少女人狼(ガール ル ガルー)♥愛されピンク
1
頭のオカシイやつというのは、いるものだ。
とても常人の理解が及ばない、筋金入りのイカレ野郎というものは。
「ジンローって、見たことあります?」
12月のある夜、冴え冴えとした満月の下、ひと気のない路地裏で。
唐突な血だまりの中に突っ立って、そいつはピンク色のガムを膨らませていた。
周辺の建物から漏れた光が、美しく整った横顔を照らす。
パピヨン犬みたいな、ふわふわの盛り髪が目立つ。深夜にもかかわらず制服姿で、その上から飛龍のスカジャンを羽織っている。鞄の代わりにギターケースを背負い、拘束具を思わせる無機質なチョーカーをつけていた。
コンバースの靴が踏むのは、今しがたそうなったばかりの、新鮮な死体。
雑に引き裂かれた胴体から、臓物がはみ出ている。強烈な鉄の臭気が、腐った魚、猫の尿、暖房の油煙、排気ガスなんかと入り混じり、ひどく臭い。
――こいつは一体、何者なんだ?
夜の殺人現場で、ガムを噛んで、わけのわからないことを言っている。
僕が答えられずにいると、そいつはガムを引っ込め、唇を不満げに突き出した。
「無視すんなし。返事くらいしてくらさ――」
途中で目を見張る。それから僕を指差し、くるくると空中をかき回した。
「あ、あ~、生徒カイチョーの……
にっと口角を上げる。発達した犬歯がのぞいた。
「うちのコト、知ってます? 先週、転校してきたばっかの~」
「……
「ざくりっす。ヨロシク~☆」
ピースサインをあごに当て、片目をつむる。鮮烈にも思える、まぶしい笑顔。恋に落ちてもおかしくなかった。ここが殺人事件の現場でなければ。
膝の震えを自覚しながら、僕は血だまりの中を示した。
「……足もとの、それは……おまえがやったの、か?」
ざくりはカカトで死体を蹴たぐり、きゃっきゃと楽しげに笑った。
「そんなん、JKには無理っしょ~! ジンローの仕業っすよ、ジンロー」
あまりに唐突な単語だったので、漢字に変換されるまで、かなりかかった。
「ジンロー、って……人狼? 人狼ゲームの人狼?」
ざくりは答えず、天に電話をかざし、おそらくは僕と並んだフォトを撮る。
「チェキ♪」
――それは『チェキ』ではないだろう。あるいは『check it』と言ったのか。……いや、そんなことより。
「何……撮ってんだ?」
「今夜ここで見たコト、ナ・イ・ショ、にしてくぇません?」
言葉のキャッチボールを拒否して、頭のオカシイ女は僕に身をすり寄せた。
イチゴ味の甘ったるい吐息が、熱く僕の耳にかかる。
「ね? いーれしょぉ? セ~ンパイ❤」
ゆるめ過ぎの胸元から、桃&黒の派手な見せブラがのぞいた。
……そんなものに釣られたわけではない。そうではないが、ともかく僕は拒絶するタイミングを完全に逸した。
そうして、何だかわからないままに。
得体の知れない
2
「でねでね! その子の正体は、実は宇宙人だったの!」
月曜の朝、僕は生あくびを噛み殺しながら、自分の教室に向かっていた。
ここのところ、寝つきが悪い。無論、あの夜からだ。平穏を愛し、退屈な日常こそ尊いと思う僕のような凡人にとって、四方霧ざくりの存在は劇毒だった。
「その宇宙人はね、男が女を食べちゃうことで繁殖するの! もともとがそういう生き物を、地球の倫理観で裁けますか、っていうおはなしなんだけど――」
聞こえていた声が途切れる。次の瞬間、目の前に怒った顔が現れた。
黒髪の清楚な美人。僕よりも頭ひとつ背が低く、小動物的な可愛らしさがある。
「リビトくん、聞いてます?」
黒目がちな眼でにらむ。すねた顔もたいそう可愛い。
僕はおぼろげな記憶をたどり、とりあえず話を合わせた。
「大昔、そんな漫画があったって話だろ?」
「そ、そうなんだけど……うっすら、聞き流してたでしょ!」
「まさか。僕が
彼女――占賀るみあとは家も近い。当然、親同士も顔見知りだった。中学で疎遠になりかけたが、同じ高校に入ったことで、再び距離が縮まった。結果、僕が愛する『平穏な日常』に少々カゲが落ちることになるのだが……それはさておき。
幼なじみの気安さで、僕はいい加減な軽口を叩く。
「いつだって君のことを考えてるし、君の声に耳を傾けてるよ。側にいなくてもね」
「うぅ……だまされてる……わたし絶対、だまされてるよぉ……!」
頭を抱えて苦悩する。そんな占賀を微笑ましく思っていると、ぽんと背中を叩かれた。
「おはよ、貴村!」
振り向くと、元気印のポニテ女子が、爽やかに笑っていた。
「おはよう、
「どしたん? 廊下の真ん中で――」
逢坂は僕の前、占賀をちらりと見たようだったが、何も言わずに顔を戻し、
「予鈴、鳴ったよ。早く行こ?」
はねるような足取りで歩き出す。実に
教室に入るまでに、僕は数人の級友と挨拶を交わした。が、占賀に声をかける者は一人もいなかった。それどころか、誰も視界に入れようとしない。
あの事件があってからというもの、占賀の存在は腫れ物扱いで、皆に無視され、いない者として扱われている。
事情が事情だけに、仕方がないとも思う。彼らにとってはそれが自然なのだろうし、僕自身、あの惨劇を蒸し返すようなことは……したくない。
とは言え、僕は占賀の友人であり、彼女の味方でいたいと願う一人だ。
だから、教室にそれを見つけたときは、黙っていられなかった。
窓際の一番後ろ、占賀の机の上に、一輪挿しの白い花瓶がのせられている。
生けられているのは、しおれ、枯れた花――
さすがに見過ごせず、僕は思わず声を荒らげた。
「何だよ、これ! さすがにこれは――」
「おーす、ホームルーム始めっぞー」
間の悪いことに、クラス担任が教室に入ってきた。
この際、彼に訴えるべきだ。僕は教壇に向かって踏み出しかけたが、僕が何か言う前に、占賀がきびすを返し、廊下を走り去るのが見えた。
「何だ、貴村? はよ座れー」
「っ……保健室、行って来ます!」
無神経な担任にそう言い捨て、僕は教室を飛び出した。
ひと気のない廊下を走り、占賀の背を追う。料理部所属のくせに(?)占賀はかなりの俊足を発揮し、すぐに見えなくなった。
階段に駆け込んだところまでは見えていたのだが、上に行ったのか、下に行ったのか、それがわからない。耳を澄ましても、足音などは聞こえない。
少し迷ったが、僕は上を目指した。この学校は屋上が開放されている。ネットをかけ、虫かごのように覆って、運動場にしてあるのだ。放課後はバレー部が練習に使っているほどで、もちろん安全ではあるのだが……。
ネットを突き破る手段があれば、飛び降りることはできる。
最悪の想像に怯えながら、僕は階段を駆け上がる。占賀を取り巻く状況が、こうなってしまった原因――半年前の事件を思い返しながら。
半年前の6月、校内で一人の女子生徒が死んだ。
……死んだ?
