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始まりの魔法使い1 名前の時代

著者:石之宮 カント
イラスト:ファルまろ

1巻書影


竜歴6050年



  第0話 始まりのほう使つかい / Primitive Wizard


 それははるかに遠き神話の時代。

 人類がいまだ文字さえ持っていなかったころ

 ヒイロと呼ばれる国に、一人の魔術師がいたと言われています。

 彼は人々に言葉や文字を伝え、農耕やぼくちくを教え、魔法の火をもたらした文明の神であると伝えられています。

 彼はせいかんな顔つきをした青年であるとも、赤いうろこを持ったりゆうであるともいわれ、広くすうはいされていました。

 しかし不思議なことに、その名前は現代にはほとんど伝わっていません。

 ゆえに彼はただ、こう呼ばれているのです。


 ──始まりの魔法使い、と。


 HHKじん伝シリーズ第一話。

 今回はなぞ多き伝説の人物、始まりの魔法使いの秘密にせまります。

「あんた、またそれ見てんの?」

 わたしがテレビにくぎけになっていると、背中から聞き慣れたあきれ声がした。

「おそうは一通り終わりましたから、少しきゆうけい中です」

「いや、そういう意味じゃないんだけど……まあいいわ」

 彼女が言いたいことはわかるけれど、わたしはあえてそれを外した答えを返す。

 自分でも少し呆れるところがないではないのだ。

 録画したその番組を、今まで何十回見返したことか。

「そうやってテレビの前にちょこんと座って見てると、おばあちゃんみたいよね」

「実際わたしはおばあちゃんですから」

 肉体的にも精神的にも年上のニーナさんには言われたくなかったけど、彼女はいつまでっても若々しい。つややかな金のかみしわ一つない白いはだも、二十代どころか十代で通ってしまいそうなほどだった。外見だけじゃなく中身もだ。新しもの好きの彼女は今もソファに横になってはスマホで何やらゲームをやっているらしく、にぎやかな音を立てていた。

「もう、ニーナしようー。洗い物はちゃんと出して下さいよー」

 そこへ黒い髪をお団子にした女の子がやってきて、ほおふくらませた。

 若いと言えばこの子、カナタちゃんだ。見た目上は二十とちょっとくらいだけど、中身で言えばちがいなく一番若い。

 彼女がぶつぶつ文句を言いつつ印を組むとはんとうめいの小人がなんびきも現れて、散らばっていたニーナさんの服を拾い上げてはせんたくの方へと運んで行った。

「ごめんごめん、次から気をつけるから」

 言いつつもたんまつから視線をらさずゲームを続けるニーナさんの姿は、見なくても想像がつく。

「どうしたの、そんなさわいで」

 食器洗いを終えたのだろう、がらな赤毛の女の子がひょこりと姿を見せた。

「もう! ユウキ師匠も何とか言ってくださいよ! このぐーたらニートエルフに!」

「うーん。昔はこんなじゃなかったんだけどねえ……あっ、これって偉人伝シリーズの? あたしも見る見る」

 ユウキちゃんは困ったように笑いながら、わたしが見ている番組に目を留める。彼女がちらりといちべつすればとんがふわりと飛んできて、ユウキちゃんはわたしのとなりこしを下ろした。

「ええー、私の知る限りずっとニーナ師匠はこんな感じでしたけど……」

 言いながら、カナタちゃんもわたしの隣に座った。

「私はもう一生分働いた。だから余生はだらだらして過ごすの」

「カナタちゃんが生まれるより前の話だからね。前はとっても働き者だったし、それこそつうの人の人生十回や二十回分くらいは働いてたと思うよ」

 わたしが一応フォローすると、ニーナさんはごろんとがえりをうってあおけになりながらも端末をいじった。

「ニーナさんニーナさん、ちょっと味見お願いしまーす」

 そこにすかさずクリュセちゃんがやってきて、その口の中にスプーンをっ込む。

 ニーナさんは気にした様子もなく、もぐもぐとしやくした。

「味はどうですか?」

「ん。火加減はオッケー。……ただあいつの好みは塩もう一つまみ」

「らじゃです!」

「うわっ、クリュセ師匠、びっくりさせないで下さいよ!」

 元気のいいクリュセちゃんの声に後ろをり返って、カナタちゃんがさけぶ。

 つられて後ろを見れば、ふわんふわんのピンクブロンドをなびかせたクリュセちゃんの頭と、みぎうでだけが宙にいていた。

「ごめんなさい、今手がはなせなくってですね」

「離しちゃってるじゃないですか、物理的に!」

うるさいなあ。いい加減慣れなさいよ。クリュセの腕だのあしだの頭だの腸だのがもげてるのなんかいつものことでしょ」

「ううう、最後のはしばらくお肉食べられなくなるくらいキツいんでかんべんしてください……」

 まあ確かに、内臓を出しちゃうのは女の子としてちょっとどうかな、とはわたしも思わなくはないけれど。

「さて、あとはむだけと。カナちゃん、ちょっとおじやしますね」

「何で私のところに来るんですかー!」

 クリュセちゃんの首がふわりと浮いて、カナタちゃんのひざにすぽりと収まる。

 なぜって、この反応がおもしろいからに違いなかった。

「楽しそうです。アゼルも交ぜて頂いてよろしいでしょうか」

「アゼルちゃん、おつかれ様。洗濯物たたむの終わった?」

こうていです。アゼルの頭部も取り外し可能ですが、カナタはおどろいてくれますでしょうか」

 すぽん、と音を立てて、アゼルちゃんは自分の頭を外す。

「うーん。アゼル師匠はあんまり……」

「残念です」

「アゼル師匠はれいだし、まあ外れるのも当然ですからね」

 確かにカナタちゃんの言う通り、アゼルちゃんは首だけになってもホラーな感じはあまりしない。表情がとぼしいし、顔立ちもすごく整っているせいだろう。そのむらさきずいしようみたいなき通った長い髪は芸術品のようだ。

「おおっとぉ、聞き捨てなりませんね! まるでわたしが綺麗じゃないかのような!」

 クリュセちゃんも可愛かわいいしピンクの髪は綺麗なんだけど、いかんせん表情が豊かすぎる。

「クリュセ師匠は断面がちょっとグロいんですよ」

 結局アゼルちゃんもユウキちゃんの隣に座って、いつしよにテレビに視線を向ける。

「そういえば、マスターはいらっしゃらないのですか」

「今リンねえと一緒に買い出しに行ってますよ。もうすぐ帰ってくる頃とは思いますが」

「あ、ちょうど帰ってきたみたいだよ」

 アゼルちゃんの問いにクリュセちゃんが答えると、ユウキちゃんがテレビから視線を外さないまま言った。

「たっだいまー」

 しばらくして、彼女の言う通りげんかんの方からリンちゃんの声が聞こえてくる。

「えっ、何でわかったんですかユウキ師匠。探知系の魔術でも使ってたんですか?」

「いや、単に足音が聞こえたからだけど」

 カナタちゃんの問いに、ユウキちゃんは事も無げにそう答える。

「いやいやいやいや……聞こえたとしても表なんて常に何人も歩いてるじゃないですか。足音だけで聞き分けられるものなんですか?」

「そいつの一族、ちょっとおかしいのよ」

 エルフも相当耳はいいはずだけど、聞き分けまではニーナさんにも無理なのだろう。へきえきした口調で、彼女はそう言った。

 流石さすがにこのきよで聞き分けるのはわたしにも無理だ。もっとも……

「つっかれたー」

 リンちゃんがそう言いながら、ソファの上にダイブする。クールビューティという言葉がよく似合いそうな青髪の女性は、十歳ほどの愛らしい女の子の姿に変化し──そして、さっと身をよせスペースをあけたニーナさんの上へとたおれ込んだ。

「重い! 場所あけたでしょ!」

「ひとりでソファをせんきよしてるからわるいのよーぅ」

 そんな二人のやり取りをしりに、わたしの耳はろうから聞こえるもう一つの足音をとらえて立ち上がった。

 ユウキちゃんみたいな芸当は無理だけれど、この足音だけは聞き間違えようがない。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 居間のとびらを開いてむかえると、彼はくしゃりとがおを作って答えた。

「あれ、何でみんな……ああ、またそれ見てたのか」

 彼はテレビに視線を向けると、ニーナさんと同じことを言った。

 だけどそこにふくまれるのは、呆れではなくじやつかんの照れのようなものだ。

「お兄ちゃんも一緒に見ようよ。まあ、もう終わっちゃうところだけど」

 ユウキちゃんが手を引いて彼を輪の中に引き入れると、ニーナさんはちゃっかりとスマホをしまいこんでその隣にじんる。


 ──始まりの魔法使い。

 人類の守護者と言われるその謎に満ちた人物は、もしかしたら今もどこかで、人々を見守っているのかもしれません──


 アナウンサーがそうめの言葉を口にして、番組は終わった。

「──で」

 ニーナさんは、皮肉っぽい口調で言った。

「人類の守護者さん、今日の成果は?」

「……ネギが三本で四十八円だったよ」

 彼の答えに何人かが笑いをらし、「少なくともうちの家計は守られてるわね」とニーナさんがそう言って、わたしも思わず笑ってしまった。

「ねえねえ、あたしちゆうからだったし、最初から見たい!」

「あ、わたしも! 今身体からだ持ってくるから」

「待って、買ったもの冷蔵庫に入れてくるから、待っててよ!」

 ユウキちゃんがそう騒ぎ出すのにクリュセちゃんが賛同し、リンちゃんは大きなとらに変じると風のような速さで台所の方に向かう。そして全員居間に集まったところで、わたしは初めから番組を再生した。

「マスター。この情報はどの程度真実なのですか」

「うーん……半分はでたらめで、もう半分はかいしやくが違うって感じかなあ」

ほとんど全部うそってことじゃないですか!」

 アゼルちゃんの問いに答える彼に、カナタちゃんはそう突っ込んだ。

 確かにテレビに語られる『始まりの魔法使い』はとても立派で、間違うことも失敗することもない、神様のような存在だ。

 実際はそんなではなかったことを、わたしは良く知っている。

 けれど。

「そうそう、全部噓よねこんなの」

 石造りの街並みに暮らす人々の前にこうごうしく降り立つ『始まりの魔法使い』のイメージ図を見ながら、ニーナさんは言う。

 けれどその苦労もまた、わたしたちは良く知っていた。

 テレビ番組で語られる話に真実はほとんど残っていないけれど、だからこそ目を閉じれば今もその光景が浮きりになるかのように思い出される。


 ──ヒイロの国は現在のやま地方にあったと伝えられており、豊かな自然が広がるこの地方にはいくつもの伝承が残っています。


 そんなアナウンスとともに、空からさつえいされた森の映像が流れる。

 ああ、と心中で息を漏らして隣を見れば、彼もまた、わたしの顔を見つめていた。

 多分作った人たちはだれ一人気づいていないだろう、この番組のゆいいつの真実。

 今なお残る始まりの地、約束の場所。

 すべてはここから、始まったのだ。




竜歴0年



  第1話 転生 / Soulshift

すべてには一つ終わりがある。
ソーセージだけは二つある。
──ドイツのことわざ


 空を飛びたい、と思ったことはないだろうか。

 あるいは、とうめい人間になって悪戯いたずらをしたいだとか、動物と会話してみたい、でもいい。

 古来から人類が望んできたその夢の殆どは、科学によって解決された。

 ライト兄弟による人類初の有人飛行に始まり、航空機はイオンエンジンを用いたロケットへと進化し、個人用の航空ユニットまでもが実現している。

 軍用ではあるものの光学めいさいすでに円熟の域にあって、現在のせんとうではエーテルを用いたさくてき手段がいつぱん的だという。

 言語をあやつる程度の知性を持たない動物との会話は殆どジョークに近いしろものではあったが、高性能のほんやく機によって人類間の言語のかべは既に過去のものとなり、バンドウイルカや一部のイカ、チンパンジーなどとは文化的な交流も持たれ始めている。

 この百年はまさに科学ばんのうの時代と言っていいだろう。

 だが。

 だが、それでも、私はあこがれを捨てることは出来なかった。

 神秘のけつしようであり、不思議そのものであり、未知のがいねん

 すなわち、ほうへの憧れを。

 何かきっかけがあったのかどうかは、もう覚えてはいない。

 あるいは、そんなものはなかったのかもしれない。

 気づいたころには私は魔法というその概念にひどかれ、この世ならざるもの全てに憧れ、科学では証明できない何かを少年の頃からずっと追い求めてきた。

 ルーン魔術、セイズ魔術、ガンド魔術、せんせいじゆつれんきんじゆつ魔女術ウイツチクラフトじゆじゆつせんじゆつしゆげんどうに密教、おんみようじゆつ。古今東西のあらゆる魔法を学び、その習得法をじつせんした。

 興味の対象はもちろん魔法だけに止まらない。

 ようかいゆうれい、UMA、ちようのうりよく、神に悪魔。世界各地の神話や民話、伝説なんかはかたぱしから調べあげ、超能力者や霊能力者の名を聞けばどんな手をくしてでも会いに行った。

 そんなことをしているうちに、私は気づけば世界的に有名なオカルト研究家として名を知られるようになっていた。

 時間にして、八十九年。

 そんな私が一生を神秘への探求についやし、下した結論は。

 この世に神秘など、ない──というものだった。

 世界は、あまりにけんろうだった。

 全てはあるべくしてあり、不思議なことなど何一つなく、あるとすればそれは人のにんでしかない。

 もちろん全てを証明できたわけではないし、不思議としか言い様がないこともあった。

 だがそれらも、神秘と呼ぶにはほどとおい。

 やがて人の手であばかれ、不思議の座から転げ落ちるのだろう、と思えた。

 後年他者がどう評価するかはわからないが、主観的には、私のしようがいけた努力は全くのであった。有りもしないものを追い求め続け、妻も子もなく、一生を終える。

 こうかいはない、と言えば噓になるだろう。いはそれこそ無数にある。

 だが、こんな生き方をしなければ良かった、とは全く思わなかった。

 十度生まれ変われば十度とも同じ生き方をするだろう。

 それに、最後の最後に一つだけ楽しみが残っていた。

 十中八九、私はもう一度期待を裏切られるのだろう。

 しかし今度ばかりは失望する心配はない。何故なぜなら、その時にはもう、私という存在そのものがなくなっているからだ。

 うすれゆく意識に身を任せ、私はゆっくりと目を閉じる。

 世界は、くらやみに包まれて。


 私は、死んだ。

 ────正確には、死んだはずだった。


    * * *


 私が次に気づいた時、辺りは真っ暗だった。

 自分が死んだという自覚はある。これが死後の世界というものなのだろうか?

 それにしては、ざあざあという音がやけに耳につく。死んだ後が無で何も見えないというのなら、もっと静かであるべきなんじゃないか。何となくそう思った。

 それに、みようきゆうくつだ。手をばすとすぐに、指先がぐにゃりと何かやわらかい物にあたった。見えはしないが、何かあるらしい。おかげで手足を伸ばすこともろくに出来ない。

 なんだか妙だな、と私は思う。身体は無重力みたいにふわふわとして軽く、それでいて上手うまく動かせない。足が地面につかないからん張りがかないということを除いても、何かおかしい。

 とにかくこのせまい場所をだつしゆつしなければ。そう思って闇雲に動いていると、どこからか声が聞こえた。めいりようには聞こえないが、それでも全く聞いたことのない言葉だということはわかる。

 しかし、どのような意味合いのことを言っているのかは何となくわかった。

 それと同時に、私がどこにいるのかも。

 どうやらここは死後の世界ではないらしい。それどころか、全く正反対だ。先ほどえんりよに押してしまった壁を、そっとでる。

 先ほどの声は、やさしい女性の声。腹の中の我が子をづかう声だった。

 つまり、私は、生前の世界にいるらしい。

 私は母のたいないで一人、感動に打ちふるえた。

 転生。それも、前世の自分のおくを胎児の状態から持っての生まれ変わりだ。

 これほどの神秘体験がほかにあるだろうか。正直言って、死後の世界や転生などというものは殆ど信じていなかった。

 死んでしまえば無になり、こうして思考する私自身存在しなくなるであろうと思っていたのだ。

 初めて見つける世界のほころびに、ほんの少し、らくたんする気持ちがないわけではない。あそこまで堅牢で、私の人生を裏切り続けた世界なのだ。いわば私にとっての好敵手のようなもので、もうちょっとがんれなかったのか、と思う気持ちはゼロではなかった。

 だが、そんなわずかな失望などき飛ばして余りあるほどの喜びが、私の胸をいつぱいに満たしている。落胆はいわば勝者のゆうのようなものだ。もしかしたら長じるにつれ私の記憶は消えていくのかもしれないが、それはそれで良い。堂々と勝ちげをさせて頂くまでだ。

 だがしかし、まずは無事に生まれなければ。……まあ、そう意気込んでも私自身に出来る事はないのだが。せめて逆子にならないように気をつけるか。それに、へそのを首に巻き付けてちつそくするというけなければならない。

 そこまで考えて、私は自分にへその緒がついていない事に気がついた。鹿な。どういうことだ!?

 あわてて腹の辺りを手でさするが、やはりついていない。ためしにぐるぐると身体からだを回転させてみると、無限に回転する事ができた。完全にワイヤレスだ。一体これはどうしたことか。

 私が慌てていると、とつぜん、辺りの圧力が高まってきた。まさか、と思う間もなく、私の身体がぐいっとどこかへ引っ張られる。胎児の筋力ではとうていあらがえるものではなく、私はなされるがままに移動した。

 真っ暗だった視界が突然光に包まれ、その余りのまぶしさにぎゅっと目をつぶる。そうしていると急にずるりと引っ張りだされて、私は重力に負けてゆかに転がった。

 どうやら、無事、生まれることが出来たらしい。そういえば、あかぼうの作法というものがいまいちわからない。泣いたりした方がいいんだろうか。

 そんなやくたいもないことを考えながらうっすらと目を開くと、真っ赤に染まったりよううでが見えた。赤ん坊とはいうが、あまりにも赤すぎる。前世の私は独身だったが、それでも妹ふうの赤ん坊くらいは見たことがある。流石さすがにここまで赤いはずがない。そのくらい、真っ赤であった。

 どういうことだ、と身体に力を込めると、背中の方で湿しめを帯びた音が鳴った。床にうずくまるような姿勢のまま背中に視線を向ける。

 そこもまた、赤い。いや、赤さはどうでもいい。見慣れない器官がある事の方が何倍も重要だ。それは、れた衣服のように見えた。濡れているのは今母親の胎内から出たてだからだろう。だが、私の知る限り服を着たまま生まれてくる生き物はいない。

 がくぜんとしていると、何者かがべろりと私のほおめた。思わず顔を上げて見れば、私の何倍もきよだいな顔がじっとこちらを見つめている。その口が開き、聞き覚えのある声が明瞭にひびいた。胎内で聞いた声だ。つまりは、彼女が私の母親なのだろう。

 真っ赤なうろこおおわれた身体に、へびのような長い首。縦長のこうさいを持つ金のひとみがじっと私を見つめていた。ワニのような長い口にはずらりときばが生えそろい、後頭部からは何本も角がき出していて、細長く器用な前足と太くどっしりした後ろ足の指先にはナイフのようなつめがついている。しりからは長いが伸び、背中についたいつついのコウモリを思わせるつばさ

 それは多分、私にもそっくり同じものがミニサイズでついているのだろう。その姿には大いに見覚えがあった。

 この世のありとあらゆる神秘を研究し尽くした私でなくとも、だれもが知っている存在。

 すなわち、ドラゴンだ。

 つい先ほどまでは、生まれ変わり以上の神秘体験があるだろうか、と思っていた。だがその考えはちがっていたのだと、おそまきながら私はさとる。


 いまや私そのものが、神秘のかたまりだった。




竜歴10年



  第2話 かいこう / Chance Encounter

あの時私は、助かったって思った。
でも今思えば、逃げときゃよかった。
……じようだんよ。
──緑のじよ、ニーナ


 私がりゆうとして生を受けて、あっという間に十年がった。

 ようやく竜としての生活にも慣れて空を飛ぶのも危なげなくこなせるようになった私は、しかしほうに暮れていた。

 母竜に巣から追い出されたからだ。

 追い出されたというとけんのんだが、要はそろそろ独り立ちをして自分の巣を作れ、という事らしい。

 これからどうしたものかと頭をなやませつつも空を飛んでいると、はるか眼下の森に異変があった。

 木々がざわめき、太い木々が次々と折れていくのだ。

 一体何事かと目をらせば、まるでたかのようにするどい竜の視力は森の中を走る小さな少女の姿をはっきりととらえた。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」

 少女はあらく呼吸をしながら、森の中を必死に走っていた。

 まばらに立ち並ぶ木々をうようにしてこうし、まるで門のようにえがいて大きく張った巨木の根の下をくぐける。

 何かから、逃げてる──?

 そう思った次のしゆんかん、まるで私の考えを裏付けるかのように巨木がれて幹に大きくひびが入る。かと思えば、巨木は粉々にはじけ飛んで、赤黒い色合いのけものが姿を現した。

 ずんぐりとした体形に丸い耳、短くがっしりとした手足。

 その獣は大まかにいえば、くまに似ているように見えた。

 だがそれが私の知る熊とは別の生き物であることは、生物の専門家ではない私の目にも明らかだ。

 軽く体長五メートルをえているであろうたい

 丸太のように太い腕の先に生えた、剣のように長く鋭い爪。

 体毛の代わりに身体を覆う鱗は大きく分厚く、まるで戦国武将の着込む大よろいのようだ。

 そのとくちよう的な鱗から、よろいぐまとでも呼ぼうか。その爪をるわれた木のざんがいを目にするまでもなく、きわめて危険な生き物であることは疑いようもなかった。あの太い腕ではらわれれば、きやしやな少女の身体なんて簡単に千切れ飛んでしまうだろう。

 そして、その時はすぐそこへとせまっていた。

 鎧熊は爪の一振りで障害物を粉々にふんさいし、一歩で少女が必死にかせいだきよを無に帰す。

「危ない……っ!」

 振り上げられる鎧熊の腕に、直後のさんげきを予測し私は思わず声を上げた。

「……え……?」

 だがその予想は当たることなく、私は目の前で起こった光景に目をみはる。

 少女が後ろを振り向いて腕を振ったかと思えば、木々がひとりでに動いて鎧熊の行く手をさえぎったのだ。

 もちろん、鎧熊にとってそれはさしたるぼうがいにもならない。だが枝をへし折り少女を追おうとする鎧熊の顔に風とともに木の葉が吹き付け、木の根が土の中から生え出て足にからみつく。そうして時間を稼いでいる間に、少女はうさぎのように逃げ出した。

 ────間違いない。

 あれこそ私が前世からあこがれ求め続けていたもの。

 ほうだ。

 その神秘のわざによって、小さな少女がおのれを遥かに超える巨軀を持つ鎧熊から何とか逃げおおせているのは間違いなかった。

 おそらくは、それが長くは続かないであろうことも。

 じよじよに少女の足は速度をにぶらせ始め、魔法の力にも限界があるのか木々の動きも悪くなっていく。それと反比例するかのように、鎧熊が妨害する木々をかいする時間は短くなっていた。

 ……仕方ない。

 鎧熊の鋭い爪の先が少女のかみらえひとふさを切りくのを見て、私はかくを決めて翼をはためかせた。まめつぶのように小さかった少女の姿はあっという間に眼前に迫り、バキバキと木の枝を折りながら私はそこへと降り立つ。

「ひっ」

 少女は息をんで立ち止まり、へなへなとその場にくずれ落ちる。後ろから鎧熊に追われていたかと思えば、前からドラゴンだ。そうなってしまうのもわからなくはない。

 だが正直に言ってしまえば、私もそうしてしまいたい気持ちでいっぱいだった。

 とつじよ現れた私をけいかいするように後ろ足だけで立つ鎧熊の姿は、思っていたよりずっと大きい。

 こちらが四足で立っているというのを差し引いても、私の倍以上はある。

 竜とは言っても、私はまだ生まれて十年程度の幼体に過ぎない。母なら一吞みにしてしまうだろうが、私にとって鎧熊はまるでそびえ立つ山のように感じられた。

 出てくるんじゃなかった。

 私はいまさらになって、少し……いや、正直に言おう。

 心の底から、こうかいしていた。

 元々、争い事は苦手なたちだ。前世ではけんの一つもしたことはなかった。

 そのういじんがこれほど強大な森の主とは、いくら今の身体からだが竜とは言ってもあんまりだ。

 だが、と私はかたわらに座り込む少女をいちべつする。この世界で人間を見るのは初めてだから正確なところはわからないが、前世の基準で言えば十四、五歳だろうか。

 こんな幼い少女を見捨てることなど出来ない。ずっと追い求めていた魔法の使い手となればなおさらだ。

「早くげるんだ」

 私は鎧熊をえたままそう言ってみたが、言葉が通じてないのか、それとも動けないのか、少女はぴくりともしなかった。先に逃げてくれれば、私も空の上に逃げることが出来るのに。それどころか、私の声をかくとでも見たのか、鎧熊の方がおそいかかってきた。

 ちがう、お前じゃない。

 そんな事を言うひまもなく、鎧熊は恐ろしいほどのしゆんびんさで間合いをめると、その鋭いつめを私に向けて振りかぶった。

 突然の事に、けることもできない。それどころか、思わずぎゅっと目をつぶってしまった。

 首もとをねらって振るわれたそのいちげきに、鈍い音を立ててへし折れる。

 私の首がではない。鎧熊の、爪がだ。

 その場にいた誰もがぼうぜんと、鎧熊の爪を見つめていた。私が何かしたわけではない。

 ただ単純に、その爪が鎧熊のりよりよくと私のうろこかたさにえられなかったのだ。

 最初に忘我の境からわれに返ったのは、やはり鎧熊であった。

 りよううでで私のかたくように、がっしりとつかむ。熊に限らずほとんどの野生生物で、もっとも力が強い筋肉はあごのものだと聞いたことがある。爪によるざんげきが効かないと見るや、すぐさま最強のこうげき方法に切りえてきたのだ。

「わっ!」

 迷いなく最善手を打ってくる森の王者に対して私が出来たのは、情けなくもたださけび声を上げることだけだった。

 だというのに、鎧熊はギャンと鳴いてあわてたように私からはなれる。その胸の辺りが焼けげて、白いけむりをたなびかせていた。一体何が起こったのだろう、と一瞬混乱したが、すぐに理解する。私の息が、かかったのだ。

 前世で見た創作では、竜の吐息ドラゴン・ブレスといえばドラゴンの必殺わざといったイメージだったが、私が転生したこの身体に限って言えばそれは正しいにんしきではない。

 技も何もない。呼吸そのものが、高熱のほのおなのである。人間が酸素を吸って二酸化炭素をき出すのと同じ感覚で、私も母も炎を吐き出す。つうに呼吸をしているだけで口元から炎がれる。ドラゴンとはそういう生き物のようだった。

 しかし、あのきよだいな鎧熊が悲鳴を上げて飛び上がるほどとは、私の体内にある炎は思っていたより遥かに高温らしい。

 息をするだけでダメージをあたえられるのなら、私でも何とかなりそうだ。一歩み出して間合いを詰めると、鎧熊も四足になって突進の構えを見せた。王者の意地か、痛手を負っても退く気はないらしい。

 まるでだんがんのようにっ込んでくる鎧熊に、私は口先をすぼめて鋭く息を吐いた。こうすれば細く長い炎を吐き出せる事は、ずっと前に確認していた。竜に転生してすぐのころは、色々と炎で遊んだものだったのだ。

 だが。

 まさか、ここまでの威力があるものだということは、初めて知った。生き物に向けて吐いたことなどなかったのだ。上半身が真っ黒に焼け焦げ、頭など骨すら残さずき飛んだ鎧熊のこうばしいにおいをぎながら、私は自身が引き起こしてしまった結果にふるえ上がった。

 視線を横に向ければ、少女も鎧熊の死体を見つめてガタガタと震えている。次は自分の番だとでも思っているのだろうか。真っ青に染まったその表情を見ていたら、こちらはかえって冷静になってきた。

 私の視線に気づいた少女がこちらへと目を向け、自然、私たちは見つめ合う。

『た……助けてくれたの……?』

 不意に、少女が口を開いて何事か私に言った。何かをたずねるようなこわいろだったが、やはり聞いたことのない言葉で何を言っているのかはわからない。

こわくないよ、だいじようだ」

 ゆっくりとした口調で言いながら、顔を地面にせる。人の身体なら武器を下ろせば敵意がないことを表現できるだろうが、残念ながら今の私は全身兵器みたいなものだ。せめてきばと炎が見えないように、顎を地面に押し付ける。

『助けてくれた、みたいね』

 さっきと似てるが少し違う言葉を口にしながら、そろそろと少女は私に近づいてきた。そこでようやく、彼女が私の知る人間とは少し違うことに気がついた。

 こしほどまである金の髪の間からのぞく耳の先が、ピンととがっている。

 まだあどけなさを多分に残した顔立ちは、ちょっと信じられないほど整っていた。

 顔はおどろくほどに小さく、細く形の良いまゆの下には切れ長なアーモンド型の青いひとみ、高くすっと筋の通った鼻に花びらのようにれんくちびるうすい絹のような素材で出来た衣服に包まれた体型はすらりとスレンダーで、ほくおう系の人種を思わせる白いはだ、細く長い手足は幼いながらトップモデルのようなで立ちだ。一連のとうそう劇で多少うすよごれてはいたが、そんなものではおおかくせないほどの美しさがあふれている。

 前世の創作でよく出てきた、エルフという種族を思わせる外見だった。

 私はあえて答えずに、彼女の行動を待つ。

『暖かい……』

 私の鼻先に手のひらを当てて、ぽつりと彼女はなにかつぶやいた。

「アッタカイ?」

 彼女の言葉を真似まねて、口にする。

『うん、そう。あんたとっても、暖かい』

 花のつぼみほころぶように、彼女は笑う。

 それが彼女──ニナとの初めての出会いだった。



  第3話 すべての始まり / Primitive Times

その時のことを運命と呼ぶんだって知ったのは、
ずっとずっと後のことでした。
──白のほう使つかい、アイ


「ニナ、君はニンゲンを見たことある?」

「ニンゲン? なにそれ」

 私がよろいぐまから助けた少女……ニナは、ふと私が投げかけた質問に首をかしげた。

 それもそうだろう。ニンゲンという発音は日本語で、ほかの部分は彼女の言葉を使って質問したからだ。

 ニナと出会って数ヶ月。あれから私たちは何となく行動を共にするようになり、えんかつにコミュニケーションが取れるまでになった。

 どうやらりゆうというのは人間よりもはるかに強いだけでなく、頭も良いらしい。

 ハードが変わればソフトの動作も変わるもので、私は驚くほどのスピードで彼女のあやつる言葉を理解できるようになってしまった。

「君と似たような姿をしてるんだけど、耳は短くて丸くて……多分、石か木で出来た家に住んでると思う」

 人間に会いたい──その気持ちは、ニナに出会ってから私の中で日に日にふくれ上がっていた。竜の生活も悪くはないが、やはり私は人の心を捨てきれないのだ。

「多分、知ってると思う」

 だからこそ、私はニナがそう言った時飛び上がらんばかりに喜んだ。

「案内してくれるかい?」

 そう尋ねると、彼女はこくりとうなずく。

 私は彼女を背に乗せて、つばさを大きくはためかせた。


    * * *


「ほら、あんたが言ってたのって、あいつらの事でしょう?」

 そう言ってニナが指差したものを見つめて、私はがくぜんとした。

「あれ、が……あれが、人間だって?」

「私と似たような姿で、丸い耳で、石の巣に住んでる。あってるでしょ?」

 先の尖った耳をほこらしげにピンと立てて、ニナは薄い胸を張る。

 確かに、彼女の言うことにちがいはなかった。

「他に……他に、似たような姿で、もっと別の暮らしをしている人間はいないのかい?」

「そんなに知ってるわけじゃないけど、暮らし方は大体似たようなもんだよ」

 返ってきた答えに、まあ、そうだろうなと思う。

 私は改めて、ニナの示した光景を見つめた。

 私たちがいる小高いおかから望めるそれは、山肌にぽっかりと空いたどうくつだった。

 ちょうどりに行くところなのか、数人の男たちが棒きれの先に石をくくりつけて作ったやりを手にその中から出てくる。彼らも、それを見送る女たちも、けものの毛皮を巻いただけの格好だ。暮らしている人の数はせいぜい十数人だろう。村どころか、集落と呼ぶにさえあたいしない、原始人たちの暮らしがそこにはあった。

「なんてことだ……」

 魔法が存在し、ドラゴンが空をけ、神秘が息づき、ようせいが暮らす。

 そんなまさにファンタジーとしか言いようのない世界なのだから、中世ヨーロッパ程度の文明があるものだと無意識に思っていた。

 だがそれは、大きな間違いだったのだ。

 よくよく考えてみたら、ファンタジーだから中世ヨーロッパなんていう価値観は近世に入ってからの小説……それも、いわゆるライトノベルと呼ばれるたぐいのものによくあるだけの設定だ。

 まだしもつう可能な人型の生き物がちゃんといてくれただけ、私は感謝すべきなのかもしれない。これがスライムみたいななんたい動物しかいない世界だったら私はもっと絶望していただろう。

 ……とはいえ、なあ。

 思わず私は、深々と息をく。

「わっ、ちょ、やめてよっ、私を燃やす気!?」

 するとニナは頭を両手で守りながら大きく飛び退いた。

「ああ、ごめんごめん」

 私はあわてて口を閉じる。

 ニナといつしよに過ごすことになって一番苦労しているのが、この息だ。

 意識しなくても口元からは常にほのおがかすかにれ出して、うっかりめ息なんかつこうものならすべてを燃やしくしてしまう。

「とりあえず、話しかけてみるか……」

「え、行くの? あいつら話通じないし、きようぼうよ?」

 気を取り直して呟くと、ニナはこんわくしたように忠告してくれた。

「まあなんとかなるだろう、多分。ニナはここで待っててくれる?」

 私はそう言い置いて翼を大きく広げると、一気に上空高くへと飛び上がる。

 人間たちの洞窟まで、目算で二、三キロといったところだろうか。

 身体からだそのものが変化してしまっているためきよにも時間感覚にも全く自信はないが、体感的には一分もかからずに私は洞窟の前に降り立つ。

 たまたま入り口に出てきていた小さな女の子が、私を見上げて悲鳴を上げ、へたり込んだ。

「ああ、大丈夫、おじようちゃん。大丈夫、私はこう見えてもいいドラゴンなんだ。けして人間を食べたりは」

『敵!』

 私の言葉をさえぎるように、四方八方から槍が飛んできた。

 なるほど。確かに彼らが凶暴と言われてしまうのも無理は無いかもしれない。と、うろこはじかれる槍をながめながら私は思う。

「こっちに敵意はないんだ。こうげきしないでくれないかな」

にげろ!』

 私がことさらにゆっくりと言うと、槍を投げてきた男が何やらさけんだ。女たちは子を連れて洞窟の中にげていく。ううむ、これは困ったな。

「こっちは、戦う気、ない。わかる?」

 なるべく息を吐いてしまわないように言いながら、私は鼻先で地面に落ちた槍をずいと彼らの前に押し出す。これで、敵意がないことをわかってくれればいいんだが。

 男たちは困惑したように顔を見合わせながらも、おそる恐るといった様子で槍を手に取った。

「君たちにはまだ、言葉ってものがないんだね……」

 その様子を見て、私はそう確信した。短い、号令のような言葉はある。アイツを攻撃しろとか、逃げろとか。でも、それ以上の複雑なやりとりをする言語はまだ存在しないのだ。

 加えて、攻撃もただの石槍を投げて来るだけだった。少なくとも、エルフのように魔法を使えるものはここにはいないようだ。

おどろかせてごめん」

 私は通じないだろうとは思いつつそう言い置いて、再び空高くい上がった。


    * * *


「どうだったの?」

だ。全然話通じない」

「だから言ったでしょ?」

 首をる私に、ニナは何故か得意気に笑った。

「せっかく人間に会えたと思ったのに……」

「だから火をかないで!」

 おっと、しまった。また溜め息をついてしまった。

「ごめんごめん。私にとってはただの息だからさ……」

「うっかりで森を焼かれちゃかなわないわ」

 こしに手を当てながら、ニナはあきれたように言う。

「だいたい、別にあんなのと仲良くしなくったって……私がいるからいいじゃない」

 ニナはくちびるとがらせ、ぽつりとそうつぶやいた。

 しりすぼみに小さくなった彼女の声はほとんど音にすらならないほどだったが、竜の耳というのは無駄に性能が高い。バッチリ最後まで聞こえてしまっていた。

「まあ、ニナがいてくれるなら無理に付き合うこともないか……」

 流石さすがに、言葉も持たない原始人たちと交流を持つ自信はない。しかし何かモヤモヤとしたものを感じながらもそう言うと、ニナのげんは目に見えて良くなった。

「そろそろ日も暮れるし、今日はもうねむりましょ」

 そう言って彼女がうでばすと、ごく自然に木々がその枝を下げる。エルフの魔法だ。ニナは着ていた服をぽいぽいとぎ捨てて、木立の葉のベッドの中に身を横たえた。

「ハシタナイからやめなさいって」

 ころがる彼女は身体をかくす様子もなく、その真っ白なはだが何とも目にまぶしい。すらりとした身体つきは未成熟とはいえ、目のやり場に困る程度のねんれいではあった。

「だからその、ハシタナイってのは何なのよ」

 そう言われて、私はいつもどおり答えにきゆうする。

 ニナの使う言葉には、はしたないというがいねんがない。と言うかそもそも、ずかしいという言葉がなかった。彼女たちにとって衣服は身体を暑さ寒さから守るものであって、はだかは特に恥ずべきものではないのだ。

