を指差していた。のっしのっしとやってくる。


「あんたなにスターシア泣かせてんのよ! 目と鼻と耳を削ぎ落して殺すわよ!」

「こええよ! 古代の処刑方法かよ!」


 目と鼻と耳が大切な俺はさっさとリルネに事情を説明する。すると、リルネはなにかを知っているような態度で「うっ」とのけぞった。


「まさかシア、あんたそんなに思いつめていただなんて……」

「ご迷惑をおかけしてすみません、リルネさま。でも、わたしは大丈夫です。平気ですから」

「うう……」


 スターシアは目元の涙を拭いながら、健気に微笑んだ。


 リルネは頭を抱えて苦悩する。あいつはあいつでなにかもやもやとした悩みを抱えているようだ。


 洟をすするメイドの前でおろおろするご主人様ふたり。俺たちはささやき合う。


(だいたい、元はと言えばお前がスターシアを恫喝するから……)

(だ、誰がよ! あたしはちょっと都合の悪いところをシアに見られちゃったから、黙っててってお願いしただけで……!)

(マジかよ、お前なにやったんだよ。殺人か? 強盗か? 恐喝か? あっ、わかった。こっそりと俺のリュックに入っているポテト食べたんだろ? それをスターシアに見つかったんだな。はっはっはー、お前バカだなー)


 リルネはぐぐぐぐと拳を握る。今にもアシードを召喚しそうな形相だ。


「ホント、なんであんたみたいなのに……。あたしの人生の最大の汚点だわ……。ここで今すぐ滅却処分してやりたい……」

「事情はわからんが落ち着け。スターシアが心配そうに見つめているぞ」

「ぐっ」


 スターシアはしゃがみ込んだまま膝を抱えて、こちらを不安そうに見上げている。まるで『パパママ、ケンカするの?』とでも言うような目だ。誰がパパママだ。


「……わかったわ、ジン。ちょっとこっちにきて」

「お、おう」


 スターシアにちょっと待っててくれと言って、俺は少し離れたところに連れられてゆく。


 リルネは深呼吸をして、それから俺に指を突きつけてきた。


「実は、シアはちょっと勘違いをしているのよ」

「はあ」

「……あたしとあんたが、その、好き合っているっていう勘違いを」

「はあ!?」


 俺は目を剥いた。なんだなんだ、なんでそんなことになっちまっているんだ。


 リルネは頬を赤く染めながら、据わった目でこちらを見上げてくる。


「なんでそんな勘違いに至ったかはわ。いい? あたしはからね。それ以上聞かれても困るわ。今大切なのは、シアがそれを信じちゃっているってことなのよ」

「はあ。でもお前なにかを見られてそれを口止めしたって――」

「――だからね!」


 俺の言葉を圧殺するようにリルネが声を張り上げる。びっくりするからやめてくれ。


「とりあえず、シアの前ではそういうフリをするのが一番だと思うのよ! あたしはシアを安心させてやりたいの!」

「そういうフリ、って……」

「あ、あたしとあんたが、恋人同士、っていう……」

「ええー……?」


 さすがに無理がないか……? 見た目の年齢だってずいぶんと離れているし……。


「つか、たまたま会いにきた友達を騙すならともかく、俺たちとスターシアは四六時中ずっと一緒にいるんだぞ……」

「べ、別に今までとなにか違ったことをする必要はないわ……。ただそういう設定なんだってことを忘れないでくれれば……」


 俺は黙り込んだ。そのまま顎をさする。参ったな。でもリルネも困っているみたいだしな……。


 考え込んでいるとリルネがなぜかおっかなびっくりと俺の顔を上目づかいに覗き込んでくる。


「……あの、っていうわけには、いかないかしら……? そう、よね。さすがに無理よね、そんなの。でも、あたしはなんか、あんたのことがほんのちょっとだけど……」

「わかった」

「え?」


 俺は断固とうなずく。


「それがスターシアのためになるなら、俺はなんだってやってやる。リルネも俺なんかと恋人扱いされるのはいやかもしれないが、すまない、耐えてくれ」

「そ、」


 リルネは言いかけた言葉を引っこめるようにして、眉を吊り上げながら俺の鼻先に指を突きつけてきた。


「そうね! あんたなんかとそういう風に思われるのは! この領主令嬢たるリルネ・ヴァルゴニスの最大の汚点だけど! でも仕方ないからシアのために我慢してあげるとしましょうか!」


