魍魎探偵今宵も騙らず

 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。

 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。

 

 奇妙な音が、軽快に鳴る。提灯の並ぶ宵闇の中へ、不思議なひびきは明るく広がった。それでいて調子はずれの歌のごとく、その音色は悲しげでもある。

 とんからりんとん、のくりかえし。

 それに惹かれたのか、ひとりの青年が足を止めた。

 彼はくたびれたスーツを着て、山高帽をかぶっている。骨のめだつ手にはキセルが持たれていた。その先からは細く煙が流れている。くいっと、青年は整った顔をかたむけた。


「おや、まあ」


 そう言う視線の先には、不思議な音の出どころがあった。

 見世物小屋の店先に、アサガオ形のトランペットと木製の歯車、車輪がいっしょくたにされた、ヘンテコリンな手回しオルゴールが置かれている。調教された猿の手で回されて、それはずっと同じ調子で歌をつむいだ。

 

 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。

 とんからりんとん、からんからん、ぴしゃん。

 

 音で飾られたうえに、見世物小屋は色とりどりのペンキで塗られている。だが、全体を囲う板はといえばペラペラだ。なんともうら寂しく、うさんくさい風情がある。入り口を塞ぐ分厚い幕の隙間からは、今日の出し物がちらり、ちらりとと覗いていた。ぎらりとした鱗。たらりと垂れた乳房。海藻のようにからまった髪。そして濃くも生臭い魚の香り。


「人魚、か……」


 カチリッ、青年はキセルを噛んだ。

 ひと吸い、ひと吹きして、ひと言。


「今日も、人はかたっているねぇ」


「おい、デクノボー! かわいい俺様が見ていないと、おまえってやつはすぐにこれだよ。そのまま、ぼーっと眺めてたらよぅ!、モンドームヨウで、見物料をとられるんだぜ!」


 少年のような口調で、中性的な声が言った。だが、それを口にしたのは十四歳程度の少女だ。彼女は黄色の布地に、茶のひまわりが描かれた着物姿で、背中には紅い帯をリボン風に大きく結んでいる。長い髪は白。おおきな目は紅。服装は色鮮やかなのに体には色素がない。

 顔立ちはおそろしく美しい。だが、見る者に混乱を招くような立ち姿だった。

 彼女の忠言に、青年はうむとうなずく。


「それは困るねぇ。なにせ、ほら、僕には人の金の持ちあわせはないもんでして」


「ほれ見たことか。ならさ、俺様についてきな! こういうときは逃げるが勝ちよ!」


 パッと、少女は青年の手をかっさらった。獣じみたすばやさで、彼女は勢いよく駆けだす。少女の下駄のカラコロ鳴る音と、男の革靴のカッカッと鳴る音がかさなった。

 二人が離れた直後のことだ。見世物小屋の中からあこぎそうな店主がでてきた。

 間一髪、少女と青年は難を逃れる。太い腕を振り回しながら、店主は大声で叫んだ。


「バッカやろうが! うちの人魚を見たなら金を置いてけ! ただじゃねぇんだぞ!」


「やなこった! そっちこそバカやろうでぃ! 小屋に入ってもいない客からふんだくろうなんざ、でっぷり重たい腹ん中が黒いぜ! それに、その人魚、どーせ偽物だろう!」


「本物の人魚は高級品なだけあって、あそこまで嫌な魚の臭いはしないからねぇ」


 走りながら、青年はのったりのたのた口にした。だが、声の調子に反して、彼は駆けるのが速い。あれよあれよという間に二人は店主を置き去りにした。そうして足を止める。

 屋台街は遥か後方。気づけば、あたりは濃い闇に包まれていた。

 ここらへんは、道も十分に舗装されていない。石ころを蹴っ飛ばして、少女は言った。


「よぅ、皆崎みなさきのトヲルよう!」


「なんだい、ユミさんや」


「今回は、その人魚から手紙がきたんだろう?」


 人魚からの手紙。さも当然のごとく、ユミと呼ばれた少女はそのことを問う。

 皆崎トヲルと呼ばれた青年もまた、あっけらかんと応じた。


「ああ、あなたさんの言うとおり、人魚からの手紙をもらいましたよ」


 手にたずさえたままのキセルを、彼はガチリと咥える。走りながら振っていたというのに火は絶えていなければ、灰もこぼれてはいない。皆崎はひと吸い、ひと吹き、ひと言。

 


「今にも食われそう……とのことでして」


 

 人魚から救いを求める手紙を送られる。

 皆崎トヲルにとってそれはなんら異常事態ではない。それどころか、この世にはもっと摩訶不思議なことがあふれていた。その中のきれっぱしをあつかうのが、皆崎のやくわりだ。

 

 人は、妖怪は彼をこう呼ぶ。

魍魎もうりょう探偵』、皆崎トヲルと。

 

    ***


『魍魎』とは、山や石や水に宿るもののことを指す。だから、正確には『妖怪』探偵が本当だ。けれども、『字面に威力が足りねぇや。もっと複雑怪奇なほうがいいぜ』という、ユミの希望により、皆崎は『魍魎探偵』を名乗ることとなった。

 もちろん、そんな職業が成立する時点で、ちょっとばかし世がおかしいのである。

 人魚――水妖が人間に手紙をだすなど昔は夢幻の御伽噺おとぎばなしのただの伝説。あるいは誰かの妄想だった。つまり、あってはならないことである。だが、常世とこの世が『ひょんなことから』繋がり五年――幽霊も妖怪も幻獣も精霊もあらゆる怪異は人間の隣人と化した。

 日本にだけ起こったこの珍事を前に、時の政府は見事に麻痺。今、この国は終戦直後くらいに逆戻りしたような状態にある。夜市が立てられ、人々が粥をすすり、一部の富豪は憂さ晴らしの道楽に奔る。そしてあちらこちらのチンドン騒ぎには時折、妖怪が巻きこまれた。

