四章 医者宿の夜②

「シャルは、わたしが買ったの。でも愛玩妖精じゃないわ。戦士妖精よ。護衛なの」

「戦士妖精? うそをつけ。ずかしがらなくてもいいさ。としごろの女の子なら、こんな姿の妖精、連れ歩きたくなって当然だ。アンはこの妖精に、れたのか? だから買ったのか」

 からかわれていると、わかっていた。だが恥ずかしさに、かっとなった。

「そんなんじゃないわ」

「照れない照れない。そんな噓つかなくても、わかってるって」

「噓じゃない!」

 思わず声が高くなる。ヒューはおもしろそうな顔で、目を光らせた。

「じゃ、証明してみるか?」

 ヒューは連れの青年を、ちらりと見やった。そして一歩下がる。

 今まで存在が消えたようにちんもくしていた青年が、ヒューの目配せに反応した。

 青年は突如、傍らの剣をつかむなりきはなち、った。りようけんが身を低くして、けだす様に似ていた。やいばが、シャルに向かって流れる。

「シャル!」

 悲鳴をあげるアンよりはやく、シャルは立ちあがり背後にんだ。

 二回目のざんげきがシャルにおそいかかる前に、シャルの手には白銀色の剣が出現していた。

 ちからいつぱいふりおろされた剣を、シャルの剣が受け止めた。

 刃がぶつかり、しようげきが波動となって空気をき抜ける。

「やるな」

 褐色の肌の青年が、無表情でつぶやく。

 シャルは口もとで笑い、相手に向かって囁く。

「殺されたいのか?」

「あいにく。そこまでこわれてない」

 きりきりと、刃がこすれあう音が響く。力がきつこうし、そうほう動けない。

「なるほど。確かに、戦士ようせい

 ヒューは驚いたように言うと、にこりと笑った。

「もういい、サリム。剣をひけ」

 命じられ、サリムと呼ばれた彼は、あっさりと剣を引いた。

 シャルもかたをすくめ、かまえをとくと剣を消す。

「なんてことするのよ、この、おお鹿!! わたしの連れにでもさせたら、ただじゃおかないんだから!」

 我に返ったアンは思わず立ちあがり、ヒューのむなぐらを摑んでいた。

りー悪りー。そうおこるなって。こ~んなべっぴんの戦士妖精なんて、信じられなくてな~。ためしてみたくなったんだよ」

 まったく悪びれたところもなく、ヒューは言う。

「だからって、こんなことする!?」

「いやぁ、だから謝るって。おびに、おまえたちの分の宿代、出してやるよ」

「そんなしっ! て、……え、宿代?……本当?」

 相手の胸ぐらを摑んでいた手が、思わずゆるむ。

 この半年、エマのりよう費がかなり必要だった。しかもアンがかせぎ出す金額は、たかが知れていた。貯金を切りくずして、半年暮らした。そしてその残りのなけなしの金で、シャルを買った。

 ここの宿代をはらってしまえば、アンはほぼ一文無しになる。

 ヒューの申し出は、とてつもなくありがたかった。

「一、二、三……と、五人分で、六十バインかける五で、三クレスか。わりとかかるな。お詫びにしては、高額だよなぁ」

「なにそれ、自分で言い出したんじゃない!?」

「そうだがな。ちょっと、俺の方が損な気がする。そうだ、おまえら砂糖菓子職人だと言ったよな。一個ずつ、砂糖菓子を作ってくれよ。それで俺が、五人分の宿代をはらってやる」

「はぁ!?」

「掌の大きさでいい。それくらいの砂糖菓子なら、せいぜい二つで、十バインだろう。十バインで、三クレスがちゃらになるぜ。悪くないだろう」

 いいように、ヒューにもてあそばれているような気がした。

 しかし宿代がかからないというのは、りよく的だ。

 アンはジョナスをふり返った。ジョナスは、うなずいた。

「僕に異存はないよ、アン」

 なぜかジョナスは、うれしそうだった。

 アンはヒューに向きなおると、むっとしながらも、言った。

「わかったわ。砂糖菓子は作る。そのかわり、絶対に宿代は支払ってよ」

「なんなら、ひざまずいてちかってやろうか」

「いらないわよ、そんな噓くさい誓い。じゃ、待ってて。食事を済ませて、作るから」

 食事が終わると、アンはジョナスといつしよに、銀砂糖をとりに自分の馬車に向かった。

 馬車の荷台の中には、かべの一方に寄せるようにして、銀砂糖をめこんだたるが並んでいる。

 樽は五つ。

 一つはから。もう一つは、三分の二ほど銀砂糖が入っている。残り三つは、ふちまでぎっしりと銀砂糖が詰まっている。

 ルイストンの砂糖菓子品評会に参加する者は、祝祭用の砂糖菓子の作品を一つ提出する。

 それと同時に、三樽の銀砂糖も提出する必要がある。

 細工がうまいだけでなく、上質な銀砂糖を安定して精製できる技術も問われるからだ。

 砂糖りんから銀砂糖を精製するのは、十歳の時からアンの仕事だった。

「樽三つは使えないから、三分の二樽で品評会用の作品をつくるとしても。量は、じゆうぶんね。掌の大きさの砂糖菓子を十個作っても、その残りで品評会用の作品は、ゆうで作れる」

