第1話 師匠が残した借金のせいで人生詰んだ、はずだった(2)
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「これが貴族の豪邸か……凄いな」
馬車に揺られること十数分あまり。目的地であるユレイナスのお屋敷に到着して、俺はその派手さに言葉を失った。
「貴族の邸宅は見栄を張るために財を尽くして煌びやかな造りにしてあるイメージがあると思いますが、我がユレイナス邸は無駄なものを廃した質実剛健の家構えです」
ティアリスからそんな話を聞きながら応接室に案内される。そこにあった調度品はテーブルから椅子、照明器具に至るまで一つ一つが職人による手作り。派手な物こそないがどれも高級品なのは間違いない。
「ふぅ……やっぱり家が一番落ち着きますね」
椅子に深く腰掛け、腰に挿していた剣を膝の上に置きながら一息つくティアリス。俺は尋常ならざる場違い感に背中がむずがゆい。
「シルエラさん、紅茶を用意してくれますか? ルクス君は同じもので構いませんか?」
俺は無言で頷く。緊張している上に紅茶なんて上品な物を飲んだことはないので正直何を出されても味はわからない。
「かしこまりました。お茶菓子と合わせて準備して参りますので少々お待ちください」
「お願いします。少し込み入った話をすることになるので、ゆっくり時間をかけて準備してきてください」
再度かしこまりましたと答えてから一礼してシルエラさんは応接室を後にした。二人きりなのは緊張するがこれでようやく話が聞ける。
「さて、それではどこから話しましょうか。色々あるから悩みますね……」
「それならまず聞かせてほしい。師匠の借金の件、本当に無かったことにしてくれるのか?」
いくら大貴族のご令嬢とはいえ彼女に5000万ウォルもの大金をなかったことに出来る権限があるのだろうか。
「もちろんです。これは私ではなくユレイナス家現当主、つまり私の父が決めたことなので安心してください」
そう言ってニコッと笑うティアリス。俺はほっと胸を撫でおろして安堵のため息を吐いてから次の疑問へと移る。むしろ借金よりこっちの方が重要だ。
「それじゃ次の質問。あんたと師匠の関係について聞かせてほしい。どうしてアストライア流戦技を使えるんだ?」
「あぁ、その答えなら簡単です。私もヴァンベールさんから魔術と戦技の教えを受けていたからです。まぁ弟子とは認めてくれませんでしたけどね」
ユレイナス家ともあろう大貴族のご令嬢の先生をしていたってことか。あのロクデナシ、一体どんな手段を使ったんだ?
「ですから私はこうしてあなたと会うずっと前からルクス君のことが気になっていたんです、と言ったらどうしますか?」
「んっ!? 俺達は初対面のはずだよな?」
「フフッ。その辺りについては気が向いた時にでも教えてあげます。そんなことより話を次に進めてもいいですか?」
気になって仕方ないがどうせ聞いても教えてくれなそうなので俺は黙ってコクリと頷いた。
「そもそも今回の借金騒動に始まりルクス君と剣を交え、こうして我が邸宅に招いたのは私もヴァンベールさんの行方が知りたかったからです」
「それはつまりティアリスさんも師匠の行方を知らないんだな……?」
「えぇ、残念ながら。魔術と戦技を教えてくれたので恩義があるのは間違いありませんが、それでも5000万ウォルという莫大な借金を無かったことには出来ません。ですが……こんな物を残して姿を消されたらそんなことも言っていられません」
そう言ってティアリスは膝の上に置いていた鞘から剣───先ほどの決闘で彼女が自分の手足のように振るった───を抜いてテーブルの上に置いた。
「やっぱりその剣は師匠の……」
そうじゃないかとは思っていたが、こうして間近で見て確信すると同時に、俺の口から驚愕の声が漏れた。
穢れなき純白の刃に燦々と煌めく一筋の黄金が刻まれた、神が鍛えた一振り。羽のように軽く、それでいて鋼鉄を紙のように容易く斬り裂くことが出来るその剣を俺はよく知っている。