いや、違う。殺されたのだ。頭のオカシイ殺人鬼によって。
あまりに強烈な光景ゆえに、今でも僕の頭に焼きついている。
場所は放課後の家庭科室。床は一面、血の海だった。投げ出された白い肉――それが右足であることは、上履きの向きでわかった。断面はケチャップをディップしたソーセージのようで、胴体とは繋がっていなかった。
その切断された足の前に、占賀るみあが座り込んでいた。
殺人の現場に。一人きりで。
「う、占賀……!? なん、で……こんな……っ」
血の臭いにむせてしまい、上手く言葉が出てこない。勝手に呼吸が速くなり、僕は溺れかけた人のように、酸素を求めて激しくあえいだ。
子どもの頃から知っている彼女、よく知っている友人が、今ではもう、知らない何かになってしまったような、そんなおののき――
それを否定したくて、僕は血の海に踏み入り、彼女を揺さぶった。
「何が……あったんだ?」
逆流する胃液をこらえながら、犠牲者の遺体を
ボタンをむしり取られ、むき出しになった乳房。鉤爪で力任せに引き裂いたような、雑な傷痕が縦に走り、中身が一部、舌のように飛び出している。
「占賀! 何とか言っ……言ってくれ!」
耳元で怒鳴っても、占賀は答えてくれなかった。
透明な涙が頬を濡らしている。占賀はガラス玉のように虚ろな瞳で、いつまでも自分の手元――両手で握りしめた、銀色の包丁を見下ろしていた。
血の一滴もついていない、誰も傷つけていないはずの、その刃を。
あれから6か月が経つというのに、事件は未解決のままだ。
凶器がわからず、殺害方法もわからない。熊の仕業だとほざく無責任なコメンテーターもいたが、校内にいた者も、近隣住民も、誰もそれを見ていない。
無論、占賀が犯人であるはずはない。それは、あり得ない。包丁などでは絶対につけられない傷に見えたし、彼女が握っていた包丁には血も脂もついていなかった。
そもそも、あれは人間にできる所業か?
どんなイカレ頭だろうと、人間の
そう、たとえば――
先日聞いた単語が脳裏をよぎり、僕は自嘲した。
「……馬鹿な。何を考えてる」
理屈に合わないから、人狼の仕業だと? それは推理とは言わない。オカルトマニアがよくやる妄想。自分が好きな空想に、現象をあてはめているだけだ。
――だが。
ざくりが踏みつけていた、あの遺体。半年前のそれと、似ていなかったか?
「……つうか、そもそもあいつは何なんだ?」
膨らんだガムを割るように、一発で僕の平穏をブチ壊した。おかげで僕は調子が狂い、占賀も見失って――いや、これは八つ当たりか。
「四方霧ざくり、か……」
「ほい?」
聞き覚えのある声に、僕は飛び上がった。
いつの間にか、屋上に出ている。冬の屋外は当然寒く、切りつけるような風が吹いていたが、そいつは階段室の屋根に座って、平然とガムを膨らませていた。
ガムを引っ込め、「にししっ」と犬歯を見せて笑う。
「こんちっす☆ リビトセンパイ❤」
3
「いーけないんだ♪ 生徒カイチョーが朝イチ、サボリとか~」
小悪魔っぽい笑みを浮かべ、ざくりは僕をはやし立てた。
盛り髪が揺れる。太陽の下で見るその髪は、正気を疑うピンク色。メッシュなのかハイライトなのか、ところどころが金色で、インナーカラーはエメラルド。何て派手なカラーリングだ。おまえの頭はサーティーワンか。
「会えるなんて、らっき❤ せっかくですし、デートしません?」
「どのへんが『せっかくですし』だ。切腹も切迫流産もあるか」
「せっくす?」
「言ってねえええ!」
僕は早くもヤツのペースにのまれ、ざくりはますます調子づく。あはー、と馬鹿笑いする彼女に業を煮やしつつ、僕は冷静ぶって声を抑えた。
「……あのな、四方霧」
「ざ・く・り。いー加減、名前で呼んれくぁさいよぉ」
なんて? と確かめたくなるくらい、舌っ足らずのしゃべり方をする。これがコイツの平常運転であり、脳にダメージを負っているわけではない。
と言うか、それ以前に――
「距離感が壊れてるぞ。いい加減なのはおまえの測距計だ」
「え~? センパイ、ノリ悪~。オクテのヒト~?」
「黙れパリピ。……つうか、大丈夫なのか、その顔」
ざくりの左頬に、ペンキでもはねたかのように、赤い飛沫が飛んでいた。
萌え袖にしたスカジャンで、ざくりはこしこしと頬を擦る。あらわになった頬はつるりとして、傷のようなものは見当たらなかった。
「あえ? うちの血やないれすね」
「返り血……? また誰かバラしたのか? 登校中に?」
僕が冷ややかに問うと、ざくりはむすっとして、唇をとがらせた。
