少女人狼(ガール ル ガルー)♥愛されピンク

      1


 頭のオカシイやつというのは、いるものだ。

 とても常人の理解が及ばない、筋金入りのイカレ野郎というものは。


「ジンローって、見たことあります?」


 12月のある夜、冴え冴えとした満月の下、ひと気のない路地裏で。

 唐突な血だまりの中に突っ立って、そいつはピンク色のガムを膨らませていた。


 周辺の建物から漏れた光が、美しく整った横顔を照らす。

 パピヨン犬みたいな、ふわふわの盛り髪が目立つ。深夜にもかかわらず制服姿で、その上から飛龍のスカジャンを羽織っている。鞄の代わりにギターケースを背負い、拘束具を思わせる無機質なチョーカーをつけていた。


 コンバースの靴が踏むのは、今しがたばかりの、新鮮な死体。

 雑に引き裂かれた胴体から、臓物がはみ出ている。強烈な鉄の臭気が、腐った魚、猫の尿、暖房の油煙、排気ガスなんかと入り混じり、ひどく臭い。


 ――こいつは一体、何者なんだ?

 夜の殺人現場で、ガムを噛んで、わけのわからないことを言っている。


 僕が答えられずにいると、そいつはガムを引っ込め、唇を不満げに突き出した。


「無視すんなし。返事くらいしてくさ――」


 途中で目を見張る。それから僕を指差し、くるくると空中をかき回した。


「あ、あ~、生徒カイチョーの……貴村たかむらリビト――センパイだ❤」


 にっと口角を上げる。発達した犬歯がのぞいた。


「うちのコト、知ってます? 先週、転校してきたばっかの~」


「……四方霧よもぎり


っす。ヨロシク~☆」


 ピースサインをあごに当て、片目をつむる。鮮烈にも思える、まぶしい笑顔。恋に落ちてもおかしくなかった。ここが殺人事件の現場でなければ。


 膝の震えを自覚しながら、僕は血だまりの中を示した。


「……足もとの、それは……おまえがやったの、か?」


 ざくりはカカトで死体を蹴たぐり、きゃっきゃと楽しげに笑った。


「そんなん、JKには無理っしょ~! ジンローの仕業っすよ、ジンロー」


 あまりに唐突な単語だったので、漢字に変換されるまで、かなりかかった。


「ジンロー、って……人狼? 人狼ゲームの人狼?」


 ざくりは答えず、天に電話をかざし、おそらくは僕と並んだフォトを撮る。


「チェキ♪」


 ――それは『チェキ』ではないだろう。あるいは『check it』と言ったのか。……いや、そんなことより。


「何……撮ってんだ?」


「今夜ここで見たコト、ナ・イ・ショ、にしてくません?」


 言葉のキャッチボールを拒否して、頭のオカシイ女は僕に身をすり寄せた。

 イチゴ味の甘ったるい吐息が、熱く僕の耳にかかる。


「ね? いーれしょぉ? セ~ンパイ❤」


 ゆるめ過ぎの胸元から、桃&黒の派手な見せブラがのぞいた。


 ……そんなものに釣られたわけではない。そうではないが、ともかく僕は拒絶するタイミングを完全に逸した。


 そうして、何だかわからないままに。

 得体の知れない美少女かいぶつと、おかしな縁を結んでしまったのである。



      2


「でねでね! その子の正体は、実は宇宙人だったの!」


 月曜の朝、僕は生あくびを噛み殺しながら、自分の教室に向かっていた。

 ここのところ、寝つきが悪い。無論、あの夜からだ。平穏を愛し、退屈な日常こそ尊いと思う僕のような凡人にとって、四方霧ざくりの存在は劇毒だった。


「その宇宙人はね、男が女を食べちゃうことで繁殖するの! もともとがそういう生き物を、地球の倫理観で裁けますか、っていうおはなしなんだけど――」


 聞こえていた声が途切れる。次の瞬間、目の前に怒った顔が現れた。

 黒髪の清楚な美人。僕よりも頭ひとつ背が低く、小動物的な可愛らしさがある。


「リビトくん、聞いてます?」


 黒目がちな眼でにらむ。すねた顔もたいそう可愛い。

 僕はおぼろげな記憶をたどり、とりあえず話を合わせた。


「大昔、そんな漫画があったって話だろ?」


「そ、そうなんだけど……うっすら、聞き流してたでしょ!」


「まさか。僕が占賀うらがのことを雑にあしらうわけないじゃないか。何たって、小中高ずっと一緒の幼なじみなんだぜ?」


 彼女――占賀るみあとは家も近い。当然、親同士も顔見知りだった。中学で疎遠になりかけたが、同じ高校に入ったことで、再び距離が縮まった。結果、僕が愛する『平穏な日常』に少々カゲが落ちることになるのだが……それはさておき。


