◇◇ 第一話 四月十三日、あと23日・朝(3)

   ○


 昼食後──僕は翔と別れて、生徒会室に向かっていた。

 漫画のような誇張はない、ごく普通の生徒会室だ。

 足を折り畳める長机とパイプ椅子が並べられており、最新とは言えないPCが置かれ、古びた棚にファイルが並んでいる。

 そんな生徒会室で、あえて特別なところを挙げるとすれば、

「相影です。いまいいですか?」

「誠治くん? どうぞ」

 ──生徒会長が美人であることだ。

 生徒会室に入った僕を出迎えたのは、生徒会長のりん

 長く艶やかな黒髪と、『可愛い』よりも『美人』に分類すべき細面、制服の上からでも分かる起伏あるスタイルと長身、ヴィオラを奏でるように耳心地のいい声──

 椅子に座り、細い指先で小さなコーヒーカップを持つ姿まで、なんとも絵になる人だ。

「コーヒーでいいかしら?」

「ああ、お構いなく、すぐに済む話なので」

「じゃあなおのこと、お茶で引き延ばさないとね」

 凛さんは、話だけ済ませてすぐ出て行くということを僕に許さなかった。

 昼休みの時間はまだ残っているし、ご相伴にあずかることにする。

、今日は何を読んでるんだ?」

 生徒会室にはもう一人、置物のように沈黙している生徒がいた。

 生徒会書記・真木アイリ。

 凛さんとは違う意味で目を惹く子だ。

 髪は茶色に近い金髪、染めているのではなく地毛のハニーブロンド。

 より黒みがかった鳶色の瞳に、北欧の血筋を感じさせる真っ白な肌。

 上げた顔の造形たるや、最新のゲームでCGによって描かれたエルフのよう。

 …………昭和の女学生みたいな『お下げ』と、太い縁の眼鏡という装いでなければ。

「谷崎潤一郎の『鍵』」

 少しハスキーな声で回答された本も、見た目にそぐわなかった。

 表紙を見せるように持ち上げられた一冊で、僕はコーヒーを飲む前から苦い顔になる。

「文学少女が学校で読む作品としては、ギリギリアウトじゃないか?」

「図書室に置いてあったなら、学校が教育的価値ありと認めたということ。よって健全」

 よく見れば、図書室の本でよく見る識別番号シールが貼られていた。

「あら、谷崎って、なにか問題あるの?」

 凛さんがミルから視線を外して、僕とアイリの会話に首を傾げる。

 棚に保管してある豆を挽くところから始めるあたり、こだわりが強い。

 それにしても困った。凛さん、谷崎については現代文の授業でしか知らない人らしい。

 返答に窮する僕に代わって、アイリが視線も配らず語り出す。

「『鍵』について言えば──高齢で妻とマンネリになってきた主人公が、自分の妻と娘の婚約者が不倫するように仕向けてムラムラする話。現代風に言うと、寝取らせ」

 凛さんがカップを落とす。まだコーヒーを注ぐ前だったのは幸いだ。

「ちょ、アイリあなたっ、さっきから澄ました顔でそんな拗らせたの読んでたの!?」

「まことに健全」

 ちなみにアイリの説明は悪意ある要約ではなく、本当にその通りの内容だ。

「誠治くん、あれは学校の風紀的にセーフな本なのかしら?」

「当時、国会に持ち込まれるくらいには問題視されたそうです」

「国を動かすほどの内容なのっ!? お、大人じゃなくても読んでいいの……?」

 衝撃の史実に動揺する凛さんだが、少し興味深そうに見えたのは気のせいか。

「日本文学史に残るスケベジジイ、日本のHENTAI文化の源流は古い」

「文豪の名誉のために言うと、そういう作品ばかりの人じゃないからな? インモラルな題材も含めての万能型だぞ。武芸百般に通じた達人みたいな人だからな?」

「流石は相影、よくご存じ」

 アイリは感心した風に言うと、栞を挟んで本を閉じた。

 書店のオマケでもらうような栞ではなく、花を描いたステンドグラス風の女の子らしい栞だ。できればスケベジジイではない本に挟んであげてほしい。

「……どうぞ、誠治くん。コーヒー」

 凛さんはこれ以上の追及を避け、複雑な表情で白いカップを差し出した。

「ふふ、おかしいわね。昼休みに生徒会室へ来てくれた従弟にコーヒーを振る舞う洒落たお姉さんをするはずだったのに、スケベジジイに全部もってかれたわ……」

 テーブルに両肘をついて指を組む凛さんは、難問に直面した政治家のようだった。

「大丈夫です、凛さんは格好いいです。今日も間が悪かっただけです」

「ありがとう、誠治くん──いま『今日も』って言った? ねぇ、こっち見なさい?」

 我が従姉、日比谷凛はこんな人だ。

 人望ある生徒会長で、お茶にこだわる才色兼備だけど、なぜか『決まらない』。

 そんな星の下に生まれついた凛さんの様子に、アイリは小首を傾げる。

「鴎外よりは話題にしやすいと思ったのに。もっと砕けて押川春浪の方がよかった?」

 この子、実は現代に転生してきた明治の書生なんじゃないだろうか?

