2-5

◇◆◇


よしもとこうへい。去年はA組で、サッカー部に所属してます。趣味は……やっぱサッカーかな。今年一年よろしく!」

 簡単な自己紹介には、簡単な拍手が相当する。最後尾に座る吉本浩平へと送られる疎らな拍手。これで何十回目の拍手になるだろうか。多くは称賛の意味ではない。とりあえず形骸的に手を叩いているだけだ。チンパンジーとさして変わらない。

 ゆっくりと消えゆく手を叩く音が終わりのときを知らせる。

 窓際に用意した椅子。それに座っていた俺に生徒の視線が集まる。彼らの目は『自己紹介は終わったぞ。次はどうすんだ?』と訴えていた。

 生徒が自己紹介している間に、風を受けながら窓の外を眺めるのは有意義な時間だった。これからホームルームは毎時間自己紹介にしたいくらい。

 首を左右に傾け、関節を鳴らす。右手で後頭部を搔くとあくびが込み上げてきた。ホームルームと言っても授業の区切り。堂々とあくびをしていいことにはならない。半開きになった口から割って出てこようとするあくびを抑えつけ、愛しの椅子に別れを告げる。

 ノロノロと歩き、教壇に上ると正面に座る男子生徒が右手を天高く掲げた。

「先生! 席替えしないんすかっ!?」

「あ?」

 突然のことで威嚇気味に応答してしまう。……席替え? ああ、席替えね。

 学校と言えば席替え、みたいなところがある。小学校ではしょっちゅう席替えが企画されるほど。中高と進んでいくごとにその頻度は減っていくけれど、大学生になると毎日席替えだ。講義開始直前に滑り込むと前の座席しか空いてない。俺だけは毎週同じところに座っていたな。大学生は後方を確保することに命を懸けている。時には前しか空いてないと帰る奴もいるくらいだ。

 それくらい前の座席はバリューが低い。先生の目に留まるし、授業中にスマホをいじることができない。勉強意欲を強く持つ生徒でなければ、最前列を望まない。マイナスな観点で席替えを捉えると『最前列の押し付け合い』だ。

 椅子に座って授業を受けている生徒からでは、わからないかもしれないが、教壇の上は見通しがいい。後ろの席までしっかりと見えている。どこに座ろうと教師の目から逃れることはできないと思っていい。ちゃんと見えているんだからね!

「他のクラスは席替えしてますよ!」

 みんなの意見こそ正義だと主張する。大多数こそ正義と謳うのは、民主主義的に概ね正しい。この国は多数決で事を決めるからな。

 出席簿を開き、席順と出席番号を照らし合わせることで正面に座る生徒の名前を確かめる。……がわだな。席替えしたがりの瀬川まさひこくん。覚えた。

「面倒だから却下だ。それに席替えしたらお前たちの名前がわからなくなる」

「え? さっきの自己紹介は何のために?」

 瞠らせた目を向ける瀬川は茫然としている。もしかしてさっきの自己紹介は俺にしていたのか。全然聞いてなかったんだけど。

「授業するのは俺だけじゃないからな。他の先生たちも席が変わったら困るだろ。というわけで席替えはしない。今日はまだ他にやることがある。自己紹介のせいで時間も残ってないし」

 瀬川は何とも言えない顔でわなわなと慄く。

『初日に自己紹介させなかったのは先生だろ』

『今日突然自己紹介するって言ったのもね』

 瀬川の気持ちを代弁する声がちらほらと耳に入る。聖徳太子とまではいかないが、いくつかの声を聞き取ることができた。耳が痛いものばかりが入ってくる。世の中、知らなければよかったことなんていくらでも存在する。喫煙者の肺の画像とかね。今のもできれば聞きたくなかった。

「……というわけで今日は委員会を決めます」

 すべて無視して強行突破。ただでさえ自己紹介で時間を食っている。彼らの戯言に付き合っている暇はない。

『何が、というわけだ』『マイペースすぎるだろ』と俺を非難する声。

 あーだこーだと騒がしい生徒たちに背を向け、黒板の粉受けから一つチョークを手に取る。本日中に決めなければならない委員の名前を記しながら、概要を説明することに。

「お前らは二年生だからもう知っていると思うが、改めて説明する」

 右のスペースから順に書き記していく。チョークが黒板をひっかく音には未だに慣れない。注意を払ってもカッカとうるさいし、予備校みたいにホワイトボードを導入してくれないかな。

 学級委員。

「学級委員はこれから先、ホームルームの進行役をやってもらうことになる。何かとクラスを代表することが多い。面倒な仕事だが、内申点が良くなる。推薦を狙わないなら高校の内申点なんて飾りだ。……やるだけ損だな」