 幼なじみの気安さで、僕はいい加減な軽口を叩く。


「いつだって君のことを考えてるし、君の声に耳を傾けてるよ。側にいなくてもね」


「うぅ……だまされてる……わたし絶対、だまされてるよぉ……!」


 頭を抱えて苦悩する。そんな占賀を微笑ましく思っていると、ぽんと背中を叩かれた。


「おはよ、貴村!」


 振り向くと、元気印のポニテ女子が、爽やかに笑っていた。


「おはよう、逢坂おうさか


「どしたん? 廊下の真ん中で――」


 逢坂は僕の前、占賀をちらりと見たようだったが、何も言わずに顔を戻し、


「予鈴、鳴ったよ。早く行こ?」


 はねるような足取りで歩き出す。実に溌剌はつらつとしている。一方、占賀は急に塞ぎ込み、口をつぐんでしまった。


 教室に入るまでに、僕は数人の級友と挨拶を交わした。が、占賀に声をかける者は一人もいなかった。それどころか、誰も視界に入れようとしない。


 があってからというもの、占賀の存在は腫れ物扱いで、皆に無視され、いない者として扱われている。

 事情が事情だけに、仕方がないとも思う。彼らにとってはそれが自然なのだろうし、僕自身、あの惨劇を蒸し返すようなことは……したくない。


 とは言え、僕は占賀の友人であり、彼女の味方でいたいと願う一人だ。

 だから、教室にを見つけたときは、黙っていられなかった。


 窓際の一番後ろ、占賀の机の上に、一輪挿しの白い花瓶がのせられている。

 生けられているのは、しおれ、枯れた花――


 さすがに見過ごせず、僕は思わず声を荒らげた。


「何だよ、これ! さすがにこれは――」


「おーす、ホームルーム始めっぞー」


 間の悪いことに、クラス担任が教室に入ってきた。

 この際、彼に訴えるべきだ。僕は教壇に向かって踏み出しかけたが、僕が何か言う前に、占賀がきびすを返し、廊下を走り去るのが見えた。


「何だ、貴村? はよ座れー」


「っ……保健室、行って来ます!」


 無神経な担任にそう言い捨て、僕は教室を飛び出した。


 ひと気のない廊下を走り、占賀の背を追う。料理部所属のくせに(?)占賀はかなりの俊足を発揮し、すぐに見えなくなった。


 階段に駆け込んだところまでは見えていたのだが、上に行ったのか、下に行ったのか、それがわからない。耳を澄ましても、足音などは聞こえない。


 少し迷ったが、僕は上を目指した。この学校は屋上が開放されている。ネットをかけ、虫かごのように覆って、運動場にしてあるのだ。放課後はバレー部が練習に使っているほどで、もちろん安全ではあるのだが……。


 ネットを突き破る手段があれば、飛び降りることはできる。


 最悪の想像に怯えながら、僕は階段を駆け上がる。占賀を取り巻く状況が、こうなってしまった原因――半年前の事件を思い返しながら。


 半年前の6月、校内で一人の女子生徒が死んだ。

 ……死んだ?

 いや、違う。殺されたのだ。頭のオカシイ殺人鬼によって。


 あまりに強烈な光景ゆえに、今でも僕の頭に焼きついている。

 場所は放課後の家庭科室。床は一面、血の海だった。投げ出された白い肉――それが右足であることは、上履きの向きでわかった。断面はケチャップをディップしたソーセージのようで、胴体とは繋がっていなかった。


 その切断された足の前に、占賀るみあが座り込んでいた。

 殺人の現場に。一人きりで。


「う、占賀……!? なん、で……こんな……っ」


 血の臭いにむせてしまい、上手く言葉が出てこない。勝手に呼吸が速くなり、僕は溺れかけた人のように、酸素を求めて激しくあえいだ。


 子どもの頃から知っている彼女、よく知っている友人が、今ではもう、知らない何かになってしまったような、そんなおののき――

 それを否定したくて、僕は血の海に踏み入り、彼女を揺さぶった。


「何が……あったんだ?」


 逆流する胃液をこらえながら、犠牲者の遺体を一瞥いちべつする。

 ボタンをむしり取られ、むき出しになった乳房。鉤爪で力任せに引き裂いたような、雑な傷痕が縦に走り、中身が一部、舌のように飛び出している。


「占賀! 何とか言っ……言ってくれ!」


 耳元で怒鳴っても、占賀は答えてくれなかった。


 透明な涙が頬を濡らしている。占賀はガラス玉のように虚ろな瞳で、いつまでも自分の手元――両手で握りしめた、銀色の包丁を見下ろしていた。

 血の一滴もついていない、誰も傷つけていないはずの、その刃を。


 あれから6か月が経つというのに、事件は未解決のままだ。

 凶器がわからず、殺害方法もわからない。熊の仕業だとほざく無責任なコメンテーターもいたが、校内にいた者も、近隣住民も、誰もそれを見ていない。


 無論、占賀が犯人であるはずはない。それは、あり得ない。包丁などでは絶対につけられない傷に見えたし、彼女が握っていた包丁には血も脂もついていなかった。


 そもそも、あれは人間にできる所業か?

 どんなイカレ頭だろうと、人間のりょ力では難しい。放課後の校舎に入り、誰にも見られず実行できるとすれば、それはやはり人間ではない、別の何かだ。

 そう、たとえば――


 先日聞いた単語が脳裏をよぎり、僕は自嘲した。


「……馬鹿な。何を考えてる」


 理屈に合わないから、人狼の仕業だと? それは推理とは言わない。オカルトマニアがよくやる妄想。自分が好きな空想に、現象をあてはめているだけだ。


 ――だが。

 ざくりが踏みつけていた、あの遺体。半年前のそれと、似ていなかったか?


「……つうか、そもそもあいつは何なんだ?」


 膨らんだガムを割るように、一発で僕の平穏をブチ壊した。おかげで僕は調子が狂い、占賀も見失って――いや、これは八つ当たりか。


「四方霧ざくり、か……」


「ほい?」


 聞き覚えのある声に、僕は飛び上がった。


 いつの間にか、屋上に出ている。冬の屋外は当然寒く、切りつけるような風が吹いていたが、そいつは階段室の屋根に座って、平然とガムを膨らませていた。


 ガムを引っ込め、「にししっ」と犬歯を見せて笑う。


「こんちっす☆ リビトセンパイ❤」



      3


「いーけないんだ♪ 生徒カイチョーが朝イチ、サボリとか~」


 小悪魔っぽい笑みを浮かべ、ざくりは僕をはやし立てた。


 盛り髪が揺れる。太陽の下で見るその髪は、正気を疑うピンク色。メッシュなのかハイライトなのか、ところどころが金色で、インナーカラーはエメラルド。何て派手なカラーリングだ。おまえの頭はサーティーワンか。