「ルクス君なら知っていますよね? この剣が先生にとってどんなものなのか」
「あぁ……自分の命よりも重い大切な剣で、何があっても手放さないと言っていた物だ。それをあんたが持っているってことは───」
「はい……それだけ大切にしていた剣を残して姿を消してしまったんです。だからあの人の身に何があったのか心配で……」
そう言って唇をギュッと噛み、哀愁を帯びた顔でティアリスは深いため息を吐いた。
「なるほど、事情はわかった。ロクでなしとはいえ師匠が自分の愛剣を残して姿を消したのは確かに気掛かりだな」
「……ルクス君の中でヴァンベールさんがどんな人なのか気になる発言ですね」
俺にとって師匠がどんな人かと聞かれて一言で答えるとすれば〝ロクでなしを絵に描いたような人〝だ。生活能力皆無、金銭管理はずぼら、気が付けば酔っ払っている等々、ダメなところを上げたらキリがない。
ただ戦技と魔術の技量に関してはずば抜けている。指導方法については難ありで、文字通りの意味で何度死を覚悟したか数えきれない。
「まぁ師匠のことはいいとして。俺はこれからどうすればいいんだ……?」
捜し出して一発ぶん殴るのも悪くないが、足跡の一つもないんじゃ見つけ出しようがない。
「そうですね……それなら私と一緒に魔術の学校───ラスベート王立魔術学園に通うというのはどうでしょうか?」
ラスベート王立魔術学園。この名前は師匠から聞いたことがある。確かラスベート王国にいくつかある魔術師養成機関の中で最も古く威厳があり、かつ最高峰の魔術を学べるとかなんとか。
「生まれてこの方友達が一人も出来たことがない可哀想なルクス君をヴァンベールさんはとても心配していました。あと常々あの人は〝もし俺に何かあったらあいつの力になってやってほしい〟とも言っていました」
誰が可哀想だよ。そもそも友達を作れるような環境に住まわせなかったのは他でもない師匠自身だろうが。あと〝何かあったら〟ってこうなることを予期していたのか?
「あとヴァンベールさんは〝同世代の魔術師見習いと触れあいより多くの研鑽を積ませたい。自分とだけ手合わせをしていたら感覚が狂うからな〟とも言っていました。そういうことなら私に紹介してくれれば解決したというのに……」
わずかに唇を尖らせながらティアリスはぼやいた。
手合わせと言えば聞こえはいいが、実際のところ俺と師匠がやっていたのは稽古というより本気の殺し合いに近い。
真剣こそ使わないが、木剣から繰り出される師匠の斬撃は容易く俺の頭を叩き割る威力があったし、放たれる魔術もまともにくらえば一瞬で消し炭になる無慈悲な火力。弟子を労わることを知らないのだ、あの人は。
「ラスベート王立魔術学園とやらに通うのは構わない。ただ無条件で通うことが出来るのか? 普通は試験があってそれに合格しないといけないんじゃ……?」
「本当に察しがいいですね。ルクス君の言う通り、ラスベート王立魔術学園に通うためには入学試験に合格しないといけません。ですがその試験は先日終了し、合否もすでに発表されています」
「それなら俺が学園に通うことは不可能じゃないのか? まさか俺が通う枠を無理やり作るとか言わないよな?」
ユレイナス家の権力をもってすればどうとでもなりそうではあるのが怖い。
「当たらずとも遠からず、と言ったところですね。魔術学園には通常の試験とは別に特待枠試験というものが設けられているんです」
「特待枠試験?」
「突出した魔術の才能を持っているのに様々な事情で試験を受けられない人に対して行われるものです。ただ選考基準がすごくあいまいで、ここ数年は合格者はおろか受験生すら出ていませんが」
「基準があいまいだな。ちなみにそれってどんなものなんだ?」
「学園長のお眼鏡に叶うか否か。この一点のみが特待枠試験の合格基準です」
ティアリスの答えに俺は開いた口が塞がらなくなる。続けて口にした、〝ちなみに試験内容も不明です〟との言葉に頭を抱えたくなる。つまりぶっつけ本番で試験に望めってことか。