 呟きながら、樽のふたを開ける。

 石のうつわに銀砂糖を入れて、いつぱいをジョナスにわたす。もう一杯を別の器にくみ上げて、馬車を出る。

「なんだか、わくわくするな」

 家に向かいながら嬉しそうに言うジョナスを、アンはいぶかしんだ。

「なんで? なんかあいつに、からかわれてる気がする」

「それでもさ、人前で自分の技術をろうするなんて、ほこらしいじゃないか」

「そうかな」

「そうだよ。僕は自分の技術に自信がある。実は、ここだけの話。僕がラドクリフこうぼう派のおさすいせんされる可能性は、とても高いんだよ。僕の作品を見てね、現在のラドクリフ工房派の長……僕のとおえんにあたる人なんだけど。その人が、僕を気に入ってくれてるみたいなんだ。もちろん長になるためには、銀砂糖師にならなくちゃいけないけど」

 砂糖菓子職人には、大きな三つのばつがあった。

 マーキュリー工房派。

 ペイジ工房派。

 そして、ラドクリフ工房派だ。

 砂糖菓子職人は、どれかの派閥に所属していなければ、原料となる砂糖林檎の確保や、作った砂糖菓子を売りさばくのに、ぼうがいを受けなんする。

 だからたいがいの砂糖菓子職人は、どこかの派閥に所属しているものだ。

 無論、各派閥は様々にきそい合っているから、争いもある。

 アンの母親のエマは、派閥に所属していなかった。派閥のやり方が気に入らないと言って、苦労しながら砂糖林檎を確保し、砂糖を売りさばいていた。

 ジョナスが誇らしげに語るのを聞くにつけ、彼には、アンとまったくちがう価値観と世界があるのだと感じる。

 ただ。銀砂糖師になりたいという、その希望だけは同じらしい。

「じゃ、ジョナスも銀砂糖師になりたいのよね。今回の砂糖菓子品評会に、参加したら?」

「いや。僕は……去年とその前、二回参加して、まだ銀砂糖師になれてないから。今年は見送り。もう少しうでみがいて、参加は来年にするよ。でも将来的には、銀砂糖師には絶対ならなくちゃ。そうしないと、ラドクリフ工房派の長にはなれない。銀砂糖しやくにもなれない」

