読んでおすすめコメントをツイートすると
サイン本と図書カードが当たる!!

対象6作品の作品紹介はこちら

フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~

著者:気がつけば毛玉
イラスト:かにビーム

1巻書影


プロローグ



 イースィンド王国の首都、グランフェリア。

 ここは大陸でも有数の大都市にして、国内最大の貿易きよてんでもある。

 わんに面したこの街には、ありとあらゆるものが集められる。食料も建材も、貴金属も工芸品も、何もかもが運ばれてくる。

 それらが生み出すきよまんの富が、この街を大きく発展させていった。

 その勢いはとどまることを知らず、このはんえいもいつまでも続くものだと信じられていた。

 だいなるかなイースィンド。

 その名も高きグランフェリア。

 これほどの大都会はほかになく、これほどのはなやかさも他にはない。

 王国史上、類を見ないほどの繁栄を手にしたグランフェリアは、いつしか花の都と呼ばれるようになっていた。

 しかし、そんな花の都にも問題は多い。

 高いのだ。税金が。衣食住にかかるお金が。

 グランフェリアは大いなる豊かさを手に入れたが、それをきようじゆするためには、どうやら相応の対価が必要らしい。そしてそれは他の街よりグッと高く、はらえない者はたちまち路頭に迷っていた。

 それでも都会暮らしはりよく的なもので、それを続けるために、多くの人が額にあせして働いていた。毎日せっせと働いて、得た賃金を生活費にてていた。

 この街の活気は、言わば労働者たちの活気だ。おうこう貴族など静かなもので、グランフェリアの大部分は、働くしよみんによってにぎわっていた。

 わいわい、がやがやと、いつも活気に満ちたグランフェリア。

 そんな街の片すみに、こんな看板がぶら下がっている。


 何でも屋《フリーライフ》


 店構えもふくめ、一見、何のへんてつもなさそうに思えるが──。

 これからはじまる物語は、この店を、そしてそのあるじを中心に回っていくことになる。




第一章 アースの夜明け編


 ‐1‐


 できればずっとていたかった。

 早寝早起きなんてクソだと思っていた。

 寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。それでいいじゃないか。

 少なくとも俺はそうしたかったし、今日もまだまだ寝ていたかった。

「む、むむ」

 夏の終わりのある朝、俺はいつものように目を覚ました。

 そして、また寝た。

 せっかく過ごしやすい季節になってきたんだ。二度寝をしないなんてもったいないし、ありえない。

 こんなにもここいい時間は、ちょっと他にはないからな。

 しゆんみんあかつきを覚えずじゃないけど、このねむにはどうしてもあらがえなかった。

「ふ~」

 鼻で大きく息をして、体から力をく。

 また起きかけたが、そんなつもりは毛頭ない。むしろ寝たり起きたりをり返し、うつらうつらとまどろみを楽しみたい。

 なんてったってまだ朝だからな。時間だけはいくらでも残って──。

 ガチャッ。

 部屋のドアの開く音が聞こえた。

 続いて、

「……おはようございます」

 かわいらしく、すずやかな声が流れた。

 朝のあいさつなんだろう。だけど、それに答える気にはなれない。

「……おはようございます、ご主人さま」

 今度はかたすられた。より近い場所で声が聞こえる。

 だけどやっぱり、起きられない。起きたくないし、目を開くのだってイヤだ。

 それなのには、どうにもあきらめが悪いようで──。

「……ご主人さま。朝ですよ」

「う、う~ん」

 なんで俺のじやをするんだ?

 何度も何度も声をかけ、どうして眠りをさまたげようとする。

 それがどうしても許せず、俺は毛布を引き上げ、てつていこうせんの構えを見せたんだが、

「………………」

 相手は意外にも、すぐに諦めてくれたらしい。

 スッとはなれる気配がすると、もうそれきり言葉もなかった。

(は~、やれやれ)

 これでようやく眠れるな。

 安心した俺は、まどろみの中にしずんでいって──。


きんきゆうかい】!!


 まぶたの裏にかび上がる文字。脳内にガンガンと鳴りひびけいしよう

 カッと目を見開くと、そこにはするどいナイフの

「はあああああああああああっ!?」

 悲鳴を上げながら頭を横にずらす!

 すると、いつしゆん前まで俺の頭があったところに、

 ズンッ!!

 無骨なナイフがさった!

「な、な、何してんのお前……!?」

 ドクドクと脈打つ胸を押さえ、体を起こす。

 そして、ふるえる声で非難をするが──相手の顔は、あくまで涼やかだった。

「……ご主人さまを起こしに来ました」

 水色のかみ。水色のひとみ。少し耳のとんがった、メイド服を着たがらな少女。

 名前をユミエルという女の子は、かわいらしい見た目の割にはぶつそうだ。

「や、やり方! やり方ぁ!」

「……声をかけたり、揺すったりはしましたが」

「いやいやいや、それにしたってなあ!」

 俺のこうもどこく風で、まくらからナイフを引き抜くユミエル。

 こいつはいつもこんな調子だ。あいもないし、表情もないし、おまけに情けようしやもない。それは分かり切ってることだし、これもいつものこととはいえ──。

 なんだかなあ。

「あ~、もう。今、何時だよ」

「……もう八時です。しよう時間は過ぎています」

「朝の八時って……大人は寝る時間だぞ」

 ヒュッ! きらめはくじん

 今度はのど元にナイフを突きつけられ、俺はたまらず両手を上げた。

「分かった! 分かりました! 起きるよ! ったく」

「……そうですか。では、このままシーツは持っていきますね」

「うぅ」

 ガクッと肩が落ちた。するとユミエルは、さつそくシーツに手をかける。

 ここまでされては二度寝もできず、俺はベッドから下りるしかなかった。

「……では、後ほど」

「へいへい」

 シーツやブランケットを回収したユミエルは、ぺこりと頭を下げて出ていった。

 残された俺は、Tシャツにパンツ一丁の姿で、ぼさっと部屋に突っ立って、

「…………」

 あー、くそっ。ねみぃな。

 全然寝足りない。ぶっちゃけ昼まで寝ていたい。

 こんな時間に起きるなんて考えられない。絶対、俺の健康に良くない。

 このまま寝るか? でもブランケットがないとしっくりこないし──。

「はあ」

 いい加減、諦めよう。

 ため息ひとつで区切りをつけて、窓辺に寄ってカーテンを開く。

「朝かあ」

 朝の日差しがやたらとまぶしい。

 それに目を細めながら、俺はついでに窓も開いた。

「どいてどいて~」

「今日はどこに行くかな」

「さーて、今日も一日、がんばりますか!」

 うん、今日もいつも通りの朝だ。

 二階から見下ろす街は、いつも通りにドタバタしている。

 ながぐつをはいたねこみたいな女がけていき、ぼうけん者たちがぞろぞろ歩いていく。緑の髪のおばちゃんはうんとびをしていて、空にはよくりゆうが飛んでいた。

 相変わらず、ファンタジーな光景だ。

 日本じゃちょっとお目にかかれないものばかりだ。

 まあ、それも当然か。なんせここは──。

 そもそも、地球じゃないんだから。


 俺がこの世界にやってきたのは、三年前のことだ。

 三年前のある日、《Another World Online》ってVRゲームをしていたら──。

 なぜか、そのVRゲームそっくりの世界に転移してしまった。

 正直、わけが分からなかった。

 だれかに呼ばれたわけでもないし、特別な何かをしたわけでもない。それを望んでいたわけでもないし、こんな世界があると知っていたわけでもない。

 じゃあなんでこの世界に来たのかというと、いまだに俺にも分からない。

 何の説明もなかったからな。おまけに何のまえれもなかった。

 仮想現実で冒険していたら、いきなりこうに落っこちて、それきりだ。

おうたおしてください」とたのんでくるおひめ様なんていなかったし、「あなたをしようかんしたのはわたしです」とのたまう神様もいなかった。当然、何をすればいいのか分からなかったし、どこへ行けばいいのかも分からなかった。

 ただまあ、どんな場所でも、しばらくすれば慣れるってもんだ。

 ここはゲームそっくりの異世界で、いわゆる中世ファンタジーな世界観。人はけんほうで魔物と戦い、経験を積んではどんどんレベルアップする。街には冒険者ギルドなる組合があって、加入すればいろんな仕事がけられて──。

 それさえ分かれば、生きていくには困らなかった。

(早いもんだな)

 あれから、何だかんだで三年。

 高校生だった俺も、今では二十歳はたちの成人だ。

 一時期は冒険を楽しんだり、元の世界に帰ろうとがんったりもしたけれど、今はもうそんな気力は残っちゃいない。人生、なるようにしかならないし、頑張ったところでむくわれるとは限らない。この三年で得たのは、そんな教訓くらいだ。

 だからまあ、俺はフリーターみたいな仕事を選んで、その日暮らしを楽しんでいる。

 あくせく働くなんてしように合わないし、そんなのめんくさいからな。自分で選んだ仕事だって、そんなに熱心にしているわけでもない。

(今日も適当に過ごすか)

 えたところで、こんな目標しか立てられない。

 そんな自分に特に思うところもなくて、俺はざばざばと顔を洗い、のたのたと階段を下りていった。

「……ご主人さま、おはようございます」

「あー、おはようさん」

 居間に入ると、ユミエルがむかえてくれた。

「今日の朝飯、なに?」

「……サンドイッチとトマトサラダ、それにスープがあります」

「いいね」

 軽く話をしながら席に着く。

 するとすぐにも食事が運ばれてきて、俺は早速、サンドイッチに手をばした。

「……今、お茶もお持ちしますね」

「おー、頼む」

 しいとはこのことだな。

 まあ、メイドだからそれが仕事っちゃあ仕事なんだけど、そこに性格が出ているような気がする。きよくたんな行動に走ることもあるけれど、基本的にマメでよく気のつくヤツだ。おまけに仕事熱心で、ほんと、俺とは何から何まで正反対な、

「……ご主人さま、今日のお仕事ですが」

「んー?」

 テーブルにカップを置くと、ユミエルがそう切り出してきた。

 仕事。イヤな響きだ。でも聞かなきゃしょうがないので、俺はユミエルの方を見た。

「なんだ? なんかあるのか?」

「……はい。上級区でわんちゃんのお散歩。中級区で調理補助。下級区で手紙の配達、荷物のうんぱん、船への積み入れがあります」

「うおおおおおっ!? な、なんでそんなに!?」

 らいなんて受けた覚えは!

「……わたしがとっておきました」

「おおおぉぉ……!」

 もう一回言おう。ユミエルは仕事熱心だ。仕事熱心で容赦がない。

 俺は働きたくないっていうのに、こいつはどんどん仕事を運んできやがる。

(散歩。ハロルドさんとこか!)

 上級区の奥様は、自分で犬の世話なんてしないからな。

 そういったことはメイドに任すか、さもなきゃ何でも屋に丸投げだ。

(調理補助。絶対《まんぷく亭》だ!)

 うちの近所にある大衆食堂だ。

 近ごろはんじようしてるから、手伝いだけでもクソだるい!

(配達、運搬、船への積み入れ……)

 ああああ、かんべんしてくれ!

 やりたくない、やりたくない、そんなことはしたくない!

 でも、だけど、やっぱり──。

(……ダメだ、断れない!)

 あきらめがどうにも悪い俺でも、断ったらどうなるかくらいは分かる。

 ハロルドさんにはねちねちいびられ、《まんぷく亭》でもこってりしぼられ、

「………………」

 それに、このメイドだ。

 目覚ましにナイフを使うようなヤツは、仕事にだってきようを持ち込む。

 ほら、今だってどこからともなくむちを取り出し、それを右手に構えている。

 めたの「や」の字でも口にしようものなら、あれでビシバシしばかれることは、もうすっかり体で覚えていた。

「えぇい、くそっ!」

 残ったサンドイッチをお茶で飲み込み、俺は勢いよく立ち上がった。

 すると鞭はするりと引っ込み、ユミエルがすすすと近づいてくる。

「……お出かけですか、ご主人さま」

「いや、まだ九時だろう? ゆうがあるっちゃあある。今日はいそがしそうだから、ちょっとごろごろして、英気を養って……ひっ!?」

 ピシッ! ピシッ!

 再び取り出した鞭をゆかに打ちつけるユミエル。

 そのんだひとみは、俺を見つめたまま動かない。

 経験上、あと一分もここにとどまれば、鞭がおいされることは分かっていた。

 ついでに言えば、それが本気だということも、手加減なんてしないということも、

「わーったよ! いくよ! 仕事だもんな! ちくしょー!」

「……いってらっしゃいませ、ご主人さま」

 観念した俺は、居間を出て、ろうを進み、げんかんとびらに手をかけた。

 すると見送りにきたユミエルが、俺にぺこりと頭を下げる。

 いつもの光景だ。いつも通りの光景だ。

 異世界生活は三年目をむかえたけれど、俺の暮らしはちっとも変化しなかった。


 ‐2‐


「A定食二つ、ポークジンジャー定食三つ、ざかな定食一つ、注文いただきました~!」

「あいよ~~~~っ!」

「追加でB定食! 二つね~!」

「おお~~~~~~っ!」

 散歩に行って、手紙を配達して、あっという間の昼の十二時。

 俺は近所の大衆食堂《まんぷく亭》で、ひたすら調理にはげんでいた。

「肉に魚に野菜にフライに……くそっ、どれか一つに注文絞れよ……!」

 なべやフライパンの並ぶコンロの前で、ぶつぶつ言いながら肉を焼く。

 するともわっと熱気が立ち上り、あせがだらだらと背中に流れた。

だいじよう? タカヒロ、お水飲む?」

「飲む……」

《まんぷく亭》のかんばんむすめ、カオル=ロックヤードは気配り上手だ。

 俺がへばりそうになると、すかさずフォローをしてくれる。

「おおう、まだはじまったばかりだぞ!」

「そうそう! タカヒロちゃん、ファイト!」

 カオルの両親、アカツキとケイトも大らかでいい人たちだ。

 俺が文句を垂れたところで、あの人たちは明るく笑い飛ばしてくれる。

「それでさあ。うちの店長ったら、また」

「やっぱここだよなあ! ほかじゃなかなかこの味は」

「おーい、じようちゃん! ビールくれや!」

 店のふんもなかなかいい。

 わいわいがやがやと活気のある店内は、昼も夜もにぎやかだ。

 俺はこんな空気が結構好きだ。《まんぷく亭》はかなりいい店だと思う。

 が! しかし!

 それは客として来た場合の話だ!

 ホールとちゆうぼう、カウンターで分けられた空間は、あっちが天国でこっちがごくだ!

 客のヤツらが楽しむ分、働く俺たちには負担になる。あいつらがのん気に注文を入れた分、俺たちは切って焼いて盛って運んで、額に汗してせっせと働く。

 たまらん。きつい。働く喜びがあればちがうんだろうが、

「さあ、やるぞぉ! ガハハハハハ!」

「どんどん運ぶわぁ! あはははは!」

 カオルの両親と違って、俺はそんなもん、持っちゃいなかった。

「お父さん! 注文、追加~っ!」

「おおうっ!」

「あなた~! 席空いたわよ~!」

「おおおおおうっ!」

 カオルやケイトが声を張り上げ、アカツキがドカドカと肉をたたき切る。

 そのだいおんじようにくらくらしながら、俺はただただ、この時間が過ぎ去ることをいのった。


「ぐあ……」

 厨房から出てきた俺は、ぐったりと机にした。

 時刻は十四時。ラストオーダーも済んで、店も準備中の札を出す時間だ。

 十一時に店に来て、都合三時間は働いていたことになる。その割には長く感じたランチタイムに、俺は身も心もすり減らしていた。

「思ったより注文が入ったなあ」

「そうね。あとで買い物に行かなくっちゃ!」

 貧弱な俺とは違って、アカツキもケイトも元気なものだ。

 昼が終わったばかりだというのに、もう晩のことを話してる。信じられん。

「さーて、メシメシ」

「ごっはん、ごっはん♪」

 まかないだってごうかいだ。

 やっぱりドカドカと肉も野菜も叩き切り、それをジャカジャカといためはじめた。

 ご飯は当然のように大盛りだ。それくらい食べなきゃ、《まんぷく亭》の仕事はこなせないんだろう。

 しかし、まあ、なんというか。

(前はこんなに忙しくなかったんだけどなあ)

 そう、この店は、前はあんまり繁盛してなかったんだ。

(半年くらい前だったか)

 うちの近所に店を開いて、もうそれくらいはつな。

 春先に一家で上京してきて、俺んちにもあいさつに来て、ようようと看板をかかげて──。

 で、見事に転んでしまったんだな。

(コンセプトは良かったんだがな)

 西洋の街で和食を売る。調理するのは東洋人の血を引くアカツキだ。

 これは本場の味が食べられそうだと、ご近所さんたちは大いに期待していた。

 俺だってそうだ。数年ぶりに銀シャリが食えると、かなりガチに喜んでいた。

 だけど、店で出されたのは、みようにちぐはぐなメニューで──。

(あれはひどかった……)

 おひたしにはバルサミコをかける。しるものには豆のポタージュを用意する。おまけにメインはくんせい鳥のオイル焼きで、つけものは野菜のピクルスだ。

 いや、マズくはなかった。単品で食べればなかなかいけた。

 ただ、米の飯に合うかというと、話は別だ。合わないことはないが、無理に合わせることもない。ストレートに「パンを出せ!」と言ってたヤツもいたからな。日本生まれの人じゃなくても、あれはちょっと受けつけなかったらしい。

 でも、しかった。ちょっとメニューを変えればどうにかなりそうだった。

 だから、知ってる限りのレシピを伝え、時には試作にも付き合ったんだが──。

 それが大当たりしたんだな。おもしろいくらいに見事に当たった。ものめずらしさと料理のしさから、《まんぷく亭》はすぐにも繁盛するようになった。

(そのおかげで、今の苦労があるんだけどな)

 良かれと思ってしたことが、思わぬ苦労も生んだというわけだ。

 それがどうにもやるせなくて、俺はだらりとうでを垂らした。

「タカヒロ~。まかない、できたよ~!」

「んあ?」

「タカヒロの分はわたしが作ったんだ! ほらほら食べてみて!」

 同じだけ働いたというのに、どこにそんな元気が残っているのやら。カオルが結んだくろかみらし、ご飯とおかずを持ってくる。

「いっぱい働いておなかいたよね? ちゃんと大盛りにしておいたから!」

 確かに、つかれて動けなくても、働いた分だけ腹は減る。

 俺はのろのろとはしに手をばし、皿の中をのぞき込んだ。

「おっ、今日は肉野菜炒めか。疲れたからありがたい」

「でしょ?」

「……おお、なかなかいいできだ」

「えへっ、そう? 美味しい?」

「ああ、うまい。飯がすすむ」

「そっか、よかったぁ。タカヒロってこういう味が好きだもんね!」

 俺の向かいで、にこっと笑うカオル。

 アカツキがハーフで、こいつがクォーターだったか。その割には結構日本人っぽいカオルは、だからなのか親しみやすいところがある。仲良くなるのも早かったし、最近はちょくちょく家にも来るしな。今もにこにこと俺を見ているし、その後ろではアカツキとケイトがにやにやと俺たちを見ていて、

かん社会かな?)

 そんなに見られるとかえってごこが悪い。

 だが、まあ、これにも慣れたもんだ。ロックヤード一家に見られたところで、もう慣れたというか、んだというか、

「…………ん?」

 なんかかんがあった。

 いつもの《まんぷく亭》に、今日はなんか違いがあるというか。

 具体的に言うと、俺を見ているヤツがいつもより多いような──。

「って、犬?」

 ふと足元を見ると、そこには大きな犬がいた。

 ゴールデンレトリバーっぽい犬が、おすわりをして俺を見上げている。

「どこから入ったんだよ、お前」

 聞いたところで答えが返ってくるわけがない。

 犬は笑ってるような顔で、へろへろと舌を出していた。

「どっから来たんだ?」

 やっぱり答えは返ってこない。

 ただ、こいつが飼い犬だってことは分かった。

 犬はもうちょっとさつばつとしているからな。こいつは毛並みもいいし、くさくもないし、そもそも首輪もちゃんとしている。この近くで飼い主とはぐれたってところか。それで、食べ物のにおいにられて迷い込んだんだろう。

「あとで家を探してやるかな」

 めんどくさいが、ほうってもおけない。

 てんじようを見上げ、ちょっとため息をついた俺は、また犬の方を見て、

「…………」

「わう?」

「わんっ!」

「……………………」

「わうん?」

「わふっ!」

(増えた!?)

 犬が増えた。

 い、いや、違う。正確には、犬っぽい子が増えたんだ!

「わんっ!」

 やたら身長の高い、いぬじゆうじんの女の子。

 ベビーブロンドのかみ。犬みたいな耳としつひとなつっこいがおも相まって、まるでゴールデンレトリバーが人間になったみたいだ。

「あら~、なになに? わんこちゃん?」

「タカヒロ、知り合い?」

「いや、知らねーよ。どっちも知らねえ」

「じゃあだれなの?」

 厨房からケイトがやってきて、続くカオルがわんこを見つめた。

 すると犬っぽい子はにぱっと笑い、俺たちに向かって口を開いた。

「あたし、クルミア!」

「クルミア?」

「この子はゴルディ!」

「わんっ!」

 どっちも聞いたことのない名前だな。

 それに思ったより声が幼い。体は大きいが、まだ子どもなんだろう。

 獣人の中には、そういった種族がいると聞いたことがある。体が先に大きくなって、心はとし相応に成長していくとか何とか。

 そうするとこの子も、まだ十歳くらいのねんれいで──。

「ゴルディ、見つけてくれて、ありがと!」

「は?」

「ゴルディ、さがしてたの。ありがとー」

「いや、俺は別に」

 見つけたわけでも、保護していたわけでもない。

 ただ、こいつが迷い込んできただけだ。俺はそう言おうとしたのだが、

「おれいしたい!」

「はあ?」

「おれい! ついてきて!」

 口を開くよりも早く、クルミアは俺の手を引いた。

 俺のズボンも、ゴルディなる犬にぐいぐいと引っ張られる。

「ま、待てって」

「わふっ!」

「おい、ちょっと」

「わうーん♪」

 じようげんな一人といつぴきに、俺の言葉は届いていないようだ。

 彼女らは尻尾をふりふり、俺をどこかに連れていこうとしている。

「あのなあ……」

 さすがにホイホイついていくわけにはいかない。

 このあとも仕事があるし、サボったらサボったでうちのメイドがうるさいし、

「いいじゃん、行ってあげなよ」

「カオル」

「ユミィちゃんには、わたしから言っておくからさ」

「いや、でもさ」

 ──────ん?

 悪くないんじゃないか?

 お礼を受けるという大義名分があれば、堂々と仕事をサボれるじゃないか!

 そうだよ、そうすりゃいいんだ! うんうん、ともそうするべきだ!

「よし、たのんだ!」

「はーい」

 くすくすと笑うカオルをその場に残し、俺は《まんぷく亭》を出ていった。

 どこへ行くのかは分からない。何をするのかも分からない。ただまあ、いかにもじんちくがいそうなわんこたちだ。まさか新種の客引きってわけでもあるまい。

「わん、わん、わわ~ん♪」

 上機嫌なクルミアに手を引かれながら、俺は楽観的に考えていた。

 ちがっても悪いようにはならないと、そう考えていたんだが──。


 ‐3‐


「クルミア! あなたって子は!」

 開始一秒でかみなりが落ちた。

 しきに入るなりごうが飛んできた。

「どこへ行っていたのですか!? よりにもよってこのような時期に!」

 グランフェリア下級区、ここはこの街で最も雑然とした区画だ。

 住宅、商店、色街にれい市場。こうわん、スラム、屋台通りに下水処理場。

 その混在ぶりはほかの区画の比ではなく、迷うと路地から出られなくなる、なんて話もある下級区。

 その一角にある《ブライトいん》で、俺は今、立ちくしているというわけだ。

「今朝も家から出てはいけないと、そう言ったばかりではないですか!」

「きゅ~ん……」

(職員か?)

 くらいのシスターは、俺をそっちのけでクルミアをしかっている。

 んで、クルミアとゴルディは、尻尾を足の間にはさみ、情けない声をもらしている。

「今はみんなで助け合って、身の回りにも気を配って!」

 すぐとなりにいるんだが、シスターは俺に気づいてくれない。

 注意が必要なのはこの人の方なんじゃないか? まあ、別にいいけどさ。

「あの……」

「はい!? ……って、あ、あら?」

 放っておけばいつまでもやってそうだから、いい加減に声をかけた。

 するとシスターはおこった顔でり向いて、すぐにもまどい、取りつくろう。

「ど、どちらさまでしょうか? 孤児院に何か、ご用事でも?」

「いや、用事があるのは俺じゃなくて」

「も、もしや!?」

「?」

 今度はシャキーン! と身構えられた。いまいちよく分からん人だ。

 お礼をされるつもりで来たのに、なんでこうなったんだか。

「えっと、その」

 どう切り出していいのか分からなかったが、とりあえずなんか言おうとした。

 しかし、それより早く、クルミアとゴルディが俺の前に出て、

「ちがう! ちがうの! この人、いい人!」

「わんわんっ!」

「まいごのゴルディ、見つけてくれたの!」

「わんっ!」

「あ、あら?」

 正確には違うんだが、わんこたちの中ではそうなってるらしい。

 俺をかばってわんわんわんわんえ立てて、それを受けたシスターは、バツが悪そうにそわそわしていた。

「あ、あらあら。まあ、わ、わたし。なんてことでしょう」

 そりゃこっちのセリフだ。

「と、とにかく! そういうことなら、お礼をしなければなりませんね!」

「わんっ!」

「どうぞこちらに。ささっ、どうぞこちらに……」

 照れかくしなのかなんなのか、やたら大きい声を出すシスター。

 彼女と笑顔にもどったクルミアにいざなわれて、俺は孤児院の中へと入っていった。


「するとタカヒロさんは、ゴルディを保護してくださっていたのですね?」

「結果的に、なんかそういうことになったみたいで」

らしいことです。クルミアは良き出会いにめぐまれましたね」

「わんっ♪」

 小さな教会にぞくする、これまた小さな《ブライト孤児院》。

 その院長であるシスター・ルードスは、俺にすすめながら微笑ほほえんだ。

「善行とは積もうと思って積めるものではありません。人とのえんも、またしかりです」

「はあ」

「主よ、良き若者との出会いに感謝を」

「わう~ん!」

 教会附属の孤児院らしく、シスターとクルミアは手を組んでいのりをささげた。

 ど、どうもずかしいな。ほんとに何にもしてないのに。

「それにしても、本当に助かりました」

「はい?」

「この子は少しやんちゃなところがありまして。ゴルディが見つからなかったら、どこまで探しに行っていたのやら」

「ああ。そんな感じはしますよね」

 目を向けられ、反射的ににぱっと笑うクルミア。

 じやがおを見せるこの子は、それもそのはず、なんと九歳児だった。

 成長の早い種族だという予想は当たったが、まさかひとけたとは。シスターが心配するのもなつとくの幼さだった。

「飛び出したクルミアがこんなに早く戻ってきて、本当に安心いたしました。つきましてはタカヒロさんに、何かお礼をしたいのですが」

「いやいやいや、いいですって!」

「しかし」

「いいですってば! そんなにえらいことをしたわけじゃないですし」

「ああ、何たるかんようさ! 主よ、良き若者はここにいます……!」

 俺が断ると、シスターは再び神様に祈り出した。

 ルードスさんは感激してるみたいだけど、俺はけんそんしてるわけでも何でもない。

(経営が大変そうだもんな)

 ヒビの入ったがいへき。補修されたステンドグラス。ろうは歩けばギシギシきしみ、通された部屋には机としかない。出されたお茶も出がらしのようで、お菓子に至っては雑穀の混ざったクッキーだ。

 こんな状態の孤児院から、お礼を受け取れるはずがない。

 仮に受け取ってしまえば、ねむりもめも悪くなることけ合いだった。

「本当に、お気になさらずに」

「すみません、すみません」

 たかひろはいりよに、シスターはぽろぽろとなみだまでこぼし始めた。

 大げさなようではあるが、それほど切実なのだろう。貧困に苦しむシスターに、ついつい俺は、寄付でも申し出ようと思ったが、

「シスターをいじめるなぁ~!」

「お、おかあさんからはなれろ!」

「んごっ!?」

 手を差しべるよりも先に、後頭部を思い切りたたかれた。

「な、なんだお前ら!?」

 振り返った俺が見たのは、手に手にほうきめんぼうを持った子どもたちだ。

 そのちびっ子たちは、なぜかいかりに顔をゆがめ、俺におそいかかってくる。

「このっ! このおっ!」

「ちょっ、めっ!」

「出ていけーっ!」

「お前らっ、なんでっ!」

 周りを囲まれ、ボコスカと叩かれる俺。

 それにあわてたルードスさんが、悲鳴のような声を上げる。

「こら、あなたたち! 何をするのですか!?」

「だってシスター! こいつも管理員なんだよね!? シスター泣かしてたじゃん!」

「違います! この人は違うんです!」

「違わないよ! このおっさん、悪そうな顔してるもん!」

「おっさん……!?」

「わうっ!」

「なんだよ、クルミア! お前、悪もんの味方するのか!?」

「わうっ! わうぅ!」

 暴れまわる子どもたち。

 それをしゆうしゆうしようとするシスター。

 そして、おっさんあつかいされて地味に傷つく俺。

 全員が落ち着いて話ができるまで、しばらくの時間を要した。


「本当に申し訳ありませんでした!」

「「「ごめんなさ~い!」」」

「わうぅぅ~ん」

「いや、いいんですよ? ほんとに」

 せまい部屋で子どもや犬が飛んだりねたり。

 部屋も人もボロボロで、ついでに俺の心もボロボロだった。

「しかし、俺を管理員と間違えるなんてな」

 よりにもよってそんな間違いをされるとは思わなかった。

 管理員。正確には区域管理員と呼ばれる者は、要するに役所の人間だ。

「俺はそんなに立派な人間じゃねーよ」

 自分のようなぐーたらが、真面目まじめな役人のはずがない。

 そう思った俺は、ガキどもに笑いながらそう言ったのだが──。

「いいえ。あの者らに比べれば、タカヒロさんは聖人のようです」

 予想に反し、ルードスさんは苦々しげにき捨てた。

「そうだよ~! あいつら、僕らをここから追い出そうとしてるんだ!」

「わんわん!」

いやがらせもたくさんしてくるんだよ!」

「えっ? ええっ?」

 聞きちがいかと思いきや、子どもたちもさわぎ立てている。

 しかし、まさか、そんなことがあるはずがない。相手は仮にも公務員だぞ?