「会えるなんて、らっき❤ せっかくですし、デートしません?」


「どのへんが『せっかくですし』だ。切腹も切迫流産もあるか」


「せっくす?」


「言ってねえええ!」


 僕は早くもヤツのペースにのまれ、ざくりはますます調子づく。あはー、と馬鹿笑いする彼女に業を煮やしつつ、僕は冷静ぶって声を抑えた。


「……あのな、四方霧」


「ざ・く・り。いー加減、名前で呼んれくぁさいよぉ」


 なんて? と確かめたくなるくらい、舌っ足らずのしゃべり方をする。これがコイツの平常運転であり、脳にダメージを負っているわけではない。


 と言うか、それ以前に――


「距離感が壊れてるぞ。いい加減なのはおまえの測距計だ」


「え~? センパイ、ノリ悪~。オクテのヒト~?」


「黙れパリピ。……つうか、大丈夫なのか、その顔」


 ざくりの左頬に、ペンキでもはねたかのように、赤い飛沫が飛んでいた。

 萌え袖にしたスカジャンで、ざくりはこしこしと頬を擦る。あらわになった頬はつるりとして、傷のようなものは見当たらなかった。


「あえ? うちの血やないれすね」


「返り血……? また誰かバラしたのか? 登校中に?」


 僕が冷ややかに問うと、ざくりはむすっとして、唇をとがらせた。


「しーまーせーんー。センパイ、うちのコト何らと思ってるんぇす?」


「『悪目立ちする転校生』だったが、先日『頭のオカシイ殺人鬼』に昇格した」


「しっつれー! でもま、当たってるカモ❤ にししっ」


「ついでに『関わりたくない危険人物ランキング全一』だ。じゃあな」


「やぁ~ん、まだイかないれぇ!」


「妙な声出すな! 何が『やぁん』か!」


 鼻にかかった甘い声が、あらぬ誤解を生みそうだ。僕はあわてて視線を巡らせたが、幸い、と言っていいのか、占賀の姿は見当たらなかった。


 占賀の姿が見えないならば、ここに長居する理由もない。だが、ざくりは玩具おもちゃ――僕を逃がすつもりがないらしく、ひょいっと身軽に屋根の上から降りてきた。

 短いスカートをギターケースが噛み、尻のくまチャンがコンニチワする。指摘するのも野暮かと思い、僕は気付かなかったふりをした。


 ざくりは急にしおらしくなり、恥ずかしそうな上目遣いをした。


「あの……実はセンパイにお願いがあってぇ……」


 もじもじと至近距離から僕を見る。まるで、隙だらけの胸元を見せつけるように。――コイツは絶対、わかった上で挑発している。のせられるのは癪なので、僕は理性を総動員し、平常心を保ってざくりを見返した。