「ま、まぁきっと、多分、恐らく、ルクス君なら大丈夫ですよ! 必ずや学園長のお眼鏡にかなうはずです!」
「根拠のないフォローをどうもありがとう。それで、万が一入学できたとしてそこから先のことは考えているのか? 自慢じゃないが学園に通ったとしてやっていける自信は俺にはないぞ?」
なにせ俺が師匠から教えてもらったのは戦技と魔術だけだ。一般常識的なことはホコリの被った師匠の私物である大量の書物を読み漁ったのでそれなりに身に付いてはいる。
だが逆に言えばその程度の知識しか身に付いていないので、これで王国一の魔術学園の授業についていくことが出来るか甚だ疑問だ。そう伝えると、
「ヴァンベールさんの私物の書籍を熟読しているなら何も問題はありませんよ。なにせその本はラスベート王立魔術学園で使われている教科書なんですから」
「師匠はラスベート王立魔術学園の卒業生なのか? だけどそんな話は一度も聞いたことがないぞ?」
「いえ、通っていたわけではありませんよ。ただヴァンベールさんは学園長から直々に魔術や戦技の教えを受けていて、本はその時に渡されたそうです」
「師匠はラスベート王立魔術学園の学園長の弟子だったってことか。なるほど、さっきのフォローもあながち間違いじゃなかったか」
俺の言葉にティアリスはえへんと胸を張る。それにしても師匠がここまで秘密主義だったとは思わなかった。ずっと一緒に暮らしていたのにどうして何も話してくれなかったんだ。
「そういうことです。それに加えてあの人から長年にわたって自慢ばな───ではなく教えを受けてきたルクス君なら学年トップの成績すら狙えると思いますよ」
「それはさすがに言いすぎだと思うけどな……」
嬉しいことがあった時や酒に酔った時、決まって師匠からこの世界の成り立ちと自分の輝かしい経歴の話を聞かされたものだ。子供の頃はワクワクしたのを覚えているが、何度も聞かされるうちに〝作り話じゃないのか?〟と疑念を抱くようになった。
「フフッ。私の言葉が嘘じゃないってことは入学すればすぐにわかりますよ」
足を組み替えながら口元に不敵な笑みを浮かべてティアリスは言った。どうやら本気で師匠の自慢話が役に立つと思っているらしい。まぁその前に学園長のお眼鏡にかなわなければいけないわけだが。
「話は以上です。色んなことがいっぺんに起きたので疲れていますよね? シルエラが用意してくれた紅茶でも飲みながらくつろぎましょう」
ティアリスが言うのとほぼ同時に扉がノックされた。どうぞと彼女が答えるとゆっくりとドアが開き、シルエラさんがティーポットとケーキを載せたワゴンを押して部屋へと入ってきた。
師匠が借金を遺して突然行方をくらませたかと思ったら魔術学園の試験を受けることになるとは。人生何が起きるかわからないな。
そんなことを考えながら口にした苺のケーキは甘みと酸味のバランスが絶妙ですごく美味しかった。
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「ハァ……疲れた……」
わずか半日の間に人生を左右することが立て続けに起きたおかげで、俺は宛がわれた自分の部屋にたどり着くや否やベッドに倒れ込んだ。モフッと柔らかくて心地の好い感触を全身で味わいながら目を閉じる。
油断したらそのまま夢の中へ一直線だが、この後はお風呂に入ることになっているので堪えなければならない。
「師匠……あんたは今どこで何をしているんだよ……」
どうして借金を遺して俺の前からいなくなったのか。どうして俺の知らないところでティアリスに戦技と魔術を教えていたのか。そもそもユレイナス家とはどういう関係なんだ。聞きたいことが山ほどあるから早く帰って来てくれ。
「くそ馬鹿師匠が……」
針に刺されたような鋭い痛みが胸に奔り、ギュッと唇を?みしめる。ロクでもない人だが、それでもあの人は俺にとって唯一の家族。だから───