 そんな話、今まで聞いたことも──いや、ある!

「まさか、不正に建物をせんきよしてるとかじゃ」

「違います! このいんは五十年も続く、ゆいしよ正しい孤児院です!」

「え? じゃあ、なんで……?」

「それがですね」

 まるで事情をつかめず、まどうばかり。

 そんな俺に向けて、ルードスさんはしんみようそうに話を切り出したのだが、


「おい、なんだぁ!? このボロ孤児院は、客もむかえねえのかぁ!?」


 建物ごと、ビリビリとふるえるような大声だった。

 それが聞こえたたん、ルードスさんはギュッと口をつぐんでしまった。

「どこにいやがる! ええ!?」

 ドスドスとひびわたる足音。

 見ると、子どもたちもきように固まってしまっている。

(なんなんだ……?)

 分からないのは、またもや俺ばかりなり。

 イヤな予感はするが、その正体は分からない。

(いったい、だれが来たんだ?)

 ドアに目を向ける。すると、すぐにもそれはり開けられて──。

「おうおう、こんなとこにかたまってやがったかぁ!」

 どう見てもカタギには見えないお方が現れた!

(って、ヤクザァァァァァ!?)

 いやああああああっ! ヤクザァァァァァッ!

 純度100%のヤクザやないかい! なんでこんなところにヤクザなんぞ!?

(い、いかん。混乱してるな)

 エセ関西弁になってしまった。

 いや、でも、どうしてヤクザが孤児院に──?

 ますます混乱する俺を残し、ルードスさんはずいとヤクザの前に立った。

「何の用ですか、フォルム管理員」

 管理員!? ヤクザじゃなくて管理員!?

(めっちゃカタギの人じゃねーか!)

 それにしてはいかつい顔で、フォルムはドスのいた声を出した。

「おいおい、とぼけんなよ? 今日こそはいい返事を聞かせてもらうぜ?」

「何度来られても答えは同じです!」

「そうは言っても、もう男がいるみてえじゃねえか」

「なっ!? し、失礼な!」

「もう体を売ってるなら話ははええよな? さっさとミケロッティのだんめかけになりなよ。そうすりゃ、孤児院へのえんじよも元通りだ」

「止めて! 子どもの前でそのようなけがらわしい話……帰って! 帰ってください!」

「おお、こええ、こええ。まあ、いいや。どの道、妾にならないならこの孤児院も取りつぶしだ。今日はそれを伝えに来ただけだからよ。今後の身のり方は考えておけよ? そのガキどももふくめて……な。ひゃーっはっはっは!」

 かたで風を切り去っていく、ヤクザのようなふうぼうの管理員。

 泣きくずれるみようれいの女性に、彼女の周りで涙ぐむ子どもたち。

(すげえ……なんか……なんというか……)

 こんな典型的な悪党、久しぶりに見た。

 この光景だけでも背景がけて見え、俺はすっかりげんなりとしていた。

「はあ……」

 ちょっと外の空気を吸うため、部屋を出て庭へと向かう。

 外はこんなにも晴れているのに、ここらへんだけどんより暗い。重たい。

「なんだかなあ」

 ここは異世界だけど、楽園じゃない。

 こういった話もあるし、もっとひどい事件もあるだろう。

 だけどやっぱり、目の前でやられると、どうも気分がうつうつとして──。

「くぅ~ん……」

「ん?」

 庭を前に物思いにふけっていると、とぼとぼとクルミアがやってきた。

 がおや元気はどこへやら、しょぼんと肩もしつも落とし、この子はか細い声を出す。

「ごめんなさい……」

 お礼をするつもりが、とんでもない場面を見せてしまった。

 それに対するごめんなさいなんだろう。クルミアは本当に申し訳なさそうな顔で、俺に対してつかずはなれずの場所で止まる。

「なんだ、気にすんなよ。お前のせいじゃないだろ」

「ごめんなさい……」

 グスグスと涙ぐんでいる。

 それでも謝罪を続けるクルミアに、俺は──。

「はあっ」

 そっと息をはき、こう切り出した。

「なあ、俺の仕事、知ってるか?」

「え……?」

「何でも屋だ。文字通り、何でもやる仕事をしてる」

 とつぜんの話に、クルミアはきょとんとしている。

 それもそうか。俺だってこんなことを言われたら、きっと同じ顔をする。

 だけど、違うんだな。これはちゃんと、意味のある話なんだ。

「分かるか? 何でもやるんだ」

「……?」

「客が望んだ通りのことをする。この意味が分かるか?」

「……っ!」

 ここでようやく、クルミアがハッとした顔をした。

 おどろきで目を丸くして、信じられないという表情をして──。

 それでもぽつりとこう言った。

「たすけて」

 クルミアはわなわな震えると、たまらずさけんだ。

「おかあさんを、たすけてあげて!」

「分かった」

 なみだをぽろぽろこぼすクルミア。

 その頭に手をのせて、俺はこれだけ言い残した。

「まあ、ちょっと待ってろ」

 そして、俺は《ブライト孤児院》をあとにした。

 暮れていく街を歩き、下級区をけ、中級区にもどってきて──。

 そして、事務所の方から家に入り、そこにいた相手に声をかけた。

「お~い、帰ったぞ~」

「……ずいぶんとかかりましたね。もしかして、仕事も済ませてこられたのですか?」

 書類仕事の手を止め、俺をむかえたユミエル。

 相変わらず表情のないメイドに、俺は短く返事をする。

「いや、仕事はこれからだ。ユミィ、ついてこい」

「……かしこまりました、ご主人さま」

 俺が声をかけると、何も聞かずにしゆつたつの準備をする。

 常の鉄仮面ぶりはどうかと思うが、多くを聞かないユミエルの性格が、俺はそんなにきらいじゃなかった。


 ‐4‐


 ける。駆ける。夜の街を駆ける。

 音もなく駆け抜けて、かげのようにやみけ込み、時には屋根へと飛び上がる。

 そして、王貴区の中央、ひときわ高いしようろうで足を止めた俺は、そっと耳元に手を当てた。

せんにゆう成功。そちらはどうだ?」

『……問題ありません。視界は良好です。おーばー』

「あのなあ……いや、けい隊の様子はどうだ?」

『今のところ、特に変化は見られません。おーばー』

じようだんで教えたことをいちいち言わんでいい! ったく、じゃあ、引き続きけいかいたのむ」

『……りようかいしました。おーばー』

「くうっ……! お前ってヤツぁ……!」

 ゆうずうがきかないのか、おちょくられているのか、どっちだ?

 通話スキル【コール】を通して聞こえてくる無機質な声からは、いまいちどうなのか判別できなかった。

「っとと、やば」

 冗談に気を取られている場合じゃない。ここはすでに敵地だ。

 口元を押さえながら辺りを警戒し、自分の目でも警邏隊の動きをさぐる。

「さすが貴族。に広いよな」

 鐘楼の上から街をわたす。

 俺の視界に広がっているのは、おうこう貴族の住まう王貴区の景色だ。

 通りは広々として、建物は立派で、そびえ立つ王城は遠くからでもようが伝わる。これからしのび込む貴族のしきだって、どうせやたらでかくてごうなものだ。下級区、中級区とはまるで別世界のような街並みに、俺はかえってあきれてしまった。

「おっと。警備兵に犬もいるな。わなもある」

 鐘楼から屋根へと飛び移り、それを伝ってミケロッティていの近くまで来た。

 予想にたがわぬ大豪邸だ。その庭にもしきにも、警備の目が光っている。

「めちゃくちゃ金かけてそうだな」

 やっぱり呆れが先に来る。

 もうちょっと小さい屋敷にしたら、色々節約できそうなのに。

 いや、でも、ミケロッティははくしやくらしいからな。その地位に見合うだけの家が必要なんだろう。貴族同士、家での付き合いもありそうだし、

「いかん、集中、集中」

 わき道にれていた思考を元に戻し、俺は【夜目】で屋敷を見た。

 分かる。全部分かる。たとえ夜だろうがなんだろうが、俺には全部見えている。

 だれがどう動いて、どこに何があって、何をしているのかも、全部、全部──。

「よし」

 目星はついた。指針も立った。

 ミケロッティ邸への潜入は、危険の少ないルートが見つかった。

「交戦はけたいからな」

 別に見つかっても構わない。

 戦うつもりなら、あえて姿を見せて大暴れしてもよかった。

 しかし、今回は事情がちがう。今回の目的は「敵のせんめつ」ではなく「敵の改心」。誰にも気づかれず、目的を達成する必要がある。

 理想的な展開としては、「朝起きたら、ミケロッティが善人になっていた。それ以来、たみのために身をけずってくすようになりましたとさ。めでたしめでたし」となるのが望ましい。誰かに見つかってしまえば、ぞくが何かをしたとあやしまれてしまう。

 あくまで自然に、自分の意思で、ミケロッティにはおいたやご乱行を改めて欲しい。

 そのためのスニークミッションだった。

「さ~て、待ってろよ、悪代官め」

 高いてつさくも飛びえて、音もなくミケロッティ邸へ忍び込む。

 シスターの話を聞いた時はひき肉にしてやろうかと思ったが、そんなことをしてもしょうがないからな。代わりのクズはいくらでもいるだろうし、そもそも、人の暗殺なんて俺がやりたくない。

 だからこそのミケロッティ改心なんだが──。

(まずいな、ほかに誰かがいるぞ)

 王貴区は警備が厳しい。

 表通りは警邏隊、屋敷の敷地には警備兵と、ガチガチに警備を固めてある。

 反面、屋敷の中は結構ザルなことが多い──はずなんだが、ミケロッティの部屋の中には、どうやら他の誰かがいるようだった。

(起きている。それに武器を持っているな。用心棒か?)

 視界に映る【レーダー】では、そこまでは分からない。生き物は光点で示されるが、どんな姿なのかまでは分からなかった。

「なら、これだ。【インビジブル】」

 そうつぶやくと、俺の体は消えていった。

 だけど、俺は変わらずここにいる。ただとうめいになり、俺もふくめ、誰の目からも見えなくなっただけだ。

「手っ取り早くねむらせるか」

 透明なままポケットをまさぐり、《眠り玉》を取り出す。

 これは、割れればさいみんガスがき出すアイテムだ。これさえ使えば、まあ、おん便びんに事は済むだろう。もしかして、もしかすると、相手が【すいみん】を防ぐアイテムを持っているかもしれないけれど──。

 まあ、その時はその時だ。

 当て身でも何でもらわせて、ミケロッティたちにはさっさとおねんねしてもらおう。

(さあ、いくぞ!)

 名のある貴族。高名なしんせいれんけつぱくなミケロッティ。

 その実、権力に物を言わせて女をこうとするクズは、とも改心していただく!

 決意を固めた俺の行動に迷いはない。そっととびらを開けて、部屋の中へと忍び込み──。

 そこで、とんでもないものを見た。


「はおっ! はおっ! お、おおお! もっと、も、もっとむちをぉぉぉぉっ!」

「ほーっほっほっほっ! ぶた! これがいいの、うすぎたない豚め!」

 ピシャーン! ピシャーン!

「ぶひぃぃぃぃぃ!」

「これね! ここなのね、豚!」

 ピシャーン! ピシャーン!

「ピギィィィィィィィィ!」


 豚がいた。ミケロッティという名の豚が。

 豚はいつくばってしりを出し、ボンデージファッションの女がそれを鞭でしたたかにたたいている。

 するとますます豚は喜んで、涙とよだれを部屋のあちこちにき散らす。

「おーっほっほっほっ!」

「ぶひぃぃぃぃぃ~~~~~~!」

「おーっほっほっほっほっほっほっ!」

「ぶひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~~!」

『……ご主人さま、あと二十秒で【インビジブル】の効果が切れます』

「……はっ!」

 理解をえた光景に、意識が別世界へと旅立っていたようだ。

 危ないところでユミエルの声に救われ、俺はグッと親指を立てた。

「ユミィ、ナイスアシスト!」

『……お役に立てたようで幸いです』

「そして変態ども! 喰らえ! 《眠り玉》ァァァ!」

 予定通りに催眠ガスがじゆうまんし、すぐにも豚の鳴き声は聞こえなくなった。


【スキャン】でかくし扉や金庫を探し、【かぎ開け】でそれらを開けていく。

 そこからうらちよう簿を引き出しながら、俺はユミエルと【コール】をしていた。

『……ミケロッティはSとM、どちらもいける口だそうですよ』

「知りたくなかったなあ、それは」

『……そうですか、それは失礼しました』

 女をめちゃくちゃにしたいし、めちゃくちゃにされたいのか。

 なんだそれは、どんな変態だ。やっぱこいつ、ちゃんと成敗した方がよくないか?

(い、いや、ダメだ。まん我慢)

 ミケロッティはこんな見た目で、ほとんど前科のない豚だ。

 どうも悪い友人にそそのかされていたようで、ちやをはじめたのも最近の話だとか。

 それならこいつには、このまま管理員でいて欲しい。下級区の管理員のトップであり続け、ずっと仕事を続けて欲しい。

 ただし、それはめちゃくちゃでかいくぎしてからだ。

 隠されていたものを全部ぶちまけ、かべにインクで、

「次はない」

 と書き込んで、俺は刷毛はけほうり捨てた。

「よしっ」

『……終わりましたか?』

「ああ。まあ、これでいいだろ」

『……元は善人だそうですからね』

「改心する余地もあるだろうさ」

 そう言いながら、俺は手をはたいて窓へと向かった。

 そして、開け放った窓から飛び出すと、元来た道を引き返していった。

「……おつかれさまでした」

「ああ」

 走り続けて十分。

 王貴区を囲むじようへきに飛び移った俺は、そこにいたユミエルと合流した。

「……見事なお手並みでした。今のところ、通報などはありません」

「まあ、せつこう職としては、これぐらいはな」

「……しかし、家にもどるまでは」

「ああ。おんみつ行動にてつするぞ」

 そう言ってユミエルをかかえると、俺は反対側、上級区に向かって飛び下りた。

 当然、音もなく着地した。誰にも見つかることなく、路地に入り込んだ。

「行くぞ」

「……はい」

 ものかげでユミエルを下ろすと、俺たちは家に向かって走り出した。

 飛ぶように流れていく景色。羽のように軽く、しかし、力強くやくどうする肉体。

 それらを感じていると、俺はいつも思うことがあった。

(ほんとに、ゲームみたいな世界だな)

 ある日、とつぜん、迷い込んでしまった世界。

《Another World Online》とそっくりの世界。

 レベルがあり、ほうがあり、魔物も生息するこの世界では──。

 なぜか俺は、VRゲームでの俺と同じ力を持っていた。

(カンストレベルの暗殺者、か)

 つうの高校生じゃない。貧弱な今どきの若者でもない。

 今の俺はレベル250の斥候職、神をも殺せる《パニッシャー》だ。

 悪徳貴族くらい、やろうと思えば王貴区ごとぶっつぶすことができた。

(やっぱわけ分かんねえよな)

 なんでこうなったのか、この世界はなんなのか、分からないことが多過ぎる。

 そのくせ問題は山積みで、なまじ力がある分、困った人を見て見ぬふりはできない。

 いっそゴミクズみたいな性格なら、もっとずっと楽な暮らしもできるんだろうけど、

「はあ」

 そんなことはできないし、えいゆうになったり王様になったりってのもガラじゃない。

 だから俺は、なるべく目立たないように動いていて──。

 いつもこそこそ、こうして路地裏をけ回るのだった。


 ‐5‐


「本当に不思議な話ですよね?」

「はあ」

「まさかあのミケロッティが、ざんをしに来るだなんて……」

「そうですねえ」

 あの夜から数日後、俺はユミエルを連れて《ブライトいん》をおとずれていた。

 そこで会ったルードスさんに、俺は話を聞いていたんだが──。

 どうやらくいったみたいだ。効果覿てきめん、ミケロッティはしたらしい。

「これもきっと、神様のおぼしですね」

(あいつにとっちゃ悪魔のいんぼうだろうけどな)

 けいかい厳重なしきしのび込まれ、好き放題にやられたんだ。

 次はないの警告も、ミケロッティには命のことなんだか、悪行の告発なんだか、どっちのことだか分からないはずだ。

 だからすぐにもあくえんって、ルードスさんに謝りに来たんだろう。

 ついでに懺悔をする辺り、本気でビビっているのが目にかぶようだった。

「まあ、これにて一件落着ってやつだな」

 ルードスさんと別れると、うんとびをして庭を見る。

 そこでは子どもたちが元気に駆け回り、この前にはなかった活気があった。

「やれやれ」

 ふっと息をはき、かたからすとんと力をいた。

 肩の荷が下りたって感じだな。これでこの孤児院もだいじようだろう。

「あっ、タカヒロ!」

「ん?」

 ぼけっとっ立っていると、後ろからだれかが抱き着いてきた。

 かなりおおがらだな。って、クルミアか。

「タカヒロ~! わうわうわうわう!」

「ちょっ、落ち着け!」

 やたらハイテンションなクルミアは、ぶんぶんしつって俺にまとわりついてきた。

 そこにゴルディも飛びついてきて、俺は大きなわんこたちにもみくちゃにされる。

「こら、うぶっ、ま、まっ、うあっ!」

 あー、ダメだ。しばらく収まらんな。

 ゴルディには顔をなめ回されて、クルミアには何度もハグをされて、

「あ~……」

 五分か? 十分か?

 俺はもう、それくらいの時間はかくしていたんだけど──。

 どうしたことか、クルミアは俺からはなれ、もじもじと体をらしはじめた。

「あ? 今度はなんだ?」

「あのね、あたしね、あのね?」

「うん」

 なんか言いにくそうだけど、悪いふんじゃなかった。

 クルミアはちらちらとこっちを見ては、なんかうれしそうにしている。

 なんだろうか。ああ、もしかして、ミケロッティの件でお礼を言いたいのか?

「まあ、あれくらいは」

 軽いもんだ。

 そう言おうとしたところで、

 ちゅっ。

 ほっぺにやわらかいものを感じた。

「タカヒロ、ありがと!」

 俺にキスをしたクルミアは、まぶしいがおで庭へと駆け出していった。

 もうなやみも何もない、晴れ晴れとした表情だった。

「………………」

 ひょっとして、今のはほうしゆうのつもりなのか?

 悪徳貴族をこらしめたお礼が、九歳児のキス?

「まあ、いいさ」

 ふっと笑ってきびすを返す。

 たまにはこんなことがあってもいい。こんな報酬もたまにはいい。

 そんなことを思いながら、俺はみようさわやかな気分で孤児院をあとにして、

「……ご立派ですよ、ご主人さま」

「ん?」

「……人助けは大変よいことです」

「まあ、な」

 横から出てきたユミエルと、今回のことについて話す。

 相変わらず無表情だけど、どこかこいつも満足げだ。なんかこいつは、俺が善人っぽいことをすると喜ぶような節がある。

 だからユミエルは、こんなことまで言い出して──。

「……今日はごそうにしましょう。いいお肉があります」

「おっ! いいね」

「……たくさん食べて、ゆっくり休んでください」

「いいね、いいね!」

 心がウキウキとおどり出す。

 うんうん、善行は積むもんだな!

 こんな展開が待ってるなら、タダ働きも悪くは、

……明日あしたも仕事がありますからね

「うぐっ!?」

 一つの仕事を片づけると、次の仕事が現れる。

 俺はできれば働きたくないし、基本的にはごろごろとしていたいんだが──。

 どうもそれは、かなわぬ夢というものらしかった。




第二章 教えて! 佐山先生編


 ‐1‐


 この世界において、強さというのは一種のステータスだ。

 強い戦士。強い魔法使い。

 そういったヤツらは、みんな一目置かれている。びんぼうでも見た目が悪くても、強いというだけで特別なあつかいを受けている。

 なんせ、ここはゲームのような世界だからな。いくら金持ちだ、上流階級だと言ってみても、レベルが低い雑魚ざこは一人前の人間とは見なされなかった。

 だからこそ、どの国も教育には力を入れている。レベルを上げ、スキルを覚えさせ、全体的な底上げをはかろうとしている。

 そのために、イースィンドも国内のあちこちに学校を建てているんだが──。

 その中でも《グランフェリア王立学園》は別格だ。王都の中心地近くにあるこの学校は、大陸でも>《くつの名門校として知られている。

 まあ、それも当然のことだと思う。

 ゆうしゆうな教師じんじゆうじつした設備、地下には練習用のめいきゆうまで備え、それでいて校舎の見た目もはなやかだ。これほどの学校は、ちょっと今まで見たことがない。登校してくる生徒たちの顔も、何やらしいように思える。

 まさに名門校って感じだな。あの時計とうなんて、いかにも歴史がありそうで──。

 いや、そんなことはどうでもいいんだ。

 問題は、なぜ、俺がここにいるかだ。

 俺はどうして、その学園の前に突っ立っている。

 かみを整え、しようひげをそり、のりいたシャツにうでを通して──。

 なんで、勤め人みたいな格好をしているんだ!?

(いや、そんなの分かってる。分かってるんだ)

 思い出すもいまいましい、つい先日の大失態。

 あれが俺のぐーたら生活を乱したのは、疑いようのないことだった。


 ‐2‐


 あの日は、とても暑い日だったのを覚えている。

 冷えたビールがい日だった。予定より早く仕事を終えた俺は、《まんぷく亭》でいつぱいやっていたんだ。

「おーい、カオル。ビールのおかわり!」

「はーい!」

 そりゃもうじようげんだった。なんせ、仕事が急になくなったからな。

 先方の都合でらいをドタキャンとか、もうどんどんやってくれって気分だった。

「はい、お待ちどおさま! それと、これはおまけね♪」

「おお、すまんな!」

 おまけに、つまみもよかった。

 小魚のからげにフライドポテト。ハーブを練り込んだソーセージに冷たいラタトゥイユ。そこに日本らしい一品も加わって、俺はますます上機嫌になっていた。

「あ~、美味い。カオルのヤツ、腕を上げたなあ」

 レシピをわたしたがあったというものだ。あの玉子焼きみたいに、近ごろは和食がサッと出てくるようになっていた。それがいつもぜつみようのタイミングで、ついつい、俺は慣れない酒を注文していた。

「はー、次はワインでも飲んでみるかな」

 なんて言いながら、すでにぱらっていた俺は──。

 なんか、店におかしな客がいることに気がついた。

「どうしよう、どうすれば、ああ、ああぁ」

 俺が座ったカウンター席のはしで、きんぱつ眼鏡のインテリが頭をかかえていた。事情は知らなかったが、相当せつまっているように見えた。目の前に置かれたビールのあわけ、料理が冷めていることにも気づいていない。

「ぼ、僕はできないって言ったんだ……! なのに、なのにせんぱいは、主任だって、教頭だって……ううう!」

 インテリ兄さんはなみださえかべている始末。

 これがどうにも湿しめっぽく、俺は話を聞いてやることにした。

「おいおい、何があったんだよ」

「はいっ!? な、なんですか、貴方あなたは……!?」

 子ネズミのようにビクリとふるえ、けいかいしんあらわにする眼鏡。童顔なのも相まって、自分が悪い事をしているように思えた。

 だからなるべくフレンドリーに、自分のじようを明かすことにした。

「俺? 俺はあやしいもんじゃないって。ほら、すぐそこにある店の、何でも屋」

「何でも屋!?」

「ぉおん? ああ、そうだよ?」

 話のちゆうだったのに、眼鏡は体をグイと近づけてきた。

 そのまま目をギラギラと光らせると、すがるように俺に食いついてくる。

「何でも屋、ってことは、顔が広いんじゃないですか!?」

「あ、ああ、それなりに知ってるヤツは多いけど」

「ああ! ああっ! そ、それなら、【迷宮たんさく】のスキルを持っているぼうけん者を知ってはいませんか!?」

「【迷宮探索】ぅ? 初歩の初歩じゃねえか、んなもん。俺だって持ってるわ」

【迷宮探索】とは、迷宮内で様々なおんけいあたえてくれるパッシブスキルだ。持っているだけで感覚はするどくなり、わなや宝箱にも気づきやすくなり、マップの作成も大いにはかどる。せつこう職としては覚えておきたいスキルで──。

「あ、あなた、持ってるんですか!? 【迷宮探索】!?」

「ああ、持ってるよ。【地図作成】や【だつしゆつ】、【罠かい】だってあるぞ」

「お、おお……おおお……素晴らしい……! 素晴らしい……!」

 俺のかたをガッシリとつかみ、ぼろぼろとぼうの涙を流す眼鏡。

 そいつはハンカチで涙をぬぐうと、キリッと顔を引きめてこう言った。

「先ほど、貴方は何でも屋だとおっしゃいましたね?」

「ああ、そうだよ」

「では、貴方に依頼があります」

「おー、どーぞどーぞ!」

「学園の講師になっていただけませんか!」

「学園の……講師?」

 この辺りで学園って言ったら、近所の子が通う《ミルポワ学園》だ。そんでもって講師ってのは、ほとんどもりのようなものだ。食事もひるの時間もある、結構楽な仕事だと、近所のお姉さんが言っていた。

 それを思い出した時点で、俺はいい話なんじゃないかと思っていた。

 これはもしかすると、のんびりできるいい仕事なんじゃないかと。

 だから俺は、よく考えもせずに引き受けていた。自信たっぷりに胸をたたき、俺に任せろと言い放ってしまった。

「おう! 任せろ! 俺にな~んでも任せろ!」

「そ、そうですか! 引き受けてくれますか! ありがとうございます!」

「な~に、この世は持ちつ持たれつ! 困った時はおたがい様! わはは!」

「いや~、良かった! にん早々、貴方のような人に出会えて!」

「よせよ、照れるだろ? はは!」

けんそんはよくないですよ? ははは!」

 先ほどまでの落ち込んだ様子はどこへやら、喜色満面でジョッキをかかげる眼鏡。

 そこに俺もジョッキを合わせ、それが空だと気づいてカオルを呼んだ。

「カオル~! 酒! 酒のおかわり~! あ、あとてきと~につまみをたのむ~」

「あ、僕にもお酒のおかわりを!」

 眼鏡はグッと酒を飲み干し、新しい物を頼んでいた。

 なかなかにいいペースだ。俺も負けてはいられない。

かんぱい!」

「乾杯!」

「この出会いにかんぱ~い!」

「俺たちの夜は、まだ始まったばかりだぜ……!」

 ジョッキを合わせ、酒を飲み干し、かいなひと時を過ごす俺たち。

 あの時は、あの時間だけは、確かに楽しかったんだが──。


「……ご主人さま」

「う、ぐ、むむ~」

「……ご主人さま、起きてください、ご主人さま」

 次に気がついた時、俺の体は何やらすられていた。

 外が明るくなっているのは分かった。だが、まだねむい。まだまだ眠い。眠かった。

 だから毛布をかぶり、体を丸めてを決め込んで【きんきゆう回避】!


 ──ドズンッ!


「ふおおおおおおおおおっ!?」

 自動回避スキルが発動し、俺の体がスライドした。

 そして、俺の体のあった位置には、黒く無骨な鉄球が──。

「……おはようございます、ご主人さま」

 ゾッとする俺に、いつもの調子でおはようを言うユミエル。

 そんなきようのメイドに、文句の一つでも言ってやろうと思ったら、

「……さつそくですが、来客です」

「はぁ? 来客ぅ? こんな時間にアポもなしにか?」

「……いえ、ご主人さまと昨夜ゆうべ、約束をわされたそうです」

「へぇっ!?」

 身に覚えがなかった。

 そもそも、寝る前に何をしていたのかおくになかった。だというのに、約束の相手とやらは、きっちり店の前で待っていた。

「おはようございます、タカヒロさん。少し早いですが、むかえに参りました」

(……だれだこいつ?)

 見たことがあるような、ないような。どこか子犬を思わせる童顔のお兄さんは、やっぱり見たことがあるような、ないような。

「……さすがです、ご主人さま。ようやく労働への熱意に目覚めたのですね?」

 いぶかしむ俺の後ろでは、ユミエルがこわいことを言っていた。

 自分が知らないところで、とんでもない事態が進行しているように思えた。

(労働? 熱意? イ、イヤだ! 俺は働きたくなんて!)

 二日酔いのダルさも手伝って、思わずげ出そうとしたほどだ。

 しかし、それより早く、眼鏡は俺の手を取って、

「さて、馬車も待たせています。早速ですが、学園へ向かいましょう」

 ──ん? 学園?

(………………っ!)

 のうに昨夜の記憶がフラッシュバックした。

 そうだ、俺はこの眼鏡に、講師という名の子守を任されたんだ!

 そうと分かれば、こうしちゃいられない。食っちゃ寝タイムが俺を待っている!

「ああ、そうだな、出かけよう! ユミィ、留守は任せた!」

「……ご立派になられましたね」

 ハンカチを目元に当て、喜ぶユミエル。涙出てねえぞ?