「しーまーせーんー。センパイ、うちのコト何らと思ってるんぇす?」
「『悪目立ちする転校生』だったが、先日『頭のオカシイ殺人鬼』に昇格した」
「しっつれー! でもま、当たってるカモ❤ にししっ」
「ついでに『関わりたくない危険人物ランキング全一』だ。じゃあな」
「やぁ~ん、まだイかないれぇ!」
「妙な声出すな! 何が『やぁん』か!」
鼻にかかった甘い声が、あらぬ誤解を生みそうだ。僕はあわてて視線を巡らせたが、幸い、と言っていいのか、占賀の姿は見当たらなかった。
占賀の姿が見えないならば、ここに長居する理由もない。だが、ざくりは
短いスカートをギターケースが噛み、尻のくまチャンがコンニチワする。指摘するのも野暮かと思い、僕は気付かなかったふりをした。
ざくりは急にしおらしくなり、恥ずかしそうな上目遣いをした。
「あの……実はセンパイにお願いがあってぇ……」
もじもじと至近距離から僕を見る。まるで、隙だらけの胸元を見せつけるように。――コイツは絶対、わかった上で挑発している。のせられるのは癪なので、僕は理性を総動員し、平常心を保ってざくりを見返した。
派手な顔だが、印象よりもメイクは薄い。ラメ入りのアイラインと、ピンクのリップが目につくくらい。長いまつ毛は自前のようで、自然なボリュームだ。
「センパイのコト、すっごく気になるの。やから、付き合って欲しい」
無論、コクるコクらないの話ではない。
「……人狼探しに、ってんじゃないだろうな?」
思った通り、ざくりは『にっ』と唇を横に広げた。
「さっすが❤ 生徒カイチョーかしこい❤ おりこう❤」
煽られても、気にならない。僕の頭は別のことに占められている。
半年前、無惨に損壊されていた――人間の仕業とは思えない――あの遺体だ。
「おまえが言う人狼ってのは、何だ? そもそも……」
現代に生きる常識人として、当然の疑問をまずぶつける。
「『いる』と思ってるのか? 本当に?」
「どーして『いない』と思うんれす? 逆に?」
面倒くさいことを言い出した。オバケやら宇宙人やらがいるかいないか論争か。
不毛な議論はしたくない。僕は別の角度から問うた。
「質問を変えよう。どうして、それを探してる?」
ふと、ざくりの眼が遠くなった。
紅茶色の瞳に冬の空を映し、彼方を見つめる。まるで死びとのように
そうして、ざくりはひと言、
「さみしいから」
と、つぶやいた。
寂しい――とは、どういう意味だろう。言葉通りの意味なのか。自分と同じ怪物を見つければ、その寂しさは埋まるのか。
不可解さで胸焼けがする。だが、質問を重ねる暇を、ざくりは与えてくれなかった。
僕の腕にしがみつき、胸で挟み込むようにしながら、甘えた声を出す。
「ね? いーれしょぉ? 一緒に犯人を探しましょうよぉ。センパイだって気になってゆれしょ? あの事件の第一ハッケンシャだもんね?」
……悔しいが、その通りだ。この半年間、ずっと気になっている。
怪物の仕業です、なんてヨタ話には賛同しないとしても。
犯人が捕まっていないのは事実で、これでは平穏な日常とはとても言えない。占賀のことだって、いつまでも放ってはおけない。このままでは早晩、心が壊れてしまう。
この『頭のオカシイ』ざくりなら、あらゆる常識をぶっ壊して、警察がたどり着けなかった真相にも到達できる……かもしれない。
それを黙って見ているなんて、できない。何もしなければ、絶対に後悔する。
だから、僕はこう答えた。
「わかった。やろう」
「やった~♪」
はしゃぐざくりは愛らしかったが、こいつの言いなりになるのは腹立たしい。僕はちょっと意地悪な気分になって、嫌みったらしくたずねた。
「で、報酬は? タダ働きってわけじゃないよな?」
「え!? え~っと……なんと! ざくりチャンの『友だち』カテに入れたげます!」
ざくりは電話を取り出して、メッセージアプリの画面を見せた。
「こぉんなkawaiiコの連絡先ゲットれすよ♪ やりましたねセンパイ❤ モテお❤」
「やめた。帰る」
「待ってぇ! えと、えと、じゃあ――ガム貸したげます! ぁい、ろーぞ❤」
「しまえ! きたねえ!」
「き、きたなくないしぃ! そんなんゆってたら、ちゅーもできないしぃ!」
ざくりの唇が妙に
ざくりは「ふむ」と考え込んだ。シリアスな雰囲気を漂わせ、マジ顔で訊く。
「じゃあ――うちのばりエロいパンツ……見ます?」
「hentai路線から離れろ! つうか、おまえ今日くまチャンだろうが!」
「びにゃ!?」
奇声を発し、かーっと赤くなる。こいつにも恥じらいがあったのか……なんて淡い期待は2秒後に裏切られた。ざくりはスカートの前をぺろんとめくり、