 妖怪は時に人を食らう。だが、それ以上に、人間は悪食だった。

 あちこちで妖怪絡みの犯罪は後を絶たず、人はさまざまな嘘を騙った。

 妖怪の売買、捕食、殺害行為――そして妖怪を使った犯罪も様々に起こされた。やれこれは妖怪の仕業だ、あれも妖怪の仕業だと、犯罪者は嘘をく。それらの事件は、たいがい人の手には余る怪異とセットだ。そのため、元々国家権力が崩壊状態にあることからも、警察の力には頼れず、専門の解決家が求められた。


 今回も、また、そうだろう。

 カランカランカランカラン。



「すみませんです。よい晩で。どなたかいらっしゃいませんでしょうか?」


 声をはりあげ、皆崎は鉄門に下げられた鐘を再び鳴らした。カラカラカラン。虚しい音がひびく。遠くに見える屋敷は静かだ。人の応える気配はない。ユミは腕まくりをした。


「ええい、めんどくせぇ! おい、皆崎のトヲルよう! いっそ押し入っちまおうぜ!」


「ユミさん、あなたさんねぇ。ちょっと気が早いですよ。そいつは悪い癖ってもんです。我々みたいなのは招かれて入るのが一番……おっと」


 そこで、ギギッと目の前の門が開いた。

 暗がりから、着物姿の女がひょっこりと姿を見せる。白粉おしろいの塗られた顔は美しい。結いあげられ、象牙の櫛で飾られた黒髪から、毛皮を巻いた肩を通って爪先まで、たんまりと金がかけられていそうな外見だ。見るからに、上流階級に所属する女である。

 皆崎は、山高帽を胸に押し当てた。意外そうなおももちで、彼は口を開く。


「おやおや、これは驚きましたね。メイドさんか、女中さんの出てくるのが、こういった屋敷の定石ってもんだと、僕なんかは思うのですが?」


「使用人は存在がなにかとわずらわしく、全員に暇をだしました……そういうあなたは、誰なのです? 当家になんの御用でしょう? もしや、主人の知り合いで?」


「いやあ、僕はね。ご主人の知りもしないような生き物でして」


「あら、ならば物売り? 歌唄い? 夜語り? お帰りなさいな。当家には必要ありません」


 そう、夫人はシッシッと手を振った。彼女は鉄の門から離れようとする。

 細く、女の自信をたたえたしなやかな背中。それに、皆崎は呼びかけた。


「まあ、お待ちなさいや。僕が頼まれたのはあなたさんじゃない。人魚です。人魚に頼まれごとをしたのです。『今にも食べられそうだ。助けて欲しい』と。水妖の求めるところ、人の手には負えない異常事態が起きているはずだ……ああ、それなのに、それなのに。ここではなにも起きていないと、あなたさんは言い張るおつもりで?」


「ええ……なにも、なにも起きてなどおりませんもの」


 ことり、女は首をかたむける。白く塗られたその顔は、まるで闇に溶けかけた半月だ。

 分厚い唇に、女はふてぶてしい笑みを浮かべる。


「本当に、ほほっ、異常など。ほほっ、なにも」


 ガツンと、皆崎はキセルを噛んだ。

 そうして、ひと吸い、ひと吹き、ひと言。


「騙るねぇ、人間は」


「ええ? あなた、なにをおっしゃって」


「――――『魍魎探偵、通すがよかろう』」


 不意に、皆崎は言い切った。今までのどこか眠たげな口調とはまるで違う。命令するかのごとき物言いで。瞬間、夫人はぐるりと目を回した。ぐる、ぐる、ぐるぅり。あちこちに眼球は向く。そうして混乱する彼女へと、皆崎はふぅっと細く灰色の煙を吹きかけた。


「僕を通すこと。それすなわち、必ずあなたさんのためにもなるんです。行きはよいよい。帰りはあなたさんの知ったことじゃない。さあ、さあ、僕を通すがよかろう」


「あ……い」


 かくりかくりと、うなずき、夫人は門を開いた。どうぞと、彼女はお辞儀までする。

 あーあと、ユミは頭の後ろで手を組んだ。呆れたように、彼女は頬をふくらませる。


「ほぅらけっきょくこうなるんじゃねぇか! だったら勝手に押しいったって似たようなもんだったろ! 皆崎のトヲルがひと吹きすりゃ、揉めようがそれでしまいなんだぜ!」


「ユミさん、乱暴を前提にするのはよくありませんよ。僕はそういうのは好きません」


「ケッ、よく言うぜ、トーヘンボク!」


 バンッとユミは皆崎の背中を叩いた。結果、自分の掌のほうが痛かったらしい。きゃあっと彼女は飛びあがった。やれやれと皆崎は肩をすくめる。そしてカツンと歩きだした。

 邸内へと向かう、くたびれた背中。

 それに夫人の声が追いかけてくる。


「あっ……でもぉ」


「なんでしょうか、ご夫人」


「人魚でしたよね……人魚、人魚、人魚でしたら」


 そして、夫人はツィッと笑った。

 妙な猫撫で声で、彼女は続ける。

 


「一年前に、家族みんなで食べてしまいましたよぉ」


   ***


 銀糸で唐草模様の縫われた壁紙。そのうえに、金の額縁がかかげられている。

 中にはバーンッと墨絵に似たものが飾られていた。人間の上半身に魚の下半身。豪快かつどこかマヌケな、人魚の魚拓である。この家の主人が釣ったあと記念にとったらしい。

 うへぇっと、ユミは舌をだす。


「魚じゃねぇんだぞ」


「まあ、人魚は食べられる水妖ですからね。しかも美味で、副次効果のオマケもつく。マグロなんかよりは、立派な釣果と言えなくもないですよぉ」


「んじゃ、クジラと比べたらどうなんでぃ」


「ユミさん、クジラを人間の手で釣れたらねぇ。あなたさん、そりゃすごいですよ」


 のんきものんきに二人は『人魚の魚拓』を前にあれこれ言葉を交わす。皆崎たちは階段踊り場にいた。そのとき一階から声がかけられた。夫人改め――立蔵美夜子たちくらみやこ夫人である。