 ともあれ、これでこいつの目をのがれて堂々と昼寝ができる!

 いい……! いいぞ……!

「出してくれ!」

 ぎよしやに声をかける眼鏡。ガタゴトと音を立てて馬車は走り出した。

「しかし、なんだな。学園に行くのに馬車か。ちょっと大げさじゃないか?」

「はは、またまたごじようだんを。歩いて行ったらそれだけでつかれてしまいますよ」

 ──《ミルポワ学園》は歩いて十分程度なのに?

 ここで軽くかんを覚えたが、少しもしないうちに眠気がおそってきた。

「ああ、眠いのですね? 着いたら起こすので、寝ていてもらってだいじようですよ。昨日の今日ですものね、僕も眠いです、はは」

「だよな? じゃあ、お言葉に甘えて」

 楽な姿勢を取り、大きく息をつく。

 するとすぐにも意識は遠のき、俺はまどろみの中へとしずんでいった。


「タカヒロさん、起きてください、タカヒロさん。着きましたよ」

「んおっ? お、おお」

 思ったよりも長く感じられた。

 三分ぐらいの道中にしては、よく寝られた気がする。

 しかし、それでも眠いものは眠く、俺はあくびをしながら馬車を出た。

「ふぁあ~あ」

 あくびをかみ殺しもせずにびをする。

 それからぼやける目をこすり、何気なく辺りを見回して、

「……はっ?」

 思わず体が固まった。予想外の景色に思考もこおりついた。

 ふるえる指で何とか正面を指し、やっとの思いで眼鏡に問いかける。

「ここ……どこ……?」

「やだなあ、タカヒロさん。寝ぼけているんですか? もう学園ですよ」

「いや、ミルポワ……え? あれ?」

「どんな夢を見ていたんですか? ふふ。ここは──」


《グランフェリア王立学園》ですよ。


 目の前に広がる白いいしだたみ。アホみたいにそうしよく過多の校門。奥に見えるのは、うわさに聞く時計とうだろう。

 ちがいない、ここは、噂の《グランフェリア王立学園》。金持ちや貴族が集まり、エリートを育成するための学校だ。

 そこに俺は、講師として連れて来られたんだ!

「お、お、おおおおおお……!?」

 混乱のきよくにあった俺の口からは、なんかおかしな声がれ出していた。

 そんな俺の様子を気にすることなく、眼鏡は俺を職員室へと連れていった。


 ‐3‐


「フランソワ様、聞きまして? 何でも、新しい先生が学園に来ているそうですわ!」

「あっ、私、見ました! エリック先生のとなりを歩いていた方ですわよね? くろかみ黒目で、オリエンタルな方でしたわ!」

「私も見ました! 確かにオリエンタルでしたが、その……何だか、みすぼらしくありません? あの方」

「ですわよねぇ~? エリック先生も、なぜあのような方を連れてこられたのか……理解に苦しみますわ」

 かしましい少女たちだった。小鳥のようにさえずって、いつも噂話に興じている。

 そんな取り巻きたちにいささかへきえきしながら、は重い口を開いた。

「強いか、弱いか。大事なのは、その一点のみです」

 ギョッとこうちよくする少女たち。

 げんそこねたとでも思ったのか、彼女らはすぐさま意見を合わせてくる。

「そうですわね、フランソワ様! その通りですわ!」

「さすがフランソワ様! 的を射た意見ですわね!」

 白々しいが、この程度のらいどうには慣れたもの。いらちもしない。

 こうしやく家に生まれた彼女は、常にこのような者たちに囲まれていた。

「あ、もうすぐ朝礼の時間ですわ! では、フランソワ様、失礼します」

 朝礼直前にあわてて席にもどるだなんて、どうにもだらしがない。

 だらしがない者はきらい。未熟な者は嫌い。自分を律せられない者が嫌い。

 それが彼女──フランソワ=ド=フェルディナンという少女だった。

「は~い、みんな、席に着いて~」

《グランフェリア王立学園》高等部、一年S組の担任教師、エリック・フレサンジュが教室に入ってくる。

 彼は二十歳はたちという若さながらも、もの学、魔法学に精通した一流の学者だ。うでぷしこそないが、つえを持たせればたくみにでんげき魔法をあやつると言われている。まさに尊敬にあたいする人物であり、フランソワも彼には一目置いていた。

 そのエリックが連れて来た男。彼はなんなのだろうか?

 なにやらひょろりとした黒髪の男は、いったい、どこの誰なのだろう。

「こちらは、事故にわれたグレゴール先生に代わり、みなさんのめいきゆう実習を担当することになったタカヒロ・サヤマ先生です」

 生徒たちはざわついたが、無理もない。

 くつきようなグレゴールとはまるで正反対の男がやってきたのだ。

 代わりとしようかいされたが、あのじようの代役が務まるとはとても思えない。

 生徒たちは大いにこんわくし、ざわめきはますます大きくなっていった。

「ほら、サヤマ先生。みんなにあいさつを」

「あ、ああ。どうも、やまです」

 今度は教室がしんと静まり返った。

 この簡潔きわまりない口上はなんだ? こののない声は?

 せめて自分の出自や得意分野について話すべきではないのか?

 常識外れの挨拶に、連れて来たエリックでさえもまどっているように見えた。

「………………」

 誰も、何も言わず、ただただ過ぎていく時間。

 それは永遠に続くように思われたが──。

 せいじやくを切りくように、真っぐに手を上げた生徒がいた。

「サヤマ先生、質問です。先生のレベルはいくつなのでしょうか?」

 そう問いかけたのはフランソワだった。彼女はじやつかん厳しい目つきで、たかひろのことをさぐろうとしていた。

 この学園できようべんるのなら、100はえていて欲しいところだが──。

「レベル? レベルか。えっと、90ちょいです」

 今度こそ、教室が凍りついた。

 きようがくからではない。あきれによって、誰もが声を失った。

(よくもまあ、その程度で)

 フランソワの心の声が、この場にいる生徒たちの総意だった。

 レベル100とは、一流とそうでない者を分ける境界線だ。このラインを超えられない者が、人にものを教えるなどおこがましい。

 前任のグレゴールは130もあった。

 じやくはい者のエリックでさえ、100のラインは超えている。

 それなのに90だなんて──自分よりも低い数字に、フランソワは大いにらくたんした。

鹿鹿しい)

 こんな人物に教わることなどあるのか?

 はなはだ疑問な新任講師は、何をするでもなく、ぼけっときようだんっ立っていた。

「は、はは……え~、サヤマ先生はこれでも、【迷宮たんさく】や【わなかい】、【だつしゆつ】といったスキルを習得しているエキスパートです。皆さん、しっかりと学んでくださいね」

(ふぅ、ん?)

 そそくさと退室するエリック。

 彼が去りぎわに残した言葉に、フランソワは興味を引かれた。

(どうもたよりない青年に見えますが)

 彼の話が本当ならば、評価を改めなければならない。

 容姿がへいぼんでも、レベルが低くても、講師は実力さえあればいいのだ。

(実力さえあれば、の話ですが)

 自分の能力をちようし、舌先三寸で貴族に取り入ろうとする者はいる。

 彼もそういった手合いなのかもしれないが──まずはお手並み拝見といこう。フランソワはそう思った。

「え~、じゃあ、授業をはじめるが……え~と、お前らの強さの基準が分からんな。この中で一番強いの、だれ?」

 いかにもめんどうくさそうに口を開いた貴大。

 それを受けてフランソワは、再び手を上げて立ち上がった。

「私ですわ、サヤマ先生」

「お~、お前か。いかにもって感じだな。それで、いくつなんだ?」

「はい。私のレベルは……94です」

「なっ!?」

 貴大はおどろきの声を上げた。

 次いで、口元に手を当てて、戸惑いの表情を見せている。

「おいおい、ウソだろう……!?」

 何やらしようげきかくしきれない様子だ。それも無理からぬことである。

 フランソワのレベルをはじめて知った者は、誰もが同じ反応をする。

 信じられないという表情で、大いにうろたえ、何度も彼女の顔を見る。

 高過ぎるのだ。高等部一年、十五歳という若さで、レベル94は高過ぎる。

 同年代の平均レベルから、一歩も二歩もきん出ている。それどころか、あと少しで一流の領域、レベル100にとうたつしそうだ。

 そのあまりの高さに、顔色を無くすサヤマ先生。

 大いにうろたえ、冷やあせをかくその姿に、フランソワは少し申し訳なくなってくる。

(少し大人気なかったかしら?)

 驚かすような真似まねをしなければよかった。

 フランソワはそう自省していたのだが──貴大は、それどころではなかった。

(参ったな。どうすりゃいいんだよ)

 正直なところ、貴大は本当に驚いていた。

 フランソワのレベルのに、本当にぎもを抜かれていた。

 財に任せて何でもできるだろうに、まだレベル94?

 この世の誰よりめぐまれていそうなのに、たったレベル94?

 そしてそれがトップの数値だとすると、貴大はもう、驚くしかなかった。

「先生、わたくしはレベル80です」

「俺は85です」

「レベル70台ですが、ほのおと氷、風の魔法が使えます」

「マジかよ……」

 思わずうめき声が漏れた。

 レベル80程度のお子様に、「お前ら今まで何やってたの?」と言いたくなった。

(うちのユミィなんて100だぞ……?)

 われたのできたえてみたら、わずか半年でそこまで上がったのだ。

 り場が良かったのはあるが、やろうと思えばそこまで上げられる。

 だというのに80、90とは、戸惑うしかない低さだった。

(そういや貴族は、しんちようにレベル上げしてるって話があったっけ)

 キツネ狩りのように魔物を追い立て、自分の子どもにとどめをさせる。

 そんなの話だと思っていたが、どうにもそれが真実くさい。このレベル上げのペースのおそさは、それでしか説明がつかないように思えた。

「先生、どうなされたのですか? 始業のかねは鳴りましてよ」

(ドヤ顔すんなよ!)

 すずしげな顔で授業をうながすフランソワに、苛立ちさえ覚える貴大。

(グレゴール先生って人は何やってたんだ?)

 せめてそれを聞きたいと思ったが、かんじんの彼はここにはいない。

 それで仕方なく、貴大は視点を変え、一度レベルからはなれることにした。

「えっと、少し聞くけど……お前ら、スキルってどれだけ覚えてる……?」

「はい、先生。このクラスは平均十四スキル、最も習得している私で二十一ですわ」

(だから、ドヤ顔ぉ!)

 おそるおそる問いかけると、予想通りの答えとドヤ顔が返ってきた。それにりちにツッコミながら、貴大は生徒たちの能力をあくしていった。

(なるほど、スキルの数も少ない。多分、どれも低級スキル、と)

 これまでの経験から、レベルとスキル数が分かればだいたいの能力が分かった。

 そして、そういった相手をどう指導するのかも、もうずっと前から知っていた。

「はい、じゃあ、これからの方針が決まりました!」

 そう伝えると、ビシッと姿勢を正す生徒たち。

 エリート校らしいしつけの良さに少し好感を持つと、貴大は高らかにこう宣言した。

「皆さんには、午前中だけで三つ、スキルを習得してもらいます!」

 声にならない声が上がった。

 あまりに非現実的な提案に、フランソワの体がいかりでふるえた。

「先生……お言葉ですが、そのようなことができるとは思えません。ふざけるのはおしになってください」

「できないと思うのか?」

「ええ、そうです。スキルは知識とじつせんそうほうが組み合わさって、はじめて習得できるものです。それをわずか三時間で三つもだなんて、夢物語です」

「ですわですわそうですわ」と、追従する周りの女子生徒たち。

 しかし貴大は、その合唱にもひるまず、特に気負いもなく言い放った。

「まあ、お前らがそう思うのも無理はない。でも、できるものはできるんだ」

 このゲームのような世界では、ゲームと同じスキル習得法が通用する。

 それを使えば三つどころか、四つ、五つ、六つや七つも不可能ではない。

 現にユミエルはそのやり方で多くのスキルを習得したのだ。彼女にできて、名門校の生徒たちにできない道理はなかった。

「じゃあ、ためしに【スキャン】のスキルを覚えてもらう」

「本気なのですか?」

「ああ、本気だ」

「……いいでしょう。講師ともあろう方がそこまで言うのなら、やりましょう」

 どうやらじようだんではないようだ。

 そう判断したフランソワは、なおこしを下ろした。

 それにならってほかの生徒も落ち着いたところで、貴大は改めて口を開いた。

「さて、これから覚えてもらう【スキャン】だけど……聞いたことないよな?」

「ええ。どのようなスキルなのですか?」

「探知系スキルの一種だ。これを使えば、罠とか隠しとびらが見つけられるな」

「それはせつこう職専門のスキルではないのですか?」

「いや、はんようスキルだな。使うだけなら誰でもできる」

 この世界には専門スキルというものがある。

《ソードマン》が使うけん、《ソーサラー》が使うほう、あるいは《モンク》が使う体術など、そのジョブでしか習得できないものがこれに当たる。

 それに対して汎用スキルとは、どのジョブでも習得できるものだ。

 専門スキルに比べて効果は低いが、なかなか便利なものもある。そのうちの一つを、貴大は生徒たちに伝授しようとしていた。

「さて、ちょっと待ってろよ」

「?」

 貴大が手をかざすと、彼の前には青くほのかに光るはんとうめいの板が現れた。

 それはシステムメニューと呼ばれるもので、《Another World Online》のプレイヤーなら誰もが使えるものだ。これをタッチパネルの要領で操作することで、ステータスのかくにんをしたり、アイテムらんから持ち物を取り出したりすることができるのだが──。

 どうやらこの世界の住人には、システムメニューは備わっていないらしい。

 そのことを知っている貴大は、もういちいち説明することもなく、慣れた手つきでメニューを操作していった。

「よし、と」

 やがて板が消えるころ、教卓の上にはひとつの眼鏡が置かれていた。

 それをひょいとつまみ上げながら、貴大は生徒たちに声をかけた。

「んじゃ、これをかけて【スキャン】って言ってみてくれ。それで習得できるから」

「……それだけ?」

 誰かがそうつぶやいたが、それは他の生徒も思ったことだ。

(スキルブックのようなものかしら?)

 この世界には、読むだけでスキルを習得できる本がある。

 しかし、同じような効果を持つ眼鏡のことは、これまで聞いたことがない。

 いかにもさんくさいものを見るような目で、貴大が持つ眼鏡を見る生徒たち。誰もがしりごみして、動かない教室の中で──。

 やはり、フランソワだけがちがっていた。

「では、私から」

 スッと立ち上がったフランソワが、きようだんで待つ貴大のもとへと行く。

 すると教室はざわめきだし、あちらこちらから声が上がった。

「フランソワ様! いけません!」

「おめください、フランソワ様」

「あのようにあやしいもの……じゆぶつかもしれませんわ!」

 彼女らの言い分も分かる。おくして動けない気持ちも分かる。

 しかし、フランソワはどうしても試してみたかった。新しいスキルを覚えられるのならば、とも試してみたかった。

「ただ唱えるだけで良いのですか?」

「キリッとした顔で、眼鏡を片手でくいっと上げるといいらしいぞ」

「分かりました」

 強い向上心と、じやつかんこうしんき動かされ、貴大から眼鏡を受け取るフランソワ。

 彼女はほんの少しのちゆうちよを見せると──意を決して、スキルの名を唱えてみせた。

「【スキャン】!」

 言われた通りのな顔で、眼鏡をくいっと上げたフランソワ。

 そのままの体勢で十秒、二十秒。

 何も起こらない。クラスメイトが心配したようなことも起こらない。

 もちろん、スキルが習得できたわけではなく、本当に何も起こらなかった。

(……ふうっ)

 フランソワは内心、らくたんしていた。

 それを表に出すことはなかったが、貴大という男に失望していた。

 やはり、この男は見た目通りの人間だったということだ。この男に学ぶ価値などない。

(まったく、時間をにしました)

 あきれと共に眼鏡を外そうとするフランソワ。

 彼女は横に立つ貴大を、すぐにも追い出そうと思って、


【【スキャン】を習得しました。かくされたものを視界に映すスキルです】


 声が聞こえた。

 無機質な、それでいておごそかな声が。

 同時に視界が光りかがやき、どこまでも広がっていくかのようなさつかくを覚えた。

「っ!」

 見える。今まで見えなかったものが見える。

 かべの向こう側が。机の中身が。注視することで、うっすらとけて見える。

 それに先ほどの声。あれは間違いなく、スキル神《インフォ》の声で──。

「おお、習得できたか」

 ぼうぜんとするフランソワに、貴大は軽い調子で声をかけた。

「な? 言っただろ? できるってさ」

 そう言って笑いかける貴大。

 しかし、今のフランソワには、彼の声がひどく遠くに感じられる。

 体がく動かせない。なんだか意識もふわふわとしている。いつもはめいせきな思考さえも、かすみがかかったようにあいまいだ。

 しかし、一つのことがらだけははっきりと認識できた。

 佐山貴大。この男は、確かに、自分に新しいスキルをさずけたのだと。


 ‐4‐


「すばらしい!」

「感動しました!」

「是非ともさらなるご教授を!」

(やべえ、調子に乗りすぎた)

 フランソワの【スキャン】習得から二時間半ほど。

 俺はたたえる生徒に気分を良くし、ついつい【しのび足】や【チャージ】など、地味に便利なスキルを教えてしまった。眼鏡をあたえるだけではなくて、いっしょに【忍び足】の練習をしたり、【チャージ】のコツを教えたり──。

 うっかり引き受けた仕事なんだから、適当にお茶をにごせばよかったのに。あんまり反応が良かったから、無駄なサービス精神を発揮しちゃったんだな。

 その結果がこれだ。フランソワなんて、なんかこんなことまで言い出している。

「サヤマ先生はたぐいまれなる人材。このクラスだけでどくせんするのは、もはや国益をそこねていると言っても良いでしょう。私が学園長へのすいせん状を書きます。是非とも、他学年、他クラスでもきようべんっていただきましょう」

(はぁぁぁぁぁ!?)

 ちょっと意味が分からない提案を、さも良いことのように語っている。

 そして周りの生徒たちは、「そうだ! それはいい!」だの、「さすがフランソワ様、良い考えですわ!」だの、口々にフランソワをあおり立てている。

 ──まずい、実にまずい。

 元々は週一の講師に、という話だったのに、今のノリだと週五、週六のフルタイム出勤にされそうだ。そんなことは断固として断りたいが、どうもフランソワたちの興奮が収まる気配がない。それどころか、どんどん話を進めようとしている。

さつそく、推薦状をしたためましょう。しばしお待ちくださいませ」

 にこりと微笑ほほえむフランソワ。今の俺にはあの子が死刑しつこう人に見える。

 やべえ……! 考えろ! せめて、週一で済む方法を考えろ!

「ちょっと待った!」

「はい?」

 とつに止めはしたものの、考えなど何もかんでこない。

 くそっ、どうすりゃこいつらを止められるんだ! このくそエリートどもを──。

(……ん? エリート?)

 そ、それだ!

「確かに、俺が教えることは簡単だ。だが、本当にそれでいいのか?」

「「「?????」」」

「ここはエリートクラスと聞く。ゆくゆくは国のじゆうちんとなる子もいるそうだな?」

 みんながフランソワに目を向ける。ビンゴだ!

 それっぽいふんだと思ったけれど、本当にそうで良かった~!

「俺はしょせん、しがないぼうけん者だ。だが、お前らは違うだろう。ばんみんに教えを説き、導くことができる立場にある。そんなお前らに、自分たちで学園を変えていこうとする意志がないことを、俺は残念に思う」

 察しが良さそうなフランソワちゃんは、ハッと何かに気がついたようだ。

 何やら俺の言葉を必要以上に深読みし、わなわなと体をふるわせている。

 いいぞ、いいぞぉ! どんどん深読みしていってくれ! 俺が働かなくて済む方へ!

「新しいスキルを覚えた。じゃあ、みんなにも教えてもらおう。さっき、お前らはそう言ったな? なぜ、自分たちで広めていこうと思わなかった?」

 ここで、他の生徒も俺が言いたいことに気づく。よし、ラストスパートだ!

「いいか、お前らもエリートを自負するなら、全部を人任せにしようとするな。むしろ、自分たちで周りの人間を引っ張っていけ」

「「「先生……」」」

「やるんだ! お前らなら、それができるはずだ!」

「「「先生……!」」」

 最初の胡散臭そうな顔はどこへやら、生徒たちは目を輝かせて俺を見ている。

 よしっ! 説得成功! これでこいつらは俺をたよりにしないだろう。

 少なくとも教えたことくらいは、自分たちで広めようとするはずだ。

(万事解決にはほど遠いが)

 まあ、今はこれで良しとしよう。


 ◆ ◇ ◆


「俺はぼうだから、週に一度しか学園に来られない」

(ええ、そうでしょう)

「なかなか時間が取れないんだ。分かってくれるな?」

(ええ、ええ、分かりますとも)

 この短時間でスキルを習得させるそのしゆわん──。

 いや、その習得法を考案した頭脳か。

 いずれにせよ、引く手あまなのは間違いない。

 エリックも、よくこのような人材を見つけてきたものだ。

(このかたは、他国にはわたせないわね)

 貴大は、自分を流れの冒険者だと言っていた。

 だとすれば、いつ学園や王国を去るかも分からない。

 しかし、それはいけない。国益を思えば、手元に置いておくべきだろう。

 そのために彼女が、フランソワができることとは──。

「じゃあ、これで授業はおしまいだ。ひとまず解散!」

 手をたたいて終わりを告げる貴大。

 正午を告げるかねが鳴り、彼はすぐにも教室を出ていく。

 しかし何かを思い出したかのように振り返り、

「あっ、その眼鏡だけどな。お前らにやるよ。好きに使ってくれ」

 それだけ言い残し、今度こそ教室を出ていった。

「ふ、ふふ……」

 いまだ興奮めやらない教室で、フランソワもまた、たかぶりを覚えていた。

(やる? 好きに使ってくれ? このように便利なものを?)

 ほう書、おう書などのスキルブックは、国宝に指定されることが多い。

 同じ性質を持つこの眼鏡もまた、それにひつてきする価値を持っているかもしれない。

 それを玩具おもちやか何かのように、ポンとほうってみせるとは──。

 いったい、彼の引き出しにはどれほどのものがあるのだろう。

(欲しい……! やはり、欲しい……!)

 フランソワの中で、強さを求める欲求がうずを巻く。

(ふふふ……さて、どうやってあの方をこの国に取り込みましょうか)

 これまでにない興奮に胸を高鳴らせ、彼女は様々なさくぼうのうに思いえがいていた。


 ‐5‐


「え~、では、午後の実習をはじめようと思います」

 あっという間に昼休みが終わり、むかえた午後は実習の時間だ。

 生徒たちは実習用の服にえ、時計とうの下へと集まっていた。

「それじゃ、行こうか?」

「「「はいっ!」」」

 元気のいい返事をして、階段を下っていく生徒たち。

 あいつらがこれから向かうのは、この学園の地下に広がるめいきゆうだ。わなあり魔物ありの迷宮で、生徒たちは実戦のうでみがく。

 そんなことをしたら死人が出てもおかしくはないんだが──。

 幸いなことに、ここは人造迷宮だ。悪魔や魔神が造ったガチな迷宮とはちがい、ここは安全第一の設計がされている。

 ちからきそうになればかん魔法が発動する。

 めいしようを受けそうになったらぼうぎよ魔法がそれを防ぐ。

 各階には地上に通じるポータルが設置され、ランダムダンジョンのように構造の組みわりもない。ここまで来ると迷宮と呼べるかどうかもあやしいもんだが、人造迷宮に生息する魔物自体は本物だった。

 なのに、フランソワたちはじんおそれをいだいていないように見える。

 何やらようようと、たのもしいことを言っているヤツまでいる。

(新しいスキルを覚えたから、自信にあふれてるのか?)

 思わず首をひねる。

(おかしいな。実習用とはいえ、ボスのレベルは100もあるんだぞ?)

 平均レベル80の生徒たちでは、相当な苦戦がいられるだろう。

 それなのにこのゆう、どんな勝算があるっていうんだ?

(……まあ、いっか)

「じゃあ、行ける所まで行くぞ~」

「「「はい、先生!」」」

 こうして俺は、半日ですっかり従順となった生徒たちを引き連れて、学園迷宮へと足をみ入れていった。


(さ~て、お手並み拝見っと)

 エリートだ、ゆうしゆうだという話は聞いたが、どんなものかまだ分からない。

 上流階級ならではの戦い方でもあるんだろうか? 冒険者についてはくわしいが、貴族の実力については、実はよく知らなかった。

(どんな風に戦うのかね)

 Sクラスは総勢三十名。中規模のパーティーってところか。

 リーダーはフランソワとして、どいつが前衛で、どいつが後衛だ?

 あまりにひどい組み合わせなら、直してやるのもセンセイの仕事ってやつかね。

「魔物発見! 数は二十五!」

 地下一階に下りてすぐ、だだっ広い部屋で俺たちを待ち構えていたのは、スライムやコボルトなどの雑魚ざこの群れだった。

 レベルは20程度。フランソワ一人でもたやすくあしらえるだろう。

 それなのに生徒たちはえんを上げて、手に持つ武器を振り上げていた。

「全員整列! いつせいしや!」

 お~お~、力んじゃってまあ。こんな雑魚に魔法をち込みまくって、あとかたもなく消し飛ばしている。

 片づけるのに一分もかからなかった。これじゃあ前衛後衛なんて関係ないな。さっさと敵が強いところまで下りよう。

 だけど、その後もなかなか強敵には出会えず、

「全員整列! 一斉射!」

 が何回か続き、上層部のボスまで同じ方法ですりつぶしてしまった。

「先生、いかがです? 先生にはおよばないながらも、私たちも中々のものでしょう?」

「あ~、うん、そうね」

 正直、コメントに困る。ボスとは言っても相手はパミスゴーレムだ。

 軽石でできたきよじんは熱も冷気もよく通す。そんな魔法たいせいかいの敵を、魔法の一斉射でごり押ししたところで、何の助言もしようがない。さっさと次に行こう。

「先生が教えてくださったスキルのおかげで、以前とは比べようもないほど順調に迷宮をこうりやくできましたわ。まさかこれほどとは……ありがとうございます」

「「「ありがとうございます!」」」

「はいはい、どういたしまして。じゃあ、中層部に下りるぞ」

「えっ?」

「えっ?」

 なんだ? その不思議そうな顔は?

 えっ? 今日は最下層まで行くんだよな?

「いやですわ、先生ったら。中層部はすでに過ぎていましてよ? ここが最下層です」

「はあっ?」

「くすくす……ああ、おかしい。先生、かんちがいされてましてよ?」

 あわててシステムメニューを開き、マップ画面のタブを押す。

【迷宮たんさく】に【地図作成】が組み合わさると、レベルの低い迷宮は一歩踏み込んだだけで見取り図が作成される。この学園迷宮でもその効果は発揮され、俺にとってはこんな迷宮、まるはだかも同然だった。

(やっぱりここ、上層部じゃねーか)

 マップに表示されている現在地には、【グランフェリア王立学園迷宮・地下十階・上層部ボスの間】と記されている。

 最下層は地下三十階だ。ここじゃない。

 フランソワは何を勘違いしているんだ?

「ここは上層部で、最下層じゃないぞ?」

「そう申されましても……困りましたわ。私はここ以外に最下層を知りません」

 フランソワの物言いに、周囲の生徒がくすくすと笑いだす。

 これだから貴族ってヤツぁ……! ほんとに、人の話を聞かんなあ。

「あ~……お前ら、この部屋、【スキャン】した?」

「「「?????」」」

 めちゃくちゃげんそうな顔をされた。

 おかしい。教えたはずだ。俺は【スキャン】を教えたはずだ。

 これで「覚えたけど忘れましたぁ」とか言われたら泣くぞ?

「いいからお前ら、この部屋を【スキャン】してみろ」

「「「はい……」」」

 何やらしやくぜんとしないご様子。それでもなおに従うのだけは評価できる。

 まどいながらも生徒たちは【スキャン】を発動し、

「「「っ!」」」

 なんか、目を見開いておどろいていた。

 あ~、やっと見つけたな、中層部へのかくとびら

 なんか、もうすでにドッとつかれた……帰っていいかな?


 ◆ ◇ ◆


(こ、これは……!?)

 何もない殺風景な部屋。

 そう思っていた最下層のかべに、じゆうこうな扉がついているのが見える。

【スキャン】を発動させたフランソワの目には見えている。

「さっ、とっとと中層部に下りるぞ」

 隠されていた扉を気楽な様子で開け、奥にある階段を下っていく貴大。

 生徒たちも慌ててそれに続き、彼らは未知の領域へと足を踏み入れていった。

「さ~て、こっからが中層部だ。多分、そろそろ力押しが通じなくなってくるからな。ふうして敵と戦えよ」

 石組みの上層部とはおもむきの違う、いわはだしゆつしたどうくつのような迷宮。

 最下層だと思われていた場所のさらに下に、このようなものが存在していたとは──。

(さすがですね。それをたやすくくなんて)

 きんちようかんからか、あるいは貴大への感服からか。

 フランソワの首筋に、めずらしくも冷やあせが流れる。

「せ、先生、もどりましょう! 未知の階層など、何があるか分かりません! 学園への報告を優先するべきです!」

 フランソワが何も言わないからか、一部の生徒がさわぎ出した。

 あれはほう使つかいのアベルだ。Sクラスで最もレベルの低い少年は、かんじんなところで及びごしになることがある。

 ただ、彼の言うことにも一理ある。

 ここを攻略するにしても、まずは学園の調査を入れてから──。

「……お前らは、どんな地形があって、どんな魔物が出てくるか分からなけりゃ、実戦もできないのか?」

(────っ!)

