●6月8日(月曜日) その4

「あー、なるほどねぇ。私が『売り』をねぇ」

「本当にごめん! この通り!」

 あれから互いに認識のずれを修正するためにすり合わせをし、何となく状況が見えてきたところでおなかが減ってきたので食卓に移動した。

 亜季子さんが出かける前に準備してくれたらしい、さいいためにしるに揚げ物といった、オーソドックスな家庭料理を温め直してふたり分の夕食として皿に盛りつけた。

 いただきますをして、互いに味噌汁をひとくちすすったところで綾瀬さんが不服そうな声を漏らすに至ったのだった。

 誤解の内容があまりに失礼で言い訳の余地もなく、俺はただ両手を合わせて頭を下げた。

 その姿にあきれたのか、綾瀬さんは深くため息をついた。

「顔あげていいよ。うわさになってるのは知ってるし。この見た目だと、そーゆー誤解をされること多いんだよね。ま、面倒な人を遠ざけたいときに便利に噂を利用してる私も悪いんだけど」

あやさん……」

 強がりを言っている雰囲気じゃない。

 だからこそその淡々とした物言いに、彼女自身がさらされてきた偏見とうわさのタチの悪さを実感せずにいられなかった。

 しかし不思議だ。

 彼女はどうやら自分のファッションがあらぬ誤解を受ける可能性があるのだと、客観的に理解しているようである。そうとわかっていながら、その服装を選択しているんだろうか。

 そんな疑問を俺が抱いていることを察したのか、さいいためをつまんだ箸を自分の小さな口に運ぶ手を止めて、綾瀬さんは言う。

「不思議がって当然だと思う。自分でわかってて、なんでこんな格好してるのかって」

「うん、まあ……多少は、気になるかな」

「武装モード」

「え?」

「丸腰で戦場に出る人はいないでしょ。私にとってこの姿は、社会を渡っていくための、武装そのものってこと」

 そう言って綾瀬さんは、ちょいちょいと指で耳元をさす。

 指先でキラリと輝くのは洒落しやれたピアス。

 しっかりと器具を使ってあけた穴にはまったアクセサリ。同年代のギャル……に限らずオシャレに興味を持ち始めた女子の中でも、勇気を持って踏み出せた者だけが至る領域。

 中学においては同い年から英雄視され、大人からは不良生徒だと注意される世代矛盾を浮き彫りにする、一種の通過儀礼。

 大人になるにしたがって、なあなあで、空気感で、何となく文句を言われなくなっていく謎の倫理観で語られる行為。

 たった数ミリの金属、少女に複雑な定義を与えてしまうそれを見せつけられた俺の口からとっさに出てきた言葉は、

「防御力が上がるの? それとも二回攻撃できるようになるとか?」

「ぷっ……面白いこと言うね」

 ウケた。

 単に思考速度が追いつかず、自分ののうの一番浅い部分にあるゲームやゲームを題材とした小説から拾ってきた言葉がするりと出てきただけなのだけど。

「ま、当たらずとも遠からずかな。攻撃力と防御力の両方を上げるのが目的だから」

「物騒だね。ファンタジーならいざ知らず、現実世界はこんなにも平和なのに」

「戦いはあるんだよ。見えないところでね」

 裏世界での闘争に誘うヒロインみたいなことを言う綾瀬さん。このまま平々凡々な俺は人知れず行われる血で血を洗う異能バトルの世界にいざなわれていく……はずもなくただの高度な修辞学的表現レトリツクなのだと、国語がそこそこできる俺は理解した。

ゆうくんへ。温めて仲良く食べてね』

 そう書かれたメモ紙、さいいためのラップをがした後、食卓の隅に置いていたそれをあやさんはちらりと見る。

「もしかして今日、お母さんと入れ違いになった?」

「うん。学校から帰ってきたら、ちょうどね」

「仕事に行くときのお母さん、すごくきれいだったでしょ」

「それは、まあ、うん。そうだね」

 歯切れの悪い返事をしてしまう。仮にも母親になった女性を、血のつながった娘の前でどう褒めれば良いのかまったくわからなかった。

 すると綾瀬さんは俺の顔をじっと見つめたまま、声を小さくする。これから怪談を語るかたのようなあらたまった口調で……。

「でも、最終学歴は高卒なの」

「へえ、そうなんだ」

 意外にも普通すぎる内容に、思わず乾いた反応を返した。

 すると綾瀬さんは意外にも意外そうな顔をして、

「何も思わないの?」

「……思わないけど」

「高卒。美人。水商売。この三つの条件がそろったら?」

「高卒で、美人で、水商売で働いてるんだなぁってだけだけど」

 何をあたりまえのことを言ってるんだろう。

 それぞれの要素に固有のイメージはあるが、重なったところでそれ以上に思うことなんてあるはずもない。

「ふぅん。あさむらくん、フラットなんだ」

 そうつぶやいて野菜炒めを口に運ぶ綾瀬さん。

 クールな無表情の中にほんのりとうれしそうな感情が含まれていると感じるのは、悲しき童貞の勘違いなんだろうか。そうではない、と言い切れるほど女の子の心理に詳しくないのが歯がゆいところだ。

