◆0──現在。一九四三年二月十二日八時五十五分、或る記者の手記。

 軍用の輸送車両の振動に起こされて、私はゆっくりと顔を上げた。

 座り心地のおよそ考慮されていない固い座席で眠っていたせいで、全身の筋肉が不快感を訴えている。

 節々の痛みに顔をしかめつつ、狭い車内でどうにか身体をほぐそうと身をよじっていると──向かい側から不意に声が投げかけられた。

「おはようございます、記者さん。よく眠れましたか」

 連邦軍の濃紺の軍服をきっちりと着込んだ、背の高い男。今回の取材にあたって私の案内役として同行してくれた軍人さんだ。

 せいかんな、整った顔立ち。単純な外見だけであれば二十歳かそこらに見えるが──右頰の大きな火傷やけど痕と眼鏡越しの闇色の瞳が、外見年齢以上に老練した印象を与えていた。

 軍人の問いかけに、私は軽く顔を押さえながら首を横に振る。

「最悪でした。……頭が痛いです」

「そうでしょうね。昔から、兵士たちの間でもこいつは乗り心地最悪と大評判でしたから」

 目だけが笑っていない奇妙な笑みを浮かべると、彼は手元の端末を操作しながら続ける。

「でも安心して下さい。ようやく、お目当ての場所に到着ですよ」

 そう言って、端末の画面に地形図を表示させて見せる彼。

 その座標を指さしながら、彼はにこりともせずに言う。


「ようこそ、かつて地獄だった場所へ」


 男の案内に従って車両を降りて、ぬかるんだ地面に立つ。

 北部でもこの辺りは比較的温暖であるとはいえ、乾いた風はほのかに肌寒い。

 薄いジャンパーの前を寄せながら、私は首から下げていたカメラを構えてファインダーをのぞむ。

 切り取られた視界の中に広がっていたのは──地平の果てまで長く、長く伸びたざんごう地帯だった。


 北緯63度、東経98度。連邦北部、レヴァン平原。

 先の連邦と帝政圏との大戦争、通称「庭の戦争」のさなか。この大平原は両陣営が幾度もぶつかり合った激戦区であった。

 その事実をいやおうなく突きつけるかのように。あの突然の停戦から数ヶ月が経過した今もなお、いたる所に砲弾によるものだろう、無数の着弾痕が残っていて──ところどころは崩れて埋まっている。

 死んだ巨獣のように横たわる巨大な鉄塊は、車両の残骸だろうか。それ以外にも放棄された野戦砲などが当時の様子そのままに朽ちていた。

 ……そして、朽ちて転がっているのは無機物ばかりではない。

 黒いでいねいと同化するようにして辺りに積み重なっている、野戦服をまとった泥の塊のようなそれは──


「……うっぷ」

 不快感から思わず朝食のサンドイッチを戻しそうになるのをどうにかこらえて、私はシャッターを切り続ける。

 そんな私を横目で見ながら──軍人の男がぽつりと、つぶやいた。

「……珍しいですね。死体を見て吐きそうになる従軍記者を見たのは、初めてです」

「あはは、そうでしょうね。そもそも私、従軍経験はないので……」

「ではなぜ、わざわざこんなところに取材に?」

 少し意外そうにそう問う彼に、私は苦笑いを浮かべながら答える。

「まあ、その。『戦場伝説』とでも言いますか──そういうものに、興味があって」

「戦場伝説、ですか。……ええ、そういった類のものは当時、多かったですね」

 戦場伝説。戦場において生まれた様々なうわさばなしえいゆうたん、あるいは与太話。

 たとえば銃弾の飛び交う戦場をへいやり一本で飛び回ってふんじんの活躍をした兵士の武勇伝であったり、あるいは戦場の裏で暗躍する邪教崇拝者たちのうわさであったり。

 多くの人間が狂騒の中にあった戦場において、そういった根拠も怪しいような奇怪などうちようせつが花開くのは、ある意味では当然のことであった。

「今にして思えば、馬鹿げた話ばかりですがね。軍部が秘密の天候操作兵器を開発しているだとか、新型の毒ガス兵器を作り出したとか──なぜあんな荒唐無稽な与太話がまことしやかに話されていたのか、今では皆目理解できませんが」

 淡々とつぶやきながら肩をすくめて、軍人は私をいちべつすると続ける。

「ですが、そういうことであればなおさら妙なことですね。そんな与太話を調べるのであれば、わざわざ軍に掛け合って案内役をつけるよりも街をうろついている帰還兵に小銭か安酒でも握らせたほうがよほど収穫はあるでしょうに」