「皆崎様、ユミ様。家族がそろいましてございます」


「おー、そうですか。あなたさん、わざわざすいませんです。ご苦労様です」


 皆崎は応える。首を伸ばして、ユミも一階を覗きこんだ。

 緋色の絨毯のうえには、美夜子夫人の他に数名が集まっている。

 口髭の立派な、肥満気味の主人、成人済みの息子、片方は車椅子に乗った双子の姉妹。

 両腕を広げて、美夜子は家族のことを誇らしげに示した。


「こちらに集うはみながみな、人魚の肉を食べたものたちでございます! ですが、言葉だけでは信じがたいことでしょう! 今から、その事実をお見せいたします」


「いやあ、嫌な予感がするので、僕は見たくないなぁ」


「まあ、まあ、まあ、ご遠慮なく!」


 そう言い、美夜子夫人は手を伸ばした。いつの間にかぶらりと垂れていた鎖を、彼女はえいっと引く。みしみしっと嫌な音がした。

 瞬間、どーんっと、一階の天井が落ちた。


「うわー」


「あれま」


 皆崎とユミは、二階に続く階段上から動いていなかった。二人は難を逃れる。だが、一階にぽつり、ぽつりと立っていた面々は、哀れ下敷き。ペッシャンコだ。やがてキリリ、キリリと歯車の回る音が鳴った。自動的に、吊り天井は持ちあがっていく。それは元の位置へともどった。

 みょーんと潰れた肉が伸びる。

 したしたしたと、血が滴った。

 だが、それは動いた。粘菌生物のごとく血と肉はうごめく。やがてそれらはふたたび人の形を構成した。潰れた車椅子はそのままで服もまたくしゃくしゃだが、全員が生きている。

 ユミはほへーっと言った。

 ガツンと、皆崎はキセルを噛んだ。


「ああ、なるほど、わかりやすい。人魚を食べればそのときから副次効果で不老不死になれる。なるほど、なるほど。つまり、あなたさんたちは本当に食らっちまったんだねぇ」


「ホホホッ、そうですわ。一年前に、みなで美味しくいただきましてよ。だから、こんなドロボウだって一網打尽な、便利なカラクリも造りましたの。でも、使用人もぺしゃんこになってしまうものですから、私たちだけで暮らしたほうが不便がないのです、ほほっ」


「ゲゲッ、暇を出したんじゃなくって、殺してんじゃねぇかよぉ」


 イーッと、ユミは嫌そうに口をひん曲げた。

 その頭を、皆崎はぽんぽんと撫でてやる。両手をあげて、ユミはジタジタした。


「あーっ、皆崎のトヲルの野郎め! 俺様を子供あつかいしやがってるな! てやんでぇ、ちくしょうめぇ、いいぞ、いいぞ、もっと撫でろぃ! ナデナデしまくれぃ!」


「うーん、あいかわず、ユミさんは撫でられるのが好きなのか嫌いなのかわからないもんですねぇ。で、さてはて皆、死なないと見せられた以上、人魚を食った証明は終わった」


 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。

 皆崎トヲルは、細く吐きだす。



「なら、誰が人魚を騙ったっていうんだろうねぇ」


   ***


「どーすんだよ、皆崎のトヲルよぉ」


「なにがですか、ユミさんや」


「人魚に助けを求められたってのに、ソイツは一年も前に食われちまってるんだぜ?」


 美夜子夫人に案内された客間にて。腰に手をあて、ユミは言った。それから、俺様にはもうお手上げだぜーっ! と立派なベッドに飛びこむ。もふもふの羽根布団を、彼女はぞんぶんに両手でモミモミした。それから大の字になって、皆崎にたずねる。


「まさか、手紙の住所をまちがえてましたなーんて、オチはねぇよなぁ?」


「ユミさんねぇ。あなたさんは僕をどんなまぬけだと思っているんだい?」


「かわいい俺様がいないとまるでダメな、トーヘンボクの皆崎のトヲル野郎」


「ふむ……まあ、確かに、僕にはユミさんがいないとダメなところはありますね」


 揺り椅子に腰かけつつ、皆崎はうなずく。おおっと、ユミは顔を跳ねあげた。

 見えない尻尾をブンブンと振りつつ、彼女は言う。


「なんでぇ、今日はやけにすなおじゃねぇか! おっちつかねぇなぁ! もっと褒めていいぜ! ほらほらぁ、かわいい俺様が、こんなに喜んでやるからよぉ!」


「ユミさん、褒められるとすぐにぐにゃんぐにゃんの骨抜きになっちまうのは、あなたさんのよくない癖ですよ。まあ、僕はそんなところを嫌いじゃないですが」


 くすりと、皆崎は口の端をあげる。ガチンと、彼は続けてキセルを食んだ。

 フゥッと、皆崎は煙を宙に吐きだす。揺り椅子を意味なく前後に漕いで、彼は語った。


「住所はまちがいござんせん。僕の貞操にかけて誓いましょうか」


「ソイツは固ぇな」


「固いよ。それに人魚の希少性を考えれば、二匹も三匹も、いろんなところで釣れるのは話がおかしい。なら、助けを求めてきたのは、『この家の人魚』に他ならんでしょうね」


「ケッ、なら、胃袋の中から手紙を書いたってか?」


「そう、今だとそういう話になっちまうんですよね。『声』とは違って、『手紙』は生きているもんがだすものですから……だからね、さてと、ユミさん」


 ぐっと、皆崎は後ろに体重をかける。ぎりぎりまで彼は揺り椅子を倒した。それから、ぐらりんと戻す。勢いをつけて、皆崎は立ちあがった。そうして山高帽をかぶりなおす。



「ちょっと、ひと調査、行こうじゃありませんか?」


   ***


「真実の愛、というものをごぞんじでしょうか?」



 応接間に、これ以上なく真剣な口調がひびいた。真面目で、真剣な、重い問いかけだ。

 こっそり、皆崎とユミは視線をあわせる。そしてどちらからともなく前を向き、ふるふると首を横に振った。二人は真実の愛も恋も贋作の愛も恋もまるで知ったことではない。


「ダメですね、あなたたちは」


 皆崎たちの前に座った男性は、深々とため息をいた。濃いくまと痩せすぎの体が特徴的な、美夜子夫人の長男だ。名を一輝かずきという。ふたたび、彼はハァッと当てつけじみたため息を重ねた。