「真木、文学を通じて友人を作りたいなら、自分の本を閉じるのが一番の近道だぞ?」

「曰く不可解」

「そこで『がんとうかん』を出されるのも、日常会話としては難易度が高いな」

 夏目漱石の教え子が残した遺書だ。縁起でもない。

「アイリが教室で上手くやっているかどうか心配だわ」

 凛さんがため息をつく。

「僕の知る限り、中学の頃から彼女の席は『文学エルフの聖域』です」

「なに? その漫画かラノベのタイトルみたいなの」

「まず日本語が通じるか分からない容姿で、よしんば通じても話題を合わせるのが難しい純文学ばかり読んでるから踏み込めないって意味です」

 かくして付いたあだ名は『文学エルフ』、時小海高校の密かな有名人だ。

「失礼な。千亜希みたいな文学仲間だっている。ぼっちじゃない」

 アイリが名前を出したように、彼女と千亜希は同じ文芸部だ。

 ちなみに僕との縁は、中学時代に同じ生徒会役員だったことに由来する。

「あと、生まれも育ちも日本な私を外人扱いする人たちに、日本文学の知識でマウントを取るのが気持ちいいだけ」

「アイリ、お姉さん心を鬼にして言うけど、そういうところよ?」

 と、このように捻くれた性格もあって、友人に数を求めない生活を送っている子だ。

「さて──本題ですが、凛さん、親睦会の参加人数を一人増やしたいんですが」

 コーヒーで人心地ついた後、僕は凛さんに本題を切り出した。

「ああ、遅れていた転校生が来たのね」

 事前に話しておいたおかげで、凛さんもすぐに察してくれる。

「一人増えるくらいなら対応してくれるはずよ。長年うちの高校が打ち上げに使ってきたお店だから、このくらいは慣れっこだろうし。連絡しておくわね」

 時小海高校には、大会を前にした部活動や卒業生の壮行会などで御用達の店がある。

 その店を大人数で利用する時は、生徒会を通じて予約するのが慣例だ。

 今回、参加の是非が不明だった悠乃が参加となったので、こうして伝えに来たわけだ。

「転校生?」

 アイリが鸚鵡返しをしていたので、手術入院で遅れていた転校生がいたと説明する。

「たしかしんりょうからの転校生だったわね」

「新涼?」

 思い出したような凛さんの呟きに、今度は僕が鸚鵡返しをさせられた。

「その子が前にいた学校よ。全国大会でうちと競ってたから覚えてたの」

 そういえば廊下に、男子卓球と女子バドが全国で健闘したという学内新聞があった。

 女子の方に凛さんの友人がいたので、応援に行ったらしい。

「ということは、今日の生徒会は誠治くん抜きね。忙しくなりそうだわ」

「頻繁に手伝っておいて今更ですけど、僕は役員じゃありませんからね?」

「だって誰も役員をしたがらないんだもの、うちの学校。私が会長をさせられてるのも、前会長と先生がたに拝み倒されたからだし。従弟の手も借りたいのよ」

 凛さんは茶菓子のクッキーを弄びながら溜息をつく。

「だからスマホで連絡を取らせず、こんな連絡事でも生徒会室に来させるんですね」

「やぁねぇ、可愛い従弟と直接会って話したいだけよ」

 そう言って、お茶と菓子だけを対価に、何度仕事を手伝わされたことか。

「──そろそろ戻ります」

 アイリが言うと、僕と凛さんも時計を確認。そろそろ昼休みが終わる時間だ。

「では会長、また放課後に」

「ええ、またね」

 階段の前で凛さんとアイリが言葉を交わして別れる。

 同学年の僕とアイリは、途中まで一緒に廊下を歩く。

「そういえば、相影の言ってた転校生、どんな子?」

 途中でアイリが振ってきた話題は、悠乃についてだった。

「ああ、偶然にも僕と幼馴染だった子だよ」

「幼馴染? 実在するんだ、それ……」

「いや、居るところには居るだろ」

 幼少期から付き合いがある友人や知人くらい、自分には居なかったとしても、世の中にいくらあっても不思議じゃない関係だ。

「女子? 可愛い?」

「女子で、可愛いと思う。気になるなら千亜希に聞いてみるといいよ」

「……大丈夫、きっと素敵な愛と友情の物語が始まるよ。『こゝろ』みたいに」

「ドロドロのバッドエンドじゃないか。僕なにかしたか?」

 戸惑う僕に答えることなく、アイリは自分の教室に戻っていくのだった。

 曰く不可解なことである。

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