「ほら、早く」

「はいはい……」

 両腕をこっちに向けて伸ばす彼女のたいをなるべく見ないようにしながら彼女のもとへと向かうと、私はとぐろを巻くようにして彼女のベッドをぐるりと囲んだ。

 りゆうである私の身体は暖かく、気持ちが良いらしい。私は寝ている間にうっかり大きく息を吐いてしまわないか、気が気でないのだが。

 しかし人間に出会ってみて、ひとつ気づいたことがあった。

 それは、エルフの生活も彼らとあまり変わらないということである。森の種族と言えば聞こえはいいが、特に家も作らずこうして木で寝て、森の獣や木の実をとって生きる生活。言ってしまえばしゆりようと採集だ。まるきり原始人ではないか。

 もちろんほうで木々をあやつり、その声を聞き、実を分けてもらえる彼らはそんな生活でもかなり安定して暮らせる。だが、それがかえって文明の発達をさまたげている気がする。森さえあれば生きていけるのだから、ふうも進歩もない。そのうち、文明を発展させた人類にほろぼされてしまうのではないか、という気さえした。

 そしてそれは私自身にも当てはまる。ドラゴンというのは、異常なまでに強い。ものるのに苦労はしないし、外敵もいない。恐らく生態系の頂点である。だがその生活はやはり、狩猟によって支えられたものでしか無いのだ。およそ文明的とは言えない。

 多分、まだこの世界には文明というもの自体が殆ど存在しないのだ。

 原始時代の異世界。

 どうしたわけかそんな場所に来てしまった、この私の頭の中以外には。

 この世界から見れば遠い遠い未来の知識を持っていたって、それをかすためのインフラや文明的な下地がなければ何の意味もない。他人に知識を伝えようにも、インターネットどころか本一冊……人間に限って言えば文字も、言葉すらない状態なのだ。

 それは、恐ろしいほどのどくだった。

 だれも私を知らないし、理解もできない。言葉も通じない。

 ニナとは会話できるけれど、彼女はどこかうきばなれしていて、言葉をわすほどに人とはちがう生き物なのだと感じさせられてしまう。

 そうして私はようやく気づいた。どれだけ神秘を見つけても、どんなにらしい発見をしても、それを伝える相手がいなかったら何の意味もないのだ。

 私はまた、何もつかむことなく、何も残すことなく、に人生を過ごすのか。

 ──前世と、同じように。

 おのが身をのろい天を見上げたその時、まるでてんけいのように私ののうにある考えがひらめいた。

「学校だ!」

「な、何!?」

 心のなかで思いかべただけだったはずの言葉は興奮のあまり口をいて出ていて、ニナは目を白黒させながらね起きた。

「ガッコウだよ、ニナ。ガッコウを、作るんだ」

 勿論エルフ語には学校なんて言葉はない。だが私は夢中で自分の考えを彼女に話す。

 何もないのであれば、作ってしまえば良いのだ。

 伝える素地がないなら、そこから教えれば良いのだ。──すべてを伝える場所を。

 それが、長い長い……そう、気の遠くなるほどほうもなく長い物語の、始まりだった。



  第4話 竜の吐息 / Fire Breathing

め息一つたびに、幸せ一つ逃げていく。
……物理的に。


 翌日。

「おはよぉ……」

 ふああ、と大きく口を開いてあくびをしながら、寝ぼけ声でニナは目をこすった。

「おはよう」

 なるべく一糸まとわぬ彼女の姿を見ないようにしながらも、私はあいさつを返す。

「昨日あんたがうるさかったから、眠い……」

「ごめんごめん」

 ぼやきながら彼女が両腕を差し出すと、木々がふるえて木の葉をかしげ、その手のひらにあさつゆを集めた。ニナがそれでぱしゃりと顔を洗うと、風が吹いてすいてきを吹き飛ばしていく。次いで、木の枝にかけられたうすぎぬがふわりと浮いてニナの身体からだに巻き付き、衣服になった。

 相も変わらず、見事な魔法だ。

 私は便べんじよう、彼女の種族のことをエルフと呼ぶことにした。とはいってもその能力や生活様式、身体的とくちようは二十世紀のだいな小説家トールキンがデザインしたエルフとも、ほくおう神話で語られるアールヴとも違う。

 どちらかと言うとドリュアスやニンフと呼ぶべきなのかもしれないが、どっちみち地球の伝承に照らし合わせるのは無意味だ。彼女はこの世界に生きる、この世界の存在なのだから。

「で、なんだっけ。ガッコウ?」

「そう。ニナに手伝って欲しいんだ」

 金のかみを草でわえ、さらりとかきあげて言う彼女に、私はうなずく。

 私の思いえがく学校には、彼女の協力が必要不可欠だった。

「別に良いけどさ」

 エルフたちの生活というのは、どうにも退たいくつなものらしい。

 私みたいな風変わりなドラゴンと付き合ってくれるのも、それが原因だ。特にあくせく働いたりせずとも暮らしていけるんだから、それもそうだろうとは思う。

「そのガッコウって、一体何なの?」

「学校っていうのは、長く生きてるものが、幼いものにこの世界の事を教える場所のことだ。君だって、親からものは教わっただろう?」

「まあ……そうね」

 昔のことを思い出すように首をかたむけ、彼女は頷く。

「人間は君たちよりも幼い種族だ。生きていくために必要な事を、殆ど知らない。そんな彼らに魔法を教えてやる、魔法学校を作るんだ」

「……マホウ?」

 魔法という言葉も、エルフ語にはない。日本語で言った発音を、ニナはり返した。

「ニナが木を動かしたりするだろ? あれが魔法だよ」

「えっ」

 私がそう答えると、彼女は目を丸くする。

「教えるって……どうやって?」

 全く考えもつかない、と言いたげな様子だった。

「ニナはそれ、どうやってるんだい?」

「どうって……」

 たずねると、ニナは木々に向かって視線を向けて、腕をばす。

 さわさわと枝葉が動いて、まるで『お手』でもするかのように彼女の手のひらに乗った。

「こう」

 ニナは困ったようにまゆを下げる。それ以上の説明はなかった。

 なるほど。どうやら彼女にとって、木々を動かすのは手足を動かすようなことらしい。

「あんただって、どうやって火をいてるかって聞かれたら困るでしょ」

 ねたようなニナの言葉に、私は目からうろこが落ちる思いだった。

「そうか。これも魔法なのか」

 よくよく考えてみれば、当たり前のことだ。呼吸というのは酸素を取り込む為のものだが、肺の中に火が入ってて一体どうやって呼吸するというのか。ありえない事が起こっているのだから当然、これもまた魔法なのだ。

 だが確かに、どうやって火を吐いているのか説明しろと言われても困る。私としてはつうに呼吸をしているつもりなのである。自分自身では、熱さすら感じないのだ。そのせいですぐ、火を吹いていることを忘れてしまうのだけど。

「ニナ。木々を動かさずに手だけあげることは出来るかい?」

「うん」

 考えた末にそう聞いてみると、ニナはすっと手をあげた。やはり、その動作が条件というわけではないらしい。逆に言えば彼女は、私で言えば火を吹いたり吹かなかったり出来るわけだ。

「じゃあ次に、動かしてみて」

「はい」

 ニナは姿勢を変えぬまま、視線だけを動かす。すると木の枝がうごめいて、ぶんぶんと上下にられた。

「何が違った?」

「えっと、動きを……思いうかべるの」

 なるほど、イメージか。ためしてみよう。

 私は目を閉じて、思い描く。

 転生する前、人の身体だったころの自分をだ。

 二本の足で直立した身体。つばさなどない背。真っぐな首。

 ゆっくりと息を吸う。肺に空気が満たされていく。

 そしてそれを、そのまま……吐く。


「ぎゃー! 何やってんの!?」

「うわ、ごめん、ごめん!」

 私はあわてて、木々に燃え移ったほのおたたき消す。

 どうにもなかなか、上手うまくはいかないようだった。


    * * *


 パチパチと音を立てながら、たきぎがはぜる。

「案外肉食なんだよなあ……」

「ん? 何か言った?」

 ニナは焼いた鹿しかの肉に、実に美味うまそうにかじり付いていた。

可哀かわいそうとかは、思わないんだね」

「何が?」

 私の問いかけに、ニナは首を傾げながら不思議そうに問い返す。

「いや、ごめん、何でもない」

 当たり前か。そんな考え方は、もっと豊かな社会でのものだ。だがいかにも優美でせんさいそうなエルフが焼いた肉をがつがつ食べる様子というのはなかなかシュールだった。

 とは言え、文明的な洗練度という点では私も同じかそれ以下だ。

 りゆうの身体は味覚までも変化してしまったらしく、生のままでも美味おいしく感じてしまう。丸のままの鹿に切り分けもせずに齧り付き、骨ごとバリボリとくだく。

 するとのどの奥の炎に焼かれてじゅわっとにくじゆうみ出してくる。非常に美味い。

 もぐもぐと鹿肉をしやくしながら、私はほうについて考えていた。

 どうにもこの世界の魔法というのは、じゆもんを唱えたり、動作をともなうものじゃないらしい。それこそ呼吸と同様だ。

 それを自在に操るというのは、ありもしないうでを動かせと言われているようなもので、どうにも難しい。

 なんとか燃えずに残ってくれた地面の花を見つめながら、溜め息をつきたくなる気持ちをぐっとこらえる。

 翼なら自由自在に動かせるようになったんだけどな。

 羽もも人間時代にはなかったものだから、生まれてすぐの頃は多少まどった。

 だが数年もすれば慣れるもので、いまやかんは全く無く、手足と全く同様に自然な感覚で動かすことが出来た。

 ……ん?

 ふと、私は私自身の考えに疑問をいだく。

 ありもしない腕を動かすようなもの……本当に、そうだろうか?

 今の私には空を飛ぶための翼が、身を守るための鱗が、鹿を丸ごと嚙み砕くためのきばがある。

 であるならば。

 炎を吹くための器官も、私の身体の中にあるんじゃないか?

 私は、もう一度目を閉じる。

 そして今度は人じゃなく、私自身。竜の姿を思いかべた。

 炎を起こしているのは何処どこだろうか。

 喉?

 いや。さっき食べた鹿の肉は、喉を過ぎても焼かれているにおいがする。

 では、肺?

 だけど、息を止めても私の口元からは炎がわずかに自然とれ出る。

 なら……腹、だろうか。

 そう思ったたん、その考えはみようにしっくり来る気がした。

 胃の辺りに、何となく熱いわだかまりが感じられる。

 そこを閉じるイメージを頭に浮かべながら、私は頭をせてそうっと息を吹いてみる。


 目の前にいていた花は燃えさかることなく、ひらひらとれた。



  第5話 にえ / Divine Offering

おくり物ってやつには太古の昔から、
必ずひとつのろいがついてる。
へんきやくできないって呪いが。


「やった! 見てくれニナ!」

 かんに声を上げる私を、ニナは冷たい目で見つめた。

「……何がやったの?」

「見てわからないのかい?」

 おどろきに目を見開いて、私は前足の指先でおのれの足元を指し示す。

 私の足と地面との間には、数センチほどではあるがすきが出来ていた。

「私は今、空を飛んでるんだよ!」

「今までだって散々飛んでたじゃないの」

 おさえきれない興奮とともに伝える私へのニナの反応は、それはれいたんなものだった。

「わかってないな……今までのは、ヒショウ。これはフユウなんだ」

「どうちがうの?」

 問われて、私は説明に困る。エルフ語には両者をちよくせつ区別する言い回しはないのだ。

「つまり……あー、今は翼を動かしてないし、同じ場所に止まってるだろ? 鳥みたいに空を飛ばずに、ただ池の中の木の葉みたいに浮いている」

「それの何がすごいの?」

 ニナのぼくな疑問に、私は今度こそ答えにきゆうした。

 凄いか凄くないかで言えば、全く凄くないからだ。

「魔法だよ、ニナ。これも、魔法なんだ」

 竜の身体からだがどれだけ重いのかわからないが、少なくともはっきりしていることが一つある。

 このきよたいを飛ばすのに、この翼の面積では絶対にようりよくが足りないということだ。

 私は竜としてはまだだいぶ幼いらしく、体高はニナより頭二つ高い程度。尻尾しつぽの先までふくめても三メートルといったところだろう。

 それにしたって鳥よりはるかに大きいというのに、母に至ってはさらに私の十倍以上は軽くあるのだ。常識的に考えて飛べるわけがない。

 出来るはずのないことが出来るなら、それはやはり魔法がかかわっているはずだ。

 私のその読みは見事に的中した。

「さっきは魔法を使えなかったって喜んでたじゃないの」

「炎はね。ほら、全然火をかなくなっただろ?」

 ふぅっ、としんちようにニナに息を吹きかける。

「……そうね……火は吹かなくなったみたいね……」

「ご、ごめんよ!」

 私の息でバサバサになったかみでつけながらワナワナとふるえるニナに、私は慌てて平謝りした。

「それで、その魔法とやらを、教えるんだって?」

「ああ」

「どうやって?」

 昨日聞かれた質問を再度投げかけられて、私ははたと気がついた。

 ────結局、問題は解決してない。

 私が意識的に魔法を使えるようになっただけだ。

「参ったな。そういえばそうだった」

 私がしようを浮かべると、ニナはじっと私の顔を見つめた。

「どうしたんだい?」

「変なの」

 ニナは私の視線に気づくと、ふいと視線をらす。

「あんた、参ったって言いながら、ちっとも困ってないみたい」

「え、いや、まさに今困っているけれど……」

うそだぁ」

 ニナは私にもう一度視線を向けると、私の口元を指差してニンマリとみを浮かべた。

「さっきからずっと、ニヤニヤうれしそうに笑ってるじゃないの」

 てきに思わず口にれると、確かにそのはしは笑みにゆがんでいる。

 そりゃあそうだ、と思った。

「困れるって事が嬉しいのさ」

 魔法が存在しない前世では、困ることすら出来なかった。

 困るということは、問題があるということだ。

 問題があるということは、こうさくの余地があるということだ。

 なんてらしいことなんだろう!

「変なの」

 そんな思いはニナには伝わらなかったけれど、私が喜んでいるということだけはびんかんに察して、彼女ははにかんでもう一度同じ言葉をり返した。

 かと思えば、とつぜん険しい表情をしてぐるりと後ろをり向く。

「……なにか来る」

 これも魔法の一種なのか、ニナの五感は森のやぶの中で動かずかくれているうさぎを見つけ出すほどえいびんだ。

 竜の感覚も人間に比べるとかなりするどいようなのだが、私が気づいたのは彼らがほとんど目前に来てからだった。

「君たちは……」

 それは、数日前私がコンタクトを取ろうとした人間たちだった。

 やりを真っ先に投げてきた男性が二人、空から降り立った時目の前にいた女の子が一人。前世では人の顔を覚えるのが大の苦手だった私だが、流石さすがは竜のおく力。

 いつしゆん見ただけの彼らの顔もバッチリ覚えていた。

 男たちはどちらも三、四十歳程度だろうか。がっしりとした体格だが、背はあまり高くない。ニナより少しばかり大きいくらいだから、百六十センチあるかどうかくらいだろうか?

 槍を手にし毛皮をその身にまとった姿はいかにも戦士と言ったふんだったが、こちらをこうげきしてくるようなりはなかった。一応ニナを背後にかばいつつ彼らの行動を注視していると、少女を残して男たちが突然その場にひざまずく。

さしあげる

 短い、だが明確に何らかの意図を持った言葉。

 それと少女を残して、男たちは立ち上がるときびすを返して足早に立ち去ってしまった。

「えーと……」

 残された少女は震えながら、私を見上げていた。

 ニナよりもさらに小さな、幼い女の子。十歳になるかどうかと言ったところだった。

 黒い髪に黄色いはだりの浅い顔立ちは見慣れた日本人をほう彿ふつとさせる。

 った衣服もない時代だが、髪は花でいろどられ、トルコ石のような緑色の石をけずって作られたネックレスを首から下げている。明らかにかざり立てられていた。

「これって、多分、あれだよなあ……」

「贄ね」

 私の考えていた通りの答えを、ニナはあっさりと口にした。

「この子って返しちゃなのかな」

「あんたのいかりをしずめられなかったって殺されちゃうんじゃない?」

おこってなんてないんだけどなあ……」

 あの時は初めて見る人間に興奮して冷静じゃなかったが、よく考えてみれば突然空から降り立って火を口からほとばしらせながら大声でえていたのだ。

 そう思われても仕方ないかもしれない。

だいじようだよ。食べたりはしないから」

 とりあえずおびえきっている少女に、安心させるようにゆっくりと語りかける。

「君の名前は……」

 あるわけ、ないか。言語でのコミュニケーションすら未発達なんだ。

「そうだな。アイ。君の名前は、今日からアイだ」

 これだけ短く発音しやすい名前なら、この子も習得は楽だろう。

「ア、イ」

 まどうように目をぱちぱちとまたたかせているアイに何度か名を呼んでやると、彼女は辿たどたどしくではあるが私の言葉を真似まねする。

「よろしく、アイ。もし良ければなんだけど──」

 私とニナの能力なら、彼女一人くらい増えても生活に問題はないだろう。

 それよりも、この出会いはむしろぎようこうであるのかもしれない。

「私の最初の生徒になってくれないかな?」

 そう、思った。




竜歴11年



  第6話 初めての生徒 / Apprentice Wizard

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、
人類にとってはだいやくである。
──ニール・アームストロング


「おかえり、なさい。せんせい」

 私が森の入り口に降り立つと、アイは喜色を顔いっぱいににじませてけ寄ってきた。

「ただいま。駄目じゃないか、森の中にいないと」

「あんたをむかえるって聞かないのよ。一応ギリギリ森の中だから大丈夫」

 アイの後ろからニナが姿を現し、あきれたようにめ息をつく。

 この世界は危険な動物でいっぱいだ。

 よろいぐまほどのもうじゆうはそうそういないとはいえ、森の中にも草原にもアイくらいならひとみにしてしまえそうなけものたくさんいる。

 森の中ならニナの力で危険をけることができるけど、こんなに森と草原の境に近い場所だと心配になってしまう。しまうのだが──

「だめ、でしたか……? せんせい」

「いや、駄目じゃないよ。出迎えてくれてありがとう」

 アイのしゅんとしょげた表情を見ると、ついつい強くは言えずに許してしまう。

 すると、アイはにぱっとみをかべて、私の鼻先にきついた。

「『オヤバカ』っていうんだっけ、こういうの?」

 ニナが鼻を鳴らして、からかうように言う。

 一度ぽろりとらしただけなのに、よく覚えてるもんだ。

 彼女がしやべっているのも、アイに教え込んだのも、エルフ語ではなく日本語だ。

 言葉を持たないアイに言語を教える時、どちらにするか少しなやんだ。

 日本語にする場合は、ニナにも覚えてもらわなければならないからだ。

 だがそのデメリットをおしてなお、私は日本語を教える事にした。

 エルフ語と日本語では、の数がだんちがいだからだ。

 エルフ語はぼくで表現のはばがものすごくせまい。

 例えば「言葉」を意味する言葉がない。ほかの言語が存在しないからだ。

ほう」も「学校」も、それどころか「エルフ」や「人間」すらない。

 こんな状態では学校どころではない。

 今まではエルフ語にない言葉は日本語で代用してきたが、それならいっそ日本語自体を学んで貰った方が手っ取り早い。

 そんなわけで二人に日本語を教え込み、多少片言ながらも最近ようやく日常会話には困らないようになってきた。私がエルフ語を覚えた時のように数日でとはいかなかったが、教え始めて数ヶ月。二人ともきよう的な学習スピードだ。

「ニナさん。せんせいは、ばかじゃないです」

 ほおふくらませて怒ってみせるアイ。

 あのきようふるえていた少女が、わずか数ヶ月でよくここまでなついてくれたものだと思う。

「いや結構アレよ、コイツ」

 一方、ニナは相変わらずだ。

 これはこれで懐いてくれているような気もするが。

「アレって、どういういみですか」

「はいはい、けんしない。昼飯にしよう」

 言いながら、私は前足にかかえた魚籠びくを軽く持ち上げた。

 意外と器用なりゆうの前足だが、流石さすがに魚籠を編めるほどではない。

 これはニナが作ってくれたものだった。

「じゃあ、家にもどるよ」

 そう。森のこずえを屋根にして暮らしていた時代はすでに終わった。

 私たちにはまつながらも、家が出来たのだ。

 森の入り口からほど近く。まばらな木々に囲まれるようにして、それはあった。

 木で組まれた、簡素だがじような家だ。私が入ってもこわれてしまうことはない。

 まあ竜の成長というのは母を見ている限り際限なく続くようだからいずれは入れなくなるだろうが、少なくとも馬より一回り大きいくらいの今の私であれば、動くのに不自由しない程度の大きさだ。

 しかもそれだけではない。すべて木製とはいえ、家具もある。

 ニナは手慣れた様子できのつぼやらを取り出し、アイも皿をテーブルの上に並べていく。

 なんと文化的な光景であろうか。

 鹿しかを丸焼きにしててんで食べていたころからは考えられない進歩だ。

「はい、焼いて」

「ああ」

 枝にされた魚に、軽くほのおきかける。最初の頃は何度も炭のかたまりを作ったり、せっかく作った家を燃やしてしまいそうになったが、もう手慣れたものだ。

 あっという間にじゅわっと焼き上がり、こうばしいにおいが家の中にただよう。

 そこに、ニナが壺から取り出した塩をふりかけた。

「じゃあ」

「では」

「はい」

 頂きます、と声が三つそろう。

 指先でくしつまみ上げて舌先に乗せ、こそぎ取るようにしていち丸ごと口の中に入れる。みしめればほどよく乗ったあぶらがじゅわりとみ、そこに塩がからんで何とも言いがたいうまが口内いつぱいに広がった。

「旨いっ!」

「ちょっと気をつけてよ!」

「おっと、失礼」

 思わず漏れた炎の欠片かけらに、ニナがる。

 炎のせいぎよはほぼ出来るようになったのだが、感情がたかぶったりすると漏れることがある。

「ニナが塩をかけてくれた魚は、火が出るほど旨いってことだな」

「適当なこと言って、もう」

 ぷくりと頰を膨らませるニナ。

 そんな私たちのやり取りを見て、アイはクスクスと笑った。

「ところでアイ、暮らしに不便はない?」

「フベン……ですか?」

 おっと、まだこの言葉は教えてなかったか。

「困ったことや、つらいことはないかなって」

 まだこんなに小さいのに、親元からはなされて暮らしているのだ。

 辛いことの一つや二つ、ないわけがない。

「いいえ。ないです」

 だがアイはけなにふるふると首を横にった。

「わたし、せんせい、あの……」

 辿たどたどしく言葉をつづるが、自分の言いたいことを伝えるほどの語彙がまだないのだろう。「あの、あの」と彼女はり返す。

「わかった。何か辛いことがあったら、そう言ってね」

「はい!」

 元気にうなずくアイはとても良い子だ。

 だが、だからこそもっと気をつけてあげないといけないのかもしれない、と私は思った。

「そういえば、魔法の調子はどうだい?」

 食事を終え、デザートにニナが取ってきてくれたくだものを口に入れながらたずねる。

 リンゴに似た丸い果実を皮もかずにしゃくりと頰張れば、あまっぱいみつが口いっぱいにあふれ出た。見た目はリンゴのようだが食感はむしろミカンに近い。

 私はこれを、ミズリンと呼んでいる。

「ごめんなさい……まだ、できない、です」

「いや、気にむことはないよ」

 しゅんとしょげてしまうアイを、あわててフォローする。

 そもそも私だって、火を吹く事とちょっと浮く事以外は全然できていない。

 生活自体はじゆんぷうまんぱんではあったが、魔法の研究の方は全く進んでいなかった。

「っていうか火を吹くのも空を飛ぶのも、あんたしか出来ないんじゃないの」

 ニナのてきに、私はうっと言葉にまる。

 確かに、その可能性も考えないではなかった。

 だとすればアイには色々ためしてもらっているが、全くの徒労ということになる。

「だいじょうぶです、がんばります」

 アイは健気にそう言った。

 有りがたい一方で、少しばかり心苦しさもある。

 だがしかし、私がこの世界の人間に出来ることは、魔法を伝えることしかないのだ。

 私の生きていた時代の科学は高度に分業化されていて、そのぜんぼうを知っているものは殆どいない。ましてや、材料もインフラもないところから再現できる人間など一人もいないだろう。

 木を組んで小屋を作るくらいなら何とかなっても、私には鉄をかすの作り方もわからなければ、石油の精製方法も、電子回路の設計方法も、量子コンピュータの作り方もわからない。

 だが、魔法なら。

 魔法なら、世界のだれよりもわかっているつもりだ。

 二十世紀のSF作家の言葉に、「高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」という物がある。

 これが真であるとすれば、魔法もまた高度に発達した科学技術と見分けがつかないはずだ。

 事実として、竜のきよたいをふわりとかせる魔法は近年開発されたばかりの反重力技術と区別できない。

 ほうでなら、私でも文明を発達させることが出来るはずなのだ。

「こっちの方がまだ出来るんじゃないの。アイは私と見た目も似てるしさ」

 ニナのかかげた指に、窓から入り込んできたつたがするりと巻き付く。

「どうだろうなあ……植物操作よりは、火を出す方が楽な気がするけど」

 それに、ニナは魔法を使う感覚をほとんど説明できないというのも問題だ。

「ショクブツってなに?」

 しかし二人は別のところで引っかったようで、揃って首をかしげた。

「木とか、草とか、花のことだよ」

 そう答えると、二人はますます首をひねる。

「どういうこと? なんで別のものを同じ名前で呼ぶの?」

 そんなニナの問いに、私の方がめんらった。そうか。そうしようと言うがいねんが、まだないのか。

「そうすると、便利だからだよ。同じ性質を持つものや、似たもの全部に名前をつけると。例えば、私やニナやアイみたいに自分で考えて動けるのは生き物だ。鹿や魚も生き物。石や水は、生き物じゃない。物質だ」

 ふむふむ、とニナは頷く。

 アイの方はしんけんな顔つきで、なんとか私の話をしやくしようとしているようだ。

「じゃあ、私が動かせるのは植物じゃないよ。『冬の葉を落とした木』や『切り落とされた枝』は動かせないもの」

 ニナが並べ立てたのは、エルフ語での木の名前だった。

 エルフ語には植物に関する言い回しが無数にあって、それぞれ細かなニュアンスのちがいを持つ。

 日本語に雨の名前がたくさんあるようなものだ。

「そうか。じゃあ、動かせるのは生きた木だけなんだな」

「いきた? きも、いきてる、ですか?」

「あったりまえじゃない」

 アイのぼくな問いにニナが鼻を鳴らし、私は頷く。

「木も……植物も、生き物の一種なんだよ。冬の葉を落とした木は死んでるわけじゃなくて……てるようなものか」

「いきもの……しょくぶつ」

 私の言葉をしっかりと嚙みしめるように、アイは言葉を繰り返す。

「しかしそうなると、地面に生えたりしてる草も動かせなかったりするのかい?」

「そりゃあそうよ。あれ、骨がないじゃない」

 水林檎をかじりながら、当たり前のようにニナ。

 骨……まあ、言わんとすることは何となくわかるが。

「木にも骨は無いと思うんだけどなあ」

「じゃあ、あの燃やしたら残るのは何?」

「炭だよ、それは」

「あの、せんせい」

 そんな、やくたいもない話をしている時の事だった。

「これ……で、いいんでしょうか」

 アイの手のひらの中で、木の枝の葉っぱがぴょこぴょこと動いていたのは。



  第7話 原初の魔法 / True Names

神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。
──旧約聖書、創世記第1章3節


「一体、どうやったんだ!?」

「わ、わかりません」

 思わず身を乗り出すように首をき出すと、アイはおびえたようにかたすくませて私を見つめる。

「ほら、落ち着きなさいよ」

 ニナにぐいと角を引っ張られ、私はわれに返った。

「すまない。おどろかせちゃったか」

「いえ……」

 相当驚いたのか、アイは心臓を押さえるように胸に手を当てる。

 だいぶ慣れてくれたとはいえ、いかにもおそろしげなりゆうの姿だ。

 とつぜん近づかれればそうもなるだろう。

 自分には自分の姿が見えないせいでついつい忘れてしまうが、気をつけなければ。

「落ち着いて、順番にかくにんしていこう。まず、それを止めることは出来るかい?」

「はい」

 アイの頷きとともに、ぴょこぴょこと動いていた木の葉は動きを止めた。

「もう一度動かすことは?」

「えっと……こう、で、いいですか?」

らしい……!」

 再び動き出す木の葉を見て、私は思わずかんたんの息をらす。

「だから! 火! 漏れてるってば!」

「おっと、すまない」

「もう! せっかく作った家を燃やす気!?」

「いやまったく、申し訳ない」

 こしに手を当ててプリプリとおこるニナに、私は平謝りした。

「だがニナ、これは魔法史における大きな進歩なんだよ。興奮するのも無理はないというものだ」

「何よ、そのくらい私にだって出来るじゃないの」

 ニナが手をかざせば、バサバサと音を立てながら窓から木々の枝が入り込んできた。

「アイ、君は同じことができるか?」

「やって、みます」

 ぎゅっとまゆの辺りに力を入れて、アイは何やら念じるかのような仕草を見せる。すると、ニナが室内に引き込んだ枝がぎこちなくだがゆっくりと動き始めた。

 やはり、慣れているニナと初めて動かしたアイとでは、精度は段違いのようだ。

「今、どうやっているのか、説明できるかい?」

 私が尋ねると、やはりアイは困った顔をした。

「えっと……こう……」

 何かを示すかのように彼女は手を動かした後、がっくりと肩を落とす。

「うまく、いえません……」

「いや、気に病まないでくれ。上手うまく説明できないのは私も同じなのだから」

 魔法の感覚というのはうでの動かし方を教えろと言われるようなもので、言葉で説明するのがきわめて難しいというのはおのれの身でよく思い知っていることだ。

 しかしアイが使った魔法には、私やニナのものと決定的に違う点がある。それは、生来のものではない、ということだ。

 たとえ今は使い方がわからないとしても、使うことが出来るという事実だけでそれは非常にだいな一歩と言えるのだ。

「じゃあアイ。こちらの方はどうだい?」

 私は指先をピンと立てて、細心の注意をもってほのおを出した。

 口からではなく、指先からだ。

「えっ、何、あんたそんなこと出来るようになったの?」

「つい最近だよ」

 炎を生み出すのが私の魔法であるならば、それは何ものどの奥からである必要はないのではないか。ふと、私はそんなことを思ったのだ。

 もちろんこれが魔法などではなく、身体からだの中にガスのまったふくろでも備えていて、必要に応じて着火していているだけならそんなことが出来ようはずもない。

 だがしかし、この世界の魔法は本当に魔法そのものなのだ。私が元いた世界のねんしよう反応とは似て非なるもの。であるならば、口から以外でも炎を出せるのではないか。

 そう思ってためしてみれば、口からくよりかなり小さいものの、指先からでも炎を出すことが出来たのだ。

「ん~……」

 アイは再び眉に力を込めて、ピンと立てた指先をじっと見つめる。

 私とニナはかたんでそれを見守るが、体感で一分がち、五分が過ぎ、十分に至っても、炎はおろか火花すら現れることはなかった。

「ごめんなさい……」

「いやいや、気にすることはないさ。火と木では全く別のものだし、そうそう都合よくいくものでもないだろう」

 しゅんと肩を落とすアイを、なるべくやさしい口調でなぐさめる。

 本当なら肩の一つもたたいてあげたいところだが、かぎづめのついた手ではまた彼女をこわがらせてしまうかもしれない。竜の身体というのもなんなものだ。

「ねえ、それって、どっちなの?」

 出しけに、ニナはそんなことを聞いた。

「どっちって、何がだい?」

 彼女の目は、じっと私の手元を見ている。

「それ。火よ。やっぱりあんたの一部だから、生き物なの? それとも、物質?」

「ああ。これは……エネルギー、というんだ」

 さて、どう説明したものか。考えをめぐらせながら、私はひとまずあまりひねらずに伝えてみた。

「えねるぎい……」

「えね、るぎー……」

 やはり外来語だからか、不思議そうに二人は言葉を復唱する。

 力、だとか仕事、だとか、あるいは理力だとか、日本語に統一しようかとも思ったが、おそかれ早かれとんするだろうとすぐにあきらめたのだ。文字を教える段になればまた頭をなやませることになるかもしれないが、そういうものだとりようかいしてもらうほかない。

「エネルギーというのは、生き物でも物質でもない……形のない、ものに働く力の事だ。例えば……」

 私は両手をニナのわきに差し入れて、爪を引っけないように細心の注意をもってき上げる。

「こうして、ニナを持ち上げているのは、私の力だし……こうして手をはなすと落ちるのは、地面が常に私たちを下に引っ張る力が働いているからだ」

「私を勝手に説明に使わないでよ……別に良いけどさ」

 まるでねこのように音もなくゆかに着地して、ニナはほおふくらませた。エルフは樹上で暮らしているせいか、それともこれもほうの一種なのか、驚くほど高いところからでも平気で飛び降りることが出来る。高いところ自体も好きらしく、勝手に教材にしても口ぶりほど怒った様子はなかった。

「ちから……えねるぎぃ」

「炎の場合は、光と熱だ。まぶしくて、温かいだろう? それは両方ともエネルギーの一種で、合わさって炎と言うんだ」

 説明しつつ、私は心地ごこちの悪さを感じる。説明になっているようでなっていない私の講義を、アイがあまりに熱心に聞いてくれるからだ。私の専門は元の世界でのオカルトであって、科学は教養程度にしか知らない。これ以上突っ込まれると、説明しきれない自信があった。

「えねるぎぃ……」

 だが幸いにもアイはそれ以上追求することなくそっと目をつぶり、口の中で何事かつぶやく。

「アイ? どうし……」

 アイの様子にしんいだき、顔をのぞき込もうとした、そのしゆんかん

「うわっ!」

「ぎゃー!」

 彼女の手のひらから立ち上った炎に、私とニナは同時に悲鳴を上げた。

 四メートルくらいはあるだろうか。二人に比べてかなり身体の大きい私がゆったりと暮らせるくらいのサイズに作られた家。そのてんじようにまで届くほどの、細長くきよだいな炎だった。

「ちょっ、アイ! 消して! 早く!」

「えっ、わ、ど、どう、どうしたらっ」

「ええと、これでどうだっ!」

 ばくり。

 三人とも混乱の極みの中、私はしようどう的にアイが出した炎をみ込んでいた。

 私の身体は熱にめつぽう強いし、少なくとも口に入れてしまえば延焼することはないという判断のもとだったが。

「だ……だいじようなの?」

 恐る恐るといった感じで、ニナがたずねる。

 幸い、アイが放った炎は私が吞み込むことで無事消えたらしい。

「大丈夫……というか」

 これは、どういうことだ?

