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三角の距離は限りないゼロ

著者:岬 鷺宮
イラスト:Hiten

1巻書影


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 こうして君に手紙を書くのは、はじめてですね。

 驚くかもしれませんが、僕自身こんなことを思い立った自分に驚いています。

 便せんに文字を書くなんて、小学生の頃。

 十年後の自分に手紙を出したとき以来かもしれません。


 あきはると出会ってから今日まで、どれくらいの時間がったでしょう。

 一ヶ月くらいだったようにも、一年だったようにも、十年だったようにも思います。


 なぜだか僕は、あの日はじまった日常は、終わることがないのだと信じていました。

 君との日々が永遠に続くのだと、無邪気に思い込んでいました。

 そのせいで、きっとたくさんのことを見落としてきただろうと思います。

 例えば、通学路の空に光っていた星や、かばんを持ち直す右手や、誰かのためについたうそ

 ボールの描く放物線や、焼却炉から昇る煙や、無意識に繰り返した口癖。

 そのときにしか触れられなかったもの。

 そしてすでに失われてしまったもの。


 だから今それを、

 最後に君と、一つ一つ思い出しておきたいと思うんです。




プロローグ【―Hypocrite lecteur,―mon semblable,―mon frére!】



 おまじないのように、何度も読み返していた。

 カバーがすり切れて、ページも日焼けして、表紙には無数に小傷が入った文庫本の冒頭、九ページから十ページまで。

 もう、その文字列に新鮮な感動なんて覚えない。

 文脈がゲシュタルト崩壊して、意味さえ頭に入ってこない。

 それでも僕は、すがるように何度もその段落を読み返し続けていた。

 ──すん、

 と、無意識に鼻をすすると、床の樹脂ワックスのよそよそしい匂いがする。

 今日からホームルームになる二年四組の教室、まどぎわの席。

 なんとなく早くに目が覚めてしまって、手持ちぶさたでここに来てみたけれど──。

 あと一時間。

 あと一時間で始業式がはじまる。

 校長のコピペみたいな挨拶と昭和臭がする校歌の斉唱と「十八歳未満閲覧禁止」くらいの拘束力しか持たない生活指導教諭の注意事項伝達。それが終わって体育館からこの教室に引き上げたら、新たな日常のスタートだ。

 春休みの間換気されることもなく熟成された教室の匂いは、新年度の生活の中であっという間に日常の匂いに塗り替えられていくんだろう。

「──はぁ……」

 気づけば、ため息をこぼしていた。

 きっとこれからまた、僕はこの教室でいくつもの自分を演じる。

 友達の前の自分。

 教師の前の自分。

 親しくないやつの前の自分。

 大勢の前の自分。

 悪いことだとは思わないし必要なことだとも思う。

 けれど、それはどこか自分をだましているような後ろめたさがあって。

 そうしているうちに何が本心かわからなくなりそうで。

 だからその前に。せめて自分だけは自分を見失わないよう、本当に好きなものを何度も味わっておきたかった。

 心酔できるものだけが、自分を自分につなぎとめてくれる気がしていた。

 そのとき──、

「……それ、いけざわなつ?」

 ──至近距離で声がした。

 はじかれたように顔を上げる。

 そこには──いつの間にか女の子が。

 制服姿で、こちらをのぞんでいる女生徒がいた。

「わたしも好きよ、『スティル・ライフ』」

 ──何より先に、小さな衝撃があった。

 誰だろうとか見られたとかまずいとかいう感想の前に、身体からだに走った微弱な電流──。

 ガラス細工めいて整った顔立ちと、何光年もの深さをたたえた銀河渦巻く瞳。

 短めの黒髪が、朝の日差しに淡くつやめいている。

 身にまとっているブレザーは真新しくて、かばんにかけた指はろうそくのように繊細で、不思議そうな表情はどこか無防備で、反面、大人びた作りの顔はものげで──。

 ──かすかな予感を覚えた。

 大きく感情が揺れ動く前の、不思議ななぎ──。

 ──って、そんな場合じゃない。

 慌てて文庫本を机に隠すと、

「いやー、あはは! びっくりしたよ、いるの気づかなかった!」

 無理矢理笑みを作り、トーンを上げた声でまくし立てた。

「ていうか、いつの間に来たの? もしかして結構前から見てた? だったら声かけてくれりゃいいのに!」

「……来たのはついさっき。本、どうして隠すの?」

「ああ、見ちゃった? 何だろ、なんか、友達から借りたから適当に読んでたんだけど、ちょっとよくわかんなかったしなんか恥ずかしくてさー」

「……どうして恥ずかしいの?」

「いやだって、普通みんなこういうの読まないでしょー! しかも、教室で一人でこそこそしてたし……」

「普通読まないかは、わからないけど」

 そう前置きすると、彼女はすっと背筋を伸ばす。

 そして、鈴が鳴るように澄んだ声で──、


『──大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして』


 ──息をんだ。

 彼女がすらすらとそらんじた、その一節。

『スティル・ライフ』の冒頭近く。僕が繰り返し読んでいたフレーズ──。

 女の子はぐ僕の方を向き、

「……い小説じゃない?」

 ──強烈な、ばつの悪さがこみ上げた。

 それは、しがらみも思惑もない、むき出しのままの感想だった。

 新芽のように無防備で、大木のように揺るがない彼女の本音。

 それに比べて……僕は何なんだ。

 浅いたくらみでキャラを作って、薄っぺらい演技で本心を偽って、自分を救ってくれる小説を無下に扱って──。

 自己けんが、水を吸ったスニーカーのように足先を冷やしていく。

 たっぷり十秒ほども黙り込んでしまってから、

「……そうだね、まあ、い小説なのかも」

 耐え切れず、僕はそう認めた。

 そして──、

「──ていうかうん。好きだよ。『スティル・ライフ』。これまで読んだ小説の中でも、ベスト5に入るかも」

 気づけば、そんなことを話していた。

「けど、その……あんまり、僕のキャラじゃねーんだよ、こういうの。だから、読んでるとこひとに見られたくなくて……ちょっとあせったっつーか……」

 自分のしたことが、信じられなかった。

 今口にしたのは、教師にも家族にも友達にも、絶対バレるわけにはいかない僕の本心だ。

 なのに僕はなぜそれを、初対面の女の子に……。

「そう」

 混乱している僕をよそに、女の子はうなずいた。

 そして、ミルク色にけぶる頰をわずかに緩めると、

「──わたしはそんなこと気にしないで、胸を張って生きていけばいいと思うけど」

 ──完全に、息が止まった。

 視線に射止められて、かすかに香る髪の匂いにからめ取られて。

 なぜだか僕は身動きできない。指一本、動かすこともできない。

「あなたは、今日からこのクラス?」

「……あ、ああ。そうだよ」

 向けられた質問で、石化が解けた。

「もしかして……君も二年四組?」

「うん」

「……ていうか、一年のとき何組だった?」

 考えてみれば、目の前の子に見覚えはない。

 この学校に同級生の女子は二百人ほどいるけれど、文化祭や運動大会や各種イベントのときにざっと顔は合わせている。全然見覚えがないのは、ちょっとめずらしい。

「わたし、今日転校してきたの。みなあき、よろしくね」

「ああ、なるほど、転校生……。あ、えっと、僕はだよ、よろしく……」

君、ね」

 と、みなさんは何かに気づいたように手首の腕時計を見る。

 そして──、

「──しまった」

 ふいにその顔をこわばらせた。

 ……どうしたのだろう。何か忘れ物でもしたのだろうか。

 いぶかしんでいると、次の瞬間──。

 彼女の表情に──微妙な変化が現れた。

 硬くこわばった顔が一瞬無表情になり……レモン汁で描いたあぶり出しのように、驚きと困惑の感情が浮かびはじめる。

 まるで、、気弱そうな表情。

 そして、みなさんはこちらに目をやり、

「……わ!」

 はじめて僕がいるのに気づいたみたいな顔をした。

「……な、何?」

「そ、その……なんでもありません!」

 それだけ言うと──彼女は慌ててかばんを胸に抱き、

「し、失礼します!」

 呼び止める間もなく、小走りで教室を出ていってしまった。

 一人その場に取り残され、ぽかんとしてしまう。

「……何、だったんだ? どうしたんだよ、急に……」

 彼女の出ていった教室後方のドアを、ぼんやりと眺める。

 漂う樹脂ワックスの匂いと、差し込むクリーム色の陽光と、吹き込んでくる流水みたいな手触りの春風。

 けれど……そうか。

 彼女が、僕のクラスメイトになるのか。

 この教室で、同じ日々を過ごすことになるのか──。

 ──ふいに、浮き足立っている自分に気づいた。

 胸元にわだかまっている、こころもとない欠乏感。

 ああ、と、どうしようもなく理解させられる。


 僕は今──恋に落ちた。


 四月九日、二年生最初の朝に。

 ほんの少し会話を交わしただけの、みなあきに恋をした──。




第一章【あるいは、僕らの現代的自我】



シチュエーション:始業式前の待機時間
キャラクターパターン1:軽口のたたけるクラスメイト

「──えー、今年もと同じクラス!?」

「何だよどう。またイケメンと一緒でうれしいだろ?」

「はいはい言ってな! そっちこそ、わたしといられてうきうきしてるんじゃない?」

「……ああ。実は、そうなんだ。今もどうといるだけで……胸が、苦しくて……」

「やっぱり! はぁ……かわいいって罪なのね。また一人男子を不幸にしてしまったわ……」

「おう。だから慰謝料がわりにジュースおごってくんね?」

「やーだよ! 心の傷は自分で癒やしな!」



シチュエーション:教室に向かう廊下
キャラクターパターン2:聞き分けのいい生徒

「──うわ、先生それ重そうっすね……」

「そうなの。年度最初は配布物が多くって……」

「じゃあ、そっち俺が持ちますよ」

「いいの? 結構重いわよ?」

「ええ。もらいますね……ぃしょっと。おお、マジで重いっすね。ちなみにこれ、教室ついたらすぐ配っちゃっていいすか?」

「ええ、大丈夫よ。本当に助かるわ。ありがとうね」

「いえいえーいいんですって。その代わり、今年も内申甘めにお願いしますよ!」

「ダメよそれは、ちゃんとそこは、平等につけさせてもらいます!」

「えー! 厳しいなー!」



シチュエーション:クラスメイトの集まった教室で
キャラクターパターン3:はじめて同じクラスになった話しやすい男

「……、だっけ? お前、あの芸人に似てね? あれ、マンチカンズのかしわ

「は!? いやいやどこがだよ! 似てねーだろ!」

「すげえ天然っぽいところとか顔とか。うわやっぱ超似てる!」

「天然じゃねーし! 顔も全然違うだろー!」

「マジ受けんだけど。お前今日からかしわって呼ぶわ!」

「……だからやめろって! 定着するだろうがー!」


  *


 ──帰りのホームルームが終わる頃には、手持ちのキャラを一通り演じ終わっていた。

「それでは、今日はここまでですね」

 一年次に続いて担任となった先生の挨拶で、二年生一学期の初日が終了となる。

「明日からは通常の授業がはじまりますから、忘れ物などないように気を付けてください。それでは、さようなら」

 さようなら、という輪唱めいたクラスメイトたちの返事。

 次いで椅子や机ががたがた鳴りはじめるのに紛れ込ませるようにして、僕はたこ糸みたいに細い息を吐き出していた。

 ──本当に、嫌気がさしてくる。

 空気を読んで、求められている自分を察知して、その通りのキャラを作って。

 なんで僕は、こんな風に自分を偽っているんだろう。うそをつき続けているんだろう。

 考えはじめると、あっという間に思考がドツボにはまる。

 そもそも……「キャラ」って、一体何なんだ?

 生身の人間のくせに、日常生活で何を演じようっていうんだ?

 早くも指紋のベタベタついた窓越しに外に目をやると、正門辺りの桜並木がここぞとばかりに咲き誇っていた。

 教室に満ちている浮ついたざわめきと、隣のクラスから聞こえてくる内容不明の歓声。

 なんだかそのすべてが──作られたものに思えてくる。

 始業式の日に桜は咲くもの。

 放課後の高校生は浮ついているもの。

 クラスで一組くらいは、大声を上げちゃってもいいかもしれない。

 誰もがそんな気持ちで──キャラを作っているんじゃないか。

「──え、気にしすぎじゃね!?」

 誰かのそんな台詞せりふが、ざわめきの中から耳に届いた。

 そうだ、気にしすぎだとも思うんだ。

 コミュニケーションを円滑に進めるため、会話を楽しいものにするため、自分を誇張したり抑え込んだりするのはある程度は仕方がない。

 けれど、度が過ぎてしまえばそれは自分に対するうそになる。相手に対するまんになる。

 そしてそのまんはときに──誰かを傷つけることも、僕はよく知っている。

 なら僕は、どんなときも揺るがない自分でありたかった。

 誰かを演じることなんてない「ひとりの自分」でありたかった──。

「──ねーねーみなさん、このあとわたしたちとお茶しに行かない?」

 その声に、僕は自分の三つ前。

 出席番号三十七番であるみなさんの席に目をやる。

「最近近くにカフェできたんだけど、ワッフルが超おいしいんだよ! ブルーベリーソースがかかってて……」

「せっかくだし、ちょっとした歓迎会って感じでどう?」

「ごめんなさい」

 みなさんは、あいわらいすることもなく首を横に振った。

「ちょっと今、そういう気分になれなくて。それに今日は、転校の手続きが少し残っているの」

 ──クラスメイトのそんな誘いにも、さらりと答えるみなさん。

 彼女は、今日一日こうだった。

 無理に笑わず声を上げず。本当に必要なときにだけ、必要な分だけ感情をあらわにする。

 決して作ることのない「ひとりの女の子」。

 そんな彼女が、にせものだらけの教室唯一の──僕の心の支えだった。

「……えーざんねーん!」

「じゃあ、また今度ね!」

 素気ない返答に言葉に詰まった女子たちも、すぐに表情を取り繕い笑顔で教室を出ていく。

 もしかしたら、二人の中でみなさんは「やりづらい子」という扱いになってしまったかもしれない。

 ただ不器用なだけなのかもしれないとも思うのだ。

 みなさんは確固たる意思があって自分を貫いているわけじゃなくて、本当にただ周囲に合わせられないだけなのかも、と。

 でも、それでもいいと思った。

 それでも僕は、その深い漆黒の瞳を、ずっと眺めていたいと思う。絹のようにたおやかな黒髪と、白桃みたいな頰に触れてみたいと思う。

 そんなことを考えていると、みなさんは席を立ち教室を出ていった。

 かばんは机に残されたままだ。言っていた通り、転校の手続きが残っているのかもしれない。

 じゃあ僕も帰ろうか。今日はどうしゆうも、どこにも寄らず帰るみたいだし……。

 なんて考えながら席を立ったところで、

「……そうだ」

 ふと思い立った。

 今日は、新年度初日なのだし、

「……部室、行っとくか──」


  *


 部室でしばらく時間を過ごしてから。

 いざ帰ろうと昇降口に向かいはじめたところで、忘れ物に気が付いた。

 今日配られたばかりの、時間割のプリントだ。

 多分、どう辺りにラインすれば写メで送ってくれるだろうけれど、そんなことで借りを作るのもつまらない。面倒だけれど、教室で回収してから帰ろう。

 階段を半階分降りて、渡り廊下に出た。

 どこかで練習をしている、トロンボーンとチューバのロングトーン。

 不真面目なパーカッション部員が、グロッケンで「三分間クッキング」の曲を演奏している。頭の中で、キューピー人形が踊る。

 そこでふいに──もう十二時を回って、しばらくつことに気づいた。

 ずいぶんおなかも空いている。

 北校舎に入りながら、今日の昼食は何にしようと考えた。

 昨晩のカレイの煮付けが残っているだろうから、メインはそれだろうか。

 そういえば、母さんが今朝ポテトサラダを作っていた。それも冷蔵庫に入っているだろう。

 あとはインスタントのしると、冷凍のご飯をチンして、ばあちゃんが送ってきた梅干しを載せれば完成だ。

 本当はパスタか何かが食べたいけれど、共働きの親が用意してくれたんだから、ありがたくいただかないと──。

 と、家の家庭事情について考えるうちに、教室についた。

 そして、ペンキのはげかけた扉に手をかけたところで、

「──でも……ぶんだよね……」

 中から小さく声がするのに気が付いた。

「あー……うちょっと……かったかなあ……」

 か細く揺れている、女の子の声が一人分。

 どうやら、誰かがひとりごとを言っているらしい。

 戸板を隔てているせいか、声の主が誰なのかはよくわからない。

 けれど……きっと、おとなしいタイプのかしわさん、きりゆうさん、につさん辺りだろう。

「……じゃない? ……ったら、そんなには……よね……」

 ……ずいぶん油断してるみたいだな。

 きっと、このまましつけに教室に入れば声の主を驚かせてしまうだろう。タイミングを見て、自然に扉を開ける方がよさそうだ。

 そんなことを考えながら戸から手を離し、のぞき窓から中を窺った僕は、

「……ん?」

 ガラスの向こうの意外な光景に──目を疑った。

 教室にいる女子は、案の定一人だけ。

 廊下側の席で、こちらに背を向けかばんに荷物をしまう女の子──。

 ──みなさん、に見えた。

 廊下側後方の席は彼女のものだし、真新しいブレザーも転校生特有のもので間違いない。

 それ以上に、僕が彼女の。

 今日一日、穴が空くほど眺めてきた後ろ姿を見間違えるはずがない。

 けれど──、

「……んー……明日は……みた方がいいかなあ……」

 相変わらず、教室の中から聞こえてくるひとりごと。

 それが、りんとしたみなさんのイメージとどうしてもわない。

 吹き替えの人選を誤った映画を見ているような、居心地の悪い違和感。

 これ、本当に彼女がしゃべってるのか?

 それとも、教室に他に誰かいるのか……?

 探してみるけれど……やはり扉の向こうには、みなさんしか見当たらなかった。

 そうこうしているうちに、彼女はかばんを手に取り振り返る。

 そして、その顔がようやくこちらを向き──、


 ──僕はがくぜんとした。


 がいた。

 そう、見えた。

 顔の作りや髪型は、間違いない、みなあきさんだ。

 けれど……泣き出しそうに寄った眉。不安げに揺れる瞳。確かめるように何度もかばんを持ち直す手はどう見ても別人で。みなさんの姿をした他の誰かにしか見えなくて、

 ──身を隠すのが、数秒遅れた。

「……へ?」

 みなさんの視線が、こちらを向く。

 のぞき窓越しに、ばっちり目が合った。

 しまった──と、今さら取り繕おうとしたその瞬間、

「わ……うわわわ!」

 驚いた拍子に、後ずさったみなさんがバランスを崩した。

 かばんを取り落とし、机をつかもうとした手は空を切り──そのまま──、

「痛っ!」

 ──派手な音を立てて、尻餅をついた。

「だ、大丈夫!?」

 慌てて扉を開け、彼女に駆け寄った。

「ご、ごめん……のぞするつもりは、なかったんだけど……」

「痛たたた……。あ、ああ、ありがとうございます……」

 手を伸ばすと、顔をしかめていたみなさんは申し訳なさげにそれにつかまり立ち上がった。ぽんぽんとスカートについたほこりを払い、落ちていたかばんを拾う。

 そして彼女は恥ずかしげにこちらを向き、

「す、すみません。誰もいないと思っていたので、ちょっとびっくりして……」

 その表情は相変わらず気弱で、どこか自信なさげで、

「……あ、あの、結構ドジなところあるんだね、みなさん」

「へっ?」

「いやその、朝会ったときは、ずいぶんしっかりした子だなって思ったから……」

「……あぁ!」

 そこで彼女はようやく事情がわかった、という顔になり──、

「あ、あの。ごめんなさい、転校の色々で少し疲れていて」

 ──急に、その顔にりんとした表情を浮かべた。

「なんだか、み、みっともないところを見せてしまったわね……」

「……ああ、いや、それはいいんだけど」

「まあ、普段はもう少し落ち着いているから、今見たことは忘れてもらえると助かるわ……」

「うん、わかった、けど」

「どうかした?」

「いや、みなさん……」

 僕は、数秒ほどかけてためらってから。

 言っていいものかとしゆんじゆんしてから──、

「──すげー、無理してる感があるんだけど……」

 確かに、表面的には朝の彼女の通りなのだ。

 浮き世離れして落ち着いた口調に、素っ気ない表情。

 さっきより背筋も伸びているし、仕草もどこか清廉だ。

 けれど、目はあたふたと泳ぎ声は不安げに揺れ……演技にしか見えない。

 誰か別の人間が、文化祭のクラス演劇以下の演技力で「みなあき」を演じているようにしか、見えない。

「い、いや、別にそんなことは……」

 僕の指摘に、みなさんの目が一層せわしなく泳ぎはじめる。

 無駄に何度もかばんを持ち直し、足下はゆらゆらと覚束ず、声はあからさまにうわずっている。

「こ、これが普段通りのわたしよ。とにかく、今日はこれで失礼するわ……」

 言って、彼女は僕の隣をすり抜け、教室を出ていこうとし──、

「──わっ!」

 またしても、その小柄な身体からだがふらりとかしいだ。

 足下には、誰かがきちんとしまわなかった椅子の脚。

 ──つまずいた。

 慌てて手を伸ばし、細い腕をつかんだ。

 そのやわらかさに驚く間もなく、身体からだにかかる生々しい女子の重み。

 慌てて足に力を入れ、逆向きに体重をかけ──ギリギリのところで踏みとどまる。

 よかった、二人とも転ばずに済んだ……。

「……だ、大丈夫?」

 恐る恐る尋ねると、みなさんはゆっくりこちらを向いた。

 そして、それまで作っていたりんとした表情をくしゃっと崩し、

「……もう、ダメだあぁぁ……」

 今にも泣き出しそうな顔で、そんな声を漏らした。

「ごめんあきぁ……初日からバレちゃったぁ……」


  *


 ──あ、あのね、わたしの中には……この身体からだの中には、二つの……魂? 人格? 人……が、入っててね。

 今朝、君が会ったのはメインの人格の『あき』で……わたしはサブの人格の『はる』です……。

 え、ええっと……事情があって。もともとは一人だったんだけど、七年くらい前かなあ? わたしが生まれちゃったんだ……。

 ……うん。なんだか、そのときあきにすごくストレスがかかってたみたい……。

 あ! でももう、それは解決したから大丈夫なの! ごめんね! 心配させちゃって……。

 ……うん、そう。

 そう、だね。だから、お医者さんにも言われてるんだ。

 わたしたち──二重人格なんだって。


「……二重人格……」

 小説でしか聞かないようなその話に、まいを覚えていた。

 もはや、空腹だってこれっぽっちも気にならない。

 ただ、目の前の女の子が──みなはるが語ったことを吞み込むので、精一杯だった。

 二人しかいない二年四組の教室の、まどぎわの席で。

 一連のドジをさらし、もうこれ以上は隠し切れないと判断したらしい彼女は……夢物語みたいな「二重人格」の説明を、一生懸命続けてくれている。

「──えっと……今は確か……百三十一分! 百三十一分で人格が入れ替わるの! 不思議だよね……。でも、たまにこういう人っているんだって……」

「──あ、入れ替わりの時間は絶対決まりじゃなくて、そのときの調子によって、早くなったり遅くなったりもするの。百三十一分ていうのは、今のだいたいの平均で……」

「──そう、だから記憶は別々なんだ。スマホでお互いやりとりしてるから、大事なこととか授業のこととかは、わかるようになってて……」

 これまで僕にとって、「二重人格」はあくまで「物語でたまに見る題材」だった。

 ジキル博士とハイド氏もそうだし、最近のマンガなんかでもちらほら見かけるありがちなキャラ設定。

 それらの作品の中では、第一の人格と第二の人格はえてしてかなりの落差があったけれど……このみなあきはるも、例に漏れず正反対と言ってもいい性格らしい。

 冷静で、超然としていて、感情の読みにくいあきと。

 今目の前で必死に解説をしてくれている、おっちょこちょいのはる

 強いストレスから自分を守る、というのが別人格の生まれる目的らしいから、必然的に第二の人格は第一の人格と真逆になりやすいのかもしれない……。

 ──そんな思考を無理矢理展開してみても。

 いまだに僕は、目の前の気弱そうな女の子が、その「二重人格」であることに現実味を感じられずにいた。

 確かに、見た目だけで言ってしまえばはるあきそのものなのだ。

 つやめいて流れる黒髪のボブヘアーに、切れ長の瞳。

 繊細な彫刻みたいな鼻に、クリームのようにやわらかそうな唇。

 けれど──今僕は、胸の痛みを感じていない。

 こんなに至近距離にいて、苦しさを覚えない。

 心があきはるを、まったく別の人間だと認識している。

「──っていう、感じなの……」

 一通り説明が終わったらしい。

 はるはふうっ、と息をつき、かばんからわたわたお茶を取り出すと一口飲んだ。

「ご、ごめんね、話が下手で……。でも、だいたいわかってもらえたかな……?」

「ああうん、ありがとう。よくわかったよ」

「そっか、よかった……」

 ほっとしたように、頰を緩めるはる

 その表情に──僕はバグの発生したゲームをプレイしている気分になる。

 あんなにもれいな印象だったあきが、中身が変わっただけでこんな緩い空気を出せるようになるのか……。

 客観的に考えれば、やっぱり二重人格なんてありえないんだろうと思う。

 何か理由があって演技しているか、実は双子で僕をからかうためにうそをついていると考える方が、きっと自然だ。

 けれど……これまでキャラといううそをつき続けてきた僕は。

 自分のうそにも他人のうそにも過敏に反応してきた僕は、はっきりこうも感じていた。

 ──目の前のはるは、演技をしてもうそをついてもいない。

 ここまでみつにキャラを作ることなんて、ただの女子高生にできるはずがない。

 これが演技ならアカデミー賞ものだし、それをここでろうする理由もない。

 この子は本当に──二重人格なんだ。

「……そういえば」

 そこでふと、僕は今さらな疑問を覚え、

「どうしてさっき、二重人格隠そうとしてたんだ? あきの振り、しようとしてたよな?」

 尋ねてから──しまった、と思う。

 人格が分かれているなんて、考えてみればかなりデリケートな話だ。

 隠したいと思って当然なのかもしれないし、無神経に踏み込んでしまったかも……。

「あー、ええっとね」

 しかし、存外はるは平気な表情で、

「理由は色々あるんだけど、周りの人を驚かせないようにとか……」

「うん」

「でも、一番は──」

 そう言って、彼女は困ったように笑い、

「──『ひとりのわたし』で、ありたいからかな?」

「……『ひとりのわたし』?」

 どこかで覚えのあるその言葉に、心臓が一拍強く脈打った。

「うん……。その、わたしって、本当はひとりの人間のはずでしょう? 一つの身体からだで、一つの心を持っているのが、もともとの形でしょう……? なのに、いくつも顔があって性格があって、っていうのは……やっぱりちょっと、よくないなって思うんだ……」

「……そう、なのかもな」

「だから、ちゃんとわたしがあるべき姿に戻れるように。一つの身体からだで一つの心になれるように、できるだけあの子に近づきたいと思ってるの……」

「そうやってあきを演じて……メインの人格に近づけば、いつか人格って一つになるのか?」

「……そうみたい」

 少し間を開けて、赤点でも取ってしまったみたいな顔ではるはうなずいた。

「だから、がんばらないといけないんだあ……」

「そっ……か」

 相づちを打ちながら……僕は、自分の中にはるへの共感が芽生えるのを感じていた。

 ──似ているかも、しれない。

 いくつもの顔を使い分けるのではなく、一貫した自分でありたい。

 どんなときも、確固たる自分を曲げずにいたい。

 はるは、僕と同じようなことを思いながら、日々過ごしているのかも……。

 そう考えると──急に目の前のはるが好ましく思えてきて、

「わかるよ」

 自然と、頰が持ち上がってしまう。

「僕も、結構人の前でキャラ作っちゃう方でさ。……いや、もちろん二重人格とはレベルが違い過ぎるし、今は素なんだけど。でも、できればそうやって演じるのはやめたいなって思ってる。だから、はるの気持ちはよくわかるよ」

「へえ、そうなんだ……」

 はるはにへらと笑った。

「じゃあ、わたしたち、仲間だね」

 ──仲間。

 この学校で、この教室で。

 こっそりと、同じような願いを胸に抱いた仲間。

 そう考えると──気持ちがふわっと軽くなった。

 ひとりぼっちで挑んでいた戦いに、味方が現れたような気分になった。

「……応援してるよ」

 そう言う口調にも、自然と熱がこもってしまう。

はるがちゃんとあきと一つになれるよう、応援してる」

「……ありがとう」

 ほほえんでいたはるは、さらにその表情をとろけさせた。

「そう言ってもらえるだけでも、すごくうれしいよ。わたしも、君のこと応援してる」

 そして、彼女は笑顔のまま、その眉を困ったように寄せて──こう言った。

「──だから、二重人格のことは……ここだけの秘密ね?」


  *


 自分だけが、人と比べてひどくみっともなく感じられることがある。

 例えば、ぐ過ぎる髪質。僕の髪は母親ゆずりの黒髪、ストレートヘアーだ。放っておくとぎわから下にすとーんとぐ落ちるし、うねることなんてまったくない。

 それだけ聞けば「雨の日楽でいいね」と思われるかもしれない。実際、猫っ毛のどう辺りからは「何なのその髪質! 美少女にしか許されないやつだよ! わたしの髪質と交換してよ!」なんて妬まれたりもする。

 けれど実際は、そんないいものでもないのだ。ちょっと伸びるとぺたんこになって、小学生みたいな坊ちゃんヘアーになる。短くすると、今度は頭皮からぐ立ち上がって、もはや収拾がつかない。雨の日だけでなく晴れの日も曇りの日も、この髪質は僕を悩ませるのだ。これでもくせ毛の人は、本当にこの髪質になりたいと言えるだろうか?

 ……とまあそんな具合に、僕にとってコンプレックスになっていることはいくつかあって。

 その中でも、一番気にしているのは「物持ちの悪さ」だった。

 制服にしろスニーカーにしろ筆記用具にしろ、何しろ消耗が早いのだ。

 普通に扱っているはずなのに、すべてのものが他の人の倍の速さで摩耗していく。

 どうには「生き様が雑なんじゃない?」なんて言われて、本気でショックを受けたこともあった。

 だから、

「──おはよう」

 そう言って、昇降口であきに声をかけられたとき。

 自分がボロボロの校内履きスリッパを手にしていることに気づき、ひどく気恥ずかしくなった。

「お、おう、おはよ……」

 返しながらも、内心気もそぞろだ。

 や、やっぱり気づかれたかな、スリッパ汚いの……。

 ていうか、入学して一年なのに、なんでこんなもう壊れかけなんだよ。

 底のクッションほとんど取れかけてるし、ダサ過ぎだろ……。

はるから、話は聞いたわ」

 そんな僕のあせりの彼方かなたで、あきはスムーズに靴を履き替える。

「バレてしまったのね、初日から。まあ、予想していたことではあるけど」

 あっさりその話題が出たことに、少々驚いた。

 けれど、あきの口調は普通の世間話をしているときとまったく変わらない。

 周囲には他の生徒もいるけれど、具体的な単語も出ていないし、これが「二重人格」に関する話だなんて思うやつはいないだろう。

「……なんか、ごめん」

 僕もあくまで雑談の声色で、あきにそう返す。

「別にこう、探りを入れるつもりはなかったんだけど、なりゆきで……」

「ええ、それはわかってる。はるがどういう子かは、わたしもよく知っているし」

 妹について話す姉みたいな口ぶりのあき

 あれだけ性格が違うのだし、この子にとってはるは別人格というよりも、妹に近い存在なのかもしれない。

「最初から、ちょっと難しいだろうなと思っていたの。隠し続けることなんてできないだろうって。けど、まさか初日から失敗するとは思わなかった」

 そう言って、あきはかすかに笑う。

 不意打ちのその表情に、胸が詰まるような気分になった。

 考えてみれば、朝から片思いの相手とこんな風に話せるなんてずいぶんと運がいい。

 それも、他の人に知られるわけにはいかない秘密の会話をできるなんて……。

 そして、そんな僕に追い打ちをかけるように、

君でよかった」

「……へ?」

「最初にバレたのが、君でよかった」

「……どうして?」

「だって、大騒ぎして言いふらしたりはしないでしょう。そこは、信頼できるわ」

「……そっか」

 素っ気なく返しながらも……完全に舞い上がっていた。

 ──君でよかった。

 ──信頼できる。

 それは少なくとも、好意的な評価と受け取ってもいいだろう。

 どちらかといえば、あきは僕に好印象を抱いてくれているのかも……。

 半ば強制的に、頰の辺りが持ち上がってしまう。

 教室へ向かう重い足取りが、軽やかになってしまう。

 ただ、

「だからそう、はるからも聞いたと思うけど、この件は漏らさないようお願いね」

「ああ、うん。それはもちろん」

「ありがとう。勝手で申し訳ないけど、あの子がそうしたいってゆずらないから……」

 彼女が続けたその言葉に、小さな違和感も抱いた。

 ──あの子がそうしたいって、ゆずらないから。

 まるで、自分はそうでもない、とでも言いたげな口ぶりに思える。

 あくまで、二重人格を隠したがっているのは、はるだけ、と──。

 じゃあ──あきはどう思っているんだろう。

 隠さなくてもいいと思っているんだろうか?