 口調自体にとげはないが、なんだか微妙に当てこすられているような気がする。

 どこか居心地の悪さを感じながらも、私は少しのしゆんじゆんの後にこう答えた。


「軍人さんは、神様って信じますか?」


 その問いかけに、軍人はわずかに眉根を寄せる。

「……宗教のお誘いでしたら、あいにくと場違いもはなはだしいですが」

「いえ、そういうのじゃなくて。……ええとですね、私が追いかけているうわさがそういう類のものというか──そう」

 言葉を区切りながら、私はこちらをげんそうに見つめる軍人へと続ける。

「神様に愛された『聖女』たち。最初にその話をしていた人は、そう言っていました」


 ──その存在がささやかれるようになったのは、かの大戦中期に遡る。

 こうちやくが続いた戦場に、「彼女たち」は突然に現れたという。

 記録には諸説や揺れがあるものの──おおむね全てにおいて共通するのは「彼女たち」が何かしら、を携えていたという事実。

 絶望的な戦況の中に突如現れてはその圧倒的な力で帝軍を打ち払い、兵士たちに希望を与え続けた少女たち。

 そんな彼女たちのことを──当時の兵士たちはかように呼んでいたという。

 神から授かったせきの力で人を導くもの、すなわち、「聖女」と。


「……『聖女』。ええ、当時はよく耳にしたものですが──あれこそ、戦時中のプロパガンダに過ぎませんよ。神に選ばれた少女たちが、ていしんして国のために戦う。なんともけなで、兵隊受けしそうな話ではありませんか」

 どこかあしらうような軍人の返答。それはきわめて一般的で、当然の反応だ。

 神に選ばれた少女が、人々の先陣に立って導き、戦う。そんな「お話」は、歴史を遡ってみてもそれこそ無数にある。

 戦場をにぎわせた「聖女」のうわさも、いわばそういった英雄譚ヒロイツクサーガの類型に過ぎない──そう考えるのが理性的で、常識的なものの見方と言えるだろう、けれど。

「ところが、そうでもないんです」

 軍人の言葉を遮って、私は続ける。

「当時の新聞や官報は、全部検分しました。確かに内容はあまりにも現実離れしたものばかりです。けど……実際にその力をたりにしたという兵士が、何人もいるんです。『彼女たち』の異能の力をその目で見て、そして助けてもらったっていう人たちが──」

「……へぇ?」

 軍人の声音が変わった気がして、思わず熱弁していた私ははっと口をつぐむ。

 ……失敗だった。こんなオカルト話を調べるためにわざわざ軍に掛け合って、こうして案内役の軍人まで付けてもらったなんて、向こうとしてもいい気分ではないだろうに。

 かんもくして冷や汗を流す私をじいっと見つめて──軍人は再び口を開いた。

「どうして貴方あなたは、『彼女たち』のことを調べようと?」

「え?」

 意外にもその口から出たのは𠮟責や罵倒ではなく、そんな質問で。その漆黒色の瞳にもまた、こちらを責めるような気配はない。

 半ば拍子抜け、半ば妙な居心地の悪さを感じながらも、私は正直に答えることにした。

「……最初は、興味本位だったんです。けど調べているうちに……純粋に、気になったんです。『彼女たちは、どこに行ったんだろう』って」

「……」

 沈黙する軍人。その沈黙を促しととって、私は言葉を続ける。

「『彼女たち』の存在が単なるプロパガンダだったなら、それでいい。でもそれにしてはあまりにも──『彼女たち』の存在は、この戦争において。例えば一九四〇年、ヴァルトール・リーエン戦線での大規模攻勢、一九四二年、東部戦線第一◯三高地での撤退戦、そして一九三九年四月……ここ、レヴァン平原での戦闘。細部は軍事機密ですから何もわからないですけど、参加していた兵士は皆口をそろえて言うんです。『彼女たちがいなかったら、我々は死んでいただろう』って」

「だから貴方あなたは、その足跡を探しにきたと?」

「……はい」

「だとしたら」

 軍人は、静かに問う。

「それを知って。その足跡を辿たどって、貴方あなたはどうしたいんですか」

 冷たい刃を押し当てられたような、ぞっとする感覚。

 思わず震える手を自分の手で握りしめて。私は彼に向き直って、返す。

「もしも彼女たちが『いた』のなら。私は彼女たちが『いた』事実をちゃんと歴史に証明したいって、そう思うんです。いなかったことにされるなんて、そんなのは……悲しいですから」

 そんな私の答えに、軍人はただ、沈黙して。

 うつむき加減のまま──その口元を奇妙にゆがめて、ぽつりとつぶやく。

貴方あなたは、馬鹿ですね。それが軍事機密に当たる内容だったら……とは考えないんですか」

「はっ」

 思わず間の抜けた声を漏らす私を見てくっくっと喉を鳴らす軍人。表情の乏しさ故に気付かなかったが、どうやら笑っているらしかった。

「いいでしょう。ならそんな馬鹿な貴方あなたに免じて少し、昔話をしてあげましょう」

「昔、話?」

「ええ」

 そう言って、彼は辺りに転がっていたのうにゆったりと腰を下ろすと──手袋に包まれた手で右頰の火傷やけど痕を軽くでながら、静かに口を開く。


「これは、ある愚かな少年と──『聖女』と呼ばれた一人の少女の、お話です」

このエピソードをシェアする

  • ツイートする
  • シェアする
  • 友達に教える

関連書籍

  • いつかここにいた貴方のために/ずっとそこにいる貴方のために

    いつかここにいた貴方のために/ずっとそこにいる貴方のために

    西塔 鼎/Enji

  • 死にたがりの聖女に幸せな終末を。

    死にたがりの聖女に幸せな終末を。

    西塔 鼎/Enji

  • 先輩、わたしと勝負しましょう。ときめいたら負けです! イヤし系幼女後輩VS武人系先輩

    先輩、わたしと勝負しましょう。ときめいたら負けです! イヤし系幼女後輩VS武人系先輩

    西塔 鼎/さとうぽて

Close