第2章 ループ主人公

閑話2 「リルネ・ヴァルゴニス」


「ちょっといいかしら」


 あたしは祭りの準備を終えたクライに声をかけた。彼はしばらく手持ち無沙汰だったようで、あたしに付き合ってくれた。第四区の広場のそばの路地には他に人影もない。


「どうかした?」


 彼は初めて会ったときに比べて、ずいぶんと表情の険が取れたように感じる。聞けばまだ十五歳なのに大変な――と一言で表すには足りないくらいに身の千切れるような――目に遭っていたというし、それも仕方ないのかもしれない。


 でもやっぱりジン以外の男の人……というか知らない人は少し苦手だ。あたしが緊張しながら言葉を選んでいると、クライが髪をかいた。


「そういえば、まだお礼言っていなかったな、って思ってさ。僕たちを助けてくれた人の娘さんなんだよね。どうもありがとう」

「そ、それは別にいいのよ。お父さまのしたことだし、あたしにお礼を言われてもピンとこないわ。そんなことより、聞きたいことがあるんだけど……」

「もちろん、僕に答えられることなら」


 クライは背筋を伸ばしてうなずいた。


「あなた、同じ一日をやり直していたんだって言っていたわよね」

「うん、そうだよ」

「それがあなたの能力。そうよね?」

「たぶんね。と言っても、僕自身にもよくわからないんだ。ジンさんと話した感じでは、いくつかのルールがあるみたいだけど」


 それはあたしも聞いた。


 クライのループが発動したフィールドは完全に外界から閉ざされる。ジンは出ることができなくなったと言っていた。あのバケモノもそうだ。そして目的を果たすまでそのループは終わらない。何度でもリセットは繰り返される。永遠に出られない。


 絶望的な話だが、あたしはそうは思わなかった。


「その力に目覚めたきっかけとかは、なにかわかる?」

「そんなこと言っても、僕が僕の人生で死んだのはあれが初めてだったからね」


 クライは考え込んだ。


「初めての時は、第四区で祭りの準備をしていたら騎士団がやってきて……、ティリスを殺した罪を被せられたんだ。それなりに抵抗はしたけれど、さすがにグロリアスに勝てるはずがなかったから、そのときに一度命を落として……」


 そこで彼は一旦言葉を切った。


 夕暮れが差し込む路地裏。もう少しで辺りは暗くなるだろう。あたしとクライの間を乾いた風が吹き抜けてゆく。


「その前に、夢を見た気がする。君と話すまで忘れていたよ。巨大な大穴をどこまでも落ちてゆくような」

「……それって」


 あたしにも覚えがある。ジンと一緒に見た夢だ。もしクライが同じ夢を見ていたというのなら、あの落ちていた人の数だけ主人公メサイアがいるということなのだろう。三人や四人どころじゃない。もっともっといるんだ。


 クライはさらに深く思い出してゆく。


主人公メサイアの僕に試練が迫ると、言われた気がする。そこで僕は、新たなる能力に目覚めるだろう、って……、あれは神様の啓示かなにかだったのかな」

「……」


 あたしはぼんやりと手のひらを見下ろすクライの前で、拳を握ったまま立ちすくんでいた。


 ……あたしはそんなこと、言われていない。


 クライはトリガーループという能力を使えるようになったけれど、あたしにはなにもない。それどころか、クライの作り出したループのことも、なにも覚えていないんだ。


 ジンとクライが特別なのか。それともあたしがなのか。あたしはそれを知りたくて、クライをこんなところに呼び出した。


「ねえ、それ以外になにか変わったことはなかった? どんな小さなことでもいいのだけど……、あなたの力に関係するような、なにかが」


 それからしばらく言葉を交わしていたけれど……。新しい情報が出てくることはなかった。


「ごめんな、力になれなくて」

「ううん、ありがとう。あなたのおかげでバケモノを一匹倒すことができたんだから、感謝しているわ」


 それは本心だ。


 だけど結局、あたしの一番知りたいことはわからないままだった。




 胸の中にもやもやを抱えたままクライを見送り、しばらくひとりでボーっとしていた。


 化け物たちの目的はなんなんだろう。あたしはテイラーから手に入れた情報を頭の中で整理する。


 あいつらは人間を芸術の材料に使っている。そしてたびたび人里に降りてきては、人間たちを蹂躙する。それを倒す力を持っているのが恐らくあたしたち主人公メサイア

で、だからあいつらもあたしたちを倒そうと狙っている。


 テトリニの街が滅ぼされて以来、あたしはずっと思っていた。


 それは、この戦いがとてつもないおおごとになるんじゃないか、ということだ。


 街ひとつどころじゃ済まない、国はおろか、世界を巻き込むような、そんな戦いに。


 あたしはメーソンを倒して、お父さまやテトリニの街を救えればそれでよかった。けれどこの旅を続けてゆけば、遥か彼方の屍山血河にたどり着いてしまうのではないだろうか。もう二度と日常には戻れないような、そんな遠い地へ。