「そういうスタンス、すごくいいと思う」

「童貞に優しくて助かるよ」

 心中を素直に言葉にしてくれればメンタリストなスキルがなくてもコミュニケーションを取りやすい。

 綾瀬さんの目が一瞬で曇る。童貞は余計なひと言だったかと背筋が冷えた。

 しかし軽率な下の発言をとがめる雰囲気ではなく、それよりも一段階シリアスな重みをこめて彼女は口を開く。

「フラットじゃない意見を私は知ってる。高卒で、美人で、水商売。つまり頭が悪くて、見た目が良いことだけを武器にして、日陰の世界で稼いでるんだろって。お母さんが、そんなふうに侮られるところを何度も見てきた」

「ナンセンスだ」

 確かに学歴と頭の良さの相関について、一定の傾向はあるだろう。

 だがそれは、個人の資質を測る絶対の定規じゃない。

 マクロの観点で正しくても、ミクロを見たらいくらでも例外はいるはずだ。そう言われることが多いよね、と、だからその人はそうなんだ、の間には大きな違いがある。

 そんな簡単なことも理解できないやつは知能が低いと言わざるを得ないだろう。

 ……と、よみうり先輩に借りた本にそんなことが書かれていた。本の影響力はすさまじい。たかが高校生の自分が人生の熟練者気取りでモノ申すつもりは毛頭ないのだが、つい反射的に読んだことある本の価値観が引用されてしまった。

 でもそんな受け売りの言葉を聞いたあやさんの顔は、すこし紅潮していて、興奮気味に前のめり。

「だよね。ナンセンスだよねっ」

「う、うん」

「しかもそういう声って、ズルいんだ。巧妙に逃げ場のない論理展開をしてくる」

「たとえば、どんな?」

「頭が良くて外面が悪いと、いけ好かないインテリ女。外面が良くて頭が悪いと、カラダで地位を獲得してる枕営業女。誰かに頼れば美人なら寄生すればいいからラクと言われ、ひとりで努力すれば頼る男もいない可哀かわいそうな奴と言われる」

「ああ……なるほど。そういうのって、あるよね」

「男子もあるよね、きっと」

「あるある。好きな子にアピールしようとしたら、キモい、セクハラ、犯罪者と呼ばれるのに、それじゃあ恋愛なんていらないやと言えば、強がり、ムッツリ、童貞のひがみって言われるやつ」

「すごく具体的だけどあさむらくんの実体験?」

「SNSとかでそういうの流れてくるからさ。先にその手の体験談を見ちゃったせいか、自分の実体験にしたくないんだよね。めんどくさくて。最初から色恋沙汰みたいなのにはかかわらないでいようって決めてるんだ」

「なるほどね。なんとなくわかるなー、そういうの」

 すっぱいどうがどうたらと、有名なイソップぐうの引用でされかねない俺の考え方に綾瀬さんはあっさり同意してみせた。

 共感できる部分があると感じてくれたのか、彼女の声と表情からすこしだけ硬さが消えた。

「そういうわけでさ、私のこの姿は武装なんだよね」

 話が戻ってきた。

「オシャレを完璧に。第三者から美人だ、きれいだ、って言ってもらえるレベルにどうにか自分を引き上げた上で、学業も、仕事も、何もかも完璧な強い人間になる。そのための第一歩。くだらないステレオタイプを押しつけてくるやつらをねじ伏せられるような、強い人間になるための、ね」

 いつものように淡々とした口調。だけど彼女のその声には、強い感情がにじんでいる。

 ──俺と逆だ。

 押しつけられる役割が面倒で、かかわらないようにフタをして逃げているのが俺。あやさんは世間にツバ吐き殴りかかるストロングスタイルだった。

 でもその強すぎるスタンスにはほんのすこし危うさも感じる。

「大丈夫、それ? すごく疲れそう」

「体力と引き換えに見返せるなら本望だから」

 誰に対して?