「どこか痛いの? それとも、苦しいの?」

 私はよほど変な顔をしていたのだろう。ニナが泣きそうな顔で、私の顔を覗き込んでいた。見ればアイも顔を真っ青にしてふるえている。

「いや、大丈夫だよ。何の問題もないから、二人とも安心してくれ」

 思わず二人のかたに指先を乗せると、二人は安心してくれたのかほっと息を吐き出す。

「アイ、もう一回、炎を出してみてくれないか?」

「え、でも……」

「大丈夫だよ。問題がありそうならまた私が食べてしまえばいいだけだから」

 ことさら軽い口調で言えば、アイはなつとくしてくれたのかうなずいてくれる。

 そして先ほどと同じように目を瞑ると、手のひらの上に炎をかべてみせた。

 今度は彼女なりに注意したのだろうか、先ほどよりもずいぶん可愛かわいい火の玉だ。

「……やっぱり、そうか」

 その炎を見て、私は確信する。

「ニナ、これさわってみてよ」

「何言ってるの!?」

「大丈夫だよ。大して熱くないから」

 私は手のひらをアイの炎の中にかざしてみせる。

「それはあんたがえんりゆうだからでしょ!」

「え、と……ほんとに、あつくない、です」

 辿たどたどしく言うアイ。彼女は手のひらの上に炎を乗せているのだから、彼女が熱がらない時点で気づくべきだったのだ。

「ほら……木の葉だって焼けない」

 木の枝をって炎の中に入れて見せれば、炎は木の葉に燃え移ることもなくらめくだけだ。

「……本当だ。熱くない……わけじゃないけど、ぬるい」

 ニナはおそる恐る炎に手をっ込むと、不思議そうに言った。

 竜の身体は炎で燃えることはないが、熱を感じないというわけではない。むしろ慣れてしまえば人間よりもはるかに正確に温度を知ることが出来る。

 アイが作りだした炎は、私の感覚で言うとひどく冷たかった。ぬるま湯程度の温度だ。

「なるほど、だんだんわかってきたぞ……」

 さっきアイに炎が何かを説明した時、私は重要なことを伝えなかった。

 それは科学的な酸化作用……つまり、燃焼反応の事だ。

 説明しなかった理由は単純に私に説明しきれるほどの科学知識がなかったからだが、結果としてアイが生み出した炎は酸化作用を持たないただの熱と光のかたまり……要するに「炎に見えるだけのもの」になった。

 つまり、魔法で生み出されるものは、魔法を使うものがどうにんしきしているかに大きく左右されるということだ。

 そして、認識するとはつまりどういうことか。

「二人とも、あの木を動かすことは出来る?」

 窓に入り込んできているのとは別の木を指して、私は二人にたのむ。

 アイとニナは首をかしげつつも木の方へ手を向け────

 そして、ニナが手を向けた木の枝だけが動いてきたのを見て、私は確信を得た。

「アイ、教えてあげよう」

 言いつつ、私はなんと言おうか考える。こればかりは日本語での言い方がないからだ。幸運にもエルフ語にならあるから、それでいいか。

「この木の名前は、ファギと言うんだ」

「ファギ」

 アイが言葉をり返したたん、彼女が手を向けた木の枝がざわざわと揺れる。

 それは彼女の世界が今ほんのわずか、広がったしようだ。

 ────そう。

 この世界の魔法は、名前でできていた。



  第8話 才能 / Talent

練習はすべての指導者の中で一番優れている。
──プブリリウス・シュルス


「この、ものを下に向かって押さえつけている力のことを、重力と呼ぶ」

「じゅうりょく」

 私の言葉を復唱しながら、アイは文字を書いていく。

 青空の下、森を出た所に机代わりの切り株を置いて、なるべく平らになるように割った木の板に炭にした枝で字を書く。

 きわめて原始的ではあるものの、学校としての形がそこにはあった。

 アイの方もまだひらがなだけとはいえ、文字を大分マスターしてきた。

 文字を教えるか、魔法を研究するか。どちらを優先するかを考えた結果、私は同時に進めることにした。彼女が学んだことを覚えるためにも、やはり文字というがいねんは必要だと思ったからだ。

 しかし、それは意外な方向にも作用した。

「よし、じゃあその重力を消してみてくれ。そうすれば、私のように宙に浮けるはずだ」

「はいっ」

 力強く返事をして、アイは先ほど書いた木の板をじっと見つめる。

「じゅうりょくを、けす。じゅうりょくを、けす。じゅうりょくを……けす……!」

 そうして何度か呟けば、彼女の身体からだとつぜん、ふわりと浮いた。

「うけました!」

 ほんの僅かだが、確かに彼女の身体は重力のくびきから解放されて宙に浮いている。私は広げたつばさを、ほっと息をつきつつたたみ直した。

「なんで、つばさをひろげたんですか?」

「念のためにね」

 重力を完全に消してしまった場合、そのままこの星の公転速度で空に飛んでいってしまうのではないか、としたのだ。もちろん、そんな事にはならなかったが。

 この世界も地球と同じ、宇宙を回るわくせいだということはすでにわかっている。空から見た地平線は丸いし、星や月や太陽のどうも円をえがいているからだ。

 ちなみにニナにそのことを教えたら、案外あっさりと受け入れた。

 球体なのに下側にいる人間も落っこちないという事についても、「別にどんな方向から生えてても根がくっついてればそんなもんでしょ」との事だった。

 彼女の理解力が高いのか、それとも前提となる知識が少なすぎてへんけんがないだけなのかはわからないが。

「よしよし、順調だね」

「はい。せんせいがおしえてくれた、もじのおかげです!」

 この上なくうれしそうに笑いながら、アイは木の板をぎゅっときしめた。

 ほうにとって名前というのはとても重要らしい。名前をつけていないものはどんなにがんっても魔法で動かしたりすることは出来ない。名前の数だけ世界は広がり、出来ることが増える。そして、文字にはそれを補強する力があるようだった。

 実際に文字というものに力があるのか、それとも精神的にやりやすくなるのかはよくわからないが、とにかく文字で概念を認識させるとアイの魔法は格段に成功率を増す。

 当初は名前を教えてもなかなか効果を発揮できない魔法もあったが、文字を覚えてからは少なくとも全く発動しないということはまずなくなった。

「二人とも、ご飯できたよー」

 アイと二人で魔法の成功を喜びあっていると、空からニナの声が降ってきた。

 見上げれば上空をう小さな姿が手をっていて、アイのがおはあっという間にくもってしまう。

 ようやくほんの少し浮けたかと思えば、ニナは既にゆうではなくしようを自由自在にあやつっているのだ。無理もない。

 魔法にも、やはり才能というか、個人差のようなものは存在しているらしい。

 三人とも生まれも育ちも全くの異質なので単純に比べる訳にはいかないが、私たちの中で魔法をもっとも上手うまく操るのはニナだった。

 異常にかんがいいというか、一を聞いて十を知るというか、ほんの少し取っかりをあたえただけで彼女の魔法はみるみる上達していった。日本語という知識を持つ私より上手いのだから、元々エルフ語で多くの概念を知っているというだけでは説明がつかない。

「ニナさん、まほう、じょうずです……」

「ああ、本当に」

 私は深くうなずいて、心の底から言った。

「アイが生徒になってくれてよかったよ」

「えっ」

 アイがこちらを見上げておどろきの表情を浮かべるのを見て、私は微笑ほほえんで見せる。

「ニナは一足飛びに進み過ぎるんだ。その上、どうして自分が出来るのか説明するのがものすご下手へただから、研究の役にはまるで立たない。本当に、アイがいてくれてよかったよ」

 元の世界でも得てしてそういうものだったが、天才というのは出来ない者の気持ちを理解できない。ニナはすぐれたパートナーではあるけれど、生徒役には全く向いていないのだった。

 その点、アイは生徒としては最上と言える。

 ひたむきで、努力家で、にんたいづよく、だ。

 一歩一歩しっかりとみしめるようにして進んでいくその心根は、ニナの才能よりもよほどがたいもののように思える。

たよりない先生だとは思うけど、これからもよろしくね、アイ」

「はいっ!」

 かがやかんばかりの笑顔で、アイは頷いてくれた。

「あっ、いまのは、せんせいがたよりないっていみじゃなくて……!」

「わかってる、わかってる、だいじようだよ」

 その後おおあわてで弁解する彼女をなだめるのには、少しばかり苦労が必要だったけれど。


    * * *


「そろそろ、ころいだと思うんだ」

 しよくたくを囲みながらそう切り出した私に、アイとニナは不思議そうに首を傾げる。

「アイのいた村に、もう一度行ってみようと思う」

 カランと音を立てて、アイの持っていた木さじゆかに転がった。

「いやです!」

「えっ?」

 もうれつな勢いで立ち上がりこうするアイに、私は目を白黒させた。

いやって、どうして?」

「わたし、ここを、はなれたくないです」

 彼女はぎゅっと私のうでにしがみつく。

「そうは言っても……」

「よろしく、って!」

 私の言葉をさえぎるようにして、アイはさけんだ。

 物静かな彼女がここまで声を張り上げるのは初めてで、私は自分の半分ほどしかない小さな少女にされてしまう。

「これからも、よろしくって! そう、いったのに!」

 ん?

「わたしは、ずっとせんせいと──……」

「ちょっと待ってくれ。何か誤解してないか?」

 私はアイのかたをぐいと押して、彼女の顔をのぞき込む。

「私は君とはなれるつもりなんてないぞ」

「え?」

 なみだをぽろぽろと流すひとみを、アイはパチパチとまたたかせた。

「魔法の研究は私たち三人だけで出来るようなものじゃないし、そもそも人の生活を豊かにするためという目標があるんだ。その成果を共有し、次代へと受けいでいく必要がある」

「じだい……?」

 ああ、まだ教えてない言葉だったか。

「子供や、そのさらに子供たちにも伝えていかなきゃいけないってことだよ」

 私がそう言うと、ようやくかんちがいに気づいたのかアイの顔はたんに真っ赤に染まり上がった。

「だからそのためには、まずアイの家族や村人たちと交流を持たなければいけないんだ」

「そ……そうですね!」

 どうやらなつとくしてくれたらしく、力強く頷くアイに私はほっと胸をで下ろす。

「ニナ、君もそれで……どうしたんだ?」

 となりを見ると、何故かニナは額を手で押さえながら、天をあおいでいた。



  第9話 おくり物 / Dragon Offering

定番ものは、だいたい嫌がられるんだ。
だって同じものばかりらないだろう?


「……準備出来たよー」

 ほのおを浴びてホカホカと湯気を立てる泉の水を尻尾しつぽき混ぜながら、私はていねんにじませた声を上げる。

「待ってました!」

「おじゃま、します」

 すると背中の後ろから、じゃぽんと勢い良く水の音。それに続いて、ひかえめな水音が聞こえてきた。ニナとアイが、それぞれ泉に入ってきた音だ。この時ばかりはえいびんりゆうの耳がうとましい。

「あー、気持ちいい……温度バッチリね」

「ほっとします……」

 くつろぐ少女たちとは裏腹に、私はどうにも落ち着かない気分だ。何せ、後ろでは二人とも一糸まとわぬ姿で湯にかっているのだから。

「ねー、なんで毎回後ろ向くの? こっち向きなさいよ」

「いや、それはちょっと」

「わたしのかお、みたくないですか……?」

「いや、そういう訳じゃないんだけどね」

 だんは何かと私の味方をしてくれるアイの方までそんな事を言い出すので、いつもこの時間は私にとって苦難の時だった。

「どうしてこっち見ないのか、ちゃんと説明しなさいよ!」

 ニナがぐいっと私の長い首に腕をかけて引っ張る。

 だが私には、上手い説明なんて全く出来る気がしなかった。

 そもそも彼女たちにははだかを見られてずかしいというがいねんがないのだ。

 おそらくそういう感覚というものは人間が生来持っているものではなく、どちらかと言うと文化的なものなのだろう。親から裸は恥ずかしいものだとしつけられるからそう感じるようになるのだ。

「だから、その……君たちは今、服を着ていないだろう?」

「あんたがげって言ったんじゃないの」

「それは、そうなんだけどね」

 私がしどろもどろになっていると、アイがはっと息をむ音が聞こえた。

「わたしに……うろこが、ないから……?」

「違う違う違う。そんな問題じゃないよ」

 絶望を滲ませた声に、私はぶんぶんと首をった。

「一応私は男で、君たちは女なんだ。男が女の裸を見るというのは、その……あまり、良くないことでね」

「何よそれ。女が男の裸を見るのはいいの?」

「それも、あまり良くはないかな……」

「でも、あんたいつも裸じゃない」

「!!」

 しようげきだった。

 言われてみれば、確かにその通りだ。竜の姿だから気にしたことはなかったが、私は服なんてものを着たことはない。

 常にぜんだ。

「いや、いや、いや、違う。待ってくれ。ほら、私は……竜だから、服なんて必要なくてだね」

「だったら別に、男だの女だの関係ないじゃない」

 ニナが直球で正論を投げてきた。

 確かにそうだ。私が自分は竜だから裸でいるのに、彼女たちにははださらすなというのは筋が通らない。ダブルスタンダードというやつだ。

「……わかったよ。私の負けだ」

 しぶしぶと、私は後ろを振り向いた。泉の水はどこまでもんでいて、二人の少女の身体からだつきはまるでかくれていない。その上、腕で隠すようなりもないので、上から下まで丸見えだった。

「あの、せんせい……だいじょうぶですか? わたし、きもちわるくないですか?」

「いや、断じてそんなことはないよ」

 不安げに問うてくるアイに、私は首を振る。

「でも……じゃあなんでこっちをみてくれないんですか?」

 思った以上に君の身体が発育しているからだよ!

 などとは、言えなかった。

 しよせん二人とも十代前半。まだまだ子供だ。気恥ずかしさはあるけれど、変な目で見てしまうようなことはないだろう。そんな考えをアイは正面からぶち破ってくれた。

「……そうか、もう一年にもなるんだっけ」

「いちねん、ですか」

「そう。アイが私の所に来た時も、だいたいこんな暖かさだっただろ?」

 この世界というか、この星の一年は大体四百日くらいで、地球より少し長い。アイに出会ってから今日で確か三百八十四日になるので、ほぼ一年がった。その一年で、彼女の姿はずいぶん様変わりした。

「そういえば、いつの間にか私より大きくなってるもんね、アイ」

 そう。

 私もニナも体格はほとんど変わってないが、アイだけは急速に成長していた。

 恐らく栄養が足りてなかったのだろう。十歳前後にしか見えなかったたけはぐんぐんとびてニナを追いし、ガリガリにせていた身体つきはどんどん丸みを帯びて女性らしくなっていった。今の彼女は十五、六歳くらいに見えるし……そのむなもとは、何というか、かなりの存在感を放つに至っていた。

 ちょっと直視するのが難しいくらいに。

「おおきくなったから、せんせいはわたしをみてくれないんですか?」

 思いなやむようにうつむくアイの発言に、私はあやうく炎をき出しそうになった。

 それは非常に危険な発言だ。

「違うよ。ただ、その……」

 私は前世で殆ど女性と交際した経験がないことをいた。こういう時どうにも、うまい言葉が出ないのだ。

「アイがすごれいになったから、恥ずかしくて見られないだけだよ」

 とにかくわけもわからず思うままをなおすると、アイも照れたのか顔を赤くして押しだまる。

「ねえ」

 ぐいぐいと尻尾を引かれる感覚に、私はニナへと顔を向ける。

「私は?」

 その点、ニナを見るのはかくてき気が楽だ。確かに目が覚めるほどの美少女ではあるが、それがかえって肉体の生々しさを感じさせない。ある種の芸術品のようなものだ。ねむる時裸になるくせがあるので、見慣れてしまっているということもある。

 胸も実にささやかなふくらみがあるだけで、アイのようにきようれつな視線ゆうどう力を持っていないので助かる。しんとしてぎようするのは有りえないことだが、しかしそこにりよくを感じる程度の感性は私のようなぼくねんじんにだってしっかりと備わっているのだ。

「ニナは、ずっとそのままの君でいて欲しい」

「……なんかよくわからないけど鹿にされてる気がする!」

 ニナがさわいでくれるおかげで変な空気にもならず、私は久々に彼女の存在に感謝したのだった。


    * * *


「じゃあアイ。準備はいい?」

「……はい」

 きんちようしているのだろう。頭の上からかたこわいろが降ってきた。

だいじようだよ」

 私はばさりとつばさを広げ、彼女の身体をおおい隠す。

「何があっても私が守るから」

「は、はい……」

 余計に緊張させてしまっただろうか。返ってきた答えはさらにこわばったものだった。

 まあ無理もない。一年ぶりの帰郷だ。おまけにすっかり言葉に慣れてしまった彼女にとって、家族はいつさい言葉の通じない者たちだ。正直私だって少しこわい。

 だが、私には秘策があった。

 我が故郷、日本のほこる伝統文化。

 季節ごとの付け届け、お中元におせいだ。

 夏と冬……ついでに春と秋にも、私はアイの家族に鹿しかの肉やら、木の実やらをわたしてきた。最近ではさほどおそれられることもなくなり、良好な関係を築けているという自負がある。

 そして、アイだ。

 でピカピカにみがきをかけ、かみの毛をいてニナにわえてもらい、服も体型に合わせて仕立てたものを葉っぱや花でかざり立てた。にえとして連れてこられた時もそんな風にされてはいたが、栄養状態が改善し成長した彼女は本当に愛らしい。

 ボサボサだった髪はつややかに光り、ガリガリだった身体つきはふっくらと女性らしい丸みを帯び、血色の良い肌はがおを何倍も可愛かわいらしく見せる。

 この姿を見ればちがいなく、言葉がわからずとも彼女が大切にされていることは伝わるはずだ。気恥ずかしい思いをしてまで彼女を風呂に入れただけのはあった。

 更にあつかんあたえないよう、私はあえて空を飛ばずにゆっくりと歩いてどうくつへと向かう。これだけてつていすれば、友好的だという意思は伝わるはずだ。

「そういえば、彼らにも一応言葉があるんだよね」

「はい。ことばというか、あいずみたいなものですけど」

「じゃあ、ほんやく……えーと。彼らが何か言ったら、なんと言ってるのか、教えてほしい」

「わかりました、まかせてください!」

 たのもしい言葉とともに、頭の後ろからどんと胸をたたく音がした。

 どん、というか、ぽゆんというか。

 いや、だ。昨日のことは忘れよう。

 ちょうどその時、洞窟から男性が三人ほど出てくるのが見えた。

『帰!』

 彼らが反応するより早く、アイが声を上げる。

「あ、いまのは、ただいま、みたいないみです」

「なるほど」

 単純な合図なら事前に習っておけば良かったな、と私は今更気づいた。

 エルフ語を覚えるのにも数日で事足りたのだから、そう苦労することはなかったはずだ。

 ばんぜんのつもりの準備は、まったく万全ではなかった。

 男性たちはその場に持っていたやりを置き、ひざまずく。

 どうやら大丈夫そうだ、と私は座って首を下げて、アイを降ろした。

 男性の一人が、アイの姿を見て「おお」とかんたんの声をらす。

「せんせい、わたしのおとうさんです」

 アイが振り向き、はにかみながらそう言った。

 そういえば、彼女を送り届けたうちの片方が彼だった気がする。

「ええと、どうも」

 とりあえず頭を下げながら、私は「つまらないものですが」と背負ってきたいのししを彼の前に置いた。これに、残る二人の男性もかんせいを上げる。猪と言っても、アイの背丈と同じくらいの大きさの大猪だ。

 男たちの声に気づいたらしく、洞窟の中から続々と人々が顔を出す。

 そして、うたげが始まった。

 私がたきぎに火をつけて、猪を丸焼きにし、つめで切り分ける。

 だんは見たことのない小さな子供たちまで総出で、肉にらいついた。

 みなで一つの火を囲み、男たちは足をみ鳴らしておどり、女たちは歌をうたう。

 歌詞のないその歌に合わせて、私もえた。

 まだまだ私の姿を恐れてはしの方でこちらの動向をうかがっているものも何人かいるが、あせることはないだろう。少なくともアイのお父さんを始めとする何人かには受け入れてもらえたという感覚はあるし、槍を投げられる事もない。

 これならもっと密接にれ合い、言葉を教えていくことも出来そうだ。

 そう胸をで下ろした時のことだった。

 うやうやしい様子で、一人の少女が連れてこられた。

 かんを覚えたが、アイは私のとなりに座っている。別の少女だ。

 槍こそ持ってはいないものの、二人の男に囲まれて、飾り立てられた少女が私の前に差し出されるところまで全く同じ。

さしあげる

 男たちは跪いて、あの時と同じ言葉を発した。

「アイ、今彼らはなんて……」

だめ!』

 私がたずねるよりも早く、アイが何事かった。

我、妻わたしがつまだから!』

 彼女はぐいと私の前足を引き、短い言葉をまくし立てる。

不要いらない!』

 そして、引き出されてきた少女を指差してさけんだ。

 男たちはおどろきの表情であと退ずさりし、こうべを垂れる。

「ねえ、アイ、今なんて言ったの?」

「なんでもないです」

 にこりと笑って言うアイ。しかしその笑顔は何故か少しだけ、怖い。

「いや、明らかに」

「なんでも、ないです」

 笑みをくずさず、アイはり返す。

 結局この日、何度聞いても彼女は何と言ったのか、けして教えてはくれなかった。




竜歴12年



  第10話 じゆもんえいしよう / Spellcasting

すぐれたほうにない手とは、これすなわ
優れた歌の歌い手である。


「……いた……!」

 しんちように慎重に森の枝葉をき分けながら、私はついにものを発見した。鹿だ。

 鹿といっても、正確には私の知るそれではない。全体にがくじみたもんようが走っていて、その角はまるでいなずまのようにしく、ちょっとした木くらいならそれでたおしてしまうような、そんな生き物だ。

 なんというかこの世界は私といいよろいぐまといい、全体的にせんとう能力がじようなのではないかと思う。

「アイ。頼めるかい?」

「はい……!」

 背に乗せたアイにささやくと、こくりとうなずく気配がして、鹿の前方の木々がざわめいた。風にれるのとは明らかに違うその気配を鹿はびんかんに察知して、反射的に後方へと飛び退る。

 ────つまり、私たちのいる方向にだ。

 そのタイミングで、私はしげみから飛び出し爪をるう。しかしそれが届く寸前で、鹿は機敏に方向てんかんして爪をかわした。

「しまった!」

 私がつばさを広げると、ぶわりととつぷうれる。鹿は風にあおられいつしゆん体勢を崩したものの、私が追いすがるよりも早く森の奥へと消えていってしまった。

「また失敗か……」

「すみません、先生……」

「いやいや、アイのせいじゃないよ。私がドンくさいんだ」

 もともと、私は大してりが上手うまくない。

 せいぜいが十回に一回も成功すればいいレベルだ。

 アイのおかげでそれが七回に一回くらいは成功するようになっているのだから、彼女の働きは決して小さなものではない。

 ないのだが。

「とはいえ、どうしようかな……」

 今の生活だと、それでは困るのであった。

 アイの村の人数は総勢十六名。それに私とニナ、アイを足して十八人と一頭。

 私の狩りの成功率では、二人と一頭をまかなうことは出来ても、それだけの人数をすることは難しかった。

 もちろん、彼らだって今までこの世界で生きてきたのだ。栄養的には不十分ながらも、自分たちで狩りをし、暮らしていくことは出来る。

 だがその生活に、ゆうなどというものはいつさいなかった。

 朝は日がのぼるとともに狩りに出かけ、日が暮れるとともにねむる。ほぼそれだけの生活だ。それでも、食事は足りるかどうか。者も多かったのだろう。十六人の半分は子供だった。

 つくづく、教育というものは社会に余裕あってこそのものなのだな、と痛感する。

「仕方がない、今日はこれくらいで帰ろう」

「……わかりました」

 中天に差しかった太陽を見て、私はアイに呼びかける。

 今日のしゆうかくは木の実と魚、そして貝類だ。これらは大型動物の狩りに比べればかなり安定して手に入るが、非常にいたみやすいので今日食べる分しか取ってこれないのが難点だ。

「ただいま」

「おかえり」

「オカエリー!」

「オカエリ!」

 私とアイがどうくつもどると、ニナと子供たちがむかえてくれた。にぎやかに降り注ぐあいさつに、思わず口元がほころぶ。

 子供たちの学習能力というものには、本当に驚かされる。私たちがきよてんをこの洞窟のほど近くに移してからさほどってもいないというのに、すでに彼らは簡単な言葉を覚え始めていた。

「今日も大物は取れなかったのね」

「ああ……すまない」

「いや、別にいいんだけどさ」

 狩りの成果を受け取り、手早くつぼの中に入れながらニナ。

「やっぱり、私がいつしよに行った方がいいんじゃない?」

 ニナの言葉に、私はうぅんとうなった。

 確かに、彼女を連れて行けば狩りの効率は劇的に向上する。

 なにせエルフは森の申し子みたいな種族だ。

 どんな野生動物よりもえいびんに生き物の気配を察知し、虫にも気づかれずにしのび寄り、周りの木々すべてを使って獲物をらえる。彼女と一緒なら、私でも二回に一回くらいまで成功確率が上がる。

「まあ、もうちょっとアイとがんってみるよ。ニナにはこっちをお願いしたい」

 それでもニナを連れて行かないのには理由がある。

「子供たちを守ってあげてくれ」

「仕方ないなあ」

 不満そうにほおふくらませながらも、ニナはりようしようしてくれた。

 外敵にこの村がおそわれた時、何とか出来るのは私と彼女だけだ。

 その二人ともが村をはなれるのは非常に不安だった。

 アイ一人なら連れて行けば済む話だけれど、流石さすがに八人もいる子供たちをかかえて狩りに行くわけにもいかない。しかもそのうち二人はあかぼうなのだ。

「まあ、アイもどんどん魔法が上手になってるし、そのうち好転するさ」

 とにかく命をつないでさえいれば、物事はだんだん良くなる。

 私はそう楽観的に考えていた。そのためにも、ただでさえ死んでしまいやすい子供たちを死なせるようなことだけは絶対に出来ないのだ。

「さあ、今日も勉強の時間だ」

 私がそう言うと、子供たちは「はーい!」と手を振り上げて返事をした。

 勉強の後に木の実を振るっているせいもあるだろうが、基本的に彼ら彼女らは非常に熱心だ。教育を受け、魔法を学んだアイという存在が既にいることも大きいのだろう。私がいない間にもニナからどんよくに言葉を学び、簡単な魔法を成功させている子もいる。

「センセイ! ヒ、デタ!」

 中でも一番成長が速いのは、ケンと名付けた男の子だ。

「おお、上手い上手い。すごいぞ、ケン」

 年はアイより少し下くらいだろうか。

 ニナのように理解力が特別高いという感じではないのだが、とにかくコツをつかむのが上手い。教えたことをするりと吸収し、じつせんしてみせるのだ。特に「エネルギー」のがいねんは非常に理解が難しいようで、ケン以外の子供は木の葉を少し動かせれば良い方だ。

 子供たちが意欲的に学んでいく一方で、問題は大人たちだった。

 狩りでいそがしいせいもあるのだが、彼らは一向に言葉を学ぼうとしない。ましてや魔法など興味を持つどころか、している節さえ見られた。

 まあ実際、現在の魔法は大した役には立たない。ニナくらいあつかえれば別だが、アイの魔法だって単体ではさしたる意味などない。木をざわめかせるのは男たちなら自分のうででやればいいだけの話だし、ほのおの魔法はたきぎに火をつけることも出来ないのだから。実際に引火する炎を出せるのは、まだ私とニナだけだ。

 子供たちに教えるのをじやしたりするわけではないので障害というほどではないのだが、できれば言葉くらいは覚えて欲しいところだ。

 私はアイから教えてもらって彼らの言葉を覚えたが、大した意味はなかった。

 狩りの時にどう動くか、だんどういう生活をしているのか、こういう時はどうするのか……そういった知識のちくせきがなければ、言葉だけを覚えても意味が無いのだ。

 彼らはみな一緒に暮らし、その人生の大部分を共有している。だからこそ、簡素な合図だけで事足りる。言葉を発して他人に何かを説明する必要がそもそも無いのだ。

 そういった細かいまでは、流石にいつちよういつせきに学ぶことは出来ない。仮に学んだとしてもだろう。私と彼らでは体格がちがいすぎるのだ。人でない私には、彼らと同じ生活をしても同じことを感じることが出来ない。感覚を共有出来ないのだ。

 だからこそ、異なる価値観の者同士でもわかり合える言葉を覚えて欲しいのだが、言葉を知らない彼らには言葉の有用性を伝えられない。ジレンマである。

「ヒ! デロ! ヒ! デロ!」

 私が頭をなやませていると、ケンが楽しくて仕方がない、という様子で炎の出し入れをり返していた。そういえば私もこの身体からだに転生した直後は、口かられる炎が楽しくて何度も吹いてたっけ。

 子供というのは火遊びが好きなものだ。

「ケン、熱くないとはいえあんまり……」

 とはいえ、あまりめられるこうでもない。

 たしなめようとして、私はおどろいた。

 彼の出している炎に、普段よりかなり高い熱量があったからだ。

 アイの出す炎がぬるま湯なら、熱湯くらいの温度があった。

「ケン!? それはどうやったんだ!?」

 思わずさけぶと、ケンはびっくりして火を消してしまった。

「ああ、だいじようおこったわけじゃない。もう一度、火を出してみてくれるかい?」

 こくりと頷き、ケンはおずおずと炎を出す。手のひらにかんだそれは、しかしアイが出すものとさして変わらない……いやむしろ、もっと温度の低い炎だった。

「あれ? さっきみたいな火を出せない?」

 たずねると、ケンは困った顔をする。

「なんでだ……? MP的なものがきたとか……?」

 今まで特に気にしたこともなかったが、何のだいしようもなく無制限に魔法が使えるとも考えづらい。精神力とか、魔力とか、そういったものが尽きてりよくが減じたのだろうか。

「火、出ろって言いながら出してないからじゃないの?」

 思い悩んでいると、石のナイフで魚のうろこぎ落としながら何気なくニナがそう言った。

「いや、そんな単純な……ことなのか?」

 半信半疑で、しかし私はケンに口に出すよううながす。

「ヒ……ヒ、デロ!」

 気合を込めたケンの手のひらから、炎が立ち上った。

 熱と光だけのまがい物じゃない。本物の、炎だ。

「なるほど……そうか」

 何でこんな単純な事に気づかなかったんだろう。

「これは、じゆもんえいしようだ」

 どうやら私たちは今までずっと、詠唱をしていた。



  第11話 魔法書 / Grimoire

声はたちまちほろぶとも、
書に知の光宿りたり。


「枝よ、動け!」

 私の言葉に従うように、水林檎の木の枝がかすかにれる。

「炎よ、舞い上がれ!」

 しかし次に投げかけた言葉は、枝葉をそよがせることすらなくくうに消えた。

「ふむ……水林檎の枝よ、びて私に木の葉を一枚おくれ」

 そう唱えればその通りに、枝はぐっと伸びて私の手元に木の葉を落とす。

 私はその葉をじっと見つめた後、気合を込めて詠唱を始めた。

「……れんごくよりそびえし禁断のの木、ダークネスウォーターアップルよ、今こそそのくびきを解き放ちて、我がもとにその果実をあたたまえ────」

「何言ってんの?」

「うわぁっ!?」

 とつぜん後ろからかけられた声に、私は文字通り飛び上がった。

「ニ、ニナ。早いんだね」

「なんか森がガサガサ言ってるから何かと思って。さっきの何?」

 せっかくだれにも見られないように日の出前の朝方を選んだのに!

 いや、落ち着こう。彼女に、『ちゆう』なんて概念がわかるわけがない。

 聞かれていたって問題ないはずだ。

「なんかすっごく変な事言ってた気がするんだけど」

 本当にかんがいいなこの子は!!

