第三章 冤罪 その2

  ◇ ◇ ◇


 一方、その頃、ベルトラム王国王城の上層階に位置するフローラの寝室にて。

「すぅ……すぅ……」

 天蓋付きの豪華で大きなベッドの上で、第二王女フローラ=ベルトラムが穏やかな寝息をたてて眠っていた。王都ベルトラントの景色を見渡せるバルコニーの窓から、室内に春の優しい風が吹き込んでいる。

「《探知魔法デイテクシヨン》」

 セリアが呪文を唱えると、手元に光の陣が浮かんだ。そのままじっと目を瞑りフローラの身体に手をかざして集中する。

 しばらくすると、セリアは目を開いてふぅっと息をついた。

「何か魔術を施されている痕跡はありません。医学は私の専門外なので何とも申せませんが、適切に水分を補給して休めばすぐに回復されると思いますよ」

 セリアが診断結果を報告すると、ヴァネッサが安堵したように息をついた。

「セリア君、感謝する。君の《探知魔法デイテクシヨン》で異常が見当たらないのなら、フローラ様が何か呪術を施されたわけではないだろう」

 言って、ヴァネッサがセリアに深く頭を下げる。

「いえ、微力ですがお役に立てたのならば幸いです。これで一安心ですね」

「ああ。とはいえ、結局、誘拐犯の狙いはわからないままなんだがな……」

「でも、リオという子から得られた情報はかなり有力だと思いますよ。もしかしたら犯人の特定ができるかもしれません」

「……あの少年の言っていたことが本当ならば、だがな」

「彼が嘘をついていると?」

 セリアが目をみはって尋ねた。

「いや、もちろんそうではない可能性もあるが、疑ってしまうのは職業病だな」

「でも、私は、あの子は悪い子じゃないと思いますよ」

「王立学院で講師をしている君が言うのなら間違いはなさそうだな」

 言って、ヴァネッサは口許にフッと笑みを浮かべる。

「まだまだ新米講師なんですけどね」

 はにかみ応じたセリアだったが、何かに気づいたように口を開いた。

「そういえばクリスティーナ様とロアナさんは?」

「ああ、権力濫用と無断外出で、今頃は陛下達に怒られているだろうな」

 ヴァネッサが呆れ顔で答えたその時のことだ。フローラが目覚めの兆候を見せた。

「う……んん」

「フローラ様!」

 ヴァネッサが機敏に反応して声をかける。

 すると、フローラは薄っすらと目を開けた。ぱちぱちと瞬きをして、ぼんやりとヴァネッサの顔を見つめている。

「ヴァネッサ……ですか? ここは……」

「フローラ様の寝室にございます。軽い脱水症状で衰弱し、気を失われていたのです。どうぞこちらを」

 ヴァネッサはテーブルに置かれていた金属製の水差しとグラスを取ると、グラスに飲み物を注ぎ、フローラに差し出した。

「ありがとう」

 礼を告げ、フローラがコップを受け取り、ゆっくりと飲み物を口に含む。しばらくしてからグラスから口を離し、小さく息をつくと、セリアを見やって口を開いた。

「えっと、貴方は?」

「セリア=クレールと申します。殿下。王立学院にてクリスティーナ様の担任講師をいたしておりますわ」

「貴方がお姉様の……。お噂はかねがね伺っております」

「光栄ですわ」

 畏まった様子でお辞儀するセリアに、フローラは弱々しく微笑んだ。

「何がどうなっているのか、説明をお願いしてもいいでしょうか? 私はいったい……」

「はっ。それは私の口から説明いたします」

 フローラが現状の説明を求めると、ヴァネッサが説明を始めた。

 およそ数分ほどで大まかな経緯をフローラに語って聞かせる。

「――というわけです。その少年はフローラ様を保護しただけと主張しておりますが、事実なのでしょうか?」

