第2章 ループ主人公

第10話 「聖女の騎士」


 第四区には魔法灯が設置されていないようだ。


 辺りにはランタンの明かりが灯る。


 俺は剣をもったまま、広場全体が見渡せる建物の屋上に立っていた。


 闇から現れるだろう何者かを、じっと見据えるように。


「なあ、あんた」


 気配もなく後ろに立っている男がいた。俺は弾かれたように振り返る。


 暗闇に目を光らせるウォードがいた。ここにリルネはいない。俺とウォードのふたりきりだ。


 見つめられているだけで、じっと汗ばんでしまう。


「な、なんだ? 俺になにか用か?」

「……」


 ウォードはなにも言わず、腰にくくりつけた短剣の柄を指で撫でていた。


 ……なんとなくだが、ウォードは俺を怪しんでいるような気がする。


 あるいは俺がそう思っていることが問題なのかもしれない。


 怪しまれていると思った俺が過剰に警戒し、そのことをいぶかしんだウォードがさらに俺を怪しむ。悪循環だ。


 なるべくなら平然としていたい。けれど、そいつはどう考えても無理ってもんだろう。


 まだこのまぶたの裏には、この男の憎悪に爛々と輝く目の光が焼きついているのだから。


「どこかで会ったことがあるかい?」

「……いや、初対面のはずだ」

「だったらどうしてそんなにビクビクしていやがるってんだ。ねぐらんときでもそうさ」


 ウォードは髪をかき上げた。


「第四区の連中を前にするのは初めてだからって、そういう態度はよくねえぜ。信頼が生まれねえ」

「……そうじゃないんだ」


 なんて言えばいいのか。


 リルネのようにごまかすことも考えてみたが、俺は嘘をつくのがあまり得意じゃないからな……。


「実は、夢を見て、さ」

「夢?」

「ああ、お前とよく似た顔の男に殺されちまう夢だ。寝覚めは悪かったが、それだけだった。けれど、ここに来たときに驚いた。夢の中に現れた男が、俺の目の前にいたんだからな……」

「なんだそりゃ」


 ウォードは眉根を寄せた。


「嘘をつくにしたって、もうちょっとマシななんかがあるだろうよ」

「……本当のことだ」

「はいはい、だったらそういうことにしといてやるよ。ま、オレだってまっとうに生きて暮らしてきたわけじゃねえからな。買った怨みの五つや六つはあるだろうよ」


 ウォードはそう言って回れ右をした。


 俺のことを確認しに来ただけだったのだろう。


「なあウォード」

「あん?」


 呼び止めると、面倒くさそうな顔で振り返ってくる。


「……もし戦いになったら、勝てると思うか?」


 ぽりぽりと鼻の頭をかく青年。


「オレたちゃ針猫団だ。首根っこ掴もうとしてくるやつらには、背中の針を突き立ててやる。今までだってずっとそうしてきた。やることは変わんねえ。あんまりオレたちをナメんなよ、オッサン」