「まるで生きている価値のない愚物。血と糞が詰まっているだけのぐずぐずした肉袋だ」


「おいおい、一輝の兄さんよ。そいつは言いすぎってもんじゃねぇのかい? 本来は温厚な、かわいい俺様が万が一にでもブチキレちまう前に、謝ったほうがいいってやつだぜ」


「ユミさん、あなたさんね。腕まくりをしながら言う時点でもうキれてやがりますって」


「……ああ、確かに。私が悪いな。くっそ、ダメだ! もうしわけない!」


「おや、あなたさんもかなりすなおに謝りますねぇ」


 感心と呆れが半々の声を、皆崎はあげた。そのまえで一輝は自身の肩を強く掻き抱く。

 ふむと皆崎は眉根を寄せた。その理由は一輝の顔があまりにも恍惚としていたからだ。

 声をはりあげ、一輝は語る。


「愛しい人と永遠にひとつになれた! しかも、彼女の血肉は私を老いさせず、殺さず、強く生かし続けている! この歓喜が、この恍惚が、この真の愛が、食わないものにわかるわけがありませんでしたね! 恵まれたものとして、私は神のごとく寛大であるべきでした! いやはや愚物を愚物とバカにして本当にもうしわけない! 謝罪しましょう!」


「……おい、皆崎のトヲルよぉ。コイツはマズイ域にいってるやつだぜぇ」


「うん、僕もそう思うとも。人魚に恋する人間は別に珍しくはないがコイツはちょっとうっとうしいや。それに語りはするが『騙り』ではない。おいとまするとしやしょうか?」


「そいつがいいや」


 皆崎とユミは、そっと椅子を立った。同時に、一輝も流れるように腰をあげる。だが、彼は皆崎たちの様子を見てはいなかった。宣誓するように片手をあげ、彼は語り続ける。


「私という人間ハァッ! まず水槽に入っている彼女を見たときに、運命の恋にちたのであります! ならば、人魚たる彼女のさばかれる運命を悲しむべき? いいえ、それは凡人の発想であります! 食とは愛しき人といっしょになること! つまり、究極の求愛行動! その証拠に、彼女のうす桃色の肉はプルプルと震え、私に食われることを切望しておりました! そう、刺身のあの醤油の弾きこそ、彼女の私に対する愛の証なのであります! この崇高かつ汚し難き、純粋な愛の形を私は論文にまとめしかるべき学会へ……」


 一輝の声は遠ざかる。ばたり。ユミが扉を蹴り閉めても、気づきもしない。

 あきれたように、ユミは大きく肩をすくめた。


「学会ってさ。どこの学会にそんな酔狂なモンを投げるつもりなんだ?」


「うーん、妖怪食の学会はありますから。内容次第じゃぁ、歓迎される可能性も……」


「あんのかよ。ぶっそうだな、おい!」


「さて、ユミさん。我々は次へ行くよ」


 クイッと、皆崎はキセルの先を揺らす。

 はいよっと、ユミは投げやりに応えた。


   ***


「う……っ……あっ……あぐっ……ああっ……アアア……」



 男のうめき声が聞こえる。

 だが、それだけならば、べつにどうということはない。

 皆崎もユミも、人間の悲鳴のたぐいなんぞ、聞きなれている。今の問題は『だからこそわかる』のだが、その声が苦痛というよりも、快楽と恍惚をうったえていることだった。

 館の奥にもうけられた扉を前に、ユミは眉根をよせる。


「なぁんか、嫌ぁな予感がするぜぇ。皆崎のトヲルよぉ」


「ハハッ、きもちはぞんぶんにわかりますけどねぇ、ユミさんや。あなたさん、虎穴に入らずんば、虎児を得ずって言葉は知っているでしょう?」


「虎の子なんてかわいいもんが、いるとは思えねぇんだよなぁ」


「まあ、まあ、そう言わず……では、失礼をして」


 ガチャリと、皆崎は扉を開いた。

 美夜子夫人が振り向く。はてさて、先ほど聞こえた声は男のものだったが……。そう首をかしげたあとに、皆崎とユミはある異常に気がついた。


「えーっと、美夜子夫人。その姿は、僕の知るものとは違うようですが?」


「こちらは、舞台衣装のようなものですわ」


「舞台衣装」


「あるいは真の姿とも言えます」


「真の姿」


 美夜子夫人の服装は、しとやかな着物から革製の衣装に変わっていた。しかも、面積が少なく、局部しか隠れていない。そして部屋の奥、濃い暗がりのなかにもなにかがいた。

 それを見て、ユミはゲーッと蛙が潰れたような声をあげた。

 控えめに表現するのならば、そこにいたのは『百舌鳥もず早贄はやにえ』であった。杭で貫かれた裸の人が、蠢いている。ガツンと、皆崎はキセルを食んだ。ふうっと、彼は煙を吹きだす。


「ふーむ、『後ろ』のは、ご主人さんですねぇ。まさかのまさか。串刺しとは。そのような目にあわせるとは、憎しみでもおありで?」


「まさか! なにをおっしゃいますの! 夫はいつでもかわいい、大切な私のベイビーちゃんですわ。それよりも! いかにお客様といえども、夫婦の営みにいきなり土足で踏みこむのは、私、いかがなものかと思いますわね!」