 説明を終えると、ヴァネッサが訊いた。

「はい。ぼんやりとですが、私と同じくらいの子に助けてもらうようにお願いしました」

 フローラがこくりと首肯する。

「では、その少年の名前はリオでよろしいでしょうか?」

「……ごめんなさい。お名前は伺っていなくて、わからないのです」

 フローラが顔を曇らせてかぶりを振る。

「でも、顔を見ればわかります。その方はどちらにいらっしゃるのでしょうか? お礼を言いたいです」

 続けて、そう語るフローラ。

「……おそらく今頃は取調べを受けているはずです」

「取調べ、ですか? どうして?」

 フローラが首を傾げて尋ねる。

「少年の供述内容が真実か確認する必要もありましたので」

「なら彼をこの場に呼んでください。あの人は私を助けてくれたのです」

 と、フローラはリオの潔白を証言し、自分の要望を告げた。

 しかし、ヴァネッサが困ったように表情を曇らせる。

「それは……、流石にこの部屋に呼ぶとなると難しいと申しますか……」

「どうしてですか?」

「あの少年は一介の孤児にすぎませんし、身なりを整える必要もありますし、陛下の許可も必要でして……」

「……なら早く必要な手配をしてください。あの方に不自由をさせることは許しません」

 フローラが少しだけ強い口調で頼む。

「はっ、承知しました。どうか姫様はお休みくださいませ。お身体にさわります」

「わかりました。頼みますよ」

「無論です。……セリア君。すまないが少し姫様の話し相手を頼めないか? 私は諸々の手配をしてくる」

「ええ、喜んで」

「ありがとう。なるべく早く戻って来るよ」

 快く頷いたセリアに礼を告げると、ヴァネッサは急ぎ足でリオの下へと向かった。


  ◇ ◇ ◇


 リオはだいぶ憔悴していた。

 手錠が食い込み手首の皮が裂けているが、もはや痛みをあまり感じない。というよりも、全身を棍棒で打撲された痛みの方がひどくて、手首の痛みどころではなかった。

「この糞ガキが! さっさと誘拐犯どもの情報を吐け!」

 独居房にシャルルの怒声が鳴り響く。その声色は怒りとは別にだいぶ焦燥していた。

 理由はわからないが、そのことにリオも気づいている。相手が焦っていることを悟ったことがきっかけとなり、今ではだいぶ冷静な思考を取り戻していた。

 だが、それでも状況は悪い。この部屋に来てから、リオはずっと痛めつけられ、ありもしない事実の自白を強要され続けている。意識を失って楽になることを許してくれない。

 もはや碌に体力が残っておらず、意地とハッタリで意識を保つのが精一杯だ。

 せめてダメージを減らそうと、身体強化をして肉体の強度を上げようと試みもした。

 あの時の感覚は鮮明に覚えている。もう一度やれと言われれば、集中することですぐにできると思えた、のだが。どういうわけかリオは身体強化をすることができなかった。

 原因はリオを拘束している手錠にある。この手錠には装着した者の魔力を封じる魔術がこめられているのだ。リオは魔力や魔術のことなど何も知らないが、先ほどの戦闘で行った身体強化は魔力をエネルギー源としている。それがこの手錠のせいで魔力を体外に放出することができなくなっているため、身体強化もできなくなっているのだ。

 しかし、それでも、リオは諦めずに機会を窺い続けている。シャルルが焦ってリオに自白を促しているということは、焦らなければならない理由があるということだ。そんな状況でリオが自白すれば、シャルルを利する結果となってしまうことは想像に難くない。