 私は彼女のたぐいまれなる理解力を、今初めてうらみに思った。

「君が変に思うのも仕方がないことだ。私は今、画期的な魔法の使い方をためしていたところで、これによって魔法の威力が数段高まる可能性がある。しかし、より効率的に使うには様々な実験を試してみる必要があり、中には多少みように思えるようなものも」

「もう一回さっきの言ってみせてよ」

「……かんべんして下さい……」

 私はいさぎよく、敗北を認めた。

「にしてもやっぱり、言いながら魔法使うと使いやすいのね」

「気づいてたの?」

「何となく。でも、私だけなのかと思ってた」

 ニナは腕を伸ばし、「私にも木の実を一つちょうだい」と木にささやく。するりと枝が伸びて、まるで人の手のようななめらかな動きで彼女の手のひらの中に水林檎が収まった。

 おそるべき精密さだ。

「どうやら、呪文は長ければ長いほど効果を増すみたいなんだ」

「そうなの?」

 これはどうやらわかっていなかったようで、私はほこらしげにうなずく。

「それと、魔法の内容に関係ない言葉はいくら並べても意味が無い」

「そんなの当たり前じゃない」

 少し調子に乗ればこれだ。

「まあ、ニナにとっては当たり前のことなんだろうけど、そういう事こそしっかり調べなきゃいけないんだよ」

「ふうん」

 説明しても気のない風で、彼女は水林檎をかじる。

「ねえ、長ければ長いほどいいんだっけ?」

「どういうくつかはわからないけどね」

 ニナは水林檎のしんをぽいと投げ捨てると、すっと目を閉じた。

『木よ、土に根を張るもの、葉をしげらせるもの、花をつけるもの、実を生むものよ』

 それは、久方ぶりに聞く彼女のエルフ語だった。

『木立を揺らす風の囁きに、はらはら落ちる落ち葉のつぶやきに、根が吸い上げる水の音に、私の声を聞くがいい』

 歌うように、つむぐように、彼女の言葉はつづられる。

『そのしなやかなかいならえておくれ。われらのかてを、四足のけものを、白くねるものを、私のもとに届けておくれ』

 そのうたが終わると同時。

 ──森全体が、とどろいた。

 ざわめくなんて生易しい物じゃない。木々がふるえ、うねり、うごめき、うなりを上げる。

 大地が揺れて、鳥たちが木々から飛び去り、どこからか獣のほうこうが鳴りひびく。

「先生、ごぶじですか!?」

 音に驚いたアイが飛び起きてきて、着の身着のままで私にけ寄ってきた。

 どうくつの中から男たちも、やりを持って顔をのぞかせている。

 そして────

 ぽふん。

 そんな軽い音でも立てそうな感じで、ニナの目の前にうさぎが一羽、ほうり出された。

 私も、アイも、洞窟の人々も、そして兎自身も、何が起こったのかわからず目を見開く。そんな中最初に動いたのは、このさわぎを引き起こした人物……ニナだった。

った!」

 さっとばやうでを伸ばし、兎の長い耳をわしづかみにする。兎はあわててげようと暴れるが、すでおくれだった。

「びっくりしたぁ……まさか、こんなことになるなんて」

 暴れる兎を身体から遠ざけつつ、ニナは胸をで下ろす。

「私も、心底驚いたよ」

「ニナさんの、まほうだったんですか?」

 アイは私の前足にしがみつくようにしながら、目を白黒させていた。

「まさか呪文の詠唱にここまでの威力があるとは……」

 絶対に呪文詠唱してのほのおの魔法は使わないようにしよう。私は、そう心に決めた。

「わたしにも、できますか?」

「アイにはまだ少し早いかな……」

 呪文を作るには多くのと、それを組み合わせる文章作成能力が必要とされる。

 ニナですら、日本語で呪文を作ることは出来なかったのだ。

 アイも大分言葉を覚えては来たが、まだまだ難しいだろう。

「そう、ですか……」

 しゅんとうなれる彼女を見ていると何とかしてやりたくなるが、こればかりはいつちよういつせきにどうこうできる問題でも……

 と、そこまで考えて、私はあることをひらめいた。

「いや、そうでもないか」

 上手うまくいくかどうかわからないが、とにかく試してみる価値はある。

 うまくすれば色々な問題が一気に解決するかもしれない。

「よし、やってみよう。協力してくれるかい?」

「はいっ!」

 元気に頷くアイのがおを、ようやくのぼり始めた朝日が照らした。


    * * *


「しろきころもをまとうもの、つららのともがら、ゆきのせいれいジャックフロストよ。そのといきをかしておくれ。こごえるてのひらでつつんでおくれ」

 素焼きのつぼを手にしながら、私のかかげる木の板をじっと見つめてアイは呪文を唱える。白いきりのようなものが壺の中にぶわりと立ち上り、私の目はそれが氷点下まで下げられた冷気であることをはっきりととらえた。

 すかさず、壺の上を大きな木の葉でふさぎ、板をせ、さらに石でふうをする。

 原始時代に作った、簡易的なれいとうだ。

 本物ほど長持ちはしないだろうが、それでも内臓を取り除いた魚なら二、三日くらいは持つだろう。手に入れやすい魚や貝の保存がけば生活はだいぶ楽になる。

「できました!」

「うん。ありがとう、アイ。よくがんってくれた」

 めずらしく誇らしげに胸を張るアイの頭を、指先でそっと撫でてやる。

「そんな、先生のおかげです。これをつくってくれたから」

 はにかみながらも、彼女はひかえめな態度で私の掲げる板を指差した。

 そこには、彼女が先ほど唱えたじゆもんが書かれている。

 言うなれば、それは世界最古のほうしよだ。

 木の板に炭で書かれた、すべてひらがなのまつなものだけど。

 そう、何も呪文は自分で考える必要などないのだ。他人が考えたものでも、三つの要素がしっかりそろっていればきちんと成立する。

 三つの要素とは、意味と、意思と、意図だ。

 まず、呪文の言葉の意味がわかっていなければならない。

 試しにニナに英語の音だけを伝えてかくにんしてみたが、やはり使う本人が言葉の意味を理解していなければ、呪文は呪文として成り立たなかった。

 次に、意思。意味と意図とが揃った呪文でも、使おうとするものに魔法を使う意思がなければ効果を発揮しない。何も考えずにただ呪文を唱えるだけでは、魔法は発動しない。

 そして、もっとも大事なのが意図だ。

 呪文に使う言葉には、何故なぜその言葉を使うのかという意図……つまり、関係性がなければいけない。ニナには当たり前だと言われてしまった話だが、きちんと調べてみればそう単純なものでもなかった。

 同じ言葉をり返すだけではなのだ。

『木よ、土に根を張るもの、葉を茂らせるもの、花をつけるもの、実を生むものよ』とニナが唱えていたように、意味は同じ木のことでも、別の呼び方をすることでそこに意図が加わる。そして意図の分だけ、魔法はその力を増すのだ。

 逆に言うと呪文を用いなかった今までの我々は、意味と意思だけで魔法を使っていたとも言える。

「先生、ひとつ、きいてもいいですか?」

「なんだい?」

「先生は、ジャックフロストをみたことがあるんですか?」

 アイのぼくな問いに、私は答えに困った。

 ジャックフロスト。イングランドの伝承に登場する、雪と氷のせいれいだ。

 精霊という存在がこの世界に実際いるのかどうか、私は知らない。ただ単純に、何度も呼びかけるという形式とじん化のあいしようが良いから、私は呪文にそれを取り入れたのだった。

「ああ、あるよ」

 もし実在しない存在だと認識したら、呪文が効果を失ってしまうかもしれない。

 私はそう思って、彼女にうそをついた。

 今、冷気の呪文が力を失ってしまうのは困るから。

 それにあながち噓というわけでもなかった。出会ったことはある。

 ……ゲームの中で、だけど。

「わたしも、あってみたいです」

「そうだね。魔法の勉強を頑張っていれば、いつか会えるかもしれないね」

 この時私がついた小さな噓が後々とんでもないことを引き起こすだなんて、思いもせずに。



  第12話 ねん / Restless

悪い予感ほどよく当たる。


「ヒのタマ、ヒトカゲ、シタをダせ。ダさなきゃそのシタちょんぎるゾ」

 ケンの歌声が村の中に響きわたれば、き付けもなしにぽっとたきぎに火がついた。

「すっかり慣れたもんだなあ」

 ケンが歌っているような歌は、今や村のあちこちから聞こえてくるようになっていた。

 歌うことに、特に呪文としてのりよくを高めるような効果はない。

 しかし簡単な節をつけた呪文は単に丸暗記するよりも覚えやすいらしく、まだ字を読むことが出来ない者でも呪文の歌ならいくつも覚えることが出来た。

 その結果、今や村人の大半が本物の炎を出す程度の魔法を習得するに至っている。

 それもこれも、アイとケンが実際に役に立つレベルの魔法を覚え、その実用性を大人たちに示してくれたおかげだ。

 簡易冷凍庫に入れた魚は、解凍後に火さえ通せば三日程度は持つようになった。言いえれば、魚をりに行くのは三日に一度で良くなったということだ。

 更に木々をあやつって子供でも高いところにある木の実を採ったり、小さな鳥や獣をつかまえる事すらあった。

 しよくりよう事情はおおはばに改善し、大人たちも数日に一度のペースとはいえ子供に交じって魔法を学ぶようになった。もちろん、言葉もだ。

 きわめてじゆんぷうまんぱんだった。

 ──ただ一つの懸念を除いて。

「センセイ」

 どうしたものか、と私が思いなやんでいる時のことだった。

 声をかけてきたのは、この村でも一番のとしかさと思われる男性。

 アイの父親である、ガイさんだった。……われながらネーミングセンスの無さがひどい。

「カリ、イク。クルカ」

「……そうですね。ごいつしよします」

 まあ考えていて解決する問題でもない。

 気分てんかんがてら、私はガイさんたちのりについていくことにした。

「先生! わたしもいきます!」

 私たちがどうくつはなれようとすると、すぐにアイが飛んできた。

「ダメダ」

 しかし、ガイさんはうでをぐっとき出し、彼女を止める。

「カリ、オトコ、スル。オンナ、マツ」

「でも……」

 を言わせぬガイさんの口調に、アイは私の顔を見た。

 彼らの社会は、父親が絶対的な権力を持つ父権社会だ。私というイレギュラーとかかわったがゆえに今までのがされてきたが、本来であれば女であるアイは狩りに出かけてはならない人間だ。

 それどころか、こうして父の意向に逆らう事自体、許されない。

 何せ彼女はにえとして差し出されてすら、文句を言えないのだ。

 ほとんものあつかいと言っていいそのしよぐうに思うところはあるが、それは彼らなりの合理性で決めたことでもある。少なくとも私がおのれのエゴで口を出していいことではなかった。

だいじよう。大きなものってくるから、いい子で待っててくれ」

「……はい」

 私の言葉に、アイはうつむいてしぶしぶうなずいた。

「お気をつけて!」

「ヘマしないようにね」

 アイとニナの声を背に、私たちは狩りへと向かった。

 彼らの慣習と私の懸念は、実はがつしている。

 女性の地位に関してではない。

 単純に人の数が少なすぎるのではないか、ということだ。

 私とニナは数に入れないとして、村の人数は十七人。

 そのうち八人が子供で、大人は男性が五人、女性が四人という内訳だ。

 大人が九人に対して子供は八人ということは、このまま世代が交代すると人口はみように減ってしまう。そもそもりようというがいねんさえ無いこの世界で、ちゃんとみな大人にまで成長するという保証もない。

 人口のに子供を産み育てる女性は最重要で、それ故狩りなどという危険な事はさせられない。女は家を守っていろという前時代的な慣習は、少なくとも合理的ではあるのだ。なにせ今は、その前時代そのものなのだから。

 とはいえ。いくら考えても、ドラゴンである私には彼らと子供を作ることなど出来ないし、ましてや産んでやることなどりゆうとしても無理だ。

 私に出来ることなど、ただ彼らを守り、獲物を狩り、自分が生きているうちになるべく魔法を発展させることだけなのだ。

「……あれ?」

 そんなやくたいもないことを考えていると、いつの間にかずいぶん遠くまで歩いてきていることに気がついた。

「もしかして、森を出るんですか?」

 たずねれば、ガイさんはこくりと頷いた。

 基本的に私も彼らも、狩りは森で行ってきた。

 単純にきよてんとなる洞窟から近いというのもあるが、平原での狩りがことさらに難しいというのもある。

 まず、ニナが操って味方にできる木々というのが、森に比べて非常に少ない。

 今の彼女は草を操ることもできるが、木に比べて非常に非力な草では草原に住む大型のけものらえることは殆ど不可能だ。

 私が上空から飛びかかれば簡単に捕まえられるのではないかとも思ったが、これも徒労に終わった。彼らは空を飛ぶ私の姿が見えるやいなやものかげかくれてしまってまず見つけるのが非常に困難だったし、飛行というのは速度を出せば出すほど小回りがかなくなる。すばしっこくげまわる獣を急降下して捕らえるのはものすごく難しいことだった。

 その辺の事情はガイさんたちも同じで、だからこそ彼らも基本的に森で狩りをしていたはずなのだが。

 かつて私とニナが森の中に作った拠点(数ヶ月留守にしていただけだが、すでこわれかけていた)のそばを通り、私たちは森を出る。そこに広がるのは、広大な草原だ。

 そういえば全く空を飛ばずに森をとうしたのは、これが初めてのような気がする。

 意外にも、森をけるのにそれほど時間はかからなかった。

 しげみの中を突っ切ってもかみに木の葉一つ引っかからないニナほどではないが、ガイさんたちも森の中での行動は手慣れたものらしく、平地を歩く時とさほど変わらない速度で歩いていたからだ。

 むしろ私が足手まといになりかける程の速度だった。

 草原に出ると、ガイさんたちは迷うことなく歩き始める。

 どこか目的地があるのか、それとも適当に歩いているのか、私の目には判断がつかない。ともかく、彼らを信じてついていく。

『見』

 するとやにわに、ガイさんが声を上げてやりかかげた。

 確かそれは獲物を見つけたときの合図だったはずだが、私にはどこにいるのか全くわからない。きょろきょろと辺りを見回していると、彼らは再び歩き出した。身をせて隠れるでもなく、急いで走るでもなく、ごくつうの歩き方。

 獲物を見つけたというのは誤りだったんだろうか。

 内心首をひねりながらついていくうちに、私はとうとつに気づいた。

 ガイさんはしっかり、獲物を見つけていたのだ。しかしそれは獲物自身じゃない。

 そのあしあとだ、という事に。

 私には草がまばらに生えたただの地面にしか見えないが、ガイさんはたびたびかがみ込んでは地面をかくにんする。

『見』

 そうして歩くこと、体感でおよそ二時間ほど。ガイさんは再び、しかし今度こそ獲物をその目にとらえて宣言する。

「センセイ、イタ」

 そしてごていねいに、私にも日本語で教えてくれた。

「うん……見えてるよ。大丈夫」

 むしろ気づかないわけがない。

「本当にあれを狩る気なの?」

 念のため聞いてみれば、彼らはそろってコクリと頷く。

「いや、だって、あれ」

 ずしんとひびどうを聞きながら、私は上を向く。

 母以外の生き物を見上げるなんて、久々の動作だ。

「ちょっとしたビルくらいあるよ?」

 きよじゆうたとえたその言葉を理解してくれる人は、この世界にはまだいなかった。



  第13話 ごうりき / Mighty Power

グッとにぎって、ギュッて構えて、ガンとなぐる。
そういうほうだよ。


 その生き物を喩えるとして、真っ先に思いかぶのは象だった。

 四本の太いあし、巨大な身体からだ、口から生えた長いきば

 だが象に似ているのはそこまでで、太い首に支えられた大きな顔は河馬かさい、こめかみのあたりに生えた角は牛のよう。長い長いには、ワニのようにギザギザとした突起が生えそろっていた。

 しかし何と言っても特筆すべきはその大きさだ。

 四足で歩いているというのにその顔ははるか上、見上げる高さ。

 体高は十メートルはあるのではないだろうか。頭から尻尾しつぽの先までは軽くその倍だ。

 ガイさんどころか、私ですら簡単につぶされてしまいそうな大きさだった。

「ヤリ、ナゲル。センセイ、トブ。カミツク」

「あ、やはり私がとどめの役なんだね……」

 ガイさんの説明は簡潔だった。

 半円状に獲物を取り囲んだガイさんたちが槍を投げて追い立て、私がそれをむかつ。

 今まで何度かこの方法で獲物を狩ってきた。

 成功した中で一番大きな獲物はいのししで、今目の前にいる巨獣の十分の一にも満たない。

「センセイ、ツヨイ。カテル」

 しんらいしてくれるのはありがたいが、ちょっとばかり過大評価しすぎではなかろうか。

「まあ、ベストをくそう……槍を出して」

 私は目の前に突き出された五本のさきに手のひらをかざし、じゆもんを唱える。

「長きもの、するどきもの、すべてをつらぬくものよ。我が声に耳をかたむけ、我がほのおの光を浴びてかがやけ。なんじそうの槍なれば、ねらたがわず、防ぐことあたわず、かの巨獣さえもく一筋の星とならん」

 そしてふぅっと軽く炎の息をきかければ、石で出来た槍は赤く輝きだした。

 そうなるように、呪文の一節をふうしたからだ。

 魔法の効果というのはいまいち不安定で、特にこういったすぐ目に見えた結果が生まれない魔法はいつまで効果が続いているのかわかりにくい。だから、効果が続く限り光を帯びるようにしたのだ。

 ……フィクションでは魔法がかかると光をまとうのはある種のお約束だったが、実際にそうしてみればまさかこんな実用性をねたものだったとは。

「さあ、光が消えないうちに用意して」

 私はつばさを広げ、巨獣に見つからないようにかいして空を飛ぶ。

 そういえば、あの獣に名前もつけてしまわないと。

 といっても、思い浮かぶ名前はただ一つだ。

 ベヘモス。

 ベヒーモスやベヘモトなどとも呼ばれる、旧約聖書のかいぶつだ。

 これより巨大な生き物がいないことを、私は心から願った。

 私が上空高くにい上がったところで、ガイさんたちはべへモスをぐるりと取り囲み、槍を投げた。赤く輝く槍の穂先は魔法でイメージした通り空をいて飛び、ベヘモスの身体にさる。

「やっぱり、かたいな」

 の半ばまで突き刺さった槍を見て、私はつぶやいた。

 イメージした魔法は、完全にべへモスを貫き反対側まで飛び出す槍の姿だ。

 かなり気合を入れて長い呪文をえいしようしたのにそうなるということは、それだけベヘモスががんじようだということにほかならない。

 果たして、私の牙が通るかどうか。

 幸いにもベヘモスは反転することなく、ガイさんたちから逃げ出した。

 もしベヘモスがその気になればガイさんたちなんて簡単に踏み潰せてしまうだろうから、ひとまず上手うまくいって私はほっと胸をで下ろす。

 刺さったのは彼にしてみればつまよう程度のものだろうが、これだけの痛みを感じるのは初めてなのかもしれない。

 次々に投げ放たれる槍から逃げるように走るベヘモスけて、私は急降下を始めた。

 りの下手へたな私でも、これだけ大きい目標で、追い立てられて背後を気にしながらまっすぐ走る相手であれば外しはしない。そののどぶえを食いちぎるイメージで、私は勢い良くベヘモスにらいついた。

「ギュッ……」

 みような声を立てて、ベヘモスの首から空気と血液がれる。

 硬っ!

 み付いたベヘモスの首はおそろしく硬く、まるで鉄の棒に嚙み付いたかのようだった。むしろよくこのはだに、魔法を使ったとはいえ石の槍が刺さったものだ。

 半ばまで刺さった牙を、あごに力を入れて何とか押しこむ。まるでアルミホイルを嚙んでいるような、いやかんしよくだった。こんな肌と激突して折れないのだから私の牙も相当硬いのだろうが、それをも上回る硬さだ。

 何とか首の一部だけでも食いちぎろうと食らいついていると、ベヘモスがぶんぶんと首をって暴れだす。ここで振りほどかれてしまう訳にはいかない。私は両手両足のつめを立て、何とかしがみつこうと踏ん張った。

 するとぶちりと嫌な音がして、首からがくりと力が抜ける。振られたひように、嚙み付いていた部分の肉を食いちぎってしまったのだ。

 タイミングは最悪だった。

 口が外れた勢いで爪も外れ、私の身体はベヘモスの肉をくわえたまま落下していく。

 あわてて翼を広げ風を捉えようとすると、巨大なかげが私の頭上を通り過ぎていった。

「おおおおおおおおおお!」

 野太いたけびとともに、ごうおんが鳴り響く。

 私は信じられない思いでその光景を見つめた。

 あの太く硬く、私でさえ嚙み千切るのになんするようなベヘモスの首が、いちげきで切り落とされたのだ。

 首を失ったベヘモスの身体はバランスをくずし、そのままずんと轟音を立てて大地に横たわる。私は数度翼を羽ばたかせながら、地面に降り立ってそいつをぎようした。

 ……大きい。

 もちろんベヘモスに比べればずいぶん小さいが、私の体高と同じくらいの身長がある。

 うでも足も丸太のように太く、発達した筋肉はまるでいわおのようだ。

 くせのあるあかがみは、のたてがみをほう彿ふつとさせた。

 体格で言うならば、ベヘモスはおろかよろいぐまよりも小さい。

 だが。

 だが、ゴリラとライオンとくまを足しっぱなしにしたようなその生き物は────

『チ、トカゲの方はそこねたか』

 どうやら、人間であるらしかった。

『エルフ語。君は、エルフ語を話せるのかい』

『お前、トカゲの癖にしやべりやがるのか?』

 私たちはどうやら、同じおどろきをたがいにいだく。

 あまりにいかついためにねんれいはわかりにくいが、声の感じからすると意外と若い。せいぜい二十代といったところだろう。

『エルフゴとやらはわからんが……お前も耳長から学んだのか』

『ああ。こんななりだけど、人をおそったりはしないから安心して欲しい』

 私の言葉に、男は『ふぅん』と気のない返事をする。

 言葉は通じるものの、私の方は気が気でなかった。

 ベヘモスの首を落としたのは、巨大な岩をけずりだして作った武器だった。

 おのというべきかけんというべきか、とにかくおおざつな作りのじゆうこうものだ。

 こんなもので、りゆうの牙もろくに通らないベヘモスの首をね飛ばすなんて。

 いや、それ以前にこの武器を持って十メートルもちようやくする時点でつうではない。いくらめぐまれたたいをもってしても、不可能なはずだ。

 不可能であるはずの事を可能にする。

 つまり、彼もまた魔法使いなのだ。

 ──しかも恐ろしく強力な。

 正直、もし敵対したら勝つ自信はなかった。

『おう、ろうども。持っていけ』

 男が腕を振り上げどら声を上げると、十数人の男たちがやってきてベヘモスの身体を解体し始める。

『待ってくれ。それは私たちが先にこうげきしていたものなんだ。一部だけでいいから、分けてくれないか?』

 流石さすがにこれだけの時間をかけて狩った獲物を、横からまるごとさらわれては困る。

『なんだと?』

 大男は不満気に声を上げると、じろりと私をにらみつけた。

 その圧力たるや、鎧熊の比ではない。

 正直ふるえがくるほど恐ろしかったが、私はぜんとした態度で睨み返す。

 ……いつでも飛んでげられる準備だけはしていたが。

『まあいい。お前のおかげで楽にこいつを狩れたからな』

 大男はそう言って、部下とおぼしき男たちに後ろ足を一本、われわれに分けあたえるよう命じた。

 私はほっと胸を撫で下ろす。我々の村なら、この程度の量があれば全員に分け与えてもゆうで数日分にはなる。もともとこの人数で全部持って帰る事は出来なかっただろうから、十分な成果だ。

『ありがとう。助かるよ』

 私はガイさんたちに合図をして、切り取られたベヘモスの足をかかげ持つ。

『おい、お前』

 肉を持って帰ろうとする私の背に、大男は声を投げかける。

 まさか、直前になって気が変わったなどと言い出したりはしないだろうか。

『俺の村に来てみないか?』

 そう思いながら振り返ってみれば、飛んできたのはそんなさそいの言葉だった。



  第14話 不覚 / Horribly Awry

そいつは強く、かしこく、美しく。
しかしすこうしばかり、人がよすぎた。


『これは、すごい……!』

『そうだろ』

 思わず漏らした言葉に、大男──ダルガというらしい──はうれしそうに笑った。

 目の前に広がるのは、我々の村とは明らかにちがう。

 いくつも並んでいる三角形の建築物は、確かたてあなしき住居というやつだ。

 そこかしこからけむりたなき、土器を運ぶ女性や弓を持った男性の姿が散見される。

 人口は少なく見積もっても数十人、百人をえているかもしれない。

 村と呼んでずかしくない規模の、立派な集落だった。

 この村と交流を持てれば、人口問題も一気に解決する。私の胸は期待にはやった。

『帰ったぞ!』

 村中にとどろくようなダルガの声に、村人たちが集まってくる。

 やはりというか、当然というか、彼がこの村のおさであるらしい。

 他の人々はガイさんたちとそう変わらない体格で、異常なのはダルガだけだ。

 このレベルの大男がわらわらと出てきたらどうしようと内心不安に思っていた私は、ほっと胸を撫で下ろした。

『もってけ』

 ダルガが手を振りながらベヘモスの肉を指し示せば、女性たちがうなり声のような返事をしてそれを受け取る。

 その光景に、私はおやと首をひねった。

『何してんだ、ついてこい』

『ああ、うん。今行く』

 考え事はダルガの声にさえぎられ、私は慌てて彼の後をついていく。

 辿たどり着いたのは村の中央、ひときわ大きく作られた住居だった。

 家の中は浅く土がられていて、その上にかぶせるようにしてきり形の屋根が乗っている。家具と呼べるようなものはとぼしく、いくつかの土器とわらいてあるだけだった。

『まあ座れ。今飯を持ってこさせるからよ』

 言いながら、ダルガはどかりと藁の上に腰を下ろす。

 この家はおおがらな彼の体格に合わせてあるのだろう。

 私もさほどきゆうくつせずに腰を下ろすことが出来た。

『それにしても、さっきは凄かったね。あんな大きな生き物の首を一撃で落とすなんて』

『別にあのくらい、大したことじゃないさ』

ほかの人にも同じことが出来るの?』

『出来るわけねえだろ』

 私の問いに、ダルガは鼻で笑ってそう答えた。

『じゃあ、そんなに大きくて強いのは、君だけなのか』

『そりゃあそうだ』

 やはり彼は、私やニナと同じ『生まれつきのほう使い』なのだ。

 技術や学問ではなく、彼個人の才能なのだろう。

『そういうお前こそ、どうなんだ。喋る大トカゲがたくさんいるのか?』

『いや、それも私だけだよ』

 正確には、竜には竜の言語がある。

 とはいえ、私は母以外のドラゴンとはまだ出会ったことがない。少なくともそう沢山いるわけではないのだろう。

 考えてみれば当然の話だ。こんなオーバースペックを持った生き物がひとところに何頭もいたら、すぐにその周囲から生物はいなくなってしまう。

 私が生まれてたった十年で母の巣から出ていくよううながされたのもそういう事情だろう。

『ふぅん』

 ダルガは自分から聞いたくせに、気のない返事をする。

 そこで、料理が運ばれてきた。

『おお……これは』

 私は思わずかんたんの声をらした。

 土器に注がれたそれは、野草やきのこ、そしてけものの肉がたっぷりと入ったスープだったからだ。

 この世界にやってきて、こんなにしっかりと『料理』のていをしたものを見るのは初めてだった。

美味うまいぞ、食ってみろ』

『ああ……』

 すすめられるまま、私はスープを口内に流し込む。前世がねこじただっただけに、熱々の食べ物をこんな風に食べても絶対に火傷やけどしないのは赤竜に生まれて良かったと思うことの一つだ。

「むぅ……っ!」

 舌先に感じる味わいに、私は思わずうめいた。

 シャキシャキとしたごたえを残しつつ、それでいてエグみのない野草。

 干した肉はめば嚙むほどのうこうな味わいがにじみ出てきて、それがまたたんぱくな茸と合わさると舌がとろけそうなほうじゆんさをかもしだすのが不思議だ。

 そして、それらすべてがけ込んだスープのうまいこと、旨いこと。

 ようが舌先からじんわりと溶け込んできて身体からだしんまでしんとうするような、震えがくるほどの美味おいしさだ。これならいくらでも飲んでしまえる気さえした。

 ガイさんたちを村に帰し、私だけ来たのが申し訳ないくらいだ。

『お前、トカゲのくせに美味そうに食うなぁ』

 あっという間にスープを飲み干し、ほうとめ息をついていんひたっていると、ダルガはおかしげに言った。

 言われてみれば、確かにそうだ。食以外にらくらしい娯楽もないというせいもある気はするが、前世では私は食事というものに対して淡泊だった。竜の舌が、人間よりかなり高性能だからかもしれない。

『これ、作り方教えてもらえませんか?』

 私はスープを運んできた女性に問う。

 しかし、彼女はこんわくした表情をかべるだけだった。

 もしかして、と私は村に辿り着いた時のかんを思い出す。

『この人は、言葉がわからないのか?』

『ああ、そりゃあそうだ』

 言葉を話せるのがダルガだけというわけではないはずだ。

 少なくとも、彼に同行していた男性たちは命令に従っていた。

 言葉を理解しているということだ。

『女性には、言葉を教えてないのか?』

『当たり前だろ?』

 ダルガは、いぶかしげにまゆをひそめた。

 こいつは何を言っているんだ?

 彼の表情は、そう言っていた。

『女に言葉なんか教えて、何の意味があるんだ?』

 何の疑問もないその言葉に、顔をしかめるのを何とかこらえる。

 仕方ないことだ、と私は自分に言い聞かせた。

 この世界、この時代の生活にとってはそれが合理的な判断なのだろう。

『ところでそんなに美味そうに食べるんなら、こっちはどうだ?』

 モヤモヤとした思いをかかえていると、ダルガは何やら良いかおりのするつぼしてきた。

『これは?』

 今までいだことのない不思議なにおいに、私は思わず鼻を鳴らす。

 くだもののようで、それよりもはるかに甘みが強い。しかし、砂糖のような甘ったるさとも違う。それよりももっと豊かで、深みのある香りだ。

『まあ飲んでみろよ』

 促され、私は未知への期待と不安を抱えながら、舌をばしてちろりとめる。

 たん、私の身体をいなずまつらぬいた。

「これ、は……」

 真っ先に感じるのは、果実の芳醇な甘み。それが舌のみならず、こうけていく。

 そしてそのいつしゆんあとに、さるようなげきのどを焼く。

 だがそれはけして不快なものではなかった。

 むしろもっと求めたくなるような感覚に、私は壺をぐいとかたむける。

 カッと喉が熱くなり、腹の底から活力がいてくるかのようだった。

「これは……お酒か」

 一気に抱える壺いつぱい分を飲みきってしまったあと、私はようやく気がつく。

 前世では、私はほとんど酒をたしなまなかった。アルコールの味がどうにも好きになれなかったし、一杯、二杯ともなれば真っ赤になってしまう程度に弱かったからだ。

 しかし、この旨さと言ったらどうだ。余韻に浸りながらく息さえもが心地ここちよいようなさつかくを覚える。前世でこれを楽しめなかったのが、急にしく感じられるほどだった。

流石さすがだな、良い飲みっぷりだ。そら、もう一杯』

『いや、そんなにごそうになるわけにも……』

 そう答えつつ、視線はついつい酒へと向かってしまう。

 ただ美味しいというだけではない。身体がそれを求めているという気がした。

えんりよすんなよ。酒の量も男の度量の内だろう』

 自らも酒をあおりながら、ダルガは言う。

『じゃあ、もう一杯だけ……』

 結局私はゆうわくに負け、追加の壺を手にとった。

 一杯だけで済まなかったのは、言うまでもない。


    * * *


「んん……」

 頭をもたげて、私は初めて自分がねむっていたことに気がついた。

「しまった」

 あわてて飛び起きると、そこはいつもの家ではなく、ダルガの家の中だ。

 幸い、おく自体ははっきりしていた。

 酒にって眠気にあらがえず、ダルガの勧めるままに私はってしまったのだ。

 家の中に主の姿はなく、私は仕方なく外に出た。

「うわっ、もうこんな時間か……」

 そうてんを行く太陽はすでに高くのぼっていて、私は一夜どころか昼近くまで眠ってしまっていたことに気がつく。

 ダルガはもうりに出かけてしまったのだろうか。

 言付けようにも男性の姿が見えず、女性には言葉が通じない。

 仕方ない、アイたちも心配しているだろうし、帰らせてもらおう。

 ふと私はあることを思いつき、うろこを一枚がしてダルガの家に置いておく。

 チクリとするが、長く伸びたひげを一本抜くくらいの痛みだ。

 つばさをはためかせ、私は中空にう。空を行けば一時間とかからないだろう。

 しかし、私があれほど酒に弱いとは。

 抱えるような大きさの壺を四杯も飲み干しておいて弱いも何もないとは思うが、誘惑に抗えなかったのだから弱いと言うべきだろう。しかしよくよく考えてみれば、りゆうが酒に弱いのは洋の東西を問わず定番といえば定番だ。もっと気をつけるべきだった。

 ニナはおこっているだろうか。アイは心配しているだろうな。

 そんなことを考えながら空を飛び、私はあっという間にアイたちの村に辿たどり着いて降り立つ。さて、ニナのお小言でも聞くとするか。

「センセイ!」

 そんな吞気のんきな考えは、傷を負ったガイさんたちと血相を変えたケンの様子に吹き飛んだ。

「ニナが、アイが!」

「どうしたんだ?」

 明らかにただ事ではない様子に、血の気がさっと引く。

「ツれて、イかれた!」

 足元がガラガラとくずれていくような、そんな感覚があった。



  第15話 げきりん / Dragon's Rage

だんおんこうやつほど怒らせちゃいけない。
竜の姿をしているならなおさらだ。
その時の俺は全くわかっちゃいなかった。
──つるぎの祖、ダルガの言葉


 そんな。まさか。なんで。

 私は、何て、おろかなことを──

 無数の混乱とこうかいが、私の内にふくれ上がる。

「ケン。教えてくれ」

 それら全部をみ込んで、私はたずねた。

「どんな、奴だった」

 後悔は後でいくらだって出来る。

「スゴく、オオきいオトコ……アカいカミの、ツヨいオトコだった」

「やっぱり」

 ちがいない。ダルガだ。

 私を酔わせて、その間にアイたちをさらって行った。

 だとすれば。

 だとすれば、彼は最初からそのつもりで、私を村にさそったのだ。

 めいていしていたとはいえ、記憶ははっきりしている。私は村への道は教えていない。

 ということはガイさんたちの後を部下に追わせ、村のことを私から聞き出し、昨夜か今朝にここへ向かったとしか考えられない。

 ならば、まだ間に合うはずだ。私は急いで、空を飛んだ。

すべてを防ぐかたきもの、陽光にきらめく赤きもの、我が一部なりし竜の鱗よ、我が耳となりて音を届け、我が口となりて声を送れ!」

 宙を全力でけながら、私はじゆもんを口ずさむ。

 それは、伝言を残すためにダルガの家に残してきた鱗をばいかいとしたほうだった。

 元々一つだったものは、二つにはなれてもつながりを持つ、というのが呪術的な考え方だ。

 この世界の魔法でも同じことが出来るのではないか。

 失敗して元々、成功すればおんという軽い気持ちで置いてきたそれに、私はいのるような気持ちで応答を待つ。

『放しなさいよ、このばん人!』

 たんせいのいいニナの声が聞こえてきて、私は心の底からあんした。この様子なら、ひどい目にわされているわけではないだろう。

『うるせえ奴だ。この耳長は平たくてつまらん。連れてくるのはこっちだけで良かったんだが……』

『アイにさわるなっ!』

『おっと』

 剣をるう風音とともに、何かが切れた。

『いい加減わかれ。お前のその下らん術は、俺には通じん』

 どうやら切られたのは、ニナのあやつる植物だったようだ。

 心臓が止まるかと思った。

めんどうだ。男どもに下げわたしてやろうかと思ったが、それ以上わめくなら殺すぞ』

『やってみなさいよ!』

 売り言葉に買い言葉。しかし、それはまずい。

『やめろ!』

 私が声を上げると、けんそうがピタリとんだ。

『あんた、どこにいるのよ!?』

『トカゲのろうか。どこにいやがる?』

「先生!」

 そして、声が三つ同時にひびく。良かった、アイもとりあえずは無事なようだ。

『いいか。二人に指一本れてみろ。お前の村を、ほのおで焼きくしてやるからな』

『ハッ』

 私のおどしを、ダルガはせせら笑う。

『ずっと俺にびくびくしてたおくびよう者が、ずいぶん大きい口をたたくじゃないか』

 私が彼をおそれていることは、かされていた。

『そう。私は臆病者さ』

 だが。

『だから失うことにもとても臆病なんだ。いいか、お前のまんごうりきなんか届かない場所を飛びながら火をきかけるなんて、簡単なことなんだぞ』

 自分の四分の一も生きてないような若造のどうかつひるむほど、私だって若くはないんだ!

 私のえげつない脅しに、流石さすがのダルガも押しだまる。

 その間に、私はダルガの村へと急いで翼を羽ばたかせた。

「先生!」

 私がダルガの村に降り立つと、さけんで走り出そうとするアイとニナをダルガが押しとどめた。

 二人ともなわうでしばられてはいるが、目立った傷は見られない。ひどいことをされてはいないようで、私はひとまず胸をで下ろす。

 私たちの会話がエルフ語でわされているから、アイにはじようきようがよくつかめていないのだろう。不安げなまなしをこちらへと向けていた。一方で、ニナの表情はむしろこちらを心配している気がする。彼女らしいと言えば彼女らしいが、縛られた状態でちやをするのはできればやめてほしい。

『二人を、返してもらおう』

『いいぜ』

 岩で出来た例の剣をぶんと振り回し、ダルガは言った。

『ただし、お前が俺に勝ったらだ』

『何でそんな条件をんでやる必要がある?』

『俺はお前との約束を守っただろう。次はお前が俺の言うことを聞く番だ』

 私はなやんだ。直接的な戦いになれば、勝てる気がしない。

 ダルガの剣はベヘモスの首をも容易たやすく切りくのだ。恐らく私の鱗もつらぬくだろう。

 空を飛んできよを取ろうにも、この間合いだと恐らく彼のちようやくのほうが早く私に届く。

 つまりこうなった以上、いやが応でも彼と戦わなければいけない、という事だ。

彼女たちを連れ去ったのはそちらだ』

『だから、何だってんだ?』

 どうしたらいい。どうしたらいい。言葉をつむぎながら、私は必死に考える。

『無理矢理は良くないことだ。そちらに非があり、返す義務がある』

『はぁ?』

 ダルガは思い切り鹿にした表情をかべた。

 私自身、馬鹿なことを言っているとは思う。

 この世界で、この時代で、義務だのりんかんだのといったものは何の役にも立たない。

『何言ってやがんだ。こいつらは俺がうばってきたんだ。俺のもんだ。何で返さなきゃいけないってんだ?』

 本心からの言葉なのだろう。ダルガは堂々とそう言ってのける。

『まあ、どうしてもってんなら、こいつは返してやる』

 そう言って、彼はニナをき出した。

『こいつと引きえだ。それでどうだ』

 アイをぐいと引っ張り、ダルガ。

 仕方ない。仕方ないことだ、と私は自分に言い聞かせた。

『……わかった』

『馬鹿、あんた、何言ってんの!?』

 うなずけば、途端にニナがさわぎ出す。

『ごめんよ、ニナ』

 私は彼女の目を見てめ息をつき、深々と頭を下げた。

『……わかったわ』

 しぶしぶ、といった様子で、ニナはうつむく。

『これ、外してよ』

 ニナを縛る縄を、ダルガは切り裂く。

『じゃあ、こっちの女は俺のものだ。いいな?』

もちろん……』

 私は言った。

『良いわけないだろ』

『ハッ。じゃあ勝負するか?』

 これみよがしに、ダルガは剣をちらつかせる。

 私がそれを恐れていると知っているからだ。

『ああ、そうさせてもらうよ』

『なんだと?』

 頷く私に、ダルガはげんそうにまゆをひそめた。

『合図したら勝負開始だ、いいね?』

『合図?』

 彼の問いには答えず、私はその場に突っ立ったまま呪文のえいしようを始める。

「我がうろこより赤きもの、我がきばよりもつよきもの、我が血潮より熱きもの、我がまなこよりかがやくものよ」

『おい、合図ってえのは、なんだ』

 仕方ない。仕方ないことなんだ。

なんじは全てをがすやり、汝は全てをほろぼす剣、汝は全てを貫く矢、汝は全てをくだつち

『何ブツブツ言ってる?』

 ダルガにはわからない。

 日本語も、呪文の詠唱というがいねんも。

「束ね束ねて全てを穿うがつ、一条のせんこうとなれ」

 本当に。どいつもこいつも。

 何度も何度も、アイをものあつかいしやがって。

 いくらこの世界この時代の慣習、合理性があるからって、限度というものがある。

 だから私のかんにんぶくろが切れるのも、仕方ないことなんだ。

 そう、私は自分に言い聞かせた。

 アイは物なんかじゃない。

 彼女は、私の、大切な────

「汝が名は」

 最初の生徒なんだ!