 そんな疑問が脳裏をよぎったが、それをくのはうま根性な気がして、口には出せなかった。

 同い年とは思えない老成した価値観を持つに至ったのには、もしかしたら本当の父親、さんの前夫にあたる人物の影響があるかもしれない。

 もしそうだとしたら、ずけずけと踏み込むのは嫌だ。

 自分だって、本当の母親について探られたら良い気分はしないのだから、相手のことも探らないのがマナーだろう。

 そんなことをぐるぐると考えているうちに返す言葉を見失っていると、綾瀬さんのほうから沈黙を破ってきた。

あさむらくんも私と同じなんじゃない?」

「綾瀬さんみたいに強くないよ、俺は。社会の目と戦う気なんて起きないし」

「でも根っこにあるのは、他人の期待がめんどくさくて、誰かに期待するのもめんどくさいって気持ちでしょ」

 その通りだった。だからこそ最初にファミレスで会った日、俺たちはお互いに気持ちよくスタンスをすり合わせられた。

「他人の目、他人の期待。そういうめんどくさい色々から解放されるには、独りで生きていけるだけの力が必要なの」

「なるほどね。高額バイトを探してる理由もなんとなくわかった」

「へえ。勘がいいんだ」

「ここまでヒントがあったら鈍くてもわかるよ」

 感心するような綾瀬さんの物言いに、俺は肩を落としながら続けた。

「自立して生きていくため、でしょ」

「正解。……ごめんね」

 そう言って、綾瀬さんはばつが悪そうに目を伏せた。

 謝罪の意味をたずねたりしない。

 いままでバイトをしていなかったであろうあやさんが、俺たちあさむら家との共同生活が始まったこのタイミングで高額バイトを探し始めた理由なんて、わざわざ根掘り葉掘り質問を浴びせるまでもなく明白だった。

 他人に寄りかかることなく。他人に期待することなく。ただ強く気高い自分のまま独りで生きていく。そんな孤高の決意を抱くに至ったのは寄りかかれてしまいそうな『他人』が、すぐ近くに現れてしまったから。

「正直、アルバイトで、簡単に稼ぐ方法はないよ。書店の時給も高額とは言いにくいし」

「そう……」

 綾瀬さんが残念そうにうなだれる。

「なら、諦めるしかないのかな」

「自分で色々調べたりしないの?」

「一から情報を集めるために本腰を入れると、勉強時間がなくなりそうで。もともとバイトとかしないで来たから、情報ゼロの状態なんだよね。たくさん時間を使えば解決しそうなんだけどコスパが良くないっていうか。私、そんなに頭よくないから、成績か高額バイトの情報集めか、どっちかを犠牲にする必要がありそう」

「なるほど。バイト経験があったり、身近な人の数が多い俺のほうが情報集めのコスパは良いのかも」

 俺も友達が多いというわけではまったくないが、さっきの話を聞くに綾瀬さんはかなりの孤独体質だ。

 さかさんとは友達らしいけど、それ以外との関係は築いてなさそうに見える。

「短時間で稼げる方法を探す手伝い、できるかも」

「本当?」

「うん。学校にひとり、情報通の友達がいるし」

 もっとも、友達はそのひとりしかいないわけだが。

「バイト先の先輩も博識だから何か知ってるかも。ちょうど明日バイトがあるから、何か知らないか聞いてみるよ」

「ありがと。でも、あんまりもらいっぱなしっていうのもアンフェアだよね」

 綾瀬さんはしるに口をつけて考える。

「味噌汁」

「え?」

「毎日、味噌汁を作ってほしい」

 ごく自然に食卓を囲んでいる、すこし前まで他人だった同い年の女子。そんな非日常的な光景を見ていたら、自然とその言葉が出てきた。

 おわんに口をつけたまま数秒、綾瀬さんはぽかんとしていた。

「愛の告白?」

「や、そうじゃなくて」

 無理もない。

 台詞せりふだけを抜き出したら完全にプロポーズの言葉だ。

 さんが毎日夕飯を作るのは厳しいと言ってたなぁ、とか。

 当番制となると自分も作らなきゃいけないのか、親父おやじとふたりで暮らしてたときは出前やレトルト、コンビニ飯で済ませてたけどそうはいかなくなるよなぁ、とか。

 だけどバイトもあるし勉強もしたいし本も漫画も読みたいし交代制とはいえ料理をする時間はあるのかなぁ、とか。

 手作りのしるを飲んだの、何年ぶりだろう。インスタント味噌汁よりちゃんといものなんだなぁ、とか。

 今日、地味に頭の中を飛び交っていたさまざまなおもいがない交ぜになって、ぬるりと出てきたのがその台詞だったのだ。

「まあ、いいけど。料理つくるの、べつに嫌いじゃないし。わりと得意だから、情報集めと違って、私にとってはたいしてコスト高くないし」

 納得してくれたらしい。

「俺はあやさんにお金の稼ぎ方の情報を教えて──」

「私はあさむらくんにご飯を作ってあげる──」

 行儀が悪いとわかりながらも俺たちは、指で互いの顔をさしながら、取引の成立を確認し合った。

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