●プロローグ

 これは、昨日まで他人だった俺と彼女が本当の〝家族〟になるまでの物語──



 これは実際に体験した俺だからこそ言えることだが、義理の妹という存在はただの他人だ。

 高校二年生でその真理にたどり着いたのは思春期男子として最低の不幸で、いち家族として最高の幸運だった。漫画やラノベやゲームでは血がつながっていないことを免罪符に平気な顔で恋愛対象ヒロインとなり、きよくせつを経て男女として結ばれる。そんな創作を真に受けたまま妙な期待をして日々を過ごしていたら絶対に痛いやつになっていたし、「兄は妹を守るものだ」なんて主人公らしいロールを押しつけられていただろう。

 現実は違う。

 世の男どもが妄想するまいと本物の義妹がどう違うかというと、たとえば夜、書店でのバイトを終えて家に帰ってきた俺とソファに座って温かいココアを飲んでいた義妹の会話はこうだ。

「おかえり、

「ただいま、

 以上。

 ご理解いただけただろうか?

 そこには語尾に甘ったるい砂糖をまぶした「お兄ちゃん♪」もなければ、かつごとく兄を嫌う「は? クサいんですけど、話しかけんなクソ兄貴」もなく、フラットで常識的な他人同士の挨拶があるのみだ。

 赤の他人に対して過剰に甘えるのもヘイトをらすのも、どちらも等しく非現実的。

 俺と義妹の関係にドキドキもイチャイチャも過度な尊敬も依存もあるはずがない。生まれてから十七年間、一切のまじわりなく生きてきた相手に、はい明日から家族ですと言われたところで特別な感情を抱けというほうが無理だ。

 偶然、二年連続で同じクラスになったクラスメイトのほうがよほど親密度が高いだろう。


 俺、あさむらゆう、今年で十七歳。高校二年生。

 このよわいにしてなぜ俺に義理の妹ができてしまったかといえば、ひとえに親父おやじが「元気」だったから。よくもまああんな目に遭いながら再婚なんてする気になったと、心の底から尊敬する。

 物心ついたときからけんばかりの両親を見て育ってきた俺は、親父に離婚すると聞かされたときはそりゃそうだろうなと思ったし、自分のしようの無さのせいだと頭を下げられたときは、いやいや母親の浮気が原因って知ってるしと冷めた気持ちで聞いていた。

 以来、女という生き物に特段の期待をしないように生きてきた俺は、ある日の放課後、親父に唐突に打ち明けられた。アルバイト先の書店へ向かうべく、自転車の鍵を取り出しながら玄関でスニーカーに足を突っ込んだタイミングで。

「父さん、結婚することにしたんだ」

「は?」

「相手は包容力たっぷりの美人なお姉さんだし、良いよね?」

「修飾語で語られてもどんな人かわからんし。良いも悪いも判断できないんだけど」

「上から92、61、90」

「数字で語ればいいって話じゃないような……。新しい母親の初情報としてスリーサイズを明かされる息子の気持ちを考えてよ」

「スタイル抜群のお母さんができてうれしいでしょ」

「いや、特には」

「そんな……! 性欲に流されないなんて、本当に思春期なのかい? 前々から枯れてるとは思ってたけど」

「おいおい」

 息子に対してひどい印象だな、とツッコミを入れた。

 女に何も期待していないと言うとよく誤解されるのだが、俺はあくまでも女の人間性に期待していないだけで、裸の女性を見れば興奮するしプールの授業で水着の女子を見ればムラムラくらいはする。

 ただ親父おやじの恋人──これから母親になるかもしれない相手に性欲をたぎらせるほど、節操なしではないだけだ。

「けど、四十にもなってよく出会えたね。相手は職場の人?」

「上司に連れて行かれたお店で働いてたコなんだよ。酔い潰れてた僕をしく世話してくれてねえ」

「それ、だまされてるんじゃ……」

 夜の女は悪人、なんてステレオタイプのイメージに縛られるつもりはないが、一度女に痛い目に遭わされている親父に言われると、妙に負の説得力があった。

「大丈夫だよぉ。さんだけはそんなことないから。あっはっはっはー!」

 騙される人間のじようとうみたいな台詞せりふとともに高笑いする親父に、俺はあきれ返った。

 それでも反対はしなかった。

「親父が幸せなら何でもいいよ。俺は、いままで通りやるだけだから」

 期待しないとは、そういうことだ。新しい母親を交えた新しい生活に何も期待していないのだから、もし騙されていたらとか、不幸になったらとか、そういうマイナスの想像もしない。なるようになるだろとしか、そのときの俺は考えていなかった。