 派手な顔だが、印象よりもメイクは薄い。ラメ入りのアイラインと、ピンクのリップが目につくくらい。長いまつ毛は自前のようで、自然なボリュームだ。


「センパイのコト、すっごく気になるの。やから、付き合って欲しい」


 無論、コクるコクらないの話ではない。


「……、ってんじゃないだろうな?」


 思った通り、ざくりは『にっ』と唇を横に広げた。


「さっすが❤ 生徒カイチョーかしこい❤ おりこう❤」


 煽られても、気にならない。僕の頭は別のことに占められている。

 半年前、無惨に損壊されていた――人間の仕業とは思えない――あの遺体だ。


「おまえが言う人狼ってのは、何だ? そもそも……」


 現代に生きる常識人として、当然の疑問をまずぶつける。


「『いる』と思ってるのか? 本当に?」


「どーして『いない』と思うんれす? 逆に?」


 面倒くさいことを言い出した。オバケやら宇宙人やらがいるかいないか論争か。

 不毛な議論はしたくない。僕は別の角度から問うた。


「質問を変えよう。どうして、それを探してる?」


 ふと、ざくりの眼が遠くなった。

 紅茶色の瞳に冬の空を映し、彼方を見つめる。まるで死びとのように静謐せいひつに。小悪魔的な表情はなりを潜め、初めて会ったときと同じ、ある種の神々しさが漂う。


 そうして、ざくりはひと言、


「さみしいから」


 と、つぶやいた。


 寂しい――とは、どういう意味だろう。言葉通りの意味なのか。自分と同じ怪物を見つければ、その寂しさは埋まるのか。


 不可解さで胸焼けがする。だが、質問を重ねる暇を、ざくりは与えてくれなかった。

 僕の腕にしがみつき、胸で挟み込むようにしながら、甘えた声を出す。


「ね? いーれしょぉ? 一緒に犯人を探しましょうよぉ。センパイだって気になってゆれしょ? あの事件の第一ハッケンシャだもんね?」


 ……悔しいが、その通りだ。この半年間、ずっと気になっている。


 怪物の仕業です、なんてヨタ話には賛同しないとしても。

 犯人が捕まっていないのは事実で、これでは平穏な日常とはとても言えない。占賀のことだって、いつまでも放ってはおけない。このままでは早晩、心が壊れてしまう。


 この『頭のオカシイ』ざくりなら、あらゆる常識をぶっ壊して、警察がたどり着けなかった真相にも到達できる……かもしれない。


 それを黙って見ているなんて、できない。何もしなければ、絶対に後悔する。

 だから、僕はこう答えた。


「わかった。やろう」


「やった~♪」


 はしゃぐざくりは愛らしかったが、こいつの言いなりになるのは腹立たしい。僕はちょっと意地悪な気分になって、嫌みったらしくたずねた。


「で、報酬は? タダ働きってわけじゃないよな?」


「え!? え~っと……なんと! ざくりチャンの『友だち』カテに入れたげます!」


 ざくりは電話を取り出して、メッセージアプリの画面を見せた。


「こぉんなkawaiiコの連絡先ゲットれすよ♪ やりましたねセンパイ❤ モテお❤」


「やめた。帰る」


「待ってぇ! えと、えと、じゃあ――ガム貸したげます! ぁい、ろーぞ❤」


「しまえ! きたねえ!」


「き、きたなくないしぃ! そんなんゆってたら、ちゅーもできないしぃ!」


 ざくりの唇が妙になまめかしく見えて、僕は赤面した。ギャルっぽいやつから『ちゅー』とか聞くと、妙な生々しさを感じてしまう。


 ざくりは「ふむ」と考え込んだ。シリアスな雰囲気を漂わせ、マジ顔で訊く。


「じゃあ――うちのばりエロいパンツ……見ます?」

「hentai路線から離れろ! つうか、おまえ今日くまチャンだろうが!」

「びにゃ!?」


 奇声を発し、かーっと赤くなる。こいつにも恥じらいがあったのか……なんて淡い期待は2秒後に裏切られた。ざくりはスカートの前をぺろんとめくり、


「まじだ……エロいのはいてない……! 勘違いして、恥っずぃよぉ……!」


「恥じらいポイントそこかよ! つうか馬鹿! おまえもう、すべてが馬鹿!」


「あはー☆ センパイ、テンパってヘン♪ おっかし♪」


「おまえはお脳がテンペストだわ……」


 こいつのノリに付き合っていると、精神が汚染されそうだ。僕は無駄話を打ち切り、


「報酬の話はもういいよ。それで結局、僕は何をすればいいんだ?」


「とりま、LINE交換しましょ~。センパイでもできそーなシゴト、明日までにざくりチャンが考えときますから」


 さらっと無能扱いされた。若干イラリとしたが、頭のオカシイ殺人鬼から見れば、男子高校生など貧弱な小僧でしかないのだろう。仕方がない。


 しぶしぶ二次元バーコードを見せ、登録させる。こんなやつと繋がって本当に大丈夫かと不安になりながら、承認ボタンを押したところで、に気付いた。


 階段室の入り口、鉄扉の曇りガラス越しに、こちらをのぞく占賀が見える。


 ざくりが僕の視線を追い、そちらを見る。普段眠そうな眼に、油断ならない知性の光が閃き、何か――疑惑を深めたように見えた。

 しかし、何もコメントしない。ざくりはとぼけた調子に戻って、


「オッケっす。センパイは授業ぇす? うちは今日もうオワリぇすけど」


「始業したばかりだろうが。おまえも教室に戻れ」


「ばいばい、センパイ♪ あとでLINEするね❤」


 またしても会話のキャッチボールを拒否。

 ぶんぶん手を振るざくりには、尾を振る犬のような可愛げが、なくもなかった。



      4


 階段室に入った僕を、占賀は早速、詰めにかかった。


「今の子、誰?」


 冷え切った声音で、厳しく問う。


「僕もよくわかってないんだが……まあ、頭のオカシイ後輩?」


「あの子とは、もう会わない方がいいと思う」


 すっぱり言われて、僕は面食らった。占賀は人当たりがよく、そんなことを言うタイプではなかった。少なくとも、半年前までは。


「わたしのこと、すっごく嫌な目で見たし」


「……チラッと見ただけだろ?」


 さすがに被害妄想だ。ざくりから見えたとも限らない。


「むしろ――話してみないか? 君のこととか、色々」


 占賀の顔に怯えが走った。白い肌をますます青白くして、小刻みに首を振る。


「そんなこと……できるわけないでしょ!? わかってるくせに!」


「あいつは転校生で、偏見もない。腹を割って話してみれば、案外、友達に」


「リビトくんには、わたしがいればいいじゃない!」


 校舎中に響き渡るのではと心配になるくらい、激しい叫びだった。


「わたしには、リビトくんだけなんだよ……!?」


「貴村?」


 と、不意に名を呼ばれた。


 眼下、三階の廊下から、女子が僕を見上げている。

 同じクラスの逢坂のえみ。HRが終わったので、廊下に出て来たらしい。


 占賀が手すりの陰に引っ込む。そちらを背中に隠しながら、僕は階段を降りた。


「驚かせてごめん、逢坂」


「えっ? そんな別に……何か、お邪魔だった?」


「いや、そんなことは――」


 と、逢坂が握っているものに気付く。占賀の机にあった、あの一輪挿しだ。


「逢坂、それ……」


「あ――まあ、その、さすがに可哀想かなって……めっちゃ枯れてるし」


 逢坂は恥ずかしそうに、しおれた花を引っこ抜き、ごみ箱に投げ捨てた。


「いいやつだな、逢坂」


「ちがっ……そんなんじゃないし! 日直――ではないけど、それ的なやつだし!」


 あわわっと片手を振って否定する。それから、哀しげに目を伏せて、


「あたしも……無関係じゃ、ないから」


「どういう意味?」


「あのとき……事件の日ね、あたし、ほんとは見たの。だけど、そのこと上手く説明できなくて……だから、犯人がまだ捕まらないのは、あたしのせいかもしれない」


「見たって――犯人をか!?」


 僕が食い入るように見つめていると、逢坂は自信なさそうに続きを言った。


「貴村も絶対、信じられないと思う。刑事さんも半笑いで……だけど、確かに見たの。大きな、毛むくじゃらの……黒い……何だろ……熊……犬――みたいな」


 一瞬、僕は呼吸を忘れた。


 こんな身近に、目撃者がいたのだ。言っていることは確かにファンタジーで、世間的には荒唐無稽。ざくりと出会う前の僕なら、笑って聞き流していただろうが……。


「その話、もっと聞かせてくれ!」


「う、うんっ? いいけど……」


 思わず逢坂の肩をつかんでしまう。僕はあわてて手を離し、それから、周囲を見回した。廊下は多少ざわついていたが、騒がしいのは教室の中で、廊下を歩く者はいない。


 ……この話をここでするのは、危険だろうか?