 ウォードはそれだけを言って、再び暗闇に消えていった。


 なんだか、ドッと疲れた気がする。


 俺はその場にしゃがみ込んで、大きなため息をついた。


 信頼、か……。


 重い言葉だ。




 そもそも、まだ相手が騎士団と決まったわけではない。


 騎士団と勘違いされた俺が襲われて殺されたのは間違いない。だが、なにものかが騎士団に偽装して第四区を襲撃した可能性は考えられる。


 むしろ、あの黒衣の男が現れててくれれば、それが一番手っ取り早いのだが……。


 俺は手元の時計に目を落とす。


 どうも異世界にいると、時間の感覚を気にせずに生きてしまう。


 何時に騒動が起きるのか、今回からはちゃんと覚えておこう。


 ……もちろん、このループで終わらせるつもりだけどさ。


 時刻は夜の七時を回った。


 異世界の夜は暗い。魔法灯の明かりのない第四区はなおさらだ。


「ジン」

「ん」


 前からやってきたリルネが俺になにかを放り投げてきた。包み紙を剥くと、中にはパンが入っている。


「今のうちに食べておきなさいな」

「ああ、サンキュ」


 歯を立ててかぶりつくと、パンは固い。パサパサで、風味もほとんどなかった。


「あんまりおいしくないでしょ」

「……いや、別に、そんなことは」

「いいのよ、イルバナパンに比べたら、こんなもんらしいし」


 ぺらぺらと手を振るリルネは、俺のそばで壁に背中を預けた。


「第四区の暮らしを見て回ったんだけど、まあひどいもんね」

「……そうか」

「聖女とやらは、この街の人を救うって言うんだったら、まず最初にここを救ってみなさいってのよ」


 俺はのっそりとパンを咀嚼する。


 途切れがちな会話に、リルネが俺の顔を覗きこんできた。


「緊張している?」

「……まあな」


 死ぬかもしれないんだ。


 そりゃこわいよ。


 リルネを助けたときは無我夢中だったけれど、こんな風に自分が死ぬビジョンを見せられたあとに待機しなきゃいけないのは、正直嫌な気分だ。


「大丈夫よ、あたしがいるでしょ」


 肩をぽんと叩かれた。リルネは快活に笑っている。たぶん、俺を安心させようとしてくれているんだ。


 その心遣いに報いることができない俺は、情けない気分だ。


「早く帰って、スターシアを安心させてあげなくっちゃ」

「……ああ、そうだな」


 その通りだ。


「もっと真面目に剣の修業もしておくんだった」

「人はそんな急には強くなれないでしょ」

「……ま、だったとしても、な」


 そのときだ。


「火事だー!」という叫び声があがった。


 俺とリルネは顔を見合わす。


「始まったか?」

「かもしれないわ」


 俺が異変に気づいたのは、宿の窓から火事が見えたからだ。


 これがその発端である可能性は高い。


 広場から若い男たちが次々と出火場所へと飛び出してゆく。


 俺たちはどうするべきか。


 一緒にいったほうがいいんじゃないか……?