「いいよ、帰りたいヤツは帰っても。ほら、わきにポータルゲートがあるよな? それを使って帰ればいい。そしたら、俺も帰るから」

 学園を出たエリートは、想定外の出来事に弱い。

 そういったけなし言葉があるのは知っていた。あるからこそ、フランソワたちはそう言われないよう、勉学やたんれんはげんできた。

 そのはずがまさか、身をもつて証明することになろうとは。

 ずかしさと情けなさで、にぎめたこぶしがブルブルとふるえる。

「どうした? お前ら、帰らないのか? 帰れないのか? じゃあ、俺からエリック先生に言ってやろうか? 生徒がビビってるので、調査がしゆうりようするまで、実戦指導はしなくていいですか? ってな」

「先生! それは私たちをあまりに見くびり過ぎです!」

 とつに声が出た。フランソワはさけばずにいられなかった。

 自分たちがおびえていると? ていの訓練しかできないと?

 貴大のあざけりに、今度はいかりで体が震えた。

「先生、私たちはえあるSクラスです。その私たちが怯えているなどと、じようだんたいがいにしていただきましょう」

 キッとにらみつけるフランソワ。

 短い声を上げ、背筋をばすアベル。

 にくにくしい。憎々しかった。彼の意見にった自分自身もだ。

「なんだ、続けるのか? めいきゆう攻略」

 ため息をついて壁に寄りかかる貴大。

 それを見たフランソワは、かみの毛が逆立つほどのげきこうを感じた。

 ちようはつ的な態度で、自分たちの意志をためしているのだ──!

「当然です。保護機能のある迷宮を進むことに、だれちゆうちよをしますか」

「そうだ! やります、先生!」

「我々にできないことなどありません!」

 フランソワに続いて、勇ましく声を上げるクラスメイトたち。

 そうだ、Sクラスはこうでなくてはならない。Sクラスはこうあるべきなのだ。

「そうか……じゃあ、進もうか」

「「「はい!」」」

 エリートの弱さをはからずも証明したフランソワたちは、そのめいを返上すべく、未知なる階層へと歩を進めていった──。

 そして、びっくりするくらい見事に負けて、うのていてつ退たいしたのだった。


 ‐6‐


「どういうことなの……?」

 ここは、学園迷宮中層部の入り口。

 俺の前には、実習服姿のままの生徒たちが座っている。

 みんなへいしちゃいるが──実は、あれから一時間もっていない。

(まさか、中層部になっても『全員整列!』でごり押ししようとするなんて……)

 その力押しが通じなくなると、見るも無残な有様になった。

 魔力が空になっているから魔法が撃てない。近接戦闘をしようにも周りの仲間がじやになる。せまい洞窟でドタドタ、バタバタ騒いでは、結局、撤退をり返すだけのエリート生徒たち──。

 貴族基準ではゆうしゆうなんだろうが、いまいち、対応力に欠けているように思えた。

「お前ら、ちょっとだらしないんじゃないか?」

「ち、違います! ただ、中層部の魔物が、予想以上にごわくて」

「手強いぃ? あんなのだろ。レベルもお前らの方が高いはずだ」

「しかし、素早かったり、隠れていたりで!」

「慣れだって、慣れ。ほら、こういう風にこうやったら、たおせるだろ?」

「「「………………っ!?」」」

 逆手に持ったナイフを、迷宮の壁にトンとす。

 それだけで、ひそかにしのび寄っていたケイブスネークは、頭をつらぬかれて絶命した。

 こいつは保護色を使ってしゆうをかけてくるが、ステータスそのものは低いからな。他の魔物も同じようなもので、弱点をつけばどうにかなるヤツが多かった。

「まあ、こんな感じだ。魔物もレベルが上がってくるにつれ、色んなヤツが増えてくるからな。上手いこと工夫して、相手に合わせて戦わないと。魔法の一斉射とか、足並みそろえて一斉攻撃とか、いつまでも通用するもんじゃ」

「で、でも先生! それは王国の伝統的な戦い方なんです!」

「現に負けたじゃねえか、お前ら。ボコボコにされたじゃん」

「くっ……!」

 フランソワがくやしそうにくちびるをかんで下を向く。

 王国の伝統的な戦い方か。地上で大軍を相手にする時は有効かもしれんが──。

 今回のたいは迷宮だ。それも上層部とは違う、迷宮らしい迷宮だ。ここで上手に戦いたいなら、それに合わせた戦術を取る必要があった。

「いいか、大軍相手ならみんないつせいこうげきもありだけど、迷宮においてのせんとうは役割分担が大事なんだ」

 持ってきたチョークで、岩肌に、前衛、後衛と書き、その二つを大きな丸で囲む。

「前衛は、基本は戦士職だな。攻撃、ぼうぎよなどの役割をになう」

 赤いチョークで、前衛の丸の横に攻撃、防御と追記する。

「後衛は、サポートだ。回復や補助、えんしやげきや魔法によるえんを行う」

 今度は黄色いチョークで、後衛の丸の横にサポートと追記する。

「特に回復職は重要だ。これがいるかいないかで、生存確率がかなり変わる」

 回復職はひつ! と、ギザギザマークとともに書き記す。

「この基本ができてないから、みんな負けたわけだな」

 そこまで言ってから、俺はパンパンと手をたたいた。

「じゃあ、今から出席番号順に四人ずつ班になって、前衛二人、後衛二人を決めろ。あまった二人は一人ずつ、レベルが低いヤツの班に入れ」

 言われるがままにぞろぞろと生徒たちが動き出し、七つの班を作る。

 それをかくにんした後に、俺は満足げにうなずいた。

「じゃあ、次に俺が来るまでに、その組み合わせで上層部のこうりやくをしとけ。ほかの班と協力はするなよ?」

「ええ!?」

 わずかに上がる声。

 当然じゃないか。徒党を組んだら前と同じだろ。

「迷宮に入る許可は俺が出しておくから、どんどん迷宮に入って役割分担に慣れろ。パミスゴーレムを班で倒せたら、また中層に来てもいいぞ」

 中層の名を出したたんにビクリと震える生徒たち。

 まあ、死なないって言っても痛いもんは痛いもんな。それでも役割分担を覚えないと、最下層せいなんて夢のまた夢だ。

「じゃあ、あとはそんな感じでおのおのがんってくれ。俺は帰る」

「そんな! 先生、迷宮での戦い方について、もっとご教授くださいませ!」

 ちっ、自然な流れでサボろうと思ったのに。

 このくるくるきんぱつじよう様は──っ!

「ふん、未熟なヤツに教えることなど何もない。せめてパミスゴーレムを倒してからそういう口をきくんだな」

「っ!」

 俺の言葉に打ちひしがれるフランソワ。

 帰るためとはいえ、ちょっと言い過ぎたか……?

(まあ、いい。今のうちに退たいきやくだ!)

 俺は自由を求め、学園迷宮を飛び出していった。


「あ~、つかれた疲れた」

 ぐるぐるとかたを回しながら、俺は停留所で馬車を降りた。

 そのままちんたら歩きながら、大通りから自宅のある通りへと入っていく。

「慣れないことなんてするもんじゃねえな、ったく」

 元々、俺は先生なんてガラじゃない。

 便利なスキルや迷宮での戦い方を教えることはできるが、できるからって先生に向いているとは限らない。

 能力と適性はまったくちがうものだからな。そう考えると、俺ほどアンバランスな先生はいないように思えた。

(さて、家に着いたが)

 時刻は午後四時。

 迷宮実習をちゆうで切り上げたからな。結構早い帰宅になってしまった。

 もしかするとユミエルがキレるかも?

「いやいや、何があったかなんて分からんだろ」

 ぽつりとつぶやいてドアノブに手を伸ばす。

 今日は本当にづかれする一日だった。早くに入ってさっさとでええええええええええああああああばばばばばあばばっばああぁぁあぁぁぁっ!?

「……ずいぶんと早いお帰りですね。ご主人さま」

「ユミィ、でめえ、なにじやがる……!?」

 こ、このしようげきは【スパーク・ボルト】!

 このクソメイド、ドアノブに電流を流しやがった!

 し、しかし、なぜだ……!? こいつが早退の理由を知ってるはずなんて……!

「……エリックさんから【コール】で聞きました。中層部を見つけたお礼をしたいのに、いつの間にか帰っていたと。サボタージュとはおそれ入ります」

「あのぐぞめがねぇぇぇ~~~~~~!」

 まさかの裏切り!

 ふくしゆうに走ろうにも体はピクリとも動かない。

「……今日は家にれません。そこで反省してください」

 バタン! 無情にも閉じられるドア。

 俺が改修したこの家は、俺でも破れないほどに防犯装置でガチガチだ。

 つまり、中から閉められると、ちょっと入れないっていうか、しのび込むこともできないっていうか──。

「うおおおお…………おおお!?」

 いつの間にか犬がそばにいた。

 そいつは俺に向かって片足を上げている。

「ま、まさか……!? お、おい、めろ! 止めっ!?」


 じょんじょろじょろじょろ、じょろじょろじょばばば~~~~~~~~~っ!


 数時間後、見るも無残な姿の俺は、通りかかったカオルに保護された。

 人のやさしさと犬の尿にようが、やたら目にみる夜だった。


 ‐7‐


「【ガード】! ぐううっ!」

「いけない、【ヒール】!」

「もう少し……今だ、【バインド】!」

「よくやったわ、オルソー! では、らいなさい! 【デルタエッジ】!」

 魔法のくさりしばられたパミスゴーレムは、光りかがややいばの三連撃をまともに浴び、とうとうそのきよたいほうかいさせた。

「や、やった……!」

「やりましたね、フランソワ様! 私たちの班がはじめてですよ、ボスの撃破は!」

 班のメンバーがかんせいを上げる。じやなまでのがおを見せる。

 それを受けてフランソワは、髪をかき上げながら微笑ほほえんでいた。

(これほどとは、ね)

 とうの攻撃ですべてをみ込む。魔法のいつせいしやで敵を消し炭にする。

 それは王国の伝統的な戦い方だったが、同時にも多かった。

 そのしように、どうだ。言われた通りに役割分担をし、かつ、一つの生き物のように連動すれば、ボスさえ少人数で倒せてしまうのだ。

 この戦い方をきわめていけば、近いうちに、あの中層もとつできるだろう。

 それを教えてくれた貴大には、本当に頭が上がらない。

(スキルの伝授法に、かくされた階層を見つけるするどい目。それに、めいきゆう戦のノウハウ! やはり、先生はこの国に必要な人材ね。何としても手に入れなくては)

 そのためなら、欲しいものは何でもあたえよう。地位もめいも何でも与えよう。

(私も積極的にかかわらないといけませんわね。ふふっ)

 これからいそがしくなりそうだが、それは決して、イヤなものではなさそうだ。

 フランソワはここよいこうようを覚えつつ、中層部へのとびらえていた。




第三章 図書館の魔女編


 ‐1‐


 王都がほこるものはいくつもあるが、その中でもこれは別格だ。

《グランフェリア王立図書館》

 王立学園からほど近く、交通の便もいい場所に、その図書館は建っている。

 つばさを広げた天使のような、あるいは両手を広げたがみのような、左右にとうを構えた品のいい図書館。ここにない書物はなく、ここで得られない知識もない。美術館かと見まがうようなこの建物は、その実、知識の宝庫にして学問の殿でんどうだ。

 いつぱん人は立ち入ることさえできず、貴族であっても本の貸し出しはできない。

 ここはあくまで学びの場であって、市民のいこいの場なんかじゃ決してなかった。

 でも、俺にとってはそんな違いなんて関係なくて──。

「は~、やれやれ」

 アイテムらんから《エアクッション》を取り出し、それをまくら代わりにころがる。

 こいつは防御用のアイテムだけど、ばつぐんやわらかいからこういった使い方もできる。

 どこまでもしずみ、適度にだんりよくのあるはんとうめいのクッションは、包まれるとほんのり温かい。そのかんしよくにうっとりと目を細めると、自然と息がれ出した。

「はふぅ~」

 熱を帯びた息だった。疲れがけているような息だった。

 それをくちびるに感じながら、俺はゆったりと辺りに目をやった。

だれもいないな? よしよし」

 石造りの部屋。背の高いほんだなと、そこに並んだ古めかしい書物。

 ここは王立図書館の地下階だ。地上のハイソな階とはまったく違い、うすぐらくて、ひんやりとしていて、やたら静かだ。どの部屋も書庫として使われていて、かざり気もなければひともなかった。

 もちろん、生徒の姿もない。

 どこからともなく現れては、俺にめ寄るあのガキどもの姿は──。

「はあ~あ……ほんと、失敗だったよな」

 ひょんなことかららいを受けて、学園の講師になってから十日あまり。

 その間、俺は学園の内外で生徒たちのアプローチを受けていた。

『先生! このスキルについて教えてください!』

『先生! 私と手合わせをしてください!』

『先生! 迷宮たんさくの指導を!』

 俺を囲んで先生、先生とさわぐ生徒たち。こんなのは可愛かわいいもんだ。

 問題は学園の外で、バッタリ出くわしたパターンだな。

『おや? ぐうですね?』

 なんて、さりげなく登場するおぼつちゃん。ウソをつけ、ウソを。

 いったいどんな用があったら、貴族が下町を歩く羽目になるんだ。

 100%俺ねらいで、もっと言えば俺が知ってるスキル狙いだ。それをこっそり自分だけに教えてもらおうと思ったんだろうが、あいにく、そんなのは全部断っていた。

 一度引き受けると、ほかの生徒が群がってくるのは目に見えていたからな。

 ほうっておけば家にも押しかけてきそうだし、実際、近所にまでは来ていたらしい。

 ただでさえそうぞうしいのに、これ以上ややこしくなるのはごめんだ。

 だから出先でひるをするにしても、こうして人気のないところを選んで──。

(俺が何をした……)

 しいて言うならば、うっかり講師を引き受けた。

 楽しい酒と引きえにするには、あまりに高すぎるだいしようだった。

「さて、と。ひとねむりするかな」

 メニューを開いて時間をかくにんする。

 今は昼を少し回ったところだ。次の仕事まで、二時間ほどのゆうがあるな。

 これなら一時間くらいは──いやいや、一時間半くらいは──いや、ちょっとくらい仕事におくれたって問題はないな!

 つまり、二時間くらいは眠れる計算になる。

 それが分かったところで、俺は《エアクッション》に深く深く沈みこんだ。

「んじゃ、おやすみぃ~」

 薄暗い書庫の奥で、誰にもじやされずに昼寝を楽しむ。

 その幸せに、ほうっと大きなため息をついたところで──。

「だ、誰ですか……?」

「んあ?」

「誰かそこにいるんですか……?」

 きようふるえる声が、本棚の向こうから聞こえてきた。

 若い女性──いや、女の子の声だ。

「あの……誰か、いるんですか……?」

 びくびく、おどおどとしたその声は、どうも俺に向けられているっぽい。

 だから、俺はなおに返事をしたんだけど──。

「いるよ~」

「ひゃあっ!?」

 返事をしただけなのに、ずいぶんおどろかれてしまった。

 ぺたんとしりもちをついた気配が、本棚しに伝わってくる。

「どうした~、なんか用か~?」

「あわ、あわわ……!」

「なんだ? どうしたんだ?」

 いまいち要領を得ないし、らちもあかない。

 俺は体を起こし、本棚の向こう側をひょいとのぞき込んで、

「ひあああっ!?」

 今度はより大きな声で驚かれてしまった。

「ひっ、ひえぇ……!」

 予想通り、あどけない少女だった。くりいろかみが可愛らしい、幼さの残る女の子だ。

 司書の制服を着ちゃいるが、多分、見習いか何かだろう。その司書見習いちゃんは、なぜか顔を真っ青にして、ブルブルと震えながらげようとしている。

 だけど、どうもくいかないみたいだ。立とうとしては尻もちをつき、立とうとしては尻もちをつき、そのたびに情けない声を上げていた。

「……いや、ほんとに何?」

 見ていられずに手を貸そうとしても、恐怖で顔をゆがませるばかり。

「ほんとに、なんだってんだ」

 俺たちがまともに会話できるようになったのは、それから十分もってからだった。


「で、俺をゆうれいだと思ったって?」

「す、すみません」

 しゅんとうなだれる少女。

 彼女の名前はセリエ・ポルト。としは十三歳で、職業はやっぱり司書見習いらしい。

 そのセリエはさっきからずっときようしゆくしつつ、何度もぺこぺこと頭を下げていた。

「ああ、いや、謝らなくていい。謝らなくていいって。ただ俺は、なんで幽霊にちがわれたのか不思議に思っただけで」

 そんなに死にそうな顔をしているか?

 少し気になりはじめたところで、セリエが説明してくれた。

「あのですね……わたしたち司書、あっ、わたしは見習いなんですけどね。あっ、ああ、それはどうでもいいですよね、すみません! ……そ、そのですね、わたしたちの間で、あるうわさが流れているんですよ」

「ある噂?」

「地下階には幽霊が出るって……特に、立入禁止区画に見習いが近づけば、連れていかれてしまうって……実際に、何人もあやしいかげを見たって……」

 そこまで話すとぶるりと震え、きょろきょろと辺りをうかがい出すセリエ。

 まるでウサギとかリスとかの小動物みたいだ。

「立入禁止区画ねえ。確かに、ここから近いよな」

「そうなんですよ! それに、この書庫にはだんから人も少なくて」

「うん、知ってる」

 ここに人が来ないってことは、前に来たときに調査済みだ。

 だからこそ、新しいお昼寝スポットに選んだわけでして──。

「本をこの部屋に並べてくるよう言われて来たら、サヤマさんがここにいて、わたし、びっくりしちゃって」

「なるほどなあ」

「本当に失礼しました! 王立学園の講師の方に、このようなご無礼を!」

「ああ、いやいや、気にしなくていいよ」

「サヤマさん……」

 ほっとして俺を見上げてくるセリエ。

「なんて心の広い人だろう」と顔に書いてあるけれど、別にそんなことでおこるほどきようりようじゃない。エリート教師なら怒るかもしれんが、こちとらバリバリのしよみんである。その辺りをどうもかんちがいしているっぽかったが──。

 とくしゆな立場を説明すると長くなりそうなので、そのままにしておいた。

「では、わたしはこれで」

 結局、セリエはうれしそうな顔をしたまま、てこてこと去っていった。

 その小さな背中を見送ったあと、俺は元の場所にもどってひとりごちる。

「なんだかなあ……まあ、いいや。寝よ寝よ」

 これで邪魔者はいなくなった。これでゆっくりと昼寝ができる。

 そう思いながら、俺は再び、《エアクッション》にたおれ込んで──。

「先生~? どちらですの? 先生~?」

「っ!?」

 フランソワの声が聞こえた。

「先生~? どちらにいらっしゃいますの~?」

(な、なぜあいつがここに……!?)

 間違いない。フランソワの声だ。人気のない地下階では声はよくひびく。

 まだ遠くにいるようだが、段々こちらに近づいてきている。

「先生~? サヤマ先生~?」

(ど、どうする……!? 【インビジブル】で逃げるか……!?)

 いや、ダメだ。資料持ち出しを防ぐべく、出入り口はふうされている。

 姿を見せ、職員によるチェックを受けないと、じゆうこうとびらを開けてはもらえない。

 無理やり破れなくはないが、そんな騒ぎは起こしたくないし、

「先生? ここですの?」

(ひいっ!? 来た!)

 どうやら、この部屋に入ってきたようだ。声が間近に聞こえてくる。

 もう、迷っているヒマはない!

「【インビジブル】……!」

 小声でスキルを発動すると、俺の体がゆっくりとけていく。

(早く! 早く消えろ!)

 ひたすらに消えろと念じる。もう、いきさえもはっきりと聞こえる。

 ほら、すぐそこに。ほら、その角に。フランソワが、フランソワが──!

「先生?」

 直後、顔をのぞかせたこうしやくれいじよう様は──。

 俺の目と鼻の先で小首をかしげると、一つ向こうの通路を探しはじめた。

(あっぶねえ~……!)

 かんいつぱつだった。俺の体が消え去ったと同時に、フランソワは現れた。

 あまりにギリギリすぎて、心臓がおかしなくらい脈打っていた。

(た、助かった……が……)

「先生ったら、どちらに行かれたのでしょう? ここにいると聞いたのですが」

 ぶつぶつとつぶやきながら、いまだにうろうろと歩き回るフランソワ。

 このままだと【インビジブル】の効果が切れてしまう。

(【いんぺい】でごまかすか……? いや、無理だ!)

 ほかのスキルでごまかせないこともないが、結局は出入り口でつかまってしまう。

 フランソワに言いふくめられているだろう職員は、俺を見つけたら彼女を呼ぶはずだ。

(どうする……どうする……!?)

 追いつめられた魚が奥へ奥へと逃げ込むように、俺も地下階の奥へ奥へと向かう。

【インビジブル】は残り三十秒を切った。それでも逃げ場所が見つからないまま、俺はうろちょろとけ回る。

かくれられるのはどこだ? どこだ、どこだ、どこだ……!)

 元々、そんなに複雑な造りはしていない。

 めいきゆうのような見た目だが、隠し扉があるわけでもない。

 道なりにまっすぐ進むと、ほら、もう立入禁止区画にき当たり──。

(………………?)

 立入禁止?

(これだっ!)

 直感が導くままに、俺は一も二もなく駆け出した。

 各種おんみつスキルをフル活用し、音もなく立入禁止区画の扉に飛びついた。

 そして今度は【かぎ開け】を使い、必死に重たい扉を開いて──。

(セーフ!)

 だれにも見つかることなく、立入禁止区画に入り込むことができた。

 それと同時に、けていた体がゆっくりと元に戻っていく。

(ふ~……何とかなったな……)

 とりあえずは事なきを得たってところか。

 だけど、問題がないわけじゃない。帰る時の心配だ。

(さて、どうやって戻るか)

 迷宮ではないから【だつしゆつ】も使えない。すぐにはここから出られない。

(はてさて……うん?)

 顔を上げると、通路の奥にいくつかの扉が見えた。

 多分、研究室か何かだろう。それか書庫か保管庫だ。

『関係者以外立入禁止』と書かれたプレートが扉に張りついて、その上、がんじようそうなじようまえがぶら下がっている。

(へ~……なんかおもしろそうだな)

 見るなと言われたら逆に見たくなるのが人間だ。

 なりゆきとはいえ普段は入れない場所に来て、俺のこうしんげきされている。

(まあ、ちょっとやそっとじゃ見つからないだろ)

 何しろ、こちとらレベル250のせつこう職だ。貴族のしきにも出入りできる能力は、ここでもかんなく発揮できるはずだ。

 どうせ時間があるのなら、有意義に使った方がいい。

 そう結論づけた俺は、手近な扉の錠前を【鍵開け】で解除しにかかった。


「う~ん……読めん!」

 十じようほどの小さな部屋に入って数分。

 俺はすでに好奇心をえさせていた。

「これって古代語か? 全然読めんわ」

 いかにも古そうな羊皮紙には、ミミズがのたくったような文字がずらり。

 それを読むには相応の知識か【古代語解読】のスキルが必要らしく、あいにく、俺はそのどちらも持ってはいなかった。

「やっぱダメか」

 いくらにらんでみても、分からないものは分からない。

 あきらめて顔を上げるも、周りには似たようなものしかない。

 このしよさいらしき部屋にあるのは、本、石版、羊皮紙に巻物。

 それ以外に目を引くものは何もなく、俺にとっては面白くもなんともなかった。

「はあっ」

 本の山に囲まれて、ため息をつく。

 期待外れもいいとこで、自然とかたから力がけた。

 そのままぼんやりとてんじようを見上げ、せきランプのあかりを見ていると──。


 何か、音が聞こえたように感じた。


(……?)

 はっきりとした音じゃないが、何か──聞こえる。

(なんだ……?)

 段々と大きくなってくる。近づいているのか?

 だけど、足音のようには聞こえない。

(どちらかというと、何かを引きずるような……)

 そうだ、そういったたぐいの音だ。

 ずるり、ずるりと何かを引きずる音が、この部屋に近づいてくる。

(そういえば)

 ふと、先ほど出会った少女の声がよみがえる。

『地下階にはゆうれいが出る』

『特に、立入禁止区画』

 ぞわりと全身が総毛立った。

 ここがその地下階で、今いるのがまさに立入禁止区画じゃないか。

 そして聞こえているのは引きずるような不気味な音で、それはまるで、

(幽霊……!?)

 昔、テレビで見たホラー映画で、こんなシーンがあった。

 かみの長い女がゆっくりとろうを歩いている。

 顔は髪で隠れていて見えない。

 その女は主人公の背後から近づき、れ枝のような指をばして──。

 その時に聞こえていたのが、このずるり、ずるりという音だった。

(マジかよ……!)

 レベル250だって、こわいものは怖い。

 特にこんなシチュエーションは本当に苦手だ。

 得体の知れない何かだなんて、同レベル帯の魔物よりイヤだ。

 あいつらはたおせるけど、ガチ幽霊なんてスキルが通じるかどうかも分からない。

 もしかしたら聖水が効くかもしれんが、もしも効かなかったらヤバイし、そうなったら俺にはもうどうしようもないし、

(って、やっぱりこの部屋かよ!?)

 音が止まったと思ったら、扉のすりガラスに女のかげが映った。

 黒髪の女だ。ほおがこけているようにも見える。いかにもおんりようといったシルエットが、扉の向こうでもぞもぞとうごめいている。

「おや……鍵が開いている……誰かいるのか……?」

(ひぃぃぃぃぃ……!?)

 しわがれた声が聞こえ、ますます背筋がこおりつく。もうきようで何もできない。

 何もできないまま、俺はもう、扉が開くのを見るしかなくて──。

 ガチャ。

 ドアノブが回り。

 ギイィ。

 かしの木でできた重たい扉が、音を立てて開いていく。

 そして、姿を現したのは──。

「だれだぁ……?」

 まさに怨霊のような女だった。

 こしまで伸びたボサボサの黒髪。うすよごれたズボンと、シャツの上から羽織った白衣。

 体はせ細り、がんは落ちくぼみ、そのくせ目だけがギラギラと光っている。

 そしてその目は、眼鏡の奥でギョロギョロと動いていて──。

 俺はたまらず悲鳴を上げた。

「出たぁぁぁぁあっ!」

「なにが?」

「ゆ、幽霊……!」

「は?」

「幽霊……!」

「私が? じようだんはよしたまえ。私は幽霊じゃないよ」

「……へっ?」

「出会いがしらに人をゲフッ、ゲホッ! ……久しぶりに声を出ずとのどにぐるな」

 そう言って、ゲホゲホとき込む女。

 もしかして──ただ単に声がかすれていただけ?

 見た目がボロボロなのもせつせいなだけで、この人、ただの人間?

 それが分かったところで、俺はもう、心底ほっとしてしまった。

「なんだ、おどろかすなよ……てっきり俺は、あんたがうわさの幽霊だと……」

「うん? 噂の幽霊? それなら私だよ」

「えっ」

「私だ、それは」

 怨霊のような女が放つ幽霊宣言。

 それを聞いた俺の思考は、再び白く染まっていった。


 ‐2‐


「つまり、地下にこもりっぱなしでろくに表に出ない私は、新人司書を怖がらせるための噂話に使われているんだよ」

「そ、そういうことか」

 ここは王立図書館地下階、立入禁止区画の研究室。

 ところせましと積み上げられた本の中心で、俺は女の話を聞いていた。

「つまりあんたは……エルゥは、ただの人間ってわけか」

「そうそう、その通りさ」

 微笑ほほえみながらうなずく女。

 名をエルゥ・ミル・ウルルという彼女は、れっきとした生きた人間だ。

 それどころか王立図書館に所属する研究者でもあり、どうもその道ではとても有名な人らしい。この立入禁止区画も彼女のためだけに用意された場所らしく、彼女はここでずっと研究にはげんでいるそうだ。

「朝も晩もなく研究、研究の毎日だからね。身なりには気をつかわない方だから、たまに外に出てはみんなを驚かせてしまうんだ」

「そりゃ、そんな見た目じゃ無理もねえよ」

「そうかい?」

 そう言って、自分の手を見る瘦せぎすの女。視界に入るよごれた白衣とか、細いうでにかかる黒髪とか、人を怖がらせる要素はたくさんあるが──。

 そういったすべてが気にならない辺り、ちょっと変わった人のように思えた。

「まあ、これで分かっただろう? 私は生きているけど、幽霊でもあるのさ」

「いや……なんというか……災難だな」

「そうでもないよ? 元々人の出入りが少ない地下からさらに人が遠のいて、本が読みやすくなったのはぎようこうだったね。むしろ感謝しているくらいさ」

「あんたがいいなら、別にいいんだろうけど」

「だろう?」

 なんというか、やっぱ変わった人だな。

 幽霊あつかいされてうれしいだなんて、プラス思考というか、実利主義というか──。

「さて、次は君の番だ」

「え?」

「君はいったいだれなんだい? どうやってここに来たんだ? 見たところ中級区の住民のようだが、ここに来る理由も、入れる理由も想像できないな」

「うおえっ!?」

 そうだった!

 幽霊さわぎで忘れてたけど、俺、不法しんにゆう者だった!

(や、やべえ……!)