 逢坂の見たモノが、ざくりの探している存在なら、あいつがどう出るかわからない。漏れても安全な情報かどうか、まずはこちらで判断したい。


「後で――学校が終わってから、会えないか?」


「えっ? 放課後? あたしとっ?」


「うん。さっきの話、詳しく聞かせて欲しいんだ。二人だけで」


 気がつくと、逢坂はほんのり頬を染め、呆けたように僕を見ていた。


「逢坂――どうかした?」


「えっ、ううん! 何でもない!」


 ごまかすように笑う。漂う緊張感、不自然な挙動から、僕は察した。


「……ごめん。思い出したくないよな、事件の記憶なんて」


「だ、大丈夫、頑張る! 好きな人の頼みだもん、このくらい……」


 事件の凄惨さとは全く無関係な理由で、逢坂は硬直した。

 見る間に耳まで赤くなり、花瓶を放り出し、両手で顔を覆う。


「今の、なし!!」


 悲しいくらい無意味な主張。ちなみに、花瓶は僕が空中でつかまえた。


 逢坂は顔を隠したまま、「……だめでしょうか?」と訊いた。僕は苦笑して、


「なしでいいよ。でもまあ、聞こえてしまった」


「だよねええ! ばかだああ!」


 しゃがみ込み、打ちひしがれる。逢坂はしばし羞恥にもだえていたが、やがて思い切ったように立ち上がり、潤んだ瞳で僕を見つめた。


「あの……ずっと前から好きでした」


 開き直ったらしい。フランクな級友の突然の丁寧語は抜群の破壊力を発揮し、僕の心臓を見事に射抜いた。こちらまで体温が上昇し、万事がぎこちなくなる。


「それは……ありがとう。光栄……です」


「脈、ない?」


「なくは…………ない」


 ぱあっと逢坂の顔が明るくなり、魅力的に輝いた。おいやめろ。これ以上、可愛いところを見せるんじゃない。うっかり襲ってしまったら、どうする。


 僕は欲望の首根っこを押さえつけ、あくまでも真面目に言った。


「好意につけ込むようで悪いけど、放課後、付き合って欲しい。場所は……そうだな、駅周辺の喫茶店とか――僕の家でもいいけど」


「家っ!? 貴村のっ!?」


「いや、別に家でなくていいんだが……」


「い、行く! むしろ行きたい!」


「そ、そう? じゃあ、そうしよう。とりあえず、連絡先」


 ざくりと交換したばかりで、またひとつ新規の連絡先が増えてしまう。

 逢坂は電話の画面をしげしげと眺め、はにかんだように笑った。


「えへへ……じゃ、あとでね!」


 小走りで去っていく。細い腰、しっぽのように揺れる髪に、僕は何だかむずむずした。甘やかな気分で逢坂を見送り――不意に背筋が凍りつく。


 おそるおそる、後ろを振り向く。

 思った通り、階段から僕を見下ろす占賀は、ひどく恐ろしい顔をしていた。



      5


「占賀、今のは――」


 言い訳しようとした口を、問答無用で塞がれた。

 激しく貪られ、息が詰まる。逃れようとするのだが、頭を抱え込まれているのか、反っても振っても占賀は離れない。


 ようやく離れた占賀の顔は、ボロ泣きだった。


「やだよっ! やだやだ! そんなの絶対、許さない!」


 僕の胸にしがみつき、感情的にわめく。


「許さない! 許さない! 許さない許さない許さない許さない許さない――」


「落ち着け!」


 自分の声が廊下に響き、びくりとした。僕は声を潜め、早口でささやく。


「……落ち着いて。何を誤解して、そんなに思い詰めてるんだ」


「わからないの!?」


「……わかるけど」


「それじゃ」


 目つきを鋭くし、絶対に反論を許さない調子で、占賀は言った。


「今から、リビトくんの家に行こう?」


「それは……やめた方がいい。家にはもう、誰もいない」


「……だからでしょ、ばか」


 それとも――、と言葉を継ぐ。占賀は荒んだ笑みを頬に貼りつけ、


「嫌なの? わたしと一緒じゃ?」


 責めるように言う。『ように』ではなく、実際に責めているのだが。


「わたしをこんなふうにしたのはリビトくんだよ。……責任、とってよ」


「……わかった」


 我ながら、ひどいざまだ。何の反論も、抵抗もできない。


 鞄を取りに教室へ戻り、すれ違った担任に早退するむねを告げる。それから占賀の目を盗み、逢坂に「後でLINEする」と耳打ちした。


 こくこくと首を振る逢坂は期待に満ち、初々しく、健気だった。彼女の純真を今から裏切るのだと思うと、自分の汚さに吐き気がする。それでも、自己嫌悪や憂鬱さとは無関係に、僕という人間はやるべきことを淡々とこなすのだ。


 愛する平穏を守るため。どれだけ不健全で、不誠実で、不可解であっても。


 僕は占賀を連れ、ほとんど何もしゃべらずに帰った。

 途中のドラッグストアに寄り、店員の視線にビクつきながら、0.02ミリと記された商品を買う。相当な羞恥プレイだが、それは必要なことだった。


 そしてその日、僕たちは疑いようもなく、彼氏と彼女になった。


 詩的に言えば、ひとつになった。文学的に言えば、激しく求め合い、交じわった。

 三度放ってなお、欲望のたぎりはおさまらなかった。時間をおいてさらに三度、最後はしぼり出すように吐き出して、ようやく落ち着く。


 最中の自分は、本当に最低だった。相手を気遣う余裕もなく、蹂躙じゅうりんしただけだ。むしろ、与える苦痛に歓びすら感じ、さらにたけった。僕をこうさせているのはおまえだぞと、責任を押しつけ、なぶる気持ちすらあった。


 だからこそ、終わった後では優しくもなる。

 泣いている彼女をそっと抱き寄せ、いたわり、微笑んでくれるまで寄り添う。まどろみのような甘い時間の後で、僕は「家まで送るよ」と告げた。


 すっかり日の落ちた道を、まだ歩きにくそうな彼女の手を引き、噛み締めるように歩く。甘酸っぱくも、もどかしい――たぶん人生で一番幸福な、言葉少なの道行き。


 おやすみを告げて別れ、帰宅したときには、とっくに夕食時を過ぎていた。


 泥を払って靴を脱ぎ、自室に戻る。そこにはまだ熱狂の残滓ざんしが漂い――何と言うのか、生き物の臭みが充満し、実際に血なまぐさかった。

 シーツはぐしゃぐしゃに乱れ、血やら何やらの染みが乾かず、座るのをためらうほどに汚い。僕はとりあえず窓を開け、冬の寒気を部屋に招き入れた。


 欲の限りを発散した後の虚脱感が、思い出したように襲ってきて、全身に覆いかぶさる。僕はしばしぼんやりと、揺れるカーテンを眺めた。


 ふと、机の上で電話が震えた。

 点灯した画面に、ざくりからの着信を示すメッセージが表示される。


『あたおか後輩 写真を送信しました』


 通知文と小さなサムネイル。よくわからないが、ざくりと誰かのツーショット――


 ぎょっとなる。息を詰めて待つこと数秒、次のメッセージが浮かび上がった。


『見ました? この死体は先輩のクラスの女子で』


 その先に続くだろう文字列を、僕はとっくに知っている気がした。


『逢坂のえみ』


 僕はすぐさま電話をつかみ、ただちに部屋を飛び出した。



      6


 急いでシャワーを浴び、着替えを済ませ、家を出る。


 ざくりに指定された公園は、徒歩10分ほどの距離にあった。開発前の丘陵がそのまま残った土地で、整備された歩道と運動場に加え、原生林の斜面がある。林は昼でも薄暗く、見通しがきかない。