『先生がそれを言うのかよ』

『この人、テキトーだな』

『それを聞いて誰がやるんだよ』

 図書委員。

「図書委員は当番制で昼休みと放課後に本の貸し出しを担当してもらう。頻度は二週に一回くらいだったか? 昼休みと放課後に友達と遊びたい奴はやめておいたほうがいいな。メリットは部活をサボる口実になるくらいだ。実際当番じゃなくても当番って言えば、正当な理由でサボれる気がするだろ。アニメやマンガみたいに突然美少女が話しかけてくることはないから、そこは注意しておけ」

『性格悪……』

『昼休みと放課後の時間を取られるのは痛いな』

『……夢は、ないのか』

 美化委員。

「知っての通り、美化委員は仕事がない。一応委員会には出てもらうが、委員長と副委員長に役割があるだけで末端は名ばかりだな。掃除道具の補塡が仕事の範疇だが、俺に言ってくれるだけでいい。……あーでも今年は委員会主導の清掃活動があるって聞いたな。もしかしたら大変かもしれない」

『なんだ、仕事あるじゃん』

『黙っていればいいのに』

『やろうと思ったけど、やっぱなしだわ』

 風紀委員。

「文字通り、風紀を取り締まることが仕事だ。ちょっと前まではあいさつ運動を担当していたが、俺たち教師がやることになったからやることがない。文化祭で見回りの仕事があると思うが、腕章をつけるだけだ」

『そういえば朝、高宮先生立ってたよね』

『あからさまにやる気なさそうだったな』

『私も見た。目、死んでたよね』

 保健委員。

「多分これが一番楽だな。保健委員はトイレットペーパーの補充と体調が悪い生徒を保健室まで連れていく役割が与えられている。トイレットペーパーなんて使う奴が補充すればいいし、体調が悪ければ一人で勝手に保健室へ行けばいい」

『先生らしい』

『人に頼らず生きてきたんだろうね』

『なんか可哀そう』

 それぞれ間隔を開けて委員会の名称を書き記した。学生をやっているときは一体いくつ委員会あるんだよ、と思っていたけれど、こうして見ると少ないものだな。

「文化祭、体育祭実行委員はその都度決めることにする。とりあえず今日はこの五つだ。やりたい奴は挙手してくれ。早い者勝ちだぞ」

『早い者勝ちって、誰がやるんだよ』

『やりたい奴なんていないだろ』

『お前やれよ』

 さっきから好き放題言ってくれるな。まったく以てその通りだから、この事態を擁護することはできない。委員会決めはよくない文化。かといって他にいい決め方があるわけでもないし、避けては通れない道だ。

 教壇から全体を見渡すも、誰一人として手を挙げる気配はない。生徒たちは互いに押し付け合うように誰かの立候補を待っている。懐かしい感覚だ。俺が学生のときもこんな感じだったな。徐々に楽な委員から埋まっていき、最終的に残る学級委員を誰がやるかで揉める。誰だって面倒事は引き受けたくない。

 しかし、委員が決まらないことには、このホームルームが終わりを迎えることはない。現在は六限目。あとに授業は控えていない。それはタイムリミットが存在しないのと同義だ。逆に言えば、決まりさえすれば終わるんだけど。

「……」

 前後左右、互いに押し付け合いという名のじゃれ合いが続いた。率先して人にやれという奴はまちがっても委員を引き受けない傾向にある。特に男子はそうだ。奴らは決まって『俺、部活ガチってるから他は無理』と宣う。部活動に入っていなかった俺ですら、他は無理だったほどだ。『主』とするものがないのに『他』は無理ってなんだ。我ながら謎。

「先生、このままだと決まんなくない?」

 一人呆けていると瀬川が不満の声をあげた。見た感じ、瀬川は周囲の生徒と話していない。俺に話しかけてくるということは、周りに友達がいないのだろう。後ろは如何にも根暗そうなメガネくん。陽キャラは誰にでも話しかけるという風潮があるけれど、あれはごく一部の存在だ。陰キャラのステルス機能も相まって、陽キャラの視界に映らないから、話しかけようもない。

 瀬川を左右から挟む女子たちもそれぞれ別に相手をしている。完全に孤立状態。席替えを要求する真の理由はこれか。

「……じゃんけんで決めるか?」

「そのチョイスはないでしょ。……てか先生、席替えしません?」

 俺の意見を否定しながら、しれっと席替えを提案してくる。なんという図々しさ。じゃんけんダメなの? 人類が生み出した公平なゲームは、じゃんけんくらいのものだ。大方のゲームは先攻後攻が存在するから公平性に欠ける。

「席替えはそのうちな」

「言いましたね! 絶対ですよ!」

「ああ、そのうちな」

 このままだと瀬川が一生席替えしろとうるさいだろうから、アテのない口約束で黙らせる。そのうちっていつだろうな?