 このまま二重人格でいてもいいと思っているんだろうか?

 しかし、それについて尋ねる前に、

「じゃあ、あの子をよろしくね」

 僕らは二年四組の教室前についていた。

 もう一度小さく笑い、あきは自分の席へ向かう。

 その後ろ姿を見送りながら──もっと知りたい、と願っている自分に気が付いた。

 僕はもっと、あきのことを。

 二人の考えていることを、知りたい──。


  *


 しかし、授業がはじまってからは、そんなのんきなことも考えられなくなった。

 こうして見ていると──あまりにも拙いのだ。

 はるによる「二重人格」の隠蔽が。


 ──移動教室に向かう途中、筆箱を落として派手に中身をぶちまけたり。

 ──ふいにクラスメイトに話しかけられ「……へぇ!? な、何!?」と素の口調で答えてしまったり。

 ──入れ替わり直後に「あれ、ここどこ……?」みたいな顔できょろきょろしてたり。


 ある程度は予想していた。

 あんなにぼんやりしたはるなんだ、きっと演技も穴だらけにちがいない。

 けれど、実際の彼女は予想をはるかに下回り、はたにもはっきりわかるほどにボロを出しまくっていた。

 もちろん、それくらいで「二重人格では?」なんて疑うやつはいないと思う。

みなさん、ああ見えてちょっと抜けてるとこあるのかも」と思われたり、「不思議ちゃんキャラ」扱いされたりするのがせいぜいだ。

 けれど、昼休み。

「じゃあ、仮入部の件考えておいてね。無理にとは言わないけど」

 と、入部を誘ってくれた手芸部員に対して、

「ええ……あきと相談しとく」

 と答えてしまうにいたり──僕は決心した。

 もうこんなの、見ているだけで寿命が縮む。

 ヒヤヒヤして、背中に変な汗をかいてしまう。

 なら、いっそのこと──、

「……あのさ」

 手芸部員が困惑気味に去ったあと、思い切ってはるに声をかけた。

 あきよそおったはるは、演技臭い無表情でこちらを見上げ、

「……な、何?」

「放課後、ちょっと話したいことがあるんだけど──」


  *


「──僕は勝手に、部室って呼んでるんだけど」

「へー……」

「昔は、文芸部の部室だったらしい。でも、今となっては空き教室で、しかもスペアキーもベタに鴨居の上に隠してあって……だから、一人になりたいとき、たまにここに来るんだ」

「そうなん、だ……」

 相づちを打ちながら、はるはその狭い部屋の中をうろうろと歩き回っていた。

 備品を興味深げに観察し、時折手を伸ばして触ってみているはる

 あまりこういう場所に来たことがないのか、その表情はちょっと緊張気味に見える。

 ……でもまあ、それも仕方がないか。

 辺りを見渡しながら、僕は苦笑してしまう。

 確かに、この部室はちょっと異様な空間だ。

 はるの目の前。ほこりだらけの本棚には、触れれば崩れそうなほどに古びた本が詰まっている。文豪の全集に、百科事典に、何年前のものかわからない文芸雑誌。一冊だけ、色あせた二十年ほど前のグラビア誌が挟まっているのは、当時の部員の置き土産なんだろう。

 三組ほど置かれた机と椅子は、教室にあるものとは違う旧タイプだ。

 表面に彫り込まれた誰かのイニシャル、わいな図形、H13.10.29という日付。

 他にも部室内は、まだソ連がある地球儀や、一部の欠けた鳥の剝製や、グレイタイプの宇宙人が浮かび上がるホログラムステッカーが貼られたラジカセなんかであふれていて……よく言えば隠れ家、悪く言えば不要品置き場といった様相を呈していた。

 いきなりここに連れ込まれれば、驚きもするだろう。もしかしたら、変な目的があるんじゃ? なんて疑われているかもしれない。

 けれど、大事な話をするなら、これ以上の場所は校内にない。

「……ちなみに、なんだけど」

 本棚から本を抜き出し、ぱらぱらとページをめくっているはるに尋ねた。

 カーテン越しの光にはちみつ色に染められ、彼女はこちらを向いた。

「まだしばらくは、はるのままだよな?」

「うん、そうだね。えっと……今回は、十六時五十四分くらいまで、かな……」

 彼女は制服のポケットからスマホを取り出し、ぬるぬるとディスプレイに指を走らせそう答えた。なるほど、それで入れ替わりのタイミングは共有してるんだな。

「そっか、それくらい時間があれば十分だな……」

「……あ、あの!」

 はるがふいに、切羽詰まった声を上げる。

「な、なんで急に……ここに連れてきたの……? 話って、何……?」

「……ああ、それなんだけど」

 近くにあった椅子に腰掛け、僕は本題に入ることにした。

 こみ上げる照れくささを頰をかいてごまかしながら。

「……あの……よければ、えっと……」

 僕は、我ながら『らしくないこと』をはるに提案する。

「……手伝わせて、もらえないか」

「……手伝う?」

「ああ。はるの、二重人格がバレないようにする、その……手伝いを……」

 ──言いながら、心臓がゆるゆる加速していく。

 本当に僕は……なんて差し出がましいことを言っているんだろう。

 彼女のプライベートに首を突っ込んで、手伝いたいだなんて……。

 けれど、どうしても──放っておけないと思ったのだ。

 僕の目には、彼女がキャラというものに悩んでいる自分とダブって見えた。

 あんな風にはるが失敗を繰り返すのを、傍観している気にはなれない。

「……あ、あぁあ」

 ようやく緊張の解けた様子で、はるははぁあと息を吐いた。

 胸元に押しつけるようにして抱いていた『こうぼう全集 第三巻』から、力が抜けていく。

「そ、そっか、手伝う……話って、そういう……。わたし、てっきり何か怒られるのかと……って、えええ!?」

 一瞬で、その身体からだに緊張が戻った。

「え、ど、どうして……? なんで急に、そんなことを……? めんどくさいだけだと、思うんだけど……」

「ああ……その辺は別にいいよ。自分がしたいからそうするだけだし。ほら、話しただろ。僕たちは仲間だって。だから……放っておけなくて」

 我ながら、そのクサい台詞せりふに赤面しそうになる。

 面と向かって仲間だなんて、安っぽいドラマみたいだ。

 けれど、それが僕の本心なんだ。

 昨日の放課後二人で交わした会話は──結構本気でうれしかった。

「……それに、このままじゃいつか色々バレる日が来そうだし」

 恥ずかしさにそう付け加えると、自覚はあったんだろう。

 本を本棚にしまいそばの席に腰掛け、はるはんはぁあと息を吐いた。

「……だよねぇ。がんばってるつもりなんだけど、やっぱりうまくいかなくて……」

「そりゃまあ、そうだよな……」

 例えば、僕が演じ分けているキャラは、あくまで「僕の素の一部を過剰に盛ったもの」だ。

 たたいている軽口も教師へのおもねりも、まったく自分の中にない要素、というわけではない。だから、自然に演じられているし変に思われることもないんだろう。

 けれど、はるあきは、真逆の性格と言ってもいい。

 共通点のない人間に近づかなければいけないとしたら、相当難しいだろうと思う。

「もちろん、僕にできることなんてそんなにないと思うよ。それでも、致命的なミスを回避する手助けをしたり、はたから見てて思ったこと言ったりくらいはできる気がする。だから……もしよければ、可能な範囲でだけど、力になりたいんだ」

「そっ、か……」

 はるは視線を落とし、何かをぶつぶつつぶやきはじめる。

 どうやら、なかなか決心ができないらしい。

「……あの、微妙だったら遠慮なく断ってもらっていいからな? 自分でも、押しつけがましいかなとは思うし……」

「あ、ううん! そうじゃないの!」

 がばっと顔を上げると、はるはブンブンとれた犬みたいに首を振る。

「お願いは……したいなって思うんだ。助けてもらえると、本当にありがたいよ。でも……やっぱり申し訳なくて。何かお返しできないかなって……」

「いや、そういうのはいいんだって。ただの、こっちの勝手なんだから」

「そんなわけにはいかないよ。だから君、何か困ってることはない? わたしに手伝えそうなことで……」

はるに……手伝えることか……」

 こちらを真剣な顔で見つめるはる

 あきとまったく同じその顔立ちに……一瞬やましい考えが頭に浮かんだ。

 好きな子と同じ顔の女の子に「手伝いたい」なんて言われれば、どうしても「そういうこと」を考えてしまう。自制心とか自己けんよりも先に、妄想が勝手に広がっていく。

「……あ! 君もしかして……」

 ふいに、はるが何かに気づいたような声を上げた。

 そして、彼女はぎくりとする僕に──、

「──今……わたしに何か頼むの不安だって思ったでしょ!」

「……へ?」

「こんな頼りないやつに任せられることはないって! 顔にそう書いてあるよー」

「……はは、バレたか」

「んむー!」

 勘違いしてむくれるはるに、思わず笑ってしまった。

 らちな考えがかき消えて、深刻だった部室内の空気も少しやわらいだ。

 よかった、今回はこの子の無防備さにちょっと救われたかもしれない……。

「……でも、確かにそこが問題だよね。できること、そんなになさそうだし……。あ、ご飯おごるとか? けど、わたしそんなにお金も持ってないしなあ……。悩みの解決……とかも無理だよね、自分の悩みも解決できないのに……」

 と。

 ふいにはるは、そこで思い付いた表情になり、

「──あ、恋愛相談!」

 その顔をぱっと明るくして──そんなことを言い出した。

「今君、好きな人いたりしない?」

「え、す、好きな人……?」

「そう、片思いの相手。クラスとか、同じ学年とか、部活とかに……。わたし、恋愛もののマンガはたくさん読んでるから、恋愛相談には乗れる気がする!」

 ──思わず、硬直してしまった。

 この展開は──予想していない。

 まさか、片思い相手の別人格に……好きな人を聞かれるだなんて。

「ねえ、どう? いるのかな、好きな人」

「……そ、それは」

「どうなの?」

「……い、いるけど」

「え、誰? 同じクラス? わたし知ってる人?」

「……」

 なすすべもなく、おろおろすることしかできなかった。

 なんではる、こんなテンション上がってるんだ……?

 お返しをできるのがうれしいとか? あるいは、もともとこういう話が好きなのか……?

「……ん? どうしたの?」

 そう言って、はるはこちらにずい、と身を寄せてくる。

 髪から甘い匂いが──あきと同じ匂いがして、反射的に身体からだがビクリと震えた。

「……なんでそんなに、恥ずかしそうなの?」

「い、いやその……」

「もしかして、体調悪いとか……?」

「そうじゃ、ないんだけど……あんまり近づくと……」

「近づくと……何?」

 ──至近距離に迫る、水晶のような瞳。

 ──薄桃色の唇と、襟元からのぞく鎖骨。

 ──ブレザーの胸元を押し上げる膨らみと、スカートから伸びた白い脚。

 あきと共有している、身体からだ──。

 ──と、そこで。

 はるの動きがぴたりと止まった。

 そして──まさか、という顔で。

 何か、途方もない予感を感じている顔で、


「……もしかして──あき?」


 ゆっくりと、その名前を口にした。

君……あきが好き、だったりする?」

 ──もはや、キャラ作りも演技もできなかった。

 頭の回転はほとんど止まっていて、ごまかしの言葉さえ出てこない。

 自分でもはっきりとわかるほどに、顔が赤くなっていく。

「え、本当に……?」

 はるがぽかんとした顔で、こちらをのぞんだ。

「……本当に、あきのこと好きなの?」

 ……どうすべきなんだろう。

 この子にあきのことを好きだと明かしたら、一体どうなってしまうんだろう。

 気持ち悪いと思われるんじゃないか? はるとも、仲間でいられなくなるんじゃないか?

 なんとかして隠すべきなんじゃないか……?

 けれど、もうここからごまかしたり、うそをついたりすることはできそうにない。

 覚悟を決めるしかない──。

「……そう、だよ」

 ちょっと声がかすれるのを自覚しながら、僕はそう白状した。

「僕が好きなのは……あきだよ」

「……そっか」

 身を引き椅子に体重を預けると、うわごとみたいにはるはつぶやいた。

君は、あきを……」

 ……どうなるだろう。

 引かれるだろうか。拒絶されるだろうか。

 どう扱われても落ち込まないよう、心の中で耐衝撃態勢を取った──次の瞬間。

「うわあ……うわあ、そうなんだ!」

 ──白い頰を桃色に染め、はるは妙にはしゃいだ声を上げた。

「前からあき、モテるみたいだったけど……そっか、君、あきが好きなんだ……! わー、思ったより近い子だったなあ……!」

 予想外のリアクションだった。

 まるで、普通の友達と恋バナをしているような、無邪気な反応──。

 そして、彼女は椅子をこちらに寄せ、喜色満面でこちらをのぞむと、

「ね、ねえ、それっていつからなの……? まだそんなに、何回も会ってないよね……?」

 質問攻めがはじまった。

「え? えっと…………。始業式の日に、朝偶然会ったとき……」

「じゃあほとんどひとれだね……! あの子のどういうところが好きなの?」

「…………そ、それって言わなきゃダメ?」

「いいじゃん、教えてよー。もちろん、あきには言わないから……」

「え、えっと……自分を貫くところかな……」

「あー、あの子すごく芯があるもんね! ……ん? ていうか」

 と、そこではるふいに気づいた顔になり、

「もしかして……わたしを手伝うって言い出したのも、あの子が目当てだったの!?」

「いや! それはな……いとは、言えないけど」

 勢いよく否定しかけて、途中でトーンダウンしてしまった。

「確かに、はるを手伝えばあきといられる時間も増えるかなって期待はあったよ……」

 そこに胸躍らなかったと言えばうそになる。

 はるに声をかけたとき、僕はわずかに身勝手な期待もしていた。

 それをきっかけにして、あきとの距離も縮められるんじゃないか。

 そのまま、彼女にとっても特別な存在になれるんじゃないか、なんて。

「けど、放っておけないって思ったのも本当だよ! それが一番の理由だし……そのことは、信じてほしい」

「……うん、そうだよね」

 うなずくと、はるはいたずらに成功した子供のように笑った。

「ほんとはわかってたよ、心配してくれてるのは。ごめんね、意地悪しちゃった」

「……なんだよ、ちょっとあせったじゃねえか」

「ほんとごめん。でも……うん。応援するよ、君の恋」

 そう言って、彼女ははじめて表情に自信をのぞかせると──、

「──きっとそれなら、誰よりもうまくできると思うから」

「……ああ、ありがとうな」

 素直に、心強いと思った。

 何せ、はるあき本人なのだ。

 これ以上に信頼できる恋愛相談の相手なんて、他にいないだろう。

「だからごめん、順番が逆になっちゃったけど──」

 そして、はるはそう前置きし、こちらに深々と頭を下げ、

「わたしのことも、どうぞよろしくお願いします……」

「……おう、任せとけ」

 と、そのとき──部室の扉がノックされ、

君、いるー?」

 扉が開き、先生が顔をのぞかせた。

 もも先生。昨年からの付き合いの、小柄な女性教師だ。

 年齢は二十七才。整った顔立ちや大人びた振る舞いと低身長のギャップで、一部の男子からは熱心な信奉を集めている。

 彼女はこの部屋の管理も任されているらしく、こうして僕がときどきここで過ごすのも管理者権限で見過ごしてくれていた。

 しかし──めずらしいな。

 慎重なこの人が、ノックのあとに返事も待たず扉を開けるなんて……。

 そして、今回彼女は、

「……え、あ、みなさん……ご、ごめんなさい、お取り込み中だった……?」

 室内に僕だけでなくはるがいることに気づき、あからさまに慌て出す。

「その、仲良くするのはいいけど……節度は守ってね?」

「いやいや、そうじゃないですって!」

 とんでもない勘違いをされているのに気が付いて、はじかれたように立ち上がった。

「ちょっと、その……雑談してただけで……!」

 ──そんな風に説明をはじめるも、本当のことを言うこともできず。

 結局、先生の誤解を解くのに、十五分ほどの説明が必要だった──。


  *


 校舎から出ると、いつの間にか日は大きく西に傾いていた。

 歩道を行き交う下校中の中学生、買い出し中の飲食店店員、電話中のサラリーマン。

 目の前で、太り過ぎの雑種犬がいやいやといった感じで飼い主に散歩させられている。

 食べログ国内上位にランクインしたラーメン屋の前には、早くも行列ができはじめていた。

 ──時刻は、十六時過ぎ。

 総武線沿いのこの街は、こんなちゆうはんな時間にも人通りが途切れない。

 あと三十分足らずで、はるの人格はあきに入れ替わる。

「……ふふふ」

 ふいに、隣のはるが小さく笑い声を上げた。

「……どうしたんだよ?」

「ああ、あのね、なんだかこうして一緒に帰ってると……友達みたいだなって思って」

 そう言って、はるは照れくさそうに笑う。

「わたしたちね、ここに来るまでは施設にずっといて、友達なんて一人もいなかったんだ。その前も、学校でも浮いてて誰とも仲良くできなかった。だからこういうの、はじめてで……なんだか、友達っぽいなって……」

 その言葉に……僕ははじめて、あきはるのこれまでに思い至る。

 そうか、二重人格であった以上、この子たちはきっと、僕とは大きく違う毎日を過ごしてきた。だからもしかしたら、彼女たちにとっては……これがはじめての「当たり前の学校生活」なのかもしれない。

「……ていうか、友達だろ?」

 喫茶店前の黒板がディナーメニューに替えられるのを横目で眺めながら、僕はそう言う。

「……へ?」

「みたいも何も、僕ははるのこと……友達だと思ってるけど」

 一人の人間でありたい、という、似たような気持ちを抱いて。

 お互いに助け合おう、なんて約束までして。

 僕たちはもう、間違いなく友達だ。

 もちろん、他のやつが相手だったら、こんなこと絶対口に出しては言わないだろう。

 けれど──はるには。

 隣にいる彼女には、はっきりとそれを伝えておきたかった。

 そして──その瞬間はるに起きた変化を、僕は一生忘れないと思う。

 一瞬、はるは外国の言葉で話しかけられたようにぽかんとしたあと、

 ──ぱああああ、と、その顔に笑みを浮かべた。

 やわらかそうな頰が持ち上がる。黒目がちの目がらんらんと輝く。

 肌の色の明るささえも上がったように見える──幸福そうな笑み。

「そっか……そうか、これ、友達なんだ」

「ああ、そうだよ」

「うれしい……わたし、はじめてだよこんなの……」

「なら、よかったよ……」

 照れくささに頰をかく。

 らした視線の先で、小学生二人が追いかけ合うようにして公園に駆け込んでいった。

「そうだ!」

 ふいに彼女は思い付いたような声を上げると、

「もしよかったら……交換日記、やらない!?」

「……は!? 交換日記!?」

「マンガで見て、ずっと憧れてたの! わたしと、あきと、仲のいい友達で交換日記やるの!」

「あーそういう。でもあんま今日日そんなことするやつって、あんまりいないと思うけど……」

「え。ダ、ダメかな……?」

 雨にれた子犬みたいな顔になると、はるは首をかしげる。

「……あきも書くから、きっと楽しいと思うんだけど……」

 正直、面倒ではあった。

 小学生の頃、宿題として出された夏休みの日記はいつも最終日にまとめて書いていた。

 SNSで今日一日のできごとをつづる、なんてのにも興味はない。

 文章を読むのは好きだけど、自分で書くのはむしろ苦手なのだ。

 ただ……はるの言う通り、あきと交換日記ができるというのは少なからず魅力的だった。

 あの子の書いた文章が定期的に読める、あの子の考えを知ることができる。

 それは確かに、考えただけで胸が高鳴る。

 そして何より……、

「どう……?」

 友達にそんな顔をされては、断りようがなかった。

「……わかったよ」

 髪をかきながら、僕はそう言ってはるに笑った。

「やるか、交換日記」

 ──一生忘れられない表情が、一つ増えた。




第二章【泡の歌を聴け】



 ──本当に感謝してる、と。

 あまり感謝の感じられない声で、あきはそう言った。

 けれど、これがこの子の自然体なんだろう。

 きっと、その言葉にうそはないはずだ──。

「あの子と仲良くしてくれるのは、わたしもうれしいわ。本当にありがとう」

「……礼を言われるようなことじゃないよ、僕がしたくて、そうしただけだし。あ、ミルク使う?」

「いえ、大丈夫よ。このままいただくわ。あのね、君がはるにそう思ってくれること自体がありがたいの。そういうのは、義務感や正義感と無関係なほど価値があるもの。……わ、おいしい、このコーヒー」

「だろ? 僕も学校帰りに、たまに寄るんだ」

 そんな僕に合いの手を入れるように、店のどこかでアンティーク時計がボーンボーンと鐘を鳴らした。

 ──登校時刻にはちょっと早い、午前八時。

 学校近くのちょっと古びた、それでも居心地のいいこの喫茶店には、スーツ姿の女性と寝癖がはげしい青年、そして僕らの計四人の客がいた。

 店長の趣味だろうか。店内のあちこちには様々な形のアンティークの時計が飾られている。こうして見る限りでは、正しい時間を指しているものは一つもなさそうだ。

 そして当の店長はといえば、店の奥のカウンターで時計と同じくらいアンティークなよれよれシャツを着て、ぼーっと朝刊を眺めていた。

「さて、本題だけど」

 あきがカップをテーブルに置き、こちらを見る。

はるに頼まれたの、細かいことを改めて君に教えてあげてほしいって」

「ああ、そうなんだ……」

「確かに、あの子のことだから伝え漏れていることもありそうだしね。だから、もう知ってることもあるかもしれないけど、わたしから『わたしたちの仕組み』を、もう一度説明させてもらうわ──」


 みな『こんばんは、あきです。明日の朝、話したいことがあるのだけど、少しだけ時間をもらえない?』


 昨晩、そんなメッセージがラインで送られてきたときには、何事かと身構えた。

 もしかして……余計なことをしないでと怒られるんだろうか。

 首を突っ込まないでと、拒絶されるんだろうか……。

 けど、うん、なるほど。

 これは、はるがさっそく計らってくれたんだな。

 僕とあきが二人っきりでいられる時間を作ってくれたんだろう。

 頭の中ではるに感謝していると、あきが説明をはじめる。

はるも伝えたと思うけど、それぞれの人格が出ている時間は現状、よ」

 片思い相手と向かい合っていることに今さらどぎまぎしながら、僕は内容を頭に刻みつけていく。

「『さんしようゆう』は見られるけど、『西さいかくいちだいおんな』を見るのは厳しいくらいの時間ね」

「なるほど、百三十一分……。それが日によって、結構変わるんだっけ?」

「ええ、わたしたちの調子や色んな要素の影響でね。それから、お互いが経験したことや記憶は共有されない。わたしははるが経験したことを知らないし、逆もしかりね。だからわたしとはるは毎日このスマホに起きたことを書き込んで、できるだけ記憶を共有してるの」

 そう言って、あきは右手に持ったスマホを示した。

「基本的には、一日の終わりにその日あったできごとをメモすることにしているけど、クラスメイトとの会話だとか先生に何か頼まれただとか、そういう急の案件はそれ用のファイルを作って、入れ替わる度に確認しているわ」

「それは……なかなか面倒だな」

「そうね。それにはる、書き漏らすことも情報チェックを忘れることも多いから、本当はもっと他の方法を考えた方がいいのかもしれない」

 そんなことを言いながらも、あきの頰にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

 どうも、あきはそういうはるのちょっと抜けた部分が嫌いじゃないようだ。

 確かに、あの子のそういう隙はどうしても憎めない。

「切り替わるタイミングに何が起こるかは……一昨日の朝、君に見られてしまった通りね。あのときのこと、覚えてる?」

「うん、どうしたんだろうって、ちょっと驚いたから……」

「そう。変な顔してなかった? はる、入れ替わるときの顔見られると、怒るのよね……」

「ああ、それは大丈夫だったよ。ちょっと表情が変わったな、ってくらいだった」

「ならよかった」

 ほっとした様子のあきに同調するように、席の近くにあるアンティーク時計からはとが飛び出した。ぽっぽーと、四回鳴いて時計の中に戻っていくけれど、実際の現在時刻は八時過ぎだ。

「それから……これが、例の交換日記」

 そう言って、あきかばんの中から一冊のノートを抜き出すとこちらに渡した。

「本当にあの子も、少女趣味よね……。けど、付き合ってもらえると助かるわ」

「うん……」

 受け取ってみて……うへえと思う。

 ずいぶんと、ファンシーなノートだった。

 けいせんこそ引いてあるものの、いたるところにクマのゆるキャラが描かれていて……こういうのを使うのって、せめて中学生までかと思ってたよ。

 中を開いてみると、すでにあきはるが、それぞれ昨日分の日記をつけていた。


4月10日(火) はるか
 今日は記念すべき日です。
 クラスの君が、二重人格を隠すのを手伝ってくれることになりました!
 うれしー! やったー!
 しかも、わたしのこと友達だって。。。。。。(涙)
 迷惑かけないようにがんばらないと。。。。
 それから、この交換日記もはじめることになったので、まずは自己紹介をしますね。
 わたしはみなはるです。年は。。。16才? あきが9才のとき生まれたから、7才っていうのが正しいのかな?
 好きなものはマンガで、虫とか運動が苦手です──、


四月十日火曜日 あき
 注文していたマル・ウォルドロンのレコードが届いた。
 この「レフト・アローン」はCDでも持っていたのだけど、お気に入りの作品はレコーディング当時に想定されていた媒体で聴けるようにしておきたい。
 それから、このアルバムはジャケットのデザインもお気に入りだ。
 チェストの上、コルトレーンのブルートレインとゲッツのウエストコーストジャズの間に飾っておくことにする。
 さて、はるの誘いで交換日記をすることにしたのだけれど、どういうことを書けばいいんだろう──、


 ──ちょっといいな、これ。

 目を通しながら思ったのは、そんなことだった。

 ──これを毎日読めるのは、少しだけ、楽しいかもしれない。

 これまで、SNS上の友人の日記に興味を引かれることなんてなかった。「どうでもいいことを大げさに書いてるな」と思うことはあっても、わくわくすることは一度もなかった。

 そして、はるの書き込みもあきの書き込みも、内容だけ見ればSNSの書き込みと変わらない。むしろ、ネットを通じて世界中に公開する、という気負いがない分、SNSより一層緩いかもしれない。

 それでも、このノートに書かれた崩し文字には、書き取りのお手本みたいな文字には妙に目を引きつけられる。

 それは──僕が、あきのことを好きだからだろうか。

 はるのことを、大切な友人だと思っているからだろうか。

「……それにしても」

 あきの声に、ノートのページから顔を上げ……驚いた。

君は……本当にいいの?」

 そう言うあきの顔に、緊張と迷いが見て取れる。

 この子のこんな表情は、はじめてだ。

「……何が?」

「その……はると仲良くなって」

「……どういうことだ?」

 意味がよくわからない。

 僕がはると友達になったとして、何か問題があるんだろうか。

 引っかかるところがあるんだろうか。

「だって、その、迷惑をかけるかもしれないというか……確実に迷惑をかけるでしょうし。それが君のためになるとも思えない。もしかしたら、傷ついたり苦しい思いや悲しい思いをさせるかもしれない……」

「……そうか?」

「ええ……」

「どうして」

「……それは、その」

 そして彼女は、視線を膝の上に落とし、

「……あの子は……その……」

 ……なんだろう。あきは何を言いたいんだろう。

 何をそんなに、心配しているんだろう。

 そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。

 あきが視線を落としているのを確認してから画面に目をやると──一通のラインメッセージが、友人何人かで組んでいるグループに投げ込まれている。


いつか『【速報】氏とみな氏、朝からツーショットカフェを決める』


 ──慌てて顔を上げた。

 店内を見回す──いない。

 となると、店の外──。

 席そばの窓から表の通りに視線をやり──見つけた。

 小さな交差点の向こう。電柱の陰に隠れ、ニヤニヤとこちらを窺っている小柄な女子。

 クラスメイトである、どうだ。

 隠れているつもりなのだろうけど両サイドにくくった髪がぴょこぴょこ見えているし、顔も半分くらいのぞいている。

 つーか、隣でしゆうが苦笑いしてるじゃねーか。身を隠すつもりもないし。一緒にいたなら止めてくれよ……。

「……どうしたの?」

 いつの間にか顔を上げていたあきが、げんそうにこちらを見ている。

「いや、なんか……こんなメッセージが来て」

 さっきの話は一旦後回しだ。

 言いながら、僕はあきにスマホを差し出した。

「『いつか』……って、お友達?」

「ああ、そうだよ。ていうか、僕らと同じクラスのどうだよ。ほらあいつ、あの電柱の陰に隠れてる……」

「ああ、あの子……。隣の人は?」

「あれはひろしゆう。あいつも同じクラスの、僕の友達だよ……」

 話している間にも、手の中では新着メッセージを知らせるスマホの振動が止まらない。

 画面に目をやると、


トミー『おいおいマジかよ!』
SHIZUKU『え、何!? 付き合ってんの!?』
いつか『そうかも!』
いつか『なんだかすごく親密そうな様子ですぞ』
いつか『(にんまり笑っている犬のスタンプ)』
SHIZUKU『実際付き合ってたりしないと二人で朝カフェ行ったりしないよね』
トミー『確かに』
『ちげーわ!』
『たまたま通学中に会ったから寄っただけだよバカ!』
いつか『お!ご本人登場!』


「……どんなやりとりしてるの?」

 手早くメッセージを打ち込んでいると、あきがグッと身を乗り出してきた。

「わたしも見たい」

 ──至近距離に、彼女の顔が寄ってくる。

 鼻をくすぐるシャンプーの香りと、間近でつやめいている唇。

 一瞬息ができなくなるけれど……僕は平静をよそおいスマホを九十度傾け、二人で画面をのぞめるようにした。

「まあその……ふざけてくだらないやりとりしてるけど、冗談だから気にしないでな……」

「うん」

 真面目な顔で、あきは子供みたいにこくりとうなずいた。


いつか『ていうか、肩を寄せ合いはじめたんだけど!』
トミー『マジか!』
トミー『さん! みなさんと婚約されたっていうのは本当ですか!?』
SHIZUKU『入籍はいつを予定されてますか!?』
『お前ら小学生かよ!』
『スマホの画面見せてるだけだっつーの!』
シュウジ『おめでとう、式には呼んでね』
いつか『ブーケトスわたしの方に投げてね』
『おう、ごしゆうは一人十万な!』
『って誰が新郎新婦だ!』


