第一章 砂漠に降る雨(6)

 ◇


「ああ、こちらにいたか、天地あまどころくん」

 楽屋前の廊下でレインとクローバーを待っていたプロデューサーのもとに、眼光鋭い初老の男性が現れる。

「……知事。いらしていたのですか」

 砂の国の内政と外交の一部を担う知事は、プロデューサーの肩をバンバンと叩いた。

「ははは、他でもないキミを一言労いたくてね。本日もレインの勝利、見事だった」

「彼女の努力がもたらした成果です。私は何も」

「何を謙遜することがある。レインという最強のアイドルを見出したキミの功績は、砂の国において永く語り継がれるべきだ」

「勿体ないお言葉です」

 言葉は物腰低く遜りながらも、しかし微塵の愛想も浮かべない顔で淡々と返す。

「……しかしだね」

 知事の持ってきた「本題」を思えば、ヘラヘラ笑って語らう気にはなれなかったからだ。

「レインに続く才能がキミの元に一向に生まれないことは、我が国としても非常に嘆かわしい限りだ。キミの所の、のあの体たらくは一体どういうことだね?」

「……お言葉ですが、彼女も力を尽くしました」

「ではやはりその程度が限界の弱者というわけだ。よいかね天地くん、『鉄の国』はレインの対策のため、一人の最強ではなく百人の強者を用意した。フレア以外のアイドルも決して弱くはない。こちらが弱者ばかりをぶつけていてよいわけがないのだ」

「………………はい」

「我々にも負けて失うものがある以上、いつまでも勝てないアイドルをステージに立たせておくわけにもいかん。もう一方の……何と言ったかな。ともかくアレには今後一切のライブ参加を禁止する。これは『砂の国』全域をもっての対応だ」

 つまり、名前や所属を変えても無駄だと言いたいのだろう。

「弱者を根気強く育てようという気概は買おう。しかし育てても仕方のない無能には早々に見切りをつけるべきだ。でなければいずれ、キミがレインという才能を見出せたのは単なる幸運な偶然に過ぎなかったと誰もが認めることになる」

「……ご忠告、痛み入ります」

「うむ。には期待しているよ。励みたまえ」

 肩に乗せた手に力を入れ、低い声でそう告げてから、知事は去っていく。

 その背中が廊下の向こうの曲がり角に消えるまで、プロデューサーは頭を下げていた。

「お待たせ、プロデューサー。誰かいたの?」

 楽屋の扉を開けて出てきたレインとクローバーに、言葉を濁して答える。

「ああ、なに、ちょっとした知り合いとの世間話だ」

「そう……なん、ですか」

 クローバーにも、知事とのやり取りが聞こえていた様子はない。もっとも彼女は、ステージを降りてからずっとこの世の終わりのような暗く沈んだ表情をしていたが。

「……二人とも、今日はご苦労だった。忘れ物は無いな。帰るぞ」

 会場の出口へと歩を進めつつ、後ろに続く二人にそれぞれ続けて業務連絡を言い渡す。

「レインはこのまま寮に直帰してくれ。今日は帰ったらゆっくり休んでいい」

「うん、わかった」

「クローバーは……少し、話がある。一緒に事務所に寄ってくれるか」

「……っ。は、い」

 掠れ切った声でかろうじて答えたクローバーを見て、レインは無表情のまま口を開く。

「私よりもクローバーの方が、ゆっくり休んだ方がいいと思うよ」

「……もう、休んでも意味なんてないですよ……」

 自嘲じみて呟いてから、クローバーは歩みを止めレインに向き直る。

「ねえ、レインちゃん。ひとつ聞いていいですか」

「なに?」

「今朝、十二番鉱区街で私を見た時。プロデューサーがクローバーって呼んでくださるまで……忘れてましたよね、私が誰なのか」

 それまで黙って二人のやり取りを聞いていたプロデューサーが、ハッとして振り返る。

 クローバーは、見ている方まで苦しくなるような悲痛な笑みを浮かべていた。

「そんな雑草ですか、私」

 しばらく沈黙した後、レインはやはり表情を変えないままで答えた。

「うん。ごめんね、誰だか思い出せなかった」

「レインッ……!」

 思わず声を上げたプロデューサーを、クローバーがそっと制した。

「いいんです。むしろ、少しだけ気持ちが楽になりました」

 弱々しく微笑むクローバーに、レインもプロデューサーもそれ以上何も言わず、結局三人はそれから一度も言葉を交わさぬまま帰路についた。

 会場の出口や帰りの橋車ブリッジの中で、人々が遠巻きにクローバーを罵倒する囁き声も、誰にも止めることはできなかった。


 ◇


『……八戦、三敗か』

 低く、冷たく、重く。圧し潰すような声。

 通信機越しとはいえ、短く告げられたその一言は、沈みかけた夕陽を背に軍隊の如く整列させられた『鉄の国』のアイドルたちを震え上がらせるのに十分な威圧感を伴っていた。

「ひぃ……っ……!」

 フレアの隣で大粒の涙を流し、歯をガチガチと鳴らしながら震えているアイドルは、その「三敗」のうちの一人。普通ではない怯え方をしている彼女に、通信機を手にした女性がゆっくりと歩み寄り、無表情のまま通信機を近づけて「その声」を届ける。