 銀砂糖子爵の言葉を聞いて、アンは目を丸くする。

「ジョナス。そんなものになりたいの?」

 銀砂糖子爵。

 それは銀砂糖師の中から一人だけ王に選ばれる、王家専属の銀砂糖師のことだ。

 選ばれた銀砂糖師には、一代限りではあるが、子爵のしようごうあたえられる。

 銀砂糖子爵の命令には、各砂糖菓子ばつは従わなければならない。命令に従わないことは、王命に従わないことと見なされる。

 銀砂糖子爵は、砂糖菓子職人の頂点だ。

「なりたいよ。というか、僕は絶対に銀砂糖子爵になるよ。だってしよみんの出でも貴族になれるなんて、これ以上のてきな夢、ないだろう? だから、アン」

 ふと、ジョナスが歩みを止めた。つられて、アンも立ち止まる。

「僕とけつこんしてくれない? 僕は銀砂糖師になって、銀砂糖子爵になって。君に、幸せな生活を約束するから」

 月が、雲間から顔を出した。ジョナスの顔がはっきり見える。

 嬉しい言葉のはずだった。しかし目の前の彼と幸せな生活をすると考えても、どうもぴんと来なかった。

 整ったジョナスの顔を見て、言葉を聞いても、心はざわめかない。

 ──ジョナスよりも……。

 とつぜんのうかんだのはシャルの姿。シャルの顔を思い出した自分に、我ながらあわてた。

「ごめん。ジョナス。とにかく今は、その話はよそう」

 急いで家の中にはいると、ヒューがテーブルに座って待っていた。彼の対面には、が並べられて二きやく

 妖精たちやサリム、医者は、観客のようにその周囲に集まっている。

「さ、二人とも。椅子に座ってくれ。俺の目の前で、作ってみせてくれ」

 テーブルの上には水を入れた容器が、深いものと浅いもの、二つずつ。台所から調達してきたらしい、まな板が二枚。

 そろえられたものをみて、アンはまゆをひそめながら椅子に座った。

「色をつける必要はない。作る形も、二人に任せる」

「その前に、いていい?」

 アンはヒューの顔を真正面から見つめた。

「なんだ」

「あなた、何者? この道具のそろえかた、砂糖菓子を作る工程を知っていなきゃ、できないでしょう。あなたも、もしかして砂糖菓子職人? 砂糖菓子品評会に参加するの?」

 にやりと、ヒューは口もとをゆがめた。

「宿代はらって欲しいなら、だまって作れよ。アン」

「……ま、いいわ。宿代払ってくれるなら」

 テーブルに置かれていた水を、銀砂糖を入れた石の器に注いだ。

 ジョナスも、同様に始めた。

 銀砂糖に冷水を加え、練る。すると銀砂糖はやわらかいねんのようになる。

 つうはそれに色粉を混ぜて、様々な色を作る。それらを組み合わせて、色とりどりのはなやかな砂糖菓子を作るのが普通だ。しかし今回は、色はつくらない。

 粘土のようになったものを、まな板に移し練る。

 形を作る道具類が準備されていないので、指先のみで作るしかない。

 銀砂糖は熱にけやすい。あつかう時は手を水で冷やしながら、手早く。

 テーブルに用意された冷水で、指を冷やす。

 砂糖菓子職人の手の動きは、手品師の手つきに似ているといわれる。やさしくなめらかに動く。

 ──なにを作ろうか。

 アンは銀砂糖を練りながら、思いをめぐらした。

 ──ママだったら、なにを作るかな。

 エマならばおそらく、白い色を生かして、白いものを作る。

 エマは植物が好きだったから、白い花を作ろう。

 そう決めて、エマがしばしば作っていた花の形を心に思い浮かべる。

 花びらの形を指先からひねり出し、いくつも作る。それらを重ねて、花を作っていく。

 ジョナスは、てのひらねこをつくっていた。ゆうな長い尻尾しつぽで曲線美をつくり、技術を見せつけようとしているようだった。

 ヒューは、しんけんな表情で二人の指先を見つめていた。

 キャシーが、ジョナスの指先で作られるものを見て、つぶやいている。

「ジョナス様の作るものって、本当に、すてき……」

 時間は、たいしてかからなかった。

 二人が手を止め、顔をあげたのは同時だった。

「できたか? 二人とも」

 ヒューが訊くと、ジョナスは自信たっぷりにうなずき、まな板の上を指さした。

「できたよ」

「わたしもできた」

 アンも、作ったものをまな板の上に置いた。

 二人の作品が載ったまな板を、ヒューは自分の前に引き寄せた。

 こうにしばらく見ていたが、ふふふと軽く笑った。

「二人とも、かなり腕がいい。け出しの職人、って感じじゃあないな」

 アンとジョナス、二人は顔を見合わせて微笑ほほえんだ。

 しかし。次のしゆんかん。ヒューは左右の掌で、二つの作品を同時にたたつぶしていた。

「あっ!」

「なにするんだ!」

 アンとジョナスが声をあげた。

 ヒューは厳しい表情で、二人を見すえる。

「見苦しいからこわした。ジョナス。おまえ、器用だな。だけどな、それだけだ。小器用なだけで、その技術を見せびらかしたいだけで終わって、なんのふうもない。アンはジョナスよりは、ましだったな。でもあれは、なんだ? まるでだれかの作ったものを、そっくり真似まねして作ったみたいだな。さるまねだ。れいなだけで、なんのりよくもない。そんなもの食わされても、幸運もこなけりゃ、ようせい寿じゆみようも延びないだろうよ。こんなんじゃあ二人とも、銀砂糖師になるなんて、夢のまた夢だな」

 こうしようとしていた二人とも、声が出なくなった。

 アンはどこか、図星を指されたような気がした。自分でも意識せずに感じている、自分の砂糖菓子に対する、引け目のようなものを的確に言い当てられた。

 ジョナスも同様なのだろう。表情がこわばっている。

「ま、この砂糖菓子のかけらは、もらっとく。明日の、俺のおやつだ」

 ヒューは手近なうつわに、ばらばらになった砂糖菓子を入れると、立ちあがった。

「さぁて、るかな。明日は朝早いし。来い、サリム。じゃあな、アン。ジョナス。いいひまつぶしができて、おもしろかったぜ」

 サリムをともない、ヒューは部屋を出ていった。

 医者は、ぜんとしていた。

 動けないジョナスに、キャシーが駆け寄ってきた。そして金切り声でさけぶ。

「なにがしたかったのよ、あの男は!?」

 さらにテーブルに飛びあがると、ジョナスの手をでる。

「ジョナス様。お気になさることありません。あんなおかしな、得体の知れない男の言うことなんか、真に受けちゃだめですよ」

「そう、かな?」

 ジョナスはしようして、アンをちらりと見た。

「ごめん、アン。僕、……部屋に帰るよ」

 アンは、ぱっと顔をあげた。

「わたしも……帰るから!」

 叫ぶなり、アンは自分の部屋に向かって駆けだした。

 くやしくて。そして自分が、しようずかしかった。

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