 こいつらほんと、話題に飢えてるな……。

 今回は僕がネタにされて盛り上がっているけれど、本当はその対象は何でもいいんだろう。テンションが上がらない朝の時間を、少しでも楽しく過ごしたいだけ。

 ……まあ、実を言うと僕自身も。

 片思いの相手とこういううわさを立てられるのは、決して嫌ではないのだけど……。

「……ふふ」

 ふいに、あきが笑い声を漏らした。

「ど、どうしたの……?」

「いえ、だって……」

 気持ちを見透かされた気がして不安になっていると、あきは口元を押さえ目を細め──、

君──本当にみんなの前では、わたしとはるくらいひようへんするのね。立派な多重人格だわ」

「……あー……」

 ──恥ずかしさのあまり、思わず天を仰ぎ見た。

 頭の上の時計が十一時を指し、木彫りの小人が音楽とともに踊りはじめた。


  *


「──いやー、今朝はほんと何事かと思ったよー」

 寄せ合った向かいの机で、言いながらどうはミートボールを口に放り込んだ。

 さらに二個目を口に入れ、リスみたいに頰を膨らませながら、

「まさかのツーショットだったからねー。二人が知らないところで愛をはぐくんでたのかって、びっくりしちゃった」

「んなわけねえだろ!」

 箸でブロッコリーをつまみつつ、素よりもツートーン上げた声で僕は答える。

「知り合ってまだ三日だぞ! 俺どれだけ手が早いんだよ! そんなんできるならこれまでももっと華麗な恋愛遍歴を誇ってるわ!」

「でも、俺から見ても結構親密な雰囲気に見えたからね。がああいう感じになるのって、めずらしいなって」

「まあ……単純に朝だし、喫茶店だったしなー」

 しゆうの鋭い指摘にも、僕はなんとか筋の通った言い訳をひねり出す。

「さすがにテンション上がらんし、上がったとしてもあの状況で大声は出せんわー。本当にただ、ばったり会ったからなんとなく話してただけだよ」

「だよねー。勘違いしてごめんねー、あきー」

 僕に対するのとは対照的に、すまなそうな顔でどうはジュースを彼女に差し出した。

「わたしちょっと浮かれちゃってー。これ、おびのオレンジジュース。一口飲んでいいよ?」

 ──今朝の一件を経て。

 どうが「みなさんとご飯食べたい!」と言い出し、現在僕たちはどうしゆうみな、自分の四人で昼食を食べていた。

 どうしゆうは、去年同じクラスになって以来、こうして時折一緒に昼休みを過ごす仲だ。

 元気いっぱいでちんちくりんで、一部の男子から人気を集めているどうと、高身長で物腰穏やかで、そのうえイケメンなこともあって数多あまたの女子から人気を集めるひろしゆう

 社交性の高い二人はこれまでも、転校生であるあきとお近づきになる機会をたんたんと窺っていたらしい。

 こいつらのこういうオープンさには、毎度のことながら感心させられてしまう。

 もちろん、自分がどういうキャラとして見られているか、どんなやつであることを求められているかもわかっているんだろう。それでも、あくまで二人の行動は自然だ。僕が見ていても嫌味やうそっぽさがない。

 そんな性格もあってこの二人には友人も多く、最近は他のクラスの幼なじみと昼食を食べることが多いようだった。

「……そういや、今日はいいのかよ、一組の……ほそだっけ? あいつらと食べなくて。なんか、彼女と色々あって、放っておけないとか言ってなかった?」

「あー、あれはもう大丈夫っぽい!」

 あきにジュースを飲ませつつ、どうは笑う。

「二人とも淡泊な振りして地味にラブラブだからさー、もうほっといてあきと仲良くなろうかなって」

「……そ、そう」

 ちゅぽんとストローから口を離し、あきは緊張気味にうなずいた。

「お、お手やわらかに……お願いするわ……」

 再びフォークを手に取る彼女。

 その目はずいぶんと泳いでいるけれど……それもそのはず。

 本当は、現在表に出ている人格はあきではなくはるなのだ。

 一応今朝起きたことは伝えてあるけれど、いわゆる「リアじゆうタイプ」の二人に突然からまれて、萎縮してしまっている様子。

 これはさっそく、フォローが必要になりそうだな。危なっかしくて、見てるこっちも心臓に悪い……。

あきって、なんか部活やってた?」

 さっそく、どうはるに切り込みはじめる。

「この学校って結構部活も盛んなんだけど、どっか入ろうって思ってるとこある?」

「あ、えと……いいえ、特に部活には入っていなかったし、これから入ることも考えてないわね……」

「へー、帰宅部か。じゃあ家では何してるの? 本読んだりとか、ゲームとか?」

「本も読むけど……最近は、レコードを聴いたり映画を見たりが多いかな……かしら」

「へえ、レコード!」

 その話に、しゆうがめずらしく大きめの声を上げた。

 彼は購買で買ってきたパンを飲み込むと、

「俺も最近興味あるんだ。でも、プレイヤーとか結構高くない? どうやってそろえたの?」

 ほう、こいつそんな趣味にも手を出すのか。レコードなんて、うっかりすれば「村上はるかぶれかよ」とか思ってしまいそうだけど、しゆうが言うと全然嫌味がない。むしろ、一層おしや感が高まって人気に拍車がかかりそうだ。

 しかし……ちょっとマニアックな方向に話題が広がったな。

 はる、うまく返せるだろうか……。

「そ、その……父が買ってくれて」

「いいね、誕生日祝いとか?」

「いえ、そのときは……退院祝いだったかしら」

「え、退院祝い? みなさん……入院してたの?」

「あ! え、えっと……その……」

 あっという間に、はるの目が泳ぎ出す。

 もごもごと口ごもって、次の言葉も出てこない様子。

 ということは「退院」というのは、二重人格関係の入院から退院したときの話なんだろう。

 つまり──僕の出番だ。

「……ああ、もしかしてあの話? 今朝言ってた、盲腸の」

 とっさにそんな話をでっち上げた。

「去年、盲腸でしばらく入院してたんだろ? おやさん、過保護なタイプだって言ってたし……それじゃね?」

「……そ、そうなの!」

 救われた表情で、はるはこくこくとうなずいた。

「お父さん、ずいぶん心配したみたいで、だからそれで、何でも買ってやるぞって……!」

「なるほどね、うらやましいなあ。うちの親もそんな感じならよかったのに」

 ほとんどはるの素が出てしまっていたけれど、まあ仕方ないだろう。

 本題に意識がいったせいか、しゆうもキャラの変化に気づかなかったようだし、追及をかわせただけよかったとする。

「ちなみに、曲はどんなの聴いてる? ロックとか?」

 まだこの話続くのかよ。

「そ、そうね……最近は、ライオネル・ハンプトンを……」

 意外にも、はるはそれらしい回答をきちんと返していた。

 もしかしたら、この辺りは何か聞かれたときのため、準備していたのかもしれない。

 けれど、その蓄えはあっさり尽きてしまったようで、

「なるほど、ジャズか……。他には、誰のレコード聴いてる?」

「え、えっと……」

「……どんな楽器が好きとかどんな編成が好き、とかはない?」

「そ、そうね、そのう……」

 あっという間に、彼女は再び窮地に立たされていた。

 これはまずいな。

 僕もジャズについてはまったく知識がない。

 ちょっと、この話題はフォローし切れないぞ……。

 そして、あからさまに不自然な沈黙を挟んで、はたにも明らかなほどにテンパったはるは──ついに、こんなことを口走った。

「あ、あれね……その……レディー・ガガ!」

「……?」

「最近は、レディー・ガガを聴いているわ!」

 それまで興奮気味だったしゆうの表情に、困惑の色が浮かんだ。

「それは……ジャズじゃなくない……?」

「え! そうなの……?」

 目を丸くしているはる

 いや、さすがにそれは僕でもわかるぞ……。

 必死で知ってる洋楽アーティスト出したんだろうけど、レディー・ガガは多分ジャズじゃない。ジャズっていうのはもっとこう、生楽器っぽい……揺れる感じのリズムの音楽だ。

 はるは口をぱくぱくさせ、もはや声も出ない様子だ。

「……あ、ああ、あれだろ!?」

 こうなったら、うそでも何でも話を取り繕わないと……!

 ひとまずデカい声で注目を集めてから、僕はフルスロットルで頭を回し、

「……あの、あれ……ガガ様結構前に大御所ジャズの人とコラボしてたけど、それだろ!? なんか、ワイドショーかなんかで見た記憶がある!」

 即席で、そんなでたらめをでっち上げた。

「そ、そう! それ!」

 の糸を見つけたもうじやのような顔で、はるが僕の話に乗っかった。

「わたしもそれを見て、以来ずっと聴いてて……」

「へー、そんなのやってたんだ! さすがガガ様だねえ……」

 僕の出任せで、どうがレディー・ガガへの好感度を上げる。

 そしてしゆうも、

「確かに、それはすごいな……」

 そんなことを言って、そのまま自然な動きで──スマホをいじり出した。

「どんな曲なんだろ……探してみる」

 ……まずい。

 さっき言ったのは、百パーセント僕の作り話だ。

 レディー・ガガがジャズミュージシャンとコラボなんて聞いたことないし、検索したって曲が出てくるはずがない。

 はるの方に目をやると、もはや彼女は声も出せずおろおろと目を泳がせていた。

 ──しかし、

「ああ、あったあった、これだね」

 しゆうが──そんなことを言い出した。

「へえすごい、トニー・ベネットとやったんだ、知らなかったなあ……」

「……へ?」

 しゆうが差し出したスマホを見ると──確かにそこには、渋い壮年男性と小粋にデュエットするガガ様の動画が表示されていた。

 ……うそ、だろ?

 本当にレディー・ガガ、ジャズミュージシャンとコラボしてたのか……。

「……そ、そうそう、これこれ!」

 あたかも知っていたようによそおいながらも、まさかの偶然に戸惑いが抑えられない。

みなさんも……これだよな? 言ってた曲!」

「ええ、そう、こ、これよ……!」

 乗っかるはるきつねにでもつままれたような表情だった。

 でもまあ、それも仕方ない。

 こんな、絵に描いたような「ひようたんから駒」が起きるなんて……。

 あんの息を吐き出していると、向かいに座っているはるがちらりとこちらを向く。

 そして、「ほんとごめん……」とでも言いたげに眉を寄せ、どうたちに気づかれないよう小さく頭を下げた。


  *


 ──はるとの初日をそんな風にして過ごし。

 僕は最初の大仕事を終えた、職人見習いみたいな気分になっていた。

 本当に、本当に大変な一日だった。

 半年分くらい冷や汗をかいた気がするし、一年分くらいの運を使い果たした気がする。

 でもその分……こんなピンチは、もうそうそうないだろう。

 明日からは、もっと穏やかに毎日が過ごせるはず。

 そして、もし何か起きても──今回の経験を元にうまく立ち回れるはずだ。

 そんな風に、思っていた。


 結論から言うと──その予想は大きく外れた。


  *


 4月12日(木) はるか
 今日はうっかり、授業中に居眠りしちゃいました。。。。
 しかも、あきと入れ替わる直前に。。。
 昨日遅くまで猫動画見てたせいだね。。。ごめんなさい。。。。。
 君がラインで起こしてくれなかったら、どうなってたことか。。。。
 先生の授業だから、すごく怒られるってことはなかったと思うけど。。。
 本当にありがとう。これからは、寝ちゃわないようにがんばります。。。。。。

あき
 筆箱のしみはわたしのよだれです。。。
 よごしてごめん。。。



四月十二日(木) あき
はる
 あれはよだれの跡だったのね。洗濯したら落ちたから気にしないで。
 それから、何度も君から着信が入っていた理由がわかってすっきりしたわ。
 何かあったのかって驚いていたから。
 これからは、入れ替わりの五分前にスマホでアラームを鳴らすようにしましょうか。


4月13日 

 またやらかしてしまった。

 あきが映画好きだって聞いて会いに来たいしかわ(隣のクラスの映画マニア)との会話を、うまいこと回せなかった。

 ありゃ多分、にわかだって思われただろうな。

 でもはるも、ああいうタイプのマニア相手にドラえもんの話題だけは微妙過ぎるだろ。

 確かにいい映画ばかりだけど。もうちょっと通好みのやつの方がよくないか?



四月十三日(金) あき
 三時間目の体育。バレーの授業で、おしなり先生に「みなさん、昨日とは大違いね」と驚かれてしまった。
 ごめんなさい、はるが球技苦手だったのをすっかり忘れていたわ。
 次回以降、うまくやり過ぎないように調整するわね。



4月13日(金) はるか

 ごめんね、ちょうど前の夜もドラえもん見て泣いたから、それしか出てこなくて。。。
 通な映画って、例えばどういうのがいいのかなあ? クレヨンしんちゃんとか?
 もしかして実写映画の方がいい。。。?

あき
 それはダメだよ! あきはちゃんと普通に生活してて!
 わたしがなんとか、そっちに合わせるから!
 体育だけじゃなくて、勉強もがんばる!


  *


「──なかなか厳しい……三日間だったな」

「そうだね……」

 ──金曜日の放課後。

 部室ではじまった反省会は、最初から重たい雰囲気だった。

「なんとか乗り切れたけど、ほとんど偶然みたいなもんだし……このままじゃ、バレるのは時間の問題かも」

 旧タイプの机に上半身を投げ出しつつ僕がこれまでの感想を述べると、

「だよ、ね……このままじゃまずいよね……」

 はるは疲れ切った顔でソ連がまだある地球儀を回し、アドリア海辺りにため息をついた。

 本当に、ここしばらくはボロボロの毎日だった。

 何度も訪れたピンチを、ギリギリでクリアしたりクリアできなかったりの繰り返し。

 僕は会話の粗を強引に隠し、こけそうになるのを慌てて支え、居眠りしているのをメールで起こす日々にぐったりと疲れ、はるも緊張の連続に疲弊しきっている。

 二重人格がバレることこそなかったけれど、何人かには間違いなく不自然に思われただろう。

「本当に迷惑かけてごめんね。自分でも、ここまでうまくいかないとは思ってなくて……」

「いや、それは全然かまわないんだけどさ。あきとの接点は、ちゃんと作ってもらってるし……」

 はるのそばにいるということは、あきといる時間も増えるということだ。

 彼女とはこの三日で何度も話ができたし、はるも積極的にその機会を作ってくれていた。

 それに何より交換日記で。彼女自身の直筆の字で、その日常や考えていることを知れるのはうれしかった。関係に前進はないけれど、はるには感謝してもし切れないと思う。

「だからもうちょっと、はるの方もうまくやりたいな。このままじゃ、どんどん変な空気になりそうだし」

「ありがとう。でも、これからどうしていけばいいかなあ……」

 言いながら、はるは地球儀をいじいじといじり、全世界的な地震を発生させている。

「わたしもう、どうすればいいかわからなくて……」

「……問題は、準備不足な気がするんだ」

 机から身を起こし、僕はここしばらくで気づいたことを説明する。

あきに近づくためには、あきのことを深く知っている必要があるだろ? いやもちろん、はるは誰よりもその辺詳しいだろうけど、それでも足りないのかなって。あきはるって趣味とか興味の対象が全然違うから、そういう相手と同じように振る舞うならもうやりすぎってくらいに準備して、知っておかなきゃいけないと思うんだよ」

「それは、そうだね……」

 神妙な表情ではるはうなずく。

「どう振る舞うのがあきっぽいかわからないってこと、結構あったもんね……」

 と、そこで彼女は思い付いた顔になり、

「あ、じゃあさ……勉強会、とかどうかな? あきに関する情報をノートとかにまとめなおすの。で、それを放課後二人で勉強してしっかり覚えておけば、もっと自信を持って行動できるかなって……」

「……勉強会か」

 そう口に出すと、心臓が強く脈打った。

 あきについて、勉強をする……。

 それは確かに、心かれる提案だった。彼女のことは、もっと知りたい。

「うん……それがいいかも。やってみるか、勉強会」

「ほんと? よかった」

 うれしそうにうなずくはる

 しかし、僕はふと小さな不安に駆られて、

「ああ……ただあれな。事前にあきには、許可をもらっておいてくれよ?」

「え、なんで?」

「だってその、クラスの男に自分のこと事細かく知られるとか、気持ち悪いだろ……」

 事情があるとはいえ、何の気もない異性にプライベートを探られるのはちょっと抵抗がある気がする。

 男の僕がそう思うのだから、女子であるあきからすればもっとだろう。

 これを原因に嫌われたりしたら、悔やんでも悔やみ切れない。

 はるの力にはなりたいけど、そこはしっかり事前に話を通しておきたかった。

「……そうかなあ」

 はるはいまいち理解できない顔をしていたけれど、

「まあでも、わかった。聞いておくね。きっと普通にいいよって言ってくれると思うけど」

「頼むわ。で、その勉強だけど……これまで通り、ここでやるか?」

「……そうだね、それでもいいけど」

 考えるような表情で、はるは再び地球儀を回し出す。

 そして、バレーボール大のそれを一週間分ほど自転させたあと、キルギス辺りに指をぴっと立て、

「……あ、そうだ」

「どうしたよ?」

 尋ねると、はるはどこか得意そうにほほえんで、

「……一つ提案があります」


  *


 ──片思い相手の私服姿が、こんなにも心をかき乱すものだとは知らなかった。

「ごめんなさいね、わざわざ休みの日に」

 そう言って、駅前に現れたあきの格好に、僕はしばし言葉に詰まってしまう。

 小さな花柄の散らされたふわっとしたワンピースに、足下は、男もののようにも見えるごついブーツ。羽織っているグレーのパーカーは、シンプルだけど上品だ。

 自分はあまり、女性のおしやに詳しい方ではない。

 あきが着ている服が、センスがいいのか悪いのかもよくわからない。

 けれど、これまで制服姿しか見ていなかった僕は、軽やかに揺れるフリルに、いかめしいブーツから伸びたふくらはぎに、あっという間にノックアウトされてしまって、

「どうしたの?」

「…………あ、ああ、何でもない」

 うっかり、リアクションが数秒遅れてしまった。

「そう。じゃあ、行きましょうか」

 そう言って歩き出すあきの半歩後ろを歩き出しながらも、鼓動は速まったままだった。


 きっかけは、

「──本人に、説明してもらった方がいいと思うの」

 というはるの言葉だった。

あきのこと、二人で勉強してもいいけど、どうせだったらあの子自身から直接色々教えてもらった方がいいよね……?」

「ああ、それは確かに。目の前に本人がいるなら直接聞いた方がいいよな。それにその……あきと二人で話せるのは、うれしいし」

「でしょ?」

 得意そうにほほえむはる

 さらに彼女は、

「それから……場所も、うちでやらない?」

「……え、うち?」

「うん。わたしたちの家の、わたしたちの部屋で」

 はるに聞こえるのでは、と不安になるほどに心臓が高鳴った。

 つまりそれは……あきの生活スペースに行く、という意味で。

 そのプライベートな空間で、二人きりになるということで……。

「……あ、も、もちろん変な意味じゃないよ!」

 僕の表情に何か心配になったのか、はるは一人慌てはじめる。

「あ、あの、二人だけだからってあきに変なことしちゃダメだからね! あ、いやでも、本人の了承があれば別にいいんだけど、あーでも、あき身体からだはわたしの身体からだでもあるし、え、えっと……」

「ちょ、一旦、一旦落ち着けよ」

 真っ赤な顔でしどろもどろになるはるを、慌てて押しとどめた。

「大丈夫だって変なこととかしないから……」

「……だ、だよね、ごめん。ちょっと考え過ぎちゃって……。でもほら、実際家でやった方が便利でしょう? あの子が好きなレコードとか、本とか、映画とか、実際に見れるだろうし……」

 それも、ごもっともな話だった。

 好みのものの羅列をリストとして見るよりも、実物に触れて、読んだり見たり聴いたりしてみた方が、頭には入りやすいはずだ。

「だから……まずは我が家で、あきと話すって感じでどうでしょう?」


 ──あきに連れてこられたのは、駅から北へしばらく。

 善福寺川のそばにある、比較的新しいマンションだった。

 淡い茶色の外壁に車回しや広い通路、植え込みもあるゆったりした造り。

 ちょうど目の前に、普段からよく利用している図書館があって「あ、ここの向かいなんだ……」と不思議な感慨を覚えた。

 オートロックのエントランスを抜け、ソファのしつらえられたロビーを越え、エレベーターで三階まで上がる。

「……今日は、両親とも出かけてるから」

 ダークブラウンの壁に背を預けながら、あきはそんなことを言った。

「あまりかしこまらなくていいわよ。ゆっくりくつろいで」

「……あ、おう」

 一応そう言ってうなずいたけれど……そうか、親、今日はいないんだ……。

 自分たち以外、誰もいない空間で──。

 片思い相手と、二人きり──。

 すでに加速していた鼓動が、一拍一拍強調されはじめる。

 こみ上げる緊張と期待に「うう……」と声を漏らしそうになる。

 くつろいで、なんて言われたって。こんなにくつろげないシチュエーション他にないだろ……。


「──ここが、わたしたちの部屋」

「……へえ、これが」

 けれど、案内されたその部屋に──ドキドキしたりそわそわしたりする以上に、僕は不思議な感覚を覚えていた。

「好みがバラバラな姉妹の部屋」というのが、一見した印象に近いかもしれない。

 レコードプレイヤーと渋いデザインのレコードが置いてある棚に、ファンシーなぬいぐるみやかわいらしいアクセサリが並んでいる。

 本棚では古い映画のブルーレイと純文学小説と恋愛ものの少女マンガが共存し、洋服ラックではかわいい服ゾーンとシックな服ゾーンで色合いにグラデーションが生まれていた。

 普通に考えれば、「二人以上が住んでいる部屋」にしか見えないだろう。

 けれど──一組しかないのだ。

 勉強机、ベッド、化粧台が──。

 その独特の様相に──あきはる、二人そのものを表しているような部屋のありさまに、僕はしばし目を奪われる。

「……やっぱり、変わってる?」

 僕の様子が気になったのか、あきが首をかしげた。

「あまり、同世代の人の部屋に行ったことがないからわからないんだけど……この部屋、普通とは違うのかしら」

「……あ、ああ。まあ、そうだね」

 これまで訪ねた友人の部屋を思い出しながら、僕はうなずいた。

「ちょっと不思議な感じはするかも。しゆうの部屋とも、どうの部屋とも違う感じというか……。いや、全然悪い意味じゃなくて、面白いっていうか、あきはるらしいなって……」

「そう……居心地悪いわけじゃないならよかったわ。ひとまず、ベッドにでも腰掛けてて。ごめんなさい、あまり友達が来たりしないから、クッションやとんは準備がなくて……」

「ああ、全然その辺は気にしないで。じゃあ、失礼します……」

 そう言って、冷静をよそおってベッドに腰掛けるけれど……、

「……」

 ──やわらかなシーツの手触りに。

 ──漂う甘い香りに。

 ──きしむマットの弾力に。

 正直に言おう、よからぬ考えがあふれ出すのを止められなかった。

 今自分は、あきが毎晩眠っているベッドに……無防備な寝間着で横になっているベッドに腰掛けている。

 それだけじゃない、あきはこの部屋で生活し、化粧をしたり勉強をしたり……着替えたりもしているわけだ。

 だから例えば、そこにあるチェスト。

 あるいは、そこにあるクローゼットの中に、下着やらなんやらがしまってあるのかもしれないわけで。

 例えば彼女が外したときにうっかりそれを開けてしまえば、彼女がどんなものを身につけているのかわかってしまうわけで……、

 ──何考えてるんだ僕は。

 慌てて頭を振り、自分を戒める。

 あきは善意で僕をここに連れてきてくれたのに、なんて失礼なことを。

 しかも、ベッドだの下着だの言っても、それは半分はるのものでもあるのだ。

 あくまで友人であるあの子に対してそういう気持ちを抱くのは、さすがに誠実じゃない。

「……でも、意外だったよ」

 よこしまな気持ちを振り払いたくて、僕は無理に口を開いた。

「家におじゃまするの、断られるだろうなって思ってた」

 あきの性格から考えて、なんとなくプライベートゾーンに他人を入れるのはいやがりそうなイメージがあった。そして、行ってみたいと言われても、はっきりと断りそうだと。

 すると案の定、

「確かに、家に人を招くのは苦手よ」

 あっさりと、あきはそう返した。

「同世代の人がわたしたちの部屋に入るのは、今回がはじめてじゃないかしら」

「やっぱりそうなのか。……てことは、ご、ごめん! もしかして、無理させてる!?」

 こみ上げるあせりに、今さらベッドから立ち上がった。

 勝手に話を進められたから今回は仕方なく……なんてことだったら、さすがに申し訳ない。

「ううん。いいの」

 けれど、またもあっさりとあきは首を横に振った。

 そして、それまでとほとんど変わらない声色で──、

「人を選ぶっていうだけ。君なら、かまわないわ」

 ……あまり、期待し過ぎない方がいいとは思う。

 あくまで知人として言っているだけかもしれない。

 はるがお世話になっているから、というだけの話かもしれない。

 それでも……僕を特別扱いするような言い方に、頭が熱くなって思考が停止してしまう。

 頰ににやけ笑いが浮かんでしまいそうになる。

「──さて、さっそくだけど」

 タイミングよく、あきのその声に思考がシャットアウトされた。

「わたしの趣味こうや生活のことを説明していけばいいのよね?」

「ああ……そうだね。しつけで申し訳ないけど、協力してもらえると助かる」

「わかった。君には、はるが助けてもらっているからね。これくらいはさせてもらうわ。それに……」

 言うと、あきはくすりと笑い、

「直接はるに教えるよりも、君を通じての方が、ちょっと安心だし」

 思わず、こっちまで吹き出してしまった。

「確かに、はる聞き漏らしたり思い違いしたりしそうだな」

「でしょう? さて、まずは」

 そう言って、あきは本棚の前に移動すると、

君も興味がありそうな、本からはじめようかしら」

 せきばらいして、自分の趣味を話しはじめた──。



「──そうね、正直、君よりは読んでいる数はずっと少ないと思うわ──」

「──だから、病院で楽しめるのってラジオくらいで、そこからジャズに興味を持ったの。いくつか聴いてみましょうか──」

「──一日に最低一本は見ているわ。けど、入れ替わり時間より長いものは一度で見られないのが不満で──」

「──店員に話しかけられるのが苦手なの。だから、服はだいたいネットの、グレアモールってサイトで──」



 ──一時間ほど話を聞いて。

 レコードや映画をいくつか試しに鑑賞したところで、

「ざっくりとは……こんな感じね」

 聴いていたレコードをジャケットに戻しながら、あきがこちらを向く。

「まだまだ入り口だけど、他人からこれ以上に深入りされることは、あまりないんじゃないかしら。あと三分くらいで入れ替わりだから、ここまでにしておきましょう」

「……わかった」

 時計を見るそぶりも見せずに「あと三分」と言い切ったあき

 ちょっと驚いたけれど、長い二重人格生活の中で入れ替わりまでの時間が身体からだみついているのかもしれない。

「ありがとう、すげえ助かった」

 礼を言いながら、僕は聞いた話をノートにまとめ終える。

「これだけわかれば、十分だと思う……」

 理路整然とした話し方だからか、あきの説明には重要な情報が高い密度で詰め込まれていた。これを全部頭にたたき込めれば、本人の言う通り、当面話の引き出しに困ることはないだろう。

 期待を越える収穫に、びっしり文字の書かれたページを眺めながらうれしくなってしまう。

「……本当に、一生懸命になってくれているのね」

 ふいに、腰掛けているベッドが揺れた。

 隣に目をやると──そこにあきが。

 ややもすれば肩が触れ合ってしまいそうな位置に、あきが座っている。

 服の生地と間に隔てた空気を通じて、彼女の体温を感じ取れそうな距離感──。

 文字を書くのに割いていた意識が、一気にそちらに持っていかれる。

 壁にかけられていた時計の長針が、カチッと音を立てて進んだ。

「ずっと、気になっていたんだけど……」

「……な、何?」

「どうして、そんなにはるを大事にしてくれるの?」

 あきが首をかしげ、僕の目を見る。

君、本当にあの子によくしてくれているわよね。それは……どうして?」

 ……そう聞かれて、説明がまだだったことに気づいた。

 現状はあきからしてみれば、クラスの男子がなぜか自分の一部であるはるに熱心に力を貸している、という風にしか見えないわけで。それはちょっと、不安にもなるだろう。

「……多分、似てるところがあるんだよ、僕とはる

 だから、まずははっきりとそう伝えた。

はる、ちゃんと自分が『ひとりの人間』でありたいって考えてるだろ? 僕も……同じようなこと思ってるんだ。ほら、最初に会った日、僕キャラ作ってたよな?」

「ええ、そうだったわね」

「本当は、あんなことしたくないんだよ。でも、学校で、クラスでうまく生きていくためには、仕方ないのかなって。キャラを作って、自分の扱い方をわかりやすくして、役割を演じて……周りを笑わせるために、傷つくのも悲しいのも我慢してうそをつく。そうしないと受け入れてもらえないんじゃないかって。だからいつまでも、作るのをやめられないんだ……」

「うん、うん」

「そんなとき、はるに言われたんだよ。『ひとりのわたしでありたい』って。同じだと思った。この子は、僕と同じことで悩んでもがいてる。だったら力になりたいと思ったんだよ。自分から手伝わせてほしいってお願いしたんだ」

「……そういうこと、だったのね」

 ……本当は、それがすべてではないのだけど。

 あきに近づきたいという期待があったことや、本当は自分こそがはるにフォローをしてもらっていることは、口に出せなかった。

 仕方のないことだとは思う。けれど、なんだか自分を過剰に「いいやつ」に見せてしまっているような気がして、罪悪感を覚えた。

 結局僕は、あきにさえ本当の自分を見せることができていない。

「……前から、そうなのよね」

 ぽつり、と。

 つぶやいたあきのその声が、妙に気になった。

 どこか少し不機嫌そうな、不満そうな色合いのにじんだ声。

 もう一度、カチリと音を立て時計の長針が進む。

「……ほら、あの子、周りから見ると隙が丸見えでしょう?」

 けれど、そう言って小さく笑うあきの顔には、もう不満の色は残されていなかった。

「そう、だね……」

「それって、結構人を引きつけるところがあるみたいなの。だから、施設でも病院でも、あの子は色々な人から心配されて、自然と大事にされて……」

 当時のことを思い出しているんだろう。

 頰にわずかな笑みを浮かべ、楽しそうに語るあき

 その表情が手を伸ばせば届く位置にあることに、僕はいちいち動揺を覚えてしまう。

「わたしは……どちらかというと、放っておかれるタイプだったから。ときどき、周りから気にかけてもらえるあの子のことが、うらやましくなるわ……」

 幸せそうな、けれどほんのわずかに寂しそうな、あきの声。

 遠い街のあかりを眺めているような、そこにいるはずだった自分を思い浮かべているような、穏やかな瞳。

 彼女の胸が、呼吸に合わせて小さく上下している。

 そこで──僕は決心した。

 少しだけ、踏み出してみよう。

 せっかく、はるがこんな場を用意してくれたんだ。

 ちょっとでもいい、僕らの関係を前に進める努力をしてみよう。

「ぼ、僕は……あきも」

 さりげない風をよそおいながら。

 声の震えを必死に抑え込みながらそう口に出した。

「確かに、はるは大事だけど……あきも」

 あきが──はたと気づいたような顔でこちらを見る。

 深い漆黒の瞳が、ぐ僕を向く。

あきのことも、はると同じくらい……」

 ──と、そのとき。

 時計がまたカチリと音を立て──、

「……ああ!」

 ──あきがそんな声を上げた。

 そして、彼女はひどく残念そうな顔で、

「ごめんなさい、もう入れ替わりのじか……」

 ──ふいに、その顔からすべての緊張感が消えた。

 感情が抜け落ちてしまったような、できの悪い人形のような無表情。

 そして、息をむ数瞬のあと──、

「……あ、入れ替わった」

 ぱっとその顔に生気が戻った。

 彼女は──あきから入れ替わったばかりのはるは辺りを見回し、むーと頰を膨らませると、

「んー、またあき君の前で普通に入れ替わって。わたし嫌だって言ったのに……。あ、で、どうだった?」

 不機嫌な表情をくるりと入れ替えると、彼女はきようしんしんといった様子でこちらをのぞむ。

「な、何か進展あった……?」

「進展は……」

「うん」

「……今まさに逃したかも」

「……ええ……?」


  *


 ──はるへのレクチャーは、再び人格が切り替わる直前まで。

 約二時間ほど続けられた。

 お菓子とジュースを用意し、まるでガールズトークでもするようなお気楽ムードだったはるに、僕は少なからず不安を抱いていたのだけど──二時間後、意外なことに気が付いた。

「……ジャズは大人数より、トリオやカルテットくらいの編成が好き。今風の音よりも六十年代とか七十年代くらいにレコーディングされたアルバムがお気に入りなんだよね。その辺りの有名どころは、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーンとか──」

 最後におさらいしよう、ということになり。

 はるは今、今日教わった思い出せる限りの知識を暗唱してくれている。

 ──飲み込みが、予想外に早いのだ。

 教わったことに関して、すでにほとんど暗記できてしまっているらしい。

 はるはすらすらと、あきの好みをそらんじていく。

「──映画も古い邦画が好みで、一番好きなのは『東京物語』。ストーリーもそうだけど、当時の景色を眺めるのも好きみたい。『太陽を盗んだ男』なんかも好きだから、過激なお話も結構好みなのかも──」

 ……もしかしたら。

 僕は少し、この子のことを勘違いしていたのかもしれない、と思う。

 はるは、ただ能力が低いからドジを繰り返していたんじゃなくて……別の要因で、うまく実力を出せずにいたんじゃないか?