 ツンッと、美夜子夫人は鼻を高くあげた。キーキーバタバタ。賛同するように、串刺し中の旦那氏も両腕を振り回して暴れる。ケッと、ユミは口を挟んだ。


「もてなしもなんもないまんま、客を放って、勝手におっぱじめといてなにを言ってやがるんでぇ! それよりも、こんな物騒なことが夫婦の営みたぁどういうことなんだぁ?」


「サディズムとマゾヒズムですか?」


 ぼそっと、皆崎はたずねる。

 ぱああっと、美夜子夫人は顔をかがやかせた。堂々とうなずき、彼女は誇り高く語る。


「そのとおりですわ。ご理解いただけて助かります」


「えーっと、こういうことをやるようになられましたんは、人魚の肉を食べて以来で?」


「ええ。普通の肉体のときは鞭打ちていどで満足をしていたのです。しかし、今や死なない体を得たのですもの。私たちは、究極に挑戦しているのですわ」


「究極に挑戦」


「今日は肛門から口までを貫いて意識を保てるかどうかを試す約束でして。朝からワクワクしておりましたのよ。お客様のために予定は変えられなかったのです。ね、あなた?」


 後ろの裸身がジタジタと動いた。どうやら、同意らしい。美夜子夫人の言うとおりだ。

 シミのない頬についた血も鮮やかに、美夜子夫人は恍惚と語った。


「アア、人魚の肉は、心からすばらしいわ!」


「なるほど、なるほど。合意ならばケッコウ、ケッコウ、まことにケッコウ。ここには『騙り』もない。次に行きましょうか、ユミさんや」


「……おーっ……まったく、かわいい俺様は疲れちまったぜ」


「それでは、おじゃましましたね。ごゆっくり、お楽しみを」


 ひらひらと、皆崎は手を振った。美夜子夫人はうなずく。するりと、ユミは外に出た。皆崎も後を追う。しばらくして、快感ここに極まれりといった叫びと共に、頭か内臓だかが床に落ちる濡れた音がひびいた。全身をぶるりと震わせて、ユミは言う。


「痛そうじゃねぇかぁ! ひんひん、わかんねぇ趣味だぜ」


「まあ、ユミさんはそうでしょうねぇ。あなたさんは、それでいいんですよ」


「おっ、おっ、褒めてんのか? もっと褒めるか、皆崎のトヲルの野郎よぉ」


「その前に、次の部屋に行くとしませんかね?」


 ガチリ、キセルを食んで、皆崎は提案する。

 このトーヘンボクとユミはその足を蹴った。


   ***


 続けて、皆崎たちは二階へ向かった。館の持ち主である夫妻は『お楽しみ』のまっさいちゅう。ならば、ためらいなどは必要ない。バンバンと、皆崎は扉を次々に開けていく。

 やがて、彼は『当たり』を見つけた。


「まあ、無作法ね!」


 ガチャリッと、その一室を大きく開いた瞬間だった。

 鈴を鳴らすような声が、コロコロと転がったのだ。


「あいさつをして、それから開いてくださるものよ。無理に押し入るなんて、初夜のベッドでの振る舞いも知れるというものですわ」


「これは失敬しました。でも、僕の貞操はそんじょそこらの女子よりも確かなもんでして。つまりは、いらぬ心配はご無用というやつです」


 皆崎は山高帽を持ちあげた。

 それを見て双子の少女の片方――姉のみどりはくすくすと笑った。ごてごてしく、砂糖菓子のように飾りつけられた子供部屋の中心。そこに座す車椅子へと彼女は身を寄せる。


「あら、私の思ったよりも、おかしな殿方なのね! 身持ちの固い男なんて、つまらないにもほどがあるじゃないの!」


「それはよぉ、おもしろいのか、つまんねぇのか、いったいどっちなんだい……ッタク、この屋敷の連中は。全員わけがわからねぇぜ」


「ねぇ、みどりもそう思うわよね?」


「……うん」


 車椅子のうえの妹――碧はちいさくうなずいた。ぺったりとみどりは張りつくように彼女へ腕を回す。白くまろやかな頬に頬をつけ、産毛を触れさせて、みどりはささやいた。


「見てわかるとおりに、私たちはとっても仲良しさんですのよ。そうでしょ、碧?」


「ええ……姉さんは、飛び降りて、半月前に足を切断した私を支えてくれているのです」


「飛び降りたんですかい? 半月前に? それで、足はダメに?」


 くるり、皆崎はキセルを回した。

 こくり、碧はうなずく。じっと、彼を見つめながら、彼女は語った。


「ええ、高いところからまっすぐに落ちて、足で着地しましたの。いつもなら、体はすぐに治るのに、足だけは回復が起こらなくて……二本ともずたずたになって、ちょっきん、切るしかなくなったのです」


「あら、なんでまたそんな」


「碧をいじめないであげて! そんなこといちいち聞くものじゃなくってよ! お兄さんは、こなれた女に対して、なぜ処女じゃないのかを、いちいち問いつめるタイプかしら」


「あなたさんねぇ。それは男性にとっても、女性にとっても、よくない発言ですよ」


 眉根を寄せ、皆崎は苦情をていした。対して、みどりはコロコロと笑う。

 不意に、碧が口を開いた。意を決したかのように、彼女は声を押しだす。


「……あのう」


「さっ、さっ、もう行っておしまいなさいな。人魚を探しにきたというけれども、おあいにくさま。あの肉は、二度と食べれはしないのよ。帰ってちょうだい」


 ガチリと、皆崎はキセルを食んだ。

 ひと吸いひと吹き、そしてひと言。


「見つけた。『騙り』だ」


「『騙り』?」


 なんのことかと、碧は目を細める。その前で、ユミはぴょんっと跳びあがった。

 見えない尻尾をブンッと振って、彼女は声を弾ませる。


「なら……やるってのかい? 皆崎のトヲルよぅ!」


「ああ、そうですともさ」


 皆崎は、山高帽をかたむけた。双子の姉妹はきょとんとしている。

 パンッと、ユミは手を叩いた。

 パンッ、パンッ、パパパパパパパパパパパッ、パンッ!