竜の吐息Fire Breathing!」

 閃光が、私ののどの奥からほとばしった。

「は────」

『は……』

 全てが収まった後、私とダルガはたがいに視線を合わせる。

「はは……」

『は、は、は』

 どちらからともなく、笑い声がれた。

「ははははは」

『ははははははははは!』

 笑ってしまうしかなかった。

「わ、笑い事じゃないでしょー!」

 ニナが叫ぶ。

「死ぬかと思ったわよ!」

 そう。彼女が私のジェスチャーからブレスを吹くことを察して、とつにアイをかばってくれたから、二人は射線上からのがれてくれた。何度も私の溜め息を浴びてきた経験のたまものだ。

 閃光は……私の全力のブレスは、ダルガのけんを真っ二つに叩き割り、その後ろの彼の家をこなじんに吹き飛ばし、さらにその奥にあった森にまっすぐ一本の道を作り、おまけとばかりに背後の山の中腹に、それはそれはれいな風穴を空けていた。

 笑う以外、どうしろというのだ、こんなもの。

『次は、当てる』

 とりあえずそうおどせば、ダルガはすぐさまへいふくした。



  第16話 なしのドラゴン / Timid Dragon

見えないものが見えるからこそ、
出来ることが出来ないこともある。


 さて、どうしたものだろうか。

『参った。俺の負けだ!』

 地面にいつくばるようにしてこうべを垂れるダルガを前に、私は思い悩んだ。

 そう何度もだまされるわけにもいかないし、こううれいをつならここで殺してしまうべきなのかもしれない。また危害を加えられても困る。

 だが、私に人を殺せるか、といえば限りなくいなだ。

 そうするなら、さっきのいちげきで消し飛ばしておけば良かった。

 あのげつこうの中でさえ、私は殺人をしてしまったのだ。

 勿論、アイやニナが無事だったということもある。ガイさんたちも、多少傷は負ってはいたものの死ぬほどの状態ではなかった。彼ら彼女らにもしもの事があったら、いかりのままにき飛ばしてしまったかもしれない。

 だが結果として実害はなく、こうして落ち着いてしまったらもう無理だ。

 それに、何より、アイの前で人を殺してしまいたくない。

 仮にも教師として、それだけは出来ないと、私は思った。

『……わかった。もういいよ』

『もういい……ってのは?』

 ダルガはおそる恐るといった風に顔を上げる。

 土下座なんていう概念はないのだろうが、そう這いつくばられてもこちらの気分もあまり良くない。

『もう二度とわれわれに手出しをしないというなら、今回はのがしてやる』

 私がそう言うと、ダルガはきょとんとした。

『見逃す……? どういう意味だ?』

『そっちが何もしないなら、こっちもこれ以上何もしないって事だよ」

『俺を殺したり、女を持って行ったりしないってことか?』

『そうだ』

 ダルガにとってそれは、あまりに理解しがたい発想だったらしい。

 彼はぱちぱちと目をまたたかせ、いぶかしげに首をひねる。

『さっぱりわからねえ。そんなことして何の得があるんだ?』

『得なんてないさ。ただ、他人からうばうのを当たり前だと思いたくないだけだ』

『俺が言うのも何だけどよ……』

 ダルガは困ったような、とうわくしたような、みような表情をして言った。

『またあんたたちをおそうと思わないのか?』

『死にたいってことなら、望みをかなえてやってもいいけど』

『待て待て待て、そういうわけじゃねえ!』

 ズン、と前足をみしめて口を開けてやると、ダルガはあわててあと退ずさりながら手をる。

『いいさ。反省せずに約束を破るんなら、そうするといい』

 確かに私は甘いのだろう。

 意気地なしであることも認めよう。

 だがそれは、結果としてダルガが最後の一線を守ったからだ。

『その時は、この世に生まれてきたことをこうかいさせてやる』

 言葉とともに、久々に意図せず口元からほのおが漏れだした。

 いくら私でも約束を破って襲ってきたら、ようしやする理由なんてない。

 むしろそうしてくれた方がえんりよなくこうげきできて、スッキリするくらいだ。

 私の言葉をどうとらえたのか。

 ダルガは大きく目を見開いて、ただただ私の顔を見つめていた。

 あまりにちんな脅しにあきれているんだろうか。

 かと思えば彼はやにわに立ち上がり、ずんずんと私に近づいてくる。

 まさかいきなりやりあう気か、と身構えた、その時だった。

『兄貴!』

 ダルガはとつぜん私のうでをがしりとつかみ、そう言った。

『あんたのことを、兄貴と呼ばせてくれないか!?』

『……は?』

 そのエルフ語は、けつえんを指す言葉ではない。

 個人的に尊敬するものを呼ぶ、特別なしようだと聞いていた。

『俺は今まで、自分より強いやつなんかいないと思ってた。強いから、だれから何を奪おうが構いやしないってな。だから負けた以上、俺より強いあんたが俺の命を奪おうと、そりゃ当たり前の事だ』

 ひとみかがやかせ、興奮気味にダルガは言葉をつづる。

『だが……ちがうんだな。本当に強い奴ってのは。奪いすらしない。そうしなくったって、生きていける。敵を逃がしたって気にならないくらいの自信があるんだな!』

『ま、まあ……そういう、ことかな……?』

 どちらかと言うと現代人の平和ボケがけきっていないだけという気がするのだが、好意的にかいしやくしてくれるならそれにしたことはない。

『俺も、あんたみたいな強さを手に入れてえ。だから、兄貴と呼ばせちゃくれないか?』

『いやまあ、好きに呼べば良いけど……』

 とはいえ、単に私を油断させるための作戦かもしれないという疑いは捨てきれず、私はとりあえずそう答えた。

『良いのか! ありがとう!』

 ぴょんぴょんとねて喜ぶダルガはまるで子供のようだ。

 その様子を見ていて、ふと私はあることを思い出す。

『そは常になんじとともにありて、しかし目に見ることあたわず。とげはあれども花はなく、きばはあれども口はなし。我らが仲間にあだす時、汝はの者を受け入れる事をちかうか?』

『んん? どういう意味だ?』

 エルフ語で唱えたじゆもんの意味がわからなかったらしく、ダルガは首をかしげる。

『私たちには二度と逆らわない。そう誓えるか、と聞いてるんだ』

『ああ、そりゃもちろんだ。兄貴には二度と逆らったりしねえ』

 しんけんな表情で彼はうなずくが、特に目に見えた変化はない。

 ……しまったな。そつきようで使ったものだから、効果があったかどうかかくにんできるような呪文を織り込むのを忘れてた。

『とりあえず、私のことをなぐってみてくれないか?』

『え? 何でだ?』

『良いから』

 流石さすがに逆らうなと言った直後なのでいぶかしみながらも、ダルガはこぶしを振りかぶる。

『がっ!?』

「ぐっ!」

 にぶしようげきとともに、悲鳴は二つひびいた。

 ……思ったより、かなり痛い。

 あの剣じゃなきゃりゆううろこにダメージをあたえることは出来ないんじゃないかと思ったが、全然そんなことはなかった。ほおがじんじんと引きれて、まるで振り子のように痛みが行きつもどりつする。

『なんだ!? 身体からだちやちやいてぇ!』

 そしてどうやら、ほうは成功したようだった。

 イメージしたのはきんぞくにいう、そんくうの輪っかだ。

上手うまくいったみたいだね。私たちを攻撃しようとすると、そんなふうに痛むから気をつけて』

『そりゃあ構わねえけどさ……それ、兄貴はわざわざ殴られる必要あったのか? 拳が当たるより先に痛かったぜ?』

 痛みをこらえながら拳を振りぬいたのか。すごいこんじようだな。

『実験でそっちに痛い思いをさせるんだから、こっちも痛い目見なきゃ不公平だろ?』

 私がそう答えると、ダルガはぷっと吹き出した。

『やっぱりあんたには、かなわねえなあ』

 鹿にする色のない、じゆんすいな笑い声だった。


    * * *


「良いかい、しっかりと摑まってるんだよ」

「はい」

 アイが私の背中に生えた棘を、ぎゅっときしめる感覚。

 かみの毛と同じで、さわられていることはわかるけれど、そのかんしよくまでは伝わってこない。

 有り難いような、もったいないような、複雑な気分だった。

「何してんの? もたもたしてないでさっさと来なさいよー」

「待ってくれよ。こっちは君ほど小回りはきかないんだから」

 上空を飛ぶニナに言い返し、バサリとつばさを広げる。

 力強く羽ばたけば私の身体は一気に空高くい上がり、あっという間にニナを追い抜かして上空へと解放された。

「えっ、あっ、ちょっと待ってよ!」

「もたもたしてないでさっさと来なよ」

 私はおどけた口調でそう言うと、もう一度羽ばたき一気に彼女を引きはなす。考えてみれば、ニナと並んで飛ぶのは初めてだった。

「アイ、だいじよう? こわくない?」

「はい、だいじょうぶです」

 ──ニナ以外を背に乗せて、空を飛ぶのも。

「……怖い思いをさせて、ごめん」

「え? こわくないですよ?」

 不思議そうに答えるアイに、私は首を横に振る。

「違う。君がさらわれるような目にあったのは、私のせいなんだ」

 私は、彼女にすべてをした。

 ダルガに言われるがままに、彼の村へ行ったこと。

 酒にってんでしまったこと。

 私のよわごしのせいで彼にあなどられたこと。

 どれもこれも、私の責任だ。

「ちっともこわくなんて、なかったですよ」

 アイはやさしい声で同じ言葉をり返した。

「だって、きっと先生がたすけにきてくれるってしんじてましたから」

「それは結果論だ」

 たまたま上手くいったとはいえ、一歩間違っていれば彼女はひどい目にあっていたかもしれないのだ。

 すると、アイはくすくすと笑った。

「アイ……?」

「ごめんなさい。でも、なんだかおかしくて」

 笑い声を押し殺しながら、彼女は続ける。

「だって、先生。まほうってけっかだけをうみだすものじゃないですか」

 アイの言葉に、私はきよかれた。

 確かに彼女の言うとおりだ。

 炎が酸素と結合しながら熱と光を発生させるのが科学であるなら、魔法は熱と光だけをなにもないところから発生させる。

 いつの間にか彼女がそこまで深く魔法を理解していることに、私はおどろきをかくせなかった。

「だから、このけっかはあたりまえなんです」

 アイはほこらしげに、

「わたしの先生は、せかいでいちばんのまほうつかいさんですから」

 胸を張ってそう言った。

「……買いかぶりだよ。私は、そんなに大したものじゃない」

「そんなことないです」

 を言わせぬ口調で、アイは私の言葉を否定する。

 最近ようやく、だんだんとわかってきた。

 アイは基本的にひかえめで大人しい少女だが、ある事になるとたんがんになる。

「先生よりつよくて、やさしくて、すてきなひとは、ほかにいません」

 それは、私にかかわることがらだ。

「私は人では無いけどね」

 照れ隠しに軽口をたたけば、アイはぎゅっと腕に力を込める。

「それでもわたしは、だれより、先生のことを──」

 その時急に、強い風がいた。

 ごうと吹く風の音に、アイの声はかき消される。

「ごめん。今、何か言ったかい?」

 私は、そう聞いた。

「……いいえ」

 アイは、そう答えた。

「なにも」

 首をってただ、そう、答えた。

 ああ。

 ────やっぱり私は、なしだ。




竜歴17年



  第17話 成長 / Growth

いつまでもどもあつかいしてるから、
あんたは大切なモノを取りこぼすんだ。


 がらん、がらんと打ち鳴らされる木の板の音に、私ははっと目を覚ました。

 それは村のそばしんにゆうしたものがいるという合図だ。

 私と同時に目を覚ましたのだろう。どこを飛び出すと、ちょうどニナがとなりの小屋から同じように出てくるところだった。

「敵は南、村のはしを越えたところ」

 並んで走りながら、木々の声を聞いてニナが正確な位置を割り出す。

「数は──」

 彼女の言葉をさえぎるようにして、森の木々がメキメキとたおれていく。

 そして、村をぐるりと囲んで作られたさくが、はじけ飛んだ。

「一体」

 目の前にまでやってきたけものを見ながら、ニナはうんざりとした表情で言った。

 良くない思い出があるからだろう。

 村に侵入してきたのは、よろいぐまだった。

 しかも私とニナが出会った時にそうぐうしたものよりも、一回りは大きい。

「ニナ。君は村の人たちをたのむ」

「ん。まあ大丈夫だろうけど、気をつけて……」

「待ってください」

 ニナに背を任せ、一歩み出す私をすずの音のような声が引き止めた。

「先生。わたしに任せてはもらえませんか?」

 アイだ。

「……わかった。でも無理はするんじゃないよ」

「はいっ」

 うれしそうにうなずき、アイは私の前に出る。

 ニナも特に異論をはさむことはなかった。

 私のにらみに動きを止めていた鎧熊は、くみやすそうな小さな人間の登場にいきり立ち、うなり声を上げておそいかかる。

 しんちようで控えめなアイが自分から言い出すのはめずらしい。

 止めない理由は、それを尊重してやりたいという気持ちもあったし──

「我がうでは熊のごとく、我があし鹿しかの如く、我がはだは岩の如く、我が力は──」

 単純に彼女の強さを、私もニナも知っているからでもあった。

りゆうの如し!」

 アイは真っ向から鎧熊のこぶしで受け止める。その身長差は軽く三、四倍はあったが、押されるどころかむしろギリギリとアイの腕が鎧熊を押し返していく。

「えぇーいっ!」

 気合とともに、鎧熊のきよたいが宙を舞った。数メートル投げ飛ばされ、ゴロゴロと転がって柵を再びかいする。

氷柱つららの服をまとうもの、秋の木の葉を落とすもの、春の日差しにけるもの、雪と氷のせいれいジャックフロストよ。そのたなごころにぎりしめ、そのいきもて染めあげよ!」

 突き出されたアイの両手のひらから、すさまじい吹雪ふぶきが吹きれる。鎧熊はまたたく間に雪にまみれ、カチコチにこおりついてしまった。

明日あしたは、くまなべですね!」

 数秒残心を取り、鎧熊が動き出す気配が無いことをかくにんして、アイは振り返ってぐっとガッツポーズしてみせた。

「……おっそろしい女に育ったもんだなぁ。ありゃ、もう俺でも勝てそうにないですぜ」

おそい。何いまさら来てんのよ」

 身体からだふるわせながら言うダルガに、ニナは文句をつける。

「いやあ、俺が出る幕なんざないでしょう」

 がおでずるずると凍りついた鎧熊を引きずるアイを見ながら、彼はかたすくめた。

 私に負けを認めてからというもの大分腰を低くした彼だが、最近はアイの成長におされているのかことさらしゆしような態度だ。

 ──あれから、五年。

 私がアイを預かってからで考えるなら、六年以上がった。

 多少のかくしつはあったものの、結局私たちの村とダルガの村はがつぺいした。

 もともと、ダルガの村は彼一人が力とカリスマで束ねていた集団だ。

 彼が私の下に入ることでスムーズに話はまとまり、大きな問題もなくわれわれは一つの村の一員となった。

 付き合ううちにわかってきたのは、ダルガという男はで短気で自己中心的だが、身内には意外と優しいということだった。

 それは所有物に対するような振るいかもしれないが、少なくとも意味もなく傷つけたりはしないし、守るためには自分の命も張る。

 総じて、身内になってしまえばそう悪いやつではない。

 そんな感じで合併したのは、ダルガの村だけではなかった。

 自分たちではろくに食料を手に入れることもできず喜んで加わった村もあれば、外敵とみなして襲いかかってきた村もある。

 そんな時に一番役に立ってくれたのが、ダルガだった。

 何せ見た目からして、こいつにはかなわないというのがすぐわかる。

 おそれられるという意味では私も同様だけれど、同じ種族であるというのは大きかった。相手が竜なら食べられてしまうとてつていこうせんする村も、かろうじて同じ人間であろうダルガならば簡単にこうふくするのだ。

 ……まあ、一番効果的なのは、二人そろっておどしをかけることだったけれども。

 そうしてどんどん大きくなった村の人口は、今や千をえている。この時代の基準であれば、ほぼ最大級と言って良いのではないだろうか。

「あんた一応警備隊長なんだから、しっかりしなさいよ」

 私がそんなことを思い返してかんがいひたっている間にも、ニナの説教は続いていた。

「それだよ。別に俺なんかを隊長にしなくったっていいだろ」

 ダルガはちらりとアイに視線を向ける。

「この村には、強いほう使つかいが四人もいるんだからさ」

 正確には、彼女にけ寄る青年に。

「アイねーちゃん、だいじようか!? 俺が持つよ」

 すっかりアイの身長を追いいてしまったケン少年が、アイの引きずる鎧熊のがいを手に取ろうとする。

「大丈夫よ。このくらい」

 しかし、さほど力を込めてもいないであろうアイの腕に、彼の手は簡単に外されてしまった。今の彼女はドラゴン並みの力をめているのだ、無理も無い。

「先生も、あんまり危ないことさせないでくれよ」

 かと思えば、彼はほこさきをこちらに向ける。

「そうは言っても、本人がやるって言って、やれる実力もあるんだから。もう子供でもないし、頭ごなしには止められないよ」

 私がそう言うと、ケンは不満気な表情で私を睨む。

「何が、子供でもないだよ……」

 ぽつりと小声でつぶやいて、彼は走り去っていってしまった。

 ニナが無言のまま、私のわきばらの辺りをひじでぐいと押す。

「わかってるよ……」

 暮らしや魔法学校はじゆんぷうまんぱんだけれど、なやみの種はきないものだな。

 私はそう、痛感した。


    * * *


「アイねーちゃん!」

 アイを追う私の足を、ケンの声が止めた。

「どうしたの?」

 聞き慣れたアイのやわらかなこわいろに、彼女の表情までもが目にかぶ。

 竜の耳にははっきりと聞こえるその声は、しかし見えるはんよりずっと向こう。

 遠くでひそやかにわされているものだ。

 ぬすみ聞きのようで気がとがめはする。

 だが私は彼らの前に姿を現すことも、そこから立ち去り耳をふさぐこともできなかった。

「……やっぱり俺、手伝うよ」

「ありがとう。でもこれ、カチコチに凍ってるからわたし以外がさわると手が張り付いちゃうの」

 アイの引きる鎧熊の事だろう。冷気を自在にあやつる彼女は、自身も冷気に対するたいせいのようなものがあるらしい。私がけして火傷やけどを負わないのと同じだ。

「それだけじゃなくて! 全部……ずっと。助けたいんだ」

 熱くてまっすぐなケンの言葉は、まるで彼が操るほのおのよう。

「好きだ、アイねーちゃん。俺のよめに、来てくれ」

 私が予測した通りの言葉を、彼は口にした。

 私の足が凍りついたように動かないのも、それを予想したがゆえ

「ありがとう。ケンの気持ち、とっても嬉しい」

「じゃあ……!」

「でも、ごめんなさい」

 ……そして、アイの答えもまた、私が思った通りのものだった。

「何で……何で、俺じゃなんだよ!」

 まるでどうこくのようなその問いに、しかしアイは答えない。

 力なく立ち去っていくケンの足音に、私は深く息をついた。


    * * *


 村の北の外れに、かつてガイさんたちが暮らしていたどうくつがある。

 十数人でいつぱいになってしまうようなその小さな洞窟は、今はむろとして活用されていた。

 入り口をねんで塞ぎ小さな通路だけにして、中で定期的に冷気の魔法をかけるのだ。

 以前はつぼれいとう代わりにしていたが、一つ一つに魔法をかけるのは大変だし、かさるし、保冷性も低い。洞窟の氷室はそれらの問題を一気に解決したが、それが実現出来たのもひとえにアイの魔法の上達ぶりによるものだった。

 魔法はどうやら、適性のような物があるらしい。

 私が冷気の魔法を全く使えなかったり、ニナが木々を操るのを得意としているのはわかりやすいが、人にもそれぞれ魔法の種類に合う合わないというものがあるようだった。

 ダルガやガイさんは自分の肉体を強化する魔法以外はさっぱりだし、ケンは炎の魔法が得意。そしてアイは、この村ずいいちの冷気魔法の使い手だった。

 努力家の彼女は冷気に限らず様々な魔法を上手にあつかうが、冷気はことさら上手うまい。洞窟全体を冷やすほどの魔法が使えるのは、村でも彼女だけだった。ニナでさえ、彼女が生み出すような吹雪は起こせないのだ。

「やあ、アイ──」

 とびら代わりに垂れ下げられた毛皮をめくり上げ、氷室から出てきたアイに私は声をかけようとして、言葉を失った。

「先生。どうしました?」

 彼女の服には細かい氷のつぶいくつもついていて、月の光を浴びてキラキラとかがやき、まるでがみようせいのような神秘的な美しさをかもし出していた。

「……いや」

 れていた、などとは言えず、私は首をる。

「てっきり、わたしに見惚れてくれたのかと思いました」

 しかしそのおもいはあっさりとかされ、私はせきばらいを一つする。

「そうだね。君は、れいになった」

 ──本当に。

「ありがとうございます、お世辞でもうれしいです」

 そう言う彼女の笑顔は本当にりよく的で。

 どうにも困ったものだ、と私は内心たんそくした。

 たった六年。

 それだけの時間で、あの小さくて幼い少女は、成熟した美しい女性へと成長していた。

 くせのあるショートカットだったかみつややかにこしまでびて。

 少年のようにガリガリだったおうとつのない身体つきは、丸みを帯びた女性のそれへ。

 顔立ちからはあどけなさが抜けて、しっとりとしたいろただよわせていた。

「ケンはいい子だよ」

「わかってます」

 私の言葉に彼女の笑顔は消えて、すぐさまかたい声色の答えが返ってきた。

 これだけ魅力的な彼女だから、ケンに限らずきゆうこんする男は引きも切らない。

 しかしそのすべてを断っていることを、私は知っていた。

 そして多分、その理由も。

「私は……君に、幸せになって欲しいんだ」

 もちろん、結婚して子を作ることだけが幸福ではない。

 だがそれでも、私は彼女に人並みの幸福を感じて生きて欲しかった。

「先生、わたしはあなたが──!」

 その時だった。

 ちらちらと白いものが上から降ってきて、私たちは反射的に空を見上げる。

「雪……?」

「これが、雪なんですか? 初めてみました」

 この辺りの気候は温暖で、冬になっても雪が降ることは今までなかった。アイも雪や氷を理解するために連れて行った山で積もった雪を見たことはあるが、降ってくるのを見るのは初めてのはずだ。

「ホウ、ホウ、ホウ」

 みような声が、氷室の中から聞こえた。

 そいつはのっそりとした動作で入り口の毛皮をめくり上げ、再び、

「ホウ、ホウ、ホウ」

 と鳴く。

「ジャックフロスト……?」

 アイがぽつりと呟く。

 それにこたえるように、めくれた毛皮がこおりついた。



  第18話 氷のせいれい / Jack o'Frost

雪とともに現れ、氷柱つららともれにし、しもを立てながら歩く。
だけどアイツの一番しようわるなところは、
見た目はとっても可愛かわいいって事さ。


「ホウ、ホウ、ホウ」

 それは、私たちの様子をうかがうようにゆっくりとした動作で氷室からい出てきた。

 一歩みしめるたびにその足元には霜柱が立ち、その手がれた氷室のかべが凍りつく。

 たけはさほど大きくはない。アイと同じ程度だろうか。

 丸い身体からだに、丸い頭。氷柱をぶら下げたがいとう。そして何の感情も読み取れない、底なしの穴のような黒く丸いひとみが、私たちをじっと見つめていた。

「そんな、鹿な……」

 私は思わず呟く。

 この世界には、私の見知った生き物なんて全くいない。くまとか鹿しかとかうさぎとか、そういった名前はすべて似たような生き物に当てはめているだけだ。地球のものよりやたらときよだいだったり、足の数が多かったり、角が生えていたりと、進化のバリエーションは地球よりもかなり広いように思える。

 似通った生き物がいるのはわかる。進化というものは機能に応じてしゆうれんする。空を飛ぶ鳥につばさが必要なのは、ほうというものが実在するこの世界でも変わらない。魔法というのは、そういったもともとの能力を発展させるところから生まれるものだからだ。

 だがしかし、こいつは。

 ジャックフロストは、地球上においてもくうの存在だ。その外見は必要性のやいばけずられて作られたものではなく、ただの空想によってねられた粘土細工のようなものだ。

 それが何故なぜ、今、現実に目の前にいる?

「先生」

 ジャックフロストから視線を外さないまま、アイが硬い声でささやく。

げて下さい」

 ジャックフロストはパッカリと口を開けると、そこからすさまじい冷気がき出した。

 反射的に、私は口を大きく開いて炎を吹く。炎と吹雪ふぶきはぶつかり合い、打ち消し合った。

「……うそだろう!?」

 だが、全く勢いのおとろえない吹雪に対し、私の炎はき続ける事が出来るものではない。何せ呼吸と全く同一なのだ。私はとつにアイをきかかえると、翼を広げて宙へとった。

「一体何なんだ、やつは」

「先生、駄目です! 降りないと!」

 たたきつけるような雪とともに、暴風が私の身体を吹き飛ばす。何とか体勢を立て直そうと翼に力を入れるが、もうれつな冷気で凍りついて上手く動かせず、私はくるくると落ちていく。まずい。このままでは、地面にげきとつしてしまう!

 せめてアイだけでも守ろうと、彼女をぎゅっと抱きしめ尻尾しつぽと翼で包み込む。

 だが、数秒後にやってきたのは硬い地面のしようげきではなく、私を受け止めるやわらかな枝と葉のかんしよくだった。

「何やってんの、あんたは」

「ニナ!」

 高く伸びた枝の上に小鳥のように留まりながら、ニナは私を見下ろした。

「おおおおおお! らぁっ!」

 木の下から聞こえるばんせいに視線を向ければ、ダルガがいわつるぎを振るってジャックフロストを両断しているところだった。

 ぶわっと雪が舞い散って、ジャックフロストはバラバラにくだけ散る。

 しかしすぐに、雪のかたまりは再び集まって、元通りの雪だるまを形成した。

「なんだあ、こりゃあ!」

 これには流石さすがのダルガも目をいて飛び退すさる。

「兄貴、一体こいつは何なんです!?」

「いや……私にも、わからない」

 ジャックフロストであることは、確かだ。

 確かだが、一体何なんだ?

 悪魔か、妖魔か、妖精か。

 りゆうが実在するこの世界においても、バラバラになって死なない生き物なんて初めてだ。

「兄貴のほのおで何とか出来ないんですかい?」

「あいつの吹雪の方が強かったんだ」

「うえっ!? アレよりですか?」

 ダルガは五年前のことを思い出したのだろう。風穴が空いたままの山をちらりと見た。

「あれは全力でじゆもんえいしようしたからだよ。負けたのは無詠唱の、ただのいきだ」

「詠唱ありならあいつに勝てる?」

「多分、だいじようだとは思うけど……」

 ニナの問いに、私は首を振った。

「一言詠唱しただけでも、多分むろが吹き飛ぶ」

「別の手段を考えましょう」

 そくにニナはその案を切り捨てた。

 炎は、あまりに私と相性が良すぎるのだ。

 呪文まで使ってしまうと手加減というものが全くかない。

「俺がやるよ!」

 横から割って入ってきたのは、ケンだった。

「ケン。君も来てくれたか」

 確かに彼の炎の魔法なら、ジャックフロストをたおせるかもしれない。

 りよくの調整ができるという意味では、彼の方が私よりも上手うまいくらいなのだ。

「話はまとまりましたかい!?」

 ジャックフロストを粉々に吹き飛ばしながら、ダルガがさけぶ。

 すぐに再生するとはいえ、そのこうげきは全くのというわけではない。

 少なくとも、かいされている間は攻撃できないようだった。

 だがその身体は触れるだけで凍りつく。ダルガの岩剣は相当熱を通しにくいはずなのに真っ白に染まっていて、彼の二のうでまで凍りついていた。

 というか、何であの状態で剣を振るえるんだ、彼は。

「それじゃあ、私がすきを作るから。ケンは一発大きいの叩き込んで」

「わかった」

 ニナが音もなく地面に飛び降りて、ケンはうなずく。

「それとさ」

 彼はちらりとこちらをいちべつして、言った。

「先生、いい加減アイねーちゃん降ろしなよ」

 彼の言葉に、私はアイを抱きかかえたままだったことにようやく気がつく。

「ご、ごめん!」

 私はあわてて木の上から降りて、アイから手をはなす。

「大丈夫です……あの子を、止めないと」

 アイは少しだけずかしそうにうつむいた後、きりりと表情を引きめてジャックフロストを見つめた。

「木よ、根よ、葉よ枝よ、しげっておりとなれ!」

 ニナの呪文に呼応した木々が地面をき破って、ジャックフロストを囲みこむ。

 だがそれが生長しきる前に、ジャックフロストはぶんとその手をり回す。

 それだけで、手のひらに触れた木々ははしから凍りついてしまった。

「もう! なんでこんなに生長がおそいの!」

 いつもならへびのようにするりとびるニナの木が、やけにぎこちない。

 周囲の温度自体が、相当下がっているせいだ。

「火よ」

 私は飛び上がって、空へと首を向けて一言だけ呪文を唱えた。

 巨大な火の玉が私の口から飛び出して、夜の空をまるで太陽のように照らしだす。

「うおっ……こりゃすげえ」

つるよ、からまれ!」

 降り注ぐ熱線が辺りの氷を一気にかし、その機に乗じてニナがつたを伸ばす。ジャックフロストに絡みついた蔦はいつしゆんにして凍りついて、その身体を固定した。

「赤き舌を伸ばすもの、炎のころもを纏うもの、たきぎらう蜥蜴とかげよ──」

 呪文を唱えるケンの方向に、ジャックフロストの顔がぐるりと回る。

 そして三日月のようなその口から、彼けて吹雪が吹きれた。

「氷柱の外套をわれに!」

 アイのするどい声とともに、ケンの目の前に氷柱がたてのようにそびえ立つ。

 ……そうか。防ぐだけなら炎よりも、氷の方が有効なのか。

「その舌先でつらぬいて、その吐息もて焼きくせ!」

 ケンの呪文が完成し、凄まじい熱量を持った火球が彼の指先から放たれた。

 それはアイの作り出した氷柱を貫き、そのままの勢いでジャックフロストに突きさる。

 熱した鉄を水に突っ込んだような音がジュワッと鳴りひびいて、ジャックフロストはあとかたもなくしようめつした。

「ふぅっ、やったか……」

「みたいね」

 今度こそ再生してこないことをかくにんし、ダルガは息をついて剣を地面に突き刺す。

 ニナもきんちようを解くのを見て、私もようやく胸をで下ろした。

「しかし兄貴、強すぎるってのも考えものですな」

「火は本当に調整が利かなくてね。それでも並の相手だったら無詠唱の吐息や、つめでなんとかなるんだけど」

 何か炎以外の攻撃方法も考えておいた方が良いかもしれない。

 風をあやつるのは割と得意なのだが、空気は軽すぎるせいで攻撃手段にはあまり向いていないのだ。

「アイねーちゃん、どうかしたの?」

「ううん。なんでもない……」

 ケンの問いに、アイは首を振る。

 言葉の割に、彼女はどこか思いつめた表情をしていた。

 どうしたんだろう? と見ていると、こちらを向いた彼女と視線がぶつかる。

「あの……先生。ちょっとお話ししてもいいですか?」

「ああ。もちろん、構わないけど」

「では、わたしの家で」

 頷き、彼女の後を追って村へと向かう。

「それって、俺たちが聞いてちゃ駄目なの?」

 そこを、ケンが止めた。

「駄目ってことは……ないけど」

「だったら──」

「ねえ」

 ケンの言葉をさえぎる形で、ニナが空を見上げながら声を上げた。

「これ、まないんだけど」

 彼女がかかげた手のひらに、雪はいまだにはらはらと落ちている。

 はっと気づいた時には、降り注ぐ雪はくるくるとうずを作り、一ところに集まっているところだった。

 頭から完成していくジャックフロストの口が、三日月の形をえがく。

 私の視線を追ってアイが振り向く動作が、いやにゆっくりに感じられた。

「駄目!」

 彼女は両腕を大きく広げ、叫ぶ。

 ごう、と白い風がき。


 次の瞬間には、アイの身体からだは完全にこおりついていた。



  第19話 ゆうどうじゆぶつ / Arcane Connection

お前がきらいなやつの爪ひとかけかみ一本、血のひとしずく
なんでもいい、一つでもおれにわたしてみろ。たちまちのろい殺してやるよ。
──呪術師サワリ


「アイ!」

 悲鳴のように名前を呼んで、私はその氷を溶かそうと炎を吹く。

 だが氷は竜の吐息を浴びても溶けるどころか、さらに大きく広がり柱のようなけつしようになってアイを包み込んだ。

「ホウ、ホウ、ホウ」

 ジャックフロストは笑うような鳴き声を上げ、ぴょんと飛ぶ。

 その丸い身体がふわりといて、雪だるまは空中をすべるかのようにげていった。

「あっ、待ちやがれ!」

 その後を、ダルガが追う。ジャックフロストが飛んで逃げるのなら、一番空を上手く飛べる私が追いかけるべきだったのかもしれない。

 しかし、それどころじゃなかった。

「アイ、アイ! くそっ……どうしたら!」

 どんなに息を吹きかけても、氷の柱が溶けないのだ。

「先生、どいて!」

 呪文を完成させたケンが、大きくふくれ上がったほのおかたまりをアイにぶつけた。

 火傷やけどしたらどうするつもりだ、という言葉を、私は何とかみ込む。

 しかしそれは無意味な心配だった。

 ケンのほうでも、氷は溶けるどころか、表面にすいてき一つ生まれなかったからだ。

「我がうろこより赤きもの……」

「落ち着きなさいよ」

 こうなったら呪文を使うしか無い。そう考えてえいしようを始めた私の尻尾しつぽを、ニナがぐいと引っ張った。

「そりゃあ流石さすがに溶けるだろうけど、アイが死んじゃうよ」

「だが、このままじゃ……!」

 全身を氷におおわれて、呼吸なんて出来るわけがない。

 確かちつそくは、五分以内に酸素を供給しないと脳にダメージがいってこうしようが残るはずだ。モタモタしているひまは全く無い。

「多分、このままならだいじよう。これ、木が枝葉を落としてるのと同じ状態よ」

 だがあせる私とは対照的に、ニナはにくらしいくらいに冷静だった。

「……とうみんしてるってことか?」

「そーそー、それ。トウミン。少なくとも、すぐ死ぬとかそういうことはないから」

 ニナの言葉といつものひようひようとした態度に、私は何とか落ち着きを取りもどす。

「でも、何でそんなことがわかるんだい?」

「え? 見ればわかるでしょ?」

 ……どうやら、後でまたニナからくわしい話を聞く必要がありそうだ。

「とはいえこのまま春を待つってわけにも行かない。一体どうやったら、この氷が溶けると思う?」

「さっきの奴をたおせば、勝手に溶けるんじゃないかな」

 おそらくそうだろう、という予感は私にもあった。

 それくらいしか思いつかないと言った方が正しいが。

「倒すと言っても、跡形もなく消しても死なないんだ。どうしたら……」

「死ぬまで何度も燃やせばいいんじゃない?」

「……そんな単純な問題かなあ」

 雪というのは要するに、凍った水だ。水は蒸発しても気体になるだけで、消えるわけではない。ジャックフロストが無限に再生するのもそのせいだろう。

 くだいたって切りいたってだし、炎も無効だとしたら、一体どうすればいいのか。

「くそっ、すまねえ兄貴! 見失っちまった!」

 私が思いなやんでいると、息を切らしてダルガが戻ってきた。

「森の外に出て行ったことまでは、わかるんだが……」

 この村は四方を森に囲まれている。

 と言うよりも、森を切り開いて作ったという方が正しいだろうか。

 その森の更に外側に広がるのが、広大な草原だ。

「……やつかいだな」

 森と草原なら、どう考えても森の方がかくれやすい。

 しかしそんな常識は、私たちの間では通用しなかった。

 森のしん、木々の申し子、ニナがいるからだ。

 木の上に登ろうが、しげみの中に隠れようが、土にもぐろうが、それが森の中であればニナの手のひらの上に近しい。

 だが広大な草原を捜すとなると、彼女の力は役に立たない。

 昼ならまだしも、夜中の今となるとほとんど絶望的だ。

 原始時代の夜は恐ろしく深く暗く、空から見ても何一つ見えない。

「朝を待つしかないわ。アイの事は私が見ているから、あんたはなさい」

「しかし……」

 朝になって、まだジャックフロストが草原にいるとは限らない。

 いや、すでにもっと遠くまで行ってしまっていてもおかしくはないのだ。

 こんなじようきようで大人しく寝られる気など、全くしなかった。

「森にいないのは確かなの。だったら、捜せる可能性があるのはあんただけ。日が出たらたたき起こしてあげるから、さっさと寝て体力を温存しておきなさい」

 ニナが口にするのはぐうの音も出ないほどの正論。

 しかし、それに従おうと言う気持ちは全く出てこなかった。

 氷の柱にとらわれたアイの姿を、じっと見つめる。

 りよううでを左右にばし、彼女はまるでたつけいに処されたキリストのように目を閉じている。あの時、彼女は私をかばってこうなった。そんな彼女を置いてのうのうとねむることなんて、とても出来そうにない。