 本来、ここは俺が入れる場所じゃない。ほかのヤツらにだって無理だ。

 あのフランソワだって多分不可能で、適当に積んでる羊皮紙だって、俺が見ていいものじゃないはずだ。もしも無断で入ったことがバレたら、どんなばつを受けるのか。考えただけでもおそろしい。

「あ~、その、だな。俺は王立学園の講師で、その権限でここに」

「それはウソだね。講師どころか教師ですら、ここに入ることはできないよ」

「うぐっ!?」

 バッサリと切り捨てられた。

「いや、ちがうんだ。講師だけど、司書の許可をもらってだな!」

「それもウソだ。館長か、それに類する立場でなければ、立入の許可は出せない」

「うううっ!?」

 またも一刀両断される。

「あ、いや、うう」

「どうしたのかな? 説明を続けないのかい?」

 段々と険しくなってくるエルゥの表情。

 絶体絶命のきゆうに、俺はもう、彼女の顔も見ていられなくなり──。

「……ぷっ、あはは! はは、ははは! なんて顔をしているんだい?」

「えっ?」

「まるでわなにかかったオオクマキツネリスのようだよ! ふふふ」

「えええっ!?」

「あはははっ、今度はなんだい、そのほうけた顔は!」

 そりゃ呆けもするだろう。あれだけ厳しく問いめていたヤツが、こんな風に笑い転げるだなんて──いったいどんな心境なんだ?

 どうにも分からずこんわくする俺に、エルゥは笑いながら話しかけてくる。

「心配しなくても、警備員にき出したりしないよ。ふふっ。どうやら、君は悪い人じゃなさそうだしね」

「は、はあ……?」

「君、王立学園の講師にばつてきされるだなんて、そう見えてゆうしゆうなんだろう? 警備に引きわたすよりも、私は君から話を聞きたいな」

「は? 話?」

「そう、話さ……それより、いつまでそうしているんだい? まあ、座りたまえよ」

「お、おお」

 思わずかせた腰を、ドスンと下ろす。

 言われるがままに座ってはみたものの、まだ事態は飲み込めていない。

「話って……なんだ?」

「私はね、《アートウィキ》という本を探しているんだ」

 おもむろに語り出すエルゥ。

 その聞き慣れない単語に、俺は思わず聞き返す。

「《アートウィキ》?」

「そう、《アートウィキ》。ほう、魔物、めいきゆう、神々……この世のすべてが事細かに記されている書物なのさ」

「へ~、こうりやくぼんみてえだな」

「攻略本? 何かね、それは?」

「い、いや、こっちの話だ。忘れてくれ」

 魔物やアイテムのしようさいが書かれているなんて、まるで攻略本みたいだ。

(さもなきゃ攻略@ wiki か)

 ────ん? @ wiki ?

(@ wiki ……アットウィキ……《アートウィキ》……)

「私の夢は完全な《アートウィキ》を読むことでね。だんぺんなんかはこの図書館にもあるんだけど、はっきり言って全然足りない。せきや迷宮で見つかることもあるけれど、完全にはほど遠いんだ。だから、なるべく人に話を聞くようにしていてね。たまに、思わぬところから情報が手に入るんだ。探してみるとたいていは断片だけど、ときには数ページがとじられたものも見つかる。だから、君からも話が聞きたくて……うん、どうしたね?」

 じようぜつに《アートウィキ》へのおもいを語るエルゥ。

 彼女の話に水を差して悪いが、俺にはどうしても気になることがあった。

「なあ。《アートウィキ》って、もしかしてこう書くのか?」

 机にあった羽根ペンで、メモ用紙っぽいものに「@ wiki」のつづりを書き込む。

 すると、その文字を見たエルゥがはじけるような声を上げた。

「よく知っているね! そう、《アートウィキ》のつづりはそうだよ! 古代語を書けるなんて見た目によらず博識なんだね! さては断片にれたことがあるね? さすが、王立学園に採用されるだけは……もしかして、持ってる、のかな?」

 キラキラと期待でかがやく目で、俺のことをうかがうエルゥ。

(見た目によらずは余計だ)

 なんて心の中でツッコミながら、俺は特にもったいぶらずに言い放った。

「《アートウィキ》……正確にはアットウィキっていうんだけどな。持ってるぞ、それ」

「おお、そうか! 持ってるのか! しかも、古代語の正確な発音までさいされている断片なのかい? らしい! それは貴重な史料だ! ぜひ、売ってはくれまいか? 金に糸目はつけないよ?」

「いや、違う。オレが持っているのはだ」

「そうか、本物か! それはスゴい…………えっ?」

 ハイテンションで浮かれるエルゥが、がおのまま固まった。

 そのぎこちない笑顔のまま、彼女は俺に問いかけてくる。

「今……なんて……?」

「だから、持ってるんだってば。@ wiki」

 ほら、とアイテムらんから@ wiki を取り出してみせる。

 表紙に『《Another World Online》@ wiki』と記されたハードカバーの本を、俺は机の上にごとりと置いた。

「…………………………え?」

 急展開に頭の回転がついていかないようだ。

 長年探し求めていた本が、しよみんの手からとうとつに現れれば無理もない。

「ほら、本物だろう? って言っても分からんか。じゃあ、ためしに、何か聞きたいことがあるなら言ってみろ。多分ってるから」

「……あ、え? あ……と……じゃあ、《メタル・バックラー》に必要な材料は……?」

 混乱しながらも、そこは天才エルゥさんだ。

 団が製法をとくするたての名前を出してきたが──。

「ああ、あれな。何だったかな……お、あったあった。《メタル・シザースのこうかく》と《エストールすぎ》、それに《ダッシュ・バッファローのかわ》だな。どうだ?」

「…………合っている」

 合っていたようだ。まあ、そりゃそうだ。

「な、なら、これはどうだ! ドラゴニアタートルのドロップアイテム!」

 おお、遠くはなれた国の魔物だな。断片か何かに情報が載っていたんだろう。ここらじゃお目にかかれない魔物のはずだ。

「あれか。何落とすんだっけ、あいつ? う~ん……お、あった。《りゆうはいこう》だな」

鹿な……!?」

 またも答えは的中したらしい。

 エルゥはすっかり顔色を変え、何度も「まさか」とつぶやいている。

「それなら……それなら、それは本当に……」

 ふるえる声でたずねてくるエルゥ。

 彼女に対し、俺は自信たっぷりにうなずいてみせた。

「そうだよ、本物だ。本物の@ wiki だ」

「あ、あああ……!」

 ガタンとを後ろにたおし、エルゥがおぼつかない足取りで近づいてきた。

 どこかせまったその様子は──ん? なんかこわいぞ?

「お、おい……? どうした……?」

「それを……」

 ドン。

 俺の背中がほんだなにぶつかる。いつの間にか立ち上がり、後ずさりしていたらしい。

 後ろは完全に本棚にはばまれた。前からはエルゥが近づいてくる。

「ど、どうした……?」

「それを…………」

 エルゥの視線は、@ wiki に張りついて離れない。目だけが固定されているみたいな不気味な表情だ。俺の背中に、今日何度目かの冷やあせが流れる。

 そして、エルゥはますます近づいてきて──。

「お、おい……?」

「それを………………」

「それを……? な、なんだ……?」

「それを、それを、それを読ませろぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」

「うおおおおおおおおおおおおおっ!?」

 ガバッ! と、@ wiki につかみかかるエルゥ。その目は血走り、息はあらい。つめが食い込むほどに力を込めて、本を俺からうばおうとする。

「な、何すんだっ!? やめ、破れる! 離せっ!」

「お願いだ! ちょっとだけ! 先っぽだけでいいから! ちょっとだけ読んだらすぐ返すから!」

「馬鹿、そりゃ男のセリフだ! うっ、くっ、この……くそ、まずは離れろ!」

「イヤだ! 絶対に離れない! これを読ませてくれるまで離れはしないぞ!」

 せまい部屋の中、もつれ合う俺たち。

 本が取れないと分かると、エルゥは俺のうでをつかんで引きはがそうとする。

「ィィィイン! イイイイイン! 読ませろ! 読ませろ!」

 さけぶ。たたく。みつく。くすぐる。

 ありとあらゆる手段を使って、エルゥは@ wiki を奪おうとする。

 そんな必死な──っていうかあつみたいな姿に、俺はたまらず声を上げた。

「分かった! 読ませる! 読ませるからーっ!」

 悲鳴のような声が出た。俺としては情けない声だったんだけど、エルゥはそれを聞くやいなや、ほくほくとエビス様のような顔になった。

「いやあ、タカヒロ君も人が悪いよ。読ませてくれるなら、はじめからそう言ってくれればいいのに」

「興奮したあんたが話を聞いてくれなかったんだよ……」

 まるで何事もなかったかのようだ。

 つかれた俺はがっくりとかたを落とし、そっと本を差し出した。

「もう読んでもいいのかい? 読んでもいいのかな?」

 子どものように目を輝かせるエルゥ。

 そわそわとしている彼女に、俺は軽くうなずいた。

「ああ、いいよ……って、もう読んでる」

 バッ! といつしゆんで消え去る@ wiki。

 本を手にしたエルゥは、食い入るように開いたページを読んでいる。

「うん? 目次だけ? あとは白紙……おおお! 知りたいことがらがページに浮かんでくる! そうか、これが《アートウィキ》の仕組みか! 世界のすべて、その情報量が一冊の本の中にある……素晴らしい……素晴らしいぞ、これは……!」

 目をらんらんとギラつかせ、独り言をつぶやくエルゥ。

 そんな彼女に向かって、俺は念のために声をかけておく。

「おい、読んでもいいけど、あと三十分くらいだからな? それくらいったら俺は帰るぞ? 仕事があるんだからさ。サボるとうちのメイドがこええんだよ」

 例によってユミエルからあたえられた仕事だ。サボるとばつが怖い。

「おい、聞いてるのか?」

「聞いてるよ……おお、これは!」

「ならいいけどさ」

 エルゥは本から少しも顔を上げていない。

 その様子にいちまつの不安を感じながらも、時間まではしたいようにさせることにした。


「いーやーだー! もっと読みたい! もっと読ーみーたーいー!」

ちや言うなよ……俺にも仕事があるんだ。さっき言ったろ?」

「聞いてない! そんなことは聞いてなーい!」

 三十分経った。宣言通りに帰ろうとした。そしたらこのザマだ。

 エルゥは@ wiki を胸にき、っ子のようにゆかを転がり回っていた。

「おい、帰るんだって。俺は帰るぞ、もう」

「だったら、《アートウィキ》置いてってよー! あとで取りに来たらいいでしょー! うわーん! わああああーん!」

「いや、そうしてもいいけど……俺から離れると、その本、消えるぞ?」

「えっ!?」

「システム的な問題……って言っても分からんか。えっとな……その本は俺と一体化しているから、離れ過ぎると手元にもどってくるようにできているんだ」

「そんな……!?」

 アイテム欄の貴重品は、なくしても自動的に戻るようにできている。

 きよが離れたら戻ってくるし、そのせいで捨てることもじようすることもできない。

 なぜこの世界でもそうなるのかは分からんが、とにかくそういう風にできていた。

「さっ、これであきらめがついただろ? それを返すんだ。でなきゃ帰るぞ」

「やだ────────────っ!」

 本をかかえたまま、とびらの前に立って通せんぼをするエルゥ。

 完全に幼児退行を起こした彼女は、なみだで俺をにらみつけてくる。

 かんべんしてくれよ、泣きたいのは俺の方だ。

「はあ……どうすりゃいいんだ、これ……?」

 いよいよ《ねむり玉》でごういんに眠らせてやろうかと思いはじめたところで──。

 不意に、エルゥに変化が現れた。

「うぐぐ……はっ!?」

 何かをひらめいたように、エルゥはハッとした顔になった。

 その目に知性が戻ってくる。涙がみるみる引っ込んでいく。

 そして、いかにも名案を思いつきましたみたいな顔で、彼女はこう言ってきた。

「ならこうしよう。明日から、君を助手としてやとおう。助手という名目でここにいてもらおう。なに、いてくれるだけでいいんだ。私は《アートウィキ》さえ読めればいいし、君は就業時間内、好きなことをしてくれて構わない。なんならひるをしていてもいいよ?」

 すさまじいしようげきが俺の体をつらぬいた。

 そんな手が──そんな手が、あったというのか──!

「お、おおお……!?」

「どうだい、だれも困らないこのプラン……受けて、もらえるだろうね?」

 にやりとほくそみ、俺の後ろに回って「ぽん」と肩に手を置くエルゥ。

 俺はその手に手を重ね、とてもいい笑顔でり返って言った。

「ああ! 俺を雇ってくれ!」

 迷う必要なんてなかった。考える時間さえいらなかった。

 なぜなら! これで! 大手を振って!

 俺は仕事をサボれるんだ!

 俺は仕事をサボれるんだああああああああっ!


「ユミィ、喜べ! 俺は定職にいたぞ!」

「……今、なんと?」

 スキップ混じりに帰宅して、胸を張っての就職報告。

 疑わしそうな目をするユミエルに、俺は自信たっぷりにこう続ける。

「だから、定職に就いたんだ! しかも、あの王立図書館の研究員の助手だぞ!」

「……本当ですか? それは?」

「本当だって! 明日あしたから、さつそく来てくれって言われた! これが任命書だ! いや~、ぼうけん者時代の経験がきたってやつかな、ははは!」

「……おめでとうございます。これは、お祝いをしなければ」

 そう言ったユミエルは、買い物かごを持っていそいそと出かけていった。

 きっと、いつもよりごうな食事にするんだろう。今から楽しみでしょうがなくなる。

(ふふふ……いいことだらけだな!)

 こんな幸せがおとずれるだなんて、思ってもみなかった。

 ごろごろしているだけで給金が出るだなんて、本当に夢のような話だ。

「@ wiki、ばんざーい!」

 まさかまさかの現実に、もう何度だって、喜びの声を上げることができた。


 ‐3‐


「お~い、来たぞ~」

 翌朝、俺は図書館の地下階に来ていた。

 立入禁止区画にあっさり通され、今、エルゥの部屋のドアを叩いている。

「お~い、いないのか~」

 ドンドンと再度ノックする。すると、

「待ちかねたぞっ!」

「おわあああっ!?」

 バンッ! と音を立てて、はじけるように扉が開いた。

 そこからやつれた顔のエルゥが飛び出し、俺はその分飛び退いた。

「あ~、びっくりした! あ~、びっくりした!」

 バクバクと脈打つ心臓をおさえる。

 そんなことなどお構いなしに、興奮したエルゥは俺を部屋へと引きずり込んだ。

「いや~、すまないね。昨日読んだ部分だけでもまとめておこうと思って、てつしてしまってね。いつの間にか寝ていたようだ」

「だろうな、目が真っ赤だ」

 そのうえ、服がじやつかん乱れている。

 まあ、せ細った体を見せられたところで、感じるのは色気ではなくあわれみだ。

 ほとんど骨と皮だけじゃねーか。もっと飯食えよ。

「さっ、早速だが出してくれたまえ」

「はいはい、っと」

 にこやかに両手を差し出すエルゥ。

 その手に@ wiki をせてやると、あっという間にのめり込んでしまった。

「ホントに本が好きなんだな……」

 ここまで夢中になれるなんて、ある意味では幸せかもしれない。

 あきれ半分、感心半分になりながら、俺は《エアクッション》を取り出して床に置いた。

「ま、俺も好きにさせてもらうさ」

 本の山に囲まれながら、俺はえんりよなしに寝転がる。

 ここで昼寝できると分かっていたから、昨日はかししたんだ。

 みように眠いし、ここは静かでうすぐらいし、すぐに眠れそうだ──。

 そんなことを考えているうちに、俺の意識は夢の世界へと旅立っていった。


「…………ん?」

 ぼんやりと目が覚めていく。

 時刻は……十四時を少し回った辺りか。よく寝たもんだ。

「ふああ~あ」

 大きくあくびをしながら体を起こす。

 すると、寝る前とまったく姿勢が変わらないエルゥの背中が目に入った。

 どんだけ熱中しているんだか──。

「……腹減ったな。飯でも食うか」

 朝、出かける時にユミエルが持たせてくれた弁当がある。

 昨夜ゆうべの残りを使ってるって言ってたから、きっとごそうが──おお!

 ローストチキン、レタスと卵、ハムやチーズ、トマトなどなど。色んな種類があるサンドイッチが、バスケットいっぱいにめられている。

 すいとうの中には冷たい紅茶が入っていて、これはもう、文句なしの内容だ!

「よし、いただきまー……エルゥ、お前はどうするんだ? 飯はもう食ったのか?」

 少し気になってたずねてみる。

「いや、食べてないよ。今はそんなヒマなどない」

 不健康に瘦せ細った女がなんか言ってる。

 そのうち栄養失調で死ぬか、するんじゃねえか、こいつ?

「しょうがねえな……ほら、俺の飯を分けてやるから食えよ。これなら本を読みながらでも食えるだろ?」

 見ていられず、なるべく栄養がありそうなのをわたしてやる。

「ん……ああ、すまないね……」

 本から顔も上げずに、機械的にサンドイッチを口にするエルゥ。

 俺もたいがいだが、こいつもなかなかの人間だ。少なくとも生活力はありそうにない。

(飯の世話ぐらいはしてやるべきか?)

 何しろ、大事ならい主様だ。

 そして俺は、建て前とはいえ彼女の助手だ。

 なら、身の回りのことぐらいはやってあげてもいいかなと──。

 そんなことを考えていたんだが──。


 持ちつ持たれつの理想的な関係。

 それはわずか三日でたんしようとしていた。

「なあ……ヒマだから外に行ってもいいか……?」

「何を言っているんだ、君は。そんなことしたら本が消えてしまうではないか」

「ちょっとだけでいいんだ……」

きやつだ、却下。昼寝でもしていたまえ」

「もう眠くねえよ……」

 いくら俺でも、朝から晩まで昼寝できるわけがない。

 三時間も眠れば目はえたし、また寝ようと思ってもなかなか寝つけなかった。

 仮に寝ようとしても、このエルゥが、

さんぱいってどういう意味かな?」

いもむしが何でここまできらわれているんだい?」

「DPSとは新しい概念だね!」

 なんて話しかけてきて、その都度り起こされてしまう。

 これではおちおち昼寝もできない。じゃあどうするのかっていうと──。

「時計を見つめているだけ」だ。

 ここにある本は読めないし、そもそも読書家じゃないし、らくも何もないところで時間なんてつぶせるわけがない。かと言って外には出られないし、話しかけようものなら、

「気が散る!」

 と、おにのようにおこられる。

 だから、まあ、もうすることもなくて、時計の進みだけ見ているわけだけど──。

 俺にとってつらい時間は、エルゥにとってもどうやら苦痛のようだった。

「う~ん、う~ん、ダメだ、これも読めない……」

 夢にまで見た《アートウィキ》を前に、苦しげな表情をかべるエルゥ。

 その手にある本のページには、でかでかと赤いバッテンが表示されている。

「だから言ったろ? それは神の書物だから、そう簡単に読めないって」

 そういうことにしておいた。

 まあ、本物の全知の書ではないにしろ、@ wiki だってかなり使える事典だ。全部見せられるはずがないし、中には危険すぎる情報もある。そういったページには全部、えつらん制限をかけさせてもらっている。

 そんな初心者仕様、ネタバレ禁止仕様にした@ wiki に──。

 やっぱりエルゥは、不満たらたらのようだった。

鹿な……私はレベル120の《ハイ・アルケミスト》だぞ……!? ほうだって使える……古代語の解読だってできる……その私ですらほとんど読めないだなんて……! ありえん……理解できない……」

 スキル神《インフォ》をはじめ、神が実在するのがこの世界だ。

 その神が定めたことだと言えばまかり通ったが、それでもエルゥはなつとくできないようで、さっきから否定の言葉をり返している。瘦せこけた顔にはしわが寄り、奥歯はギリギリと音を立て、目はらんらんと燃えるようで──。

「ダメだ……! 読めない! これ以上は読めない! あああぁぁぁぁっ!」

 とうとうはつきようしてしまった。

 頭をかきむしってかみり乱し、しようてんの定まらない目で@ wiki をにらみつけている。

 そんなエルゥに、俺はため息混じりに声をかける。

「ならよ~……めるか、この関係」

 正直、ヒマを持て余しすぎてカビでも生えそうだ。

 ひるし放題だけど、ここには自由がない。それはちょっとえられない。

 エルゥも苦しそうだし、もうここで終わりにして、元の関係にもどろうと──。

 言いかけたところで、エルゥが静かになっていることに気がついた。

「……………………………………………」

 フリーズしたみたいにピタリと止まっている。

 だけど、暗い目だけはじっとこちらを見ている。

 俺をぎようし、ゆるゆると口を開き、そして俺に向かって、

「ダメだぁぁぁぁぁぁぁあああ~~~~ぁぁぁっ!」

 耳をつんざくような金切り声!

 たまらず耳をふさいで、それと同時に後ずさる。

「ダメだ、ダメだ、ダメだ! こ、この本はだれにも読まさん! 私のものだ!」

「いや、俺のだよ」

「私が! 私が一番に全部読むんだ! 私が!」

「は、はいはい、分かった、分かったって」

 本を胸にき、どくせんよくあらわにするエルゥ。

 こいつの《アートウィキ》に対するしゆうちやくは異常だ。ここで無理に帰ったら、地の果てまで追ってきそうでこわかった。

「でもさ、読めないんだろ、それ。どうすんだ?」

「うぐぐぐ……うううう~……」

 犬みたいなうなり声を上げ、エルゥは部屋を歩き回る。

 まあ、無理もない。えさをおあずけされた犬みたいなもんだからな。

「……仕方ない。今は保留ということにしておこう」

「おっ」

「読み解くための手段を探そう。まずはそこからだ」

「おお、そうか!」

 意外と話が早かった。

 エルゥは@ wiki を俺に返すと、散らかしていた紙をバサバサと集めはじめた。

「読み取れたことの実証もしたいな。スキル、調合、魔物の弱点に行動パターン……確かめることは山ほどある」

「そうか、そうか」

 どうやら@ wiki のことはあきらめてくれそうだ。

 少なくとも、このなんきんみたいな生活は終わるはずだ。

 あとはたまに会って、たまに@ wiki をかくにんさせるくらいだろう。

 それくらいのひんなら、ここに来るのも悪くは──。

「では、行こうか。まずはパドル大森林だ」

「……えっ?」

 どういうこと? なんで今、地名が出てくるわけ?

「何をほうけているんだい? ほら、行くよ。現地で実証実験だ」

「はああああああっ!?」

 よく見てみると、いつの間にかエルゥはリュックを背負っていた。

 先ほどの紙は丸めてわきかかえている。けいたい食料もポケットに入れている。

 どこからどう見てもお出かけスタイルだ。

「いや、待てって! なんでそんな! しかも俺が!」

「なんでもなにも、君は私の助手だろう? 私の手伝いをしてもらうよ」

「いやいやいやいや! それは建て前って話だったろ!?」

「イヤなのかい?」

「イヤだよ!」

 誰がパドル大森林になんて行くもんか。

 馬車を使っても二日かかるようなところだぞ? おまけに森以外は何もないクソみたいな場所だ。

 何が悲しくてこの女と、そんなところに──。

「では、彼女に報告しよう」

「……ん?」

「ユミエル君だったか。彼女にありのままを話してしまおう」

「な、な、な……!?」

 ──やられた!

 まさかこいつ、まさか、まさか!

「なに、いはしない。しないけど、護衛をたのめるとうれしいな」

「こ、こ、この魔女めぇ……!」

「よく言われるよ」

 にやりと笑うエルゥ。

 どこかけているように見えて、裏では俺のことを調べていたんだろう。俺がユミエルに弱いことを、ばっちりつかんでたってわけだ。

 だが、このまま流されるわけにはいかない! だって明後日あさつては安息日だ! 今から大森林まで行ってたら、貴重な休みが丸々潰れる!

「ま、待て! そんな実験、近場でもできるだろ!?」

「無理だね。様々なことをためすには、大森林以上に効率的な場所はない」

「いや、そんなに急いだってしょうがないだろ!? ゆっくり、じっくりと」

「それも無理だ。タカヒロ君、時間は有限なんだよ? にはできないさ」

「ううう……!?」

 先ほどとは打って変わって、今度は俺が追いつめられていく。

 このままだと大森林行き確定で、げればユミエルのいかりにれる。

 行くもごく、引くも地獄とはこのことだ。どうにかしてこの場を切り抜けないと、大事な大事な俺の休みが──。

「あっ!」

「うん?」

 不意にひらめいた。というか思い出した。

 そうだ、実験場ならちょうどいい場所があるじゃないか!

「学園めいきゆうだ! 学園迷宮にもぐればいいんだよ!」

「学園迷宮?」

「そう、学園迷宮! よくないか?」

「君、あそこはたったの地下十階だよ? ボスも弱く、魔物の種類も少ない。そんなところではろくな実験など」

ちがうぞ」

「うん?」

「あそこは地下三十階だ」

「は?」

 まどいを顔に浮かべ、固まるエルゥ。

 またこの説明かとげんなりしながら、それでも解決策が見つかって嬉しい俺だった。


 ‐4‐


 教室のとびらを開くと、フランソワのしい声が聞こえた。

「起立!」

 彼女の号令により、一糸乱れぬ動きで立ち上がる生徒たち。

 そこに向かって、俺は軽い調子で手を上げた。

「お~、おはよう。相変わらず元気いいな、お前ら」

「「「おはようございます!」」」

「着席!」

 再度の号令で、三十名がいつせいに席に座る。

 その姿を確認してから、俺はまた、口を開いた。

「さて、それじゃ、授業をはじめようと思うんだが」

 そう言うと、生徒たちは羽根ペンを手に取った。

 俺の言葉を書き取ろうというのだ。勉強熱心なことだと思う。

 だけど、今日の俺には、授業よりも先に言うことがあった。

「あ~、その前にだな。ちょっとしようかいしたい人がいるんだ」

 きょとんとした顔をされた。

 それもそうか。昨日の今日の話で、通達も行きわたっていないはずだ。

 俺自身、こんなことになるなんて思わなかったし──。

 まあいい。とにかく紹介しよう。

「じゃあ、先生。入ってきてください」

 ゆっくりと開かれていく教室のドア。

 そこから入ってきたのは、長身そうのエルフだった。

「お、おい……?」

「誰だ、あれ……?」

 服の上から白衣を着て、シャープな眼鏡をかけたくろかみの女エルフ。その登場に、生徒たちはどうようかくせずにいる。

 しかし、そんなことなどお構いなしに、女は教卓の前に立ち、

「よろしく」

 と、エルゥと同じ声でそう言った。


 学園迷宮に新しい階層が見つかった。

 それを知ったエルゥは、知的こうしんも手伝って、すぐさまけ出そうとした。

 で、俺はそれを必死に止めたわけだ。止めざるをえなかった。こいつを外に出せばどうなるのか、簡単に予想ができていた。

「その格好を見ろ! TPO! TPOをわきまえろ!」

「なんだね、それは。古代語か何かかね」

 ひかえめに言ってゾンビのようで、さもなきゃグールかりようのレイスだ。

 つまりはアンデッドそっくりで、街中に出れば問答無用でとうばつされそうだった。

 だから俺はどうにかこうにかそれを押しとどめ、必死になってさけんだんだ。

「そもそも、学園迷宮には関係者しか入れねーぞ!」

「なにぃ……!?」

 ここでやっと、エルゥは足を止めた。

「君の権限でなんとかならないのか!?」

「俺はしがない講師だよ。部外者を連れて迷宮には入れねえよ」

「ならば、私も講師になる! それなら何も問題はないはずだ!」

「はあ? そんなことできるのか?」

「現に君は採用されただろう?」

「そりゃまあ、そうだけどさ」

 俺があいまいにうなずくと、エルゥは改めて駆け出そうとした。

「待てーっ! だから、その格好じゃ外に出れねえって!」

「むう……しつこいな、君も」

「せめてにくらい入ってこい!」

 そんなやり取りは、結局エルゥが折れるまで何回か続いた。

 風呂に入って、かみを切り、新しい服を着る。

 そのことを条件に、俺はエルゥを学園に案内することを約束したんだが──。

 その結果、とんでもないものを目にすることになった。

「ふう。髪なんて久しぶりに切ったな」

「……………………は?」

 身だしなみを整えるために、エルゥが通された司書の控え室。

 そこから出てきたのは、エルゥとは似ても似つかぬ女エルフだった。

「だ、だれだ、お前?」

「失礼だな、君は。私だよ、エルゥだ」

「ウソぉ!? いや、ぜってーウソだろ!?」

「なんだい、疑い深いな」

 その声には、確かに覚えがあった。でも、

「いや、だって、エルゥにはそんなエルフ耳ついてなかっただろ!?」

 ピンとびる、エルフ特有の長い耳があった。

 それがエルゥの顔の横で、ぴこぴことれている。

「ああ、これかい? 耳に髪がかかってうっとうしかったんだ。それで見えなかったんじゃないかな?」

「あれは耳にかかる、ってもんじゃなかったぞ……!」

「それもそうだね。ははは」

 思い返せば、横にもピンピンとねたりふくらんだりのたらかみがただった。

 あの耳が隠れるスペースは十分にあったんだ。

「そうか、お前、エルフだったのか……」

 明かされたしようげきの事実に、何だかドッとつかれてしまった。

「さあ、行こう! 学園はすぐそこだ!」

 げんなりする俺を引きずって、エルゥはようようと学園に向かった。

 すると学園はおおさわぎになり、なぜか学園長まで飛んできた。

(まさか、あんなことになるなんてな)

 教師たちは目を白黒させたり叫び声を上げたり、走り回ったり変なあせをかいたり。

 そこに学園長が飛び込んできて、話もそこそこにそく採用だ。あまりの急展開に、俺も学園側もいまだに混乱の中にいた。

「それで、サヤマ先生。そちらはどなたですの?」

 ぼけーっとしていたら、フランソワから声がかかった。

 まあ、気になるよな。気になるはずだ。でも、どう説明すればいいのやら。

「それには私が答えよう」

 迷っている間にエルゥが説明をはじめた。なら、ここはこいつに任せよう。

 そう思って一歩引くと、代わりにエルゥがずいと前に出た。

 そして慣れた様子で、特に気負ったところもなく口を開いて──。

「私は新しくこの学園の教師となった、エルゥ・ミル・ウルルだ」

「っ!?」

 ざわり、と教室の空気が変わった。

 たった一言、自分の名前を告げただけで、エルゥは生徒たちをざわつかせた。

「せ、先生。先生はもしかして、あの王立図書館の……?」

「ああ、研究員だ」

 そうぜんとなる生徒たち。そのざわめきは、段々と大きくなっていく。

(やっぱ有名人なんだろうな。それも、俺が思うよりもずっと)

 昨日の反応と、今日の反応を見る限り、どうもそういうことらしい。

 今だって、あのフランソワが血の気の引いた顔で、ふるえる手を上げている。

「あの、サヤマ先生? 本当の話ですか、今のは……?」

 信じられない、といったところか。

 だがまあ、全部真実だ。エルゥが言ったことは、全部、全部。

「ああ、ホントだぞ。エルゥ先生は王立図書館の研究員だ。研究の合間をって、教壇に立ってくれることになった」

「「「おおおぉぉ~~~……!」」」

 ようやく本当のことだと分かったのか、かんたんの声が一斉にれた。

「すごい、すごいぞ!」

「あのエルゥ女史が……!」

「ウルル教授が学園に!」

 ワッとき立つ生徒たち。

 その様子を見て、俺はほっと胸をなで下ろした。

(やれやれ……これであのヒマごくもどらなくて済むな)

 エルゥはしばらく、学園めいきゆうで色々ためすみたいだ。

 今後はたまに@ wiki を見せるだけでいいらしい。学園でも会えるし、必要なら向こうから読みに来てくれるそうだ。

 生徒たちの視線はエルゥに向くだろうし、みようなアプローチも段々と減っていくだろう。

 そう考えると、わざわい転じてってやつなんだろうが──。

(問題は……)

 そのことを考えると、どうしても気が重くなった。


 ‐5‐


(さて、こいつにはどう説明したものか)

 学園での仕事が終わり、自宅に帰った俺は、ユミエルにかたをもまれていた。

「……ご主人さま、気持ちいいですか?」

「あ、ああ、気持ちいいよ」

「……それは何よりです」

 定職が決まって以来、このメイドはとてもげんが良い。

 仕事帰りの俺に、いつにも増してあれこれ世話を焼きたがるんだ。

「……感無量です」

「な、なにが?」

「……ご主人さまが定職にかれ、わたしはとてもうれしいです」

「うううっ!?」

 こんなことを言われるとつらい。これではかんじんの話が切り出せない。

 それでも言わないと、言っておかないと、あとで──。

「あ、その……だな、お前に、言いたいことが、その……あるんだが……」

「……はい、なんでしょう? お仕事でご苦労なされたお話ですか? それとも対人関係のトラブルでしょうか? わたしでよければ、何でもお聞きしますよ」

 まるで聖母のようなかんようさだ。

 だが、それが今の俺には……こわい。

「あ、誤解せずにだな、聞いてほしいんだけど……その、な?」

「……はい」

「図書館の仕事、なくなったんだ。つまり、その……定職じゃなくなったっていうか」

「……何を、やったのですか?」

 すうっ、と背後から冷気がただよってくる。

 毎度おなじみの──いや、かつてない感覚に、俺の背筋がゾクゾク震える。

「い、いや、ちがうぞ! 俺がヘマをしたわけじゃない!」

「……失敗をせずに真っ当に働いて、どうして一週間足らずで仕事がなくなるのですか」

「それには深いわけが……!」

 助手の仕事をかくみのに、堂々とサボろうとしてましたぁ!