『……何を、そんなに怯えている?』

「ひっ……! す、すみませ……っ!」

 声の主は、『鉄の国』の最高権力者……「総帥」と呼ばれる男。

『舞台の上でもそうなのか?』

「そ、っ、そのような、ことは、け、けっして……っ」

『実に説得力に欠ける』

「っ、ひ、……っ」

 呼吸さえおぼつかない彼女の手を、決して悟られないようにフレアはそっと握った。

「ぁ……」

 大丈夫。そう心の中だけで伝える。

 この場では、だ。どんな罰があるとしても、同じものを自分も一緒に受ける。だから少しだけでも安心して、落ち着いて息を整えて、と。

『一敗。名前は?』

「は、ひっ……?」

 一敗、とだけ呼ばれたアイドルは、それが自分のことだとすぐには気づけずに。

『煩わせるな。名前を聞いている、答えろ』

 さらに低くなった総帥の声で、全身に電気が走ったかのように強張る。

「ひっ、ご、ごめんなさいっ……ふ、藤谷ふじたに深紅みく、です……っ」

「…………!」

 フレアだけでなく、その場にいた他のアイドル全員が彼女の失態に息を呑んだ。

『……気のせいか? 今のはが。つまり、とでも言っているように聞こえたのだが……?』

「……! ぁっ、あ、ああっ」

 尋常でない震えが、握った手からフレアに伝わる。

「ち、違、ちがい、ますっ。ガ、っ、ガーネ、ット……わ、わた、わたしは、ガーネットですっ! も、もうしわけ、ありま、せんでしたっ……!」

『よろしい、ガーネット。

 再びの簡潔な問いに、ガーネットが答えに詰まってパニックに陥りそうになる。

「フレアです」

「あっ……シ、シルエット、ですッ……!」

 総帥が尋ねたのは、残る「二敗」の名前。いち早く察して答えたフレアに、慌ててもう一人が続いた。

『では、フレア、ガーネット、シルエットに、一週間の『特別訓練場』行きを命じる』

「ひ……っ!? そ、そん、なっ……!」

『通達は以上だ』

 引き留める間もなく、無情にブツリと切られた通信。ガーネットが地面に倒れこむようにうずくまり、わっと泣き崩れた。

「い、いや、嫌ぁっ! 嫌だよぉ……! しっ、……!」

「ガッ……ガーネット! あんたが総帥の機嫌損ねたせいで、あたしまでッ……!」

 周囲の目も憚らず泣き叫ぶガーネットや、動転して激昂するシルエットの姿を見て、今回は勝ったはずのアイドルたちもつられて青ざめ震え始める。

 鉄の国……共心石シンパシウムエネルギーを利用した製鉄業が盛んな火と鉄の世界。中心に聳え立つ地上五十階の巨大製鉄工場、その屋上にある『特別訓練場』に送られたアイドルは、フレアただ一人を除いて全員が卒業しており、その後の行方も明かされていない。

 鉄の国のアイドル……歌って踊るだけの無知で無力な少女たちにとって、特別訓練場行きを言い渡されることは死刑宣告を受けるに等しい。

「総帥の寛大なお心遣いに感謝なさい」

 通信機を手に総帥の言葉を伝えていた女性が、ガーネットの頭上から言い放つ。

「貴方たちはチャンスを頂いたのです。斬れない鈍ら刀を、折って捨てずに鍛え直すためのチャンスを。特別訓練を乗り越え、心身ともに強く成長して戻ってきなさい。鉄の国のため、総帥の恩義に報いるために」

 もちろん、そんな反吐の出るような綺麗事が彼女らの耳に届いているはずもない。

「死にたく、ない……! わたしっ、し、死にたくっ、ないよぉっ……!」

「くそ、くそっ、ふざけんなよっ……!」

 これが、彼女たちの生きている世界。

 アイドルが閉じ込められた地獄。

「……まだ、終わってない」

 伝播していく恐怖と絶望の中、フレアだけがただ一人変わらぬ闘志を瞳に燃やす。

 これまで幾度もレインに敗れ、その度に特別訓練場に送られてきたフレアが、他のアイドルのように「卒業」していないのは、その闘志で訓練を乗り越え続けてきたからだ。

 どんなに強い雨に打たれても、燻ることなく何度でも燃え上がる炎のように。立ち上がる度に強くなって、誰より前に進み続けて。

 それでもなお、最強には程遠い。

 レインは……あの「雨」は、災害だ。

 砂の国にとっては恵みの雨なのかもしれない。しかし強過ぎる雨がいつまでも止まなければ、鉄は錆び、霧は乱され、湖は濁り、樹は朽ちゆく。

 止められる誰かがいるとすれば、彼女に最も近い領域にいるはずの自分しかいない。

 次こそ届く。届いてみせる。

 西の地平に沈みゆく赤い赤い夕陽を、じっと睨みつけて誓うのだった。

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