「センパ~イ、こっちっす!」


 原生林の入り口、立ち入り禁止のゲートにもたれ、ざくりが手を振っていた。

 ギターケースを背負い、ピンク色のガムを膨らませた、いつものスタイルだ。


 ざくりは背伸びして、ふんふんと鼻をうごめかせた。


「あぇ? センパイ、おフロあがりっすね。いー匂い~❤」


「馬鹿、ふざけんな。――で?」


 一刻も早く知りたいという気持ちと、一生知りたくないという気持ちがせめぎ合い、僕の声は強張っている。ざくりは見透かしたように笑い、先に立って歩き出した。


 舗装路を少し行くと、異様な賑わいが目につくようになった。

 警察車両が進入し、ライトが周囲を照らしている。斜面の入り口には人だかり。腕章をつけた記者以外は、近所の野次馬らしい。


 ざくりは木立ちの奥、斜面の上を示した。煌々と輝くライトの明かりで、青いビニールシートの囲いが見える。中で揺れる人影は、警察関係者のものだろう。


「死体はあそこっす。ほかの写真、見ます?」


 ひょいと僕に電話を渡す。既にカメラアプリが開いてあり、死体と写るざくりの自撮りがわんさと出てきた。死体と記念撮影する意味がわからない。


 ニット地のハイネック。直線的なロングスカート。ショートブーツ――もっと活動的なものを想像していたが、逢坂の私服は落ち着いていて、上品だった。


 そのすべてを台無しにする、深い亀裂。鎖骨の中央から下腹部にかけ、どす黒い裂け目が生じている。氷を割るための斧だとか、錆びついたなただとか、あるいはだとかで、力任せにこじ開けたような、苛烈な傷痕だった。

 衣服が真っ赤に染まっていることから、出血量の多さがわかる。つまり、死後につけられた傷ではない。逢坂は生きながらにして腹を裂かれたのだ。


 何枚か見るうちにわかったが、逢坂は片方の足を失っていた。

 掘り返したと思しき地面は浅く、穴とも呼べないへこみに過ぎない。

 顔は綺麗なままで、それが救いのようにも、かえって救いがないようにも思えた。


 呼吸が乱れ、胃酸の味が口に広がる。僕はぼろぼろと涙をあふれさせながら、やっとのことで、ざくりに電話を返した。

 ……この涙は本当に、悲しみによるものだろうか? 僕はそんなに情の深い人間だろうか? つい先ほど、逢坂の気持ちを裏切ったばかりだというのに?


 今朝、僕を好きだと言ってくれたときの、言葉の熱を思い出す。

 羞恥に燃えた頬の赤み。首筋からふわりと立った、シトラスが香る体温。

 そういったものを、僕の身体はまだ覚えているのに――


 こんな寒々しい、野ざらしの土の上で、彼女は冷たくなっている。


 そして今、僕の目の前には。

 死体と記念撮影をするような、頭のオカシイ殺人鬼がいた。


「これを……やったのは……?」


「人狼」


 月明かりの下、ざくりはうっすら微笑んで、真っ白な犬歯を見せた。


「――っすよ。もちろん」


 首筋に牙が当たったような、冷たい戦慄を覚える。

 今はっきりと、僕は恐怖を感じていた。


 このざくりが――僕は怖い。


 怯えて身を固くする僕の周りを、ざくりはゆっくりと歩き出す。


「見ての通り、お腹も、脚も、生きたまま『ざくり』っす。生活反応なんかは警察のヒトが調べると思いますけど……あるでしょうね」


 息が荒くなるのを自覚しながら、僕はかすれ声で訊く。


「結局、おまえは……僕に、何が、言いたい、んだ?」


「似てません? 半年前の事件と」


 半年前、占賀が現場にいた、あの事件――

 傷痕の感じはよく似ている。片足を断ち切るのも同じだ。


「……同一犯?」


「ってゆう仮定で、二つの遺体から犯人像を推測すると」


 らしくなく思慮深げな口ぶり。ざくりは天を振り仰ぎ、指折り数えた。


「うちらと同じガッコの高校生で。被害者とは面識があって。住所はこの区、ガッコから徒歩圏内。で、たぶん――『女子』」


 最後が予想外だ。こんな乱暴な殺人、男がやるものだという先入観があった。

 鼓動が加速するのを感じながら、僕はざくりに確かめる。


「女子? 何故だ?」


「オトコを犯人とした場合、あるはずの痕跡がないっぽくてぇ」


 謎めかした言い方をする。僕は少し考えて、


「――着衣の乱れ?」


「あは~☆ そこは『精液』っしょ?」


 僕がせっかくぼやかしたのに、ざくりは露骨な単語を口にした。


「人狼の快楽殺人ぇすよ? こんな可愛いコ、オスならむしゃぶりつきますて。生きてるのと死体、どっちが好きでも同じコトっす」


「……決めつけだろ。そんなの、わからないじゃないか?」


「もいっこあります、理由」


 ざくりはくるんとターンして、周囲の雑木林を示した。


「ここ、住宅地が近いので、ヒトひとり運び込むのはちょー大変っす。なので、担ぎ込んだんやなくて、本人に歩かせた……と考えられる」


 誘い込んだということか。言葉巧みに騙した、とかで。


「相手がオトコならぁ、こんな暗がり、女子的に抵抗感じません?」


「……その男が、友達とか、親兄弟という可能性は?」


「逢坂サンは彼氏ナシ、交際歴ナシ。家族構成は姉ひとりの母子家庭っす」


「だが! 犯人が女子なら、こんな、むごいこと……っ」


「やりますよ。人狼は。ヨユーで。うちだって――」


 にししっ、と軽く笑って、ざくりは最後をごまかした。


「うちのケイケン上、人殺しにも二パターンあるっすよ。『結果、殺すヒト』と、『とりま殺すヒト』。とりまの方はばかだから、後先なんか考えない」


 だから、やると言うのか。こんな恐ろしいことを、その場の勢いで?