「もう少し様子を見ましょう」


 焦る俺に対し、リルネは冷静に言い放った。


「騎士の仕業だと特定できるまで、ここを動かないほうがいいわ」

「……そうか、そうだな」


 俺は拳を握り締める。


 今は待とう。




 十分後、火の手はさらに勢いを増していた。


 それだけではない。別の場所からも火が立ち上っていたのだ。


 不始末が原因の火とは、もう考えられない。


 これは明らかな放火だ。


 このままでは第四区そのものが火に包まれると判断し、ウォードやレニィたちも火の始末に回ったらしい。


 この広場に待機しているのは、俺やリルネの他には、子どもや年寄りばかりだ。


 敵がなにかを仕掛けてくるのなら、絶好の機会だろう。


 俺は歯を食いしばって耐えていた。


 あの火の下にも、傷ついているものがいる。命が奪われたものたちもいるのだ。そんなのを前に、どうして俺は広場なんかで待っているんだろう。


 リルネはぽつりとつぶやいた。


「……でも、おかしいわね。あの黒衣の化け物の仕業だとしたら、ちょっと回りくどくないかしら」

「……」


 それは俺も思った。


 テトリニの街に現れたメーソンは、目撃者など関係なく、街そのものを破壊し尽くした。住人のすべてを石化させて、その後にリルネを襲いに来たのだ。


 今回の事件はそれに比べると、明らかにスケールが小さい。


 あるいは本当の目的がなにかあって、そこに至るまでの布石なのだろうか。


「人と人との争い……なのかもしれないわね。だとしたら、あたしたちがかかわる意味って」

「……意味は、ある」


 リルネが驚いたように俺を見た。


 俺は苦しい胸の奥から絞り出すようにして、言う。


「死ぬはずだった人が助けられるなら、きっと意味はあるはずだ」


 リルネはため息をついたようだ。


「あんたはそういうやつだってわかっていたけれど、この先、立ち寄るすべての街の面倒を見るつもり?」

「……」

「キリがないわよ。あんたは神様じゃないんだから」


 きっとそうなんだろう。リルネの言うとおりだ。


 だがそれでも俺は、名前を聞いたやつぐらいは救ってやりたいと思う。


「見て、ジン」


 リルネが指差す方向に、おかしな一団がいた。


 広場に侵入してきた彼らは、全身を藍色の外套で覆っている。だが、はっきりと腰には剣を帯びていた。


「あれは、騎士団か!?」

「おそらくね」


 見るものが見ればひと目でわかるような、ずさんな変装だ。


 この襲撃自体が、入念な計画ではなかったのかもしれない。そんなことを考えるている最中だ。


 先頭に立つ男が近くにいた子どもに剣を向ける。


 まさかあいつら、あんな小さな子どもまで――。


 俺は屋上から身を乗り出した。階段を下りている暇はない。


 そんな俺の横を銀色の影が飛び出していった。


砲水砲スプリットウォーター!」


 リルネが空中で放ったのは、巨大な水の塊だった。


 それは凄まじい勢いで今まさに剣を振り下ろそうとしていた騎士にぶち当たり、騎士をまるでゴム鞠のように跳ね飛ばした。


 騎士たちはこちらを見て騒ぎ出す。


 リルネは華麗に地面に着地すると、手のひらを騎士たちに向けながら叫んだ。


「あんたたちが何者か知らないけど、ここはあたしたちの住む場所よ! 土足で踏みにじらないでもらおうかしら!」


 その言葉は、自分たちが第四区の住人であることを意味していた。


 あいつらが先に剣を向けてきたんだ。だったらこれは正当防衛だろう。


 俺もまた、屋上からなんとか広場に飛び降りた。リルネの横に並ぶ。


 騎士団の連中たちは一斉に剣を抜いた。


 どうやら俺たちを排除するべき敵だと認めたようだ。


 なんつったってあいつらは、年端もいかないような子どもを斬り殺そうとしていたやつらだ。話なんて通じないだろう。


 時計を見た。今は七時半ちょうどだ。


 俺はリルネの耳元にささやく。


「リルネ、あいつらが斬りかかってきたら、俺がなんとか相手をする。お前はあいつらを殺さないように無力化してくれ」

「殺さないでどうするのよ」

「わからん。だが、情報が聞き出せるかもしれない」


 それならばひとりだけを生かしておけばいい。


 俺は気づいていたが、しかしリルネもそれを指摘はしてこなかった。


「まあいいわ、ただし――」


 リルネは手のひらをくるりと回して、騎士たちを見据えながら口を開いた。


「あんたの助けはいらないわね」


 次の瞬間だ。リルネは次々と水の塊を射出した。


 リルネの水魔法は第六位。決して得意な属性ではないだろうが、それでも騎士たちを圧倒していた。


 騎士は合計で八人。その誰もが魔法の弾幕を前に、リルネに近づくことすらできない。


 強い。あいつこんなに強かったのか……。


 やがて叩きのめされた騎士たちは、広場に転がった。


「ま、こんなもんね」


 銀髪をなびかせるリルネは、スッキリとした顔だった。


 家に隠れていた第四区の住人たちも、騎士を倒したリルネを見て嬉しそうにしている。一躍ヒーローだな、あいつ。


 魔法使いのお姉ちゃん、魔法使いのお姉ちゃん、とさっき助けた子どもも駆け寄ってきた。リルネは少し照れたような顔をしている。


 住人たちがそれぞれ手に縄や布を持ってやってきた。そうして騎士たちを次々と縛ってゆく。


 さて、俺もジャッジでひとりひとりの名前を確認しておこう。なにかの役に立つかもしれないしな。


 騎士のステータスはあんまり高くない。スキルは皆、剣技第八位だ。第八位になれれば騎士に入隊できるのか。


「じゃあひとりひとり、尋問していく?」

「俺はそういうのあんまり得意じゃないな……」

「あたしだってやったことないわよ。みんなに任せる?」

「それでもいい気がしてきた」


 どっちみち、危機は去ったのだ。


 あとは火事をなんとかすれば、俺たちの仕事は終わりだ。


 リルネの水魔法なら、火勢だってすぐに収まるだろう。


「お前、本当にすごいんだなー……」

「そりゃあ一流の魔法使いだからね。惚れ直した?」


 えっへんとリルネは冗談めいた言葉とともに、胸を張る。いつもは生意気そうなその顔も、きょうはなんだかすごく魅力的だ。


 俺はリルネの下にかしずいた。


「お嬢様には心底感服いたしました。この辻道つじみちじん、一生ついてゆく所存です」

「ちょ、ちょっとやめてよね、そういうの恥ずかしいってば」


 リルネは慌てて手を振った。その赤い顔はとてもかわいらしかった。



 和やかな祝勝ムードに包まれているその最中だった。


 ざっ、ざっ、と土をこそぐような音が広場の入口のほうから聞こえてきた。


 それは少しずつ大きくなってくる。


 目を向けた誰かが叫ぶ。人垣の向こうに、その男が立っていた。


 鋼鉄の鎧に身を包んだ壮年の男性だ。髪を後ろに撫でつけて、そこにはわずかな白髪が混じっている。


 だがなによりも目を引くのは、背負っているその巨大な剣。子どもの身長ほどもありそうだ。彼自身が大柄だからなおさら目立つ。


 なんだか、彼の周囲だけ空気が凍りついているような気がする。


 騎士なのは明らかだろうが、しかし、なんなんだこの威圧感は……。


「聖女の騎士だ」


 誰かがつぶやいた。


 聖女の騎士……?


 あ、こいつ聖女と一緒にパレードをしていたやつか?


「なぜグロリアスがここに……」

「第四区になんの用だ……?」


 グロリアスと呼ばれた男は、まるで石像のような仏頂面で俺たちに声をかけてきた。


「この中に、山猫団団長ウォード、並びに副団長クライは居るか?」


 岩と岩をこすりあわせたような重厚な声だった。


 俺を含め、みんなは首を振った。


 ウォードは火事を鎮めにいって、クライってやつは居場所が知れないようだ。


「左様か」


 そんな戸惑うような反応を前に、グロリアスは剣を抜いた。


 それがあまりにも自然な所作だったため、俺たちは誰も反応ができなかった。


「――成らば、我が宿命を果たそう」


 振り上げた剣をグロリアスは地面に叩きつける。


 次の瞬間、閃光が走った――。




 カッと瞬いた光が収まった時、俺とリルネはありえない光景を目の当たりにした。


 グロリアスの近くに今まで立っていた住人たちが、子どもも含めて、その場に斬り伏せられていたのだ。


 その誰もが死んでいるのだとひと目でわかるような有り様だった。


 これは――。


 同じだ。


 俺が見た広場の光景と。


 血の臭いが充満した、あの地獄のような場所と――。


「皆、爆ぜるがよい」


 グロリアスは俺たちをその光のない蒼い目で見つめながら、そう宣告してきたのであった。

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