 なんて言えるわけがない! だからといって、い言い訳もかんでこない!

 どうにもこうにも言葉にまったところで、

「……おしおきです」

 ユミエルがを取り出した。

「そ、それは《りゆうせん》……!?」

《竜皮扇》。それは白竜の皮から作られる純白のハリセン。

 たいする者に「たたかれなくてはならない」と思わせ、必中させる【ツッコミ】効果を持っている。これはジョークグッズに見えて、せつこう職殺しの立派な武器だった。

「落ち着け! 待て、落ち着くんだ! っていうか、どこでそんなもんを!」

「……ご主人さまからいただいた道具箱に入っておりました。このような事態をしてのことですね? その精神は立派です」

「違う! 違うぞ、ユミィ!」

 ただ単に整理せいとんが苦手なだけだ。そんなぎやく的な意図は毛頭ない。

 そう説明する間もなく、俺はじりじりと追いつめられ──。

 そして、純白の《竜皮扇》が音を立ててり下ろされ──。

「や、やめろ……! やめっ! アーッ!」

 この夜、俺はケツがれ上がるまで、何度も何度もしばかれた。




第四章 ネズミと冒険者ギルド編


 ‐1‐


「……ご主人さま、知っていますか? 今日は月に一度のぼうけん者ギルド定例会の日です」

「へ~、そうなんだ……で?」

「……ご主人さまは、《フリーライフ》の店主として、定例会に出席せねばなりません」

「ふ~ん、そうだったっけ?」

「……このやり取りも、何でも屋を始めて何回目ですか。あきらめが悪いですよ」

「だってさ~! あいつら、俺に仕事を回してくるんだぜ? ありえねぇぇいっ!?」

 ドガッ!

 俺のかみをいくらか切り飛ばし、居間のかべに深くめり込む無骨ななた

 ユミエルの【とうてき】スキルは、今日もえわたっているようだった。

「……あり得ないのはご主人さまです。定例会に出なければ、ギルドから仕事が回ってこなくなりますよ」

「い、いいんだよ! ギルドの仕事なんてめんどうなもんばっかじゃねえか! 俺は地域密着型なんだ! 細々とご近所さんのらいを週に二、三回くらいこなせればだな!」

 毎度毎度、暴力にくつしてはいられない。

 鉈によるおどしにも負けず、俺はかんに主義主張をぶち上げて、

「出席しなさい」

「ハイ」

 ユミエルの目が冷たく光る。

 言葉がたんてきにズバッと飛び出す。

 これはかんにんぶくろが切れた合図で、俺の体のどこかがズバッと切れる前兆でもある。

 こうなるともう、うなずくしかなくなる。パブロフの犬みたいなもんだ。店主の立場が形無しだけど、ユミエルにおこられるよりかはマシだった。

「……いいですか、ご主人さま。ギルドホールに行ってすぐ帰ってきて、定例会に『行って』きましたなんて言うんじゃありませんよ。ちゃんと出席するんですよ」

「お母さんか、お前は! ……チッ、分かったよ! ちゃんと出席してきます! それでいいんだろ?」

「……それでいいんです」

 いつも通り、通常運転の何でも屋《フリーライフ》。

 季節は秋になったけど、このやり取りは当分、変わりそうになかった。


「相変わらず、鹿みてえにでけえな」

 家から歩いて三十分。馬車を使えば十分ちょい。

 そんなみようはなれた場所に、そのクソでかい建物はそびえ立っていた。

《冒険者ギルド本部本館》

 ちょっとコロッセオか、さもなきゃバベルのとうを思わせる建物は、とにかくでかくてハンパない。支部や別館とは明らかに違うスケール感だ。

 大国イースィンドの冒険者ギルド、ここにありって感じだな。

 今日は定例会だけあって、にぎやかさもいつも以上のように思えた。

「定例会……あ~、くそ、だりいなあ……」

 どうせ今月もやつかいごとを押しつけられるだけだ。

 手当たりだいに依頼を受けて、面倒なもんだけこっちに回すなっつーの。

「はあ……仕方ねえ、入るか」

 そうだ。入り口でうだうだしててもしょうがない。

 腹をくくって、さっさと中に入るとするか。

「おい、『ネズミ』が来たぜ」

「相変わらずしょぼくれてやがんな」

「ああはなりたくないもんだぜ……ひひ」

 いきなりくすくす笑われた。冒険者の方々が俺を見て笑っている。

 あ~……こんなあざけりにもすっかり慣れた自分がいる。

 ネズミと呼ばれても特に腹は立たない。ほっとこ、ほっとこ。

「おい、ネズミ!」

「……ん?」

「お前! 何しに来たんだ!」

 わざわざっかかってきたヤツがいた。だれだ?

「なんだ、アルティか」

「ああっ!? オレを気安く呼ぶな、このネズミろう!」

 そう言ってカリカリ怒っている、真っ赤な髪の女の子。

 こいつはアルティ。アルティ・ブレイブ=スカーレット=カスティーリャ。

 ご大層な名前を持っているこいつは、ギルドマスターのむすめさんだ。

 そんでもって、冒険者の中では有望な若手でもある。

 確か、レベルは96だったかな? ジョブは《ライトファイター》で、目にも留まらぬ速さが長所だったはずだ。がらな体をかして、次から次へと敵のふところに飛び込んでいく。そんなファイトスタイルの冒険者だった。

 戦い方に共通点があったから、昔は手合わせをお願いされもしたんだが──。

 一年くらい前、俺が冒険者をめてからは、すっかりぎらいされている。

「このはんもんが!」

 こんな感じで、顔を合わせばやいやい言われてしまう。

 きっかけはなんだったか──なんかあった気がする。

 まあ、いずれにせよアルティにとって俺は『ネズミ』で、ほかの冒険者にとっても俺は『ネズミ』なんだろう。げ足ばかり速くて、真正面から敵と戦う勇気もないネズミ。そんなに間違ってもいないから、俺はもうずっと、言わせるままにしておいた。

「おい、ネズミ!」

「今度はなんだよ」

「おこぼれをねらおうったって、そうはいかないからな!」

「はあ?」

 アルティを無視して進もうとしたら、変なことを言われた。

 おこぼれ? 依頼のことか? んなもんいらないし、逆にあげたい気分だ。

「いいよ、依頼なんて。いらねーよ」

「ああ? とぼけるんじゃねえよ。それともお前、怖くて逃げようってのか?」

「ええ?」

はんしよく期のことだ! おい! そんなことまで忘れたのかよ!」

 アルティの言葉に、ドッと場がいた。

 その笑い声の中心で、アルティだけはいかりの表情を浮かべていた。

 べつの色を隠しもせずに、お前は心底ネズミ野郎だと──。

(……聞き捨てならんな)

 そうだ。聞き捨てるわけにはいかない。

 この言葉だけは、無視するわけにはいかない。

 こわいだと? 逃げるだと? それに、

(繁殖期だと……?)

 あ~、もうそんな季節か。

 めんどくさいなあ……。


 ‐2‐


 この世界には《》というものがある。

 大地の下を流れ、空へとき出し、海へとかえって、また地底をめぐる。

 じゆんかんする大いなるりゆう。星が持つ力にして、ばんぶつに宿るせきのかけら。

 これをちくせきすることで、生き物はより強く、たくましく成長することができる。

 うん、まあ、ぶっちゃけ経験値のことだな。

 そんでもって繁殖期とは、育成ボーナス期間のことだ。

(繁殖期なあ)

 秋になると大気中の《魔素》がくなる。

 すると、そのおかげで作物なんかはぐんぐん育つんだが──。

 同時に魔物も大量発生し、元気いっぱい暴れ出す。

 何しろ、《魔素》は魔物の活力源だ。水も食べ物もなくったって、《魔素》さえあれば魔物たちは生きていける。

 よどんだ《魔素》から生まれる魔物もいるくらいだからな。

 人間にとって有益な《魔素》は、同時に魔物を生み出すきようでもあった。

 だから、この世界の人々は皮肉を込めて、この季節を繁殖期と呼んでいる。

(もうそんな季節なんだな~)

 この時季になると、《Another World Online》を思い出す。

 あのゲームでも育成祭りとか言って、毎年秋になると魔物が大量発生していた。

 そりゃもうわんさかいて出て、だんはなかなか現れないレアな魔物ですら、期間中はちょくちょくそうぐうすることができた。

 アイテムを集めたり、レベルを上げたりするには、もってこいの期間だったな。

 初心者から上級者まで、秋は夢中になって魔物をったもんだ。

(あれを現実にすれば、たまったもんじゃないけどな)

 木々をなぎたおし、ひびきを立てて魔物の群れが押し寄せてくるんだ。

 はじめて目にしたときはこしけたし、戦わずに逃げもした。

 なみだも出たし、正直、本気で怖いと思った。

 ただ、まあ、そんな繁殖期も今年でもう三度目だ。

 三度目にもなると、もう季節の風物詩みたいなもんだった。

げいげきの仕組みもできてるしな)

 ちつじよに群れる魔物に対し、人間には組織力がある。

 団、自警団、魔法大隊にぼうけん者ギルド。こうした組織には集団せんとうのノウハウがあり、それは長い歴史をかけてみがき上げられてきた。

 学園生徒お得意のいつせいしやだって、多分、そのひとつだ。群れでやってくる魔物に対し、みんなで魔法をたたき込むんだろう。

 そうしたノウハウがあるのなら、万に一つも負けはない。よっぽど調子に乗らない限り、死人だって出ないはずだ。

 なぜなら、これはあくまで雑魚ざこ狩り。大量発生した雑魚を、みんなで一斉に狩っていくイベントだからだ!

 だけどもやっぱりその数は脅威なわけで、対処するには準備が必要だ。

 今日の定例会もそのためのものらしく、ギルドホールは血気盛んな冒険者たちでごったがえしていた。

「おい、ネズミ! なにボーっとしてんだ?」

「ん? ああ、すまん」

 アルティの声に、俺はハッと我に返った。

 そんな俺を、アルティは心底いやそうな顔で非難してくる。

「おおかた、ドロップアイテムのことでも考えていたんだろう! 情けないヤツ……だからお前はネズミなんだ。そうじゃなくて、いかに勇ましく戦うか考えるのが冒険者ってもんだろう! なあ、みんな!」

「おおう、そうだ!」

「俺たちをそんなネズミと比べてもらっちゃあ困りますぜ!」

 周りの冒険者が勇ましいことを言うと、アルティは満足そうにうなずいた。

 だけど、それに付き合わされる身としては、ちょっとかんべんしてもらいたい気分だった。

(苦手なんだよなぁ、この体育会系のふん

 飯もいし、文化水準も高い。

 そんなこの街を気に入ってはいるが、このノリだけはついていけない。

 だからいつも、定例会に来るのはめんどうで、おつくうで──。

(…………おっ)

 アルティにからまれてへきえきとしていたところで、不意に空気が変わった。

 波が引くようにギルドホールが静かになり──。

 それに合わせて、ホールの奥からきようれつな存在感が近づいてきた。

(あいつのお出ましか)

 ドスドスドスと、重たい足音。すぐにも現れた足音の主は、

親父おやじ!」

「ボス!」

「キリングの大将!」

 それぞれちがった名前で呼ばれた男。

 ヤツはキリング。キリング・ブレイブ=スカーレット=カスティーリャ。

 言わずと知れた大冒険者で、冒険者ギルドを力でまとめ上げるギルドマスターだ。

 レベルはきようの147だ。これはこの国における最高の数値で、これにひつてきするのは国王か、きゆうてい魔術師のおさぐらいだとか。そこまで上げるのに魔物を殺しまくったらしく、ヤツは《みなごろしのキリング》なんて二つ名まで持っていた。

「よう、おめえら、集まってるようだな」

 げんのある声だ。レベル147のはくりよく伊達だてじゃない。

 しんと静まり返ったギルドホールで、ゆいいつ、キリングだけが自由だった。

「会議が終わった。それをこれから通達する」

 いよいよ本題というわけだ。

 みんなが続く言葉を待ち、キリングはゆっくりと話をはじめた。

「おめえらも知ってるように、今月は繁殖期だ。騎士団やギルド支部のれんらくだと、すでに群れが出来上がり、あちこち暴れまわってるようだ」

「早いな……」

「なに、どってことねえよ」

 わずかにざわめく冒険者たち。

 キリングはそれを聞きのがさず、仲間へのへとつなげる。

「そうだ、どうってこたぁねえ! いつも通り、オレたちの力でふんさいしてやろうぜ!」

「「「おおっ!」」」

「騎士団の連中は守ってばかりだ! 魔法大隊のヤツらも、とりでや城から出てこねえ! 相変わらずおくびようもんだよなあ、おい?」

「そうだ!」

「そうだ!!」

「オレたちはもちろん打って出る! 一番でっけえ群れに真正面からぶつかって、堂々と血祭りに上げてやろうじゃねえか!」

「「「おおおおおおおおおおおおおおっ!」」」

 ギルドホールをふるわせるだいかんせい

 冒険者たちの士気は、頂点にまで高まっていた。

(さすがのカリスマだな)

 今回の繁殖期も、これならくいきそうだ──。


「《スティンガー》はよくを担当。《シルバーピアス》も右翼だ」

 その後、キリングは直々に、冒険者と冒険者グループに通達をはじめた。

 だれがどこで何をすればいいのか。それぞれの身のたけに合った配置に、冒険者たちは「さすがキリングの大将」と感心をしていた。

「アルティ。おめえはゆうげき隊だ。しっかりはげめよ」

「ああ! 任せろ!」

 むすめのアルティも適材適所、戦場を動き回る役目をあたえられた。

 まあ、あいつはすばしっこいからな。そういうのが向いているだろうな。

「フェリングス、てめえの《ジャックランタン》は輸送隊だ。前線に回復薬や武器をどんどん届けろ」

「任せてください!」

 おー、フェリングスんとこは輸送隊か。

 元行商人だもんな、あいつら。そういうのはお手の物ってわけだ。

「シンシアは衛生隊だ。しっかり励めよ」

「はい! ギルドマスター!」

 あの子は新顔だな。いかにも回復が得意ですって顔してる。

 衛生隊は大変らしいけど、本人のやる気は十分って感じだ。

(さて、そろそろ俺の番か)

 まったくもってイヤな話だけど、何でも屋も冒険者ギルドのかんかつ下にある。

 だから俺にも、何らかの役割が回されるはずなんだけど──。

「よし、じゃあ、解散! 出発は明日の朝だ!」

「「「おおおおおおおおおおっ!」」」

 ──あれ?

 終わってしまった。通達がしゆうりようしてしまった。

 冒険者たちは三々五々に散っていって、なんか、俺だけが残されて──あれ?

「え? なぁ、俺は?」

 聞きのがしかと思うが、やはり呼ばれてないように思えた。

 だからたずねてみたんだが──。

 キリングはいかつい顔をグイと近づけ、こう言ってきた。

「いいか、ネズミぃ。オレはおめえみてぇな口だけろうは信用してねぇんだ」

「はあ」

「昔のおめえならまだしも、今のおめえは全然ダメだ。そんなヤツに仲間のことなんて任せられねぇ」

「まあ、そうだろうな」

 昔は昔、今は今だ。

 二年前ならいざ知らず、今の俺はやる気なんてものは欠片かけらもなかった。

 それに気づいているのかいないのか、少しだけさぐるような目をしたキリングは、

「……おめえは後方基地で待機してろ!」

 そのまま「ふんっ!」と鼻息あらく、ドスドスと足音を立てて去っていった。

 その顔はどこまでも不快そうで、たてがみみたいな赤毛はいかりで逆立っていた。

 カスティーリャ親子にはずいぶんときらわれたもんだな。

 まあ、仕方ないっちゃあ仕方ないが──でも、今はそんなことより!

(よっしゃぁ~! これであんまり働かずに済む!)

 待機! 後方基地で待機! ああ、なんてらしい言葉なんだろう!

 多分、何にもすることがないな! 出番だってそんなにないはずだ!

 これが望外の喜びってやつか。思わずガッツポーズだってしてしまう。

「……チッ」

 アルティの舌打ちが聞こえたような気がしたが、もう全然気にならなかった。


 ‐3‐


『東に小隊規模のゴブリンが向かった! けいかいしとけ!』

『なにぃ!? ウッドゴーレムをぶっこわそうってときに……! おい! 人手を回せ!』

『こっちもいつぱいだっつーの! ったく……おい、ネズミ! ゴブリンどもをかく乱してこい! おめえはげ足しか能がないんだからよ!』

「あいよー……」

 オープンチャンネルの【コール】から、俺に向かって指示が飛ぶ。

 それに小声でこたえながら、俺はゆるゆると指定された場所に向かった。

いそがしいじゃねえか……くそっ」

 そうりながら、林道を小走りに進む。その間にもけんげきの音や、ほうをぶっ放すような音が森のあちこちから聞こえてきていた。

「はぁ……これで四度目か?」

 ここ、《ドゥ・マリッセけいこく》でせんとうがはじまって、まだ三時間程度だ。

 それだけの時間で、俺は四度もきゆうえん指示を受け取っていた。

「食人植物とクレイジーバード、ブロンズビートルに、今度はゴブリンか」

 どれもレベル40、50の雑魚ざこばかりだ。

 それをたおせではなく、足止めをしろということは──。

 まあ、いいように使われているんだろう。

 美味おいしいところは自分たちでやるってわけだ。

 正直おもしろくはなかったが、立場上、それをほうり出すわけにもいかなかった。

「精々、さ晴らしでもするか」

 そう決めた俺は、じよじよに速度を上げていく。

 林道をれ、山道をけ、しやめんから勢いよく飛び出して、

「さあ来い! ゴブリンども!」

『ギィィィッ!?』

「ほらほら、ここだ、ここだっ!」

 とつぜんおどり出てきた俺に、ゴブリン小隊はまったく反応できなかった。

 輪をえがくように走り回るだけで、小さなおにどもは目を回しているようだった。

『ガァァァァ!』

 中にはしやおそいかかってくるヤツもいたが、木々がじやをしてまともにこん棒もれていない。それどころか押し合いへし合い重なり合って、おしくらまんじゅうをしているみたいに固まっていく。

 すると、タイミングよくぼうけん者たちが現れて──。

「ネズミぃっ! おめえにしては上出来だぁ! あとはオレたちに任せろぉ!」

 レベル上げではないな。ドロップアイテムねらいってところか。

 物欲で目をギラつかせた男たちは、剣を振り上げ、ゴブリン小隊にとつげきしていった。

「へいへい、っと」

 任せろと言われたからには、そうするほかはない。

 さっさとこの場を後にして、とりあえずは後方基地に帰っていく。

 その間、オープンチャンネルに耳をかたむけると、あれやこれやが聞こえてきていた。

『そっちはどうだ!?』

『上出来だ! だが、なんかでかいのがいたろう!?』

『キリングさんが向かった! すぐにカタがつく!』

『よっしゃあ! さすがキリングのだんだぜぇ!』

 なんだかんだで順調にことが進んでいるみたいだ。

 キリングが出たってことは、そのでかいのとやらもいつしゆんでミンチに変わるだろう。

「ま、そうなるよな」

 結局、俺がどうこうする必要なんてまったくないってことだ。

 この世界の人々は、何年も、何十年も、何百年も、こうやって魔物と戦ってきたんだ。

 今さら俺みたいなのが現れたって、できることなんて何も──。

『オーガの群れを発見! 数は十! 真っぐに前線基地に向かっている!』

 また【コール】が聞こえてきた。

 どうやらオーガが出たらしいな。それも十体そろっているとはめずらしい。

「どれどれ、っと」

 背の高い木にするりと登り、スキル【ホークアイ】を発動させる。

 遠視の効果を持つ【ホークアイ】は、望遠鏡いらずの便利なスキルだ。それを発動させると、はるか遠くにいるものもはっきり見える。

「おお、確かにオーガだな、ありゃ」

 十数キロ先の山の斜面には、報告通りにオーガの姿があった。

 茶色いはだを持つ大鬼たちが、えっちらおっちらと箱を運んでいる。

「……ん? なんだありゃ?」

 オーガよりも一回り大きい、長くてはばも広い箱。

 こんぽうしたベッドのようにも見えなくはないが、そんなものがここにあるわけがない。

『なんでしょうね、あの箱は?』

おそらく、ゴブリン・ボマーが作製したばくだんだろう。しかし、やけにでかいな』

『あれでここをぶっ飛ばそうってんだろうさ。手すきのヤツはオーガどもにこうげきを集中させろ! こっちの爆弾であの爆弾をゆうばくさせりゃいちげきだ!』

『おおっ! 任せろぉ!』

 前線基地の面々の会話が【コール】を通して聞こえてくる。

(なるほど。今回の群れのボスはゴブリン・ボマーか)

 だいたいゴブリンメイジってイメージがあったけど、今回はちがうんだな。

 まあ、ボスは必ずゴブリンメイジ、なんて法則があるわけじゃない。

 知能が高いか、群れを率いる能力があれば、そいつが自動的にボスになるんだ。

 今回はそれがゴブリン・ボマーだったってことだ。

(なかなかかしこそうな相手だな)

 ゴブリン・ボマーは爆弾を作製できるスキルを持っている。

 それを使して大型爆弾を作り、ほんじんき飛ばそうと考えたわけだ。

 ちまちま小出しにするのではなく、一しよ集中で形勢逆転をはかるとは──少しは頭が回るようだな。

 だけど、しょせんはゴブリンのあさだ。

 おんみつ行動をさせるには、オーガは少々目立ちすぎた。

『待たせたな! オレたちに任せろ!』

 ほら、ゆうげき隊が飛んできた。

 アルティ率いる小隊が、オーガ出現の報を受けてもどってきたんだ。

『はあああああっ!』

らえっ!』

 オーガといっても、しょせんは雑魚の一種だ。

 レベル70程度ではアルティに太刀たちちできるわけもなく、みるみるうちにその数を減らしていく。

『りゃあああああっ!』

 今、アルティに倒されたので、ちょうど半分。

 残る五体のオーガは、もう爆弾を守ることもできずにいた。

『ようし、もういい! ここで誘爆させるぞ!』

 肉のかべがなくなって、ころいだと判断したんだろう。

 アルティは仲間に指示を出し、自分もこしのポーチに手をばした。

 そしてそこから《小箱爆弾》を取り出すと──それをいつせいに投げつけた!

『~~~~~~~~~~~~~~~っ!』

 ばくえんしようげきにより、オーガたちは声も上げられなかった。

 一体は倒れ、一体はひざをつき、残ったオーガも息も絶え絶えで──。

「……待て。おかしいぞ?」

 あれだけのほのおの中、爆弾と思われた箱は外装がくずれただけだった。

 中には、ちょうどオーガと同じサイズの──ミイラのようなものが見える。

「なんだ……?」

 あれはなんだ? まさかそのまま、ミイラじゃないよな?

 ミイラにしてはでかいし、それに、どこかまがまがしい気配がする。

「中に……何がいるんだ……?」

 やがて包帯にも炎が移り、ミイラの中身が徐々にあらわとなっていく。

 そして、そこから現れたのは──。

「待て……! おい、待てって!」

 ここに来てはじめて、俺の体にきんちようが走った。

 はじめてむかえたはんしよく期のときのように、死の予感がのうをよぎった。

【ホークアイ】によって視界にはっきりと映るきよたい

 体にからみつく包帯を引き千切り、アルティたちの前で正体を現したそれは。

「ウソだろ……!」

 レベル150。

 ユニークモンスター、ふんあつだった。


 ‐4‐


 その魔物のことは知っている。

 鬼の一種。悪神のけんぞくいかりに身を染めたしんのオーガ。

 話だけなら聞いたことがある。

 かいりきそうばん不当。強力無比なユニークモンスター。

 憤怒の悪鬼とは、伝説にも語られる強大なオーガだ。

 強い怒りで我をも忘れ、何もかもをかいしつくすという憤怒の悪鬼。

 かつて小国さえほろぼしたと言われる魔物が──。

 今、アルティの目の前に立っていた。

(な、なんでこんなところに……!?)

 爆弾だと思われた箱から、恐ろしいあつかんを放つ鬼が現れた。

 憤怒の悪鬼。レベル150のユニークモンスター。《みなごろしのキリング》さえりようする魔物に、アルティの体はたまらずこおりつく。

「う、く」

 魔物を見慣れたアルティですら、こうちよくせざるをえない。

 格が違いすぎる。レベル差だって開きすぎている。

 これに対処するには、それこそキリングがいないとどうしようもない。

 アルティの遊撃隊と前線基地の面々では、束になってもかなわない。

「う、うわあああああああ~~~~~~~~~!?」

 その片割れ、前線基地にいた者が、我先にとげ出した。

 積み上げたのうやテントのかげから、冒険者、あるいは何でも屋たちが、蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出していった。

「マジかよ……」

 背中ががら空きになって、冷たい風が首筋をでるような感覚があった。

 いつもなら、情けないといつかつするところだが──今回ばかりは仕方がない。

 あのきよわんがかすっただけでも命が絶たれる恐れがあるのだ。彼らよりレベルが高く、質のいい装備をつけたアルティですら、直撃すれば死はまぬかれない。

 いつもはたよりになる仲間たちも、今は鹿じかのようにふるえている。

『ゴガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!』

「「「ヒッ!」」」

 憤怒の悪鬼のほうこうに、遊撃隊の戦意がボキリと折れた。

 どんなごうけつもすくませる【怒りの咆哮】だ。アルティの体からも力がける。たんけんを持つ手が震え、今にも得物を取り落としそうになる。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!』

 重たい足音を立て、遊撃隊へと近づく憤怒の悪鬼。

 いまきよはあるものの、その体はとても大きく見える。まるで目の前にいるかのように、悪鬼の気配をすぐそこに感じる。

 これはいけない。こうしてはいられない。

 このままここにいては、あの憤怒の悪鬼に、くだかれ、かれ、じ切られ──。

 ──喰われてしまう!