 だから、リオは絶対に暴力に屈して虚偽の自白をしないと決意を固めていた。

「これ以上、話すことなんかありませんね」

「貴様っ!」

 シャルルが我慢できないと言わんばかりに棍棒を振るった。容赦のない一撃だ。

「がっ」

 顔を殴られ、つぅっ、とリオの鼻と口から血が流れ出る。

「ふ、副団長! やりすぎると死んでしまいます」

 黙って尋問を静観していた騎士の一人が慌ててシャルルを制止した。

「うるさい! このままでは私の立場が不味いのだ!」

 シャルルがヒステリックな口調で怒鳴り返す。

「し、しかしですね。独断で殺してしまえば余計に立場が悪くなりますよ。今だって危ない橋を渡っているんですから」

「ならどうしろと言うのだ? リスクを恐れていてはリターンを得られない状況なのだ! ここで名誉を挽回せねば貴様らも道連れになるぞ!」

 シャルルが叫ぶと、室内に沈黙が降りた。

 現在、この部屋にいる者達は全員が近衛騎士団に所属している。そして、全員がフローラの誘拐事件の影響で立場が危うくなっている者達であった。

 フローラが何者かの手により攫われ騒ぎになったのはつい昨日のことだ。

 ベルトラム王室では春の恒例行事として国の繁栄を祈る儀式を行っており、フローラはその儀式で重要な役割を果たす巫女という大役を仰せつかっていた。

 儀式に先立っては禊をするのが伝統となっており、そのためフローラは古来より聖域として指定されている王都近郊の泉を訪れたのだ。

 だが、禊の際は巫女と世話役以外の者が聖域に立ち入ることを禁止するという慣習が仇となる。聖域となる泉の周囲には近衛騎士団が厳重な警備を敷いていたが、泉は森の中にあるせいか、警備の隙間を抜けられて賊の侵入を許してしまったのだ。

 フローラが誘拐されたという事実は現場の警備を担当していた近衛騎士団の失態だ。

 そして、その警備の中核を担っていたのがこの場にいるメンバーというわけである。

 現在、シャルルは近衛騎士団副団長という地位から失脚しかかっている。それを恐れ、地に落ちた名誉を回復するべく功を焦っている状況だ。

 シャルルはヴァネッサの命を受けて取調べを担当するはずだった者から無理やり仕事を引き継ぐと、リオへの取調べを強行し、自分の手柄にしようと試みた。

 必要ならば多少の冤罪を着せて事実を歪めることすら視野に入れて――。

 すべては少しでも自分の処分を軽くするための行動だ。

 ベルトラム王国の司法制度においては、容疑者がした自白には非常に強い証拠能力が認められているため、自白をしてしまえば罪が確定したも同然なのである。

 取調べの場でシャルル達にとって都合の良い自白をねつ造してリオに供述させ、沙汰を下す国王の前でも同じ自白を供述させれば、リオの罪は確定するだろう。

 仮にフローラが目覚めてリオに助けてもらったと供述したとしても、確定したリオの罪が覆されることは滅多にない。それだけ自白には強い証拠価値があるのだ。

 リオは七歳の子供――、少し脅すか痛めつければ、すぐに都合よく自供させることができるだろうと、シャルルは高をくくっていた。

 しかし、リオが想定外の胆力と忍耐力を見せたため、予定が大きく狂ってしまうことになる。普通は取調べに時間制限などないが、今回ばかりはタイムリミットが存在した。

 勝負はフローラが目を覚ますまでだ。仮にフローラがリオに助けてもらったことが事実だったと確定した場合、リオはフローラの恩人となり、罪が未確定な状態のままでは、手荒な取調べを行うことができなくなる可能性が高い。

 そうなれば、シャルルが強引にリオへと拷問まがいな尋問を強行し、王族の恩人を痛めつけたという事実だけが残ってしまう。

 今後のシャルルの処遇を巡る状況は好転するどころか悪化するだけだ。

 ゆえに、シャルルはひどく焦燥していた。もはやフローラはいつ目覚めてもおかしくはない。そうなれば、この部屋で取調べをしていることに気づかれるのも時間の問題だろう。

 その前に何としてもリオに自白をさせなければならない。

「……『隷属の首輪』を持ってこい」

 シャルルが低く冷たい声で言った。周囲にいた騎士達がギョッと目を丸くする。

「は、犯罪者と確定していない者に無断で『隷属の首輪』を使用することは重罪ですよ?」

『隷属の首輪』とは相手の自由意思を拘束して命令をきかせやすくする魔道具だ。

 首輪を着けられた者は登録者から命令を受けると、その命令に従おうという気持ちが湧きあがる。そして、命令に反した行動をとろうとしたり、登録者から特定の呪文を唱えられたりすると、身体に激痛が走るという効果がある。