 瀬川とたわいないコミュニケーションを取っていると、華奢な手がピンと伸びた。

「私、学級委員やります」

 決心した旨を口にすると共に椅子を引いて立ち上がる少女。まっすぐな瞳に凜然とした態度。生半可な気持ちで立候補をしていないと伝わってくる。

 最上千裕が学級委員に名乗り出た。初日から俺にサボりの容疑をかけてきたお転婆ガールだ。教師である俺を始業式へ参加させようとする意思の強さと責任感は、リーダーシップを取ることに向いているかもしれない。……学級委員はリーダーシップを取る仕事じゃないけどね。しかし、やってくれるというのなら是非とも引き受けてもらいたい。このままだと日が暮れる。

「そうか。じゃあ黒板に名前を書いてくれ。……というわけで学級委員が決まりました。拍手」

 言葉を載せた拍手が伝染していく。中には彼女と仲がいい生徒もいたようで、大きめの拍手もちらほらと窺えた。

「あとは学級委員に任せる。日直は日誌に決まった委員の名前を記録しといてくれ」

 真っ先に進行役である学級委員が決まった。よって代理で司会進行を務めていた俺はお役御免となる。

 出席簿を手に取って教壇を下り、窓際に残していた椅子へ。しばらく立ち続けていた疲れが着席と同時に込み上げてきた。もう二度と立ち上がることができそうにない。

 最上が黒板に自分の名前を書き記す姿を横目に出席簿を開く。この時間を使って顔と名前を照らし合わせる魂胆だ。すぐに飽きるだろうけど。

 教師という仕事は授業中立ちっぱなしだ。一コマあたり五〇分。普通に腰が折れる。一コマ九〇分もある大学教授の腰は化け物か?

「高宮先生に代わりまして進行を務めます、最上千裕です。よろしくお願いします」

 学級委員を引き受けた最上は改まった様子で教壇に立つ。堅い挨拶だが、かなりそれっぽい。俺が授業をしているときよりもよっぽど教師っぽいな。他の生徒も静かに聞いている。風格の違いだろうか?

「他に誰かやりたい人いませんか?」

 優しく誘導を始める。それとは裏腹に、挙手する者は出てこない。元々やりたい人間がいないのだから、当然の反応だ。

「千裕が学級委員やるなら、あたし保健委員やるよ。楽そうだし!」

 苦悩を重ねた末、決心した女子生徒が名乗り出る。友達がやるなら、という生徒がいてもおかしくない。

ありがと!」

 最上は教壇に向かってくる彼女を笑顔で受け入れる。二人の関係に詳しくないが、友達という奴だろうか。女子は友達でなくても仲良さそうに見せるからな。細かいことはわからない。……明日香ね。ええっ、とアスカアスカと。

 出席簿に挟んである名簿から明日香の文字を探す。

 小林明日香。他にアスカと読む名前は見当たらないし、小林明日香でまちがいないだろう。覚えられるか、少し不安だな。

 小林は黒板に名前を記して席へ戻っていく。これで残すはあと三枠か。

 保健委員が決まったことで勢いを増した最上は、更なる委員を決めるべく意気込む。教卓に手をつき前のめりに紡ぐ言葉。

「委員やってもいい人、いませんか?」

 手を挙げづらい空気こそ改善されたが、委員なんてやるだけ損、という前提がある。俺がネガキャンしたのもあるが、そんなことわざわざ言わなくても周知のことだ。委員を引き受けてくれるお人好しなんて、そう何人もいるとは考えられない。またしばらく膠着状態が続くだろう。

 わいわいと押し付け合っていた口数が減っている。第三者に向けて『誰かやってくれないかな』という希望的観測が横行していた。友人と呼べない相手に『お前やれよ』と言えるはずがない。

「……誰かいませんか?」

 再度、全体に問いかける。最上の期待に応えるものはおらず、静かな時間が続く。こればかりは個人の力でどうこうできる問題ではないことを、最上もわかっているのだろう。困った表情で立候補を待つことしかできない。

 立候補制ではなく、くじ引きを採用したいところだが、それだと苦情が殺到しそうだ。席替えのくじ引きは嬉々として引くくせによ。

 手っ取り早く終わらせる方法を考えてみるけれど、そんなものはない。ちょっと考えて思いつくのであれば、すでに実践している。

「佐々木、あんたやったら? 去年図書委員でしょ」

 限りなく静寂に近かった世界。突如として現れた声音は有無を言わさぬ圧を一人の男子生徒へ投げかける。

 神原紗月は椅子に浅く座り、怠そうに足を組んでいる。背もたれに身を任せ、ギロリと鋭い眼つきで少し離れた席の男子を見据えていた。

 佐々木、佐々木。……佐々木かずか。見た感じ気の強そうな人間ではない。自ら役を買って出るより、誰かに頼まれたら断れない雰囲気を醸し出している。どことなく俺に似ているな。