 柏手のごとく、音のひびく中、『魍魎探偵』は宣言する。



「これより、『謎解き編』に入る」



 一年前に、美味しく食われた人魚から。

 なぜ、助けを求むる手紙が届いたのか。


 パンッと、ユミは音を鳴らした。



「乞う、ご期待!」


   ***


「あれ?」


「あら?」


「うぐ?」


「あら?」


「あら?」



 五つの声が集まった。

 未だ、片手をあげて直立している一輝、革で局部を隠しただけの美夜子夫人。今は両手足を落とされている旦那氏。そして、双子の姉妹のみどりと碧。

 人魚を食べた家族のみんなが、玄関ホールへとそろえられる。

 だが、彼らは自力で移動したわけではない。摩訶不思議な力で飛ばされてきたのだ。そして奇怪な行為をなしたものはガツンとキセルを食んだ。ひと吸い、ひと吹き、口を開く。


『魍魎探偵』は騙らぬ。

 ただ、語るばかりだ。


「そもそも、『人魚とはなにか』?」


「べべんべん」


「『人魚を食うと不老不死になる』。まず、ここからしておかしいんですよ。妖怪とはいえ、人魚も生き物。生物はおしなべて、自らに有利となる方向へと進化する。しかし、『人魚自体は不死ではない』。のに、自身の肉を食べた相手に対しては、『不老不死という副次効果』を授ける――――これはなぜか。種族にとって、その事実がなんらかの利益をもたらすのでなければ話にならない」


「べべんべんべんべん」


 皆崎は語る。その前で、ユミは三味線を弾くまねをした。さらに、口で音を添える。

 人魚を食べた家族は、まず理解する。どうやら、ユミのたてる音に特に意味はない。

 問題は『魍魎探偵』がなにを語っているのかだ。


「また、『不老不死になった人間が、最後にはどうなるのか』を見届けたものは誰もいない。洞窟に入った尼さんはいましたがね。アレも、最後の姿は誰も知らない」


「べんべべん」


「つまり、ですよ。ここからは、あるひとつの結論が導かれる。『人魚とは食べられるため、進化を遂げた生き物である』。そして、生物のもっともたる目的は増殖です。果実が美味しくなったのはなぜか。花が蜜をたくわえるのはなぜか。人魚も同じだ。『食われることによって、人魚は増える』んですよ」


「べんっ!」


 いっそう強く、ユミは空の三味線を鳴らした。

 ふぅっと皆崎は細く煙を吐く。そしてひと言。



「『不老不死に変わった人間は、最終的に人魚になる』。それが答えでございます」



 食ったものは、やがて己も食われるものとなるのだ。

 そう、皆崎は人魚という美味な肉の真実をつむいだ。

 

   ***


 賞賛は、ない。

 歓声も、ない。

 だが、悲鳴もなかった。

 動揺のうめきもあがりはしない。

 家族の反応を言葉にするのならば、『あっ、そう』といったところだった。

 どうやら実感がともなっていないらしい。だが、二人だけは様子が違った。姉のみどりと妹の碧。みどりは皆崎をにらみつけている。碧は瞳に涙を浮かべていた。彼女は言う。


「わかってくださるのですか?」


「碧、あなた……!」


「わかってくださっているのでしょう?」


 みどりの制止を聞くことなく、碧は言う。問いかけに皆崎は笑ってみせた。くいっと唇の端をひきあげるやりかたは、ずいぶんと色男めいている。ぽっと碧は頬を紅く染めた。

 一方で、ユミは不機嫌に空三味線を弾く。


「べべんっ」


「続きを語るとしましょうや。人魚を食った人間は、不老不死を経て、人魚に変わる。ならば、僕に此度こたび『食われそうだ』と手紙をだした人魚とは、『人魚を食った、家族の誰か』ということになりましょう。しかも、その人には『人魚に変わりつつある自覚があった』……適応が、異様に早かったんでしょうなぁ」


「でも、どんな変化が家族にあったと言うんですの? 見てわかるとおりですわ。私たちに異常はございませんことよ」


「飛び降りて、足を潰した人間がいらっしゃいまさあ。そこは、あきらかにおかしいでしょう。だって、あなたさんたちは不老不死。本来ならば、足は復活するはずなのですよ」


 美夜子夫人の問いに、皆崎は応える。バッと家族の視線は碧に集まった。

 車椅子の肘置きを、彼女は強く握っている。それこそ、骨が浮かぶほど。


「人魚自体は不死性をもたないせいですな。不老不死の恩恵に与れるのは、増える途中の個体だけ。もう変化が終わりかけていたせいで、あなたさんの足は潰れても元にはもどらなかった。足が復活しないことに賭けて、あるいは変化前の足が生えてこないかと狙って、あなたさんは飛び降りた。その動機は……家族が人魚に憑かれているせいだ。バレたら食われると危機感を覚えて、あなたさんは尾になりかけの足を潰した。だが……実はもうある人に『早急に人魚に変わりつつある』という事実はバレていた。そうでしょう?」


「……はい」


「このままではどのみち遠からず食われてしまう。あなたさんはそう危惧して、僕に手紙をだしたんだ。これ以上、多くの家族にバレないよう、名前を伏せて、『人魚』を騙って。そうして、僕が到着したらすべてを話し、助けを乞う予定だった……だが、できなかった」