 なにもそこまで言わなくても……。


 俺は理不尽さを感じながら、怒り肩で歩くリルネの後を付いてゆく。



「――と、いうわけなのよ」


 改めてスターシアに説明すると、彼女はまるでこの世の春が来たような顔をした。スターシアのバックに晴れ晴れとした花が咲いて見えるようだ。


「そ、そうだったんですね……。それでは、ジンさまとリルネさまはこれからご夫婦となられるのですね……!」

『待って』


 俺とリルネが同時に手を前に出す。


「そういうんじゃないのよ。ただ、まあ、ジンのことちょっといいなって思ったから、じゃあ試しに付き合おうか、ってそれだけのことで……」


 リルネが唇を尖らせながらごにょごにょとつぶやく。もじもじと小さくなって恥ずかしがるリルネの姿を見ていると、なんだか俺まで恥ずかしくなってくる……。


「そ、そうなんだよ、スターシア。だから別に、お前がなにか遠慮するようなことはしなくても……」

「では、ご婚約というわけでもないのですか?」

「ナイナイ、ないのよ」

「そうですか……」


 スターシアはじゃっかんしょんぼりしたようだ。それでもパッと顔をあげると嬉しそうに手を打った。


「それではわたしはこれまで以上に精一杯お二方の身の回りのお世話をさせていただきますね! 旦那さまと奥さまのメイドとして、望外の幸せです!」

「待って! さっき言ったことすぐ忘れているわ!」

「スターシア! どんだけ俺たちのことが好きなんだよ!」


 眼帯をつけたメイドは首を傾けながら。


「でも、それではリルネさま、わたしはどのようにジンさまをお世話したらよろしいでしょうか? 奥さまのお仕事を奪ってしまいかねないのでは?」

「奥さまじゃないから……。別に、これまで通りしてくれればいいわ。あたしがジンの世話とか絶対したくないし」

「ひでえ」

「では夜のお世話は、いかがいたしましょうか?」

「ぶっ」


 俺は顔を背けた。いや、うん、大切なことだよな。メイドとしては。でもそれを俺の前で相談するというのはいかがなものかな。


 リルネもまた、妙に恥ずかしそうにしながら俺とは反対の方向に顔を背けて。


「……に、妊娠しちゃうと、旅が大変になっちゃうから、これまで通りシアにお願いするわ」

「わかりました、リルネさま。シアにお任せください」

「これまでもなにもまだ一回もないよ!」


 豊かな胸を張るスターシアの笑顔に、俺は大声でツッコミを浴びせたのだった。




 まったく……、おかしなことになっちまった。


 馬車が手に入ったことによって、女性陣は馬車の中で、俺はテントの中で寝ることになっていた。俺はひとり、天井を見上げながらきょうのことを振り返る。


 まあスターシアが幸せそうだし、これまで以上にイキイキしていてくれるから、結果的にはリルネが正しかったんだろう。うん。


 ただ、なんだか嘘をついているみたいで悪い気がするのも事実だ。


 ……でも、もしそれが嘘じゃなくなったら、と俺は少しだけ妄想してみた。


 リルネの見た目は俺にはもったいないぐらいの美少女だ。街を歩けば誰もが振り返り、社交界に出ても溢れんばかりに輝きを放っている。現実世界では握手をするためにもお金を払わなきゃいけないだろう。


 生まれもだ。西方大陸の北部を四分割する西方四領のひとつ、イルバナ領の領主令嬢。とてつもないお金持ちのお嬢様で、さらには学校でも魔法の才能を広く認められた才媛である。


 非の打ちどころもない容姿と生まれなのに可愛いところもあるんだよな。ポテトチップスを見てよだれを垂らして喜んだり。それに、なによりも芯が強くて、口は悪いけれど性格もいい。度胸だってある。リルネはすごいやつだ。


 そんなリルネと恋人同士、か。


 ……いや、やっぱり俺には釣り合わないだろう。


 俺はぼんやりとあのローブの下の華奢な体を想像する。まだ男の手に触れられていない処女雪のような肌を。いかん、妙な気分になってきた。明日も早いっていうのに。


 そんなときだ。テントの前に人影がやってきた。俺は思わず身を起こし、枕元に置いていた迅剣ヴァルゴニスを掴む。


 誰だ。といってもリルネが寝る前に呼び出したアシードが辺りを警戒しているだろうから、敵意をもったものが現れるとは考えにくいが……。


「あの、ジンさま、まだ起きていらっしゃいますか……?」

「って、スターシアか」


 俺はあからさまにホッとした。彼女はシュッとテントの入口を開いて、そこから顔と、胸がこぼれ落ちそうなきわどいネグリジェを着た上半身を見せた。


 いや、あの。


 スターシアはあの幸せそうな笑顔のまま、俺に尋ねてくる。


「今夜は、いかがですか? ジンさま」


 マジかよ。


 俺はその少女性と淫靡さが両立したような笑顔に目を奪われながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。



 やばい。


 どうしよう。胸がばくばくと高鳴る。


 いよいよもって、俺にはスターシアを拒む理由はないんじゃないだろうか……。


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