「まじだ……エロいのはいてない……! 勘違いして、恥っずぃよぉ……!」
「恥じらいポイントそこかよ! つうか馬鹿! おまえもう、すべてが馬鹿!」
「あはー☆ センパイ、テンパってヘン♪ おっかし♪」
「おまえはお脳がテンペストだわ……」
こいつのノリに付き合っていると、精神が汚染されそうだ。僕は無駄話を打ち切り、
「報酬の話はもういいよ。それで結局、僕は何をすればいいんだ?」
「とりま、LINE交換しましょ~。センパイでもできそーなシゴト、明日までにざくりチャンが考えときますから」
さらっと無能扱いされた。若干イラリとしたが、頭のオカシイ殺人鬼から見れば、男子高校生など貧弱な小僧でしかないのだろう。仕方がない。
しぶしぶ二次元バーコードを見せ、登録させる。こんなやつと繋がって本当に大丈夫かと不安になりながら、承認ボタンを押したところで、それに気付いた。
階段室の入り口、鉄扉の曇りガラス越しに、こちらをのぞく占賀が見える。
ざくりが僕の視線を追い、そちらを見る。普段眠そうな眼に、油断ならない知性の光が閃き、何か――疑惑を深めたように見えた。
しかし、何もコメントしない。ざくりはとぼけた調子に戻って、
「オッケっす。センパイは授業ぇす? うちは今日もうオワリぇすけど」
「始業したばかりだろうが。おまえも教室に戻れ」
「ばいばい、センパイ♪ あとでLINEするね❤」
またしても会話のキャッチボールを拒否。
ぶんぶん手を振るざくりには、尾を振る犬のような可愛げが、なくもなかった。
4
階段室に入った僕を、占賀は早速、詰めにかかった。
「今の子、誰?」
冷え切った声音で、厳しく問う。
「僕もよくわかってないんだが……まあ、頭のオカシイ後輩?」
「あの子とは、もう会わない方がいいと思う」
すっぱり言われて、僕は面食らった。占賀は人当たりがよく、そんなことを言うタイプではなかった。少なくとも、半年前までは。
「わたしのこと、すっごく嫌な目で見たし」
「……チラッと見ただけだろ?」
さすがに被害妄想だ。ざくりから見えたとも限らない。
「むしろ――話してみないか? 君のこととか、色々」
占賀の顔に怯えが走った。白い肌をますます青白くして、小刻みに首を振る。
「そんなこと……できるわけないでしょ!? わかってるくせに!」
「あいつは転校生で、偏見もない。腹を割って話してみれば、案外、友達に」
「リビトくんには、わたしがいればいいじゃない!」
校舎中に響き渡るのではと心配になるくらい、激しい叫びだった。
「わたしには、リビトくんだけなんだよ……!?」
「貴村?」
と、不意に名を呼ばれた。
眼下、三階の廊下から、女子が僕を見上げている。
同じクラスの逢坂のえみ。HRが終わったので、廊下に出て来たらしい。
占賀が手すりの陰に引っ込む。そちらを背中に隠しながら、僕は階段を降りた。
「驚かせてごめん、逢坂」
「えっ? そんな別に……何か、お邪魔だった?」
「いや、そんなことは――」
と、逢坂が握っているものに気付く。占賀の机にあった、あの一輪挿しだ。
「逢坂、それ……」
「あ――まあ、その、さすがに可哀想かなって……めっちゃ枯れてるし」
逢坂は恥ずかしそうに、しおれた花を引っこ抜き、ごみ箱に投げ捨てた。
「いいやつだな、逢坂」
「ちがっ……そんなんじゃないし! 日直――ではないけど、それ的なやつだし!」
あわわっと片手を振って否定する。それから、哀しげに目を伏せて、
「あたしも……無関係じゃ、ないから」
「どういう意味?」
「あのとき……事件の日ね、あたし、ほんとは見たの。だけど、そのこと上手く説明できなくて……だから、犯人がまだ捕まらないのは、あたしのせいかもしれない」
「見たって――犯人をか!?」
僕が食い入るように見つめていると、逢坂は自信なさそうに続きを言った。
「貴村も絶対、信じられないと思う。刑事さんも半笑いで……だけど、確かに見たの。大きな、毛むくじゃらの……黒い……何だろ……熊……犬――みたいな」
一瞬、僕は呼吸を忘れた。
こんな身近に、目撃者がいたのだ。言っていることは確かにファンタジーで、世間的には荒唐無稽。ざくりと出会う前の僕なら、笑って聞き流していただろうが……。
「その話、もっと聞かせてくれ!」
「う、うんっ? いいけど……」
思わず逢坂の肩をつかんでしまう。僕はあわてて手を離し、それから、周囲を見回した。廊下は多少ざわついていたが、騒がしいのは教室の中で、廊下を歩く者はいない。
……この話をここでするのは、危険だろうか?