「小説は、昭和初期頃のアンニュイなものが好みで、中でも若い女の子の感覚を──」

「──ちょ、ちょっと待ったはる!」

「え、な、何……?」

 エンドレスで続きそうな暗唱をぶった切って、僕は尋ねてみることにする。

「えっと……ちょっと話変わるんだけど」

「うん……」

「うちの高校に入るときって、転入試験受けたんだよな? あれって、はるも受けたのか? あきだけじゃなくて」

「え、そうだね、わたしも受けたけど……」

「それって、結構大変だった? 割と勉強した?」

「ううん、一応それまでも、通える範囲では学校に行って病院でも自習はしてたから、そんなに苦労はしなかったかな……。ざっとテスト勉強したくらい」

 ……苦労はしなかった、か。

 僕らが通うみやまえ高校は、この辺りでは上位に位置する進学校だ。

 転入試験は通常の入試より難しい、と聞くから、決して簡単なものじゃないはず。

 さらに言えば、彼女たちは記憶が共有されない以上、使える時間は一日平均十二時間しかないわけで。勉強時間だって、他の生徒に比べてずいぶんと短いはずで……。

 ……まだ転校から日も浅いからよくわかっていなかったけれど。

 はるも決して、頭が回らない方ではないらしい。

 むしろ、かなり頭がいいんじゃないか……?

「……じゃあ、体育は得意な方か?」

 授業中はフォローのためずっとはるを見ているけれど、男女別の体育だけはそうもいかない。イメージだけで言えば運動全般が苦手そうだけど、実際のところはどうだろう。

「え……すごく苦手だよ、わたしが出てるときに体育の授業があると、憂鬱ってくらい……」

 ここまでは、予想通り。

 けれど、本当に確認したいのはこの先だ。

「そっか、苦手な競技は?」

「球技……かな。今もみんなでバレーボールやってるんだけど、ボロ出さないようにするのが本当に大変で……」

「なるほど……。ちなみに、五十メートル走のタイムって計ったことあるか?」

「ああ、うん。最初の体育の授業のときに計ったよ」

「何秒だった?」

「……うーん、えっと。七秒一、だったかな」

「マジか……」

 予想以上のタイムに、思わず笑ってしまった。

 七秒一。僕もちょうど、それくらいのタイムのはずだ。

 男女では五十メートル走の平均タイムに大きな開きがあったはずだから……これは女子としては、相当速い部類に入るはず。

 ……これで、一つ仮説が立った気がする。

「なるほどね……」

「どうしたの? 今の質問、どういう意味なの……?」

 腰掛けているベッドの隣から、はるが不思議そうにのぞんでくる。

「いや、はるがドジをしちゃう理由って……自信がないからなのかもなって」

「……自信?」

「そう。能力がないわけじゃなくって、気持ちの問題で失敗してるだけなんじゃないかって。でも、考えてみれば当然なんだよな。あきって、明らかに成績もいいし運動もできるだろ? で、はるだって同じ身体からだを彼女と共有してるわけで、だったら同じだけできてもおかしくないわけだよ」

「……ああ、そう、だね。そうなるね」

「実際、五十メートル走みたいに身体からだ本来のスペックが出やすい競技は、いい成績を出せている。そのうえ、今日あきから教わったことも、あんなに簡単に覚えてくれただろ?」

「……あれくらいって、みんなできるんじゃないかな?」

「いや、そんなことはないよ。少なくとも、僕にはできなかった」

 僕も一応、成績が悪い方ではない。

 他の人と比べて暗記が苦手、というようなことはないはずだ。

 となるとやっぱり……はるの記憶力がずば抜けていい、ということになるだろう。

「でも、自信がないときって、その能力をうまく発揮できなかったりするだろ? 実際、はるかなり、自分のドジを気にしてるみたいだし……そのせいで、うまくいってないのかも」

「ああ、そっかー、そういう……」

「まあ、あくまで仮説だけどな。二重人格の何かの副作用で、できることが制限されてるって可能性もあるはある」

 その辺りは、専門家ではないからなんとも言えないところだ。

 多重人格の症例として、心理的な作用が働いてメイン人格にできたことができなくなる。あるいは、メインの人格にできないようなことができてしまう、みたいな例があると聞いたことがある。今回も、そういう制限がはるにはかかっている可能性もあるんだろう。

 けれど少なくとも──はるに器用に振る舞う素養がある、ということは間違いない。

「そっか、そうだね……」

 ラグに視線を落とし、はるはこくこくとうなずいた。

「確かに、あきがあれだけできるのに、同じ身体からだのわたしがそうじゃない、っていうのは不思議だよね……」

「だな、だから人格を一つにしたいなら『自信を持つ』っていうのを目標にしてみてもいいの、かも……」

 と──言いながら。僕は、小さく違和感を覚えている自分に気が付いた。

 今、当たり前のように口にした「人格を一つにする」という言葉。

 はるが目指している、その目標。

 考えてみれば……それは一体、具体的にどうなることを示しているんだろう。

 これまで無意識にそれを「いいこと」だと考えてきた。無邪気に僕らのゴールなのだと信じ込んできた。

 けれど、それはそんなにシンプルな話なんだろうか。

 ただただ「よかったね」で済むことなんだろうか……。

「……そっか、自信かあ」

 疑問を口に出そうと顔を上げると、はるは腕を組み考え込んでいる。

「確かにそれは、今まであんまりなかったなあ……」

 眉間にしわを寄せ、うつむく彼女。

 その表情と姿勢でいると──やっぱりはるあきそっくりで。むしろ、表面的にはあきそのものに見えて。

 ……ふいに、鼓動のペースが加速しはじめているのに気づいた。

 目の前にいるのは、はるだとわかっている。

 なのに──心臓が、普段よりも少し高い位置にある感覚。

 ……ちょっと待ってくれ。

 今まで僕は、きちんとはるあきを切り分けて見ることができていた。

 あきにだけ、片思い相手としての感情を。

 はるにだけ、友達としての感情を抱いてきたはず。

 それがなんで今、急にその二つを混同するような気持ちになるんだ……。

 罪悪感から、慌てて感情にふたをしようとする。

 はるのときの彼女にそんな気持ちを抱くなんて、あきに対しても、はるに対しても裏切りでしかない。

 けれど……一度意識してしまうと、簡単に感情は抑え込めない。

 部屋に漂っている甘い香りに、肩越しに感じる彼女の体温に、冷静でいられない。

 そして──、

「──っ!」

 気づいてしまった。

 彼女の隣、この角度からは──緩いワンピースの襟元を通して、胸の谷間がわずかに見えてしまっていることに。

 細身の印象だった彼女の、意外に目立つその膨らみ。

 傷もシミもない、せつけんのように白い肌……。

 いけないと思うのに、ひどい自己けんに襲われているのに、僕はどうしても……そこから目を離すことができなくて、

「……ん? どうしたの?」

 顔を上げたはると──ばっちり目が合った。

 もう、取り繕うことも作ることもできない。

「い、いや、何でも……」

 口でこそそう言うものの、自分ではっきりわかる程に頰が熱くなっていく。

 額から、じわりと汗が噴き出す。

 なんとなく、その意味に気づいたのか……、

「……え? あ、あの……えーと……あははー……」

 大いに目を泳がせてから、はるは胸元を押さえて笑った。

「ご、ごめんね、わたしあきじゃないよ……。あと少しで出てくるから、ちょっと待ってね……」

「い、いや、そんなつもりじゃ! ていうかこっちこそ、変な目で見てごめん! なんか、混乱してるみたいで……」

「う、ううん、仕方ないと思うよ……。同じ状況だったら、わたしもきっとごちゃごちゃになっちゃうから……」

「そ、そっか……」

 言葉が途切れて、部屋に訪れるぎくしゃくとした沈黙。

 これまでなかったその雰囲気が、なんだか妙に落ち着かない。

「と、とにかく、ここからは自信がキーになると思う!」

 無理矢理に、さっきまでしていた話を掘り返した。

「だから、あきに自信を持って行動する方法を聞いたり、自分なりに気持ちの切り替え方を探したり、そういうのが必要になるかもしれないな!」

 意味のある発言のつもりではなかった。

 ただ空気を変えたくて、適当に同意してくれそうなことを口に出しただけ。

 なのに、

「そう、あの子に……」

 はるはそう言って、足下に視線を落とす。

 そして、

「……君には、あき、そういう風に見える?」

「……え?」

「あの子、自信があるように見える?」

 意外なその問いに、頰の熱が一気に冷めた。

 これまで、僕は彼女が自分を貫くところばかり注目してきた。

 周りに流されず、ノリにごまかされず、自分の本心を大切にしていたあき

 それは、彼女の自信の表れなんじゃないかと思っていたのだけど……。

「ああ、もちろん! わたしに比べれば全然あると思うよ!」

 慌てて取り繕うように、はるは手を振ってみせる。

「というか、わたしがすごく自信がないから、比べるのもおかしいんだけど……。でも……」

 そして、はるいつくしむような笑みを。

 はるについて語るあきにも似たほほえみを浮かべると、

「あの子も──口に出したくても出せないこと、いっぱいあるんだと思う」

「口に出したくても……出せないこと」

「そう。あの子、弱みを出すのがへたっぴで、助けを求めることができないから……」

 はるは手を伸ばし、チェストの上に置かれたレコードを手に取った。

 年季の入った、渋いデザインの、女子高生とは不釣り合いにも見えるレコード。

 彼女はそれを愛おしげにで、

「だから多分、わたしが生まれたんじゃないかなって、思うから……」

 ──はるが生まれた理由。

 確かに、それがあきの中には確かに存在するはずで。

 だとしたら、はるの言う通り。

 あきは単に強いわけでも、自信があるわけでもないのだろう。

 むしろ──何かから身を守るために、防御するためにそんな性格になっていったのかもしれない……。

 けれど、それならはるは──。

「……そろそろ時間だね」

 手の中のスマホを確認して、はるがそう言う。

「おお、もうか……」

 そう言われて時計を確認すると、十七時二十一分。

 はるに切り替わってから百二十六分がったところだった。

 前に聞いた百三十一分にはまだ少しあるけれど……話していた通り、日によってその時間は少しずつ変化するんだろう。

「ごめん、ちょっと後ろ向いててもらえるかな……。見られるの、恥ずかしくって……」

「お、おう……」

 言われた通り、腰掛ける角度を変えて、彼女から顔を背ける。

 そして、どうにももどかしい十数秒を置いて、

「──大丈夫よ」

 その声に振り返ると──そこにはすでに、あきがいた。

 ──その、りんとした表情に、なぜだろう。

 今は少しだけ、寂しげな気配が見えるような気がしていた。

「……さて、今日はここまでね」

 けれど、それを口に出す前に。

 入れ替わる前の話を再開することもなく、あきは立ち上がった。

「あの子のためにありがとう。駅まで送るわ」

「……ああ、こっちこそありがとう」

 そして僕も──あの台詞せりふの続きを言うことはできなかった。


  *



四月十五日(日) あき

 今日は我が家に君が来てくれた。
 熱心にわたしの言うことをメモしてくれて、理解してくれてうれしかった。
 はるへのレクチャーもうまくいったようで、よかったと思う。


 本当に、よかったと思っているんです。




第三章【唇に銀河】



「──悪いけど、お前とは付き合えない」

 呼び出された、放課後の公園で。

 僕にそうはっきり告げられた彼女は──どうは、その顔を苦しげにゆがめた。

「ど、どうして……? あんなにわたしのこと、好きだって……」

「他に大切な人ができたんだ……だから諦めてほしい……」

「そんな、ひどい……」

 いやいや、と首を横に振るどう

 しかし彼女は、その顔に浮かべていた悲しみの色を怒りでさっと塗りつぶすと、

「……許せない。絶対に許せない。わたしを振ったこと、絶対後悔させてやるから!」

 そう言って──僕をびっと指さした。

「この……の……おたんこなす!」

「……あのさ」

 そう声を上げたのは、やりとりを苦笑まじりに眺めていたしゆうだった。

「その小芝居、いつまで続くの……? そろそろ本題に入らない?」

「あははー、そうだねー!」

 それまでの迫真の形相がうそだったかのように、どうがさらっと笑顔になった。

「ていうか、なんで、いきなり告白シチュエーションやりはじめたの? もしかして、本当はわたしのこと好きだったり……?」

「んなわけねえだろ! いやむしろ、こんないきなり公園呼び出されたからついに告白されるのかと思ってさー」

「はあ? なんでに告んないといけないのよー」

 そう言って頰を膨らませつつも、どうはまんざらでもない表情だ。

 根っからのポジティブ人間で、楽しいこと面白いこと大好きのこのどうは、普通に会話にもお遊びをいれずにはいられない。

 もちろん、自分が周りにどういう風に見られているか、どういう立ち位置を期待されているかという自覚もあるんだろう。

 けれどどうはそれ以上に──芯から陽気なタイプなのだ。

 自分だけでなく周囲にも、いつも笑顔でいてほしい。きっと、本気でそう思っている。

 だから僕はこいつと話すときは、他のやつらと話すときよりも一層テンションを上げて、自分を作って臨むことになる。

 ……そんなこと、しなくて済めばいいのに。

 作らずに自分の気持ちを伝えられるようになれば、きっとこいつとはもっとお互い大切な友達になれるんだろう。

 けれど、どうしても僕は素のローテンションを受け入れてもらえる自信がなくて。

 どうの望むであろう僕を演じてしまって……またそんなことをしている自分にけん感を抱いてしまう。

「ほらほら、また話ずれてるよ。本題いかなきゃ」

「ああ、そうだった」

 しゆうに指摘され、僕たちは近くにあったブランコに移動する。

 どうに比べると、しゆうはもっとずっと「キャラ」というものに自覚的なタイプに見える。

 グループで会話中も常に一歩引いてみているようなところがあるし、流れを促しつつも誰も傷つかない発言をすることが多い。

 きっとそれは、しゆうが会話の表面だけでなくそれぞれの意図や隠している本心まで意識した上で行動しているからなんだろう。

 だからこそ、こいつと話していると、自分の本心はすべてバレているんじゃないか、演じていることを見抜かれているんじゃないかと不安になることがある。

 どうが立ち乗りでブランコに乗り、僕としゆうはその周囲の囲いに腰掛ける。

 夕方の公園内は、広さの割に利用者が少ない。

 DSに興じる小学生が数人と、立ち話をしている子連れの若い女性。

 どこか遠くで消防車のサイレンが鳴り、近くの家からはワイドショーのエンディングテーマが聞こえてきた。

「……で、何だよ?」

「んー、あのさー……」

 そう言うと、どうは短いスカートをひらめかせながら口ごもり、

「……このところあきとよく一緒にいるじゃん?」

「ああ、まあそうかもな」

「学校でもそうだし、放課後も、ときどき一緒にいるのを見かけるし……」

 ──みな家におじゃました日から、一週間とちょっと。

 引き続き僕は、できるだけはるのそばにいて彼女のフォローをするようにしていた。

 どうの言う通り学校にいる間は四六時中だし、放課後部室で反省会をすることもある。

 そのあってか、最近少しずつ失敗も減ってきたんじゃないだろうか。

 そのうえ、会話でもただ受け手に回るだけでなく、

「──しゆう君は、古いロックを聴くのね……。わたしはあまり手を出したことがないから、オススメがあれば教えてほしいわ」

「──最近の映画では『ぐるりのこと』が好きだったかしら。家にDVDがあるから、よければ貸しましょうか?」

 そんな風に、自分から周囲に何かを提案することもできるようになりはじめていた。

 やっぱり、もともとが能力が高いんだろう。

 気を抜くことさえなければ、致命的なピンチは起きないんじゃないかと思う。

 ……問題は、実際ときどき気を抜いてしまう、というところなのだけど。

「でさ、もしかしてって、思ったんだけど……」

 言うと、どうはブランコからぴょんと飛び降り──控えめにこう尋ねた。

ってあきのこと……好きだったりする?」

 ──やっぱり、そういう話か。

 正直、予想をしていたことではあった。

 喫茶店にいるのを見られた日、あれだけ「結婚か!?」なんていじられて、その後もずっと一緒にいたんだ。そういう疑いを抱かれて当然だろうと思う。

 それに、半分は覚悟の上だったのだ。

 周りにどう思われてもいいから、はるをフォローしようと。

 何より、事実僕はあきのことが好きなわけで、指摘されて照れくさはあっても驚きはない。

 ただ問題は、この質問にどう答えるかだ──。

「……へえ、黙り込むんだね、

 なりゆきを見守っていたしゆうが、意外そうに笑った。

「すごい勢いで反論してくるかなって、思ったんだけど」

「えー、やっぱり当たりなんじゃん!?」

 はしゃいだ声を上げ、どうはもう一度ブランコに飛び乗る。

「絶対そうだと思ったんだよー! なーんかこう、秘密めかした感じがあってさ! これはもう、恋で間違いないなって!」

「いやいやいや、まだ認めてはいないだろ!」

「えー、じゃあ違うの? だったら、なんであんなに二人で一緒にいるの……?」

「それは……」

 そう──そこが問題なのだ。

 正直、あきを好きであることを認めるのは、恥ずかしい。

 どうしゆうとはもう一年以上友人で、これまでそんな話をしたことがないからなおさら。

 けれど、そこを否定してしまうと……一緒にいる理由を説明できないのだ。

 事実を打ち明けるなら「はるのフォロー」ということになるけれど、彼女が二重人格であることは僕らだけの秘密だ。それを明かしてしまうことはできない。

 ……なら。

 認めた方が……安全なんじゃないか?

 その方が、こちらとしても都合がいいんじゃないか……?

「……まあ、そうだな」

 しばし悩んでから、僕は諦めのため息をついた。

「二人の言う通りだ……あきのことは、その……」

 そこで、一度言葉に詰まってから、

「……好きだよ……」

 ──案の定、恥ずかしさにいても立ってもいられなくなる。

 身体からだ中がむずがゆくなり、背中と額に汗がぶわっと噴き出す。

「で、でも! それが何か悪いかよ! 仕方ないだろそうなっちゃったんだから!」

「え、悪くないよ全然悪くない!」

 声を荒げた僕に、どうは喜色満面でそう言った。

 こいつがもし犬だったら、尻尾をちぎれんばかりに振ってるだろう。

「むしろいいじゃん! そういう恋バナしてくれないし、どうなのかなーと思ってたんだよ! でも、ふふふ……そっかー。あきみたいな子が好きなんだね……。なんかちょっと、意外かも!」

「……どうしてだよ?」

はもっと、ノリがいい子が好きなのかなって思ってたから!」

 確かに、普段演じている「軽口をたたけるクラスメイト」の僕だったら、元気がいい子を好きになりそうかもしれない。実際はまったくそんなことないのだけれど。

「でもちょっと、俺はわかる気がするなあ」

 しゆうは雑誌のピンナップにでも載りそうな笑みで、こちらを見る。

は……みなさんが、自分が持ってないものを持ってるところに憧れそう」

 ──この男は。

 ひろしゆうという男は、これだから油断ならないのだ。

 ぱっと見は穏やかそうな優男なのに、ふいにこんな風に核心を突いてくる。

 ……もちろん、あきが二重人格であるところまでは見抜いていないだろう。

 けれど、それでもその読みはおおむね当たりで、

「……まあ、そんな感じだな」

 それも素直に認めておくことにした。

「ああいうクールなの、いいなって思うんだよ。……ていうか、もうそろそろ勘弁してくれ! いじられるのはある程度我慢するけど、こっちも本気だし、恥ずかしいんだよ!」

「ごめんごめん! 別にわたしたちも、いじりたくて聞いたわけじゃないの!」

 言いながら、どうがブランコをこぎはじめる。

 チェックのスカートが大きく揺れて、白い太ももがあらわになる。

「おいどう、パンツ見えそうだぞ! もうちょい動き慎めよ!」

「何慌ててるのさ、あきのパンツじゃあるまいし。そんなことより、いじりたいわけじゃないって話!」

「……なんだよ? じゃあお前、なんでわざわざこんなこと……」

 尋ねると──どうはブランコから飛び降り、見事僕の前に着地した。

 ピンクの布地が見えた気もするけれど、多分気のせいだ。

 そして、彼女は心底楽しそうに僕の顔をのぞむと、

「わたしが──恋のキューピッド役を買って出てあげましょう!」


  *


「──ごめんなさい、遠慮するわ」

「……えええええええ!」

 ──まさかの、即お断りだった。

 どうの大声に、朝の教室の視線が集まる。

 廊下を行き交う生徒や教師まで、突然上がったハイトーンにぎょっとした様子だった。

 ──自称恋のキューピッド役としてどうが提案したのが、四人での、お台場へのお出かけだった。

 どうせ、は変にかっこつけてなかなか一線を越えられないだろう。

 だからわたしたちが非日常を演出することで、二人の仲を一気に進展させてやろう、ということだったらしい。

 正直、乗り気になれなかった。

 変に場を用意されて期待の目で見られたって、意識し過ぎで身動きが取れなくなりそうだ。

 お台場という場所のチョイスも、あまりあきが喜ぶと思えない。

 そもそも、僕にはもうはるという心強い味方がいるのだ。

 これ以上のフォローは、特に必要ない気がしていた。

 けれどその晩、一応相談しておこうとはるの人格の時間に彼女に電話をかけると。

「──ええっ、行きたい、わたし行きたい!」

 思わず受話器から耳を離すほどの声量で、彼女ははしゃぎ出した。

「そういうの、ずっと憧れてたの! 友達と週末にお出かけするの……だから、絶対に行きたい!」

 そう言われてしまうと、僕も反対はできなかった。

 おそらく、二重人格を隠すのはクラスにいるときよりもずっと大変だろう。

 少人数だからお互いに意識が向きやすいし、一緒にいる時間だって普段よりかなり長い。

 普通に学校生活を過ごすよりも、危険度は段違いに高そうだ。

 けれど──それはそれで必要な経験値かも、という気もする。

あきの振り」を完璧にしたいなら、いつもと違う環境にチャレンジするのも必要だ。

 そして、僕自身……はるの声を聞いて、ちょっと気持ちが揺らいだところもあった。

 確かにあきと、そしてはるとも、どこかに遊びには行ってみたいかも……。

 というわけで、僕はどうに「遊びに行く件、お願いできるとうれしい」と伝えたのだけど──、

「お、お台場が微妙だった……? え、えっと、もしあれだったら原宿とか舞浜とか他のところでもいいんだけど……」

「ああ、そうではなくて。最近、ちょっと土日は忙しいの」

 ──肝心のあきが、それをすげなく断っているのだった。

「だから、遠慮させてもらうわ。わたし以外のメンバーで行ってきて?」

「え、う、うん、そっかあ……」

 あきが来なければまるで意味がない。

 どうはしょぼんと肩を落とすと、

「じゃ、じゃあちょっと……考え直そうかな」

 と、ふらふらあきの席から離れていった。

 去り際、どうはちらりとこちらを振り返ると「ごめん……」と無念の表情を作ってみせた。

 けれど僕は──どうのそんな顔よりも。

 あきの言いぐさに、小さく違和感を覚えていた。

 こんな風に、彼女が誘いを断るところは何度も見てきた。

 遠慮なくばっさばっさと、それをマネしなければいけないはるが、申し訳なさで胃痛を起こすほどの断りぶりを。

 けれど……今回はちょっと、わけが違う気がする。

 少し、彼女に話を聞いた方がいいかもしれない。


  *


「──ごめん、ちょっといいか……?」

 昇降口でそう声をかけると、あきはちょうど校内履きを箱にしまうところだった。

 右手を掲げたままで、彼女はこちらを向き首をかしげる、

 その仕草に──午後の日差しに浮かぶ彼女のシルエットに、心臓が暴れ出すのを感じた。

 相変わらず僕は、この子の前ではうまく振る舞うことができない。

「聞きたいこと、あるんだけど……」

「……そう」

 なんとか口に出すと、意図を悟ってくれたらしい。

 あき箱からローファーを取り出し、

「じゃあ、一緒に帰りましょうか」

 ──一緒に帰る。

 そのフレーズだけで、胸にじんわりとほの温かいものがこみ上げた。

 あまり距離は縮まっていないけれど……拒絶されているわけでもないんだろう。

 期待し過ぎは禁物だけれど、それくらいはうぬぼれても罰は当たらないんじゃないかと思う。


「──で、聞きたいことって?」

 校舎のしきを出たところで、前を向いたままあきが尋ねる。

「ああ、その……今朝の、どうの話だけど。お台場行くっていう」

「ええ」

「土日は忙しいからって……あれ、うそだよな?」

 そう口に出すと──あきの貴い精神に傷をつけているような罪悪感が胸にしみ出した。

はるが言ってたよ。週末はたまに病院に行くくらいだから、いつも暇にしてるって。どうしてあんなうそついてまで……誘いを断ったんだ?」

 もしかしたら、踏み込み過ぎなのかもしれないと思う。

 ただ単に、どうたちや僕と出かけるのが、おっくうなだけなのかもしれない。

 けれど──これまで、過剰な程に素直な態度で誘いを断っていたあきが、今回だけうそをついたのには、何か理由があるような気がしていた。

「……そうね、確かにあれはうそよ」

 ため息まじりに、あきはそう認めた。

君には、そういうこともバレてしまうのね……」

「……にキャラ作りまくってないからな。他人のそういうのも、なんとなくわかるんだよ……」

 自分が常にうそをついているからこそ、他人のうそにも敏感だ。

 表情や声色や小さな仕草から、本心と言葉のずれを感じ取ってしまうことがよくある。

 それに……今回は相手があきなのだ。

 他の誰よりも、口調や態度の変化を見抜ける自信があった。

「もしかして、苦手なのか? ああいう観光地」

「……いえ、お台場には行ったことがないからわからないわ」

「じゃあ……どうが苦手とか?」

「ううん。いい子だとは思う。まだ、打ち解け切れていないけど……」

「なら──」

 足下に視線を落としたままで、僕は本命の仮説をあきにぶつけてみる。

「気を遣ってるのか? はるに……」

 ……反応は、すぐには返ってこなかった。

「確かに、今回はちょっと危ないよな。買い物したり、身体からだも動かすだろうし、四人で長時間一緒にいることになる。学校で二重人格を隠すよりも難しいのは間違いない。だから……はるが危険な橋を渡らないよう、断ったのか?」

 それが理由だとしか思えなかった。

 あきうそをつくなんて、きっと誰かのためでしかない。

 それも──一番そばにいる誰かのための。

 ゆっくり数歩分歩いてから、

「……それも、なくはないけど」

 あきらしくもない、はっきりしない物言いだった。

「理由の一部では、あるかもしれないわね……」

 ……どういうことなのだろう。

 言葉の奥にほのめかされた彼女の本心が、うまく読み取れない。

 乏しい表情と少ない口数にマスキングされて、推測することもできない。

 ……けれど、考えてみれば最初からそうだったんだ。

 思考がダダ漏れのはると違って、あきは秘密主義っぽいところがある。

 ──こんなに、近くにいるのに。

 毎日のように顔を合わせているのに。交換日記だってしているのに。

 その本心に一歩も踏み出せないのは、どうにももどかしくて、心配で、少し寂しかった。

「……まあ、無理にとは言わないけどさ」

 それでもせめて、考えてきたことはすべて言い切ってしまおう。

 得意の作り笑いを浮かべて、僕は言葉を続ける。

「でも、はるもすごく楽しみにしてたみたいだから……できれば行かせてあげたいんだけどな。フォローはがんばるし、はる、最近はうまくやれるようになってきたし。きっと、ひどいことにはならないと思う」

「……そう」

「それに、僕も……一緒に遊びに行ってみたいなと、思うし」

 ──『誰と』一緒に行きたいのかは。

 あきと行きたいのだということは、口にすることはできなかった。

 それでも、これが今僕が言える本心のすべてだ。

 これでダメなら、残念だけど今回は諦めるしかないだろう。

「……そう、一緒に」

 隣であきは、ため息に混ぜ込んでそうつぶやく。

 そして──、

「……ずるいわ……」

 ──そう、言ったように聞こえた。

 あきらしくもない、その言葉──。

 一体、何が……?