 なお、過去にこの魔道具を使って悪質な事件が色々と引き起こされたという歴史があるため、使用にあたっては国法で厳しい条件が課されている。

 例えば、使用する相手は奴隷か犯罪者でなければならないし、実際に使用するにあたっては国に届け出なければならない、といったふうにだ。

 正気を失いかけたシャルルはタブーを犯そうとしていた。

「うるさい! いいからさっさと――」

 と、シャルルが怒鳴りかけた時のことだ。地下室の扉が勢いよく開いた。

 ぎくりとした様子で室内にいた騎士達が扉へと振り返る。開け放たれた扉から姿を現したのは、リオを城まで連行した女騎士のヴァネッサ=エマールであった。

「……アルボー卿、いったいこれはどういうことでしょうか?」

 ヴァネッサは室内の状況を確認すると、眉をひそめ、怒気を含んだ声でそう尋ねた。

 シャルルは一瞬だけ言葉に詰まりかけたが、

「……近衛騎士団副団長の権限に基づく正式な取調べだ」

 と、即座に機転を利かせ、悪びれもせずに答えた。

「私は自分の部下に取調べを任せたはずなのですが?」

 ヴァネッサが抗議するような口調で質問する。

「その者は急な任務が入ったのだ。手すきの私が引き継いだ」

「……なぜ近衛騎士団副団長である貴方が直々に取調べをする必要があるのでしょう?」

「此度の一件は私の失態でもあるからな。私なりに責任を感じたまでのことだ。何か問題があるかね?」

 あくまでもしれっと答えるシャルル。

「その少年はフローラ様の恩人である可能性があるため、穏便に取調べを行えと伝達していたのですが?」

 ヴァネッサは宙吊りになっているリオに視線を向けて尋ねた。

「ふむ、確かにそんなことを言っていたな。だが、私はこの小僧が王女殿下誘拐に関わっている可能性が高いと睨んでいるのだよ」

 シャルルは素知らぬふりをして語る。

「供述以外に犯行を推定する証拠があったと?」

「状況証拠からそう判断したまでのことだ。可能性はゼロではないだろう?」

「……その通りですが、フローラ様がお目覚めになるまで待つべきだったのでは?」

「そこは意見の相違というやつだ。殿下の恩人ともなれば手荒な取調べはできまい? そうなれば真実発見が遠のいてしまう」

 ああ言えばこう言う。よく口の回る男だと、ヴァネッサは思った。

「……彼はフローラ様の恩人だそうです。誘拐事件に関わりがあったのですか?」

「幸いというべきか、関わりはなかったようだよ。恩人が実は罪人でしたなどとお聞きになれば、殿下も御心をお痛めになるだろうからな。いや、誠に幸いであった」

 と、シャルルが妙に芝居がかった言い方で喜びの意を示した。

 ヴァネッサとしては思うところがないわけではないが、この場でいくら問答したところで、のらりくらりと躱されるだけだろう。

 後で意見書を上層部に提出し、判断を仰ぐしかない。

「ならばその少年の取調べはここまでにしてもらいたい。フローラ様の恩人となればぞんざいに扱うわけにもいきません。国王陛下もお会いになるとのことです」

「そういうことならば、喜んでこの場は引かせてもらおう。おい、手錠を外してやれ」

 シャルルが命令すると、騎士達が慌ててリオの手錠を取り外した。もはや立つ気力すら残っていないため、リオが地面に倒れこむ。

「我々はこれで失礼させてもらうとするよ。他に仕事もあるのでね」

 そう言い残すと、シャルル達は足早に地下室を後にした。

 残されたのはリオとヴァネッサだけだ。

「……すまなかった。《治癒魔法ヒール》が使える魔道士をすぐに手配する。立てるか?」

 うつ伏せになって倒れたリオの傍に歩み寄ると、ヴァネッサが声をかけた。

 だが、リオはヴァネッサの声を無視し、一人で立ち上がろうとする。

「つぅ……」

 全身に強い痛みを感じ、リオはすぐに地面に横になった。

「無理をするな。骨にヒビが入っているかもしれん。私が運ぶから、じっと――」

 言いながら、ヴァネッサがリオをいたわるように手を伸ばしたが、

「さわ、るな……」

 リオは差し出された手を叩いた。

 ショックを受けたのか、ヴァネッサが呆然と自分の手を見つめている。

「その、すまん。この場に《治癒魔法ヒール》が使える者を呼んでくる。大人しく待っていてくれ」

 複雑な表情を浮かべると、ヴァネッサはいったんその場を後にした。

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