逢坂の見たモノが、ざくりの探している存在なら、あいつがどう出るかわからない。漏れても安全な情報かどうか、まずはこちらで判断したい。
「後で――学校が終わってから、会えないか?」
「えっ? 放課後? あたしとっ?」
「うん。さっきの話、詳しく聞かせて欲しいんだ。二人だけで」
気がつくと、逢坂はほんのり頬を染め、呆けたように僕を見ていた。
「逢坂――どうかした?」
「えっ、ううん! 何でもない!」
ごまかすように笑う。漂う緊張感、不自然な挙動から、僕は察した。
「……ごめん。思い出したくないよな、事件の記憶なんて」
「だ、大丈夫、頑張る! 好きな人の頼みだもん、このくらい……」
事件の凄惨さとは全く無関係な理由で、逢坂は硬直した。
見る間に耳まで赤くなり、花瓶を放り出し、両手で顔を覆う。
「今の、なし!!」
悲しいくらい無意味な主張。ちなみに、花瓶は僕が空中でつかまえた。
逢坂は顔を隠したまま、「……だめでしょうか?」と訊いた。僕は苦笑して、
「なしでいいよ。でもまあ、聞こえてしまった」
「だよねええ! ばかだああ!」
しゃがみ込み、打ちひしがれる。逢坂はしばし羞恥に
「あの……ずっと前から好きでした」
開き直ったらしい。フランクな級友の突然の丁寧語は抜群の破壊力を発揮し、僕の心臓を見事に射抜いた。こちらまで体温が上昇し、万事がぎこちなくなる。
「それは……ありがとう。光栄……です」
「脈、ない?」
「なくは…………ない」
ぱあっと逢坂の顔が明るくなり、魅力的に輝いた。おいやめろ。これ以上、可愛いところを見せるんじゃない。うっかり襲ってしまったら、どうする。
僕は欲望の首根っこを押さえつけ、あくまでも真面目に言った。
「好意につけ込むようで悪いけど、放課後、付き合って欲しい。場所は……そうだな、駅周辺の喫茶店とか――僕の家でもいいけど」
「家っ!? 貴村のっ!?」
「いや、別に家でなくていいんだが……」
「い、行く! むしろ行きたい!」
「そ、そう? じゃあ、そうしよう。とりあえず、連絡先」
ざくりと交換したばかりで、またひとつ新規の連絡先が増えてしまう。
逢坂は電話の画面をしげしげと眺め、はにかんだように笑った。
「えへへ……じゃ、あとでね!」
小走りで去っていく。細い腰、しっぽのように揺れる髪に、僕は何だかむずむずした。甘やかな気分で逢坂を見送り――不意に背筋が凍りつく。
おそるおそる、後ろを振り向く。
思った通り、階段から僕を見下ろす占賀は、ひどく恐ろしい顔をしていた。
5
「占賀、今のは――」
言い訳しようとした口を、問答無用で塞がれた。
激しく貪られ、息が詰まる。逃れようとするのだが、頭を抱え込まれているのか、反っても振っても占賀は離れない。
ようやく離れた占賀の顔は、ボロ泣きだった。
「やだよっ! やだやだ! そんなの絶対、許さない!」
僕の胸にしがみつき、感情的にわめく。
「許さない! 許さない! 許さない許さない許さない許さない許さない――」
「落ち着け!」
自分の声が廊下に響き、びくりとした。僕は声を潜め、早口でささやく。
「……落ち着いて。何を誤解して、そんなに思い詰めてるんだ」
「わからないの!?」
「……わかるけど」
「それじゃ」
目つきを鋭くし、絶対に反論を許さない調子で、占賀は言った。
「今から、リビトくんの家に行こう?」
「それは……やめた方がいい。家にはもう、誰もいない」
「……だからでしょ、ばか」
それとも――、と言葉を継ぐ。占賀は荒んだ笑みを頬に貼りつけ、
「嫌なの? わたしと一緒じゃ?」
責めるように言う。『ように』ではなく、実際に責めているのだが。
「わたしをこんなふうにしたのはリビトくんだよ。……責任、とってよ」
「……わかった」
我ながら、ひどいざまだ。何の反論も、抵抗もできない。
鞄を取りに教室へ戻り、すれ違った担任に早退するむねを告げる。それから占賀の目を盗み、逢坂に「後でLINEする」と耳打ちした。
こくこくと首を振る逢坂は期待に満ち、初々しく、健気だった。彼女の純真を今から裏切るのだと思うと、自分の汚さに吐き気がする。それでも、自己嫌悪や憂鬱さとは無関係に、僕という人間はやるべきことを淡々とこなすのだ。
愛する平穏を守るため。どれだけ不健全で、不誠実で、不可解であっても。
僕は占賀を連れ、ほとんど何もしゃべらずに帰った。
途中のドラッグストアに寄り、店員の視線にビクつきながら、0.02ミリと記された商品を買う。相当な羞恥プレイだが、それは必要なことだった。
そしてその日、僕たちは疑いようもなく、彼氏と彼女になった。
詩的に言えば、ひとつになった。文学的に言えば、激しく求め合い、交じわった。
三度放ってなお、欲望のたぎりはおさまらなかった。時間をおいてさらに三度、最後はしぼり出すように吐き出して、ようやく落ち着く。
最中の自分は、本当に最低だった。相手を気遣う余裕もなく、
だからこそ、終わった後では優しくもなる。
泣いている彼女をそっと抱き寄せ、いたわり、微笑んでくれるまで寄り添う。まどろみのような甘い時間の後で、僕は「家まで送るよ」と告げた。
すっかり日の落ちた道を、まだ歩きにくそうな彼女の手を引き、噛み締めるように歩く。甘酸っぱくも、もどかしい――たぶん人生で一番幸福な、言葉少なの道行き。
おやすみを告げて別れ、帰宅したときには、とっくに夕食時を過ぎていた。
泥を払って靴を脱ぎ、自室に戻る。そこにはまだ熱狂の
シーツはぐしゃぐしゃに乱れ、血やら何やらの染みが乾かず、座るのをためらうほどに汚い。僕はとりあえず窓を開け、冬の寒気を部屋に招き入れた。
欲の限りを発散した後の虚脱感が、思い出したように襲ってきて、全身に覆いかぶさる。僕はしばしぼんやりと、揺れるカーテンを眺めた。
ふと、机の上で電話が震えた。
点灯した画面に、ざくりからの着信を示すメッセージが表示される。
『あたおか後輩 写真を送信しました』