 とはいえ、ニナの言うことが正しいというのもまた、私はわかっていた。

 手がかりなど何もない以上──

「……あるじゃないか」

 不意に、私は気がついた。

「岩のようにかたきもの、されど風のようにみしもの。かげのように冷たきもの、されど光のようにまばゆきもの、なんじ水の成れ果てよ。我が声に耳をかたむけ、その面に汝が主の姿を映し出せ……!」

 それはアイを凍らせている氷だ。

 私の炎でもけない氷は、ただ水分を冷やしただけのものであるはずがなく、明らかに魔法で出来ている。つまり、ジャックフロストと強い結びつきを持っているということだ。ジャックフロストの一部と言いえてもいい。

 かつて私が自分の鱗を通じて声をダルガに送ったように、かつて一つだったものには魔法的な結びつきがある。私はこれを呪物と呼ぶことにした。

 魔法というのは基本的に、目に見えないはんにあるものにはかけることが出来ない。魔法にはにんしきが必要で、見えないものは認識できないからだ。

 しかし、呪物に関係しているものになら、目で見えていなくとも魔法でかんしようできる。ニナがこの広い森をすべかんできるのも、森の木々が彼女にとっての呪物だからだ。

「映った!」

 魔法そのものを呪物としてあつかうのは初めてだったが、私は逆探知に成功した。氷柱つららの表面に映しだされたのは、山を登っていくジャックフロストの姿。草原を更に南にけた先の山であることまでが、私には手に取るように伝わってきた。

「ニナ、これを」

 私は一枚鱗を外して、ニナにわたす。

「やり方はわかるね? 奴の居場所を、私に伝えてくれ」

 私が追いつくまで、ジャックフロストが大人しくしてくれているとは限らない。ここで奴の動向を追い続ける人が必要だ。ニナなら、私と同じことくらい簡単にできるだろう。

「……わかった」

 うなずく彼女を確認し、私はつばさを大きく広げる。

「待って!」

 それを、ケンが呼び止めた。

「先生、俺も連れてってくれ!」

 ケンの言葉に、私はいつしゆんしゆんじゆんした。

 彼が私に反目しているからではない。

 確かに彼は強力な魔法使いだが、実戦経験は非常にとぼしいからだ。

 一方で、ダルガは肉体強化しか使えないものの、その力はじんだいだ。

 何より戦うというこうに慣れている。

 私はりゆうといってもまだ精々三メートル程度の大きさでしかない。

 乗せられるのはどちらか一人だ。

 山の上なら私はそれほど周囲のがいを気にすることなく力をるえるし、連れて行くならダルガの方が良い気がする。

「ケン、悪いけど……」

「兄貴、ぼうを連れて行ってやってくれ」

 意外にも、ケンにたすぶねを出したのはダルガ本人だった。

「俺じゃあ精々足止めくらいしか出来ねえ。あのろうにゃ、俺より坊主の方が役に立つだろうよ」

「オッサン……」

「そんなにとしはなれてねえよ。お兄さんって呼べ」

 二人は軽くこぶしを合わせ、ニッと笑い合う。

 良好な関係を築けている二人の間が、少しだけうらやましかった。

 とはいえそんなことを言っている場合でもない。

「しっかりつかまれよ、ケン!」

「おう!」

 ケンを背中に乗せて、私は夜の空に一気に飛び上がった。

「う、わ、あ……!」

 背中の上で、ケンが悲鳴を上げる。

「すげえ……!」

 どうやら悲鳴というより、かんたんの声のようだった。

 そういえば、彼を乗せて飛ぶのはこれが初めてだ。

 空を飛べる程の魔法使いもニナとアイだけだし、ここまで高い光景を見るのは初めてだろう。

「……これが、先生がいつも見ている景色なんだな……」

 ケンはぽつりと、そんなことを言った。

「景色も何も、なんにも見えないけどね」

 夜の空ははっきり言って真っ暗だ。

 さっきまで見えていた月もすっかり雲のかげに隠れてしまったため、本当に何も見えない。かろうじて、下の方にわだかまる黒い影が地表だろうということがわかるだけだった。

 私はついらくしないように気をつけながら、山の方向を目指す。

 すると真っ暗な空に、ぼんやりと何かがかびでた。

 こんな夜に、空の上に現れるものなどそうそうあるものではない。

 ちがいかと何度かまばたきし、じっとやみに目をらす。

 闇の中に現れたのは。


 ダルガの、たくましい、しりだった。


「ぶっ」

 あまりの事に、私は思わずほのおき出す。

『ん。その様子だと、上手うまくいったみたいね』

 同時に、ニナの声が聞こえてきた。

「ニナ、なんだいこれは。一体どういうこと?」

 目の前のダルガの尻は、空を飛ぶ私からつかず離れず居座り続ける。

 ダルガに思うところは全く無いのだけれど、正直、非常にいやな気分だった。

『いちいち口で説明するのめんどうくさいでしょ。だから、私の見てるものを、あんたにも見せてる』

 ダルガの尻が視界から消え、次に出てきたのはアイのむなもとのドアップだった。

「見てるものを、って……どうやって?」

『さあ。やってみたら出来た』

 この天才は!!

『で、これ。さっきのやつは……』

 つい、と指が現れた。多分、ニナが見ている彼女自身の指なんだろう。

『山のこの辺にいる』

「……胸でたとえるのはやめなさい」

 ニナが指差したのは、アイの豊かなふくらみの頂点だった。

『わかりやすいじゃない』

 確かにものすごくわかりやすいけれども。

 というか、ニナ、アイの胸をぎようし過ぎではないだろうか。

 私の目の前にあるげんえいが彼女の見ているものとするなら、ほとんど胸しか見てないんだが……

「とにかく、ありがとう。向かうべき方向はわかった」

『今は動いてないみたいだから、そのまま進んでだいじようよ。動いたらまた知らせる』

 その言葉を最後に、幻影はぷつりと切れた。

「先生、あれじゃないか?」

 幻影が消えてしばらくした後、不意に背中の上でケンが声を上げた。

「あれって?」

「ほら。あれだよ」

 どうやら前を指差しているようなのだが、振り向いてその指を見るわけにもいかない。だが、山まではまだそれなりにきよがある。

 ぼんやりと山のりんかくが見えるくらいで、この距離から見つけられるとは思えなかった。

「どれのことを言ってるんだい?」

「だから、あれだって! 見えないの?」

 以前行ったことがあるから、山までの距離感は正確に摑んでいる。

 そこから大きく動いたならニナかられんらくがあるはずだ。

「ほら、あんなに近くにいるのに!」

「近くって、ケン。私は結構な速度で飛んでいるんだよ? 近くにいたというなら、とっくに追いしてしまっているはずだよ」

 かくできるものが何も無い上に、背中には強い風が当たらないようほうで守ってもいる。そんな状態だからゆっくり飛んでいるとさつかくしたのだろうが、実際は時速五、六百キロは出ているはずだ。

「でも、ずっとあそこに……」

「今、目の前には山しか……」

 私たちは同時に、口をつぐんだ。

 気づいてしまったからだ。

 たがいの認識の合っているところと間違っているところ。

 そして、ニナの情報が誤っていた事に。

 ジャックフロストは山の上にいるんじゃない。


 二つ並んだ山の片方が、ジャックフロストだった。



  第20話 魔力結合 / Mana Link

その時山を吹き飛ばした彼が何て言ったと思う?
「やっぱり、先生はすごいな」
ですって。笑っちゃうよね。
──緑の魔女、ニーナ


「あ、あんなに大きかったっけ!?」

「そんなわけないだろ!」

 確か、あそこにはもともと山があったはずだ。

 それが半球状に盛り上がって、大きな目と口が付き、丸々ジャックフロストの頭になっている。

「山頂の雪を吸収して、大きくなったのか……?」

 それにしたって、あまりに大きすぎる。

 あそこまで大きいと、私の全力でも消せないんじゃないか?

 ケンと二人でせんりつしていると、ジャックフロストの口が三日月状にカパリと開いた。

蜥蜴とかげ、火を出せっ!」

「炎よ、燃やしくせ!」

 私たちは同時にじゆもんを唱える。直後、もう吹雪ふぶきが私たちをおそった。

 二条の炎が互いにねじれ合わさり、放出される。それはかろうじて吹雪の勢いときつこうするが、二人合わせて何とかかく

 ──いや、それ以下だ。

「先生っ……! これ、いつまで続くんだ!?」

 ケンのさけび声に、私は答えられない。口から炎をいているからだ。

 だが、彼もまた限界が近づいているということはそのこわいろから判断できた。

 私が炎を吐き続ければ呼吸が苦しくなるように、魔法も使い続けるのは無理があるのだろう。

 だが、ジャックフロストの吹雪はどうやらほとんどじんぞうだ。このままでは遠からずち負けて、吹雪に巻き込まれ地面にたたきつけられる羽目になる。

 アイがやったように氷で防ぐことができれば良いが、私は氷の魔法とひどあいしようが悪い上に、ここは空の上だ。せき的に魔法に成功したとしても、氷の柱を立てることなど出来ない。

 どうする。どうする……!

「くっ、ごめん、先生!」

 ケンが先に力尽き、炎がえた。たん、吹雪はぐっと私の炎を押し返して、じよじよにこちらへとせまってくる。吹雪のはんからのがれようと私は必死に横へ飛んでいたが、ジャックフロストは吹雪の向きを変えられるのだろう。一向に吹雪の中からける気配はなかった。私の炎もそろそろ限界だ。

 私の炎も途切れると、一気に氷雪がこちらに向かって雪崩なだれ込んできた。まるでけつかいしたダムのようだ。

けろ────」

 だがそれにみ込まれる寸前で、私は思い出す。

 こうげきを防ぐには真逆のもので対抗するより、同じものをあやつった方が楽なのだ。

 私は氷を作り出すことは出来ないが、

「風よ!」

 風を操ることは大の得意なんだ!

 吹雪は私の目の前で真っ二つに裂けて、後方に流れていく。自分から放出するたぐいの魔法ではないせいか、これならいくらでもできそうだ。

 とはいえ、正確に風を切り分け吹雪を防ぐにはなかなか集中力がいる。

 同時に炎の魔法を使うのは難しそうだ。

「ケン、吹雪は私が防ぐ。君は攻撃してくれ!」

「わかった!」

 私は風を切り裂きながら、針路をジャックフロストの方へと向けた。とにかく、有効でないにしてもあのきよたいをある程度小さくしないことにはどうしようもない。

「赤き舌をばすもの、炎のころもまとうもの、たきぎらう火蜥蜴よ──」

 ケンの呪文を聞きながら、私はふと思う。

 あれが氷のせいれいであるとするなら、炎の精霊として火蜥蜴サラマンダーを呼び出せば、対抗できるのではないか?

 不意に浮かんだその考えを、私はすぐにかき消した。

 呼ぶこと自体は、多分出来るのではないか、という気がする。

 だがそれで火蜥蜴までせいぎよを失って暴れられては、目も当てられない。

なんじすべてをがすやり、汝は全てをほろぼすけん、汝は全てをつらぬく矢、汝は全てをくだつち。束ね束ねて全てを穿うがつ、一条のせんこうとなれ!」

 ケンの手のひらから閃光がほとばしった。

 それは吹雪をやすやすと貫き、ジャックフロストに穴を開ける。

「それは……!」

 彼の唱えた呪文の後半は、かつて私がダルガにマジギレした時に使ったものだった。

「……先生のことは、尊敬しているよ」

 ケンはかたで息をしながら、不意にそんなことを言った。

だれよりも強くて、誰よりも色んなことを知ってて、誰よりもやさしい。子供のころからずっと、先生は俺のあこがれだ」

 そういえば、五年前は彼ももっとじやに私に接してきたように思う。

「でも、それとアイねーちゃんのことは、別だ。わかってるんだろ? アイねーちゃんが、なんできゆうこんを断り続けてるか。なんで……」

 ああ。

「──なんで、俺のことを、ただの弟としてしか見てくれないか」

 もちろん、わかっているとも。

 そんなのはずっと、ずっと前から、わかっていた。

「なのになんで、こたえてやらないんだよ!」

 閃光の魔法は、ケンには負担が大きいらしい。

「それとも、先生は、アイねーちゃんのこと、何とも思ってないのかよ!」

 断続的に撃ちながら、息を切らして彼は私に問いかける。

「言えよ。大人ぶってないで、子供あつかいしてないで」

 そんなこと──

「じゃなきゃ、にでも、俺が」

「好きに決まってるだろう!」

 私は気づけば、えていた。

「あんないちで、優しくて、ひたむきで、可愛かわいい子を……! 好きにならないわけ、ないだろ!」

「だったら!」

「だけど、私は、りゆうなんだ!」

 それは、今までずっと口にしなかった言葉だ。

「手をつないでいつしよに歩くことも出来ない。子を作ることも出来ない。──彼女をきしめることすら、出来ないんだ」

 竜ののどもとからむなもとの辺り。

 ちょうど、前世の竜の伝承ではげきりんが生えているとされる場所。

 そこに逆さのうろこはないが、代わりにもっとも私の体温が高い場所だった。人がさわれば、火傷やけどじゃすまない。抱きしめるというのは、アイの顔をそこに押し付けることになる。

「そんな相手と一緒になって……あんないい子が、一生を棒にることなんかない。そうだろう?」

 私の言葉に、今度はケンは言い返さなかった。

 その時、ジャックフロストの周囲に巨大な氷柱つららが何本も現れた。

 吹雪では仕留め切れないと見て、攻撃方法を変えてきたか。

 氷の矢……いや、これはもはや槍とか、じようついとか、そういったものの方が近い。とても風でらせるようなものじゃなかった。

「風よ」

 だが、方法はある。

「我がつばさを運べ!」

 相手を動かせないなら、こちらを動かせばいいのだ。

 れる強風を受けて、私の身体からだは上下左右に高速で移動する。

 だがこんな方法で、いつまでもけきれるわけじゃない。

 次から次へと無尽蔵に飛んでくる氷の槍は、徐々に小さく、そして多くなっていく。

 質より量の方が重要だと気づいたのだ。私が抜けるすきもなく面で制圧されてはどうしようもない。

「先生。先生の気持ちは、よくわかったよ。なつとくしきれたわけじゃないけど……」

 何かが吹っ切れたような声色で、ケンは言う。

「先生の力を貸してくれないか?」

 彼が何を考えているかはわからない。

 ただ一つ、はっきりしていることがあった。

 彼も私も、心の底からアイの事を思い、そのために戦っているということだ。

「ああ。勿論だ」

 だから、彼の申し出を断る理由はなかった。

ほのおの舌を伸ばすもの、赤き衣を纏うもの──」

 いつものように、ケンは呪文のえいしようを始める。

するどき角を持ちしもの、かしこを持ちしもの」

 いや。ちがう、これは──

「心優しきおお蜥蜴とかげ、誰よりもほこり高く強き火竜よ」

 私へ語りかける呪文だ!

「そのいきわれに貸しあたえよ。そのをもちて、かのものを焼き滅ぼせ!」

 カッと腹の底から熱がき上がるのを、私は感じた。

 ああ、良い。

 全部持っていけ!

 ケンの手のひらから、炎が吹き上がった。

 威力だけにねらいをしぼって束ねた閃光とはまるで違う。

 赤く、熱く、激しく吹き上がる炎。

 これが本物の竜の吐息だ。

 巨大なえんは飛んでくる氷柱ごとジャックフロストを包み込み、蒸発させる。そしてそのまま山一個分を、まるまる燃やしてしまった。

「……やっぱり、先生は、すごいな」

 放心したように、しみじみとケンがつぶやく。

「いや、まだだ!」

 私は翼をはためかせ、ジャックフロストがおおっていた山の頂へと急降下した。

 雪は、まだんでいない。

 案の定、降りしきる雪は一つに固まり、ジャックフロストは復活しようとしていた。

「どうするの!? 先生!」

 その姿を見ながら、私は確信する。

 そこはかつて、私が氷というものを理解させるために、アイを連れてきた場所だった。

 やはりこのジャックフロストは、アイが出したものなのだ。

 彼女がほうで作り出し、そして暴走させたもの。

 なら、解決方法はこれでいいはずだ。

 私は大きく口を開け──

 ばくり。

 と、ジャックフロストをみ込んだ。

 思えば、彼女が最初に暴発させた魔法も、私がこうして吞み込んだんだった。

 魔法そのものである私の身体の中に入れれば、魔法は消える。

 そうでなくとも、私の体内の炎によって常にかされ、ジャックフロストは形を保てないはずだ。

 その予想はどうやら正解だったらしく、すぐに辺りに降り注ぐ雪は止む。

 暗雲はあっという間にさんして、彼方かなたの地平線からのぼり始めた太陽が、山の頂をまばゆく照らした。



  第21話 解呪 / Disenchant

おとぎばなしとは何もかも正反対だったよ。
原因も、性別も、順番も。


何故なぜだ!?」

 私は思わずさけんだ。

「なんで……なんで、溶けていないんだ!?」

 そう。

 ジャックフロストをたおして帰ってきても、アイはこおったままだった。

「ジャックフロストとかいうやつは消えたはずなんだけど……」

 流石さすがのニナも、かたこわいろまゆを寄せる。

「ああ。それは確かなはずだ」

 ニナが言うには、私がジャックフロストを吞み込んだ後、しばらくして反応が消えたという。改めてアイを包む氷柱つららに魔法をかけても反応はなく、辺りに降る雪も消えている。

 ジャックフロストが探知魔法へのたいこう手段を編み出したと考えるよりは、消えてもなお魔法の効果が続いていると考えたほうが良いだろう。

 だがそうだとするなら、一体どうしたら良いのか。

「先生」

 アイを囲んでなやんでいた所にやってきたのは、ガイさんだった。

「ガイさん……すみません。私のせいで、アイが……」

「先生の、せいじゃ、ない」

 辿たどたどしいことづかいで、ガイさんは首を振る。

「しかし……」

「先生」

 消え入ってしまいたい思いでうつむく私を、ガイさんは力強い口調で呼ぶ。

「俺は、マホウのこと、よく、わからん。コトバも、うまくない」

 彼の言うとおり、ガイさんの日本語はつたない。

 だが大切なことを伝えようとしていることは伝わってきて、私はしんけんに彼の目を見つめた。

「だけど、アイのことは、スコシわかる」

 彼は視線をアイに向け、氷の柱にそっとれる。

「これは、アイがジブンでやった、思う」

「自分で? 何故、そんなことを……」

「先生と、ずっと一緒、いるため」

 簡潔なガイさんの言葉に、私はしようげきを受けた。

 すべてが繫がったからだ。

「岩のようにかたきもの、されど風のようにみしもの。かげのように冷たきもの、されど光のように眩きもの、なんじ水の成れ果てよ」

 私はじゆもんを唱える。

 アイを包む氷の柱にではなく、むろの中の氷に向かって。

「私に教えてくれ。お前たちが聞いたおもいを。お前たちのうちに閉じ込めた言葉を」

 たん、無数の言葉が流れ込んできて、私はようやく、全部を理解した。

 この世界では私とアイしか知らないジャックフロストの姿。

 二人でおとずれた雪山の場所。

 氷室でり返し使われた冷気の魔法。

 ジャックフロストの実体化がアイの魔法にるものだという事は、察しがついていた。しかしそれは、魔法の副作用というか、繰り返し使いすぎたが為の事故のようなものだと思っていた。

 だが、違ったのだ。

 アイはにんたいづよい子だ。

 彼女が人前で不平や不満をこぼしている姿を、一度も見たことがない。

 だけどそれは、不平不満を持っていないという事ではなかったのだ。

 そんな当たり前のことを、私は全くわかっていなかった。

 ジャックフロストは、昨夜とつぜん現れたわけじゃない。

 ずっと氷室の中にいて、アイはその心中を彼にだけしていたのだ。

 そして、彼女を受け入れようとしない私を見て、その姿を現した。

 ジャックフロストは暴走してたんじゃない。

 彼なりに忠実に、アイの願いをかなえようとしたんだ。

「……アイ」

 私は凍りついたアイに向き直り、氷の柱をかかえるように手を当てた。

 アイの身長は、百六十センチくらいだろうか。

 私の体高は二メートル程度だが、長い首を前に垂らしている分顔の位置は低くなり、ちょうど彼女の顔が私の目の前に来る。

 そう。

 よく私の前足にしがみついていた小さな女の子の目線は、もう私と同じ高さなのだ。

 対して、私の身体はほとんど大きくなっていない。

 これ以上大きくならない、というわけではないのは、母を見ればわかる。

 彼女は今の私の十倍以上の体格を持っている。

 寿じゆみようが、長いのだ。あつとうてきに。

 アイはもはや完全に成熟した女性だが、私はいまりゆうで言えば幼年期すら終わっていない。そんな有様だ。

 そうして、アイは私にあっという間に追いつき、追いし、そして遠いところへ行ってしまうんだろう。

 それが、つらくて、おそろしくて、私は彼女を遠ざけた。

 一心に、ひたむきにしたってくれる彼女の気持ちに気づかないふりをして。

 何が、幸せになってほしいだ。

 ただ単に、私は、こわくてげていただけだった。

 アイはそんなどうしようもない私のことさえ理解して、凍りついてまで、いつしよにいることを選んでくれたというのか。

「……いやだ」

 本音がぽつりと、転げ出た。

 だけど彼女の魔法は強力で、恐らくかけた本人にしか解くことは出来ない。

 もしそうなら、もうこの魔法は二度と解けないということだ。

 ……いや。

 方法は、一つだけあった。

 ケンが私に呼びかけてほのおを呼び出したように、私もアイに呼びかけて、彼女の魔法を使えばいいんだ。

「……アイ」

 呼びかける対象の様々な側面から言いえるのが、私が作った呪文のセオリーだ。

 なのにそれを完全に無視して最初に彼女の名前が口をついて出て、私はなんと呼びかけたら良いのか頭を悩ませる。

「私は……凍りついたままの君と永遠に一緒に過ごすなんて、嫌だ」

 とりとめもなく、まるでをこねる幼児のように、私は言葉をつむいだ。

「君と一緒に食べた魚は、凄く美味おいしかった」

 上手うまい呪文なんか全く思いかばなくて、代わりに昔の思い出ばかりが去来する。

「君とニナと同じ家で暮らした生活は、本当に楽しかった。……入浴まで一緒にするのは、ずかしかったけど」

 ああ、そうか。

 とうとつに、私は気づいた。

「今こうやってみなが豊かに暮らせているのも、ずっと君が私のそばにいてくれたおかげなんだ」

 私は今まで魔法のことを、まるでわかっちゃいなかった。

明日あしたも、明後日あさつても、来年も、その次も」

 どうして呪文は重ねれば重ねるほど、力を増すのか。

「ずっとずっと……君のがおを見ていたいんだ」

 それは、そこに込めた想いを、重ねるからだ。

「出てきてくれ。アイ」

 私はぎゅっと、氷の柱をきしめる。

「君を──愛しているんだ」

 そのしゆんかん

 氷の柱は急にその硬さを失い、水となってばしゃりと落ちた。

「わたしも──」

 声をふるわせながら、アイがうるんだひとみで私を見つめる。

「わたしもです、先生」

「アイ!」

 抱きしめたくなるしようどうをぐっとこらえ、私はそっと彼女のりようかたに前足の指を乗せた。

 すると彼女はそのまま飛び込んできて、私の顔をぎゅっと抱きしめると、けんの辺りにそっと口付ける。

 彼女のやわらかなかんしよくと良いにおいが、私のこうをくすぐった。

「おめでとうございます、兄貴!」

 まるで天上にいるかのような幸福な気分が、ダルガのだみ声に一瞬にしてかき消される。

 そういえば。

 無我夢中で忘れていたが、ダルガも、ニナも、ケンも、ガイさんも見ている中だった。

 それどころか日がのぼり、村人たちの多くが私たちの周りに集まってきている。

「いやあ、いつくっつくか、いつくっつくかと思ってたけど、ようやくとはねえ」

「これで、安心、できる」

「ほんと、何年かけるかと思ったわ」

「でも、先生にしてはがんった方じゃない?」

「こんな大勢の前で『愛している』だもんなあ」

「何にしてもめでたい、めでたい」

「めでたいけど、めでたくない」

「ほらほら、なぐさめてあげるから」

「ニナは平べったいから、いい」

「ぶんなぐるよ」

 村人たちは好き勝手にはやし立てる。

 赤竜に生まれて良かった、とこの時私は、心の底から思った。

 これ以上、顔が赤く染まることは無いからだ。



  そう 雲間の月


 雲のない、満月の夜。

 それもできれば、風の弱い秋の日が良い。

 月織りに適した最良の条件が式の十日前にそろったのは、幸運だった。

 降り注ぐ月の光を右手の指先で引き取り、木の枝をけずり出して作った紡錘つむに巻きつけていく。

 里で習った仕事や作法はどれもきゆうくつきらいだったが、これだけは好きだった。

 糸になった月の光はやみの中キラキラとかがやいて、一巻きするたびにその光を強めていく。

 その光をながめながらただただ無心で糸を紡いでいると、頭の中のもやもやとしたものが少しずつ晴れていくような気がした。まあ、気がするだけなんだけど、それでもいっとき忘れられるのは悪いことじゃない。

 ……だってのに。

「出てきたら?」

 そのもやもやの原因に向かって投げかけると、そいつは大きな身体からだを縮こませながら木のかげから出てきた。

「ごめん、のぞするつもりじゃなかったんだけど……」

 当たり前だ。

 真っ赤なうろこおおわれ、私をひとみに出来てしまいそうな、そんな派手で大きなずうたいかくれられるわけもない。

すごいね、これは……月の光を、糸にしているのか」

「まあね」

 おざなりに答えつつ、手は止めずにくるくると動かし続ける。

「エネルギーの物質化か……こんなことも出来るんだな。糸を月光にさらして神秘的な力をさずかる伝承は世界各地にあるけれど、月光そのものを糸にするなんて」

 あいつは相変わらずよくわからないことに感心して、意味のわからないことをぶつぶつとつぶやいている。

「もしかしてニナが着てる服も、その糸から作ったの?」

「そんなわけないでしょ。これは風を織ったの」

「風を……」

 だんに月糸なんて使っていられるわけがない。当たり前の事を返すと、あいつはまた何やらみような表情を浮かべた。

「今度、織ってるところを見せてもらってもいい?」

「嫌」

 紡ぐくらいならともかく、織るのには結構集中力がいる。

 こいつにじろじろ見られながら織るなんていうのは想像するだけでつかれそうだった。

「もしかして、織ってるところを人に見られるとここを去らなきゃいけないとか?」

「何よその風習は。気が散るから嫌ってだけ」

 こいつはよくこうやって、妙なことを言い出す。

 りゆうという生き物が皆そうなのか、こいつだけが特別なのかはほかの竜に会ったことがないからわからないけど……

「そっか、よかった。もしニナにいなくなられたら、凄く困るからね」

 多分こいつは竜の中でも、とびきり変なやつなのではないかと思っている。

 ああもう。変な奴が変なことを言うものだから。

「糸が千切れた……」

「えっ。それ、私のせいなの?」

 もちろん、そうだ。私はげんきようをじろりとにらんでやる。

 月の糸は細くてもろいから、気をつけないとすぐに切れてしまうのだ。

「それ、どうするの?」

「どうもしない。短すぎて服に出来ない」

 月糸はぐこともできないから、つむぎなおすしかない。ちゆうはんな長さの糸を紡錘から外すと、竜はすぐにそれをとがめた。

もつたいい。こんなにれいなのに」

 こいつはいつも平気でこんなことを言う。多分、自分で言ってる意味をわかってないんだろう。

 たくさんの言葉を知ってるくせに、その言葉がどういう意味を持っているかにはちっとも気が回らないのだ、こいつは。

「欲しいならあげる」

「と言っても私のこの手じゃ編めないし……あっ、そうだ」

 ふと何か気づいたように竜はじっと糸を見つめて、言った。

「一つ、お願いしてもいいかな?」


    * * *


すこやかなるときも、めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、真心をくすことをちかいますか?」

 あいつから教えられたとおりの言葉を、アイに向かって私は紡ぐ。

 どう考えてもあいつ自身が考えたとは思えない、洗練された歌のような文句だ。

「誓います」

 んだ声で、アイがそう答えた。その顔は月糸の布で覆われていてうかがうことが出来ない。

 服にするには短い糸で、頭を覆える程度の布を織ってくれというのがあいつのたのみだった。

 ヴェールというらしいそれは、何の意味があるのかわからない。

「では──誓いの口付けを」

 一つお願いと言ったのに、ついでに私はシンプとかいう役割までやらされている。

 アイもシンプと言うらしいのに、何故か役目は全然別だ。

 私の言葉に従って、あいつはアイのヴェールをそっとめくりあげる。

 そのしゆんかん、私はその布の意味をさとった。

 布に覆い隠されていたアイの顔は、ハッとしてしまうくらい綺麗だった。

 月の光を織った布で隠されてたのに、雲の切れ目から覗く月なんかよりももっともっと。

 バラ色に染まったほおに、うるんだひとみ。この上なく幸せそうにゆるんだがお

 きっと世界で一番綺麗なんじゃないかって思うくらい。

 そして、それを見つめるあいつの瞳はどこまでもやさしげで。

 ずっと、さっさとそうなればいいと思っていたことが起こっているはずなのに、私の心は何故なぜだかしようにざわめいた。

 アイがそっとあいつの顔に手をばし、その鼻先に顔を近づける。

「ここに、新たなふうが生まれたことを宣言する」

 私はなんとか、そう言った。祝福の声とはくしゆの音が、そこら中から降り注ぐ。

 うれしいのに、喜ばしいのに、胸の奥がぎゅっとして、息がうまくできない。

 こんな気持ちにも、名前はあるのだろうか?

 あいつなら、もしかしたら知ってるのかもしれないけれど。

 物知りな竜にたずねるのは、もっとずっと後でいい。

 いたばかりの春の花みたいなアイの笑顔に、私はそう思った。




竜歴24年



  第22話 ぞろいの時計 / Uneven Clock

「私にとって君の一生は、そこにある時計の秒針みたいなものなんだ」
「先生は短針ってこと?」
「いや……時計自体かな」


 それは、しとしとと雨の降る秋の日のことだった。

 まばらに小さな木の立つ、小高いおかの上。

なんじ、強きもの、かしこきもの、ゆうかんなりしもの」

 私たちは声を合わせて、ゆっくりとじゆもんえいしようする。

「汝は時に厳しく、時にやさしく、常にしくあった」

 集まったのは数十人。その先頭に立って、私はいのる。

「どうか、安らかに、ねむたまえ」

 ────ガイさんのめいふくを。

 丘の上にられた穴に、彼の遺体が納まっていた。

 穴の中は別れをしむ村の人々が投げ入れた花でめ尽くされている。

 私がそうしろと指示したわけではない。

 村の人々がそのぼくな感性で、おのずから始めた風習だった。

「……先生」

「ああ」

 泣きらした瞳で声をかけるアイに、私はうなずく。

 そして大きく息を吸い込み──ガイさんに向かって、いた。

 呪文なんて詠唱せずとも、りゆうほのおよろいぐまき飛ばすほどの高熱だ。

 こうして穴を掘って吹きかければほとんど骨すら残らない。

「土よ、かのものを包め」

 おごそかにニナが呪文を唱えると、遺灰がそのまま土の中に埋められる。

「そして新たなるきとなれ」

 パラパラと種をけば、それはすぐさま発芽して小さな小さな芽が飛び出した。それはやがて、周りの木々と同じように生長していくことだろう。

 かんせんしよう対策になきがらそうにするようになったのは私が来てからのことだが、意外にも人々には殆ど受け入れられていた。その理由は私の炎へのしんらいだけでなく、ニナのこのほうにもあるのだろう、と思う。

「先生」

 小さな木の芽を見つめながら、アイはぽつりと私に聞いた。

「本当に、死後の世界というのは、あるのでしょうか」

 ない、と答えるべきなのかもしれない。

 ジャックフロストが実体化したのは、おそらく私がアイに実在するとうそをついたせいだ。彼女が毎日毎日ジャックフロストに呼びかけた結果、そのおもいが積もり積もって、意味のかたまり……せいれいとなった。

 死後の世界もまた、そのように作られてしまうかもしれない。

「ああ、あるよ」

 だから、私はそう答えた。

「死後の世界というのは、本当にある。だからきっとそこで、ガイさんも安らかに暮らせてるはずだ」

 くなった人と、どんな形でもいい。もう一度、会いたい。

 そう思ってしまったから。


    * * *


 私たちが暮らす村から、北にほんの数分飛んだ場所。

 数分とはいっても竜のつばさでは二、三十キロははなれているわけだが、そこに私の実家があった。火口のそばにあるどうくつに入り、しばらく進めば数年ぶり、なつかしの実家だ。

 洞窟といっても、明らかに天然のものではない。

 しようにゆうせきせきじゆんのようなものは全く見られず、通路の断面は真っれいな円形をしていて、どうやってこんな洞窟を作ったのか昔は不思議に思っていた。

 今ならわかる。収束した炎のいきかし空けたのだ。

 ちょうど私が、山に風穴を空けてしまったのと同じように。

 その通路をけると、大きな広間に辿たどり着く。すぐ横ではグツグツとマグマが流れていて、多分人間にはえられない温度だろう。アイを連れてけつこんの報告にも来られない。……まあ、人間と結婚したなんて言ったら、正気を疑われるだろうから言わないが。

「あら、お帰りなさい」

「ただいまもどりました、母上」

 その広間にいる、一見赤いきよだいかべに見えるものが、私の今生での母だった。

 ばさりと広がる翼は、一枚だけでも私の身体からだ全体よりも大きい。

「今ちょうどご飯食べてたところなのよ。あなたもどう?」

 母は何か巨大な生き物の前足をマグマの中にっ込んでき混ぜ、パクリとやった。まるでフライドポテトをケチャップにディップするような感覚だ。

「あ、じゃあ頂きます」

 私も同じように、肉をマグマに付けて食べる。ここで暮らしているときは、私はいつもこうして肉を食べていた。

「うん、美味おいしい」

 赤竜以外には絶対同意を得られない美味しさだろうな、と私は思う。

 味覚の内、からみというのは熱さと痛さを舌で感じているだけである、という話を聞いたことがある。

 竜も同じかどうかはわからないが、マグマを舌に乗せれば流石さすがに赤竜でも多少は熱く痛いのだろう。ピリピリとしたげきが伝わってくる。

 竜にとってマグマは、辛いのだ。

 しかし。

 二人並んでもぐもぐと肉をしやくしながら、私は改めて思う。

 数年ぶりに帰ってきたというのに、この自然な対応。

 竜の気が長いからなのか、それとも母が特別のんびりしているのか、私は判断に困った。

「母上。お聞きしたいことがあるのですが」

「なあに?」

 私の鼻先から尻尾しつぽはしまでよりも長い首を、母はこてんとかしげる。

「母上は、何歳なのですか?」

「二十六よ」

 さらりと若作りする母に、私は口の中のものを吹き出しそうになった。

「そんなわけないでしょう。私が今、二十ちょっとくらいなんですよ」

「二十? ……ああ。季節のめぐりで数えてるのね」

 母は口をすぼませると、細く長く炎を吹いて地面を燃やす。かたい岩はいとも容易たやすく溶けて、せいな図形をえがき出した。熱量も、精度も、私とは比べ物にならない。

「これが、空でかがやいている太陽。そしてこれが、私たちの住んでいる星」

 それは、太陽の周りをえんどうで回るわくせいの絵だった。

「四百十二回、朝と夜とをり返すと、この星は大体元の場所に戻ってくる。でも、軌道は完全な円じゃなくて、楕円も少しずつずれていくのね」

 花びらのように、楕円はずれながら太陽の周りをぐるりと回る。

「で、九十八回まわると、大体元の軌道に戻るの。それが、一年よ」

 私はきようがくに、口をぱっかりと開けてしまった。

 母が地動説のみならず、惑星の公転軌道というがいねんを当たり前のものとして理解しているのもおどろいたが、二千六百歳近いことにもだ。いや、そもそも公転周期が地球より長いから、三百六十五日で割れば二千八百歳以上。

 ほうも無い時間だった。

 彼女からしてみれば、言葉すら持っておらず、原始的な石器しか使えず、もろく弱い人間なんてアリのようなものだろう。私は改めて、人間と竜との間のかくぜつに、愕然とした。

「……母上が知る中で、一番長生きしている竜は……何歳なんですか?」

「そうねえ。確かおじい様が、二百歳をえていたと思うけど」

 二百の、九十八倍。

 こっちのこよみでも一万九千六百歳。もうそんなの、不死と変わらないじゃないか。

「……結構、若くして私を産んだんですね、母上」

 私は何とか、そうとだけ答えた。


    * * *


「お帰りなさい、先生!」

 私が村へと戻ると、アイがパタパタとけ寄ってくる。

「ただいま。すまない、さびしい思いをさせたね」

「いいえ」

 アイはぎゅっと私のうできしめて、ニコニコと笑った。

 彼女を失ってから、何千年も何万年も生きる?