「……はい」


 キラキラと碧の目から涙がこぼれた。ポロポロと、彼女は泣きだす。

 ついっと、皆崎はキセルを動かした。そうして、姉のみどりを示す。


「お姉さんが……『あなたが人魚に変わりつつある』と知ってる人ですね。彼女がどこにいても、べったりと張りついてきたもんだから……ですね」


「べべんっ!」


 口で、ユミは音をたてる。三味線を胸前にかかげるかのように彼女はポーズを決めた。

 そのまま拍手を待つかのごとく、ユミは動きを止める。だがうん? と首をかしげた。


「なあなあ、皆崎のトヲルよう」


「なんだい、ユミさんや」


「それなら、姉のみどりは、『もっともっと人魚への変化が進んだら、妹の碧を食おうとしてた』ってぇことなのかい?」


「そういうことになりますねぇ」


「妹を食うなんざ、鬼畜の所業じゃねぇか! いったいぜんたいどういうことだよ!」


 見えない尾を立てて、ユミは跳びあがった。

 彼女の視線の先で、みどりは恥じらう様子もなくわらった。にぃっと彼女は唇を歪める。その全身からは処女特有の残酷さと美しさが放たれていた。可憐に、みどりはささやく。


「だって、人魚のお肉は本当に美味しかったのですもの」


 軽やかに、みどりは歩きだした。そっと、彼女は碧の肩に手を置く。びくっと碧は震えた。その柔らかな頬を、みどりは舐める。べったりとヨダレ跡をつけて、彼女は語った。



「アレがもう一度味わえるっていうなら、妹だろうと食べちゃいますね」


   ***


「えっ、碧が人魚になりかけている、と?」


 口を開いたのは姉妹以外の誰であったか。


 そこに哀れみのひびきはなかった。進行度が異なるだけで自分たちもやがては同じになる。だというのに同情もふくまれてはいない。それどころか、家族は目をギラつかせた。


「つまり」


「つまり」


「つまり」


 あの肉が、もう一度食える?


 食欲に、どろりと溶けた声は、誰のものか。もはや、判断する意味はない。

 どろどろどろり。煮つめられた飴に似た熱と粘着性をもって声はひびいた。


「この舌で、私の恋をふたたび味わえるとは」


「不死性がさらに高まったりはしないかしら」


「アア、限界の限界の限界を超えた快楽を!」


「あなたの味方は家族にはいないのよ、碧。だから、私たちの糧におなりなさいな」


 皆崎の長話の間に旦那氏の手足は生えてきていた。四組の腕が碧に迫る。ガッシャンと音をたてて、彼女は車椅子から落ちた。必死に這い進みながら、碧は皆崎にうったえる。


「助けてくださいまし、『魍魎探偵』様。風の噂であなたのことを聞きましたの。妖怪と人の間の揉めごとを解決してくださる御方だと。だから、あなたに手紙をだしたのです」


「そうですな、ただ、ひとつ、あなたさんに言うべきことがありまして」


「なんでしょう?」


「あなたさんは『食われそう』ですが、まだ『人魚』ではない」


「ええっ? もしや、だからお助けいただけないとでも?」


「まさか。ただ、此度の『騙り』を並べているだけでして」


 ガチリ、皆崎はキセルを食む。

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。


「邸内での、今宵の『騙り』はふたつ」


「べべんべん」


「『食らわれるもの』のついた嘘と、『食らいたいもの』のついた嘘」


「べべんべんべん」


 すっと皆崎は手をだした。くるりと彼はキセルを回す。それはすうっとなめらかに、あるべきカタチに戻るように溶けた。歪み、曲がり、キセルは奇妙な銀色の天秤へ変わる。

 低い声で、皆崎は語った。


「人と妖怪の揉めるとき必ず『騙り』がある。さて此度の『騙り』はいかほどの重さか」


 歌うような声に合わせ、ふわりとした黒いものが現れた。それは片方の皿のうえに載る。カクン、カクンッと二回、天秤の腕は下がった。

 くいっと、皆崎は口の端をあげる。


「二分。なれば」


「おうともさ!」


 皆崎の求めに、ユミは応じた。彼女は胸を張る。ご覧あれ、とユミは床を蹴った。

 ひとつ回ると、狐耳が生える。ふたつ回ると、ふさふさの尻尾が生える。彼女は人間ではない。化け狐だったのだ。みっつ回ればその姿は細い刀に変わった。

 それは、皆崎の手に落ちる。銀のやいばをかまえ『魍魎探偵』は宣言した。



「これより、今宵は『語り』の時間で」


   ***


「語ってひとつ。むやみに妖怪を食ってはならぬ」


 ふわりとひと薙ぎ。彼は一輝を切る。血は出なかった。

 だが、きぃっと白目を剥いて、彼は倒れる。踊るように、皆崎は動く。


「語ってふたつ。むやみに人を殺してはならぬ」


 さくりとひと切り。彼は美夜子夫人を薙ぐ。やはり、肌には傷もつかない。

 それでもばったり、彼女は倒れた。舞うように、皆崎は動く。


「語ってみっつ。むやみに悦楽にきょうじてはならぬ」


 かきんとひと太刀。彼は旦那氏を断つ。怪我などない。

 しかし、きりきりと独楽こまのごとく回って彼は倒れた。拍子を踏むように、皆崎は動く。


「語って最後」


 その視線の先にはみどりがいる。一連の狂騒を前にしても、彼女は未だに笑っている。

 おだやかとすらいえるほほ笑みは、草原に立つ乙女のごとく。のんびりと彼女は言う。


「ああ、残念」


「妹を、姉は食ってはならぬ」


「本当に、食べたかったのに」


 皆崎が迫る。みどりは逃げない。ただただ、可憐に立ち続ける。

 あるいはそれが、妹すら食らうと決めたものの矜持だったのか。


 その首を、皆崎は裂いた。糸が切れたかのようにみどりは倒れ伏す。

 皆崎は本来『皆裂き』と書く。それはユミだけが知っている事実だ。



「これにて、今宵の語りは仕舞」



 スッと、彼は刀を下ろす。カチッと、壁際の柱時計が動く。

 ちょうど、二分が経過した。どろんっと、ユミは元に戻る。

 