通知文と小さなサムネイル。よくわからないが、ざくりと誰かのツーショット――
ぎょっとなる。息を詰めて待つこと数秒、次のメッセージが浮かび上がった。
『見ました? この死体は先輩のクラスの女子で』
その先に続くだろう文字列を、僕はとっくに知っている気がした。
『逢坂のえみ』
僕はすぐさま電話をつかみ、ただちに部屋を飛び出した。
6
急いでシャワーを浴び、着替えを済ませ、家を出る。
ざくりに指定された公園は、徒歩10分ほどの距離にあった。開発前の丘陵がそのまま残った土地で、整備された歩道と運動場に加え、原生林の斜面がある。林は昼でも薄暗く、見通しがきかない。
「センパ~イ、こっちっす!」
原生林の入り口、立ち入り禁止のゲートにもたれ、ざくりが手を振っていた。
ギターケースを背負い、ピンク色のガムを膨らませた、いつものスタイルだ。
ざくりは背伸びして、ふんふんと鼻をうごめかせた。
「あぇ? センパイ、おフロあがりっすね。いー匂い~❤」
「馬鹿、ふざけんな。――で?」
一刻も早く知りたいという気持ちと、一生知りたくないという気持ちがせめぎ合い、僕の声は強張っている。ざくりは見透かしたように笑い、先に立って歩き出した。
舗装路を少し行くと、異様な賑わいが目につくようになった。
警察車両が進入し、ライトが周囲を照らしている。斜面の入り口には人だかり。腕章をつけた記者以外は、近所の野次馬らしい。
ざくりは木立ちの奥、斜面の上を示した。煌々と輝くライトの明かりで、青いビニールシートの囲いが見える。中で揺れる人影は、警察関係者のものだろう。
「死体はあそこっす。ほかの写真、見ます?」
ひょいと僕に電話を渡す。既にカメラアプリが開いてあり、死体と写るざくりの自撮りがわんさと出てきた。死体と記念撮影する意味がわからない。
ニット地のハイネック。直線的なロングスカート。ショートブーツ――もっと活動的なものを想像していたが、逢坂の私服は落ち着いていて、上品だった。
そのすべてを台無しにする、深い亀裂。鎖骨の中央から下腹部にかけ、どす黒い裂け目が生じている。氷を割るための斧だとか、錆びついた
衣服が真っ赤に染まっていることから、出血量の多さがわかる。つまり、死後につけられた傷ではない。逢坂は生きながらにして腹を裂かれたのだ。
何枚か見るうちにわかったが、逢坂は片方の足を失っていた。
掘り返したと思しき地面は浅く、穴とも呼べないへこみに過ぎない。
顔は綺麗なままで、それが救いのようにも、かえって救いがないようにも思えた。
呼吸が乱れ、胃酸の味が口に広がる。僕はぼろぼろと涙をあふれさせながら、やっとのことで、ざくりに電話を返した。
……この涙は本当に、悲しみによるものだろうか? 僕はそんなに情の深い人間だろうか? つい先ほど、逢坂の気持ちを裏切ったばかりだというのに?
今朝、僕を好きだと言ってくれたときの、言葉の熱を思い出す。
羞恥に燃えた頬の赤み。首筋からふわりと立った、シトラスが香る体温。
そういったものを、僕の身体はまだ覚えているのに――
こんな寒々しい、野ざらしの土の上で、彼女は冷たくなっている。
そして今、僕の目の前には。
死体と記念撮影をするような、頭のオカシイ殺人鬼がいた。
「これを……やったのは……?」
「人狼」
月明かりの下、ざくりはうっすら微笑んで、真っ白な犬歯を見せた。
「――っすよ。もちろん」
首筋に牙が当たったような、冷たい戦慄を覚える。
今はっきりと、僕は恐怖を感じていた。
このざくりが――僕は怖い。
怯えて身を固くする僕の周りを、ざくりはゆっくりと歩き出す。
「見ての通り、お腹も、脚も、生きたまま『ざくり』っす。生活反応なんかは警察のヒトが調べると思いますけど……あるでしょうね」
息が荒くなるのを自覚しながら、僕はかすれ声で訊く。
「結局、おまえは……僕に、何が、言いたい、んだ?」
「似てません? 半年前の事件と」
半年前、占賀が現場にいた、あの事件――
傷痕の感じはよく似ている。片足を断ち切るのも同じだ。
「……同一犯?」
「ってゆう仮定で、二つの遺体から犯人像を推測すると」
らしくなく思慮深げな口ぶり。ざくりは天を振り仰ぎ、指折り数えた。
「うちらと同じガッコの高校生で。被害者とは面識があって。住所はこの区、ガッコから徒歩圏内。で、たぶん――『女子』」
最後が予想外だ。こんな乱暴な殺人、男がやるものだという先入観があった。
鼓動が加速するのを感じながら、僕はざくりに確かめる。
「女子? 何故だ?」
「オトコを犯人とした場合、あるはずの痕跡がないっぽくてぇ」
謎めかした言い方をする。僕は少し考えて、
「――着衣の乱れ?」
「あは~☆ そこは『精液』っしょ?」
僕がせっかくぼやかしたのに、ざくりは露骨な単語を口にした。
「人狼の快楽殺人ぇすよ? こんな可愛いコ、オスならむしゃぶりつきますて。生きてるのと死体、どっちが好きでも同じコトっす」
「……決めつけだろ。そんなの、わからないじゃないか?」
「もいっこあります、理由」
ざくりはくるんとターンして、周囲の雑木林を示した。
「ここ、住宅地が近いので、ヒトひとり運び込むのはちょー大変っす。なので、担ぎ込んだんやなくて、本人に歩かせた……と考えられる」
誘い込んだということか。言葉巧みに騙した、とかで。
「相手がオトコならぁ、こんな暗がり、女子的に抵抗感じません?」
「……その男が、友達とか、親兄弟という可能性は?」
「逢坂サンは彼氏ナシ、交際歴ナシ。家族構成は姉ひとりの母子家庭っす」
「だが! 犯人が女子なら、こんな、むごいこと……っ」
「やりますよ。人狼は。ヨユーで。うちだって――」
にししっ、と軽く笑って、ざくりは最後をごまかした。
「うちのケイケン上、人殺しにも二パターンあるっすよ。『結果、殺すヒト』と、『とりま殺すヒト』。とりまの方はばかだから、後先なんか考えない」
だから、やると言うのか。こんな恐ろしいことを、その場の勢いで?