 首を振る。


 そんなことはない。あたしは元の生活を取り戻すんだ。


 広場に戻ろうとしていると、今度はバッタリと集団に出くわしてしまった。


 物々しい格好をした彼らは、騎士団だ。先頭には、頭に白いヴェールをかぶった少女と、両腕に包帯を巻いた白髪交じりの男がいる。ティリスとグロリアス。いいのかしらと思うけれど、今回の祭りに参加したくてやってきたようだ。


 あたしはなんとなく目を逸らす。仕方なかったとはいえ、炎をぶち込んで騒ぎを起こしてしまったことに対する後ろめたさがあった。


 寂れた町並みでも眺めながら彼らが通りすぎるのを待っていると、ティリスはあたしの前で立ち止まってヴェールをあげた。えっ。


「リルネさま、先日は誠にありがとうございます。公式に感謝の意を表すことができず、心苦しい限りでございます」

「えっ、いや、そんなの別に」


 あたしはパタパタと手を振る。壁際のあたしを囲んで、グロリアスや騎士たちがぐるりと扇状に広がっている。なにこのシチュエーション。まるで逮捕される寸前みたいなんですけど……。


 スイッチが入っていないときに、こうしてひとりで知らない人に囲まれると嫌な汗が浮かぶ。旅には出たけど、いじめられていた記憶や人見知りが急に治るわけじゃないから。


 そりゃ後ろの騎士さんたちの中にはあたしを憎んでいる人もいるだろうし……。うう、心臓が痛い……。


 せめて隣にジンやスターシアがいたら、まだマシなんだけど……。


 そんな場の息苦しさなんてなんのその、ティリスはあたしの前で邪気なくにこりと笑う。


「リルネさまのお力、お側で拝見することができて、とても光栄です。ジンさまの助力も、重ね重ね感謝しております」

「いや、別にそういうのいいから……」

「え?」


 あたしがぼそりとつぶやいた言葉に、ティリスは瞬きを繰り返す。


 あっ、なんだか誤解されそう。


 学校でもこういうのはよくあった。あたしは言ったつもりでも、相手は受け取っていないから、お互いに齟齬が生まれるのだ。そういうすれ違いは放置するとどんどんと膨らんで、いつかパチンと弾けるのだ。


 ちゃんと言わないと。あたしは考えながら口を開く。


「違うの、そうじゃなくて……、そのティリス、前はもうちょっと砕けた言葉遣いだったじゃない? なんだかすごく他人行儀なお礼っぽいから、それだったら別にあたしに気を遣う必要はないわ、って言いたくて……」


 上目遣いにティリスの様子を窺う。すると彼女はなにやらグロリアスに耳打ちをしていた。まさか陰口!?


 この子ちょっとなに言っているかわからないんですけど、もしかしてコミュ障ですか? とか言っているの!? どうしよう、今すぐ逃げ出したい。


 すると、グロリアスが騎士たちを離れさせてゆく。あんたたちが逃げるの!?