 彼女は歌う。



「べべん、べんべんべん」



 お後がよろしいようで。


   ***


 此度の『騙り』は人魚にまつわるもの。


 皆崎が切ったのはそれへの執着だった。これで、碧がすぐに食われるということはなくなったといえる。だが、人の妖怪への欲望は、またいつ新しく火がつくか知れなかった。


 そのため、彼の勧めに従って、碧は家をでた。


『魍魎探偵』の力をもってしても人魚の侵食はおさえられない。食った事実は消せないのだ。だから彼はある妖怪専門の医者を碧に紹介した。その施術を受け、彼女は海にいる。


「なにからなにまで、お世話になりました」


 新しくつけた魚の尾で、碧は波を叩いた。銀の鱗は美しい。じっと、彼女は皆崎を見つめる。山高帽を、彼は少し持ちあげた。心底残念そうに、皆崎は謝る。


「あなたさんを人に戻せなくて、もうしわけないのです」


「いいのです。私も人魚を食いましたもの。それならばこれが当然の罰なのです。いつか漁師に釣られたとしても……ええ、運命だと思うばかりで、けっしてうらみはしませんわ」


 パシャン、パシャンと、彼女は音をたてる。だが、そこで碧は顔を陰らせた。

 パシャンと物憂げに波を弾いて、彼女はささやく。


「私の家族も……いつかは人魚になるのでしょうか?」


「ええ。そうです。しかし、それはもっとずぅっと、ずぅっと先の話でしょう。不老不死にも飽いたころです。あなたさんが心配する必要はなにもありませんで」


「……そうですね。ねぇ、『魍魎探偵』様」


「なんでしょう?」


「あなたは化け狐……妖怪をおそばに連れていらっしゃる。よろしければ、私のことも」


 艶をこめた目で、碧はささやく。

 その唇を、皆崎は指で塞いだ。必死で、確かな熱のこもった告白に、彼は言う。



「さようなら、『あなたさん』」



 そこで碧はハッと息を呑んだ。今まで、誰一人として、彼は人魚を食った家族の名を呼んではいない。ユミというひびきだけを、彼は親しげに口へと乗せていた。その事実に気がつき、碧はひどく傷ついた顔をした。そしてバシャンと皆崎に水をかけ、海へ潜った。


 あたりには、波ばかりが残る。

 海にいるのは、あれは人魚ではないのですと、言うように。


   ***


「あーあ、いいのかよぉ、皆崎のトヲルよぉ。ありゃ、なかなかの美人だったじゃねぇか。あっさり袖にしちまいやがって。コンチクショウ、もったいねぇなぁ」


「いいんですよ。僕はユミさんで手いっぱいなんだから」


「ん、ん? どういう意味だ? 喧嘩売ってんのか? それとも褒めてんのか?」


「どっちでもありゃあしませんよ。ただ、事実を言ってるだけです……僕は人としての心はがっつり欠けてんで。誰かを大切にするのなんざ、ユミさんだけでいっぱいいっぱい」


 応えながら、皆崎は山高帽をかたむけた。端に溜まっていた海水が、たーっと落ちる。

 首を横に振って、彼はユミにたずねた。


「それより、ユミさんはいいんですか? 昔は九本あった尾を、悪さがすぎて、常世の裁定者たる僕に切られたってのに。怨みはないんです?」


 そう、皆崎はこの世にあふれでた妖怪の訴えで、常世から遣わされたもの。世にもまれなる裁定者だ。彼は人の『騙り』を測り、その罪の重さのぶんだけ力を振るう。遠い昔、尾を切られて以降、ユミはその手伝いをしていた。ケッと言って、彼女は鼻の下を擦る。


「だってよぉ、かわいい俺様がいねぇと、皆崎のトヲルはまるでダメなトーヘンボクじゃねぇか。おまえがあんまりダメだからよぉ。俺様ってば、情が湧いちまったのさ!」


「まあ、ユミさんがにぎやかしてくれないとこんな旅、やってられないですけどね」


 くすりと皆崎は笑う。それは本心だ。ユミが手を叩き、空三味線を弾き、刀に変わる。そうして、はじめて皆崎の旅は成立していた。そうでなければ無味乾燥でしかたがない。

 褒められたと、ユミは見えない尾を振った。嬉しそうに、彼女は胸を張る。


「だろぉ。おまえは俺様がいなきゃダメダメだもんな! 自覚があるのはけっこうなこってぃ! これからも、優しい俺様はおまえのことを手伝ってやるぜぇ! 感謝しろい!」


「はいはい、わかりましたよ。感謝しましょうともさ。でも、僕がこうして働いているのも、ある意味ユミさんのせいというか……なんというか……」


「ああん、俺様のせいにすんのかよ! ケッケッ、確かに、俺様の血を浴びたせいで、おまえは完全に人間じゃなくなっちまったさ! だからって、そんなこと知るもんかい!」


「『騙りを暴いて、善を積め。さすれば人間に戻って、おまえはようやく眠ることができる』とは……やれやれ、常世の神様も適当を言いなさるもんだ」


 ふうっと、皆崎はため息をついた。ケッケッと、ユミは笑う。


「いいじゃねぇかよ、俺様とずーっと旅をしようぜぇ、皆崎のトヲルよぅ!」


「ユミさんねえ、僕はもう少々疲れてるんですよ……って、言ってもしかたがない、か」


 くるり。皆崎が手を回すと、キセルが現れた。頭から海水をかぶったというのに、やはり火は絶えていない。それを、彼が食もうとした。そのときだった。


「……うん?」


 夜闇から、紙が一枚飛んできた。それを、皆崎は片手で受けとめる。

 書かれた文字と住所を、彼は読んだ。跳びあがってユミはたずねる。


「なんでぇ。次の依頼かい?」


「ああ、そうさ。やれやれだ」


 ガチリ、皆崎はキセルを食む。

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。



「今宵も騙るねぇ、人間は」



 そして、彼らは並んで歩きだす。

 今宵も、『魍魎探偵』は騙らない。

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