 けれど、それについて尋ねる前に、

「……そこまで言うなら、そうね。悪い話ではないのかも」

 彼女は顔を上げ、こちらにほほえんでみせる。

「……行ってみようかしら」

 それだけで──僕の頭からは、疑問も不安も吹き飛んでしまう。

 ここまでの緊張や心配が、報われた気になってしまう。

「……わかった」

 そして僕は、すべてのもやもやを棚上げにしてスマホを手に取った。

「さっそく、どうに連絡しておくよ」


  *


 旅は準備している時間が一番楽しい、なんていう人種がいる。

 例えば、身近な人間で言うとどうがそうだった。

 一年の頃にあった学年全体での遠足の前。彼女ははしゃぎにはしゃぎ、持ち物の買い出しに僕としゆうを連れ出し、行き先での予定決めやルート決めに熱中した。

 ネットでオススメのスポットを調べるだけでは満足できず、ついには旅行本を何冊も買い込み、到底回り切れない数のページに付箋をつけた。

 最終的なコース決定の際、いくつかの候補地を諦めるどうが浮かべた無念の表情と、納得のいくコースができたときの笑顔を今でもよく覚えている。

 もちろん、遠足自体も彼女は大いにエンジョイした。

 やながわ下りからのうなぎせいろ蒸しにしたつづみを打ち、グラバー園ではしつこくハート型の石をなで回し、フェリーから見えるこうの夜景に酔いしれ「街が……眠っていくね」などという台詞せりふを吐いた。

 けれど……その準備段階でのはしゃぎようを見ていると。

 どうしても、どうにとってはそっちがメインだったんじゃないかと思ってしまうのだ。

 実際に現地を訪れるよりも、自分の住む街から遠く離れた観光地に思いをせ、そこにいる自分を想像することこそが、彼女にとっての「遠足」だったんじゃないかと。

 そして──どうやら。

 僕の近くには、そういう類いの人種がもう一人いたらしかった。


4月25日(水) はるか
 今スマホで見てたんだけど、ヴィーナスフォートってすごくたくさんお店あるんだね!
 どうしよう、全部回り切れない。。。。。。
 あと、ダイバーシティってところも科学未来館ってところも気になって──

4月26日(木) はるか
 バブルサッカーっていうのが気になる。。。。。
 けどちょっと怖そうだなあ。。。。
 あと、今お台場のガンダムってこういうのなんだね──

 お台場行きが決まって以来、はるははしゃぎっぱなしだった。

 反省会のために集まった部室でも交換日記でも、話題は出かけることばかり。

 本当に、これまで友達と遊びに行くなんてことがなかったんだろう。

 それを思うと、この週末が楽しいものになればいいのに、と願わずにいられなくなる。


  *


 ──前の晩しとしとと降り続いた雨は、集合場所の西にしおぎくぼえきに着く頃にはすっかり上がっていた。

「おそーい!」

 黒くれたアスファルトの上。

 すでにそこにいたどうが、しゆうの隣で腰に手を当て不機嫌な顔をしている。

「ずいぶん待ったよ! いつもそうだよねーは! ナチュラルに遅れてきてさ……」

「いやいや、遅れてねーから! 集合時間五分前だから!」

 不安になってスマホを確認するけど、間違いない。

 まだ約束の十時までは時間がある。

「集合時間に間に合えばいいってものじゃないんだよ! わたしたちみたいに、楽しみで早くついちゃう人もいるんだから、そういう人たちのことも加味するのがデキる高校生でしょう!」

「そう言うどうも、俺の五分後に来たんだけどね……」

 プリプリ怒るどうの隣で、しゆうはそう言って苦笑いしていた。

 そして、彼はその顔のまま僕の背後に目をやると、

「あ……来たね」

「ほんとだ! おーい! あきー!」

 振り返ると──あきが、北銀座街の交差点を渡ってくるところだった。

「ごめんなさい……わたしが最後ね」

 駆け足でこちらまで寄ってくる彼女。

 この時間、表に出ている人格はあきだ。

 午前中いっぱいはあきの人格で買い物をし、午後、はるの人格に変わってからアミューズメント施設に行くのが、今日の予定となっている。

「ううん、いいのいいのー、まだ集合まで時間があるし!」

「おいお前、俺のときと扱い違い過ぎだろ!」

「当たり前でしょ! レディーファーストだよレディーファースト!」

 わけのわからないことを言いながら、どうは待ち切れない様子で駅の方を向き、

「それではみなさん、参りましょー!」

 足取り軽く歩きはじめた。

 ぞろぞろと、全員でそのあとに続く。

「……まあ、あんまり心配せず、大船に乗った気でいてよ」

 あきの隣を歩きながら、僕は彼女にだけ聞こえるようにそう言った。

はるも最近、うまくやれるようになってるし……僕もちゃんと、フォローするしさ」

 うそをついてまで今回の企画を断るほど、あきはるを心配していたんだ。

 きっと今も、不安で頭がいっぱいだろう。

 だから、せめてこちらの意気込みくらいは伝えたかった。

 はるのことももちろんそうだけど、あきがちゃんと楽しめることも今回の目標の一つだ。

 ──けれど、

「……ええ、ありがとう」

 そう言うあきの声は、これまでになく力なく、どこかかすれていた。

「……大丈夫か?」

 不安になり視線をやると……なんだかあき、顔色が悪い気がする。

 もともと色白の肌が、うっすらと青色を帯びている。

 表情は疲れているし、足取りは重いし、目の下にはクマができているような……。

「体調悪いのか? だったら、無理しなくていいぞ……?」

「……いいえ、大丈夫よ」

 そう言って、あきは小さく首を振る。

「ちょっと、睡眠不足なだけだから……。ごめんなさい、心配させて」

「……なら、いいんだけどさ」

 もしかして、昨日の夜はるがはしゃぎ過ぎて眠れなかった、とかだろうか。

 これまでのテンションを考えれば、さもありなん、という話だ。

 だとしたら、気にしすぎもよくないだろう。

 不安な気持ちを切り替えながら、僕はスマホを自動改札機の読み取り部分にかざした。


  *


 かんしんばしでの乗り換えを経て、ゆりかもめに乗車。

 はしゃぐどうをいなしながらレインボーブリッジを越え、お台場に到着した。

 そして、最初に訪れたヴィーナスフォートで、

「──あ、これ、この服絶対あき似合うよ!」

「そうかしら? ちょっと、大人っぽ過ぎない……?」

 さっそく女性陣二人は、ショッピングにいそしんでいた。

 楽しげにあきを引っ張り回すどうと、それにおずおずと、それでも存外まんざらでもない様子でついていくあき

 あまり服について詳しくない僕は、それをちょっと離れて見ているだけ。

 こまめに荷物を持ったり、意見を言ったりするしゆうのマネは到底できそうにない。

 ……とはいえ、

「何言ってるの! あきは物憂げ系美少女なんだから、これくらい着ちゃっても大丈夫なんだよー!」

「そ、そう……?」

 あきが服を選ぶのを見ているのは。ときどきそれを身体からだに当てるのを見ているのは、それだけで結構楽しいのだけど……。

「じゃあ……試着してくる……」

「うんうん、行ってきな!」

 どうに背中を押されて、あきは試着コーナーに向かった。

 靴を脱ぎ小部屋に入り、カーテンを閉めるあき

 なんとなくそれを眺めていると、

「……ふふふ……」

 どうがおもむろにそばに寄ってきて、にやりと笑った。

「今、あのカーテンの向こうで、あきが服を脱いでますぞ……」

「……お前な!」

 思わず、大きな声を出してしまった。

「エロおやかよ! もうちょっとデリカシーってもんはないのかよ!」

 僕だって、言われる前から同じようなことを考えていたんだ。

 頭の中をのぞかれたようで、恥ずかしいし悔しい。

「えーでも事実だもん。上着もワンピも渡したから、きっとあの子、中では下着姿だよ。しかも知ってる? あきああ見えて、結構胸あるんだよねー……」

「だから! そういうこと言わなくていいんだよ! なんか申し訳ないだろ……!」

 もちろん、僕だってそのことには気が付いていた。

 全体的に細い印象のあきだけれど、体操着を着たときや細身の私服を着ているときに、意外な胸元のボリュームに驚かされることが何度かあった。

 とはいえ……あまりそこばかり意識するのは、あきに対して不誠実な気がして。

 はるに対しても、裏切りのような気がしてしまって。

 僕はできるだけ、彼女をそういう目で見ないように気を付けている。

「……なんか、さ」

 と、ふいにどうの表情が緩んだ。

 幼いながらも整った顔に、ちょっと大人びた笑みが浮かぶ。

はたから見てると……すごく、あきに対して、身構えてるところがある気がする」

「……身構えてる?」

 意外に真面目な指摘に、オウム返ししてしまった。

「そう。踏み込み過ぎないように、とか、傷つけないように、とか。気を遣い過ぎてる、みたいな感じ?」

「……んー、あー……」

 確かに、そういうところはあるのかもしれない。

 本人が周りと距離を置いているのもそうだけど、同時に僕自身が彼女に踏み込み過ぎないようにしているところも間違いなくある。

あき、あの性格だからそうしたくなるのもわかるんだけど。でも、あの子も普通の女の子で、十六才で……しかも、結構のこと、信頼してるみたいだからさ」

「……え、そうか?」

「そうだよー。あきの態度から、そういうの感じない?」

「そりゃまあ……なくはないけど」

 確かに、時折あきは僕に対してそんな態度を見せてくれる。

 君でよかった、だとか。君ならかまわない、だとか。

 その言葉を表面的に理解すれば、確かに信頼してくれているということになるだろう。

 けれど僕は──いまいちそこに自信を持てないでいる。

 あんなに芯のあるあきが、そんなに簡単に他人を信頼するだろうか。

 片思いをしているがゆえの願望だとか、希望的観測が混じっていやしないか……。

「それにさ」

 考えている僕に、どうが続ける。

「昨日体育のときもの話になってさ。彼がいてくれて本当によかったって言ってたもん」

「……マジか!」

「マジマジ。転校は不安だったけど、彼のおかげでうまくやれている気がするわ、って」

 一瞬、それはるが言ったんじゃないか? と思い返すけれど……うん。

 確かに昨日の体育の時間、表に出ていた人格は──あきのはず。

「マジか、そうなのか……」

 なら……もう少し、自信を持ってもいいのかもしれない。

 近づき過ぎないようにと気を遣っていたけれど、距離を縮めてみてもいいのかもしれない。

「まあまずは、もうちょい気軽にいくことだねー。それこそ好きな女の子なんだしさ、胸チラ見しちゃったっていいし、やらしい妄想しちゃっても別にいいんだよ」

「いやだから! そういうこと言うなって!」

「怒ることないじゃん! 男子高校生なんだからそれくらい普通でしょ、普通!」

「そうかもしれないけど! でもわざわざ口に出すなよ! 一応ここ、公共の場だぞ……!?」

「……あの、マジな話」

 突然、どうは声のトーンを落とすと、ニコリともせずこちらを見上げ、

「わたしたちって……もう『そう』なんだよ」

「……そ、そう、って何だよ?」

「十六才で、大人じゃないけど子供でもなくて。そうなったら……恋愛だって『好き同士になりましたー! ハッピーエンド!』でも『ちゅーしちゃいましたー! ちゃんちゃん!』でもないじゃない」

「それは……そうかもな」

 思わず、彼女の方に向き直っていた。

 ただただ明るいように見えるどうだけど、友人思いのこいつは人間関係について鋭い考えを見せることがある。それこそ、こっちがぎょっとするほど生々しい考えも。

 だから、きっとこの話は……冗談でも出任せでもない。

「当たり前みたいにその先にもいくし、それをきっかけに傷ついたり傷つけられたりっていうのもある。関係だって、これまでありえたものより、きっとずっと複雑になる。だからさ、そういう気持ちを否定したり、茶化したりしないで……」

 そこで、どうはようやくわずかに笑うと、

「ちゃんと考えて、折り合いをつけた方がいい気がする」

「……そう、か」

 彼女の言う通りなのかもしれない。

 もう僕らの恋愛は、安っぽい物語のようにはいかない。

 裏切ったりずるをしたり、うそをつくことだってありえるんだ。

 だとしたら、気持ちを抑え込むだけじゃなく、理解して対処する方法も考えていくべきなのかもしれない。

「ありがとな。肝に銘じておく」

「うん。とりあえず、どう先生の恋愛講座一コマ受講したから、代金四千円払ってね」

「短い割に高けえなおい!」

 そんな調子で、いつもの言い合いに戻りながら、

「──どこが高いのよー! 予備校に比べたら全然安いでしょ!」

「──なんで基準が予備校なんだよ! 人気講師気取りかよ!」

 ……ふいに、自分に情けなさを覚えた。

 真剣に僕らのことを考えて、アドバイスをくれるどう

 けれど僕はそんな彼女に、キャラを作って、うその自分で接してしまっている。

 もうずっと続いてきたこんな関係だけど、それが当たり前になりつつあるけれど……本当はこれって、ひどく不誠実じゃないか?

 うそをつき続けているのと大差ないんじゃないか?

「──人気講師に決まってるでしょ! こんな美少女講師いたらCMとかにも引っ張りだこだよ!」

「──それCM話題になるやつじゃねえか! そのままバラエティとかにも出はじめるパターンじゃねえか!」

 ……もう、やめてしまおうか。

 こいつの前では──キャラを作るのをやめようか。

 考えてみれば……どうが僕の素を見たとして、付き合い方を変えるとも思えない。

 最初の一歩を踏み出しさえすれば、意外となんとかなるんじゃないのか……?

「そうだよ! だからマネタイズは早めに考えたいし、じゃあいつはじめるか? 今でし──」

「──なあ、どう

 意を決して、話の途中で名前を呼んだ。

「……ん? 何?」

 僕の表情に何か察したのか、どうは嫌な顔一つせず首をかしげる。

 こちらを見ている、小動物みたいな目。

 もうずいぶん見慣れた、陽気で小作りな顔。

 ……大丈夫だ。

 改めて、そう思う。

 こいつなら、僕の本心を受け止めてくれるはず──。

 だから、僕は恐る恐る口を開き──、


 ──その瞬間。

「……っ!」

 氷のような不安に──身体からだ全体を貫かれた。


 真っ暗な穴の上に立っているようなこころもとなさ。

 フラッシュバックする──

 開いた口から声が出ない。手足がじんとしびれて、指一本動かせない。

 そしてどうは、

「……どした? 

 口を開けたまま硬直している僕を不思議そうに見上げている。

 そんなタイミングで──試着室のカーテンが開いた。

 中から出てきたあきは、ライダースジャケット、落ち着いた赤の花柄ワンピース、黒いパンプス、という大人っぽいコーディネートで、ひどく恥ずかしげにこちらを見ていた。

「……おーいいじゃんいいじゃん!」

 こちらを気にしながらも、どうはぱっとあきの方へ駆け出す。

「めちゃくちゃ似合ってるよ! いいなー、あきって顔大人っぽいからね。やっぱこういうのもいけちゃうんだねー」

 そこでようやく──僕の身体からだの硬直も解けた。

 試着室をおずおずと出るあきに視線を向ける。

「そ、そうかしら……?」

「うん、かっこいいと思う! 大人ガーリーって感じ?」

「大人ガーリー……」

 子供みたいに繰り返すと、あきは恐る恐るこちらを向き、

「……どう?」

 その問いに──。

 ちょっとあきらしくない不安げな表情に、

「……いいと思う」

 半ば無意識のうちに、僕はそう答えてしまった。

「うん、似合ってると思う……」

 お世辞でも何でもなく、本気でそう思った。

 黒と赤で統一されたその格好は、これまであまり強調されていなかったあきの「色気」を、引き出してきわたせているように思える。

 少なくとも、僕はその格好が好きだったし──ごく自然に、似合っているとも思った。

 あまり気にしたことがなかったけれど、もしかしたらどうは服のコーディネートのセンスがあるのかもしれない。

「そう……。わかった、なら、買うわ……」

 そう言うと、あきはそそくさと試着室に戻り、カーテンを閉めた。

「……ほらね」

 どうがこちらに戻ってくると、得意げに笑った。

は、なんか色々気にしすぎ、心配しすぎなんだよ。だからまずは、もう少し自信持ちな!」

「……おう、そうだなー」

 そしてまたタイミングを逃した僕は、いつもの作り笑顔でどうに言葉を返してしまった。


  *


 一通り買い物をしたところで──どうしゆうがトイレに立った。

 僕とあきは待合コーナーで、並んで椅子に腰掛ける。

「──ようやく、ちょっと落ち着いたな」

 そう言うと、自然と肺から深い息が漏れた。

「あんまりこういう買い物ってしないんだけど、結構体力使うものなんだな」

 どうに対する罪悪感が、いまだにちくちくと僕をさいなんでいた。

 踏み出せない自分への自己けんも後悔も、胸の中でくすぶり続けている。

 けれど……、

「そうね。ごめんなさい、荷物持たせてしまって……」

「いいんだよ、気にしないで。別にそんなに重くないから……」

 しばらくの買い物を挟んで気持ちは持ち直しつつあった。

 落ち込んでいても周りに迷惑をかけるだろうし、今は早めに切り替えていつもの自分に戻った方がいいのかもしれない。

 結局あきは、さっきの店でジャケットとワンピース、パンプスを買っていた。

 試着していた服一式、ということになる。

 そこそこ重さもあるし、女の子がこれを持って移動するのはちょっとつらいだろう。

 ちらりと盗み見ると……あきはやはり、普段よりも顔色が悪く見えた。

 大丈夫だろうか。結構つらいんじゃないだろうか、と不安になってから──ふと思い立つ。

 ……踏み込んで、みようか。

 どうも言ってくれていたじゃないか、もう少し自信を持っていいんじゃないかと。

 あいつには素の姿を見せられなかったけれど……ならせめて、この機会にあきとの距離は縮めるべきなんじゃないか。

 どうの気持ちを無駄にしないよう、前に進むべきなんじゃないだろうか。

 持っていたペットボトルに口をつけると、中のコーラはいつの間にか微炭酸になっていた。

 バレないように、小さく深呼吸する。

 そして、できるだけ普段通りの声色をよそおって、

「……あの、さ」

 と声を上げた。

「何かあったら……僕に言ってくれていいんだからな?」

「……何かって?」

 疲れのにじむ顔で、あきが首をかしげた。

「それは、その……勘違いだったら、いいんだけど」

 そう前置きして、僕はずっと胸にとどめていた気持ちをあきに打ち明けた。

「僕はあきのことが、ときどき心配になるんだ。もしかしたらあきは、誰にも言えない何かを抱えてるんじゃないかって。悩みとか問題を、一人で抱え込んでるんじゃないかって……」

 手の平に、じわりと汗がにじんだ。

 心臓が、小刻みにビートを打ちはじめる。

 あきは何も言わず、じっと僕を見ている。

あきは、あんまり自分の気持ちを周りに見せてくれないよな。はるはすごくオープンだけど、その対極って言うか。それは決して、悪いことじゃないけど……不安になることがあるんだ。何かを我慢してるんじゃないかって」

 かつて、二重人格を生み出してしまうほどのストレスにさらされ、今も自分の別人格とともに生きているあき

 ストレスの原因はすでに解消済みだと言っていたけれど──どうしても、僕は。

 彼女の秘密主義に、見えてこない本心に、目の下にできたクマに不安を抱いてしまう。

「で、その、それが僕の勘違いじゃなくて、あきも嫌じゃなければ……なんだけど」

 服屋の紙袋の取っ手をぎゅっと握ると、

「僕に──話してほしいって、思うんだ」

 ──あきの目が、わずかに見開かれた。

 気のせいかもしれないけれど、そんな気がした。

「僕を、頼ってほしいって……」

 そして、短い間のあと。

「……もしも」

 そう言うあきの声は、少しだけかすれていた。

「わたしにそういう、口に出せないことがあるとして……。なぜ、君は、わたしを助けてくれようとするの? どうして、自分に頼ってほしいなんて、言ってくれるの?」

 ──君が好きだからだ。

 のど元までその言葉が出かかって──すんでの所で飲み込んだ。

 今はまだ、その気持ちを言うことはできない。

 勇気も、自信も、時間も準備も足りない。

 だから僕は──、

「……友達なんだから、当たり前だろ」

 ──そんな情けないうそで、お茶を濁す。

「できることがあればいいと思うんだよ。あきのためにも──はるのためにも」

 もう一度、静けさが二人の間に充満する。

 辺りを行く観光客のざわめきと、迷子を知らせる館内アナウンス。

 そして、その隙間に紛れ込ませるようにして、

「……そうよね」

 そう言って、あきはちょっと寂しそうに笑った。

君は、そう言うわよね……」

 ──その言葉に、少し引っかかるものを感じた。

 まるで──僕がそう言うのを、あらかじめわかっていたような言いぐさ。

 相変わらず僕は、あきの考えていることがよくわからない──。

 しかし、彼女は落としていた視線をこちらに向けると。

「……わたしもいつか……君に、すべて話せればいいなって思うわ」

「ありがとう。じゃあ僕は、そのときを待ってるよ」

「ええ、こちらこそありがとう……」

 ……まだ、その本心はわからない。

 あきが何を考えて、どう思っているかはわからない。

 けれど──少しだけ、関係が前進したような気がしていた。

 何かが食い違っていなければ、お互い勘違いをしていなければ──僕は今、少しだけあきに気持ちを伝えられたはずだ。

「……ああ、あと十分くらいで入れ替わりね」

 あきが、おもむろに腕時計を見てつぶやくように言う。

「もうそんな時間か……」

 ……最近、なんだかどんどん入れ替わりの時間が短くなってきている気がする。

 正確に測ってみたわけでもないし、時間にしてみればきっとほんの数分程度なんだろう。

 けれど、毎日そばにいる僕にとっては、その変化はなんだか妙に気になるものだった。

はるのこと、頼むわね……」

「おう、任しとけ」

「──お待たせー!」

 あきにうなずいてみせたところで、ようやくしゆうどうが戻ってきた。

「いやー、トイレ混んでて困ったよー! 待たせちゃってごめんね!」

 ──きっとこいつらは、わざと遅れてくれたんだろう。

 そのことへの感謝を言外ににじませながら、

「……ほんとだよ! 遅過ぎて、ずいぶん話し込んじゃったわ!」

 そう言って、僕らは笑い合うと席を立った。


  *


「へー、こんなところなんだ……!」

 昼前にはるに切り替わり、軽めのランチを食べ終えた午後十二時過ぎ。

 そう言って、はるは到着したアミューズメント施設の中を見回した。

「はじめて来たよ、こういうところ……! ゲームセンターとかにも、あんまり行かないから……!」

 そのわくわくした表情に、そうか、と気づく。

 僕らやあきと違って、はるのお出かけは今はじまったばかりなんだ……。

 ──ここはゲーム機やプリントシール機だけでなく、ミニバイクのコースやバスケ、テニス、フットサルのコートや、バッティングセンターまで兼ね備えた複合型のスポーツ施設だ。

 どちらかというと身体からだを動かすのが好きなメンバーが多かったことから、今日の行き先はここに決まったらしい。

 どうは中学のときラクロスを、しゆうはバスケをやってたみたいだからな。

 あきはる人格でないときは体育で活躍しているらしいし、妥当と言えば妥当だと思う。

 まあ、そもそも僕とあきの距離を近づけるという企画なのだから、運動しない僕に合わせた行き先にしてくれてもよかったのでは? という気もするけれど……。

 それから──問題はもう一つある。

「あーでもどうしよう、緊張してきたよー……」

 どうたちが受付をしてくれている間。

 はるがそう言って、そわそわと身体からだを縮こまらせる。

「うまくできるかなー……失敗しないといいなー……」

 今回の外出、最大の山場がここだった。

 日常の会話や授業中の態度に関しては、うまくあきのように振る舞えるようになったはるだけれど──唯一、まだうまくできないのが運動だった。

 そこだけはどうしても自信を持てないのか、ボールが来れば取り落とし、走り出せばつまずき、飛び跳ねれば足をひねってしまうらしい。

 結果、最近ははるの人格が出ているときに体育があるときには見学するなどして、ギリギリキャラを保っているそうだ。

 けれど、そのやり方もどこかで限界が来るだろう。

 だからこそ……今回自信を持って運動できるようになれば。

 あきのようにスポーツができるようになれば、日常生活を送る中で困ることはなくなる。

 完璧に、あきを演じることができるようになる、というわけだ。

「……あ、あれ?」

 ふいに、はるが不安げにこちらをのぞむ。

 そして彼女は──、

「も、もしかして……君、なんか……怒ってる?」

「……へ? 怒ってる? 僕が?」

「う、うん……。なんだか、顔がちょっと……いつもより怖かったから」

「ご、ごめん……そんなつもり、なかったんだけど……」

 むしろ、上機嫌と言ってもいいはずだった。

 ついさっき、ほんの少しあきとの距離を縮められたんだ。意気込んではいるけれど、怒る理由なんて自分では一つも思い付かない。

 ……ただ、

「気にしないでよ、まあきっと、あんまりしない遠出でちょっと疲れただけだと思うからさ」

「……わかった」

 その言葉とは裏腹に、いまだに視線をふらふらさまよわせているはる

 その仕草に──わずかな、ほんのわずかな違和感を覚えているのに気が付いた。

 こんな気持ちになるのは、はじめてこの子の家に行ったあのとき。人格を一つにすることに、疑問を覚えたとき以来だった。

 ひとりの自分であるため、あきに近づく。

 その意味はわかる、やりたいことはわかる。

 気持ちの上では、共感さえしている。

 けれど……なんだろう。

 なぜか僕は、そのことにはっきりと違和感を覚えている。

「……ごめんね、わたしも気にしすぎかもしれないの」

 困ったように笑い、はるはそう言う。

「実は昨日、あきとケンカしちゃって……」

「……ケンカ? あきはるが?」

「うん。久しぶりにあんなに本気でケンカしたから、なんだか、色んなことにびくびくしすぎなのかも……」

 ……聞いていない。

 これまであきと二時間も一緒にいたのに、彼女はそんなこと一言も言っていなかった。

 それに、想像がつかなかった。

 おっとりしたはると、無口で穏やかなあきのケンカ……。

 何が原因でそんなことになったんだ?

 いや、むしろそれ以前に……、

「……二重人格でも、ケンカってすることあるのか?」

「ああ、うん。やっぱり、普通の人のケンカとはちょっと違うんだけどね……」

「どう違うんだ?」

「色々やり方はあるんだけど、今回はノートにお互い色々書いて、言い合う感じになっちゃって……」

「……それはまた、時間がかかりそうだな」

 二時間おきの文通でケンカとは……。

 相手の返事を待つ間、やきもきして落ち着かなさそうだ。

「そうだねー……ふあぁ……」

 うなずくと、はるは口元を手で押さえ大あくびをした。

「だからわたしたち、昨日はほとんど眠れてなくて……」

「……マジか」

 そうか。今朝から体調悪そうだったのは、それが原因だったのか……。

「ああ、でも大丈夫だよ。そこまでつらくはないし……。それに、ケンカの内容も大したことじゃないから気にしないで……」

「……わかった」

 そうは言っても、気になってしまう。

 あきはきっと、意図的にケンカの話を避けていた。

 だからおそらく、その内容は……僕には気軽に言えないことなんだろう。

 ……けれど、今はそれよりも、

「──よし! 受付できたよ! まずはバスケいこうバスケ!」

「……ありがとう。行きましょうか」

 そう言って、慌てて表情を作ったはる

 彼女が──ここで楽しめることを。

 うまく身体からだを動かせるようになることを、しっかりサポートしていかないと。


  *


 週末の昼過ぎ、ということもあって。

 施設内は僕らのような高校生や、大学生の集団。家族連れなどで混み合っていた。

 その隙間を縫うようにして移動し、運良く空いていたバスケのコートを確保。

 2on2で試合をすることになった。

 チーム分けは……どうしゆうチーム対みなチームだ。

 実力差を考えるとベストの組み分けではないだろうけれど、どうやら二人が僕に気を遣ってくれたらしい。

 ただ、その結果──試合は一方的な展開となった。

あき! 頼む!」

「はい……ああ、ごめんなさい!」

 僕が出したパスを──ゴール下で待っていたはるが取り落とした。

 どうして、はるが細かいミスを連発してしまうのだ。

 できるだけ彼女が活躍できるようには配慮しているつもりだ。

 ゴール下辺りにいてもらって、できるだけ僕がそこにボールを回す。

 彼女には、リバウンドとシュートを主に担当してもらうつもりだった。

 けれど……やっぱり緊張しているんだろう。

 以前よりは演技がうまくなったにもかかわらず、その目には時折自信のなさが見え隠れしていて、

「あれー!? どうしたのあき! 体育のときは、もっと動きがいいのに!」

「……ちょっと、チーム編成考え直そうか」

 運動好きの二人には、どうしても違和感を覚えられてしまったようだ。

「もうさー! この際しゆう以外VSしゆうでいこうよ! この人、背が高いからずるいんだよー!」

「あはは、俺はそれでもいいよ」

「そ、そう? じゃあ、それでお願いしようかしら……」

 ということで、バスケ経験者のしゆう対僕ら、という1on3でのゲームに切り替わった。

 今度は、そこそこいい試合になっていたと思う。

 さすがのしゆうも、三人を相手では苦戦もするらしい。

 じわじわと点を取られ、さわやかな笑顔の額に汗をかいていた。

 どうも僕も、ちょうどいいゲームバランスに思わず夢中になる。

 けれど、はるは──楽しめているような表情を見せてくれつつも。

 どうしてもこぼしてしまうミスに、ときどきあせりの表情を浮かべていた。


  *


「うーん、うまくいかないよ~……」

 ここに来てから一時間ほどがち。

 ちょっと落ち着いたのをやろう、とやってきたバッティングコーナーで。

 はるはとほほ、と肩を落としていた。

「なんだか、やっぱり萎縮しちゃうんだよねえ……。これ以上、失敗しちゃうとまずいんだけど……」

 しゆうどうは、少し離れたコーナーでバットの快音を響かせていた。

 ここなら、何を話しても二人に聞かれることもないだろう。

 はるがバットを手にバッターボックスに立つ。

 ピッチングマシンから繰り出されるストレートの投球。

 はるは弱々しくバットを振るけれど──空振り。

「ううう~、どうしよう……」

 泣きそうな顔でそう言って、肩を落とした。

 ──これでも、十分前よりは少々上達したのだ。

 最初のうちは、飛んでくる球が怖くてバッターボックスに立つことさえできなかった。

 なんとかその段階はクリアしても、バットを振るタイミングがわからない。フォームがわからない、と問題だらけ。

 だから、たったこれだけの時間でここまで進歩があったのは、やっぱり彼女のセンスがいいからなのだと思う。

 なんとかしなければいけないのは、

「こんな少人数でうまくいかなかったら、体育の授業なんて成功するはずないよね……」

 失敗を重ねる度に、どんどん落ち込んでいく彼女の気持ちだった。

 隣のバッターボックスに立ちながら、僕は考える。

 どうすれば、彼女が自信を持つことができるのか。

 リラックスして、自分の力を出し切ることができるのか……。

 そして……ふと気づいた。

「……そういえば」

 バットをいじいじといじっていたはるの方を向くと、

「よく考えたら、あれだ……野球は別に、できなくても大丈夫だ」

「……え? どうして?」

「前に昼休みにさ、話題になったんだよ。どうが結構プロ野球も好きで、あきに好きなチームはあるかって聞いたとき、野球は全然見ないし、球技の中でも唯一苦手だって言ってたんだ」

「……ほんとに? 確かに、あの子と野球の話はしたことがないけど……」

「ああ、やっぱり。なんか、ボールは好きなんだけど、ちょっと他の球技と比べても野球って特殊だろ? 棒で打ったり打ったら走ったり……。なんか、それがいまいちぴんとこなくて、全然うまくやれないらしい」

「へえ……そうだったんだ」

「だから、まあここでは別にそんなにがんばらなくていいよ。休憩くらいの感じで適当にやろうぜ。疲れもたまってるだろうし」

「そっか、そうだね……」

 そう言って、はるはほうと息を吐き出した。

「それならまあ、そんなに気負わず適当にやろうか……」

 うなずいて、僕も適当にバッティングをはじめる。

 ピッチングマシンのスイッチを押して、何度か空振りを繰り返しながら……はるの様子を観察する。

 一球目、二球目、三球目はそれまで通り空振りしてる彼女。

 そして四球目で──、

「わっ!」

 ──はじめてボールがバットにかすり、あらぬ方向へ飛んでいった。

「大丈夫か? 顔とか、当たらなかったか?」

「う、うん、大丈夫。でも見た!? 今、当たったよ!」

「ああ、そうだな」

 そう言って彼女に笑みを見せつつ、僕はまた──何気ない振りをして自分のバッティングに戻った。

 ──そこからの、はるの成長はめざましかった。

 あっという間にミート率が上がり。

 ヒット性の当たりが増え。

 飛距離も伸びていった。

 そして──、

「あ、当たった! 君! 二塁打のボードに当たった!」

 十五分もしないうちに、彼女は安定して長距離のヒットを出せるようになっていた。

「へー……すげえな」

 正直、予想をはるかに超えていた。

 上達するかも、とは思っていたけど……まさかここまでとは。

 もうこれは、間違いなく僕自身よりうまいだろう。

 そろそろ明かしてもいいタイミングだ。

「……なあ、はる?」

 ニコニコしながら二塁打のボードを指さしていたはるに、僕は尋ねる。

「どうだ? 自信、ちょっとはついたか?」

「うん! わたしでもこんなに打てるんだなって思ったし、すごく楽しい!」

「そっか、よかった……。で、ちょっと謝らないといけないんだけど……」

「うん?」

「さっき、あきが野球苦手だって言ったの……あれ、うそなんだ」

「……え? そ、そうなの?」

 バット片手に、はるがきょとんとする。

「ああ。あきがあんな話してるのなんて、聞いたことないよ。多分、普通に野球もできるんだと思う。でも、思ったんだ。はるは最初から高いハードルが課せられてるから、なかなかうまくやれないのかもって。だから、一度それを取り払って、楽な気持ちでやれば……実力を出せるんじゃないかって」