「あひっ、ひっ、ひぇぁぁああああああ~~~~~~~!」

「えっ!?」

 遊撃隊の一人が、せいを上げながら逃げ出した。

「お、おれも、おれもっ……!」

「やってられるかよ! ちくしようっ!」

 一人が逃げ出すと、残りもせきを切ったように逃げ出した。

「バ、バカ! なにやってんだ!」

 アルティはそれを必死に止めようとしたが──。

 副隊長が、逆にそれを押しとどめた。

「お、おじようっ! 逃げましょう! オレたちも逃げましょう!」

「なに言ってんだ! すぐそこに基地があるんだぞ! 親父おやじたちが帰ってくるまで、オレたちが止めるしかねえだろうが!」

「なら、基地のヤツらもいつしよに逃げましょう! ねっ? そうしましょうよ!?」

「んなことしたら、すぐに追いつかれるだろうが! 残ってるのは人だらけだ! まともに走れるわけねえだろう!」

 そんなことも分からないなんて、どうかしている。

 アルティはそう続けようとしたが──。

 憤怒の悪鬼は、もはや目前までせまって来ていた。

「うわあ、あああ、きた、きたぁっ!? もうダメだ、逃げます、オレも逃げます!」

「あっ!?」

 とうとう副隊長まで逃げ出した。

 だんたかひろをネズミとさげすぼうけん者たちは、アルティ以外、みんなネズミのように逃げてしまった。

 ここにはもう、アルティしか残っていない。

『オオオオオオオオオオ!』

 山のように盛り上がった筋肉。

 全身から蒸気を立ち上らせ、ものねらいを定める憤怒の悪鬼。

 こわい。おそろしい。自分も逃げてしまいたい。

 だけど、それは許されない。アルティはギルドマスターの一人ひとりむすめだ。ゆうかんさをもってとする冒険者のかがみとならなければいけない存在だ。ものが怖くて逃げたとあっては、冒険者のけんは地に落ちてしまう。

 何より、だいな父親や、かがやける戦歴をのこしたご先祖様に申し訳が立たない。

「やるしか……ねえ、か」

 未だ震える手をポーチに伸ばすアルティ。

 彼女はそこから《気つけポーション》を抜き出して、それを一気に飲み干した。

(うぐっ! マズい……!)

 脳天がしびれるような苦味と酸味。

 しかし、そのおかげで震えは治まった。短剣もいつも通りにぎれる。動かせる。

『ゴオアアアアアアアアアア!』

かすなよ……くそっ」

 アルティが一息つく間もなく、憤怒の悪鬼が腕をり上げる。

 それを見上げながら、アルティは集中力を高めていく。

「くおおおああ! 【見切り】!」

『ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 振り下ろされる巨腕。たたきつけられようとしていたこぶし

 それをかみひとけながら、アルティは──。

「ぐううううっ!?」

 大地を穿うがち、しやを巻き上げる一撃。その衝撃に、アルティはき飛ばされた。

 しかし、直撃は受けてはいない。しゆんかん的にかい能力を高めるスキルが、直撃だけは避けさせてくれた。

 しかし──。

「ぐっ、くっ……やっぱ、無理か……」

 直撃をもらわずとも、余波だけで体が痺れるような痛みが走った。

【物理軽減】の効果を持つ《百年樹の胸当て》を身につけていて、このダメージ。

 伝説にうたわれる魔物は、やはり伊達だてではなかった。

「うぐっ、でもよ……逃げらんねえよ……」

 そうだ。ここで逃げることはできない。

 自らのきようのため、後ろでおびえる人々のため。

 アルティは《ハイポーション》を一飲みし、憤怒の悪鬼を正面にえた。

「かかってこいよ……オレはまだ生きてるぜ……」

『ゴアアアアアアアアアアアアアア!』

 憤怒の悪鬼は、再び拳を振り上げた。


『アルティ! おい、アルティ! 生きてるか!? おい!?』

「親父、か……」

 憤怒の悪鬼とたいして、どれだけの時間が流れたのだろう。

 十分? 三十分? それとも五分もっていないのかもしれない。

 極限の集中力は時間を長く引き延ばし、一秒を何倍にも感じさせる。もうずっとこうしているようにも思えたし、まだはじまったばかりのような気もした。

 ただ、変化はによじつに現れていた。

《百年樹の胸当て》ははじけ飛び、《小箱ばくだん》もなくなった。

《ハイポーション》はとっくに飲み干し、つうの《ポーション》はびんが割れてしまった。

 もはや、あとはない。憤怒の悪鬼が何をしようと、アルティは死んでしまう。

『アルティ! そこをはなれろ! あと二十分、いや、十分もあれば、オレたちが着くことができる! おめえは逃げろ!』

「逃げる……」

【コール】の射程きよに入ったためか、キリングから、そして主力部隊の隊員から、続々と通信が入ってくる。その全員が口々に「逃げろ!」だの、「死んだらダメだ!」だのと言っている。

「なに……おかしなこと言ってやがる。冒険者は弱い者を捨てて逃げない……そう教えてくれたのは親父たちだぜ……」

『アルティ……!』

 そうだ、アルティは逃げられない。冒険者だからこそ、そのことをほこりに思っているからこそ、彼女は決して逃げ出せない。

(それなら……さいにできることは……決まっている)

 回復薬もつき、身をまもる防具すらないアルティに、たった一つだけできること。

 それは──。

「【くびり】にける!」

『っ!』

【首狩り】

 それはただのいちげきで、相手をそくさせるスキルだ。

 首を切り裂き、あるいは切り飛ばし、相手を死に至らしめる必殺のけん

 ただし、これは相手の間合いに入る必要があるため──失敗した場合、手痛い反撃をかくしなければならなかった。

めろ、アルティ! おめえには無理だ! 止め』

「へへ……すまねえな、親父」

【コール】は切った。これから限界をえた集中が求められるのだ。雑音はじやだ。

 もしも【首狩り】に成功すれば、それでよし。

 失敗して死体になっても、それをふんあつらうはずだ。

 それで何秒か、何十秒かかせげれば、助かる人も増えるだろう。どうせ死ぬのなら、わずかな望みに賭けたかった。

「母さん……ゴメン」

 胸のロケットをギュッと強く握る。

 アルティが冒険者になったお祝いに、母がくれたお守りだ。中には家族の名前をった、小さなすいしようが入っている。

『あんまりちやしちゃダメよ? アルティは女の子なんだから』

 ロケットを首にかけてくれたとき、母が言っていた言葉が耳によみがえる。

 でも、結局無茶ばかりして、しんぱいしようの母を困らせてばかりだった。それが今になって、みように申し訳なく思えてくる。

『ゴガアアアアアアアアアアアア!』

「ちっ……感傷にぐらいひたらせろよ……」

 どうやら、もう追いつかれたようだ。

 前線基地から離れるようにゆうどうしていたが、ずうたいの割にはスタミナがある。

 き散らすようにたけびを上げ、悪鬼はおとろえを見せない勢いでとつしんしてきた。

「よし、来い!」

 自分に活を入れるかのように、負けじと大声を上げるアルティ。

 ここまできたら、もうげてばかりはいられない。彼女がするべきことは、真正面から敵とぶつかり、その首を落とすことだけだ!

『ゴアアアアアアアアアアアアアアアア!』

「いくぞおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」

 とつげきちようやく。瞬間、距離が縮まっていく。

 相手の目に自分が映るまでの距離に、一息に近づく。

「【首狩り】!」

 たんけんを力強く、かつ精密に走らせる。

 それはほんの少しだけ──憤怒の悪鬼のこうげきよりも早かった!

 悪鬼が拳を放つよりも早く、アルティの短剣は敵の首へと吸い込まれていく。

(とった!)

 かんぺきだ。アルティには分かる。これは必殺の一撃だ。

 そのままもぐり込むように、短剣は悪鬼の首の──。

 ──キンッ!

 赤黒い表皮に弾かれて折れた。

「なっ!?」

 失敗した!

 そう気づくと同時に、悪鬼の拳がアルティの胸に直撃した。

 何かがくだけるような、妙に軽い音と共に、アルティの意識は暗転した。


 気がつくと、アルティは地面にあおけに転がっていた。

 やや視線を下げると、そこには憤怒の悪鬼の姿がある。

 やはり【首狩り】は失敗していたようで、悪鬼はいまだに健在だった。

(でも、何で生きている……?)

 あの時、確かに直撃を喰らったはずだ。全身に激痛が走るが、ただそれだけだ。

 なぜ、上半身がひき肉となって、宙にばらまかれずに済んだのだろうか──。

 しかし、いずれにせよ、死期が少しだけ延びたに過ぎない。憤怒の悪鬼はアルティをにらみつけたままで、その大きな手を再び握りめていた。あと十秒もすれば、今度こそちがいなく叩きつぶされるだろう。

親父おやじ……母さん……みんな……)

 女だからとめられないように、家名をけがさないようにがんってきた。だれよりもぼうけん者らしくあろうと努力してきた。

 でも、ダメだった。力不足だった。アルティの人生はここで終わる。

 だけど、ない自分を許して欲しいとは思わない。ただただ、主力部隊が間に合うことだけを願う。

 せめて、この悪鬼に殺されるのは、自分だけでありますように──。

(さよなら……)

 目は閉じない。せめて、最期まで勇敢な冒険者らしくありたい。

 おかげで、憤怒の悪鬼の細かな動きまで見えた。肉がいびつに盛り上がり、陽炎かげろうのような蒸気が立ち上り、大きな拳はり上げられ──。

 そしてその頭は、音を立てて地面に落ちた。


(……………………えっ?)


 切断された首から、天に向かってほとばしむらさきいろの《》。

 まるであくしゆふんすいのようだ。

 地面に落ちた頭はいかりの形相のまま固まっていたが、それすらすぐに砕けて《魔素》のりゆうへと変わっていく。

(な、なにが……?)

 これは【首狩り】でオーガをたおした時のじようきようにそっくりだ。

 だけど、アルティではない。失敗したのだ。アルティは確かに失敗した。

(じゃあ、一体誰が……?)

 痛みで消えそうな意識を奮い立たせ、首だけを動かして辺りを見る。

 いた。すぐに見つかった。黒しようぞくに身を包み、血のように赤いダガーを右手にたずさえている男の背中が見える。冒険者だろうか。

(憤怒の悪鬼の首を落とすなんて)

 自分にはできなかったことを、いともたやすくやってのけた。その力に、アルティの心はジンとしびれる。

 知りたい。正体が知りたい。いったい、何者なのか。

「ふ~……間に合ったか」

 どこかで聞いた声だ。ああ、どこかで聞いたことがある。

 しかし、それを思い出そうとすればするほど、意識が段々と遠のいて──。

 だけどその直前、男はアルティの方へと振り返って──。

 なぜかそいつは、ネズミの顔を。

 やま貴大の顔をしていた。


 ‐5‐


「しかし、危ないところだったな」

 あと一歩のところで間に合わず、アルティがぶっ飛ばされたときは冷やあせをかいた。

 だけどこいつは《身代わりのロケット》をつけていたようで、死ぬ一歩手前でギリギリとどまっていた。

 女の子としてはあるまじきほどにボロボロだけど、まだ死んじゃいない。

 身代わりになったロケットは粉々になっていたけど、おかげで命をつないでいる。

 これなら助けられると安心し、俺はアイテムらんから回復薬を取り出した。

「でもやっちまったなあ」

《グレートポーション》をアルティに振りかけながら、残った右手で目元を押さえる。

 勢いに任せて【首狩り】をして、憤怒の悪鬼を倒しちまったけど──。

 なんかこれが、裏目に出そうな気がする。

「憤怒の悪鬼を一撃で倒した冒険者が出たぞ!」

 そんな感じで話題になるな。で、正体がバレれば大々的にひようしようされるな。

 そんでもって、めんどう事が次々と回されてくるようになるんだ。それだけの力があるのなら、これもやって、あれもやって、それもやってって感じでな。

 昔、似たようなことになったヤツを見て、他人ひとごとながらげんなりした覚えがある。

(イ、イヤだ……! そんなのはイヤだぞ、おい!?)

 アルティが俺をネズミと呼んでいることを、実はちょっぴり感謝しているくらいだ。

 低く見られれば見られるほど、面倒事が回されずに済むようになるんだ。事実、冒険者時代に比べると、ギルドからの仕事はグッと減っていた。

 それを良しとしていたのに、今さら『ゆうしゆうな冒険者』という使い走りにはなりたくない! そんなの断固したい!

(何かないか……何か……!?)

 きつな未来をけるために、俺に何ができるのか。

 あまり考えるゆうはない。オープンチャンネルの【コール】からは、キリングたちの悲痛なさけび声が聞こえている。

 ここに来るのも時間の問題だ。だけど名案はさっぱりかんでこない。

 それでもあきらめられない俺は、辺りをきょろきょろと見回して──。

(……ん?)

 折れた短剣が目に入った。アルティのものだ。

 ははあ、【くびり】に失敗したときに折れたのか。無茶するよな、こいつも。

 50以上もレベル差があったら、そく技なんてろくに決まるもんじゃないのに。それが分かっていながら、小数点以下の確率にけたんだろうな。

 まったく、ホントに大したヤツだ──待てよ? 【首狩り】?

「そうだ、それだよ!」

 名案が思いついた。

 誰も困らず、みんなが幸せになれるとてもいい案だ。

「アルティが【首狩り】に成功した、ってことにすりゃいいんだ!」

 有言実行、宣言通りにあつの首を狩ってみせた。

 そういうことにすれば、この話は『えいゆうたん』として完結する!

 あつとう的なピンチに、ゆいいつ踏み止まったギルドマスターのむすめ

 彼女は一かばちかの賭けに出て、見事、【首狩り】を成功させる。

 しかし、そこで精根き果て、気を失って──って感じだな、うんうん!

(くくく……英雄アルティの誕生だ)

 あとはねむれる英雄を、冒険者たちが見つけるだけだ。

 近づいてくるキリングの足音を耳にして、俺はばやくその場を去った。


 ‐6‐


 さて、ふんの悪鬼の件だが。

 俺の予想以上にくいった。街はアルティの話で持ち切りだ。

 誰も俺に目を向けない。誰も俺のことを見ていない。石ころになったかのような存在感のなさ。このせいじやくこそ、俺の望んだ幸せだった。

 ──そう、そのはずだったんだけど。

「ねえ、タカヒロ。あの子、なに……?」

「知らねえよ」

《まんぷく亭》で昼飯を食っていると、カオルがこそこそと話しかけてきた。

 その視線の先にいるのは、赤毛の冒険者、アルティさん。今、話題になっているお方で、こんなところにいるはずのない人でもあった。

「なんでタカヒロのこと見てるの……?」

「だから知らねえって」

「で、でも、すごい目だよ……?」

 確かにすごい目だ。

 少しはなれたカウンター席から、ちらちらちらちら──いや、ちがうな。

 ギロギロギロギロこっちを見てくる。正直、気になって仕方がない。

「なあ、なんか用か?」

「なっ、なんでもねえよ!」

 話しかけてもこれだ。

 めっちゃ見てくるくせに、声をかけるとめっちゃおこる。

 そのくせ、なんかずーっと俺のあとをついてきて、ずーっと俺を観察しているのだからたまらない。どうすればいいのか。どうすれば正解なのか。まるで分からず、正直ちょっと困っている。

(まさか、見られてた?)

 俺が【首狩り】を決めたとき、意識があったんだろうか?

 それならそれで、もっと違う態度を取りそうなものだけど──。

「う~ん……?」

 いまいちしやくぜんとせず、俺は気持ちの悪い時間をすごすのだった。


 ◆ ◇ ◆


(くそ……いつになったら実力を見せるんだ……?)

 今日もネズミ──佐山貴大は、配達の仕事をこなし、中級区の食堂で食事をとっていた。それが終わったら土木工事で、終われば次は荷運びの仕事だ。

 ここ一週間観察しているが、ほとんど代わりばえのしない生活を送っている。

 これではまるで何でも屋だ。街の何でも屋だ。

(違う……ヤツは、絶対に何かをかくしている)

 あの時、自分は確かに見た。

 憤怒の悪鬼の首を切り落とし、事もなげにしている貴大の姿を!

(でも、だれも信じてくれない)

 みんながみんな、自分のことを英雄だとたたえる。

 悪鬼のいちげきを受けながらも、見事、【首狩り】に成功したと褒め称えてくる。

 違う、そうじゃないと言っても、誰も信じてくれない。自分じゃないと言い張っても、それを誰も信じてくれない。

 それがどうにも歯がゆくて、くやしくて、アルティはまんができなかった。

 確かに、レベルは一気に上がった。

 97から103まで上がり、ジョブも《ライトストライカー》へと進化した。

 それこそが憤怒の悪鬼を倒したあかしぼうけん者たちは言うが──。

 でもそれは、倒れた悪鬼の一番近くに、たまたま自分がいただけだ。たまたま近くにいたから、流れ出した《》を吸収することができたのだ。

 これではまるで、自分はおこぼれをちようだいしたみたいだ。

 あのネズミの。ごろさげすんでいる、あのネズミろうの!

くつじよくだ……!)

 だけど同時に、あることに気づく。

 もしかして、あいつ、本当は強いんじゃないか、と。

 冒険者時代はそこそこできるヤツだったけど、実はもっともっと──。

 憤怒の悪鬼くらいなら、簡単にたおせるようなヤツなんじゃないか?

 そうでなければあの悪鬼に【首狩り】なんて決められない。となると、見事に失敗した自分よりは、相当強いということになる。それを証明できたなら、自分はウソつき呼ばわりされることもなくなるはずだ。

 アルティはおくびような男がきらいだったが、ウソつきはもっと嫌いだった。

 自分がそのウソつきと思われている現状は、まったく受け入れられなかった。

(だからオレはあいつを調べる! あいつのことを調べてやる!)

 そう決意したからこそ、アルティは貴大のことをつけ回しているというわけだ。

 彼女は貴大の強さをあばくべく、朝から晩まで彼を見張ることを心に決めた。

親父おやじ! 母さん! みんな! 見ててくれ! オレは絶対にやるからな!)

 父親の教育に。

 母親の心配に。

 そして仲間のしんらいむくいるべく!

(オレはぜーったい、あいつのことを知りくしてやるからな!)

 それはなんだか、方針を盛大に間違えているようではあったが──。

 本人はいたって真面目まじめに、今日も貴大をストーキングするのであった。




第五章 王都の休日編


 ‐1‐


 月曜日も働いた。食堂でひたすらなべるった。

 火曜日も働いた。いんで子どもの世話をした。

 水曜日も働いた。学園で生徒にスキルを教えた。

 木曜日も働いた。図書館で魔女に振り回された。

 金曜日も働いた。ギルドでめんどうな仕事をやった。

 土曜日も働いた。色んならいを何でもこなした。

 つらかった。本当に辛い一週間だった。

 長かった。本当に長い一週間だった。

 だが! だがしかし! その苦労も今日でむくわれる!

 なぜなら、今日は、今日こそは──。

 待ってましたの日曜日だからだ!

「日曜日だぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「……はい」

「休日だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「……そうですね」

 時刻はすでに十時過ぎ。

 太陽なんてとっくにのぼった時間に、俺はようやく起きてきた。

 ぐせなんて直していない。服装だって寝巻きのままだ。もちろん、二度寝、三度寝をばっちり決めて──。

 それなのにユミエルが怒らないのは、もちろん、今日が休みの日だからだ。

「いやー、よく寝た。寝すぎてだるいくらい寝た」

「……食事はどうなさいますか?」

「パンとコーヒーだけでいいわ。あ、やっぱカフェオレでたのむ」

「……かしこまりました」

 ぺこりと頭を下げて、台所に消えるユミエル。

 あいつもだんは仕事のおにだが、休日は休日としてきっちり休むタイプだ。

 たとえ仕事が残っていたからって、日曜日まで働けなんて言わない。自分もしないし、俺にだってそうしろと求めない。

 もちろん依頼者の方も、休みの日にまで働けなんて言う鹿はいない。

 週に一度は絶対に休む。休むと決めたらてつてい的に休む。それがこの国の文化だからだ。

「……どうぞ」

「おお、すまんな」

 席について待っていると、ユミエルがブランチを持ってきた。

 それをテーブルに置いて、自分も俺の向かいの席に座る。

「お前、今日はどうするんだ?」

「……イヴェッタさんに料理を習いに行く予定です」

「ふーん。あの人もなかなか多芸だよな」

「……ご主人さまはどうなさいますか?」

「どうするかな。たまには劇でもに行くかな」

「……夕食のご予定は?」

「外で食べてもいいけど、まあ、家で食うよ」

「……かしこまりました」

 なんて話をだらだらとしていても、何の問題もない。

 ユミエルはぶつそうなものを取り出したりしないし、俺だってあわてるようなことはしない。

 やはり休日はいい。休日はらしい。ぶっちゃけ三百六十五日、ずっと休日でもいいくらいだが──。

『……それは本気で言っているのですか?』

 なんて怒られそうだから、さすがに口に出しては言えなかった。


「さて、と。じゃあえてくるかな」

 軽いブランチをさっさと済ませ、席を立つ。

 するとユミエルが近づいてきて、俺を見上げてたずねてくる。

「……お出かけですか?」

「んー。まあ、ぶらぶらしてくるわ」

「……どうぞごゆっくり」

「ああ。お前もな」

 相変わらず無表情なヤツだ。その頭に手をのせて、ぐりんぐりんと回してみるも、やっぱりこいつは無表情だ。

 たまに何を考えているのか分からないこともあるが──まあ、なんだかんだでそれなりの付き合いだ。こいつにはあいらくだってちゃんとあるし、こいつはこいつで休日を楽しんでいることくらいは分かる。

 ご近所さんに料理を習うとか言ってたからな。ひょっとすると俺よりも、よっぽどじゆうじつした一日を過ごすかもしれない。

 だが、それでいい。ユミエルが楽しく過ごせるなら、それはそれで構わない。

 なぜなら、今日は休日! 誰もが自由に過ごし、思う存分自由をまんきつする日!

 休日の過ごし方なんてかくするようなものじゃないし、きそうようなものでもない。

 大事なのは自由に過ごせることで、その内容は何だっていい。

(そう、昼寝をしたって、どっかに遊びに行ったって、俺の自由だ!)

 素晴らしきかな休日。

 神にあたえられた自由な時間!

 そのあつとう的解放感に心をおどらせながら、ついでにどう過ごすか考えながら、俺は軽い足取りで居間を出て行った。


 ‐2‐


 休日のことを安息日とも言うけど、街はそんなに静かなわけじゃない。

 どっちかって言うとにぎやかな方だ。そりゃまあ都会だからさわがしいんだけど、休日だけは騒がしさの質がちがっている。いつもは足音とか馬車の音、話し声とかが聞こえるが、今日はそこにかんせいや笑い声が交ざっている。

 それで明るく感じるのかもしれない。ちょっとかれたふんもある。

 そんな空気の通りをぼけーっと見ながら、俺はぶらぶらと歩いていた。

「さて、どうするかな」

 ユミエルにはああ言ったけど、観たい劇なんて別にない。

 そもそも、どんな劇があるのかも全然あくしていない。

 だから、別のことをしてもいいんだが──それもなかなか浮かんでこない。

 まあ、ぜいたくなやみってやつだな。

 だけど、こうしているだけでも楽しいってもんだ。

 このままだらだら歩きながら、適当に、思いつくままに行動するとしますか。

「なあ、どこ行く?」

「色街に行かねえ? 今、ゆうあるだろ?」

「まだはえーよ。夜になってからにしろ」

「市場でめずらしいアクセサリが……」

「港で大物があがったらしい……」

「屋台通りで美味おいしいものが……」

 人も馬車も行きう中級区大通り。

 ぞろぞろと歩く人たちの中にいると、色々と気になることが聞こえてくる。

(色街か。元気なヤツらだな)

 いかにも若者って感じの会話だな。

(市場でアクセサリか)

 確かにあそこは、物を買うにはいいところだ。

(港で大物ねえ)

 ちょっと見てみたい気はする。ついでにりをするのもいいかもしれない。

(んで、屋台通りか)

 ド定番だな。食べ歩きをするならうってつけの場所だ。

(どうすっかなー)

 色街はともかくとして、せんたくとしてはどれも悪くない。

 市場をぶらぶらするのもいいし、港で潮風に当たるのもいい。もちろん屋台通りに行くのもいいが、はてさて──。

「あれ? タカヒロ?」

「ん?」

「やっぱりタカヒロだ!」

 足を止めて、みちばたでぼんやりしていると、近くから声がかかった。

 だれかと思って辺りを見回すと──すぐにも知った顔をひとみの中に見つけた。

「なんだカオルか」

 カオル。カオル=ロックヤード。

《まんぷく亭》のかんばんむすめが、今日は私服姿でパタパタけ寄ってきていた。

「どうしたのタカヒロ? こんなところで。待ち合わせ?」

「ちげーよ。ぶらぶらしてただけだ」

「ふーん。そうなの?」

「そーだよ」

 人混みをって近づき、俺のとなりに並んだカオルは、気安い態度で話しかけてきた。

 まあ、実際、気安い仲ではある。ご近所さんってこともあるけど、客としても店員としても、しょっちゅう顔を合わせている。

 だからなのか、こいつとは結構前から、もうこんな調子で──。

「ユミィちゃんは?」

「あん?」

いつしよじゃないの?」

「一緒じゃねーよ。あいつはあいつで予定があるんだ」

「ふ────ん?」

「なんだよ」

 いつもの調子と思いきや、なんか様子がおかしい。

 さぐるような目で、何かを考えているような──。

「ねねね、じゃあさ、一緒にご飯食べない?」

「はあ?」

「予定がなくて、ひとりなんでしょ? 一緒にご飯食べようよ!」

「えええ……?」

いやそうな顔しないでよ!?」

 別にそんなつもりはない。

 ないけど、なんというか、今日はみようごういんだな。まどってしまう。

「なんだ、どっか行きたい店でもあるのか?」

「違うよ?」

「じゃあ、食べたいものがあるとか」

「んー、そうなる……の、かな?」

「俺に聞くなよ」

 これじゃ立場が逆だ。

 いぶかしむ俺に、カオルは慌てて説明をはじめる。

「あのね? わたし、今日、友だちと食事会があったんだけど」

「うん」

「いざ家に行ってみると、その子、引いててね?」

「うんうん」

「だから作ってきたお弁当が余っちゃって」

「それで?」

「ひとりで食べるのもなんだし、一緒に食べないかなって」

つうか」

 深い事情があると思いきや、全然ありがちな話だった。

 やたら引っ張るし、変な態度になるし、なんだなんだと思ったのに。

「ま、まあまあ、いいじゃない! ね? ご飯食べようよ!」

「まあいいけどさ」

「はい決まり! 公園がいいかな? 行こ行こ!」

「はいはい」

 左手でバスケットを、右手で俺のうでを持ったカオルは、ぐいぐいと引っ張るように歩き出した。

 まあ、別に予定もないし、小腹もいてたし、ちょうど良かったのかもしれない。

 そんなことを思いながら、俺はカオルに連れられて公園に向かった。


 中級区の自然公園は、なかなか過ごしやすい場所だ。

 しばが張られてて、ほどよく木が生えていて、ちょろちょろ川も流れてて、なだらかなおかもあって──いわゆる市民のいこいの場ってやつだな。

 そのいやしの空間で、俺とカオルは少しおそめの昼飯を食べていた。

「やっぱ都会はすごいよね~。はんしよく期がお祭りあつかいだもん」

「地方だってそうだろ? ついでにしゆうかく祭もやってるだろうし」

「そうだけど、苦労の方が多いよ~」

 なんてことを話しながら、カオルの作ったおにぎりを食べる。

 具は白身魚のほぐし身か。それをバジルソースでえている。相変わらず知ってるようで、知らない料理だ。

「あ、美味しくなかった?」

「いや。これはこれでいける」

「そう? ならよかった」

 ほっと胸をなで下ろすカオル。俺がしげしげとおにぎりを見ていたから、ちょっと不安になったんだろう。

「昔に比べればすごい進歩だと思うぞ」

「あ、あれは忘れてって言ってるでしょーっ!?」

「いやあ、ピクルス入りのおにぎりとか、なかなか個性的な味だったぞ?」

「も~!」

 カオルはほおふくらませるが、まあ、あれもいい経験だった。

 こいつのじいさんは東洋人みたいだけど、こいつはジパングを見たこともないクォーターだからな。聞いただけじゃ和食なんて作れないだろうし、足りない素材や調味料だっていっぱいあった。

 俺も協力はしちゃいるが、まだまだ試行さくの日々で──。

「ねえねえ、そういえばさ」

「ん?」

「タカヒロもとうばつ隊に入ってたんでしょ? じゃあ見たんじゃない?」

「何を?」

「アルティだよ! えいゆうアルティ! すごいよねー、レベル150のものをひとりでたおすなんて。まだ十五歳なんでしょ? わたしとひとつしかとしが違わないじゃない!」

「あ~……」

 繁殖期という言葉で思い出したのか、カオルがこんなことを言い出した。

「やっぱ男の人に負けないくらいマッチョなのかな? それとも逆に美人さんとか?」

「う~ん……」

「ねえねえ、教えてよ~」

 俺の計画通りに、街はアルティのうわさで持ち切りだ。

 ここ数年はなかっただろう大ニュースに、上から下まであいつのことを話している。

 だけど、なんというか、夢をこわして悪いんだけど──。

「お前、もう会ってるぞ?」

「え?」

「ほら、こないだ店にいただろ。こそこそしてた赤毛の女の子が」

「えっ、ええっ?」

「あれ、アルティ。英雄アルティさん」

「ええええええええ~~~~~~~っ!?」

 そんな鹿な、みたいな顔をしているが、ところがどっこい真実だ。

「いや、えええええ? あれ? あの子が噂の?」

「アルティだな」

「なんで? なんでうちの店に? ってか、知り合いだったの!?」

「さあな」

 知り合いっちゃあ知り合いなんだが、今の関係ってどう呼ぶんだか。

 知人? 友人? それとも恩人か。いや、ストーカーとがいしやが一番近い気がする。

(まさか……)

 今日もあとをついてきてないよな?