冬の夜だというのに、熱帯夜のように息苦しくて、汗が止まらない。
つい数時間前、僕はここを通過している。彼女を家に送るためだ。僕らは二人でここを歩いた。そして――
さよならを言って別れた後のことを、僕は把握していない。ざくりがどうして、死体を見つけたのかも。
「……帰って、いいか?」
やっとのことで、僕はざくりにそう言った。
「気分が……悪いんだ」
一瞬、ざくりの顔から笑みが消えた。
何の感情も見えない、洞窟のように暗い瞳で僕を見る。まるで獲物を見据える――いや、そんな興奮すらない。刈り取る麦穂を見るような、そんな眼差しで。
それも一瞬だ。ざくりは普段通りのゆるんだ顔で、ひらひら手を振った。
「もちろんっす。帰り道には、お気をつけて――暗いぇすから❤」
7
一睡もできないまま朝を迎え、寝不足のまま登校する。
教室の花瓶は二つになっていた。逢坂の件はクラス内SNSで知れ渡っていて、級友は半数が欠席。担任も疲れた表情で「今日は無理せず帰っていいぞ」と言った。
僕は1時間目をフケて、ひとり屋上に向かった。
ここでなら、会えると思った。そして、その想いは裏切られなかった。
「おはよう、リビトくん」
待ち構えていたらしい。占賀は愛らしく小首を傾げ、
「どうしたの? わたしと話がしたかったんでしょう?」
前置きも、挨拶もなしで、僕はストレートに訊いた。
「逢坂を……殺したのか?」
くすり、と占賀は笑った。
「やぶからぼうだ」
「怪物……なんだろ? そう……なんだよな?」
主語をぼかした問い。占賀は蔑みの見える、薄っぺらな微笑を浮かべた。
「そうだよ。本当は、気付いていたでしょ? だけど、見ないふりをしてた。わかってたのに、ずっと自分をごまかして、知らない顔をしていた」
「どうして人を殺す!? 何で……逢坂まで殺した!?」
「仕方ないじゃない。だって、リビトくんを誘惑したんだもん」
「違う! そんな理由で殺したんじゃない!」
「……そうだね。もっとマシな理由は――『証拠隠滅のため』かな?」
平均台の上を歩くように、占賀は両手を広げ、とことこ歩き出した。
「だって、目撃者かもしれないもんね? 生かしておくのは危険だし、ヘンな後輩も近くにいるしで、余裕がなかった。だから雑に殺したの。こう言えば、満足?」
言葉が出ない。僕が何か言う前に、占賀が言葉をかぶせる。
「これも違う? ふふっ、そうだね。本当はただ『気持ちよかったから』だ!」
決めつけるような口ぶり。占賀は吹っ切れた様子で、ほがらかに言った。
「それはとても強い衝動――とても甘美な誘惑。麻薬とどっちが強烈なのかな? ずっと騙し騙しやってきたのに、春頃、ついに歯止めがきかなくなった。初めにお母さんを殺して埋めた。次は学校で――大好きだった女の子をやっちゃった。さすがにショックで大人しくなったけど、一度覚えた快楽の味は忘れられない。我慢して、我慢して、半年も我慢したのに、ついに昨日、爆発しちゃったの♪」
言いながら僕の首にまとわりつき、耳元でささやく。
「仕方がないよ。怪物に生まれてしまったのは、怪物の責任じゃない。本能には抗えないの。あんなに可愛い猫ちゃんだって、オスは仔殺しするんだよ? メスを発情させるためだけに。だったら、人狼だって――」
「もういい!」
僕は空に向かって叫んだ。外気の寒さを忘れるくらい、心が冷えていた。
こんな議論に何の意味がある。起こってしまったことは、変えられない。怪物だろうが、そうでなかろうが、欲望のままに人を殺した、その事実は変わらない。
僕はもう何も考えられず――考えたくなくて――泣きべそをかいて言った。
「自首、しようっ」
「して、どうなるの?」
しかし、占賀は僕の甘えを許さなかった。冷たく僕を見据え、鋭く問う。
「誰が許してくれる? 誰も許さないよ? わたしだって許さない。死ぬんだよ! むごたらしく――自分がそうしたように、ヒトに吊るされるの! 人狼は!」
込み上げる
「僕は……どうすればよかった?」
「別に? 何も? 言ったでしょ? 怪物であることは、怪物のせいじゃない。ただ運命を受け入れて――死ねばいい」
言うだけ言うと、占賀はその場でくるくると踊り出した。
かごの鳥が解放され、自由を謳歌するように。軽やかに跳躍し、笑っている。
気力を失い、僕の膝から力が抜けた。下がり、よろめき、座り込む。
僕らは一体、いつ、どこで、何を間違えたのだろう?
頭の中が真っ白で、言葉が出てこない。もう何もわからない――
そのとき、ぱんっと甲高い破裂音が響き渡り。
虚無に陥りかけた僕の意識を、一気に現実に引き戻した。
振り向くと、派手な色味の頭があった。割れたガムが髪を巻き込んだらしく、何かのクリームで必死に落としている。やがて僕の視線に気がつくと、
「ヘコんでるっすね~、センパイ❤」
四方霧ざくりは、にまっと犬歯を見せて笑ったのだ。
8
手慣れた様子でガムを溶かすと、ざくりは掲げた電話に横ピースをキメた。
「いぇい♪ ゲロ泣きのセンパイとツーショ❤」
「……何撮ってんだ、おまえ」
相変わらずの傍若無人。相変わらずの一方通行コミュニケーション。
「うち、こんなん……キャラ違うってゆーか、言えたギリないぇすけど」
ざくりは殊勝な調子で、らしくないことを言い出した。
「センパイには、泣かないで欲しい」
「――――」
「センパイが泣いてたら、逢坂サンもきっと……悲しみます」
僕は驚き、聞き流せずに、確かめる。
「知り合いだった……のか?」
「違うけど……でも、わかる。だって普通、悲しいよ――自分を殺した糞野郎が、自己憐憫で泣いてたら」
どっどっどっと、僕の心臓が跳ね馬のごとく暴れ出した。
……何だ? 何が起こった?