 小説でも映画でもマンガでも、王道じゃないか。

 ──たいの天才作曲家と、生真面目な宮廷楽長。

 ──優等生の兄と、劣等生の弟。

 ──伝説の勇者と、平凡な兄弟子の魔術師。

 高過ぎるハードルを前にすると、どんな人間でもその影響を受けずにはいられない。

 嫉妬し、道を踏み外し、自信を失わずにはいられない。

 たとえ、本当は本人にも高い能力があるとしてもだ。

 はるも、それに近いところがあったんだろう。

 あきが何でも器用にこなしてしまうから、それに近づくべき自分には、高いハードルがかされている。

 ならそれを──一時的にも取り去ってしまえば。

 うそでも見えなくしてしまえば──はるは、自分の本来の力を発揮できるんじゃないか。

「……確かに」

 言いながら、はるは自分の手の平をじっと見ている。

「なんだかもう、わたし……普通にできるかも」

「そっか。じゃあまた、試しにバッティングしてみなよ。もう多分、今の段階であきと同じくらいはできるだろうし、気楽にやればいいからさ」

「うん……やってみる」

 そう言って、はるはバッティングボックスに戻りピッチングマシンのスイッチを押した。

 最初の二球は、空振りしてしまう。

 しかし──すぐに勘を取り戻したらしい。

 次で鋭いセカンドライナーを放ち、次いでレフトに伸びていくフライ。

 さらにその次で──三塁打のボード辺りへの長打を放った。

 そしてそのとき、

「──わ、あきすご!」

 通路の方から、どうの声がした。

 見れば──しゆうと彼女はすでにバッティングを終えたらしい、バットとヘルメットを返却して、こちらに様子を見に来ていた。

「今の当たり、すごくない!? あきだよね?」

「あんなに細い腕で、そんなヒット打てるんだね……」

 本気で感心している様子のどうしゆう

 その様子を──はるがちらりと横目で窺った。

 ──さて、どうなるか。

 問題は、きっとここからなんだ。

 僕の前で、はるは自信のなさを克服することができた。

 じゃあ……クラスメイトの前ではどうか。

 その代表である、どうたちの前でも打てるのか──。

 一球目──バッドはチッという音を立ててボールをかすめた。

 ファール。

 二球目──スイングのタイミングがわずかにずれる。

 ストライク。これでツーストライク。

 そして、三球目。

 はるは短くこちらに目をやり、小さく笑ってから──ボールのタイミングに合わせて、バットをスイングした。

 ──響く快音。

 真芯でとらえた打球はぐライト方向へ飛んでいき、

「わ、すごい!」

「ほんとだね! 当たった!」

 ──見事、三塁打のボードに直撃した。

「……よかった、当たったわね」

 はるが振り返り、こちらに小さく拳を握ってみせた。

どうさんたちが見ているから、ちょっと緊張してしまったわ──」


  *


 ──その後。

 僕らは再度合流し、一緒にいくつかのスポーツをプレイした。

 フットサルにテニス、ゴルフにミニバイク──。

 はるが参加できたのは、フットサルまでとミニバイクの途中から。

 その間の時間はあきの人格が出ていたのだけど──少なくとも、その境目をどうたちに怪しまれることはなかった。

 もちろん、はるはそれぞれのスポーツでそれなりに失敗をした。

 最初はつまずくし、ミスもしてしまう。

 けれど、自信を持ってプレイすることを覚えたはるは、すぐにめきめきと上達しセンスのいいプレイをできるようになっていた。

 きっとこれなら──。

 今後、体育の授業でものじすることもないだろう。

 はじめのうちは失敗もするかもしれないけれど、そこから上達する方法を自分で見つけられるはずだ。

 だからこれで、あきに近づくというはるの目標は──おおむねクリアだ。


  *


「──これ、一度乗ってみたかったんだー!」

 ゆっくりと昇っていくゴンドラの中で。

 ガラスの向こうの東京の街に目をやりながら、はるは声を弾ませた。

「わー、観覧車なんていつぶりだろうなあ……。なんだかドキドキする……」

 そう言う彼女の横顔は、足下の商業施設のあかりできらびやかに照らされている。

 窓の外の景色はまさに夕方から夜に移り変わっていく最中で、西の空のだいだいと東の空の濃紺、雲のマーブル模様で複雑にいろどられていた。

 アミューズメント施設を出たのは──十八時前。

 そろそろ日も沈もうか、というころだった。

 たっぷり六時間近くもいたことになるから、全員へとへとだ。

 夕飯前には帰る予定だし最後に乗っておこうという話になり、僕らはこの観覧車までやってきたのだった。

「……ごめんねえ、あきじゃなくて」

 ふいに気づいたような顔になり、はるがそんなことを言いはじめる。

「せっかくのロマンチックな景色なのに、出てるのがわたしでごめん……」

「何言ってんだよ」

 その申し訳なさそうな表情に、思わず笑ってしまう。

はるも大切な友達なんだからいいんだって。今日も本当に楽しかったし……」

「わたしも楽しかったー……あ、あの!」

 と、ふいにはるはこちらを向き、座席にきちんと座り直すと、

「今日は、本当にありがとう! 君のおかげで、自信の持ち方がよくわかったよ。おかげさまで……これからはうまくやれるような気がします」

「そっか……ならよかった」

「あのね、本当に、すごくすごく感謝してるの!」

 手をぎゅっと握り、はるはなぜか必死に主張する。

「はじめて友達と遊びに行けて、これまで生きてて一番ってくらい楽しくて……そのうえ、悩みまで解決できそうで……。ほんと、なんとお礼を言ったらいいのやら……」

「いいんだって。あとは、あきとの件を今後も協力してくれれば……」

「……本当に、それだけでいいのかなあ」

「いいんだよ。ほら、だって僕ら仲間じゃないか。ひとりの人間でありたいって、同じこと思ってる」

「……仲間……」

 その言葉に、はるは乗り出していた身体からだを座席に戻した。

 そして、

「……あの、ずっとさ、気になってたことがあるんだけど」

「うん」

君は、キャラを作っちゃう自分が嫌なんだよね? それがあるから、わたしのこと気にかけてくれるんだよね?」

「まあ、そうだな」

「でも、わたしは……」

 はるは顔を上げると、真面目な顔で僕を見て、

君がキャラを作るの、そんなに悪いことだとは思わないの。二重人格と違って、周りの人を幸せにしてる部分もあると思うし。というか、どうさんもしゆう君も、他のクラスの人たちも、君のその努力のおかげで楽しそうにもしてるし……」

「……どうなんだろうな」

 ため息をつき、僕は頭をガリガリとかいた。

「僕はなんか、そんな風には思えないんだよ。うそをついてる気がするというか、悪いことしてる気がするというか……」

「だよね……。しかも、そういう風に思ってるのに、現に君はキャラを作り続けている……。それって」

 一度言葉を切ると、はるは恐る恐る口を開き、

「……何か、理由があるのかな?」

「……理由?」

「嫌なのに作り続けるようになった理由というか、きっかけというか……」

 と、彼女は突然慌てた顔になり、

「あっ! ごめん変なこと聞いて! 答えたくなかったら、答えなくていいよ!」

「いや、それは別にいいんだけど……きっかけか……」

 確かに、僕は「キャラを作る」ということに対して、過剰なほど罪悪感を抱いている。

 じゃあ、それはなぜなのか。

 そして、なぜそんなに拒否感があるにもかかわらず、僕はキャラを作り続けるのか。

「まあ、思い当たることはあるけど……」

「……聞いてもいい?」

「ああ、いいよ」

 そして僕は、これまで誰にも話したことのなかった中学の頃のことを、順番にはるに説明しはじめた。

「もともと僕は、キャラを作るとか、そういうのがまったくわからないタイプだったんだ」

「うん……」

「いじりキャラ、いじられキャラ。ボケキャラ、突っ込みキャラ。Sキャラ、Mキャラ。オタクキャラ、ヤンキーキャラ……。中一くらいになると、そういうやつらがうちのクラスにも出はじめたんだけど……本来、人間の性質なんてそんな簡単に区切ったり、ラベリングしたりできないはずだろ? なのに、なんでそんなあっさりレッテルを自分にも他人にも貼るのか、それが当たり前になってるのかが理解できなかった」

 テレビなんかで、芸人がそれを演じるのはもちろん理解できるんだ。

 やりとりの役割をはっきりさせて笑いの筋道を作るため、彼らはキャラを演じている。

 物語の登場人物も同様だ。

 キャラが定まることで関係性が明確になり、ストーリーの起伏を作り出しやすくなる。

 けれど──僕らは芸人ではないし、ましてや物語の登場人物でもない。

 なのに、なぜ自分を押し込めてまで、キャラを演じなければいけないのか。

 はるは真剣な顔で話を聞いている。

「そして、それ以上に理解できなかったのが──その『キャラ』によって、許されること許されないことが決まる風潮だったんだ。いじりキャラは、いじられキャラをいくらいじってもいい。むしろ、いじられた側はおいしいと感じるべき。あいつの口が悪いのは毒舌キャラだからで、そこに文句を言ってはいけない。バカキャラが言っていることは、すべてバカ発言だから茶化してもいい──。そういうのが、理解できなかった。そんなはずがないとしか、思えなかった」

 当時は、ぼんやりとした違和感だった。

 今ほど明確に、自分の考えを言語化できていたわけじゃない。

 それでも……いや、だからこそ。そのことに対する拒否感は強烈だった。

「だから──ある日、言ってみたんだ。その頃、クラスの『いじられキャラ』にきついことを言いまくる『ドSキャラ』がいてさ、なんでそんなことするんだって。キャラだからっていじられて傷つかないはずがないし、君の発言の酷さが免罪されるわけではないんじゃないか、って。だいたい、『いじられキャラ』って言われてるやつらの中でいじられるのを本当に喜んでるやつなんて、あまりいないように見えてたし」

「ど、どうなったの……?」

 息をみ、手をぎゅっと握りはるが尋ねてくる。

「もしかして……ケンカとか?」

「思ったほどの強烈な反応は、なかったと思う。ドSキャラにいくらか雑な言葉でののしられて、その場は終わったんじゃないかな」

 それほど鮮明な記憶がない時点で、派手な展開にならなかったことは間違いないだろう。

 いでいた水面が僕の言葉で少しだけ波立って、僕が少し水をかぶって、それでおしまい。

「けど……」

「……けど?」

「なんかそこから、みんながよそよそしくなりはじめたんだよな。はっきりと口に出されたり態度に出されたわけじゃないんだけど……緩やかに、疎外されてったっていうか」

 むしろ、その反応の方をよく覚えていた。

 何が変わったのかは、よくわからない。

 けれど、僕に向けられる視線が、台詞せりふがどこかよそよそしくなり。

 そばにいたはずの友人たちと、いつの間にか距離ができていた。

 急に、教室の温度が下がりはじめたような皮膚感覚。

「……その、ドSキャラの人が、そうするようにみんなに言ったのかな?」

「多分、そうじゃないと思う。みんな、自発的にやったんじゃないかな。言ってみればあれってクラスの共犯関係に反抗したようなもんだったからさ。だから、別に僕に対して悪意を持ってやったわけじゃなくて、割とシンプルに、どうしても輪の中に入れづらい存在になっちゃったんだと思うんだ」

「そっ、か……」

 表情を曇らせると、はるは深く息を吐いた。

「そういうのって……あるんだね……」

「で、今となってはそう思えるんだけど、当時はやっぱまあ……それが結構ショックでさ」

 軽い口調で言ったつもりだったけれど、気持ちが顔に出ていたんだろう。

 はるが気遣わしげにこちらをのぞむ。

「……毎日一緒に笑い合ってたやつらが、遠巻きにこっちを見るようになった。つかず離れずだったやつらが、軽い感じで無視するようになった。そういうのが……うん、正直つらかった。僕の考えは通用しないんだって。みんなにとってはそんなことより、空気を読み合っていることの方が大事なんだって、身をもって思い知らされたことが……本当に苦しかった」

 はるが顔をゆがめ、唇をむ。

 それでも、彼女は潤みはじめた目でじっとこっちを見ている。

「で、高校入ったのをきっかけに、諦めてちょっとキャラを演じてみたら……確かに、人間関係はうまく回るようになったんだ。友達を笑わせられるようになったし、会話もスムーズになったし、うん。確かに、そういうのが楽しいと思うこともあった」

 どうしゆうと友達になれたのが、その一番の収穫だろう。

 本来であれば、あんな人気者で、人間のできた二人と友人になれるようなタイプじゃないのだ、僕は。

 それが、今こんな風に彼らと過ごすことができているのは、キャラを演じたからだ。

 自分のこだわりを曲げて、周りに迎合したからだ。

 しかも……そのことで、僕は誰も傷つけてない。

 これが、僕の選べる最適解のはずなんだ──。

「……それでも」

 窓に頭の重みを乗せ、ともりはじめた東京のあかりに目をやる。

「どうしても、これでいいのかって気持ちは消えないんだ。作ってる自分に対する、自己けんが止まらない。どうしても、ひとりの人間でありたくて、キャラなんて演じたくなくて……」

 そう言うと、僕は視線をはるに向けた。

 なんだか泣きそうな顔で、彼女はじっとこちらを見ていた。

「……だからやっぱり、応援したくなるんだよ。はるを見てると」

「うん……」

はるみたいな女の子には、幸せになってほしい。その願いがかなってほしいと思う」

「……そっか」

 聞き終えると、はるはおなかいっぱい何かを食べたように、深く息を吐いた。

君、そんなことがあったんだね……だから、わたしを……」

「ああ……」

「そっか、うん、ありがとう……。教えてくれて、すごくうれしいよ。ありがとう……」

「こっちこそ、聞いてくれてありがとう」

 ──僕らの間に、沈黙が下りる。

 足下のはるか下、どこからか聞こえてくる遠い音楽。

 風吹く音がゴンドラを包み、僕は窓の外を見ていた。

 大切な友人に心の内を話せた喜び。きっと彼女は、内面を知っても僕に対する態度を変えないだろう。そんな幸せな確信があった。

 もしかしたら……こういう関係を「本物の友達」というのかもしれない。

 本心を打ち明け合える。そしてそれを、受け入れ合える関係。

 なら、はるは僕にとっての、はじめての本当の友達で──。

 そんな存在が目の前にいるうれしさに、誰かのことをそんな風に思えた幸福に、僕はどこかぼんやりしていた。

 だから、

「……ねえ」

 ゴンドラが、ちょうど円周の頂上に達したそのとき。

 彼女が言った言葉の意味を、理解できなかった──。


「……キス、しようか」


「………………は?」

 長い沈黙のあと、僕の口から出たのはそんなマヌケな声だった。

「……あ、ご、ごめん! そういう意味じゃなくて!」

 今さら自分が何を言ったのか気づいたような顔で、はるはわたわたと話しはじめる。

「……あの、あんまりよくはないと思うけど……! わたしの身体からだって、あき身体からだだから! わたしの出てるときで申し訳ないし、あきにも内緒になっちゃうんだけど……この身体からだとそういうことするのって、その……わたしにできるのって、それくらいかなって……」

「……い、いや、そういうことじゃなくて! なんで急に……キ……そ、そんなことを……」

「だ、だって!」

 癖なんだろう、その手をまたぎゅっと握ると、はるは声に力を込め、

「し、幸せになってほしいって、思ったんだもん!」

「……幸せに?」

「うん……」

 うなずくと……はるは必死の表情でこちらを見て、

「さっきの君の悩み、すごく優しいなと思ったの。こういう人だから、わたしも助けてもらえたんだろうなって。だから、友達として……絶対に、この人には幸せであってほしいなって思った。いいことがたくさん起きてほしいって……」

「……ありがとう」

「それで、わたしにできることって、何だろうって考えたの……。あきとの仲を応援するのは当たり前だから、それ以上のこと……」

 そこまで言うと、はるは視線を窓の外にらし、

「なら、わたしの身体からだあきのものでもあるし……できるの、それくらいかなって……」

 彼女はもう一度、視線をこちらに向ける。

 そして──先ほどよりも、はっきりとした意思を込めて、

「だから……キスしようよ」

 そう言うと──はるはゆっくりと目をつぶり、顔をわずかに持ち上げた。

 桃色に染まっていく頰。

 すべてを受け入れるように、その細身の身体からだから力が抜けていく。

 ──遠い東京の夜景のあかりに、はるの顔が照らされていた。

 あきよりも幼く見える、それでも繊細に整った顔立ち。

 リップクリームを塗っているのだろう、薄い唇は潤いつやめき──足下のあかりを宿して、銀河のようにきらめいて見えた。

 ──その光景を前に、全力疾走する馬のように、心臓が鼓動していた。

 まだ夜は冷え込む時期なのに、全身からじわりと汗をかいている。

 ──女の子に、そんなことを言われるのははじめてだった。

 これまでだって、人並みに好きな人もいたし、人並みに告白したいと思ったこともあった。

 けれど、具体的に行動を移したことは一度もないし、移されたことも一度もない。

 だからこれは──自分にとってはじめての、はっきりとした、そういう誘いで。

 しかも、かわいらしいのだ。

 目の前にいるはるは、その身体からだだけ見れば片思いの相手であるあきそのものだ。

 そのことを無視しても、単純に、みなはるはかわいい女の子だと思う。

 友達だから、あまり意識はしないけれど。

 控えめな性格と優しい心根、見た目だって十分以上にきれいだ。

 そんな彼女からの思いがけない提案には、あらがいがたい引力を、流れに身を任せたい誘惑を感じてしまう。

 ──けれど、

「……いや、それは……よくないんじゃないかな」

 必死に欲求を抑え込んで、なんとか、そう答えた。

 はるが閉じていた目をハッと開ける。

「えっと、うん……そう思ってくれたことは、うれしいんだけど……すごくありがたいことだと思うけど。ちゃんとそれは、しかるべき手順を……踏んでから、というか。ちょっと……ずるい気がするというか……」

「……そ、そうだよね! ごめん!」

 我に返ったような表情になると、はるは「さっきのなし!」と言いたげにぶんぶんと手を振る。その顔が、冗談みたいに真っ赤に染まっていく。

「変なこと言っちゃって、その、うん、さすがにダメだよね……あきに申し訳ないというか」

「あ、ああ……それに、はる自身にもよくないだろ、好きでもない男と……。そういうのは、もっと大事にした方がいいというか……」

「……うん、まあ、そうだよね」

 なぜだかふいに、彼女の歯切れが悪くなる。

「そういうことに、なると思う……でも」

「でも?」

「多分わたしは、するの……嫌だと思わない気がする」

 ……言葉を返せない。

 うっかりすれば、その言葉を変な受け取り方で認識してしまいそうで。

 ありもしない彼女の気持ちを、勝手に推し量ってしまいそうで。

 はるは、大切な友達だ。

 だからこそ、彼女の気持ちを勘違いしたり、手前勝手な解釈をしたりはしたくなかった。

「……ごめん、なんでもない。忘れて」

 そう言ってほほえむと、はるは窓の外に目をやる。

「ああ……もう終わりだ」

「……ほんとだな」

 気づけばゴンドラは高度をグッと下げ、あと少しで搭乗口に差し掛かるところだった。

 そして彼女は、どこか寂しげに目を細め、

「……そろそろ、あきに入れ替わるね」

「ああ……」

 言われてみて、もうそんな時間なのだと気づく。

 今日一日、あっという間に過ぎたせいで二人の入れ替わりが妙にめまぐるしかった。

「……楽しかったなあ。すごく……楽しかった」

 嚙みしめるように、そうつぶやくはる

 これで、はるにとって今日の「お出かけ」は終わりだ。

 この子が楽しみにしていた特別な一日は、待ちわびていた今日は、あと数分で終了する。

 そう考えると、なんだか妙に名残惜しくて、

「……また来ようぜ」

 気恥ずかしい気分のまま、僕はそう言った。

「来年でも、卒業してからでも、大人になってからでもいいから……みんなでまた来よう」

 その言葉に、はるは目を細めてから、

「……そうだね」

 口元に、わずかに笑みを作って見せた。

「来れると──いいね」

 その表情は……なぜだろう、少し悲しげにも見えた。

 次に気づいたときにはもう家だ、という寂しさのせいなのかもしれない。

「じゃ、またね」

「……おう」

 うなずくと、はるはほほえみ小さくうつむく。

 そして数秒後──ゆっくり顔を上げ、あきは辺りを見回した。

「……観覧車」

 ため息まじりに聞こえる声で、彼女はそう言う。

「ああ。もうちょっと早ければ、景色見えたかもしれなかったけど……残念だったな」

「ええ、でも仕方ないわ……」

 そう言うと、あきはふいに椅子の上で身をよじり──何かに気づいたような顔になった。

「……どうした?」

「……なんでもない」

 ぶっきらぼうにそう言うと、あきは短く息をつき、もう一度窓の外の景色に視線をやった。


  *


「──夜道だよ!? しかもあきみたいな美少女だよ! 一人で歩かせちゃダメでしょ!」

 どうにそう言われて、あきと帰り道を歩いていた。

 表通りから一本入った、住宅街の中の狭い道。

 通り沿いの家々からは時折ピアノの音やテレビの音、家族の話し声が聞こえる。

 なぜだろう……きっとそんな生活は、僕自身も自宅で送っているはずなのに。

 こうして夜の街で、家々の壁越しに、窓越しにそういうものを感じ取ると、無性に胸が苦しくなる。

 一生触れ合わないかもしれない人々の生活。

 一生触れ合わないかもしれない人々の一夜。

 そんなものに妙に心動かされるのは、隣にあきがいるからだろうか。

 恋をしている、この女の子がいるからだろうか。

 川沿いの道を歩きながら、ちらりと彼女の方を盗み見た。

 つい一時間ほど前「キスしない?」と尋ねた唇──。

 どうしても意識してしまって、気持ちが浮ついてしまう。

 あのときキスしていたら、どうなっていたんだろう……。

 そしてそれは、どんな感覚だったんだろう……。

「──いけそうだったらチューしちゃいな! えぐりこむようにチューだよ!」

 なんて、帰りがけにどうに言われていたのもあって、どうしても穏やかでいられない。

 このタイミングでそういうことを言い出すどうのある種のセンスにも、感心してしまうけれど……。

「……今日は本当にありがとうね」

 ぽつりと、あきがこぼした。

「あの子もうれしかったでしょうね。本当に、君がいてくれてよかったと思うわ。きっと、あの子にとってはじめての、本当に大切な人になったと思う」

「そう、だといいんだけど……」

「これからも、うまくいくんでしょうね。あの子はもっと、器用にわたしを演じられるようになる。はるがいるって気づかれずに、生きていけるようになる……」

「……そうだな」

 ──うなずきながら。

 また僕は、自分の中で違和感が頭をもたげるのを感じていた。

 何かがずれているような。

 正しい道を歩いてきたはずなのに、知らない街にたどり着いてしまったようなこころもとなさ。

 気づけば、僕とあきみな家の前にいた。

「……ねえ」

「ん?」

 彼女はマンションを背にこちらを向き、意を決したように僕を見上げ──、

はると……何かあった?」

「……え?」

 ──反応が一瞬遅れた。

 質問の脈絡がわからない。

君……はると、何かあった?」

 ……それは、一体どういう意味だ?

 なんで急に、そんなこと言い出したんだ……?

 わからない、あきの意図がわからないけれど……頭の中にはるの顔がフラッシュバックする、心臓が緩やかに加速していく。

 そしてさらに、あきは僕の目を見たままで──、

「例えば……観覧車とかで」

 ──きっと、動揺が顔に出た。

「あの子と二人きりだったでしょう?」

「それは、まあ……」

「特に、これまで通りだった?」

「……そうでは、あるけど」

 わけのわからない罪悪感に襲われて、なんとかお茶を濁そうとする。

 けれどあきは、その漆黒の瞳で。

 銀河渦巻く瞳で、すべてを見透かすように僕を見つめ──、


「……キスでも、した?」


 ──取り繕いきることが、できなかった。

 あきは、あそこであったできごとを知らないはずだ。

 僕もはるも「キスしよう」という発言があったことを、誰にも明かしていない。

 どうしゆうにいたっては、そんなやりとりがあったことに気づいていないはず。二人とも、そんなそぶりはじんも見せなかった。

 けれど──なぜだかすべてが見抜かれたようで。

 あのとき覚えてしまった不誠実な胸の高鳴りを感じ取られた気がして。

 僕は──うまくそれに答えることができない。

「……そう」

 僕の表情に、何を読み取ったのだろう。

 あきは──ひどく傷ついたようにその顔をゆがめた。

 切れ長の目に涙がたまり、瞳の中の銀河をにじませる。

 わずかに紅潮し、こわばった頰。何かにすがるみたいに服の裾をつかむ両手。

 そして彼女は、その光景に打ちのめされる僕に。

 強い感情の発露を前に、立ち尽くす僕に──、

「……ごめんなさい」

 ──大罪を告白するように、こう言った。

「わたしはきっと……全部めちゃくちゃにしてしまう」




第四章【芒の中の捨て鏡】



 ──違和感を覚えたのは、翌日の午前中のことだった。

「……あれ?」

 一時間目の終わった休み時間。

 三つ前の席に腰掛け、文庫本を読んでいるあきを見て──僕は小さく疑問を抱く。

「……なんで今、あきが出てるんだ?」

 ──はるによるあきの振りが上達した今も、僕は表に出ている人格がどちらかなんとなく見分けることができていた。

 もちろん、ほとんどの人にはただの「みなあき」にしか見えないだろう。

 けれど僕は、表情の癖や小さな仕草や声色から、あきはるの違いを見つけ出すことができる。その精度にも、結構自信があった。

 そして、本来このタイミングははるが出ているはずだ。

 つい五十分ほど前、授業の直前に彼女はトイレに立ち、はるに入れ替わって戻ってきたばかりなのだ。まだ、あきに変わるにはずいぶん時間がある。

「……勘違いか?」

 もしかして、二人を見分ける勘が鈍ったんだろうか。

 お台場での一件もあったし、はるのマネが予想以上にレベルアップした可能性もある……。

「……まあ、なら仕方がないか……」

 ──わたしはきっと……全部めちゃくちゃにしてしまう。

 昨日の夜、あきに言われた言葉の意味を、僕はいまだに理解できないでいた。

 めちゃくちゃとはどういうことなのか、なんでめちゃくちゃになってしまうのか。

 そもそも、「キスでもした?」なんて聞いてきたのもいまいちせない。

 ……とはいえ。

 今さらあきに「あれ、どういう意味だ?」なんて尋ねるわけにはいかない。

 だからそれを、今日のうちにはるに相談してみたかったんだけど……。

「……でも、まだチャンスはあるしな」

 時計を見上げて、僕はそう思い直した。

 下校するまで、あと六時間近く。

 それまでに、はると話す機会なんていくらでもあるだろう。

 一人息を吐き出すと、僕は机に手を突っ込み二時間目の授業の準備をはじめた──。


 けれど──引き続き彼女の様子を窺うにつれて、疑問は確信に変わっていく。

「……もう入れ替わるのかよ」

 四時間目の授業中、顔を伏せこっそりあきと入れ替わるはる──。

 やっぱり、どう考えてもタイミングがおかしい。

 あきがこれまで通り、二時間近く人格が続いているのに対して……はるだけ、一時間もたないうちに入れ替わりが発生しているように見える──。

「……なあ」

「……ん? 何?」

 昼休みが過ぎ五時間目が終わり。

 廊下の片隅で、僕はようやくトイレ帰りのはるを捕まえることができた。

 周りに人もいないのに、念のためあきの振りをするはる

 けれど僕は、今さら部室に行くのももどかしく、単刀直入に尋ねる。

「なんかはる、人格の出てる時間、短くないか……?」

「……ああ」

 はるは困ったように眉を寄せると、

「……あはは、気づいた?」

 そう言って、小声で笑った。

「うん、なんかね……昨日の夜くらいからそんな感じで……」

「……マジかよ、大丈夫なのか? それ」

 彼女たちと出会ってから、こんなことははじめてだった。

 入れ替わりのタイミングが変わることはあったけど、二人の出ている時間は平等で。

 それがこんなに差がつくなんて、どうも嫌な胸騒ぎを覚えてしまう。

「多分、大丈夫じゃないかなあ……」

 けれど、はるはいまいち危機感のない顔だった。

「これまでも、結構入れ替わりの時間は変わったし……」

「……二人の出てる時間に差がつくこともあったのか?」

「うん。あったような気がする……」

「そう、なのか……」

 答えながらも、むしろ僕の中で疑問はふくれあがりつつあった。

 なぜかわざとらしいほどに、落ち着いているはる

 もしかして、僕に何かを隠そうとしているんじゃないのか……?

 本当は、自分の身に何かが起きているのを、感じ取っているんじゃないか……?

 けれど、それを口に出す前に、

「……あ、ごめん。そろそろ授業はじまりそう」

 腕時計を確認しながら、はるはそう言う。

「教室行こう? 遅れちゃうよ?」

「……あ、ああ」

 うなずいて、はると並んで歩き出す僕。


 そして──そのとき感じていた胸騒ぎが勘違いじゃなかったことを、僕はすぐに思い知ることになる。


  *


「──ですから、この時代の小説を読むに当たっては『近代的自我』というものを押さえておくと面白いかもしれませんね」

 午後の授業にもかかわらず、教室内に居眠りをしている生徒は見当たらなかった。

 それはこのクラスの生徒たちが勉強熱心だから、というよりは、壇上で話している現代文教師、先生の力量によるところが大きいんだろう。

「今の感性で見れば最低の不誠実男、という風にしか思えないかもしれません。わたしも、高校のときに『舞姫』を読んでずいぶんと腹を立てたものでした。けれど、近代的自我、という概念を学んでからは……いえ、やっぱりダメですね。それでもどうしても、とよろうのことは好きになれませんでした」

 生徒たちから小さく笑い声が上がる。

 昨年から担任を受け持ってくれている先生は、現在二十七才。

 生徒目線で見た印象は「小柄でミステリアスな元文学少女」といったところだろうか。

 とはいえ決して取っつきづらくはなく、授業のわかりやすさや生徒思いな性格もあって、基本的には「話のわかる美人教師キャラ」みたいな扱いを受けている。

 うわさでは、長年付き合っている彼氏との結婚を控えているらしい。

 それを聞いた一部男子生徒が、ショックのあまり学校を休むなんて事件もあったそうだ。

「では、次の段落から読んでもらいましょうか。……こちらの列の人たち、順番に読んでください」

 そう言って、先生は教室廊下側の列を──僕とあきはるの席がある列を指定する。

 そのとき、彼女がちらりとあきの方を見たのは……きっと気のせいじゃないだろう。

 どうも先生は、転校生であるあきをずいぶんと気にかけている様子だった。

 ホームルームの合間や授業の前後に話しかけるところをよく見かけたし、僕やどうしゆうに彼女の様子を聞きに来ることもあった。

 だからもしかしたら──こうやって彼女を当てるのにも、なにかちょっとした意図があるのかもしれない。

 先頭の生徒が立ち上がり、たどたどしく朗読をはじめる。

 顔を上げ、あきたちの席を見ると、今表に出ているのははるらしい。

 さっき廊下で話したとき、彼女は入れ替わった直後のようだったから……あきに替わるまではさすがにまだ時間があるだろう。

 朗読の番を控えたはるにも、あせりの様子は見られなかった。

 ある程度の長さの朗読を終えたところで、先生の指示で役割が後ろの生徒に回っていく。物語の中で、とよろうしようすいしたまま街をはいかいする。

 そして、

「──ではここまで。続きをみなさん、お願いします」

「はい」

 順番が、はるに回ってきた。

「──一月上旬の夜なれば、ウンテル・デン・リンデンの酒家、茶店はお人の出入盛りにてにぎわしかりしならめど、ふつに覚えず──」

 教室に鈴の転がるような声が響く。先生が、うれしそうな顔ではるを見ている。

 ほんの少し前は、はるはこんなとき、何度もつっかえどもってしまっていた。

 部室でも、何度朗読の練習をしたかもわからない。

 けれど──今の彼女の口調によどみはない。

 はたから見れば、あきとの区別なんてどうしたってつきっこないだろう。

「──我脳中にはただ々我は免すべからぬ罪人なりと思う心のみ満ち満ちたりき──」

 そんなはるの声をどこかここく思いながら、僕は手元の教科書に視線を落とした。

 そのうち、朗読の番は自分にも回ってくる。どの辺りを読むことになるのか、今のうちに見当をつけておきたい──。

 しかし──。

「──四階の屋根裏には、エリスはまだねずとぼしく──」

 ──そこまで読んだところで、はるははたと口をつぐんだ。

 教室にふいに下りた、不自然な沈黙。

 反射的に顔を上げ、椅子から身を伸ばしはるに目をやった僕は──、

 彼女の表情に──がくぜんとした。

 ──

 できの悪い人形のような、何の気持ちも読み取ることの出来ない表情──。

 ──入れ替わりだ。

 このタイミングで──入れ替わりがはじまった。

 そして、直後。

 彼女の顔に浮かび出すきようがくの色。

 入れ替わったばかりの彼女は──あきは教科書から顔を上げ、辺りを見回し──事態を把握した。

 あせりに顔がこわばる。

 目を見開き、その場に立ち尽くす──。

「……みなさん?」

 異変に気づいたらしい。先生の声に深刻な色が混じっていた。

「どうしたの……? 体調悪いの?」

「いえ、その……」

 口ごもるあき

 青白い頰に、一筋冷や汗がこぼれる。

 教室にも、小さくざわめきが広がっていく。

 そして彼女は、何もできないまま唇をみ──。

「──ああ、もしかして!」

 ──ふいに、先生が妙に明るい声を上げた。

「この先の……次の漢字が読めなかった?」

 見れば彼女は、その顔にぱっと笑みを浮かべ、

みなさんにしてはめずらしいですね。これは『けいぜん』と読みます。だからこの五行目は『けいぜんたるいつせい』ね。じゃあ改めて、そこから朗読してもらえるかしら?」

 そのフォローで、自分がすべきことを理解できたらしい。

 あきはじっと教科書を見つめてから額の汗を拭い、

「……は、はい。すみません」

 もう一度、朗読をはじめた。

「──けいぜんたる一星の火、暗き空にすかせば、あきらかに見ゆるが、降りしきるさぎごとき雪片に──」

 どうやら、危機は脱することができたらしい。

 ほっと息をつきながら時計を見上げると……時刻は十五時十五分頃。

 さっきはるに入れ替わってから、まだ四十分ほどしかっていなかった。

 ……改めて思う。

 やっぱりどう考えたって、何かが起きているとしか思えない。

 あきはる二人に関わる、重大な何かが。

 あきにも、はるにとっても予想外のできごとが──。

 なら、僕は──。

 朗読を続けるあきの背中を見つめながら──僕は胸の内で小さく決心を固めた。


  *


「──あの……ちょっと聞きたいんだけど」

 十六時過ぎ。

 昇降口に向かう廊下の隅で、僕は一人帰ろうとしているあきにそう声をかけた。

はるのこと……今日、あいつに起きてること……」

 昨日あんなやりとりをしておいて、こんな風に話をするのには抵抗があった。

 僕はいまだに、あきの考えていることがわからない。

 彼女の台詞せりふの意味を、まったく推し量ることができていない。

 けれど──もう悠長なことを言っている気にはなれなかった。

 気まずい思いをするのもしょうがない。それでも、二人に何が起きているのかを知りたい。

 あきはうつむき、言葉を返さない。

 僕は彼女に質問を続ける。

「……はるが出てる時間、短くなってるよな。しかも……一日の中で、どんどん短くなってる。朝は五十分くらいで、さっきは四十分もなかった」

 あきは言葉を返さない。

「その……なんでもないんならいいんだけど、ちょっと心配で。あきにとっても予想外だったみたいに見えたし……。だから、もし何かわかることがあるなら……教えてほしい。もしものことがあったら、その……心配だから」