 そう思って周囲を確かめたが、幸い、あいつの姿はどこにもなかった。

 代わりに──アルティじゃないけど、なんか知ってる顔が近くにあった。

 ってか、めちゃくちゃ近くでおすわりしてた。

「って、うわっ!? だ、誰!?」

「わんっ!」

「わふっ!」

 俺の視線にられたカオルが、ビクッ! と大きく体をふるわせる。

 そこでようやく、は声を上げたわけだが、

「クルミアか。なんだ、ゴルディと散歩中か?」

「わうんっ!」

 俺たちの隣にいたのは、いぬじゆうじんのクルミアと、でかいわんこのゴルディだった。

「タカヒロ、ごはん? ごはん?」

「そうだよ……って、ああ、こら。のしかかるな。においをぐな」

 ひとりといつぴきはぶんぶんしつりながら、俺にまとわりついてくる。

 我ながらずいぶんとなつかれたもんだ。ミケロッティの一件以来、なんかもう、ずっとこんな調子だった。

「タ、タカヒロ? だれ、この子? 知り合い?」

「こいつらとも一回会ってるだろ。ほら、迷子の犬を探しに来て」

「ああ、そっか!」

 あの時はあっという間に店を出て行ったから、あんまり覚えてないんだろう。

 それでもこのビッグサイズだ。カオルはすぐに思い出し、ひとなつっこそうなわんこたちにゆるゆると手をばした。

「クルミアちゃんとゴルディだっけ?」

「わんっ!」

「うわあ、すごいもふもふ。かわいいね~」

「わふっ」

 さわってもだいじようそうだと判断すると、カオルはゴルディを思いっきりなではじめた。

 ゴルディの方もまんざらではなさそうで、なんかクルミアもなでて欲しそうに頭をこすりつけている。カオルはそれにこたえて、クルミアはキャッキャッと喜んで──。

 いや~、平和だな~。なんて平和な光景なんだ。

「あ、そうだ。クルミアちゃんもお弁当食べる?」

「わうん?」

「いいよいいよ。まだまだたくさんあるし」

 どっちもコミュニケーション能力高いよな。

 すぐに仲良くなって、もういつしよにご飯をって話になってるし。ついでにゴルディもそっちに引き寄せられて、たんに俺は手持ちになる。

 だが、まあ、いい。いいなあ、平和で。

 うんうん、これだよ。こういうのが理想的な休日ってやつだ。

 願わくばこんな時間がずっと続きますように──。

 そんなことを願いながら、俺はごろりと芝生に横になった。


 ‐3‐


「じゃあね、タカヒロ」

「ばいばい」

「おう、じゃーな」

 だらだらっと飯を食べたり、ついでにちょっとひるをしたり。

 そんな時間を過ごすうちに、ゆうで十六時を回っていた。カオルとクルミアはどっちも予定があるらしく、名残なごりしそうにしながらも、早足で自然公園を出て行った。

 もちろん、俺には予定なんてない。

 家で晩飯を食うとは言ったが、日が暮れるのはまだまだ先だ。

 残り二時間か三時間、どこで何をしてもいいわけだな。

ちゆうはんな時間ではあるけれど)

 そこまで余裕がないわけでもない。

 大道芸を見に行ったり、てんをひやかしたり、さもなきゃきつてんで本でも読んだり。

 せんたくはいくつもある。そしてどれを選ぶのも俺の自由だ。やはり休日はらしく、その尊さを俺は存分にみしめて、

「あら、先生?」

げたい)

 反射的にそう思った。

「先生? サヤマ先生? あら、やっぱり先生ですわ」

 馬車のとびらが開く音。だれかが通りに降りる音。近づいてくる少女の声。

 ちがいない。フランソワだ。だいこうしやく家のおじようさまだ。

 背を向けていても、かたしに伝わってくるセレブのオーラ。薔薇ばらこうすいもふわりとただよい、これはもう間違いないなと確信できた。

 なら、今すぐここから逃げたいんだけど──。

 あ、ダメだ。従者たちがさりげなく逃げ道をふさいだ。

 問題のフランソワも、もうすぐそこまで近づいてきて、

「ごきげんよう、サヤマ先生」

「はい」

 もう観念するしかなかった。

 ここまで接近されたら、今さら逃げ出す方が不自然だ。

 だから俺は、死んだ魚のような目をしながら、フランソワと向き合った。

ぐうですわね? こんなところで会えるだなんて」

「そうだね」

 何が奇遇だ、このクソ貴族がああああああああっ!!

 どんな理由があったら、貴族が「こんなところ」を通りかかるってんだ。下級区と中級区なんて、いつも馬車で素通りだろうが!

 その白々しさはさすがの一言だ。思わずフランソワのきんぱつ縦ロールを引っこきたくなったが、そこはまあ、大人のまんづよさでしのぶことにした。

「先生は今……おひとりですか?」

「そうだよ」

 うぐう、つらい。このしばがつらい。

 どうせ分かっているだろうに、いちいちかくにんを取ってくる。

 それでそれに付き合ったら、今度はこんな感じに言葉が続くんだ。

「まあ! では、少しお時間ありますか?」

「ええ?」

「少々、聞きたいことがあるのですが……」

 ほら来た。予想通りだ。

 学園の講師になってからというもの、あの手この手でアプローチをかけてくるようになったからな。ここまでストレートなのはもう慣れっこで、回りくどいやり方にだって、そろそろたいせいがついてきた。

 だけど、なんかおかしいな。

 ここ最近はみんな、エルゥの方に行ってたはずなんだが──。

「なんで俺なんだ? 俺よりエルゥの方がずっとゆうしゆうだぞ?」

 少なくとも頭の出来は格段に違う。天才の名は伊達だてじゃない。

 あいつを基準に考えたら、俺の脳みそなんてノミみたいなもんだ。エルゥは俺よりずっと物知りだし、頭の回転も速いし、人に物を教えるのだってい。ちょっと話が長いところがあるが、そこさえ目をつぶれば教師としても優秀だ。

 だから、ほかの生徒の視線は、ほとんどそっちに行ってたはずなのに。

「先生。私はこう思うのです」

「な、なんだ?」

「先生の引き出しはこんなものではない。まだまだ奥底の知れないところがある、と」

(ギクーッ!?)

 な、なんだこいつ。どこまで知ってるんだ?

 それとも推測だけで物を言ってるのか──あ、エルゥに@ wiki のことを聞いたのか!?

(いや、違う! 違うはずだ! あいつはそんなことは絶対しない!)

 下手したら俺を殺してでもうばい取ろうとするようなヤツだ。

 どくせんよくは半端なく、@ wiki を読む時間が減ったら、それこそはつきようしかねない。

(だから違う。違うはずなんだが)

 なら、こいつの意味深なしようはなんだろう?

 さぐるような、しかし、何かを確信しているような、この意味ありげな微笑ほほえみは。

「先生……」

 まずい。まずい。まずいまずい!

 このままだとお持ち帰りコース確実だ!

 だが、貴族をそでにして逃げ帰ったら、それはそれで問題が……ああああ!

(誰でもいいから、助けてくれーっ!)

 なんてことを願っても、誰かが助けてくれるわけもなく。

 俺はそのまま、フランソワに連れて行かれて──。


「おい」


 そのとき、するどい声が降ってきた。

 見上げると、立ち並んだアパルトメントの屋上から、ひらりと誰かが下りてくる。

 こいつは──この身のこなし、そしてこの燃えるような赤毛は!

「アルティ!?」

 救世主かと思いきや、まさかのアルティ参上だ。

(いや、なんでだよ)

 余計にめんどうくさくなりそうな予感に、俺はたまらずギュッと目をつぶった。


「おい、こんなところで何してんだ?」

「貴族まで連れて、何をたくらんでやがる」

「これからどこに行こうってんだ!」

 全部俺のセリフです。

 アルティはこんなことを言ってるが、それは全部、俺が聞きたいことだった。

「おい、だんまりかよ?」

 俺がだまっていると、アルティがギロリとにらみつけてきた。

 だがいかんせん身長差があり、見上げてにらまれてもいまいちはくりよくがない。

 これならうちのメイドの方が百億倍はこわい──いかんいかん。現実とうをしているな。

「別に何も企んでねーよ」

「ああ?」

「俺はさそわれただけだ。聞きたいことがあるなら、こいつに聞いてくれよ」

 そう言ってフランソワを指差すと、アルティはようやくそちらに目を向けた。

「……こいつがお前の教え子ってヤツかよ」

「ええ、そうですわ」

「ずいぶんと仲良さそうじゃねーか」

「はい。先生とは親しくさせていただいております」

「そうかよ」

(違います)

 なんかフランソワがドヤ顔になって、アルティはアルティでぶたを見るような目で俺を見てくる。ともていせいを入れたいところだったが、ますますややこしくなりそうだ。だから俺は、あえて口をつぐんでおいた。

「もしかして、あなた、うわさのアルティさん?」

「だったらなんだよ」

「まあ! あなたが『えいゆうアルティ』さんですのね!」

 フランソワは両手をパンと合わせると、うれしそうにアルティのことを見た。

「ごかつやくは父から聞きました。何でも、ふんあつを単独でとうばつなされたとか」

「あ、あれはっ」

「素晴らしいことですわ。ぼうけん者の方々も鼻が高いでしょうね」

「くっ……!」

 だから、俺の方を見るんじゃない。

 このままふたりで仲良くおしゃべりしててくれ。俺のことなんかほうっておいてくれ。

 そう願って周りを見るも、やっぱり従者の数は減ってなくて──。

「だいたい、お前が悪いんだ!」

「うごっ!?」

かくし事ばっかりして! こそこそ動き回って!」

「え、えええ?」

 いきなり腹をなぐられた。

 いかりか何かで顔を真っ赤にしたアルティが、なぜか俺を殴ってきた。

 別に痛くもなんともないが──言ってることだけはかなり気になる。

(隠し事? こそこそ?)

 こいつはこいつで、俺の何を知っているんだ?

 そういや、ここ何日か、ずっと俺のあとをつけていたな。

「……お前、どこまで知ってるんだ?」

「っ!?」

 まさかとは思うが、やっぱりあのとき、意識があったのかもしれない。

 それにもしかして、俺のことを探って、何かを見つけたのかも。

「何を見たんだ? なあ、教えろよ」

「そ、それは……」

 アルティに顔を寄せ、かべぎわまで追いつめる。

 赤い顔にあらい息。このうろたえた様子、やはりこいつ、何かを知っている!

「おい、何とか言えよ」

「ううう……!?」

 なんか泣きそうな顔をしているが、そんなの今は関係ない。

 できる限り顔を寄せ、こっそりと、しかし確実に聞き出そうとして、

「うっせーっ! このネズミヤローッ!」

「うがっ!?」

 思いっきりきをかまされた。

 ごていねいに頭をつかんでからのヘッドバットだ。これじゃ【きんきゆうかい】も発動しない。

 さすがに鼻がジンジン痛む……。

「いいか!? オレはお前みたいなきよう者が大っきらいなんだ! そんなヤツに言いたいことなんてあるわけねーだろ!」

「じゃあなんでこそこそあとをつけてんだ……」

「うっせーっ!!」

 かんしやくを起こした子どもみたいだ。

 いや、まあ、十五歳なんてまだまだ子どもなんだけど、もっとずっと幼く感じる。

 おかしいな、俺が知ってるアルティは、いつもキリッとしていたはずなんだが──。

「あなた、何をしているのかしら?」

「はっ!?」

 鼻を押さえてうずくまっていると、後ろから冷たい声が聞こえてきた。

 同時に伝わってくる、ひやりとした空気。ただ事ではない予感に、俺の背筋がゾクゾクふるえる。これは──これは、フランソワの気配か!?

「ネズミとは先生のことですか? 先生のことをネズミ、と?」

「ああ!? だからなんだよ」

 氷のように冷たいフランソワと、ほのおのごとくいかれるアルティ。

 見た目も立場も言動さえも、まったくちがうふたりだけど、こいつらには不思議と共通点があるように思えた。

 それは怒りと敵対心。先ほどまで会話くらいはできていたふたりは、今や俺をはさんで完全に対立しているように見えた。

かんべんしてくれ……)

 許しをうたところでどうにもならない。

 一度ついた火はなかなか消せず、このふたりもまた、これからばくはつするところだった。

「聞き捨てなりませんね。サヤマ先生は私の先生です。王立学園できようべんっている講師でもあります。それをつかまえてネズミ呼ばわりとは、たとえ英雄でも許されることではありませんよ」

「知るかよ、んなこと。こいつはネズミだ。おくびようでインチキで、冒険者のほこりも捨てたネズミろうだ。お前にとっちゃ先生でも、オレにとっちゃネズミなんだよ」

「そう。あくまで訂正はしない、と?」

「しねーよ。だれがお貴族さまの言うことなんて聞くかよ」

「そうですか」

 結論が出たらしい。

 それもかなり悪い方向で、破局的なものが。

 そのしようにフランソワは、こしからたんじようき出すと、それをアルティに向けて構えた。

 そしてこんなことを言い出して──。

「ならばけつとうです。私は先生の尊厳を守るために戦いましょう」

 守らなくていいです。

 ってか尊厳ってなんだ? そんなもの元々、持ってないような気がする。ネズミ呼ばわりされても別に気にならないし、

「上等じゃねーか。いいぜ、戦って白黒つけようじゃねーか」

 お前もお前で受けるなよ、アルティ!

 よくねーよ、全然よくねえ! こんなことをしたって誰も何にも得しない……あああ、ナイフを取り出しやがった!

「ちょっと切っただけで泣かれても困るしな。さやがついたままで勝負してやる」

「構いませんよ。切られる前にたおせば済む話です」

「言うじゃねえか!」

 めて止めて、ちようはつしないで!

 従者のみんなも通行人も、黙ってないであいつらを止めて──。

 ダメだ! ほぼ全員、なんかワクワクしてやがる! 止めるどころかギャラリーと化している! この脳筋のバトルジャンキーどもが!

「や、止めろ」

「申しおくれましたね。私の名前はフランソワ」

「落ち着け」

「フランソワ=ド=フェルディナン!」

「落ち着いて」

「ハッ! 音に聞こえた大貴族さまかよ!」

「暴力よくない」

「相手にとって不足はねーぜ!!」

 すがりついてでも止めようとしたが、ふたりとも俺のことなど眼中になかった。

 俺のための戦いじゃないのか。なのにふたりとも、もう相手のことしか見ていない。氷のようにみ切って、あるいは炎のようにとうを燃やし、戦うことしか考えていない!

「いざ、参ります!」

「いくぜえええええっ!」

 そしてはじまる一大バトル。

 大貴族対英雄の戦いに、周りは暑苦しいほどにヒートアップする。

(つ、付き合っていられるか!)

 ほうを放ち、あるいはたんけんを振って、ガンガンぶつかり合う少女たち。

 そんなふたりの熱気をけて、俺はとうとう、その場からげ出した。


 ‐4‐


「はあっ! はあっ! はあっ! はあっ!」

 せまい路地を抜け、階段を上り、ときには建物の中をっ切って逃げ続ける。

 段々と息が切れてくるがそれでも逃げて、今度は建物のかげに身を隠す。

「なんでだ、なんでこうなる……!?」

 おかしい。絶対におかしい。

 ほんの数時間前まで、俺は理想的な休日を送っていたはず。

 それがなんで貴族にされそうになったり、英雄にいんねんをつけられたり、そのふたりの戦いに巻き込まれそうになったりしてるんだ!?

「休日は、俺の休みは……!」

 もっとおだやかでやさしいもののはずだ。

 かけがえのない貴重な時間で、自由に過ごせる一日のはずだ。

 それがなんで、ああなってこうなって、そんでもってこうなって──。

「くそっ!」

 路地裏の奥、ふくろこうになっているところで、俺はドサッと腰を下ろした。

 まだ夕方になったばかりだが、もう一日が終わったって気分だ。少なくともこれから家に帰るまで、寄り道をしようという気にはなれない。

「はあ……」

 終わり良ければすべて良し、なんて言葉もあるが、逆のパターンもあるんだな。

 終わり悪けりゃすべて台無し、一度つまずきゃ後の祭りってか。

「もう帰るか」

 なんだかすっかりつかれてしまった。

 これはもう、家に帰ってに入って、さっさとるに限る。

 だけどもやっぱり体は重く、俺はのろのろと立ち上がって、

「って、んん? どこだここ?」

 夢中で逃げてきたから、道を全然覚えていない。

 どこをどう通ったのかも覚えてないし、そもそもここに見覚えがない。

「どこまで来たんだ……?」

 さすがに不安になってメニューを開き、マップをかくにんすると、

「こんなところまで来てたのか」

 結構おどろいてしまった。

 現在地は中級区東側の住宅街。自然公園を間に挟み、家とは正反対の方向だ。

 無我夢中で逃げるあまりに、こんなところに迷い込んでしまったのか──。

「中級区っつっても広いからなあ」

 正直、ここら辺は全然かんがない。

 どこがどうつながって、どの通りがどこに向かっているのかも分からない。

「仕方ねえなあ……」

 多少しんな目で見られるかもしれないが、マップを開いたままで歩くとするか。

 そう決めた俺は、うすぼんやりと光る青い板を出しっぱなしにしたまま、そこに表示された地図をたどって歩き出した。

「う~ん」

 それにしてもひとがないところだ。

 おまけにちょっとさびれている。そんでもって結構うすぐらい。

 路地裏だからしょうがないとはいえ、もうちょっとこう、明るくだな。


 サッ。


「………………ん?」

 今、なんか。視界のはしを、何かが通り過ぎたように感じた。

ねこか?」

 いや、それにしては大きかったような──。


 ササッ。


 まただ。また何かが、路地から路地へと抜けていった。

 今度は少しだけはっきりと見えた。黒くてぞわぞわしたものが、蜘蛛くものように地面をっている──ように見えた。

「犬でもないな」

 あんな犬は見たことがない。もっと言えば、あんな生き物を見たことがない。

 しいて言えば魔物に近いが、街中にそんなのがいるはずもなく──。


 ガサッ。ササササッ。

 フッ、シュッ。シュッ、フッ。


「な、なんだ?」

 音はもっと近くで感じた。

 ついでに何者かの息づかいも聞こえてくる。

『オゥ、アアアア、ハアアア、アアアア』

「なんだ……!?」

 何かをゆっくり吸い込んで、あえぐようにき出す音がする。

 それはまるでりようの息づかいのようだ。薄暗い路地裏の奥から、今にも化け物が飛び出してきそうだった。

 いや、ちがう。実際に近づいてきている。

 こするような足音は加速し、確実にこちらに向かってきている!

 ほら、今にも路地の向こうから、おんりようのような女がかみを振り乱し、

「キィィィィィィィィィッ!」

「うわああああああっ!?」

「ゴエエエエアアアアアッ!」

「……って、お前かよ!」

 化け蜘蛛かなんかかと思ったら、それは這いつくばったエルゥだった。

 ちょっと見ないうちにまたボロボロになったエルゥは、シャカシャカと手足を動かして、何やらせいを上げている。奇声を上げて、俺のメニューにしがみついている。

 そしてその一部を指差して、らんらんと目を光らせながら、

「アートウィキ! ウィキ! ウィキウィキ!」

「こ、こいつ」

 ヤクが切れてやがる。

 ああ、いやいや。@ wiki の禁断しようじようってところか。

 そういやしばらく読ませてなかったな。もうすっかりきたのかと思ったら、しゆうちやく心はおとろえていなかったみたいだ。

(このままほうっておいたら、ガチで怨霊と化しそうだな)

 もう手遅れな気はしたが──まあ、本を出して、はつきようエルゥに差し出してやった。

「ほら、読めよ」

「ウィキ~♪」

「なんなの……なんなのお前……」

 元々疲れちゃいたが、今のでドッと疲れてしまった。

 思わずその場にへたり込み、かべを背もたれにして足を投げ出した。

「ハァ、ハァ、いい、いいぞ……!」

「そうか、いいか」

「いいぞおおおおおっ!」

「そうですか……」

 セリフだけき取ったられ場っぽいが、そんな空気はじんもない。

 いるのはただ、疲れ果てた男がひとりと、なめるように本を読む女がひとりだけだ。

 むなしい──何もかもがただ、虚しい。

 せっかくの休日なのに、なんで俺はこんなところで、こんなヤツとふたりでいるんだ。

 帰りたいなあ。でもこいつが満足するまで、帰らしてくれないんだろうなあ。ためしにそっとその場をはなれようとしてみても、

「フンギョルムッホベラチョロアンギョルゴエゲラグロロロロロロ!!」

「せめて人語を話せよ!」

 これだ。

 理性がぶっ飛んだエルゥにかくされ、俺は帰るに帰れなかった。

 だから俺はもう、ゆっくりと暮れていく空を、ただ見ているしかなくて──。

「ああ、いたいた! おーい、ここだ!」

「っ!?」

 路地裏を囲む建物、その屋上から、知った顔がぬっと出てきた。

「ここにいたぞー!」

「え、ええ!? アルティ?」

 り切ったはずのアルティが、なぜかこの場に姿を見せた。

 いや、それどころか、路地裏の入り口に馬車がまって、

「先生、こちらにいましたのね?」

「フランソワまで!」

 けつとう相手まで乗り込んできた!

「あん? なんだその女?」

「あら、エルゥ……先生? 何かやつれていますが」

「こいつも王立学園の先生なのか? ひでえ見た目してるぞ?」

「それは、まあ、そうなのですが」

 さっきまで火花を散らしていたはずのふたりが、仲良くそろってここに来た。

(ど、どういうことだ?)

 こいつらは決闘に夢中だったはずなんだが、

「それよりも、先生? どうされたのですか?」

「ちゃんと最後まで見ていけよな!」

(そういうことか……!)

 いつの間にか俺は見届け人にされていたらしい。

 それが消えたのを不服と思い、わざわざ追いかけてきたというわけだ。

「さっ、仕切り直しだ! 今度こそ白黒つけるぞ!」

「ええ、望むところです。先生の見ている前で決着をつけましょう」

 俺はそんなことを望んでないが、こいつらにとっては大事なことらしい。

 やはりイースィンドは実力主義社会。勝ち負けや評判というものは、ほかの何よりも優先されるものらしかった。

「さあ、行きますよ!」

「ああ、来い!」

 相変わらず、俺を置いてけぼりにしてはじまるキャットファイト。

 ほう使つかい対戦士の戦いは、一進一退のこうぼうを見せる。それはまるでワルツのようで、どこか芸術的にも見えるんだが──こんなことに付き合ってはいられない。

(俺は帰らせてもらう!)

 そう決めて、そそくさとその場をあとにしようとしたんだが、

がさない」

 エルゥにつかまった。

 後ろからめにされてしまった。

 この骨と皮だけの体のどこにそんな力があったのか、エルゥは俺をギリギリと締め上げて、器用にも@ wiki をえつらんしている。

 そしてその前では、ドッカンドッカンと激しいバトルがり広げられていて──。

「なんでだ……」

 一呼吸置き、

「なんでこうなるんだーっ!?」

 花の都をたいにしての、すったもんだのおおさわぎ。

 それに巻き込まれた俺の休日は、こうして台無しになるのだった。




エピローグ



 肉と野菜を小さく切って、弱火にかけてじっくりむ。

 たまにレードルでかき混ぜながら、ことこと、ことこと、ていねいに煮込む。

 そうするうちに空はすっかり暗くなって、秋の夜長がやってきた。ユミエルは少し台所を離れると、魔石ランプであかりをともした。

 そして、台所にもどってきたら、なべの前でやっぱりことこと。

 鍋の中身をかき混ぜながら、彼女はぼんやりと物思いにふけっていた。

(もうすぐ一年、か)

 今よりは寒い季節だった。

 日付は思い出せないが、雨が降っていたことは覚えている。

 そんな寒空の下で、ちょうどこれくらいの時間帯に、ユミエルはたかひろと出会った。

 それから数えて、もうすぐ一年。

 貴大にから、もうすぐ一年目の安息日。

 こんなおだやかな日が来るだなんて、一年前の彼女は考えたこともなかった。

(本来であれば、わたしは)

 いまだにれい市場にいたはずだ。

 もしくは貴族に買われて、玩具おもちやのように使いつぶされていたはずだ。

 それがメイドになって、ただのしよみんのように生きているとは──。

 人生分からないものだと、ユミエルはしみじみ思った。

(でも)

 貴大。やま貴大。

 あの人だけはいただけない。

 あんなめんくさがりは見たことがない。

 彼は今週も散々をこね、働きたくない、働きたくないとわめいていた。

 そのたびにユミエルはむちやナイフを取り出して、時にはそれを振り下ろす羽目になった。

(本当は)

 そんなことしたくないのだ。

 できれば暴力など振るいたくない。

 相手は仮にも自分を苦界から引き上げて、住む場所をあたえてくれた人だ。

 その恩にはむくいたかったし、できれば彼にはやさしくしてあげたかった。

 しかし、なんというか、その──。

 彼は極度のダメ人間であり、優しくすればするほどなまけるような性格だった。

『あ~? 仕事? うん、するする~』

 ユミエルと出会ったばかりの貴大は、いつもこんな調子だった。

だいじよう、大丈夫。人生なるようになるって』

 そんなことを言いながら、日がな一日、だらだらと時間をろうする貴大。

 その目はどんよりとにごっていて、その姿にはというものがまるでなかった。

 つうの人間は、真面目まじめに働くものではないのか? それなのに、貴大にはそんな様子は少しも見られない。それどころか、まるで真逆の道を行っているようで──。

(ダメだ。このままではいけない)

 当時、強い危機感をいだいたユミエルは、これをどうにかしようと思った。

 貴大をどうにか真人間にしようと、思いつく限りのことをした。

 その中で見つけ出したのが、こんにちにも続くきようこうげきだ。鞭やナイフを使ったは、ユミエルがおどろくほどに効果的だった。

 正直、自分でもどうかと思ったが、他の手段ではどうにもくいかなかった。

 言葉だけでは、優しさだけでは、貴大は重たいこしを絶対に上げなかった。

(文字通りしりたたく、か)

 はっきりと言ってしまえば、ちょっとズレている答えだったが──。

 まあ、それで《フリーライフ》は上手く回っている。

 貴大はくさらず、らくせず、今日も元気に生きている。

 ユミエルもそうだ。いつしようけんめい働いて、安息日にゆっくり休んで、貴大の世話をしたり、ご近所さんに色々教わったりと、毎日がじゆうじつしている。

 今では、生きることがとても楽しい。

 また明日も、貴大といつしよに働きたい。

 そんなことを思いながら、ユミエルはまた、シチュー鍋の中身をくるりと混ぜる。

 いいあんばいに煮えてきた。ご近所さんに教えてもらった料理は、今日もいい仕上がりになりそうだ。少しだけ味見をすると、ユミエルは満足そうにうなずいて、

「……ぐえっ」

 げんかんとびらが開いたと思ったら、だれかがたおれる音がした。

 魔石コンロの火を止めて、ユミエルがろうに出ると、そこには貴大の姿があった。

「……お帰りなさいませ」

 たんたんと主人をむかえるユミエル。

 その足元でうめき声を上げながら、貴大はやっとこれだけ声に出した。

「つ、つかれた」

 無表情なまま、小首をかしげるユミエル。

 そんなに遊び歩いたのだろうか。それとも遠出でもしていたのだろうか。

 いずれにせよ、その疲れをいやしてあげたい。元気な貴大に戻って欲しい。

 そう願うからこそユミエルは貴大をき起こし、なんとか居間へと連れていく。

 その道中も、ユミエルは貴大へと優しい声をかけ続ける。

「……美味おいしいシチューができています」

「え?」

「……おいていますよ」

「お、おおお……!」

 あまりにもあんまりな一日の終わりに、このような癒しが待っていたとは。

 至れりくせりの対応に、貴大はなみだが出るようだった。

「いやあ、すまないなあ。いつもいつも」

「……いいんですよ」

「本当に助かる。今日は散々だったからなあ」

「……ゆっくり疲れを癒してくださいね」

「ユミィ」

 じぃん、と胸をふるわせる貴大。

 そんな彼に向かってユミエルは、


「……明日もお仕事ですからね」


「くそったれぇーっ!」

 告げられるな言葉。ひびわたる悲しみの声。

 何でも屋《フリーライフ》。

 その店主貴大の、あんまり自由じゃない生活はまだまだ続くのだった。




おすすめコメントをツイートすると
サイン本と図書カードが当たる!!

「#キミラノ夏ラノベ」キャンペーンはこちら

続きはコチラ!
1巻書影

フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 2

Book☆Walkerリンク Amazonリンク
最新刊好評発売中!
最新刊書影

フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 7

Book☆Walkerリンク Amazonリンク
キミラノ夏ラノベ

▲△▲『#キミラノ夏ラノベ』ページ▲△▲

Close
この作品を評価しよう!
Excellent!!!
Very Good!!
Good!
評価入力した作品の著者とイラストレーターは新刊通知の対象として登録するよ。
1日1回集計してみんなのデータに反映するよ。
この作品の感想を3つ選択してね!
評価と感想はキミのパートナーが記憶するよ。
たくさん登録をしてね!
1日1回集計してみんなのデータに反映するよ。
Close
注意
この作品の「読んだ」を取り消しますか?
あなたの評価と感想が削除され、
本棚からこの作品がなくなります。
はい。取り消します。
キャンセル
注意
この操作を取り消しますか?
はい。取り消します。
キャンセル