「ルクス君、入りますよ。お風呂が空いたから呼びに来ました───って、起きているなら返事をしてくださいよ」
「ティアリスか。部屋に入るときはノックをするように教わらなかったのか?」
抗議するように頬を膨らませながら部屋にやって来たティアリスに、俺は目を逸らしながら言った。
風呂上がりだからか肌はわずかに上気し、髪もまだしっとりと濡れている。胸元が見えそうな無防備な部屋着姿は歳不相応な艶があって目のやり場に困る。
「失礼ですね。私はちゃんとノックをしましたよ? でも反応がなかったから寝ちゃったのかなって思って。だから起こしてあげようとしたんですが、ルクス君はそういう風に言うんだぁ。私の善意の気持ちを茶化すんだぁ」
悲しいわ、と泣き真似をするのはいいが歪んでいる口元は隠した方がいいぞ。からかう気満々だってことが丸わかりだからな。
「でも今はからかっている場合じゃないですね。ルクス君、大丈夫ですか?」
「なんだよ、藪から棒に。俺は別に何ともないぞ?」
「それならどうしてあなたは泣いているんですか?」
俺が泣いている? そんなはずはない。怪我をしたわけでもないし、どこか痛いところがあるわけでもない。唯一心当たりがあるとすれば、先ほどまでティアリスとしていた試験勉強があまりにも厳しかったからかな? それでも師匠との地獄のような修行の方が何倍も辛かったが。
だが、どこか悲しげな表情をするティアリスが嘘を言っているとは思えず、頬を触ってみると確かにじんわりと湿っていた。
「自覚がないのは考えものですね。辛い時は辛いって口に出してください。そうじゃないと……心が壊れてしまいますよ」
そう言いながらティアリスは俺との間合いを一歩だけ詰めた。手を伸ばせば包み込めるような距離感。心臓の鼓動が速くなる。
「無理もないです。ヴァンベールさんはルクス君の師匠である前にたった一人の家族。それがある日突然いなくなったら寂しいですよね……」
「お、俺は別に寂しいだなんて思ってな───!」
「強がらないで、ルクス君。大丈夫、私がついていますから」
気が付けば俺は彼女に優しく抱きしめられていた。この温かくて柔らかい、慈愛に溢れる抱擁はどこか懐かしくて心地いい。
「今まで一人でよく頑張りました。でも一人で頑張るのは今日で終わりです。これからは私が一緒ですよ」
あやすように俺の背中を優しく撫でながら言ったティアリスの言葉に、心の奥底で氷漬けにされて眠っていた感情がゆっくりと溶けていくのがわかった。
俺は寂しかったのだ。突然借金を遺して消えた師匠。そこから始まった一週間にも及んだ逃避行は色んな場所に行くことが出来て楽しかったが、幸せそうに笑っている家族を見て言葉にならない虚無感を覚えた。その正体がようやくわかった。
「これからは一人で抱え込まないこと。辛いことがあったらすぐに私に言うこと。わかりましたね?」
「……どうしてキミは俺に優しくしてくれるんだ? 知り合ってまだ半日しか経っていないのに……」
「フフッ。妹弟子が兄弟子の面倒を見るのは当然のことでは? なんていうのは冗談で……その話はまた今度。もう少し絆を深めたら教えてあげます」
勿体ぶるところは師匠の受け売りだろうか。真似しないでさっさと教えてくれ。
「女の子の秘密を暴こうとするんじゃありません。がっつく男はモテませんよ?」
「はいはい、わかりましたよ。そういうことなら今は無理に聞かないさ。でもいつか、ちゃんと教えてくれよ?」
「もちろんです。その時が来たら必ず話すので安心してください。それよりルクス君。少しは落ち着きましたか?」
すっかり涙は止まっていたが、もう少しだけこのままでいたいと思うのはどうしてだろう?
「ルクス君って案外寂しがり屋さんですね。いいですよ、気が済むまでこうしていてあげます。今夜は特別です」
「ありがとう、ティアリス」
どれくらい抱きしめ合っていたかわからないが、この奇妙な抱擁は俺を呼びに行ったきり戻ってこないティアリスを心配したシルエラさんが来るまで続いたのだった。