 冬の夜だというのに、熱帯夜のように息苦しくて、汗が止まらない。

 つい数時間前、僕はここを通過している。を家に送るためだ。僕らは二人でここを歩いた。そして――


 さよならを言って別れた後のことを、僕は把握していない。ざくりがどうして、死体を見つけたのかも。


「……帰って、いいか?」


 やっとのことで、僕はざくりにそう言った。


「気分が……悪いんだ」


 一瞬、ざくりの顔から笑みが消えた。

 何の感情も見えない、洞窟のように暗い瞳で僕を見る。まるで獲物を見据える――いや、そんな興奮すらない。刈り取る麦穂を見るような、そんな眼差しで。


 それも一瞬だ。ざくりは普段通りのゆるんだ顔で、ひらひら手を振った。


「もちろんっす。帰り道には、お気をつけて――暗いぇすから❤」



      7


 一睡もできないまま朝を迎え、寝不足のまま登校する。


 教室の花瓶は二つになっていた。逢坂の件はクラス内SNSで知れ渡っていて、級友は半数が欠席。担任も疲れた表情で「今日は無理せず帰っていいぞ」と言った。


 僕は1時間目をフケて、ひとり屋上に向かった。

 ここでなら、と思った。そして、その想いは裏切られなかった。


「おはよう、リビトくん」


 待ち構えていたらしい。占賀は愛らしく小首を傾げ、


「どうしたの? わたしと話がしたかったんでしょう?」


 前置きも、挨拶もなしで、僕はストレートに訊いた。


「逢坂を……殺したのか?」


 くすり、と占賀は笑った。


「やぶからぼうだ」


「怪物……なんだろ? そう……なんだよな?」


 主語をぼかした問い。占賀は蔑みの見える、薄っぺらな微笑を浮かべた。


「そうだよ。本当は、気付いていたでしょ? だけど、見ないふりをしてた。わかってたのに、ずっと自分をごまかして、知らない顔をしていた」


「どうして人を殺す!? 何で……逢坂まで殺した!?」


「仕方ないじゃない。だって、リビトくんを誘惑したんだもん」


「違う! そんな理由で殺したんじゃない!」


「……そうだね。もっとマシな理由は――『証拠隠滅のため』かな?」


 平均台の上を歩くように、占賀は両手を広げ、とことこ歩き出した。


「だって、目撃者かもしれないもんね? 生かしておくのは危険だし、ヘンな後輩も近くにいるしで、余裕がなかった。だから雑に殺したの。こう言えば、満足?」


 言葉が出ない。僕が何か言う前に、占賀が言葉をかぶせる。


「これも違う? ふふっ、そうだね。本当はただ『気持ちよかったから』だ!」


 決めつけるような口ぶり。占賀は吹っ切れた様子で、ほがらかに言った。


「それはとても強い衝動――とても甘美な誘惑。麻薬とどっちが強烈なのかな? ずっと騙し騙しやってきたのに、春頃、ついに歯止めがきかなくなった。初めにお母さんを殺して埋めた。次は学校で――大好きだった女の子をやっちゃった。さすがにショックで大人しくなったけど、一度覚えた快楽の味は忘れられない。我慢して、我慢して、半年も我慢したのに、ついに昨日、爆発しちゃったの♪」


 言いながら僕の首にまとわりつき、耳元でささやく。


「仕方がないよ。怪物に生まれてしまったのは、怪物の責任じゃない。本能には抗えないの。あんなに可愛い猫ちゃんだって、オスは仔殺しするんだよ? メスを発情させるためだけに。だったら、人狼だって――」


「もういい!」


 僕は空に向かって叫んだ。外気の寒さを忘れるくらい、心が冷えていた。


 こんな議論に何の意味がある。起こってしまったことは、変えられない。怪物だろうが、そうでなかろうが、欲望のままに人を殺した、その事実は変わらない。


 僕はもう何も考えられず――考えたくなくて――泣きべそをかいて言った。


「自首、しようっ」


「して、どうなるの?」


 しかし、占賀は僕の甘えを許さなかった。冷たく僕を見据え、鋭く問う。


「誰が許してくれる? 誰も許さないよ? わたしだって許さない。死ぬんだよ! むごたらしく――自分がそうしたように、ヒトに吊るされるの! 人狼は!」


 込み上げる嗚咽おえつを噛み殺し、僕は占賀にたずねた。


「僕は……どうすればよかった?」


「別に? 何も? 言ったでしょ? 怪物であることは、怪物のせいじゃない。ただ運命を受け入れて――死ねばいい」


 言うだけ言うと、占賀はその場でくるくると踊り出した。

 かごの鳥が解放され、自由を謳歌するように。軽やかに跳躍し、笑っている。


 気力を失い、僕の膝から力が抜けた。下がり、よろめき、座り込む。


 僕らは一体、いつ、どこで、何を間違えたのだろう?

 頭の中が真っ白で、言葉が出てこない。もう何もわからない――


 そのとき、ぱんっと甲高い破裂音が響き渡り。

 虚無に陥りかけた僕の意識を、一気に現実に引き戻した。


 振り向くと、派手な色味の頭があった。割れたガムが髪を巻き込んだらしく、何かのクリームで必死に落としている。やがて僕の視線に気がつくと、


「ヘコんでるっすね~、センパイ❤」


 四方霧ざくりは、にまっと犬歯を見せて笑ったのだ。



      8


 手慣れた様子でガムを溶かすと、ざくりは掲げた電話に横ピースをキメた。


「いぇい♪ ゲロ泣きのセンパイとツーショ❤」


「……何撮ってんだ、おまえ」


 相変わらずの傍若無人。相変わらずの一方通行コミュニケーション。


「うち、こんなん……キャラ違うってゆーか、言えたギリないぇすけど」


 ざくりは殊勝な調子で、らしくないことを言い出した。


「センパイには、泣かないで欲しい」


「――――」


「センパイが泣いてたら、逢坂サンもきっと……悲しみます」


 僕は驚き、聞き流せずに、確かめる。


「知り合いだった……のか?」


「違うけど……でも、わかる。だって普通、悲しいよ――自分を糞野郎が、自己憐憫で泣いてたら」


 どっどっどっと、僕の心臓が跳ね馬のごとく暴れ出した。


 ……何だ? 何が起こった?


 何が……狂った?


