一章 魔女に首輪は付けられない(1)

 本部の局長室の壁にはずらりと額縁が並んでいる。『二大貴族』たちの顔写真だ。皆、揃って金の瞳をしている。まるで猫か何かのようで不気味だが、取り外すことは許可されていない。

「おめでとうローグ。私に感謝しなさぁい!」

 呼び出されて早々に上司のヴェラドンナ・ヴィラードが言った。

 皇国首都イレイル支部局局長――それがヴェラドンナの肩書きだった。彼女はいつも唐突に物事を告げる。

「ありがとうございます」

 形式として一礼する。

 それを見てヴェラドンナはウェーブがかかった金髪を見せびらかすようにかきあげ、

「私が直々にあなたを推薦してあげたんだからぁ。いくら成果をあげたってぇ、ほんとだったらこんなにすんなり行かないんだからね。ドラケニアの方たちは査定に厳しいのよぉ」

 過剰なほどに甘ったるい声音で言う。

 胸元のボタンは二個まで外されており、派手な色の下着が覗いていた。噂では色仕掛けでこの地位まで上り詰めたと言われている。――無論、色仕掛けしか能のない者が座り続けられる地位ではないが。

 リグトン家とドラケニア家で構成される『二大貴族』――〈魔術犯罪捜査局〉はドラケニア家の指揮下にあり、一族内でも徹底した実力至上主義の彼らは無能を許さない。汚職をした捜査官が氷の大地に飛ばされたというのはよくある話だ。

「ええ」

 にこりともせず頷いてみせる。

「もっと感謝しなさぁい」

「ありがとうございます」

「もっとぉ!」

 声を張り上げるヴェラドンナから、それとなく目線を外した。渋い顔になっていなければ良いのだが。

「……ありがとうございます」

「ああんもう! 食べちゃいたいわぁ!」

 ヴェラドンナが頬に手を当て、そう言った。

 ローグは彼女の好みの外見をしているようだった。彼女の地位に助けられたことは多い。昇進の件もそうだ。逆らわないに越したことはない。

 窓ガラスに視線を移す。デスクにつくヴェラドンナの背後に、捜査官としての自分の姿が映っている。

 切れ長の瞳に幼さの残った口元、捜査官育成校で散々からかわれた背丈、街で見かけた時、捜査官と判断するものがどれだけいるのか。身を覆うファー付きのコートは、少しでも犯罪者に威圧感を与えるために買ったものだった。

「ローグも食べられたいわよねぇ私にぃ? がおーう!」

 獅子の構えをするヴェラドンナに、ローグは淡々と言った。

「冗談はよしてください局長」

「あら、そう?」

「はい」

「でもほんの少しくらいは食べられたいって気持ちがあるんじゃなぁい? ね?」

「ね? じゃないです局長。ありませんので話を進めてください」

「別にいいじゃなあぃ。どうせ男は皆飢えたケダモノなんだから、目の前にエサが吊り下げられてたら必死こいてぴょんぴょんしてればいいのよぉこのクソ真面目野郎が」

「局長何か?」

 後ろの方が聞こえなかったので聞き返す。

「別に何もぉ?」

 ヴェラドンナが頬を膨らませるが、正直似合っていない。見なかったふりをしていると、デスク上にある彼女の端末が鳴った。

「は~いヴェラで~す。もしもしぃ~~」

 いつもの猫なで声でヴェラドンナが出る。

「なるほどぉ、また犠牲者がぁ」

 と言いながらヴェラドンナが頷いている。連絡先はおそらく彼女の上司だろう。ただの一捜査官からすれば姿を見ることさえないような階級だ。故にローグとは何も関係がない。静かに様子を見守っていると、

「はぁい、ヴェラ失礼いたしまーす。はぁい、さようならぁ……厄介事押し付けてんじゃねえよばーか」

 唐突に低い声が聞こえた。

 流石にギョッとした。

「……どうしましたか?」

「別にぃ? ローグ君にはちっとも関係のないことよぉ」

 そう言いつつもヴェラドンナは頬杖をつき、いじけたようにペン立てを指で弾く。よほど何か難題を吹っかけられたのか、こちらに聞こえるように「あーあー面倒だわぁ」と呻いている。随分露骨な現実逃避だ。

 無表情にやり過ごそうとしていると、窓に光が反射したことに気づいた。デスク上のディスプレイに捜査資料らしきものが表示されているのだ。窓ガラスには一瞬しか映らなかったが、ローグはわかってしまった。

(〈奪命者〉絡みか……)

 現在、世間を騒がせている難事件だ。自分の耳にも情報は入って来ている。

 二ヶ月ほど前に商業地区のディロで異常死体が見つかった。その遺体の身元は所持していた身分証からすぐわかった。

 ジム・フォーリー、――二十五歳の男。会社員。犯罪歴なし。善良な人物で身辺を洗っても特に、彼へ恨みを抱いているものは見つからなかった。深刻な病歴もなし、いたって健康だった。