「いやいままで通りとはいかないよ。妹ができるんだし」

「は? 妹?」

「そう、妹。亜季子さんの娘さん。写真を見せてもらったけど、可愛かわいかったなぁ」

 どうやら相手の女性とは互いにバツイチ、再婚同士。そんな境遇が似ていたところも、かれ合った理由のひとつらしい。

「ほらこれ。可愛いでしょ」

「あー……まあ、たしかに」

 テンション高く掲げられたスマホに映し出されたのは、小学校低学年ほどのあどけない顔立ちの女の子だった。児童向けに翻訳された海外のファンタジー小説を膝の上にひろげている。人見知りなのか、カメラを見る目はどこか照れくさそうだ。

「おめでとう。これでゆうもお兄ちゃんだ!」

「にこやかに親指立てられてもな。……まあ、可愛かわいいのは間違いないし、悪い気はしないけど」

 年頃の妹は面倒くさいイメージがあったが、小学生なら話は別だ。ことわっておくが、ロリコンではない。十近くとしが離れていれば特に気を遣うこともないだろうという安心感があるだけだ。可愛いとは思うがロリコンではない。可愛いとは思うが。

「で、今日、夜9時くらいに顔合わせするから。バイト終わったら近くのロイヤルホストに来てほしい」

「ずいぶん急だな……」

「いやぁ。言おう言おうと思い早一ヶ月。うっかり約束の日まで言い出せなくて」

「先送りにも程があるだろ!」

「いやぁ。面目ない」

 こういう親父おやじなのである。こめかみ辺りを細い指でポリポリく親父の、頼りないが人のさがにじる苦笑を見て俺は、はーっとため息をついた。

「わかったよ、行くさ。深夜に遊び歩く不良息子じゃなかったことに感謝しろよ」

「そこは最初から心配してないよ。信用してるからね」

 本当に、どこまでも人のい親父なのだった。


 新しい母親。新しい妹。新しい家族。

 そんな言葉をモヤモヤと頭に浮かべながら俺は、作業がおざなりだよとバイト先の先輩(美人)に指摘されつつもどうにか仕事をやり過ごした。

 デボラ・ザックいわく、マルチタスクは愚の骨頂、一点集中してこそ成果は上がる。自分はいまおそらく小学生であろう妹とのファーストコンタクトをいかにして成功させるかに集中すべきであり、ゆえに仕事は半自動的に処理したのだと主張したら先輩に怒られた。

 その本を教えてくれたのは先輩なのに理不尽だと思った。

 だけどシフトを終えて帰るときには、「決めておいで、お兄ちゃん!」と背中をたたいてくれたから、やはり先輩は良い人なんだろう。

 夜のしぶ。バイト先の書店からどうげんざかを自転車で数分上がると、指定されたファミレスに着いた。この時間帯は混雑するらしく、入口は若い女性の団体客であふれていた。漏れ聞こえてきた会話の内容は、いま付き合っている彼氏に対する愚痴だった。

 服がダサくてキモい、女性経験が浅くて女心がわからない──そんなことを、肌を浅黒く焼いて、派手な服を着て、髪を前衛的に盛り上げた女性が言っていた。

 あの、お姉さん。なかなかダサいお姿ですが大丈夫ですか? というか不満があるなら本人に直接言わないと無意味ですよね?