 わからない。わからないが、わかっていることが、ひとつある。

 壊れようとしている。僕の平穏――苦労して創り上げた、僕の世界。


 落ち着きたいときの癖で、僕は占賀を視界に探す。こうべを巡らす僕の前に、ひょいとざくりが回り込み、不可解そうにあたりを眺めた。


「センパイさぁ、いっつも何を見てるの? さっきの独り言、誰と話してたの? まさか、占賀サンの幽霊――なんて言い出さないよね?」


「……うるさい。黙れ」


 ようやく、僕は占賀を見つけた。ざくりのすぐとなりから、僕に微笑みを向けている。半年前――僕の本性に気付くまで、そうしてくれていたように。


 占賀はもう僕にしか視えない。だから、誰も話しかけない。なぜなら、占賀はとっくにからだ。彼女は消えた。この世界から、いなくなった。


 なのに、今でも見える。僕に都合のいい、幻想の彼女が。


「ま、どーでもいいけど」


 人が変わったように淡々と、ざくりはダレた口調で語り出した。


「思えば、ダッサい話っす……凶器が見つからないからって、警察はセンパイ――最有力の容疑者を逮捕できなかった。それで『警察ちょっろ♪』とでも思いました? それとも単に、チンチン我慢できなくなっただけ? うちみたいにアヤシイのがウロウロしてんのに、逢坂のえみに手を出して――あげく、あんな街中に死体捨てるとか、ヤケクソ過ぎでしょ。まーじのばかなんれすか?」


 自分でもわかる。僕は混乱している。動揺で震えながら、僕は叫んだ。


「おまえ、言ってただろ! 逢坂を殺したのは、女子だって!」


「アンタの反応を見たんれすよ。あの状況、誘われてついてくとしたら好きピだけ。――あ、オトボケはナシで。昨日のコクり、聞こえてました」


 ……なるほど。ようやく、からくりが読めてきた。


「昨日の夜、僕を現場に呼び出したのは……」


「当然、仲間が部屋に入るためっす。逢坂サンの毛髪、血液、皮膚片、採取済み」


「そんなものが証拠になるか! 僕らはただ……付き合い始めただけだ! 令状もなしに上がり込んで、勝手にあさった証拠なんて――」


「あは~☆」


 屈託なく笑う。いかにも純真無垢な、異様にソソる顔だった。


「センパイのばーか❤ そんな言い訳、いらないぇすよ。うち警察やないぇすし?」


「……なら、何だ!? おまえは一体……何なんだ!?」


 例によって、投げたボールは返ってこない。ざくりは質問に答えず、ギターケースに手を回し、後ろ手で器用に開けた。


「どんな気分だったのかな、逢坂サン……。好きなヒトの家に呼ばれて……おしゃれして……無茶苦茶されて――裏切られて――埋められて!」


 しゃらり、と銀色の塊を抜き出す。

 はさみ――鋏だ。目を疑うほどに大きい。刃はゆるやかなカーブを描き、包丁のように身幅が厚い。持ち手は刀の握りのようで、グリップテープが巻かれている。


「どんな欲望を抱こうが、そのヒトの勝手だよ……。それがどんなに下劣で、身勝手で、邪悪でも。だけど、それを実行しちゃうようなバケモノはさ」


 そして、ざくりは微笑んだ。

 すべてをあきらめたような――はかなげな微笑。


 その眼が今、残光を曳いて動く。


「生きてちゃ、ダメでしょ?」


 聞こえた声は、耳元だった。


 僕の鉤爪は空を切る。いや、とっくに切断されて、宙を舞っていた。

 痛みを感じる前に、縦に開いた二枚の刃の先端が、片方は僕の喉もと、もう片方は陰茎の付け根の肉を突き破る。そして――


 じょきん、と鈍く、鋏が鳴った。


 絶叫がほとばしる。その声が自分のものだと気付いたときには、刃はもう致命的なまでに深く食い込み、骨ごと断ち切っていた。


 僕の前面が縦に裂け、どっと中身があふれ出る。大量の血液とともにずり落ちる、大腸と小腸。ほかほかと湯気を立てるそれを、僕はかき集めようと身をかがめ――


 ふっと上げた視線の先に、返り血を頭から浴びた、ざくりの無表情があった。

 銀色の刃が容赦なく、僕の顔面を左右から割


      ❤


 血だまりの中に立って、私はそっと目を閉じた。


 火照った筋肉を冬の風が冷ます。おさまらない震えを殺そうとしたが、上手くいかない。そのうちにのおじさんおばさんがやってきて、後始末をしてくれた。


 ポケットの中がぶるぶる震える。――〈飼い主〉からの、着信だ。


『どんな気分だ、〈赤ずきん〉?』


「……シンプルに胸糞っす」


『気が合うな、私もちょうどそんな気分だ。……せめて、時間を選べなかったのか?』


 無理だった。証拠がそろった今、1分1秒であっても、生かしてはおけなかった。


 私は血まみれの髪をつかみ、ぐしゃりと握りしめた。


「うちの、せいです……うちが……このゲリ野郎を挑発したから……!」


『自分を襲わせようとしたんだろう? 作戦が裏目に出ただけだ』


「逢坂サンから……目を離したから……!」


『人員不足はこちらの不手際だ。現場の責任ではない』


「だったら……っ、増やしてくださいよ! 狩人を! もっと!」


 感情的な私の叫びに、清掃のおじさんおばさんが振り返る。

 だが、飼い主はそんな小さな反応すらくれない。ただ機械的に、


『……善処する。事後処理はこちらに任せ、おまえは次の現場に向かえ』


 いつものように、短い指示をくだすだけ。

 私は大きく息をつき、しぼり出すように、返事をした。


アイりょ、グランマ」


 通話を切って、ガムを一粒、口に放り込む。

 きつく噛み潰すと、脳が揺れるほどのどぎつい甘さが口一杯に広がった。


 ぼんやり舌が痺れるのを感じながら、血と殺戮さつりくの苦味をのみくだす。


 ――人狼に喰われた者は、ガムさえ噛めない。誰にもかえりみられず、忘れられていくだけだ。遺族にとっても、本人にとっても、それはつらく、とてもさみしい。


 だから私は、探して殺す。

 私と同じ、人狼かいぶつを。

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