何が……狂った?
わからない。わからないが、わかっていることが、ひとつある。
壊れようとしている。僕の平穏――苦労して創り上げた、僕の世界。
落ち着きたいときの癖で、僕は占賀を視界に探す。こうべを巡らす僕の前に、ひょいとざくりが回り込み、不可解そうにあたりを眺めた。
「センパイさぁ、いっつも何を見てるの? さっきの独り言、誰と話してたの? まさか、占賀サンの幽霊――なんて言い出さないよね?」
「……うるさい。黙れ」
ようやく、僕は占賀を見つけた。ざくりのすぐとなりから、僕に微笑みを向けている。半年前――僕の本性に気付くまで、そうしてくれていたように。
占賀はもう僕にしか視えない。だから、誰も話しかけない。なぜなら、占賀はとっくにいないからだ。彼女は消えた。この世界から、いなくなった。
なのに、今でも見える。僕に都合のいい、幻想の彼女が。
「ま、どーでもいいけど」
人が変わったように淡々と、ざくりはダレた口調で語り出した。
「思えば、ダッサい話っす……凶器が見つからないからって、警察はセンパイ――最有力の容疑者を逮捕できなかった。それで『警察ちょっろ♪』とでも思いました? それとも単に、チンチン我慢できなくなっただけ? うちみたいにアヤシイのがウロウロしてんのに、逢坂のえみに手を出して――あげく、あんな街中に死体捨てるとか、ヤケクソ過ぎでしょ。まーじのばかなんれすか?」
自分でもわかる。僕は混乱している。動揺で震えながら、僕は叫んだ。
「おまえ、言ってただろ! 逢坂を殺したのは、女子だって!」
「アンタの反応を見たんれすよ。あの状況、誘われてついてくとしたら好きピだけ。――あ、オトボケはナシで。昨日のコクり、聞こえてました」
……なるほど。ようやく、からくりが読めてきた。
「昨日の夜、僕を現場に呼び出したのは……」
「当然、仲間が部屋に入るためっす。逢坂サンの毛髪、血液、皮膚片、採取済み」
「そんなものが証拠になるか! 僕らはただ……付き合い始めただけだ! 令状もなしに上がり込んで、勝手にあさった証拠なんて――」
「あは~☆」
屈託なく笑う。いかにも純真無垢な、異様にソソる顔だった。
「センパイのばーか❤ そんな言い訳、いらないぇすよ。うち警察やないぇすし?」
「……なら、何だ!? おまえは一体……何なんだ!?」
例によって、投げたボールは返ってこない。ざくりは質問に答えず、ギターケースに手を回し、後ろ手で器用に開けた。
「どんな気分だったのかな、逢坂サン……。好きなヒトの家に呼ばれて……おしゃれして……無茶苦茶されて――裏切られて――埋められて!」
しゃらり、と銀色の塊を抜き出す。
「どんな欲望を抱こうが、そのヒトの勝手だよ……。それがどんなに下劣で、身勝手で、邪悪でも。だけど、それを実行しちゃうようなバケモノはさ」
そして、ざくりは微笑んだ。
すべてをあきらめたような――はかなげな微笑。
その眼が今、残光を曳いて動く。
「生きてちゃ、ダメでしょ?」
聞こえた声は、耳元だった。
僕の鉤爪は空を切る。いや、とっくに切断されて、宙を舞っていた。
痛みを感じる前に、縦に開いた二枚の刃の先端が、片方は僕の喉もと、もう片方は陰茎の付け根の肉を突き破る。そして――
じょきん、と鈍く、鋏が鳴った。
絶叫がほとばしる。その声が自分のものだと気付いたときには、刃はもう致命的なまでに深く食い込み、骨ごと断ち切っていた。
僕の前面が縦に裂け、どっと中身があふれ出る。大量の血液とともにずり落ちる、大腸と小腸。ほかほかと湯気を立てるそれを、僕はかき集めようと身をかがめ――
ふっと上げた視線の先に、返り血を頭から浴びた、ざくりの無表情があった。
銀色の刃が容赦なく、僕の顔面を左右から割
❤
血だまりの中に立って、私はそっと目を閉じた。
火照った筋肉を冬の風が冷ます。おさまらない震えを殺そうとしたが、上手くいかない。そのうちに清掃員のおじさんおばさんがやってきて、後始末をしてくれた。
ポケットの中がぶるぶる震える。――〈飼い主〉からの、着信だ。
『どんな気分だ、〈赤ずきん〉?』
「……シンプルに胸糞っす」
『気が合うな、私もちょうどそんな気分だ。……せめて、時間を選べなかったのか?』
無理だった。証拠がそろった今、1分1秒であっても、生かしてはおけなかった。
私は血まみれの髪をつかみ、ぐしゃりと握りしめた。
「うちの、せいです……うちが……このゲリ野郎を挑発したから……!」
『自分を襲わせようとしたんだろう? 作戦が裏目に出ただけだ』
「逢坂サンから……目を離したから……!」
『人員不足はこちらの不手際だ。現場の責任ではない』
「だったら……っ、増やしてくださいよ! 狩人を! もっと!」
感情的な私の叫びに、清掃のおじさんおばさんが振り返る。
だが、飼い主はそんな小さな反応すらくれない。ただ機械的に、
『……善処する。事後処理はこちらに任せ、おまえは次の現場に向かえ』
いつものように、短い指示をくだすだけ。
私は大きく息をつき、しぼり出すように、返事をした。
「
通話を切って、ガムを一粒、口に放り込む。
きつく噛み潰すと、脳が揺れるほどのどぎつい甘さが口一杯に広がった。
ぼんやり舌が痺れるのを感じながら、血と
――人狼に喰われた者は、ガムさえ噛めない。誰にもかえりみられず、忘れられていくだけだ。遺族にとっても、本人にとっても、それはつらく、とてもさみしい。
だから私は、探して殺す。
私と同じ、