「ふふっ、ごめんね、リルネさんの気持ちも考えないで。そうだよね、びっくりするよね」

「え? あ、いや」


 ティリスは照れ笑いをしながら頬をかく。そっか、人払いをしてくれたのか。


「なんか、逆に気を遣わせちゃって、ごめん」

「ううん、私もこっちのほうが楽だから」


 グロリアスは戻ってきた。彼はあくまでも気配を殺しながらティリスの横に立つ。


「ていうか、改めてごめんね、ティリス」

「え、なにが?」

「いや、あたしさ。けっこうイライラしていたから、あんたにも色々当たっちゃったじゃない。のろけとか、他にも突っかかったりとか……」

「ううん、むしろそれはありがとうだよ。あんなこと言ったのに、リルネさんは私をゾンビから守ってくれたじゃない」

「そ、そりゃそうよ。別にあんたに限ったことじゃないわ。あの魔物に誰かが殺されたら寝覚めが悪いんだから」


 ふふっとティリスがまた笑った。


「優しいね、リルネさん」

「そ、そんなんじゃないってば。あたしはあいつらが憎いだけ。イルバナ領のみんなのために戦っているだけだから」


 腕組みをしてそっぽを向くと、ティリスは落胆したような声で「そっか」とつぶやいた。ちょっとだけ胸が痛くなる。


「それでも、助けてくれてありがとうございます。お飾りの聖女だけど、あなたたちが困ったときにはなんでも手を貸すから。ね、グロリアス」

「それが主命とあらば」


 グロリアスは静かにうなずいた。 


 ティリスが首を傾げながら話を変える。


「でも結局、あの化け物はいったいなんだったのかな」

「……よくわからないわ。それを調べるために、あたしたちはヴァルハランドの塔に向かっているの」

「私のほうでもなにかわかったら、お手紙を出すね」


 聖堂塔には、歴代の聖女が残した蔵書があるらしい。その文献をティリスは調べてくれているんだとか。ちょっとは期待できそうな感じである。


 テスケーラにとっても、国のトップが襲われたことに間違いはないものね。


「それじゃあ私、そろそろ行くね」

「ええ、広場でまた会いましょう」


 騎士たちが集まってくる。ティリスは再びヴェールをかぶると歩き出す。


「あ、そうだ」


 去り際、ティリスは足を止めた。


「あの、そういえばリルネさんのメイドの……」

「スターシアがどうかした?」


 問うと、ティリスは少し考え込むようにして視線を回し、すぐに首を振った。


「ううん、なんでもない。きっと私の勘違いだと思うから。それじゃあまたね!」

「ええ、またね」


 あたしは口角をあげて手を振る。


 彼らが去っていったあとを眺めて、大きくぷはあと息をはいた。


 やっぱり、同世代の女の子と話すのは緊張するわね……! クライとのことでもイジってやればよかったのかしら……、正解がよくわからないわ……。




 ***




 そのあと、キャンプファイヤーを見ながらジンとお酒を飲み交わして。


 あたしたちは第四区の宿を借りて雑魚寝をしていた。


 けれどあたしはあんまり眠れなくて、早くに目が覚めてしまったから窓辺で朝焼けが街を照らすのを眺めていた。


 ジンはたびたびうなされたり、苦しそうな声を漏らしていたから、あたしはそれが心配だった。


 同じ一日を繰り返して、何度も何度も死んで、それでも希望を胸に進んで。


 そうして化け物を倒したジンは、本当にすごい人だ。


 あたしが同じ立場だったら、できなかったかもしれない。


 だから、ジンが選ばれたんだろうか。クライのループの仲間に。


 あたしはショールをはおって、ジンの枕元にひざまずく。


 うなされている彼の頬を撫でた。少しだけ伸びたヒゲが指に引っかかる。だけど、それすらもなんだか愛おしかった。彼が生きている証だ。


 好きだとか、愛しているだとか、そんなことを意識したわけじゃない。今はただ、彼がここでこうして生きていることが、純粋に嬉しかった。


「……ジン」


 普段はボーっとしていて、どこかおっさん臭いところがあって、たまにカッコつけて、それでもやるときはやる男。


 こんなに無防備な顔を見るのは、久しぶりだ。寝顔になにか悪戯をしてやりたい気持ちが浮かび上がる。でも彼も疲れているだろうから、……どうしようかな。


 たぶんそれは気の迷いだったんだと思う。あたしはゆっくりと彼の唇に引き寄せられるようにして、唇を近づけた。


 もしかしたら、彼との絆を改めて確かめたいと思ったのかもしれない。


 ティリスとクライの関係を見て、ああ、いいな、って柄でもないことを思ったのかも。


 ……まあ、好きでもない男に、こんなことしないけどさ。


 一瞬の、唇と唇との接触。その初めての感覚に、なんだか胸の奥のほうが熱くなる。あたしは慌てて頭を離した。誰も見ていないのに、取り繕うようにして髪を整える。


 どうしてこんなことをしちゃったんだろう。わからない。でもそれがあたしの、三十年間生きた中での、初めてのキスだった。


 あたしは口をへの字に結んで、ジンを見下ろす。彼は先ほどよりほんの少し安らいだ顔をしているような気がした。それがなんだか妙に嬉しくて、あたしは頬を緩めた。


 大丈夫、ジンと一緒ならきっとヴァルハランドの塔に辿り着ける。行程はもうあと半分。誰にも邪魔なんてさせやしない。


「よし」


 小さく拳を握る。もう一眠りしよう。きょうからまた、旅が始まるんだ。


 そう思っている顔を上げると、ソファーに眠っていたスターシアが横になったまま口元を押さえてばっちりとこっちを見つめていた。


 息が止まった。


「ちょ、あの、え?」


 スターシアの顔が赤い。


 彼女は無言でこくこくと何度もうなずくと、慌ててこちらに背を向けた。


「――って、違うから! そういうんじゃないから!」


 あたしは悲鳴をあげてスターシアに掴みかかってゆく。


 窓の外ではそんなことはお構いなしに、輝く太陽が明るく世界を照らしていた。あたしの一瞬の気の迷いはこれからもずいぶんと尾を引くことになってしまうのだが……。


 それはまだ先の物語である。











 ***




 第三章 人外転生主人公





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