 ──できる限りの本心を込めたつもりだった。

 二人のことが気にかかっていて、可能なら力になりたいと。

 そんな意思を、きちんと含ませたはずだった。

 ──なのに。

「……」

 あきはうつむき、黙りこくっている。

「……なあ、あき

 返事はない。

「……なんにも、教えてくれないのかよ……」

 あきは黙っている。

 下校時間を少し過ぎ、誰もいない廊下の隅。

 言葉はおろか何の感情も返してくれない彼女──。

 ──ぐらりと腹が熱くなって、いらっている自分に気づく。

 これまでも、僕はあきに何度も声をかけてきたつもりだ。

 困っているなら力になりたい、よければ僕に打ち明けてほしい、と。

 なのに──あきは結局何も言わない。

 ただものげに、黙りこくっているだけ。

「……そうかよ」

 深いため息と一緒にそんな言葉が漏れて、そのとげとげしさに自分でも少し驚く。

 けれど──もう止まらない。

「またあき……話してくれないのか。そうやって、一人で黙ってるのかよ」

 気持ちが読めない不安が、踏み込ませてもらえない寂しさが、攻撃になって口からこぼれていく。手前勝手な怒りだという自覚を、額の熱が塗りつぶす。

「じゃあもういいよ。あきには聞かねえよ。勝手にしろよ」

 吐き捨てるようにそう言って、昇降口に向かって歩き出した。

 言葉を乱暴に吐き出した自分への動揺と、否定できない少しのカタルシス。

 手が震えて身体からだが汗ばんで、頰をでる空気が冷たい。

 そして──、

「……?」

 制服の袖が引かれた。

 振り返ると──あきが僕のブレザーをつかみ、うつむいていた。

「──っ!」

 ──小さく息をむ。

 日焼けした肖像画のように、真っ青になった肌。

 しようすいしきって力のない目。

 頰は緊張からか、硬くこわばっている。

「……そうよね」

 あきはぽつりとそう言った。

君、怒るわよね……わたしだって、そうだもん……誰だって、そうに決まってる」

 指一本でも触れれば、崩れ落ちそうな彼女。

 そんなあきを前にして、僕は声一つ上げることができない。

「ごめんなさい、全部わたしのせい……」

 そしてあきは──。

「……消えちゃうの」

「え……?」

 蒼白の顔を上げ──ひどくかすれた声で、僕にこう告げる。


はるは……もうすぐ消えちゃうの」


  *


 下校時間を過ぎ、学校を追い出されやってきた公園で。

 入れ替わったばかりのはるは、いつも通りのやわらかい表情を浮かべていた。

 そして僕は──頭が真っ白になった僕は、彼女にどんな顔をすればいいのかわからない。

 泣けばいいのか、笑えばいいのか。

 真面目な顔をすべきか茶化してみせるべきか。

 そもそも、わかったところでそう振る舞えるわけでもなくて。

 ただ唇をみながら、僕はじっと彼女を見ていた。

「……あー、あき、言っちゃったんだねー」

 安っぽい街灯の光に照らされ。

 経緯を聞いたはるは、いたずらが見つかった子供みたいに小さく笑う。

「まあでも、さすがにこうなったら隠せないよね。うん。しかたないかー……」

「……本当なのかよ」

 からからに渇いた喉で、僕はすがるように尋ねる。

はるが、消えるって……何かの間違いってことは、勘違いってことはないのか……?」

 身体からだ中から、嫌な汗があふれて止まってくれない。

 手も足もひどく震えていて、ややもすればその場に崩れ落ちてしまいそうだった。

 そんなわけないじゃん! だとか。

 冗談だよそんなの! だとか。

 本当は、そんな答えを期待していたのだ。

 なのに、

「……うん。この様子だと、そうみたいなんだー」

 ──やっぱりインフルだったー。

 ──骨ひび入っちゃってるってー……。

 そんな言葉が続きそうな軽さで、はるは言う。

「このまま出られる時間が短くなって、わたし、消えちゃうみたい」


  *


「──もともと、本当は……遅かれ早かれ、という話、だったの……」

 二人しかいない放課後の部室で、僕の向かいの椅子に腰掛け。

 酷く混乱した様子のあきは、青い唇でしどろもどろに言葉をこぼしていく。

「わたしの家の問題、去年には……解決したから。二重人格の理由も、そうじゃなきゃいけないわけも、なくなった……。だから、短くなってるの、時間……入れ替わりの、時間も……」

「……あ、ああ」

 冷静さを失ったあきに動揺してしまって、僕は不格好にうなずく。

 はっきりと計ったわけではないけれど、彼女たちの入れ替わり時間が短くなっているのには勘づいていた。

「二重人格になったときには、二百十一分で……君と出会った頃は百三十一分で……出かける前にはもっともっと短く……百九分くらい……」

「……そ、そんなに……短くなってたのかよ」

 改めて数字にしてみて、僕はなぜだかぞっとする。

 きっとその数字は……何かのカウントダウンなのだという、はっきりとした予感。

 そして、案の定──。

「この、数字が減って……時間が短くなりつづけて……最後に0分になったとき──」

 そう言うと、あきはスカートの裾をぎゅっと握る。

「──二重人格は終わるって、はるは……消えるって……言われてて……」

 ──衝撃に、頭がぐらついた。

 景色が揺れて、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。

 ──消えると言われていた。

「……マジ、か。最初から、そんな……」

 端的で残酷な、その結末。

 僕の知らなかった、二人の未来。

 言葉にしたそれは、当のあき自身をも貫いたようで、

「……何度も、聞いたんだけど」

 続ける彼女の声は、酷く震えていた。

「主治医に何度も、確認したんだけど、これだけはどうしようもない……そもそも、人格が分かれているのが、不自然なことだから……いつか終わる、原因がなくなれば、それは終わるって……そんな風に、言われて……」

「そう、なのか……」

「……だから、思ってたの。はるには……あの子の人生を生きて欲しいって」

 秋玻はスカートを握る手に、ぐっと力を込める。

「楽しんで、友達を作って……恋、も、したり、して……短い時間でも、幸せに生きて欲しい。なのに……あの子隠れるんだよ! わたしの振りするんだよ! そもそも、自分はいてはいけないんだって……。何回説得しても、何回ケンカになっても、ずっと、ずっと……」

 はじめて明かされた事実に、自分の中でくすぶっていた疑問が解けていく。

 あきの振りをしようとするはると、そしてそれに、どこか乗り気でない様子だったあき──その裏側にあった、信じがたい経緯。

 お台場の前日にしたというケンカも、このすれ違いが原因だったのかもしれない。


  *


「……じゃ、じゃあ、『ひとりのわたし』でありたい、っていうのは!?」

 ふいに気づいた疑問に、思わず声が大きくなる。

「言ってたよな? あきに近づけば人格は一つになるって。だから、あきのマネをするんだって。あれはなんだったんだよ!」

 そうだ──はるとはじめて話したあの日、そう言っていたじゃないか。

『ひとりのわたし』でありたいから、はるあきの振りをするのだと。

 自分という存在を隠すのだと。

 だからこそ、僕ははるに友情を覚えたのに……。

 いつかはるが消えてしまうのだとしたら、あの話は一体なんだったんだ──。

「ごめん……うそ

 小さく答えて、はるはうつむいた。

「『ひとりのわたし』でありたいのは本当だよ。けど……わたしがあの子に近づけば、人格が一つになるっていうのはうそ。ごめんね、本当のことを言ったら、驚かれちゃうかなって。もしかしたら、引かれて、距離を取られちゃうかなって……」

 そう言って、はるは顔を上げこちらを見ると。

だましてごめんなさい……。しかも、わたしの手伝いまでさせちゃって、本当にごめん……」


  *


「──でもまだ、0分には時間があったじゃないか!」

 ほんの少しでもすがりつける場所がほしくて。

 僕はみっともなく、そんな声を上げる。

「お台場行くまで百九分ってことは、まだまだ時間はあるんだろ!? すぐ消える、ってわけじゃないんじゃないか?」

「……そうなの。本当は……そのはず、だったのに……」

 そう言って、あきは破れそうなほどに強く唇をんだ。

「先生にも……数ヶ月……長ければ半年くらい、持つって……」

「じゃあなんで! はるはもうすぐ消えるんだよ!」

「短く、なってるでしょ? 時間……あの子が出ている時間……」

「ああ……」

「それは……」

 そう前置きすると、あきはこれまでになくその声を震わせ、

「……二人の中で……わたしたちの中で……気持ちが強くなり過ぎたからなの」

「どういう気持ちが」

 その問いに、小さくうつむくあき

 そして彼女は、僕の方を見ないままで──、


「──はるを……否定する気持ちが」


 ──殴られるような衝撃を、身体からだ全体に覚える。

 はるを、否定──。

 それが、二人の中で強くなり過ぎた──。

 それは……つまり。

 はるが、はるを──。

 あきも、はるを──。

「これまでは……わたしが言ってきたの。あなたが必要だって。あなたに幸せになってほしいって。どれだけ、あの子がどれだけ自分を否定しちゃっても、わたしが、それを、何回も打ち消して」

「……うん」

「けど……けど。……今は、もう……そうじゃない……。だから、もう、この調子だと、持って数日……ほとんど時間がない……」

「……あきは」

 自分の声が遠くから響くような気がしていた。

 現実感も、実感もない、悪夢の中をさまよっているような感覚。

「本当に、はるが大切だったんだよな? ずっとそばにいてほしいって思ってたんだよな?」

「……うん」

「……じゃあ」

 そして僕は──ナイフを突き立てるような気分で。

 彼女の気持ちを深くえぐるのをはっきりと感じながら、あきに尋ねる。

「それがなんで……今、はるを否定するんだよ」

 それが──どうしても理解できなかった。

 いつくしむような顔で、はるについて語っていたこの子が。

 うそをついてまで、はるを守ろうとしていたこの子が。

 なぜ──はるの存在を否定するのか。

 そして──、

「……言えない!」

 あきが見せた反応に──僕はおののく。

「言えない! そんなの、絶対に言えない!」

 ふいに涙をボロボロとこぼし、両腕で自分の身体からだをひしと抱きしめるあき

 その顔は、恐怖なのかあせりなのか、悲痛にゆがんでいた。


  *


「……本当に、どうにもならないのかよ」

 ベンチの上で頭を抱えた。

 口からこぼれるのは、ひとりごと以下の感情の垂れ流しだ。

「なんでそんな……はるがそんな目に遭わなきゃいけないんだよ」

「……最初から、わかってたから」

 はるは気づかうような笑みを──こんなときに、僕の気持ちをおもんぱかるような笑みを浮かべる。

「わたしが生まれてすぐの頃から、いつか消えるってことはわかってたからね。わたしはあきを守るためだけに生まれて、その役目は終わったんだもん。これはもう、仕方ないことだよ……」

「そんな……仕方ないなんて……」

「……あ! それにこれは、本当に勘違いしてほしくないんだけど。あきは、本当に本当にわたしを大事にしてくれてたんだよ? 最初から今までずっと、わたし以上に悩んでくれてるし。しつこくお医者さんに話聞いて、色んな本を読んで調べて……二重人格だってことがわかったときには、それまでの名前まで捨てちゃったし。よくがんばってくれたなって、感謝してるよ」

「……ちょ、ちょっと待った。名前を?」

 はじめて聞く話に、思わず問い返した。

「捨てたって……どういうことだ?」

「ああ。んとね、あの子とわたしはそれぞれ一人の人間なんだから、これまでの名前を名乗るのはおかしいって。新しく、あきはると名乗ろうって提案してくれたの」

「……え、じゃあその……」

 理解が追いつかなくて、追いすがるようにして僕は尋ねる。

みなあきって名前は……戸籍上の本名じゃなかったのか?」

「うん、そうだね。最初はわたしも反対したんだ。やっぱり、メインの人格はあくまであの子だから……わたしは、あの子の身体からだの中にぽこって生まれちゃっただけだから。これまで通りの名前を使ってよって。でも、あの子はすごく反対して……」

「……じゃあ……本当はなんて名前なんだよ」

 目の前にいるはるが──これまでとは違う誰かのように感じられていた。

 想像もできない境遇を過ごしてきた彼女。

 自分が消えると知って、それでも気丈に生きてきた女の子。

 僕はその本名さえ知らなかった──。

 ならせめて、本当の名前を知ることで彼女の存在をつかんでおきたかった。

 なのに、

「……ごめん、それは言えないよ」

 本当に申し訳なさそうに、はるは小さく唇をむ。

「あの子がそうするって決めたから……二人でいるうちは、前の名前は名乗らないって決めたから。ごめんね、隠し事は、あんまりしたくないんだけど……」

「……そう、か」

 一人だけ置き去りにされた感覚に、肩を落としてしまう。

 僕は結局──二人にとって家族でも何でもなく「友人の一人」でしかない。

「一応学校には、全部明かしてあるんだよ。二重人格のことも、それぞれの名前のことも。まあ、知らされているのは校長先生、教頭先生、養護教諭と学年主任……あとは、先生くらいだけど。特に、先生には見えないところでよくフォローしてもらってて……」

 それを聞いて、今日の先生の対応の早さにも納得がいった。

 全部知っていたから……あんなに的確なフォローができたのか。

「ごめんね? こっちの都合で、こんな暗い話に巻き込んじゃって……」

「そんな……そんなことはいいんだよ! それよりも! それよりも……」

 ──はるは、悲しくないのかよ!

 そう尋ねそうになって、慌てて口をつぐんだ。

 すべてを受け入れているような表情のはる

 慈愛さえ感じさせるほほえみ。

 けれど──悲しくなかったはずなんて、ないじゃないか。

 気弱なこの子が、自分が消えるなんて事実を突きつけられて、苦しまなかったはずがないじゃないか。

 ──仕方ない。

 そんな風に思えるようになるまで──はるはどれだけ泣いたのだろう。

 そのとき彼女のそばにいなかった僕に、彼女と一緒に消えることのできない僕に──はるの覚悟を、どうこう言う資格はない。

「……だったら!」

 反射的に、ベンチから立ち上がった。

「せめて、もう二重人格を隠すのやめよう! 残りの時間、はるはるとして生きていけばいいじゃないか! あきのマネなんかすることないだろ!」

 はるが僕の顔を見上げる。

 妙に落ち着いた──穏やかな表情で。

「きっと、どうだってしゆうだって……他のやつらだって受け入れてくれるよ! だから、今から本当のことを話せばいいじゃないか!」

「それは……できないよ」

「どうして!」

「だって、そんなこと知らされたら……みんな、困っちゃうでしょ? もしもわたしのこと、友達だと思ってくれたら……いなくなるとき、悲しむかもしれないでしょ?」

「そんなのどうでもいいだろ! それに……」

 やっぱり僕は、どうしても納得できなかった。

 このままはるに消えてほしくない。

 誰にも知られないまま、ひっそりいなくならないでほしい。

「……それに、僕には教えてくれただろ! 明かしてくれただろ、二重人格だって! だったら、他のやつらにだって、明かしてもいいじゃないかよ!」

「……それは、そうだね。君には話しちゃった。ごめん、ちょっと意地悪だったかも」

「……意地悪?」

「うん、そうだよ」

 視線を落として、はるは小さくほほえむ。

「だからね……本当はわたし、思ってるの。わたしがいなくなったとき──君だけは、傷ついて、悲しんでくれればいいなって」

 心臓が一拍、鈍い痛みを伴って鼓動した。

 泣き出しそうになって、僕は必死でそれをこらえた。

「わたしがいなくなったあとも、君だけはわたしのことをずっと覚えてて、ときどき寂しがってくれるといいなって思ってる。一生そうであってくれればうれしいし……それだけあれば、十分わたしは幸せかなって……」

 ……おひとしにしか思えなかったはるが。

 どこか危機感がなくて、お気楽に暮らしているようにしか見えなかったこの子が。

 そんな気持ちを抱えていたことに、僕はただ打ちのめされていた。

「だからやっぱり、あのときキスしておけばよかったなあ……」

「……どうして」

「そしたら、君に一生ものの傷をつけられたでしょ? ……ごめんね、傷つけたいなんて、友達失格だね」

 ──もう、僕にできることは残されていなかった。

 彼女を止めることも説得することもできず、ただマヌケにそこに立ち尽くして、見ていることしかできない。

「ということで……おしまいにしようか」

「……何を?」

「友達を」

 ──ついに、声を上げることすらできなくなった。

「これ以上、君に迷惑かけられないよ。もう、今まで通りでいることなんてできないでしょう? わたしにどう接すればいいかなんてわからないでしょう?」

 僕は声を上げられない。

「あ、わたしは大丈夫。残念だけど仕方ないし、これまでの思い出だけで十分だよ」

 僕は声を上げられない。

君には、感謝してる。おかげで楽しかったよ」

 そう言って、はるは立ち上がる。

「でも、だからここでお別れです。これまで友達でいてくれて、ありがとうございました」

 そして、小さく笑って手を振ると、

「──ばいばい」

 振り返り、彼女が公園を出ていく。

 その背中が、曲がり角を曲がって建物の影に消える。

 それでも──。

 それでも僕は──声一つ、上げることができない。


  *


 ──そして、それから三日後。

 先生が、朝のホームルームで。

 暗い表情で目を伏せ、みんなにこう報告した。

「──みなさんが、今週をもって転校することとなりました」




インターミッション【ビザール・ラブ・トライアングル】



「……マジでどうしたのさ」

「俺もさすがに、心配なんだけど……」

 人目につきにくい廊下の隅で、どうしゆうに問い詰められていた。

「だってもう、丸二日くらい、あの子と口きいてないよね?」

「もしかして、お台場で何かあった? 俺たちの知らないところでもめたとか……」

 二人とも、ひどく心配そうな表情だ。

 けど……それも仕方がない。

 自分たちと遊びに行った直後、それまで仲良くしていた友人同士が会話をしなくなり。あからさまにお互いを避け出しているんだ。

 気にするなという方が無理があるだろう。

 特に友達思いのこの二人だ、責任を感じているところもあるのかもしれない。

 けれど僕は、そのことを踏まえた上で──それでもこう言う。

「……まあ、気にしないでくれよ」

 顔に得意の作り笑いを浮かべ、口調もあくまでいつも通りで。

「一時的なもんだし、深刻な話じゃないからさ」

「……ほんとに? なんか、そんなレベルに見えないんだけど?」

「ほんとだって。ちょっとケンカして、仲直りするタイミング窺ってるだけだから」

「……それならいいんだけど」

 もちろん、うそだった。

 仲直りだとかタイミングだとか、そんな状況じゃない。

 僕らはもう、どうしようもない現実を前に──一歩だって動き出せなくなっている。

 教室に戻り、次の授業を受ける。

 還暦直前の津村先生の英語の授業は退屈で、なんとなくはるの方に目をやる。

 それはほとんど無意識のことで、ほんの数秒のことだった。

 なのに──、

「……!」

 ──ちょうど、彼女は小さくこちらを振り返り、視線をこちらに向けているところだった。

 慌てて目をらすのと同時に、彼女も顔を前に向ける。

 どうしようもない苦しさに、胸が張り裂けそうになった。

 ──ばいばい。

 そう言った、はるの表情を思い出す。

 これまで、いくつものはるの顔を見てきた。

 交換日記をやると決めたときの顔、僕の前で入れ替わったときの怒り顔、お台場のことを調べる幸せそうな顔。

 それを、今になって──ばいばいだなんて。

「本当に……このまま終わるのかよ……」


  *


 君とキスをする夢を見た。

 きつく抱きしめられて、その腕の中にすっぽりと収まって。

 とても穏やかな気持ちで、唇を重ねる夢。

 目が覚めたわたしはひどく混乱したし、どうしようもない自己けんに陥った。

 こんなときに、わたしは何を考えているんだ。

 はるをこんな状況に追い込んで、あんな夢を見るなんて……。

 休み時間。

 振り返ると──いつもの席で、君はどうさんしゆう君を含む友達グループと話していた。

「なー、お前ああいうの好きだったよな? すれ違いコントみたいな」

「あー確かに! 前マネしてたよね!」

「……っておい! 聞いてるー?」

「……あ? ああ!」

 そこで、ようやく彼は顔を上げ、

「ご、ごめん、ちょっと今、ぼーっとしてて」

 彼のその台詞せりふに、周囲のメンバーが沸いた。

「おいおい、どうしたよお前ー!」

「ほんと変だぞなんか!」

「い、いやあ……ちょっと寝不足で……」

 そんなことを言いながら、ぼんやりと頭をかいている彼。

 彼があんな調子なのは、やっぱりはるのことが気になるからなんだろう。

 彼にとってかけがえのない、はるという存在のこれからが……。

 わたしが奪ってしまう、あの子の未来が。

 ──そこで、ふと気が付いた。

 あの夢は、君とのキスは……わたしでなくあの子が。

 はるが見ていた夢だったのかもしれない。

 これまでも、寝ている間にお互いの夢がごちゃまぜになってしまうことがあった。

 ファンシーなぬいぐるみの夢やかわいい服の夢。

 驚いて目が覚めはるに聞いてみると、ちょうどそれが彼女のほしいものだった、ということが。

 だから、今回もそうだとすれば──すべて納得がいくような気がした。

 きっとはるは。

 今も、君のことを──。

 ──なら、とわたしは思う。

 こんな自分が、はるにかけられる言葉なんてない。

 あの子に合わせる顔もないし、身体からださえ共有していなければ、本当はそばにいる資格もないんだ。

 なら──どうか。

 どうか、誰か──。


  *


 その夢の感触を、今でもはっきり覚えていた。

 彼の温かい体温。背中に回された腕の力強さ。

 夢の中で、彼がどんな顔をしていたのかは、うまく思い出せない。

 けれど、やわらかい唇の感触と、それを幸せだと感じた気持ちは、今もありありと思い出せて──、

「……!」

 ──授業中、ちらりと振り返って、目が合ってしまった。

 ……ような気がした。

 慌てて前に向き直り、誰にもバレないようにため息をつく。

 もしかしたら、わたしは他の女の子に比べて……ちょっとはしたないタイプなのかもしれない。

 もう話さなくなって何日もつのに。

 気持ちの整理もできたはずなのに。

 もともと友達だった男子相手に、あんな夢を見るなんて……。

「──では、ここの和訳は……みなさん、お願いできますか?」

「……はい」

 慌ててモードをあきに切り替えて、黒板へ向かう。

 板書を目に和訳を書き出しながら──ふいに、わたしは気が付いた。

 ──あの夢は、あきが見た夢だったのかも。

 そうだ……きっとそうだ。

 そうだったら、全部説明がつくし……一番誰にとっても、幸せな結末だと思う。

 君と友達であることをやめたあの日以来。

 どうやら、あき君の間にまで距離ができたみたいだった。

 もう、二人がやりとりしているような形跡は見られなかったし……それだけじゃなく、あきは誰とも会話をしなくなってしまったみたいだ。

 本当に、申し訳ないと思う。

 それでも──いつか、わたしが消えたあと。

 どうにかまた二人が再会して、結ばれてくれればいい。

 からまった色んなことを乗り越えて、君とあきが幸せになってくれればいい。

 そして──そのとき。

 彼の胸の中に、わたしが作った傷が残っていれば。

 この世で、そこだけにでも──わたしの跡が刻まれていれば──。




第五章【放課後わたしどこか連れ去ってよ】



「──先生!」

 先生を捕まえることができたのは、午後七時過ぎ。

 完全下校時刻をちょっと過ぎた、職員駐車場。彼女の車の前でのことだった。

 職員室で尋ねたところ、会議だの色々あって席を外している、とのことだったけれど、ようやくそれが終わったらしい。

「あの、みなさんのこと……!」

 言いながら駆け寄ると、彼女はこちらを見て目を細める。

「僕、全然話聞いてなくて、事情もつかめないんですけど、転校って……なんでこんな急に……!」

 普段の僕だったら、絶対にこんなことしなかったはずだ。

 あくまで雑談の体で、さりげなく情報を聞き出そうとしたはず。

 けれど……もはや、聞き分けのいい生徒キャラを演じることもできなくなっていた。

 少しでも、突きつけられた現実に関する情報がほしい。

 彼女は短く悩む様子を見せてから、

「そっか……君には説明が必要かもね。帰り道はどっち?」

「えっと、駅の向こうです……善福寺の方……」

「そう。じゃあ送っていくついでに話そうか」

 そう言って、先生は車のロックを解除し、

「乗ってくれる?」


「──本当は、直接本人に聞いてもらった方がいいんだろうけど」

 僕の家に向かって車を走らせつつ、先生はそう切り出した。

「なんだか、それができる状況じゃなさそうだもんね」

「……そんなとこまで、見てたんですか」

 窓の外。

 見慣れた学校そばの街並みを眺めていた僕は、思わず先生の方に向き直った。

「ええ。あの子の主治医の先生にも、経過を教えてほしいと頼まれていたから」

「……そう、なんですか」

 この先生が、そこまであの子の二重人格にからんでいたことに、今さら驚きを覚えてしまう。

 けど……そうか。

 そもそも、戸籍外の名前での通学を許している時点で、病院側とのやりとりがあったとしても不思議はないんだ……。

「もともと、リハビリが目的だったの」

 ハンドルを切り、大通りに出ながら先生は言う。

「あの子にも直接聞いてるわよね? 家庭環境にあった問題が解決した。そうなると、あとは人格の統合がされれば、基本的には治療は一段落、となる。けれど、その過程で彼女はできるだけ一般社会に慣れておいた方がいい。それも、二重人格であることを含めて、世の中に受け入れられて……その末に、人格が統合されるのが好ましい。そういう考えがあって、普通の学校の通常学級に編入することになったのね」

「そういう、ことですか……」

 そんなこと、全然知らされていなかった。

 そんなはっきりとした意図があって、彼女たちがこの学校に来ていただなんて。

「でも、じゃあ……はるは……あいつが二重人格隠そうとしたのは……」

「ええ、周囲の反対を押し切ってのことよ。あきちゃんも主治医の先生もご家族も、はるちゃんははるちゃんとして生きてほしい、と言っているのを押し切って、あの子がそうしたみたい」

「そうだったのか……」

 そしてなんと……学校の生徒の中にも、はるに協力してしまう人間がいた、というわけだ。

 自分の考えの足りなさに、頭痛がしはじめる。

 なぜはるのすることの違和感に、もっと早く気づけなかったんだ……。

「……わたしは、君がしたことは間違いじゃないと思うわよ」

 頭を抱えた僕に、先生が優しい言葉をかけてくれる。

はるちゃんのことを思って、がんばったんだから……それはきっと、最後にはマイナスにはならないはず」

「……そんなことないです」

 そう答えるだけで、苦い思いがよみがえる。

 とんでもない思い違いをしていた自分への、情けないけん感。

「僕はただ、あいつらのこと、かきまわしただけで……」

 と、ふいに、そこで僕は疑問を抱き、

「……って、なんで先生……僕があいつを手伝ってたこと、知ってるんですか?」

 考えてみれば、今まで誰にもそのことは話してないはずだ。

 先生も、そんなそぶりを見せたことはなかった気がする。

 なのに、なぜ先生はそれを?

 けれど、彼女はどこか寂しげに笑い、

「こっちも、ご家庭や病院と連絡は密に取っていたからね……」

「そ、そうなんですか。じゃあもしかして、最初に、はるを部室に連れてった日……部室開けて入って来たのも……」

「うん。はるちゃんがどうしてるかはできるだけ把握したくてね。何か起きてたら困るなって」

「……そうだったんですか」

 そこまで先生を含む大人が認識していたことに、今さら背筋が寒くなった。

「……それで、あの子たちの現状なんだけど」

 言いながらブレーキを踏み、先生は赤信号で車を止めた。

 目の前を、老人や職業不詳の若者、子供連れの主婦が通り過ぎていく。

「これは、主治医の先生にとっても想定外だったのね。ここまで二人の存在のバランスが崩れるとは思っていなかった。でも、こうなった以上もう放置しておくわけにはいかない。今からでも病院に連れ戻して、はるちゃんが消えないための治療をしよう、ということになったの」

「なるほど……。ていうことは、仮にその治療さえうまくいけば、終わり次第ここに戻ってくる可能性も……」

「……あまりその可能性はないらしいわ。残念ながら。一度抜けた環境に戻るのは、あまりフラットなリハビリとは言えないでしょうしね」

「そう、ですか……」

「……君が責任を感じることはないわ」

 顔を上げると、先生は眉間にしわを寄せ、ハンドルをグッと握る。

「本当に、突発的な事故みたいなものなのよ。あるいは、責任があるとしたらそれは大人たちに、だわ。もっとあの子たちが安定してから、学校には来てもらうべきだった。あるいは、こうなる前にもっと介入すべきだった。それは完全に、病院側とわたしたちの読みの甘さの問題だわ……」

 先生は、悔しそうに唇をむ。

 再び車が動き出し、大通りの交差点で先生が大きくハンドルを切った。

 そして──、

「……ただね」

 先生は、前を見たままではっきりとこう言った。

「わたしはまだ、諦め切れないの」

「……どういうことですか?」

「あの子が今抱えている問題は、病院になんて行ったところで解決しないと思うのよ」

「……じゃあ、どうすれば? ていうか、解決できる方法があるんですか?」

 だとしたら──それをなんとしても試してほしかった。

 自分がもうあの子たちに関われなくてもいい。

 二度と会うことができなくてもいいから──はるを救ってほしかった。

「足りていないのは、ほんの少しの勇気と、自分に対する優しさよ。それで、確証は……ないんだけど」

 もう一度、車が赤信号に引っかかる。

 先生は手を伸ばし、かたわらに置かれたハンドバッグの中をあさりはじめる。

 そして、

「──あの子たちに何かできる人がいるとしたら」

 そう言って、先生は切れ長の目に濃い意思の色をにじませると。

 ──「あるもの」をこちらに差し出した。

「それは──君だけだと思うの」


  *


 なんとなく、ぐ家に帰る気になれなくて、それが災いした。

 近所の本屋で、ぼんやり立ち読みをし。

 自分ができること、できないことを考えていた僕は──店を出たところで、中学時代のクラスメイトを見かけた。

 自称ドSキャラだったこしと、その友人のしきしまはしもと

 あの頃、僕を自然に遠ざけていった生徒たち。

 ──思わず、店の中に逆戻りして、本棚の影に隠れた。

 彼らは僕がいることなんてまるで気づかず、なにやら談笑しながら本屋の前をスルーして駅の方へ向かった。

 こぼれるあんのため息と──自分に対する失望。

 キャラを作りたくないだのひとりの人間でありたいだの。

 口ではそんなことを言っておきながら──僕は結局変わることができない。

 疎外された苦しさと寂しさは、今もこの身にしっかりとみついていて、踏み出すことなんてできない。

 そんな僕が──彼女たちに。

 あきはるにできることなんて、本当にあるんだろうか。

 今さら僕が、彼女たちに何をしてあげられるっていうんだろうか。

「……くそ」

 店を出て、かばんの中に入れた「あるもの」を確認する。

「部室に置きっぱなしだったわよ」と、先生に車の中で渡された、それ。

 いつの間にか見かけなくなっていた「一冊のノート」。

 しばらく悩んでから、僕はラインを起動し──アカウント「みな」あてにメッセージを作りはじめた。

 これが僕が彼女に送る、最後のメッセージになるのかもしれない。

 反応があるかもわからない。

 けれど、送らなければいけないと思った。

 あきはる、どちらでもいい。

 ただ、最後に届いてくれれば──。


  *


 ──翌日。

 放課後の部室は、カーテン越しの日にクリーム色に染められていた。

 ほこりっぽくてかび臭い空気と、あちこちに置かれたよくわからない備品。

 よく言えば隠れ家風、悪く言えば物置にしか見えないこの部室の入り口に、

「……こんにちは」

 あきが立っていた。

 視線を足下に落とし、肩にかけたかばんをぎゅっと握りしめ──彼女は、硬い表情をしている。

 転校まであと二日。

 もしかしたらこれが、あきにとって最後の部室訪問になるかもしれない。

 そして、僕の恋も、ここで終わりを迎えるのかも──。

「……入ってよ」

 そう言うと、ようやくあきは部室に踏み入り、後ろ手で扉を閉めた。

「ごめんな、呼び出しちゃって……」

 手近な席に腰掛けたあきに、まずはそう謝った。

「もう僕とは、話したくもないかもしれないけど……来てくれてよかったよ。これ、ちゃんと持っててもらいたかったから」

 僕はかばんに手を入れると──一冊のノートを取り出した。

 あきの前、旧タイプの机に置かれたそのノートの表紙には、なんだか抜けた印象の文字でこう書かれている。


 交換日記♡ くん・あきはる


「……ああ、これは」

 あきが、言いながら表紙に目をやった。

「どこに行ったのだろうと思っていたけど……」

 お台場に行った日以来、なんとなくやりとりがなくなって、どこにいったのかわからなくなっていた日記帳。

 きっと、はるが部室に置いていったんだろう。

 先生には「これを、あの子たちに返しておいて」と渡されていた。

 表紙の文字を眺めているあき

 なんだか少しだけ──場の空気がやわらかくなったように思う。

 はるの丸っこい文字に、ささくれだった気持ちが少しだけ落ち着いたのかもしれない。

 すぐに帰るだろう、と思っていたけれど。あきはそのままページをめくり日記を読む。

「……本当に、あの子は君に頼っていたのね」

 彼女はぽつりとそんな台詞せりふをこぼした。

「いつもいつも君のことばかり……」

 我が子をいつくしむ親のように、目を細めているあき

 のぞむと──彼女の言う通り、開くページ開くページではるは自分のドジさを嘆き、僕に助けを求めていた。


4月17日(火) はるか
 今日は英語の授業が視聴覚室から教室に変更になったのを忘れてました。。。。
 一人で移動しそうになってあせっちゃった。。。。。
 君、気づいて教えてくれてありがとう!
 あと、思いっきり足踏んづけちゃってごめんなさい。。。。