 無理だ。そんなこと絶対にできるわけがない。

 かと言って、いつしよに命を絶つほどの勇気が私には無いこともわかっていた。

 だったら、方法は一つだ。


 不老不死。

 人類が求め、そしてついに辿り着くことのなかった夢を、この世界でかなえるしかない。



  第23話 赤竜の血 / Seething Blood

料理を作るときに失敗して指を切るのはよくあることだけど、
料理を作るために指を切るのは出来ればごめんこうむりたいね。


 ダルガがいわつるぎを大上段に構え、じりじりと私ににじり寄る。

 私は左腕をたてにするようにかかげながら、息をんだ。

「ふっ!」

 するどい呼気とともに、剣がり下ろされる。

 痛みは全く無かった。

「だ、だいじようですか、兄貴!?」

「ああ。見事なもんだね」

 綺麗にうろこと皮一枚を切りき、じわりと血がみだす腕を見て、私は感心した。

 むしろ駆け寄るダルガの方がよほど痛そうな顔をしている。

 古来、洋の東西を問わず、竜の血というのはばんのうの薬とされてきた。

 ドイツのえいゆうじよ『ニーベルンゲンの歌』では英雄ジークフリートがファーヴニルというりゆうの血を浴びて不死身の肉体を手に入れたし、中国では漢方の一種が竜やりんの血の塊であるとまことしやかに語られて流通していた。

 私の血にも、そういった効果があるのではないかと期待したのだ。

「えっと、では、頂きます……」

「いや、ちょっと待って。ニナ、うさぎ

「ん」

 舌をばして私の傷口をめようとするアイを押しとどめ、私はニナにたのむ。彼女がこくりとうなずけば、森がにわかにざわめいて、兎が一羽ぽんと飛び出した。まるでどうはんばいだ。

「いきなりアイでためすわけにはいかないからね」

 兎の口元に腕を押し当て、無理やり血を飲ませる。

 効果は絶大だった。

「ピギ──────!」

 そんな鳴き声を上げて、兎の身体の至る所からけむりき出す。

 同時にものすごい勢いで暴れだし、兎は私の手からのがれて、二、三歩ねたところでその白い毛に火が付いた。そのまま地面の上をのたうち回り、やがて動かなくなる。

 あまりの出来事にぜんとし、しんと静まり返る空気の中、ニナがおもむろに兎を持ち上げてその足にかじり付いた。

「! ……美味しい……!」

 その目が、大きく見開かれる。

「中から高熱で一気に焼き上げられることにより、にくじゆうかんぺきに閉じ込められてる……! それでいて、熱の通り具合は完璧。皮もパリッと仕上がってて、下処理もらない」

「失敗か」

 期せずして兎の美味しい調理法が発見されてしまったが、アイを美味しく頂くというわけにも行かない。これも、か……

「とりあえず、今日の分のほうをかけるね」

「はい」

 私はアイを招き寄せ、その頭にぽんと手をのせる。

「暗がりからい出るもの、世界のふちを歩むもの、息を絶やすもの、輝きをかくすもの、世界のだんがい、生の終着点、高き空からい降りるものよ。なんじが名は老いであり、時の流れであり、死である。の者のうちより遠ざかり、消えせよ」

 毎日さくし、少しずつじゆもんを長くしている延命の魔法だ。

 こちらは安全性はかくにんしているが、代わりに効果のほどが確認されていない。寿じゆみようの短い虫や小動物で試しているものの、目立った結果は出ていなかった。もし効果があったとしても、気休め程度だろう。

 ────寿命を延ばし、私といつまでも一緒にいてほしい。

 一方的とも言える私のそんなままを、アイはなやむ様子もなく受け入れてくれた。

 私の方があわてて、長い寿命を得ることのデメリットやねんを説明したくらいだ。

 生きることにいてしまったり、親しい人の死を見送らねばならなかったり、方法によっては死にたくても死ねなくなったり。

 もっともそれはすべて、『つまり先生もそんな目にあうという事ですよね?』という言葉一つでふうさつされてしまったけれど。

 本人の意思と協力はスムーズに得られたものの、成果は全く出ていない。

 単純な延命のみならず、色々と手段はくしているものの、それらは全て失敗に終わっていた。かなり期待していた竜の血も、ご覧の有様だ。

「なかなか上手うまくいかないもんね」

 ぺろりと兎を平らげて、ぎよう悪く指についたあぶらを舐め取りながら、ニナ。

 彼女はそのスレンダーな体型に似合わず、意外と大食いだ。代謝は一体どうなってるんだろう。

「そういえばニナって、今何歳なんだ?」

 彼女の外見は初めて会った時からほとんど変わっていない。

 十代半ばくらいのままだ。

 あまりに完成された美しさなのであまり疑問を持っていなかったが、もしかしてこれはただ発育が悪いわけではないのではないか。

「ん? えーと……くわしいことは覚えてないけど、百三十年くらいにはなるかな?」

 まさかの、年上だった。

 私のきようねんが八十九だったから、前世をふくめても年上だ。

「ニナさん、そんなに年上だったんですか」

「長耳ってのは、ずいぶん長生きなんだなあ」

 アイとダルガも知らなかったらしく、目を丸くする。

「……念のため聞くけど、長寿のけつとか」

「わかるわけないじゃない」

 ですよね!

 とはいえそれは少し、捨て置けない情報だった。

「ニナ以外のエルフに話を聞いてみたい。どこに住んでるかとか、知らないか?」

 私がそうたずねたたん、ニナの表情にかげが差す。

「……わからない。その、私が森を出てから、結構ってるし……」

 いつもちよくせつに話す彼女が、みように歯切れが悪い。

「長耳どもの住んでる場所なら俺が知ってますぜ、兄貴」

 そこに、ダルガが手を挙げた。

 そういえば、彼はエルフ語を話せるんだった。

 当然エルフとも会ったことがあるはずだ。

「案内してもらえる?」

「ええ、もちろんです。そう遠くはありませんよ。歩いてもまあ半日ってとこです」

「なら背に乗せて空を飛べば、今日中には帰ってこれそうだね」

 ダルガの身体からだは見た目以上に重く、乗せて飛ぶのはかなり大変なのだが背に腹は代えられない。

「待って」

 さつそく準備を始めようとする私たちを、ニナが呼び止めた。

「……私も行く」

 彼女は思い悩んだような表情で、そう言った。


    * * *


「あそこです。あの森で、俺は長耳に会ったんです」

 それはかつてダルガたちが住んでいた集落のさらに先。

 ゆっくり飛んで一時間くらいの場所にあった。

「……って大丈夫ですか、兄貴」

「な、なんとかね……」

 ぜえはあとかたで息をしながら、私はダルガに答える。

「ごめんなさい、やっぱりわたし、待っていた方が良かったでしょうか?」

「いや……大丈夫。アイのせいじゃないよ」

 結局、ダルガに加えてニナもついていくと言い張り、それならとアイも同行することになり、留守はケンやほかの生徒たちに任せて、私たちは四人でエルフの里へ向かうことにした。

 とはいえ歩いていくには結構なきよだ。

 何とか魔法をへいようして、みなで飛んでいけないか。

 そんなことを考えたのがちがいだった。

 背中にダルガを乗せ、両手でアイをかかえ持ち、尻尾しつぽの先にニナがつかまる。

 アイとニナは飛行の魔法を使えるからそんな体勢でも飛べるんじゃないかという考えは、ある意味ではあたっていて、ある意味では間違っていた。

 重さという点では、問題なかった。

 むしろアイが協力して私をかせてくれたおかげで、だんより軽く感じたくらいだ。

 問題はその体勢である。

 両手で包み込むアイの身体のやわらかい事といったら、本当にダルガと同じ生き物なのだろうかと真剣に疑問に思うほどで。

 よこしまな気持ちよりも、力を込めすぎてつぶしてしまうのではないかというおそれの方が先に来てしまい、一時間全く気が休まらない思いだったのだ。

「ニナは大丈夫だった?」

「ん。ヘーキ」

 後ろを振り向いて尋ねれば、ニナは言葉少なに頷いた。

 こちらはこちらで目が届かないので心配だったが、どうやら無事らしい。

 顔色が少し悪いのは、別に飛行にったとかではないだろう。

「ニナ。気が進まないようなら、待ってていいんだよ」

 私がそう言うと、彼女は無言で首を横に振った。

「ま、ねえさんがだいじようってんなら大丈夫でしょう。行きましょう、兄貴」

「ああ……」

 引っかかるものを感じつつも、私はダルガにしゆこうし森の入り口へと向かう。

 足を一歩み入れたしゆんかん、私は首筋にぞわりと総毛立つような感覚を覚えた。

 と言っても毛は無いので、うろこあわつとでも言うべきか。

「……見られてますね」

 私と同じことを感じたのだろう。

 アイが私に身を寄せながら、小声でささやいた。

『おら、耳長! 出てこい!』

 一方でダルガは全く気づいていないのか、それとも気づいた上でやっているのか、辺りの木をドカドカとりつけてエルフ語でる。

『相変わらずお前はそうぞうしいな、くまざる

 音もなく現れたのは、げんじつばなれした美人だった。

 身長は百七十センチくらいだろうか? すらりとした長身に均整の取れた長い手足。その肩の上に乗っているのは恐ろしく整ったかんばせだ。

 かおではなく、かんばせ。そう表現したくなる気持ちをわかってほしい。

 ニナも相当な美少女だが、その顔立ちはまだ女の子らしい愛らしさを備えている。

 しかし目の前に現れたエルフはもはや美しすぎて、ふくらんだ胸元がなければ性別すらわからないところだった。

『なんともみような面々だ。熊猿に、蜥蜴とかげに、猿のむすめ。それに、ああ。落ちこぼれまでいるじゃないか』

 エルフはまゆをそびやかせ、おおぎように言った。

『落ちこぼれ?』

 思わず、私はおうがえしに問い返す。

 熊猿というのはダルガのことだろう。正直似合いすぎていて、何のかんもない。

 蜥蜴というのは当然私のことだ。今まで何度も言われているので何とも思わない。

 猿の娘は、多分アイ。正直腹立たしいが、ぐっとこらえる。

 となれば、落ちこぼれというのがだれを指しているのかも消去法でわかる。

『……久しぶりね、ぐんじよう

 我が家の天才が、おもしろくもなさそうにき捨てた。



  第24話 エルフのひめぎみ / Elvish Princess

その生き物は例外なく優美で、老いもおとろえもなく、
年を経るほどかがやきを増す。ましてやその姫君ともなれば……はぁ。
「何か文句あるの?」


『今更何をしに、おめおめともどってきた?』

『聞きたいことがあるのよ』

 食ってかるような口調の群青と呼ばれたエルフに、ニナはさして気にした様子もなくたんたんと答えた。

『私のことを落ちこぼれって呼ぶあんたなら当然知ってるんでしょうけど』

『フン。当然だ。私に知らぬことなど無い』

 群青はたけだかに胸を張る。

『私たちが、うさぎ鹿しかや、それから彼らよりも長く生きるのは何故なぜ?』

 アイとダルガにちらりと視線を走らせて、ニナは尋ねた。

『ハッ』

 群青はそんな彼女を鼻で笑う。

『……なんで私がお前にそんな事を教えてやらねばならない』

 そして視線をそらし、あせをダラダラと流しながらそう言った。

 あ、知らないんだ。

「知らないみたいですね……」

「知らねえんだな……」

 私と全く同じ事を思ったらしく、アイとダルガが同時に小声でつぶやいた。

『まあ私もあんたが知ってるとは思わなかったけどさ』

『知っている! 知っているが、お前に教える気は無いというだけだ!』

『こいつは群青。鹿だけどそんなに悪いやつでもないから、まあ適当によろしくしてやって』

『誰が馬鹿だ、誰が!』

 わめく群青を無視し、ニナは私たちに向き直って説明する。

「知ってそうなのは奥にいるから。行こう」

『おい、なんだ! 今なんて言ったんだ!?』

 スタスタと歩き出すニナに、群青は追いすがる。

『こら、人の話を聞け。お前、まさか長老のところに行こうとしているんじゃないだろうな。お前みたいな奴が会っていい相手じゃないぞ、おい、聞こえないのか?』

 群青がしつこく止めてくるが、ニナはそれを完全に無視する。

『あれ? もしかして本当に聞こえない? おーい、もしかして見えてもいない? 私、とうめいになったのか?』

 あまりの無視っぷりに何かかんちがいしたのか、群青はこつけいな動きのおどりのようなものを踊り始める。逆にあわれになってきた。

 それにしても、他に全く人の姿は見かけないのに、視線だけはやたらとさってくる。どうやらこの森には結構な数のエルフが住んでいるようだった。

 エルフは単独で生きているものかと思っていたが、例外はニナの方らしい。

 ぎゃんぎゃんとわめく群青をニナはひたすら無視しながら歩いていくと、やがてきよだいな木が見えた。地球上ではもっとも太いのはバオバブの木で、直径十数メートルくらいだっただろうか。だが目の前にある木の直径は、明らかに百メートルをえているように見えた。高さに至ってはどこまでびているのかうかがい知ることも出来ない。

 枝にはいくつもの木の実がすずなりになっていて、幹の中ほどには大きなうろが空いている。はばの広い階段がその洞へと延びる姿はまるでしん殿でんのようだった。

 らしい木だ、と私は思った。言うなれば住居と果樹園が一体化しているようなものだ。この木が一本あるだけで人々の暮らしはどれほど楽になるだろう。生長には相当時間がかかりそうだが、なえゆずってもらえないだろうか。

 私がそんなことを考えている間に、ニナは躊躇ためらいもなく階段をずんずん上っていく。

『おい、やめろ! 熊猿、落ちこぼれを止めろ!』

 群青はそうさけぶが自身は木の中には入る気はないらしく、その声を背にしながら私たちは大木の中に足を踏み入れた。

「これは……すごいな」

 周囲をきょろきょろと見回しながら、私は思わず呟く。

 木の洞の中は天から降り注ぐ光に満ちあふれていた。ていねいみがきぬかれた白いはだは陽光を反射して、その神秘的なふんさらに増している。

 そしてあふれる光のただなかに、長いひげたくわえた長身のエルフがいた。その白い髭は身体からだ全体をおおほど長く、明らかにこうれいなエルフだ。にもかかわらず、その姿には老いや衰えといったものは全く表れることなく、ただ巨木やれいざんのような厳かな雰囲気だけを身にまとっていた。

「話はすでに聞きおよんでおる」

 長老とおぼしきエルフの言葉に、私は思わず目を見開いた。

 彼が口にしたのが、日本語だったからだ。

われわれの言葉を、話せるのですか」

「草木はどこにでもあるものだろう、りゆうの子よ」

 つまり草木さえあれば、どこであろうとかんできるということか?

 流石さすがにそれはハッタリだと思いたいが、少なくとも彼が私たちの動向をある程度あくしているのは事実のようだ。

「結論からいえば──なんじらのほつする延命の方法は、いくつか知っている」

「本当ですか!?」

 単刀直入に切り出した長老に、私は思わず飛びつきそうになった。

「お願いします。教えて下さい! 何でもします!」

「それには及ばぬ。汝には恩があるからな」

「恩……ですか?」

 全く心当たりのない話に、私は首をひねる。

 森を光線で焼いたことはあるけど、エルフに礼を言われるようなことはした覚えがない。

「我らが姫を助け、そして連れて帰ってきてくれただろう」

「姫!?」

 私たちの視線がいつせいにニナへと集まり、彼女はバツの悪そうな表情をかべた。

「ニナ、お姫様だったの?」

「……まあね」

 ニナはいやそうな表情で、こくりとうなずく。

 あまりれてほしい話題というわけでもないらしい。

「では、案内をさせよう」

 長老がすっとうでを上げると、また別のエルフがやってきて『こちらへ』と私たちを導く。

 それについていこうとして、私は後ろをり返った。

 ニナがその場から動こうとしていなかったからだ。

「ニナ?」

「私は、ここでお別れ」

「どうして!?」

「もともと、家出してたから」

 そういえば。さっき長老は『連れて帰ってきてくれた』事を恩だと言っていた。

 まさか、彼女は私の願いをかなえるために帰りたくないここに帰ってきたんじゃないか。

 いつもたいぜんとした彼女が青ざめるほど、嫌だったんじゃないのか。

「そんな顔しないで。別に、二度と会えなくなるわけじゃない」

 私の心中を察したように、ニナはそう言った。

 だが言葉とは裏腹に、その表情はどこかつらそうで。

「だけど、ニナ」

「いいからさっさと、行きなさい!」

 叫ぶようなその声に、私は思わずたじろぐ。

 こんな風に彼女が声をあららげることなんて、今まであっただろうか?

「さよなら。あんたと過ごした十何年か、楽しかったよ」

 かと思えば、ニナはみを浮かべてそう言った。

 それはどこかはかなげで、笑っているのに悲しげに見える。

『こちらへ』

 何か言おうとする前に、案内役のエルフがを言わせぬ口調で私たちをかした。

 小さく手を振るニナを背に、私たちは巨木の洞を後にした。

 洞を出るとすぐに、そんな私たちをにくにくしげに見つめる姿があった。群青だ。

 彼女はなにか物言いたげに、私の顔をじっとにらみつける。

 しかし結局声をかけられることもなく、やがて彼女の姿は木立にまぎれて見えなくなった。

「先生……ニナさん、本当に良かったんですか?」

 私はアイの問いに答えることは出来なかった。

 姫というからには、何かこの集落で彼女にも役割があるのだろう。

 あるいはそれを果たさなければ、エルフの集落自体が困るのかもしれない。

 それが彼女自身の意に沿わぬものだとしたら、私はどちらを尊重して良いのかわからなかった。

『ここで待っていて下さい。薬を調合します』

 やがて案内役のエルフは先ほどと同じような木の洞に辿たどり着くと、私たちを外に待たせて洞の中に入っていく。同じような、と言っても今度の木は長老の洞に比べればずいぶんりだ。それでも直径十メートルくらいはありそうな巨木だったが。どうやらエルフたちは、生きたままの木に穴をって家にしているらしい。

『出来ました。これを飲んで下さい』

 しばらくして、エルフは木のうつわを持って洞から出てくる。

 器の中に入っているのは、粉末状の薬だった。

 数種類の材料を、げんかすりばちのようなものでひいたのだろう。

 色の違う細かいつぶが、いくつか入り交じっていた。

『これ、材料は何ですか?』

ばく蜘蛛ぐもしろわきみずの花の根、こんぼううおきも、それに幾つかのきのこだ』

 聞いたこともないものばかりだった。

 副作用がないのか聞きたいが、エルフ語で『副作用』という言葉をなんと表現していいかわからない。それに、作った本人に『害がないのか』と問うのも少々躊躇われた。

「では、飲みますね」

 木の器に口をつけ、アイはそれをかたむける。

 粉薬がそのくちびるの中に流れ込む寸前、私は薬をたたき落としていた。

『どうした?』

「先生?」

 エルフとアイは私のとつぜんの行動に目を丸くする。

『棍棒魚って、こんなのじゃないのか』

 私は木の枝を拾い、地面に絵をえがく。アイが薬を飲む寸前に思いついた。

 いや、思い出したと言った方がいいのだろうか。

『よく知っているな』

 その魚は、確かに、棍棒のように見えるかもしれない。

 ふくらむ前は。

『この薬、寿じゆみようが延びるだけか? ほかにも、効果があるんじゃないのか?』

『ああ。寿命が延びるだけでなく、これを飲んだものはおとなしく従順になる』

 当たり前のように、エルフはそう答える。

 やはりだ。私はこの薬の名前を知っていた。

 地球でのそれに延命の効果などないが、それを思わせる名前はついている。

 その薬の名前は、ゾンビパウダーと言った。



  第25話 誤った理解 / Misunderstanding

あいつはいつでも半分正しくて、半分ちがってるのよ。
それは全部間違ってるより倍もたちが悪いの。


 ゾンビパウダー。

 それはヴードゥー教と呼ばれる民間しんこうで使われていた、地球に実在する薬物だ。

 幾つかの毒物を配合して作られた、フグ毒のテトロドトキシンを主原料とする薬で、適量であれば人間を仮死状態にするという。私も前世で手に入れたことがある。もちろん、実際に使ってみることはしなかったが。

 地球でのそれはくまでただの毒物だった。使う量によっては確かに仮死状態になることもあり、運良く──いや、運悪く、だろうか。その過程においてたまたま前頭葉の一部がかいされ、ゾンビのように見える場合もあるかもしれない。その程度だ。

『つまり、仮死状態にした肉体にの命をき込むことで寿命を延ばすと、そういうことなんだね?』

『……おそらく、そうだと思います』

 案内役のエルフから聞き出した話を総合すると、どうやらそういうことであるようだった。

『この薬を使うことなく、樹の命だけを吹き込むことは出来ないのかな?』

『出来ません。この薬を飲ませなければ無理です』

 それは実際にやってみたこともあるのだろう。きっぱりと断言する。

『要するにそれは、本来の命……たましいとでもいうものを殺してしまっているのでは?』

 私がそう言うと、エルフは考えてもいなかったらしく、きょとんとした。

 話を聞いている限り、彼もくつや原理をわかって行っているわけではなく、ただ経験則によって「こうすればこうなる」と理解しているだけのようだ。

『魂? ちくに魂なんてあるのですか?』

 それはさげすみではなく、じゆんすいな疑問の声だった。

 もともと長命であるエルフたち自身にゾンビパウダーを使う意味などない。

 これは山羊やぎや牛のような家畜に使うものなのだそうだ。

 そして、実際家畜にしているわけでは無いが、人間もエルフたちにとっては同じカテゴリなのだ。

 ひどあつかいのようにも思えるが、思い返してみれば前世のわれわれだって大差はない。

 犬やねこのようなあいがんどうぶつだって、ほとんど人間と同じように扱う人がいる一方で去勢、にん手術をほどこすことは当たり前だった。去勢されたおすは性格がおだやかになると言われ、不妊手術を受けためすは望まれないにんしんけることが出来るとされて、むしろ愛情と節度を持った飼い主だからこそ手術を施すのが当然であるという風潮さえあった。

 それは我々人間の社会から見ればであり正であったのかもしれないが、当の動物たちからしてみればたまったものではないだろう。

 そして、この世界において、私が愛する人はその動物側なのだ。

『ありがとう。別の方法を長老さんに聞いてみるよ』

 彼は延命の方法をいくつか知っている、と言っていた。

 つまりこれ一つだけというわけではないのだろう。

 それにやはり、ニナのことも気にかかる。

 私たちは案内役のエルフに別れを告げて、長老のうろもどることにした。

 森の中を歩いていると、突然、コンと何かを叩く音がした。

 何かこうしつな物同士がぶつかるような音だ。しかし、木と葉と草しか無い森の中でそんな音がするとも思えない。

 気のせいかとさらに進むと、先ほどより大きくゴンと音がした。

 かなり近くで鳴っているようなのに、見回してもどこで鳴っているのかわからない。

「先生、どうしたんですか?」

「いや、さっきから何か変な音が聞こえないか?」

「変な音……ですかい? 特に何も聞こえませんが」

 私の様子をしんがったアイが見上げてくるが、彼女にもダルガにも聞こえていないらしい。

 首をひねる私の横面に、こぶし大の石がぶつかってゴッと音を立てる。

『あっしまった』

 石の飛んできた方向に視線を向ければ、『やっちまった』とでも言いたげな表情の群青と目があった。音の正体はこれか。

『よ、ようやく気づいたか、この蜥蜴とかげ!』

 どうやら何度か石を投げて私に気づかせようとしていたようだ。だがりゆううろこはあまりにかたく、小石くらいではノーダメージどころか気づくことすらなかった。先ほどの拳大のものでさえ、当たったことはわかっても痛みはなかったのだ。

『──さん!』

 私がじろりと睨みつけると、群青はあわてて私にけいしようをつけた。

『何のようだい?』

『お前たち、長老のところに行く気か?』

 そういえば彼女はしきりに長老のところに行くのをじやしてきた。

 ニナがいなくなったのを見て、実力行使に出るつもりなのだろうか?

『そのつもりだけど、いけない?』

 ぐっと首をき出し、私はすごんで見せる。

 なるほど、最初に会った時のダルガはこんな気分だったんだな、と私は思った。

 相手がおびえているのは思ったよりもはっきり伝わってくるのだ。

『落ちこぼれを、助けに行くのか?』

 しかしふるえながらも群青が放ったのは、予想外の言葉だった。

『助ける? ニナは助けなきゃいけないようなじようきようなの?』

鹿! 人の名前をそんな気軽に呼ぶやつがいるか! 落ちこぼれと呼べ!』

 群青はすごいけんまくで私の言葉を聞きとがめる。

 そこにあったのはべつや蔑みではなく、ゆうりよづかいのように思えた。

『落ちこぼれってどういう意味?』

 私はその言葉を、おとったものという侮蔑の言葉としてとらえていた。だがどうも群青の態度からすると、そういう意味のようには思えない。

『どういう意味も何も、言葉の通りだろう』

 群青はげんそうにまゆを寄せる。

『枝葉が落ち花がこぼれたもの。我ら森人のいしずえとなるひめ巫女みこの事だ』

 そんなのわかるわけ無いだろう、と私は思った。

『このままじゃ落ちこぼれは、木にされるんだぞ』

『……なんだって?』

 私ののうかんだのは、樹の命を吹き込むという延命の術。そしてエルフたちの住居になっている、あのきよだいな木だった。

『まさか、長老の住んでいるあの木は……』

『ああ。大分古くなってきたから、もうすぐ取りえなきゃいけないんだ』

 まさか、この周りにある木の住居すべてがエルフの成れの果てだというのか。

 私は気づけば、長老の住む大樹へと走っていた。

「長老!」

「別の延命方法を聞きに来た……というわけでは、なさそうだな」

 ニナが周囲の森の事を一つもらさず熟知しているように、長老も森の中でされた会話など先刻承知なのだろう。群青がわざわざ石なんて投げてきたのも、本来は森の外に私をゆうどうする意図だったらしい。下手へたすぎて意味がなかったけれど。

「ニナを、返してくれ」

「異な事を言う。姫はなんじのものではあるまい」

 返される正論に、しかしひるむわけにはいかなかった。

「彼女は私にとって大事な人なんだ。木にされるのは困る」

「我々にとっても、あれは語るまでもなく重要なむすめ。我ら一族が存続していくためには必要なのだ」

 ならばほろべ──などとは、とても言えなかった。

 全のために個をせいにする。それは、生存戦略として間違ったものではない。

 たまたま、その個が私の友人というだけだ。

 私個人のエゴのために彼らに滅びをいることなど出来ない。

「なら……私が、守る」

 だが。

 それ以上に、ニナを見捨てることなど出来なかった。

「私があなたたちを守り、助け、協力しよう。そうすれば、ニナが犠牲になる必要なんてないはずだ」

 長老は痛ましげに眉根を寄せた。

「気持ちはうれしいが、竜の子よ。それは無理だ。いくら火竜とはいえ、お前はまだあまりに幼すぎる。その小さな身体からだ、百年も生きてはいまい。それでは守るどころか、我々にすら勝つことは出来ぬだろう」

 確かにその通りかもしれない。

 だが、それを認めるわけにはいかなかった。

「なるほど。じゃあ、話は簡単だな」

 とうとつに話に割って入ってきたのは、ダルガだった。

「俺たちがあんたらと戦って勝てばいいってこったろ?」

「定命の者が、言葉を覚えた程度でずいぶんさえずる。竜ならばまだしも、お前たちが我々にかなうわけがないだろう」

 それはあざけりでも油断でもない。

 確かに、人間がエルフに敵うわけはなかった。

ためしてみろよ」

 ダルガは拳を構えて不敵に笑う。今回は岩剣すら持ってきていないのだ。

『……恩義ある竜の連れだ。殺しはするな』

 長老がそう言うと、エルフが一人進み出る。

 それと同時に無数の木の根が辺りからい出し、ダルガの両手足をしばり付けた。

 エルフは全員が生まれつきの魔法使いだ。人間が、敵うわけがない。

 ──ただしそれは、その人間が魔法使いじゃない場合の話だ。

「守るって話の相手だ。殺しはしねえよ」

 しゆがえしのようにダルガは言った。彼が木の根を引きちぎってエルフの腹に拳をしずめるまでの動きは、私でさえ目で追うのがやっとだった。

「さあ、次はどいつが相手だ?」

 ダルガは密林のとらのような、どうもうみを浮かべてみせた。



  第26話 けつとう / Duel

「てめえ、表に出やがれ」
「その必要はないよ。もうここが表だ」
そいつが言ったたん周りがさらになって、
俺はけんを売る相手をちがえたと気づいた。


「……良いだろう。ならば、我が精兵三人をたおしたならば、お前たちが十分な力を持つ存在であると認めよう」

 長老はそう言って、『ここではせますぎる』とわれわれに外に出るようにうながした。

 彼が外に出てすっと手をかかげると、周囲の木々がざわめき、意思を持つかのようにそこからはなれて、あっという間に広場が出来上がる。ニナよりも強力な木々の操作を、じゆもんも使わずやってのけたのだ。

『いいのか? あんたたちの武器を遠ざけちまって』

『問題ない。じようりよくよ、相手をしろ』

 長老の声にこたえて出てきたのは、おおがらなエルフだった。

 ただ背が高いだけでなく、例外なく優美で細身のエルフの中ではかなり良い体格をしている。

 とはいえ。

『よう、おちびちゃん。そんな身体で俺となぐりあうつもりかい?』

 身長二メートルを優にえ、全身いわおのような筋肉に包まれたダルガに比べれば小さく細かった。

何故なぜ長老が木を遠ざけても問題ないと言ったかわかるか?』

『どっちにしろ負けるからか?』

 常緑と呼ばれたエルフの問いに、ダルガは軽口で答える。

『いいや──』

 メキメキという音とともに、見る間に常緑の身体はふくれ上がっていく。

 うでにいくつも筋が走って赤茶けた太い枝となり、身体はガサガサとした鱗のような樹皮がおおって分厚い幹となる。

『我ら自身が森だからだよ、おちびちゃん』

 高さ十メートルはあるだろうか。

 巨大な木人となった常緑は、わさわさと葉をらしながらダルガを見下ろした。

『ふぅん』

 それを見上げながら、ダルガは興味もなさそうにあいづちを打った。

『さて、死なないでくれよ』

 巨木の枝がうなりを上げて、ダルガに向かってり下ろされる。

 そしてそのまま、彼はぐしゃりと音を立ててつぶされた。

「ダルガさん……!」

 私の横で、アイが息をむ。

『なあ』

 だが、枝の先に生えた葉のかげから聞こえてきたのは、いつもどおりの吞気のんきなだみ声だ。

『この木の身体ってよ。ぶっこわしたら、あんた、死んじまうのか?』

『いいや。これはくまでかりそめのものだ。その心配は必要ない』

 答える常緑のどうたいに、ぴしりとヒビが走る。

『そいつぁ良かった』

 メキメキと真っ二つにけていく巨木を見上げながら、ダルガは言った。

『死んじまったらめが悪いもんな』

『見事だ……!』

 裂けた木の中から常緑が現れて、ひざをつく。

『まだやるかい?』

 軽くこぶしを掲げるダルガに、常緑はしようしながら首を横に振った。

『そら、次だ。一気に二人がかりでも別にいいんだぜ』

むらさき。次はお前だ』

 ダルガの言葉に答えることなく、長老は次の相手を差し向ける。

 今度は小柄で細身のエルフだった。

 エルフはみな中性的な美形だから性別がわかりづらいが、多分女性だろう。

相手します』

 紫と呼ばれたエルフはていねいな口調でそう言って、左手を前に突き出した。

 すると彼女の身体は見る間にいばらに包まれて、たてよろいで武装したようになる。掲げた手からは長いくきび、剣のようにダルガの方へと向けられた。

『なるほど、紫か』

 得心したように、ダルガはうなずく。

 彼女の鎧にはところどころ、紫色の薔薇の花がいていた。

 常緑といい紫といい変わった名前だと思っていたが、それは彼らのほうたんてきに示したものなのだろうとわかった。群青もきっと、群青色の花か葉をつけるから群青なのだ。

 だとするなら、ニナはどうなんだろう?