 なんて言えるはずもなく彼女たちの横をすり抜け、俺はすでに店内にいるらしい親父おやじからのLINEにしたがって座席を探した。

 ああいう派手な人種の、しかも男に過剰な期待をかけるような女性とは生涯お近づきになりたくないものだ。これから出会う妹が小学生でよかった。断じてロリコンではないが。これから彼女がああいう人種に育たないことを、期待はせずともひっそり祈ることにしよう。

「おーい、ゆう。こっちこっち」

 店内を見渡している俺に気づいたのか、窓際の席で親父が手を振って呼んでいた。

 他の客の注目を浴びるばつの悪さを感じて目を伏せながら俺は気持ち早足で席に向かう。

 ──違和感の芽は、この時点でもう顔を出していた。

 一歩進むごとにそれは脳内でむくむく成長していき、親父の前の席に座る新しい家族の姿がハッキリ見えるにつれて根を張り茎を伸ばし、座席に到着したときには混乱という花が咲き誇っていた。

 おかしいだろ。これは、いったいどういうことだ?

「はじめまして~。きみが悠太くんね。バイトで忙しそうなのに、こんなところに呼び出しちゃって、ごめんなさいね」

「い、いえ。息子のあさむら悠太です。あなたは、父の……」

あやと申します。うふふ。いちさんから話は聞いていたけれど、本当にしっかりしてるのね」

 困惑し立ち尽くす俺へと最初に声をかけてきた女性──綾瀬亜季子と名乗った女性は、親父の名を親しげに呼びながら幸せそうに微笑ほほえんだ。

 やや童顔ながらも表情やまなしからは大人の色香が感じられた。包容力たっぷりの美人なお姉さんという親父の形容には、ひとにぎりほどの誇張もなかった。

 夜の街に咲くたんぽぽのような人だと思った。

 だけど俺の混乱の元凶は、そんな絶世の美人、亜季子さんではなかった。

 俺が目を奪われ、くぎけになっていたのはその隣。なるほど写真の面影がある。彼女がこれから妹になる女の子なのだろう。しかしその姿は俺の想像とはまるで違っていた。

「ほら、あなたもご挨拶するのよ~」

「うん」

 出来の良い置き物みたいに背筋を伸ばして座る女の子は、俺に不思議な笑みを向けてきた。

「はじめまして、綾瀬です」

「え、あ、はい。浅村悠太です。はじめまして」

 礼儀正しい挨拶に対し、こちらも自然と背筋が伸びる。

 ──全然違うじゃないか。

 たしかに面影はあるのだ。写真で見た小学生の女の子と同一人物だと言われたら、秒で納得できる。

 ただし、それが姿なのだと言われたら、だが。

 半ば圧倒されながら、俺はあやの姿を見る。小学生などではあり得ない、むせ返るほどの「女」がそこにいた。

 髪型こそ奇抜でなくロングヘアをれいにまとめているが、髪色は派手、手首にアクセ、耳ピアス、私服も下品でない範囲で肩を出すワンショルダートップス。店内の光の加減のせいでいまいちわかりにくいが、おそらくメイクもばっちり決めている。

 オシャレで完全武装した今風の女子。俺の人生で交わることなどないと思っていた、陽の世界に生きるJKそのもの。

 それでいて初対面の俺に対する態度は極めて常識的な大人の余裕がたっぷりで、ボタンを微妙に掛け違えたような違和感さえあった。

 俺は二の句が継げぬままソファ席に腰を落とし、隣に座る親父おやじに耳打ちする。

「なあ、話が違うんじゃないか?」

「いやあ僕も今日初めて会ってビックリしたよ。写真だと小学生だったのに」

「ホントだよ。どう見ても

「同い年だってさ。今年で十七歳。高校二年生」

「それはもはや妹ですらないのでは」

ゆうの方が誕生日が一週間早いんだよ」

「一週間」

 たったの一週間。それはどう言い繕ったところで、ただの同い年である。想像していた気遣わなくていい気楽な妹像が、ガラガラと音をたてて崩れていく。

「まぎらわしくてごめんなさいね。ってば、大きくなってから全然写真を撮らせてくれなくて。見せられるのは昔の写真しかなかったのよ~」

 俺と親父おやじの会話を耳ざとく察したさんは、ほおに手を当て隣の娘を流し見て、当てつけのようにそう言った。

 自分も写真がおつくうなタイプだからその気持ちは理解できる。むしろ理解できないのは、娘の紹介をするときに幼い頃の写真を見せる亜季子さんのほうだ。どう考えても、常識的な感性からずれていると断言できた。