「神原さん! そういうのはよくないと思う」

 佐々木和人を強制的に図書委員へ推薦した神原を、最上は厳しめの口調で咎めた。それを受けて神原の表情が歪む。

「あ?」

「無理やりやらせるのは、委員会にとってもよくないから」

「うざ」

 最前と最後。二方向から放たれる熾烈な視線。生徒たちの頭上で衝突する二人の視線は火花を散らし、教室の空気を一層悪くさせる。

 言い争いはなく睨み合いだけが続く。目を逸らした方が負けとばかりにお互い一歩も退かない。二人に因縁があるとは思えないが、根本的にそりが合わない可能性がある。自分の正義を簡単に諦められるほど、人は器用な生き物ではない。

 ここは一つ、教師である俺が仲裁を……

「─ぼ、僕が図書委員をやるよ」

 二人の諍いを静めるため、重たい腰をあげようとしたそのとき、神原に委員をやるよう促されていた男子生徒、佐々木和人が恐る恐る自身の右手を挙げた。教室中の視線が、佐々木の勇気ある行動に集まる。

 佐々木が動いたことで中断される最上と神原の衝突。

「……いいの? 佐々木くん、強制はしないよ?」

「大丈夫。僕がやるよ」

「そっか。佐々木くん、ありがとう」

 挙動不審ながらもコクコクと頷いて席を立つ佐々木。

 黒板に自身の名前を残してそそくさと戻っていく。険悪な空気に耐え切れず、名乗り出たのだろうか。なんにせよ、俺が出る幕ではなかった。佐々木くん好い奴だな。今日のMVPは君だ。お家に帰ったらママに『今日、女子の喧嘩を仲裁したんだ!』と誇ってもいい権利を与える。

 佐々木が図書委員を引き受ける流れの中、最上と神原が見合うことはない。神原はいつもと変わらない姿勢で爪をいじっていた。クラスメイトが騒がしくしている中、神原が一人爪いじりをしているところをよく見かける。あれは関与する気はない、という意思表示なのだろうか。

 最初のホームルームのときといい、彼女には特別なものがある。厳しい声音に、言いたいことはハッキリと口にする大胆さ。見た目も相まって、誰もが萎縮してしまう。それ故に彼女の発言力は、生徒間において上位に君臨しているわけだ。彼女の言うことが正しいというより、誰も神原紗月に抗おうとしない。

 俺が学生で神原と同じクラスに在籍していても同じだろう。言いなりになっていたと思う。

 人間、徒党を組んで他を押しのけたがるものだが、単体で教室一つを黙らせる彼女の圧倒的な存在感。誰にでもできることではない。

「……じゃあ、俺は美化委員やるよ」

「私は風紀委員にするね」

 この時間を長引かせるのは危険だと判断した二人の生徒が動く。

 これ以上、最上と神原が闘うようなことになれば、それこそ面倒だ。防ぐことができるのなら、のちの苦労を買っても損にはならない。

「あ、ありがとう、二人とも」

 耐えかねた二人が自らを犠牲にして、決めなければならない五人の委員が決まる。どの道誰かが貧乏くじを引かなければならなかった。そのことに変わりはない。誰かに任せず、名乗り出た二人は称賛に値する。最上や小林、佐々木の三人も同様だ。

 とうじようまさすずはら。それぞれ委員を務めてくれる生徒の名だ。日直が決まった委員の名前を日誌に書き込む姿を横目に、自分の仕事へ戻る。

「ご苦労だったな。戻っていいぞ」

 窓際の椅子から教壇へ上がった俺は、学級委員の仕事はここまでだと最上に着席を促す指示を出した。彼女は黙って頷き、自分の席へと向かう。その表情にかかる影。自分の仕事ぶりに納得がいっていないのか。彼女の真意はわからない。

「委員会についてはその都度連絡する。俺が怒られるから、欠席はしないように」

『先生じゃないんだから、そんなことしないよ』

『それな。高宮先生、当たり前のようにサボりそう』

 東条と鈴原の二人が場を和ませる軽口をたたく。それを起点に笑いが生まれ、重たい空気が回復へ向かった。二人とも俺のことをわかっていない。俺は出席こそするが、何もしないタイプの人間だ。いてもいなくても変わらない。むしろいるだけで邪魔になりうるお荷物だ。

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