 群青は彼女のことを落ちこぼれ……枝葉が落ち花がこぼれたものと呼んでいた。

 だが、ニナには動かせないはずだ。

 私が考えている間にも、ダルガと紫の戦いは始まっていた。

『チッ……!』

 ダルガは舌打ちしながら身体を引く。その拳とむなもとからは、せんけつしたたっていた。

『見た目以上にかてぇじゃねえか』

 茨の鎧はダルガのこうげきでも簡単に打ち破れない。

 殴りつければそのとげが彼の拳をつらぬき、紫はたくみに剣をあやつってダルガが全力で攻撃できないようけんせいしている。

『それ以上血を流せば危険です。降参して下さい』

 ピッと剣をきつけて、紫はダルガに呼びかけた。

 ダルガに使える魔法は、自分を強化するものしかない。

 私やアイのようにほのお吹雪ふぶきを操れたなら、紫にも簡単に勝てたのだろう。

 せめて岩剣でもあれば、これほど血を流すこともなかっただろう。

 だけど彼がここまで追い込まれた原因は、そこにはない。

『おやさしいこったな。それじゃあ、先に謝っておくぜ』

 そう言って構えを解くダルガに、紫は小首をかしげた。

「俺ははえぇ。俺は硬ぇ。俺は────」

 あきれるほどに単純な呪文。

 ダルガは自分を強化する魔法しか使えない。

 それは確かなことだ。

つえぇ!」

 だがそれは、彼が弱いということを意味するものではなかった。

 ダルガが放った一撃は、にぎり拳ではなく大きく広げた手のひらだ。

 まるでトラックがしようとつするような音がして、紫の身体が鎧ごとき飛ぶ。

 そのまま彼女は広場のはしの木に激突して、動かなくなった。

『死んじゃいねえよな?』

 手のひらから吹き出す血をピッとはらってダルガはつぶやく。

『……降参……です』

 紫が何とか立ち上がるのを見て、ダルガはほっと胸をで下ろした。

「女を殺したら、兄貴にぶっ殺されるからな」

 あの、女性をモノあつかいしかしなかったダルガがずいぶん丸くなったもんだ、と私は思う。

 私との約束なんて気にしなければもっと楽に勝てただろうに。

『そら、最後だ。さっさとぶっ倒してやるから、かかってきな』

「私が出る」

 りんとした声とともに現れた姿に、ダルガの表情はさっと青ざめた。

 三人目は、小柄だった紫よりもさらに小さい。

 高くい上げたかみの光を受けて金色に光りかがやき、こちらをえるひとみはまるで神聖な泉のように青くんでいる。あどけなさを残した顔つきにはしかし幼さはなく、すずやかな目元は落ち着きに満ちていて、かんろくさえある。

 まるで神話に登場するがみのような神秘的な美しさだったが、その姿を目にするとどこかほっと落ち着くような気やすいふんさえ感じる。まるで、十数年をともに暮らしてきたかのようだ。

「……おい。降参していいか?」

 というか、ニナだった。

 けんやりおのつちかま

 木で出来た様々な武器がずらりと並び、ダルガに向かっていつせいに射出された。

「待て、待てって! 待ってください、ねえさん!」

 一本目をけ、二本目をくだき、三本目を受け止め、四本目を防ぎ、五本目をえても、ニナの放つ木製武器は無限のようにダルガにおそいかかる。そのシンプルなほう攻撃の前に、ダルガはこうしきれず吹き飛ばされた。

ちやちやしやがる……」

 そう言い残し、ダルガはがくりと地面に倒れす。

 そういうことか、と私はなつとくした。

 枝葉が落ち、花が零れたあとに残るもの。

 それは実であり種である。

 つまりニナの『落ちこぼれ』としての能力は、自由に植物を産み生やすことなのだ。

 なるほど、ひめと呼ばれるに相応ふさわしい力と言える。

 姫だからその力を持っているのか、その力を持っているから姫なのかはわからないが。

 しかし何故、彼女が私たちに敵対するのかわからない。

「何かまたかんちがいしているんだろうけど」

 ニナは冷めた瞳で私を見つめ、言った。

「私がこの森に帰ってきたのは、自分の意思。余計なことしないで」

「それは、うそだ」

 ニナは意外と、噓が下手へただ。

 おく力のいい彼女が故郷の場所を忘れるはずもないし、あれだけ不安そうな顔をしていて好きで帰ってきたわけもない。そのくらいは私にだってわかる。

「アイのために、無理してくれてるんだろう?」

「……別に、無理なんてしてない」

 ニナはねたように言いながら、目をそむけた。

「大体、私のことなんてどうでもいいでしょう。あんたはアイのことだけ考えてなさいよ」

「どうでもいいわけないだろ!」

 ニナらしくないものの言い方に、私は思わず声をあららげた。

「そうじゃなくて大事なものが何かをちゃんと──」

「君だって、私にとっては十分大事なんだよ!」

 ニナはぐっと口を引き結び、何か言いたげに私をにらむ。

「あんたは──」

「いずれにせよ、戦いはわれらの勝ち。認めるわけにはいかん」

 言いかけるニナをさえぎるように、長老が宣言した。

「まだです」

 しかしそれに対し、アイが声を上げる。

「わたしが、戦います」

「……なんで」

「わたしも、ニナさんが大事ですから」

 うめくように言うニナに、アイはにっこりとみを向けた。

「……正気か?」

 長老はアイではなく、私を見て言った。

 人に、会話をするほどの価値をさえ認めていないのだ。

「彼女は──」

 私は、それに答えた。

 アイはこの中でゆいいつ、生まれつきの魔法使いじゃない。

 魔法というのは言うなればてんの才だ。

 ダルガが魔法使いとなったのは、生まれつき体格にめぐまれたからだろう。

 彼が信じるものはおのれの力だけだから、己を強化する魔法しか使えないのだ。

 私やニナもそうだ。

 たまたまりゆうに生まれたから。たまたまエルフに生まれたから、強い。

 そういう意味では、アイは今この場にいる者の中でもっとも才能がない。

 そしておそらく、もっとも才能を持っているのはニナだろう。

 ダルガが生まれつきの強者であるように、ニナはエルフの中の天才だ。

 常緑も、紫も、明らかにニナよりも年かさのエルフだった。十年以上ってもニナの外見はほとんど変化しないのだから、少なくとも百年以上の差があるはずだ。

 それでも、ニナの方が強い。これを天才と言わずしてなんと言おう。

 だからこそ。

「彼女は、強いですよ」

 アイは、人間という種族の強さを示すのにもっとも適している。

「……では、ためしてみろ」

 しばしめいもくした後、長老はそううながす。

 アイとニナは静かに相対した。

「手加減は、しないからね」

「はい」

 ニナの言葉に、アイは頷く。

「わたしもしません」

 そしてにっこり笑ってそう答えた。

 心なしか、二人の間に火花が散っているような気がする。

 あれ? ニナはアイの為に戦ってるんじゃないのか?

じゆもんすきなんてあげないから!」

 ニナがさけぶやいなや、地面から無数の木々が突き出して先ほどと同じように武器の形状を取る。

 いや、宣言通り手加減きだ。

 ダルガの時には彼の目の前にだけ現れた無数の武器群は、アイの周囲を三百六十度完全に取り囲んでいた。避けることも防ぐことも出来ない完全ほうもう

 それが、長々とえいしようする間もなくアイに向かって突き進む。

「出ておいで」

 アイが唱えられたのは、ただその一節だけ。

 次のしゆんかんには、あっさりと勝負が決していた。

「また──」

 心の底からくやしそうに。

うでを、上げたのね……」

 すべてがこおりつき静止した純白の世界で、ニナは呻く。

「ホウ、ホウ、ホウ」

 と、ジャックフロストの声が高らかに鳴りひびいた。



  第27話 しようあく / Control Magic

森の中で自己しようかいするようなもの。
──の一族に伝わる、無意味に危険をおかすことのたと


「ありがとうね、ジャックフロスト」

「ホウ、ホウ、ホウ」

 アイが雪だるまの頭を軽く撫でると、雪と氷のせいれいは笑い声とともにふっとき消える。たん、空中で凍りついていた木製武器がガラガラと音を立ててくずれ落ち、地面や木々をおおっていた氷もけてなくなった。

 人間の強みは、その成長の速さだ。

 肉体だけでなく、精神的にも、技術的にも、ほう的にも恐ろしい速さで成長していく。アイ自身はもちろんのこと、彼女があやつるジャックフロストも相当強くなっていた。

 今戦ったら私もつうに負けてしまいそうだ。

「これでいつしよに帰ってくれますよね、ニナさん」

 がっくりとへたり込むニナの顔をのぞき込むようにして、アイ。

「……仕方ないわね。約束だもの」

 はあ、とめ息をついてニナはそっぽを向くが、はっきりとそう答えた。

「ならぬ!」

 だがそれに、長老が異を唱える。

「こんな鹿なことで……認めるわけにいくか!」

 日本語を知ってはいても、ダルガやアイの実力まではあくしていなかったのだろう。

 勝負に勝てばニナを連れて行っていい、なんて条件、守る気は全くなかったのだ。

 だけど、だからと言って今回ばかりは引き下がるわけにはいかなかった。

「約束は約束です。ニナは連れて行かせてもらう」

 座り込んでいるニナの手を取ろうと近づくと、長老はやおらから立ち上がり、私の前に立ちはだかった。

「これで最後だ」

 彼は厳しい顔つきで私をねめつけ、ごうぜんと言い放つ。

「私が相手をしよう」

 魔法とは、意味の集合体だ。それは呪文を使おうが使うまいが変わらない。

 つまり基本的には、長く生きていればいるほど、多くの物事を知っていればいるほど強くなる。

 何百年生きているかもわからないエルフの長老が強大な魔法使いであることは疑いようもなかった。

「とは言っても……」

 一体どんな魔法を使ってくるのか、とけいかいする私の目の前で、長老は静かにアイに向けて手をかざした。

「戦いにもならないがな」

 途端、アイの身体からだがころりと地面に転がる。

「アイに何をした!?」

「ふむ……流石さすがに竜か。何、案ずるな。ねむらせただけだ」

 言いながら、彼は今度はニナに向かって手をかざし、同じように地面に転がす。

 一体、何が起こっているんだ!?

 最後に彼はダルガを眠らせて、私に向き直る。

 一体どんな魔法を使ったのか、全くわからない。

 眠らせたということは、すいみん効果のあるガスか花粉でもいたということだろうか。

 しかしそれにしたって、三人ともていこうらしい抵抗もせずされるがままに意識を失ったのはせない。

「そっちが四人目を出したんだから、私だって戦っていいってことだよな」

「ああ。勿論構わないとも」

 長老はおうよううなずき、私に向かって手をばす。

 よくわからないが、何かされる前にたおしてしまうべきだろうか。

 しかし、不用意に近づくのも危ない気がする。

「動くな」

 迷っている間にかけられた長老の声に、私は思わず動きを止めてしまった。

「流石の竜も声に出せば動きは止まるか」

 これは……どういうことだ?

「お前たちはあまりにかつすぎ、無知すぎた。いくら強力な術を使えても、それではあらがうことが出来ない」

 長老が何を言っているのか、私には全くわからなかった。

「さあ、お前も眠れ」

 長老の手のひらが、ゆっくりと私の目をふさぐ。


 とりあえず、私はその手に軽くみ付いてみた。


「ぐあっ!?」

 途端、長老は悲鳴を上げて手のひらを押さえる。

「なんだ!? 何故なぜ動ける!?」

 何故と言われても。

「別にそもそも動けなくなっていないんですが」

 止まれと言われて思わず止まってしまったが、特に身体を動かせない感覚はない。

 パタパタと尻尾しつぽってみれば、それはいつも通り忠実に動いた。

「馬鹿な……止まれ! 動くな! センセイ! その場から動くな!」

 ああ。そういうことか。

 私はようやく彼の使った魔法の種に気づいて、己のおろかさに失望した。

 なんで今まで気づかなかったんだろう。

 魔法はにんしきで出来ていて、認識は名前で形になる。

 ならば、魔法使いに名前はさらしてはいけないものなのだ。

 この森のエルフたちが色の名前で呼ばれていたのもそういう理由からだろう。

 長老以外がその手段を取ってこなかったという事はそう簡単にできることでもないのだろうが、なるほどこれは馬鹿にされても仕方がない。

「悪いね、長老さん。あなたの術は私には効かないみたいだ」

 本当は単に、先生というのが私の名前でもなんでもないだけだが。

 私は長老のかたつめを立て、のどの奥にほのおをくゆらせながら言った。

「さあ、われわれを認めるか、消し炭になるか、二つに一つだ」

「……………………参った」

 今度こそ、長老は敗北を認めた。


    * * *


「あーもう。馬鹿。ほんっと馬鹿なんだから」

「そんなにおこらなくても良いじゃないか」

 エルフたちの集落を抜けてから、ニナはずっとごげんななめだった。

 しかし彼女がなぜ怒っているのかが、全くわからない。

「長老さんには私たちの集落を同盟と認めてもらえたし、延命の方法も一応教えてもらえたし、ニナも一緒に帰れるし、何がいけなかったって言うんだ?」

「もー……だからあんたは馬鹿だって言ってるのよ!」

 ニナは私の背の上で、首の辺りをポカポカとなぐってきた。

「ニナだって木になんかなりたくないだろ?」

「そんなの……まって。まさかあんた、それ言葉通りの意味だと思ってるんじゃないでしょうね」

「どういうこと?」

 聞き返すと、ニナは額を押さえて深く深く溜め息をつく。

「木になるっていうのはね……季節ごとに葉をしげらせ、花をつけ、実を作る木と同じくらいいそがしく働くって意味よ」

「えっ……で、でも、群青は長老の住む木を新しい木と取りえなきゃいけないって」

「あの木、大きくなるまでは世話するの結構めんどうなのよ。昔はそれがいやで、群青に協力してもらって森を出たんだけど……」

 ちらり、とニナは私の顔を見て、もう一度溜め息をついた。

「正直あんたの世話の方がよっぽど大変だわ。人が木になるわけないでしょ……」

 心底あきれたような口調でニナは言う。確かに普通に考えたらそうなんだけど、何もかもが普通じゃないのがこの世界なんだから仕方ないじゃないか!

 大体、木が忙しいという時点で私の感覚とかけはなれすぎている。どれだけのんびりしてるんだ、エルフは。

「じゃあなんで長老はあんなにニナを連れていかれるのを嫌がったんだ?」

 どうも説明を聞いていると、別に私が思っていたような、ニナがいなければエルフがほろぶみたいなきんぱくかんを感じない。しかしそれにしては、長老はやけに必死だったように思える。

「そりゃまあ……いえむすめが帰ってきたと思えばりゆうと一緒に出てくってんだから、親としては反対するでしょ」

「長老、ニナの、お父さんだったの……?」

 考えてみれば、当たり前か。

 エルフたちは明らかに長老を頂点としたコミュニティを築いていた。

 ならひめと呼ばれるニナが、その娘であるのはむしろ自然とさえいえる。

「じゃあ……ニナは私たちのところにもどりたくなかったってこと?」

 私のかんちがいで彼女に無理をいてしまったのだろうか。

 それなら、ニナが怒っているのも無理はない。

 そう思っておそる恐る聞いてみると、ニナは無言で私の角をぐいぐいと引っ張った。

「痛い痛い、ニナ、それ痛い」

「余計なことしやがって、とは思ってるわよ。こっちはせっかくかくを決めてきたってのに」

 ぽつりと、消え入りそうな声でニナは言う。

「でも……アイがいつしよにいて欲しいっていうし……それに、あんたも、その……」

「うん。私も、ニナには一緒にいて欲しいよ」

 その声を聞きらすことなくはっきりと答えれば、さらに強く角が引っ張られた。

「だから痛いって!」

 とはいえそれが照れかくしによるものであろうことくらいは、私にだってわかる。

「俺もねえさんとは一緒にいたいですぜ!」

「あんたはまあどうでもいいわ」

 ちやすように言うダルガを、ニナはそくに切り捨てる。

「ひでえ!」

 気にした風もなくダルガが笑う声が、青い空にひびきわたった。

「本当に、馬鹿なんだから──」

 呆れをふくみながらも、どこか楽し気にニナが言い、

「でもニナさんがいてくれるのは、とってもうれしいです!」

 アイがくつたくのないみをかべると、ニナもそれにつられるように笑った。

「仕方ないから、もうちょっとだけ付き合ってあげる」

 エルフの「もうちょっと」は、きっとずいぶん長い事だろう。

 そんな予感にあんしつつ、私たちは帰路へつく。


 ────このころが一番楽しかった。

 のちに何度も、そう思い返すことになると知らぬまま。




竜歴57年



  第28話 時のせん / Time Spiral

くるくると回るけれど同じ場所はけして通らず、
確かに目の前にあるのに手にはとれないもの、なんだ?


「私が来てやったぞ! さあ、食べ物をよこせ!」

「また来たの」

 開口一番、まるでさんぞくか何かのような言葉を発する群青に、ニーナは呆れたような声を上げた。

「あんたよっぽどひまなのね」

 そう言いつつも、彼女はれいとう保存していたベヘモスの肉を解凍し始める。私はあぶらつぼたなから取り出して、引火してしまわないよう注意しながら炎で熱していく。何だかんだ言って、この二人は仲がいいのだ。

「むむむ。落ちこぼれに言われると、何やら非常にしやくぜんとしないぞ!」

「ニーナと呼べって言ってるでしょ。人間語で落ちこぼれだと『おとったもの』っていう意味になって気分悪いのよ」

 ニーナがベヘモス肉を油壺に入れると、じゅわっといい音がしてこうばしいにおいが部屋の中に立ち込めた。出来れば小麦粉が欲しいところだが、残念ながらいしうすどころか麦すらまだ見つかっていない。まあ、げでも案外美味おいしいものだ。

「む、そうだったな……だが、そんな単純な名前でいいのか?」

「いーのよ。別にめいついてりゃなんでも良いんだから」

 相手の名前をもって生き物を支配するほうかい方法は、おおよそ二つあった。

 一つは、仮の名前をつけて真の名前をとくすることだ。ニーナのように真名を少しもじった程度の単純な名前でもその効果は絶大で、推測で名前を当てることが出来たとしても意味はなく、それが絶対に真名であると知っていなければならない。

 もう一つはその真逆。自分で真の名前を付け直し、心の中にいだくことだ。アイとダルガはそうしたらしく、彼女たちが思う本当の名前は私も知らない。

 アイは教えてくれると言っていたが、私の方から断ったのだ。私が彼女をあやつることはないだろうし、それこそ前に長老がやったように、とうちようされている可能性もないわけではない。不安要素は出来る限り減らしておきたいと思った。

「はい、揚がったよ。火傷やけどしないようにね」

 せきりゆうのいいところは、えたぎる油がねても熱くも何とも無いところだ。それどころか油壺の中に指をっ込んでも平気である。よく油を切ったベヘモスの素揚げを、ニーナが作り出してくれた植物の葉ではさんで群青にわたす。

「あふっ! あふい! あふい!!」

 群青は私の忠告を無視して素揚げをすぐに口に入れ、案の定はふはふともだえ苦しんだ。

「人の話を聞きなさいよあんたは……」

「いや、こうして食べるのが一番美味うまいんだよ」

 水差しからもくはいに水を注いでやりつつ呆れるニーナに、群青はそう言いはった。今の私にはマグマでも食べないと共感できないが、気持ちはわかる。

「やっぱり森の外には美味い物がたくさんあるな」

 したつづみを打ちつつ、群青は二枚目に手をばした。

 森の中にも食料は豊富だが、ベヘモスのようにちよう大型の生き物は草原にこそ多い。きよだいな分大味なのではないかと思ったら全くそんなことはなく、むしろぎゅっとのうしゆくされたうまみとごたえのあるだんりよくたまらないのだ。わざわざ森を出て食べに来る群青の気持ちも少しはわかる。

「おっ、いいもの食べてますね。俺も食っていいですか?」

 するとその匂いにられたのか、窓の外からだみ声が聞こえた。

「あんた、窓からのぞくとかぎよう悪いよ」

「へへ、すんません、姐さん」

 ニーナの小言もどこく風で、おおがらな男がひょいと身をかがめ、入り口に回りこんで入ってくる。

「……んん?」

 それを見て、群青はたんせいまゆを寄せてげんそうな表情を浮かべた。

くまざる、お前、縮んだか?」

だれです、このえらそうな耳長」

 ダルゴはベヘモスの素揚げを一枚まるごと口にほおりながら、群青を指差す。

「口に物を入れながらしやべらない。人を指差さない」

「おっと、すんません」

 ニーナの言葉にかたすくませるダルゴは、なるほど確かにかつてのダルガにそっくりだ。

「群青、彼はダルゴ。君が熊猿って呼んでるダルガの息子むすこだよ」

「ああ。親父おやじの知り合いなんですか」

 二枚目に手を伸ばしながら、ダルゴは得心がいったようにうなずいた。

「息子か……人間というのは本当に成長が速いんだな。熊猿ほどじゃないが、随分強そうじゃないか。常緑がもう一度戦いたいと言っていたが、親子二人がかりじゃあまた負けるかもな」

 指先の脂をめ取りながら群青が何気なく放った言葉に、私もニーナも思わずだまりこむ。

「ん? どうした?」

「いやあ、親父はもう無理なんじゃないですかね」

「無理って何がだ?」

「戦うことがですよ」

 ダルゴが言うと、群青はピタリと食事の手を止め「は?」と間のけた声を出した。

「どういうことだ。戦えないだと? うででも失ったのか?」

「いやいや。親父もいい年ですし、一昨年おととしこしをやっちゃってからりにもほとんど出てないですしね。俺がガキの頃は岩みたいでしたけど、最近はみたいになっちまって」

 軽い口調のダルゴの言葉に、群青はもう一度「は?」と声を上げた。

「待て……何だ? 人間語を私が覚えちがえてるのか? ちょっと言ってる意味がわからんぞ」

「群青」

「熊猿は私が知る中で、一番の戦士だぞ。エルフで一番大きい常緑をなぎたおし、一番強い紫でも歯がたたない。アイツが……枯れ木?」

「群青。もう……」

 ニーナのたしなめる声も届いていないのか、混乱した様子で群青は口にする。

「あら。群青さん、いらしてたんですか?」

 そんな時だった。

 アイが部屋の奥から姿を現したのは。

「お久しぶりです。お変わりありませんね」

 群青の目が、大きく見開かれた。

「お前、は……誰だ……?」

 私はぐっと、奥歯をみしめる。

「アイです。前にお会いしたのは……十年も前だから、わたしもだいぶおばあちゃんになっちゃって、わからないですよね」

 アイは全く変わらない、可愛かわいらしい……しかし深いしわの刻まれた顔に、みをかべた。

「群青。もう、あんた帰りなさい」

「えっ!? さっき来たばかりなのに!?」

 ニーナも私と同じ気持ちなのだろう。半ばごういんに、彼女は群青を追い出した。

 少しずつ折り合いをつけていた老いという現実を改めて明らかにされるのは、つらい。

 結局、アイの老いを食い止めることも、命を延ばすことも、どうにもならなかった。

 エルフの長老から教えてもらった二つ目の延命方法は、ばくに住むかげたみけんぞくとなって、永遠に血をすすり太陽のもとでは暮らせない化物になることだった。

 三つ目の方法は、海をえた先の大陸に住む二首の蜥蜴とかげの毒で石化すること。

 四つ目の方法は、世界の果てにある果実を食べるというものだったが、そんな果実は実在しなかった。

 どれも、そんな方法でアイを不老不死にするなんてとても出来ず、私はほかの方法を探して世界中を飛び回った。文字通り、世界中をだ。

 東の蜥蜴人リザードマンたちと戦い、武によって認められたが、彼らはおのれの肉体だけをたのじゆんぼくな種族で、魔法を使うことすらなかった。

 南の魚人マーマンに頼み込み、何年も通いつめてしんらいを得、傷を治す魔法を開発して血肉を分けてもらったりもした。だが、地球の伝承にあるような不老不死の効果は彼らの肉にはなかった。

 山の上に住む巨人たちに会った。草原をける半人半馬ケンタウロスにも会った。世界の山々に住む竜たちにも。

 あるものは友好的に私をむかえ入れてくれ、あるものは敵対し命からがらげることもあった。

 だが、共通していたのは、不老不死の方法など知らないということだった。

 私は何年も、何十年も、探して、探して、探して──

 そして、そんなある日、アイがぽつりと言ったのだ。

 このままはなばなれで万に一つの可能性を探すより、限りある生を私といつしよにいたい、と。

 アイの、最初の──そしておそらく、最後のそのままを。

 私は、聞き入れることにした。

「……ごめんなさい」

 身体からだを小さく丸め、しゅんとしょげてしまう仕草は彼女が十のころと何も変わらないのに。

「気にむことはないよ」

 私はアイの白く染まったかみを、そっとでる。

 魔法にも、出来ないことがある。

 それを私は、最悪の方法で思い知った。



  第29話 約束 / Enchantment

遠い昔の未来の言葉。


 私がアイと出会ってから、六十九年が過ぎた。

 ダルガも、ケンも……アイが最初に住んでいたどうくつのメンバーは、もう全員がくなった。

 彼らの子供、孫、ひ孫たちが村を支える中、ただアイだけが生き残っていた。

「──……なんじが名は老いであり、時の流れであり、死である……我が身体のうちから遠ざかり、消えせよ」

 長い長いじゆもんえいしようを終え、アイはふうと息をついて、ベッドの上に横たわる。

 別の大陸からつかまえてきた羊の毛をフェルト状にして作った特別製だ。

 心地ごこちはそれほど良いわけではないだろうが、それでも地面にいたただのわらとは段違いだとアイは笑ってくれた。

「アイ、だいじようかい? ……無理しなくて、良いんだよ」

「大丈夫ですよ。もう、日課みたいな、ものなんですから」

 アイは、おぼつかない口調でゆっくりと言う。

 どんどん呪文を追加して延びに延びた延命のほうは、詠唱に十分ほどかかるようになっていた。それをアイは、私がいない時も毎日欠かさず唱えていたのだそうだ。もう立つこともほとんどままならないというのに、その習慣は今も続いている。

 効果がないと思っていた魔法だが、アイだけが長生きしてくれたことを考えると、案外そうでもなかったのかもしれない。

 とはいえそれも、気休め程度にすぎない。

「それに……どちらにしろ、もう、そんなには、もたないでしょうから」

 私はアイの言葉に答えられず、ただ彼女の前髪をいた。

 同じことは、ニーナからも言われていた。

 アイの命はもってあと数日だろう、と。

 彼女がこの世からいなくなるなんて、全く想像できない。

 そう思う一方で、心の何処どこかに、あきらめの気持ちが蔓延はびこっているのも確かだった。

 彼女はこの時代の人間としては、十分すぎるほど生きた。

 老いおとろえきった身体はもはや野を駆けることも出来ず、快活に喋ることも出来ず、耳もほとんど聞こえなくなっている。

 そんな彼女を見続けるのは、私にとっても苦しいことだった。

「先生」

 アイは私をじっと見上げた。

「最後に一つだけ、聞いても良いですか?」

「なんだい? いくつだって答えるよ」

 最後だなんて言わないでくれ。

 張りけそうな胸を必死に押さえながら、私は必死にがおを作る。

「わたしは──先生の、名前を、知りたいです」

「名前?」

 りゆうはどの種も群れず、親子でも一緒に暮らすことは殆ど無い。

 もちろん高い知性を持つ彼らだから、名前を知られることでたましいしようあくされることもわかっているんだろう。

 だからだろうか、名前をつけるということもしなかった。

 自分で自分に名前をつけるのもみような気がして、だから私は『先生』と呼んでもらうようにアイに頼んだ。その呼び名は村の人々にも広まって、私を先生と呼ばないのはたった二人。ニーナとダルガだけだった。

「説明してなかったっけ? 竜に名前はないんだ。だから、君たちが呼んでくれる先生というのが、私の名前だよ」

 そう言うと、アイはふるふると首をる。

「わたしが知りたいのは、先生の……人としての、名前です」

 彼女の言葉に、私ははっと思い出した。

 そうだ。私はかつて、人間だった。

 勿論、忘れていたわけではない。

 だが竜になってから、人間の人生と同じくらいの時間がっただろうか。

 私はすっかり竜としての暮らしに慣れ、かつての事を意識することは殆ど無くなっていた。

「気づいて……いたのか」

 私が元人間だったことは、だれにも言ってない。

 別に知られたところで困るわけじゃないが、誰も信じてくれないと思ったからだ。

「先生のことは、何でもわかりますよ」

 アイはそう言ってにっこりと笑った。

 それはちようではなく、本当のことかもしれない。

 耳の悪い彼女が、何故か私の言葉だけは聞きちがえることはないのだから。

「私は……そう。人間だった。それもこの世界の人間じゃない。全く別の世界で生きた人間だった」

 アイは私のこうとうけいな話を疑う様子もなく、うなずきながら聞いてくれる。

「その世界には魔法がなかった。……いや、一つだけしかなかった、と言うべきか。その一つが……この世界に、竜として生まれ変わるってことだったんだ」

「生まれ、変わる……」

 私の言葉を、アイははんすうするようにくちびるに乗せる。

「リョウジ。セキグチ、リョウジというのが私の人だった頃の名前だよ」

 字はこう書くんだ、と私は中空に漢字をえがく。

「……リョウジ……さん」

 アイがそうつぶやいたしゆんかん、私の全身は燃えさかるような熱さを覚えた。

 温めた湯にかった時も、うっかり周りの木々を燃やして火に巻かれた時も、マグマを浴びた時でさえ、こんな熱を感じたことはない。

 竜に生まれて初めて感じる『熱い』という感覚だった。

 腹の底が焼け付き、うでがねじくれ、視界がゆがむ。

 だが不思議と、そこに苦しさはなかった。

 そして、変化はそれが始まった時と同じように、とうとつに終わった。

「リョウジさん……ですか……?」

 妙に近くに見えるアイの姿に私は数度またたき、そして気づく。

「……そう、みたいだ」

 私の姿が、人間に変わっていることに。

「これ、は……君が?」

「多分……そうだと、思います」

 アイは目を見開いて、じっと私を見つめた。

 私はふるえる腕をばし、アイのほおをそっと撫でる。

 そして、彼女をぎゅっときしめた。

 こんなことすら。

 こんなことすら、今までしてあげられなかったのだ。

 初めて抱きしめる彼女の身体はおどろくほど小さくきやしやで、少し力を込めればこわれてしまいそうなほど。

「ああ……」

 アイの腕が私の背中に回されて、彼女はかんたんの声をらす。

 そのうるんだひとみはキラキラとかがやいて、ひたむきに私を見つめている。

 まっすぐ、いちに、私を見つめる彼女のその黒い瞳は、いつまで経っても変わらない。

 にえとして私のもとへとやってきたばかりの、あどけなく幼かった春も。

 伸びやかな若葉のように可愛かわいらしく成長し、したってくれた少女の夏も。

 あざやかに色づいた花のように美しく、私に好意を伝えてくれた秋も。

 そのはだにいくつものしわを刻み、妻として私を支えつづけてくれた冬も。

 ずっとずっと、その瞳は私だけを見つめ続けてくれていた。

「わたし、しあわせでした」

 私もだ。

 そう言ってあげなければいけないのに、私の口は動かなくて。

「先生と、出会うことが出来て。そのおとなりに、ずっといられて……」

 いかないでくれ。

 そんな情けない言葉をき出さないようにするのが、精いっぱいで。

「ほんとうに、しあわせでした」

 人の姿になっても、竜としての感覚の一部は残っているらしい。

 私は生まれて初めて、火竜に生まれたことを心の底からのろった。

 私を人間に変える魔法によって、その力を使い果たしてしまったのだろう。

 アイのその唇から、瞳から、指先から、どんどん熱が……

 命そのものが失われていくのが、おそろしいほどはっきりと感じ取れていた。

 泣きさけび、すがり付き、一人にしないでくれとこんがんできたら、どんなにか楽だろう。

 彼女といつしよに命を絶とうかとも、何度も何度も考えた。

 アイのいない世界でこれから何百年も何千年も生きるなんて、想像したくもない。

「ああ……私も、君と出会えて……本当に、良かった……」

 それをこらえ、声をしぼり出すように、私はなんとかそう答えた。

 満ち足りた笑みをかべる彼女を、幸福のまま送り届けるために。

「そんなやさしいせんせいが、だいすきです」

 だがアイは私の考えなんてすべてかすように、にっこりと笑った。

「だから、わたしは……また、」

 残りの力を振り絞り、アイはゆっくりと言葉をつづる。

 それは空気を震わせることすら出来ないほどにか細くて。


 それが、彼女の最後のいきになった。


    * * *


「……終わったの?」

「ああ」

 静かにたずねるニーナに頷き返してから、私はふと気づく。

「よく、私だって気づいたね?」

 私の姿は竜であったころのものとは、すっかり変わってしまっているのに。

「何も変わってないでしょ。その金色の目も、赤い頭も」

 しかしニーナは何事もなかったかのように、そう言ってのけた。

「情けない顔してるところも」

「そんなに情けないかな……」

 私は自分の顔をぺたぺたとさわる。そこにはかたうろこも、長い口も、するどい角もなく、ただやわらかなかんしよくだけが感じられる。

「まあ、しいて言えば」

 ちらりと私を見上げて、ニーナは言う。

「あんた、もっと子供だと思ってたわ」

りゆうとしてはそうなんだろうけどね」

 鏡がないのでわからないが、身長や声、手足の感じからして今の私は二十歳はたち前後の人間の姿をしているんだろう。竜は寿じゆみようが何歳なのかもわからないが、少なくともまだまだ幼いと言って良いねんれいのはずだ。

「……思ったより落ち込んでないのね」

「いや、ものすごく落ち込んでるよ」

 ニーナの目がなければ、今すぐ泣きわめきたいくらいだ。

 でも。

「ニーナ。ほう学校を作ろう」

 かつて彼女に言った言葉を、私はもう一度言った。

「……? 作ったじゃない」

 アイは、本当に最高の妻だった。

 最後まで、私のことをおもってくれた。

「もっともっと大きく、もっともっとだいな学校を」

 竜の耳は、本当に鋭い。

 空気さえ震わせることのないアイの、最後の言葉さえ聞き届けるほどに。

 だから私は彼女が言い残したことを信じて、まだ前を向ける。

「この世界のだれもが知るような、そんならしい学校を、作るんだ」

 いつか。

 いつか、彼女が帰ってくる時のために。



  第30話 転生 / Reincarnation


 空を飛びたい、と思ったことはないだろうか。

 青い空を見上げるたび、そこに浮かぶ白い雲を見るたび、自由に飛んで行く鳥たちを見るたびに、わたしはそう思っていた。

 ああして飛べたら、どんなに楽しいだろう。

 言葉を覚える前の事はあまり明確に思い出せないが、そんな事を思っていたように思う。

 ろくに食べ物もなく、毎日毎日、森で小枝や木の実を拾い、じゆうおびえ、死んでいく兄弟を見送るだけの生活。

 それを不満に思っていたかというと、そういうわけではない。

 わたしの世界はそれだけだったし、それ以外の生き方なんて考えもしなかった。

 ただばくぜんと……わたしは、あの空の向こうの事を知ることもなく、やがて死ぬんだろうと言う、ていかんめいたものをいだいていたように思う。

 それを簡単にき飛ばしてくれたのは、空からい降りた大きな大きな竜だった。

 初めて出会った時は、とにかく恐ろしくて、わたしはこれで死んでしまうんだと、心の底から思った。

 だけれど。

「ああ、だいじよう、おじようちゃん。大丈夫、私はこう見えてもいいドラゴンなんだ」

 何と言っているかもわからなかったそのこわいろはとてもやさしげで、言葉の意味は通じていなかったけれど、彼の言っていることははっきりと伝わっていた。

 だから。

 森のはしねむる彼にささげ物をするために、父が子を選び出した時、わたしは真っ先に自分が行くと主張したのだ。

 あの空飛ぶ赤い竜の下へ行けば、何かが変わるんじゃないか。

 そんな、あわい期待を抱いて。

 実際は、何かが変わるどころの話じゃなかった。

 竜は……先生は、わたしが思っていた何十倍も何百倍も風変わりで、何一つとしてわたしの想像のはんちゆうにないことばかりを口にした。

 そもそも、言葉なんてものすらわたしたちは知らなかったのだ。

 名前。木で作った家。火で焼いた食べ物。土で作ったうつわ。塩。スプーン。がいねん。植物と動物という分類。エネルギー。文字。くし。お

 そして、魔法。

 先生がつくりだすものは何から何まで見たことも聞いたこともないものばかりで、幼いわたしが彼にあこがれるのは当然のことだった。……その想いが、やがてに変わるのも。

 そうしてとなりで先生を見ているうちに、わたしは彼がとてもつうの人なのだと気がついた。

 平和が好きで、戦うことが苦手で、優しいけれど、おこるときは怒る。

 そしてとってもおくびようで────ちょっぴり、ゆうじゆうだん

 知らないことはないんじゃないかと思うくらい物知りで、誰よりも強い竜なのに、中身は普通の男の人なのだ。

 それはかえって変てこな事のように思えたけど、何もかもがすごいただの竜より親しみが持てる気がして、わたしはますます先生のことが好きになった。

 ……まあ、ジャックフロストに協力してもらってまで想いを打ち明けさせたのは、われながらちょっとやり過ぎかなって思ったけど、ニナさん以外にはバレてないし、若気の至りという事で許して欲しい。

 ほかの人がわたしのことをどう評価するかはわからない。

 子供も残せず、女としての喜びもついに知ることなく、最後に一度好きな人にきしめられただけで死んでいくわたしの事を、な人生だったと思う人もいるだろう。

 例えば、ニナさんとか。

 あの人は結構そういうことをハッキリ言う人だ。

 けれど、わたしはそう思わない。

 先生の隣にいられた一生は、ほんとうに、ほんとうに、幸せだった。

 そこにいはいつぺんもなく、こんな生き方をしなければ良かったなんて全く思わない。十度やり直せば十度とも同じことをするだろう。

 魔法は、名前で出来ている。

 先生は何度もそう口にしていた。

 彼はもちろん、ただ単純に魔法の原理の話をしていただけなんだろう。

 でもわたしにとってはそうじゃない。

 彼が一番初めにわたしにくれたもの。

 それはまさしく最高の魔法だったからだ。

 師として、父として、兄として、そして夫として。

 先生はあふれんばかりのアイを、わたしにずっと注いでくれた。

 だから最後に使う魔法も、わたし自身だ。

 それが出来るってことも、教えてもらえた。

 だから、だから。

 何十年、何百年、何千年、何万年かかっても。

 きっとまた、あいアイにいきます。

 待ってて下さい。リヨウさん────




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