「私、目つきが悪いせいか写真うつりが悪くって」

「は、はあ。そうなんですか」

 困ったように微笑してみせた沙季──あやさんの顔は、世間一般の価値基準に照らし合わせて美人だ。

 俺みたいに別に顔に自信のない野郎ならともかく、彼女が写真を避けるのはあまりピンとこない。

 もっとも、それは心の中にしまっておく。美人なら写真におじづいたりしないという俺の勝手なイメージを、彼女に押しつける気はなかった。

 綾瀬さんは胸に手を置いて言う。

「でも、安心したな」

「何がですか?」

「これから共同生活を送る相手なのに、怖い人だったらどうしようと思ってたから」

「どうなんですかね。本当に怖い人は優しい顔をしてる気がしますけど」

いちさんからさっきまでいろいろ聞いてたから。ほとんど毎日バイトして大学の学費をめてるとか。真面目な人なんだろうなって」

「つい十数分前にバイト先の先輩から不真面目を怒られてきましたが」

「成績優秀だとも」

「頭のいい犯罪者って多いですよね」

「あはは」

 口元を手で隠して綾瀬さんは控えめに笑ってみせた。

 俺たちの会話をはらはらした様子で見守っていた両親も、それを見てホッとしたように笑う。

 どうやらまいとのファーストコンタクトはうまくいったらしい。

 事前シミュレーションとはだいぶ違っていたけど、我ながらナイスな対応力。このぶんなら当たり障りのない関係を築いていけそうだ。


 そうして終始なごやかなムードのままあさむら家、あや家両家の顔合わせは進み、夜の10時を過ぎたところで明日も早いからと解散することとなった。

 親父おやじさんが会計とトイレを済ませてから出ると言い、俺と綾瀬さんだけが先に店の外に出て待つことになった。

 深夜でもなおけんそうむことのないどうげんざか。高い声で客引きするキャッチ、酒に酔って甲高い声を上げる派手な男女を見て、俺は隣にいる「妹」をちらりと見た。

 彼女のド派手な外見は、いままさにしぶを歩いている人々と何ら変わらない。俺が一生かかわらないだろうと思っていた「女」そのものだ。

 けど、さっきのファミレスでの会話は彼女の深い知性を感じさせるものだった。

 外見はあくまで外見。性格や礼儀とは関係ない。そういう単純な話ならわかりやすくていいのだけれど。

 でもこの「妹」の友好的な態度にはそれだけじゃない、何か言葉にしがたい違和感のようなものがつきまとっていた。

 そしてその違和感の正体は、すぐに判明した。

「ねえ、浅村くん。お母さんたちが出てくる前に、話しておきたいことがあるんだけど」

「親に言えないこと?」

「そう。もっと言うと、浅村くんにしか言えないこと」

「あんな短い会話でそこまで信頼を獲得したんですか。すごいな、俺」

「そのユーモア、話し方、表情、でもそのどれにも強い熱を感じない。だからたぶん、私の言葉も正確に理解してくれると思って」

「あー……」

 なるほど。つまるところ彼女は俺と似たタイプ。

 そして彼女は口にした。後から振り返ってみれば、このときの彼女の言葉が、俺たちの兄妹きようだい関係を決定的に定義してしまったんだろう。


「私はあなたに何も期待しないから、あなたも私に何も期待しないでほしいの」


 この意味、あなたなら正確に理解できるよね?

 彼女はそう言うと、瞳に俺の顔をしっかりと反射させて返事を待った。

 答えなんて決まっていた。

 人によってはとても冷たいくだりはんに聞こえるかもしれないその言葉は、俺にとっては何よりも誠実な人間関係スタンスの提案だったのだから。

「安心したよ。いま、初めてね」

「うん、私も。いま、初めて」

「是非そのスタンスでやっていこう、あやさん」

「ありがとう、あさむらくん」

 こうして俺、浅村ゆうと、義理の妹、綾瀬の関係は始まった。

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