4月19日(木) はるか
 うわーん、あきごめん。。。。。。。
 制服にココアこぼしちゃいました。。。。。。
 君がすぐに拭いてくれたからシミにはなってないと思うけど、匂いはついちゃったかも。。。。。
 クリーニング出した方がいいかなあ──

4月20日(金) はるか
 君、もしかしてわたしのためにウエットティッシュ買った?
 ごめんね、お金はわたしも払うから──


 ──今日も、君が教えてくれて──


 ──ありがとう、君──


 ──君!──


 ──君──



 ──ふいに、ページの文字がぶれた。

 ノートを持つ、あきの手が震えている。

「……あき?」

 見れば──あきは強く唇をみ。

 何かをこらえるように、まばたきもせずページをじっと見つめていた。

 ややもすれば、何かが決壊してしまいそうな。

 小さくつつけばすべてが崩れてしまいそうな──そんな風に見える、あきの表情。

 けれど、彼女は深く息をつくと、

「……もう、いい」

 つぶやくようにそう言って、顔を上げた。

「どうせ最後なんだもの。もう……隠し事も、うそをつくのも、全部やめるわ」

「……あき?」

 こちらを向いた彼女の表情に──ものの落ちたようなその顔色に、思わず息をんだ。

 そして彼女は笑みを浮かべ、

「ねえ……わたし、最悪なの」

「……何が?」

「わたし、いつも君にありがとうって言ってたでしょう? はると仲良くしてくれてありがとう。あの子を助けてくれてありがとうって」

「……うん」

「あれね、全部うそ

 あっさり告げられたその言葉に、心臓がぎくりと高鳴った。

「うれしくなかったの。全然うれしくなかったの。それだけじゃない。君がはると交換日記するのも、はるとお台場行くのも、全部、全部苦しかった。胸が潰れそうになって、いつも泣きそうだった」

 彼女が淡々と言葉を重ねる度に、鼓動が加速していく。

 意味を吞み込み切れなくて、頭が熱くなる。

 そして、そんな僕に、彼女は「だってね」と前置きし。

 昔話でもするように目を細め──、


「本当は──わたしが助けてほしかったんだもの」


 ──衝撃に、身体からだが動かなくなった。

はるじゃなくて、わたしを助けてほしいっていつも思ってた」

 喉が渇いて、息が詰まって、もはや身じろぎ一つできない。

はるが初日から失敗したときも、授業でボロをたくさん出したときも、家に来てくれたときも、みんなで出かけることになったときも、いつもそう。

 あの子のこと、たくさん相談したかったし、話聞いてもらいたいって思ってた」

 はじめて明かされた本音。

 気づくこともできなかったあきの本心──。

 それが、僕らのこれまでを、その意味を少しずつ上書きしていく。

「ねえ、最初に君に会ったあの日、わたし仲間を見つけたかもしれないって思ったんだよ? なんだか、似てるのかもって。

 二人とも、本心隠してるし、思ってることうまく言えないし。

 だからうれしくて、もしかしたら、うまくやれるかもって。

 友達にもなれるかもしれない。それだけじゃなくて、もっと他にも、いい関係になれるかもしれないって思ったの」

「……そう、だったのか」

 あきにはじめて会った、始業式の前。

 恋に落ちたあのとき──。

 あきも、僕のことをそんな風に思っていたのか──。

「だから、ずっとうらやましかった。君に相談できるはるが。

 一緒に色々考えてもらえて、見抜いてもらえて、叱ってもらえるはるが。

 わたしもね、あの子みたいに、うまくできたらほめてもらいたかったし、失敗したら慰めてもらいたかった。君と間違ったり、迷ったり、悩んだり、そういうこと、たくさん、全部」

「──だ、だったら!」

 気づけば──疑問を抱いていた。

 そんな風に思っていたなら。

 あきが、一人でそんな気持ちを抱えていたなら──、

「──なんで話してくれなかったんだよ! 言っただろ? 僕に相談してくれていいんだって!」

「……言えないよ」

「どうして!?」

 理解できなかった。

 どうして、そこまでして人に頼るのを拒むのか。

 一人ですべて抱え込もうとするのか。

「そんなに僕のこと、信頼できないのかよ!? そんなに頼りにならないと思うのかよ!?」

「そうじゃないよ」

「だったらなんで!」

 その問いにあきは顔を上げ、僕をキッと見据え──、


「……言えるわけないでしょう!?」


 ──上げられた声の鋭さに。

 ──視線にこもった怒りに。

 僕は一撃で声が出せなくなる。

「言えるわけないんだよそんなこと!

 だって……はるが苦しんでるのは、全部わたしのせいなんだもん!

 わたしが弱くて、自分で自分を守れなかったから、あの子が生まれたんだもの!

 わたしが強ければ、こんな風にあの子がつらい思いをすることなんてなかった!

 消えちゃうなんてことはなかったんだ!」

 ──胸に走った痛みは、「ショック」なんて上等なものじゃなかった。

 彼女が胸に抱えていた、どうしようもない罪悪感。

 あきが許せないのは──他の誰でもなく自分自身だった。

「なのに……わたしだけ楽になろうなんて、虫がよすぎるじゃない!

 自分の問題なんて、全部自分でなんとかするべきじゃない!

 それに、わたしは……」

 そこで、あきは声のトーンをガクリと下げ、

君に、助けてもらっていいような人間じゃないんだよ」

「……なんでだよ」

 尋ねると、あきは息を詰まらせる。

 そして、光の曇った目を床に落とすと、

「……君が、はると仲良くなって。わたしね……思っちゃったんだ。

 もしも。もしも──あの子がいなければ。

 はるがいなければ……そこにいたのは、わたしだったかもしれないって」

 その声が、薄い硝子のように小さく震えていた。

「わたしの中にあの子がいなければ……君の隣にいたのは。

 君を家に誘ったのは。

 観覧車に一緒に乗ったのは──わたしだったのかもしれないって」

 鼓動が一拍強くなって、身体からだ中に熱い血をめぐらせる。

 呼吸が速くなって、手の平にじわりと汗をかく。

 そしてあきは、

「……ねえ、最悪でしょ?」

 冷たく目を細め、自分を蔑むように笑う。

「幻滅したでしょ? 許せないでしょ? こんなわたしが、君の大切なはるを、消しちゃうんだよ?」

 そして、彼女はもう一度声を震わせ──、

「わたしのわがままで──はるは消えちゃうの。わたしのせいで」

 ──沈黙が、部室のほこりっぽい空気に舞い降りる。

 聞こえるのは、遠く校庭で練習している運動部員のかけ声だけ。

「だからわたしに──君に助けてもらう資格なんて、あるわけない」

 ──ようやく、すべてのことがつながった気がしていた。

 どこか張り詰めていた、これまでのあき

 はるとの関係や、発言の意図。

 これまで自分が見落としてきたこと。

 気づけなかった、本当に大切なこと、そのすべて──。

 そして僕は──、

「……それでも」

 もう一度口を開き──あきを見る。

「それでもかまわないよ」

 その言葉に、あきは目を見開いた。

「それでも僕は……あきの力になりたいと思う」

「……どうして?」

 心底理解できない様子で、あきは首をかしげた。

君にとって──はるは特別でしょう? なのに、こんなわたしを許せるはずないでしょう?」

「……確かに、はるは特別だよ」

 そう認めると──あきの表情が苦しげにゆがむ。

「でも──あきだって大切なんだ。僕にとって、かけがえないほど」

「……本当に、そんなことを思っているの?」

 尋ねるあきの顔には、小さく怒りすらかいえる気がした。

「同じことを、はるの前でも言える?」

「言えるよ」

「どうして!」

「だって、僕は──」

 ──そうだ、言えるに決まっている。

 ずっと気づいていなかったけれど──君を泣かせていたのは僕だった。

 僕が気持ちを隠すことで、君は傷つき続けていた。

 だったら、伝えるべき言葉なんて、一つしかありはしない。


「──君が好きなんだから」


「………え?」

 あきはこちらを見て、ぽかんとしている。

 だから僕はもう一度、

あきが好きなんだ」

 はっきりと、そう伝えた。

「だから、それでも君の、力になりたいんだよ」

 身体からだ中から熱い汗が噴き出す。

 鼓動が全身で感じられるほどに、力強く脈打っていた。

 けれど──後悔はない。

 今、目の前であきが苦しんでいる。

 なら、僕に差し出せるのは気持ちくらいのもので、だったらそれを惜しみたくないと思う。

「え、その……好き、というのはその……」

「異性として好きってことだよ。最初からだ。はじめて会ったときからだよ」

「……」

 ぽかんとしていたあきの顔が──あっという間に真っ赤に染まっていく。

 視線がふらふらと泳ぎ出し、溜まった涙に瞳が揺れる。

 彼女は震える唇をぎこちなく開けると、

「……う、うそでしょう?」

 震える声でそう尋ねた。

「だって……こんなわたしを……。君が、好きに、なんて……」

「確かに……今の秋玻は、最初の印象とはずいぶん違うかもしれない」

 そこはどうしても、否定できない。

 僕は、みなあきという女の子を、ずいぶん見誤っていたように思う。

「でもあのとき『スティル・ライフ』を暗唱するあきを見て、思ったんだ。この子が、僕のそばにいてほしいって。この子にも、同じように思ってほしいって。その気持ちは──今も変わってない」

 胸に手を当てて、もう一度自分の気持ちを確認する。

 全身で感じる鼓動の高鳴りは、あの日と同じだ。

 僕は──あきに恋している。

「で、でも……それなら、はるは……」

「……なんで今はるの話が出るんだよ?」

「だって、君は……あなたたちは……」

 言葉に詰まるように口をつぐんでから、あきは固形物でも吐き出すよう顔をゆがめ、

「……付き合ってるんじゃないの?」

 ──絶句してしまった。

 けれど……しばらくの間を置いて。

 混乱のホワイトアウトが薄らいだ頭で……僕はようやく理解する。

 あきは──勘違いをしていたのか?

 僕とはるが彼氏彼女の関係なんだと思い込んで。

 恋人同士なのだと思い込んで──こんなにも自分を追い詰めてしまったのか?

「……ああ、付き合ってないよ」

 深い吐息と一緒に、そう答えた。

「……本当に? わたし、てっきりそうなのかと……」

「本当だって。向こうも別に、僕のことそういう風には見てないと思う」

「そう……だったの? でも二人、ずいぶん仲がいいし、はる君に頼ってるし……」

「……そうだな。だからそう……僕らは親友なんだ」

「……親友?」

「ああ。同じように、ひとりの人間でありたいって気持ちを抱いてる仲間同士なんだ」

 はじめてはるを話した教室でのこと。

 あの日、僕ははると親友になったのだと思う。

 あのとき抱いた仲間意識は、もしかしたら間違ったものだったのかもしれない。

 けれど、だからって今も胸にある友情が消えるわけではない。

「だから、ちょっと同性の友達っぽい感覚もあったし……。その、正直、あきのこととか、相談してたし……」

「そう、だったの……」

 ようやく納得したように、あきは視線を床に落とした。

君、はる……そうなの……親友……」

 そして、ぶつぶつとひとりごとのように何かをつぶやいたあと──、

「──でも、じゃあ……!」

 ふいに、はじかれたように顔を上げた。

「わたしははるを……あの子を、勘違いで、消してしまいそうになったの?」

 そのきやしやな手がブルブルと震えはじめる。

 もともと白い顔から血の気が引いていく。

「勝手に嫉妬して、あの子をつらい目に遭わせたの……?」

 ──そうだ。

 問題は、まだ解決していない。

 これで、あきはるを否定する気持ちはなくなるかもしれない。

 はるがすぐに消えることはなくなったのかもしれない。

 けれどはるは──悟っているはずなのだ。

 あきが、自分の存在を否定したことを。

 今、あの子はきっと──これまで以上に、自分を「不要」だと感じている。

「わたし……どうしよう。あの子に、ひどいことを……」

 この世の終わりのような──あきの表情。

 そんな彼女を前にして──僕は覚悟を決める。

「……なあ、あき

 彼女の名前を呼ぶと、僕はある言葉を。

 一月前にはるにも告げた言葉を、口にした。

「──僕に……手伝わせて、もらえないか」

 あきの目から──大粒の涙がこぼれた。

「こんなに遅くなってごめん。本当は、もっと早く言うべきだった。でも、僕は今からでも──君を助けたいんだ。君の力になりたいんだ」

 だから、と前置きし。

 銀河渦巻くあきの瞳を、僕はぐ見る。

「僕を──頼ってくれよ」

「……いいの?」

 唇をわななかせ。

 おびえるような表情で、あきはそう尋ねる。

「わたし……君に、助けてもらっていいの? こんなに身勝手なのに、わがままなのに……頼ってもいいの?」

「当たり前だ」

 そう言って、僕は深くうなずいた。

「君のことが好きなんだから」

「……ありがとう」

 あきはぎゅっと目をつぶると──深く息をついた。

 そして、

「じゃあ……お願いします」

 静かにその目を開き──僕を見返す。

君……助けてください。はるが、自分の人生を生きていいんだって思える、手伝いをしてください……」

「……わかった」

 ──あきの言葉に、身体からだ中に力がみなぎるのを感じていた。

 僕を、必要としてくれている。恋する女の子が、僕に助けを求めている。

 なら──自分のできることすべてをささげて、彼女の力になりたかった。

 傷つくことになっても、何かを失うことになっても、あきを幸せにしたかった──。

 部室の時計を見上げた。

 タイムリミットは──もう目前に迫っている。

 説得をするなら、今日しか時間はないだろう。

 じゃあ、それだけの時間で僕になにができるだろう。

 どんな言葉を、はるにかけることができるだろう。

 中学のときから、少しも変わることができなかった僕に──。

「……そうだ」

 そこで──ようやく気が付いた。

 そもそも僕に、はるに「ありのままで生きてほしい」と言う資格なんてなかったことに。

 今の僕では、彼女に言えることなんて一つもないことに。

 なら──やるべきことは、はっきりしている。

「あと何分で、はるに戻る?」

「……十分くらい、かしら」

「よし、わかった」

 顔を上げたあきにうなずいてみせると、僕は椅子から立ち上がった。

「──行こう」


  *


「……いた!」

 ──彼女たちを。どうしゆう、その他数人の友人たちを見つけたのは、それから数分後。

 下駄箱を出てすぐ、正門近くでのことだった。

 廊下に教室に昇降口に、と探し回ったせいで、息が完全に上がっている。

 振り返ると──あきも髪が風で乱れ、肩で呼吸していた。

「よし、追いかけよう!」

 須藤たちとの距離は十メートルほど。

 呼び止めようと、そちらに向かって駆け出そうとする。

 けれど、秋玻がふいにその場に立ち止まった。

 見れば──彼女は混乱が露わな顔で、五月の風の中こちらを見ていた。

 ──はるだ。

 このタイミングで──あきはるに入れ替わった。

 それでも、ここで立ち止まるわけにはいかない。

「……なあはる

 僕はそう呼びかけた。

「……」

 はるは返事をしない。

 どう思えばいいのかわからない顔で、こちらを見ている。

「これから……はるはるとして生きていいんだって。僕たちは、偽らなくてもいいんだって思えるように、がんばってみるよ」

 はるは眉をひそめる。

 けれど、僕は言葉を続ける。

「それはきっと……はるが踏み出さなきゃいけない一歩よりはずっと小さい。こんなの、はるにとってみればきっと、本当にさいなことだよ。それでも、もしよければ、見ていてほしい」

 それだけ言うと、立ち尽くすはるを置いて、僕はどうたちのいる方へ向かう。

「……あれ? じゃん」

 足音に気づいたのか。

 どうがこちらを振り返り、驚いたように目を見開いた。

「どうしたよ? なんか、息荒いけど……」

「……ていうか、みなさんも?」

「あー、もしかして、最後の思い出作りしちゃってたー?」

 このメンバーの中でも特にノリのいい二人。富ヶ谷と桜井がそう尋ねてくる。

 そんな彼らを前にして──心臓が、プログレッシブロックみたいな加速をはじめた。

 呼吸が浅くなり、背中にじっとりと嫌な汗が滲みはじめる。

 いつもだったら、

「そうそう、ちょっと二人で盛り上がっちゃってさー……マリカー!」

 なんて冗談を返していただろう。

 けれど、僕はそれをグッと吞み込み──、

「……いや、ちょっとみんなに話があって」

「どうしたんだよ?」

 気遣わしげにこちらを見るしゆう

 そして僕は、一度大きく息を吸い込むと。

 どこかぽかんとしてる彼らに───、

「……もう、やめようと思うんだ」

 ──まず、そう切りだした。

「……へ、なにを?」

「みんなに、無理にノリをあわせるのも、キャラ作るのも、そういうの、全部」

「……え、ちょ、どういうこと?」

「ずっと、演じてたんだよ。みんなにあわせて、自分を偽って……ずっと、明るくてノリの良いキャラを、演じてた」

 ──その言葉に。

 それまで朗らかだった場の空気が、明らかに変質した。

 和やかな放課後のひとときから──緊迫感のある告白の場に。

 その場にいた五人のメンバーの顔から、余裕が消える。

「で、その……」

 そして、話を続けようともう一度口を開いた僕は、

「……」

 それ以上、声が出せない自分に気づいた。

 ……どうしたんだ? 息が上がってるからか?

 次の言葉を思い付いていないだけ……?

 ……いや、違う。

 僕は──怖いんだ。

 この空気──。

 ドSキャラを否定した中学のあの日。

 あのときの教室と同じ、この空気が。

 今すぐ、笑ってごまかしたいと思う

 全部なかったことにしたいと思う。

 けれど──もう僕は、引くわけにはいかない。

「その……だから……ごめん! 噓ついてたんだよ!」

 無理矢理口を開いて──自分の声が大きいのに驚いた。

 けれど、そのまま僕はそれを、目の前の友人達にぶつけていく。

「放課後、わいわい遊びに行くのも苦手だし、下ネタも、ちょっと無理して言ってたし、もともとテンションだって高い方じゃない。……そういうのよりも」

 僕は肩にかけていた鞄に手を突っ込むと、

「……僕は、こういうのが好きなんだ! 文学とか、文芸とか!」

 中に入っていた文庫本を──あきとはじめて出会った日、読んでいた『スティル・ライフ』を掲げてみせる。

「つまり──」

 そう言って、大きく息を吸い込むと。

「僕は──キャラ作ってたんだ! みんなと仲良くするために……輪に入れてもらうために、無理してたんだ。でも、本当はそれがすごく嫌で──だから、もうやめることにする! みんなには申し訳ないけど、もう、素の自分でいることにする!」

 そして、もう一度その場にいる全員の顔を見ると、

「だから──そんな僕も、受け入れてほしいんだ!」

 ──言い切ると、その場に沈黙が舞い降りた。

 誰もが身動きもできない、重苦しい静けさ。

 ほこりっぽい風が舞って、僕らの間を通り過ぎていく。

「……そっかー」

 沈黙から這い出るようにして、最初に声を上げたのは富ヶ谷だった。

「まあ、そういうのもいいんじゃね?」

「だなー」

 あくまで軽い口調でそう言って、富ヶ谷に桜井が続く。

 そして二人は、

「じゃあちょっと、俺先帰るわ。バイトあるし」

「あ、じゃあ俺も。またなー」

 それだけ言うと、彼らは足早に正門を出ていった。

「おう……じゃあまた」

 その背中にそう返しながら──口の中が急速に乾いていくのを感じていた。

 ──まあ、そういうのもいいんじゃね?

 表面的には受け入れているように聞こえた。

 けれど、その実なんの感情もこもっていなかったその台詞。

 ──きっともう、彼らとはこれまでの関係ではいられないだろう。

 二人には、テンポの良いリアクションや会話での位置取りを教わった。

 友情だって、それなりに覚えていた。

 それでももう──そんな仲ではいられない。

 はっきりと感じたその事実に、指先が冷たくなっていくのを覚える。

 不安に、鼓動の一拍一拍が重くなっていく。

 やっぱり──僕は誰にも受け入れられない。

 キャラを作らない限り、自分を偽らない限り、誰からも、必要とされない──。

 けれど──、

「……言ってよ~~~!!」

 思いの外軽い声。

 視線をそちらに向けると──どうが、脱力したようにこちらを見ていた。

「えー、マジでー……? ずっと作ってたのー……? 全然気づかなかったよー、言ってくれればいいのに……」

 困ったように寄せられた眉。むーんと閉じられた瞳。不満そうにとがった唇。

 彼女のその行動に──あまりに「これまで通り」の対応に、

「あ、い、いや……」

 返す言葉が、すぐには出てこなかった。

「す、すまん……なんか」

「いいんだけどさー」

 どうはむんずと腕を組むと、

「でもだったらわたし、これまでにめっちゃ無茶ぶりとかしちゃってたじゃーん! なんかひどい人みたいじゃんこれじゃ……。もっと早く言ってよー……」

「……俺はちょっと、そんな気がしてたけどね」

 そう言って、しゆうは苦笑いしている。

、ちょっと盛ってるのかもなって。そこまでとは思ってなかったけど」

 ……確かに、他のメンツに比べて、しゆうは僕に「テンションの高さ」を求めてくることはなかったような気がする。

 そういうやつなんだろうと思っていたけど……本当に、ちょっと勘づいていたのか?

「にしてもさー、盛り過ぎでしょー……。その小説も、結構文学っぽいのでしょ? 違い過ぎでしょキャラー」

「……ほんとごめん」

「いや、まあいいんだけどさー」

 ──これまでどおりのリアクション。

 ──いつもと変わらない、須藤と修司。

 少しの間を置いて──僕はその意味を理解する。

 ……そうだ。

 本当は、僕はわかっていたんだ。

 この二人はこうやって、僕を受け入れてくれると。

 作らない僕とも、友人でいてくれると。

「……ありがとな」

 自然と、そんな言葉がこぼれた。

「僕は……お前らと友達でよかったよ」

「……何急に、かしこまったこと言い出してんのー! なんか恥ずかしいじゃん!」

「確かに、改まって言われると照れくさいね……」

 もじもじし出した二人に感謝しながら──僕ははるの方を振り返る。

 さっきからずっとそこで、秋玻の表情を作ったまま僕の様子を見ていたはる

 まだどうしても、一歩を踏み出せないらしい。

 だから僕は──手に持っていたノートの。

 僕らの交換日記のあるページを開き、はるに掲げてみせた。

 そこには──あきの文字で、ページいっぱいにこんな走り書きがしてある。


 ──わたしには、あなたが必要なの。


 ページ越しに笑いかけると──ぽかんとしていた彼女は、その顔に小さな決意を浮かべた。

 うつむくと、ゆるゆるとした足取りで、はるは一歩踏み出す。

「ん、あきどうした?」

「何かあったの?」

 そして、どうしゆうの前に立つと、彼女は顔を上げ──怪訝そうな二人の方を向いた。

「……えっ」

みな……さん?」

 ──不安そうに寄った眉。

 ──今にも泣き出しそうな、気弱な瞳。

 その手は鞄をぎゅっと握り、足下はふらふらと覚束ない。

 はじめて、はるどうしゆうに見せる──彼女自身の顔だった。

 あきとは別人にしか見えないその表情に、どうたちは驚いている。

 そして、そんな二人に──はるはおずおずと口を開き。

 はじめてその名前を告げた──。


「は、はじめ、まして。みな……はるです」




エピローグ【1/2のキス】



「──ひとまず、両親と担当医の先生には話をしてみるわ」

 隣を歩きながら、あきがそう言う。

「確約はできないけど、それで入院の件は……きっと取り消してもらえると思う。わたしとはる、二人で説明すれば」

「そっか……」

 まだ気は抜けないながらも、少しだけ安心してしまって。

 僕は深く息を吐き出しながら、空を見上げた。

「なら、よかったよ……」

 藍色に染まりはじめた東の空と、西の空に残っている淡い黄色の夕日。

 そのちょうど中間を、飛行機が区切るようにして雲を引き飛んでいく。

 表通りは帰宅する学生や買い物中の女性で混み合っているけれど、こうして一本外れた道に入ってしまうと、辺りは地方都市にも見える閑静な住宅街の景色になった。

「……わたしも安心したわ、どうさんとしゆう君が受け入れてくれて」

 その頰を、わずかに緩めてあきがこぼす。

「隠さなくてもいい、なんてはるには言っていたけど……やっぱり、心配だったのよ……」

 すでに、はるのカミングアウトから三時間以上もっていた。

 どうしゆうも、最初はひどくうろたえた様子だったけれど、熱心にはるの話を、次いで入れ替わったあきの話を聞き……彼女のこれまでを理解してくれた。

「──じゃ、じゃあ、毎回お互いに起きたことをメモで伝えてた、ってことなの……? 他のクラスメイトに、気づかれないように……」

「──えっと……俺もまだ、うまく吞み込み切れてないんだけど……じゃあまたしばらくしたら、今の『はるさん』から『あきさん』になるんだよね?」

 最終的に。しゆうは泣きそうな顔で「……気づけなくてごめん」と悔やみ、もはや泣き出していたどうは「これからは、もう隠さないでね……」とぽろぽろ涙をこぼした。

「ありがとう……はるにも伝えておくわ」

 そう答えたあきの目元にも、しずくが光っているように見えた。

 これで……ひとまず事態は落ち着いただろう。

 はるは自分を隠さなくて済む。

 あきもこれまでみたいにつらさを抱え込まなくて済む。

 そして僕も──無理に自分を演じる必要もないんだ。

 まあ、かえぎわ

「……ていうか、はるの話聞いたあとだと、のさっきの告白しょぼ過ぎなんだけど……」

 なんてどうに突っ込みも入れられたのだけど。

 正論過ぎて言い返せない。

 それでも──僕の勇気がはるの背中を押せたなら、これ以上うれしいことはないと思う。

「それから……はるにも謝らないと。あの子には、わたしの勘違いのせいで、本当に怖い思いをさせてしまった……」

「……まあ、それはそうだな。僕からも謝っておくよ。半分は僕のせいだって。それで、はるさえいやがらなければ……また、あいつが幸せになるための手伝いをはじめたい」

「……そうね」

 うなずくと、あきは足下に視線を落とす。

「あの子を待っている未来は……やっぱり変わらないものね。だから、せめてそのときまでは……はるだけの人生を、幸せに過ごしてもらいたいわ」

「ああ、そうだな。でも……」

「……でも?」

 あきがこちらを向き、首をかしげた。

 何光年もの深さをたたえた瞳が、じっとこちらを見る──。

 そのまなしに、心拍数が上がるのを手の平で感じながら、

「……これからは、あきの力にもなりたいから」

 ──あきの目が、ぱっと見開かれる。

 その白い顔が、あっという間に赤く染まっていく。

はるだけじゃなくてあきも、幸せになってほしいって本気で思っているから……何でも言ってほしいと思うんだ」

「……そう」

 慌てたように視線をらし、あきはうつむく。

 そして、

「……君も、ずるいわ。二人の女の子に、同時にそんなことを言うなんて……」

「……そうかもな」

「いつか恨みを買わないよう、気を付けてね……」

「ああ、肝に銘じておきます」

「……それから、その」

 ふいに、あきは言葉に詰まりはじめる。

 そして、彼女は足下に視線を落としたまま、

「……告白の、件だけど」

「……うん」

 突然切り替わった話題に、背筋に緊張感が走った。

 そうだ、今さらながら、ではあるけれど。僕はあきに告白した直後なんだ。

「あれって、何か返事をした方がいいのかしら……。その……付き合うとか、付き合わないとか……」

「……ああ、まあ、そうだね。僕としては、本気だし……」

「……そう」

 顔を真っ赤にしてうつむくあき

「その……じゃあ」

「うん……」

「え、っと……」

 口ごもるあき

 そして彼女は、心構えをする僕に絞り出すような声で──、

「……前向きに、検討させてもらいます」

「……へ?」

「ごめんなさい、気持ちの整理がつかなくて。でも、本当に……とても前向きに、考えさせてもらうから。……ちょっと待ってもらえると、助かるわ」

「……そっか」

 ……一瞬、拍子抜けしてしまったけれど。

 肩すかしをされた気分だけど……でも、うん。

 あれだけのことがあったんだ。

 この場で答えを聞こう、というのもちょっと駆け足過ぎるだろう。

「……ああ、わかったよ」

 僕らには、もう少し時間が残されている。

 なら、その中でゆっくり考えてもらえばいいと思う。

 前向きに検討、なんて言ってもらえただけで、今は十分だ。

 と、彼女はおもむろに腕時計の時間を確認し、

「……そろそろ入れ替わる時間ね」

「だな」

「次に会うのは……明日の学校かしら。なんだか、照れくさいわね……」

「はは、ごめんな……」

「いいのよ、それは。本当に今日はありがとう」

 そう言って、あきはこちらを向き立ち止まると、深く頭を下げた。

「これからも、わたしとはるをよろしくお願いします」

「ああ、こっちこそな」

「じゃあ、また明日」

 そう言って──あきは振り返り、こちらに背中を向けた。

 数秒後、彼女はこちらに向き直り、ぐ僕を見る。

 そして──、

「……ねえ、君」

「ん? 何だ?」

「今……わたしが『どっち』だか、わかる?」

「……へ?」

 思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「どっちって……はるじゃないのか?」

 もう人格は、あきからはるに入れ替わったはずだ。

 さっき、こっちに顔を隠していたし……。

 ただ……確かに僕は、彼女たちが入れ替わる「正確な時間」を知らない。

 ざっくり何分頃、とはわかっていても、秒数や具体的な瞬間までは把握できない。

 そして──もう一度彼女に顔をやって、驚いた。

 ……わからないのだ。

 口調も表情も、意図的に二人の中間に寄せられている。

 今、そこにいるのがあきなのかはるなのか──わからない。

「……ふふふ、うまくできたみたいだね。わたしの演技力も、捨てたものじゃないんだね」

 そう言うと──彼女は一歩こちらに踏み出した。

「ねえ、君? これまでわたしたち、二重人格でたくさんつらい思いしてきた。だからね、ちょっとだけ反則をしても許されると思うの」

「……反則?」

 尋ねると、彼女は小さく背伸びをする。

 そして、内緒話でもするように、ごく自然に顔をこちらに近づけ──、


 ──僕の唇にキスをした。


 短く感じた、やわらかい感触。

 鼻をくすぐった、髪の甘い匂い。

 頭の回路が──最高速で思考をはじめる。

 ど、どうして急に?

 どっちだ? あき? はる

 今キスをしたのはどっちの人格だ?

 わからない。

 なにもかもがわからなくて──あっという間に脳がオーバーヒートする。

 疑問が次から次へとあふれ出て収拾がつかなくなる。

 顔中から一気に汗が噴き出した。

 みっともなく手足が震えてしまう。

 そして、身動きできない僕を見て、彼女は顔を真っ赤に染め──幸せそうにこう言った。


君──すきだよ」




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