 そんなジムは裏路地で『老衰死』していた。

 皮膚は水分と張りを失いミイラのようだったし、手足は棒のように細かった。何よりその顔は恐怖と苦痛に歪んでいて、家族にすらわからないほど変わり果てていた。

 現場から〈魔術痕〉は認められなかったが、当局はこれを殺人事件と認定した。二十五歳で老衰死するなんて、〈魔術〉以外ではありえない現象だからだ。

 人間を老衰死させる魔術を扱う人物――〈奪命者〉と名付けられひとまず捜査は開始された。

 しかし、現在まで犯人は見つかっておらず、進展はなかった。

「まあ局長がそう言うなら、それでもいいと思いますが……」

 とはいえローグ自身は明日から、現場を離れることが決定している。万が一関わりがあるとしても部下を通してということになるだろう。気にする必要はない。

 そう思っているとヴェラドンナの呻き声が聞こえなくなっていることに気づいた。じっと見られている。

「……なんでしょうか」

 問うとヴェラドンナはいやらしい笑みを浮かべた。

「ねぇローグぅ? 今自分は関係ないって思ってたでしょ?」

「……いえ」

「多分関係あるかもだわぁ」

 そう言うとヴェラドンナは「あはっ」と耐え切れなくなったように声を上げた。ローグはちっとも面白くない。

「局長、何が関係あるというんですか」

「ええ~? 教えてほしいかしらぁ?」

「……いえ。結構です」

 自分から聞くのも負けたようで癪に障る。それきりにして、話題を変えようとした時だった。ヴェラドンナが顔を伏せたかと思うと、肩を震わせ始めた。先ほどから機嫌の良さを隠せていない……というよりはローグに見せつけているようにすら見える。

 何を企んでいるのか。

 いや、ひょっとすると企みは既に終わっていて、種を明かす前だから笑っているのではないのか?

 思い当たった瞬間、ヴェラドンナが大袈裟に髪をかきあげながら立ち上がり――

「あなたが行くのはナバコ島よ! おめでとうローグ捜査官!」

 盛大に拍手をした。

「は?」

 思わず不躾な声が出るも、ヴェラドンナは平然と続けた。

「ナバコはいいところよぉ。お酒が美味しかったし、他にはお酒も美味しかったし……あ! あとお酒が美味しかったわ!」

 ――ナバコ島だって?

 ローグの血の気が引く。

 あそこは島の住人が五百人くらいしかいない『自然豊かな』島だ。本土からはボートで三十分かかる。そのような場所でどんな犯罪が起きるのか知らないが――いやそもそも犯罪者と顔を合わせないで済むというレベルの話ではない。典型的な左遷ではないか。

 自分がナバコ島で働いている姿を想像する。

 腰を痛めた老人の手伝いをしながら、時々お菓子をご馳走してもらって朝から晩まで特に何もなく過ごす。何事もなさすぎる日々が続き、そのうちにそれでもいいと受け入れてしまうのだ。

 想像すればするほど、ナバコ行きが悪夢でしかないことがわかり、声がひび割れたように引き攣った。

「局長、その決定は納得できません。理由を――」

「あらぁ。住めば都というじゃない。それにあそこには夜な夜な殺人鬼が出没するのよぉ?」

「そんなわけが」

「もちろん嘘だわぁ」

 ローグの声を遮ると、ヴェラドンナは微笑んだ。まるではしゃいでいる子供を見る母親のように。その瞬間、ローグは抵抗は無意味だと悟った。

「……今から変更はできないんですか?」

 唸るように言うと、ヴェラドンナはリップが塗られた唇に人差し指を当て、

「そうねぇ……そんな可哀想にされちゃうと、検討したくもなっちゃうわねぇ……」

 じろじろとローグの体を眺めまわす。上から下までじっくりと、視線に緩急をつけ、しまいには舌なめずりをし、ローグの耳にふっと息を吹きかけた。

 青ざめたローグの顔を見て、ヴェラドンナの笑みが深まる。

「そういうことしてもいいのだけれどぉ、残念ながら候補はもう一つあるのよねぇ」

「……なんですか?」

 息も絶え絶えになりながらローグは言う。

「第六分署って知ってるかしら?」

「第六分署?」

 おうむ返ししてしまう。

 首都イレイル内には第五分署までしか存在しない。第六分署なんて聞いたこともない。

「局長。それは真面目に言っているのでしょうか」

「失礼しちゃうわね。真面目に決まってるじゃない」

「ではなぜ、こんな話を」

「一般捜査官には知らされないことになっているのよ。まぁ私みたいに偉~い人は知っているけどねぇ。ちゃぁんと存在するわよ」

 腑に落ちない。

 表情にも多少出ていたはずだが、しかしヴェラドンナはローグの心情など知ったことではないというようにデスクを指で叩き、

「極秘に設立された署なの。そこでの業務はちょ~っと特殊でぇ、一般分署では、手に負えない特殊な事件を捜査するの」

「はあ」

「でぇ、あなたをそこに署長として仮配属するわ。どう? 悪い話じゃないでしょ」

 それが本当の話ならばだ、悪い話じゃないどころではない。署長といったら管理官の最上級だ。数百人の捜査官を従え、管理する。血が吹き荒ぶ現場の中で最も血と遠い地位だ。与えられる権限も計り知れない。

「……願ってもない話ですが、一つ質問してもいいでしょうか」

 そうローグは切り出した。

「あらぁどうして?」

「……特殊業務と言いましたね? 俺はそこで何をすることになるんですか?」

 半ば確信しながら言うと、

「勘がいいわね」

 ヴェラドンナがにんまりする。そしてわざわざ椅子に座り直し、

「そうよ。上から急かされてるのよ、早く〈奪命者〉を捕まえろってねぇ。で、嫌なら嫌でいいんだけどぉ、どうかしらぁ? それともナバコに行ってみるぅ? お年寄りから感謝されるのも悪くはないわよぉ? 力仕事をしてくれる若者ならきっと大歓迎のはずだわぁ」

 優雅に脚を組みながら問いかけてくる。

 拒んだのなら、確かにそうなるだろう。ヴェラドンナの決断は早い。もう何人もその早さの犠牲となったものを見てきている。自分がその例に倣うわけにはいかなかった。

「局長」

 重々しく口を開くとヴェラドンナが首を傾げた。

「んん~?」

「……署の場所はどこでしょうか?」


 結局、ローグはそう言うこととなった。

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